2018年

7月

19日

同行援護従業者養成研修の9月クラス、11月クラスを募集中です。

目を閉じてみてください。音はそのまま聞こえてきますが、視覚からの情報は失われてしまいます。そう、見える人が目をつぶると、見えなくなる不安や怖れを感じます。見えている状態が普通であって、そこから光や情報が失われていく。単なる引き算であり、マイナスという感覚です。しかし、目の見えない人は、何も見えない暗闇の世界を生きているのでしょうか?

 

もう1歩踏み込んで、目の見えない人は、目の見える人には見えない世界を感じているのではないか、と考えてみてはいかがでしょうか。

 

「同行援護従業者養成研修(一般課程)」は、視覚障害のある方の外出支援(ガイドヘルプ)について学ぶための研修です。

 

→目の見えない人の世界に興味がある

→同行援護の仕事をするにあたって必要な、正しい知識や技術を身につけたい

→高齢者介護とは全く違う、視覚障害者の支援について、深く学びたい

 

という方は、ぜひご受講ください。

 

ガイドヘルパーの仕事に即した、実践的なオリジナルコンテンツ

①基本技能と専門的知識

同行援護の基本技能に関しては、基本姿勢を徹底します。利用者さんの半歩前に平行にきっちりと立つ、脇を締める。美しい姿勢が保たれることで、安全と安心が確保されるのです。できるガイドヘルパーかどうかは、姿勢を見れば分かります。何よりも先に、基本姿勢をしっかりと身につけることが大切です。

 

その他、アイマスクをしながらの食事介助や、町田市民ホールまで行って階段昇降やまたぎ、トイレの介助についてなど、あらゆる場面における基本的な動作をみっちり練習します。2日目は、長津田駅を利用させていただき、エスカレーターの上り下りや電車の乗降など、実際のガイドヘルプを想定した実践的な体験をしてもらいます。

②当事者との交流・相互理解

視覚障害のある方が実技演習に参加してくれます。実際の交流を通して、同行援護の正しい技術や実際のガイドヘルプ活動を体験することができます。

 

当事者の方と実際に触れ合ってみること、直接に話をすることによってこそ、相互の理解は深まるはずです。

 

当事者の方が、グループワークにも参加して、視覚に障害のある方の気持ちや考え、経験談などを語ってくださいます。私たちの想像を超える話が飛び出すかもしれませんね。

③こどもの国

ガイドヘルプ本来の目的は、余暇をいかに楽しく過ごしてもらうか。そこで、こどもの国へ行くことにしました!

 

こどもの国に入園して、歩き回ったり、食事をしたり、ソフトクリームを食べたり、記念撮影をしたりします。視覚障害のある方とガイドヘルパーが過ごすように、私たちも外出の研修を楽しみながら、あらゆる局面における実践的な学びを得ることができます。こどもの国のソフトクリームは美味しいですよ(個人の感想です)。

タイムテーブル

第1日目

 9301130  

2

同行援護の制度と従業者の業務

 11401400

*途中休憩20分挟む 

2

同行援護の基礎知識

14001800 

4

基本技能

第2日目

 9301130  

2

情報支援と情報提供

 11401400

*途中休憩20分挟む 

2

代筆・代読の基礎知識

14001800 

4

応用技能

*昼食はガイドヘルパーの演習の流れの中で召し上がっていただきます。

 

*雨天決行になりますので、雨天の場合は雨がっぱ等をご用意ください。

修了証明書

研修終了後には、「同行援護従業者養成研修」修了の資格が手に入ります。この資格を持っていなければ、同行援護の仕事に従事することはできません。もちろん、履歴書にも「同行援護従業者養成研修修了」と書いていただけます。

講師紹介

千種珠美

尾形亜希子


湘南ケアカレッジの講師は、同行援護(視覚障害者のガイドヘルプ)の経験が豊富であり、教えることに対しての技術と情熱を持っています。分かりやすく丁寧に教えさせていただき、同行援護の仕事の素晴らしさをひとりでも多くの人々に伝えたい、と願っております。

受講料

23,000円(税込、テキスト代込)

定員

24名限定

*授業内容の関係上、1クラスを少人数に限定させていただくことをご理解ください。

受講資格

介護職員初任者研修課程修了者(修了予定者を含む)、ホームヘルパー2級課程修了者、介護福祉士並びに東京都居宅介護職員初任者研修課程及び東京都障害者居宅介護従業者基礎研修課程修了者、東京都障害者(児)居宅介護従業者養成研修1級課程、2級課程及び3級課程(旧東京都障害者(児)ホームヘルパー養成研修の各課程を含む)の修了者(修了予定者を含む。)、介護保険法上の訪問介護員、実務者研修修了者、介護職員基礎研修課程修了者。

研修日程

第1回

第2回

4月22日(日)、29日(日)*終了

5月20日(日)、27日(日)*終了

第3回

第4回

9月16日(日)、

23日(日)

11月18日(日)、

25日(日)

*同行援護従業者養成研修(一般課程)は全2日間で修了する研修になります。

 

*定員の関係上、振り替えはできませんのでご了承ください。

研修会場(集合場所)

THE会議室町田」 町田市森野1-30-8 ノアビル7F (町田駅から徒歩10分)

 

*お申し込みの方には、町田駅からの詳しい行き方の地図を郵送させていただきます。

生徒さんの声

感動しました

 

とても勉強になりました。介護の仕事をしているため、どうしても体全体で介助してしまいたい気持ちになってしまいます。色々な研修を受けてきましたが、初めてのことが多く、受講して良かったと思います。特に階段の乗降など、とても難しいと思いました。食事の介助は、仕事では全介助が多いので、今回の体験で説明がとても必要だということも分かりました。あまり見たことがない福祉用具が多く、便利であることに感動しました。(伊東さん)

私の人生にとってプラス

 

アイマスクをしていたことで、キャンディの味が分からなかったりと、見えない経験は貴重でした。お弁当の説明や市役所のスロープ階段体験、トイレの入り方等、勉強になりました。自らがアイマスクを使用し、利用者役になることで、基本姿勢の意味が理解できました。熱心に教えてくださる先生方の気持ちが伝わり、もっと勉強したいと思いました。レストランでの水の出し方、切符の買い方等も学び、何より畑山さんにお会いできたことは、私の人生にとってプラスになりました。(笹田さん)

目が見えないと他の感覚が鋭くなる

 

1日目の研修では見えない世界を初体験し、目が見えないと他の感覚が鋭くなると感じました。そして、過剰な介助は不要だということも知りました。食事の説明においては、物の説明はきっちりと、位置関係ははっきり伝えることさえ出来れば、かなり自立で行ってもらえることを知りました。「介助」と「お世話」の違いを自覚し、しっかり「介助」出来るガイドになりたいと思いました。Sさん)

こどもの国は草の香りや風がとても爽やか

 

分からないことを一つひとつ学ばせていただくことの喜びを感じつつ、エレベーターやエスカレーターの介助、切符の買い方など、全てが初めてで大変勉強になりました。こどもの国は草の香りや風がとても爽やかでした。最初はしっくりしなかったグループワークも、2日間研修でご一緒しているうちに親近感を覚えました。とても楽しかったです。(柏木さん)

せっかく覚えたことを忘れない

 

基本姿勢を覚えるのが大変でしたが、研修初日の後、右腕をふらないことを意識したり、右側に人がいることを想像しつつ行動しました。トイレに入る時にも、誰かを同行援護しているつもりで言葉を頭の中で繰り返したり、せっかく覚えたことを忘れないように努力しました。階段や屋外、舗装外道路などでは案内すること、される事の大変さを知りました。大変貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。(Sさん)

繰り返し練習できたので良かった

 

基本姿勢や階段の昇降、またぎ動作など、繰り返し練習できたので良かったです。音と香りのコラボレーションは楽しかったです。実践的な練習(エレベーターやエスカレーター)電車の乗降などできてよかったです。休日で混んでいて大変でしたが、この研修に参加できてよかったです。ありがとうございました。(Aさん)

世の中が変わる

 

目からの情報がないだけで、こんなに世の中が変わるのですね。同行援護も十人十色。基本をしっかり忘れないようにと思いました。何でも勝手にするのではなく、きちんと同行援護の本質を理解しなければいけませんね。2日目はかなり遠くまで行った気がします。安全のためにも、利用者さんの必要とする情報をきっちりと伝えられる介助者になりたいです。(澁谷さん)

お申し込みの流れ

①以下のお申し込みフォームに入力してお申し込みください。もしくはお電話(042-710-8656にて直接お申込みください。

いずれの場合も、ご希望のクラスが定員になりますと受付できませんのでご了承ください。

 

②受講確認書をお受け取りください。

ご自宅に「受講確認書(受講料お振込みのご案内)」が届きます。

 

  受講料をお振込みください。

「受講確認書」が到着後、1週間以内に受講料をお振込みください。お振込みは、銀行ATM やネットバンキングからでも可能です。※手数料は各自でご負担ください。また、お振込みは案内をよくご確認の上、お願いいたします。

 

④研修当日 申し込みクラスの日時をご確認の上、会場(THE会議室町田)までお越しください。当日、テキストをお渡しします。

 

お申し込みフォーム

2018年

7月

12日

死に際したとき

「この4月から介護の現場で働き始め、利用者さんと話す中で少しずつコミュニケーションが取れるようになりました。そんな中で、利用者さんが亡くなったりしたとき、どのように感情を出して良いものなのでしょうか?泣いていいものなのか、それとも表に出さない方がいいものなのか」と、看護師の先生に質問をしてくれた生徒さんがいたそうです。とても良い質問だと思い、授業の中で「皆さんはどう考えますか?」と先生はクラスメイトにも問いました。それぞれが自分ごととして考えてくれて、「割り切る」「受け入れる」と言った生徒さんもいれば、「その人の死から次に向ける」と答えた生徒さんもいました。そこで先生は、看護学生で実習に行っていたときに受け持った、胃がん末期であった80代女性の話をしてくれました。

3週間の実習のうち、2週目が終わったあとの休日に彼女は亡くなりました。それを週明けの月曜日に知った当時看護学生であった先生は言葉になりませんでした。そして亡くなるまでの記録を振り返っていたとき、「お兄ちゃん今日いないの?」と土曜日の看護記録に記されていた彼女の言葉を目にしたのです。その記録を見たとき、先生は涙してしまったそうです。

「悲しいという感情は出して良いと思うし、むしろ感情を殺して、抑圧して感じとれない人になるよりは、感情のある、人間味のある人になってほしい。それがその人への弔いや感謝の気持ちだと思う。悔いがあるから、こうしてあげようとか、こうしたいと思うのではないかと思う。だからこの仕事を続けているのだと思う」と生徒さんに対して語ってくれました。

 

 

その翌日、先生からメールをもらいました。昨日、利用者(患者)さんの死について話したばかりなのに、今日このようなことがありました、と。7月短期クラスの生徒さんたちにも、ぜひお伝えくださいとのことですので、長くなりますが引用させていただきます。

 

ICU3ヶ月ほどいた方が今日亡くなりました。YouTubeから洋楽を聞くのが唯一の楽しみで、僕のために僕のイチバン好きな曲を履歴の最初に置いてくれるのです。「いつでも聴きに来ていいよ」、「歌詞が良いよね」って言って。死期は確かに近かったのですが、今朝も挨拶できるものだと思っていました。

死亡確認が終わり、身を整えて(死後の処置)から霊安室へ移動しました。最初に家族が10名ほどいて、一人ずつ先に手を合わせました。次に医師3名が手を合わせたあとに、看護師が続きます。僕は手を合わせたあとに奥さまにお辞儀して、「ご愁傷さまです」と言った瞬間、涙が溢れてしまいました。

 

「お疲れ様でした本当によく耐えたと思います僕は色々と学ばせて頂きました」と奥さまへお伝えしました。感情の沸き起こりと涙で思うように言えず、一呼吸ずつ言っていました。奥さまは「ありがとうございました。本当に良くしてもらって」と涙されていました。後に続く他の看護師も同様に手を合わせては涙していました。

昨日の質問にもう一度答えるとすれば、感情は素直に表出するべきであろうと改めて感じました。人と関わるからこそ、起こりうる現象だと思います。

2018年

7月

08日

そばにいたい

織姫と彦星が1年に1度だけ出会う七夕の日に向けて、湘南ケアカレッジにも笹が飾られました。「季節感を大切にする仕事ですから、ぜひ皆さんも短冊に願いごとを書いてください!」という影山さんの呼びかけに皆さんが応えてくれて、願いごとが書かれた短冊が所狭しと連なっている様子は、ケアカレの賑わいや生徒さんと先生方の距離感を象徴しているようで素敵です。さっそくですが、私も今年の願いごとを飾ってみました。悩んだ挙句、「周りに良い影響を与えられる人になりたい」と書きました。大人になって、こうしてはっきりと自分の願望や希望について考える機会って少ないですよね。

願いごととは、今はそうではないけれど、将来的にはそうありたい自分ということです。「世界平和」とか「世界中の人々が健康でありますように」という壮大なものではなく、今年は自分ごととして考えてみました。自分が生きていることによって、周りに良い影響を与えられているのか自信がないのです。せっかく生きるならば、その人がいるおかげで周りの人たちが心地よく感じられたり、前に進む支えになれたりする存在でありたいですよね。私の周りには、先生方を筆頭にして、そのような存在の人がたくさんいます。

 

僕は少し思い違いをしていたことがあって、何かとんでもなく新しいことや大きなことをしなければ(取り組まなければ)ならないと考えていました。常に前に進まなければならないというプレッシャーも少なからずありました。湘南ケアカレッジを大きくしないように自制をしてきたつもりですが、その分、新しい変化を起こさなければならないと考えていましたし、自分が何かをしなければならないという思いもありました。しかし、僕自身も年齢を重ね、衰えやできなくなることが少しずつ見えてきました。以前よりも良くなることよりも、悪くなることが目につくようになったのです。

 

そこでひとつの結論に達したのが、現状を維持することが実は最も難しく、そのためには今まで以上に努力しなければならないし、時代についていかなければならないし、その過程で変化していかなければならないということです。これまでのやり方にこだわったり、自分だけの力で何かを成し遂げようとしたり、肩ひじ張って自分の殻に閉じこもってみても、下降線をたどってしまうだけなのです。

 

 

抽象的なことばかり書いて申し訳ないのですが、つまりこれまで以上に、大切なことをコツコツと継続しつつ、心を広く持って、誰かの力になれることを喜べたらと願います。そして、生徒さんや先生方が幸せを掴んでくれるとき、そばにいられたら私も幸せです。

2018年

7月

04日

生徒さんの成功のお手伝い

昨年の11月短期クラスのKさんは、湘南ケアカレッジの紹介で入った施設でこの4月から働きながら、陸上競技を続けています。介護の仕事をしながら、仕事以外の時間を使って練習をし、ときには遠征に行き、大会に出場するという生活をしています。夢を追いかけ続けるだけではなく、現実的に生活をしていくために新しい仕事をスタートしました。彼の人生の中では、大変だけど輝かしい時代なのではないでしょうか。その彼が大会記録を出しましたと、施設の人事担当者からお便りが届きました。「私たち施設としても、最大限のバックアップをしていきたいと考えています」と心強いひと言も添えられていました。

 

彼が初めてケアカレに来てくれたのは、介護職員初任者研修の説明会でした。説明が終わったあと、残ってくれた彼とゆっくり話しました。長野から東京に出てきて、内定をもらっている病院で看護助手として働きながら、陸上競技を続けるつもりですと熱く語ってくれました。野球やバスケットボールなどの球技においては、社会人になってからも働きながら続けているという話は聞いたことがありますが、陸上の短距離走を社会人として続けるなんて初耳だったので、よく覚えています。そのときは、仕事と競技の両立は大変だけど頑張ってもらいたいと単純に思っていました。

 

雲行きがあやしくなったのは、彼がケアカレを卒業したあとのこと。働くことを予定していた病院が間近になって採用を控えることになり、突然内定が取り消され、彼は就職先を失ってしまったのです。彼にとってはまさかの宙ぶらりん状態でした。たまたま彼がクラスメイトと一緒にケアカレに遊びに来てくれたとき、そのような話をしてくれて、何とか力になりたいと思いました。私自身、仕事のあてのない時代を長く過ごしましたので、未来が見えないことに対する、若い彼の不安な気持ちが良く分かったからです。

 

応援(金銭的なバックアップ等)してくれなくてもいいので、周りの人たちが理解してくれる環境で働きたい、というのが彼の唯一の願いでした。介護の現場は勤務体制が複雑であり、ゆえにひとりの職員のためだけに特別にシフトを組むわけにいかない、と考える施設が多いのも事実です。どこまで互いが相談して妥協できるかが重要なポイントでした。

 

「介護仕事百景」を運営している影山さんがいくつかの施設に働きかけてくれた結果、マナーハウス横山台(座間さんや青竜さんたちが働いている特別養護老人ホーム)が、陸上競技を続けながら仕事をすることに対して理解を示してくれました。施設にとっても初めての採用形態だったはずですが、快く受け入れてくださったのです。

 

今春から彼は新卒のひとりとして真面目に働き、しっかりと練習したからこそ、大会記録を出すことができたのだと思います。その知らせを聞いただけで、彼が願っていたとおりになったのだと知りました。彼の希望を叶えることができたのです。私たちは世界観が変わるような授業を提供することだけではなく、さらにその先にある、生徒さんたちの成功のお手伝いができるようになったということでもあります。最高の福祉教育を提供し、その生徒さんに合った働き方や仕事を提供して、全てが上手く運べば、卒業生さんたちの人生をより良く変えることができるのですね。もちろん彼だけではなく、人生が変わったという卒業生さんが少しずつ現れてきて、私たちにできることはまだまだたくさんあるのだと教えてもらいました。

 

 

2018年

6月

30日

生きるって?

先日、卒業生の訃報がFAXで届きました。ガンを患って入退院をしていたとは聞いていましたが、あまりの突然の知らせに驚きました。卒業後に彼女は介護の仕事にも就いて、病気と闘いながらも働き続けていたそうです。退院後すぐに、入浴の介助を1日中やっているという話を聞き、さすがだなあと思いました。とても大胆で細やかで親切な印象的な方でした。

 

彼女のことを思い出すと、机に指を挟まれて、「痛いっ!!」と叫ばれたシーンが浮かんできます。講義から演習に切り替わるとき、クラスメイト全員で机を片づけてベッド等を出してきます。その際、机をコンパクトにするために、レバーを握りながら水平だった机面を垂直にするのですが、タイミングが合わずに机とレバーの間に指を挟まれたみたいでした。それ以来、机を片づけるとき、私も含めて先生方は「指に気をつけてください!」と喚起するようになりました。

 

 

卒業生の訃報を知るのは、これで3人目となります。これだけたくさんの卒業生がいれば仕方ないことですが、やはり知っている人が亡くなるのは、家族とは言わないまでも親戚を失ってしまったときのような悲しさと寂しさがあります。そして、その度にいつも思うのは、こうして生きている以上は一生懸命に生きなければならない、生きたいということです。でも、一生懸命に生きるとはどういうことなのだろうか?どのようにすれば、一生懸命に生きることができるのか?生きるって、どういうことなのだろうか?そんな根源的な問いにも突き当たってしまうのです。

「生きるって、こういうことだと思う」

 

元フットボール選手がALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、身体が動かなくなってゆく過程において、親や家族との関わりの物語を描いた映画「ギフト」のDVDに、このようなポップを付けました。この映画を観たとき、ストレートにそう思ったのでした。ALSは自分の精神はクリアなまま、肉体は急速に動かなくなっていき、眼球しか動かせなくなり、最後は呼吸が停止してしまうという病気です。これまで出来ていたことができなくなり、言葉もうまく出せなくなり、他人の助けなしでは生きていけなくなる。まるで私たちには無縁の病気のように思えるかもしれませんが、実は私たちも遅かれ早かれ同じような過程を通ることになるのです。

 

ALSを患った人は、目に見える形で急速に運動機能を失っていくのに対し、私たちは実に緩慢に、時間をかけて、ゆっくりと肉体が衰えていきます。もう少し分かりやすく書くと、急激に死に向かっていくか、緩慢に死んでゆくかの違いです。そして見かたを変えると、その肉体の死への向かい方があまりにも劇的だからこそ、一生懸命に生きざるをえない。私たちはゆるやかに死んでゆくからこそ、のどかに生きることができるのです。

 

 

死と生はいつも隣り合わせ。大きく笑うこと。悲しいときには泣くこと。悔しいときは叫ぶこと。体を動かして遊ぶこと。思いっきり楽しむこと。苦しいことから逃げないこと。たとえ絶望しても白旗を揚げないこと。好きな人たちと一緒に過ごすこと。身体も気持ちも触れ合うこと。包み隠すことなく本音でぶつかること。ありがとうと感謝すること、などなど。劇的に生きている人々の姿勢から、私たちは一生懸命に生きるための何かを学ぶことができるのではないでしょうか。

2018年

6月

25日

支えられている

「ケアカレに来ると、自分がリセットされたようで、明日からもう一度頑張れる気がします」と卒業生さんたちは言ってくれます。介護職員初任者研修が終わって、ステップアップ研修である実務者研修や全身性障害者ガイドヘルパー養成研修、同行援護従業者養成研修に参加すると、そのように感じるそうです。介護職員初任者研修で学んでいたときの初心を思い出したり、また新しい知識や技術を得て、世界が広がったりするからこそですね。卒業生さんたちは新しい刺激を受けて帰っていき、私たちも卒業生さんたちのそうした言葉や笑顔に支えられて、また明日から頑張れるのです。

 

「先生たちが良かったから、研修が楽しかったです」、「教えてもらったことが現場でとても役に立っています。ありがとうございます」と言ってもらえるからこそ、先生方はもっと教えたいと思います。「ブログを読んでいます」と言ってもらえるからこそ、私もブログを書き続けられます。「楽しく働けています。良い職場を紹介してくれてありがとうございます」とおっしゃってもらえるからこそ、影山さんも見学に同行した甲斐があったと思えるのです。私たちにできることは限られていますが、生徒さんや卒業生さんたちの何気ない感謝のひと言が私たちの仕事を支えてくれています。

 

生徒さんに助けられることもあります。先日修了した同行援護従業者養成研修では、2日目に全員でこどもの国へと行きました。その道中で、先生の指示の伝達役を買って出てくれた生徒さんが現れました。20名もの生徒さんを引き連れて外出するのは想像以上に大変で、団体の行動をまとめるのはなかなか難しいものです。私たちの力不足なのですが、先生の指示が行き届かない場面があり、見かねた生徒さんのひとりが大きな声で、「これから10分間休憩です!」、「今から切符を買って改札に入ります!」など、全体へ向けて指示の再確認をしてくれました。「先生がたくさんいる」と驚いていた人もいましたが(笑)、私たちはどれだけ助けられたことか。

 

 

それで良いと思っているわけではなく、ケアカレと卒業生さんたちとの関係性上、それもまた良いなと思ってしまうのです。私たち学校が教える立場であり、資格を発行する機関でしかなく、生徒さんや卒業生さんたちは教えてもらう立場であり、資格を買う消費者であるという関係はつまらないと思います。湘南ケアカレッジに来たからにはもう、世界観が変わる福祉教育を一緒につくり上げていく同志であり、介護の世界を少しでも良くしていく仲間でもあります。それは慣れ合いや甘えではなく、お互いが支え合うことで、自分たちが初心に戻れたり、成長していたりという関係です。正しいことは正しいと言える、誠実な関係性をこれからもケアカレと卒業生さんたちとの間に築いていければいいですね。

2018年

6月

20日

それぞれを生かして

昨年に修了した実務者研修クラスの集まりに参加してきました。介護福祉士試験を受けた方は全員合格したという嬉しい知らせからスタートし、ケアカレで学んだことや思い出から、今の現場における深い話まで、さすが実務者研修に来て介護福祉士まで取った卒業生さんたちだと思わせられました。これから介護の現場に一歩踏み出す介護職員初任者研修の卒業生さんたちの初々しさとはまた違って、現場を知りつつ、理想と現実のはざまで苦しみつつも、それぞれに今、自分ができることを考えている。そんな一本芯の入った話を聞いているうちに、それぞれが自分の良さや人となりを生かして働いていて、それぞれが磨かれているのだなあと素直に尊敬の念を抱きました。

主に障害者の訪問介護やガイドヘルプをしているAさんは、事業所にひとりしか男性がいないため、男性にしかできない仕事がたくさん回ってきて重宝されていると語ってくれました。ガイドヘルパーとして支援するときには、彼の得意なゲームを生かして、コミュニケーションをとることができるそうです。ゲームを一緒にやったり、ときには「教えて」と頼まれることも。利用者さんも深い話ができて嬉しいはずですね。

 

また、人と関わることが大好きで、懐メロに詳しいOさんは、高齢の方々とのカラオケで力を発揮するそうです。そのように属人的な個性を生かしている彼ら彼女らの話を聞くと、私にはできないことばかりで、介護や福祉は取り換えが利かない仕事なのだなあとつくづく思うのです。その人でなければできない仕事がたくさんあるのです。

 

もちろん、ケアカレの思い出もたくさん聞かせてもらいました。小野寺先生のボディメカニクスの授業はとても役になっているという話や食事の授業で登場するキャサリン先生の話。特に介護職員初任者研修から実務者研修までケアカレで修了した卒業生さんは、実務者研修でもキャサリンが登場したことを喜び、自助具を簡単に作ることができることがとても印象に残っていると語っていました。

 

ただ単に自助具をつくることを教えてもらうよりも、ああやって記憶に残る形で教えてもらえると、それはいつかどこかで何かのきっかけとして学びからの実践に至るのではないかと。望月先生や佐々木先生が聞いたら喜ぶだろうなと思いながら聞いていました。

 

 

介護士と看護師の間にある溝の話も興味深かったです。多職種連携なんていうのはかけ声ばかりで、ほとんどの現場ではやはり看護師は介護士を下に見ていると。自分たちにはできることがあるから当然の意識(無意識)だと思いつつ、それでは介護士はどうしていくかというと、自分たちの専門性を高めつつ、自ら働きかけていく必要があるのだと。利用者さんと看護師の橋渡しをするのは介護士の役割でもあり、そのためには介護士ももっと学ばなければならないし、そうしてひとり一人が意識を高く持ち、認めてもらうことを積み重ねていくことが大切だと考えている。

 

そんな話を聞いて、もう彼ら彼女たちはケアカレの卒業生ではなく(それはごく一部であって)、立派な介護士としてひとり立ちしているのだと思いを改めました。「同じ介護福祉士になって会いましょう」と先生方は実務者研修の終わりに言いますが、そういうことなのですね。

2018年

6月

16日

89回目の初授業

5月短期クラスが修了しました。最初は静かなクラスかと思いきや、いつの間にか賑やかなクラスに様変わりし、特に実技演習中はその盛り上がりが、下の階の事務所まで届くほどでした。親子かそれ以上の年齢の幅がある生徒さんたちが、まるで同級生のように話をして、学び合っているのが伝わってくるクラスでした。その中心にいた生徒さんが、皆で色紙を作ろうと提案してくれたそうです。「私たちはそう思っていても言い出せなかったけど、彼女が率先して進めてくれた。彼女はすごい」と褒めていたり、「最近の若い子はスマホばっかりいじっていると思っていたけど、彼女たちみたいな若者もいるのだと知って安心した」と周りの生徒さんたちも認めていました。こうした世代を超えた交流が生まれるのも、介護職員初任者研修の魅力のひとつですね。

いただいた色紙には、89期生と大きく書かれていました。生徒さんたちが全員帰ったあと、小野寺先生たちと「ほんとうにあっと言う間に89期生まできましたね。来年の4月短期クラスでちょうど100期生になるみたいです」と話しました。あの本当に生徒さんたちや先生方が来るのか心配してスタートした1期生のドキドキから、もう89クラスの生徒さんたちをこうして笑顔で送り出してきたのですね。

 

先生方と生徒さんたちのおかげで、ひとつのクラスもクローズする(開講しない)ことなく、ここまで続けて来られたのは誇りですし、この連続記録をいつまでも伸ばしていきたいと思います。100年続く学校をと偉そうなことを言っている以上、100クラスはあくまでも通過点に過ぎません(笑)。

 

89期生ということは、私たちは89回も同じ研修や授業を行っているという意味でもあります。それでも、毎回違うと先生方は言います。外から見ているよりも、実際に授業をしている先生方はよりその違いを感じるのでしょう。同じような内容を繰り返しているにもかかわらず、毎回、毎日、違った反応が返ってきて、初めての出来事が起こるのです。だからこそ、毎回緊張するし、初めてのような気持ちで教えることができるのでしょう。

 

先日観た、「50回目のファーストキス」という映画を思い出しました。交通事故によって脳の短期記憶を司る部分を損傷してしまった女性が、同じような毎日を、しかし初めての1日として過ごすという、笑いありハートフルな映画でした。彼女のようには生きられなかったとしても、現状に満足することなく、違いや変化に敏感に気がつくことさえできれば、初めてのような新鮮な気持ちを持ち続けることは私たちにもできるはずです。

 

 

生徒さんたちが楽しんで笑顔で授業を受け、先生方が楽しそうに授業をしてくれている。そのことだけで私は嬉しく思います。それはどのクラスでも、どの授業でも、湘南ケアカレッジがスタートしたときから変わらず、毎日抱き続けている気持ちです。その喜びは、89回目の介護職員初任者研修であっても変わりません。これからも笑顔や楽しんでいる姿を見るために、毎日教室に足を運び、先生方や生徒さんたちと話し、湘南ケアカレッジをより良い学校にしていきたいと思います。

2018年

6月

11日

本には3種類ある

最初に勤めた会社の上司に、「本には3種類ある」と教えてもらいました。ひとつは、自分が好きで選んで読む本。趣味の本であったり、小説のようなものであったりすると思います。2つめは、自分のためになる本。今の自分にとって必要な知識や情報を得るための本ということです。3つめは、他人から勧めてもらって読む本。面白かった、良かった、ためになったから読んでみたらと、誰かが勧めてくれた本です。つまり、どれか1種類の本ばかりを偏って読むのではなく、3種類の本をバランス良く読むと良いよという教えでした。

その教えは今でも覚えていて、役に立っています。ひとつめの種類の本は、自分の世界を深くしてくれます。自分の興味のある分野を、下へ下へと深く掘っていくイメージです。心に余裕のあるときに、ゆっくりと時間をかけて、自分の世界を深めていくことができます。小説などの物語を読んでも、目に見える実利はありませんが、それでも自分ではない誰かの人生をまるで自分のことのように想像して生きてみるという行為自体が楽しいものですし、人間として大切な他者の人生に対する想像力を培うことができます。

 

 

 

また逆説的ですが、小説を読むことは、フィクションとノンフィクションの区別をつけることです。小説の中の物語をフィクションとして読むことができるからこそ、自分の人生をノンフィクションとして生きることができるのです。

 

 

 

2つめの種類の本は、学術書であり専門書であり、またノウハウ本であったり自己啓発本であったりします。社会に出て仕事をするようになってから、私はこのタイプの本を読むようになりました。知っていなければ生きていけない、より良く生きるために知っておくべき知恵や情報として、砂漠の砂が水をそうするかのように吸収するための本です。たとえば医学の知識に乏しい医者がヤブ医者と呼ばれるように、自分の生業に関する専門知識を得るためには本を読むことが大切です。また、未来に起こるであろうことを知るためにも必要ですね。

 

 

3つめの他人から勧めてもらった本は、一見、自分には興味がなかったり、とっつきにくかったりするものですから、敢えてすぐに読んでみることを心がけています。誰かが自分に対してすすめてくれた本は、よほど面白かったか、または自分が読むべき理由が何かあるのかもしません。そうして自分の範疇にはなかった本を読むことで、自分の世界が広がりを持つことがあります。その上司が勧めてくれた本は、当時の私には難しかったのですが、そこに食らいついて読んだことで、自分がいかに常識にとらわれた小さな箱の中で生きてきたかを知った気がします。

 

最近は、小野寺先生から「自分で動ける部下の育て方」、影山さんから「今日も1日きみを見てた」を勧めてもらって読みました。どちらも面白かったです!

2018年

6月

07日

真夏の部活!?

全身性障害者ガイドヘルパー養成研修の第3回が行われました。今春はこれでラストとなり、次回は10月8日(祝)になります。全身性障害者ガイドヘルパー養成研修が春と秋にしか開催されないのは理由があります。研修のほとんどの時間を外に出ていくことで過ごすからです。外出支援を学ぶ研修ですから、当たり前と言えば当たり前の話ですね。夏は暑すぎて、冬は寒すぎて、さすがに外で研修をするのは苛酷すぎます。天候の良い春秋に予定を組んでいるつもりですが、今回は日中の気温が28度という夏日であり、あまりにも暑かったです。リタイアする人が出ないか心配でしたが、生徒さんたちは汗だくで頑張ってくださいました。むしろ研修修了後は、部活動が終わったあとのような爽快な顔をして、「楽しかった~!」と言いながら、皆さん帰って行かれました!

