2020年

5月

25日

そっくりそのまま自分に返ってくる

昨年末、今年72歳で介護福祉士に合格された卒業生さんが、菓子折りを持って、遊びに来てくれました。あらかじめお電話をいただいていたので、一緒にランチをすることに。介護の現場のことやあと数年で定年になってしまうこと、亡くなった奥さまのこと、若かったときのことなど、近くのネパール料理屋で舌鼓を打ちながら話してくれました。私よりもウン十年も長く生きている大先輩が何を考え、何を思うのか、私は昔から年長者の話に耳を傾けることが好きでした。自分にとっては未知の領域だけに、最後は想像するしかないのですが、すでに経験をされている人たちの言葉には重みがありますよね。

 

「40ぐらいから、あっという間だったな。若い頃は、何だよジジイって思っていたけど、今は自分がそのジジイになっちゃった(笑)」と彼は軽快につぶやきました。保坂和志さんという作家による、「三十歳までなんか生きるなと思っていた」というエッセイがあります。若い頃は心のどこかで年長者を拒絶する自分がいて、自分はあんな大人にはなりたくないと思っていたけれど、いつの間にか自分も当たり前に30歳を超えてそんな大人になっていた。しかし最後には、「歳をとってみっともない姿になって生きていることを「凄いんじゃないか」と、いよいよ自覚的に考えるようになった」とも保坂さんは書きました。

 

若いときには若いときの、年を重ねたら重ねたときの、それぞれの想いがあるのだと思います。人間誰しもが、半ばで息絶えない限り、どちらの気持ちも体験するのです。過去と現在、そして未来はつながっていて、ぐるぐると回っている。他人の現在であって、自分の未来ではないと思っていたものが、いつのまにか自分の未来となり現在となる。自分はいつまでも子どもだと思っているのは難しく、気がつくとあなたは老人ですと言われている。自分よりも未来を生きている年長者と話すと、輪廻転生というと大げさですが、自分も他者の人生も巡りめぐっていることを肌で感じることができるのです。

 

そんな中で直感するのは、自分が今、年長者に対して行っていることは、自分がそうされる未来であるということ。つまり、年長者を尊敬すれば、自分が年長者になったときにもそうされる。その逆もまた然り。年長者をぞんざいに扱っておいて、自分が年長者になったときに丁寧に接してもらえると思うのはあまりに勝手です。今目の前にいる年長者は未来の自分であり、自分がどうしてもらいたいかを決めるのは実は自分だということです。

 

 

自分がしていることは、そっくりそのまま自分に返ってくる。そう考えると、高齢者の介護に携わる私たちの役割は大きいですね。あなたが今している介護が、あなたが高齢者になったときに受ける介護です。自分がそうしてもらいたいと思うように、私たちは振舞わなければいけないのです。

2020年

5月

21日

良い方へ目を向けよう

ここ数日、ケアカレのホームページを見て学校が再開されているのを知ったからか、卒業生さんたちが続々と教室に足を運んでくれています。「介護福祉士に合格しました!」という報告であったり、「こんな状況ですから、何かお手伝いできることがあれば」という嬉しい声を掛けてくれてくださいました。おそらく、4月に入ったら挨拶に行こうと思ってくれていたのに休校していたので、今来てくれたのでしょうね。ウイルスによって人と人の間に距離ができて、心が離れてしまいがちなこの時期でも、ケアカレを思い出して、顔を見せてくれる卒業生さんには感謝の言葉しかありません。

 

ひとりの卒業生さんは、今年介護福祉士に合格し、その勢いで医療・介護連携士という資格を取ろうと予定していましたが、このコロナ騒動で中止になってしまったそうです。彼は初任者研修でも実務者研修でもクラスの中心となり、周りのクラスメイトを正しい方向に引っ張ってくれました。そして、ケアカレの方向性についても、深く理解してくださっています。その上で、今回時間ができたので、何かお手伝いできることがあればと申し出てくださいましたが、すぐにこれといったことを提案できずにすいませんでした。何せケアカレも今年は、いつまた緊急事態宣言が叫ばれるのかとびくびくしながら、それでも人間性を失わずに世界観が変わる福祉教育を提供するために、粛々と運営をしていなければならないと思っています。皆さんが安心して、心から楽しんで授業を受けられるような日が早く来るといいですね。

 

もう一人の卒業生さんは、ケアカレの実務者研修のテキストだけを使って筆記試験の勉強をして、100点合格したという強者(つわもの)です。アプリで過去問はやってみたけれど、あまり役には立たなかったそうです。たしかに過去問はテストの傾向を掴むことはできますが、同じ問題は二度と出ませんから。ただし、自分の苦手な分野を把握することはできたので、その分野を重点的に、テキストを読んだりして学んだそうです。実に効率的な勉強法ですね。今は訪問介護をやっているので、買い物支援であらゆるドラッグストアに行く機会があり、エタノール70%の消毒液があったのでと買ってきてくれました。今の時期はお菓子よりも消毒液の方が実用的ですね(笑)。ありがとうございます。

それ以外にも、たくさんの卒業生さんが代わる代わる遊びにきてくれました。こんな状況においても、わざわざ立ち寄ってくださって、ケアカレの卒業生さんたちは本当に温かいし優しいなと思いました。もしかすると、私だけが勝手に、世の中の人たちの心が離れて行ってしまっていると誤解していたのかもしれません。マスクやビニールシートによって遮断されてしまっていても、私たちの心は確実にそこにあって、想像力次第でつながることはできる。そう卒業生さんたちに教えてもらった気がします。これからも良い方向を見ていきたいと思います。

 

最近、良く聴いているジェイソン・ムラーズの新曲です。

2020年

5月

15日

同行援護従業者養成研修(5月、11月クラス)募集開始します!

目を閉じてみてください。音はそのまま聞こえてきますが、視覚からの情報は失われてしまいます。そう、見える人が目をつぶると、見えなくなる不安や怖れを感じます。見えている状態が普通であって、そこから光や情報が失われていく。単なる引き算であり、マイナスという感覚です。しかし、目の見えない人は、何も見えない暗闇の世界を生きているのでしょうか?

 

もう1歩踏み込んで、目の見えない人は、目の見える人には見えない世界を感じているのではないか、と考えてみてはいかがでしょうか。

 

「同行援護従業者養成研修(一般課程)」は、視覚障害のある方の外出支援(ガイドヘルプ)について学ぶための研修です。

 

→目の見えない人の世界に興味がある

→同行援護の仕事をするにあたって必要な、正しい知識や技術を身につけたい

→高齢者介護とは全く違う、視覚障害者の支援について、深く学びたい

 

という方は、ぜひご受講ください。

 

ガイドヘルパーの仕事に即した、実践的なオリジナルコンテンツ

①基本技能と専門的知識

同行援護の基本技能に関しては、基本姿勢を徹底します。利用者さんの半歩前に平行にきっちりと立つ、脇を締める。美しい姿勢が保たれることで、安全と安心が確保されるのです。できるガイドヘルパーかどうかは、姿勢を見れば分かります。何よりも先に、基本姿勢をしっかりと身につけることが大切です。

 

その他、アイマスクをしながらの食事介助や、階段昇降やまたぎ、トイレの介助についてなど、あらゆる場面における基本的な動作をみっちり練習します。2日目は町田駅を利用させていただき、エスカレーターの上り下りや電車の乗降など、実際のガイドヘルプを想定した実践的な体験をしてもらいます。

②当事者との交流・相互理解

視覚障害のある方が実技演習に参加してくれます。実際の交流を通して、同行援護の正しい技術や実際のガイドヘルプ活動を体験することができます。

 

当事者の方と実際に触れ合ってみること、直接に話をすることによってこそ、相互の理解は深まるはずです。

 

当事者の方が、グループワークにも参加して、視覚に障害のある方の気持ちや考え、経験談などを語ってくださいます。私たちの想像を超える話が飛び出すかもしれませんね。

③屋外での実習

ガイドヘルプ本来の目的は、余暇をいかに楽しく過ごしてもらうこと。そこで、屋外に外出することにしました!

 

教室から町田駅、町田駅から電車に乗って橋本駅まで、歩き回ったり、食事をしたり、100円ショップに寄って買い物をしたりします。視覚障害のある方とガイドヘルパーが過ごすように、私たちも外出の研修を楽しみながら、あらゆる局面における実践的な学びを得ることができます。

タイムテーブル

第1日目

 9301130  

2

同行援護の制度と従業者の業務

 11401400

*途中休憩20分挟む 

2

同行援護の基礎知識

14001800 

4

基本技能

第2日目

 9301130  

2

情報支援と情報提供

 11401400

*途中休憩20分挟む 

2

代筆・代読の基礎知識

14001800 

4

応用技能

*昼食はガイドヘルパーの演習の流れの中で召し上がっていただきます。

*雨天決行になりますので、雨天の場合は雨がっぱ等をご用意ください。

修了証明書

研修終了後には、「同行援護従業者養成研修」修了の資格が手に入ります。この資格を持っていなければ、同行援護の仕事に従事することはできません。もちろん、履歴書にも「同行援護従業者養成研修修了」と書いていただけます。

講師紹介

千種珠美

尾形亜希子


湘南ケアカレッジの講師は、同行援護(視覚障害者のガイドヘルプ)の経験が豊富であり、教えることに対しての技術と情熱を持っています。分かりやすく丁寧に教えさせていただき、同行援護の仕事の素晴らしさをひとりでも多くの人々に伝えたい、と願っております。

受講料

19,000円(税込、テキスト代込)

定員

24名限定

*授業内容の関係上、1クラスを少人数に限定させていただくことをご理解ください。

受講資格

介護職員初任者研修課程修了者(修了予定者を含む)、ホームヘルパー2級課程修了者、介護福祉士並びに東京都居宅介護職員初任者研修課程及び東京都障害者居宅介護従業者基礎研修課程修了者、東京都障害者(児)居宅介護従業者養成研修1級課程、2級課程及び3級課程(旧東京都障害者(児)ホームヘルパー養成研修の各課程を含む)の修了者(修了予定者を含む。)、介護保険法上の訪問介護員、実務者研修修了者、介護職員基礎研修課程修了者。

研修日程

第1回

第2回

3月21日(土)、

4月4日(土)*終了

5月31日(日)、6月6日(土)*まだお席あります

第3回

 

11月22日(日)、29日(日)

*募集開始しました!

 

*同行援護従業者養成研修(一般課程)は全2日間で修了する研修になります。

 

*定員の関係上、振り替えはできませんのでご了承ください。

研修会場

湘南ケアカレッジ町田教室 

生徒さんの声

感動しました

 

とても勉強になりました。介護の仕事をしているため、どうしても体全体で介助してしまいたい気持ちになってしまいます。色々な研修を受けてきましたが、初めてのことが多く、受講して良かったと思います。特に階段の乗降など、とても難しいと思いました。食事の介助は、仕事では全介助が多いので、今回の体験で説明がとても必要だということも分かりました。あまり見たことがない福祉用具が多く、便利であることに感動しました。(伊東さん)

私の人生にとってプラス

 

アイマスクをしていたことで、キャンディの味が分からなかったりと、見えない経験は貴重でした。お弁当の説明や市役所のスロープ階段体験、トイレの入り方等、勉強になりました。自らがアイマスクを使用し、利用者役になることで、基本姿勢の意味が理解できました。熱心に教えてくださる先生方の気持ちが伝わり、もっと勉強したいと思いました。レストランでの水の出し方、切符の買い方等も学び、何より畑山さんにお会いできたことは、私の人生にとってプラスになりました。(笹田さん)

目が見えないと他の感覚が鋭くなる

 

1日目の研修では見えない世界を初体験し、目が見えないと他の感覚が鋭くなると感じました。そして、過剰な介助は不要だということも知りました。食事の説明においては、物の説明はきっちりと、位置関係ははっきり伝えることさえ出来れば、かなり自立で行ってもらえることを知りました。「介助」と「お世話」の違いを自覚し、しっかり「介助」出来るガイドになりたいと思いました。Sさん)

こどもの国は草の香りや風がとても爽やか

 

分からないことを一つひとつ学ばせていただくことの喜びを感じつつ、エレベーターやエスカレーターの介助、切符の買い方など、全てが初めてで大変勉強になりました。こどもの国は草の香りや風がとても爽やかでした。最初はしっくりしなかったグループワークも、2日間研修でご一緒しているうちに親近感を覚えました。とても楽しかったです。(柏木さん)

せっかく覚えたことを忘れない

 

基本姿勢を覚えるのが大変でしたが、研修初日の後、右腕をふらないことを意識したり、右側に人がいることを想像しつつ行動しました。トイレに入る時にも、誰かを同行援護しているつもりで言葉を頭の中で繰り返したり、せっかく覚えたことを忘れないように努力しました。階段や屋外、舗装外道路などでは案内すること、される事の大変さを知りました。大変貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。(Sさん)

繰り返し練習できたので良かった

 

基本姿勢や階段の昇降、またぎ動作など、繰り返し練習できたので良かったです。音と香りのコラボレーションは楽しかったです。実践的な練習(エレベーターやエスカレーター)電車の乗降などできてよかったです。休日で混んでいて大変でしたが、この研修に参加できてよかったです。ありがとうございました。(Aさん)

世の中が変わる

 

目からの情報がないだけで、こんなに世の中が変わるのですね。同行援護も十人十色。基本をしっかり忘れないようにと思いました。何でも勝手にするのではなく、きちんと同行援護の本質を理解しなければいけませんね。2日目はかなり遠くまで行った気がします。安全のためにも、利用者さんの必要とする情報をきっちりと伝えられる介助者になりたいです。(澁谷さん)

お申し込みの流れ

①以下のお申し込みフォームに入力してお申し込みください。もしくはお電話(042-710-8656にて直接お申込みください。

いずれの場合も、ご希望のクラスが定員になりますと受付できませんのでご了承ください。

 

②受講確認書をお受け取りください。

ご自宅に「受講確認書(受講料お振込みのご案内)」が届きます。

 

  受講料をお振込みください。

「受講確認書」が到着後、1週間以内に受講料をお振込みください。お振込みは、銀行ATM やネットバンキングからでも可能です。※手数料は各自でご負担ください。また、お振込みは案内をよくご確認の上、お願いいたします。

 

④研修当日 申し込みクラスの日時をご確認の上、教室までお越しください。当日、テキストをお渡しします。

 

お申し込みフォーム

2020年

5月

13日

「居るのはつらいよ」

大学院まで通って臨床心理学を学び、博士となった著者は、心理カウンセラーの道を志すものの、目の前にあるのはデイケアの仕事のみ。セラピーをやりたかったのに、ケアの仕事しかない世の中のつらさは私も痛いほど分かります。社会とのボタンの掛け違いからスタートすると、理想と現実のはざまで、ずいぶんと苦労しなければいけません。最初はケアをセラピーよりも下だと見下していた著者も、うさぎ穴に落っこちて、地を這うような時間を過ごしたことで、ケアとセラピーの本質に気づいていくという物語。1章ごとに扱われているテーマがとにかく深く、その心理的な観察眼と洞察には敬服します。ケアの現場をポップに語りつつも、私たち人間がそこにいることの意味や価値を見つめ直す素晴らしい作品です。

 

沖縄の精神科デイケアで働くことになった著者は、「とりあえず座っておいてくれ」と言われますが、数時間もすると、それがいかに難しいかに気づきます。利用者さんと話してみても長くは続かない。誰もが押し黙っている凪(なぎ)の時間が、精神科デイケアにはやってきます。ただ「いる」ことが難しいと感じた著者は、何か「する」こと(たとえばカウンセリングなど)はないかと探し始めますが、何もないのです。そこは「いる」が求められている場所なのです。時間が経つにつれて、次第に著者も「いる」ことができるようになります。

 

僕はあのとき、カウンセリングもどきなんかをするのではなく、二人でデイケアに「いる」べきだった。一緒に、退屈に、座っているべきだったのだ。座っているのがつらければ、せめてトランプをやるとか、散歩をするとか、何かしら一緒にいられることを探すべきだった。ジュンコさんが求めていたのは、セラピーなんかじゃなくて、ケアだった。心を掘り下げることではなく、心のまわりをしっかり固めて安定させてほしかったのだ。

僕は間違っていた。何も彼女のことをわかっていなかった。

「いる」のがつらいのは僕だけじゃやない。「いる」のがつらくって、いろいろな声が聞えてきてしまう人たちが、ここに集まってきているのだ。デイケアって、そういう場所なのだ。

(中略)

とにかく「いる」。なんでもいいから「いる」。僕は「いる」ことを徹底することにした。となると、やれることは一つしかない。とりあえず座っている。これだ。

 

仕事にも慣れてくると、周りのスタッフの動きにも目が止まるようになってきます。精神科デイケアは普段こそ何も起こらない時間によって支配されていますが、何のきっかけもなしに、たとえば利用者さん同士の争いなど、いきなり起こるのです。そんなとき看護師がすぐに動いて、利用者さんの体に触れるシーンを見て、自分との違いを感じながらも著者は考えます。

 

看護師は何かが起きたときに、まず動く。目の前で誰かが倒れたとき、混乱しているとき、怪我をしたとき、具合が悪いとき、助けが必要なとき、看護師は即座に手を差し伸ばす。体が反射的に動く。

(中略)

僕らは「何が起きているのだろう?」と一拍考え、「どうしたらいいのだろう」とさらに一拍考える。それから動く。そのときに、看護師はもう走り出していて、体に触れている。僕はその後ろ姿を、指をくわえて見ている。

(中略)

そういうとき、看護師さんたちはメンバーさんの体に触れていた。リュウジさんの体を抑えたように、あるいはユリさんを抱きかかえたように、迅速に看護師たちは触る。体が触れられることを必要としているとき、看護師たちは反射的にそこに手を当てることができる。そしてそれが、メンバーさんを落ち着かせ、火を小さくする。

 

さらに著者は、心と体は分離されたものではなく(特にデイケアに集まってくる人たちにとっては)、心と体は混じり合い、「こらだ」になると考えを進めます。つまり、看護師さんたちが体に触れているのは、実は「こらだ」に触れているということなのです。それは単なるボディータッチとは異なり、こらだが触れられることを必要としているときに触れるということであり、逆に言うと、こらだが触れられることを必要としていないときには触れないということでもあります。相手のこころを知って触れる、そして体に触れることで心に触れるのを感じることが大切なのです。

 

 

その他、退屈についての論考(「ちゃんと退屈した時間があるから、僕らは安心してそこにいられる」)や恋による破壊と再生の物語(「たぶん、恋って、自分の中のいちばん弱い部分でするものなのだろう。だから、恋をすると、弱さが満ち溢れ、傷つきが蔓延する」)など、ケアの現場では特徴的に現れやすいけれど、それは私たちがいるどこにでもある課題です。スタッフの辞め方のくだりも興味深いし、最後のブラックなもの(ブラックデイケア問題)もリアリティに溢れています。最後はブラックな働き方やケアの現場の仕組みに困憊して、デイケアを退職してしまった著者でしたが、その後、自らカウンセリングルームを開業されているようです。そう、市場のロジックと「ただ、いる、だけ」の価値を両立させるには、自分の責任でケアとセラピーをやるしかないのです。

2020年

5月

08日

人間性を失わない

4月の緊急事態宣言を受け、およそ1ヶ月の間、休校していましたが、今月7日からは介護職員初任者研修と実務者研修を再開することにしました。町田という地域や感染者数の推移という数字を踏まえ、現時点における感染のリスクは極めて少なく、再開しないことによって生まれる迷惑や停滞の方が多大であると判断しました。介護の現場は休むことなく動いており、その一端に関わらせていただいている学校として、私たちばかりが歩みを止めてしまうわけにはいきません。自分たちの頭で考えて出した結論です。

 

学校は再開しましたが、今までのような形ではないと考えています。これから先しばらくは、湘南ケアカレッジは新型コロナウイルスに感染しないための学校として運営していかなければならないはずです。特にマスクに関しては見て分かりやすいので、同調圧力の声は高まっていくはずです。他校では、ビニール手袋の全員着用を求めてくる声もあったそうです。もしかするとこの先、フェイスシールドを装着して参加する生徒さんが現れたり、それを先生や周りの生徒さんたちにも怒って要求してくるなんてことも…。ゼロリスクを求め続ける限り、私たちは自分の首を自分で締め、周りの人たちの首を締め、行き着く先は感染者やその家族、外国人、海外からの帰国者、高齢者、そして医療従事者、介護職員などに対する偏見や差別、攻撃につながります。

 

私たちは感染症についての知識がほとんどない一般の人々ではなく、介護や医療に携わる専門職を育てるプロフェッショナルですので、今この状況において、この場所で、どのような対策が必要で、何が必要ではないのか、事実と科学的根拠を基に適切な判断をしていかなければならないと考えています。

 

もうひとつの視点としては、感染症の影響はしばらく、もしかすると1年、2年単位で続いていきますので、行き当たりばったりではなく、継続的に行動していけるものでなければいけません。そうは言っても、先生方や生徒さんによっても、リスクに対する考え方や不安の度合いは違いますし、どこまですれば安心なのかも異なるはずです。安全と安心のバランスが崩れているから難しいのです。賛否両論あると思いますが、ある程度のガイドラインがあった方がやりやすいと思いますので以下に書いておきます。もちろん、今後の状況に応じて、さらに厳しくなったり緩めたりもします。

 

・手洗いの徹底

朝、外から来てくれた時に生徒さんたち全員に手洗いをお願いしています。手を洗う習慣は、感染症予防だけではなく、衛生面においても決してマイナスにはならず、継続して実施していける簡単なオペレーションです。ほとんどの生徒さんは、マスクはしていても手を洗っていないことが分かったので、朝、声掛けをすることにしました。初日のオリエンテーションでも手洗いのお願いと場所の説明をしています。正しい手洗いの仕方に関しては、初任者研修の2日目の授業で祐子先生が詳しく教えてくれます。

 

アルコール消毒に関しては、エタノール度のやや低いもの(60%程度)ではありますが手に入りましたので、教室の入り口のところに置いておきます。手洗いをした後に、使用したい生徒さんや先生に使ってもらえればと思います。

 

・マスクの着用

接近して教える(話す)ときには、できるだけマスクを着用しましょう。もし自分が感染者であれば飛沫感染を防げるという目的とお互いの安心のためです。マスクに関しては、感染予防としても飛沫感染を防ぐという意味においてもエビデンスはほとんどありませんので、布マスクでも花粉症対策用のマスクでも構いません。お互いが安心できるという意味合いが大きいと思います。

 

ただし、サージカルマスクの表面でも7日間、内側で4日間もウイルスは残存するという研究結果があるように、外からウイルスを付けて持ってきてしまったりと、マスク自体がウイルスの温床となり媒介してしまう可能性も考えられますので、できるだけ手で触らずに、使い捨てを心がけた方が良いですね。感染症の専門家が外ではできるだけマスクはしたくない、ソーシャルディスタンスが大事というのはそういうことです。

 

・教室内の換気

幸いなことに、これから暖かくなってきますので、教室の窓をできるだけ開けて換気を心がけましょう。これも簡単に継続的にできるオペレーションであり、感染症対策というだけではなく、空気が淀んでおらず開放的であることは良いことです。学校を開催する以上、いわゆる3密の、密集、密接は避けることができません(2mのソーシャルディスタンスを取ることは難しい)ので、密閉だけでも避けることができればと思います。密閉度という意味においては、実は教室の天井の高さや広さも関係があるため、幸いにもケアカレの教室は広くて天井が高いのでクリアできるはずです。

 

このような不確実な状況下では、みんながやるからそうするのではなく、自分たちで考えて行動していくことが重要だと思います。それぞれの業態や地域、年齢層、その時の状況によって、正解は異なるはずです。また、継続性があるのかという指標も大事です。単なる気分でそうするのではなく、一旦立ち止まって、それはやり続けることができることなのかを問うてみるということです。意味がなければやり続けることはできませんし、一度始めてしまったことは理由がなければやめることが難しくなってしまうからです。

 

最後に、湘南ケアカレッジは、「世界観が変わるような福祉教育を提供する」ことを理念として先生方と一緒に作ってきた学校です。そのためには、素晴らしい内容の授業を提供するだけではなく、先生方と生徒さんたち、また生徒さんたち同士の距離感が近く、心の交流が大切でした。この先、新型コロナウイルスに感染しないことだけを目的とすると、人と人との心の距離は離れていくはずです。その中でも、できるだけ人間性を失わない学校であれたらと願います。

 

4月短期クラスの生徒さんで、教室に入ってくるとき、また授業が終わって帰るとき、マスクを手でちょっとだけ外して口元が見えるようにして、「おはようございます」、「ありがとうござました」と挨拶をしてくれた女性がいました。その行為を見て、個人的には素敵だなと思いました。戦時中に、大きな声では言えないけれど私は戦争に反対ですと目で訴えるような感じと表現すれば分かってもらえるでしょうか。

 

 

ケアカレにとっては、「世界観が変わるような福祉教育を提供する」ことと「新型コロナウイルスに感染しないこと」は、どちらが大事ではなく、どちらも大事なのです。そのために何ができるのか、まだ答えは出ていませんが、一個人としてもケアカレとしても、できる限り人間性を失うことなく生きて、いつかまた誰もが笑顔で授業を受けることのできる日を待ちたいと思います。

2020年

4月

30日

「誤作動する脳」

ケアカレナイトでも講演をしてくださった樋口直美さんの新著です。前作「私の脳で起こったこと」も稀有な体験記でしたが、こちらは文学作品としても読めるような最高傑作に仕上がっています。レビー小体型認知症を広く知らしめることよりも、彼女の脳に起こった究極的な体験を通し、私たちはどう生きるべきかを示してくれている―たとえば「夜と霧」のような―哲学書のようだと感じました。脳が誤作動を起こすことで、私たちの人生はどう変わってしまうのか、またそのような脳とどう付き合って共に生きていくのか。脳が健康な私たちから見れば苦境にしか見えませんが、本書の中にはかえって生きる勇気や希望、喜びがあふれているのですから不思議です。

「幻視」、「幻聴」、「嗅覚の喪失」、「方向感覚の欠如」など、脳が誤作動を起こすことによって、5感に異常が現れます。人間はたった一つの感覚に異常をきたす、もしくは失ってしまうことにより、人生の質が大きく変わってしまいます。樋口さんの体験を読むだけで、自分に置き換えてみると、その壮絶さが伝わってきます。それでも、今まで出来ていたことが出来なくなることの物理的な恐怖と精神的な不安は想像を絶するでしょう。当初はうつ病だと診断されて、向精神薬を処方されたことにより症状が激化してしまった(樋口さんは今も生傷とおっしゃる)数年間の実体験は正視するのが難しく、よくぞ生き延びてくれたとしか言いようがありません。

 

いつもと同じ道を歩いていたにもかかわらず、ある日突然、気がつくと同じ場所に戻ってきてしまい、堂々巡りをしてしまう混乱と恐怖を描いたシーンは、昨年10月、私がフランスに行って感じたものとそっくりでした。

 

夜、現地で友人とレストランの前で待ち合わせをして、知らない土地なので30分ぐらいは早めにホテルを出ました。大体の方向とお店の住所は分かっていたので、道にある地図を見ながら歩いていました。次第に暗くなっていきます。そろそろ近くまで来たかなと思い、あたりを見回してみると、何やら違う建物や標識が出ていることに気づきました。

 

おかしいなと思い、スマホを取り出して確認してみると、ずいぶんと離れた場所にいることは分かりました。実は私は位置情報をオンにしたくないということと道に迷って困ったことがないので、それまでグーグルマップを利用していませんでした。こういうときこそと思い、利用しようとしましたが、なぜかスマホの文字が読めません。以前にも夜になるとスマホの文字が読みにくいという傾向はあったのですが(年齢的なものでしょうか)、ここまで暗い中でスマホの細かい文字(しかもフランス語)を読むことができないことにそのとき初めて気づきました。

 

大げさだと思われるかもしれませんが、文字や道の輪郭がぼやけて見えないのです。かなり拡大すれば見えるのですが、地図の全体像が完全に失われてしまいます。頼りにしていたスマホが使えないことが分かり、私はとにかく前に歩くことにしました。歩きながら、周りの建物や標識を見て軌道修正していこうと考えたのです。

 

友人には道に迷ってしまったので、待ち合わせ時間には間に合わなそうと連絡を入れました。さすがに日本であれば、同じような状況に陥っても何の心配もしなかったと思います。しかしそこは初めて訪れた国の知らない土地です。友人を待たせているという焦燥とこのまま道に迷いホテルにも戻れないのではないかという不安は募っていきました。不安によって混乱してしまうと、人間は冷静さを失ってしまうようで、私はいつもよりももっと速い速度で歩き回りました。

 

ところが、私の目の前にはさっき見たことのあるパン屋が現れたのです。どう見ても同じパン屋と店員さんでした。あれだけ歩いたにもかかわらず、私はぐるりと回って同じ場所に戻ってきてしまったようです。あのときの絶望は忘れられません。大人になって久しぶりに味わった方向喪失感でした。樹海などで道に迷う人がぐるりと回って同じ場所に戻ってきてしまうのは良くある話だそうです。また、あとから知ったのですが、パリの街は道が放射線状に伸びているため、わずかな方向の違いが最終的には大きな違いとなってしまうとのこと。

 

1時間以上歩き続けた私は心身ともに疲れ果て、恐る恐る道端に立っていた女性2人組に尋ねることにしました。もちろんフランス語は話せないので、稚拙な英語で聞いてみると、「私たちもパリの住民じゃないから良く分からないけど、ホテルは大体あっちの方だと思うよ」と教えてくれました。レストランに行くことをあきらめて、私は自分のホテルにそこから30分近く歩いて戻ったのです。

 

今となっては良い思い出ですが、あのときの自分を見失ってしまった恐怖は、まさに認知症の方が日々体験していることなのではと想像することができます。道に迷うことに関しては、グーグルマップを入れたり、周りの人たちに助けを求めるという解決法がありますが、常に新しい障害が現れてその都度、恐怖と不安に襲われ、何とか生き延びようともがき、解決策を見つけ、少しずつ希望や喜びを見つけていくのだと思うのです。

 

 

だからこそ、樋口さんの言葉には重みがあって、希望も解決策もあるのです。それは新型コロナウイルスという目に見えない病の影響によって、私たちの脳も誤作動を起こしつつある状況の中、救いになる言葉なのではないかとさえ思えます。私が線を引いた箇所の一部を引用し、希望を持って終わりにします。

 

「幻視が怖かったのではありません。私は、私が恐ろしかったのです。でもその恐怖こそは、新しい情報と知識を得ることで消える幻にすぎませんでした」

 

 

「私たちを社会から切り離すのは、単純な無知や根拠のない偏見ではなく、専門家の冷酷な解説だと私は感じていました。それは病気そのものよりもずっと重いものでした。これは人災だと私は思いました。そして人災であれば、変えることができると」

 

 

「精神は脳の主かもしれません。実際、体調が悪いときでも、人前ではシャキッとしていられます。やりがいのある大切な仕事に向かうときは、脳が最速で働き始めます。親しい人と楽しく過ごしているときは、症状も出にくくなり、体調も良くなります。生きがいのある生活の中で、仲間と四六時中、楽しく大笑いしていれば、症状など出る間もなく、絶好調の毎日が続くのではないかと真面目に夢想しています」

 

 

「雨が降ったら傘をさせばいい」

 

 

「患者の大きすぎる期待は、失望と的外れな恨みを簡単に生みます。それでは医師も患者もお互いに不幸です。不毛です。この不幸は、どうすれば減らすことができるんだろうかと考えてきました。

 

認知症や認知症医療について学ぶほどに知ったのは、『脳のことでわかっていることは本当に少ない』ということです。医療に担えることは限られているということです。いまだに原因もわからず、治す薬もなく、確実な予防法もない病気なのです。加えて個人差が大きく、診断名が同じでも人によって症状が大きく違い、薬の効き方も副作用の出方も進行の仕方もひとり一人違います。人間関係など環境の影響が非常に大きく、環境だけで症状が大きく改善したり悪化したりします。これからどんな症状がどう出て、どう進行していくのかなど、誰にも分からないのです。しかし患者側からはそうは見えません。認知症が病気なら、問題を解決する責任者は医師だと思ってしまいます。

(中略)

 

治療とは、視界のきかないジャングルを踏み分けて進む冒険のようだと今は思います。医師にだって、先は見えないのです。そんなジャングルを、目をつぶって医師の後ろにくっついていくのは危険すぎます。それでは崖から落ちても文句は言えない。医療の限界を知るにつれて、そう考えるようになりました。」

2020年

4月

20日

転職するときには、介護仕事百景で選びたい

介護仕事百景がスタートして、4回目の春を迎えました。なぜか春だけ気持ちが浮足立ち、その度に迎えた季節を数えてしまうのは、春生まれの性だけではなく、何か新しいことを始めたくなる気持ちがウズウズと生まれる季節だからでしょうか。

 

つい先日、就職内定の知らせを届けてくれた方は、湘南ケアカレッジで初任者研修を受講したのがちょうど私と同じ時期の方でした。「もう、6年前になるのですね」と、旧知の仲のようにそれぞれの思い出話に花が咲きました。クラスは違うため、一緒に机を並べて授業を受けたわけではないのに、同じ先生の話をするだけで打ち解けてしまうあの懐かしい気持ちも卒業生さんならきっと、分かっていただけるでしょうね。

 

6年前に初任者研修を修了し、実務者研修を経て介護福祉士にもなった彼女は、この春グループホームを辞めて、次なる介護の仕事を探していました。

 

「転職するときは、介護仕事百景で選びたいと思っていたのです」

 

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2020年

4月

02日

劇の主役は誰?

