2017年

12月

15日

クリスマスカード

卒業生さんからクリスマスカードが届きました(Nさん、ありがとうございます!)。介護職員初任者研修の授業がとても楽しかったこと。学生時代にこれだけ熱心に学んでいたら、もっと違う人生になっていたかもしれないこと。その分、これから頑張ろうと思っていること。修了証明書をドヤ顔で現場の責任者に見せたら、「契約内容を変えて、利用者さんと触れ合ってゆく仕事にしましょう」と認められたことなど。新しい一歩を踏み出していることが伝わってきました。こうした思いもかけないプレゼントをいただくと、何とも救われた気持ちになります。そのままでいい、と背中をそっと押されたような気がして、少し安心するのです。

湘南ケアカレッジは良い学校だと思います(自分で言うのもなんですが)。先生方と一緒に、私たちにしかできない学校をつくってきたつもりです。実際に、日本中を探しても、ここまでの熱量で生徒さんたちに向き合う学校は少ないはず。生徒さんひとり一人に真剣に向き合うほど、生徒さんたちから返ってくるものも大きいことも学びました。「世界観が変わる福祉教育を」という理念のもと、私たちが提供してきた介護・福祉教育を通して、目に見えない縁やこころの輪が地域に広がってきているのを感じます。

 

それでも、自分たちの行っていることが正しいのか分からなくなることがあります。ただの自己満足で終っているのではないか、私たちの伝えたいことは生徒さんに本当に伝わっているのか、その決断や判断は本当に正しいのか、私たちは本当の意味で生徒さんたちひとり一人に向き合っているのか。ふとしたことがきっかけとなり、分からなくなり、不安に思い、悩み、自信がなくなります。それまでは輝いて見えた未来の雲行きがあやしく見えてきます。そのような心の状況を救ってくれるのは、やはり先生方や生徒さんたちなのです。

 

先日行われた実務者研修にて、課題を忘れてきた生徒さんと時間に間に合わなかった生徒さんがいました。すったもんだした挙句、小野寺先生の判断と行動は素晴らしいのひと言でした。彼らに対して、課題を忘れたことや時間に間に合わなかったことがどれだけ良くないことかを真剣に伝え、その上で今まで以上に頑張って取り組むことで失敗を取り戻してもらいたいと、期待を込めて話してくれました。彼らはこれまで以上に真剣に授業に参加してくれて、何とか合格してくれたのです。「彼らはこれまでの人生で真剣に言ってもらえたことがなかったのかもしれない。素晴らしい力を持っているのだから、周りの人たちが引き出してあげないともったいない」という小野寺先生の言葉は胸に響きました。

 

 

私も関わる人たちに真剣に向き合っていきたいと思いました。もちろん自分自身にも。「いいやいいや」、「まあまあ」と適当に流してしまうのは楽ですし、杓子定規にダメ出しをしてあきらめるのは簡単です。周りを見ると、人の悪口を言って、環境のせいにして言い訳ばかり、自分にも他人にも甘い大人の何と多いことか。私はそういう大人にはなりたくありません。何かを大きく変えるのではなく、これまでと同じように、そしてもっと真剣に人と向き合うべき。生徒さんと先生方にそう教えてもらったのです。

2017年

12月

10日

誕生日プレゼント

今年度の全身性障害者ガイドヘルパー養成研修が終了しました。桜が咲き誇る春から始まり、紅葉が美しい秋冬で終ることができるのは、外に出て行って楽しむガイドヘルプの研修ならではの季節感ですね。全5回行われた今年も、生徒さんたちは真剣に研修に取り組んでいただき、安全に戻ってきてくださって、ありがたく思っています。また、それを見守って、サポートしてくださった先生方にも感謝します。来年もまた、介護職員初任者研修のステップアップのひとつとして、たくさんの方々に受けてもらえる研修にしていきたいです。

そういえば、今年最後の全身性障害者ガイドヘルパー養成研修に相応しく、そしてケアカレらしく、授業の最後には誕生日祝いを全員でさせていただきました!今回誕生日祝いをしたのは、何と小学校6年生の男の子でした。男の子なんて書くと失礼かもしれませんが、小学校6年生の男性というのも変な気がするのでご容赦ください。彼は今年、湘南ケアカレッジで介護職員初任者研修を修了し、その勢いで全身性障害者ガイドヘルパー養成研修も申し込んでくれたのだと思っていました。

 

ところが、そうではなかったのです。お申し込みのお電話をお母さまからいただいた際、12月のクラスがちょうど満席になってしまっていました。「来年度も4月から開催する予定なので、それまで待ってもらってはいかがでしょうか?」と提案したところ、お母さまは「うーん困った。実は…、この研修を受けることは彼の誕生日プレゼントなんですよね」と打ち明けてくれました。彼の誕生日を確認してみると、たしかに全身性障害者ガイドヘルパー養成研修の3日後でした。

 

小学校6年生の男の子にとっての誕生日プレゼントとして、ニンテンドーSWICHでもなくゼルダの伝説でもなく、全身性障害者ガイドヘルパー養成研修を贈るなんて話は聞いたことがありませんので、私はぶったまげました。そこまで言われてしまったら、後には引くことができませんよね。何とか彼に全身性障害者ガイドヘルパー養成研修を受けてもらおうと、私は頭を振り絞りました。キャンセル者は出そうにもありませんので、ひとつできることとすれば、クラスの定員枠を広げることでした。東京都に変更の申請を提出し、何とかあと2名の枠を広げることができたのです!

 

 

当日、彼は早起きして研修に参加してくれ、他の生徒さんたちとペアになって練習し、町田や相模大野の街に車いすで繰り出し、何かを感じて、学んでくれたはずです。自分の親よりも年齢の離れた、初対面の他の生徒さんたちと外出し、どのような話をしたのでしょうか。彼の目には何が映ったのでしょうか。全身性障害者ガイドヘルパー養成研修における経験は、ご両親からだけではなく、湘南ケアカレッジからの誕生日プレゼントになったはずです。

 

卒業生さんからお勧めされたハイスタの曲「GIFT」です。そういえば、看護師の藤田先生もハイスタ好きでしたね。

2017年

12月

05日

学ぶことで生まれ変わった

卒業生さんが教室に顔を出してくださいました。彼が遊びに来てくださるのは久しぶりで、ガイドヘルパーの仕事が町田で終ったあとに寄ってくれました。最近はほとんど休みなく、仕事を頑張っているとのこと。およそ3年前に彼が介護職員初任者研修を受けてくれたときのことを知っているだけに、「今こうして介護の仕事をできているのは、ケアカレの先生方のおかげです」と言ってくれる彼の生まれ変わった姿を見て、素直に嬉しく思いました。学ぶことや知ることで、人は変わることができるのだと実感します。

彼は介護職員初任者研修を受けることないままデイサービスで働き始め、認知症の利用者さんに苦しめられたそうです。今はなぜ認知症の利用者さんがそのような言動をするのか理解できるようになったのですが、当時は認知症の利用者さんのことが全く分からず、気が狂いそうになって、怒鳴り合いの大げんかをしたこともあったそうです。今となっては笑い話ですが、当時は利用者さんに手を出してしまう、虐待の一歩手前の状態だったと言います。このままだと自分がおかしくなってしまう、利用者さんを傷つけてしまうと思い、もう介護の仕事は辞めようと思っていたところ、会社のすすめで湘南ケアカレッジに来ることになりました。

 