 

今回は18名の参加と少人数で開催されました。いつもよりも急がずにゆったりと行けるかなと思いきや、今回から授業の中に盛り込んだ踏切を渡る練習に時間を掛けたこともあり、午前中から押せ押せムードが漂い始めました(笑)。朝8時に集合していることもあり、お昼ご飯があまり遅くなってしまうとお腹が空いてしまいますので、午後にペアになって外に出ていく時間をあまり延ばすわけにはいきません。午後のプランを立てて、慌ただしく出発すると、なんと小田急線の町田駅ではなく、間違って横浜線の町田駅に向かってしまったペアが!。毎年行っている研修にもかかわらず、毎回想定外のことが起こるのだから面白いですね。

 

それにしても、授業や研修というものは生き物だと思います。一度として同じものはなく、その時の生徒さんたちや先生の状況によって、うねりながら大きく変化していきます。同じタイムスケジュールで同じ場所に行って、同じ内容を教えさせていただいているつもりでも、そこで起こる出来事は全く異なるのです。だからこそ、上手く行くこともあれば、上手く行かないこともある。慣れたときに大きな失敗をしてしまうのもこれが原因ですね。そのときの状況に合わせて、私たちは対応していかなければならないのです。

 

 

そして生徒さんたちにとっては、一度きりの研修です。これは介護職員初任者研修にも実務者研修にも他の研修にも言えることですが、一回性のものなのです。介護職員初任者研修をリピートする人はいないでしょうし、同行援護従業者養成研修を2回受ける人も稀でしょう。そこで学んだことや体験したことが全てであり、もう1度はありえないのです。そう考えると、私たちの責任は重いですね。でも一回性のものだからこそ、あれだけ暑い中を車いすを押して歩き回ったにもかかわらず、そこで起こった体験や得た知識をストレートに味わえるのではないでしょうか。一回性の研修をやり切った感が伝わってくるような、生徒さんたちの表情が輝いて見えました。

 

2018年

6月

02日

板挟みになる現場の卒業生たち

先日、湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修をきっかけとして介護の現場で仕事を始め、その後、実務者研修を経て、介護福祉士に合格したYさんとAさん(2014年4月短期クラス)が、報告を兼ねて教室に遊びに来てくれました。お祝いにランチをご馳走しますよとメールで伝えていたら、「銀行に走ってくださいね」と返信が来ました(笑)。ケアカレで学び、現場で育った卒業生さんが(先生方と同じ資格である)介護福祉士というスタートラインに立ったことは、私たちにとって誇らしいことです。そして、彼らと食事をしながら介護の現場について話していると、彼らの内面がケアカレに来てくれた3年前に比べて、大きく変わっているのが分かります。

彼らの心の中にあるのは、人を想うという感覚です。それぞれに断片は違ったとしても、根っこにある人間らしい介護をしたいという気持ちは同じです。認知症の利用者さんに同じことを繰り返されて、気が変になりそうでも、その方が悪いわけではないということをきちんと理解している。虐待の衝動に駆られるほど追い詰められる気持ちも分かるけど、それは絶対にあってはならないことだと考えている。こちらの都合で無理に食べさせたり、入浴させたりするのではなく、本人の望まないのであれば、1食ぐらい抜いても、1日ぐらいお風呂に入らなくても問題ないと思っている。「○○しましょう」ではなく、「○○しませんか?」と声掛けをする。当たり前のようなことですが当たり前ではないことを、現場できちんと考えて実行してくれているのが分かりました。

 

一方で、そのような言葉の端々から、彼らが利用者さんやその家族、そして現場の上司やリーダーとの間に板挟みになって苦い思いをしていることも伝わってきました。「そもそも利用者さんは、自分で望んで入ってきたわけではなく、望んでサービスを受けているわけでもないんだよね」という点で彼らは一致していました。「家族のため(代わり)に介護職がサービスを提供しているようなものだけど、その家族から『お母さんの具合(調子)が悪くなった』等のクレームを受けることもあって辛い。自分たちだって一生懸命にやっているし、ADLが良くなることの方が少ないのは自然だからね」と語ってくれました。さらに現場は慢性的に人手不足で、無理難題を押し付けられるのは常に職員さんたちです。

 

かつての卒業生から「初任者研修で習ったことなんて、現場で使えたためしないよ」と強い語気で言われたときは、申し訳なく悲しい気持ちで一杯でした。彼は介護職員初任者研修を受け終えてから、障害者の支援の仕事に入り、あれから3年間が経ちました。その間、彼がどのような経験や仕事をしてきたのか想像するしかありませんが、あまりにも教育の理想とはかけ離れていたのでしょう。初任者研修を受け終えた頃のキラキラと輝かせていた目は、現場の理不尽さにどんよりと曇ってしまったように映りました。それでも言葉をかけて話し、奥まで掘っていくと、彼は彼なりに少しでも良い支援をしたいと現場でもがいているのだと分かりました。

 

良い介護をしようとすればするほど、現場で板挟みになってしまうその苦しさがどう表に現れてくるかの違いこそあれ、根っこの部分は同じだと思います。やるべきことせず、相手のことを本当に考えることがなければ、板挟みになることもありません。上手くすり抜けて生きていくことも可能でしょう。それでも、ケアカレの卒業生さんたちには、先生方の想いや介護の本質がしっかりと伝わっているからこそ、苦しまなければならないのかもしれません。そこをどう乗り越えるかはそれぞれにかかっていますし、私たちには何ができるのだろうと考えさせられた1週間でした。

 

 

2018年

5月

30日

100%信頼されるガイドヘルパーに

同行援護従業者養成研修の2日目は、初日に身につけた基礎知識や基本技能を外出して生かすことがテーマです。ただ漫然と外を歩き回っても退屈ですし、ガイドヘルプ本来の目的は余暇をいかに楽しく過ごしてもらうかということですので、こどもの国へ行くことにしました!こどもの国に入園して、歩き回ったり、吊り橋を渡ったり、アイスクリームを食べたり、記念撮影をしたりします。視覚障害のある方とガイドヘルパーが過ごすように、私たちも外出の研修を楽しみながら、あらゆる局面における実践的な学びを得るということです。しかも2日目は、全盲の畑山さんにも参加してもらい、実際の支援をひとり一人が体験させてもらい、当事者ならではの話を聞かせてもらいました。

会場から町田駅までペアを組んで、整列して歩いて向かい、切符を買って横浜線に乗り込み長津田駅に到着します。長津田駅の構内を利用させていただき、エスカレーターやエレベーターの乗り降り、切符の買い方を練習します。特にエスカレーターの乗降はとても難しいため、正しい支援の方法を身につけていただくため、ガイド役と利用者役をペアで交互になり、降りたり昇ったりを繰り返します。さすがに畑山さんを支援する番が回ってきたときは、どの生徒さんも緊張した面持ちで練習していました。

 

こどもの国線にはたくさんの親子が乗っています。そういった中でも、利用者さんには安全のために席に座っていただくことになりますが、混雑の中でどうやってスムーズに席まで誘導するのかも千種先生は教えてくれていました。人が両端にいて真ん中が空いている場合の座ってもらい方など、一つひとつの技術やノウハウがあるのだなあと感心しました。こどもの国駅に着いて、停止している電車を利用して、電車への乗り降りの練習もしました。初日に練習したまたぎの基本技能が生きてくる場面。声掛けを間違ったり、呼吸が合わないと危険ですね。

 

こどもの国の中に入ると、子ども連れの家族でにぎわっていました。できる限りアイマスクをしたままこどもの国内を歩き、吊り橋を渡ったり、ミルクプラントに行ってアイスクリームを食べたり(これが絶品!)、牧場に行って見学をしたりします。

 

その中で、ガイドヘルパーとして大切なことのひとつに、状況を説明することがあります。そのとき催し物があって楽しい音楽が流れていたり、子どもたちがバスケットボールをしていてボールが地面を打つ音が響いたり、周りからは小さい子どもたちが駆け回っている声が聞こえてきます。「子どもの声がして怖かった」と感想を書いてくれた生徒さんもいましたし、畑山さんも「子どもがいつぶつかってくるか分からない怖さは、たしかに私たちにもありますね」とおっしゃっていました。

 

こどもの国を堪能したあとは、再びこどもの国駅で電車の乗り降りの練習をして、町田の会場への帰途につきます。会場に戻ってきてからは、今日の振り返りをグループワーク形式で行いました。アイマスクをして利用者役になってみて気づいたこと、またガイドヘルパー役をやってみて学んだことを、それぞれに書き出してもらって発表しました。今回のクラスはとても優秀で、短い時間の中でしたが、多くの素晴らしい意見が出てきていました。

 

最後に、先生方からの言葉と、畑山さんから生徒さんに対するメッセージを伝えてもらいました。畑山さんは、「私たちを支援するために、これだけ多くの人々が一生懸命に学んでくれていることに驚きました」と始め、「この研修に参加した全員にガイドヘルパーさんになってください!」と最後にお願いをされていたように、同行援護従業者が足りない現状があります。

 

最も印象に残ったのは、「私は支援を受けるとき、ガイドヘルパーさんを100%信頼しています」という言葉です。今回の研修において、同行援護をするにあたって、利用者さんとガイドヘルパーとの間の信頼関係がどれだけ大切か分かったのではないでしょうか。利用者さんがあなたを100%信頼していると言ってくれているのですから、私たちはその信頼に応えられるようにならなければいけないということですね。

 

当事者である畑山さんの言葉には説得力があり、大きな意味が込められていました。視覚障害のある方が「障害者の心理」の科目を教える研修はあっても、(実技)演習に参加して一緒に練習をする研修はおそらく日本全国でもケアカレの同行援護従業者養成研修だけでしょう。実際に触れあってみること、直接に話をすることによってこそ、相互の理解は深まるという仮説があったからできたのです。

 

 

最後のアンケートにも「畑山さんとお会いでき、目の不自由な方の気持ちを直接お聞きできて、とても参考になりました」、「畑山さんにいろいろなことを教わりました」、「とても素晴らしい方で、お話ができて本当に良かったです」と書いてくれた生徒さんもいました。共に生きる社会は、知識や技術を得ることだけで作られるのではなく、当事者との関わりにおいて本当の意味で実現していくのです。

2018年

5月

25日

「5パーセントの奇跡」

同行援護従業者養成研修の千種先生から良かったと聞いて、映画「5パーセントの奇跡~嘘から始まる素敵な人生~」を観に行ってきました。気がつくと上映されているのは、田端にある全20席ほどのミニミニシアターのみ。それでも観てみたいと思ったのは、予告編が面白かったことに加え、視覚障害者という題材はドイツ映画ではどのように描かれるのか興味があったからです。映画の内容は期待以上で、視覚障害をテーマとした「光」や「もうろうを生きる」とはまた違ったポップなタッチで、最初から最後まで飽きさせることがありませんでした。観終ったあと、明るい気持ちになれる映画です。

主人公のサリーは、先天性の病気によって95%の視覚を失ってしまいます。残された5%の視覚を頼りに普通学校を優秀な成績で卒業したのち、5つ☆ホテルで働きたいという昔からの夢をあきらめることなく、目が見えないことを隠して採用面接を受けることにします。それを嘘というべきか、挑戦というべきか分かりません。障害があるからあきらめるのではなく、どうしたらできるかというスピリットを前面に押し出して生きる姿に、何らかの障害に立ち向かおうとしている人たちは勇気をもらえるはずです。

 

この映画で特徴的だったシーンは、実際に視覚が5%しかない当事者から見た世界が映像で表現されているところです。全く光が見えない全盲の世界ではなく、ほとんど見えない弱視の世界もまた違った恐怖感を伴いました。少し見えると、もっと見ようという感覚に陥って、見えないことがストレスになりそうです。

 

ちなみに、同行援護従業者養成研修の中でも、様々なメガネを付けてもらって白濁や視野狭窄の体験をしてもらいます。当事者は一瞬ではなく、ずっとそうなのですから、体験で終らないためにも、私たちには想像力が求められているのです。

 

 

「幸せになるための道なんてない。道それ自体が幸せなのだ」というブッダの言葉が映画の中で紹介されていて、とても印象に残りました。つい私たちはゴールだけを見て、いつまでも辿り着かない幸せを手に入れようとあくせくしてしまいますが、その道を歩むこと自体が幸せなのですね。チャレンジしたからこそ道を楽しめるのでしょうし、かといって結果だけを求めても幸せではない。高い目標や夢に向かって挑戦することと、その過程を楽しむことのバランス感覚が大切なのです。ラストシーンにて、「僕はひとりでは生きられないんです」と言えた主人公は、ついに幸せを手にしたのだと思いました。

 

☆「5パーセントの奇跡」公式HPこちら

 

*今月末まで田端のシネマ・チュプキ・タバタにて公開しています!

2018年

5月

21日

なぜ介護の学校なのか?(前編)

「なぜ介護にまつわる仕事はたくさんあるのに、介護の学校を始めたのですか?」とスタッフの影山さんから聞かれました。振り返ってみると、僕が介護の学校に入ったのは、知り合いから誘われて、大手の介護スクールでアルバイトを始めたことがきっかけでした。最初は、大学で行う介護の講座を開催するたびに、ベッドや車いすなどの福祉用具をトラックに乗せて、搬入搬出する手伝いをしていました。そうこうしているうちに、介護スクールの人たちとも少し仲良くなり、ある日、「村山くん、うちで働かない?」と誘われました。当時、2年間ぐらい引きこもりのニート生活をしていたので、一度考えさせてもらうふりをして(笑)、二つ返事で「お願いします」と言ったのがこの世界への第一歩でした。

 

25歳でスタッフとして介護スクールに入るまでは、介護や福祉という業界があることすら知りませんでした。それでも、介護の世界が直感的に面白そうだと思ったのは、ひいばあちゃん(曾祖母)やおばあちゃん(祖母)のおかげです。小さい頃からひいばあちゃんとおばあちゃんには可愛がってもらっていたので、お年寄りに対して良いイメージしか持っていませんでした。たまたま介護の学校に入りましたが、もし施設などの介護の現場に最初に入っていたら、今ごろは介護福祉士を取って、自分で施設や事業所をつくっていたかもしれません。

 

実際に介護の学校で仕事をしてみると、先生たちは尊敬できる人たちばかりで、生徒さんたちも周りのスタッフの方々も優しくて、こういう人たちに囲まれて仕事ができるのは良いなと感じました。介護スクールの前後にも塾で働いたり、ブックオフやお歳暮の配達、引っ越し、駐車場の管理人などのアルバイトをやったこともあったのですが、素敵な人たちが集まって、学ぶことによって変わっていく介護の教育が、私にとっては最も面白いと感じられました。30歳になるまでのちょうど5年間、1ヶ月で500時間働くという、めちゃくちゃなハードワークをしながらも、充実した仕事人生を送りました。

 

ところが、やっていくうちに、もっとこうした方がいいのにとか、自分だったらこうするのにと思うようになり、また学校の規模が大きくなればなるほどに、人と資格を右から左へと流してお金を得るだけのビジネスに嫌気が差すようになりました。このようなことをしてお金を稼ぐだけの中身のない仕事に、自分の人生の時間を使って、この先も生きていくことがバカバカしく思えてきたのです。やるべきことは全てやり切りましたし、ちょうどその折に不正に巻き込まれたこともあり、一旦その介護スクールを離れました。

 

その後、好きな競馬の仕事に1年間ほどチャレンジしたのですがあまりうまく行かず、家族を養わなければいけないこともあり、子どもの教育をやってみようと塾に入りました。5年間、校長をしつつ自ら教えたりもして、それなりに楽しみつつ低空飛行をしていました。子どもの教育はゴールが受験の合格でしかないことと、生徒さんは自分でお金を払ってくるのではなく行かされて来ていることもあり、モチベーションが低く、介護・福祉教育ほど魅力を感じなかったのです。

 

自分が本気でできる仕事でかつ生活ができる仕事はないのかなあと悩み、半ばあきらめていたところ、当時の塾の代表かつ創業者から、新しい事業を提案してくれと言われて、介護の学校を提案しました。そのときまでは、まさか自分が再び介護の学校を手がけるとは思っていませんでした。いざ企画をつくっていると、だんだん当時の楽しさが蘇ってきて、やはり私は介護の学校が好きだったのだと思い、本気になっていったのです。

 

 

そのときに作った理念が、湘南ケアカレッジの原点となる「世界観が変わる福祉教育を」です。

2018年

5月

16日

資格と根拠のある介護を

4月からスタートした短期クラスが修了しました。春一番というか、6年目を迎える湘南ケアカレッジにとっても気持ちを改めて臨みたくなるような新鮮なクラスでした。どの生徒さんも一生懸命に取り組んでくれて、しかも雰囲気も明るく賑やか(反応が良い!)。私たちにとっても非常に教えがいがありました。このようなクラスから今年度をスタートできることを嬉しく思いますし、クラスメイトの皆さまもこのクラスで良かったと思っているはずです。最終日には若手2人からドライフラワーの贈呈式がありました。「ここで学んだことを生かして、現場でも頑張りたいと思います!」という気持ちが良いほど前向きな言葉を嬉しく思い、このような想いを持って介護の仕事を始める若者たちが輝く現場であってもらいたいと心から願います。

もちろん、研修終了後の打ち上げにも参加させていただきました。教室では見えなかったそれぞれの生徒さんたちの素顔があったり、人となりが知れたりして、とても素晴らしい時間です。学校と生徒、先生と生徒という関係から離れて聞くエピソードや身の上話は、ひとり一人にそれぞれの人生があるのだということを改めて教えてくれます。当たり前のことですが、こうして膝を突き合わせて話してみると分かることです。仕事における最大の喜びや報酬は心の交流だと私は思っていますので、このような場に参加できることに感謝ですね。

 

友人の知り合いから紹介されて、ケアカレに来たと言ってくれた生徒さんがいました。友人の知り合いがケアカレを受講したことがあり、その話を聞いていた友人がパンフレットを取り寄せてくれて、ここが良いと勧めてくれたそうです。数年前からこの2段階の紹介で来てくれる生徒さんも少しずつ増えてきており、人の口には戸が立てられないと言いますが、卒業生さんたちの口づての影響力の大きさを感じます。良いことは悪いことよりも広まりにくいのが現実ですが、それでもケアカレの良さは伝わっていくと思います。友人の知り合いから勧められてきた卒業生さんは、打ち上げのあと、「とても良い学校だったよ。紹介してくれてありがとう」と伝えに、友人に会いに行くとおっしゃっていました。

 

もうひとつ素敵なエピソードがありました。その男性の生徒さんは、ケアカレに来る前から無資格で介護の仕事をしていましたがが、新人職員に対して教えることで悩んでいたそうです。いろいろなやり方は分かっていても、「なぜこうするのか」という根拠が伝えられず、たとえ伝えられたとしても「でも資格を持っていないですよね」という目で見られることが、とてもつらかったと語られました。湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修で根拠のある介護を学び、そして資格を取得した彼は泣いていました。「泣き上戸ではない」と自分で照れていましたが、大の男が男泣きするぐらいですから、それだけ現場で苦しい思いをしてきたのだと思います。

 

 

その話を聞いて、たとえ資格がなくても、根拠のある介護をしていれば良いと思っていた自分の甘さを知らされました。なるほど、いくら仕事ができて根拠が伝えられても、資格がなければ現場では下に見られてしまうのですね。ケアカレは資格を売るのではなく、世界観が変わるような介護・福祉教育を提供したいという想いでやってきましたが、資格にも大きな意味があるということです。つまり、根拠のある介護ができることと資格を持っていることのどちらもが揃っていることが大事なのです。そのような研修を提供してきたこと、そして提供し続けていることを誇りに思います。

2018年

5月

10日

基本は大事

先月、第1回の同行援護従業者養成研修が終わりました。湘南ケアカレッジ6年目にして、初めての研修ということになります。ずっと開催したいと思っていて、ずっと開催してくださいとお願いされていた研修でもありますので、ようやく形になったというのが正直な気持ちです。やることは簡単なのですが、湘南ケアカレッジがやるとすれば、最高のものでなければなりません。受けて良かったと思ってもらえるような研修でなければ、ケアカレがやる意味がないのです。そういう想いで介護職員初任者研修も実務者研修も全身性障害者ガイドヘルパー養成研修も行ってきました。2日間の同行援護従業者養成研修が終わり、生徒さんたちが笑顔で帰ってゆく姿を見て、やって良かったと安心しました。

まずは両日ともに好天に恵まれたことが大きかったです。春なのに夏のような日差しと熱さで、生徒さんたちは大変だったかもしれませんが、気持ちの良い汗をかけたのではないでしょうか。初日は同行援護の制度について、また基礎知識から基本技能を学んでいただきました。

 

授業の途中で行われた「音と香りのハーモニー」では、生徒さんたちにアイマスクをしていただきながら、あらゆる環境の音や様々な香りを感じていただく体験をしました。耳を澄ませば、いつもは聞こえなかったものが聞こえ、香りに意識を傾ければ、気づかなかった香りを味わうことができるのです。

 

「音の方向は何となく分かりましたが、味や香りは見えなくなると分かりづらかった」、「目の見えない世界を知ることができた。また視界をさえぎることで、耳や感覚が研ぎ澄まされるような気がした」という声がありましたね。

 

 

同行援護の基本技能に関しては、基本姿勢をこれでもかというほどに徹底しました。利用者さんの半歩前に平行にきっちりと立つ、脇を締めることで美しい姿勢が保たれ、安全と安心が確保されるのです。できるガイドヘルパーかどうかは姿勢を見れば分かる、と千種先生は言うように、何よりも先に基本姿勢をしっかりと身につけることが大切です。

 

 

私は今から15年ほど前に大手の介護スクールで視覚障害者ガイドヘルパー(同行援護従業者養成研修の前身)をやっていましたが、基本姿勢をここまでしっかりと教えていませんでした。今から思えば、そのときの先生たちも授業も、基本技能を教えられるレベルにはなかったのだと思います。

その他、アイマスクをしながら食事介助、町田市民ホールまで行って階段昇降やまたぎ、トイレの介助についてなど、あらゆる場面における基本的な動作をみっちり練習しました。歩き出す前に一旦と止まるというのも基本技能のひとつであり、慣れてくるとどうしても抜けてしまいがちなことでもあります。

                             

2日目にこどもの国へ外出する前に、このあたりの基本技能はマスターしておきたいものです。「研修初日のあと、右腕を振らないことを意識したり、右側に人がいることを想像しつつ行動したり、トイレに入るとき誰かを同行援護しているつもりで言葉を頭の中で繰り返したりしました」と言ってくれた生徒さんもいました。

 

 

基本は大事。これはスポーツでも勉強でも仕事でも、何にでも当てはまることですが、今回の同行援護従業者養成研修でもそれを改めて思い知らされました。千種先生自身も、実はガイドヘルパーになりたての頃、かなり厳しく基本技能を教えられたことがあり、それがのちのち大きく役に立ったし、だからこそ10年以上もガイドヘルパーの仕事の依頼が絶えず、今も楽しく続けていられるそうです。湘南ケアカレッジの同行援護従業者養成研修を修了してくれた方々も、同じように長く楽しくガイドの仕事を続けてもらえるように願います。

2018年

5月

05日

好きを仕事にすること、仕事を好きになること。

同行援護従業者養成研修のお申込書に、卒業生さんからの手紙が添えられて届きました。介護の仕事を始め、現場での様子など近況報告が綴られていて、最後に「この仕事が好きだと分かりました。そのことを教えてくれた先生方に感謝します」と書かれていました。この一文を読み、とても嬉しく思いました。最終的に介護の仕事を好きになれるかどうかは本人次第だと思いますが、そのきっかけをケアカレがつくれたことを誇りに思いますし、先生方がしたいこともそういうことなのだと思うのです。介護の仕事を好きになってくれて、嬉しくないわけがありません。

 

最近は、好きなことを仕事にすることが大事だとされていますし、私もそう思ってやってきました。今でもそう思っています。元から好きなことがあって、それを通して他人に貢献することで報酬を得て、生きていく。好きを仕事にするとは、そういうことです。でも、好きを仕事にすることは案外難しく、そもそも市場がなかったり、ほんとうに一握りの人たちしか稼げないほど競争が激しかったりします。私もかつてビリヤードのプロになりたいと思っていたことがあったので、その気持ちも難しさもよく分かります。

 

好きを仕事にできれば良いのですが、そうでなくても、仕事を好きになっていくことができれば、それもまた良いのではないでしょうか。世の中には5万種類ぐらいの仕事があるらしく、その中で自分がたまたま選んだその仕事を好きになってゆく。最初は自分にできるのか、自分に合っているのか手探りの状態であっても、気が付くといつの間にか好きになっていた。もしくは、やらざるを得ない状況だったので続けていると、段々とできるようになって、楽しくなり、何となく好きになっていた。仕事が好きだと感じているほとんどの人たちは、実はそういうプロセスを経ているのではないかと思うのです。

 

 

嫌いな仕事に無理をして取り組む必要はありませんが、何となくでも始めてみないと好きかどうかは分かりませんし、最初はそうではなくても、少しずつ好きになってゆく方が奥は深いと思うのです。好きを仕事にするのは、自分の中にすでにあったものを世に問うているのに対し、仕事を好きになっていくのは、身を投じて自分とその仕事をすり合わせ、自分にはなかったものを見つけること、自分を一旦壊してつくり直すこと。それはそれで案外難しいことです。そのような葛藤や試練を経て、自らが磨かれていく先に、「この仕事が好き」という境地が訪れるのだと思います。介護の仕事が好きだと言ってくれる生徒さんが、ひとりでも多く増えてゆくことを願います。

2018年

4月

30日

介護福祉士合格祝賀会

介護福祉士の合格祝賀会が行われました。湘南ケアカレッジの教室の大きさの都合上、今年も介護福祉士筆記試験対策講座を受講した生徒さんを対象として、ささやかながらお祝いさせていただきました。当日は誰がいつ来てくれるのか分からない中、教室を開けて待っていましたが、スタートしてから続々と合格者が集まってくれ、最後はなかなかの盛況ぶりでした。計算していたよりも食べ物が少なく、焼き鳥を買いに走ってもらったぐらいでした(笑)。先生方がホスト役を務めてくれ、仕事をしながら学んでくれたを労いつつ、合格した喜びを共に分かち合えて良かったです。

「1月に入ってからようやくスイッチが入って、とりつかれたように勉強しました」という生徒さんもいれば、最初からコツコツと取り組んで、「自己採点で115点でした!」と誇らしげに語ってくれた生徒さんもいました。どちらもケアカレの筆記試験対策講座がひとつのきっかけとなって働いてくれたのではないでしょうか。

 

 

3年前の介護職員初任者研修のクラスメイトが3名も集ったことにも縁を感じましたし、皆さん口々に「もっと学びたい」、「ボディメカニクスの研修があったら学びたい!」などとおっしゃっていたのが印象的でした。やればできるというと安っぽいですが、学ぶことの楽しさにも気づいていただけたのだと思います。

合格した生徒さんたちの中でも最高に嬉しかったのは、昨年惜しくも涙を吞んだMさんが、見事に介護福祉士になったことです。Mさんは中国から日本に来て、介護の仕事を始め、昨年ようやく介護福祉士の試験に臨みました。ケアカレの実務者研修を経て、介護福祉士筆記試験対策講座にも参加してくださり、誰よりも熱心に勉強していましたし、途中で行われる確認テストやミニテストの出来も素晴らしかったのです。

 

にもかかわらず、昨年は力を出し切れず、残念な結果に終わってしまいました。電話をいただいたとき、本人も落ち込んでいて、もう介護福祉士を目指すのはやめようとさえ思ったそうです。私にとっても不本意で、あれだけ出来ていたのに合格できなかったなんて、緊張する場面において外国語で受験することの難しさを知りました。それでも、今年度の筆記試験対策講座にお誘いしてみたところ、「もう1度チャレンジしてみます」と言ってくれました。

 

 

合格祝賀会の会場に現れ、「誘ってくれたから受験しようと思えたし、感謝します」と言ってくれた彼女は涙ぐんでいましたし、昨年の挫折があったからこそ、今年の合格の喜びはより大きかったのだと思います。あくまでも結果論ですが、簡単に合格しない方が良いこともあるものだと感じました。彼女は先生方や周りの人たち、そして家族のおかげで合格できたと感謝してくれましたが、何よりも彼女の努力は私たちの想像を超えるものだったはずです。外国語で介護福祉士の試験に合格するなんて、簡単なことではありません。彼女の力と運で手に入れた介護福祉士の資格を、彼女ならば良い形で生かしてくれるはずと確信しています。

介護福祉士筆記試験対策講座のミニテストに対して、有紀先生が応援メッセージを添えてくれていました。こうした想いが、最後は生徒さんたちの背中を押すのだと思います。

2018年

4月

25日

「伴走者」

スタッフの影山さんが見つけて紹介してくれた、浅生鴨(あそうかも)さんの小説です。夏・マラソン編も冬・スキー編も、視覚障害者によるスポーツ競技を扱った内容であり、ちょうど同行援護従業者養成研修の開講に向けて、ガイドヘルパーの先生方と授業をつくり上げているところでしたので、まさにジャストタイミングでした。綿密な取材を通し、特に障害者スポーツの激しさや競技者の心理について、きちんと描かれています。さらに小説としての盛り上がりも十分、登場人物たちの個性も豊かで、最後まで飽きさせることなく読ませてもらいました。個人的には、本(活字)を読むということは、人物や情景などを想像することであり、そこから先の登場人物に見えている情景や人物を想像するという入れ子の構造になっているところが面白いと思いました。

夏・マラソン編における、ブラインドランナーの苦しさの描写は見事です。

 

健常者のマラソンは苦しさとの戦いだ。つらい局面を乗り越え、最後まで耐え抜く者が結果を手にする。だが、ブラインドランナーにはそれに恐怖との戦いが加わる。公道を走るマラソンには坂の上り下りもあれば、カーブもある。路面の状況にしても常に安定しているわけではない。細かな凹凸や轍(わだち)、わずかな段差など、健常者には問題にならないこともブラインドランナーには大きな障害となるのだ。長距離を走り抜き、疲労の極限に達している足には小さな石一つが決定的な衝撃を与えることもある。伴走者は行く手を注意深く観察し、細かく路面の状況を選手に伝えるが、それでも避けきれる障害ばかりではなかった。

 

少しネタバレになりますが、同行援護従業者養成研修においても、授業の一環として伴走リレーを行います。2人一組になって、競技者役の生徒さんはアイマスクをして鈴のついたバトンを持って伴走者と一緒に走り、前で待つ次の走者にバトンを渡します。このとき鈴がついているにもかかわらず、バトンを渡す(受け取る)という行為だけでもかなり難しいのです。そして、いくら伴走者が隣にいるとはいえ、前が見えない状況で走ることの恐怖は実際に体験してみないと分からないかもしれませんね。見えていれば気にならない、ちょっとした地面の凹凸や窪み柔らかさ、ひとつの石ころの存在が障害に感じるのです。

 

冬・スキー編では、周りの状況を想像すればするほど恐怖が増していくことについて綴られています。

 

ゴーグルをつけてゲレンデのいちばん緩やかな斜面に立った涼介は、背中にじっとりと冷たい汗が流れるのを感じた。怖いのだ。そんなはずはないと頭ではわかっているのに、なぜかすぐ前に急斜面があるような気がして、僅かでも板が滑ると緊張した。

 

見えないとはこういうことなのか。周りの状況を想像すればするほど恐怖が増していく。

 

アルペンスキーでは、いかに抵抗を減らし、重力を効率的に利用できるかが勝負のポイントになる。だがそれほどの技術があっても、最終的にコンマ数秒の差を生み出せるのは恐怖を克服する勇気だ。勇気を持たない者は勝つことができない。

(中略)

恐る恐る足を踏み出す。視界をふさがれた状態で滑り始めると、自分がどれほどのスピードを出しているのか全く分からなかった。間違いなく斜面にいることはわかるのだが、斜面の角度が分からない。それどころか自分の重心がどこにあるのかも次第に分からなくなっていく。

 

この2つの物語に登場する伴走者(健常者)は、障害者の競技スポーツを通して視覚障害者を理解しようとして、その交流を通して勝つことやそれをサポートすることの意義を問うていきます。つまり支援について学んだのです。冬・スキー編において、伴走者の立川涼介が競技者の晴にこう言われます。

 

「ねえ、立川さん。私ってずっと誰かに支えてもらわなきゃダメなのかな。誰かを支えちゃダメなのかな」

 

涼介は背中を激しく叩かれたような気がした。晴は自分にできることをやろうとしたのだ。それなのに、晴が俺に何かをしようとするたびに、俺はそれを拒否していた。晴の気持ちなど考えず、ただ拒否していた。涼介の胸の奥に鈍い痛みが走る。晴に頼らないことで、俺は晴を傷つけていたのだ。

 

「霧の中で滑った時のことを覚えています?」柔らかな声だった。

「ああ」

あの日、霧の中で俺は晴を信じた。前が見えない恐怖を隠さず、強がることもなく、ただ晴だけを頼りに滑ったのだ。そう。間違いなく、あの時の晴は俺を支えていた。

 

「大会に出てくれないか」静かに聞く。「俺と一緒に大会へ出てくれないか」もう一度聞いた。本当は大会などどうでもよかった。二人で同じ目的へ向かうあの感覚。勝者が受ける称賛よりも、あの感覚の方が今の俺にはよほど必要なんだ。

 

 

伴走しているつもりが、気が付くと伴走されていた。自分が支えていると思っていたのに、実は自分が支えられていたということは、私たちにもよく起こることではないでしょうか。それが行きすぎてしまうと共依存になってしまいますが、お互いに足りないところを補い合う、時には支えて時には支えてもらう、そして二人で同じ時間や場所を共有して、同じ目的を目指して、喜びや悲しみを分かち合う。そこには伴走者と非伴走者という関係ではなく、パートナーとして、ベターハーフとしての素晴らしい関係が生まれるのです。

2018年

4月

20日

「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」の募集を開始します!(平成30年度)

今年度も、「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」を開催します!ガイドヘルパーは障害のある方の外出の支援をする仕事です。在宅や施設が「屋内」だとすれば、ガイドヘルプは「屋外」における介護。利用者さんの行きたい場所を聞きながらプランを立て、外出し、必要な支援を行いつつ、色々な話をしながら、一緒に楽しむお仕事です。行きたい場所や好きなところに行けることは、利用者さんにとって希望や生きがいとなり、外出先での思い出は、日常を生きる活力ややりがいにもつながります。もちろん高齢の方にも同じことが言えますよね。そして何よりも、この仕事は私たちも楽しい!そんな外出支援のお仕事ができるようになってみませんか?