最近、学校は劇場であり、そこで行われる授業は劇だと思うことがあります。ということは、その劇の主役は誰?ということになりますが、主役は先生方であり生徒さんたちです。湘南ケアカレッジでは、毎年、介護職員初任者研修が13本、実務者研修が12本ほど催され、同じ脚本(カリキュラム)のもと、メインの主役(先生方)は変わらないにもかかわらず、一つひとつの劇は少しずつ大きく違ったものになります。たとえば劇団四季のライオンキングや森光子さんの放浪記など、同じ公演を何百回行っても、どれひとつとして同じにはならないのと似ていますね。それはもう一人の主役である生徒さんたちのメンバーが、がらりと変わるからかもしれません。

 

先日、介護過程の授業を別のクラスから振り替えで12月日曜クラスにやってきた生徒さんが、「クラスによって全然雰囲気が違いますね。いろいろな方々とお話しできて楽しかったです。振り替えして良かったと思います」と言ってくださいました。ほとんどの生徒さんはやはり自分のクラスが1番良かったと思うので、振り替えして良かったという声はあまり聞くことはありませんが、他のクラスの生徒さんたちとも会えて良かったとポジティブに感じてくれる方も稀にいるのです。今回の生徒さんに関しては、12月日曜クラスの雰囲気がとても良かったということだと思います。いずれにしても、同じ初任者研修でも、それぞれのクラスで行われている公演は(良し悪しではなく)同じではないということですね。

 

それは主役のひとりである生徒さんたちの配役が、クラスによってごっそりと変わることが大きな理由だと思います。主な登場人物(先生方)は同じだとしても、それを取り巻く重要人物たちが異なるため、そのことが化学反応を起こし、相乗効果を生んで、毎回の授業から全体の研修まで大きく影響を与えることになります。特に毎回違う個性や背景を持った生徒さんたちの反応や動きによって、先生方の個性も生かされていくのです。授業は先生がつくるものだと思われるかもしれませんが、実はそうではなく、おそらく半分ぐらいは生徒さんたちによってつくられているのです。

 

 

私は湘南ケアカレッジという劇場の裏方として、主役である先生方と生徒さんたちが思い切って演技してもらえるようにサポートをするのが役割です。そして実際に開演されている演劇を見させてもらって、毎回、喜んだり、悩んだり、迷ったり、感動したりしています。初任者研修であればわずか15日間、実務者研修であればたった7日間の公演ですから、本当にあっという間であり、ひとつの公演が終わったと思いきや、また目まぐるしく次の公演がやってきます。だからこそ、初任者研修は100回以上、実務者研修は50回近くの公演を開催してきましたが、飽きることなく、毎回が緊張感に溢れて、充実しているのです。109期生である12月日曜日クラスは、とても素晴らしい公演だったと思います。先生方とクラスメイトの皆さま、ありがとうございました!

2020年

3月

28日

16時間夜勤と8時間夜勤の違い(前編)

介護・福祉の仕事といえば、夜勤が不安材料に挙がることもありますが、その仕組みと実際の仕事内容を知れば、案外自分に合っていると考える人も実はいて、私もその一人。自分や家族との生活スタイルが合い、睡眠時間などの自分の身体のリズムも崩れなければ、それで良いのです。

 

夜勤には、大きく分けて2つの勤務時間パターンがあります。1回の勤務で16時間働くパターンの夜勤と8時間働くパターンの夜勤です。従来型特別養護老人ホーム(以下、従来型特養)では16時間夜勤が多く採用され、ユニット型特別養護老人ホーム(以下、ユニット型特養)では8時間夜勤が多く導入されています。グループホームや有料老人ホームなどは、私の体感的には16時間夜勤の方が多い気がします。

 

詳しくは→【介護仕事百景】へ

 

2020年

3月

23日

共にあること

先日、先生方と生徒さんたちに誕生日を祝ってもらいました。1日遅れなのでプレゼントはもらえませんでしたが(笑)、生徒さんたちが皆でホワイトボードにメッセージや絵を書いてくれました。「学校が楽しいです」と書いている人が多くて嬉しかったです。また、イラストレーターをやっていたという生徒さんの絵はさすがですし、私がトイプードルを飼っていることを覚えていてくれていたり、アンパンマンやバニーガールまで登場して賑やかですね。今から7年前に湘南ケアカレッジを先生方と立ち上げたときは、私もまだ30代でしたが、遂にアラフィフに足を突っ込んでしまいました。時の経つのは速いものです。

 

7年経った今でも、こうして誕生日を覚えてもらえて、祝ってもらえることに嬉しさを感じます。湘南ケアカレッジは町田にしかない小さな学校ですが、だからこそこうして先生方や生徒さんたちのライフタイムイベントにも立ち会うことができるのです(ケアカレは誕生日に来てくれた生徒さんや先生方にはお祝いをしてケーキを贈る習慣があります)。そのような大げさなことだけではなく、毎日会うことで生徒さんたちの顔や名前を覚えたり、話をすることもできますし、先生方とも顔を合わせてコミュニケーションを取ることができます。当たり前のことですが、教室が多くなればなるほど、学校という組織が大きくなればなるほど、当たり前のことが難しくなるのです。

 

よく卒業生に「なぜケアカレをつくったのですか?」と聞かれるのですが、その答えのひとつに、「介護の学校に関わる先生方も生徒さんたちも良い人ばかりだから」があります。決してポジショントークではなく、これまでいくつかの業種や仕事を経験してきて、仕事内容や給与以上に大切なのは、関わる人たちだと私は考えているからです。人生の大部分を仕事に費やしているのですから、そこで関わる人たちの影響は大きいですし、できれば良い人たちに囲まれていたいものです。それが叶うのが介護の学校だと思って、自分の仕事としてケアカレを立ち上げました。だからこそ、こうして素敵な先生方や生徒さんたちと共にあることは私にとって嬉しいことなのです。

 

 

この7年の間には、もっと教室を増やそう、拡大しようと何度思ったか分かりません。これからもその葛藤はあると思います。しかし、よくよく考えてみると、結局のところ、大きくなることで失うものの方が多いのです。わずかばかりの安定や売り上げの大きさ、雇用を生み出すことはできるかもしれませんが、学校として最も大切な人と人のつながりが(特に私にとって)希薄になってしまうのです。それは大きな介護のスクールで働いていたことがあるからこそ、経験として知っていることでもあり、もし何も知らないまま学校を立ち上げていたとしたら、迷うことなく教室を増やしていたはずです。もしそうしていたら、今はどうなっていたのか、あくまでも想像でしかありませんが、おそらく誕生日を祝ってもらうことはなかったかもしれません。先生方、生徒の皆さま、ありがとうございます!

2020年

3月

18日

週1、2日や時短勤務などの働き方特集

「子どもが幼稚園や学校に行っている間の時間で、介護・福祉の仕事をしたい」、「今勤めている仕事はそのままに、休日や空いている時間を使って介護・福祉の仕事も始めてみたい」など、非常勤職員(アルバイト・パート)として介護・福祉の仕事で働きたいという方の声をよく耳にします。

 

そこで介護仕事百景に掲載している施設・事業所の担当者さんに再度問い合わせ、短い勤務時間(14時間から)や少ない日数(週に1日から)の働き方について教えてもらいました。

 

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2020年

3月

12日

ささやかだけど、良いこと

介護職員初任者研修の2月短期クラスが無事に終わりました。4月から新しく介護の仕事に就く新卒の方も多く、ひとつ前のクラスから振り替えをしてきた生徒さんもおっしゃっていましたが、全体的に年齢層の若いクラスでした。若い生徒さんが多いと静かになる傾向はありますが、周りの生徒さんたちと分け隔てなく接して、クラスの雰囲気を盛り上げてくれる生徒さんがいたことで、それぞれが少しずつつながってくれたと思います。私も毎朝、それぞれの生徒さんたちと挨拶をしたり、話しをすることができ、関わりを持つことができました。生徒さんたちとの関わりは、私がこの仕事であり学校を続けていく原動力になっています。

 

今からちょうど20年ほど前、私は大手の介護スクールで仕事を始めました。友人の紹介で入社させてもらうことになったのですが、当時は介護のカの字も知らない初心者でした。ホームヘルパー2級講座を受けて、教室のコーディネーターとして配属されました。教室の準備をしたり、生徒さんの実習を手配したりするのが主な仕事でした。その仕事を始めて比較的早い段階で、面白いな、自分には合っているなと感じたのを覚えています。先生方は尊敬できる人ばかりで、色々なことを教えてもらい、可愛がってもらいました。生徒さんたちは良い人が多く、話していて楽しかったからです。

 

その後、担当教室の数が増え、支社全体の仕事を任されるようになってからは地獄の日々を過ごしましたが、先生方へのリスペクトと生徒さんとの関わりの楽しさがベースにあったからこそ乗り越えることができたのだと思います。どんな仕事もそうかもしれませんが、人との関わりや付き合いの中にこそ喜びがあるはずです。と同時に人間関係の中に苦しみや辛さも生じるのですが、ベースにあるのは喜びや楽しさです。喜びや楽しさを感じないとすれば、その仕事は合っていないし、長く続けることはできないでしょう。その仕事自体が合っているのかよりも、その仕事の周りに集まる人たちと一緒にいて自分が楽しいのか、喜びがあるのかが大切なのです。

 

 

もちろん、与えてもらうばかりではなく、自分にできることを提供するのが仕事です。先生方と生徒さんたちの間に入って、介護の研修が円滑に進み、双方が良い時を過ごせるようにするのが私の仕事です。先生方のように、直接生徒さんたちを教えることはできませんが、間接的に生徒さんたちをサポートすることはできるはずです。授業をすることはできなくても、ひとりで矢面に立ってもらう先生方を後方から支援することはできるはず。具体的な方法はたくさんありますが、何よりも大切なのは気に掛けること。生徒さんや先生方のことを想って気に掛けること。そこから全てが始まります。

 

そう考えると、私にできるのはささやかなことにすぎません。介護の学校にたずさわって、ずっとこのささやかなことを続けてきました。その人のことを気に掛け、声をかけ、想いを聞くだけで、ほとんどの問題は解決してしまいます。ささやかだけれど、良いことにしていきたいと願っています。

2月短期クラスの生徒さんたちから、先生方ひとり一人へのメッセージ入りの色紙をいただきました。ポケットからメッセージを取り出すと次から次へと。このパターンは111期生の中でも初めてで、新しい発想ですね。お花やフォトフレームまでいただき感謝しております。ありがとうございました!

2020年

3月

06日

勉強することの大切さ

12月からスタートした実務者研修の火曜クラスが修了しました。今までで最高かと思われるほどに、湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修の卒業生の比率が高いクラスであり、そのおかげもあってか、とても前向きでまとまりの良いクラスでした。実務者研修からケアカレに来てくださった生徒さんも、これで晴れてケアカレの卒業生になりますね。実際に、研修修了後の打ち上げは、介護職員初任者研修の卒業生に実務者研修から来てくれた卒業生さんも混じって行われていました。違うクラスで卒業したケアカレの卒業生さんたち同士、そして実務者研修から初参加の卒業生さんたちがゆるやかにつながっていくのを見ると、嬉しくなります。打ち上げを企画してくださったYさん、色紙を中心になって贈ってくださったUさん、そしてクラスメイトの皆さま、ケアカレに来てくれてありがとうございました!

 

打ち上げの席では、生徒さんたちの本音をたくさん聞かせてもらいました。お酒の席だからこそ言えることもあるのでしょう。ケアカレの雰囲気が好きだと言ってくれた方もいましたし、先生方がただテキストに沿って授業をしているのではなく、自身の経験や知識や技術、そして考え方を自分の言葉で語ってくれるところが良いと褒めてくれた方もいました。その方は他の学校で他の研修を受けたことがあるので、余計に授業の内容の違いが分かったそうです。

 

さらになるほどと思わせられたのは、「先生方が言っていることが同じなのが良かった」という声でした。ここで言う、「言っていることが同じ」とは画一的という悪い意味ではなく、先生方の言っていることに一貫性があるということです。相手の意見を否定しない、まずは良いところを見つけて褒める・認める、誰のための介護なのか考える等々、介護の先生も看護の先生も同じことをそれぞれの方法や表現で伝えてくれているのです。

 

これって当たり前のようでいて、意外と当たり前ではありません。なぜ湘南ケアカレッジではそれが可能かというと、それぞれの先生がそれぞれの人となりや授業を知っていることも大きいのですが(それぞれが敵対するのではなくサポート・フォローできる)、それ以上にそれぞれが勉強しているからだと思います。新しい介護や看護にアンテナを立て、常に勉強しているからこそ、今、正しいことを生徒さんたちに一貫性を以て伝えることができるのです。

 

 

看護師の藤田先生と村井先生が最後に語っていたように、看護の世界も20年前と今とでは全く変わっています。同じことは介護の世界にも当てはまり、そして10年後の介護や看護の世界も今とは全く違ったものになるでしょう。良くなっていくということです。何が正しくて、間違っているのかを見極めるためにも、自分が正しい行動を取るためにも、私たちは正しい情報や知識・技術を学び、自分の頭で考えることが大切です。国が言うから正しい、厚生労働省が言うからその通りにするでは間違ってしまうのです。この変化の激しい、情報過密な社会で正しく生きていくためには、私たちは勉強し続けなければならないのです。

2020年

3月

01日

得意なところを

湘南ケアカレッジの先生方を評して、ある生徒さんが面白いことを言っていました。

 

「佐々木先生や橘川先生はひとり一人を個別に見てくれるタイプで、小野寺先生や望月先生は全体を見るタイプかな」。

 

 

たった15日間しか授業を受けていないにもかかわらず、実によく見ているなと感心させられたと共に、生徒さんは良く見ているのだと背筋が伸びました(笑)。まさにその通りで、ケアカレの先生方はそれぞれに得意分野があります。生徒さん一人ひとりを良く見て、声掛けをしてサポートしていく個別タイプ、クラス全員を盛り上げて、まとめて指導することができる全体タイプです。決して個別タイプがクラス全体を導けないかというとそうではなく、全体タイプがひとり一人を見ていないかというとそうではありません。先生の個性として、特にどちらの分野に強くて、生徒さんたちに良い影響を与えているかどうかということです。

他の先生で言うと、阿波加先生や嶋田先生、野田先生、村井先生、新倉先生、尾形先生は個別タイプ、藤田先生や奥先生、千種先生は全体タイプだと思います。そしてご覧のように、湘南ケアカレッジとしての強みは、先生方のタイプが違い、そのバランスが上手く取れているということですね。

 

私は子どもの教育に携わっていたことがあり、いわゆる塾というものですが、塾にも集団と個別があります。集団とは先生ひとりが多くの人数の生徒さんに対して授業をすること、個別は先生ひとりが生徒さん1人(もしくは2人)に対して指導をすることです。そして、塾の先生の中でも、集団授業が得意な先生もいれば、個別指導が得意な先生もいます。集団の授業ができれば個別指導は簡単だと思われがちですが、意外とそうではなく、たとえば個別指導は生徒さんの表情を読み取ったり、理解していないところを細かく見分けたりする能力が必要になります。また逆に個別指導が上手であっても、集団を相手に伝えるためには別のスキルが必要になるため、集団授業は苦手という先生もいます。まれにどちらも使い分けることができる先生もいますが、ほとんどはどちらかに偏っているのが実状です。ちなみに、私は個別指導の方が得意でした。

 

 

介護の現場においても、同じようなことが当てはまるかもしれません。利用者さんを個別にケアしていくのが得意な職員さんもいれば、施設全体を見渡して、利用者さんを盛り上げたり、スタッフをまとめたりするのが得意な職員さんもいるはずです。大切なことは、その人の得意な分野を見極めて、タイプを知った上で、得意なところをより生かしてもらえるような役割を担ってもらうことです。さらにその施設・事業所における個別タイプと全体タイプのバランスも大切かもしれません。タイプが偏った人たちばかりを集めてしまうと、お互いの得意なところを活かすことができなくなり、全体としてはバランスを欠いてしまうことになります。どちらかのタイプしかいないということはあり得ないので、職場の配属を考えるときには、個別タイプと全体タイプのバランスを考えて配置していくことが大切ですね。

2020年

2月

24日

「37セカンズ」

映画のタイトル「37秒間」は、主人公であるユマが、生まれた時に呼吸ができなかった時間です。そのことでユマは脳性マヒとなり、母親の介護を受けながら、車椅子で生活を送っています。もう少し早く産まれてこられたら、自分は健常な人と同じような生活ができていたかもしれない。私たちの人生の長さから見ると、ほんの瞬間にすぎない時間が彼女の運命を変えたのでした。もちろん良くも悪くも。彼女は漫画家のゴーストライターをしていますが、本当の漫画家になることを夢見ています。そのためにも、健常な人であればできたはずの体験や経験を自分もしなければならないと一念発起して、母親を振り切って、外の世界へと飛び出します。

前半部分は障害者の性や自立をポップに描いた作品だと感じ、その音楽のリズムに合わせて、どこまで突き抜けていくのだろうか、そしてその先には何が見えるのだろうかと期待しました。今までの障害者を描いたドラマや映画とはひと味違って、突っ込むところは突っ込みながら、リアリティがあって、「障害者も健常者も変わらないよ」というセリフが随所にあるように、上手くできるかどうかという違いはあっても、そこに壁はない(バリアフリー)のだという映画のテーマが伝わってきます。

 

ところが、後半部分に入ってから、それまでの勢いがなくなってしまったばかりか、なぜか登場した双子の姉を追いかけてタイに行ってみたりしたところから、急激にNHKっぽくなってしまいます。テーマが、障害者の性と自立から、障害者と家族の物語にすり替わってしまったのです。父や母の娘たちを想う気持ちも良く分かりますし、健常な姉と障害を持つ自分とのぎこちない関係や姉妹愛も分かります。ただそれはもう十分というか、バリバラや24時間テレビで流してくれたら良いのです。せっかく映画というスタイルを取り、主役の佳山明さんは間違いなく魅力的で、素敵な役者さんたちに脇を固められながら、強烈なスタートダッシュを切ったのですから、最後まで突っ走ってもらいたかったというのが率直な感想です。最後まで走り切るからこそ、人間の性や生き方のバリアフリーが見えてくるではないでしょうか。

 

 

以上はあくまでも個人的な感想なので、皆さんにはぜひ映画を実際に見て感じてもらいたいと思います。思っていたよりも面白かったと感じる人もいるでしょうし、期待しすぎてガッカリしたと思う人もいるはずです。実はこの1週間前に「ピーナッツバターファルコン」という、ダウン症の子どもが主人公の映画も観ており、そちらは全くの期待外れであり、改めて障害や病気をテーマとして扱う作品は難しいなと感じました。

2020年

2月

20日

先輩ができたよ

介護仕事百景を通して介護・福祉の仕事に就き、日夜頑張っている卒業生さんの近況を聞くと、その生き生きとした話しぶりから、転職が成功をしたことを知り、ほっと安どします。そしてほぼ同時に、温かく迎え入れ、一流の介護士に育ててくださっている現場の職員さんに感謝の気持ちを抱きます。Aさんは、昨年とある特別養護老人ホーム(特養)に転職し、そろそろ1年が経とうとしています。彼女が所属するユニットには、湘南ケアカレッジ(ケアカレ)の卒業生が多く働いており、彼女の指導にあたってくれたのも卒業生の彼・彼女らでした。

 

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2020年

2月

17日

「東京ケアウィーク2020」に行ってきました!

福祉用具専門相談員養成研修の準備の一環として、小野寺先生と「東京ケアウィーク2020」に行ってきました。東京ビッグサイトで開催されるこのイベントは、介護・福祉関係者のみが参加できる、介護業界最大級の商談展です。福祉用具や介護ロボットはもちろんのこと、介護食、健康維持運動機器、人材採用、介護ツアーなど、多様なサービスを提供する600社が集いました。今回はコロナウイルスの影響か、中国人のバイヤーの方々がほとんど参加していなかったこともあり、思っていたほど人は多くなく、ゆっくり落ち着いて各ブースを回ることができました。国際福祉機器展ほどの熱気はありませんが、とても有意義なイベントだったと思います。来年もまた参加したいです。

さすがに600社すべてを見ることはできませんでしたので、見て回った中でも印象に残った福祉用具やサービス等を簡単に紹介しますね。

まずは、とろみ調整食品である「つるりんこ」です。特徴としては、従来のものと異なりダマにならないため、見た目に透明感がり、無味無臭ということ。また、飲み込みやすく、とろみの質が安定しています。15秒ほどかき混ぜて、2分待つだけつくれますので、簡単ですね。牛乳や半固形の流動食用のものもありました

続いて、柔らかいにもかからず、見た目が美味しそうな「そふまる」です。従来のきざみ食やミキサー食とは異なり、素材の形をできるだけ残しています。実際に数品食べてみましたが、その美味しい見た目と食べてみたときの柔らかさのギャップに驚きました。特に、このソフトもちは、誰が見てもお餅ですが、食べてみると粘り気がなく喉に詰まる心配もなさそうです。聞いてみると、餅の成分は残しつつも粘り気だけを消しているとのことでした。

個人的に良いなと思ったのは、おやつの宅配サービスです。毎日、違ったおやつが一品届くので、バリエーションも豊富で利用者さんも喜ぶはずですし、買い漏れの心配がなくなるのもスタッフにとっても安心です。何よりも美味しそうですし、おかきも柔らかいので高齢者も食べやすいです。毎月、新作が出るそうなので飽きさせませんね。自分の家に毎日届けてもらいたいと思うぐらいです(笑)。小野寺先生もご自身が働いているデイサービスに届けてもらおうか真剣に検討していました。

介護付きの旅行サービスの「旅介」も面白そうでした。様々なツアーが企画されていて、介護施設に旅行ツアーがやってくるイメージです。最近はチケットが入手できたので、大相撲を観に両国国技館に行ってきたそうです。

ユニバーサル版のボッチャも面白そうでした。本物のボッチャで使われるボールよりも、柔らかくて、軽くて、表面がゴムっぽくなっているので持ちやすいそうです。ルールはシンプルですが、意外と難しくて、奥が深いので、お年寄りも熱狂してくれるとのこと。思っていたようになかなか行かず、たまに上手く行くことがあるのが楽しいそうです。それから、試合中にチーム内での相談も許されているため、コミュニケーションが生まれるのもボッチャの良いところだとのこと。

今回、実際に会場に足を運び、現場の福祉機器の担当者から話を聞き、実際に使ってみたり、手に触れてみたり、食べてみたりしたことで、より一層、その便利さや大切さが分かりました。やはりこうした最新の福祉機器は、情報として知る→直接教えてもらう→実際に体験してみるという段階的に理解が深まるのだと改めて思いました。これは吉藤オリイさんが開発している分身ロボットで私が体験したことと同じで、実際に分身ロボットを通して遠隔操作で寝たきりの方とコミュニケーションを取ってみて初めてその価値が分かるということですね。極論を言うと、自分が体験してみなければ、その価値や意味は理解できず、それを誰かに心から勧めることは難しいのです。このあたりを踏まえながら、福祉用具専門相談員養成研修をつくっていきたいと思います。

2020年

2月

11日

決めつけない

先生としての最大の資質は、決めつけないことだと思います。これはこういうこと、この人はこういう人と先生が決めつけてしまうと、それ以上に物ごとが上手く運ぶことはありませんし、生徒さんは伸びません。生徒さんにとって、それだけ先生は影響力が大きいということであり、時として先生の考え方や見かたが、生徒さんの人生を左右してしまうこともあるのです。だからこそ、先生という職業にある人たちは、物ごとを大きく広く考えられなければいけませんし、そのためにあらゆる教養や経験が必要なのです。

 

私が決めつけないことの大切さを学んだのは、子どもの教育にたずさわっていたときでした。毎朝、生徒さんやクラスについてミーティングをする中で、同じ生徒さんやクラスに対しても先生たちの意見は分かれることが多々あります。ある先生は「あの子は〇〇だからダメだ」と言い、ある先生は「あの子は◇◇は良くできている」と返し、ある先生は「あの子は△△と考えているんじゃないかな」など、様々な見解が出てきます。そのどれもが間違ってはいなくて、どれかが正しいという訳でもない。

 

そんな状況においても、その生徒さんのことをダメだと考えた先生に任せると生徒さんはダメになり、良くできていると考えた先生に任せると生徒さんは良くなり、といった具合に変わっていくことにある時、私は気づいたのです。それは想えば叶うということではなく、念ずれば通ずということでもない、先生がそう考えたことが生徒さんから引き出されてくる(引き出そうとする)のだと思います。だとすれば答えは簡単で、その生徒さんのことを良く考えている先生に任せるべきであり、全ての生徒さんのことを良く考えているのが良い先生なのです。

 

介護職員初任者研修の1月短期クラスに、4年ぶりに参加してくれた生徒さんがいました。彼は15歳の頃、ケアカレに来てくれましたが、いろいろあって途中で受講を断念してしまい、その後、もう一度チャレンジしましたが挫折、再々チャレンジで今回来てくれたのです。4年前の彼はまだ子どもで、介護にほとんど興味がなかった感じでしたが、久しぶりに会うとずいぶん立派になっていて驚きました。もうかれこれ介護の仕事を3年続けて頑張っているそうです。会話の節々から利用者さんのことを考えて仕事をしていることが伝わってきました。人間は変わりますし、成長するものですし、そもそも元々彼の持っていた資質なのでしょう。そのときダメであっても、決めつけずに、時間をかけてでも、引き出してあげることが大切なのですね。

 

介護福祉士の試験が終わって、自己採点のために教室に来てくれた生徒さんも合格点に達していて驚かされました。残念ながら昨年は合格できず、今年が2回目のチャレンジでした。筆記試験対策講座にも通ってくれていたのですが、途中の確認テストの点数も少しずつしか上がって来ず、かなり心配していました。でも、彼女は最後まであきらめずに頑張ったのですね。それまでに解いた問題集も復習し、過去問も何度も解き、小野寺先生がくれた要点プリントも何度も見直したそうです。さらに当日は、形から入ると言って、髪を黒く染めて臨んだそうです。どれだけ言葉を尽くしても、彼女が合格点に達していることの驚きを彼女のことを知らない方に伝えるのは難しいのですが(笑)、とにかく決めつけてはいけないということです。先生方が決めつけることなく応援してくれたからこそ、彼女はその力をいかんなく発揮してくれたのだと思います。

2020年

2月

06日

「ボクはやっと認知症のことがわかった」

認知症の診断をする「長谷川式スケール」を開発した長谷川医師が認知症になる。木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊になるという表現は相応しくないかもしれませんが、それこそが認知症の本質であり、誰しもが避けては通れない道なのです。かつて大学病院の先輩から、「あなた自身が同じ病気にならない限り、あなたの研究は本物じゃない、認めない」と言われたことがあり、それに対して長谷川氏は今なら「ボクも本物になりました」と言えますねと答えています。長谷川氏は認知症を研修してきた第一人者のひとりとして、また自ら認知症になった当事者のひとりとして、客観的かつ主観的に認知症について語っているのが本書の素晴らしさであり、稀有なところです。

 

長谷川氏は実際に認知症になってみて、感じていること、思っていることを素直に語ります。

 

認知症を公表してから2年が過ぎて、かなり症状が進んできているとの自覚はあります。ただ、人間は、生まれたときからずっと連続して生きているわけですから、認知症になったからといって、周囲が思うほど自分自身は変わっていないと思う部分もあります。そもそも認知症になったからといって、突然、人が変わるわけではありません。昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいます。

 

これはともすると抜けがちな視点です。もしかすると、長谷川氏でさえ自らが認知症になる前は認知症でない人と認知症の人の間に明確な境界線を引いていたのかもしれません。そうではなく、全くいやほとんど同じ人間なのです。認知症になる前となった後はつながっているのです。それまでの人生とこれからの人生は地続きなのです。

 

実際に自分が認知症になってみて実感したことは、認知症は、いったんなったら固定したもののように思われがちですが、そうではないということです。たとえば、ボクの場合、朝起きたときは調子がよいのだけれど、だんだん疲れてきて、夕方になると混乱がひどくなる。でも、ひと晩眠るとすっきりして、またフレッシュな新しい自分が蘇ります。つまり、そのときどきの身体や心の具合によって、認知症は良くも悪くもなる。だから、「一度なってしまったらおしまい」とか、「何もわからない人になった」などと思わないでほしい、特別扱いしないでいただきたいと思います。

 

長谷川氏の場合は、朝は調子が良くて、夕方になって次第に疲れてくると悪くなる。それからひと晩眠るとリセットされるというように日内変動があり、決して固定された状態ではないということです。つまり、認知症になったからといって、それまでと違う人になるわけではなく、固定された状態になるわけでもない。それまでと同じ自分の人生が続き、そして良くなるときも悪くなるときもあるということです。

 

 

本書で語られていることは、少し認知症を学んだ人にとっては当たり前のことかもしれませんが、実際に認知症になった長谷川先生が言うと説得力がありますね。同じことでも誰が言うかが重要ですが、さらにどのような状況にある誰が言うかはさらに重要です。認知症研修の第一人者が自らの人生を使って導き出した認知症のすべてを、ぜひ読んで知ってください。そこにはまだ私たちが見ぬ、けれどもいつかは見ることになる世界が広がっているはずです。

2020年

2月

02日

愛を感じた

介護福祉士筆記試験対策講座が終わりました。佐々木先生から始まった襷(たすき)を新倉先生が受け継ぎ、望月先生、小野寺先生へとつながり、最終走者である藤田先生が見事にゴールしてくれました。まるで駅伝の青山学院大学のような豪華なメンバーですね。最終日には、金色の鉛筆(今年は先生方が心を込めてケアカレシールを貼ってくれました)と消しゴムを合格祈願として生徒さんたちに配りました。ひとりでも多くの生徒さんたち、いや願わくは全員の生徒さんが介護福祉士になれますように。

 

ここまでくれば、あとは何としてでも合格してもらいたい気持ちで一杯です。たとえ合格ラインギリギリであったとしても、合格は合格です。小野寺先生もよく言うように、72点介護福祉士とか110点介護福祉士とか資格証明書に印刷されるわけもなく、何点で合格しようが介護福祉士は介護福祉士なのです。もちろん、介護福祉士の試験を受けるために勉強したことには意味や価値がありますが、合格したからこそ世界が変わる、合格しなければ見えなかった世界があることも知ってもらいたい。

 

「介護福祉士に合格してから、人が変わったように頑張っていますよ」

 

昨年末、町田で介護・福祉・医療に関わる人々の忘年会に参加させてもらったとき、卒業生さんが働く事業所の代表から聞いた言葉です。卒業生の彼は、昨年度の介護福祉士試験に合格しました。試験直後に自己採点をしてみて、これは落ちたと思い、自暴自棄になっていた時期もありました。そのときは、「介護福祉士なんて資格はク〇だ」とまで言っていたのですが(笑)、奇跡的にギリギリで合格することができたのです。それ以降の彼は、今まで以上に周りが見えるようになり、自ら考えて行動するようになったそうです。自信がついたのと、自覚が芽生えたのです。介護福祉士に合格したぐらいで大げさな、と思われるかもしれませんが、実際にそうやって見える世界が変わる人も多いのです。

 

 

望月先生が答案用紙に書いてくれたコメントを読んで、「愛を感じました。勉強しなければと思いました」と言ってくれた生徒さんがいました。70名の生徒さんたち全員にこれだけのメッセージを書くのに、どれだけの時間がかかったことでしょう。佐々木先生もひとり一人にメッセージを書いてくれました。そこに合格してほしいという愛を感じないわけにはいきませんよね。新倉先生も小野寺先生も藤田先生も愛のある授業をしてくださいました。私たちが生徒さんたちに渡した愛という襷をかけ、3月25日(水)はぜひ合格というゴールにたどり着いてもらいたいと願います。

2020年

1月

28日

台風でのひとりごと(村井先生)

ここ最近の災害、とりわけ風水害において、甚大な被害が各地で起きたことは記憶に新しい。

 

梅雨前線と台風の影響から強烈な雨が降ることで、河川の氾濫や浸水、土砂災害がいつのタイミングで起きても不思議ではない。それは西日本であれ、東日本であれ、どこでも起こり得る気象現象である。いつの日か、自分の住む地域も浸水や土砂災害に見舞われるのであろうと考えると、気が気ではない。

 

近年、勢力の強い台風が発生する原因のひとつに、海水温度の上昇が関係していると言われている。しかし、海水温度を下げるような取り組みや生活スタイルに舵を取っているかと問われると、何ひとつしていない。それでいて、梅雨や台風の時期は気が気でないと考えているのである。他国の異常気象による自然災害をメディアで目にする機会も多くなった。日本だけではなく世界的な取り組みが必要なのであろうと考えさせられる。

 

そんな我が国の風水害のニュースを見ていると、「自助」という言葉が多く使われていることに気がついた。「自助」とは、災害による被害を少なくするために備え、個々人が自己の身の安全を守ることを言い、安全対策の手立てを自己で行い、身の安全に取り組むことで、個人単位での防災・減災につなげる考えである。

 

ニュースを見てゆくなかで、「要配慮者利用施設」に入所している高齢者の避難について、「避難する場所」、「避難に要する時間」、「人員の確保」が課題だと報じられていた。水防法では、災害時に手助けが必要な人がいる「要配慮者利用施設」対し、避難計画の作成と訓練実施を義務付けている。国土交通省によると、20193月時点で全国の対象施設67901カ所の施設のうち、避難計画作成済みは36%、訓練実施は13%という結果になっている。つまり、24444カ所の施設が避難計画書を作成し、訓練実施は8827カ所施設ということになる。

 

ここでは、計画書の作成や訓練実施について論じるつもりはない。ただ、手助けが必要な人がいる「要配慮者利用施設」には自力での避難が容易ではない方が数多く入所しているという事実がある。そのような 「要配慮者利用施設」がある地域でひとたび大雨洪水警報が発令された場合、少なからず避難を開始していないと甚大な被害を被ることが予測される。

梅雨前線並びに台風の影響による強烈な雨というのは、地震とは違い、ある程度の予測が可能である。

 