マイナスのモチベーションの中、介護職員初任者研修がスタートしました。そんな彼に転機が訪れたのは4日目の授業の中で、小野寺先生が認知症の利用者さんがクレヨンを食べる話をしてくれたときのことでした。その話を聞いたとき、彼の中で「そうだったのか!」と認知症の方のことがはっきりと分かり、これまでとは認知症の方が全く違って見えてくるようになったのです。そこから先の彼は、まるで人が変わったかのように積極的に学び、クラスメイトたちと一緒に楽しく修了することができました。今となっては、認知症の利用者さんが大好きで、一緒にいると楽しいと彼は言い切ります。

 

 

「認知症についての知識がない人が、認知症の利用者さんと向き合う中で精神的に病んでしまい、つい感情的になって手を出したり、(あの事件のように)虐待を行ってしまう気持ちが分かるような気がします。知らないって怖いことです」とかつての自分を振り返りながらも彼は、「ケアカレの先生方はすごいです。介護の仕事は楽しいということをずっと伝え続けているのだから。現場を知っていると、それってなかなか難しいことだと分かります」とも付け加えてくれました。彼が右往左往しながらも頑張って介護の仕事をやり続けてくれているからこそ、私たちはこれからも介護の仕事の素晴らしさを伝え続けていけるのですし、彼が生まれ変って楽しく生きてくれていることを何よりも嬉しく思います。

2017年

12月

01日

良きリーダー、良きフォロワー

暑い夏に始まった介護職員初任者研修の日曜日クラスが、めっきり寒くなってから無事に修了しました。日曜日クラスは週1日だけのスクーリングで、ゆっくりと時間をかけて学んでいただくことになります。その分、短期集中クラスと比べると、クラスメイトさんたちの仲も少しずつ深まってゆくようで、今回のクラスもまさにそのように仲良くなっていった印象を受けました。最終日には、打ち上げが開催され、私も顔を出してきました。私たちにとって、卒業生さんたちが研修後もつながっていてくれる以上の喜びはありません。細くてもいいので、ぜひ長くつながって行ってもらいたいと願います。

実技テストが終わった日、「お花見をしようと思っているのですが、先生方はいかがですか?」とお誘いいただきました。学校としての事情があり、先生方は飲み会等には参加できないのですが、まずは誘っていただいたこと、さらにそのような会を企画してくださっていることをありがたく思いました。「最終日に打ち上げをしたらどうですか?」と話すと、さっそく他の男性のリーダーに声を掛けてくださり、実現する運びとなりました。

 

また、研修の最後にいただいたメッセージボードも、ボードやカードの準備から飾りつけまで、たくさんのクラスメイトさんたちが協力してつくってくださったそうです。誰かが勇気を持って声を上げるだけではなく、それに共感して支えるフォロワーが出てこなければ実現しません。打ち上げの最後に、ひとり一人のお名前を挙げて、感謝の言葉を述べられていたことが印象的でした。

 

介護の学校を運営するという仕事をさせていただき、また介護の施設や事業所について見たり、聞いたりするにつけ、誰かが勇気を持って立ち上がり、どのようなビジョンや理念を持って実行するかは非常に重要だという思いを強めるようになりました。たとえば、同じ特別養護老人ホームであっても、(大げさではなく)ひとつとして同じ施設はなく、良い意味においても悪い意味においても、内容は全く異なるのです。器が同じであるのに、なぜこんなにも中身が違ってくるのか不思議に思うほど。最初に決めた方向性や日々の仕事の角度がほんのわずかでも違うだけで、長い目で見れば、それは大きな差として未来を形づくってしまうものです。

 

 

さらに言うと、正しいビジョンや理念を持って立ち上がることだけではなく、それに共感して仲間に加わってくれるサポーターの存在は非常に重要です。誰かひとりで何かが実現するわけではなく、実はサポーターがいるからこそ形になるのです。湘南ケアカレッジという学校は私が始めたかもしれませんが、これだけ素晴らしい形になったのは先生方がサポートしてくれたからです。また、ひとつの授業を取ってみても、メインの先生方が理想的な授業をするだけではなく、サポートの先生方がしっかりとフォローしてくれるからこそ素晴らしい授業になるのです。私たちはときにはリーダーとして、そしてときにはフォロワーとしての役割を全うすることで、より良い世界を実現できるのだと思います。ケアカレの卒業生さんたちは、介護の現場やその他の場所でも、良きリーダーであり、良きフォロワーでもあってもらいたいです。

2017年

11月

27日

ヴィラージュの一員として【ヴィラージュ虹ヶ丘】

新百合ヶ丘駅とあざみ野駅のどちらからもアクセスでき、様々な路線の乗り入れが多いエリア、川崎市麻生区。王禅寺という閑静な住宅街を抜け、大きなグラウンドの前にヴィラージュ虹ヶ丘はあります。1階の看護小規模多機能型居宅介護のフロアーでは、ご自宅での生活を中心に暮らしながら、ヴィラージュ虹ヶ丘ではショートステイと訪問介護・看護が利用できます。2階はご利用者さんの定員が29人という小規模かつ、川崎市在住の方に入居は限られた地域密着型の特別養護老人ホームとショートステイがあります。

 

続きは→介護仕事百景にて

2017年

11月

24日

それぞれの伝え方で

介護福祉士筆記試験対策講座がスタートしています。全5回のうち、先発の授業はいつもながらの安定の佐々木先生です。2番手は今回から藤田先生に担当してもらうことになりました。そして、ここから先もケアカレの個性的な先生方のラインナップが目白押し。介護福祉士筆記試験対策講座は合格してもらうことがゴールですが、その過程として、楽しんで受けてもらえるような授業を提供しつつ、しっかりと学んでもらえるように宿題等をサポートしていくことも重要です。先生方の授業に賭ける意気込みには凄いものがあり、それぞれが自分らしい方法で、生徒さんたちにメッセージを贈ろうとしているのが伝わってきます。

そのひとつとして、佐々木先生が生徒さんひとり一人のスコアカードに手書きのアドバイスを書いてくれましたので紹介させてください。今年は介護福祉士筆記試験対策講座を受講する生徒さんが多く、授業の中だけではひとり一人を見られないからこその工夫なのかもしれません。「介護の基本」、「コミュニケーション技術」、「人間関係とコミュニケーション」という科目ごとに点数を見て、良くできているところ、あと一歩なところ、もう1度おさらいが必要なところについてコメントしてくれています。全体的には、合格祝賀会で会いましょう!というポジティブな内容になっており、受け取った生徒さんたちからも、「あまり良く出来ていなかったのに、優しい言葉をいただきました」という声が上っていました。

 

スコアカードを記入してもらう目的は、私たちが生徒さんたちの学習状況を把握するためです。最初のミニテスト(確認テスト)の点数は、どれぐらい予習をしてきているか、最後の総合問題の点数は、その日の授業の理解度を示してくれます。初日から2日目、3日目と次第にやる気が出て、点数が上ってくる生徒さんもいますし、現状維持が続く生徒さんもいます。また、ミニテストは出来ていても、総合問題のような本番と同じ形式の問題になると途端に正解ができなくなる生徒さんもいます。個人的には、総合問題の点数が合否に直結すると考えていますので、その数字があまりにも上がってこない生徒さんには声掛けをしていきたいと思います。たまたま正解してしまう場合もありますが、基本的には点数は正直ですから、数字というのは学習状況の把握に最も適しているのです。

 

 

本来は上のような目的で準備したスコアカードを、生徒さんへのメッセージカードに変えてしまう佐々木先生の発想は素晴らしいですね。これが生徒さんたちひとり一人を見るという気持ちの表れであり、私たちはその視点を忘れてはならないのです。それは教育の原点であり、これを失ってしまえば教育は単なる知識の切り売り、下手をすると思想の押しつけやプロパガンダになってしまいます。手書きのメッセージを書くことが良いという意味ではなく、それぞれの先生方にやり方や伝え方はありますが、いつどのような状況でも、湘南ケアカレッジは生徒さんひとり一人のことを見て、考えて、行動していきたいと思います。