 

→介護・福祉についてさらに深く学びたくなった。

→利用者さんの外出を支援するお仕事に興味がある。

→障害のある方々や子どもたちの支援について学びたい。

→屋外にて車椅子を安全に操作する技術や知識を得たい。  

 という方は、ぜひご受講ください。

ガイドヘルパーの仕事に合わせた、実践的なオリジナルコンテンツ

1、  芹が谷公園での演習

芹が谷公園まで車いすで行き、車いす介助の演習をします。公園内にある段差、砂利道、坂道など、外出時における様々な状況を想定しながら、車いすを押す技術を何度も練習して身につけます。普段は屋内でしか車いすを押していないという方にとっては、また違った介助であり、技術が身につくはず。自然の緑に溢れる広い公園ですので、ぶつかったりする心配もなく、安心して練習ができます。

 

2、計画を立てる

利用者さんが10人いれば、行きたい場所やしたいことは10通りあるはず。利用者さんの行きたい、楽しみたいという気持ちを大切に、安全・安心を確保しつつ、また時間どおりに戻って来られるように、2人1組のペアになって具体的に計画を立てます。目的地にたどり着くまでにどのような障害があるのか、どの道を通って行けば安全なのか?エレベーターの場所は?電車はどの車両から乗るべき?準備をしておくべき物ごとは何か?などなど。普段とは違った視点で話し合うことで、ガイドヘルパーの仕事に必要なことが見えてくるはずです。

 

3、  フリー行動(町田ルート&相模大野ルート)

自分たちでつくったオリジナルの計画に沿って、町田駅周辺を散策するルートと、相模大野駅まで電車に乗って行くルートのいずれも体験していただきます。いち利用者とガイドヘルパーとして、車いすに乗りながら(または押しながら)、限りなく実際のガイドヘルプの仕事に近い内容の研修になります。街中を車いすで進んだり、踏み切りを渡ったり、切符を買って改札を通ったり、エレベーターに乗ったり、電車に乗ったり降りたりと、ほとんどの方々にとっては初めての経験となるのではないでしょうか。計画通りに行くこともあれば、行かないこともあるはずです。それでも利用者とのコミュニケーションを楽しみながら、安心・安全な外出をサポートすることが大切です。

 

4、振り返り

教室に戻って来てから、実地研修で学んだことや気づいたことをグループで共有します。プランニングと実際のガイドヘルプでは違っていたこと。車いすに乗って、障害者として外出してみて感じたこと。街中の人々の対応やバリアフリーについて。成功したことや失敗したこと、困ったことなど。グループワークを通して、体験を学びに変えていきます。

 

タイムテーブル(当日の状況によって変更があることをご了承ください)

講義(実習含む)

  800900 

ガイドヘルパーの制度と業務

  9051105 

全身性障害者の疾病・障害の理解

11:1014:20

*10分休憩含む

移動支援の基礎知識(芹が谷公園にて)

演習

14:2515:25

基礎的な介護技術

  1530~1830 

移動支援の方法

(町田周辺、相模大野まで外出します)

*昼食はガイドヘルパーの演習の流れの中で召し上がっていただきます。

 

*雨天決行になりますので、雨の場合は雨がっぱ等をご用意いただきます。

 

修了証明書

研修終了後には、「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」修了の資格が手に入ります。この資格を持っていないと仕事に従事できなくなってきており(市区町村によって異なります)、実際に役立てていただける場面も多く、もちろん履歴書にも「「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修修了」と書いていただけます。

 

講師紹介

湘南ケアカレッジの講師は、介護福祉士や社会福祉士の資格を持ち、現場経験や知識が豊富なだけではなく、教えることに対しても技術と情熱を持っています。分かりやすく丁寧に教えさせていただき、介護の世界の素晴らしさをひとりでも多くの人々に伝えたい、と願っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小野寺祐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阿波加春美

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橘川知子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥玲子

 

受講料

15,000円(税込、テキスト代込)

 

定員:30名限定

教室の外に出るという内容の関係上、人数を限定させていただくことをご理解ください。

 

受講資格介護職員初任者研修課程修了者(修了予定者を含む)、ホームヘルパー2級課程修了者、介護福祉士並びに東京都居宅介護職員初任者研修課程及び東京都障害者居宅介護従業者基礎研修課程修了者、東京都障害者(児)居宅介護従業者養成研修1級課程、2級課程及び3級課程の修了者、介護保険法上の訪問介護員、実務者研修修了者、介護職員基礎研修課程修了者。

 

研修日程(平成30年度)

第2回

第3回

5月6日(日)

6月3日(日)

第4回

第5回

10月8日(月・祝)

11月4日(日)

第6回

 

12月2日(日)

*全身性障害者ガイドヘルパー養成研修は全1日で修了する研修になります。

*上記の日程の中から、お好きな1日を選び、ご受講ください。

お申込みの流れ

①以下の申し込みフォームよりご入力、もしくはお電話(042-710-8656にて直接お申込みください。

※いずれの場合も、ご希望のクラスが定員になりますと受付できませんのでご了承ください。

②受講確認書をお受け取りください。

ご自宅に「受講確認書」と「受講料お振込みのご案内」が届きます。

③受講料をお振込みください。

「受講確認書」が到着後、1週間以内に受講料をお振込みください。お振込みは、銀行ATM やネットバンキングからでも可能です。

※手数料は各自でご負担ください。また、お振込みは案内をよくご確認の上、お願いいたします。

④研修当日

申し込みクラスの日時をご確認の上、教室までお越しください。当日、テキストをお渡しします。

 

*当日、本人様確認を行いますので、身分証明書(健康保険証または運転免許証等)をご持参ください。

 

生徒さんたちの声

実際外に出て、自分で体験できた

普段の仕事では室内の車いす介助なので、実際外に出て、自分で体験できて良かったです。少しの段差でも気を遣い、踏み切りや電車の乗降はとても難しかったです。少しでも困っていると周りの方が助けてくださり、本当にありがたかったです。1月からデイサービスの仕事に移るので今日の研修を生かせればと思います。A.Aさん)

元気をもらえました

とても楽しく面白くしっかりと学ぶことができて充実した研修でした。不安もありましたが、先生たちがいつも励ましてくれ信じてサポートしてくださることが自信につながります。先生たちに久しぶりにお会いできて元気をもらえました。ありがとうございます。また学びに来たいです!(大塚さん)

車イスの操作のむずかしさ

車イスの操作のむずかしさを改めて実感しました。2段階の段差、踏み切り横断で特に感じ、普段施設内移動では味わえない貴重な勉強をさせていただき、今日研修に来て良かったと思いました。久しぶりにケアカレの先生方の優しさに触れて楽しい1日でした。M.Iさん)

新しい発見がありました

すでにガイドヘルプの仕事を行っていましたが、新しい発見がたくさんありました。特に車いすに乗らせていただくことはないので、自分の身体の自由が利かない中で、この気分はどうだろうと改めて思いました。また準備の大切さもとても感じました。心地よい疲れをありがとうございました。Y.Oさん)

基本から知ることができた

車イスに乗ってみて、いろんなことが違って感じた。人込みの怖さ、薬局に入って、棚の商品(上の段)が全く見えないこと、親切な人やそうでない人、車いすを押すのも手だけではなく身体ごと使って段差を乗り切ること、坂路での下り方、基本から知ることができたのでとても良かった。(奥田さん)

とても新鮮でした

貴重な体験ができて、とても有意義な1日でした。いつもと違う視線、視点で見ることができ、とても新鮮でした。想像以上に段差が多くて大変でしたが、想像以上に町を行く人は親切でした。この経験をこれから活かして何かできたらいいなと思っています。M.Aさん)

街の人たちが優しかった

いちばん感じたことは、街の人たちがとても優しかったことです。エレベーターのボタンをずっと押してくれていたり、道に迷っていたら道案内をしてついてきてくれたり、本当に感謝しています。今まで気がつかなかった視点で観ることができる、とても良い機会になりました。(金子さん)

誇りと希望が持てます

本当に実際に車いすに乗って危険や不便さをたくさん感じました。いかに健常者優先の環境になっているか、身に沁みました。商品が目に飛び込んでくるようなダイナミックな視線や大きな溝より分かりづらい穴とかの方が危険なこと、いろいろ思いましたが、結局それでも外出したいと思うのがいちばんの感想だったので、この仕事は誇りと希望が持てます。(座間さん)

研修の風景(動画)をご覧ください。

お申込みはこちら

2018年

4月

16日

過去も未来もない

先日、妹の子どもたち2人を連れて、町田リス園に行きました。暖かくなってきたこともあり、リスよりも人間の方が多いのではないかと思うぐらい、たくさんの家族が訪れていました。朝からエサをもらいすぎて、リスたちはお腹一杯。お昼過ぎに行った私たちが好物のひまわりの種を差し出しても、リスたちは食べてくれないどころか、こちらにも寄ってきてくれなくなっていました(笑)。1日中、子どもたちと遊んで帰る際、町田駅にてお見送りをしました。子どもたちは「ばいばーい!」と手を振りながら、何度も叫びます。私もそれに応えるように、「バイバーイ!」と手を振り返しました。彼女たちは涙ぐんでいました。顔は真剣で、別れを心から惜しんでいるのが伝わってきました。

 

この別れを惜しんでもらえる感覚を、久しぶりに味わいました。懐かしく思うと共に、彼女たちにとっては今が全てなのだという想いを強くしました。これまでに何度も会って、遊んでいるから、今回はその延長線上にあるという、慣れのような気持ちもなく、全力で今日私と遊ぶことを楽しんでくれました。

 

さらにこれから先もまた会えるであろう、遊べるに違いないという予測もなく、もしかするとこれが最後になってしまうかもしれないと感じてくれているようでした。今を生きるということは、楽しさだけではなく、寂しさや悲しさも同時にきちんと噛みしめることなのだと教えてもらいました。

 

別れを惜しまれる感覚は、私の祖母や曾祖母から教えてもらったものでした。かつて私が小さかった頃、お盆や正月には実家の岡山に帰省していました。1週間ほど滞在し、こちらに帰る日を伝えると、数日前から祖母や曾祖母は寂しさを表現してくれました。そして、いざ帰ろうというその日は、私の手を握って、涙を流して「また来てな」と何度も何度も言ってくれました。

 

当時の私には、また次のお盆や正月には来るのに、なぜこんなにも悲しく、寂しがるのか全く分かりませんでした。今では分かります。孫と別れる辛い気持ち。もしかすると、もう顔を見ることができないかもしれない。未来があるかどうか分からないからこそ、祖母や曾祖母はあんなにも今を一緒に生きることができたのですね。

 

 

妹の子どもたちとの1日を通して、祖母や曾祖母たちの気持ちを思い出し、果たして私は今を生きることができているのだろうかと疑問を持ちました。たぶん、今を生きられていないのだと思います。どうでもよい過去にとらわれ過ぎてしまい、起こりもしない未来を憂いてしまうことで、肝心の今がいつも見過ごされてしまっているのではないでしょうか。

 

私たちが生きることができるのは、本当は今しかないのに、過去と未来を行ったり来たりしているばかりで、今を失ってしまっているのですね。彼女たちのように今を生きるのには私は大人になりすぎたのかもしれませんし、祖母や曾祖母のように今を生きるのには私はまだ若すぎるのかもしれません。それでもやはり今を生きたいなと憧れる気持ちは、最近ますます強くなってきました。

2018年

4月

12日

「リメンバー・ミー」

今絶賛上映中のアニメ映画「リメンバーミー」を観てきました。ピクサーが制作した映画、たとえば「ファインディングニモ」や「モンスターズインク」、「トイストーリー」は大好きなアニメーション映画であり、「リメンバーミー」にも期待していました。今回の作品は人間が主人公ということで、これまでの作品とは少しだけ世界観が異なりましたが、アニメーションはより迫力や質感を高めていて、人の動きも実にリアルで実写版との境目がなくなりつつあります。もちろん、ストーリーも内容も面白く、人の記憶や死について考えさせられ、最後は心温まる結末になっています。12歳のミゲルが曾祖母のココに歌を歌って、記憶が蘇るシーンが美しいですね。

 

作品の中で描かれる死者の国においては、自分の生きていたときのことを覚えている人がいなくなってしまうと死んでしまいます。つまり、1度現世において肉体的に死に、死者の国においてもう1度死ぬということです。それは裏を返せば、肉体は死んだとしても、自分のことを覚えてくれている人がいれば、生き続けることができるということです。人びとの記憶の中に生き、(日本の風習でいえばお盆の時期などに)現世に戻ってくることもできるのです。誰の記憶の中にもいなくなってしまうことが最後の死であり、それぐらい私たちがその人のことを覚えているということは大切なのです。

 

私にも曾祖母の記憶はたくさんあります。物心ついたときには、ほぼ寝たきりの生活を送っていた曾祖母ですが、私が帰省するといつも喜んでくれました。真っ先に部屋に行くと、手を握り、(目が悪かったので)顔のかたちを手で触って確かめながら、「大きくなったなあ」と褒めてくれました。手を引いてダイニングに連れて行くときのゆったりとした歩みや寝ているときに足の指にティッシュペーパーをはさむいたずらをして怒られたこと、こっそりとお小遣いをもらって本を買いに行ったこと、100歳近くになってもふっくらとしたほっぺたなど、今でも大切な思い出として私の中にあります。ということは、私が死ぬまで、今も曾祖母は向こうの世界で生きているということですね。

 

 

私はいつまで生き続けることができるでしょうか。そんな疑問をふと抱きました。私は周りの人々の記憶に残るような生き方をしているのかということです。できれば良い記憶として残ってもらいたいと思いますが、そう簡単なことではありませんね。曾祖母の生き方を振り返ってみると、記憶に残しておいてもらえるためには、まずは他者としっかり向き合うことだと思います。自分と向き合うのと同じように他者とも向き合う。そして、喜怒哀楽の感情を共にすることです。喜びも怒りも哀しみも楽しみも、どのような感情であってもいいのです。その時の感情をきっかけとして、私たちは人や場所、情景などを記憶するのです。懐かしい思い出と共に、そんなことを考えさせてくれた映画でした。

2018年

4月

08日

考え方が180度変わった

3月短期クラスが無事に終了し、湘南ケアカレッジの5年目が終わりました。4月からはいよいよ6年目を迎えることになります。ケアカレの5周年を記念する最後のクラスは、なかなかの個性的なクラスでした。年齢層も20代から80代と幅広く…、ここでエッと思われた方もいらっしゃるはずですが、そうです何とケアカレの生徒さんの最年長記録が更新されたのです!つい最近までは79歳の生徒さんが記録保持者でしたが、今回のクラスであっさりと塗り替えられてしまいました。生徒さんの年齢に60歳の幅がある研修や学校って、他にあるのでしょうか。それこそが介護職員初任者研修の魅力のひとつであり、湘南ケアカレッジの面白さですね。

 

80代の生徒さんは、現在ガイドヘルパーとして、学校への送り迎えを毎日しているそうです。ケアカレの4階までの階段を息も切らさずに登って来る姿を見て、健康の秘訣をこっそりと聞いたところ、「私は毎日3万歩歩いていますよ。いきなりは大変なので、少しずつ歩数を伸ばしていくことが大切です」と教えてくれました。私も今年に入ってFitbitを付けて1日の歩数を測っていたことがありましたが、2万歩まではなんとか歩けても、3万歩は相当に難しいと思いました。最初、彼女は事業所の方にケアカレに連れてこられ、「なぜ介護をされてもおかしくない私が、介護をする勉強をして、テストまで受けなければならないのか意味が分からなかった(笑)」とおっしゃっていましたが、まさにその通りですね。

 

修了試験が終わったあと、カラオケで打ち上げがあるとのことで顔を出しました。宴もたけなわ、せっかくだからと生徒さんたちひとり一人が、介護職員初任者研修を受け終えたあとの気持ちや想いを語ろうとマイクが回りました。その中で、80代の彼女とペアを組んだ男性が語ってくださったエピソードが印象的でした。

 

「実技のテストは私も彼女も上手くできなかったところがたくさんありました。しかし、小野寺先生は最終評価において、できなかったことをひと言も言いませんでした。できていたことを褒め・認め、できなかったことに気づけたことが大切だと言ってくださったのです。私は今までできなかったことを咎められる社会でずっと生きてきたので、あの姿勢や伝え方には驚き、考え方が180度変わりました」と涙ながらに話してくれたのです。

 

 

小野寺先生の気持ちが伝わったことが嬉しく、また世界観が変わる福祉教育を提供することを理念としているケアカレとしてもこれ以上ない褒め言葉でした。他の生徒さんたちも、先生方の熱い授業に共鳴してくれて、介護に対する見方が変わったと話してくれていました。その話を聞いて、私もこのクラスの生徒さんたちと接することができ、人間は身体と心を若く保っておけば、いくつになっても変われるし、いつまでも若くいることができることを教えてもらい、この先の長い人生に対する考え方が少し変わった気がします。ありがとうございました。

2018年

4月

02日

誠実であれ

昨年12月から始まった介護職員初任者研修の日曜日クラスが終わりました。ほんとうに個性的な方が多く、ともすれば四方八方好き勝手な方向へと飛び立ってしまいそうなクラスでしたが、最後は何とかひとつに気持ちがまとまって修了できたようで何よりです。研修最終日には、クラスメイトの皆さまでつくってくださった、ポスター大のメッセージボードまで贈っていただきました。どこに飾ろうか迷っています(笑)。そして、打ち上げにも参加させていただき、教室の中では聞けない、湘南ケアカレッジに対する本音の感想も教えてもらえました。「湘南ケアカレッジを選んで本当に良かったと思っています」と言ってくれた方もたくさんいましたし、昔のブログを読んでくださったのか「ケアカレが100年続きますように」とおっしゃってくれた方もいました。

 

その中で、「とても誠実な学校で良かった。やっぱり、人は誠実に生きなければいけないね」と語ってくれた生徒さんがいました。そのように思っていただいたことが嬉しく、改めて誠実であることの意味や大切さを考えさせられました。というのも、湘南ケアカレッジのような町田にしかない小さな学校は、誠実にやっていくしかありませんし、それが何よりも難しいことでもあるからです。そもそも誠実とはどういう意味なのでしょうか?良い人を演じることが誠実ではなく、八方美人ではないことが誠実でもなく、社会や他人に合わせることが誠実でもありません。様々な解釈はありますが、今のところ私は、自分が正しいと信じる中身のあることを愚直に行っていくことが誠実ではないかと考えています。

 

今から15年ぐらい前にいた職場で、仕事における強みや良さを、自己評価と他者評価するという研修がありました。自分の強みや良さを見つけるのは意外にも困難で、決して自信がないわけでも、へりくだっているわけでもありませんが、どうしても他人と比べてしまい、もしかすると私に強みや良さはないのではないかと思わせられました。そこで無理矢理ひねり出したのが、誠実であることでした。仕事が遅くて上手くできなくても、自分としては誠実に人と接し、物ごとに当たっているつもりでした。ところが他者評価は少し違って、「人の話を丁寧に聞けること」という声がほとんどでした。なるほど、人前で上手に話すことはできなくても、人の話をきちんと聞けるだけで評価に値するのだと驚いたものです。介護の世界で言うところの傾聴というやつですね。

 

 

自己評価で唯一思いついた誠実であることが、時を経て他者評価として返ってきたことを嬉しく思います。それぐらいしか取り柄のない人間が、素晴らしい先生方に助けられながら運営している学校ですので、誠実な学校としか評価できなかったのかもしれません(笑)。それでも自分たちの強みや良さを生かすためには、私たちはこれからも誠実な学校でありたいと願いますし、また個人的には、人の話を丁寧に聞ける強みや良さも失わずにいられたらと思います。私たちのあるべき姿を教えてくれるのはいつも生徒さんであり、軌道修正してくれるのも生徒さんなのですね。ありがとうございます。

最後にたくさんのお土産やお菓子もいただきました。

2018年

3月

27日

アクションとリアクション

先日、ケアカレ図書館に所蔵されている本やマンガ、DVDにポップをつけた話をブログに書きました。映画「ギフト」につけたポップに気づいて、「観てみたい」とおっしゃってくれた先生もいましたし、手に持って読んでくれていた生徒さんもいました。そして、実際にDVDを借りて行ってくださった生徒さんも現れたのです!生まれて初めてポップを書いて、貼ってみたのですが、自分のポップを読んで借りていってくれることが、こんなにも嬉しいものだとは…。全国の書店員さんの気持ちが少し分かった気がします(笑)。自分のお勧めの作品を知ってもらい、読んだり観たりしてもらうことで、その作品を通して心が通じ合ったような気持ちになるのですね。

 

その後、その生徒さんはすぐにDVDを観てくださったようで、感想のメールまでいただきました。

 

とても胸に、響きました。つい先日、同じALSのスティーブン・ホーキング博士の半生を描いた映画を見たばかりだったので、今回、ドキュメンタリーという形でALS患者さんの事を垣間見る事が出来、感慨深いものがありました。

 

訪問入浴に勤務していた頃、世の中にはこんなに沢山の障害を持つ方が暮らしているんだと衝撃を受けました。その中でも私は6人のALS患者さんにお会いしました。スティーヴ・グリーソンさんの映画を見るまで、介護にたずさわる人間として、ちゃんと解っていなかったんだと思います。

 

彼らは本当に、動けないだけで、考えているし、感じているんだ、恐怖や苦しさも感じているんだ!!と。この映画を見て、何だかやっぱり、色々と感じ考えもして、そういうきっかけというかギフトを、私も頂きました!!

 

 

実際に観てくれたのだと分かり、ポップを付けた甲斐があったなと改めて嬉しく思いました。何か行動を起こしてみると、それに対する行動(リアクション)が必ずあるのですね。重い腰を上げてやってみる、勇気を振り絞ってチャレンジしてみる、ダメ元でもまずはやってみる。私たち教育に携わる者にとっては、できれば良い働きかけをして、良いリアクションが返ってくることが望ましいのですが、たとえそうでなくても、何もしないで何も返ってこないよりましですね。そこから喜怒哀楽という感情のギフトを、私たちは生徒さんからいただけるのだと思います。

2018年

3月

23日

「グレイテスト・ショーマン」

最初から最後までアップテンポな音楽とストーリーで、2時間の映画がまるで30分ぐらいに感じてしまうほど。ミュージカルとしても、成功物語としても、エンターテイメントとしても楽しめる作品でした。障害者や人種に対する差別や偏見をテーマとして描いた映画であることは、あとから薄々感じた程度であり、一般的に論じられているほどの強いメッセージ性はなく、むしろ自然な形で人類愛が謳われているように私は受け取りました。障害者を障がい者や障碍者と記すような先回りの配慮をしてしまう人にとっては、この映画は誤解や違和感を生むかもしれません。いずれにしても、主人公のバーナムが言うように、「至高の芸術とは見るものを幸せにするもの」、ただそれだけなのです。

19世紀にサーカスを興して成功したPT・バーナムの半生を描いたストーリーです。小さい頃から極貧の日々を過ごしてきたバーナムは、令嬢と駆け落ち気味に結婚すると、なんとか成功しようとした末に、普通の人々とは違った姿形をした人たちを集めてショーをするアイデアを思いつきました。小人症の男性や髭の生えた女性、全身入れ墨の男、結合性の双子、大男など、パッと見ると目を背けたくなるような奇形の人たちです。

 

多くの称賛や歓声が生まれたものの、今とは違って社会の多様性に対する許容量がさらに少なかった時代でもあり、差別や偏見の声も激しく起こってしまいます。そのような外野の声や邪魔にも負けず、「THIS IS ME(これが私だ)」とプライドと負けない心を持って、踊り歌い続ける彼ら彼女らの姿には心を打たれ、共感し、応援したくなります。

 

そして、次第に、その姿にも違和感を覚えなくなるから不思議です。最初の登場シーンでは、怖いもの見たさというか、背筋が凍るような気味の悪さを感じさせる場面もありますが、駆られ彼女らが舞台に立って、人前で歌い踊り、喝采を受けるにつれて、その姿形が自然に感じるようになるのです。それは皆違って皆良いということではなく、それが個性だと言うつもりもなく、ただ単純に自然なのです。この映画が障害者や人種に対する偏見や差別を扱っているとは感じなかったのは、そういうわけだったのです。

 

 

私たちは慣れるのです。最初はその違いに拒否反応をしてしまうこともあるかもしれませんが、そこで壁をつくったり、避けたりするのではなく、話したり、触れ合ったり、一緒に過ごしてみることで違いに慣れてくるのです。多様性を受け入れたり、認めたりという高尚な志の前に、まず私たちは自分と違うことに対して慣れることが大切なのではないでしょうか。一緒に過ごすこと、共存することが偏見や差別をなくす第一歩になるはずです。そんな当たり前のことを教えてくれた映画でした。音楽が素晴らしいので、映画館でぜひ観てみてください!

2018年

3月

19日

もう1度頑張ってみよう

「介護の仕事をやめようと思っていたけれど、実務者研修を受けて、もう1度頑張ってみようと思えました」と言ってくれた卒業生さんがいました。彼女は1期生、つまり湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修の初めてのクラスの卒業生です。介護職員初任者研修の途中でも、「他の学校もこのような研修なのですか?」と尋ねてくれて(最初はネガティブな意味だと思っていました笑)、嬉しかったことを覚えています。彼女は介護職員初任者研修を修了後、施設で働き始め、紆余曲折がありながらも3年間介護の仕事を続け、介護福祉士を取るために実務者研修に戻ってきてくれました。

 

実務者研修を受講しているときは、まさかやめたいと思っているとは露知らず。介護職員初任者研修と同じように、真面目に取り組んでくれて、楽しく授業を受けている姿が見られました。最後の最後に本音を語ってくれて、驚かされつつも、外から見た感じと本人の内面は違うものだなあと痛感したのでした。彼女の仕事ぶりを知っている人から教えてもらったのですが、彼女はとても優しい性格で、利用者さんに対して寄り添ってあげたいという気持ちが強く、誰から見ても理想的な介護職員だそうです。しかし彼女は、自分は介護には向いていないと感じてしまうのです。外から見ると合っている、本人は合っていないと思っている、このギャップはどうしたものでしょうか。

 

ここからは私の推測ですが、おそらく彼女が行っている介護は理想的なものなのだと思います。利用者さんのために何ができるのかを考え、できるだけ利用者さんの願いを叶えてあげたいと行動する。3年間働いてきても、介護のあるべき姿を見失ってはいないということです。ところが、現場では違った考えや行動が優先されてしまいます。効率やスピードが重視されてしまい、彼女の優しさや丁寧さはむしろ足かせになってしまう。そうなると、彼女は自分は正しいとは思うタイプではないため、自分は介護の仕事に向いていないと感じてしまうのは当然です。ほんとうは介護に合っている人材が、自分は介護に向いていないと感じてしまう。これは介護の現場における由々しき問題のひとつだと思います。

 

どうすれば良いのかと問われると、答えはありません。ここ数年は介護の現場の人材不足はますます進行しており、それに起因する現場の疲弊は目を覆いたくなるほどです。とても介護ができるような状況にない現場がほとんど、と言っても過言ではありません。それでも問題を解決することはできずとも、あるべき姿を見失わないことはできるのではないでしょうか。もう1度頑張ってみようと言ってくれた卒業生さんは、介護の現場で3年間働いている間に、理想やあるべき姿を見失いかけていたのだと思います。そして、ケアカレの実務者研修に来て学んでいくうちに、理想やあるべき姿を取り戻したのです。これで良かった、間違ってはいなかったのだと思えたのです。

 

 

私たちにできることは、それぐらいのことでしかありません。あるべき姿をお伝えするために人と関わっていくことが教育であり、初心に返ってもらうことも教育です。そのためには私たちは常に高い理想を掲げなければいけませんし、そこからブレてもいけません。今、介護の仕事をしていて、自分には合っていないと感じている人にこそ、湘南ケアカレッジの実務者研修を受けてもらいたいと思います。

2018年

3月

15日

誕生日イブ

誕生日の前日、先生方と生徒さんたちからお祝いをしていただきました。ケアカレカラーのお花と粗品(ではなかった!)も贈っていただき、バースデーソングを歌ってもらいました。いつもはお祝いをする方なのでお祝いをされる側に回るとやけに恥ずかしいですね。昨年も誕生日イブだったので、今年ももしかしたらと予感していたのですが、お昼ぐらいから小野寺先生が明らかに挙動不審だったので確信しました(笑)。ということで、サプライズにはならなかったかもしれませんが、その代わり、私からのお返しということで皆さまにクッキーを配ることができました。毎日学校にいるからこそ、毎年このようにお祝いをしてもらえるのだと、ありがたく思います。これからも先生方と生徒さんたちが幸せになれる学校づくりをしていきますね。

お祝いをしてくださった今回の実務者研修のクラスは、卒業生さんが多いということもあり、ほとんど顔なじみのメンバーでした。おそらく望月先生や佐々木先生の呼びかけでホワイトボードにメッセージを書いてくれたのですが、これまでの中でも最もびっしりと書き込まれていました。実務者研修からケアカレに来ていただいた生徒さんもそうですが、介護職員初任者研修から時間を経てまた実務者研修に来てくれて、そこでこうして誕生日のお祝いをしてもらえるなんて感無量です。

お花に添えられているカードに書かれている先生方の名前を見ても、ずいぶんと長く支えてきていただいたものだと嬉しく思います。ほとんどの先生方は、湘南ケアカレッジの開校当初から教えてくださっていて、お互いに意見や考え方をぶつけ合いながらも良い授業を一緒につくってきたら、あっと言う間に5年間が経ってしまいました。年は取りたくないものですが、とても充実した5年間でした。これから先も、さらにパワーアップして、先生方の活躍の場を広げていければと思いますし、より多くの人たちに湘南ケアカレッジの福祉教育コンテンツの素晴らしさを知ってもらいたいと願います。

 

最後に、43歳になった私の抱負は、チャレンジをすることです。ようやく厄年を抜けましたので、これを機に新しい挑戦を始めたいと思います。守るべきものがあるからこそ挑戦していかなければなりませんし、成長こそが安定だと思うからです。成長というのは、決して規模や売り上げが大きくなるということではなく、挑戦して変わってゆくことです。もしかすると失敗してしまって、迷惑をかけてしまうこともあるかもしれません。それでも、そこで得たノウハウはのちに生きるはずですし、湘南ケアカレッジのさらなる繁栄につながることでしょう。

 

 

そしてもうひとつ、できればいつも機嫌良く、楽しく生きていきたいなと思います。生きて仕事をしていると、どうしても自分の思い通りにならなかったり、上手く行かないことも出てきますが、一つひとつを自分ごととして受け入れ、赦して、他者にとっての良い合わせ鏡になりたいと願います。この歳になって恥ずかしいのですが、そんなこともなかなかできないほどわがままな私なのです。周りの人たちや環境に感謝して、敬意を持ちながら生きていきたいです。そして、矛盾するようですが、もう少しわがままに生きてみたいと思います。他者や社会に合わせるのではなく、こうしたいという自分の気持ちに従って生きていく、良い意味でのわがまま。若いときにそれをすると、単なる傲慢や無知で終ってしまった可能性があるけれど、今ならば、わがままが回り回って、他者や社会に良い形で還元できるのではないかという気もします。自分でつくった殻の中に自分を閉じ込めておくのはもったいないですからね。

2018年

3月

12日

「未知のと対話」

録画してもらっていた「未知との対話」という番組を観ました。一昨年、訪れて体験したダイアログインザダークについて、そしてダイアログインザサイレンスについてのドキュメンタリー番組です。ちょうど同行援護従業者養成研修を立ち上げている最中でもあり、目の見えない世界と音の聞こえない世界、つまりもうろうの世界にとても興味が湧いているため、実に味わい深く鑑賞することができました。私たち目の見える人は、ほんとうに見えているのだろうか、また耳の聞こえる人は、ほんとうに聞こえているのだろうか、というのが正直な感想です。光が見える、音が聞こえることが、果たして見えること聞こえることなのでしょうか。私には分からなくなってきました。

番組のほとんどは、新しく開催されたダイアログインザサイレンスを追いかけています。ダイアログインザサイレンスでは、聴覚障害者が耳の聞こえる参加者たちを音のない世界にアテンドします。参加者のほとんどは手話を知らないため、コミュニケーションは身振り手振り、つまりジェスチャーにて行われます。私はまだ参加したことがないので分かりませんが、音のない世界では、より相手に伝わったのかという気持ちが大切になり、より相手に伝えたいという気持ちが強くなるのではないかと思います。

 

ひとりの聴覚障害のある女性は、「ダイアログインザサイレンスにアテンドとして参加してみて、コミュニケーションにおいて、目と目によるアイコンタクトがいかに大切かを改めて知った」と語っていました。また、LGBTであり聴覚障害者でもある男性アテンドは、「聴覚障害者同士は伝えたいことをそのまま伝えるのに対し、健常者とのコミュニケーションは、『こういうことが言いたいのですね?』と問い返すことが多くて難しい。健常者は私たちのことを大変だと思っているかもしれませんが、私たちから見ると健常者の方が大変だなと思います」とコメントしていたのが印象的でした。

 

 

目の見えない世界や音の聞こえない世界という極端な違いがあるからこそ、私たちはできることとできないことを再認識することができます。そして、できることとできないことはいつでも逆転する可能性があって、できないことはできることで、できることはできないことにつながることを知るのです。しかし、このような分かりやすい違いではなくても、私たちひとり一人の間にも小さな違いから大きな違いまでが横たわっているのではないでしょうか。だからこそ、私たちは相手のことを知りたいと願い、自分のことを伝えたいと思うのです。私たちはそれぞれが違う世界に生きていて、いつだって対話を必要としているのですね。

2018年

3月

08日

ポップ

ケアカレ図書館がオープンしてから3年半の歳月が流れました。たくさんの生徒さんたちが、介護・福祉に関連する本やマンガ、DVDを借りたり、その場で読んでくださいました。新倉先生が紹介してくださっている「ヘルプマン」は相変わらず1番人気で、佐々木先生が授業で紹介してもいるデーケン先生の「よく生きよく笑いよき死と出会う」も根強い人気があります。あるひとつのクラスでは、数名の生徒さんたちが映画「あん」を観てくれて、ハンセン病や全生園のことについて、「こんなことがあったなんて初めて知りました」と語っていました。生徒さんたちのもっと知りたい学びたいという気持ちに火を付けられたら幸いですし、ケアカレ図書館を通じた交流もまた嬉しいものです。

 

ケアカレ図書館には、基本的には私が読んだり観たりして良かったものを置いています。この3年半の間に、所蔵されている本やマンガ、DVDは、出たり入ったりを繰り返しながら少しずつ増えていき、気がつくとこれ以上はテレビ台の下のスペースには一杯になってしましました。新しいものを置こうとすると、古いものをひとつ片づけなければいけません。そうして厳選されたものが残ってはいるのですが、これだけズラリと並べられていると、どれからひとつを選んで読む、借りる、観ることが難しくなってしまうかもしれません。

 

そこでスタッフの影山さんの提案で、ポップをつけてみることにしました。本屋さんでよく見る、諸店員さんたちが自分のお勧めの本を紹介しているあのポップです。何気なく見ていたポップも、いざつけてみるとなると、どのような形や色の紙に、どんなことを書けばよいのか分かりません。いくつかの書店を回ってみて、なるほどこんなことをこんな風に書くと良いのねと研究してから、いざ作成にあたりました。

 

まずは自分の伝えたいキーワードを書き出して、最もアイキャッチ(目に留まる)なものを大きく書く。そして、紹介文にはできるだけ自分の感情やアイメッセージ(私はこう思う)を入れるべきです。どこかに書いてある借り物の紹介文では意味がないのです。一般的にどのような作品なのかではなく、個人としてあなたはどう感じたのかを知りたいのです。そこに個が現れてくるのが、ポップの意味だと思います。

 

 

私の今月のお勧め作品は、映画「ギフト 僕がきみに残せるもの」(DVD)にしました。この映画は昨年私が観た中で、ダントツ1位の映画でした。介護職員初任者研修を日本人全員に受けてもらいたいと思っているように、この映画も世界中で生きている人全員に観てもらいたいと思っているぐらいです。いよいよDVD化され、ケアカレ図書館でも貸し出し中ですので、皆さんにぜひ観てもらいたいです。

2018年

3月

04日

深く関わり、受け入れる

2月短期クラスが修了しました。介護職員初任者研修の3日目から、授業後に飲み会に行く人たちが出るほどの盛り上がりで、とにかく楽しく、真剣に、やるべきところはやる、メリハリに富んだクラスでした。決して一部の仲の良い人たちだけが盛り上がっているわけではなく、クラスメイトの一人ひとりがつながっていて、それぞれが互いの違いを認めつつ、受け入れ合っているのです。「たった15日間で、こんなに仲良くなれるなんて思いませんでした」と皆さん口にされていたのが印象的でした。

 

先ほど、3日目からと書きましたが、卒業生ならば思い出してもらえるはず、そうコミュニケーションの授業における他己紹介が行われる日です。湘南ケアカレッジでは自己紹介ではなく、他己紹介という形をとって、これまでにしてきた仕事や学んできたこと、趣味や特技、性格、そして介護職員初任者研修を受けようと思った動機など、それぞれの人となりをクラスメイトたちに知ってもらいます。今回のクラスは、この時点ですでに盛り上がって、「飲みに行きましょう!」となったということです。

 

コミュニケーションの授業を担当した阿波加先生も、「これまで70回ぐらい他己紹介をやってきたけど、もしかすると一番盛り上がったクラスかもしれません」とおっしゃっていました。ただ盛り上がっただけではなく、ひとりの男性が「実は、介護の専門学校でいじめられて退学したことがあります」と告白したところ、励ましの声が上ったというシーンもあったそうです。カミングアウトできる勇気も素晴らしいし、それを自分たちは受け入れるという宣言までが他己紹介にてできていることが凄いですね。「他己紹介をしてくれた阿波加先生には感謝します」とおっしゃっていた生徒さんも確かにいました。

 

最終日には、久しぶりにメッセージボードを贈っていただきました。背面がコルクになっていて、フニャフニャしているので後で板かなにかで加工してくださいという注文付きでしたが(笑)、何度いただいても嬉しいものですね。つくる提案をした人、協力してつくってくれた人、優しく陰から見守っていた人、皆の気持ちがひとつになって完成したメッセージボードなのだと思います。授業終了後には打ち上げにも誘っていただき、おひとり一人と話ができました。そこで語られていたのは先生方への感謝であり、ケアカレに対する愛着であり、クラスメイトへの愛情でした。

 

 

たった1ヶ月に満たない中でのつながりや縁ですが、生徒さんたちにとっては人生のひとコマとして、私たちにとっては1つのクラスとして、このような場所や体験をつくり出すことができたことを先生方と生徒さんたちに感謝し、誇りに思います。

2018年

2月

28日

「生きていくあなたへ」

生きているうちに、1度はお目にかかりたかったと思うほどに、尊敬してやまない人物が私には幾人かいます。その一人が日野原重明先生です。お会いしたことも話したこともないにもかかわらず、その著書での言葉や映像を通して語り掛けてくるメッセージに共感してやみません。105歳まで医師として現役で働きながら生きたという事実の重さの前には、私の考えや経験などあってないような軽さにすぎません。この本は日野原先生が対話形式で、最後に私たちに遺してくれた言葉の数々になります。

ここから先は、質問に対する日野原先生の答えを読んでいただければ幸いです。私が言葉をはさむ余地はありません。

 

今までたくさんの人の死を見てきた先生にとって、死とはどのようなものですか?

 

「新しい始まり」という風に感じます。

 

死ぬということは、多くの人にとって、まるでとかげのしっぽが切れるように終わるものだと考えられていますが、たくさんの死をみとってきて感じるのは、終わりではなく、新しい何かが始まるという感覚です。

 

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ」これは、聖書の中でも僕の好きな「ヨハネによる福音書」の一節です。

 

麦が死ぬというと、何かさびしいような気がするかもしれません。でもそうではなく、麦が地面に落ちれば、翌年にまた多くの実を結ぶことになる。つまり、一粒の麦は死ななければいけない。死ぬことによって、無数の麦の誕生につながるという希望を示しているのです。

 

▶先生は命の尊さを伝える活動を続けてこられましたが、命とはどんなものなのでしょうか?