しかし、課題であると言われる「避難する場所」、「避難に要する時間」、「人員の確保」を達成するには以下が必要になるであろう。それは、迫りくる脅威のなかで、安全な場所を確保し、時間を要さずに移動するために人員を投入するのである。皆さんはこれらが可能であると思うだろうか。それが出来ないから報道にあるように課題なのである。そこで、河川の氾濫、浸水、土砂災害が予想された場合、前日避難という方法をとることでこの課題は達成できないだろうか。

 

しかし「明日、台風が上陸するので計画避難を開始します」という施設があるとは考えにくい。仮に前日避難を実施するとなると、施設職員は招集され、総出で上階または近くの避難場所へ移動することになる。場合によっては、台風が過ぎ去るまで利用者に付き添い安全を確保する必要がある。この前日避難は理想的な防災・減災であると言える。しかし、「要配慮者利用施設」だけの自助努力だけでは、マンパワー及び時間、費用と言った負担が大きく現実的ではない。さらに職員の家族の安全を蔑ろにすることはできない。

 

そこで、ひとつ希望を投じたい。高齢者の避難について、入所している高齢者の家族の協力が得られないものだろうか。先ほどの「避難する場所、避難に要する時間、人員の確保」という課題を遂行するには、人的・物的資源が豊富に必要になる。警報発令にともない、避難計画に沿って、避難を施設職員だけで遂行するには課題が多すぎるのである。それは課題ではなく必然ではないだろうか。

 

「共助」という視点で地域の方々の協力を得るという方法もあるが、地域の方々は自己の「自助」で精一杯になるであろうと推察すると、地域の方々の協力は難しい。そこで、入所している家族の協力が得られないものかと考える。家族の負担が増えるという見方が先行するかもしれないが、入所する家族には有益な面が2つある。

 

ひとつは、家族が傍に居てくれることで入所する家族の心の支えになる。

 

もうひとつは、避難に際して移動と付き添いの人員になるのである。

 

可能ならば、水害の及ばない地域に住む家族が、自宅へ一時的に家族を避難するという方法は有効であり有益であると言える。どのような災害においても、迅速な避難には多大な労力と費用が伴う。それを施設ならびに施設職員だけのマンパワーで遂行するには限度がある。大雨洪水警報の発令をもって避難を開始する頃には、公的機関(警察・消防・自衛隊)の協力は得られないものと捉えたほうが無難である。

 

 

近頃、多くなりつつある水害での浸水、土砂災害について、施設のあり方をソフト面から捉え直す必要があるのではないだろうか。個人が自分を守り、家を守り、家族を守ることで、地域や社会が守られてゆくのである。施設に家族が入所しているのであれば、その家族を災害から守ることも家族の役目ではないだろうか。近頃の風水害による被害は甚大で、「自助」と「共助」という言葉以外に「家族」を組み合わせた柔軟な考えと実践が求められているような気がしてならない。

 

(村井)

2020年

1月

23日

知らないからこそ、寄り添える。押しつけないからこそ、頼られる。

最後のケアカレナイトが行われました。昨年2月、藤田先生の「アンガーマネジメント講座」から始まり、乙武洋匡さんや吉藤オリイをはじめとしてたくさんのゲストスピーカーにも登場いただきながら、最後は奥玲子先生の「在宅で死ぬということ」で幕を閉じました。締めくくりに相応しい、笑いあり涙ありの心を動かされる講座でした。奥先生の話は流れるようにテンポが良く、死というテーマを扱っているにもかかわらず決して湿っぽくならない、爽やかな生きるエネルギーを感じさせてくれます。だからこそ、ターミナルケアの現場で頼りにされて、長きにわたって活躍できるのでしょう。その話す姿を見るだけで、ターミナルケアを支える私たちには何が求められているのか?が分かる気がしました。

 

在宅で死ぬことを考えたとき、本人だけではなく、多くの介護者は不安を感じると思います。苦痛を和らげることができるのか、末期は苦しんでしまうのではないか、家族の負担が大きくなるのではないだろうか、などなど。グループワークでもたくさんの不安が出てきました。だからこそ、ほとんどの人々は在宅で死にたいと願っていても、叶わないという現実があるのです。それに応じる形で、奥先生は在宅で死ぬメリットとデメリット、そして病院で死ぬメリットとデメリットを挙げて、それぞれの良さと足りなさを説明してくれました。

 

 

その上で、在宅で死ぬことにまつわる素晴らしいストーリーを実際の経験を元に語ってくれました。有名な大学に進学したにもかかわらずギター奏者になると言ったことに反対したことでわだかまりが生じてしまい、疎遠になってしまった孫のライブに最期に足を運んだ話、子どもたちが小さい頃によく遊んだ江の島の海に子どもたちと最期に行った話、最期に大好きなお風呂に入って亡くなった話、大好きな人の腕の中で死んだ友人の話、北島三郎を聴きながら死んだ方の話などなど、奥先生にしか話すことのできないリアルなターミナルケアの現場を教えてくれました。

 

また、落ち着いてお見送りをするためには、死の過程を知っておくことが大切だと奥先生は言います。たとえばがん患者さんが亡くなるまでは以下のような過程を経ます。最期に“息を引き取る”という表現がありますが、まさに息を吸って人は亡くなるそうです。生まれてきたときは「オギャー」と息を吐いて始まり、死ぬときは息を吸って旅立つのですね。

ターミナルケアを支える私たち(介護職)にできることとして、「知らないからこそ、寄り添える」、「押しつけないからこそ、頼られる」という2つの視点を教示してくれました。特に2つ目の視点は、打ち合わせの段階から興味深いと思っていました。ターミナルケアだからこそ何かをしてあげなければならないと思い、ともすると自分の考えや想いを押しつけてしまいがちになることもありますが、本人の意思や家族の気持ちを尊重し、そっとしておくことも大切なのです。それはドライということではなく、放っておくということでもない、必要なときだけ全力で支えるという距離感でしょうか。「知らないからこそ、寄り添える」、「押しつけないからこそ、頼られる」は、ターミナルケアにおいてだけではなく、介護職として仕事をする上での心構えと考えても良いでしょうし、もしかすると介護職としてだけではなく、人として生きる上で大切なことなのかもしれません。

 

 

最後に、ケアカレナイトの企画から準備、当日の司会進行まで、1年間務めあげてくれた影山さんにも拍手を。全てが初めての経験で大変だった思いますが、明るく元気に笑顔で頑張ってくれました。きっと新しい自分に気付けたと思います。生徒さんたちが来てくれて、先生が話してくれてこそ学校はあることを知れたと思いますし、そこに生まれる人と人とのつながりこそが私たちの喜びになることを感じてくれたはずです。

 

ケアカレナイトも最後ということで、卒業生さんからもお土産をいただきました。そのお心遣いが嬉しいです。ありがとうございます!

2020年

1月

20日

オリジナリティあふれる介護

卒業生のTさんが遊びに来てくれました。よほど話したいことがたまっていたのか、マシンガンのように息つく間もなく、今の施設や仕事について語り尽くしてくれました。実は前回来てくれたときは、今のフロアから異動するように言われて、辞めようかどうか迷っているという相談でした。まずは別のフロアに行って頑張ってみて、それでも合わなかったら辞めれば良いのではとアドバイスさせてもらいました。その後、しばらく音沙汰がなかったので、どうなったのかと心配していたところ、何と今はそのフロアのリーダーになったとのこと。予想もしなかった嬉しい展開であり、彼も今行っている業務改善について生き生きと教えてくれました。

 

彼は今のフロアに異動してから、できるだけ利用者さんにオムツを外して生活してもらおうと考え、数週間かけて自分で排泄のケアに入りながら、利用者さんの排泄の時間を記録していったそうです。そうしてデータを集積してみると、大体決まった時間に排泄があることが分かり、その時間に合わせて(排泄の予定時間よりも少し前に)利用者さんをトイレ誘導することにしたそうです。Aさんは何時何分ごろに、Bさんは何時何分ごろにとそれぞれ排泄の時間帯は異なるのですが、そうすることでオムツを外すことができたばかりか、自分で立ってトイレまで行って排泄する自立支援のケアが少しずつできるようになったそうです。

 

何と言っても喜んでくれたのは利用者さんでした。それまでは便意をもよおしてもトイレに連れて行ってもらえず、「オムツにして」と言われていましたが、先回りしてトイレに誘導してもらえるので自分の意思と力で排泄を行う、人間らしい生活が戻ってきました。寝たきりにされていた利用者さんが、少しずつ自分で動く(動ける)ようになったりしました。また、オムツをつけっぱなしのフロアと比べて、利用者さんの便の質も変わってきたそうです。看護師さんが、「他のフロアの利用者さんは黒い便ばかりだけど、このフロアの利用者さんはそうではないから不思議だ」とも言っているようです。

 

排泄のケア以外にも、入浴も入ってもらうタイミングをずらすことで、ひとり当たり時間をかけてゆっくりと入ってもらえるようにもなりました。そうした工夫をすることで、たしかに場合によっては分刻みの仕事になってしまうこともあるけれど、自分たちの都合で一斉にトイレ誘導して、それ以外の時間はオムツにして、余った時間は職員同士でしゃべっていたりするならば、忙しくても構わないと彼は言いました。

 

彼とは別のフロアに、もうひとり頑張っている卒業生さんがいるそうです。彼も利用者さんがトイレに行きたいと言えば誘導し、起きたいと言われれば起こして、利用者さん本位の介護を提供しようとしているそうです。そんな彼のことを、フロアの主任が「どこの学校で教えてもらってきたのか分からないけれど、自分のやりたいようにやってしまうオリジナリティの部分があるのですよね」とリーダー会議にて発言したそうです。ここで言うオリジナリティとは、独創的という良い意味ではなく、自分勝手というニュアンスです。リーダーとして会議に参加していたTさんは、自分も同じ学校何だけど…と思いつつ、利用者さんのペースに合わせて自立支援をうながすケアをすると、この施設ではオリジナリティがあると暗に揶揄されるのだと驚いたそうです。

 

 

私たちはその話をしながら大笑いしました。それほど難しいケアをしているわけではなく、利用者さんのペースに合わせて自立支援をうながす介護をしようとすると、「それでも地球は回っている!」と言ったガリレオ・ガリレイのような扱いを受けて迫害されてしまう現状があるということです。それでもケアカレの卒業生さんが、学校で教えてもらったことを現場でも実行しようとしてくれていることは誇らしく、いつの日かそれがオリジナリティと言われない当たり前のケアになることを願ってやみません。

2020年

1月

15日

「THE UPSIDE 最強のふたり」

7年前に公開され、日本アカデミー賞の外国語映画賞などを受賞した「最強のふたり」のリメイク版です。オリジナル版はフランス映画でしたが、今作はアメリカのハリウッド作品となります。正直に言うと、今回のリメイク版の方が断然良かったです。オリジナル版が評判倒れの内容の薄い作品に感じられたのは今でも覚えていますが、こちらは期待を上回る出来栄えに仕上がっています。普通はオリジナル版には勝てないものですが、リメイクした甲斐がありましたね。障害者と介助者という関係ではなく、ひとりの人間同士として関わることの大切さが、ユーモアを持ってきっちりと描かれています。細部に登場するシーンや会話も機知に富んでいて、とにかく最後まで共感しながら観られる映画になっています。

 

リメイク版の方が遥かに良かった理由のひとつとして、登場人物(俳優や女優)の魅力があると思いました。特に、パラグライダーの事故で妻を亡くし、自身も四肢麻痺となった大富豪のフィリップを演じたブライアン・クランストンの熱さを身体の内に抑えた演技が素晴らしいです。一代で会社を立ち上げて大成功した行動力と勇気、明晰な頭脳を持っているにもかからず、一見すると首から下の動きを失い、何もできない人でしかない、その社会的または人間的なギャップを見事に演じています。彼が介助者に介護や福祉についてこれっぽっちも興味のないデルを選んだのも良く分かる気がします。

 

彼が嫌ったのは、障害者だからといって先回りされることや、子ども扱いされることだと思います。そういった配慮のようで本人にとっては配慮ではないことへの憤りに近い嫌悪感を、物理的なことはほとんど自分ではできない状態になって初めて、強く感じたのではないでしょうか。これは距離感の問題とも少し違って、なれなれしすぎたり、気が利かなくても良いということではなく、心理的な壁の問題です。偏見の壁と言ってもよいかもしれません。デルはフィリップに障害があると分かっていながらも、偏見を持たない稀有な人だったということです。

 

フィリップとデルの出会いのシーンが象徴的です。面接にやってきたデルは、とある事情があってフィリップに対して不採用のサインを求めます。「全身麻痺だからサインできない」とフィリップが答えると、「じゃあゆっくり書けば」とデルは返し、その返しにフィリップはクスッと笑います。このやり取りだけで、デルの心の中に偏見がないと見抜いたフィリップは採用することに決めたのです。

 

 

ほとんどの応募者はフィリップの目にかなわなかったように、偏見を持たないということはかなり難しいのです。大人になればなるほど。子どもがはっきりと物を言ってしまうのは、偏見を持たないからです。フィリップのような立場になってみると、はっきりと言われたことではなく、周りの人々の内にある偏見に深く傷つけられることに気づくのでしょう。フィリップとエドの障害者と介助者という役割から見ると、ハラハラさせられるようなやり取りはこの後も続くのですが、私たちの心配をよそに彼らは仲を深めていきます。フィリップは古くからの友だちだったらそうする(言う)ような介助を望んだのです。

2020年

1月

08日

「在宅で死ぬということ」ターミナルケアを支える私たちには何が求められているか?

「自宅で看取ることができると、ご家族は涙を流しながらも『ありがとう』『よかったです』などの言葉を口にされます。」

 

在宅ターミナルケアの現場で長きにわたって活躍するケアマネジャー・奥玲子先生は、そう語ります。

 

1950年代には80%以上の方が自宅で亡くなっていたのに対し、医療が著しく発達した70年後の2020年現在は、およそ80%近い方が病院で亡くなっています。しかし、半数以上の方は、病院ではなく自宅で死にたいと考えているのです。この矛盾はどこから生まれているのでしょうか。さらに、病院で死ぬことと、在宅で死ぬことは、何が違うのでしょうか。そして、ターミナルケアを支える私たちには、何が求められているのでしょうか。

 

以下のような方はぜひご参加ください。

⇒ターミナルケアについて詳しく学びたい

⇒終末期の利用者さん(患者さん)やその家族にどのように接するべきか知りたい

⇒人の死について深く考えてみたい

 

→ケアカレナイト最終回の詳細、お申し込みはこちら

 

2020年

1月

01日

誇り高き仕事

あけましておめでとうございます。湘南ケアカレッジが開校して8年目を迎えます。皆さまのおかげで、ここまでやってくることができました。あっと言う間の7年間でしたが、たくさんの素晴らしき人たちと出会えたことに感謝し、今年も大きなチャレンジをすることを通して、その縁の輪を広げていきたいと思います。よろしくお願いします。

 

 

昨年末、卒業生さんがクラスメイトと2人で遊びにきてくれました。彼女は今年の4月から、近くの特別養護老人ホームで働くことになり、ようやく半年が経ったところ。「お仕事どうですか?」と聞くと、「隣のユニットに異動させてもらってからは、周りの人たちも優しくて、天国のようです」と正直に答えてくれました。

 

今の施設に入ったとき、最初はショートステイでの勤務になったそうです。利用者さんたちも入れ替わり立ち代わり入ってきて、週3勤務の彼女にとっては、名前を覚えるのが精一杯だったそう。それに加えて、10年選手のリーダーにあれこれと言われ、辛い思いをしたそうです。じっとしていると、「ボケボケしていないで、さっさと動きなさい」と言われ、積極的に動こうとすると、「暴走しないで!」と怒鳴られる始末。何をしても怒られるので、自分には介護の仕事は向いていないのかもと自信を失いそうになったこともあったそうです。もうやめようかとあきらめかけていた頃、隣のユニットのリーダーが「あなたが頑張っているのは知っているから、うちのユニットに来たら」と誘ってもらえたそうです。

 

「介護の仕事は、誇り高い仕事だとケアカレで教えてもらっていたから頑張れました。ケアカレで学べて良かったです」と彼女は言ってくれました。初めて介護の世界に入って、叱られ怒鳴られ、いじめられ、介護の仕事が自分には向いていないと自信を失いそうなになったとき、先生方の教えがあったからこそあきらめずに済んだそうです。もし誇り高き仕事だと伝わっていなければ、彼女は介護の仕事から離れてしまっていたかもしれません。

 

介護職員初任者研修でどれだけ知識や技術を教えても、最終的に残るのは介護に対する考え方であったり心構えであったりします。細かいことは一切覚えていないけれど、大切なことは一生忘れません。彼女にとっては、介護は誇り高き仕事であると教えてもらったことが心に残り、それが支えになったのです。「湘南ケアカレッジの卒業生は定着率が良いので助かっていると施設長も言っていましたよ」と彼女が付け加えてくれたように、ケアカレは介護の仕事における定着率にもひと役買っているようです。

 

 

彼女が遊びに来てくれた日、町田の交流センターで行われた「アクティブ福祉in町田」に卒業生の発表を聞きに行ってきました。初任者研修に来た当時は、なぜエプロンをつけなければならないのか?というところから話し合った金髪の彼が、今や研究発表をするまでになりました。また福祉用具の展示場では、他の卒業生さんにも会いました。今やケアマネジャーに合格し、卒業生と一緒に福祉用具のレンタル・販売の会社をやっているそうです。卒業生の活躍や成長を知るのは私たちの支えになりますし、私たちも負けないようにしなければいけませんね。

2019年

12月

29日

「だれもが愛しいチャンピオン」

今年最後に今年いちばんの映画を観てしまいました。アカデミー賞外国語映画賞を受賞したスペインの映画「だれもが愛しいチャンピオンたち」です。最初からラストまで、とにかく楽しく笑える映画です。登場人物は自閉症やダウン症などの知的障害のある当事者なのですが、湿っぽさも哀しさも全く感じさせない、ユーモアにあふれたコメディ映画といっても良いでしょう。それぞれが個性的で(こういう言い方が陳腐に思えてしまうほど)、誰もが愛しいチャンピオンという表現はまさにピッタリ。ラストシーンのオチには考えさせられましたし、深いところで心を打たれました。新宿や恵比寿、有楽町のミニシアターでしか上映していませんが、ぜひ1人でも多くの人たちに観てもらいたい映画です。

主人公のマルコは、プロバスケットボールチームのコーチを務めてしました。しかし、負けず嫌いと短気で思ったことを口にしてしまう性格が災いし、コーチの職を解雇されてしまいます。やけ酒を飲んで飲酒運転をした上に、パトカーにぶつかってしまい、判事から知的障害者のバスケットボールチーム(アミーゴス)のコーチをするという社会奉仕の活動を命じられました。彼らのことを知恵遅れという偏見を抱きつつ、最初は嫌々、指導をしていたマルコですが、彼らの不思議な距離感や個性、振舞い、そして人間としての温かさに触れ、次第に打ち解けていきます。そして負けず嫌いの性格が吉と出て、アミーゴスをスペインリーグで優勝させようと奮闘するようになったのです。

 

「彼は教えられているんだ」という、チームのキーマンであるロマンの言葉が忘れられません。マルコは知的障害者の彼らにバスケットボールを通して、社会のルールや規律等を教えているように見えて、実は彼らから人との接し方やコミュニケーションの取り方を教えられているという意味です。のちにマルコはスペイン代表チームのコーチにも抜擢されたように、メンバーのやる気を引き出し、それぞれの得意分野を生かし、彼らの気持ちや立場から見て言葉を選んで伝えられるように成長したのです。意図的にそうしたのではなく、彼らと共にベストを尽くそうと頑張った結果として、気がつくと自分が変わっていたのです。私たちは自分とは価値観や抱えている課題が異なる人たちと向き合い、交流することで、お互いに自分が変わることができるのですね。

 

 

ややネタバレになりますが、1番ではなくても良いという考え方は、1番を目指した結果であれば美しいものだと思いました。たしかに、1番でなければならない分野や世界はあって、そこでは2番手以降は意味がないのですが、ほとんどの場合において、私たちは1番でなくても自分も相手も認めなければならないのではないでしょうか。もし1番以外がダメだとするならば、生きている私たちのほとんど全員が意味のない存在になってしまいます。そんな世界は苦しくありませんか。1番を目指して頑張る過程に、喜びや楽しさがあるのであって、最後に結果が出たあとは、勝者も敗者もお互いの頑張りを褒め・認め合うことで世界は救われるのです。

2019年

12月

21日

最初のひとり

介護職員初任者研修の今年最後となる11月短期クラスが無事に修了しました。今年もあっと言う間に年末になってしまい、毎年、歳月が流れるスピードが加速度的に速くなっていくのは困りものです。人生100年時代、どこかで立ち止まってみる必要があるのでしょうか。さて、今回のクラスは人数が少なかったのですが、昨年の11月短期クラスを振り返ってみると、昨年の方がもっと少なかったのですね。昨年もそうでしたが、人数が少ない分、クラスメイト同士の結びつきは強く、一致団結して一生懸命に取り組んでくれた素晴らしいクラスでした。クラスの人数が多くて賑やかなのもケアカレらしいのですが、人数が少ないなら少ないなりの一体感が出るのもまたケアカレらしいですね。

 

年末ということもあり、11月短期クラス(108期生)の打ち上げと39会(39期生のメンバー)の忘年会が同じ日に行われましたので、私はダブルヘッダーというかハシゴをしました。お酒が全く飲めないので、ハシゴ酒というわけにはいきませんでしたが、卒業ほやほやの生徒さんたちとそれから卒業して4年が経った卒業生さんたちとゆっくり話すことができました。こうして誘っていただけるのは嬉しいことですし、垣根を越えて情報交換できるのもまた楽しいです。

 

108期生の卒業生さんたちと話していたところ、介護職員初任者研修を受けてみようと思ったきっかけを幾人かに聞くことができました。奥様が卒業生であったり、転職を考えていたり、お母さまが入院したことがきっかけであったり、表面的な理由はそれぞれに様々なのですが、もう少し辿っていくと、誰にも共通している理由がありました。それは何らかの形で介護のサービスを間接的に提供される経験をしており、そこで出会った介護職の人の印象が良かったということです。出会ったというと大げさかもしれませんが、介護職の人を見たり、話したり、知ったり、触れたりしたということです。

 

そこで出会った介護職の人が良くない印象であれば、介護について学んでみようと思わなかったかもしれません。最初に出会った介護職の人の仕事ぶりが良かったからこそ、介護って良い仕事だなと感じ、何らかのきっかけで自分も介護の仕事をしてみようと思ってくれたのです。だからこそ、最初のひとりの印象は大事なのです。目の前の人たちに信頼してもらうだけではなく、回り回って、介護の仕事に対するイメージが良くなり、介護の仕事をしてみようと思う人も増えるのです。

 

 

人手不足による仕事の大変さや給料などの待遇の改善は図っていくべきですが、それと同時に介護職一人ひとりの姿こそが介護の世界をより良くし、介護職の地位を向上させていくのではないでしょうか。利用者さんやその家族と身近に接することができる介護職だからこそ、良い意味でも悪い意味でも、影響力は大きいはずです。まずは自分の身の周りから、一隅を照らすようにして、介護の素晴らしさを伝えていってもらいたいと思います。湘南ケアカレッジで介護職員初任者研修を卒業した人たちは、今度は自分が最初のひとりとなって、自分がそうしてもらったように、介護の印象を変えていってもらいたいと願います。

年末らしくクリスマスツリーに象られた色紙をいただきました。皆さんの温かい気持ちがひしひしと伝わってくるようなメッセージばかりで嬉しいです。ありがとうございました。

2019年

12月

16日

介護福祉士「模擬試験・直前対策講座」

 

来年の介護福祉士筆記試験に向けて、1月14日(火)に「模試試験・直前対策講座」を行います!本試験に近い形で模擬試験を行い、その後、解答・解説を聞くことで、全ての範囲を網羅しながら、実戦形式で学ぶことができます。本番の試験に臨むにあたっての、総復習であり総まとめとしてご受講いただければ幸いです。

以下の方はご受講をお勧めします。

 

最後の仕上げとして、総復習してから本番に臨みたい

⇒ひとりで勉強しているので不安が残る

⇒本番の試験のような形(模試)で力試しをしてみたい

 

⇒当日の緊張感や時間配分に慣れておきたい

 

 

★講座の流れ

 

 

 

 

 

★使用テキスト(模試問題集)

*1月14日(火)当日の朝、配布します。*力試しにならなくなるため、事前に目を通すことがないようにお願いします。

 

★場所、時間帯

湘南ケアカレッジ於 9:30~17:00

 

★受講料

,000円(模擬試験問題集、税込み)

 

★定員 40名

*席に限りがあるため、定員になり次第、締め切らせていただきます。

 

★お申し込み

 

以下の申し込みフォームに記入の上、送信してください。またはお電話(042-710-8656にて直接お申込みください。

2019年

12月

09日

温かい心で

先日、修了した8月日曜日クラスには、高校生の女の子たちが7名ほど通ってくれていました。いかにも女子高生という感じで、キャピキャピしている(表現が古い?)子もいれば大人びている子やまだ幼さを残している子もいました。途中で休みがちになったり、授業中に体調を崩して帰ってしまったりする生徒さんが続出した時期もありましたが、最後は落ち着いてきて、それぞれの感じ方で研修を楽しんでくれていたようです。

 

彼女たちに関して、とても意外だと思ったことがありました。

佐々木先生が教えてくれているターミナルケアの授業の最後に、『エンディングノート』という映画を観てもらっていますが、最近はあまり涙する生徒さんが多くなくて不思議に思っていたところ、今回のクラスでは高校生の女の子のひとりが大泣きしていました(彼女はお母さんが卒業生です)。授業が終わってから、周りの女の子たちと「泣けたよね」などと話していた中で、「孫とお別れするシーンはやばい」と話していたので、私は衝撃を受けました。

 

実は私もあのシーンが最も印象に残っていて、死は自分の肉体が動かなくなって、存在が消えてしまうことではなく、大切な人に会えなくなることが悲しくて辛いのです。それは周りの人たちにとっても同じだと思います。映画の中でも主人公の砂田さんにとっては、孫の成長を見ることができないのが悲しいのです。あのシーンは、まだ孫や子どもがいない若い人たちには分かりにくいと高をくくっていたのですが、彼女たちにも響いていたことが驚きでした。私は素直に、彼女たちは人の気持ちが分かって、共感することができる、繊細な心を持った、良い子なのだなと思ったのです。

 

彼女たちとは全く逆の例ですが、10月からスタートした実務者研修には70代後半の生徒さんが2人参加してくれています。そのひとりの女性は、事前に教室を見学に来て申し込みをしてくれました。話を聞いていると、今の施設で利用者さんたちのためにもっと良い介護をしたいけどやらせてもらえないので、もっと勉強して見返したいと思って来た、とかなり前向きなのです。もう一人の男性は、ケアマネジャーを持っていて、自分で施設を立ち上げることになったけれど、介護の実技的なことは全くと言ってよいほど分からないので、学び直しのために実務者研修を受けることにしたと言います。2人とも70代後半にして、学ぶ意欲や向上心が衰えないのは凄いと私は素直に思いました。

 

 

女子高校生たちは未熟なところがあったり、ご高齢のお二人は話が聞きとりにくかったり、肉体的にできないことがあったりしますが、私は温かい心で見守りたいと思いました。温かい心で見守るなんていうと、上から目線だと思われるかもしれませんが、そうではなく、明らかに私の方が下なのです。私が高校生だった頃、彼女たちのような共感力もなく、福祉のこころも学んでいませんでした。自分勝手なだけの子どもだったと思います。そして、私が70代になり後期高齢者となったとき、学校に通い、20代、30代のクラスメイトに混じって、勉強する意欲が残っているかどうか自信はありません。そもそも、身体を学校に運んで動かせるかどうか怪しいですし、新しいことを学べるだけ頭がしっかりしているか不安です。過去の自分と照らし合わせ、自分の30年後を想像してみると、彼ら彼女たちに対するリスペクトの気持ちしか湧いてきません。自分ごととして考え、これからも温かい心で生徒さんたちを見守っていきたいと思います。

 

PS

上の写真は8月日曜クラスの皆さまからいただいた、メッセージ入りの色紙です。「人との関わりについて考え直すきっかけにもなった」、「3H、3Kを心に刻んで介護に携わっていきたい」、「たくさんの気づきを得ました」、「介護への気持ちが変わった」、「本当に心からこの学校に来て良かったと思えた」、「終わってしまうのが名残惜しい」など、皆さんの温かい言葉に励まされながらこれからも頑張ります。ありがとうございました。

2019年

12月

06日

吉藤オリイさん講演「分身ロボットがつくる、コミュニケーションの未来」

昨日行われた12月のケアカレナイトにて、吉藤オリイさんが講演してくれました。一昨年の分身ロボットカフェに参加して、何としても直接話を聞きたい、湘南ケアカレッジの卒業生さんたちにもこの取り組みの壮大さと意味を知ってもらいたいと思い、オリイさんに無理を言って、本当に忙しい時間の中を縫って来てもらうことができました。それほどに期待していた講演でしたが、実際はさらにその上を行く素晴らしいものでした。オリイさんの熱量やスピード感に圧倒され、会場にいる誰もが自分たちにも何かができると巻き込まれたように感じたのではないでしょうか。

 

今あるものは決して完成形ではないとオリイさんは言います。すでに世の中は完成されてしまって、私たちにできることは何もないように思えるかもしれませんが、そうではないのです。20年前にはスマートフォンのある生活など想像もできなかったように、今から20年後の未来にあるものを私たちは想像できません。だからこそ、本当に新しい考えや発見はほとんど誰にも理解されることはなく、逆に周りにいる人たちに理解されているということは、すでに新しくないということを意味するのです。たとえ理解者がいなくても、何も心配することなく、やってみることが大事だということですね。

 

そのようにして、オリイさんの数々の発明、たとえば分身ロボットOriHimeや視線入力による意思伝達装置OriHime eye、黒い白衣、片手で名刺交換できる名刺ケースなどはこの世に生まれ、あとから実際にそれを必要とする人が出てきたのです。時代は後からついてくるのですが、そのスピードが遅すぎてもいけません。BS日テレの番組でもオリイさんがおっしゃっていたように、まだまだOriHimeOriHime eyeが世の中に認知されるスピードは遅く、このままだと本当に必要な人に届かないで終わってしまいます。親友であり仕事でのパートナーであった番田さんの死も、オリイさんの焦燥に大きな影響を与えたはずです。間に合わないでは済まされない人もいるのです。

 

 

今回の講演にはもっと多くの人たちに来てもらいたかった、というのが正直な思いです。私たちの告知不足や伝え方にも問題があったのは確かですが、もっと多くの人々に興味を持ってもらい、今の世の中を良い方に変える手助けをしてほしかった。でも講演が終わってみて、届くべき人には届いたのかなと感じました。今回の参加者には障害のある方もたくさんいましたし、小学生、高校生のお子さんもいました。生きる上での障害を抱え、何らかの問題意識がある人たちが集まり、オリイさんの話を直接聞いたことで、それぞれの生き方が変わり、未来に何かが生まれてくるはずです。私もその一人になりたいと思いました。

 

今回はかなり自腹を切ったのですが、オリイさんの研究に役立てていただければ嬉しいですし、参加者の未来を変える講演を開催できた実感もあり、今年、最も良いお金の使い方ができたと思えました。オリイさん本当にありがとうございました!

2019年

11月

29日

ケアカレナイトに吉藤オリイさん登場

来週木曜日(5日)のケアカレナイトには吉藤オリイさんが登場します!ケアカレナイトが今年の2月からスタートして、いよいよ真打ち登場という感じですね。個人的に、昨年、分身ロボットカフェに参加して、ぜひケアカレナイトで話してもらいたいと思ってお呼びしましたので、皆さまもぜひお越しください。というよりも、絶対に来て、話を聞いてみてください!