2017年

11月

20日

良いところ探し

人生は良いところ探しの旅です。なんて言うと、きれいごとだとか、そうは言ってもねえと遠い目で見られるかもしれませんが、結局のところ、自分が周りの環境をどう見るかで人生は決まるのだと思います。同じ物ごとを見ても、良いところが映る人もいれば、悪いところばかりが目に入る人もいます。何も見えないという人もいるかもしれません。そして、私たちは残念なことに、意識しなければ、物ごとの(特に他人の)悪い面ばかりに意識が向かってしまうものです(たぶん自分の身を守るためにそのように設計されているのでしょう)。悪いところは簡単に挙げ連ねることはできても、良いところを見つけるのは案外難しいもの。だからこそ、私たちは良いところを探すように心がけ、そのような仕組みや習慣をつくっていく必要があるのです。

 

なぜ周りの環境や人々の良いところを探すべきか?それは自分が幸せに生きるためです。これだけではあまりにも過程をすっ飛ばし過ぎていますので、もう少し詳しく説明すると、同じ物ごとを見て悪い点ばかりが多く目に入ってしまう人は、常に他者を心の中で責め、ときには相手に直接ネガティブな言動を取ることもあるはずです。私自身もそのような気持ちになることもありますので良く分かりますが、この見方が習慣になってしまうと心苦しいはずです。悪いところを探すことに時間を取られ、さらに心の中で悶々とし、相手を直接的に責めてしまった場合には反省をするという繰り返しです。

 

本人も苦しいのですが、周りの人たちも悪い点がクローズアップされますので居心地が悪くなります。さらに相手が自分の悪いところを探していると感じた人は、反射的に相手の悪いところを探そうとします。身近にいる人であればあるほど、その苦しさにお互いが耐えかねて、良い関係を長く続けることができなくなってしまいます。当然のことながらその逆も然りで、相手の良い点を探すことができれば、相手も自分の良い点を見てくれるようになるのです。世界の悪いところばかりが見えて、自分も悪くみられる人生よりも、世界の良いところが多く見えて、自分良く見てもれる人生の方が幸せですよね。

 

 

「心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる」という名言がありますが、大げさに言うと、自分の運命を決めるのは自分の周りの物ごと(特に他人)に対する見方なのです。世界や他者の良いところを探せば、必ずや自分も良い運命を変えることができるはずです。

2017年

11月

17日

夢のような暮らし【夢別邸すみれが丘】

有料老人ホーム「夢別邸すみれが丘」の施設名には、ふたつの由来があります。ひとつは、お客さまが本邸である自宅から移りすんでも良いと思えるくらい夢のような場所にしたい。もうひとつは、働く職員さんにとっても夢が持てる場所にしたい。

 

「職員一人ひとりが幸せで、やりがいと、夢を持てる施設を目指します」と、経営理念にもしっかりと職員さんの未来が描かれています。お客さまにも、職員さんにも、夢のある場所が夢別邸すみれが丘です。

 

「本音で話してもらうのが大事ですね」と施設長の根塚さんは語ります。エントランスでインタビューをさせていただいている間も、常にエレベーターを乗り降りする人を気にかけ、あれこれ質問する私にも、丁寧に答えて下さったことが印象的でした。

 

「お客さまの声を一番知っているのは職員さんです。だからうち(夢別邸すみれが丘)はトップダウンではなく、職員さんからの意見をより尊重できるボトムアップを選んでいます」

 

 

できる限り本音で話してもらえるように、つい声をかけたくなる親しみやすさが感じられます。職員さんの表情も見逃さず、自ら進んで声をかけてみるそうです。

 

続きは→「介護仕事百景」にて

2017年

11月

14日

学ぶことで好きになってゆく

81期生が無事に終了しました。今回のクラスは人数こそ少なかったものの、様々な年齢や性別の人たちが集まり、同じ目標を持って共に学んでくれました。特にこれから介護の仕事をする若い世代の生徒さんも目立ち、それぞれに高い志を持って受講してくれたおかげで、実技テストの得点も総じて高かったのが印象に残っています。私が彼ら彼女らの年齢だった頃のことを思い出してみると、実に幼く、自分のことしか考えていなかったことを恥ずかしく思います。彼ら彼女らが介護・福祉に興味を持ってくれていることが嬉しく、湘南ケアカレッジに来て学んでくれたことで、この世界を好きになってくれたら幸いです。研修の最後に、とても綺麗にデコレーションされたメッセージボードをいただきました!

 

今だから話せますが、私は自分の好きなこと(趣味)以外にはこれといってやりたいことのない、特に仕事に関しては全くと言ってよいほどモチベーションの低い若者でした。自分の好きなことでは稼ぐことができないと分かってから、いわゆる就職活動を始めたものの、履歴書に志望動機を書くことすら難しく、面接で思ってもいないやりたいことを話すのも苦痛に感じてしまうほどのダメ就活生でした。結局、まともな就職活動もせず、最後の最後に駆け込んだ教育産業(塾)で働くことになりました。とはいえ、仕事に対するモチベーションはなく、上司が常駐していないのをいいことに、本を読んでばかりの毎日を過ごしていました。

 

その仕事は1年で退職し、2年間の引きこもり生活を送りました。そろそろ働かざるを得なくなり、縁あって大手の介護スクールへ入社しました。そこは並みのブラック企業も黙るブラック企業でした(笑)。契約社員だった1年目はまだましでしたが、正社員になってからは1ヶ月に500時間も働きました。大げさに書いていると思わるかもしれませんが、本当です。誰もいないオフィスに朝8時に出社して、お昼休憩などもちろんなく(昼食は5分で済ませます)、24時20分の終電に飛び乗って帰るという日々。休みという休みはほとんどなく、極度のプレッシャーと睡眠不足にひたすら耐えた3年間でした。

 

 

不思議なことに、苦しくてたまらなかったはずのその仕事から、私は本質的な何かを学び、介護・福祉の世界を少しずつ好きになっていったのでした。私の大好きな写真家であり冒険家でもある星野道夫さんは、「どんどん好きになってゆくプロセスだと。それが、勉強をしていくことだと思う」と語りました。つまり、好き嫌いは最初からあるものではなく、学ぶことを通して好きになるのだと思います。好きなことを仕事にした方が良いとか、逆に好きなことは趣味にとどめておくべきとか、そういうことではなく、仕事における好きとは、勉強をして何かを学ぶことで、そうなってゆくものなのです。

卒業生のお母さまでもある卒業生さんから素敵な観葉植物をいただきました。教室の目立つところに大切に飾らせていただきますね。ありがとうございました。

2017年

11月

08日

先生方へのメッセージボード

先日、第9回目の講師会が行われました。年に2回の開催ですので、湘南ケアカレッジはもうすぐ6年目を迎えようとしているということですね。いつものとおり、今年の上半期の振り返りから、下半期や来年度への展望、そして教え方研修とボーナス支給式という流れでした。ほぼ全員の先生方が集まってくださるため、情報伝達という場に適していることは確かですが、それよりも先生方に感謝をできたり、労えたり、気持ちを新たにできたり、一堂に会して食事をしながら話をして互いに刺激を受け合えたりすることを願いながら、いつも講師会を行っています。今回の目玉は、先生方にもメッセージボードを贈ったことでした。

 