 

僕は長年、命の尊さを伝えることを使命として、「命の授業」というタイトルで全国の10歳の子どもたちと交流してきました。

僕は、子どもたちにこう問いかけます。

「命はどこにあると思う?」

そうすると、子どもたちは心臓のあたりを指したり、脳みそと答えたりするのです。

心臓は身体を動かすために働いている単なるポンプのようなものに過ぎないよ。脳みそはいろんなことを考え出す機能を持った身体の一部分でしかないんだよ、そして、「命というのは君たちが使える時間の中にあるんだよ」と子どもたちに伝えてきました。

僕は続けます。

君たちは今、毎日朝ごはんを食べて、学校に来て勉強して、友だちと遊んで…。これは誰のためにしていると思う?全て自分のためだよね。君たちは、子どものうちは与えられている時間を全部自分のために使いなさい。だけれども、君たちが大きくなったら、その時間を他の人のため、社会のために使わないといけない。そう気づく時が必ず来るよ。だから大きくなって大人になったら、君たちの命をできるだけ周りの人のために使ってくださいね。

 

▶離婚を経験し、もうこんな思いはしたくなくて、新たな出会いを求められずにいます。

 

別れというものは本当に悲しいものですね。

 

それでも、別れるべきその日が来たならば、ただ悲しさを感じて終わりにするのではなく、別れが教えてくれる「出会いの意味」に目を向けてみてほしいのです。別れとは、出会いの中にあり、悲しく静かに僕たちが出会った本当の意味を再確認させてくれるものだからです。

2018年

2月

24日

いい授業をつくろう

気がつけば少しずつ日が長くなり、暖かい日も出てきて、春の息吹を感じています。あと数か月で湘南ケアカレッジも丸5年、そう6年目を迎えることになります。先日、実務者研修のミーティングが行われました。授業が終わった後にスタートし、軽食をはさみながらも、20時すぎまで話し合いは続きました。3月から開講するクラスに向け、介護過程の授業内容から実技演習の手順まで、様々な意見を出し合い、実際に実技を行って揃えました。実技のパートは私がいても邪魔なだけなので(笑)、席を外してお買い物に出かけました。教室に戻ってきたところ、あまりにも先生方が熱く話し合っているので、思わず写真を撮ってしまいました。あっと言う間に5年という歳月が流れてしまったけれど、「来て良かったと思ってもらえるいい授業をつくろう」という想いを、先生方がずっと抱いてくださっていることが嬉しかったです。

 

「世界観が変わる福祉教育を」という理念、つまり最高の授業を提供しようという想いは、湘南ケアカレッジの原点です。良質で楽しく分かりやすい授業をすることだけではなく、授業以外でも生徒さんたちと人間的に接し、サポートすることで、研修全体として満足してもえることはケアカレの強みのひとつです。ケアカレのファンになってくれた2500名を超える卒業生さんたちが、それぞれの家族や友人知人にケアカレを勧めてくれている姿が目に浮かびます。そういえば、岡本家からはお母さん、息子2人に続き、ついには娘さんまで受講しにきてくれました。あとはお父さまだけですね。一家全員がケアカレの卒業生なんて素敵な家族です。先生方が素晴らしい授業を提供し続けてきてくれたおかげで、今のケアカレがあるのです。

 

とはいっても、時代は変わりつつあります。この5年間で起こったことは、ホームヘルパー2級講座から介護職員初任者研修に変わり、授業日数が増えたことに反比例して生徒さんが減ってしまいました。景気は右肩上がりで今も良くなりつづけており、その影響で社会全体として介護の仕事をしようとする人が少なくなり、現場はもちろんのこと、介護職を養成する学校も経営的に苦しくなっています。

 

そこでもう教育はあきらめて、人材派遣・紹介を主の事業とする学校が増え、今はもう教育を主な事業としている学校はほとんどなくなってしまいました。授業料は無料にして、紹介料で利益を得るモデルの誕生です。ケアカレも介護仕事百景を始めましたが、あくまでも生徒さんたちが長く働ける施設を見つけてもらうひとつのサービスであり、主は介護・福祉教育を提供することに変わりません。時代の変化には対応していかねばならないのですが、良い授業をしようという学校としての原点は変わらないでいたいのです。

 

 

私たちはいつまでも、生徒さんたちから教育に対する感謝の気持ちとしての対価(受講料)をいただける学校でありたいと願います。正直に言って、周りの学校がタダ同然で生徒さんたちを募集している中、どこまで教育をメインの事業としてやっていけるのか分かりませんが、できる限りは突っ張ってみたいと思います。そのためには、先生方の力や気持ちがどうしても必要ですし、目の前にいる生徒さんたちに全力で向き合うことを愚直に続けていくことより他ありません。5年間、変わらぬ熱い授業をしてくださっている先生方に改めて感謝します。

2018年

2月

21日

つながりを持つこと【あおいけあシリーズ第3回】

亀井野珈琲を後にして、あおいけあの運営している小規模多機能型居宅介護おたがいさんにも伺いました。

 

ガラリと扉を開けて入った瞬間から、ご利用者さんの活気のある声が聞こえてきます。

 

「ほらほら、音が鳴るね」

「何を見てるんだろうね」

 

ご利用者さんが4人ほど集まっているテーブルの片隅には、3歳くらいの子供も一緒に座っていました。キョトンとした顔でこちらを見ている彼女は、ここで働いている職員さんの子供です。

 

 

中を見渡すと子供と遊んでいるご利用者さんだけでなく、洗濯物を職員さんと畳んでいる方や、縫い物をしている方、テレビを見てくつろいでいる方など、よくありがちな手持無沙汰な様子の方は見当たりませんでした。

→続きは【介護仕事百景】にて

 

2018年

2月

18日

日常の美しい光景を

今年に入ってから、このようにありたいという11のチェックリストをつくり、1日の終わりに振り返り(戒め?)のために使っています。こう生きていきたいと願っても、人間は弱い生き物ですから、つい大切なことを忘れて過ごしてしまったり、自分に負けて怠けてしまったりします。だからこそ、自分の想いを文面としてリスト化しておいて、毎日の終わりに今日1日を振り返って、できたこと、できなかったことをチェックするのです。それを続けることで、日々意識するべきことが刷り込まれ、明日の行動につながり、いつしか習慣となり、自然と自らが生きたいように生きられるようになるのではと期待しています。

 

その11のチェックリストのひとつに、「日常の美しい光景を見つけましたか?」という項目があります。自分でつくったにもかかわらず、他の10の項目に比べて意外にも達成が難しい項目です。日常を生きている中で、たとえば美しい風景や物、絵画や音楽、言葉、人の優しさなど、美しい光景だと感じるものであれば何でも良いのですが、私の場合、意識をしていないと気づかずに通り過ぎてしまうことが多いようです。心の余裕がなければいけませんし、5感を研ぎ澄ませていないといけないということなのでしょう。

 

そこで常の美しい光景を見つけられるように、今流行りのInstagramを始めることにしました。日々の生活の中で何気なく美しいと感じた光景を写真や動画に収めておこうとすることで、そのような意識が生まれるのではないかという逆転の発想です。といっても、今日食べた料理を美味しそうに撮影するだけではなく(それも良いのですが)、もっと多様な美しさに気がつけたらと思います。さっそくInstagramのアカウント(shonancarecollege)を取得し、ケアカレのホームページにも載せることにしました。Instagramをお持ちの方がいたら、ぜひフォローしてください!

 

Instagramを始めてみて初日に思ったのは、そのときその場で写真に残しておくことは案外難しいということです。実はバレンタインデーの日に、手作りのチョコ(ガトーショコラ)をクラスメイトさんや先生方に渡している生徒さんがいて、そのホスピタリティと勇気は美しいと感じました。彼女はこの春に高校を卒業して、特別養護老人ホームで働き始めますが、間違いなく良い介護職員になると思いました。私もチョコをおすそ分けしていただいたのですが、美味しく食べただけで、写真を撮るのをさっそく忘れていました。あとから気がついても後の祭り。これからはその一瞬の時を逃すことなくシャッターを切りたいと思います。

 

 

えっ、チェックリストの残り10項目は何ですかって?すいません、とても恥ずかしくて教えられませんので、内緒にさせてください(笑)。

2018年

2月

13日

最初に隣に座った人と

卒業生さんたちに話を聞くと、研修初日にどこの席に座ったか、誰が隣であったか、誰が同じグループ(前後左右)にいたかを鮮明に覚えていて驚きます。介護職員初任者研修も実務者研修も同じです。それだけ初日は緊張して、どのような人たちがクラスにいるのか不安で、周りをよく観察しているからでしょう。そして、もうひとつ驚かされるのは、実は初日に隣や近くにいた人たちと仲良くなって、研修が終わったあとも良い関係が続いていることが多いという事実です。初日にたまたま座る場所が意外にも大切だということですね。

たしかに初日に近くに座ったことで、その後も同じような席に座って話す機会が多くなるという理由は考えられます。接触頻度が多ければ仲良くなる可能性は高くなりますし、そこで気が合う人であればなおさらです。とはいっても、初日に座った席にずっと座り続けるわけではありませんし、最初から最後まで固定されたメンバーで授業が行われるわけでもありません。

 

湘南ケアカレッジでは、たくさんのクラスメイトとグループワークをしたり、実技演習をしたりする機会を増やしたいと思っていますので、人間関係が偏らないよう、いつも同じ場所に座らないようにお願いをしています。初日から3日目ぐらいまで、「前回とは違う席に座ってください」と声掛けをしているのはそういうわけです。

 

また、実技演習が始まると、ランダムにグループ分けをしているので、毎回違ったメンバーと一緒に練習をすることになります。最初は違うメンバーに戸惑うかもしれませんが、良い人ばかりなので、自然と誰もが溶け込んでいけるはずです。こうして、最初は隣の人と、その次は前後左右、同じグループの人たちと同心円状に仲良くなり、最後はクラスメイト全員とつながって、輪が広がってゆくのが理想です。

 

それでも結局、初日に近くに座った人と特に仲良くなるのは不思議です。もしかすると、波長が合いそうな人たちが、初日から近くに座りやすいのではないかとさえ考えてしまいます。早く来て前の方に座りたい人はそのような人たちと波長が合い、目立たずに後ろの方に座りたいと思う人はそのような人たちと通じ合うものがあるのかもしれません。初日に近くに座ったから仲良くなるのか、仲良くなりそうな人たちが近くに座るのか、卵が先か鶏が先か分かりませんが、いずれにせよ初日にどこに座るかで人生が大きく変わってしまうこともあるということです。

 

 

さあ、3月からスタートする介護職員初任者研修や実務者研修の皆さまが、初日にどこに座って誰と出会うのか、今から楽しみです。

2018年

2月

09日

いい仕事だね

卒業生さんから介護福祉士合格の連絡をいただきました。正式な合格発表は3月末になりますが、自己採点をしてみた結果、90点近く取れていたので、おそらく合格しているはずとのこと。Wさんが湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修を受けてくれたのは、今からおよそ4年前でした。卒業してからも、たまに夜勤の休憩のときにメールをくれたり、教室に顔を出してくれたり、昨年は実務者研修にも来てくれて、彼とはかれこれ長い付き合いになりました。彼の介護福祉士合格が嬉しくないわけがありません。

 

もちろん彼だけではなく、ケアカレで介護職員初任者研修を受けた卒業生さんが介護福祉士になる一連の過程に関わることができて、本当に嬉しく思います。実は、介護職員初任者研修で彼と同じクラスであったAさんも、今年の介護福祉士の試験を一緒に受けたそうです。同じ時期に介護の仕事を始め、お互いに介護の現場で悪戦苦闘しながらも経験を積み、ほぼ同じタイミングで実務者研修を受け、介護福祉士合格を目指しました。Wさんからのメールにはこう書いてありました。

 

ケアカレ卒業して仕事見つけながらAさんと話してたのは、

3年後に一緒に介護福祉士取りに行こうと。

それが現実になりました。

オレはそれが一番嬉しいし不思議な感じで、

それも全てはスタートはケアカレなんだけど。

代表!いいねー いい仕事だよねー。

合否が出たら伺いますね笑。

先生達にもよろしく伝えて下さいね。

 

すでに介護の仕事を探していたときから、3年後には介護福祉士を取りに行こうと話し合っていて、その未来が現実となりました。その道のスタート地点は湘南ケアカレッジだったのです。こうして彼らの人生のひとときに関われたことを嬉しく思いますし、彼らの仕事(という人生において大切なもののひとつ)のきっかけとなり励みとなり教えとなれたことを誇りに感じます。そして、彼がそう言ってくれたように、いい仕事だなとつくづく思うのです。

 

 

私は湘南ケアカレッジで仕事を立ち上げる前にも、学生時代のアルバイトを含めて、いろいろな種類の仕事をしてきました。もちろん自分自身に合う合わないの問題もありますが、いろいろ経験してきた中でも、介護の学校の仕事は本当に良い仕事だなと思います。この仕事の素晴らしさをひと言で表現するのは難しいのですが、あえて言うとすれば、良い人たちの良い部分に関わることができるということでしょうか。介護の学校に来てくれる生徒さんたちは皆良い方ばかりですし、先生方もそれぞれが素晴らしい人間性の持ち主であり、施設や事業所の人々も温かい。良い人たちに囲まれてできる仕事が、いい仕事でないわけはありませんよね。いい仕事に巡り会えたことに心から感謝します。

2018年

2月

06日

トイレの神様

湘南ケアカレッジは生徒さんに教えてもらうこともあります。分からないこと、困っていること、心配なことを教えてもらい、少しでも良くしていこうと考えています。最初から分かっていれば良いのですが、まだまだ私たちにも至らない点があり、生徒さんたちから教えてもらうことで改善していけるのです。たとえば、申し込みをされた生徒さんに送っている写真付きの地図(湘南ケアカレッジまでの行き方)は、何回お伝えしても道に迷ってしまうご高齢の生徒さんのために作られたものでした。さらにさかのぼっていくと、ケアカレ恒例の誕生日祝いは、私が子どもの教育にたずさわっていたときに女の子の生徒さんに喜んでもらったことがきっかけです。

昨年12月からスタートした日曜日クラスの生徒さんからも、またひとつ教えてもらいました。介護職員初任者研修がスタートしてから3日目ぐらいに、Tさんは「ここ(湘南ケアカレッジ)は受講料が安いから、便座のシートがないの?」と唐突に聞いてきました。その2つの項目のつながりに??と私がなっていると、「便座が冷たいから、ヒューって縮こまってしまうのよ。私ら年寄りは心臓に悪いわ(笑)。便座シートでも貼るとだいぶ違うわよ」と言ってくれました。なるほど、ケアカレがそういうところをケチっているから、受講料が安いのかという嫌味だったのか、とようやく気づきました(笑)。

 

 

もちろんそんなことはなく、湘南ケアカレッジが開校して何度も冬を越してきて、便座が冷たいことも分かっていたつもりですが、共用部分ということもあり、便座シートを貼るという考えにも、行動にも至っていなかったのでした。実際にそう言われてみて、100円ショップで便座シートを買い、貼ってみた後では、なぜこれぐらいのことを今までしていなかったのだろうという感想しか浮かんできませんでした。おそらく私が男性ということもあり、体感として寒い季節に便座に座る冷たさが理解できていなかったのでしょう。翌週、便座シートを貼ってあるのに気づいたTさんは、「もう貼ってくれたのね!嬉しいわ。私も持ってきたから使って!」と言って、新しい便座シートをくださいました。

それだけで終わらないのがケアカレの良いところです。影山さんの提案もあって、個室の中に1台ずつ、トイレ用の小型のヒーターも設置することにしました。これで便座だけではなく、足もとから暖かくなってもらうことができますし、お手洗い全体も暖かくなります。本来はビルの管理者(会社)がすべきことですが、良かれと勝手にやってしまいました(笑)。さっそく生徒さんや先生方から、「暖かい!」、「トイレから出たくなくなっちゃう」との嬉しい反応をいただきました。

 

 

何から何まで実現できるわけではありませんが、こうして教えてもらうことで、気づき、良くなることもできるのです。生徒さんに教えてもらったことに感謝しつつ、言ってもらわなければ分からないこともあるのだと痛感した次第です。

2018年

2月

02日

素直に話を聞く正しい方法

私たちは小さな頃から「素直になりなさい」と教えられてきましたが、これ以上に難しいことはないのではないでしょうか。私にとってだけではなく、もしかすると皆さんにも当てはまるかもしれません。素直になることには様々な意味があり、たとえば自分の心に素直になることもあれば、人の話を素直に聞けることもあります。どちらも簡単なようで難しく、時には高度なレベルでの知的作業を要します。そしてどちらかと言うと、前者の自分の心に素直になることよりも、後者の人の話を素直に聞けることの方が、より難しいと私は思います。

 

なぜ人の話を素直に聞くことが難しいのでしょうか?自分のエゴが邪魔をしてしまうからでしょうか。何を言われたかではなく、誰に言われたか、どのような言い方をされたかが気になってしまい、つい感情的に受け入れられないからでしょうか。たしかに、そういう面もあると思います。

 

ただ、人の話を素直に聞くことが難しいのは、その話が正しい場合もあれば、間違っている場合もあるからです。その正誤の区別がつきにくいため、正しいことは素直に聞けて、間違っていることは素直に聞かない(受け入れない)の聞き分けが極めて難しいのです。

 

「○○さんの話は話半分に聞け」とアドバイスされたことはありませんか?○○さんは大げさに話をするから、あまり素直に受け止めなくてよいという意味だと思います。私はこの話半分という言葉を少し違って解釈しており、他人の話は正しいことが半分で間違っていることが半分あるぐらいの感覚で聞いたら良いのだと考えています。他人もそれぞれ自分の視点や立場で話をするため、正しいことを言っていることもあれば、間違っていることもある。そんな状況で、全てを素直に聞くことは難しいですし、もし間違っているのであれば素直に受け止めない方がよいはずです。

 

正しいことを言われた場合は素直に聞けば良いのですが、もし間違っている場合はどのように受け止めたら良いのでしょうか。無視をしたり、反論したり、胸の内にとどめておいたりするだけでは、あまり良い解決策にはなりません。そのような場合には、言われたことにそのまま反応するのをやめて、なぜ他人はそのような話をしたのかを他者の視点を借りて考えてみることです。

 

 

たとえば、分かりやすい例を挙げると、「人の話をちゃんと聞きなさい!」と注意されたとき、「聞いています!」とそのまま反応するのではなく、「なぜこの人は私がきちんと話を聞いていないと思ったのだろうか。そうか、突っ立っているだけで、メモも取っていないと見られているんだ。たしかにメモを取れば、記憶だけではなく記録にも残るし、あとから復習することもできる。次からはメモを取ってみよう」と考えるということです。

そのように考えることで、言われたこと自体は的外れであっても、その周辺の少しずれたところに実は新しい気づきがあったりします。正しいことはそのまま素直に受け入れ、間違っている指摘でも、ひと呼吸置いて、なぜ他人はそう思ったのか(言ったのか)を想像し、自分流に解釈しなおして正しく改善する。これが素直に話を聞くことの正しい方法なのです。

2018年

1月

30日

ケアカレに通って良かった

年が明けてからポストを開けると、卒業生さんからの年賀状やお手紙が届いていました。介護の仕事を続けてようやく3年目になったこと、修了証明書と一緒に届いたキーホルダーに感激したこと、介護の仕事が決まって介護福祉士を目指したいことなど、それぞれの卒業生さんたちが今どうしているかが伝わってきます。また、湘南ケアカレッジの教室に直接顔を出してくれる卒業生さんもいます。今の介護の仕事が楽しくて充実している報告であったり、町田を散歩しているついでに寄ってくれたり。久しぶりに見るお顔は、介護職員初任者研修に通っていた頃とはまた違ったそれになっていたように感じました。卒業した後もこうして思い出してもらえることは、私たちにとっての喜びであり、ご褒美なのかもしれません。

 

先日は、昨年の介護福祉士試験に合格した卒業生さんが、遅ればせながら報告に来てくれました。彼女は昨年1年の間に、湘南ケアカレッジで介護職員初任者研修を受け、その勢いで実務者研修を受け、さらに介護福祉士筆記試験対策講座で学んでくれました。それまでに3年近くの介護業務経験があったので、これだけの詰め込みが可能になったわけです。ランチを食べながら話をすると、「介護福祉士に合格したことで、少し自信がつきました」と彼女は嬉しそうな表情をしていました。「4月になると新卒が入ってくるので、上手く教えることができるか心配です」と心配しつつも、「今働いているところでもう少し頑張ってみたいと思います」と前向きな気持ちをポツポツと話してくれました。

 

そして、しばらくの沈黙のあと、

 

「村山さんに言われたように、書く文字も大きくなったんですよ。友だちにも、これ私が書いたの?って言われるぐらい」

 

と言ってくれたとき、心の底から良かったと私は思いました。というのも、私には彼女に対して後ろめたい気持ちがあったからです。

 

介護福祉士筆記試験対策講座において、ノートを提出してもらいチェックしていたところ、彼女の書く文字は読めるか読めないかギリギリの小ささで、それは彼女の自信のなさの表れなのではないかと私は考えました。そのような子どもたちをこれまでにたくさん見て来たからです。発想の転換として、文字を大きく書くことで少しずつ自信を回復していったケースもあり、思い切って「もう少し字を大きく書いた方が、気持ちも大きくなるよ」と彼女に提案してみたのです。その日を境にして、彼女はケアカレに来なくなってしまいました。

 

余計なことを言ってしまったなと私は反省しました。大人である彼女にとっては大きなお世話であり、文字の大きさについてとやかく言われる筋合いはないのです。もっと自信を持っていいんだよと思い伝えたことであっても、彼女を傷つけてしまったかもしれません。誰に対して、何をどのタイミングで、どのような言葉で伝えるかは本当に難しいことです。言わないと伝わらないこともあるし、言ってしまったかりに不愉快に思われてしまうこともあります。今回は失敗してしまったなと、ずっと心に引っ掛かっていただけに、1年越しに彼女の言葉を聞けて、胸のつかえが取れた気がしたのです。

 

彼女は大きく変わったのです。介護福祉士の試験に合格し、自信を持つことができたのです。そして、友だちに驚かれるぐらいに、書く文字も大きくなった。そして、「今日はケアカレに行かなきゃと思ったんですよね」と言って、こうしてケアカレにひとりで顔を出せるようになったのが、彼女が変わった何よりの証拠です。1年前の彼女であれば、ひとりでケアカレに挨拶に来るなんて考えられません。最後に「私、ケアカレに通って良かったと思っています」と打ち明けてくれたとき、私もこれからもっと頑張って、湘南ケアカレッジを良い学校にしていこうと思いました。

2018年

1月

26日

「どんぐりの家」

「家に眠っていたので持ってきました」と卒業生さんから手渡されたマンガです。表紙は見事に焼けており、いつ発行されたものだろうと裏を見てみると、今から21年前でした。半信半疑で読んでみると、これが四半世紀近く昔に書かれたとは思えない、知的障害のある子どもとその家族や社会を見事に描いた、素晴らしい作品でした。当時、障害という重いテーマを扱い、ここまで描き切ったマンガは少なかったはず。というのも、今よりも障害者に対する差別や偏見は大きく、しかも娯楽であるマンガにおいて障害について触れることはタブーでもあったはずだからです。そういった背景を想像するだけで、この作品に賭ける著者の想いがひしひしと伝わってきます。

 

主人公の圭子は生まれつき耳が聞こえず、知的障害があります。そのことに両親が気づくまでには、2年と3ヶ月の時間が必要でした。奇声を上げる、障子を破く、裸のまま隣家に上がり込む、モノを倒し、投げ、母親の髪の毛を引っ張る。タンスに自分の頭をぶつける、ティッシュペーパーをまき散らす。母親は圭子に昼夜問わず付きっきりになり、心身共に疲労困憊してしまいます。父親は仕事ばかりで圭子を避けるようになり、夫婦の間の会話もなくなってゆく。

 

 

なぜ私にだけこんな子が生まれたんだろう、できることならこの子の母親であることから逃げたいと圭子の母は思うようになっていました。そんなとき、圭子は発作を起こして高熱を出し、生死の境をさまよいます。それでも生きようとする圭子の姿を見て、両親ははじめて、生きてほしい、この子と一緒に生きたいと願ったのでした。

4歳になった圭子はろう学校に通うようになりました。そこで出会った清くんは、自閉傾向が強く、体調が悪いと、自分の髪の毛を抜く自傷行為をします。石ころを壁の上に並べる姿は周りの人たちには奇妙に映ります。そのような周りの目に清くんの家族は疲れ果て、「清くんを放さないで。遠くへやらないで!」という圭子の母の想いも届くことなく、清くんを施設に入れることを決意します。

 

 

帰り道、夕焼けの中、歩道橋の手すりの上にまたしても石ころを並べる清くんに、一緒に死のうかと語りかけようとしたそのとき、清くんは夕陽があまりにも美しいので、道端の石ころにもそれを見せようとしていたことを母親は理解するのでした。実は清くんは言葉には出せなくても、母親にも石にも、風にも、木にも、空にも話しかけていたのでした。

一つひとつのシーンが美しく、心を打つのは、障害者とその家族が主人公だからではありません。困難を乗り越えて少しずつ成長していく子どもたち、その子どもたちの成長を願いつつ、彼ら彼女らを映し鏡にして自らも成長を遂げる母や父、偏見を乗り越えて、障害を理解しながらも見守り続ける周りの人々。そのような人生の縮図が、圭子を通して描かれているのです。著者の山本おさむ氏は、あとがきにこう綴りました。

 

私には障害者の問題を世に訴えるという意識はない。逆にマンガを読んでいる間は、圭子ちゃんが障害を持っているということを忘れて欲しいと思っている。「オギャア」と、この世に生まれてきたひとりの人間としての圭子ちゃんを基本に置きたい。このことを前提にしないと、障害者問題も空回りしてしまうような気がする。

 

 

私たち健常者は、たまたまそうでなかっただけで、誰しもが障害を持って生まれたかもしれず、これから先の人生で障害を持つかもしれません。障害や病気の問題は、いつも他人ごとではなく自分ごとなのです。もし障害があっても自分らしく生きていける、つまり障害を持っていることを忘れることのできる社会であってほしいと願います。

2018年

1月

23日

教えてもらい方

「村山さん、どこの施設でも共通のことですが、業務の覚え方がいつも上手くいきません。必ずと言ってもいいほど、失敗します。自分が引っ込み思案の性格もあり、質問がタイミング良くできません。何か良い方法はありますか?」

 

 

グループホームに転職して、昨年末より仕事を始めた卒業生さんより、上の質問を受けました。Facebookのメッセージで簡単にお答えさせていただいたのですが、彼だけの課題ではないと感じ、この場を借りてもう少し詳しく皆さまにもお伝えしたいと思います。

 

彼の抱えている問題をひと言で言うと、教えてもらい方についてです。教え方ではなく、教えてもらい方。世の中には教え方に関する情報やノウハウは溢れていますが、教えてもらい方については皆無に近いのが実状です。なぜ教えてもらい方については誰も語らないのでしょうか?彼の言うとおり、新しい仕事を始めるにあたって、またはこれからさらに成長していくにあたって、上手に教えてもらうことは私たちにとって大切なことです。

 

実を言うと、私も教えてもらい下手でした。スポーツにおいても、勉強においても、仕事においても同じでした。無意味にプライドが高いところがあって、全くできておらず、何も知らないにもかかわらず、上段者に教えを乞い、適切に教えてもらうことが苦手だったのです。そのため、自己流になってしまい、基礎が定着しなかったばかりに上達しなかったスポーツは数知れず、勉強も仕事ももっと追求できたはずの可能性を失ってしまいました。そんな私が30を超えてやっとのことで身につけた“教えてもらい方”ですから、皆さんにとっては当たり前のことかもしれません。話半分で聞いてもらえたら幸いです。

 

拍子抜けするかもしれませんが、何よりも大切なことは、「教えてもらえますか?」と言うことです。これは簡単に言えるようでなかなか言えない、魔法の言葉です。魔法の言葉だからって1度しか使えないということではなく、どんな局面やタイミングにおいても使えますし、何度言ったってよいのです。別に新人しか使えない言葉ではなく、ベテランになっても使うべき言葉です。世の中は知らないことばかりなのですから。

 

「教えてもらえますか?」と言って、教えてもらう姿勢ができたら、次は教えてもらったことを自分なりに噛み砕きます。理解できたこととできなかったことに分け、理解できたことは「ここはこういうことですよね?」とイメージを共有し、理解できなかったことは「ここはどういう意味ですか?もう1度、教えてください」と再度教えてもらいます。そうすると、相手はもう少し違った方法や伝え方で教えてくれるはずです。

 

そこから先は、同じことの繰り返しです。もう1度聞いて、理解できたことは確認し、それでも理解できなかったことを再び聞く。ここで大事なのは、理解できたことを言葉にして再確認(イメージを共有)することです。自分では分かったつもりでも、実は相手の伝えたかったこととは違ったなんてこともあるからです。何度か繰り返していくと、最後には教える人と教えてもらう人の抱く完成イメージがほぼ一致するはずです。

 

 

そして最後に、「ありがとうございます」とひと言添えるのを忘れないようにしましょう。

2018年

1月

20日

厳しさの中に喜びがある

昨年末に実務者研修のクラスが軒並み終了したと思いきや、今年に入ってすぐ新年度のクラスがスタートしました。昨年は生徒さんたち全員が最高のパフォーマンスを発揮してくださり、無事に合格することができました。しっかりと練習して臨んでくださった生徒さんたち、そして熱意を持って丁寧に教えてくださった先生方に感謝します。特に実務者研修の生徒さんたちからは、「厳しさの中に、先生方の優しさや情熱が感じられ、今は達成感で一杯です」という声をたくさんいただきました。この絶妙なバランスが、湘南ケアカレッジの研修の大きな特徴なのだと改めて思います。厳しさと優しさ、真剣さと楽しさ、涙とユーモアなどなど。互いの存在があるからこそ、それぞれが一層引き立つのですね。

 

さらに介護職員初任者研修と実務者研修を比べると、初任者研修は楽しさや優しさ、実務者研修は厳しさや真剣さの比重が高いかもしれません。それぞれの研修の中に楽しさや真剣さ、優しさや厳しさが同居しているのですが、介護職員初任者研修は介護の楽しさや素晴らしさを知ってもらいたい、実務者研修はこれから介護福祉士になるべき人材を育てたいという想いを持って行っている以上、それぞれに比重の違いがあって当然ですね。もちろん、そこは湘南ケアカレッジですから、厳しさや真剣さの裏には介護や生徒さんたちに対する愛情があることを感じてもらえるはずです。褒めや認めをベースとした厳しさや真剣さということです。

 

これから介護の仕事を始める人たちにも、また介護福祉士になってプロフェッショナルとして現場を動かす人たちにも、厳しさを乗り越えてもらいたいと願います。介護の仕事に限らず、自分自身が力を身につけ、他人や社会に貢献できるようになるためには、さらに他者に対する貢献を通して自立していくためには、厳しさを避けて通ることはできません。その厳しさとは、対人関係における厳しさかもしれませんし、技術的(能力的)な厳しさかもしれません。体力的な厳しさもあれば、時間的な厳しさもあります。一気に厳しさを引き受けて階段を上がってゆく人もいれば、厳しさを小出しに味わって一歩ずつ成長する人もいます。いずれにしても、逃げても逃げても厳しさは追っかけてきますので、どんな形であれ、私たちは自分のためにも厳しさに向き合わなければいけません。

 

 

正直に言って、厳しさの真っ只中にいるときには、苦しいと感じるかもしれません。自分にできるようになるのだろうかと不安になるかもしれません。そうして厳しさに向き合って、真剣に取り組むことで初めて、ほんとうの喜びや楽しみを味わうことができる。厳しさの中に喜びや楽しみがある。そして、何よりも大切なことは、喜びや楽しみを見出したとき、一緒に喜んだり楽しんだり、褒めたり認めたりしてくれる人がいることです。私たちは生徒さんたちや卒業生さんたちにとってそのような存在でありたいですし、また介護の現場で働く人たちは、厳しさを乗り越えるだけではなく、一緒に働く仲間と喜びや楽しみを共有し、互いに褒めて認め合える人になってもらいたい。それは言葉で言うほど簡単ではなく、厳しさに負けなかった人にのみ与えられる特別な喜びなのだと思います。

2018年

1月

17日

見守られている安心【ALSOKあんしんケアサポートかたくりの里町田】

「インベスターZ」という中学生が株の売買を通じて、企業や社会を学んでいく漫画があります。主人公はある時、オリンピックのレスリング金メダリストが宣伝するお馴染みのALSOK警備システムのテレビCMを見て、さまざまなことに気がつきます。

 

何か異常が感知されたときには、すぐに駆け付けて対応してくれる迅速さ、網目のように張り巡らされた漏れのない高い警備性。その長年かけて作り上げてきた強みである地域ネットワークを活かし、介護の業界へも進出してきていることに目をつけ、今後の成長を確信し株の購入を決意するといった内容でした。

 

 

取材のタイミングとも重なり、湘南ケアカレッジの卒業生が2人も働いているという前情報もあり、どんな施設なのだろうかと期待が大きく膨らみました。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2018年

1月

14日

Fitbitに教えてもらったこと

今年に入ってから、Fitbitというリストバンドを付け始めました。歩数や心拍数から、カロリーの消費量、睡眠時間まで、スマートフォンのアプリと連動することで、全てを数字として把握できるようになっています。もともとは、自分の睡眠はどうなっているのだろうという単純な興味があり、あわよくば目覚めの良いタイミングで起こしてほしい(そのような機能はありませんでした)という希望がありました。さらに10年後の自分に感謝されるために、健康をプレゼントしたいと決めました。その第一歩として、実験的にFitbitを付けてみたのです。

結論から言うと、大きな気づきや変化がありました。たった10日間ほど装着してみただけで、自分の1日の運動量から食事や睡眠に至るまで、良いところも悪いところも明確になり、具体的にどこをどのように改善すべきか分かりました。現時点での気づきや変化は、以下のとおりです(*あくまでも個人的な感想です)。

 

・歩いて通勤すべし

→私は学校と自宅を2往復/日することがほとんどで、そのうちの1往復は自転車ではなく歩いて通勤(30分程度)しないと、1万歩/日に達しないことが多い。長い距離を速く歩くことで、アクティブな運動をすることができる。

 

・風呂から上がったらすぐに寝るべし

→体温が高くなった状態でそのまま就寝することにより、体温が下がるタイミングで深い眠りにつくことができる。Fitbitは、「目覚めた状態」、「レム睡眠」(介護職員初任者の授業で学びましたよね!)、「浅い睡眠」、「深い睡眠」の時間ごとにグラフとして教えてくれます。

 

・あまり長時間寝ても意味がない

→元旦明けに1日だけ、昼まで寝てみた(10時間程度)のですが、実際に寝ているとカウントされたのは5時間程度でしかありませんでした。良く寝たと思ったのは、単なる気持ちの問題だったみたいですね。眠りにつくまでの時間を考慮しても、6時間睡眠ぐらいで私は十分です。

 

・甘いものを食べるのをやめた

→これは思わぬ効用ですが、せっかく健康管理をしているのに、甘いものを食べては本末転倒だよねということでやめました。あれほど大好きだったコーヒーを飲みながらの甘味でしたが、食べないと決めたら、食べなくても何の問題も生じませんでした。あれはただの習慣の産物だったのですね。

 

おそらく上記の気づきや変化は、Fitbitを使って数字として把握しなければ、うすうすは分かっていたとしても、具体的な行動まで移すことができなかったはずです。運動をしなければいけない、健康管理をしなければなららないと心で思っているだけでは何も変わらないのですね。現状を客観的に把握してみることからしか、具体的な行動を起こし、未来を変えてゆくことはできないのでしょう。

 

 

自分では良かれと思っていても、私たちは普段いかに思い込みで行動していて、何気なく悪しき習慣を繰り返してしまっているのです。そんなことをこの年齢になって気づくとは…。今までどれだけぬるま湯に浸かって生きてきたのだろうと、我ながら情けなくなります。あらゆることを合理的で効率的に進めるのは息が詰まりますが、せっかくの人生ですからより良く生きることから逃げてはいけませんね。ここまで大きな学びを与えてくれたFitbitには感謝をしつつ、近いうちに外しても大丈夫な日が来ることを願います。