  

オリイさん自身も先日BS日テレの番組「世界が驚いた!発明家・吉藤オリイ~分身ロボットで目指す孤独の解消」にて、もっと速く分身ロボットが世に知られていかなければ、助けられる人を助けられなくなってしまうとおっしゃっていました。私も同じ考えであり、ひとりでも多くの方々に、オリイさんが実現しようとしている世界について知ってもらいたいと願っています。

 

★「分身ロボットがつくるコミュニケーションの未来」

詳細、お申し込みははこちら

2019年

11月

25日

尊敬と感謝の気持ちを忘れない

先日の同行援護従業者養成研修には、介護職員初任者研修をちょうど6年前の2013年に卒業したIさんが来てくれました。久しぶりにお会いしたのですが、開口一番、「介護福祉士になりましたよ!」と報告してくれました。彼女は卒業してからすぐに有料ホームで働き始め、そのままずっと同じ施設で働き、一昨年、介護福祉士になったそうです。ケアカレに来たときは、(当然のことながら)介護については何も知らない、明るくてノリの良い女性でしたが、今や「介護は奥が深いですね」と深遠な言葉を発するほどに成長されました。ケアカレを卒業してから介護の仕事を続け、介護福祉士まで取り、新しい領域となる視覚障害者の支援を学びに来てくれたのは嬉しい限りです。

 

ところが、「当時の(介護職員初任者研修の)クラスメイトは皆、介護の仕事を辞めてしまいましたよ」と寂しそうに教えてくれました。LINEでつながっているクラスメイトたちの中で、彼女以外の全員が、6年経った今、介護の仕事から離れてしまっているということです。一度も介護の仕事をしなかったのではなく、一旦は介護の仕事をやってみたにもかかわらず続かなかった、別の仕事に移ってしまった。20名のクラスでしたので、その中でLINEに登録していたおよそ10名~15名のうちで1人しか5年続かなかった計算になります。

 

これはかなり由々しき事態なのではないかと思う一方、それが現実なのかもしれないと感じます。どれだけ学校として介護の世界の素晴らしさを伝えても、介護の現場に出てしまうと現実の壁にぶち当たって、理想は敗れてしまう。どれだけ多くの卒業生さんを育てても、まるでザルから抜け落ちるようにして、介護の仕事を辞めてしまうということです。このままでは、介護現場の人手不足はますます進んでしまいます。

 

お給料の低さや慢性的な人手不足による忙しさ、周りのスタッフとの人間関係など、一旦介護の仕事に就いた人が辞めてしまう理由は様々で、人それぞれなのだと思います。しかし、はっきりと言えることは、現場で最前線に立つ仕事は大変だということです。これは他のどの業種でも同じことですが、つまり対人援助職(接客業とは少し異なる)の肉体的、精神的な負担は私たちが想像する以上に大きいです。わずかな期間であれば続けられても、長く続けるためには、それだけのモチベーションや息抜き、目的や目標がなければならないのです。

 

そして何よりも、最前線で働く人たちに対するリスペクトが必要だと私は思います。現場から退いて、一歩外から介護に関わっている人たちも、大事な家族を預けている人たちも、現場で働く人たちに対するリスペクトを忘れてはいけません。できていないことはたくさんあると思いますが、まずは最前線で働く人たちに対して感謝と敬意を示していくことが大切なのではないかと思います。

 

それは私が塾の先生として、子どもたちと直接向き合ってきた経験からも言えることです。現場に放り込まれて、直接子どもたちと関わるのはエネルギーが要ります。気配りや心遣いも必要ですし、伝えたいことを上手く伝えるためには頭も使わなければいけません。我慢したり、ぐっとこらえたりする忍耐力も問われます。ありとあらゆる力を総動員して、現場の人たちは生徒さんや利用者に向き合っているのです。

 

 

だからこそ、私は先生方に対する尊敬と感謝の気持ちは忘れたことがありませんし、私たちは現場で働く人たちに対する尊敬と感謝の気持ちを持って接していきたいですよね。自分にはできないことをやってくれている人に対して、尊敬と感謝の気持ちを忘れない。それは長い目で見て、自分たちの住む世界をよりよくすることにつながっていくと私は信じています。

2019年

11月

18日

映画「マチネの終わり」

湘南ケアカレッジを開校してから、いや、社会人になって仕事を始めてから、ほとんど小説を読まなくなってしまいました。忙しくて時間がないと言えば言い訳になってしまいますが、すき間時間までを仕事やスマホに取られ、ずいぶん長い間、小説の世界に没頭することができなくなっていました。そんな私が、ほんとうに久しぶりに、カフェが閉店時間になるまで、時間も忘れるほどに読みふけってしまった小説が「マチネの終わり」。遂に映画化されましたので、公開初日に観に行ってきました。原作を下回ることのない、むしろ音楽や映像の力が原作を補完するような、また小説を読んでみたいと思わせる作品でした。そして小説を読むと、また映画が観たくなるかもしれません。

 

主人公の蒔野は世界を股にかけて活躍するギタリスト、洋子はパリ在住のジャーナリスト。ふたりは物語が進む6年の間に、わずか3回しか会うことはないのですが、深いところで互いに惹かれていきます。蒔田はアーティストとしての苦悩があり、洋子はフランスのパリにおけるテロに遭遇し、困難な道を歩んでいる者同士からこそ求め合う。ところが、そんなに簡単にものごとは落ち着かないもので、ふたりはすれ違い(第三者にとよってすれ違わされ)、心の底に大切な感情をしまったまま年月は流れ、それぞれが家庭を持つに至ります。しかし物語のラストでは、すれ違いの理由が明らかになり、ふたりは再会するところで幕を閉じるのです。

 

 

個人的に、この原作が秀逸だと思ったのは、ふたりが深いところで惹かれ合う理由がきちんと描かれていることです。出会い系アプリでパートナーを探すのが普通になってきている時代において、なぜその人でなければならないのかが明確なのです。それは蒔野と洋子が特別な生き方をしているからかもしれませんが、もしかすると、誰にとっても、あなたでなければならない人はどこかに存在するのかもしれません。または時間をかけて、その人でなければならない存在になっていくのかもしれません。いずれにしても、その人と決めるためには自分自身の存在がはっきりしていることが大切なのだと思います。

 

 

原作者の平野啓一郎さんは、「愛とは、誰かのおかげで自分を愛せるようになること」だと語りました。誰かを愛することだけが愛ではなく、誰かと共に時間を過ごすことで、自分を愛せるようになることも愛だと定義したのです。なるほど、その人といるときの自分が好きである状態。私たちは誰かを愛することで、これまでの自分も愛することができるようになるのです。「マチネの終わり」の映画のテーマでもある、常に未来が過去を変えていくことにもつながります。愛するというのは恋愛だけに限ったことではなく、家族であったり、仕事仲間であったり、介護の仕事でいうと利用者さんであったりしても良いはずです。他者がいてくれるおかげで、自分の過去は意味あるものに変わり、自分を愛せるようになるのだと思うのです。

2019年

11月

13日

人と人とのつながりを

10月短期クラスが修了しました。人数が少なかったのですが、寂しさなど微塵も感じさせない、とても前向きで明るく、楽しいクラスでした。女性が引っ張り、男性陣がそれに乗ってくる形で、最後はひとり一人が大切に包み込まれていくような雰囲気でした。これぐらいの少人数で、クラスメイトさんそれぞれが互いを知り、認め合い、ひとつにまとまると心地よい一体感が生まれますね。ハロウィーン前日には、お昼休みにパーティーを開き、プチ仮装をしたりお菓子を持ち寄ったりして盛り上がっていました。もちろん、学ぶときは自ら学ぼうとする姿勢もある、まさにケアカレらしい素晴らしいクラスだったと思います。

 

最終日には有志で打ち上げが行われ、私たちも誘っていただきました。実はその日、ちょうどケアカレナイトが開催され、当日、会場の関係でバタバタしてしまったこともあり、飲み会に参加するのが遅れてしまいました。ケアカレナイトから抜け出し、鳥良商店(ケアカレの卒業生がよく打ち上げをするお店)に駆けつけたところ、すでに皆の姿はありません。もう帰ってしまったのかと申し訳なく思い、電話してみたところ、近くのROUNDONEでボーリングをしているとのこと。そこから再び移動して、ようやく合流できました。

 

あまりゆっくり話すことはできませんでしたが、教室では見せない卒業生さんたちの人となりが知れて良かったです。その中で、クラスメイトのひとりから、「今度、卓球しましょうよ!私、学生時代に卓球部だったのですよ」と言われ、嬉しく思いました。生徒さんたちの背景や歴史を知ることで、より立体的にその人間性が浮かび上がって映りますし、何と言っても、私ともフラットな関係でいてくれたことが嬉しかったのです。

 

というのも、湘南ケアカレッジが立ち上がった頃は、今よりも生徒さんたちともっとフラットな関係と近い距離にいた気がするのです。あれから7年が経ち、私の中では生徒さんたちに対する愛情は変わらないつもりでいるのですが、ここ最近はどうにも距離が少し遠く感じられている気がしていました。それは私が教室に足を運ぶ機会が少なくなったのか、生徒さんたちと話をする時間や回数が少なくなったのか、それとも年を取ったことで近寄りがたくなってきてしまったのか分かりませんが、とにかくそう感じていました。

 

 

学校はたしかに仕事でありビジネスであるのですが、それだけでは何も楽しくはないし、喜びもありません。生徒さんたちを右から左へ流すだけでは、少なくとも私は、そこに時間を費やす価値や意味を見出せないのです。どういう状況や立場であれ、縁あった人たちと人間的なつながりを築くことにこそ、私たちの人生の意味はあるのではないでしょうか。湘南ケアカレッジがどれだけ長く続こうとも、どれだけ大きくなろうとも、いつまでも卒業生さんたちと共にある学校でいたいと思います。

 

最終日に渡された写真の裏には、クラスメイトの皆さんからのメッセージがありました。こちらこそ、ありがとうございます!先生方が見えるところに貼ってありますよ。

2019年

11月

08日

命を使って何ができるのか?

11月のケアカレナイトは映画「ギフト」の上映会&松山さんの講演会でした。ケアカレオリジナルのポップコーンを片手に、皆で映画を観てその内容について語り合う新しい上映会のはずでしたが、機材トラブル(会場のプロジェクターから音が出ない)によって、全員に教室まで一旦移動していただくという事態に陥ってしまいました。往復30分も歩いていただくことになり、大変申し訳なく思うのと同時に、「ケアカレナイトで何度かお会いしたことのある人と話しができて良かったです」とおっしゃってくれる方もいて救われました。どのような局面においても、ポジティブな視点や態度を持つことで、他者を勇気づけることができることを教えてもらいました。

そんなこんなで、何とか湘南ケアカレッジの教室にて上映会を行い(「ギフト」の感想は以前にこちらに書きましたので省略します)、再び町田市民センターに向かってもらいました。そこで待ってくれていたのは、ゲストスピーカーの松山博先生でした。松山さんは現在71歳、元小学校の教員です。ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症して11年目、胃ろうと気管切開をして呼吸器を装着して4年目になります。ALSの進行に合わせて、どのような思いで、どのような選択をしてきたかについて語ってくれました。

 

松山さんが2009年に小学校を退職したのち、ALSは発症しました。片腕が動かなくなり、両腕が動かなくなっていきます。身体にただ腕が付いている状態という表現をされていて、両腕が動かなくなるとはそういう感覚なのかと生々しく想像ができました。そして、両足も動かなくなり、自分では何もできなくなっていき、松山さんだけではなく奥様からも笑顔が消えていったそうです。次は自発呼吸ができなくなり、酸素が欠かせない生活となり、笑顔をつくることさえできなくなったそうです。天井ばかりを見て生活をして、誤嚥性肺炎を繰り返す時期がやってきます。

 

松山さんは葛藤を経て、人工呼吸器を装着することを選びました。生きることを選択したものの、自分の中に閉じ込められたような絶望感も覚えていたといいます。しかし、この頃を境として、外出や社会参加ができるようになり、重度訪問介護の申請から交渉、認定と、長時間(1日24時間)継続してヘルパーさんの介護を受けることが可能になったことで、良い方向に大きな変化が起こっていったのです。外出先や近くの公園にて、家族と笑顔で映る写真がそのことを物語っていました。「どのような看護・介護を受けるか在宅支援の有り様で、当事者の生きる姿が変わります」と松山さんは語ります。どのような難病患者にとっても、生きる価値や意味を、意欲を見出せる看護・介護をしてほしいということです。

 

 

個人的には、松山さんの講演を聞いて、「命を使って何ができるか」と今は考えるに至られたことに驚きました。誰かから与えてもらうでもなく、自分の時間やお金を使って何ができるのかを考えるのでもなく、自分の命を使って何ができるのかと考える。そう言われてみて、松山さんがこうして私たちの目の前に現れ、娘さんに代読してもらう形でその気持ちや考えを伝えてくれることの意味。そして、私は実際に松山さんと会って、ひと言ふた言、会話を交わしたことで、その笑顔から、その意味が分かった気がしました。1時間押しの状況の中でも、「先にドリアを食べてきてしまいました。でも懇親会でお寿司を食べるスペースは残してあります(笑)」と笑顔で語り、講演が終わって「とても良かったです」と声を掛けると笑顔で「ありがとう」と言ってくれたような気がしました。松山さんはその存在、つまり命を使うことで、周りの人たちを笑顔にして、励ましてくれているのです。もちろん、松山さんだけではなく、私たちは誰でも、命を使って誰かの役に立つことができるはずです。

2019年

11月

04日

どのように実現するのか?

卒業生さんが突然、教室を訪ねてくれました。「話を聞いてもらいたくて…」と切り出した彼女は、これまでの介護の仕事のこと、今の仕事について、そしてこれからどうしていくべきか悩んでいると語ってくれました。ケアカレで初任者研修に来てくれたとき、彼女は特別養護老人ホームで務め始めていました。人間関係に難しさはあったものの、その施設で1年ほど頑張って働いたのち、今はカフェで働く傍ら、訪問介護を週に2日ほどしているそうです。それぐらいのバランスの方が今の自分には合っている。そう話す彼女は、たしかに以前に比べると肩の力が抜けてリラックスしているように映りました。ところが、これから先の未来の話をし始めるとやや不安がちに。

 

彼女は青森県の出身で、向こうにはお父さまが経営されていた会社と土地がそのままあるそうです。ご両親はすでに東京に出て来て、定住されていて、お姉さまもこちらでご家庭を持っていらっしゃるとのこと。向こうには誰もいないけれど、場所だけは残っているということです。彼女としては、青森に戻り、その場所を生かして、介護にたずさわる仕事をしてみたい。自分の理念を持って、貫けるような施設や事業所をやってみたいという願いがあります。しかし、理想はあっても、いざ青森に帰って、介護の事業を立ち上げるとなると、ずいぶん高いハードルがあるように感じ、立ち尽くしてしまうのです。

 

彼女は現実と理想のあいだで思い悩んでいることを、ただ聞いてもらいたかったのだと思います。何か具体的なアドバイスができるわけではありませんし、私もただただ彼女の想いに共感することしかできません。ひとしきり話してくれて、彼女は帰っていきました。

 

彼女のような人たちが、これからの介護の世界を盛り上げていってほしいと思います。このような介護をしたいという強い想いを持った人たちが、自分の理想や理念を掲げ、仲間を集めて、自分たちの力で介護サービスを提供する。他の業界と比べると、それほど大きな資金がなくても立ち上げられますから、自分でやりたいと思う人たちはどんどんやるべきです。もちろん大きな施設にも役割はありますが、これからは小さな施設・事業所が数多くできて、身の回りの人たちを支えていくことが重要になります。

 

 

そのような人たちにアドバイスをさせてもらうとすれば、今のうちに目の前の仕事を全力でやってみてもらいたいということです。片手間でやっている仕事が自分のものになることはありませんし、本当にその仕事を自分がやりたいかどうかを知るには一生懸命にやってみなければ分からないのです。宝石は磨いてみないと、それが宝石であるかどうかは分からないのと同じです。全力でやる、一生懸命にやるとは、具体的には1日びっしり15時間ぐらい、3年間はやるということです。その仕事が好きで、楽しさや喜びが見いだせなければ続かないはずです。もしそれができたなら、どんな場所であっても、たとえお金がほとんどなくても、あなたの理想を実現し、誰かの役に立つ仕事ができるはずです。

2019年

10月

30日

なにものでもない

「アール・ブリュット立川2019」に行ってきました。僕がアール・ブリュットに興味があることを知っていた望月先生が「立川でこんなのやっていましたよ」と教えてくださって、最終日に何とか間に合いました。とはいえ、最終日は最も大きな展示室が17時で終わってしまっていて、残念なことに特設会場とエスカレーター脇の限られた展示しか観ることができませんでした。それでも、今回の展覧会のクオリティの高さと熱気が伝わってきましたので、ぜひ来年はしっかりと全ての作品を鑑賞したいと思います。

JR立川駅を出て、目の前にある伊勢丹の入り口すぐのところに、谷良則さんによる「なにものでもないもの」という作品が飾ってありました。大きな納豆を積み上げたように見えてしまいます。谷さんの他の作品はそれぞれに全く形状が異なり、統一感がないのがテーマのようです。どのような形の作品にしようとか、ひとつの作品を作り上げたということもなく、始まりも終わりもない制作活動だそう。「これは何?」と尋ねてみると、「なにものでもないもの」と返ってきたところから、このタイトルは付けられました。

久下智香さんによる、白い布にカラフルな糸が刺繍された作品はこれまでに観たことのないものです。誰よりも右手を動かして作るからこそ、ここまでの迫力と存在感が出せるのでしょう。

若山由美子さんの風景画ひとつ一つはシンプルでも、数えきれないほどの多作が集まり、彼女のひとつの心象風景を表現しています。

相葉章義さんのTシャツとトートバックは立体感のある派手さで、使う者を選びますね。

岩崎岳さんのTシャツは、個人的にはバスキアの作品のようで好きです。

鬼頭和則さんの作品は岡本太郎さんのような迫力があります。呼吸をするように絵を描くという柴田将人さんが描く蛇は、これだけ集まっても可愛らしい。

出山千恵子さんのクッションは、一見するとイケアにもありそうですが、同じものがひとつとしてない模様が商業製品に対するアンチテーゼとして個性を放っています。

小畑智洋さんのポストカードは完成度が高く、そのまま売ってもらいたくなりました。

彼ら彼女らは決して有名なアーティストではありません。多くの人々にその作品が知られることになれば良いし、そうなればお金を払ってでも作品を欲しがる人たちも出てくるはずです。個人的にはアール・ブリュットもそのような流れが出てきてもらいたいと思っていますが、現実的にはそうではありません。彼ら彼女らは何者でもないのです。それで良いのだと思います。

 

私の好きなニューヨークの写真家ソール・ライターは、「私は無視されることに自分の人生を費やした。それで、いつもとても幸福だった。無視されることは偉大な特権である」と語りました。また、「雨粒に包まれた窓の方が、私にとっては有名人の写真より面白い」とも言いまいた。彼の言いたいことは私にも良く分かりますし、アール・ブリュットとはそういうことなのかもしれません。そして、私たちの人生も同じだと思うのです。

2019年

10月

26日

寝かさない

夏休みの間に行われた介護職員初任者研修のクラスは、高校生がたくさん参加してくれており、10代から70代まで年齢の幅が広く、親と子を通りこして、親とひい孫が一緒に学ぶと言っても大げさではない雰囲気でした。様々な年代の人たちがフラットな関係性の中で共に学ぶのは、介護職員初任者研修の醍醐味の一つですが、とはいえ高校生が半分を占めるクラスをまとめるのは一筋縄ではいきません。たとえば、座って受ける講義の授業では、彼ら彼女らを1日集中して話を聞いてもらわなければならないから大変です。初日の望月先生は「寝かさない」工夫をしてくれたり、先生方も気合を入れて教えてくれたおかげで、ほとんどの高校生さんたちは頑張って聞いてくれていたのが印象的でした。

 

集団形式の授業で教えるとき、生徒さんを寝かさないことは重要です。特に子どもは正直なので、寝ているかどうかは授業の良し悪しを評価する指標になります。最初から寝ている生徒さんは参考外なのですが、最初は聞こうとしているにもかかわらず、途中から眠気を誘われて、ついには寝てしまうということは、その生徒さんにとっては授業がつまらないということです。どれだけ意味のあることを話していたとしても、生徒さんたちには届いていないということです。寝ている生徒さんが複数いるということは、先生にとっては、生徒さんが授業に集中できる工夫が足りないというサインでもあるのです。

 

それでは、講義形式の授業において、どのように工夫するかというと、オーソドックスなところでは以下のとおりです。

 

・話の中に問いかけを増やす

「○○って知っていますか?」、「○○だと思う人、手を挙げてください」など

・質問を投げかけて、誰かに答えてもらう

ABとどちらが正しいと思いますか、○○さん?」、「○○さん、△△についてどう思いますか?」など

・グループワークを取り入れる

「それでは、○○について、それぞれの意見を交わしてみましょう」、「意見がたくさん出たら、それをまとめて皆の前で発表して共有してもらいます」など

・実際にやってもらう

「今お話しした○○について、実際にお隣同士でやってみましょう」、「それでは、皆でやってみますよ」など

・テストを取り入れる

「ここまで話したことが分かっているか、確認のため、簡単なテストをしてみましょう」など

 

それ以外にも、深呼吸をしてもらったり、休憩を入れたり、簡単な体操をして体を動かしたりなど、体を動かすなども工夫のひとつです。授業の中にサプライズを入れたりしてドキッとさせるのもありですが、上記の工夫に比べると、効果は一時的です。

 

 

寝かせない授業のポイントは、やはり受け身にさせず、主体的に取り組んでもらうということに尽きるのです。教える人は、つい自分の伝えたいことを一方的に話して満足してしまいがちですが、相手に本気で伝えたいと思うならば、まずは相手の姿勢をこちらに向けることが重要なのです。そのために様々な工夫をするのが良い授業であり、授業中に寝てしまう生徒さんはその行為自体は褒められたものではありませんが、実は「主体的に学べるような工夫をしてくれていますか?」と私たちに問うているのかもしれません。

2019年

10月

19日

文化とは信頼である

9月からスクーリングが始まった実務者研修の火曜日クラスが修了しました。このクラスはケアカレ卒業生の比率が高く(3分の1ぐらい)、その卒業生さんたちが中心となり、クラスを引っ張る形で授業も進められ、とてもアットホームで積極的に学ぶ良い雰囲気でした。先生方も授業がやりやすかったのではないかと思います。実務者研修でいつも思うのは、卒業生さんのありがたさです。私たちのことをすでに分かってくれていて、最初から同じ目線と近い距離感で授業に臨んでくれるため、その安心感が周りのケアカレ以外の学校から来てくれた生徒さんたちにも伝わっていくのです。

 

打ち上げに顔を出させてもらったとき、「ケアカレはくせになるのだよね。麻薬性がある」と卒業生さんが言うと、「先生方それぞれに熱い想いがあって、それが良かった。私が初任者研修を受けた他の学校では、大学の授業みたいに淡々と先生が話して終わってしまったから」と返していました。それを受けて他の生徒さんは、「毎回楽しみに来ていたので、終わってしまうのが寂しい」とまでおっしゃってくれました。学校にまつわること全てに満足していただいたのだと嬉しく思うと共に、実務者研修から初めてケアカレに来た生徒さんたちの間に入って、良い関係性を築いてくれた卒業生さんたちに感謝です。

 

そういえば、影山さんが施設回りをしていて、3つの施設で続けて「最近、湘南ケアカレッジさんの名前を聞くことが多くなってきたよ。昔は知らない人が多かったけれど、ここ最近は誰からともなく湘南ケアカレッジの話が出てきて、あそこの学校は良いよねという話になっていますよ」と言われたそうです。いち施設だけであれば、お世辞かなと思いますが、3つの施設で連続して向こうからそのような話をしてくださったのですから、実際にそうなのだと思います。

 

湘南ケアカレッジは7年目を迎えるので、今さらかと一瞬思いましたが、ふと実務者研修の卒業生が現場に戻ってそのように言ってくれているのだと気づきました。実務者研修を初めて4年目にして、現場にケアカレが浸透してきたということですね。初任者研修の卒業生さんに感化された実務者研修の卒業生さんたちが、現場に戻って、湘南ケアカレッジのことを口に出して語ってくれているのだと思うと嬉しい限りです。

 

 

打ち上げで卒業生さんたちと話していると、そこはかとない安心感がありました。この心地よさは何なのだろうと考えてみると、それは信頼なのではないかと思いました。お互いに信頼し合っているからこそ、安心感や心地よさが生まれ、それが周りにも伝わっていき、そして文化が生まれる。最後の授業の日、卒業生さんのひとりが中心になって色紙を作ってプレゼントしてくれました。皆で色紙をつくるという文化が初任者研修から実務者研修にも伝わり、最後には全員がケアカレの卒業生として旅立っていったのです。介護福祉士を受ける方はぜひ合格して、またお会いできることを楽しみにしております!

2019年

10月

15日

笑顔が見たい

10月のケアカレナイト「明日からレクリエーションが楽しくなる!」が終わりました。ケアカレナイトとしては、小野寺先生は初登場ということになりました。もともとは卒業生さんが遊びに来たときに、「ケアカレナイトでレクをやってくださいよ。今、レクの担当になると憂鬱で仕方ないのです。うちの利用者さんたちは介護度にバラつきがあって、皆が参加できるレクってないのですよね…」と提案してくれたのがきっかけです。小野寺先生は現在、デイサービスでも働いていますし、またレクの勉強もされていることもあり、満を持しての講座となりました。案の定、「もっと長く受けていたかった(時間が足りないぐらいに感じた)」、「明日から試してみようと思う」など、参加者の方々は皆、レクリエーションに対して前向きになり、笑顔になって帰っていかれました。

 

「レクリエーションはゲームではない」と皆さんのレクに対するイメージを覆すところから、講座はスタートしました。レクというと、どうしても勝ち負けを競えるようなゲームを行うことだと思い込んでしまう方が多いかもしれません。レク=ゲームだと考えると、レクリエーションの幅は狭くなってしまい、利用者さんの介護度によってできること・できないことが大きく分かれるため、公平なくなったり、つまらなくなってしまい、介護者は頭を悩ませることになります。そうではなくて、もっと広い意味でレクリエーションを捉えてみても良いのでは、と小野寺先生は提案するのです。たとえば、全介助の利用者さんであっても、レクの場に来て、見て、一緒にいるだけで楽しんでいるのであれば、それで良いのです。

今回の講座では、5人ずつ5つのグループになってもらい、5つのレクリエーションを体験してもらいました。1人が1回ずつ、リーダー(自分がレクを提供する側)の役割を担ってもらうためです。ということは、4回は自分が利用者としてレクに参加する体験もできるということです。そのとき自分は何を感じて、リーダーまたは利用者役である相手に対してどう考えたのかをフィードバックしてもらいます。そうすると、今までは見えていなかったレクを運営するポイントが見えてくるのです。

 

その他、レクリエーションのネタとしても、利用者さんの昔のことを聞き出すカルタやポチ袋にお金を入れて渡して、そのお金で何を買いますかと話をふくらませるレクなど、ただ楽しいだけではなく、その方の人間性や歴史が見えてくるような奥深さがあると思いました。

 

 

最後の小野寺先生の話は忘れられません。小野寺先生がかつて働いていた施設で利用者さんが亡くなったとき、その方の遺影として、レクリエーションで小野寺先生と一緒に笑っている写真を使ってもらったそうです。小野寺先生はそれがとても嬉しかったし、普段はほとんど見せない表情をレクリエーションでは見せることがあることを知りました。レクリエーションは、その方の人生の最後の時間で笑顔をつくる機会でもあるということです。その話を聞いて、今回のケアカレナイトに参加してくださった方々は、利用者さんの笑顔が見たいと心から思ってくれたのではないでしょうか。

2019年

10月

10日

今だけでなく、未来を考えて【座間苑】

昭和から平成、そして令和と3つの元号を生きてきた、社会福祉法人慈恵会の特別養護老人ホーム座間苑。この地で獣医をしていた創設者の澤田恭一氏が、「お世話になった地元に、恩返しをしたい」という想いで、まだ高齢者施設の少なかった時代に、座間市で初めて特別養護老人ホームを開所したのが38年前のことでした。施設向かいの田んぼには、稲が土にしっかりと根を張り、夏の日差しを目いっぱい浴びて、その葉を揺らしています。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2019年

10月

06日

毎日がブランニューデイ

先月、卒業生さんが熱中症で亡くなったとの訃報を受けました。たまたま9月5日から始まる実務者研修を申し込んでくれていたところで、彼の所属している法人から連絡をいただいて知りました。私の知る限りにおいて、湘南ケアカレッジが2013年に開校してから数名の卒業生さんの訃報を受けており、しかも彼ら彼女らは決して高齢ということではありません。癌であったり、脳出血であったりと様々ですが、人の命は有限であり、死はいつ誰の身に訪れても不思議ではないという思いを強くします。

 

彼がケアカレに来てくれたのは、今から4年前の春でした。勤めている会社でイベントの運営などをしながらも、障害者のグループホームを立ち上げるとのことで、介護職員初任者研修を受けに来てくれました。どこからどう見てもガテン系でしたが、話してみるととても優しくて、シャイなところはありますが、誰からも頼られる誠実な人柄だったと思います。

 

実は、ケアカレの事務所を移転するときの引っ越しを手伝ってもらったこともあり、たまにこちらから仕事のお願いの電話をしたり、彼から「村山さん、村山さん」と電話を掛けてもらうこともありました。途中、脳こうそくで入院して大変なこともありましたが、ようやく実務者研修まで受けに来るところまで回復しただけに、このような結果になってしまったことを残念です。ご冥福をお祈りいたします。

 

私の好きな故忌野清志郎さんというシンガーがいます。彼も比較的若くして亡くなったのですが、癌からステージに復帰した頃、たまたまライブに行ったことがありました。それまでは忌野清志郎さんの名前や曲は知っていたのですが、ファンではありませんでした。チケットが手に入ったということで友人に誘われ、小さなライブハウスで忌野清志郎さんの圧倒的なパフォーマンスを体験したことで、まさに言葉どおり魅せられてしまったのです。

 

そのライブにて歌われた曲の中で、最も忌野清志郎さんが心を込めて歌い、最も私の心に響いたのが「毎日がブランニューデイ」という曲でした。あのライブの数か月後に、癌が再発して亡くなったことを考えると、忌野清志郎さんがどのような気持ちでこの歌を歌っていたのか、少しだけ想像がつくような気がします。

 

 

介護職員初任者研修や実務者研修の卒業生さんたちとは、一期一会だという感覚を持っていますが、今回のようなことがあると、よりその想いを強くします。縁あって湘南ケアカレッジに来てくれた生徒さんと、せめて学校にいるときぐらいは毎日、新しい気持ちで、人間同士として、良い時間を少しでも長く過ごしたいですね。最近、生徒さんと個人的につながることが少なくなってきているなと反省の意を込めて、そう思います。

2019年

9月

30日

66日間

介護福祉士筆記試験対策講座の最初に、勉強の仕方についてお話しします。大人になってまで、勉強の仕方を説かれるのかとげんなりされるかもしれませんが、ひとりでも多くの生徒さんに合格していただくために必要なことです。私は学生時代から数えると10年近く、子どもに勉強を教えてきました。その中で、勉強ができる・できないを隔てているのは、実は頭の良し悪しよりも、勉強の仕方が分かっているかどうかということに気づかされました。だからこそ、勉強する前に、まずは勉強の仕方を伝える方が、子どもたちを成功に導くためには効率的だったのです。

 

今回は、勉強の仕方の中で少しお話しする習慣化について書きます。私がこれまで生きてきた中で、唯一の成功法則だと思うのは、習慣化することです。勉強でもスポーツでも仕事でも恋愛でも、何かを成し遂げたいと願うならば、そのためにするべきことを継続して行うべきという意味です。思いつきや3日坊主ではなく、数か月から1年、2年…10年、雨の日も体調が悪い日も落ち込んでいる日も、ひたすら毎日同じようなことを繰り返す。そこにはやる気や努力や苦労なんて言葉はなくて、ただひたすらにやり続けるだけ。ふと気がつくと、いつの間にか上手になって願いが叶っていた。習慣化することは、そんな魔法のような成功法則だと思うのです。

 

習慣化することのメリットは大きく2つあります。

 

ひとつは、自分の意志の力や周りの環境などに左右されにくいことです。誰が何と言おうと、毎日、決まった時間をそのことに当てるわけですから、するかしないかという選択はないのです。朝起きて顔を洗ったり、3食食べたり、お風呂に入ったり、歯磨きをしたりするのと同じ。むしろ、しないと気持ちが悪いので、さぼりたいと思ってもしない方の気持ち悪さや罪悪感の方が優るのです。習慣化すると、やる気をエイッと奮い立たせる必要がなく、ごく自然に取り組めるのです。

 

もうひとつは、毎日行うことで、気がつくとかなりの大きさになっていることです。しかも毎日行うことで、単なる足し算ではなく、雪ダルマのように膨れ上がってゆくイメージ。

たとえば、1日1時間を何かに当てるとすれば、1ヶ月で30時間。これぐらいであれば大したことないのですが、1年で360時間、5年で1800時間と積み上がっていきます。この辺りまでくると、始めた当初から比べてみると雲泥の差があり、大きく成長を遂げているはずです。

 

習慣化する重要さは分かっていただけたとして、実は習慣化する前に考えておかなければならないのは、何を習慣化するか?です。ここを間違って、あまり意味のないことを習慣化してしまうと、効果もそれなりにしか出ません。日々、何を習慣化するか?がその人の人生をつくるのですから、ゆっくりと時間を取って考えてみてください。時間の目安としては、短すぎても長すぎても良くないので、1日30分から1時間ぐらいでできることがベストでしょう。「毎日○○について1時間勉強する」とか「毎日○○まで30分間走る」など。

 

 

ちなみに、何かを始めて、それが習慣化するには66日間かかると言われています。一度何かを始めたら、何が何でも66日間は続けてみてください。自転車を漕いで走るときのように、最初のうちはグッと力を入れなければなかなか前に進まず、スピードにも乗れないとしても、次第にあまり無理をしなくても進むようになり、気がつくと自然とペダルが回っていたような感じを味わえたらいいですね。

2019年

9月

26日

幸せを、ここからつくる【都筑の里】

理念は、その組織の考え方や在り方を示しています。理念を見れば、その組織が大切にしているものが見えるのです。

 

たとえば、料理サイトで有名なクックパッド株式会社は、「毎日の料理をたのしみにすること」、伊右衛門緑茶や南アルプスの天然水などを生産するサントリーホールディングス株式会社は、「人と自然と響き合う」を理念にしています。このように、理念にはその組織が社会にどのように貢献したいのかが現れます。

 

 

ここに「幸せの創造」を理念としている社会福祉法人があります。創造とは新しくつくること。幸せを、ここから新しくつくりだしていくのです。

 

続きは→【介護仕事百景】へ

2019年

9月

23日

変わること、変わらないこと

ここ数年、足しげく通っているネパール料理店があります。ネパールの家庭料理であるダルバートにはまってしまい、ふと気がつくとランチタイムは足が向いてしまいます。ネパール人の卒業生に聞いてみたところ、「あのお店のネパール料理は美味しいです」と言っていたので、本物のネパール料理の味であることに間違いありません。ところが、つい最近行ったときに、いつもと味が違うことに気がつきました。今までにはなかった野菜が入っていたり、ジャガイモがやや硬かったり、豆のスープがぬるかったり、食後のチャイも味が薄くなった気がしました。何かが変わった、と私はそのとき感じました。この感覚は、このネパール料理店だけではなく、他のお気に入りの飲食店でも幾度となく抱いたことがあります。

 

私の勝手な想像の中では、少し見た目や味に変化を加えようとして、野菜を刻んだものを入れたのだと思います。良かれと思ってやったことです。しかし、せっかくのシンプルなカレールーの食感が損なわれてしまうばかりか、味も込み入って余計な感じがします。私がずっと食べてきたダルバートに慣れてしまっているから変化が受け入れられない面もあるのかもしれませんが、本来の味を良く知っているからこそ、それが改善ではなく改悪になっていることが分かるのだと思います。

 

ジャガイモがやや硬かったり、豆のスープがぬるかったりするのは、オペレーション面でどこか手を抜いているからではないでしょうか。効率化という建前で、楽をしようとしてしまったことでクオリティが落ちてしまうことがあります。余計な仕事を増やす必要は全くありませんが、これまでやってきて実はとても重要な仕事については、手を抜いてはいけないのです。つまり、大切な仕事には時間を惜しんではいけないということです。それはどのような仕事であっても、たとえば介護の仕事においても当てはまることだと思います。このようなことが起こらないためにも、私たちは常に、今やっているこの仕事がどのような意味を持つのか?と自問しなければいけませんね。

 

 

私たち人間は、変わりたくない生き物であると同時に、変わりたがる生き物でもあります。変化を受け入れることは苦手なくせに、自分自身は変わらなければならないと思っている節があるということです。今のままでは生き残っていけないと本能的に変わろうとすることもあれば、楽な方向に流れようとして変わってしまうことも多々あります。結論を言うと、私たちは少しずつ成長することで変わっていかなければいけませんが、絶対に変えてはいけないこともあるのです。何を変えるべきで、何を変えてはいけないのか、その見極めは難しい。だからこそ、変えること、変わらないこと、どちらも大事であると意識しながら、生きていきたいと思います。

2019年

9月

18日

ありがとう【芙蓉園】

スポンジブラシを歯茎でぐっと抑えて離さないご利用者さんのいたずらに、介護職員の山縣(やまがた)さんの顔には思わず笑みがこぼれます。チャーミングな彼女は口の中がさっぱりすると、しわが深く刻まれた掌をすり合わせ、「ありがとうね」と深く感謝を述べ、それを見て山縣さんはまた目尻を下げて笑います。

 

 

若さに宿るものではない、その人の在り方から現れる可愛らしさに触れる癒しや、その深すぎる感謝の言葉から与えられる力は計り知れません。

 

詳しくは→【介護仕事百景】へ

2019年

9月

15日

自分にできることは?