このメッセージボードは、今までに生徒さんたちに書いてもらった先生方への声の一部を抜粋して作らせてもらいました。4年半の間に、介護職員初任者研修は81クラス、実務者研修は21クラスを行ってきました。アンケートの中で、ひとり一人の生徒さんたちが、先生方ひとり一人に対して、授業を受けた感想や気持ちを書いてくださいました。毎回、研修が終わるたびに、先生方はその声を読ませていただき、一喜一憂します(笑)。さすがにずっと教室に置いておくわけにはいかず、事務所に保管をしてきたのですが、段ボールが山のように積み上がってしましました。そこで、これを再利用つくり直して先生方にプレゼントしようと思いついたのです。

 

これまで介護職員初任者研修や実務者研修の卒業生さんたちから、たくさんの色紙やメッセージボードをいただきました。教室や事務所に大切に飾らせてもらい、先生方もたまに見て楽しんだりしていますが、湘南ケアカレッジの所有のものであって、先生方個人のものはありませんでした。素晴らしい研修をつくってくださっているのは先生方なので、先生方ひとり一人にお渡ししたいと私は思っていました。坂本さんがこれまでの膨大なアンケートの中から先生方への熱いメッセージを厳選し、木の葉っぱのようにデザインし直して、ようやくひとつの作品になったのです。

 

 

先生方にとって、生徒さんたちからの声やメッセージは宝物です。それは授業への満足度の表れであり、人となりへの称賛でもあります(もちろん改善すべき点を教えてくれることもあります)。湘南ケアカレッジが開校してから、4年半にわたって、どの先生も全力で突っ走ってきてくださいましたが、それができたのも生徒さんたちからの暖かい声援があったおかげです。私たちは授業の中では生徒さんたちを支えているつもりですが、実は生徒さんたちに支えられてここまでやって来られたのです。2000名以上の生徒さんたちの熱い気持ちが凝縮されたこのメッセージボードを、先生方がご自宅のどこかに飾ってくださると嬉しいなと思います。

2017年

11月

02日

結果を決めて、努力で帳尻

実務者研修の火曜日クラスが、ハロウィンの日に修了しました。修了おめでとうという意味を込め、「ハッピーハロウィン!」と声を掛けながら、3名の先生方から教室の出口のところでお菓子をプレゼントさせていただきました。当日に仮装のコスチュームを決めるという突発的なイベントにもかかわらず、快く引き受けてくださった先生方と、ひとり一人の生徒さんのためにお菓子を詰めてくれた坂本さんに感謝します。ちょっとしたことでも、自分たちが楽しんでできるかどうかは大切ですね。その楽しさや前向きさは生徒さんたちにも伝わるはずです。修了の喜びと共に、生徒さんたちは皆笑顔で帰っていかれました。

 

医療的ケアの授業では、最後に先生方ひとり一人から、生徒さんたちにメッセージを伝えて締めくくります。今回は藤田先生が話してくれたことが最も印象に残りましたので、介護や福祉とはあまり関係ないかもしれませんが、共有させていただきます。

 

藤田先生が尊敬するひとりに、「COMINKOBE」という日本最大級の無料チャリティーミュージックフェスを開催している松原裕さんという方がいます。神戸大震災をきっかけとして、募金をしてもらって寄付をするためのチャリティーコンサートではなく、皆で集まって楽しむ場所やイベントをつくりたいということで、アーティストも無料で参加し、チケットも無料というフェスを毎年行ってきました。フェスの中で救命救急などのイベントも行われているそうです。

 

その松原さんの座右の銘である、「結果を決めて、努力で帳尻合わせ」を藤田先生は紹介してくれました。まずは自分がこうなりたいという結果を決めて、そのあとから行動したり学んだりと努力していくことで、理想と現実のギャップを埋めていくということです。同じような考え方として、「思考は現実化する」や「思うは招く」などを思い出しました。私も心からこの考え方に共感します。何よりも大切なことは、結果を決めることなのです。結果は私たちが思った(決めた)ようにしかなりませんし、私たちは自分が思った(決めた)ようにしか生きられない、もしくは思った(決めた)ように生きられるのです。

 

なぜ結果を決める(思う)ことが難しいのでしょうか。それは植松努さんが話しているように、「どうせ無理」と自分で思い込んでしまうからです。結果を決めてしまうと努力しなければならなくなるから、どうせ無理だと思い込みたいという心理もありますし、周りの人たちから「どうせ無理」と言われ続けてきたからかもしれません。

 

 

最初は大きなことでなくてもいいのです。たとえばハロウィンのイベントをしたいと思ったら、良い結果を決めて、お菓子のプレゼントをつくったり、コスチュームを考えたり、人にお願いをしたりして協力を募ったりします。自分が協力する側に立ったときには、文句を言って足を引っ張るのではなく、「だったらこうしてみたら」とアドバイスしてみたり、積極的に楽しんで参加する。たったそれだけのことから始めることで、自分や人々の可能性を奪わない、それぞれが願うように生きられる良い社会が来るのです。

植松努さんの「思うは招く」のプレゼンは必見です。

2017年

10月

30日

人生の彩り

かつて私が大手の介護スクールで働いていたときにお世話になった、S先生から久しぶりに電話がありました。お世話になったなんていう言葉では足りないと思えるほど、目をかけてくださり、仕事の面でもプライベートな面でも助けていただき、いろいろなことを教えてもらった恩人であり、もうひとりの母親のような存在です。少し大げさかもしれませんが、彼女がいなければ、私はここにいなかったかもしれません。あれから20年の歳月が流れ、私はそのスクールを辞めたのちに、子どもの教育にたずさわり、今、湘南ケアカレッジにいます。S先生と話していると、あの頃の苦労がまるで楽しかった思い出のように蘇り、素晴らしい人たちと一緒に素晴らしい仕事をすることが、人生に彩りを与えてくれるのだと感じます。そして、そこはかとない感謝の気持ちが湧いてくるのです。

 

S先生とは知り合った頃から意気投合し、まるで自分の息子のように愛情を持って接していただきました。その気品の高さにもかかわらず、人と接するときに相手をリラックスさせる柔らかさがあり、相手がどのような人であっても同じようにフェアに向き合う。人を悪く言ったり、愚痴を言うのを聞いたことがありませんでしたし、どのようなネガティヴな状況であってもポジティブに変えてしまうユーモアと頭の柔らかさがありました。それだけではなく、ポジティブなことはさらにポジティブに楽しむことにも長けていました。ひと言で言うと、心にいつも余裕があり、懐が深い女性でした。S先生とできる限り多くの時間を共に過ごし、彼女の考え方や感じ方を少しでも身に沁み込ませようとしました。

 

S先生との思い出は挙げればきりがないほどありますが、出会ってすぐの頃に、同じ教室で教えていたF先生のお見舞いに新横浜の病院に行ったことを鮮明に覚えています。その当時、スクールに入りたてだった私は、F先生と面識はありません。連れられるがままに病室まで行くと、F先生は案外元気そうで、ベッドから立ち上がり、病室の外に出て来てくれました。私はF先生に何を話せばよいのか分からず黙っていると、F先生は私に対して「村山さん、絶対に無理をしちゃダメだからね」と言ってくださいました。実際にはそれから数年間、私は壮絶な無理をすることになるのですが(笑)、そのときは「はい、分かりました。F先生も無理をしないでくださいね」と答えました。

 

その後、1ヶ月も経たないうちに、F先生はお亡くなりになりました。30代の若さでした。S先生と一緒にお葬式に行き、F先生のお顔を見たとき、私にはF先生の無念が伝わってくるようで仕方ありませんでした。F先生と長い付き合いのあったS先生はどのような思いで彼女の死を感じているのか、私は想像することしかできませんでした。なぜあのときS先生はF先生と面識のなかった私を病院までお見舞いに連れていってくれたのか、私にはまだ分かりません。