2018年

1月

11日

美味しいコーヒーを届けたい【介護仕事百景】

前回紹介した、菜根やで美味しい昼食を楽しんだ後は、2階にある亀井野珈琲(かめいのこーひー)を訪ねました。亀井野珈琲の売りは、店長の山口さんが淹れたハンドドリップコーヒーです。亀井野珈琲では毎日、コーヒーの淹れ方が変わります。山口さんの話によると、世界に約200種類あるコーヒー豆は、ワインのぶどうと同じで産地や生産された年によっても、味わいが異なります。さらに、コーヒー豆に不可欠な焙煎というコーヒー豆の煎り方によっても、味や香りは変化します。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2018年

1月

08日

その次に集まれる場所を

湘南ケアカレッジは「介護職員初任者研修」を入り口として、スキルアップ研修として「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」、ステップアップ研修として「実務者研修」、最後に介護福祉士になるための「介護福祉士筆記試験対策講座」を開講しています。介護・福祉のことを全く知らないままにケアカレに来て、気がつくとこれら4つのステップを見事に踏んで介護福祉士になる卒業生さんが増えてきています。彼ら彼女らに共通しているのは、介護に携わる者として知っておくべきことは知っておきたい、もっと学びたいという意欲、そして湘南ケアカレッジに通うのが楽しみという気持ちです。

介護福祉士まで取ってしまった(もしくは受けられる研修は全て終えてしまった)卒業生さんは決まってこう言います。「これで終わってしまうのは寂しい。もっと勉強する機会をつくってください」。そのような想いを抱いてくれたことはとても嬉しく、その反面、現時点では、もっと学びたいという彼ら彼女らの気持ちに応えられないのも実情です。この課題は昨年から私たちに突き付けられてきたものですが、振り返ってみると、忙しさにかまけて、さらなるスキルアップ研修や卒業生さんたちが気軽に集まって学べる場所を提供できませんでした。

 

昨年の反省を生かし、今年はもう1度、湘南ケアカレッジの理念でもある「世界観が変わる福祉教育を」という原点に立ち返り、もっと学びたいという気持ちがある卒業生さんたちが集まれる機会をつくっていきたいと思います。少しだけネタバレしておくと、視覚障害や知的障害のある方々のガイドヘルプをするための知識や技術を学ぶ「同行援護従事者養成研修」や「知的障害者ガイドヘルパー養成研修」、現場でたん吸引などを実際に行えるようになれる「喀痰吸引等研修」、夜の教室が空いている時間を使って、家族介護やボディメカニクス、チームワーク、おむつについてなど、細かいテーマごとに分けて学べる「ケアカレナイト」などを少しずつ実現していきたいと思います。

 

 

やはり私たち学校(先生方)と卒業生さんたちは、学ぶ機会や場所を通して、人間的につながっているのです。「いつでも遊びにきてくださいね」とは言われても、特に用事や相談もないのに顔を出すのも難しく、そうした機会さえあればと思う卒業生さんは多いはず。新しい研修やワークショップなどを行うことで、先生方にとっては教える機会が増え、ますます活躍していただけますし、卒業生さんたちにとっては現場での悩みを解決できたり、やる気ややりがいを再び思い出したり、これまでとは違った世界が見えてきたりと、充実して仕事に取り組んでもらえるのではないでしょうか。そして何よりも、先生方と卒業生さんたちがその次に集まれる場所が生まれるのです。

2018年

1月

05日

食べる楽しみをいつまでも【介護仕事百景】

「面白い施設があるよ」と卒業生さんに誘われて、映画「ケアニン」のモデルにもなった、藤沢にある介護施設あおいけあに行ってきました。あおいけあが運営する小規模多機能「おたがいさん」やグループホーム「結」、デイサービス「おとなりさん」。それらの建物のとなりに、「菜根や」はあります。

 

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2018年

1月

02日

毎日●●する

「1年の計は元旦にあり」と言いますが、どういう意味なのでしょうか。元旦に良いことがあれば、元旦さえ頑張ることができれば、その年は良い年になる。このように、元旦という1日に1年の全てが集約されており、だから元旦という日をどう過ごすか(何が起こるのか)が極めて重要になると解釈されているはずです。それは正しくもあり、間違ってもいます。元旦という特別な日が1年の全てを決めるわけではなく、たとえ元旦であっても毎日の中の1日であり、その平凡な1日をどのように過ごすかが、1年という長いスパンで見ると、大きな意味を生むということだと思います。なんて難しく書きましたが、この年齢になって、ようやく私も日々の習慣の重要性に気づいたということです。

 

今までは、たとえば年末年始やお盆休みのたっぷりある時間で、本を読みたい、映画も観たい、まとまったあの仕事を終わらせたい、友だちに手紙を書きたいなど、あれこれ終わらせようと意気込んでみるも、結局のところ、どれもが中途半端に終わってしまうことの繰り返しでした。同じことは1年の計画を立てる時にも当てはまって、今年は新しい習いごとを始めたい、スポーツジムに通いたい、○○の仕事に取り組みたい、△△の資格を取りたいなど、大きな目標を決めてみても、結局のところ、大したことができず形にならないことが少なくありませんでした。

 

大きな目標を立てたり、やりたいことを書き出したりすることぐらい、誰でもできることなのです。気持ちが高ぶっているときは、その日ぐらいは行動に移せることもあるかもしれませんが、たった1日ではできることは限られています。大きなことこそ、小さなことや時間をコツコツと地味に積み重ねていって、はじめて成し終えることができるのです。私たちにとって大切なことは、大きな目標を立てることだけではなく、それを毎日の24時間の中の具体的な行動として落とし込み、忠実に実行することなのです。

 

 

キーワードは毎日です。私たちが毎日することの中からこそ、私たちの未来が生まれるのです。毎日していないことの中から、将来何か大きなことが起こることは決してありません。毎日何をしているかが、私たちを形づくる。ほとんど目に見えないものだからこそ、誰にも(もしかすると自分にさえも)気づかれることなく、静かに、ときとして残酷に人生を決めてしまうのです。毎日●●するのです。そこに例外はなく、たとえ元旦であっても同じ。元旦だからしないではなく、元旦でもすることが毎日することです。そういう意味において、1年の計は元旦にあり、もし自分の未来を変えていきたいのに元旦に何もしなかったという方は、今日から毎日●●しましょう!

2017年

12月

30日

10年後の自分たちに感謝されるために

年の瀬が近づいてくると、その年を振り返ってみたり、来年やその先の将来に思いをはせてみる機会が増えます。湘南ケアカレッジは今年で5年目を迎え、いよいよその5年目が終わろうとしています。ひとつの節目と言えば節目であり、ここまで先生方や生徒さんたちのおかげで、思い描いていた理想的な学校を続けてくることができました。もちろん、100年続く学校を目指していますので、まだまだこれから先もケアカレは変わらずに続いていきます。

 

変わらずにい続けることは本当に難しくて、そのためには変わり続けなければいけません。そのようなことを眠れない夜に悶々と考えていると、ふと10年前に読んだ糸井重里さんの「10年後の自分たちに感謝されるために」という対談記事のことを思い出しました。その対談の中で、糸井さんは10年後の自分に感謝されることをしたいと語っていました。

 

糸井重里さんは、誰もが知る一級のコピーライターとして活躍していた時代がありました。順風満帆と思われていましたが、本人は広告やコピーライターとしての未来が明るいものには思えなくて、45歳のときに一端、仕事をすべてストップして、釣りばかりしていた時期がありました。その後、一念発起して、インターネット黎明期に「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げました。今や株式会社として上場するほどの、大きな影響力のあるホームページとなりました。

 

10年後の自分に感謝されることをする。それは口で言うほど簡単なことではありません。10年後の自分が10年前を振り返ってみて、あのとき10年前の自分が重い腰を上げて○○してくれたからこそ今の自分がいる、と思ってもらえるような何かを始めたいのです。そういえば、今から10年前を振り返ってみると、ちょうど前に務めていた大手の介護スクールを辞めて、自分で何かをやろうとしてもがき始めた頃でした。あのときのチャレンジは上手く行きませんでしたが、今から振り返ってみると、あのとき勇気を出して1歩を踏み出したからこそ、今の湘南ケアカレッジにつながったのでした。

 

それ以外に過去を振り返ってみても、何か大きな決意をして行ったことは10年、20年という歳月を経て、今の自分に大きく影響を与えています。今を生きると言えば聞こえは良いですが、実は過去の自分がつくった今しか生きられない、と言い換えることもできるのではないでしょうか。しかもそのスパンは思っている以上に長く、10年前の自分が今の自分をつくり、今の自分が10年後の自分を変えていくということになります。

 

10年後の自分に感謝されるためにすべきことは、もしかするとこれまでの延長線にはないのかもしれません。糸井さんがコピーライターを辞めてインターネット上にホームページを立ち上げたように、過去の経験や成功体験を一旦立ち切って新しく始める何かが10年後の自分を輝かせる。未来を創るとはそういうことなのかもしれません。10年後の自分たちに感謝されることをしよう、という強い決意を持って来年に臨みたいと思います。

2017年

12月

26日

「注文をまちがえる料理店」

「注文をまちがえる料理店」は、間違えることを受け入れて、間違えることを一緒に楽しむレストラン。2017年の夏、3日間だけオープンしたところ、大きな反響を呼び、300人近くの人々がこのお店を訪れました。そのコンセプトを受け継ぎ、日本全国各地で実施していこうという動きも出てきています。その3日間に起こった出来事を、ステキな写真を織り交ぜながら、余すところなく伝えているのが本書です。なぜ注文を間違えるのかですって?もちろんお分かりかと思いますが、スタッフ(ウエイターやウエイトレス)全員が認知症なのです。

 

宮沢賢治の「注文の多い料理店」に由来していると思われる、お店の名前がまず面白いことでインパクトがあります。たとえば生ける屍(しかばね)や小さな巨人、液体ガス、耳に痛い静けさなどの矛盾語と同じぐらい、「注文をまちがえる」ことと「料理店」は矛盾しているように思えるからです。それは私たちの、料理店においては注文を間違えてはいけないという無意識の抑圧が根深いことを示しています。間違えることは悪いことであり、特に接客業をする人が間違えてどうするのかとほとんどの人は考えるはずです。でも不思議なことに、このお店では注文を間違ってしまっても許され、むしろ間違わなかったことでガッカリするお客様もいるのだから不思議です。

 

認知症の人たちと共存し、共に生きることのできる社会をつくりたいというコンセプトは素晴らしいのですが、実行するとなったら大変です。そして、実行しながらも改善をしていかなければならないのだからなおさら。特に1日目、2日目、3日目と改善をかけ、認知症の方々に対する理解を深め、接し方を学びつつ、それぞれが成長していく内容は示唆に富んでいます。「注文をまちがえる料理店」の運営のレシピを、以下に引用させていただきます。

 

・料理店はオシャレに

・オイシイ料理をそろえる

・間違えることを目的にしない

・ホールスタッフの人選は福祉の専門家に任せる

・総入れ替え制、1コマ90分のゆったり設計がおススメ

・お客様との共同作業がグッド

・料理店の運営は、効率的すぎず、自由すぎない

・主役は当事者。当事者の姿が、世の中を変えていくと信じる

 

 

どうでしょう、彼らが3日間で得た気づきは、そのまま介護施設の運営のレシピとしても用いることができるのではないでしょうか。これこそが「注文をまちがえる料理店」や介護施設の運営の仕方であり、さらには超高齢社会の生き方なのだと思います。私たちは間違えないことばかりにとらわれてしまい、お互いに窮屈な世の中を生きています。人間だから忘れることもある、間違えてもいいというメッセージは、認知症の方々だけではなく、私たちをも幸せにするのではないでしょうか。そう、私たちは認知症の人たちをサポートしながら、何かを教えてもらうのです。認知症の方々の姿を鏡として見て、私たちが変わってゆくべきなのです。

2017年

12月

23日

ヴィラージュの一員として【ヴィラージュ虹ヶ丘】

新百合ヶ丘駅とあざみ野駅のどちらからもアクセスでき、様々な路線の乗り入れが多いエリア、川崎市麻生区。王禅寺という閑静な住宅街を抜け、大きなグラウンドの前にヴィラージュ虹ヶ丘はあります。1階の看護小規模多機能型居宅介護のフロアーでは、ご自宅での生活を中心に暮らしながら、ヴィラージュ虹ヶ丘ではショートステイと訪問介護・看護が利用できます。2階はご利用者さんの定員が29人という小規模かつ、川崎市在住の方に入居は限られた地域密着型の特別養護老人ホームとショートステイがあります。

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2017年

12月

19日

もっと大きな「目的意識」を

どのような仕事をするにしても、大きな「目的意識」を持つことは大事です。たとえ同じ仕事をしていても、働く人それぞれによって目的意識は様々です。そして、目的意識が違うと、仕事のクオリティも違ってくるばかりではなく、最後の到達地点(ゴール)も大きく違ってきます。自分は何のためにこの仕事をしているのかを常に自分に問うだけではなく、ひょっとすると小さくなっていきがちな「目的意識」を大きくしてゆく必要もあります。

 

「目的意識」についての有名なたとえとして、石きり職人の話があります。古代ギリシャの時代に3人の石きり職人がいました。毎日、炎天下の中、ひたすらに石を切り、同じだけの報酬を得ていました。ひとりの旅人が現れ、3人の石きり職人にこう尋ねました。「あなたは、何のために石を切っているのですか?」ひとり目の職人は、「お金をもらうためだ」、ふたり目は、「将来、腕の立つ職人になるためだ」、そして3人目は「これから何百年もの間、町の皆が訪れることになる立派な教会の土台をつくるためだ」と答えました。

 

どの石きり職人が仕事が良くでき、どの職人が将来的に幸せになったのかは分かりませんが、同じ仕事をするにしても、違う「目的意識」を持つことができるという話です。私の経験上、お金をもらうために自分の時間を切り売りしている仕事はつまらなく、自分のためだけに自らを磨くことも必要ですが長続きはしません。おそらく3人目の大きな「目的意識」を持っている状態が仕事を最も楽しく頑張れて、人にも感謝してもらえるのではないでしょうか。すべての働く人が、3人目の石きり職人のような「目的意識」を持って仕事ができる社会をつくることが理想ですね。

 

湘南ケアカレッジの理念は、「世界観が変わる福祉教育を」です。大げさに言うと、湘南ケアカレッジの研修を受ける前と受けた後では、生徒さんたちの見かたや考え方が変わってしまうほどの授業を提供したいということです。これは既存の介護スクールや資格取得のための研修に対するアンチテーゼでもあります。湘南ケアカレッジは、資格を売る学校ではなく、素晴らしい介護・福祉教育を提供することで評価され、存在しうる学校になりたいということです。もう少し平たく言うと、私たちは良い研修(授業の内容から生徒さんへのサポート、学校運営の方法など含む)を行うことに全力を尽くすということです。

 

 

湘南ケアカレッジが立ち上がって以来、「世界観が変わる福祉教育を」という理念の下、同じ目的意識を持って先生方と共にここまでやってきましたが、5年目を迎えた今、そろそろもっと大きな「目的意識」を抱いても良いのではないかと思うようになりました。

 

それはたとえば、湘南ケアカレッジの世界観が変わる福祉教育を通し、町田を中心とした神奈川の地域を住みやすく、安心して老い、幸せに生きることができるようにすること。先生方が「自分たちが介護を必要になったときには、ケアカレの生徒さんに介護をしてもらいたい」と言うところにもヒントがありますね。自分を将来、介護してくれるかもしれない生徒さんを育てるつもりで教える。そうすることで、私たち湘南ケアカレッジは周りの社会を良くすることに少なからず貢献することができるはずです。

2017年

12月

15日

クリスマスカード

卒業生さんからクリスマスカードが届きました(Nさん、ありがとうございます!)。介護職員初任者研修の授業がとても楽しかったこと。学生時代にこれだけ熱心に学んでいたら、もっと違う人生になっていたかもしれないこと。その分、これから頑張ろうと思っていること。修了証明書をドヤ顔で現場の責任者に見せたら、「契約内容を変えて、利用者さんと触れ合ってゆく仕事にしましょう」と認められたことなど。新しい一歩を踏み出していることが伝わってきました。こうした思いもかけないプレゼントをいただくと、何とも救われた気持ちになります。そのままでいい、と背中をそっと押されたような気がして、少し安心するのです。

湘南ケアカレッジは良い学校だと思います(自分で言うのもなんですが)。先生方と一緒に、私たちにしかできない学校をつくってきたつもりです。実際に、日本中を探しても、ここまでの熱量で生徒さんたちに向き合う学校は少ないはず。生徒さんひとり一人に真剣に向き合うほど、生徒さんたちから返ってくるものも大きいことも学びました。「世界観が変わる福祉教育を」という理念のもと、私たちが提供してきた介護・福祉教育を通して、目に見えない縁やこころの輪が地域に広がってきているのを感じます。

 

それでも、自分たちの行っていることが正しいのか分からなくなることがあります。ただの自己満足で終っているのではないか、私たちの伝えたいことは生徒さんに本当に伝わっているのか、その決断や判断は本当に正しいのか、私たちは本当の意味で生徒さんたちひとり一人に向き合っているのか。ふとしたことがきっかけとなり、分からなくなり、不安に思い、悩み、自信がなくなります。それまでは輝いて見えた未来の雲行きがあやしく見えてきます。そのような心の状況を救ってくれるのは、やはり先生方や生徒さんたちなのです。

 

先日行われた実務者研修にて、課題を忘れてきた生徒さんと時間に間に合わなかった生徒さんがいました。すったもんだした挙句、小野寺先生の判断と行動は素晴らしいのひと言でした。彼らに対して、課題を忘れたことや時間に間に合わなかったことがどれだけ良くないことかを真剣に伝え、その上で今まで以上に頑張って取り組むことで失敗を取り戻してもらいたいと、期待を込めて話してくれました。彼らはこれまで以上に真剣に授業に参加してくれて、何とか合格してくれたのです。「彼らはこれまでの人生で真剣に言ってもらえたことがなかったのかもしれない。素晴らしい力を持っているのだから、周りの人たちが引き出してあげないともったいない」という小野寺先生の言葉は胸に響きました。

 

 

私も関わる人たちに真剣に向き合っていきたいと思いました。もちろん自分自身にも。「いいやいいや」、「まあまあ」と適当に流してしまうのは楽ですし、杓子定規にダメ出しをしてあきらめるのは簡単です。周りを見ると、人の悪口を言って、環境のせいにして言い訳ばかり、自分にも他人にも甘い大人の何と多いことか。私はそういう大人にはなりたくありません。何かを大きく変えるのではなく、これまでと同じように、そしてもっと真剣に人と向き合うべき。生徒さんと先生方にそう教えてもらったのです。

2017年

12月

10日

誕生日プレゼント

今年度の全身性障害者ガイドヘルパー養成研修が終了しました。桜が咲き誇る春から始まり、紅葉が美しい秋冬で終ることができるのは、外に出て行って楽しむガイドヘルプの研修ならではの季節感ですね。全5回行われた今年も、生徒さんたちは真剣に研修に取り組んでいただき、安全に戻ってきてくださって、ありがたく思っています。また、それを見守って、サポートしてくださった先生方にも感謝します。来年もまた、介護職員初任者研修のステップアップのひとつとして、たくさんの方々に受けてもらえる研修にしていきたいです。

そういえば、今年最後の全身性障害者ガイドヘルパー養成研修に相応しく、そしてケアカレらしく、授業の最後には誕生日祝いを全員でさせていただきました!今回誕生日祝いをしたのは、何と小学校6年生の男の子でした。男の子なんて書くと失礼かもしれませんが、小学校6年生の男性というのも変な気がするのでご容赦ください。彼は今年、湘南ケアカレッジで介護職員初任者研修を修了し、その勢いで全身性障害者ガイドヘルパー養成研修も申し込んでくれたのだと思っていました。

 

ところが、そうではなかったのです。お申し込みのお電話をお母さまからいただいた際、12月のクラスがちょうど満席になってしまっていました。「来年度も4月から開催する予定なので、それまで待ってもらってはいかがでしょうか?」と提案したところ、お母さまは「うーん困った。実は…、この研修を受けることは彼の誕生日プレゼントなんですよね」と打ち明けてくれました。彼の誕生日を確認してみると、たしかに全身性障害者ガイドヘルパー養成研修の3日後でした。

 

小学校6年生の男の子にとっての誕生日プレゼントとして、ニンテンドーSWICHでもなくゼルダの伝説でもなく、全身性障害者ガイドヘルパー養成研修を贈るなんて話は聞いたことがありませんので、私はぶったまげました。そこまで言われてしまったら、後には引くことができませんよね。何とか彼に全身性障害者ガイドヘルパー養成研修を受けてもらおうと、私は頭を振り絞りました。キャンセル者は出そうにもありませんので、ひとつできることとすれば、クラスの定員枠を広げることでした。東京都に変更の申請を提出し、何とかあと2名の枠を広げることができたのです!

 

 

当日、彼は早起きして研修に参加してくれ、他の生徒さんたちとペアになって練習し、町田や相模大野の街に車いすで繰り出し、何かを感じて、学んでくれたはずです。自分の親よりも年齢の離れた、初対面の他の生徒さんたちと外出し、どのような話をしたのでしょうか。彼の目には何が映ったのでしょうか。全身性障害者ガイドヘルパー養成研修における経験は、ご両親からだけではなく、湘南ケアカレッジからの誕生日プレゼントになったはずです。

 

卒業生さんからお勧めされたハイスタの曲「GIFT」です。そういえば、看護師の藤田先生もハイスタ好きでしたね。

2017年

12月

05日

学ぶことで生まれ変わった

卒業生さんが教室に顔を出してくださいました。彼が遊びに来てくださるのは久しぶりで、ガイドヘルパーの仕事が町田で終ったあとに寄ってくれました。最近はほとんど休みなく、仕事を頑張っているとのこと。およそ3年前に彼が介護職員初任者研修を受けてくれたときのことを知っているだけに、「今こうして介護の仕事をできているのは、ケアカレの先生方のおかげです」と言ってくれる彼の生まれ変わった姿を見て、素直に嬉しく思いました。学ぶことや知ることで、人は変わることができるのだと実感します。

彼は介護職員初任者研修を受けることないままデイサービスで働き始め、認知症の利用者さんに苦しめられたそうです。今はなぜ認知症の利用者さんがそのような言動をするのか理解できるようになったのですが、当時は認知症の利用者さんのことが全く分からず、気が狂いそうになって、怒鳴り合いの大げんかをしたこともあったそうです。今となっては笑い話ですが、当時は利用者さんに手を出してしまう、虐待の一歩手前の状態だったと言います。このままだと自分がおかしくなってしまう、利用者さんを傷つけてしまうと思い、もう介護の仕事は辞めようと思っていたところ、会社のすすめで湘南ケアカレッジに来ることになりました。

 

マイナスのモチベーションの中、介護職員初任者研修がスタートしました。そんな彼に転機が訪れたのは4日目の授業の中で、小野寺先生が認知症の利用者さんがクレヨンを食べる話をしてくれたときのことでした。その話を聞いたとき、彼の中で「そうだったのか!」と認知症の方のことがはっきりと分かり、これまでとは認知症の方が全く違って見えてくるようになったのです。そこから先の彼は、まるで人が変わったかのように積極的に学び、クラスメイトたちと一緒に楽しく修了することができました。今となっては、認知症の利用者さんが大好きで、一緒にいると楽しいと彼は言い切ります。

 

 

「認知症についての知識がない人が、認知症の利用者さんと向き合う中で精神的に病んでしまい、つい感情的になって手を出したり、(あの事件のように)虐待を行ってしまう気持ちが分かるような気がします。知らないって怖いことです」とかつての自分を振り返りながらも彼は、「ケアカレの先生方はすごいです。介護の仕事は楽しいということをずっと伝え続けているのだから。現場を知っていると、それってなかなか難しいことだと分かります」とも付け加えてくれました。彼が右往左往しながらも頑張って介護の仕事をやり続けてくれているからこそ、私たちはこれからも介護の仕事の素晴らしさを伝え続けていけるのですし、彼が生まれ変って楽しく生きてくれていることを何よりも嬉しく思います。

2017年

12月

01日

良きリーダー、良きフォロワー

暑い夏に始まった介護職員初任者研修の日曜日クラスが、めっきり寒くなってから無事に修了しました。日曜日クラスは週1日だけのスクーリングで、ゆっくりと時間をかけて学んでいただくことになります。その分、短期集中クラスと比べると、クラスメイトさんたちの仲も少しずつ深まってゆくようで、今回のクラスもまさにそのように仲良くなっていった印象を受けました。最終日には、打ち上げが開催され、私も顔を出してきました。私たちにとって、卒業生さんたちが研修後もつながっていてくれる以上の喜びはありません。細くてもいいので、ぜひ長くつながって行ってもらいたいと願います。

実技テストが終わった日、「お花見をしようと思っているのですが、先生方はいかがですか?」とお誘いいただきました。学校としての事情があり、先生方は飲み会等には参加できないのですが、まずは誘っていただいたこと、さらにそのような会を企画してくださっていることをありがたく思いました。「最終日に打ち上げをしたらどうですか?」と話すと、さっそく他の男性のリーダーに声を掛けてくださり、実現する運びとなりました。

 

また、研修の最後にいただいたメッセージボードも、ボードやカードの準備から飾りつけまで、たくさんのクラスメイトさんたちが協力してつくってくださったそうです。誰かが勇気を持って声を上げるだけではなく、それに共感して支えるフォロワーが出てこなければ実現しません。打ち上げの最後に、ひとり一人のお名前を挙げて、感謝の言葉を述べられていたことが印象的でした。

 

介護の学校を運営するという仕事をさせていただき、また介護の施設や事業所について見たり、聞いたりするにつけ、誰かが勇気を持って立ち上がり、どのようなビジョンや理念を持って実行するかは非常に重要だという思いを強めるようになりました。たとえば、同じ特別養護老人ホームであっても、(大げさではなく)ひとつとして同じ施設はなく、良い意味においても悪い意味においても、内容は全く異なるのです。器が同じであるのに、なぜこんなにも中身が違ってくるのか不思議に思うほど。最初に決めた方向性や日々の仕事の角度がほんのわずかでも違うだけで、長い目で見れば、それは大きな差として未来を形づくってしまうものです。

 

 

さらに言うと、正しいビジョンや理念を持って立ち上がることだけではなく、それに共感して仲間に加わってくれるサポーターの存在は非常に重要です。誰かひとりで何かが実現するわけではなく、実はサポーターがいるからこそ形になるのです。湘南ケアカレッジという学校は私が始めたかもしれませんが、これだけ素晴らしい形になったのは先生方がサポートしてくれたからです。また、ひとつの授業を取ってみても、メインの先生方が理想的な授業をするだけではなく、サポートの先生方がしっかりとフォローしてくれるからこそ素晴らしい授業になるのです。私たちはときにはリーダーとして、そしてときにはフォロワーとしての役割を全うすることで、より良い世界を実現できるのだと思います。ケアカレの卒業生さんたちは、介護の現場やその他の場所でも、良きリーダーであり、良きフォロワーでもあってもらいたいです。

2017年

11月

27日

ヴィラージュの一員として【ヴィラージュ虹ヶ丘】

新百合ヶ丘駅とあざみ野駅のどちらからもアクセスでき、様々な路線の乗り入れが多いエリア、川崎市麻生区。王禅寺という閑静な住宅街を抜け、大きなグラウンドの前にヴィラージュ虹ヶ丘はあります。1階の看護小規模多機能型居宅介護のフロアーでは、ご自宅での生活を中心に暮らしながら、ヴィラージュ虹ヶ丘ではショートステイと訪問介護・看護が利用できます。2階はご利用者さんの定員が29人という小規模かつ、川崎市在住の方に入居は限られた地域密着型の特別養護老人ホームとショートステイがあります。

 

続きは→介護仕事百景にて

2017年

11月

24日

それぞれの伝え方で

介護福祉士筆記試験対策講座がスタートしています。全5回のうち、先発の授業はいつもながらの安定の佐々木先生です。2番手は今回から藤田先生に担当してもらうことになりました。そして、ここから先もケアカレの個性的な先生方のラインナップが目白押し。介護福祉士筆記試験対策講座は合格してもらうことがゴールですが、その過程として、楽しんで受けてもらえるような授業を提供しつつ、しっかりと学んでもらえるように宿題等をサポートしていくことも重要です。先生方の授業に賭ける意気込みには凄いものがあり、それぞれが自分らしい方法で、生徒さんたちにメッセージを贈ろうとしているのが伝わってきます。

そのひとつとして、佐々木先生が生徒さんひとり一人のスコアカードに手書きのアドバイスを書いてくれましたので紹介させてください。今年は介護福祉士筆記試験対策講座を受講する生徒さんが多く、授業の中だけではひとり一人を見られないからこその工夫なのかもしれません。「介護の基本」、「コミュニケーション技術」、「人間関係とコミュニケーション」という科目ごとに点数を見て、良くできているところ、あと一歩なところ、もう1度おさらいが必要なところについてコメントしてくれています。全体的には、合格祝賀会で会いましょう!というポジティブな内容になっており、受け取った生徒さんたちからも、「あまり良く出来ていなかったのに、優しい言葉をいただきました」という声が上っていました。

 

スコアカードを記入してもらう目的は、私たちが生徒さんたちの学習状況を把握するためです。最初のミニテスト(確認テスト)の点数は、どれぐらい予習をしてきているか、最後の総合問題の点数は、その日の授業の理解度を示してくれます。初日から2日目、3日目と次第にやる気が出て、点数が上ってくる生徒さんもいますし、現状維持が続く生徒さんもいます。また、ミニテストは出来ていても、総合問題のような本番と同じ形式の問題になると途端に正解ができなくなる生徒さんもいます。個人的には、総合問題の点数が合否に直結すると考えていますので、その数字があまりにも上がってこない生徒さんには声掛けをしていきたいと思います。たまたま正解してしまう場合もありますが、基本的には点数は正直ですから、数字というのは学習状況の把握に最も適しているのです。

 

 

本来は上のような目的で準備したスコアカードを、生徒さんへのメッセージカードに変えてしまう佐々木先生の発想は素晴らしいですね。これが生徒さんたちひとり一人を見るという気持ちの表れであり、私たちはその視点を忘れてはならないのです。それは教育の原点であり、これを失ってしまえば教育は単なる知識の切り売り、下手をすると思想の押しつけやプロパガンダになってしまいます。手書きのメッセージを書くことが良いという意味ではなく、それぞれの先生方にやり方や伝え方はありますが、いつどのような状況でも、湘南ケアカレッジは生徒さんひとり一人のことを見て、考えて、行動していきたいと思います。

2017年

11月

20日

良いところ探し

人生は良いところ探しの旅です。なんて言うと、きれいごとだとか、そうは言ってもねえと遠い目で見られるかもしれませんが、結局のところ、自分が周りの環境をどう見るかで人生は決まるのだと思います。同じ物ごとを見ても、良いところが映る人もいれば、悪いところばかりが目に入る人もいます。何も見えないという人もいるかもしれません。そして、私たちは残念なことに、意識しなければ、物ごとの(特に他人の)悪い面ばかりに意識が向かってしまうものです(たぶん自分の身を守るためにそのように設計されているのでしょう)。悪いところは簡単に挙げ連ねることはできても、良いところを見つけるのは案外難しいもの。だからこそ、私たちは良いところを探すように心がけ、そのような仕組みや習慣をつくっていく必要があるのです。

 

なぜ周りの環境や人々の良いところを探すべきか?それは自分が幸せに生きるためです。これだけではあまりにも過程をすっ飛ばし過ぎていますので、もう少し詳しく説明すると、同じ物ごとを見て悪い点ばかりが多く目に入ってしまう人は、常に他者を心の中で責め、ときには相手に直接ネガティブな言動を取ることもあるはずです。私自身もそのような気持ちになることもありますので良く分かりますが、この見方が習慣になってしまうと心苦しいはずです。悪いところを探すことに時間を取られ、さらに心の中で悶々とし、相手を直接的に責めてしまった場合には反省をするという繰り返しです。

 

本人も苦しいのですが、周りの人たちも悪い点がクローズアップされますので居心地が悪くなります。さらに相手が自分の悪いところを探していると感じた人は、反射的に相手の悪いところを探そうとします。身近にいる人であればあるほど、その苦しさにお互いが耐えかねて、良い関係を長く続けることができなくなってしまいます。当然のことながらその逆も然りで、相手の良い点を探すことができれば、相手も自分の良い点を見てくれるようになるのです。世界の悪いところばかりが見えて、自分も悪くみられる人生よりも、世界の良いところが多く見えて、自分良く見てもれる人生の方が幸せですよね。

 

 

「心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる」という名言がありますが、大げさに言うと、自分の運命を決めるのは自分の周りの物ごと(特に他人)に対する見方なのです。世界や他者の良いところを探せば、必ずや自分も良い運命を変えることができるはずです。

2017年

11月

17日

夢のような暮らし【夢別邸すみれが丘】

有料老人ホーム「夢別邸すみれが丘」の施設名には、ふたつの由来があります。ひとつは、お客さまが本邸である自宅から移りすんでも良いと思えるくらい夢のような場所にしたい。もうひとつは、働く職員さんにとっても夢が持てる場所にしたい。

 

「職員一人ひとりが幸せで、やりがいと、夢を持てる施設を目指します」と、経営理念にもしっかりと職員さんの未来が描かれています。お客さまにも、職員さんにも、夢のある場所が夢別邸すみれが丘です。

 

「本音で話してもらうのが大事ですね」と施設長の根塚さんは語ります。エントランスでインタビューをさせていただいている間も、常にエレベーターを乗り降りする人を気にかけ、あれこれ質問する私にも、丁寧に答えて下さったことが印象的でした。

 

「お客さまの声を一番知っているのは職員さんです。だからうち(夢別邸すみれが丘)はトップダウンではなく、職員さんからの意見をより尊重できるボトムアップを選んでいます」

 

 

できる限り本音で話してもらえるように、つい声をかけたくなる親しみやすさが感じられます。職員さんの表情も見逃さず、自ら進んで声をかけてみるそうです。

 

続きは→「介護仕事百景」にて

2017年

11月

14日

学ぶことで好きになってゆく

81期生が無事に終了しました。今回のクラスは人数こそ少なかったものの、様々な年齢や性別の人たちが集まり、同じ目標を持って共に学んでくれました。特にこれから介護の仕事をする若い世代の生徒さんも目立ち、それぞれに高い志を持って受講してくれたおかげで、実技テストの得点も総じて高かったのが印象に残っています。私が彼ら彼女らの年齢だった頃のことを思い出してみると、実に幼く、自分のことしか考えていなかったことを恥ずかしく思います。彼ら彼女らが介護・福祉に興味を持ってくれていることが嬉しく、湘南ケアカレッジに来て学んでくれたことで、この世界を好きになってくれたら幸いです。研修の最後に、とても綺麗にデコレーションされたメッセージボードをいただきました!