今回の台風による影響や被害は甚大ですね。私はたまたまその週末、北海道に出張に行っておりましたので、台風の影響で飛行機が飛ばず、こちらに戻ってくることができなくなりました。北海道は晴天で台風のたの字もなく、まさか自分がそのような目に遭うとは思いも寄らず、遠くから先生と生徒さんたちの安全を祈るしかありませんでした。幸いにもケアカレの授業は無事に終わり、来てくださった生徒さんたちも笑顔で帰っていかれたと報告を受けて、私も胸をなで下ろした次第です。

 

ケアカレは何ごともなく授業を再開できましたが、神奈川県でも横須賀などの地域、そして千葉県においては停電や水が出ないなどの状況が長く続きました。ここ数日はかなり暑かったこともあり、高齢者が熱中症で亡くなったりするなど、つらい思いをされている方々がたくさんいるはずです。

 

望月先生が今回、ボランティアとして現地を訪れたときの話を、生徒さんたちにしてくれました。望月先生が介護福祉士として参加したように、芸能人や競輪選手、様々な人たちがボランティアに来ていたそうです。芸能人の方はもちろん、その存在で周りの人々を活気づけることができますし、競輪選手は足こぎ式の給油機で作業を手伝ったりと、それぞれの得意分野を生かして支援をしていたとのこと。

 

そんな中、「介護職員初任者研修を持っているのですが、何かお手伝いできませんか?」と声掛けをしながら、地元の学生さんたちがボランティアをしていた姿を見て、望月先生はいいなと思ったそうです。自分にできることを通して、困っている人を助けることができる。ただ闇雲にボランティアに行っても、かえって迷惑になることも良くある話ですが、何かできることがあれば、誰もが地域や社会に貢献することができるのです。介護職員初任者研修が自分に提供できる何かになっていることを誇りに思います。

 

 

こんな話をすると、自分には何ができるのだろうと思い悩んだり、自分は何もしてあげられないと無力感にさいなまれる人もいるかもしれません。かくいう私もその一人です。私にできることで、このような状況で直接人の役に立てることは何があるのか?と考えても答えは出て来ないのです。そんなことを言っても仕方がないので、そんな人はまずは相手の状況を知り、相手が何を求めているのかを知るところから始めれば良いのではないでしょうか。こちらが何ができるかよりも前に、相手が何を必要としているのかを知り、それに合わせて自分を差し出すことができれば良いのです。

2019年

9月

10日

ケアカレで働きたい

夏休みの間に行われる、介護職員初任者研修の短期集中クラスが終わりました。今回のクラスは高校生がたくさん参加してくれており、その中で「湘南ケアカレッジで働きたい」と言ってくれた生徒さんがいました。これから高校を卒業して社会に出るにあたってどのようなところで働きたいのかという視点も持ちつつ、介護職員初任者研修を受講してくれたからだと思いますし、おそらく気軽な気持ちで発したのだと思いますが、それでも嬉しい言葉であることには変わりありません。これまでも何人かの生徒さんが「ケアカレで働きたい」と言ってくれたことがあり、それは私たちにとって最高の褒め言葉だと思うのです。

なぜ最高の褒め言葉かというと、働きたいとは、ケアカレが心地良いということを意味するからです。もし先生方が苦しく辛そうに働いているように映ったり、クラスメイトが嫌な人たちばかりであると感じたなら、彼女はここで働きたいとは思わなかったはずです。自分のことをしっかりと見てくれる素晴らしい先生方がいて、周りには今までには出会わなかった世代を超えて心が通い合うクラスメイトがいる。先生方が輝いていて、クラスメイトさんたちが楽しいからこそ、ずっとこの場に一緒にいたいと言ってくれたのではないでしょうか。

 

かくいう私も、介護の学校を自分の仕事にしようと思ったのはそういう理由です。学生時代のアルバイトを含め、社会人になってからもいくつかの職種を経験してきましたが、介護の学校ほど周りに素敵な人たちがいる環境はなかったからです。誤解を恐れずに言うと、仕事や職種によって、周りにいる人たちは全く違ってきます。介護という世界にずっとたずさわり、その素晴らしさを伝えたいと願っている先生方は人間性が優れていて尊敬できますし、また介護の世界に興味を持って学びに来てくれる生徒さんたちも良い人たちばかりです。もちろん人間ですから、完璧ではないのですが、本質的には気持ちが優しくて、一緒にいて心地よい人たちばかりなのです。

 

 

一生の仕事を決めるにあたって、どのような人たちと働きたいかは重要な視点だと思います。どれだけ稼げる仕事であっても、逆に楽な仕事であっても、やりがいのある仕事であっても、自分の時間が持てる仕事であっても、周りにいる人たちが自分にとって心地よくなければ長くは続けられないからです。周りにいる人たちとは、一緒に働く人たちとお客さんの両方を指します。どちらかが心地良ければ良いのではなく、どちらも心地良くなければならないのです。これから新しく社会に出て仕事をする人たちはもちろん、自分にはどの仕事が合っているのか悩んでいる人たちも、自分はどのような人たちと働きたいのかという視点で考え、ぜひ一緒にいて心地よく、尊敬できる人たちに囲まれて働ける仕事を選んでみてください。

大好きなキティちゃんの色紙をいただき、望月先生が感激していました。よーく見ると、キティちゃんがケアカレポロシャツを着ています。細部の描写が素晴らしいですね。

2019年

9月

05日

「明日から介護レクリエーションが楽しくなる!」

「レクリエーションのネタの引き出しが少ない」

「お手本がなくて、どう進行したらいいのか分からない」

「ご利用者さんのできる動きに違いがありすぎる」等々

 

本来楽しいはずのレクリエーションが、悩みの種になっている人は少なくないはずです。

 

10月のケアカレナイトでは、1対1でできるレクリエーションから、1対複数で行うグループレクリエーションまで、さまざまな種類のレクリエーションに参加し、また進行役を務めることでレクリエーションの進め方を体感し、実践的に学ぶオリジナルコンテンツであなたのレクの悩みを解決します。

 

「これだったら、明日から私にもできる!」

 

 

自信を持って職場でのレクリエーションに臨むことができれば、あなたにとっても、利用者さんにとっても、昨日よりも楽しいレクリエーションの時間が過ごせるでしょう。

 

★ケアカレナイトの詳細やお申し込みはこちら

2019年

8月

31日

理念とは

先日、影山さんがある施設へと取材に伺った際、その施設の「理念」について熱く語ってもらったそうです。それをきっかけに「理念」というものに興味を持ち、調べていると、面白法人カヤックの「いい経営理念の定義と、他社の経営理念」という記事を見つけたとのことで共有してくれました。いい経営理念の定義とは、①成長性を示唆していること、②理念から戦略&戦術のヒントがあること、③社会に貢献するものであること、という3つが挙げられています。個人的には、それらに加えて、その会社や団体に関わる誰もが覚えられるほど、分かりやすくてシンプルであることが大切だと思います。

会社の理念は、まだ始まる前(創業前)に決められることが多いため、実際に運営・営業をしていく中で、ほとんど実態に即さなくなった理念も多いはずですし、また形骸化してしまった理念も星の数ほどあるはずです。ですから、前述の施設のように、今も理念を大切にして運営がなされていること自体がまず素晴らしいですね。

 

ちなみに、その施設の理念は「幸せの創造」だそうです。創造するというクリエイティブさには成長性が示唆されていますし、介護を通して利用者や職員を幸せにすることが何よりも優先という経営戦略のヒントにもなり、もちろん社会貢献性もある。さらにシンプルで分かりやすいという、いい理念のお手本です。あとはその理念に沿って経営・運営をしつつ、かかわる全ての人たちに浸透していくことが大切です。

 

湘南ケアカレッジの理念は、ご存じのとおり、「世界観が変わる福祉教育を」です。これは2013年に湘南ケアカレッジが開校するかなり前から決まっていました。むしろ最初に理念があって、そこから学校ができて、先生方と生徒さんたちが集まってくださったという感じです。なぜこの理念かというと、研修を受けてくれた生徒さんたちの世界の見え方が変わるほどの素晴らしい教育を提供したい、そのような学校をつくりたいと思っていたからです。

 

私が以前に働いていた大手の介護スクールは、教室が増えて、規模が大きくなればなるほど、研修の中身や学校の運営には力を入れなくなりました。最初の頃は立ち上げメンバーであった先生方の情熱だけで成立する良い教室はありましたが、大きくなるとその熱意は薄まり、ただのお金儲けのための学校になってしまいました。そもそも医療事務からスタートした学校なので、創業者はもちろん経営上層部、幹部は、介護・福祉教育にはほとんど興味がないのですから当然です。そのあたりを見てきて、そうならないようにという意味も込めて、「世界観が変わる福祉教育を」という理念を掲げたのです。

 

いい「理念」の基準に当てはめてみると、①成長性を示唆していることは×ですね。理念のスケールは大きいのですが、そこには会社(学校)としての成長性は含まれていません。成長するイコール大きくなることだとは思いませんが、このあたりが課題なのかもしれません。

 

②理念から戦略&戦術のヒントがあることは○です。ケアカレは良質な研修を提供し、ひとり一人に人間として関わることを通じて、その生徒さんが感動し、ステップアップ研修に来てくれたり、「ケアカレの先生は皆素晴らしいよ。ケアカレに行った方がいいよ」と言ってくれることが最高の広告になっています。熱さと温かさが戦略であり戦術なのです。

 

③社会に貢献するものはもちろん○です。私たちはただ介護の研修を行っているのではなく、介護や医療について教えることを通して、その生徒さんたちの世界観を変え、人生を変え、その周りにいる人たちに良い影響を与え、そして地域や社会も変えていくのです。

 

 

最後に、理念には判断(行動)基準になるという重要な意義があります。私たちがやっていること、やろうとしていることは、理念から外れていないのかと常に自問するのです。それは「世界観が変わる福祉教育を」提供することにつながっているのか?という観点で考えることで、正しい判断や行動ができるはずです。素晴らしい先生方がいてくれることに対する感謝が生まれるのも、「世界観が変わる福祉教育を」提供することを中心としているからです。そう考えると、まだ何もないときに決めたひとつの理念が、あらゆるものや人に影響を与えて、湘南ケアカレッジを作り上げていくのですから不思議ですね。これからも湘南ケアカレッジは理念を大切に守りながら、「世界観が変わる福祉教育を」を提供し続けていきます。

2019年

8月

26日

「孤独は消せる」、「サイボーグ時代」

昨年、分身ロボットカフェに行って、ロボットに接客をしてもらうという不思議な体験をして以来、吉藤オリィさんの目指している未来が少しだけ理解できた気がしました。吉藤さんは幼少時に3年半ほど不登校・引きこもりとなり、「できなくなる」ことへの絶望の経験を生かし、テクノロジーを用いて「できる」を増やすことで、人々の孤独を解消しようと研究・実践しています。障害や難病のある方々の孤独を解消するのはもちろん、少子高齢化や人材不足の問題を解決するのも、最終的にはテクノロジーだと個人的には考えていますので、吉藤オリィさんのやっていることの発想こそが、これからの日本社会を救うのではないかとさえ思えるのです。

 

できることが少なくなり、だれからも必要とされていない、居場所がないと感じ、自分の存在意義が見つけられなくなってしまう状態。私は実体験したそれを「孤独」状態とよんでおり、これが続くと生きる気力すら失われていく。これは障害者や引きこもりだけの問題ではない。(中略)そうした不安や無気力の原因も、突き詰めて考えていくと社会から「おまえは必要ない」といわれること、大切な家族にとっての「お荷物」になり果ててしまうことへの恐怖がある。しかし、新たにできることを見つけ、それによって喜んでくれる人がいて、「自分だからこそできることがある」と自覚できるようになると、人は自分の存在意義を見出せるようになり、前向きに未来を想うことができるようになる。だから私は不可能を可能に変えるためのテクノロジー、ツールをつくり続けているのだ。(「サイボーグ時代」より)

 

実は私も社会に出て、就職した会社を1年で辞めてから、およそ2年に及ぶ半引きこもりの時期を過ごしたことがあります。最初の1年は週に3日ほどアルバイトをしていましたが、次の1年は仕事という仕事はせずに、親の庇護の元で生活を続けていました。やりたいことがあったので、毎日が暇で仕方がなかったわけではありませんが、社会からの隔絶という感覚は常に抱いていました。

 

社会から必要とされておらず、家族にとってはお荷物であり、どこにも居場所がないという気持ちです。本当はそんなことないのですが、当事者にはそう思えるものです。何とか自分の存在意義を見つけたいと必死で抗ってみても、今の時代とは違って、社会に自分の存在意義と居場所を見つけるのは案外難しかったのです。健康な身体を有していた私でさえそうなのですから、難病や障害を抱えて思うように動けない人たちにとっての孤独状態とは、想像を絶するものがあります。

 

 

ロボットというテクノロジーを使って孤独を少しでも解消できるのは良いことであり、さらに素晴らしいのは、自分の身体を拡張させたロボットを使うことで社会との接点ができるということです。そして社会参加だけではなく、誰かから「ありがとう」と言ってもらえて、稼げること。実はこの後ろの2つが極めて重要です。おそらく私が引きこもりだったときに苦しかったのは、「ありがとう」と言ってもらえる機会が少なく、経済的にも認められることがなかったからだと思います。同世代の友人たちから取り残されて、自分は税金すら払えていないというあの頃の強烈な劣等感は今でも覚えています。

 

そういう意味において、分身ロボットカフェのように、誰かに「ありがとう」と言ってもらえて、しかもお金を稼ぐことができる社会参加の仕組みこそがとても大切なのです。そうすることによって、もし自分の身体が全く動かせなくなってしまったときにも、本当の意味での社会参加が可能で、孤独状態を克服できるのではないかと思います。実は遅かれ早かれ、孤独状態は誰の身にも訪れるものなのですから。

2019年

8月

22日

知的障害者ガイドヘルパー養成研修(2019年度秋)の募集を開始します!

「こんなに良い仕事に出会ったことがない」

 

知的障害者のガイドヘルパーの仕事をしている方から、良く聞く言葉です。それは一緒に映画を観に行ったり、カラオケで盛り上がったり、ゲームセンターで楽しんだりする支援があるからだけではありません。彼ら彼女たちと同じ時を過ごし、共に笑うと、それまで縮こまっていた気持ちが解けて、心が自由になれるからだそう。

 

彼ら彼女たちの周りにはたくさんの障害があり、生きづらさを抱えているはずですが、実際に支援に入った私たちの方が癒されてしまうから不思議。ガイドヘルプの仕事を通し、私たちがいかに世間の評価や周りの目を気にしすぎて、喜怒哀楽などの感情を必要以上に抑えてしまい、自分で自分の人生をつまらなくしているかに気づくはずです。

 

心のままに生きていい。

 

言葉では語りませんが、彼ら彼女たちはそう教えてくれるのです。

 

・障害のある方々へのガイドヘルプを実際に体験してみたい

・自閉症やダウン症など、疾病やその症状について詳しく知りたい

・障害のある方々とのかかわり方で悩んでいる、困っている

 

という方は、ぜひご受講ください。

受講資格:介護職員初任者研修課程修了者(修了予定者を含む)、ホームヘルパー2級課程修了者、介護福祉士並びに東京都居宅介護職員初任者研修課程及び東京都障害者居宅介護従業者基礎研修課程修了者、東京都障害者(児)居宅介護従業者養成研修1級課程、2級課程及び3級課程の修了者、介護保険法上の訪問介護員、実務者研修修了者、介護職員基礎研修課程修了者。

 

研修日程

第1回 第2回
 9月28日(土)
*実習は9291027のうち1日間
 12月1日(日)
*実習は1221229のうち1日間

*知的障害者ガイドヘルパー養成研修は、実習を含めて全2日間で修了する研修になります。

*上記の講義日程の中から、お好きな1日を選び、ご受講ください。もう1日は実習になります。

*実習の日時は相談の上、ご都合の良い日に決定させていただきます。

 

研修の流れ

(講義
1日目

9301410

*昼休憩40分含む
4 知的障害者の疾病・障害の理解
14201520 1 ガイドヘルパーの制度と業務
15301730 2 移動支援の基礎知識

(実習)
2日目

9301630

途中休憩、お昼休憩含む
6

移動の支援に関わる技術
(利用者さんとガイドヘルパーさんに同行し、
実際の外出支援を体験していただきます)

講師

森公男(白峰福祉会 理事長) 

藤田省一(山田病院 教育専従師長、湘南ケアカレッジ)

 

研修会場

THE会議室町田」 町田市森野1-30-8 ノアビル7F (町田駅から徒歩7~8分)

*お申し込みの方には、町田駅からの詳しい行き方の地図を郵送させていただきます。

 

修了証明書

研修終了後には、「知的障害者ガイドヘルパー養成研修」修了の資格が手に入ります。この資格を持っていないと知的障害者のガイドへルパーとして仕事に従事できないということではありませんが、もちろん公的な資格ですので、履歴書には「知的障害者ガイドヘルパー養成研修修了」と書いていただくことができます。

お申込みの流れ

①下の申し込みフォームにご記入の上、送信してください。

もしくは、お電話(042-710-8656)にて直接お申込みください。

※いずれの場合も、希望のクラスが定員になりますと受付できませんのでご了承ください。

②受講確認書をお受け取りください。

ご自宅に「受講確認書」と「受講料お振込みのご案内」が届きます。

③受講料をお振込みください。

「受講確認書」が到着後、1週間以内に受講料をお振込みください。お振込みは、銀行ATM やネットバンキングからでも可能です。

※手数料は各自でご負担ください。また、お振込みは案内をよくご確認の上、お願いいたします。

④研修当日

申し込みクラスの日時をご確認の上、研修会場までお越しください。*当日、本人様確認を行いますので、身分証明書(健康保険証または運転免許証等)をご持参ください。

2019年

8月

19日

体験すること、褒め・認め合えること

8月のケアカレナイト「アール・ブリュットの世界を体験しよう」が行われました。今回はいままでのケアカレナイトとは少し趣向が変わり、アート(芸術)をテーマとしての講演となりました。だからだと思いますが、若い人たちもたくさん参加してくれて、いつもとはまた違った幅広い年齢層でした。ゲストスピーカーの朝比奈先生は、アール・ブリュットについて分かりやすく教えていただき、アーティストの作品や制作秘話までを語ってくださいました。講演の後半は、実際にインクと画材を使って、スタンピングによる作品を制作し、それぞれの作品を鑑賞して評価してもらえるという楽しい雰囲気になりました。ケアカレナイトは毎月が神回だと感じるのですが、今回もまさに神回であり、参加者の皆さまは大満足して帰って行かれたと思います。

アール・ブリュットは、日本では障害者のアートと限定されてしまいがちですが、海外では既存のアートの枠組みや既成概念を突き抜けるようなアートとして、評価は定まりつつあります。私はアートに詳しいわけではありませんので、現代アートとアール・ブリュットの区別もなく作品を鑑賞していますし、そこに明確な境界線を感じることはありません。たとえば、ZOZOTOWNの前澤社長が123億円で購入したパスキアの素晴らしい作品は、私にとってはアール・ブリュットなのではないかと思えるのです。日本のアーティストでいうと、草間彌生さんなんかもそうですよね。誰の作品なのかが重要なのは分かっているつもりですが、誰が作っているかよりもその作品に込められたパワーのようなものに心を動かされてしまうのです。

 

 

今回の講演で個人的に面白いと思ったのは、朝比奈先生が制作にたずさわっているクラフト工房LaManohttp://www.la-mano.jp/)での制作秘話です。コーヒーミルを挽くことが大好きな利用者さんの特性や身体的な感覚を生かして、ぐるぐると円を大きく描く作品が生まれたり、大好きなスタッフさんがなぜか下半身だけ沈んだイラストを描くのは理由があったり、動物をどの角度から見ても正面や真横から描く空間感覚を持つ尾崎さんに後ろ向きの猫の写真を見せたら正面からの絵を描いてくれて驚いたエピソードなど、その作家のことを知るとより作品が立体的に見えてくるようになりました。

何と言っても、今回の講演の肝は、参加者が自分でも表現することができたことです。実際に自分の手を動かして、白紙の状態から何かを創造してみると、その難しさだけではなく、つくることの喜びを感じることができたはずです。無心になって、ひたすらにキャンバスに集中する時間など、私たちの普段の生活からとっくの昔に失われてしまっているからです。

 

 

そして出来上がった作品を他の方のそれと見比べてみるとびっくり。同じような画材を使っているにもかかわらず、全く違うものが現れています。お互いに鑑賞して、褒め合ったり、講師から評価してもらうことで認めてもらったり。恥ずかしいながらも、自分のつくった作品をたくさんの人に観てもらい、褒め、認めてもらえると嬉しいですよね。自分で体験することができる、褒め・認め合える。このような講演や研修を成功に導く、2つの大切な要素だなと改めて学ばせてもらいました。朝比奈先生、参加者の皆さま、スポンサーの皆さま、遅い時間まで楽しんでくださって、ありがとうございました!

2019年

8月

14日

かしこまらずに、ゆるやかに【富士見園】

「おはよう」

 

白髪の混じるご利用者さんが、エレベータから出てきた牧内さんに向けて、声の出どころを伝えようと手を振り、呼び止めます。ポロシャツ姿の牧内さんは足を止め、

 

「おはよう、元気そうだね」

 

と手を振り返します。特別養護老人ホーム富士見園の日常の一コマです。

 

丘の上に見えるのは、左が特別養護老人ホーム富士見園、右が介護老人保健施設ナーシングピア横浜。特別養護老人ホームの建物の中には、ケアハウスグリーンヴィラ富士見も併設されています。このように3つの異なる介護サービスを同じ敷地内に構えているのは、横浜市でも他に類がないそうです。建設計画を練る中で、「ご利用者さんの生活の場所を重点に考えると、この形がベストだった」と理事長は話していたそう。

 

続きは→【介護仕事百景】へ

 

 

2019年

8月

11日

対人理解に尽きる

実務者研修の最終日には医療的ケアの授業があり、授業終了後には毎回、振り返りミーティングと称して先生方との打ち上げをします。もう38期生を迎えたというのに、今日の授業で良かったこと改善すべき点などを(お酒を飲みながら)話し合います。今回は、実務者研修というのは、生徒さんたちにとっての学びなおし(捉えなおし)の機会になるべきだという話題になりました。もう一度、介護や福祉について学びなおすためには、生徒さんにはそれぞれがどうなりたいのかを意識して真剣に取り組んでもらいたいですし、私たちは生徒さんたち一人ひとりと向き合って、その捉え方が大きく変わるように教えさせてもらわなければいけません。介護の先生方と医療の先生方が力を合わせて、同じテーマに向かって、より良い実務者研修をつくっていきたいと思います。

 

話は対人理解にも及びました。看護師の先生たちが、医療的ケアの授業を通して感じたことは、コミュニケーション能力こそが介護や医療といった対人援助職においては重要であり、つまりそれは対人理解なのだということです。コミュニケーションとは決して上手く楽しくお話しをすることではありません。相手が何を伝えたいのかを理解し、行動することであり、こちらの伝えたいことを伝え、行動してもらうことです。そして、相手が伝えたいことを理解するためには、相手のことを知ることが必要不可欠になってきます。

 

言葉で言うのは簡単ですが、ほんとうに私たちは相手のことを理解できているのでしょうか?ほんとうにあなたは相手や対象のことを理解できているか、と問われて、即座にYESと答えられる人は少ないはずです。どれだけ近しい人であっても、長く付き合っている人であっても、ほんとうに相手や対象のことを理解できていますかね。ということは、それほど身近にはいない人、たまにしか会わない人などはもちろん、あまり詳しく知らないことや会ったこともない人、実際に見たこともないことについて、私たちはどれだけ理解しているのでしょうか。そう考えると、対人理解という言葉が独り歩きしているケースが多いのかもしれません。

 

世の中の争いや諍い(いさかい)、憎しみ、怒り、嫌悪などは、ほとんどの場合、相手を良く知らないこと(無理解、誤解)から生まれている気がします。相手のことをほとんど知らないにもかかわらず、勝手に想像して悪く思ってしまうこともあれば、知らないからこそ恐れや妄想が広がって悪く思えてしまうこともあるはずです。私たちの周りで、誰かのことを悪く言っている(思っている)人たちのほとんどは、意外と相手のことを良く知らないでそうしてしまっています。良く見て、良く知ってさえいれば、たとえ自分とは考えやスタイルが違っていたとしても、許容できることが多いはずなのです。

 

我田引水かもしれませんが、湘南ケアカレッジの特徴のひとつとして、先生方がそれぞれの授業を見て、知っているという点があります。湘南ケアカレッジは、40名定員のクラス設定にしているため(最近は24名のクラスが多いのですが)、実技演習の授業は先生が3名態勢になります。ある授業ではメインをしつつ、ある授業ではサポートで入るという形になるため、互いの授業を実際に見て知っていることになります。

 

 

そうなると、それぞれの先生方の授業につながりが生まれるだけではなく、お互いにフィードバックすることができたり、何と言っても、互いに変な誤解をされずに済みます。だからこそ、私が大手の介護スクールにいたころに生徒さんから良く受けた、「先生たちの言っていることが違うから困っている」というクレームは湘南ケアカレッジでは一切ありません。また、それぞれが相手の授業を見て、自分の授業を見られているという形になるため、お互いの良いところも良くないところも知っているのです。だからこそ、余計な想像を膨らませて相手を悪く思うのではなく、自分の強みを生かして相手の弱みをフォローすることができるのです。相手のことを良く見て、良く知ることこそが、対人理解の第一歩なのではないでしょうか。

2019年

8月

07日

きっかけをつくる

4月からスタートした日曜日クラスが修了しました。ケアカレが始まって以来、もしかすると一番人数の少ないクラスだったかもしれません。大人数に慣れている先生方にとって、人数が少なすぎてもかえって教えにくかったり、生徒さんたちにとってもやや寂しい面もあるかなと心配していましたが、全くの杞憂に終わりました。生徒さんたちの声やアンケートを聞くと、クラスメイトの関係も良好で、先生方の情熱とユーモアがしっかりと伝わっていました。介護の現場で働いている生徒さんが多く、それぞれに熱い想いを持っていて、ケアカレに来たことでさらに情熱の火を大きく灯して卒業されていきました。

クラスメイト同士の心がぐっと近づいたきっかけのひとつとして、誕生日のお祝いがあったと思っています。湘南ケアカレッジは、研修のある日と誕生日がたまたま重なった生徒さんには、皆でハッピーバースデイの歌を歌い、誕生日ケーキを渡してお祝いをしています。めったにないことなので、本人も周りのクラスメイトさんたちも喜び、それを見ている私たちも嬉しく思います。今回は人数が少ないながらも、奇跡的にひとりの誕生日祝いができたことで、生徒さんたちは学校に対して心をより開き、それぞれの距離が縮まった気がしました。

 

この誕生日祝いは、私がかつて個別指導の塾で教えていたとき、その生徒さんの誕生日にカードを渡してお祝いしたところ、「ほんとうに嬉しい。いい塾だね!」と心から喜んでもらえたことをきっかけとしています。正直、そこまで喜んでもらえるとは思っていなかっただけに、(自分で祝っておきながら)驚いたのです。ケアカレではクラスメイト全員から祝ってもらえるだけに、その喜びはさらに大きいはずです。そして、本人だけではなく、周りのクラスメイトさんに対しても、良いことがあれば皆で喜びましょうとケアカレは思っているというメッセージを伝えることもできるのです。

 

それ以外にも、食事の授業でキャサリンという登場人物が現れたりします。生徒さんが良く言うのは、「あの授業で教室の雰囲気が一気にほぐれました」ということ。キャサリンは介護において工夫することの大切さを伝えると同時に、ケアカレは楽しく授業を受けて学んでもらいたいと思っているというメッセージも伝えているのです。

 

 

このようなイベントは人の心を大きく動かすきっかけとなります。生徒さんたちに対する私たちの声掛けの一つひとつが、少しずつ人の心を変えていくとすれば、このような大きなイベントは人々の心に強烈な印象を与え、記憶にも残っていきます。どちらかが大切ということではなく、小さいことから大きなことまで、できる限りのきっかけづくりをして、最後にはケアカレに来て良かったと思って卒業してくれる生徒さんが一人でも増えると幸いです。そうすることで、湘南ケアカレッジの未来も広がり、介護の世界を明るく照らすことができるはずです。

2019年

8月

04日

つながりを結ぶ場所

外門から100メートルほど続く庭には、ラベンダーが毎年咲き乱れ、その安らぎの香りが初夏を知らせてくれます。10年以上も前に蒔いた種が、絶えることなく季節を廻ります。そして今日もまた、やってくる客人をその香りでもてなします。

 

 

フォーシーズンズヴィラこもれびは、横浜市青葉区にある特別養護老人ホーム。横浜線中山駅から、施設の送迎バスが運行しているため電車通勤も安心です。最寄りのバス停で降りると、豊かな木々の間を、右からも左からも、鳥のにぎやかなさえずりが響いてきます。広い土地にゆったりと構えた建物は、まるで別荘地にあるホテルのよう。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2019年

8月

01日

「Girl」

トランスジェンダーをテーマにした超真面目な映画ということで、観に行ってきました。介護とは関係ないじゃないかと思われるかもしれませんが、多様性やLGBTの問題は大きく捉えると福祉的な問題でもあります。また、卒業生さんたちの中にもトランスジェンダーの方はたくさんいて、介護の現場で働いていますので、どう考えても他人事ではないのです。そして、この映画を見て初めて、トランスジェンダーの心のあり方や身体性について知らされた気がしました。ただ受け入れるだけでは十分ではなく、もっと相手を知らなければ本当の理解には至らないのだと感じました。

 

主人公のララは16歳。何も知らない人が見れば、他を圧するような美貌を誇る少女なのですが、実はララは男性として生まれてきました。これだと余計に分かりにくいかもしれませんが、つまり身体は男性であり、心は女性なのです。小さい頃からのバレエダンサーになる夢をあきらめられず、血のにじむような練習に耐え、その一方では自身のこころとからだのギャップに悩み続けます。

 

こころは女性であるのに、毎日鏡に映る自分の肉体は男性のそれなのです。劇中にはバレエのつま先立ちのダンスシーンが多く使われており、外から見える美しさや華やかさの裏にある苦悶のシーンとして描かれているのは、ララがトランスジェンダーとして葛藤しながら生きている思春期の比喩なのでしょう。そこから衝撃のラストシーンに至るまでの急展開もまた、思春期の激しさを見事に表現していました。

 

映画の中で、ララが女性用のトイレを使うことに対して、先生がクラスメイトに目をつぶらせて挙手を求めるシーンがありました。「ララが女性用トイレを使うことが本当は嫌だと思っている人はいますか?」と、ララがいる中で、クラスメイトに対して問うたのです。誰も手を挙げる者はいませんでしたし、ずいぶんとデリカシーのない質問だなと思いましたが、先生は立場上、そこまで配慮しなければならないということなのでしょうか。ララを受け入れられるという人もいれば、受け入れられないという人もいて、どちらが正しい正しくないということではなく、それぞれの価値観に委ねられている問題なのです。

 

 

それでも私は受け入れる社会を望みます。感覚的に受け入れる・られないの判断をするのではなく、最初は自らの意思で受け入れようとすることが大切です。そのためには他者のことを知ることです。他者の苦悩のほんの一部でも知ろうとすることで、受け入れようという意思が生まれるはずです。受け入れることで、より他者のことを知ることができ、自分の受け入れの幅もさらに広がります。ひとり一人が受け入れの幅が広がった社会は、もし自分が受け入れてもらいたい立場になったときにも、生きやすいと思いませんか。