 

 

ただ、あの体験から学んだことは、人の命は有限であり、私たちは生きることのできなかった人たちの無念を背負って、頑張って楽しく生きていかなければならないということ。そして、一緒に仕事をする人たちとも、性別や年齢を超えて、人生の一場面や生き死にを共にするぐらいに信頼し合い、感謝や愛情を伝え合い、時には深く関わらなければならない、ということをS先生は教えてくださったのでした。

2017年

10月

25日

笑顔が見ていたい

湘南ケアカレッジも今年で5年目に入りました。第1期生の卒業生さんたちが3年間の現場経験を経て、実務者研修に来てくださるようになり、あっと言う間に歳月が流れているのを実感しています。ケアカレが誕生したあのときと、変わらない気持ちで今もいるつもりですが、やはり5年も経てば、良い意味でも悪い意味でも、変わったところもあるでしょうし、慣れてきたところもあるはずです。そんなときは、「世界観が変わる福祉教育を」というケアカレの理念を思い出し、自分たちは生徒さんたちの世界観が変わるような福祉教育を提供できているのか、と自問することにしています。私たちの存在意義は、資格を売ることではなく、ケアカレでしか体験できない最高の福祉教育を届けることにあるのです。

 

そうして自問する中で、なぜ私は福祉教育が好きと感じたのだろうと振り返ってみると、そこに生徒さんたちの笑顔があったからだと思います。私はとりたてて学校というものが好きだったわけではありませんが、こうして教育の仕事をずっと続けているのは、学びの空間が好きだからだと思います。教えたり教わったりしながら、知らなかったことや新しいことを学び、自分たちの世界が広がってゆく。そのような場所が好きなのです。その中でもとりわけ介護・福祉の教育を最終的に選んだのは、そこで学んでいる人たちが、自らの意思で、本当に楽しそうに、笑顔で学んでいるからでした。

 

もちろん、子どもの教育(塾)にも良いことはありました。子どもたちはとても敏感で、素直で、柔軟であり、未来を担ってゆく彼ら彼女らと接することには大きな責任を感じました。それでも今の日本の教育の仕組みの中では、子どもたちが心から楽しんで学ぶことは難しいのも実情です。子どもの教育は、結局のところ、受験(合格)や就職がゴールとなってしまい、彼ら彼女らの多くは自分でお金を払って自らの意思で学ぶことを選択していません。どれだけ楽しい授業をこころがけても、もし明日来なくてもいいよと言われたら、子どもたちは教室には来ないのです。今の子どもたちの教育において、笑顔が少ないのは当然のことだと思います。

 

 

そういう教育しか知らなかった私にとって、介護・福祉教育と出会ったときの衝撃は大きかったことを覚えています。自分もホームヘルパー2級の研修を受けさせてもらい、その楽しさを体感しました。クラスメイトにはあらゆる世代の人たちがいて、女性も男性も皆そろって心優しく、自らの意思を持って、笑顔で学んでいました。あれだけ窮屈で嫌で仕方なかった学校が、クラスメイトや先生方、学ぶ内容が違うとここまで楽しいのかと驚かされたものです。この原体験があるからこそ、私は生徒さんたちの楽しく学ぶ気持ちがよく分かります。これから先もずっと、「世界観が変わる福祉教育を」提供できているのか、そこに笑顔はあるのか、常に問うていきたいと思います。私は先生方や生徒さんたちが笑顔でいることが、何よりも嬉しいのです。

2017年

10月

20日

卒業生さんからの手紙

卒業生さんからお手紙をいただくことがあります。研修終了時のアンケートだけでは書き足りないからと、手紙という形で改めて気持ちを贈ってくださるのです。先日は2通の手紙が届きました。1通は介護職員初任者研修の卒業生さんから、もう1通(正確に言うと先生1人に対して1通)は実務者研修の卒業生さんからでした。こうしてお手紙をいただくことは学校冥利に尽きますし、学校と生徒さんという枠組みを超えた、ある種の個人的なつながりを持てたようで嬉しく思います。手紙主のお名前は、私たちの記憶にいつまでも残ることでしょう。おひとり一人に手紙を返す代わりに、私はこのブログを通して感謝の気持ちを書かせていただきたいと思います。

 

実務者研修の卒業生さんは、なんと先生7人全員と私、そしてこれから湘南ケアカレッジに来る生徒さんと卒業生全員宛てに手紙をくださいました。クラスの雰囲気を和ませてくれた彼の人の善さが伝わってくるような内容で、「Hさんのような人が潰されることなく、その良さが生かせるような現場で働けているといいね」と先生方は口を揃えていました。手紙をいただくことの嬉しさは、気持ちが記された文章という形でまた違って伝わってくることと、この手紙を書いてくださっているとき、Hさんが先生ひとり一人の顔を思い浮かべてくれていることが想像できることです。

 

介護職員初任者研修を修了した卒業生さんは研修がスタートした頃から、すでにブログを読んでくださっていて、おすすめの本やマンガを借りたいとも言ってくれました。彼女が湘南ケアカレッジに来る前から、私たちのことを知っていることは不思議な感覚でした。ケアカレのことを少しでも知ってもらいたいと思い書いていますが、もしかするとハードルが上がりすぎて、せっかくの期待を裏切らないだろうかと心配にもなりました(笑)。「ブログを読んでいると、気づかされることが多いのです」ともおっしゃっていただきました。大そうなことを書けておらず申し訳なく思うと共に、気づきというのは気づける状態にある人だからこそなのだと感心しました。

 

 

気づきも学びも、私たち次第なのです。たとえ全く同じ内容の授業を受けたとしても、多くの気づきや学びがある人もいれば、まったくない人もいるはずです。同じ人であったとしても、たくさんのことに気づき、学べる時期もあれば、そうではないときもあるはずです。それは人生と置き換えても同じはずですね。できることならば、少しでも多くのことに気づき、学び、受け取れる人生を生きたいと思います。そのためには自分はどうあるべきなのか、私なりに考えた結論は、心のままに進む(行動する)こと、悩みや苦しみをも受け入れて味わうこと、善き存在であろうとすること。手紙をくださった生徒さんたちから、そのようなことを教えてもらった気がします。ありがとうございます。

2017年

10月

15日

「もうろうを生きる」

光と音のない世界を生きている盲ろうの人たち。盲ろうとは、目が見えなくて、耳も聞こえないことを言います。この映画には、8名の盲ろうの人たちが登場し、それぞれにとっての障害や生き辛さ、もちろんそれだけではなく楽しさや喜びもあることを示し、自らの人生や世界を精一杯に生きていることを表現してくれます。手話や指で触れあう指点字等により、周りの人たちとの間に生まれている濃密なコミュニケーションを見て、私たちまでもがもっとお互いに分かり合いたいと思ってしまうような、コミュニケーションの素晴らしさが伝わってくる映画でした。私たちの世界は、言葉があるからこそ存在するのです。

 

最も印象に残ったのは、弱視で先天ろうの川口智子さんが「本音を言うと、聞こえる人に生まれたかった」と言ったのを受け、通訳者の梶さん(健常者)が涙で言葉を詰まらせてしまったシーンです。ろうの人たちは、私たちはろう者として生まれてきて良かったと言うことが多いにもかかわらず、川口さんは生まれ変わったら聞こえる人になりたいとはっきりと口にしたのを聞いて、梶さんは衝撃を受けたのでした。

 