 

今だから話せますが、私は自分の好きなこと(趣味)以外にはこれといってやりたいことのない、特に仕事に関しては全くと言ってよいほどモチベーションの低い若者でした。自分の好きなことでは稼ぐことができないと分かってから、いわゆる就職活動を始めたものの、履歴書に志望動機を書くことすら難しく、面接で思ってもいないやりたいことを話すのも苦痛に感じてしまうほどのダメ就活生でした。結局、まともな就職活動もせず、最後の最後に駆け込んだ教育産業(塾)で働くことになりました。とはいえ、仕事に対するモチベーションはなく、上司が常駐していないのをいいことに、本を読んでばかりの毎日を過ごしていました。

 

その仕事は1年で退職し、2年間の引きこもり生活を送りました。そろそろ働かざるを得なくなり、縁あって大手の介護スクールへ入社しました。そこは並みのブラック企業も黙るブラック企業でした(笑)。契約社員だった1年目はまだましでしたが、正社員になってからは1ヶ月に500時間も働きました。大げさに書いていると思わるかもしれませんが、本当です。誰もいないオフィスに朝8時に出社して、お昼休憩などもちろんなく(昼食は5分で済ませます)、24時20分の終電に飛び乗って帰るという日々。休みという休みはほとんどなく、極度のプレッシャーと睡眠不足にひたすら耐えた3年間でした。

 

 

不思議なことに、苦しくてたまらなかったはずのその仕事から、私は本質的な何かを学び、介護・福祉の世界を少しずつ好きになっていったのでした。私の大好きな写真家であり冒険家でもある星野道夫さんは、「どんどん好きになってゆくプロセスだと。それが、勉強をしていくことだと思う」と語りました。つまり、好き嫌いは最初からあるものではなく、学ぶことを通して好きになるのだと思います。好きなことを仕事にした方が良いとか、逆に好きなことは趣味にとどめておくべきとか、そういうことではなく、仕事における好きとは、勉強をして何かを学ぶことで、そうなってゆくものなのです。

卒業生のお母さまでもある卒業生さんから素敵な観葉植物をいただきました。教室の目立つところに大切に飾らせていただきますね。ありがとうございました。

2017年

11月

08日

先生方へのメッセージボード

先日、第9回目の講師会が行われました。年に2回の開催ですので、湘南ケアカレッジはもうすぐ6年目を迎えようとしているということですね。いつものとおり、今年の上半期の振り返りから、下半期や来年度への展望、そして教え方研修とボーナス支給式という流れでした。ほぼ全員の先生方が集まってくださるため、情報伝達という場に適していることは確かですが、それよりも先生方に感謝をできたり、労えたり、気持ちを新たにできたり、一堂に会して食事をしながら話をして互いに刺激を受け合えたりすることを願いながら、いつも講師会を行っています。今回の目玉は、先生方にもメッセージボードを贈ったことでした。

 

このメッセージボードは、今までに生徒さんたちに書いてもらった先生方への声の一部を抜粋して作らせてもらいました。4年半の間に、介護職員初任者研修は81クラス、実務者研修は21クラスを行ってきました。アンケートの中で、ひとり一人の生徒さんたちが、先生方ひとり一人に対して、授業を受けた感想や気持ちを書いてくださいました。毎回、研修が終わるたびに、先生方はその声を読ませていただき、一喜一憂します(笑)。さすがにずっと教室に置いておくわけにはいかず、事務所に保管をしてきたのですが、段ボールが山のように積み上がってしましました。そこで、これを再利用つくり直して先生方にプレゼントしようと思いついたのです。

 

これまで介護職員初任者研修や実務者研修の卒業生さんたちから、たくさんの色紙やメッセージボードをいただきました。教室や事務所に大切に飾らせてもらい、先生方もたまに見て楽しんだりしていますが、湘南ケアカレッジの所有のものであって、先生方個人のものはありませんでした。素晴らしい研修をつくってくださっているのは先生方なので、先生方ひとり一人にお渡ししたいと私は思っていました。坂本さんがこれまでの膨大なアンケートの中から先生方への熱いメッセージを厳選し、木の葉っぱのようにデザインし直して、ようやくひとつの作品になったのです。

 

 

先生方にとって、生徒さんたちからの声やメッセージは宝物です。それは授業への満足度の表れであり、人となりへの称賛でもあります(もちろん改善すべき点を教えてくれることもあります)。湘南ケアカレッジが開校してから、4年半にわたって、どの先生も全力で突っ走ってきてくださいましたが、それができたのも生徒さんたちからの暖かい声援があったおかげです。私たちは授業の中では生徒さんたちを支えているつもりですが、実は生徒さんたちに支えられてここまでやって来られたのです。2000名以上の生徒さんたちの熱い気持ちが凝縮されたこのメッセージボードを、先生方がご自宅のどこかに飾ってくださると嬉しいなと思います。

2017年

11月

02日

結果を決めて、努力で帳尻

実務者研修の火曜日クラスが、ハロウィンの日に修了しました。修了おめでとうという意味を込め、「ハッピーハロウィン!」と声を掛けながら、3名の先生方から教室の出口のところでお菓子をプレゼントさせていただきました。当日に仮装のコスチュームを決めるという突発的なイベントにもかかわらず、快く引き受けてくださった先生方と、ひとり一人の生徒さんのためにお菓子を詰めてくれた坂本さんに感謝します。ちょっとしたことでも、自分たちが楽しんでできるかどうかは大切ですね。その楽しさや前向きさは生徒さんたちにも伝わるはずです。修了の喜びと共に、生徒さんたちは皆笑顔で帰っていかれました。

 

医療的ケアの授業では、最後に先生方ひとり一人から、生徒さんたちにメッセージを伝えて締めくくります。今回は藤田先生が話してくれたことが最も印象に残りましたので、介護や福祉とはあまり関係ないかもしれませんが、共有させていただきます。

 

藤田先生が尊敬するひとりに、「COMINKOBE」という日本最大級の無料チャリティーミュージックフェスを開催している松原裕さんという方がいます。神戸大震災をきっかけとして、募金をしてもらって寄付をするためのチャリティーコンサートではなく、皆で集まって楽しむ場所やイベントをつくりたいということで、アーティストも無料で参加し、チケットも無料というフェスを毎年行ってきました。フェスの中で救命救急などのイベントも行われているそうです。

 

その松原さんの座右の銘である、「結果を決めて、努力で帳尻合わせ」を藤田先生は紹介してくれました。まずは自分がこうなりたいという結果を決めて、そのあとから行動したり学んだりと努力していくことで、理想と現実のギャップを埋めていくということです。同じような考え方として、「思考は現実化する」や「思うは招く」などを思い出しました。私も心からこの考え方に共感します。何よりも大切なことは、結果を決めることなのです。結果は私たちが思った(決めた)ようにしかなりませんし、私たちは自分が思った(決めた)ようにしか生きられない、もしくは思った(決めた)ように生きられるのです。

 

なぜ結果を決める(思う)ことが難しいのでしょうか。それは植松努さんが話しているように、「どうせ無理」と自分で思い込んでしまうからです。結果を決めてしまうと努力しなければならなくなるから、どうせ無理だと思い込みたいという心理もありますし、周りの人たちから「どうせ無理」と言われ続けてきたからかもしれません。

 

 

最初は大きなことでなくてもいいのです。たとえばハロウィンのイベントをしたいと思ったら、良い結果を決めて、お菓子のプレゼントをつくったり、コスチュームを考えたり、人にお願いをしたりして協力を募ったりします。自分が協力する側に立ったときには、文句を言って足を引っ張るのではなく、「だったらこうしてみたら」とアドバイスしてみたり、積極的に楽しんで参加する。たったそれだけのことから始めることで、自分や人々の可能性を奪わない、それぞれが願うように生きられる良い社会が来るのです。

植松努さんの「思うは招く」のプレゼンは必見です。

2017年

10月

30日

人生の彩り

かつて私が大手の介護スクールで働いていたときにお世話になった、S先生から久しぶりに電話がありました。お世話になったなんていう言葉では足りないと思えるほど、目をかけてくださり、仕事の面でもプライベートな面でも助けていただき、いろいろなことを教えてもらった恩人であり、もうひとりの母親のような存在です。少し大げさかもしれませんが、彼女がいなければ、私はここにいなかったかもしれません。あれから20年の歳月が流れ、私はそのスクールを辞めたのちに、子どもの教育にたずさわり、今、湘南ケアカレッジにいます。S先生と話していると、あの頃の苦労がまるで楽しかった思い出のように蘇り、素晴らしい人たちと一緒に素晴らしい仕事をすることが、人生に彩りを与えてくれるのだと感じます。そして、そこはかとない感謝の気持ちが湧いてくるのです。

 

S先生とは知り合った頃から意気投合し、まるで自分の息子のように愛情を持って接していただきました。その気品の高さにもかかわらず、人と接するときに相手をリラックスさせる柔らかさがあり、相手がどのような人であっても同じようにフェアに向き合う。人を悪く言ったり、愚痴を言うのを聞いたことがありませんでしたし、どのようなネガティヴな状況であってもポジティブに変えてしまうユーモアと頭の柔らかさがありました。それだけではなく、ポジティブなことはさらにポジティブに楽しむことにも長けていました。ひと言で言うと、心にいつも余裕があり、懐が深い女性でした。S先生とできる限り多くの時間を共に過ごし、彼女の考え方や感じ方を少しでも身に沁み込ませようとしました。

 

S先生との思い出は挙げればきりがないほどありますが、出会ってすぐの頃に、同じ教室で教えていたF先生のお見舞いに新横浜の病院に行ったことを鮮明に覚えています。その当時、スクールに入りたてだった私は、F先生と面識はありません。連れられるがままに病室まで行くと、F先生は案外元気そうで、ベッドから立ち上がり、病室の外に出て来てくれました。私はF先生に何を話せばよいのか分からず黙っていると、F先生は私に対して「村山さん、絶対に無理をしちゃダメだからね」と言ってくださいました。実際にはそれから数年間、私は壮絶な無理をすることになるのですが(笑)、そのときは「はい、分かりました。F先生も無理をしないでくださいね」と答えました。

 

その後、1ヶ月も経たないうちに、F先生はお亡くなりになりました。30代の若さでした。S先生と一緒にお葬式に行き、F先生のお顔を見たとき、私にはF先生の無念が伝わってくるようで仕方ありませんでした。F先生と長い付き合いのあったS先生はどのような思いで彼女の死を感じているのか、私は想像することしかできませんでした。なぜあのときS先生はF先生と面識のなかった私を病院までお見舞いに連れていってくれたのか、私にはまだ分かりません。

 

 

ただ、あの体験から学んだことは、人の命は有限であり、私たちは生きることのできなかった人たちの無念を背負って、頑張って楽しく生きていかなければならないということ。そして、一緒に仕事をする人たちとも、性別や年齢を超えて、人生の一場面や生き死にを共にするぐらいに信頼し合い、感謝や愛情を伝え合い、時には深く関わらなければならない、ということをS先生は教えてくださったのでした。

2017年

10月

25日

笑顔が見ていたい

湘南ケアカレッジも今年で5年目に入りました。第1期生の卒業生さんたちが3年間の現場経験を経て、実務者研修に来てくださるようになり、あっと言う間に歳月が流れているのを実感しています。ケアカレが誕生したあのときと、変わらない気持ちで今もいるつもりですが、やはり5年も経てば、良い意味でも悪い意味でも、変わったところもあるでしょうし、慣れてきたところもあるはずです。そんなときは、「世界観が変わる福祉教育を」というケアカレの理念を思い出し、自分たちは生徒さんたちの世界観が変わるような福祉教育を提供できているのか、と自問することにしています。私たちの存在意義は、資格を売ることではなく、ケアカレでしか体験できない最高の福祉教育を届けることにあるのです。

 

そうして自問する中で、なぜ私は福祉教育が好きと感じたのだろうと振り返ってみると、そこに生徒さんたちの笑顔があったからだと思います。私はとりたてて学校というものが好きだったわけではありませんが、こうして教育の仕事をずっと続けているのは、学びの空間が好きだからだと思います。教えたり教わったりしながら、知らなかったことや新しいことを学び、自分たちの世界が広がってゆく。そのような場所が好きなのです。その中でもとりわけ介護・福祉の教育を最終的に選んだのは、そこで学んでいる人たちが、自らの意思で、本当に楽しそうに、笑顔で学んでいるからでした。

 

もちろん、子どもの教育(塾)にも良いことはありました。子どもたちはとても敏感で、素直で、柔軟であり、未来を担ってゆく彼ら彼女らと接することには大きな責任を感じました。それでも今の日本の教育の仕組みの中では、子どもたちが心から楽しんで学ぶことは難しいのも実情です。子どもの教育は、結局のところ、受験(合格)や就職がゴールとなってしまい、彼ら彼女らの多くは自分でお金を払って自らの意思で学ぶことを選択していません。どれだけ楽しい授業をこころがけても、もし明日来なくてもいいよと言われたら、子どもたちは教室には来ないのです。今の子どもたちの教育において、笑顔が少ないのは当然のことだと思います。

 

 

そういう教育しか知らなかった私にとって、介護・福祉教育と出会ったときの衝撃は大きかったことを覚えています。自分もホームヘルパー2級の研修を受けさせてもらい、その楽しさを体感しました。クラスメイトにはあらゆる世代の人たちがいて、女性も男性も皆そろって心優しく、自らの意思を持って、笑顔で学んでいました。あれだけ窮屈で嫌で仕方なかった学校が、クラスメイトや先生方、学ぶ内容が違うとここまで楽しいのかと驚かされたものです。この原体験があるからこそ、私は生徒さんたちの楽しく学ぶ気持ちがよく分かります。これから先もずっと、「世界観が変わる福祉教育を」提供できているのか、そこに笑顔はあるのか、常に問うていきたいと思います。私は先生方や生徒さんたちが笑顔でいることが、何よりも嬉しいのです。

2017年

10月

20日

卒業生さんからの手紙

卒業生さんからお手紙をいただくことがあります。研修終了時のアンケートだけでは書き足りないからと、手紙という形で改めて気持ちを贈ってくださるのです。先日は2通の手紙が届きました。1通は介護職員初任者研修の卒業生さんから、もう1通(正確に言うと先生1人に対して1通)は実務者研修の卒業生さんからでした。こうしてお手紙をいただくことは学校冥利に尽きますし、学校と生徒さんという枠組みを超えた、ある種の個人的なつながりを持てたようで嬉しく思います。手紙主のお名前は、私たちの記憶にいつまでも残ることでしょう。おひとり一人に手紙を返す代わりに、私はこのブログを通して感謝の気持ちを書かせていただきたいと思います。

 

実務者研修の卒業生さんは、なんと先生7人全員と私、そしてこれから湘南ケアカレッジに来る生徒さんと卒業生全員宛てに手紙をくださいました。クラスの雰囲気を和ませてくれた彼の人の善さが伝わってくるような内容で、「Hさんのような人が潰されることなく、その良さが生かせるような現場で働けているといいね」と先生方は口を揃えていました。手紙をいただくことの嬉しさは、気持ちが記された文章という形でまた違って伝わってくることと、この手紙を書いてくださっているとき、Hさんが先生ひとり一人の顔を思い浮かべてくれていることが想像できることです。

 

介護職員初任者研修を修了した卒業生さんは研修がスタートした頃から、すでにブログを読んでくださっていて、おすすめの本やマンガを借りたいとも言ってくれました。彼女が湘南ケアカレッジに来る前から、私たちのことを知っていることは不思議な感覚でした。ケアカレのことを少しでも知ってもらいたいと思い書いていますが、もしかするとハードルが上がりすぎて、せっかくの期待を裏切らないだろうかと心配にもなりました(笑)。「ブログを読んでいると、気づかされることが多いのです」ともおっしゃっていただきました。大そうなことを書けておらず申し訳なく思うと共に、気づきというのは気づける状態にある人だからこそなのだと感心しました。

 

 

気づきも学びも、私たち次第なのです。たとえ全く同じ内容の授業を受けたとしても、多くの気づきや学びがある人もいれば、まったくない人もいるはずです。同じ人であったとしても、たくさんのことに気づき、学べる時期もあれば、そうではないときもあるはずです。それは人生と置き換えても同じはずですね。できることならば、少しでも多くのことに気づき、学び、受け取れる人生を生きたいと思います。そのためには自分はどうあるべきなのか、私なりに考えた結論は、心のままに進む(行動する)こと、悩みや苦しみをも受け入れて味わうこと、善き存在であろうとすること。手紙をくださった生徒さんたちから、そのようなことを教えてもらった気がします。ありがとうございます。

2017年

10月

15日

「もうろうを生きる」

光と音のない世界を生きている盲ろうの人たち。盲ろうとは、目が見えなくて、耳も聞こえないことを言います。この映画には、8名の盲ろうの人たちが登場し、それぞれにとっての障害や生き辛さ、もちろんそれだけではなく楽しさや喜びもあることを示し、自らの人生や世界を精一杯に生きていることを表現してくれます。手話や指で触れあう指点字等により、周りの人たちとの間に生まれている濃密なコミュニケーションを見て、私たちまでもがもっとお互いに分かり合いたいと思ってしまうような、コミュニケーションの素晴らしさが伝わってくる映画でした。私たちの世界は、言葉があるからこそ存在するのです。

 

最も印象に残ったのは、弱視で先天ろうの川口智子さんが「本音を言うと、聞こえる人に生まれたかった」と言ったのを受け、通訳者の梶さん(健常者)が涙で言葉を詰まらせてしまったシーンです。ろうの人たちは、私たちはろう者として生まれてきて良かったと言うことが多いにもかかわらず、川口さんは生まれ変わったら聞こえる人になりたいとはっきりと口にしたのを聞いて、梶さんは衝撃を受けたのでした。

 

おそらく梶さんは、ろうの人たちと深く関わる中で、人々の暖かさやその世界の優しさに包まれながらも、心の奥深いどこかでそれでも彼ら彼女らには言葉に尽くせない苦しみや辛さがあるはずと感じていたはずです。これは健常な人たちにとっても同じですが、私たちは世間に対しての強がりもあって、殻をかぶって本音を隠して生きています。その世界で生きていく上では、自分たちの人生や生き方を全肯定しなければならない(1ミリでも否定してしまうと崩れてしまう)という息の詰まるような感覚の中で川口さんの本音を聞いて、梶さんはある意味、開放されたというか、一筋の光が見えたのではないでしょうか。

 

パンフレットに福島智さんが書いているレビューを読むと、映画の理解がさらに深まりました。その中で私たち人間にとっての、いかにコミュニケーションが大切か、実に明快に語られています。

 

たとえば空気中の酸素の勝ちを感じるのは、海に潜ったときとかです。そのときに初めて酸素のありがたさを感じるわけですけれども、普通は感じていない。食べ物については、食べ物がなくなったときに、死ぬほど腹が減ったときに、初めて分かる。それと同じで、コミュニケーションがなくなったとき、きわめて取りにくくなったとき、いかにコミュニケーションが大事かと分かったんです。

(中略)

単に光がなくなる音がなくなることが本質ではないんです。光や音がなくてもコミュニケーションがあればどんな人間でも生きられる。だけどおそらく光や音があっても、コミュニケーションが断絶されていたら非常に生きるのが苦しいですよ。

 

 

実は私は、同行援護研修の参考にしたいと思って観に行ったのですが、それ以上のことをこの映画を通して学びました。盲ろう者または視覚に障害のある方は、私たちがこれまで介護職員初任者研修や実務者研修、全身性障害者ガイドヘルパー養成研修で対象としていた利用者さんとは大きく違ったケアが求められているということです。最も大切なことは、コミュニケーションを取る技術や方法を学ぶことであり、まずはお互いの世界や文化のことを知ろうとすることなのではないでしょうか。

 

★映画「もうろうを生きる」の公式HPはこちら

2017年

10月

12日

信頼関係の大切さ

2017年度の第4回全身性障害者ガイドヘルパー養成研修が終わりました。今回もそうですが、12月の次回もすでに満席となっており、安定して人気の高い研修に育ちました。できる限り実践に近い研修内容はもとより、ほぼ1日中、屋外で行われるため、小野寺先生の統率力の高さとサポートの阿波加先生と橘川先生のきめ細かさが見事に生き、まだ受けていない方はぜひ受けてもらいたいと願う研修になりました。もちろん先生方には感謝しつつ、毎回無事に戻ってきてくださる生徒さんたちにも感謝の気持ちで一杯です。一昨年から始めたこの全身性障害者ガイドヘルパー養成研修から学んだのは、信頼することと信頼関係の大切さです。

 

今回のクラスの生徒さんの中でも、「後ろから車いすを押してもらって、ガイドヘルパーとの信頼関係が大切だと分かった」という主旨の感想を書いてくださった人が何名かいました。芹が谷公園で行われる午前中の練習もそうですが、特にペアを決めて各々が行きたい場所へ外出してもらう午後の自由行動においては、ガイドヘルパー役の相手を信頼できていないと怖いのです。せっかくの外出にもかかわらず、楽しめないばかりか、恐怖を感じてしまっては意味がありません。行きたい場所へ行くという願いを叶えるためにも、外出を心から楽しんでもらうためにも、ガイドヘルパーさんは利用者にまずは信頼してもらうことから始めなければならないのです。

 

実は、湘南ケアカレッジのガイドヘルパー養成研修自体が、学校と生徒さんたちの間の信頼関係によって成り立っています。毎回、研修の最後にお伝えしているように、午後のペアで目的地を決めて、自由行動をして帰ってきてもらうという授業形態を採っているのは、おそらく日本でもケアカレだけだと思います。他の学校もできるならばそうしたい(そうすべき)だと思っているかもしれませんが、やはり危険やリスクを考えると、学校としては無難な集団行動にせざるをえません。ケアカレは危険を承知でリスクをとっているのではなく(最初はそうでしたが)、生徒さんたち(のほとんどが卒業生)を信頼しているからこそできたのです。

 

 

そう考えると、何をするにしても、信頼関係がいかに大切か分かりますね。さらに言うと、一方的な信頼ではなく、お互いに信頼し合うことが大切です。利用者さんはガイドヘルパーさんを信頼し、生徒さんたちも学校を信頼してこそ、全てが上手く行くのだと思います。そして、信頼関係を築くためには、まずは相手に寄って(沿って)信頼することから始め、それと同時に、笑顔で誠実に敬意をもって接し、相手に信頼してもらえるように努める。時には信頼を失ってしまったり、不信に陥ってしまうこともあるかもしれませんが、それはそれで仕方なく、またつくり直していけばよいのです。難しく考えることはないのです。

☆生徒さんたちの声

・再びケアカレッジに来て、利用者目線のケアの大切さを再認識し、その方法を学ぶことができて良かったです。仕事に対するモチベーションを上げることができました。今すぐにガイドヘルパーの仕事ができなくても今日学んだことを今の現場で活かせてより質の高いケアを心がけるぞ!(小瀬川さん)

 

・今回の研修で、街の人ごみの危険さ、不便さも感じましたが、親切な方も大勢いる事が気づけました。普段よりも段差やエレベーターの有無を注意しました。利用者と介護者とのコミュニケーションも大切で、信頼関係を築けたらとても楽しい外出になり、やりたい仕事だと強く思いました。(伊藤さん)

 

・利用者さんの気持ちを知ったつもりでいたことに気づかされました。外で体験する時間が長いかなと最初は思っていましたが、実際に体験しなくては分からなかったし体験する事の大事さを教えていただきました。とても貴重な事で受けて良かったと思えました。(柗坂さん)

 

 

・再びのケアカレッジ。先生方の熱意が伝わり、活気ある有意義な時間を過ごすことが出来ました。ガイドヘルパーの重要性と気遣いの仕事である事を教えていただきました。少しでも利用者様のお役に立てる様に、さらに練習をしたり生涯現役でいられるよう頑張りたいと思います。楽しい一日でした。(村井さん)・たくさん学ぶことや考えさせられました。改めて、また向きあいたいと思います。笑顔ですね。先生方には、ありがとうございました。(奥津さん)

 

・車いすに乗り又、押してみる。安全の為の技術と集中力が必要。生活の場は危険がかなりある。障害者に優しい、心がけが大事だと感じました。(坂元さん)

 

・視点が低くなり見えなくなったものもあり、また見えるようになったものもあり面白かったです。周りの視線も善意や悪意などもあり自分はどう見ていたか?を考えさせられました。ありがとうございました。(佐藤さん)

 

・実際に車いすに乗り、人ごみの中を移動した時に介護者に絶対的な信頼を寄せていないと利用者さんが不安になるという事を体感しました。健常者の時には気付かなかったバリアフリーの意味を初めて実感し、いかに障害のある方にとって不便なのか勉強になりました。充実してました。(今井さん)

 

・車いすを押すことがこんなにも体力を使い、注意力がいることだと知りました。汗だくでコースをまわりましたが、それだけやってようやく少し感覚がつかめた気がします。車いすで講演や街を長時間移動することで、障害をもった方の気持ちが分かった気がしたので、とても良かったです!(中沢さん)

 

・障害者という立場で、車いすに乗り町田や相模大野の街を移動しました。デパートやレストランなどもすべてがバリアフリーではありませんでした。普段はなにげなく歩いている道も車いすだと行き止まりになっており、ガイドヘルパーをする場合、場所の下調べが必要だと思いました。(小田さん)

 

・目線の違いでキケンな所や場所、身体に感じる苦痛など勉強しました。相手の身になって目になったり気持ちを理解してあげる上から目線の同情などなく、介助してあげられるようになりたいです。(山本さん)

 

・利用者側の立場で車いすに座る事などなかったのでとてもいい体験をさせてもらいました。思いのほか、外の路面の振動を感じたことや、意外とEVの身体用ボタンが押しづらい位置にあったりドアの開閉なども介助者なしでは開けにくいことなど。数をあげればかなりたくさんありました。人の目線もすごく感じました。反面、人の優しさも感じる場面もありました。気温の差も座っていると、暑く、又寒い時は逆に寒く感じるであろうと体調を気にかけながら注意していかないければと思いました。(佐々木さん)

 

・車いすに乗って街へ出てみて、初めて利用者の気持ちを感じました。いつも快適に乗っているわけではないし、介護者へ気を使っているのだと思いました。また一般の方の視線も感じました。気持ちよく外出するためには日本全体の意識を変えていかなくてはならないのだと思いました。(岡部さん)

 

 

2017年

10月

07日

勉強は楽しい!

「生まれて初めて、勉強が楽しい!と思いました」とアンケートに書いてくださった生徒さんがいました。彼だけがそう思っているのではなく、おそらく9月短期クラスの生徒さんたちのほとんどが、学ぶことが楽しいと思ってくれたのではないでしょうか。それぐらい今回のクラスの皆さんは学ぶ意欲が高く、表現は難しいのですが、前のめりで取り組む姿勢がひしひしと感じられました。このようなクラスで教えさせていただくことは、先生方にとっても喜びになります。15日間は本当にあっと言う間で、惜しまれつつ9月短期クラスが終わってしまいました。最終日には、80期生の「80」の文字を型取った色紙をプレゼントしていただきました!

 

なぜ大人になってからの学びが楽しいかというと、世界が広がることを感じられ、そのことによって自由になれるからでしょう。学ぶことで私たちの世界は広がります。それは知らなかったことを知ることで、視野が広がったり、また今まではできなかったことができるようになったり、考えも及ばなかったことが考えられるようになったりすることです。湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修では、これまでの学校教育では教えてもらわなかったことばかり学ぶことになりますので、授業ごとに新しい発見や気づきがあるはずです。それだけではなく、今までは出会ったことのない世代や性別のクラスメイトさんと一緒に学ぶことで、人々の優しさや様々な考え方、価値観に触れ、世界が広がったように感じられます。

 

私が今から20年前に初任者研修(当時のホームヘルパー2級)を受けたとき、介護・福祉の世界の考え方や広がりに衝撃を受け、自分の全く知らなかったことばかりを学ぶ喜びを知りました。直感的に介護・福祉の世界は自分に合っていると感じ、まさかそのときは一生の仕事になるとは思っていませんでしたが、もっと深く学んでみたいと思いました。さらにその研修で出会ったクラスメイトさんたちは素晴らしい方々ばかりで、研修が終わってからも一緒にライブに行ったり、集まったりしました。クラスメイトさんのひとりに苔玉をつくっている方がいて、盆栽のイロハを教えてもらったことも良い思い出です。そんなこんなをひっくるめて、たった8日間(ホームヘルパー2級は全8日間でした)で一気に自分の世界が広がった気がしたのです。

 

 

そうして自分の世界が広がることで、今までよりも自由になれるはずです。大人になると、どうしても狭い世界の中で生きて行かざるを得なくなり、自分の考え方や価値観や友人関係も自然と狭くなりがちです。こうあらなければならない、こうしなければならない、と勝手に自分で窮屈にしてしまいますが、そのほとんどは私たちの思い込みであったり、知らないばかりに選択肢がなくなっていたりします。このような考え方もあるのだ、こんな人たちもいるのだと、直接触れて知ることで、私たちは思い込みから自由になり、生き方や考え方の選択肢も増えるのです。自分だけの狭い世界から脱出して、たとえ少しであっても、自由になれることが学びの楽しさです。

2017年

10月

03日

質問をしに来てもらえること

質問をしに来てもらえること。私が塾で子どもたちを教えていたとき、自分の教師としての力量を知るために用いていた指標のひとつです。良い授業をしているほど、教師として(人として)魅力があるほど、生徒さんたちは先生に質問をしにくる傾向にあります。なぜ質問をしに来るのでしょうか?ただ単純に、授業の内容で分からない点があるから、だけではありません。たしかにそのような質問もありますが、テキストを調べれば書いてあることかもしれません。生徒さんが先生に質問をする最大の理由は、その先生と話したい(人間的な関係性を持ちたい)からです。

 

そのことに気づいたのは、教えることを仕事にし始めて、しばらく経ってからのことでした。ある時期、周りの先生方にはよく質問に来ているのに、私の元にはほとんど来ないということありました。当時は教室長という立場ゆえに子どもたちが質問しづらいのだろうと考えていたのですが、そうではありませんでした。忙しそうにしていたり、授業が終わるとすぐに生徒のいない事務所に戻って仕事をしていたりして、どこかで生徒さんとの間に心理的・物理的な壁をつくっていました。今から思うと、生徒さんたちに対する褒め・認めも少なく、この先生の話を聞くと成長につながるという実感も与えられておらず、授業の内容的にももっと学びたいと思ってもらえるものではありませんでした。

 

もう1度、生徒さんに対する接し方や授業の内容を見直してみることにしました。できるだけ生徒さんたちと同じ空間にいるように努め、子どもたちの良いところ(できていること)を見つけて褒め・認める。また、授業の内容も楽しく学びつつ、興味を持ってもらい、分かったという成功体験を得て、もっと知りたいと思ってもらえるように変えていきました。そうすると、少しずつ私のところに質問をしに来てくれる子どもたちが増えました。質問の内容は大したものではないことも多かったのですが、よくよく話してみると、子どもたちは私と直接やりとりしたかっただけなのだと気づいたのです。話したくても、いきなり話しかけるのは気兼ねしてしまうので、質問という形をとって、先生に少しでも近づきたいだけなのです。それ以来、授業を自己満足で終えるのではなく、授業前後に子どもたちが質問に来てくれるかどうかのリアクションを、他者評価のひとつとして取り入れることにしたのです。

 

そういえば先日、卒業生さんが質問に来てくださいました。いきなり訪問に入ることになり、移動・移乗から排泄までの支援があるとのことで、当日の午前中に切羽詰まってケアカレを訪ねてくれました。望月先生が話を丁寧に聞いてくれて、卒業生さんは安心して帰っていきました。後日、以下のようなメールが届き、私も胸をなで下ろしました。全身性障害者ガイドヘルパーの研修も申し込んでくださって、学びたいという気持ちをさらに広げられたことを嬉しく思います。

 

先日は大変お世話になりました。相談した利用者様宅にはどうにかサービスに入れています。日々が慌ただしく、ただ介護と言う新しい世界が楽しくもあり私なりに頑張っております。望月先生にも宜しくお伝えください。実務者研修、ガイドヘルパーと共に宜しくお願い致します。

 

他にも、実務者研修の授業後、生徒さんたちが実技演習について集団で質問に帰ってきてくださったこともありました。やり方だけではなく、その根拠や考え方もお伝えすることができ、質問してくれたことに感謝しつつ、生徒さんたちにとっては大きな学びがあったはずです。また、3年前の介護職員初任者研修の授業後に、消防士になるべきかどうか悩んでいると藤田先生に相談してくれた生徒さんが実務者研修でケアカレに戻ってきて、医療的ケアの授業で再会したというエピソードもあります。今は立派な介護士になって活躍しています。

 

 

湘南ケアカレッジはこれからも質問をしてもらえる学校でありたいと願っています。質問したいと思ってもらえる先生方が集まって、素晴らしい授業を展開し、質問できる湘南ケアカレッジをつくってくださっています。だからこそ、先生方が生徒さんから質問を受け、丁寧に答えてくださっているシーンを見て、私は嬉しく思います。そこには学校と生徒さん、先生と生徒さんという壁を越えた、人間的なコミュニケーションがあり、そこにこそ私たちの未来が見えるからです。

2017年

9月

29日

心のままに

金澤翔子さんの書道展を観に、上野の森美術館まで行ってきました。書をたしなむダウン症の女性として世に出た翔子さんですが、もうすでにひとりの書道家として評価されるべき作品の数々が並んでいて驚きました。ここまで母娘二人三脚で来るために、どれだけの涙と鍛錬の日々があったのでしょうか。私たちが目にする墨汁の翔ぶような様は、そうしたあらゆる苦悩を帳消しにし、観る者全てに慈愛を与えてくれているようです。

翔子さんのひとつ1つ作品の横に、お母さまによって綴られた文章が添えてありました。翔子さんにまつわるエピソードを読むと、その作品がより深く立体的に見えてくるようです。ピンクの名刺を誰にでも分け隔てなく、犬にも配ったという話や、ニューヨークのタワーに登って見た高さよりもお父さんに肩車をしてもらった高さの方が高く感じたという話など。私たちの考える価値観などは、いかに形や枠組みにはめられてしまっているものかと思い知らされるのです。

そう言えば先日、ケアカレ美術館に新しい作品が仲間入りしました。山口航太さんによる「ダンス」という絵です。色彩の鮮やかさと西洋絵画のような雰囲気に魅せられて購入しました。ダンスをしている女性の笑顔を見ると、ついこちらまで微笑んでしまいます。たまたま教室を見学に来てくださった方と、この絵の話になり(彼女は絵を教えているそうです)、「私たちはどうしても上手く描こうとしてしまうので、このようには描けません。欲が全く感じられない素敵な作品ですね」とおっしゃってくださいました。

欲がないことについては、翔子さんのお母さまも書いておられました。与えられるだけ与えてしまう。そんな与えるばかりの姿を見て、かつては心配していたけど、今は神さまが見て与えてくださっているように思えるようになったそうです。欲があるからこそ成長できることも確かですが、もしかすると私たちは欲張り過ぎているのかもしれませんし、欲しがる割には他人に対しては十分に与えられていないのではないでしょうか。必要以上に欲を抱かず、まずは与えながら、心のままに生きていければいい。ふたりの作品を通して、そう教えてもらったような気がします。

 

☆金澤翔子さんの書展のサイトはこちら

2017年

9月

26日

人のために時間を使う

卒業生にお便りや研修の案内を送ると、思わぬ人が訪ねてきてくれたり、数年ぶりに電話を掛けてきてくれたりします。「あれから〇年も経ったのですね」と素直に懐かしく感じられることもあれば、「えっ、あのクラスが修了してからもう〇年ですか!」と懐かしさを通り越して、衝撃を感じてしまうことさえあります。先日は、ちょうど1年ぶりに教室に足を運んでくださった卒業生さんがいました。馴染みのある顔に、最近修了したばかりと思って接していましたが、話を進めてゆくと、ちょうど1年前の9月生であることが判明しました。つい昨日のことのように思い出されるクラスメイトさんや授業風景の数々が、1年も前の記憶だとは…。毎月、新しい研修が始まり、目の前にいるひとり一人の生徒さんたちやクラスと毎日向き合っていると、時が経つのは速いものですね。そこには充実感や達成感と共に、人生のはかなさを感じざるを得ないのです。


年齢を重ねてきたせいか、最近は特に歳月の流れるのが速く感じます。あっという間に1ヶ月が過ぎ、あっと言う間に1年が経つように思えます。たしかに、生涯におけるある時期の時間の心理的な長さは年齢に反比例するという「ジャネーの法則」があります。たとえば5歳の人間にとっての10日間が50歳にとっては1日間に感じる、つまり主観的に記憶される年月の長さは、年長者にはより短く、年少者にはより長いということですね。このジャネーの法則を応用して、〇歳時において人生は体感時間として何割終わったのか?を数式で出すと、以下のようになるそうです。