2019年

7月

27日

イキイキしているね

「『ケアカレに通い始めてから、イキイキしているね』と言われました!」と6月短期クラスの生徒さんが教えてくれました。彼女が働いている施設には、ケアカレの卒業生さんたちが多くいて、彼女が今、介護職員初任者研修で学んでいることを知っています。だからこそかもしれませんが、彼女が現場に戻ってどのように仕事をしているかを見ていて、実際に彼女は以前と比べてもイキイキと働いているのだと思います。本人は意識していないのかもしれませんが、周りにはそう映っているということです。なぜかというと、介護職員初任者研修にて学んでいることと今の彼女の仕事がつながり、その意味と意義が分かったからかもしれません。

 

たとえ同じ仕事であっても、その意味と意義を(何となくであっても)分かっている場合とそうでない場合には、本人のモチベーションはもちろん、その成果も全く違ったものになります。有名なレンガ職人の話があって、ひとりは「生活を立てるためにレンガを積んでいるだけだ」と言い、ひとりは「できるだけ上手くレンガを積もうとしている」と言い、もうひとりは「大聖堂をつくっているのだ」と答えました。同じ仕事をしているのであれば、後者の方が自分自身が楽しいのはもちろん、周りの人たちにとってもイキイキとして映り、その仕事を通して誰かを幸せにできるのではないでしょうか。

 

このレンガ職人の話はたとえ話ですが、現実には一人目の人、二人目の人、三人目の人がいるわけではありません。同じ人であっても、一人目にも二人目にも三人目にもなりえるのです。そして、一人目から2人目、二人目から3人目と変わっていくためには、教育や教養が必要なのです。モチベーションの問題ではなく、意味や意義を学ぶことによってこそ、一人目の人は2人目に、二人目の人は3人目になりうるということです。教育や教養はいろいろな意味で大切なのですが、何よりも自分自身のモチベーションと周りの人たちの幸せのために役に立つのです。

 

 

湘南ケアカレッジも、先生方や私の生活のために資格を売っているのではなく、素晴らしい介護の研修を提供するだけではなく、それを通して生徒さんたちの世界観が変わり、より良い人生を生きてもらい、周りの人たちを幸せにしてもらいたいと願っています。ケアカレに来てから人生が変わったと言ってもらえたら最高ですし、そのようなイキイキとして映る人たちをひとりでも多く増やしていきたいと思います(現在3000人!)。そのためには、私たちも学び続け、常にこの仕事の意味と意義を確認しなければいけませんね。

2019年

7月

21日

「このあとどうしちゃおう」

先日、妻の母が長年の闘病生活の末に亡くなりました。看取りに入り、実際に終末期を迎えてみると、身内の中でも最後の医療的処置(ex.点滴を続けるかどうか、呼吸器を付けるかどうか等)に対する意見は分かれ、そこに施設のスタッフや担当医らの気持ちも加わり、竹を割ったようにスパッと判断することは難しいものです。たとえ本人は尊厳死を望んでいたとしても、かなり細かく状況を設定してその意思を残しておかないと、最後の最後まで家族は思い悩むことになります。私たちは何らかの形で介護に携わり、妻の姉もお寺に嫁いでいるように、死は決して他人事ではありませんでしたが、やはり自分たちのことを決めるときには悩みに悩むものですね。

 

延命処置を望むかどうか、自然死を希望するかどうか、自分が死んだあとにどうしてほしいか、財産はどうするかなど、残された家族のことを考えて、具体的な希望を残しておくエンディングノートのようなものが、ここ十年間で高齢者を中心に広まってきました。前述したように、エンディングノートが具体的であればあるほど、家族は思い煩わされることなく救われます。これから先、多死の時代を迎えるにあたって、エンディングノートを記したり、死んだ後のことについて家族と話しておくことは、さらに重要になってくると思います。

 

 

しかし、それだけでは十分ではない気が最近してきました。エンディングノートなどを用いて、自分が死んだあとに家族に迷惑をかけない取り組みは進んできましたが、逆に死生観のようなものは語られることが少なくなっている気がします。今は死後の世界を想像することすらバカらしいと考えている人も多いのではないでしょうか。人間は死んだらただの物体になる、遺体を焼けば灰になって何も残らないという科学的な正しさばかりに捉われてしまいがちです。死んでも人の心の中で生き続けることができると信じている私でさえ、死後の世界について想像することはほとんどなくなってしまいました。

ヨシタケシンスケさんの絵本「このあとどうしちゃおう」は、亡くなったおじいちゃんが残したノートに記されていた死後の世界を、孫の男の子が読んで想像するという内容です。「このあとのよてい」では、しんだらまずゆうれいセンターに行き、きがすんだらてんごくへ、てんごくにあきたら、うまれかわりセンターに行き、またべつのものにうまれかわってこのようにもどってくると書かれています。さらに、「てんごくにいくときのかっこう」、「こんなかみさまにいてほしい」、「てんごくってこういうところ」、「こんなおはかをつくってほしい」、「みんなをみまもっていくほうほう」など、じぶんがしんだらどうなりたいか、どうしてほしいかが書きためてあるのです。

ときとして、私たちは死後の世界についてもっと考えて良いのではないかと思います。誰もサンタクロースなど信じなくなった世の中ですが、せめて来世のことぐらいは想像して、勝手に信じてみても良いのではないでしょうか。そのことが現世を生きる救いになる人もいるかもしれませんし、介護者として持っておくべき死生観にもなるでしょうし、またこの絵本の主人公のように、今生きているうちにやりたいことにつながっていくかもしれませんね。

2019年

7月

16日

8/8(木)「アール・ブリュットの世界を体験しよう」

お待たせしました!8月のケアカレナイトは、「アール・ブリュットの世界を体験しよう」です。アール・ブリュットとは、「生(き)の芸術」という意味のフランス語で“芸術を体系的に学んでいない人による、自身の内側から湧きあがる衝動のままに表現した作品群”を表します。英語ではアウトサイダー・アートとも称され、日本においては障害のある方によるアートをアール・ブリュットとして紹介する展覧会が開催されるなど、注目を集めています。

 

アール・ブリュットの本来の考え方など基本的なことから、作品が持つ個性的な魅力までたっぷりとお伝えします。世界で活躍している作家さんが数多く所属するアートの現場(クラフト工房La Mano)にて、日々作品や作家さんにふれているからこそ感じる朝比奈先生の思いを知れば、あなたのアートに対する見方も変わるかもしれません。

 

★詳しくはこちら

2019年

7月

11日

グローバルなクラス

5月からスタートした実務者研修の火曜日クラスが修了しました。やはり毎週通うクラスですと、あっという間に終わってしまいますね。実務者研修はたった7日間なので、どうしても初任者研修(15日間)ほどの一体感が生まれる前に終わってしまう印象があります。しかし今回のクラスは、卒業生さんたちが引っ張ってくれたこともあり、最後は打ち上げを開催するほどの盛り上がりを見せていました。最終日の医療的ケアの授業でも、お互いを褒め・認め合うフィードフォワードが皆できていて、とても良い雰囲気でした。それだけではなく、「演習のポイントはしっかりとできていて、クラス全体として、授業を集中して聞いているのが伝わってきた」と藤田先生もおっしゃっていました。このような素晴らしいクラスと出会うと、学校をやっていて良かったと素直に思えます。

 

最終日のリアクションペーパーに、「グローバルなクラスでした」と書いてくれた生徒さんがいました。今回のクラスには3名の中国人の生徒さんたちがいて、それぞれが別の施設からたまたま集まったのです。介護職員初任者研修も実務者研修も、ひとクラスに1名ぐらいは外国人の方がいるのは当たり前の風景ですが、3名も別々に集まったのは珍しいですね。そのコメントを読んでふと思ったのは、そういえば外国人が多いクラスは不思議とまとまりが生まれるということです。一昨年に最も盛り上がった実務者研修のクラスにも、フィリピンの方が2名いました。

 

なぜだろうと考えてみると、彼ら彼女らがフレンドリーであることも確かですが、それ以上に彼ら彼女らをきっかけとして、お互いの違いを認め合って、助け合う雰囲気が自然と生まれるからではないでしょうか。周りを見て、困っていたらサポートしてあげようという気持ちがクラス全体に広がり、コミュニケーションが生まれ、日本人同士の間にも浸透していくからです。外国人である彼ら彼女らは、潤滑油としての役割を果たしているのです。おそらくこれは介護の現場でも同じですし、これからさらに外国人を受け入れていかなければならない日本の社会の未来にも当てはまることでしょう。本来の人間の社会は、そのようにして成熟していくのではないかと思うのです。

 

 

最終日の休み時間、当然のことながら仲良くなった中国人の3名が、中国語で話をしながら階段を上がってきました。私は2年ほど前から中国語を勉強していますが、彼ら彼女らの日常会話はスピードが速すぎて、何を話しているのか全く分かりませんでした。母国語を流ちょうに話している姿を見て(聞いて)、私は単純にすごいなと尊敬の念を抱きました。一方の視点で見ると、彼ら彼女らは、日本人ほどには日本語を上手に話せない中国人ですが、一方では母国語である中国語はもちろんのこと、第二外国語である日本語もきっちりと話せるバイリンガルなのです。これからの介護の現場も日本の社会も、外国人を受け入れるという発想ではなく、互いの違いを認め合って、助け合う気持ちの先にある、相手をさらに良く知って、尊敬し合うという領域までたどり着けるといいですね。

2019年

7月

07日

「脳科学者の母が認知症になる」(動画あり)

7月のケアカレナイトは、恩蔵絢子さんによる「脳科学者の母が認知症になる―記憶を失うと、その人は“その人”ではなくなるのか?」。先日、第1回目の講演が行われました。著書が発売された当初、家族介護者向けの講演を聞きに行き、その内容の素晴らしさとご本人の人間性に魅了され、ぜひケアカレナイトにも来ていただきたいとお誘いしました。それから数か月が経ち、ようやく実現したことになります。今回はよりパワーアップされていて、(今風に)控えめに言って最高の講演でした。脳科学的な見地からの解説が実に分かりやすく、理路整然と認知症について語ってくれるだけではなく、そこに娘と母という人間的な視点が加わり、私たちの胸を打つのです。

 

脳をテーマに17年間研究を重ねてきた脳科学者の恩蔵さんにとって、実の母親が脳の病気を患ってしまうとは何という皮肉でしょうか。しかも治療法が確立しておらず、進行性の病です。自分が治してあげることもできず、認知症になることを防ぐこともできなかったと恩蔵さんはおっしゃいます。自分の母親が違う人格(人間)になってしまうのではないか、徘徊などの問題行動を起こすのではないかなど、不安や悲しみに一杯で、小さな物忘れから始まった初期の頃が最も辛かったそうです。ようやく医師の元を訪れ、アルツハイマー型認知症と診断されてからは、未来に向けてどうするべきなのかと考えられるようになり、気が楽になったそうです。

 

ここまでは母が認知症になった娘の一般的な反応かもしれませんが、そこから先はさすが脳科学者です。脳の働きや構造を根拠にして、なぜ認知症の人はそのような言動をするのかを観察し記録し始めたそうです。人間の脳が記憶を定着させるまでに辿るプロセスから、なぜ認知症の人は大昔の記憶は覚えているのに最近のことが覚えられないのかなど、私たちにも分かるように共有してくれます。認知症の人はその場、その時のことは理解しているのだけれど、単に記憶が(定着し)ないこと。認知症になると、その人が大事にしていたものが浮かび上がってくること。嬉しいとか楽しいという感情の記憶は、たとえ海馬が委縮してしまっていても、新しく定着させることができるのではないかという希望、などなど。脳科学的に見て、認知症になっても決して終わりではないと人間的に語ってくれました。

 

茂木健一郎先生のお弟子さんということもあり、人間の感情に関する考察はさすがのひと言でした。ひとつの出来事に対して、私たちは多くの感情を持って良いという主張はその通りだと思います。認知症の人だけではなく私たち健常者も、何かに対して一貫した感情ではなく、たくさんの揺れ動く感情を持って良いのです。その感情の豊かさこそが、私たちの知性です。どれだけ苛酷な状況にあっても、ポジティブな感情を選択して抱き生きることはできますし、生きるとはそういうことの積み重ねなのです。認知症について、科学的に、そして人間的に、正しく教えてくださった恩蔵先生に感謝します。

 

講演の一部を無料公開しますので、ご覧になってみてください!

 

記憶を失うと、その人は“その人”ではなくなるのか?という問いに対しては、次回、7月17日(水)の講演にぜひ参加して、答えを聞いてみてください。介護に携わる全ての人たちに聞いてもらいたい、知ってもらいたい内容です。まだ少しお席がありますので、ぜひお越しください!

2019年

6月

30日

ポールウォーキングのすすめ

「明日、シバヒロ(町田にある芝生の広場)でやるので、来てください!」と卒業生に誘われて、ポールウォーキングの体験会に参加してきました。ポールウォーキングというと、高齢者がたしなむものというイメージが正直ありましたが、実際に体験してみて、私の認識が誤っていたことに気づかされました。これは若い人たちにとっても良いエクササイズになるし、もちろん高齢の方にとっては最高のリハビリであり、介護予防であり、エンターテインメントであり、生きがいや喜びになるのではないかと感じました。晴天の下で歩くこと以上の幸せが、人間にとってあるのでしょうか。

 

当日は快晴であり、待ち合わせ場所に行くと、すでに20名近くの人たちがすでに集まっていました。もしかすると私が最年少ではないかという集いは久しぶり。ケアカレの卒業生でもあるポールウォーキングのコーチから、ポールと呼ばれる長い棒を渡されました。身長に合わせて長さを変えることができます。杖の高さよりも高い、前へならえをしたとき(肘が90度)の手の高さまで伸ばします。グリップの外にある輪っかのようなものに、親指以外の4指を入れ、軽く握るような感じで良いそうです。

そうこうしていると、実際のウオーキング体験が始まりました。最初はポールウォーキングのフォームから教えてくれます。効果的に歩くためのポイントは以下の3つ。

 

1、遠くを見る

2、普段歩くよりも半歩広く

3、ポールは振り出した足(かかと)の横につく

 

 

高齢になると、どうしても歩幅が狭くなり、身体は小さくまとまって、足元ばかりを見て歩きがちですが、ポールウォーキングはその真逆です。遠くを見て歩くと、視野が広がって、今までには見えていなかった美しい景色が目に入ります。しかも車や他の歩行者の動きも早めに察知できるので安全です。遠くを見ることで、背筋が伸び、姿勢がぐっと良くなります。半歩広く歩くためには、身体全体を大きく使い、かかとから着地してつま先へと重心を移動させる正しい歩き方をしなければいけません。

ポールウォーキングをやってみて感じたのは、ポールを持つことで、上半身も使って歩けるということです。正しい姿勢で歩くことを意識すると、普段は当たり前でしかなかった歩くという行為が、心地よいものに変わってくるから不思議です。歩くことが億劫になり、少なくなった高齢の方にとっては、ポールウォーキングはより大きな価値を持つのではないかと思います。

 

 

しかもポールウォーキングはただ歩くだけではありません。途中に柔軟体操や軽い筋力アップのトレーニングも入ってきます。メリハリをつける効果もありますし、身体を休ませたり、鍛えたり、柔らかくしたりするサイクルが上手に回っています。トータルで1時間半ぐらいの体験でしたが、まだ若い(と自称している)私でも、全身に心地よい疲労感があったほどですから、高齢の方にとってはかなりの良い運動になるはずです。介護予防の分野でも、リハビリの分野でも、かなりの効果を発揮するのではないでしょうか。

私が参加したのは初めての方向けの体験会でしたが、隣では経験者の方たちもバリエーションに富んだ練習や体操をしていて、楽しそうでした。経験者のひとりに聞いてみたところ、「ポールウォーキングを始めたことで、いろいろな方とどこかに出かけて、話しながら歩くことが楽しくなりました。こういうところに参加する人たちは気持ちが前向きですから、そういう人たちの人生を聞くのは面白いです」、「他の方と一緒に歩いて話しをすることで、私も刺激を受けますし、悩みを聞いてもらうと自分なんて大したことないなと思えたりします」、「もう普通に歩くことはできませんよ。ポールを持って歩くと楽しく歩けますから」などの声が聞けました。

 

 

今回はたまたまシバヒロで開催しましたが、いつもは鶴川・三輪緑山地区で活動しているそうです。鶴見川遊歩道や、三輪緑山などの、自然豊かで静かな場所を歩くとリラックスできますね。ちなみに、歩く歩数やきっちりと歩く時間によって、うつ病や認知症、心臓病、動脈硬化、骨粗しょう症、高血圧、糖尿病などの病気の予防や改善が期待できるという研究結果が出ています。運動することは心と身体の健康に直接つながるのです。しかも外の空気を吸って歩くというごく自然な行動を通して、その人の人生が良い方向へ変わって開けていくのですから、高齢者以外の方にも体験して、ポールウォーキングのあらゆる効果や副効果を感じてもらいたいと思いました。

2019年

6月

25日

“仕事ができる”とはなんだろう?

ケアカレナイトの終了間際、ひとりの生徒さんが教室に駆けつけてくれました。「間に合わなくてすみません」申し訳なさそうに背中を丸める彼女。約束を無下になどしない彼女がケアカレナイトを欠席したのには、よほどの理由があるはずだと感じました。

 

「仕事ができるってなんでしょうか?」

 

そう問いは始まりました。彼女は有料老人ホームで働いて2年目の介護職。本人曰く仕事の覚えはゆっくりで、最初は先輩職員の何倍もの時間をかけなければ、ひと通りの仕事ができなかったのだと言います。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2019年

6月

20日

「いざという時に迷わない救命講座」レビュー

今月のケアカレナイトは、村井先生による「いざという時に迷わない救命講座」でした。先日、第一回目の講演が行われ、とても初回とは思えない完成度の高さで、村井先生がどれだけの時間を掛けて準備をしてきたのか伺い知れるほどでした。実務者研修の医療的ケアの最後に行っている救命救急の授業とはまた違った、より深く、詳しく、実践的な内容に、来てくれた参加者の皆さまは大満足して帰って行かれました。介護施設において義務付けられているは救命救急の研修とは違って、「言葉が分かりやすかった」、「消防士による救命救急の研修はAED等がセッティングされている状態でしたが、今回はAEDの組み立て(配線等)から自分で出来たので良かった」という声が多かったです。

 

私も後ろで聴講させていただき、その深い内容に学び入りつつ、分かりやすい伝え方に感心していました。今回の参加者は、自らお金を払って救命救急講座を受けにきているため、モチベーションや学ぶ意識は非常に高い方々ばかりでしたが、たとえあまり救命救急に興味がない一般の人々が聞いても分かりやすく学べるのではと思ったほどです。分かりやすさの理由は単純で、救命救急について伝えるべき内容が整理されていたからです。村井先生の中で一度かみ砕かれて整理され、さらに相手に上手く伝えるためにもう一度整理されるという過程を経て生まれた講座だからです。

 

 

もちろん、分かりやすく整理されているだけではありません。ケアカレナイトでやるからには、普通の救命救急の研修とは違ったものにしなければいけません。今回は人工呼吸を行うにおいて、バックマスクを使った換気を練習してもらいました。実際に救命救急の現場に居合わせたとき、相手が家族でもなければ、マウストゥマウスの人工呼吸は難しいはずです。相手が何らかの感染症を持っているかもしれず、また心理的にもハードルが高いのではないでしょうか。そこで介護施設に眠っているはずのバックマスクを使って質の高い人工呼吸を行うことができれば、誰かの命を救うことができるかもしれません。それは胸骨圧迫(心臓マッサージ)や気道確保についても同じです。いざというときに迷わず、質の高い救命救急ができるようになるためには継続した練習しかないのです。

正直に言うと、救命救急については、医療従事者ではないたとえば介護職や一般の方々は、今回の内容だけをしっかり学ぶだけで完璧だと思います。つまり、救命救急講座としてはこれ以上ないものだということです。およそ2時間の内容でしたが、配布された資料を含め、参加された方々はもう一度復習をして身につけてもらえれば、誰かに教えることさえできるかもしれませんね。今回と次回(25日)だけで終わるのはもったいない気もしますので、どこかの現場で研修が必要な際は出向きますのでぜひ声を掛けてください。素晴らしい講座を作り上げてくださった村井先生、ありがとうございました。また最後まで一生懸命に取り組んでくれた参加者の皆さま、ありがとうございました!

 

 

来月のケアカレナイトは、脳科学者の恩蔵絢子さんによる認知症をテーマにした講座です。「記憶を失うと、その人はその人でなくなるのか?」という哲学的な問いを解説していただきたいと思います。まだ少し席がありますので、興味のある方はぜひお越しください!

2019年

6月

15日

ゼロ印象

知的障害者ガイドヘルパー養成研修の初日が終わりました。藤田先生の相変わらずの聞き応えのある授業と、森先生の現場感あふれる授業の両面から、生徒さんたちは知的障害やガイドヘルプについて多くを学ぶことができたはずです。藤田先生の授業の中で、「私たちは女優・男優にならなければいけない」という話が出ました。つまり、介護者・支援者たる者は自らを演じられなければならないということです。相手と接するとき、ありのままの自分を受け入れてもらうのではなく、まずは自分が相手に合わせていく。そのためには、相手にとって受け入れてもらいやすい人を演じることから始めることです。第一印象を良くすることは大切ですし、役者さんたちが役作りをするように、その前のゼロ印象をつくっておくことも大事ということですね。

 

ゼロ印象をつくるために、そして第一印象を良くして、相手にとって受け入れてもらいやすい自分を演じるためには、何よりも挨拶が基本になると藤田先生は語ります。明るく元気よく、相手の目を見て、笑顔で、誰にも平等に挨拶をすることはコミュニケーションの基本のキなのです。当たり前のようですが、意外と難しいことですよね。きちんと挨拶ができない(おろそかにする)ということは、相手に対して興味や関心がないということであり、コミュニケーションを取りたくないという意思の表明でもあります。藤田先生は病棟に行くと、必ず全ての患者さんに挨拶をして回るそうです。逆に言うと、ただそれだけで多くの言葉を交わさなくても、相手は自分に対して好意を持ってくれていると感じてもらえるということです。

 

ガイドヘルパーの仕事でもそれは同じです。たとえば利用者さんと初めて会うとき、きちんと挨拶ができるかどうかは大切です。小さな声で元気なく、目も合わせることなく、無表情で「こんにちは」と挨拶して、隣に立たれても、そんな人にこれから外出に付き合ってもらいたくないと私たちでも思うはずです。しかもガイドヘルプは楽しみのために利用するサービスですから、一緒にいると楽しい人に支援してもらいたいのが利用者さんの本音です。安全を確保できる知識や技術はもちろん大切ですが、この人とだったら楽しそうと思ってもらえる第一印象と、それを支えるゼロ印象がいかに重要かということです。

 

 

湘南ケアカレッジが開校して以来、私が毎日朝と授業終了時に生徒さんに挨拶をするのは、多くの意味があります。私は授業の中で生徒さんたちとコミュニケーションを取ることができないので、せめて挨拶だけでもできれば生徒さんとの距離感は違ってくるはずです。それ以外にも、学校に来てこれから学ぶというスイッチを入れるためでもありますし、挨拶を交わすときの相手の反応を見て、その人となりや今の心理状態を把握するためでもあります。きちんとした形で挨拶が返ってこない場合、その人とはもっとコミュニケーションが必要だと思いますし、また何か困っていることや悩みがあるのかもしれないと心配します。たったの1秒の挨拶だけで、私たちは自分という存在のあり方を他者に表現することができ、また他者のことを理解する大きなきっかけにもなるということです。

2019年

6月

09日

今ここが、一番楽しい

ケアサポート株式会社が運営するサービス付き高齢者住宅イルミーナやまと、併設のデイサービス(ケアサポートやまとデイサービスセンター)、ショートステイは、小田急線中央林間駅を最寄り駅とし、2016年にオープンした初々しい施設です。

 

 

サービス付き高齢者住宅とは、簡単に表すと将来介護が必要となったときに備えて訪問介護ステーションがあるマンションです。現在は介護を必要とせず、ご自身で買い物に出かけたりする元気な方も暮らしていますが、介護が必要になれば、訪問介護を受けることができます。日中はご自身の部屋でテレビを見たり趣味に勤しむ方もいれば、階下にあるデイサービスを利用する方もいます。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2019年

6月

03日

「長いお別れ」

映画を観に行くと、予告編でまた別の映画のことを知り、また観に行ったその映画の予告編で…、と数珠つなぎになるのが映画ファンの喜びです。「長いお別れ」もそのようにして知った映画であり、つながって観て良かったと思える映画でした。原作は読んでいませんが、脚本のクオリティも高く、映像も美しく、役者さんたちの演技も素晴らしく、認知症をテーマにした作品としては、個人的には最高傑作なのではないかとさえ思います。所どころに介護の大変な現場や家族の苦しみも描かれてはいますが、全体的には認知症を柔らかく捉えていて、家族の気持ちに寄り添った映画でした。そう、これは認知症の映画ではなく、長いお別れの映画なのです。

 

ストーリーは、70歳の父の誕生日に帰省した2人娘たちが父の不審な言動に気づき、母から認知症であることを告げられるところから始まります。人生を前に進めていかなければと日々もがきながら生きている姉妹とは対照的に、父はゆっくりと記憶を失っていくのです。それどころか、父はできていたことができなくなり、今ではなく昔を生きるようになってゆきます。それでも、家族としてひとつになろうとする力が働き、父の記憶をたどることで、自分たちの思い出も鮮やかに蘇っていくのです。父が遊園地に3本の傘を持って、妻と娘たちを迎えにくるシーンは美しいです。

 

個人的に素敵だなと思ったのは、認知症が未知のものであったり、おどろおどろしいものとして描かれていないことです。山崎勉さんが演じる主人公の演技は迫真ですが、家族は認知症を自然な形で受け入れていきます。ひと昔前の映画やドラマであれば、認知症を描くときにもっと衝撃的な形を採ったはずですが、認知症が一般の人たちにも広まった今、マスメディアにおいても、よくある病気の症状として捉えなおされるべきなのです。つまり、認知症の父をリアルに描くのではなく、父が認知症になったことを通し、家族の人生や関係性が変化していくことを描くべきなのではないでしょうか。

 

 

笑いあり涙ありというフレーズは陳腐かもしれませんが、とても自然な形で笑いあり涙ありの映画でした。演出も自然で、演技も実に自然です。このように認知症に寄り添う家族の形があるはずですし、あってほしいと願うのです。最後に、演出としては孫の存在が生きていると思いました。人工呼吸器を着けるかどうか迷っているとき、「生きられるならば、生きていてほしい」という孫からのメッセージに家族は励まされ、また祖父とのやり取りにおいて、真っ直ぐ生きていこうという生のバトンを渡されます。認知症は長い時間をかけた引き継ぎであり、壮大な幕引きなのですね。

2019年

5月

30日

慣れてきた時こそチャレンジしよう

第12回目の講師会が行われました。当日、体調が優れずに参加できない先生が多く、全講師会にならなかったことは残念ですが、集まってくださった先生方は最後まで楽しんでくださったと思います。年に2回のペースで開催してきましたので、湘南ケアカレッジが開校して丸6年が経ってしまったことになります。介護職員初任者研修だけでも2600名以上、実務者研修を合わせると3000名をゆうに超える卒業生さんが、ケアカレに来てくれたことになります。開校当初は、「卒業生さんが1000名を超えたらすごいね」なんて夢を語るように話をしていましたが、いつの間にかここまで来てしまいました。

 

しかも単なる数字だけの3000名ではありません。顔が見えない、誰が誰だか分からない卒業生であれば、3000名だろうが1万名だろうが、そこに意味はありません。湘南ケアカレッジは、一人ひとりの生徒さんたちと向き合って、お互いが顔を知り、つながっている3000名だからこそ、大きな意味があると思います。私だけではなく、先生方もそういう意識を持って生徒さんたちと関わってくれたおかげで、100期生のお祝いもすることができたのだと思います。ありがとうございます。

 

とはいえ、6年間も続けていると、私たちには慣れが出てきてしまいます。介護職員初任者研修は丸6年、実務者研修も3年、少しずつ内容は変わってきてはいますが、同じカリキュラムの研修を同じチームで繰り返しました。生徒さんたちにとっては、その研修やクラスが初めてであり、一回性のものですから、私たちも全力でその一回性を楽しんではいますが、それでも全体としては同じことを続ければ慣れが生まれてしまうのは仕方ありません。

 

慣れることの何が問題なのでしょうか。もちろん、習うよりも慣れろと言うように、慣れることであまり意識しなくても上手にできるようになることは確かです。しかし、慣れたことでそれまでは喜びや楽しみであったことが、当たり前に感じるようになってしまい、それだけではなく、慣れて余裕が生まれたことで、周りの環境や人々の悪いところやできていないところに目が行くようになってしまいます。モチベーションが低下してしまったり、文句ばかり言ってしまうようになったりもします。つまり、慣れすぎて飽きてしまうことが問題なのでしょう。

 

多かれ少なかれ、誰にとっても慣れや飽きは訪れます。そして、私にとっても、慣れによる飽きは大きな課題のひとつでした。これまで約5年というスパンで会社を変えてきましたが、その都度、「チャレンジングではなくなってしまったから」というのが転職の理由でした。さすがに自分で学校を始めた以上、転職するわけにはいきませんので(笑)、自分にとっての慣れや飽きにどのようにして抗うのかは永遠の課題であり、考えた末にひとつの結論にたどり着きました。それは自分の転職理由に答えがありました。

 

 

慣れや飽きを克服するには、自分からチャレンジすることです。目新しいことをやってみることもそうですが、自分には少し難しいかもと思えることや出来そうもないことに挑戦することです。簡単すぎてすぐに出来てしまうことは、慣れて飽きてしまいますからね。そうやって、小さな挑戦から大きな挑戦まで、チャレンジし続けることによって、私たちは慣れや飽きの呪縛から逃れることができるのです。周りの環境や人たちの悪口ばかり言っていたり、文句ばかりで日々を過ごしているなと思ったら、チャレンジが足りないのかもしれません。慣れてきたな、飽きてきたなと思ったら、チャレンジしましょう!

2019年

5月

24日

「誰もがチャレンジできる社会を目指して」

ケアカレナイトにおいて、乙武洋匡さんの講演が行われました。100名を超える卒業生さんたちや福祉関係者の皆さまにお集まりいただき、乙武さんが控え室に入った頃にはすでに会場は熱気に包まれていました。割れんばかりの拍手の中、乙武さんは登壇し、このような時間帯にもかかわらず、たくさんの方々が集まってくださったことに感謝の意を述べつつ、今回の講演のテーマであるチャレンジすることについて語り始めました。小学校の先生の思い出から義足プロジェクトについてまで、自分にできることをできる限りやることの大切さを教えてくれました。個人的には、質疑応答で3名の方の質問に応じてくださったのですが、その深い受け答えには、乙武さんが乙武さんであり続けるゆえんが込められていた気がしました。

私の心に残ったことを記しておくと、ひとつは「ユニーク」であること。日本では「あの人はユニークだね」と言うと、ともするとマイナスの意味も含まれていることが多々あります。一方、海外ではユニークは「唯一」という意味であり、最高の褒め言葉になります。私たちはそれぞれがユニークさを必ず持っているはずです。たとえば、乙武さんは自分の考えていることやビジョンなどを言葉にして伝えることを得意としており、それを生かして自分のユニークさを表現していくことができます。決して上手でなければならないという訳ではなく、中身がユニークであることが重要なのです。ユニークさを突き詰めていくと、自分にできることをできる限りやるしかない、と心が決まるはずです。

 

 

それから、「お互いさま」ということ。社会の役に立ちたいと思っても、障害のある自分に何ができるのか不安でしかないという質問に対し、その気持ちは良く分かるけど、自分だけで何かをするのではなく、いろいろな人に助けてもらった方が良いとアドバイスしてくれました。実は健常者であってもできないことやダメな面はたくさんあって、お互いが許したり助け合ったりして生きています。たとえば忘れ物が多い人は誰かに貸してもらったり、時間にルーズで遅刻しがちな人は時間にキッカリしている人に許されて生きている。誰にでも凸凹なところがあって、凹に凸が合わさってひとつの形になるように、自分の凹に凸を合わせてもらったり、自分の凸を誰かの凹に合わせるようにすればよいのです。

もうひとつは、誰かの手を借りることが前提になる社会であるべきということ。「皆さんに今、赤ちゃんがいて、ベビーカーを押して目的地まで行きたいのですが、最寄りの駅にはエレベーターがありません。隣の駅にはエレベーターがあります。皆さんならどうしますか?」と乙武さんから全員に質問が投げかけられました。

 

A、それでも最寄りの駅から乗る

B、エレベーターがある隣の駅までベビーカーを押して行ってから乗る

 

手を挙げてもらったところ、Aに挙げた方は全体の11%ぐらい。対して、Bに挙げたのは残りの89%ぐらいでした。私も隣の駅にエレベーターがあるのが分かっているならば、少し遠回りをしてでも隣の駅まで押していくかなと思いました。その結果を受け、乙武さんは「日本では大体そのような結果になるのですが、海外では比率が逆になります。つまり、Aのそれでも最寄りの駅から乗ると答える人が9割ぐらいいるのです」と切り返されました。一瞬、何を言っているのかと疑問に感じましたが、「そう、エレベーターがなくても、誰かが助けてくれたら乗れるのです」と言われたとき、ハッと気づかされました。

 

インフラが整備されていなくても、人の手を借りることで障害が障害でなくなることがたくさんあるのです。もちろん、ハード面の充実は大切なことですが、日本に本当の意味で足りていないのはソフト、つまり、困っている人がいたら率先して手を差し伸べるという意識なのではないかと思いました。それはお互いさまであり、自分が困ったときには誰かに助けてもらえば良いのです。そうすることで、もっと自分のユニークさを出して生きていくことができ、誰もが安心してチャレンジできる社会になるのではないでしょうか。

 

 

最後に、わざわざ町田まで夜お越しいただいた乙武さんやスタッフの皆さま、ケアカレナイトに参加してくださった卒業生、関係者の皆さま、受付まで手伝っていただいた先生方、本当にありがとうございました。そして、最後まで司会を務めてくれた影山さん、お疲れさまでした。7年目を迎えるケアカレの、ひとつの集大成としてのイベントに相応しい集まりになったと思います。これからもケアカレは自分たちにできることをできる限り行い、自ら先頭に立って、さらなるチャレンジを続けていくことを誓います。

 

乙武さんは講演が終わってからも、サインや記念撮影会を開いてくださり、ひとり一人と直接話をしてくれました。忙しい中、ケアカレナイトに来てくださっただけではなく、ここまで対応してくださったことに心から感謝します。

2019年

5月

20日

世界が広がる

湘南ケアカレッジの100期生でもある4月短期クラスが無事に修了しました。平成に始まり令和に終わるという、時代をまたいだ珍しいクラスでもあります。男女問わず様々な年代の生徒さんたちが集まり、そこに4月から介護の世界に入ってきてくれた新卒の生徒さんが加わり、ケラケラと笑い声の絶えない、活気のある雰囲気でした。実は研修が始まる前に、新卒の生徒さんたちを依頼してくださった訪問介護事業所の方から、「自分の事業所の仲間だけではなく、他の生徒さんたちとも関わりを持って学んでもらいたい。そうすることで彼ら彼女たちの世界が広がると思うから」という旨の希望を聞きました。私は「そうなると良いですね。研修の内容だけではなく、先生や周りのクラスメイトとの関わりも大切な学びになると思います」とお答えしました。

介護職員初任者研修の素晴らしさは、研修の内容だけではなく、共に学ぶクラスメイトとの関係性にもあります。他の講座や研修、たとえばネイル講座であれば、20代から30代の女性がほとんどを占め、あまり多様性のないクラスメイトになるはずです。しかし、介護職員初任者研修は10代から80代までの自分とは違う年代や性別の人たち、さらに言うと、全く違う背景や経歴、考え方、生き方の人たちと一緒に、ゼロから学んでいくことになります。大切なのは、違いを知ることだけではなく、それでも共通する何かがあることを知ることです。同じことに共感できたり、同じような優しい心を持っていたり、同じ方向を目指していたりする、多様性のある仲間を見つけることです。

 

私が昔、ホームヘルパー2級を受けたときも、クラスメイトと仲良くなって、その後しばらく一緒に遊んだりした記憶があります。ひとりは息子さんがバンドをやっていて、近く深夜の番組の主題歌に採用されたと喜んでいた4050代の女性、ひとりは子どもが生まれたばかりで育児をしているという30代の男性、そして花や盆栽の仕入れを自営業として行っている20代の女性など。私は学校の社員ということもあり、あまり深入りすることがためらわれたのと、今のようにLINEのような連絡ツールが普及していなかったこともあり、少しずつ疎遠になってしまいましたが、とても貴重な関わりでした。

 

 

介護について学びに来る人たちは、皆良い人たちばかりで、個人的にも波長が合って好きという感覚は、クラスメイトたちとの交流を通して得たものでもあると思います。もし最初の介護職員初任者研修で残念な体験をしてしまったとすれば、介護の世界に対してネガティブなイメージを抱いてしまっていたかもしれません。そうならなかったのは幸運ですし、それぐらいに介護職員初任者研修で出会う先生やクラスメイトの存在は影響力があるのです。自分とは全く異なる背景や経歴、考え方、生き方の仲間たちと一緒にひと時を過ごしたことで、彼ら彼女たちの世界は間違いなく広がったはずですし、介護の世界のことが好きになってくれたのではないかと勝手に想像しています。

 

100期生の皆さまから、100にちなんだ百人一首と日めくりカレンダーをいただきました。百人一首を並べてみると、「湘南ケアカレッジさん、楽しい時間をありがとう」と書いてあり、日めくりカレンダーには1日ごとに卒業生さんからのメッセージが入っていました。100期生を超えて、色紙、ボード、エプロンに続く、新しいタイプの誕生ですね(笑)。ありがとうございました!