おそらく梶さんは、ろうの人たちと深く関わる中で、人々の暖かさやその世界の優しさに包まれながらも、心の奥深いどこかでそれでも彼ら彼女らには言葉に尽くせない苦しみや辛さがあるはずと感じていたはずです。これは健常な人たちにとっても同じですが、私たちは世間に対しての強がりもあって、殻をかぶって本音を隠して生きています。その世界で生きていく上では、自分たちの人生や生き方を全肯定しなければならない(1ミリでも否定してしまうと崩れてしまう)という息の詰まるような感覚の中で川口さんの本音を聞いて、梶さんはある意味、開放されたというか、一筋の光が見えたのではないでしょうか。

 

パンフレットに福島智さんが書いているレビューを読むと、映画の理解がさらに深まりました。その中で私たち人間にとっての、いかにコミュニケーションが大切か、実に明快に語られています。

 

たとえば空気中の酸素の勝ちを感じるのは、海に潜ったときとかです。そのときに初めて酸素のありがたさを感じるわけですけれども、普通は感じていない。食べ物については、食べ物がなくなったときに、死ぬほど腹が減ったときに、初めて分かる。それと同じで、コミュニケーションがなくなったとき、きわめて取りにくくなったとき、いかにコミュニケーションが大事かと分かったんです。

(中略)

単に光がなくなる音がなくなることが本質ではないんです。光や音がなくてもコミュニケーションがあればどんな人間でも生きられる。だけどおそらく光や音があっても、コミュニケーションが断絶されていたら非常に生きるのが苦しいですよ。

 

 

実は私は、同行援護研修の参考にしたいと思って観に行ったのですが、それ以上のことをこの映画を通して学びました。盲ろう者または視覚に障害のある方は、私たちがこれまで介護職員初任者研修や実務者研修、全身性障害者ガイドヘルパー養成研修で対象としていた利用者さんとは大きく違ったケアが求められているということです。最も大切なことは、コミュニケーションを取る技術や方法を学ぶことであり、まずはお互いの世界や文化のことを知ろうとすることなのではないでしょうか。

 

★映画「もうろうを生きる」の公式HPはこちら

2017年

10月

12日

信頼関係の大切さ

2017年度の第4回全身性障害者ガイドヘルパー養成研修が終わりました。今回もそうですが、12月の次回もすでに満席となっており、安定して人気の高い研修に育ちました。できる限り実践に近い研修内容はもとより、ほぼ1日中、屋外で行われるため、小野寺先生の統率力の高さとサポートの阿波加先生と橘川先生のきめ細かさが見事に生き、まだ受けていない方はぜひ受けてもらいたいと願う研修になりました。もちろん先生方には感謝しつつ、毎回無事に戻ってきてくださる生徒さんたちにも感謝の気持ちで一杯です。一昨年から始めたこの全身性障害者ガイドヘルパー養成研修から学んだのは、信頼することと信頼関係の大切さです。

 

今回のクラスの生徒さんの中でも、「後ろから車いすを押してもらって、ガイドヘルパーとの信頼関係が大切だと分かった」という主旨の感想を書いてくださった人が何名かいました。芹が谷公園で行われる午前中の練習もそうですが、特にペアを決めて各々が行きたい場所へ外出してもらう午後の自由行動においては、ガイドヘルパー役の相手を信頼できていないと怖いのです。せっかくの外出にもかかわらず、楽しめないばかりか、恐怖を感じてしまっては意味がありません。行きたい場所へ行くという願いを叶えるためにも、外出を心から楽しんでもらうためにも、ガイドヘルパーさんは利用者にまずは信頼してもらうことから始めなければならないのです。

 

実は、湘南ケアカレッジのガイドヘルパー養成研修自体が、学校と生徒さんたちの間の信頼関係によって成り立っています。毎回、研修の最後にお伝えしているように、午後のペアで目的地を決めて、自由行動をして帰ってきてもらうという授業形態を採っているのは、おそらく日本でもケアカレだけだと思います。他の学校もできるならばそうしたい(そうすべき)だと思っているかもしれませんが、やはり危険やリスクを考えると、学校としては無難な集団行動にせざるをえません。ケアカレは危険を承知でリスクをとっているのではなく(最初はそうでしたが)、生徒さんたち(のほとんどが卒業生)を信頼しているからこそできたのです。

 

 

そう考えると、何をするにしても、信頼関係がいかに大切か分かりますね。さらに言うと、一方的な信頼ではなく、お互いに信頼し合うことが大切です。利用者さんはガイドヘルパーさんを信頼し、生徒さんたちも学校を信頼してこそ、全てが上手く行くのだと思います。そして、信頼関係を築くためには、まずは相手に寄って(沿って)信頼することから始め、それと同時に、笑顔で誠実に敬意をもって接し、相手に信頼してもらえるように努める。時には信頼を失ってしまったり、不信に陥ってしまうこともあるかもしれませんが、それはそれで仕方なく、またつくり直していけばよいのです。難しく考えることはないのです。

☆生徒さんたちの声

・再びケアカレッジに来て、利用者目線のケアの大切さを再認識し、その方法を学ぶことができて良かったです。仕事に対するモチベーションを上げることができました。今すぐにガイドヘルパーの仕事ができなくても今日学んだことを今の現場で活かせてより質の高いケアを心がけるぞ!(小瀬川さん)

 

・今回の研修で、街の人ごみの危険さ、不便さも感じましたが、親切な方も大勢いる事が気づけました。普段よりも段差やエレベーターの有無を注意しました。利用者と介護者とのコミュニケーションも大切で、信頼関係を築けたらとても楽しい外出になり、やりたい仕事だと強く思いました。(伊藤さん)

 

・利用者さんの気持ちを知ったつもりでいたことに気づかされました。外で体験する時間が長いかなと最初は思っていましたが、実際に体験しなくては分からなかったし体験する事の大事さを教えていただきました。とても貴重な事で受けて良かったと思えました。(柗坂さん)

 

 

・再びのケアカレッジ。先生方の熱意が伝わり、活気ある有意義な時間を過ごすことが出来ました。ガイドヘルパーの重要性と気遣いの仕事である事を教えていただきました。少しでも利用者様のお役に立てる様に、さらに練習をしたり生涯現役でいられるよう頑張りたいと思います。楽しい一日でした。(村井さん)・たくさん学ぶことや考えさせられました。改めて、また向きあいたいと思います。笑顔ですね。先生方には、ありがとうございました。(奥津さん)

 

・車いすに乗り又、押してみる。安全の為の技術と集中力が必要。生活の場は危険がかなりある。障害者に優しい、心がけが大事だと感じました。(坂元さん)

 

・視点が低くなり見えなくなったものもあり、また見えるようになったものもあり面白かったです。周りの視線も善意や悪意などもあり自分はどう見ていたか?を考えさせられました。ありがとうございました。(佐藤さん)

 

・実際に車いすに乗り、人ごみの中を移動した時に介護者に絶対的な信頼を寄せていないと利用者さんが不安になるという事を体感しました。健常者の時には気付かなかったバリアフリーの意味を初めて実感し、いかに障害のある方にとって不便なのか勉強になりました。充実してました。(今井さん)

 

・車いすを押すことがこんなにも体力を使い、注意力がいることだと知りました。汗だくでコースをまわりましたが、それだけやってようやく少し感覚がつかめた気がします。車いすで講演や街を長時間移動することで、障害をもった方の気持ちが分かった気がしたので、とても良かったです!(中沢さん)

 

・障害者という立場で、車いすに乗り町田や相模大野の街を移動しました。デパートやレストランなどもすべてがバリアフリーではありませんでした。普段はなにげなく歩いている道も車いすだと行き止まりになっており、ガイドヘルパーをする場合、場所の下調べが必要だと思いました。(小田さん)