 

3歳  25%

9歳  50%

20歳 68%

30歳 77%

40歳 84%

50歳 89%

60歳 93%

70歳 97%

 

 

私の場合は、残された人生の体感時間はたった15%ぐらいということになります。介護の世界では、健康寿命や平均寿命(余命)といった考え方がありますが、体感余命というのも面白いですね。体感余命を知ったところで、何かできるということではありませんが、時間の大切さを再認識するきっかけにはなりますね。日野原先生は、「命は時間である」とおっしゃいました。残された命(時間)をどのように使うのか、自分に問うてみる時間もときには必要です。私はここにも書いたように、もう一度人生を生きたとしたらそうするように最初から生きたいと願っていますし、これから残された時間は、自分のためではなく、できる限り人のために使いたいと心に決めました。

2017年

9月

23日

「あさがくるまえに」

私が好きな歌手の秦基博さんの作品の中でも、1、2を争うほどに好きな曲のタイトルがつけられていて、また臓器提供やドナー、人間の死の境界線をテーマにしていることもあり、映画館まで足を運びました。全編にわたって美しい情景や音楽、心理描写が静かに流れてゆき、しかし中盤からラストにかけての胸を締めつけるような緊張感と高揚感は観る者を離しません。ひとつの命が終わるとき、もうひとつの人生が再生される。自分はなぜ今、こうして生かされているのだろう。そんな不思議な思いにとらわれる映画でした。

 

この映画の主人公は、開演から10分後に交通事故で亡くなってしまいます。脳死の状態で機器につながれており、息子の死を受け入れることができずにいる家族に追い打ちをかけるように、臓器提供の話が持ちかけられます。苦渋の決断を迫られるのは、本人ではなく両親なのです。息子の身体を手放す選択をした夜、両親が息子をはさんで寝るシーンは今でも私の脳裏に焼きついています。

湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修においてターミナルケアについて学んでいただく中で、臓器提供をするかどうかという質問が出てきます。皆さんの健康保険証の裏にもチェックをつける欄がありますよね。あなたはどうしますか?という問いです。これまで私は臓器提供についてあまり深く考えることなく、もし自分が死んでしまったのならば、誰かが生きるために提供するのは当たり前だと答えていました。しかし、この映画を観て臓器提供がどういうものか考えさせられ、簡単に「はい(提供する)」を選んでいた浅はかさを恥じました。

 

命は誰のものでしょうか?自分の命は自分だけのものではなく、家族のものでもあり、周りの人たちのものでもあるかもしれません。臓器移植をされた心臓は誰のものでしょうか?死んでしまった元々の人間のものでしょうか、それとも移植されて生きている人間のものでしょうか。そして、生きている(または死んでいる)とはどういうことでしょうか?脳が死んでしまえば、生きていないのでしょうか。それとも心臓が止まっていなければ、生きているのでしょうか。

 

命は誰のものでもなく、生と死の境界線もあいまいなのです。今こうしてたまたま脳が活動して、心臓が鼓動しているから生きていると実感し、あたかも自分の命のように勘違いしてしまいますが、そうではないはずです。命は授かりものであり、移り変わってゆくものである以上、所有者はいないのです。肉体が生きていても人間として死んでいることもあれば、肉体が死んでいても人の心に生きていることもあるでしょう。そんなことをつらつらと考えれば考えるほど、私は臓器移植を選ぶかどうか分からなくなるのです。

 

「あさがくるまえに」の紹介動画です。

秦基博さんの曲の中でも、「朝が来る前に」と並んで好きな曲です。

2017年

9月

20日

迷ったら困難な方をとる

人生は判断や決断の連続であり、そんな中、私は迷ったらより困難な方をとることにしています。簡単にできそうなことや楽な方ではなく、自分にできるのかと怯んでしまうぐらいのことやチャレンジングな方を選ぶということです。(私を含め)人間は楽をして生きていきたいと思うのが常であり、困難な方をとるのは本能に反しているとは思うのですが、それでも迷ったときには敢えて難しい方に行くように心がけています。なぜかというと、楽な方を選ぶと尻すぼみしてしまいそうな一方で、困難な方をとった方がより自分自身が鍛えられて力がつき、活躍の場や幸せにできる人たちが増え、将来的にはより楽しく生きていけるようになる気がするからです。

 

先日、介護職員初任者研修を受けて、その後、介護のお仕事に初めて就こうとして悩まれている卒業生さんと話しました。お付き合いのある2つの施設を見学してもらい、面接まで進み、どちらからも内定の通知を受けたのですが、1つに決めかねて相談に来られました。ぜいたくな悩みですが、どちらも素晴らしい施設であり、条件面もほとんど変わりません。とはいえ、2つの施設で働くわけにもいかないため、最終的には本人自身が1つを選ばなければなりません。その決断のヒントとして、直感的に選ぶ(ワクワクする方を選ぶ)ことと迷ったら困難な方をとる(チャレンジングな方をとる)ことをお伝えしました。

 

私は教育関係の仕事にずっとたずさわってきました。2度目の転職の際、最後まで迷って、先に採用が決まっていたある学校の新人研修が始まってから1週間してごめんなさいをして、他の学校に移ったことを思い出しました。先に決まっていたのは、映像授業を全国展開している大学受験の予備校でした。とても革新的なスタイルであり、時代の流れもそちらに来ているのも魅力的で、ある意味、勝ち組に乗るとすればという邪な気持ちもあって入社を快諾しました。ところが、研修を受けたり実際の現場で働いてみたりするうちに、これまで自分がやってきたことの延長線上で仕事ができてしまう感覚がありました。ほとんどのことはマニュアル化されており、決められた仕事を時間内でこなせば、定時に帰ることもできそうでした。

 

それはそれで楽なのですが、できることをルーティーンのように毎日繰り返して、そこに明るい未来はあるのだろうか、と自問する日々でした。そんなとき、少しだけ後に内定をいただいていた中学生対象の塾の現場を見させてもらったところ、これは大変だと感じました。今まで自分にはあると思っていたコミュニケーションスキルでは、子どもたちには全く通用しなかったのです。もう1度、子どもたちの中で揉まれて、ひとつの教室をつくってゆく中で失敗も成功体験も味わいたいと思いました。映像予備校には大変ご迷惑をかけてしまったのですが、頭を下げて、入社して10日で辞めさせてもらいました。

 

 

今から思うと、この決断は私にとって非常に良かったと思います。深夜まで子どもたちや大学生の先生方とボロボロになるまで格闘し、30も中盤になって俺は何をやっているんだろうと愚痴をこぼしたこともありましたが、あのときのおよそ5年間の経験は私の血となり肉となりました。子どもたちに教えてもらったことや教室運営の成功・失敗体験がなければ、今の湘南ケアカレッジはなかったと思います。あのとき困難な方をとったことが、今になって生きています。自分にできそうな楽な方ではなく、自分が試されるチャレンジングな方を選んだ、あのときの自分に感謝したいと思います。

2017年

9月

17日

今日も明日も会いたい人がいる【シャロームの家】

金森郵便局前のバス停を曲がって、あとは香ばしいパンの香りを追いかければ、「シャロームの家」にたどり着きます。散歩に来ていた保育園児さんたちが、焼きたてパンのノボリを指さしてせがんでいます。その隣では、「ここのパンは美味しいんだよね」と保育士さん。カレーパンやウィンナーロールなどの惣菜パンから、フランスパンのフレンチトーストなどの甘いもの、さらには竹輪(ちくわ)パンやラムネパンなどの聞きなれないものまで、実にバリエーション豊か。近所の方々がひっきりなしに買いに来る人気店です。それもそのはず、地元でパン屋を営んでいた職人さんと、障害のあるご利用者さんたちが作るプロの味なのです。

続きは→介護仕事百景【シャロームの家】へ

2017年

9月

14日

これを敬す

私の下の名前は敬之(たかゆき)です。昔、自分の名前の由来を両親に聞いたところ、「漢文にある一節で、之(これ)を敬す、つまり人を敬うという意味だよ」と教えてもらいました。その当時は良く理解できませんでしたが、なるほど、両親は私に、人から敬われるよりも、人を敬うような人間になってもらいたいと願って、名づけたのだと今は分かります。人を敬うとは、相手を尊重すること、尊敬すること、若者風に言うとリスペクトということなのでしょう。そんな名前を授けてもらった以上、人に対する敬意を欠いてはならないといつも心がけていますし、そのためには自分自身が謙虚でなければならないと考えています。

 

謙虚であるということは、決して自信をなくすとか、へりくだるということではありません。自分の考え方が実は間違っているのではないか、自分が見ているもの以外の見方があるのではないか、自分は思い込んでしまっているのではないか、自分は経験していないことが世の中にはたくさんあるではないか、などなど。謙虚になるためには、まずは自分の考え、ものの見方、思い込みや経験を疑って、全てとっぱらってみようとすることから始まります。年齢を重ねると、どうしても自分の固定観念に強く縛られてしまいがちになりますので、それでも謙虚になれるかどうかは、自分という箱からいかに出られるかにかかっています。そして、それこそが知性なのだと思うのです。

 

湘南ケアカレッジは今年で5年目を迎えました。素晴らしき先生方に恵まれ、たくさんの生徒さんたちに来ていただき、卒業生さんたちのつながりの輪が大きく広がりました。外から見れば順調満帆に映るかもしれませんし、実際に私が思っていた以上の学校になりました。とはいえ、この先、もっと良い学校にしていくためには、謙虚にならなければいけません。

 

どうすれば謙虚でいられるのでしょうか。まずは客観的に自分たちを見て、間違ってしまっていることや思い込み、おろそかにしていることがないか疑ってみる必要があると思います。良いところはさらに伸ばして、慣れによっておろそかにしているところは元に戻す。それは基本に立ち返るという意味でもあります。

 

しかし、年齢を重ねるほど、他者から指摘されたり怒られたりすることが少なくなりますので、謙虚でいることは難しくなります。また、立場が上になればなるほど、傲慢になってしまいがちです。私にも先生方にも当てはまることですし、もしかするとこのブログを読んでくださっている卒業生さんもそうかもしれません。

 

 

自ら気づくことが難しく、気づかせてもらうこともなくなってしまうとすれば、次にできることは新しいチャレンジをすることです。失敗するかもしれないことをやってみて、失敗したらその結果を素直に受け止め、何が正しくて、何が正しくなかったのかを改めて見直してみることです。誰かに自分を謙虚にしてくれることを期待するのではなく、自らさらに良くなろうと行動することによってこそ、謙虚でいられるのです。そうしてはじめて、私たちは自分を知り、相手を敬うことができるのだと思います。

2017年

9月

10日

しんではいかん

9月10日から16日は自殺予防週間です。福祉の仕事にたずさわる者として知っておいてもらいたいということで、介護職員初任者研修の中でも望月先生や佐々木先生らがお話ししています。平成28年の自殺者数は2万1897人と、平成15年の3万4427人をピークに最近は減少傾向にありますが、それでも年間で2万人の方々が自ら命を絶っている現状からは目をそらしてはいけません。ちなみに、世界の国々の中で自殺が最も少ないメキシコは実は排泄量が多いらしく、良く食べて良く出すことが心の健康にもつながってくるのではとのこと。またゲートキーパーの話など、この機会に私たちが自殺予防について知っておくべきことはたくさんありますね。

ゲートキーパーとは、自殺の危険を示すサインに気づき、適切な対応(悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る)を図ることができる人のことで、言わば「命の門番」とも位置付けられる人のこと。 自殺対策では、悩んでいる人に寄り添い、関わりを通して「孤立・孤独」を防ぎ、支援することが重要です(Wikipediaより)。まさにその通りで、自殺の名所を見守りのボランティアとして歩いて声を掛けただけで、そこでの自殺者が激減したという話もあるように、ちょっとした仕組みや人間がいることで、人の命を救うことができるのです。もちろんその逆も然りで、ほんのわずかなきっかけで人は死を選んでしまうこともあるということです。

 

せっかくいただいた命を自ら断ち切ってしまう、有を無に帰してしまうのには、それぞれにそれぞれの理由があるはずです。年代によっても、男女の違いによっても、失業率によっても、自殺の原因はさまざまです。その正当性は自分以外の誰にも知りえませんし、私たちには生きる権利もあれば死ぬ権利もあるはずです。それでも生きていてこそと思うのは、やはり生きることを選んだ者の論理なのでしょうか。私は自分自身に対して(他人に対してではありません)、なぜ自殺をしてはいけないかという理由を説明するとき、明確な答えがあります。

 

「ひとつ やくそく」(糸井重里)

おやより さきに しんでは いかん
おやより さきに しんでは いかん
 
ほかには なんにも いらないけれど
それだけ ひとつ やくそくだ
 
おやより さきに しんではいかん

 

 

この詩は、なぜ自殺をしてはいけないかという問いに対して、あらゆる著名人が答えていた中で、最もしっくりと来たものでした。たとえどんなことがあったとしても、自ら命を絶って、親に先立つことは自分勝手であり、親不孝だということです。私たち誰もがいずれ死を迎えますが、親より先に死んではいかんのです。そのことは、自分が親になってみてようやく分かりました。

 

もうどこにも逃げ場がなく、詰んでしまったと思っても、もっともっと考えて行動すれば絶対に道は残されているはずです。生きていれば、時間が解決することもある。死んだと思っても助かっていることもある。もし自分で考えても行き詰ってしまうなら、誰かに相談してみるのもいい。話を聞くことぐらいはできるし、自分には見えなかった視点があるかもしれないし、もしかするとあなたには思いつかなかった方法を提案できるかもしれません。そして何よりも大事なのは、自分は絶対に負けないと言い聞かせることです。私の子どもにはそう伝えたいと思います。

2017年

9月

07日

「ばあばは、だいじょうぶ」

最近は絵本を読む機会が多く、この本は卒業生さんから紹介されたものです。これからの高齢社会を生きる上において、認知症に対する知識や理解はとても大切であり、それは大人だけの問題ではなく、子どもたちも知っておくべきことです。かといって難しくとらえる必要はなく、この絵本を読む(読み聞かせる)ことから始めるぐらいで良いのです。認知症ではなく、わすれてしまうびょうき。とても良い表現だと思います。認知症をこれほど優しく適切に説明した言葉はなく、子どもの心は素直にそう受け入れることができるはずです。

 

どんなことがあっても「だいじょうぶだと」と言って頭をなでてくれたばあばが、いつからか忘れてしまう病気になってしまい、犬に何度もエサをあげたり、同じことを繰り返し聞いたりして、主人公のつばさは困惑します。そして、少しずつ大切に食べていたジャムを全部食べられたときは怒り、落ち葉で淹れたお茶を出されたときには慌てて逃げだしました。病気が進行するにつれ、あれだけ大好きだったばあばとの間には溝が生まれ、疎遠になっていくのでした。

 

ある日、ばばはは突然外に出て行って、帰ってこなくなってしまいます。翌日、ようやく家に帰ってきたばあばは、裸足で震えていて、頼りなく見えました。「ごめんね」と言いながら、靴下を履かせてあげると、ばあばは「だいじょうぶだよ」とつばさの頭をなでてくれたのでした。

 

今まで守ってくれていた人が、いつの間にか守るべき人になり、そうして守っているつもりでも、実は守られているのかもしれない。そうした人生の振り子について、作者である楠章子さんはあとがきにこう書きます。

 

冷えたからだをふるわせ、心細そうな顔をして。あの母の顔は、いまでも忘れることができない。ずっと母は、私を守ってくれる人だった。でも、今の母は「守るべき存在」なのだと、私はやっと気づいたのだった。けっこう時間がかかった。

(中略)

守るべき存在がいるのに、私はつばさのように目をそらしている人、どうしていいか分からなくなっている人に、この絵本が届きますように。

(中略)

守っているつもりで、じつは今も守られているのかもしれない。

 

 

私たちは生まれて、勝手に死んでいくのではなく、誰かを守り、誰かに守られて生きています。守られてばかりだと感じることもあるでしょうし、守ってばかりだと思うこともあるかもしれません。もしかすると、自分が守られていたことに気づくのは、自分にとっての守るべき存在に気づいたときなのかもしれません。誰かが誰かを守り、誰かは誰かに守られる。守っているようで、実は守られている。ほんとうは、私たちはずっと、お互いに守り守られながら生きているのです。

2017年

9月

04日

優しくしてくれてありがとう

8月の短期クラスが終わりました。ひと言で言うと、とても楽しいクラスでした。笑うところで笑い、盛り上がるところで盛り上がり、一生懸命に取り組むところで一生懸命に取り組む。真剣に学ぶことはこんなにも楽しいものかと、誰もが感じたはずです。夏休み期間中の研修ということもあり、小中学生も参加してくれ、年齢性別を超えた多様な人たちが集まり、お互いに刺激を与え合って学んでいました。「ケアカレに来てよかった」、「人が温かかった」、「一つひとつの授業で心の中に花火が上がった」、「もっと通っていたかった」などなど、嬉しい言葉の数々をいただき、研修の最後には、クラスメイトの皆さんからの熱いメッセージが貼られたエプロン(ケアカレ初!)が贈られました。私たちの記憶にも記録にも残る素晴らしい78期生の皆さま、ありがとうございました!

 

今回のクラスには小学校6年生と中学校2年生が参加してくれました。ケアカレの最年少記録は中学2年生であり、この記録はまず破られることはないと考えていましたが、まさかあっさりと破られてしまうとは。研修が始まる前は、たとえ学ぶ気持ちはあっても、さすがにそこは小学6年生ですから、内容的に理解するのが難しく、さらに言うと1日6時間の授業に座っていられないのではと心配していました。まずは様子を見ようと見切り発車したのですが、初日から授業を集中して聞き、グループワークにも参加し、ノートをしっかりと取っている姿を見て、素直に驚きました。大人よりもできるのではと(笑)。

 

とはいえ、彼らもまだ小中学生ですので遊びたい盛りです。互いにちょっかいを出したり、お昼休みにはアイスを食べたり、とても子どもらしいのです。そこをフォローしてくださるお兄さんお姉さんたちもいました。夏休みのほとんどを介護職員初任者研修に来ているのですから、それだけで称賛されるべきですし、私が彼らの年齢だったときのことを考えてみると、彼らがここにいることが奇跡的であるとさえ思います。実技演習でもとても飲み込みが早く、周りの大人のクラスメイトさんたちは逆に刺激を受け、自分たちももっと頑張ろうと思えたとおっしゃっていました。このように皆で一緒になって修了できたという達成感が、介護職員初任者研修の醍醐味でもありますね。

 

 

研修終了後の打ち上げにも顔を出させていただき、生の声を聞いていると、「先生方の誰もが優しかった」と誰もが口を揃えておっしゃっていただきました。その「優しさ」とはどういうことなのだろうかと、私なりに勝手に想像しました。たぶんここでいう「優しさ」とは、丁寧さであったり、声掛けであったり、気遣いであったり、熱心さであったり、ユーモアであったり、一生懸命さであったり、そういう全てをひっくるめての「優しさ」なのだと解釈しました。ただの優しさ(易しさ?)ではなく、もっと深く広い意味での優しさ。特に初めて介護の世界に飛び込む人たちにとって、最初に出会う人々や場所が介護に対するイメージを決めてしまうはずです。介護の知識や技術はもちろん大切ですが、介護・福祉にたずさわる人たちは、先生方だけではなく、クラスメイト同士も含めて、こんなにも優しいのか思えることがどれだけ大切でしょうか。介護の世界が優しいと感じてもらえて、私はとても嬉しく思いました。湘南ケアカレッジで感じた楽しさや優しさは、彼らの心にもずっと残ってゆくはずです。

2017年

8月

31日

デイサービスの神様

生徒さんたちは、はるばる遠くから湘南ケアカレッジに来てくださいます。遠くというのは、距離的な遠さではなく、あらゆる偶然や縁が重なって、巡り巡って、ケアカレにたどり着いてくれているという意味です。最初から湘南ケアカレッジに行こう!と決めている人などひとりもいないはずです。あのとき知人から話を聞いていなかったら、友人に勧めてもらえなかったら、資料を請求していなかったら、もしかすると他の学校に行っていたかもしれませんし、そもそも介護職員初任者研修を受けていなかったかもしれません。これはケアカレに限ったことではなく、どの業界でもどのお店でも、お客さんたちは私たちの想像を遥かに超えた偶然を経て、奇跡的にここにいるのです。

 

8月短期クラスの生徒さんが、湘南ケアカレッジに来た経緯について、こっそりと教えてくださいました。彼女は一大決心をして東京に飛び出してきて、自分の身を立ててゆくために、介護の仕事を探し始めました。ところが、最初に面接に行った有料老人ホームではやんわりと断られてしまいます。それにもくじけることなく、ふと帰り道で見つけたデイサービスに飛び込んだそうです。そして、そのデイサービスでも、資格を持っていないと採用できないと門前払いを食らってしまいました。

 

意気消沈して帰途に就こうとしたところ、後ろからひとりのデイサービスの職員らしき人が追いかけて来て、「この学校に行って研修を受けるといいですよ」と湘南ケアカレッジのパンフレットを渡されたそうです。その人いわく、うちのデイサービスでもケアカレの卒業生が何人か働いていて、とても良い学校だったと口を揃えているとのことでした。何か運命的なものを感じ、湘南ケアカレッジの初任者研修に申し込んでくれたそうです。実際に通ってみると、どの先生の授業も素晴らしく、湘南ケアカレッジに来てほんとうに良かったと思ってくれたそうです。

 

こんなに良い学校を紹介してくれたことに感謝し、御礼をひとこと言いたいと思い、その生徒さんはお休みの日にそのデイサービスを再び訪ねました。ところが、歩けど歩けど、そのデイサービスは見つかりません。たしかに帰り道にあったはずのデイサービスが、どこを探しても見当たらないのです。まるで忽然と姿を消してしまったように、デイサービスが跡形もなく消えてしまったのでした。結局、ケアカレを紹介してくれた職員の方に御礼を言うこともできず、あれは夢だったのかと思いながら自宅に戻ったそうです。

 

この後日談を聞いて、デジャブ(既視感)というか、まったく同じ話を聞いたことがあると私は思いました。ある卒業生さんもあるデイサービスに飛び込んだところ、今は募集をしていないと断られ、デイサービスを背にトボトボ帰っているところを呼び止められ、「湘南ケアカレッジという学校に行ってみてはいかがですか?とても良い学校ですよ」と勧められ、電話番号が書かれたメモを渡され、ケアカレに電話をしてくれました。

 

 

世の中には不思議なことがあるものですね。そのデイサービスが同一のものか分かりませんし、ケアカレを紹介してくれた職員さんには御礼を言いたいと思いますが、どこのデイサービスで働く誰なのかさえ分からないのです。もしかすると介護を学びたいと願う人たちをデイサービスに呼び寄せ、そっとケアカレを勧めて背中を押してくれる神さまが存在するのかもしれない、と思ったりもします(笑)。先生方の素晴らしい授業やきめ細かいサポートを、その神さまは見てくれているのだと思います。おかげさまで、これだけたくさんの生徒さんたちが、遠くから導かれるように湘南ケアカレッジに来てくれていることに、私たちは感謝しなければいけませんね。

2017年

8月

28日

出会いはセレンデピュティ

「介護仕事百景」を少しずつ卒業生さんたちに送っています。これまでは一斉に郵送していましたが、さすがに卒業生が2500名を超えてくると、なかなかまとめて送ることができなくなってきました。もしかすると、同じクラスメイトさんであっても、届くのに時差があったりするかもしれませんがご容赦ください。これまでにキーホルダーやコンセプトマガジンなどをお届けしてきましたが、こうした贈りもの(送りもの)をすると、それをきっかけとして卒業生さんたちが教室に遊びにきてくれたり、電話をしてくれたりするのが楽しみで仕方ありません。

 

今回の「介護仕事百景」は、介護の仕事に関する内容でしたので、ちょうど介護の仕事を始めようかと思っていたので話を聞きたい(聞いてもらいたい)、というご連絡が多かったです。これまで全く違う仕事をしてきたけど、湘南ケアカレッジで介護職員初任者研修の資格を取ったことで、この機会に介護の世界にチャレンジしてみたいと思っている。でも、これまでにしてきた仕事に対する愛情やあきらめが複雑に交錯しつつ、新しい世界に踏み入れる困難を思うと期待よりも不安が先に立つ。その気持ちは楽観的な私でもよく分かります。

 

私は20代の前半を仕事探しに費やしてしまいました。厳密に言うと、最初に就いた仕事は1年で辞めてしまい、その後はアルバイトをしながら過ごし、ふとしたきっかけで大手の介護スクールに入れてもらいました。自分のやりたいことと世の中にある仕事が結びつかず、自分に何ができるのか、自分はどのような仕事がしたいのかさえ分からず、いつも悶々としていました。今から思えば、答えなどなかったのですが、その当時はない答えを求めて延々と探し続けていたのでした。誰にも言えませんでしたが、自分が役立たずの烙印を押されているようで、苦しい日々でした。

 

だからこそ、卒業生さんの話を聞いてゆくと、まるで自分のことのように感じてしまい、職場(仕事)選びで失敗してほしくない、うまく行ってほしいと心から願うようになります。そうして親身に思うことはとても大切なことですが、少し冷静になって考えてみると、あまり完璧を求めすぎるとかえって良くないかもしれないとも思います。人と仕事の完璧なマッチングなんて、自分のことを振り返ってみても、ほぼありえないからです。そういう考えは傲慢だと思いますし、完璧を求めれば求めるほど視野が狭くなり、完璧から遠ざかってしまう気がします。

 

 

たぶん出会いはセレンデピュティなのです。卒業生さんたちがケアカレに相談しにきてくれたこともひとつの縁であり、私たちはその信頼やつながりを頼りに、できる限りの情報を提供し、可能性を広げることを心がければ良いのです。そこから先を決めるのは卒業生さんであり、さらにその先を広げてゆくのも卒業生さん。私たちは最終的にはその方の運と縁と生命力を信じるしかありません。

2017年

8月

24日

フィードバックとは鏡

施設内研修(ケアカレが施設に出張して行う研修)のチームワーク研修を行う中で、「フィードバックとは鏡であることを学びました」と小野寺先生がおっしゃっていました。フィードバックをする先生が鏡だとすると、フィードバックを受ける生徒は鏡に映し出された自分を見る(見せられる)ことになります。そこには良いことも、改善すべきことも、ありのままに映し出されているべきであり、フィードバックを受けた生徒さんたちは映し出された自分の姿を見て、どのように受け入れ、行動していくかが問われます。そして、私たち学校や先生方は、生徒さんたちにとっての良き鏡となるべきです。

 

(物質の)鏡とフィードバックをする私たちたちが鏡になることの違いは、悪く言えば、完全に客観的にはなれない、良く言えば、映し出すものを取捨選択することができることです。もっとも物質の鏡であっても、光の当て方や角度によって、映し出すものを変えることはできます。絶対的な客観などというものはないのです。だとすれば、私たち(先生方)がフィードバックするときの鏡としての意味は、生徒さんに対して何を映し出すのかを決められることにあります。

 

「ここは良く出来ているよ」と伝えれば、生徒さんは良くできていることを認識し、自信をもって、さらに深めようと思うはずです。「そこは○○した方がもっと良くなりますね」と伝えれば、生徒さんたちは改善点が分かり、次こそはできるようになろうと頑張ってくれるはずです。醜い自分ばかりが映し出されてしまう鏡を見てばかりでば、自信を失って当然ですし、現実離れして盛られた自分ばかりが映っている鏡を見てばかりでも成長は望めません。あまりに多くの情報が映し出されていても、混乱してしまう。フィードバックをする者は、できるだけありのままを映し出すべきですが、相手や状況に応じてどのような鏡になるべきかを選ぶことがもっと重要です。そこに先生としての技量や才覚が現れます。

 

この話には続きがあって、実は自分がどのような鏡であるかによって、また相手の鏡に映し出されるものも変わってきます。もしあなたが醜いものや悪いものばかりを映し出す鏡であるとすれば、相手も同じように醜く悪いあなたを映し返してくるはずです。これは先生と生徒の関係にも当てはまって、生徒さんの良いところを映し出して引き出せる先生は、生徒さんの鏡にもそのような先生が映っていて、良い反応が返ってきてリスペクトされます。

 

 

世の中は合わせ鏡のようになっているのです。あなたが自分の鏡に映し出しているものしか、あなたには見えません。同じ世の中に生きていても、人それぞれに世の中が違って見えるのは、実は世の中という鏡に映し出された自分の姿が違うのではなく、自分の鏡に映し出しているものが違っているということです。善きもの、美しきものが見たければ、まずは自分の鏡にそのようなものを映し出す選択をすればよいのです。

2017年

8月

20日

「ギフト 僕がきみに残せるもの」

 

ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された元NFL(プロフットボール)選手が、手や足が動くうちに、言葉が話せなくなる前に、これから生まれてくる我が子に対して残したビデオメッセージです。完全なドキュメンタリーであり、だからこそ、どれだけ巧妙に作られた映画でも遥か及ばない、圧倒的な迫力と心を動かす力が溢れています。ALSという恐ろしい病気を扱った映画ではありますが、患者本人だけではなく、家族(介護者)や周囲の人々の想いや葛藤が見事に映し出されていて、言葉にならないぐらい素晴らしい映画でした。正直に言うと、今の世を生きる全ての人々に観てもらいたいですし、介護や福祉の仕事にたずさわる私たちは必見だと思います。

スティーヴ・グリーソンはニューオリンズ・セインツの伝説のヒーロー。彼のプレイは人々の記憶に残り、尊敬と賞賛を集める羨むべき存在でした。その陽の部分があるからこそ、難病ALSと診断されてからの彼や妻ミシェルの絶望や苦闘がより際立ち、さらにそこから再び陽の当たる人生を取り戻そうとするパワーには言葉を失うほどの感動を覚えます。もし自分だったら、彼のように笑えるだろうか、泣けるだろうか、叫べるだろうか、愛せるだろうか、考えれば考えるほど、もっと自分の人生を生きなければと突き動かされるのです。

 

一貫しているテーマは、父親から息子に伝えたいことです。スティーヴは息子のリバースに向け、父である自分の全てを知ってもらいたいという一心で、子どもが生まれる前からビデオ日記を撮り始めました。リバースがそのビデオを観る頃には、スティーヴはもう目以外の身体の全ての筋肉を動かすことができず、子どもを抱きしめることさえできなくなっていることでしょう。「(このビデオメッセージは)ハグだよ」とスティーヴが語ったように、父親からのストレートな愛が込められていて、リバースはハグ以上の何かを感じるはずです。

 

ビデオの中にはスティーヴの父も多く登場していて、信仰に対する考え方の違いを巡ったすれ違いの中、「僕の魂は救われている」とスティーヴが父に心の叫びをぶつけ、父がそれに対して本心で応えるシーンは涙なしに観られませんでした。その他、スティーヴが伝説のバンドPEARL JAMのボーカリストにインタビューしたシーンにおいて、「(小さい頃に離別してしまった)父親の何が知りたいか?」という質問に対し、「どれだけ自分のことを愛していたのかを知りたい」と答えたやり取りは、とても深く印象に残りました。

 

 

僕は何ができるのでしょうか。世界中のALSを始めとする難病で苦しむ人々のために、湘南ケアカレッジに来てくださる生徒さんや卒業生さん、一緒に学校をつくってくれている先生方のために、そして私の子どもや家族、大切な人たちのために何ができるのか。今の僕には答えが見つからず、もしかするとそんなことを問うこと自体が傲慢なのかもしれません。それでも、もしこの映画の中からひとつの答えを受け取るとすれば、いつもそばにいること、そして生きる姿を見せることなのだと思います。ただそうするだけで、私たちは互いに何かができるのではないでしょうか。

 

映画「ギフト 僕がきみに残せるもの」の公式HPはこちら

8月19日(土)より渋谷、有楽町にて公開中です!

2017年

8月

16日

ケアカレらしさ

実務者研修の初日のリアクションペーパーに、「やっぱりケアカレらしくて、嬉しく思いました。先生たちも素敵です」と書いてくださった生徒さんがいました。介護職員初任者研修を湘南ケアカレッジで受け、その後、現場を経て、数年ぶりに実務者研修に戻ってきてくださった卒業生さんの声だけに、私たちも嬉しく思います。介護職員初任者研修と実務者研修では、その内容からレベル、目標まで異なりますが、それでもケアカレらしさは同じであり、ケアカレらしさを失ってはいけないと思います。ケアカレに来て良かったと思ってもらえるような学校にしたいという想いは、私を含めた全ての先生方が抱き続けている願いです。

 

ケアカレらしさという意味においては、実務者研修で初めて湘南ケアカレッジに来てくださった生徒さんよりも、初任者研修をケアカレで受けてくれた卒業生さんこそ感じてもらえるのだと思います。ケアカレで実務者研修を受けようと決めたとき、おそらく介護職員初任者研修の充実していた日々を思い出してくれたはず。またあのときのように真剣に楽しく学びたい、あのときよりも成長した自分をさらに高めたいと。その期待を裏切ってはならないと思うと、実務者研修はハードルが一段と高くて責任重大ですね。

 

ところで、ケアカレらしさとは何でしょうか?改めて問うてみると、実は分かっているようで、自分たちでは意外と分かっていないかもしれません。上記の卒業生さんは何をもってケアカレらしいと感じてもらえたのでしょうか。教室の熱気や盛り上がりでしょうか?それとも先生方の興味深い授業でしょうか?介護に対する熱さでしょうか?はたまたクラスの生徒さんたちの暖かい雰囲気でしょうか?もしかするとその全てでしょうか。いずれにしても、介護職員初任者研修を受けた当時の、懐かしいあの感覚が蘇ってきたのだと思います。

 

ケアカレらしさを定義するのは難しいですが、私たちは今まで大切にしてきたことをそのままに、ケアカレらしくあらねばならないのです。だからこそ、実務者研修に参加してくれた卒業生さんに「やっぱりケアカレらしい」とおっしゃっていただけると学校冥利に尽きますし、お互いに変わりなく頑張っている姿を確認できると安心します。

 

 

そういえば、介護職員初任者研修のときに刺繍をプレゼントしていただいた卒業生さんが、3年ぶりに実務者研修に来てくださり、新作の刺繍を贈ってくださいました!最初にいただいたものは事務所へ、新作は教室へと飾らせていただくことにしました。長い歳月を経ても、こうして卒業生さんと私たちの気持ちが変わらずここにあることに感謝したいと思います。ありがとうございます。

2017年

8月

10日

「はざまのコドモ」

私たち人間の生きる世界は多種多彩です。コンピューターのように0と1で構成されているわけではなく、黒と白に分けられるわけでもありません。目には見えないことの方が圧倒的に多くて、だからこそ私たちは想像力を働かせ、他者と共に生きていかざるをえません。しかし最近は、制度を利用したり、適切な支援をするために、人間を分かりやすい形で細分化する必要が出てきて、それによってこれまでは見えなかったもの(見えなくても良かったものまで)が浮かび上がってくるようになりました。発達障害などはその典型であり、支援や治療を受けやすくなった反面、レッテルを貼られたり、カテゴライズされてしまうというデメリットもあります。このマンガには、そうした制度やカテゴライズのはざまに落ち込んでしまった子どもと親の現実が描かれています。

 

主人公のヨシくんには発達障害や睡眠障害があり、小学校の下駄箱の前で寝てしまったり、授業中に突然お弁当を食べ始めてしまったり、学校(社会)生活になかなかなじめません。将来のことを考えると、療育手帳(東京都では愛の手帳)を取得しておくべきですが、ヨシくんは何度テストを受けても、IQが85前後の結果が出てしまうため、障害なしと判定されてしまいます。ちなみに、IQ70以下が「発達遅滞」、IQ90前後からが「正常」と定義されており、ヨシくんのようなIQ70~85ぐらいまでの人たちが「境界知能」、いわゆる知的ボーダーと呼ばれます。制度である以上、どうしてもどこかで線引きをしなければならず、その線の前後ギリギリのところ(ボーダー)にいる人たちは、下手をすると支援が必要であるにもかかわらず支援が受けられないという事態に陥ってしまうのです。

 

マンガの中では、制度に振り回され、偏見や差別を受けながらも悪戦苦闘する親子の姿がユーモラスに描かれていて、微笑ましく、つい応援したくなってしまいます。療育手帳が取れて、特別支援学級に行けばすべて解決するということではなく、普通学級にいながら通級指導などのサポートを受ける方が良いケースもあるそうです。どちらが良いということではなく、本人が安心、安定して過ごせる学習環境においてあげることが大切なのですね。私が子どもの頃は、同じクラスに障害のある人もいたので、個人的には区分けすることなく(そうするメリットも良く分かりますが)、できるだけ共に生きられる方向で支援することが、社会全体としての豊かさにつながると考えています。

 

 

介護や福祉にたずさわる私たちは、はざまに生きている人たちがいることを知っておかなければいけません。一般の人たちには見えなくても、私たちには見えなければならないのです。制度を利用してもらったり、または一見不思議に思える言動を理解するためにも、支援すべき立場にいる専門職である私たちは、相手のことを知ってこそ適切な支援ができるはずです。

2017年

8月

06日

目に見えないつながり

4月からスタートした介護職員初任者研修の日曜日クラスが修了しました。人数の多いクラスでしたが、全員がひとつにまとまり、とても良い雰囲気で研修全体が流れました。「今までの中でいちばん教えやすかった」と言っていた先生もおり、実際に教えさせてもらうとクラスの雰囲気はより体感できるのですね。教えやすいというのは、皆さんが一生懸命に取り組んでくれて、こちらからの投げかけに対しても反応が良く、お互いに協力しながら良い学びにしているという意味でしょうか。研修修了後の打ち上げにも顔を出させていただきましたが、「この15日間の研修は本当に楽しかった!」という気持ちが、全員から伝わってくるようで嬉しかったです。最後の日には、皆さんからの温かいメッセージが記された色紙をいただきました。ありがとうございます!