2019年

5月

15日

できない自分を受け入れて、できる人はなぜできるのか考える

仕事探しをサポートする流れで、生徒さんの研修中は知らなかった一面に出会い驚いたり、ここにたどり着くまでの波乱万丈ないきさつに若輩者は息をのんだり、教えていただくことがたくさんあります。そして、つながる先の施設・事業所の担当者さんとも取材や見学を重ねて少しずつお互いを知り、考え方や想いを聞かせてもらえることが私の仕事をする上でのひとつの楽しみになっています。

 

近しい人にいくら注意され、素直に反省できないことも、それぞれの施設や事業所を盛り上げ、率い、最前線で働く人の助言はバイアスのない言葉としてまっすぐに届き、行いを振り返り冷静に顧みるきっかけを与えてもらえます。

 

とある介護施設の施設長さんが教えてくれた知恵は、私の背筋をピンと伸ばし、目の前のモヤを晴らす手がかりになりました。それが、「できない自分を受け入れて、できる人はなぜできるのか考える」という、ものの考え方です。もう知っている人からしたら、なんだそんなことかと思うことかもしれませんが、これができないがばかりに悩んでいる人は少なくないと思うのです。

 

続きは→【介護仕事百景にて】

2019年

5月

10日

介護の仕事以外にも役に立つ

3年前の日曜日クラスの卒業生さんが、フラッと教室に立ち寄ってくださいました。やり投げをしている娘さんを応援しに、大会の会場まで行って来たその帰りだそうです。以前にも中央林間の駅でたまたますれ違ったことがあり、その時、私が声を掛けたことで、「覚えていてくれてありがとうございました」と葉書までいただいていた卒業生さんでした。今はまだ介護の仕事をしているわけではなく、実はリサイクルショップで働いていると申し訳なさそうに彼女は話してくれましたが、「でも今の仕事にも、ケアカレの初任者研修で学んだことはとても役立っています」と語ってくれました。そうです、介護の仕事に就いていなくてもいいんです。介護の仕事をする、しないにかかわらず、介護職員初任者研修は誰もがより良く生きていくために学ぶべき内容になっているのです。

 

ちょうど阿波加先生のコミュニケーションの授業を少し見学してもらった後だったからかもしれませんが、「たとえば、コミュニケーションの授業で勉強した傾聴や共感といった、相手の話を聞き、相手が何を言おうとしているのかを知ることが大切だと学びました。これは特にクレーム対応に役立っています」と教えてくれました。

 

まずは謝って、それから怒っている相手の話をよく聞き、決して話をかぶせたり、相手を否定することなく、言わんとしていることを推し測って、ゆっくりとはっきりした言葉を返すこと。認知症の方への接し方と共通する点が多いように、つまりは人とのコミュニケーションの原点がそこにあるのでしょう。そこがずれてしまうと、相手の感情を逆なでしてしまったり、余計に怒らせてしまって収拾がつかなくなるのです。

 

上はあくまでも一例ですが、人が生きて死んでいくことについて、介護職員初任者研修では学ぶことができます。これはずっと言ってきていることですが、介護職員初任者研修は介護の仕事をする前に必ず学んでおかなければならないのはもちろん、介護の仕事をしない、介護に直接たずさわらない人であっても学んでおくべき内容ばかりです。

 

 

本当のことを言うと、これからの時代は誰もが介護を避けて通ることはできないので、老若男女問わず、日本に生きている全員が介護職員初任者研修を受けるべきだと思います。我田引水かもしれませんが、介護や福祉を義務教育に組み込めないのであれば、なおさらある程度の年齢に達した人は学ぶ仕組みにするべきです。全ての成人が介護職員初任者研修を学んでいる国は、世界に誇る優しい福祉国家になるのではないでしょうか。

2019年

5月

05日

描きたい、が止まらない。

ケアカレナイトのネタにならないかとも思い、かねてより興味のあった障害者アートやアール・ブリュットについても学びたく、映画館シネマチュプキ・タバタで開催された「絵を描くワークショップ」に参加してきました。イベントの大まかな内容としては、障害者アートや絵と表現についてのお話しがあり、その後、とにかく絵を描いてみようということです。まさにケアカレナイトでこのようなことができたら面白いなと想像していた内容に近く、ぜひ先立って学ばせてもらおうと思ったのです。大きな白い紙に絵を描くなんて、おそらく小学生以来の体験でしたが、意外にも戸惑いは少なく、描き始めると没頭してしまう自分がいることに気がつきました。そして、何かに没頭することで得られる心の解放があることを知ったのでした。

ご存じない方のために説明しておくと、アール・ブリュットとはアウトサイダー・アートのことで、正規の伝統的な美術教育を受けていない人が制作したアート作品のこと。「生の芸術」とも呼ばれています。アウトサイダーという響きが良くないため、アール・ブリュットを使うことが増えてきているようですが、個人的にはアウトサイダー・アートという言葉も好きですね。正規の教育を受けていないからこそ自由な表現ができるということです。他の学問やスポーツ、ビジネスなどに比べても、型にはまらないことに価値があるアートだからこそ、アール・ブリュットが今注目されてきつつあるのだと思います。

 

 

前置きはこのあたりにして、絵を描くワークショップでは、大きな1枚の白い紙を渡されて、好きな動物の写真を選んで、紙一面に描きましょうというシンプルな説明のあとスタートしました。利き手とは違う手で描く、余白を残さない、動物の色を決めつけないというルールです。私はホッキョクグマの写真を手に取りました。ホッキョクグマを白くする必要はないのですが、私は逆にホッキョクグマの白さを際立たせたいと思い、持参した白いクレヨンを左手に握りながら描き始めました。

輪郭を描き、つぶらな瞳と可愛らしさが集約されている口と鼻は黒のクレヨンを使いました。背景は緑に塗りつぶし、ここでやめておけば良かったのかもしれませんが、ホッキョクグマを白だけに塗った罪悪感もあり、たぎる血潮が身体の内側からにじみ出てきている様子を表現しようとオレンジを入れました。タイトルは「燃える心」。

各自が描き終えた頃合いを見計らって、講師による品評会が行われました。周りの参加者たちの絵を見渡すと、上手なものばかりで、とても私と同じ時間で描かれたとは思えませんでした。参加者の中には、小さな子どもから視覚障害のある方、ダウン症の子もいて、それぞれがそれぞれの表現で目を引く作品を描いていたことが驚きでした。そこにはほとんど優劣はなく、講師の講評も参加者からの感想もポジティブなものばかりで、相田みつをさんではありませんが、みんな違ってみんないいという世界がありました。

何よりも自分で描き上げた達成感を誰もが抱いて、誇らしげでした。誰にとっても絵を描くことや何かを作るために没頭することが、与えられた枠の中から自分を解放することにつながるのだと、身をもって体験した瞬間でした。その後、映画「描きたい、が止まらない」を観て、生きることとアートの密接な関係について考えつつ、帰途に就きました。

ちなみに、こちらは映画「描きたい、が止まらない」に出演されている古久保さんの作品です。すごく細かい!

2019年

4月

30日

自分には見えていない世界がある

今年は例年以上にお菓子の山ができました。介護福祉士の試験に合格した方、介護職員初任者研修がとても楽しくて感動した方、働きやすい介護の仕事を丁寧に紹介してもらって感謝している方など、多くの卒業生さんたちが教室に足を運んでくれて、先生方やスタッフの皆さまに食べてほしいと御礼のお菓子を持ってきてくれたのです。今年もありがとうの気持ちに包まれて嬉しく思いますし、先生方や影山さんには感謝します。令和の時代になっても、人にありがとうと言ってもらえる仕事をしていきたいと願います。

 

ところで、先月、介護福祉士の合格の報告をしに、初任者研修で同じクラスだった卒業生さん2人が遊びに来てくれました。私を含めて3人でランチをしたとき、「備品はギリギリになってから補充するタイプ?それとも少しでも足りなくなっていたら補充するタイプ?」という話で盛り上がりました。

 

ひとりの卒業生さんは、少しでも使われているのに気づいたら補充するタイプで、もうひとりの卒業生さんは全てなくなってしまうギリギリまで待ってから一気に補充するタイプ。「最近はタイプが違うからと思うようにしている」と前者の卒業生さんはあきらめたような顔で語り、「でも結局、僕ばかりが補充しているのですよね」と笑っていました。備品の補充に関して以外にも、他の職員の働きぶりを見て、もっと仕事しようよと思うことも多いそうです。

 

そんな話をしながら、私は家庭の中における犬の排泄の後始末のことを思い起こしました。うちの犬(トイプードル)は綺麗好きなのか、おしっこマットが少しでも汚れていると別の場所(床や柱)にしてしまうので、おしっこマットが汚れているのを見たらすぐに交換しなければ大変なことになってしまいます。私は家に帰るとまず、2か所あるおしっこマットの点検をするのが習慣になっています。ただ単純にそこが気になるのですが、うちの妻は全くノータッチです。最初は、それぐらいはあなたがやりなさいというメッセージだと思っていましたし、同じように床の掃除機がけも私の役割だと思っていました。

 

ところが昨年末、オーストラリアから1週間ぶりに自宅に戻ってきたとき、私は驚きました。私が家を出たときと全く変わらない状態で、おしっこマットは替えられていないようで、そこには凄惨な光景が広がっていたのです。このとき気がついたのは、これは私に役割として与えられているとかそういうことではなくて、妻には床やおしっこマットの汚れが目に入っていないのだということ。そして、私はたまたまそこに目が行くのだということです。

 

おそらく私の何十倍も家のことを見ている妻でも見えないところがあるということは、妻から見れば、私は恐ろしく何も見えていないと映っているはずです。私は自分が見えている世界だけで、妻の見えていない部分が気になっていたのですが、逆から見れば、私に見えていない世界はたくさんあるのでしょう。見えないのだから、見えていないことにも気づきようがないのですが、見えていない世界があることだけでも知っておくべきだと思いました。

 

 

自分には見えているけど相手には見えていない世界があるということは、相手には見えているけれど自分には見えていない世界があるということでもあります。それは仕事においても、日常生活においても、私たちが生きていくこの世界のどこにでも存在する真理です。私たちはまずそのことを知ることからスタートして、できる限り自分の視野を広げることに力を尽くし、それでも自分には見えていない世界があるということを謙虚に受け止めるべきなのでしょう。そうすれば、偉そうになることもなく、むしろ自分が他者によって生かされていることに感謝することができるかもしれません。

2019年

4月

25日

こうしてあげたい

先月の短期クラスの生徒さんが、授業後に私を教室の外に呼び出して、こう言いました。

 

「ここの授業を聞いて、本当に良かったと思っている。今、施設で働き始めていて、利用者さんにこうしてあげたいと思うことばかりなんだ」

 

授業の中で何か気に障るようなことがあったのかとヒヤヒヤしたのですが(笑)、その眼差しがあまりにも真剣で、彼は心からそう思って頑張っているのだということがヒシヒシと伝わってきました。こうしてあげたいという気持ちは、この仕事を続けていく上での原点だと思います。もちろん、その気持ちが余計なお世話になってしまったり、利用者の自立支援を妨げるようなことがあれば良くありませんが、相手の立場や気持ちを考えた上で、こうすると喜んでもらえるだろう、安心するだろう、快適だろうと考えること以上に大切なことはないと思うのです。

 

その生徒さんは高齢の男性で、第二の人生における仕事として介護を選んだそうです。とはいえ、この業界では何も知らない新人であり、まずは単純で地味な仕事をこなしつつ、孫のような先輩の下で夜勤までしているとのこと。最初は言われたようにやってみてはいましたが、次第にこの方法ややり方で良いのかと疑問が湧き始め、ちょうどそのタイミングで湘南ケアカレッジに来てくれました。先生方の授業を聞いてゆくにつれ、自分が現場で悶々と抱いていた疑問は少しずつ晴れていき、それまでは「こうしてあげた方がもっと良いのではないか」と思うだけであったのが、「こうしてあげたい」と思うようになったそうです。

 

まだ現場ではペーペーであり、先輩のやり方や現場の考え方に口をはさむことは難しいのですが、自分ができることは少しずつ変えていき、ゆくゆくは「そこはこうした方が良い」と教えてあげたいと思っているそうです。「私がいつか施設長になったときには、うちの職員は全員、ケアカレに研修を受けに行かせますよ」と意気込んでいました(笑)。その気持ちはありがたく受け取らせていただき、あとはその時が来るまで、彼が今の気持ちを失うことなく介護の仕事を続けてくれることを願うのみです。

 

「こうしてあげたい」という気持ちが尊いのは、そこに他者があるからです。藤田先生が介護職員初任者研修の授業の最後に、「介護」と「業務」の違いを話してくれるのですが、その間にある違いとは、つまり「相手のことを考えてする仕事」か「自分のための仕事」かです。つい私たちは仕事に慣れてくると、自分のための仕事をし始めますが、特に介護や福祉に携わる人たちに求められるのは、どうすれば相手にとって良いのかというマインドであり視点であり思考過程なのだと思います。そこから始まらないと、自分の「業務」をしてばかりで、本当の「介護」をすることはできないのです。

2019年

4月

20日

乙武洋匡さんの「義足プロジェクト」を支援しよう!

「義足プロジェクト」について初めて知ったのは、乙武洋匡さんの話を聞きにWeekly Ochiai(落合陽一さんの番組)の収録に参加したときでした。乙武さんとは同世代にもかかわらず、生でお目にかかったのは初めて。番組がスタートする前、出演者や制作スタッフさんたちだけではなく、観覧席にいる人たちにも、「よろしくお願いします!」としっかりと挨拶をされている姿が印象的でした。「義足プロジェクト」は、乙武さんが最新のテクノロジーを駆使した義足で歩いてみせることで、義足をあきらめてしまっていた人たちが、再びチャレンジしてみようと思ってもらえたら、という想いからスタートしました。

 

そもそも乙武さんは生まれたときから車椅子で生活をされており、義足を付けなくても不便はほとんどありません。実際に収録でその姿を見たとき、車椅子から出演者用の椅子に乗り移るのも、マーカーを首と腕で挟むようにして渡されたボードに文字を書くもの、一挙手一投足が私にとっては目新しく、感心させられるものであり、しかし乙武さんにとっては日常生活の中の当たり前の動作なのだろうなと思ったりしました。つまり、乙武さん自身にとっては、わざわざ義足で歩く必要はないのです。

 

しかも両手両足が欠損している乙武さんにとって、義足で歩くことは極めて難しいのです。両足の膝(から下)がないことによって、義足を着けて歩くことが極めて難しくなり、両手がないことはバランスを取ることを困難にします。乙武さんにとって、これだけの高さの義足を着けて歩くことは、手足を縛られて竹馬に乗っているようなものです。小さい頃に竹馬が得意ではなかった私にとって、この年になって、手足を縛られた状態で竹馬に乗るなんて考えただけでゾッとします(笑)。

 

そこまでして乙武さんが義足プロジェクトにチャレンジするのはなぜなのでしょうか?

 

もちろんご自身のプレゼンテーションであり、仕事の一環でもあると思います。しかし、本質的なところは、社会の役に立ちたい、人のためになりたいという強い気持ちなのではないでしょうか。数年前、社会の役に立ちたいと願い、政治の世界に踏み出そうとした矢先にご自身の問題で挫折を味わうことになったのは周知のところですが、彼の想いはぶれていないと私は思います。

 

普段は障害があることを感じさせない乙武さんも、これまでたくさん乗り越えてきた障害があり、それは自分の努力だけではなく、両親や周りの人々、そして社会に支えられて生きてきたという実感は誰よりも強いはずです。だからこそ、グリーンバードという街をきれいにするNPOを立ち上げたり、小学校教員として教壇に立ってみたり、誰かのために活動を続けてきたのです。決して富や名声のためではない選択ばかり。今回の義足プロジェクトも、自分が歩けるようになりたいということではなく、自分が先頭に立ってチャレンジすることで社会を少しでも変えていきたいということです。あきらめることなくチャレンジする人が増え、また義足の進化にも期待ができるはずです。

義足プロジェクトの練習風景等の動画はこちら

 

ぜひ乙武さんに会いに来てください。彼を「障害者」というカテゴリーに収めておくのがおかしいように、「あの悪さをした人でしょ」というラベル張りをしてしまうのももったいないです。お子さんを連れてきて、このようなチャレンジをしている大人がいることを知ってもらってください。利用者さんとご一緒に来て、こんな気持ちで障害を乗り越えてきた男がいることを励みにしてください。

 

5月23日(木)の18時30分~、JR町田駅徒歩1分の文化交流センターです。乙武さんがケアカレに来てくれるなんて二度とない最後の機会なので、ぜひお越しください!

 

ケアカレナイトの講演「誰もが挑戦できる社会を目指して」の詳細はこちら

2019年

4月

17日

おめでとうございます!

先月末、介護福祉士の合格祝賀会が行われました。最初は数名で静かにスタートしましたが、仕事帰りに来てくれる卒業生さんが次第に増え始め、19時を超える頃には20名以上になり、例年以上の大盛り上がりになりました。介護福祉士筆記対策講座は今年で3年目になりますが、少しずつ祝賀会に来てくれる人たちも増えているのを実感します。14時の合格発表以降は電話が鳴りやまず、「合格しました!」、「ありがとうございました」という声が次々に届きました。たくさんの笑顔とありがとうの気持ちが溢れる、素晴らしい1日でした。

 

祝賀会で合格した卒業生さんたちと話していて、仕事をしながら勉強をするのは大変だと改めて思いました。もちろん仕事だけではなく、家庭のことやその他もろもろ、私たちの日常はやるべきことで埋め尽くされています。その中に試験勉強を入れるだけでも相当な気合がいりますし、それに加えて年末年始はさまざまなトラブルやアクシデントが起こるのですから、困難でないわけはありません。学生時代に試験勉強するのとは違うのです。だからこそ学生のときにはしっかりと学んでおくべきだと思いますし、大人になってから学ぶのはひと苦労なのは当然で、だからこそ学び甲斐もあるのです。

 

「今まで取った資格の中でいちばん嬉しいです」と言った卒業生さんがいました。限りある時間の中で一生懸命に勉強をしたからこそ、そう感じたのでしょう。何をどう苦労されたのかは想像するしかありませんが、それを乗り越えたからこその喜びです。正直に言うと、介護福祉士の筆記試験は合格率が70%を超えるため、ある程度、勉強すれば合格できます。若い人であれば、表面上だけ勉強してコツを掴めば受かるかもしれません。でも、それで良いとは思いません。せっかく試験を受けるのであれば、しっかりと勉強して、その過程をも味わってから合格してもらいたいのです。湘南ケアカレッジの筆記試験対策講座が5日間もあって、宿題もたくさん出るのはそういう理由です。

 

私が子どもたちを教えていたときも、少し不器用でもどかしいぐらいの生徒さんの方が長い目で見ると成績が伸びました。何となく出来てしまったり、のらりくらりとかわしながら来てしまった生徒さんは、ある時点で伸びが止まります。表面的にしか理解していないため、深く考えることができないからです。そういう生徒さんを見るたびに、器用であったり、世渡りが上手かったりすることは、長い目でみると自分のためにならないのかもしれないとさえ思いました。介護福祉士の試験も同じですね。大切なのは結果ではなく過程というのは、まさに介護福祉士の試験にこそ当てはまるのではないでしょうか。

 

 

しっかりと学んで、合格された皆さま、おめでとうございます!

2019年

4月

11日

「道草」

ケアカレナイトに来てくれた卒業生さんから紹介されて、田端にあるミニシアター「シネマチュブキ」まで観に行ってきました。その日は、宍戸大裕監督のトークショーもあり、満員御礼。登場人物のひとりでもある岡部亮佑さんのお父さんから、「息子のことも淡々と撮ってくれないか?」という問いかけをきっかけとしてスタートした映画だけに、重度の知的障害者の自立(ひとり暮らし)の風景が実に淡々と描かれていました。決して重々しくならず、かといってポップなだけでは終わらず、強く主張をするでもない、観る私たちに問いかけるような映画です。ぜひ一人でも多くの方々に観て、知って、感じてもらいたいと思います。

 

映画の冒頭は、リョースケが介護者と一緒に散歩をするシーンから始まります。あちこちのマンホールを踏みながら歩いてみたり、枯れたタンポポを手に取ってフーっと息を吹きかけてみたり、公園に行ってはブランコを思いっきり漕いでみたり、私たちも小さい頃にそうしたはずの懐かしい風景や時間が広がっています。鳥や木々たちも優しく見守っています。

 

冷凍の焼きおにぎりを2つ食べることを巡ってのリョースケと介護者との間の交渉劇や、ヒロムが石神井公園を散歩する中で「タァー!」と大声を上げてしまうことを鎮めようとする介護者との掛け合いは、脚本があるのかと思わせる絶妙の間合いで繰り広げられるコントのようです。

 

私たちがいつの間にか忘れてしまった、この世界の風景や時間の流れがそこにあるのです。過剰な効率が求められ、プライバシー化され、他者に対しての鋭利なほどの厳しさによって、自分で自分の首を絞めてしまっている私たちの社会とは対極にある世界です。

 

そうはいっても、ほのぼのとした、心安らかな時間ばかりではありません。彼らが他者と交流して、社会の中で生きていくためには、多くのストレスや苦悩は避けて通れません。それは家族や周りの人々、そして介護者も同じです。かつてはリョースケも「冬の日本海(荒れない日はない)」と言われていたほどですし、ヒロムは上手く表現できないことがあると他害自傷を繰り返していたそうです。私たちが映画のワンシーンとして見ることができるのは一部なのです。

 

個人的には、登場人物のひとりであるユウイチロウが気になりました。彼は青梅の入所施設で過ごしていた頃から、他害行為が始まり、薬物投与も重なって入院することになりました。何かに怯えるようになり、自立生活を試みている今も不安定な状態は続き、自分で自分を抑えることができなくなり、ドアを力づくで開け閉めして大きな音を立てたり、部屋の壁を殴って穴を開けたりして大暴れしてしまいます。

 

 

彼の姿を見ていると、自分の心にも通ずるところがあるのです。私は何とか自分で感情を抑えたり、表現することでコントロールしたりすることができますが(できないこともあります)、彼には難しいときがあるのです。表面化してしまうかどうかは、一本の線というか、本当に一枚の薄い皮によって守られているかどうかの違いでしかありません。同じことは、彼らに理解を示さない人たちにも当てはまります。あなたと彼らはそれほどに違いますか。私から見ると、あなたも私も彼らもほとんど同じですよ。

「道草」の公式HPはこちら

シネマチュブキタバタにて4月25日まで公開中です!

2019年

4月

07日

感謝という大きなギフト

湘南ケアカレッジで働き始めて、3度目の春が近づいてきました。介護仕事百景を通して、介護の仕事を始める方も少しずつ増えてくる季節です。仕事探し中の生徒さんと一緒に施設を見学に行くと、卒業生の元気に働いている姿を見かけて、ほっと胸をなでおろします。綺麗なことばかりではなく、今は大変なことの方がむしろ大きく感じているかもしれません。それでも踏ん張って、続けてくれていることをひたすら有難いと思えます。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

 

 

2019年

4月

04日

長くつながる

介護職員初任者研修の3月短期クラス、そして12月日曜日クラスがほぼ同時に終わりました。2つのクラスが重なって修了するこの時期は、いつも寂しい思いがします。専門学校や塾であれば、少なくても半年から長くて数年を共に過ごすことになりますが、初任者研修は15日間、実務者研修に至ってはたった7日間という短さです。この短い期間では、生徒さんと学校、先生の間に密接な関係は作りにくいため、ほとんどの介護の学校において生徒さんは右から左へと入って出て行くものだと割り切っているのが現状です。私はそれがつまらないと感じて、湘南ケアカレッジはできる限りのことをして生徒さんたちと学校、先生とのつながりを作りたいと思ってやってきました。そうこうしているうちに、いよいよ4月短期クラスで100期生を迎えます。

 

私が生徒さんたちと学校、先生のつながりを作りたいと思ったのは、生徒さんたちも先生方も、介護の学校にたずさわってくれる人は誰もが良い人だからです。良い人というのは、大ざっぱすぎるかもしれませんが、つまり人間として魅力的であったり、面白かったり、一緒にいて楽しいと感じる人ということです。たとえ介護の資格を取るために学びに来る学校とはいえ、せっかくそのような良い人々が集まるのですから、そのままあっさりと帰してしまうのはもったいない。少しでもその人のことを知りたいし、私たちが知らないことを教えてもらいたいし、仲良くなりたいのです。そのような人間関係こそが、生徒さんにとっても、先生方にとっても、学校にとっても、最大の喜びになるからです。

 

「これまで鉛筆を持ったことがなかったけど、生まれて初めてこうして勉強してみて、楽しかった。先生って嫌いだったけど、ここの先生は全員好き」と言ってくれた生徒さんがいました。また、「今施設で働き始めていて、僕だったらもっとこうしてあげたいという気持ちがたくさんあるのです」と授業後にこっそりと教えてくれた生徒さんもいました。平日の短期クラスに通う、おそらく50年ほどの年齢の開きがある2人が、先生方の話を一生懸命に聞いてくれて、それぞれに想いを私たちに伝えてくれたことが嬉しく思えました。生徒さんがただ教室に来て授業を聞いて、先生方が一方的に教えるだけの関係からは、生まれにくい会話だと思います。私たちが生徒、先生という関係から、人間同士としての関係になる瞬間です。

 

 

日曜日クラスはとてもクラスメイト同士のつながりも強かったです。研修が終わった最終日の打ち上げにも、たくさんの生徒さんたちが参加して、私も顔を出させていただきました。女性陣は早めからつながり始めている中、男性陣があまり前に出ないタイプのクラスでしたが、嶋田先生が勝手に幹事を任命したりして焚き付けてくれたところあたりから、男性陣も急速に前に出て仲良くなって行った気がします。最終的にはとてもまとまりがあり、素敵な方々ばかりのクラスになりました。締めの言葉として、「長くつながっていってもらえると嬉しいです」と話させていただきましたが、この先も長くつながっていきそうなクラスだなと感じます。ひとつだけ言い忘れたことがありまして、長くつながっていってもらうためには、幹事を持ち回りにした方が良いということです。長くつながっているクラスはそのようにしていますので、ぜひ参考にしてください!

上の3月短期クラスは立体的なメッセージボード、そして、この12月日曜クラスは、な、なんと透明なメッセージボードでした。どちらも今までにない、斬新なメッセージボードですね。ありがとうございました!

2019年

3月

30日

できない人を責めるよりも、できた人を褒めよう

先日、全身性障害者ガイドヘルパー養成研修が行われました。今年の春は1回のみの開催ということもあり、たくさんの方々が参加してくださいました。卒業生さんたちだけではなく、埼玉や小笠原諸島の母島からなど、初めてケアカレに来てくれた方も多く、実にフレンドリーで有機的なつながりのあるクラスになりました。心配された雨も全く降ることなく、まるで私たちが研修で外に出る時間だけを避けてくれたようでした。週中は90%の雨予報だったのに、皆さまの普段の行いが本当に良かったのでしょうね(笑)。「楽しかったです!」と言いながら帰って行かれる方が多く、私たちも自然と笑顔で見送らせていただきました。

 

今回の全身性障害者ガイドヘルパー養成研修はたった1日の研修であるにもかかわらず、ここまで誰もが楽しく学べて、仲良くなってもらえたのはなぜでしょうか。それは卒業生さんたちがほとんどであり、最初から距離感が近いということが第一に挙げられます。先生と生徒さん、または生徒さん同士が信頼し合っているということです。その雰囲気がスタートから教室に充満していて、ケアカレに来てくれたのが初めての生徒さんも何となく、リラックスして授業を受けて良いのだと感じたはずです。そんな空気はつくろうと思ってつくれるものではなく、またつくろうと思わなければ決してつくれないものです。

 

話は少し変わりますが、私は子どもたちの教育にたずさわっていた経験から、先生次第で教室の雰囲気は変わることを学びました。先生が発する言葉や態度を受けて、生徒さん一人ひとりの感じる空気が、教室全体の雰囲気をつくります。たとえ同じメンバーのクラスでも、先生が違うと全く異なる雰囲気になるのは、生徒さんは先生の合わせ鏡であるということを意味します。そして、それは先生の人柄というよりも、先生が生徒さんにどのようなアクションをするかということに大きく影響されるのです。

 

その1つとして、「できない生徒を責めるよりも、頑張った生徒を褒める」というシンプルな仕組みというかルールがあります。分かりやすく言うと、たとえば宿題を忘れて来た生徒を責めることには意味がなくて、宿題をやってきた生徒を褒めるということに時間を使うということです。しっかり座れていない生徒を注意するのであれば、その分、きちんと座れている生徒を認めることに意識を傾けることです。簡単なようですが、ほとんどの先生はこれができません。どうしてもできないことに目が行ってしまうからです。先生の意識ができないことに行くと、生徒さんの意識もそうなります。そこに信頼が生まれることはありませんし、良い雰囲気が生じることはありません。できていることを褒め、できている人を認めるだけで、生徒さんの意識は変わり、教室の空気は一変し、学校の雰囲気も良くなるのです。

 

 

☆全身性障害者ガイドヘルパー養成研修は、今秋10月と12月に開催予定です。しばらくお待ちください! 