 

・目線の違いでキケンな所や場所、身体に感じる苦痛など勉強しました。相手の身になって目になったり気持ちを理解してあげる上から目線の同情などなく、介助してあげられるようになりたいです。(山本さん)

 

・利用者側の立場で車いすに座る事などなかったのでとてもいい体験をさせてもらいました。思いのほか、外の路面の振動を感じたことや、意外とEVの身体用ボタンが押しづらい位置にあったりドアの開閉なども介助者なしでは開けにくいことなど。数をあげればかなりたくさんありました。人の目線もすごく感じました。反面、人の優しさも感じる場面もありました。気温の差も座っていると、暑く、又寒い時は逆に寒く感じるであろうと体調を気にかけながら注意していかないければと思いました。(佐々木さん)

 

・車いすに乗って街へ出てみて、初めて利用者の気持ちを感じました。いつも快適に乗っているわけではないし、介護者へ気を使っているのだと思いました。また一般の方の視線も感じました。気持ちよく外出するためには日本全体の意識を変えていかなくてはならないのだと思いました。(岡部さん)

 

 

2017年

10月

07日

勉強は楽しい!

「生まれて初めて、勉強が楽しい!と思いました」とアンケートに書いてくださった生徒さんがいました。彼だけがそう思っているのではなく、おそらく9月短期クラスの生徒さんたちのほとんどが、学ぶことが楽しいと思ってくれたのではないでしょうか。それぐらい今回のクラスの皆さんは学ぶ意欲が高く、表現は難しいのですが、前のめりで取り組む姿勢がひしひしと感じられました。このようなクラスで教えさせていただくことは、先生方にとっても喜びになります。15日間は本当にあっと言う間で、惜しまれつつ9月短期クラスが終わってしまいました。最終日には、80期生の「80」の文字を型取った色紙をプレゼントしていただきました!

 

なぜ大人になってからの学びが楽しいかというと、世界が広がることを感じられ、そのことによって自由になれるからでしょう。学ぶことで私たちの世界は広がります。それは知らなかったことを知ることで、視野が広がったり、また今まではできなかったことができるようになったり、考えも及ばなかったことが考えられるようになったりすることです。湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修では、これまでの学校教育では教えてもらわなかったことばかり学ぶことになりますので、授業ごとに新しい発見や気づきがあるはずです。それだけではなく、今までは出会ったことのない世代や性別のクラスメイトさんと一緒に学ぶことで、人々の優しさや様々な考え方、価値観に触れ、世界が広がったように感じられます。

 

私が今から20年前に初任者研修(当時のホームヘルパー2級)を受けたとき、介護・福祉の世界の考え方や広がりに衝撃を受け、自分の全く知らなかったことばかりを学ぶ喜びを知りました。直感的に介護・福祉の世界は自分に合っていると感じ、まさかそのときは一生の仕事になるとは思っていませんでしたが、もっと深く学んでみたいと思いました。さらにその研修で出会ったクラスメイトさんたちは素晴らしい方々ばかりで、研修が終わってからも一緒にライブに行ったり、集まったりしました。クラスメイトさんのひとりに苔玉をつくっている方がいて、盆栽のイロハを教えてもらったことも良い思い出です。そんなこんなをひっくるめて、たった8日間(ホームヘルパー2級は全8日間でした)で一気に自分の世界が広がった気がしたのです。

 

 

そうして自分の世界が広がることで、今までよりも自由になれるはずです。大人になると、どうしても狭い世界の中で生きて行かざるを得なくなり、自分の考え方や価値観や友人関係も自然と狭くなりがちです。こうあらなければならない、こうしなければならない、と勝手に自分で窮屈にしてしまいますが、そのほとんどは私たちの思い込みであったり、知らないばかりに選択肢がなくなっていたりします。このような考え方もあるのだ、こんな人たちもいるのだと、直接触れて知ることで、私たちは思い込みから自由になり、生き方や考え方の選択肢も増えるのです。自分だけの狭い世界から脱出して、たとえ少しであっても、自由になれることが学びの楽しさです。

2017年

10月

03日

質問をしに来てもらえること

質問をしに来てもらえること。私が塾で子どもたちを教えていたとき、自分の教師としての力量を知るために用いていた指標のひとつです。良い授業をしているほど、教師として(人として)魅力があるほど、生徒さんたちは先生に質問をしにくる傾向にあります。なぜ質問をしに来るのでしょうか?ただ単純に、授業の内容で分からない点があるから、だけではありません。たしかにそのような質問もありますが、テキストを調べれば書いてあることかもしれません。生徒さんが先生に質問をする最大の理由は、その先生と話したい(人間的な関係性を持ちたい)からです。

 

そのことに気づいたのは、教えることを仕事にし始めて、しばらく経ってからのことでした。ある時期、周りの先生方にはよく質問に来ているのに、私の元にはほとんど来ないということありました。当時は教室長という立場ゆえに子どもたちが質問しづらいのだろうと考えていたのですが、そうではありませんでした。忙しそうにしていたり、授業が終わるとすぐに生徒のいない事務所に戻って仕事をしていたりして、どこかで生徒さんとの間に心理的・物理的な壁をつくっていました。今から思うと、生徒さんたちに対する褒め・認めも少なく、この先生の話を聞くと成長につながるという実感も与えられておらず、授業の内容的にももっと学びたいと思ってもらえるものではありませんでした。

 

もう1度、生徒さんに対する接し方や授業の内容を見直してみることにしました。できるだけ生徒さんたちと同じ空間にいるように努め、子どもたちの良いところ(できていること)を見つけて褒め・認める。また、授業の内容も楽しく学びつつ、興味を持ってもらい、分かったという成功体験を得て、もっと知りたいと思ってもらえるように変えていきました。そうすると、少しずつ私のところに質問をしに来てくれる子どもたちが増えました。質問の内容は大したものではないことも多かったのですが、よくよく話してみると、子どもたちは私と直接やりとりしたかっただけなのだと気づいたのです。話したくても、いきなり話しかけるのは気兼ねしてしまうので、質問という形をとって、先生に少しでも近づきたいだけなのです。それ以来、授業を自己満足で終えるのではなく、授業前後に子どもたちが質問に来てくれるかどうかのリアクションを、他者評価のひとつとして取り入れることにしたのです。

 

そういえば先日、卒業生さんが質問に来てくださいました。いきなり訪問に入ることになり、移動・移乗から排泄までの支援があるとのことで、当日の午前中に切羽詰まってケアカレを訪ねてくれました。望月先生が話を丁寧に聞いてくれて、卒業生さんは安心して帰っていきました。後日、以下のようなメールが届き、私も胸をなで下ろしました。全身性障害者ガイドヘルパーの研修も申し込んでくださって、学びたいという気持ちをさらに広げられたことを嬉しく思います。

 

先日は大変お世話になりました。相談した利用者様宅にはどうにかサービスに入れています。日々が慌ただしく、ただ介護と言う新しい世界が楽しくもあり私なりに頑張っております。望月先生にも宜しくお伝えください。実務者研修、ガイドヘルパーと共に宜しくお願い致します。

 

他にも、実務者研修の授業後、生徒さんたちが実技演習について集団で質問に帰ってきてくださったこともありました。やり方だけではなく、その根拠や考え方もお伝えすることができ、質問してくれたことに感謝しつつ、生徒さんたちにとっては大きな学びがあったはずです。また、3年前の介護職員初任者研修の授業後に、消防士になるべきかどうか悩んでいると藤田先生に相談してくれた生徒さんが実務者研修でケアカレに戻ってきて、医療的ケアの授業で再会したというエピソードもあります。今は立派な介護士になって活躍しています。