 

打ち上げに参加させてもらうと、学校の中だけでは分からなかったことも分かります。それぞれの生徒さんたちが、どのように仕事をしていて、どのようなことに困っているのか。またどのような人生を歩んできて、どのような哲学を持っているのか。どのような趣味があって、どのような家族構成なのか。普段はいたって普通の生徒さんに見えていた方が、意外にもハチャメチャな性格であったりする新しい発見もあります。今回の日曜日クラスは、男性にも女性にも複数のリーダーがいて、周りを盛り上げ、良い方向に引っ張ってくれていましたが、それ以外の生徒さんたちも実は個性が強く、本当に楽しいクラスだったのだなと改めて知ることができました。

 

話の流れの中で、どのようにしてケアカレに来てくれたかを知ることもあります。「実は〇〇さんから話を聞いて、ここに決めたんです(〇〇には懐かしい名前が入る)」とか、「今の職場で一緒に働いている△△さんから勧められました。△△さんのこと覚えています?」とか、「私がケアカレに来た理由は、働こうと思ってあるデイサービスを訪ねたら、資格がないと働けないと断られて、帰ろうと歩いていたところ、途中で後ろから走ってくる女性がいて、『学校に行くならばここに行った方がいいよ』と湘南ケアカレッジの名前を聞いて電話したんです」とか。逆に「来月から介護職員初任者研修を受けに来る□□さんは、私の知り合いです。今通っている学校は楽しいよと紹介しておきました」などと教えてくれます。そのような話を聞くたびに、私の中での卒業生さんたちの関係図は更新され、もう整理するのは不可能なぐらいに複雑に、それぞれの生徒さんたちはつながり、結びついていっているのを実感します。

 

 

湘南ケアカレッジが開校してから4年間、ひとつひとつの授業やクラス、ひとり一人の生徒さんたちを大事にしてここまでやってきました。先生方が素晴らしい研修を提供してきてくれたおかげで、目に見えない良い評判や口コミが、町田や神奈川の地域に広まっているのを感じます。友だちの友だちは皆友だちと言うように、ケアカレの卒業生の友だちは皆卒業生のようなつながりが生まれているのです。どれだけ立派なマーケティングや広告でも、決してコントロールできないのが人の気持ちであり、学校に対する評判や信頼です。そのような目に見えないものを、先生方と協力しながら、卒業生さんたちと交流しながら、これからも時間をかけてつくっていきたいと思います。

2017年

8月

02日

もし自分が介護を受けるなら【マナーハウス】

「あれ?間違えたかな?」

マナーハウス横山台に入り、私は訪問する場所を間違えてしまったのかと戸惑いました。エントランスを入ってすぐに絵画が目に止まり、「マナーハウス美術館」と銘打たれています。そう、ここは美術館という別名をもつ介護施設でした。入口だけではなく、建物全体の廊下などの至るところに絵画は飾られており、ご利用者さんは美術館の中で暮らしているのです。

続きは→介護仕事百景【マナーハウス】にて

2017年

7月

30日

趣味にも生きる

湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修、実務者研修では、コミュニケーションやアセスメントの一環として他己紹介を行っています。初任者研修では3日目、実務者研修は初日に行います。まずはペアを組んでいただき、相手のことを聞き出しつつ、その後、他のクラスメイトに対して相手の人となりや趣味などを紹介する。他己紹介をすることによって、ペアを組んだ相手の方と仲良くなれますし、他のクラスメイトのことも知ることができます。それまでは互いのことを知らずに緊張していた雰囲気が一気に和やかになり、クラスメイトに対する見方が変わってくるはずです。平面的にしか見えていなかったクラスメイトたちが、ひとり一人のことを深く知ることで、立体的に見えてくるから不思議です。これがコミュニケーションの効果ですね。

7月短期クラスの生徒さんたちも、たくさんの趣味をお持ちでした。十人いれば10の趣味があるのだなと毎回不思議に思わせられます。趣味の中には、私が知っているものもあれば、知らないものもあります。そのような趣味があるのだと、感心させられてしまいます。その中でも、クロスロジックの趣味には驚かされました。数字に合わせてマス目を塗りつぶしていくと、最後には何かしらの絵が完成しているそうです。これをやっているときには、没頭して無心になれるとのこと。翌日、実物を見せてもらったのですが、あまりのマス目の多さに、完成させるのにどれほどの時間が掛かったのだろうと圧倒されるほどの出来栄えでした。

佐々木先生の授業の中でも、介護の仕事にたずさわる人は特に、気晴らしや気分転換として趣味を持っているといいですねという話が出ます。ここでいう趣味とは、つまりクロスロジックのように、それをやっていると無心になれて、それ以外のことは忘れられる行為ということです。

 

私の場合、趣味と聞かれたら、映画鑑賞やビリヤードと答えることにしていますが、映画もそれほど頻繁に観に行くわけではありませんし、ビリヤードに関しては上手くプレイできないとストレスを感じてしまうのでもはや趣味とは言えないのかもしれません。もしかすると私にとっては、無心になれる洗濯ものを干したり畳んだり、食器を洗ったりすることが趣味なのでしょうか。それとも本を読むと気分転換になることもありますので、読書が趣味なのでしょうか。実はこうした文章を書くことも趣味なのかもしれません。そう考えると、趣味を持つというのは案外難しいものですね。

 

 

これからは、いくつかの仕事と趣味を同時に並行してゆく時代になると思います。これまでは若い頃は仕事をして家族を養い(または子どもを育てるなど)、60歳になって定年を迎えたり、子育てがひと段落したあとに、自分の趣味に専念したりしていました。ところが、私たちの寿命が延びて多くの人々が100年生きる時代が来ると、そのように人生を縦に割るような形では生きていけなくなります。仕事は身体が動くかぎり、できるだけ長く働き続けなければいけませんし、そうすると趣味に生きるはずだった定年後がなくなります。やりたいことがあるならば、できるだけ早くから、今すぐにでも初めて、同時並行に行っていくべきですね。これまでの縦割りの人生プランを横に倒して生きてゆくということ。難しくて大変かもしれませんが、それはそれで新しくて刺激的で楽しい人生プランになるのではないでしょうか。

2017年

7月

26日

自分のルーツを知ること

先日、ウイリング上大岡で行われた岩佐まりさんの講演会に参加してきました。岩佐さんの話を聞きたい方々がたくさん集まり、会場は超満員でした。普段の講演会であれば会場の半分も集まらないそうです。さすが岩佐さんですね。開演ぎりぎりに駆け込んだ私の座る席はもちろんなく、久しぶりの立ち見。実は岩佐さんが話すのを聞くのは今回が初めてでしたが、期待を遥かに超える素晴らしい内容でした。ユーモアと笑いに溢れ、ときに涙あり、そして熱い想いが一貫して伝わってくる、これほどまでに完成度の高い講演はほとんど知りません。いつか近い将来、湘南ケアカレッジでも話していただきたいと思いますので、お楽しみに。

 

岩佐さんの話を聞いていて、ふと感じたのは、今の私たちを形づくったり、支えたりしているルーツがあるのだということです。ルーツとは、日本語に直すと発祥、起源、原点という意味です。つまり、岩佐さんがお母さまの介護をして、こうして多くの人たちの前で介護について話しているのは、決して今たまたま起こったわけではなく、小さな頃までさかのぼってゆくと、お母さまが大好きで仲が良く、友だちと遊ぶよりもお母さんと一緒にいる方が楽しいという子どもだったことや、女優になりたくて上京してテレビに出演したりCDデビューしたりという起源や原点があったからこそ。

 

講演の最後に「なぜ若いあなたがここまでのエネルギーを持ってお母さまの介護をしているのですか?」という質問が出ました。そこにはお母さまが大好きというルーツがあり、それが今の岩佐さんを形づくり、支えているのだと思います。

 

そう考えると、私もなぜ今こうして介護・福祉の教育にたずさわっているのかと振り返ってみると、私の曾祖母に行き当たります。ひいばあちゃん(こちらの方が自然なのでそう呼ばせていただきます)は、私が物心ついた頃はすでにほぼ寝たきりの生活を送っていました。目はほとんど見えず、耳は遠かったのですが、私がお盆や正月などに帰省すると、「大きくなったなあ~」と私の顔のあらゆるパーツを触りながら喜んでくれました。頭ははっきりしていて、枕元で手を握ってたくさんの会話をしました。食事のときにはリビングまで誘導するのが私の役目で、私は後ろ向きになって手を引きながら、一歩ずつゆっくりと10分ぐらいかけて一緒に歩きました。ひいばあちゃんの手の感触は今でも残っています。し、あの当時、ひいばあちゃんと過ごした時間は忘れ得ぬ思い出です。

 

 

なぜ幼い私が70歳近く年の離れたひいばあちゃんと幸せな関係を築けたのか、はっきりとは分かりません。ひいばあちゃんにとって私は可愛いひ孫だったのでしょうが、私にとってのひいばあちゃんは一体何だったのでしょうか。なんとなくではありますが、私にとってのひばあちゃんは神様のような存在だったのかもしれません。あまりにも歳が離れすぎていて子どもと大人という関係ではなく、生活もかけ離れているため同じ世界に住んでもいない、ただ生き物と生き物として、こころとこころで分かりあう、私にとっては波長の合う存在だったのでしょう。あのときの原体験が私のルーツであり、今の私を形づくり、介護・福祉教育を提供するモチベーションを支えてくれているのだと思うと、人生は不思議なものですし、ひいばあちゃんには感謝せざるをえないのです。皆さまも、自分のルーツを探ってみてはいかがでしょうか。

2017年

7月

22日

「残り時間ゼロ」を生きる(再掲)

日野原重明先生による、「101歳 私の証 あるがまま行く」という朝日新聞の連載はいつも秀逸でした。

 

「私たちの命が有限であることは、誰もが心得ています。旧約聖書にはこうあります。『人生の年月は70年ほどのものです。健やかな人が80年を数えても得るところは労苦と災いに過ぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります』」

 

という言葉で始まる「残り時間ゼロ」を生きるというコラムは、今でも鮮明に記憶に残っています。その中で、聖路加国際病院の緩和ケア病棟(ホスピス)に入院された70代のご婦人が、大好きなオペラやバレエを最後まで観て亡くなる話を紹介しつつも、実際には「残り時間ゼロ」を望みどおりに生きることが極めて困難であることの現実を目の当たりにしてきたと告白します。日野原重明先生の死生観が心に響きます。

 

私の尊敬するアップルの創業者であるスティーブ・ジョブズ氏は、スタンフォード大学の卒業式のスピーチにて、「死は人類最大の発明である」、「「今日が最後の日だと思って生きれば、いつの日かその通りになる」、「もし今日が最後の1日だとして、今日することをするか?」と自問し、そうではないと思う毎日が続けば、生き方を変えなければならない、と学生たちに向けて語りました。このメッセージはその場にいた学生たちだけではなく、多くの人々の心を打ち、伝説のスピーチとして歴史に残りました。 

 

日野原重明先生もスティーブ・ジョブズ氏も、死を想って生きることの大切さを説いています。死を想う(メメントモリ)というと、日本人の中にはばかげていると考えたり、死そのものを遠ざけようとする圧力が働くことがあります。まるで私たちの生きている世界には死がないとばかりに。確かに、子どもたちに対して死を想えという教育はあまり有効ではないと思いますが、大人になると、自分たちが死に向かっている存在であることを強く意識するべきでしょう。なぜなら、私たちは死を前にしては裸同然であり、もっと私たちを縛っている色々なものを捨てて、より良く生きることができるはずだからです。

                 

以前にも書きましたが、この先、日本には多死の時代が訪れます。年間で160万人ぐらいの方々が亡くなってゆきます。それは私たちとは無縁のところで起こっているのではなく、私たちの周りで起こる出来事になります。もしかすると、私でない誰かではなく、私かもしれません。そんな時代の中では、死を想い、より良く生きることが何よりも重要になってきます。まずは個人レベルで死と向き合うところから始めなければなりません。それができて初めて、死に向かう人、そしてその家族へのグリーフケアに至るのだと思います。

 

介護職員初任者研修には、「死と向き合う人のこころとからだのしくみ、終末期介護」という科目があり、死について考えてもらい、向き合ってもらうお手伝いをさせていただきます。ぜひ真剣に死と向き合ってみてください。そうすることで、あなたのこれからの人生が少しは変わるはずです。

 

2017年

7月

19日

「光」

「あん」が余りにも素晴らしく、光を巧みに取り入れた映像が美しかったので、次回作が視覚障害者を主人公とした「光」というタイトルの映画であることを知ったときには期待をせざるをえませんでした。そんな私の大きな期待を裏切らない、観終ったあとはさすが河瀬監督と思わせられる作品でした。視覚障害を負うことになった著名なカメラマン中森と駆け出しの音声ガイド美佐子の交流がストーリーの幹ですが、認知症や生と死を扱ってみたり、映画中にもうひとつの映画が上映されるという入れ子構造にもなっているように、実に濃厚で重厚な内容になっています。また、健常者が視覚障害について想いを馳せ、理解を深めるのにもってこいの教材にもなりそうです。

 

個人的には、美佐子と中森の恋愛は蛇足だと思いましたが、美佐子が音声ガイドという仕事を通して、視覚障害者の世界やその心情にぶつかりつつ、理解し始めるシーンの数々が素敵だと思いました。たとえば、音声ガイドに対してあまりにもダメ出しをされたことで、美佐子がつい「想像力がないんじゃないですか」と中森に対して突っかかってゆく場面があります。その後、美佐子は上司から「想像力がないのはどっちなのかな?」と正されます。

 

想像力という言葉はそこら中にあって、「相手の気持ちを想像して」なんて私たちは気軽に言ってしまっている気がしますが、本当に私は想像できているのだろうか?という疑問がふと湧きました。もしかすると、目で見えている情報だけを頼りに、勝手にそう決めつけていたり、自分にとって良いように解釈しているだけかもしれない。私たちには目をつぶって、本当の意味において、想像する時間が足りないのです。

 

視覚を完全に失ってしまう直前、中森が「顔、触らせてくれないかな」と頼んで、美佐子の顔を撫でるシーンも私は好きです。大切なものが見えなくなってしまうことの辛さ、目で見ず手で触ることで脳裏に宿る映像の美しさ、そして映画の中でも語られている「目の前から消えてしまうものほど、美しいものです」という言葉の意味がそこには込められていました。

 

 

目の見えなかった曾祖母が私の顔を撫でてくれたことを思い出し、あのときの感触が蘇ってきて、懐かしく、胸が締め付けられる想いがしました。もし愛する人の美しい姿が見えなくなったら、私はどのようにして生きてゆけるのでしょうか。想像すればするほど、私にはそこに光を見出すことができる自信がありません。

 

「光」の公式HPはこちら

2017年

7月

16日

一歩前に出る

卒業生の岩佐まりさんが、読売新聞の「ケアノート」に登場していると、佐々木先生が教えてくれました。持ってきてくれた切り抜きを読んでみると、改めて頑張っているなあと感心させられ、私たちも刺激を受け、励まされるように感じます。もちろん私たちだけではなく、彼女の言葉や生き方、そして存在に刺激を受け、励まされる人たちがたくさんいるはずです。おそらく彼女は自らその役を買って出たのだと思いますが、周りの目を気にして隠したり、問題を抱え込むのではなく、外に向かって一歩前に踏み出したその勇気に敬意を表します。自分たちのことだけでも大変なのに、同じような状況で困っている人たちの助けにもなりたいと考える彼女を私たちは応援しています。

 

岩佐さんの活動を通して、私も家族介護で困難を抱えている人たちが世の中にはこんなにもいるという事実を知りました。私が思っているよりも遥かに多くの人々が、家族の介護に面し、困っていることすら分かってもらえない、そんな想いを抱えて生きているのです。それは今に始まったことではなく、私の祖母も曾祖母の介護をずっとしていたように、古今東西ずっと行われていたことですが、表に出てこないから、見えない人には見えなかっただけのこと。最近になってようやく、岩佐さんのような一歩前に出た人たちのおかげで、少しずつですが社会の中で見えるようになってきたのです。

 

7月短期クラスの生徒さんが、教室に貼ってあった岩佐さんの記事を読んで、「私もまったく同じでした」と教えてくれました。彼女のお母さまも、岩佐さんのお母さまがそうであったように、50代で若年性アルツハイマー型認知症を発症したそうです。その当時は、若年性や認知症という言葉や病名すらありませんでしたので、今とは比べものにならないほど途方に暮れたはずです。やかんを繰り返し焦がしたり、外に出て行って迷子になってしまうなどは日常茶飯事だったそうです。その生徒さんは口にはしませんでしたが、ひとりで抱え込まなければならないことが、共に立ち向かえる仲間がいなかったことが最も辛かったのではないでしょうか。

 

 

岩佐さんのブログを読んで励まされている卒業生さんもたくさんいて、そのような形で卒業生さん同士がつながっていることも嬉しく思います。「岩佐さんの記事が載っていました。ちょうどお休みが取れたので、横浜で7月17日に行われる講演会に行ってきます」というメールも頂戴しました。私も予定がずらせそうなので参加してきます。いつかケアカレにも来てもらって、卒業生さんたちに向けて、家族の介護について話してもらいたいと思っています。介護の現場で働いている卒業生さんにとっては、家族の生の声を聞くチャンスですし、また同じく家族介護をしている卒業生さんは、岩佐さんのどうせなら楽しく介護をしたいという姿勢に共感するはずです。

2017年

7月

12日

幸福論【サンホーム鶴間】

「社会福祉(法人)はそもそも企業とは違います」

 

課長の川上さんはきっぱりとそう言います。お金だけを求めたら、つかんだ砂が手から零れ落ちるように流れていってしまうけれど、目の前の人を拒まずに全力で向かい合っていきさえすれば、いつか必ず報酬はついてくる。「サンホーム鶴間は、あんなに大変そうな人も断らずに受け入れている」という地域の人たちからの厚い信頼になる。「困ったときにはサンホーム鶴間に行ってみよう」と、お金では買えない行動という価値が生まれる。そんな時間をかけて染み渡った評価は施設にとっての財産となるのです。

 

3人がかりで対応しなければならないほど介助を必要とする方が、デイサービスを申し込みに来ました。他のデイサービスでは、1人のご利用者さんに3人もの職員がつくのは割に合わないと断り続けられたそうです。職員さんたちに受け入れるかどうか尋ねてみると、「これは私たちでないとできない仕事ですね」と答えたそうです。もう1度言います。「私たちにはできない」ではなく、「私たちでないとできない」と返ってきたのです。

 

続きは→介護仕事百景【サンホーム鶴間】にて

2017年

7月

08日

どう考え、何を伝えるか

6月短期クラスが修了しました。湘南ケアカレッジが始まって以来、最も人数の少ないクラスであったにもかかわらず、ひとり一人がとっても個性的で、人数の少なさを感じさせませんでした。たとえ人数が多くても、私たちはひとり一人の生徒さんたちをしっかりと見ていますが、人数が少なければその分、ひとり一人の個性が際立って見えてくるのは確かなようです。「みっちりと実技の練習ができて良かった」とおっしゃってくださる生徒さんが多かったです。そう、本当にみっちりと練習ができたのです。そう考えると、少人数のクラスで良かったと思うことができますね。同じものごとや状況でも、どう考えるかで、私たちの世界は全く違うものになってしまうのです。

 

私たちは今までのクラスをずっと見てきて、今回のクラスは人数が多い少ないと、数字や見た目で判断することができます。経験や知識があるからこそ、今までに比べて人数が少ないと分かり、少ないことで盛り上がらなかったり、人と人がつながらなかったりしないだろうかと心配をしてしまう。そこには多い方が良いという思い込みがあったり(もちろん学校としてはたくさんの人たちに来てもらいたいと願っていますが)、いつもと違うことで不安を抱いたり、勝手にやりにくさを感じたりするかもしれません。でも今回初めて湘南ケアカレッジに来てくださった6月短期クラスの生徒さんたちには、これが当たり前なんですよね。当たり前というか、これぐらいの人数であることに何ら不思議を感じない、ニュートラルな気持ちです。思い込みも偏見もない状態ということでしょうか。

 

ということは、経験や知識のある人たちが、どのような情報を伝えるかによって、状況は変わってくるということです。たとえば、今回のクラスでいえば、「人数が少ないから、盛り上がらないかもしれないし、人と人のつながりも薄いかもしれません」と伝えると、生徒さんたちはそのように考え、人数の少ないクラスをそのように見るようになるはずです。その逆に、「人数が少ないから、他のクラスよりもみっちりと練習できるし、人とのつながりも密になるかもしれません」と伝えると、生徒さんたちはそのように考えてくれるようになるかもしれません。つまり、知識や経験のある人たちが、これからの人たちに対し、何をどのように伝えるかは、同じものごとや状況に対する見方を180度変えてしまい、自分たちを取り巻く世界さえも変えてしまうということです。

 

 

どのように伝えるかは、私たちがどのように考えるかということでもあります。たとえば、人数が少ないという状況を、みっちりと練習できる良い機会だと見ることができれば、そのように伝えることができます。伝える側は、視点のスイッチを切り替えることができなければいけないのです。自分が見たことや感じたことをそのまま伝えるのではなく、様々な視点から考えてみて、その中から相手にとって最善の見え方を伝えるということです。人数が少ないクラスというテーマだけで大げさに書いてしまいましたが、私たちが物ごとや状況をどう見て、何を他者に伝えるかによって、少しずつですが大きく世界は変わってくることを心に留めておきたいと思います。

2017年

7月

04日

命の仕舞いかた

医師である長尾和宏さんと看護師の髙口光子さんの講演「命の仕舞い方」を聞きに、静岡の富士市まで出かけてきました。この講演については、お付き合いのある特別養護老人ホーム「マナーハウス麻溝台」(髙口さんが手掛けている神奈川の施設)を通じて知りました。生の高口さんを拝見したいという気持ちと、以前に当校のブログでも紹介させていただいた「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで」の著者の話を聞きたいという、ひと粒で2度の美味しさを求めて新幹線に飛び乗りました。講演のテーマは、ターミナルケアであり、しかも病院ではなく、在宅や介護施設で死ぬことについて。つい先日、小林麻央さんが在宅で亡くなったこともあり、講演を聞きに多くの方々が足を運ばれていたように、これからの(高齢)社会を生きる私たちにとって切実な問題になっているのだと実感しました。

 

長尾和宏医師の講演は実に見事でした。今の時代を生きる私たちにとっての死に方は、大きく分けて3つのコースあるそうです。Aコースはガンによって。私たちの2人に1人はガンという病気になり、3人に1人はガンで死にます。ガンによる死は、健康状態や身体状況があっと言う間に悪くなり、死に至る。「今この会場にいる皆さまの3人に1人はガンで亡くなります。分けてみましょうか(笑)」というブラックジョークはブラックではないのです。Bコースは、心不全など臓器が完全に働かなくなることによる死です。ガンに比べると比較的なだらかに死に至ります。Cコースは認知症。こちらは実になだらかに死に向かっていきます。「さあ皆さん、AコースとBコース、Cコースのどれが良いですか?」という問いはブラックジョークを通り越し、たとえ今まだ若くても人間は誰もが死から逃れられない存在であり、死に方さえも実は選ぶことが難しいのだと教えてくれます。

 

しかし、どこで死ぬか、つまり死に場所は選ぶことができるのです。病院なのか、介護施設なのか、それとも在宅か。私たちにはせめても死に場所を選ぶ権利があり、そのためには、それぞれの場所における死がどのようなものであるかを知っておく必要があります。長尾さんは在宅における死を「枯れる」と表現します。食事の量や摂取する水分の量が少しずつ減ってゆき、まるで花が枯れるように亡くなってゆくことができる。そして、最後の最後まで家族や大切な人たちと一緒に過ごし、話をすることができるのです。この「枯れる」という言葉を聞いたとき、生徒さんたちがくださった花が綺麗に枯れて、最後は美しいドライフラワーになったことを思い出しました。

 

 

髙口さんはイメージどおりの人でした。生で会ってみると印象が変わったりする方もいますが、明るさ、快活さ、芯の強さや温かさを感じさせる女性でした。髙口さんはALS(筋萎縮性側索硬化症)を患って施設に入ってきたKさんという方を取り上げつつ、介護施設での死を語りました。介護施設での死はあまり知られておらず、誤解されているかもしれませんが、病名で死ぬ病院とは違い、その人として亡くなることができると主張されていました。具体的なことは、著書「介護施設で死ぬということ」を買ってきましたので、そちらで紹介させていただきますね。

 

髙口さんが最後におっしゃっていた、「非日常的な1日というのは、日常的な毎日を長い間にわたって積み重ねて来た者たちだけの間に訪れる」という言葉が印象的でした。介護の仕事というのはそういうものですし、またターミナルケアに光が見えるとすれば、それは日常的な暮らしの中における美しい一瞬なのだろうと思うのです。それは経験した者にのみ分かることなのかもしれません。

 

長尾さんは小林麻央さんの死を取り上げ、海老蔵さんの会見には在宅における死の大切さが詰まっているとおっしゃっていました。

2017年

6月

30日

美男美女が集う【かりん・町田】

「うちは、綺麗な人が多いです」

施設長の川亦(かわまた)さんは胸を張って、こう話されました。介護の業界において、様々な取り組みをしている施設は数多くありますが、某有名カフェのように、ついにビジュアル重視の採用に力を入れ、美男美女を集める施設が現れたのかと私は驚きました。そんな浅はかな勘違いに、最後まで疑いを抱かせないほど、かりん・町田で働く職員さんは印象の良い方ばかりでした。

 

続きは→介護仕事百景【かりん・町田】にて

2017年

6月

26日

今日から第二の患者さん

がん患者の家族は看病の不安やストレスで悩まされ、その心の負担は患者と同じかそれ以上と言われます。つまり、患者同様にケアされるべき第二の患者なのです。がんのような重篤な病気であればあるほど、患者本人への心配や注目が大きくなってしまいがちですが、その傍らにいるパートナーや親、子どもたちにも同じように大きな心的負担が掛かるという視点は大切なのだと思います。これはがんだけに限ったことではなく、長期にわたって療養が必要な他の病気でも同じことが当てはまるはずです。そうすると、介護が必要になった要介護者の周りの家族も第二の要介護者と考えることもできるのではないでしょうか。

 

著者の青鹿ユウさんは、入籍の前日に婚約者である夫から大腸がんを告げられ、看病をすることになります。最初は「私がいるから大丈夫」と、自分に頼ってもらおうと気丈に振る舞っていましたが、次第に大きな不安や何とも言えない心苦しさが襲い掛かります。たとえば、入院中でもマンガを描きたい夫と身体を気遣ってあげるべきとアドバイスしてくれる友人の間に板挟みになり、どうすれば良いのか悩んだり、術後のパニックで暴力的になってしまうほど夫がナーバスになったり、経済的に厳しくなったりと、ガンという病気が引き起こす状況にいつの間にか自分も巻き込まれて、もがいているのでした。

 

こういう苦しいときほど、少しでも状況を良くしようと考えたり、工夫したりすることで、新しい何かが生まれたりします。ユウさんもがんという病気や保険などの制度に対する様々な知識を得ただけではなく、患者との接し方やコミュニケーションのあり方など、多くを学び、よりふたりの絆は深くなりました。良い状況はそれを楽しめば良いし、悪い状況は何かを生み出すチャンスだと楽しめば良いのです。

もうひとつ大切なことは、状況は変わるということです。義理の母を介護しているNちゃんと話した中で、「状況は変わる」という言葉にユウさんがハッとさせられたシーンがあります。今でなければできないことなんてない。状況はいつか変わるのだから、そのときめいっぱい自分のことをがんばるのでも遅くないと教えられたのでした。

これは病気や介護だけではなく、どのような苦境にある人々にとっても知っておくべき考え方かもしれません。今目の前にある悩みや苦しさから何とか逃れようともがけばもがくほど、私たちは苦しくなってしまいます。大切なことは、苦しいときにこそ、目の前のことに集中することだと思います。私は「時間が解決する」と自分に言い聞かせることにしていますが、それは先のことを考えすぎるのではなく、何もしないということでもなく、今自分ができることをひとつずつ積み重ねて、あとは状況が変わるのを待つということです。たとえ最後に死が待っていたとしても、行うことは同じなのではないかと私は思います。

 

 

2017年

6月

22日

ケアカレ中毒⁉

「ケアカレ中毒になりそうです」とおっしゃった卒業生さんがいました。中毒なんていうと聞こえは悪いですが、つまり湘南ケアカレッジに行きたくて仕方なくなる心の病です(笑)。かつてはケアカレロスなんていう言葉もあったように、湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修で過ごした15日間の濃厚な時間が忘れられず、研修が終わって寂しい思いをしたり、また通いたくなる気持ちになるそうです。クラスメイトや先生方と共有した時間が、それだけ素晴らしかったのでしょうね。

 

先日は、実務者研修で仲良くなった4人組が事務所に訪れてくれました。実務者研修が現場で役に立っている話から、困っていることやちょっとした悩みまで話してくださいました。お昼休みの時間でしたので、小野寺先生が話しを聞いてくださって、「また新たな気持ちで明日から仕事に向かえそうです!」とおっしゃって、皆さん帰って行かれました。私としては、たった7日間の実務者研修で生徒さんたち同士が仲良くなり、一緒にケアカレに再訪できるようなつながりになったことが何よりも良かったと思いました。

 

 

今月はたくさんのお土産もいただきました。静岡では大切な人に贈るとされている「ゆかり」や富山の「ちんみ」、僕も好きな「シュガーバター」、水分補給には欠かせないお茶、鎌倉のパウンドケーキなど。手ぶらで来てもらえればと思うのですが、お土産を買っていこうとケアカレのことを考えてくださっていることが嬉しいですね。また、お土産を持ってきてくださった卒業生さんには、他の卒業生さんからいただいたお土産をお返ししたりして、なるべく感謝の気持ちが循環するようにしています。

最近卒業された生徒さんからは、お手紙つきでお菓子をいただきました。彼女は4年近く前に一度、介護職員初任者研修を受講してくださいましたが、途中で大きな病気になってしまい、ずっと休学していました。彼女のお母さまから電話が掛かってきたときのことは今でも忘れません。つい昨日まであれだけ元気にしていたのに、もう少しで修了のところまで来ていたのに、そんなことが起こるのかと唖然としました。

 

あれから長い歳月が経ち、彼女自身から電話をもらい、もう1度通いたいと言ってくれたときは、心から良かったと思えました。彼女は最初から授業を受け直し、無事に修了したのです。4年もの期間が開いても、再び湘南ケアカレッジに来たいと思い、仕事をしながらも最後まで通い切ったことに彼女の意志の強さと人間としての成長を見た気がしました。そして、先生方の提供する研修の持つ、毒ではなく、ある種の熱のようなものを感じざるをえませんでした。

 

 

湘南ケアカレッジに来てくれて、ありがとうございます。

2017年

6月

17日

分かろうとすること、分からないこと

晴天の下、第3回「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」が行われました。梅雨入りをしたとのことで、当日、雨が降らないかどうか心配していましたが、汗がにじむぐらいの良い天気となり、ひと安心しました。参加してくださって皆さまの日ごろの行いが良いのでしょう。この研修はほとんどが屋外で行われますので、どうしても天候に左右されてしまうことは否めません。午前中は芹が谷公園に行き、車いすの操作等をみっちり練習し、午後からはペアになって、それぞれの目的地(行きたい場所)へと旅立ちます。特に午後からの、ほぼ自由行動に関しては、実際の(車いすに乗った)利用者とガイドヘルパーとして街に出て、様々な体験をしてもらいます。そうすることで、普段の私たちの視点では見えないものが見えてくる、感じられないものが感じられるのです。

 

全身性障害者ガイドヘルパー養成研修の内容を作り始めた当初は、外に出るときは、腕に湘南ケアカレッジの名前が入ったリストバンドをつけてもらおうと考えていました。たまに「研修中」というゼッケンを付けている団体を見ますよね。そうすることで、私たちは当事者ではなく、研修をしている一般の人ですというアピールになり、車いすの人たちが団体でいてもおかしく思われません。

 

ただ、湘南ケアカレッジの全身性障害者ガイドヘルパー養成研修は、2人1組で個別に行動してもらう以上、目立ちませんし、むしろゼッケンやリストバンドをつけてしまうことで、周りの人たちも当事者として見てくれなくなります。つまりそれは当事者としての体験ができないことにつながるのです。そこであえて私たちは、何もつけることなく、普通の格好で街に出ることにしたのです。

 

その企画は当たりで、生徒さんたちはそれぞれの体験をしてきてくださいます。周りの人たちの優しさに触れた方、危険や不自由、障害を感じた方、できるだけ当事者に近い状況を設定することで、普段は感じることもなかったことに気づき、新しい視点や感覚を獲得することができるのです。小野寺先生が「5感を使って学ぶことが大切です」とおっしゃっていたように、テキストや練習で学んだことはすぐに忘れてしまいがちですが、自分で行動して学んだことは永遠に残ってゆくのです。

 

 

それでも、と思います。私は毎回、午前中の練習に付き添っていて、生徒さんたちと一緒に芹が谷公園に向かいます。その途中で(芹が谷公園の中の道で)いつもすれ違う、車いすの少年とその父親らしき方がいます。最初は、実際にこうして車いすを押している当事者の方がいることで、研修のリアリティが増すと考えていました。ところが、今回で通算11回目になるのですが、毎回すれ違うのです。彼らは毎日(もしかすると毎週日曜日だけかもしれませんが)、午前中はずっとそうして公園の中を散歩しているのです。たまたますれ違っているのではなく、彼らはずっと公園の中を回っていて、それは毎日の日課なのです。そのことに気づいたとき、私たちはどれだけ工夫をしたところで、完全に当事者の気持ちになることは不可能だと思ったのです。少年やその父親がどのような想いで毎日、芹が谷公園の中を車いすで回っているのか、私たちには分からないのです。当事者しか当事者にはなれないという大前提を踏まえつつ、それでも私たちは、少しでも彼ら彼女らに近づいてゆこうとすべきなのではないでしょうか。