2019年

3月

25日

また会いたい

ケアカレナイトは、卒業生さんたちが再びケアカレに来て学び、つながれる場にしたいと考えて開催しました。ケアカレナイトでばったりクラスメイトに再会することもありますし、また同じ施設で働いている卒業生とばったり会うこともあります(互いにケアカレの卒業生であることを知らずに働いていたそうです)。それぞれが違うクラスであっても、卒業生さん同士がケアカレナイトを通して顔見知りになり、仲良くなってもらえるとこれ以上の喜びはありません。そこにゲストスピーカーやスポンサーとして来ていただく施設や事業所の方々も混じるのですから、楽しくないわけがありません。

「私たちは23期生です。もう98期生まで来たんですね!おつかれさまです」と言ってくださった卒業生さんがいました。彼女たちはもう4年以上前に卒業し、それぞれ介護の現場で働いて介護福祉士になりました。ひとりは新しい職場で頑張っていて、ひとりは社会福祉士を目指して勉強を始めるそうです。あのときは右も左も分からずに一から学んでいた生徒さんが、介護の仕事を続けていてくれて、大きく成長していたことが素直に嬉しいです。

 

たまたま隣に座った卒業生さんが、隣近所に住んでいて、近くの施設で働いているということもありました。それぞれがゆっくり話す時間やきっかけがあったからこそ分かったことであり、縁やつながりというものはそのようにして生まれていくのだと思いました。「また会いたいですね」とおっしゃってくれたように、普段の仕事や日常にはない、新しい出会いや邂逅(かいこう)がケアカレナイトにはあるのです。

 

私たちがつながっていくためには、たった一度きりではなく、やはり何回も顔を合わせることが重要です。会ったその日から仲良くなれるなんてことは稀であり、最初はお互いの名前や存在を知り、別れる程度にしかつながれないはずです。介護職員初任者研修でも15日間をかけて、少しずつ仲良くなっていくのですから、たった1日、しかも一夜でつながりが生まれるのは難しいかもしれません。だからこそ、何度もケアカレナイトに足を運んでもらい、「この前はどうも」、「また会いましたね」ということを繰り返して、少しずつそれぞれのことを知って、仲良くなってもらえれば良いのです。

 

 

それはスポンサーとして参加してくださる施設・事業所の方々も同じです。同じ介護の世界で働く仲間として、それぞれの立場の壁を超えて、フラットな関係を築いていくためには、やはり何度も顔を合わせていくことが必要になるのではないでしょうか。つながる場をつくるとき、私たちはつい一回で素敵な出会いがあることを期待してしまいますが、実際はそうではなく、時間と回数をかけてつながってゆくのですね。つながりは質(互いのことを知る機会やきっかけ)×量(回数)という方程式を頭に入れながら、ケアカレナイトが誰にとってもより良き場となれるようにしていきますので、これからも参加をお待ちしております!

 

*3月末には、5月、6月、7月のケアカレナイトの内容を発表しますので、首を長くしてお待ちくださいね。

2019年

3月

22日

「脳科学者の母が、認知症になる」

介護・福祉に携わる者としてこういう問いには、「そうじゃないよ。記憶を失っても、その人らしさはなくならないよ」と、答えをもってきました。けれどもお恥ずかしい話、その理由を理論的に説明することはできず、どこかポジショントーク的な宙に浮いた答えだったと思います。介護の現場で働く中で、認知症の方の不可解な言動や行動に驚き、迷い苦労することもありましたが、それはほんの一端にすぎず、落ち込んだ時にもらったふとした優しい言葉に慰められたり、ご家族との思い出を幸せそうに語る姿にふれることで「失うことばかりではなく、できることもある」と感覚的に判断していました。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2019年

3月

18日

アンケートには全てが詰まっている

2月短期クラスがアッという間に修了してしまいました。どちらかというと静かに始まって、静かに終わったクラスでしたが、研修の途中から飲みに行ったりと、一人ひとりのクラスメイトのつながりは強かったのではないかと感じました。その証拠として、最終日にはそれぞれのメッセージ入りの名札が付けられたエプロンを贈ってくださいました。目に見えたり、分かりやすく表に出てくる表現だけが全てではなく、人知れず喜んでいたり、楽しんでいたりすることもあるのです。ちなみに、このエプロンや名札等は全て100円ショップで揃えたそうです。キティちゃんの人形つき鉛筆も添えられていて、望月先生がとても嬉しそうにしていました。

 

最終日に書いていただいたアンケートにも、好意的な感想が添えられていました。「介護に対する見方が180度変わりました」と書いてくれた生徒さんもいて(たまに360度変わったと言う人がいて、1周回って同じ見方かよと突っ込むことがあります笑)、私が初日のオリエンテーション冒頭で話したことを覚えてくれていたことに感動しつつ、湘南ケアカレッジの想いが伝わって良かったと安心します。その他、「白紙に戻った気持ちで今後は仕事に活かしたい」、「クラスや先生方の雰囲気もとても良くて楽しく通わせていただいた」など、アンケートを読むと、この生徒さんはこのようなことを思って(考えて)いたのかと気づかされます。

 

アンケートは介護職員初任者研修全体の評価であり、先生一人ひとりにとってのフィードバックです。良い感想は素直に受け取りつつ、自分たちのしていることは間違っていないのだと確認できますし、さらに良くして行こうと思えます。悪いフィードバックがあったとしても、素直に受け入れて認めつつ、次は改善して行こうと気持ちを新たにできます。

 

私が塾の先生をしていたときは、毎回アンケートは楽しみにしつつ、反面、怖い気持ちもありました。良かれと思っていることも、生徒さんにとっては悪いと映ってしまっていることもあるかもしれないからです。他者(特に実際のお客さんやサービスの受け手側)にどう受け止められているかを知るアンケートは、客観的に自分のサービスを見る機会です。良い先生ほど、一生懸命に自分のアンケート(評価)を読んでいたことを覚えています。

 

アンケートには全てが詰まっている。たくさんのアンケートで評価をされてきた私の経験上、そう断言することができます。「授業が真面目すぎて面白くない」、「復習をもう少しやってほしい」など、先生の人となりから教え方まで、子どもはストレートに書くので傷つくこともありますが、ほとんどの場合、的確な意見であることが多いのです。大人は遠慮して言ってくれないことまで教えてくれます(笑)。

 

 

それに比べて、大人のアンケートはオブラートに包まれているため、その行間というか、裏にある思いを読み取る必要があります。「〇〇は良かったけれど、××はこうした方が良いかなと思いました」と書いてあるとすると、××の方が伝えたかったことである場合が多いのです。サラッと書かれているからこそ、そこをサラッと読み流してしまうか、それともなぜこう書いてくれたのだろうと思いを寄せるかで先生としての幅が違ってきます。石がぶつかりながら磨かれていくように、私たちも生徒さんからの声や評価を一身に受けながら、先生としてだけではなく、人としても磨かれていくのです。

2019年

3月

14日

「認知症」って何ですか?

「認知症をめぐる今の問題の多くは、病気そのものが原因ではなく、人災のように感じています」という言葉から、樋口直美先生の講座はスタートしました。卵のたとえを使って、多様なストレスによって周りの殻が割れ、暴言や暴力などBPSDという形で感情が白味のようにあふれ出て、それでもその人らしさという黄味は残っている。周りの人たちには卵を持つかのように優しく接してもらいたいし、たとえ割れてしまったとしても、あふれ出した白味ではなく、その人らしさという黄味の部分を見てもらいたいと樋口先生は語ります。頭では分かっていることですが、当事者から生の声で言ってもらうと、心に響くものがありました。やはり当事者の言葉は強いですね。

 

認知症は病気ではなく、複数の認知障害があるために社会生活に支障をきたすようになった状態のこと。原因疾患としては、アルツハイマー型認知症や樋口先生自身が当事者でもあるレビー小体型認知症、脳血管性認知症などがあります。昔は認知症の症状がかなり進行してから発覚することが多かったのですが、最近はかなり早期から周りが気づくようになったこともあり、本人と周囲の理解や工夫により、今までの生活を続けられる可能性は高いと樋口先生はおっしゃいます。

 

そもそも認知症の有病率(病気にかかっている率)は、年齢と共に上がっていき、90を超えて100歳に近づくにつれて、80%に近い人々が認知症になります。年齢を重ねると肉体が衰えて、動かなくなっていくように、脳の認知機能も衰えて、上手く働かなくなっていくのは当然なのです。自分は認知症にならないと思っている人も多いのですが、長く生きれば自然と誰もが認知症になるのです。

 

そうした当たり前の摂理に立った上で、抗認知症薬の効果や使用について、樋口先生は自身の経験も踏まえて疑問を投げかけるのです。実は抗認知症薬は進行を遅らせる薬ではなく、40人に1人にしか高い効果を示しません。フランスでは2018年にすでに抗認知症薬は保険の対象から外れています。樋口先生自身には抗認知症薬が効果を示しましたが、残りの39人にとってはせん妄等の副作用しかないとも言えるのです。使ってみて効果がなければ薬をやめる、副作用が大きくても薬をやめるのが正しい選択ですね。

 

講演後半のレビー小体病の当事者ならではの話には迫力がありました。幻視の話(はっきりと見えるので、どれが本物でどれが幻視か分からない)や料理の話(段取りが難しかったり時間の感覚がバラバラであったり、嗅覚が失われてしまっていることなど)は笑い話を交えながらも、実際にあった経験を当事者の口で語るからこそ、うなずきと新しい感覚の発見の連続でした。卒業生さんたちも身を乗り出して聞いていました。

 

 

最後に樋口先生は、認知症があっても大丈夫というメッセージを投げかけてくれました。「私は壊れていくのかな?」と利用者さんから聞かれて困っているという卒業生の質問に対して、「『壊れませんよ。安心してください』と言ってあげてください」と断言された樋口先生は、言葉が適切かどうか分かりませんが、とても格好良かったです。当事者が人の前に立って大丈夫だというメッセージを送り続けることで、たくさんの人たちが救われて、これからも救われていくのだと思います。そんなひとつの機会をつくれたことを誇りに思います。

2019年

3月

09日

やりたいと思えることをやる

私の誕生日にふと読みたくなって、「チーズはどこに消えた?」という本を読みました。このままで良いのだろうかと何となく考えていたところに、この本の中にヒントがある気がして、書店で手に取ったのです。2000年に発行されてからずっと売れ続けている本ですが、今まで読んだことがありませんでした。一読してみて、なるほど、私だけではなく、人々の不安はここにあるのだなと思いました。つまり、今の生活や人生には満足しているけれど、自分だけ変化の波に取り残されてしまうのではないだろうかという根源的な不安です。

 

主人公はネズミのスニッフとスカリーの2匹と小人のヘムとホーの2人。幸せのチーズを誰もが手に入れるところから物語はスタートします。チーズを追い求めてようやく手に入れる成功物語ではなく、幸せのチーズはすぐに見つかります。しかし、ある日、突然チーズは目の前から姿を消してしまうのです!

 

その出来事を受けて、ネズミのスニッフとスカリーはすぐに新しいチーズを探しに飛び出しますが、小人のヘムとホーはなぜチーズが消えてしまったのかと悩んだり、チーズは消えておらずどこかにあるのではないかと現状を否定してみたりします。そのうちホーは現実を受け入れ始め、自分たちも新しいチーズを探しに行かなければならないことを悟ります。それでもヘムは拒み続け、ホーはひとりで旅に出ることになります。

 

 

新しいチーズを探す旅の中で、ホーが学んだことは、

この物語をどう解釈するかはそれぞれですが、大事なことは、変化は必ず起きるものであり、それを楽しもうということです。今のものや古いものを捨てて、常に新しいものを探さなければいけないという強迫観念ではなく、変化を受け入れつつ、古い考え方や常識にとらわれずに、新しい関係性や見かたに自ら進んで素早く対応しようということですね。つまり、外に出て行って全く違うことを探すことも必要かもしれませんし、今あるものをもう一度見つめなおし、新たにつくりかえていくことも大切なのだと思います。

 

 

それでは、新しいチーズをどのようにして探すのかというと、やりたいと思えることをやるということなのだと思います。やるべきことを探すことでも、やりたいことを見つけることでもなく、やりたいと心から思えることがあるのなら、それを素早くやり始めることなのではないでしょうか。無理に新しいことを始める必要もなければ、新しい関係や考え方などをつくることもありません。しかし、変化は必ず訪れるものだから、常に今あるものを観察していつつ、前に進む意欲を忘れないということです。そう考えると、44歳になった今年はどんな変化を起こせるのか楽しみになりました。

 

先生方から誕生日プレゼントをいただきました!いつも素晴らしい授業をして、素敵な学校を一緒につくってくださって、ありがとうございます。

2019年

3月

06日

ラの音を奏でる【友愛荘】

「私は信州の生まれだから」

「さすが田多井さん。お肌の艶がいいですね」

「またそんなこと言って。お兄ちゃんはかっこいいね」

「園長さんもほら、こっちへどうぞ」

田多井さんがそっと腰を右にずらし、施設長の藤田さんを丁寧に手招きします。

廊下のソファーは介護職員の瀬尾さん、田多井さん、そして施設長の藤田さんも加わりにぎわいを増しました。少し離れてカメラを構えると、それぞれの声が奏でるドレミファソラシドの「ラ」の音階の音が重なり、明るいハーモニーに聞こえてきます。

 

故日野原重明先生の言葉を記したかるたに、こんな1節があります。

ラ音は心地よし、ラ音で伝わる、幸せの心その解説は、こう続きます。

 

楽しい時に出るハミングは、決まって「ラ」で始まります。挨拶や会話も、努めて「ラ」音で行えば、幸せの心が伝わります

 

続きは→【介護仕事百景】のホームページにて

2019年

3月

03日

大満足度100%!

ボディメカニクス講座がスタートしました。湘南ケアカレッジが6年前に開校して以来、ボディメカニクスをもっと学びたいという声は多くあり、誰もが満足して、介護の現場にも活かしてもらえるように、しっかりと学べる研修をつくりたいとずっと考えていました。遅ればせながらも、ボディメカニクス講座としてようやく開催することができ、まさに念願がひとつ叶った気持ちで一杯です。小野寺先生が介護職員初任者研修の中で培ってきた、ボディメカニクスの授業のノウハウや情熱が全て込められた、素晴らしい講座になったと思います。3級が終わり、アンケートを取らせてもらったところ、ななんと、初めての研修だったにもかかわらず、大満足度が100%(全員がとても良かった)という最高の結果でした!

 

ボディメカニクス講座は3級、2級、1級と分かれていて、段階的に学んでいただく仕組みになっています。分かりやすく言うと、3級は基礎・基本であり、2級は応用・実践です。湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修を受けた卒業生であっても、もう一度、ボディメカニクスの基本のキから教えさせていただき、思い出してもらいます。介護職員初任者研修では1時間半ぐらいでザッと終わりになるボディメカニクスの基本を、6時間かけてみっちりと教えさせてもらいます。何度も練習できますし、ひとつ一つの原則をしっかりと説明し理解してもらいますので、満足度も高まるのではないでしょうか。

 

授業のほとんどは身体を動かして学ぶ実技演習になります。3階の事務所にも歓声が聞こえてくる盛り上がりで、教室に見学に行ってみると、皆さん楽しそうにボディメカニクスを使って練習していました。「あっという間に終わってしまった」という声が多く、本当に6時間があっという間に感じられるぐらい、小野寺劇場を楽しんでもらえたのだと思います。最後は2級の予告編というべきところまで少し踏み込んでいて、次回へと楽しみをつなげるのも小野寺先生さすがですね。3級だけを申し込んだ生徒さんも、2級を受けてみたいとアンケートに書いてくれていました。

 

3級、2級ときて、1級はいつどのような内容をするのかと疑問を持つ方もいると思いますので、現時点で分かっていることを簡単に説明しておくと、1級はボディメカニクスを指導、伝道してもらえるようになるための講座です。来年ぐらいに、2日間ぐらいかけて、少数精鋭で行いたいと予定しています。私たちの力だけでは足りませんので、ボディメカニクスを広めてくださる方々を養成していきたいです。こちらもぜひ楽しみにしておいてください。

 

追伸

 

講座のレポートをしておきながら、実は6月までの講座が全て満席になってしまっています。8月開催のクラスであればまだ空きがありますので、気を長く待てる方は先に席を取っておいてください。どうぞよろしくお願いします。

2019年

2月

28日

「どもる体」

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」を書いた伊藤亜綾さんの近著「どもる体」の講演を聞きに、新宿のカルチャーセンターに行ってきました。前著と違い、「どもる体」はやや難解で、読み進めていくのを躊躇していたところだったので、著者に生の声で教えてもらえる機会はまさに渡りに船でした。吃音から身体の時間論までを論じるという難解なテーマであるにもかかわらず、一つひとつの分かりやすい事例や断片を積み重ねていくことで、少しずつ深く、かつ分かりやすく展開していく素晴らしい内容でした。ぜひいつか、ケアカレナイトにも来ていただきたいと願います。

 

実は私も以前から吃音(どもり)に興味を持っていました。かつて別の学校で働いていたとき、電話でどうしても言えないフレーズがありました。「お電話ありがとうございます。○○○の村山です」という、一見なんてことのない二文が、ある日、私の口から上手く出て来なくなったのです。最初は言葉に詰まる程度でしたが、何度かそのような場面が続くと、電話を取る度にまた詰まるのではないかと不安になります。

 

電話が鳴ると、頭の中でフレーズを練習してから出るようにしてみても、それでも詰まってしまいます。そのようなことを繰り返しているうちに、ますます言葉が出にくくなり、次第に詰まるというよりは最初の言葉が出てこない、つまり電話に出ても、ひと言も話せなくなってしまうようになりました。

 

このときの自分の感覚を描写するとすれば、頭と身体が一致しないという表現が適切でしょうか。頭ではグルグルと言葉が回っているにもかかわらず、それが言葉となって出てこない。身体が反応しないので、言葉がどこかでせき止められたかのようになってしまう。死ぬほど苦しいほどではありませんが、もどかしいというべきか、とても情けない気持ちになります。

 

なぜこのようなことが起こるのか、その当時は分かりませんでしたが、あとから振り返って分析してみると、3つの要因が思い浮かびました。ひとつはリズムと構音上の問題です。他の言葉は普通に口から出てくるのに、「お電話ありがとうございます。○○○の村山です」というフレーズに詰まってしまうのは、ただ単純に私にとって言いにくいのです。最初の“お”から始まって、“ありがとう”のあたりが特に口が回らないのです。

 

2つ目は、心理的なプレッシャーです。言いにくいとはいえ、普通の状況では言える以上、リズムや構音上の問題だけではありません。電話がかかってきて、そのとき対峙する他者に向けて初めて発する言葉がスムーズに出るかどうかという不安があると、余計に口が回らなくなるのです。脳の半分ぐらいの機能が、上手く言わなければならないことに稼働されてしまい、メモリが少なくなっている状態で電話に出るので余計にフリーズしてしまう。三島由紀夫の「金閣寺」的に言うと、鍵が開かないという感覚です。

 

3つ目は、深層心理における抵抗です。どこの企業にも電話応対マニュアルがあると思いますが、私はそのような決められたものを反復することが好きではないようです。そして、働いているその学校や仕事に対しての心理的な抵抗もあったのかもしれません。本当はこんなことしたくないのに、こんなやり方は嫌いなのになど、無意識であっても、社会がこうあるべきという姿に引っ張られていることに対する抵抗です。2つ目と3つ目の要因については、吃音が社会的な障害だと言われる理由が良く分かりますね。

 

伊藤亜綾さんの講演は、ここから先、身体の時間論へとジャンプします。私たちの身体の中には、「リスク管理できる体」と「予測できない自然としての体」が共存しています。「リスク管理できる体」は、たとえば出勤時間や締め切りなどの決められた時間から逆算して今を生きるための体です。制度や予測、連続というものに縛られている、逆算の時間です。対して、「予測できない自然としての体」とは、ベクトルが常に今から未来へと向かっていて、自由であり触発であり、不連続であり、体の生理に合わせた、足し算の時間です。現代の人たちはほとんどを逆算の時間の中で生きていて、伊藤亜綾さんはその逆算の時間の中に足し算の時間があることについて研究を進めたいと語ります。認知症の方の「話が飛ぶ」という具体例を挙げての解説は秀逸でした。

 

 

その話を聞いたときに思い出したのは、星野道夫さんの「もうひとつの時間」であり、○○○さんの「○○○の時間」でした。星野道夫さんは、私たちが慌ただしく日常を過ごしている今、同じ時間に、アラスカの海ではクジラがジャンプしていることを知っていることが大切だと語り、○○さんは物事について深く考えるためには切れ間のない時間が私たちに必要だと説きました。私も両者の考え方には深く共感します。そのような足し算の時間は、私たちの人生を彩る上で大切な時間であるにもかかわらず、現代ではますます贅沢な時間になってきているのです。それでも私たちは、自分たちの意志を持って、逆算の時間だけを生きない、逆算の時間の中に足し算の時間を入れ込んでいくことができるはずです。

2019年

2月

25日

アンガーマネジメント講座が終わりました

ケアカレナイトの第1回は、藤田先生によるアンガーマネジメント講座でした。ケアカレナイトの記念すべき最初の講座を決めるにあたって、藤田先生にお願いすることに迷いはありませんでしたが、その内容にはありました。こういうこともああゆうことも教えたいと藤田先生から提案されている中から、どの内容が初回に相応しいのか、迷いに迷ったのです。その結果、藤田先生がかねてより熱望していたアンガーマネジメント講座に決めたのですが、正直に言って、介護の世界においてアンガーマネジメントはまだ知られていないのではと考えていたのです。ところが、いざ募集を開始してみると、「アンガーマネジメントを学びたかった」という声が殺到しました。藤田先生の人気もあったと思いますが、アンガーマネジメントにも大きな需要があり、すぐに追加講座を開くことができました。

 

参加しそびれてしまった方のために、講座の内容をコンパクトにお伝えすると、まずアンガーマネジメントとは、「怒る必要のあることには上手に怒り、怒る必要のないことは怒らないようになる」ことです。そうすることで、怒ったあとで自分が後悔することがなくなり、また他人を傷つけたり、物を壊したりすることなく怒りを表現できるようになります。怒りとは、誰にでも備わっている感情であり、身を守るための生存本能です。そして、アンガーマネジメントのポイントとなるのは、怒りは第2次感情であることを知っておくことです。

 

第2次感情とは、第1次感情があってその次に湧きあがってくる感情と考えてもらうと分かりやすいかもしれません。いきなり最初に怒りという感情が芽生えるのではなく、その前に悔しいとか悲しい、つらい、苦しい、せつないという第1次感情があるのです。怒りという第2次感情ばかりに注目してしまうと、なぜ怒っている人は怒っているのかを見落としてしまうことになります。怒っているから怒っているのではなく、その内側には別の感情があるからこそ怒っているのです。その第1次感情を想像してみることが、アンガーマネジメントの第1歩になります。

 

たとえば、自分が怒りの感情を覚えたとき、怒りという表面的な感情ではなく、自らの1次感情を探ってみることです。なぜ私は怒っているのか、その原因となっている感情は何か?それができるようになると、怒っている他人の第1次感情にも目を向けられるようになります。そうすることで怒っている他者への理解は深まり、共感しやすくなるはずです。「なんで怒っているのですか?」ではなく、「つらいですよね」という声掛けに変わるかもしれません。

 

自分の思考のコントロールをすることも大切です。それぞれの人には、自分なりの「べき」があり、それが狭すぎると、自分の「べき」の中に当てはまらない全ての人やことに怒りの感情を抱いてしまいます。怒る必要のないことを怒らないようにするためには、自分の「べき」の範囲を広げていくべきです。それは他者理解にもつながりますし、自分の「べき」と相手の「べき」は異なることを学ぶことになるのです。

 

 

個人的に今回新しく勉強になったなと思うのは、アンガーマネジメントにおける自分や他者の第一感情を探る(想像する)ことは、私たちが良く言われる「共感的理解」ということにかなり近いということです。相手に共感して理解すると言葉で言うのは簡単ですが、実際にどうすれば共感的理解なのかと疑問に思う方も多いはずです。そのひとつの答えや手法が、相手の第一感情を探る(想像する)ということなのではないでしょうか。なぜあのような言動を取ってしまうのか、その本質を理解するためには、他者がどのような事実の元にどのような一次感情を抱いたのかを考えるべきなのです。そのためには、まず自分の一次感情を見つめなおし、知っておくべきなのだと思います。藤田先生、参加者それぞれが自分と向き合って、内省するような授業をしてくださって、ありがとうございます!

2019年

2月

21日

助けられ合い音楽祭

れる、られる。学生時代に文法の授業で勉強したことを覚えている方も多いのではないでしょうか。そう、受け身の意味をつくる助動詞です。助けるという言葉の後につけると、助けられる、つまり助けてもらうという受け身の意味になります。最近は、助け合いとか支え合いという言葉をよく聞きますが、助けられ合いというキーワードで活動している「られPJ(プロジェクト)」という活動があります。助け合う社会ではなく、助けられ合う社会です。よく考えてみると、助け合うことも簡単ではありませんが、それ以上に、助けられ合うことは難しいのかもしれませんね。

 

助け合うためには、自らが主体となって助けなければなりません。助けを求めている(ように思える)人を見つけて、助けなければ始まりません。それでも、助けるべき相手さえいれば、助けることでひとまずは成立しますので、スタートしやすい反面、助けなければならないと肩に力が入ってしまいがちです。

 

それに対して、助けられ合うためには、まずは自分が助けられる存在であることを知らなければいけません。自分の弱みを見つめるということでもあり、実は自分はいつも誰かに助けてもらって生かしてもらえていると認識することから始めなければならないのです。これは簡単なようで簡単ではありません。相手のできないを発見することはできても、自分のできないを知ることは案外難しいのです。

 

しかし、いったん自分の弱みやできないことを知ることさえできれば、あとは助けてもらうだけです。さあ助けてくださいと依頼し、肩の力を抜いて、相手に身をゆだねるだけです。上手く助けられようなんていう想いは全く必要なく、感謝の気持ちを忘れずに、助けられるだけで良いのです。どうでしょう、助けられ合い、できそうですか?

 

 

助けられ合いプロジェクトの一環として、4月1日(月)に八王子のオリンパスホールにて音楽祭が開催されます。様々なバックグラウンドやジャンル、スタイルを持つ音楽家が集まって、観客と共に楽しみながら演奏する音楽祭です。実は、私の知り合いの田中直樹さんも楽曲を提供し、出演もされるみたいで楽しみです。音楽が好きでご都合の合う方は、ぜひ参加してみてください!

 

☆助けられあい音楽祭の公式HPはこちら

☆注目記事「られあう時代へ。豊かでピースフルなアクションが始まる」はこちら

2019年

2月

17日

許し合う社会を

ピアスなどの服装や校則違反をした生徒を注意したところ、生徒から暴言を吐かれ、カッとなった先生が生徒を殴ったという、町田総合高校のニュースが世間をにぎわせました。長い間、教育業界で育ててもらった私にとっては、どちらか一方を断罪するのではなく、なぜあのような事件が起こったのか、そこまでの経緯が知りたいと思ってしまいます。ピアスのようなどうでも良いことのために、先生や生徒たちの未来が閉ざされてしまったことの背景には、お互いのことを認め合えず、許し合えない学校や社会の空気があったのではないかと想像するのです。

 

私が大手の介護スクールにいた30歳ぐらいまでの頃は、他人に対しても厳しい人間だったと思います。ここで言う厳しいとは、伝えるべきことを伝えるという意味ではなく、相手の事情を考慮することなく、自分の基準を押し付けるということです。上司や部下や受講生(大手の介護スクールではそう呼びます)に対しても厳しい見方をしていました。今思い返すと、顔から火が出るぐらい恥ずかしく、それは昭和という時代の中で学校教育や部活動、受験勉強などによって培われた思想でした。厳しさを求められた周りの人たちは、さぞかし息苦しかったことでしょう。

 

ひとつの考え方の転機となったのは、大手の介護スクールから転職した塾で一人ひとりの生徒さんたちと正面から向き合った5年間でした。私が担当していた個別指導塾は、どちらかというと勉強が嫌いな、やんちゃな生徒が多い塾でした。現場は行儀や素行の悪さが満載で、日々、どこまで厳しく叱るべきかどこまで許すべきかの判断の連続でした。

 

そのような一つひとつの経験や判断を通し、厳しくするよりも、厳しくしなかったケースの方が、結果的に上手く行くことが多いということを生徒さんたちから教えてもらいました。別の言い方をすると、許さなかったときよりも許した方が成果は出やすい、見逃さなかったよりも見逃してあげた方が長い目で見るとプラスに働きやすいということです。

 

たとえば、子どもが遅刻をしたり、宿題を忘れたとき、問い詰めたり、取りに帰らせたり、叱ったりすることにほとんど効果はありませんでした。その場では先生の体面も保たれますし、子どもたちも表面上は従うのですが、子どもたちの心に禍根を残してしまいます。その禍根を取り除くのは容易ではなく、閉ざされてしまった心の扉を開けることはなかなか難しかったりします。私は厳しくしてしまったことで、何度も失敗をしました。失敗した子どもたちのことは今でも覚えています。

 

その逆に、許して良かった、見逃しておいて正解だったと思うことは多々ありました。甘やかしてしまったかなとその場では反省したこともありますが、長い時間を経てみると、あのとき許しておいて良かったと胸をなで下ろすことがほとんどでした。

 

なぜかというと、 私たちが(相手のためにも)厳しくしようと感じたとき、ほとんどの場合においては、自分のこうあるべきという枠の中で考えているからです。良かれと思っていても、あとから振り返ってみると、自分のべきの範囲が小さかったことに気づくのです(このべきの範囲についてはケアカレナイトのアンガーマネジメント講座にて藤田先生がお話ししてくれます)。厳しく叱るのは、誰かを傷つけてしまうことや命や身体に危険が及ぶときだけで良いのです。

 

マイナス視点で見られたことで、生徒さんも先生をマイナスの目で見るようになります。許してもらえなかったことで、自分も相手を許せなくなるのが人間です。これは子どもたちだけではなく、他人と接するときにも当てはまるのではと思いました。人間はミスをしますし、忘れるし、遅れるし、間違うこともある。ひとつの現象や状況だけで、相手の非を責めるのは恐ろしいことです。許さない社会は許されない社会と同じですね。

 

 

先生という職業をしていると、どうしてもその場で厳しくしなくては(その方が相手のためになるなど)と勘違いしてしまうのですが、そうすることで結局のところ上手く行かなくなってしまうことの方が多かったのです。それならば、生徒さんを褒めたり、認めたりした方が、長い目で見ると効果的なのです。生徒さんに何かを教える立場にある私たちは率先して、自分のべきを拡げ、微力ながらも湘南ケアカレッジを通して、認め合える、許し合える社会をつくっていかなければならないのだと思います。

2019年

2月

13日

多様性とは?

年明けからスタートした1月短期クラスが、あっという間に終わってしまいました。もうこのクラスで97期生になりますので、私も含めて先生方も一歩ずつ積み上げて、高い山に登って来たなという実感があります。100期生までのカウントダウンも始まりましたね。今回のクラスは、最初のオリエンテーションでの挨拶から、ポジティヴな反応が返ってくる、元気で前向きな生徒さんたちでした。そして、一人ひとりのクラスメイトがそれぞれ個性的で実に多様性のあるクラスだったと思います。どのクラスでも皆さん個性的で、多様性があると思うのですが、今回は特にその気持ちを強く抱きました(笑)。

 

最近言われる「多様性」とは、一体何であり、どのように定義し、解釈していけばよいのでしょうか。企業における多様性というと、女性や障害のある人などが挙がり、社会における多様性というと、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル、トランスジェンダー)や人種などが挙がりますが、そのような目に見えやすい違いだけが多様性ではないと思うのです。むしろ目に見えない多様性にこそ、私たちは目を向けていかなければならないですし、それこそが本当の多様性を大切にする姿勢のはずです。

 

大前提としては、多様性が生きるためには、そこに集まっている人たちが同じ方向を向いている必要があります。それぞれがバラバラの目的を持っていると、お互いの違いはマイナスにしかならず、話し合いにもなりません。たとえば、湘南ケアカレッジの先生方は、それぞれが凸凹の個性を持っていますが、生徒さんたちに最高の福祉教育を提供したいという想いを共有しているからこそ、その凸凹が見事にかみ合って、良き多様性を生みだします。また今回のクラスメイトさんたちも、介護・福祉について積極的に学びたいという気持ちがあるからこそ、それぞれの違いが全体としては明るい方向に向かうのでしょう。

 

それでは、目に見えない多様性とは何かというと、それぞれの考え方や強みの違いのことです。肌の色が違ったり、性別や年齢が異なることも多様性のひとつではありますが、それ以上に大切なのは、お互いの考え方や強みの違いを認めて、受け入れて、生かしていくことを考えると、本物の多様性が生まれてくるのではないでしょうか。それは社会でも企業でも必要なことですが、特に介護・福祉の現場では重要な視点となります。相手と自分は違う考え方や文化を持っていることを前提として接し、さらにそこから相手の強みを見出し、引き出して支援することが多様性を生み出す鍵となるのです。違いを面白がることでもあり、本当の多様性の中においてこそ、相手だけではなく自分も生きるのだと思います。

 

 

研修の最後に、皆さんからメッセージボードをいただきました。ケアカレカラーのオレンジ色の枠で、とても可愛いですね。この作品ひとつをとってみても、一人ひとりの個性が生き、研修全体が楽しかったと誰もが感じてくれたことが伝わってきます。ありがとうございました。またいつでも遊びに来てください!

2019年

2月

06日

良きリーダーシップは良きフォロワーシップから

ケアカレナイトが始まりました。ケアカレナイトは、卒業生さんから言われた、あるひと言がきっかけとなっています。その方はケアカレで行っている全ての研修に参加して学び、晴れて介護福祉士に合格しましたが、合格祝賀会で「これで終わりになってしまうのは寂しい。この先もケアカレに来て学べる機会があると嬉しいです」とおっしゃってくれました。その言葉を聞いて、全ての研修を受け終えた後も、介護福祉士に合格した後でも、卒業生さんたちがケアカレに戻って来て、学ぶ機会を作りたいと思いました。教室の空いている夜の時間帯に開催し、介護・福祉について学ぶだけではなく、集まってくれた人々がつながっていく場所になれば嬉しいなと、実はもうかれこれ2年ほど前から考えていたのです。

 

せっかく来ていただくからには、素晴らしい集まりにしたいですし、1回きりで終わってしまうのではなく続けていかなければいけません。いろいろな面を考慮すると実現は難しいなと思っていたところ、ケアカレにゆかりのある施設・事業所様がスポンサーとしてサポートしてくださることでようやく実現する運びとなりました。今回の講座がこれだけの受講料で受けられるのも、懇親会で美味しい軽食が食べられるのも、協賛施設・事業所が支えてくれるおかげです。この場を