 

 

湘南ケアカレッジはこれからも質問をしてもらえる学校でありたいと願っています。質問したいと思ってもらえる先生方が集まって、素晴らしい授業を展開し、質問できる湘南ケアカレッジをつくってくださっています。だからこそ、先生方が生徒さんから質問を受け、丁寧に答えてくださっているシーンを見て、私は嬉しく思います。そこには学校と生徒さん、先生と生徒さんという壁を越えた、人間的なコミュニケーションがあり、そこにこそ私たちの未来が見えるからです。

2017年

9月

29日

心のままに

金澤翔子さんの書道展を観に、上野の森美術館まで行ってきました。書をたしなむダウン症の女性として世に出た翔子さんですが、もうすでにひとりの書道家として評価されるべき作品の数々が並んでいて驚きました。ここまで母娘二人三脚で来るために、どれだけの涙と鍛錬の日々があったのでしょうか。私たちが目にする墨汁の翔ぶような様は、そうしたあらゆる苦悩を帳消しにし、観る者全てに慈愛を与えてくれているようです。

翔子さんのひとつ1つ作品の横に、お母さまによって綴られた文章が添えてありました。翔子さんにまつわるエピソードを読むと、その作品がより深く立体的に見えてくるようです。ピンクの名刺を誰にでも分け隔てなく、犬にも配ったという話や、ニューヨークのタワーに登って見た高さよりもお父さんに肩車をしてもらった高さの方が高く感じたという話など。私たちの考える価値観などは、いかに形や枠組みにはめられてしまっているものかと思い知らされるのです。

そう言えば先日、ケアカレ美術館に新しい作品が仲間入りしました。山口航太さんによる「ダンス」という絵です。色彩の鮮やかさと西洋絵画のような雰囲気に魅せられて購入しました。ダンスをしている女性の笑顔を見ると、ついこちらまで微笑んでしまいます。たまたま教室を見学に来てくださった方と、この絵の話になり(彼女は絵を教えているそうです)、「私たちはどうしても上手く描こうとしてしまうので、このようには描けません。欲が全く感じられない素敵な作品ですね」とおっしゃってくださいました。

欲がないことについては、翔子さんのお母さまも書いておられました。与えられるだけ与えてしまう。そんな与えるばかりの姿を見て、かつては心配していたけど、今は神さまが見て与えてくださっているように思えるようになったそうです。欲があるからこそ成長できることも確かですが、もしかすると私たちは欲張り過ぎているのかもしれませんし、欲しがる割には他人に対しては十分に与えられていないのではないでしょうか。必要以上に欲を抱かず、まずは与えながら、心のままに生きていければいい。ふたりの作品を通して、そう教えてもらったような気がします。

 

☆金澤翔子さんの書展のサイトはこちら

2017年

9月

26日

人のために時間を使う

卒業生にお便りや研修の案内を送ると、思わぬ人が訪ねてきてくれたり、数年ぶりに電話を掛けてきてくれたりします。「あれから〇年も経ったのですね」と素直に懐かしく感じられることもあれば、「えっ、あのクラスが修了してからもう〇年ですか!」と懐かしさを通り越して、衝撃を感じてしまうことさえあります。先日は、ちょうど1年ぶりに教室に足を運んでくださった卒業生さんがいました。馴染みのある顔に、最近修了したばかりと思って接していましたが、話を進めてゆくと、ちょうど1年前の9月生であることが判明しました。つい昨日のことのように思い出されるクラスメイトさんや授業風景の数々が、1年も前の記憶だとは…。毎月、新しい研修が始まり、目の前にいるひとり一人の生徒さんたちやクラスと毎日向き合っていると、時が経つのは速いものですね。そこには充実感や達成感と共に、人生のはかなさを感じざるを得ないのです。


年齢を重ねてきたせいか、最近は特に歳月の流れるのが速く感じます。あっという間に1ヶ月が過ぎ、あっと言う間に1年が経つように思えます。たしかに、生涯におけるある時期の時間の心理的な長さは年齢に反比例するという「ジャネーの法則」があります。たとえば5歳の人間にとっての10日間が50歳にとっては1日間に感じる、つまり主観的に記憶される年月の長さは、年長者にはより短く、年少者にはより長いということですね。このジャネーの法則を応用して、〇歳時において人生は体感時間として何割終わったのか?を数式で出すと、以下のようになるそうです。

 

3歳  25%

9歳  50%

20歳 68%

30歳 77%

40歳 84%

50歳 89%

60歳 93%

70歳 97%

 

 

私の場合は、残された人生の体感時間はたった15%ぐらいということになります。介護の世界では、健康寿命や平均寿命(余命)といった考え方がありますが、体感余命というのも面白いですね。体感余命を知ったところで、何かできるということではありませんが、時間の大切さを再認識するきっかけにはなりますね。日野原先生は、「命は時間である」とおっしゃいました。残された命(時間)をどのように使うのか、自分に問うてみる時間もときには必要です。私はここにも書いたように、もう一度人生を生きたとしたらそうするように最初から生きたいと願っていますし、これから残された時間は、自分のためではなく、できる限り人のために使いたいと心に決めました。

2017年

9月

23日

「あさがくるまえに」

私が好きな歌手の秦基博さんの作品の中でも、1、2を争うほどに好きな曲のタイトルがつけられていて、また臓器提供やドナー、人間の死の境界線をテーマにしていることもあり、映画館まで足を運びました。全編にわたって美しい情景や音楽、心理描写が静かに流れてゆき、しかし中盤からラストにかけての胸を締めつけるような緊張感と高揚感は観る者を離しません。ひとつの命が終わるとき、もうひとつの人生が再生される。自分はなぜ今、こうして生かされているのだろう。そんな不思議な思いにとらわれる映画でした。

 

この映画の主人公は、開演から10分後に交通事故で亡くなってしまいます。脳死の状態で機器につながれており、息子の死を受け入れることができずにいる家族に追い打ちをかけるように、臓器提供の話が持ちかけられます。苦渋の決断を迫られるのは、本人ではなく両親なのです。息子の身体を手放す選択をした夜、両親が息子をはさんで寝るシーンは今でも私の脳裏に焼きついています。

湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修においてターミナルケアについて学んでいただく中で、臓器提供をするかどうかという質問が出てきます。皆さんの健康保険証の裏にもチェックをつける欄がありますよね。あなたはどうしますか?という問いです。これまで私は臓器提供についてあまり深く考えることなく、もし自分が死んでしまったのならば、誰かが生きるために提供するのは当たり前だと答えていました。しかし、この映画を観て臓器提供がどういうものか考えさせられ、簡単に「はい(提供する)」を選んでいた浅はかさを恥じました。

 

命は誰のものでしょうか?自分の命は自分だけのものではなく、家族のものでもあり、周りの人たちのものでもあるかもしれません。臓器移植をされた心臓は誰のものでしょうか?死んでしまった元々の人間のものでしょうか、それとも移植されて生きている人間のものでしょうか。そして、生きている(または死んでいる)とはどういうことでしょうか?脳が死んでしまえば、生きていないのでしょうか。それとも心臓が止まっていなければ、生きているのでしょうか。

 

命は誰のものでもなく、生と死の境界線もあいまいなのです。今こうしてたまたま脳が活動して、心臓が鼓動しているから生きていると実感し、あたかも自分の命のように勘違いしてしまいますが、そうではないはずです。命は授かりものであり、移り変わってゆくものである以上、所有者はいないのです。肉体が生きていても人間として死んでいることもあれば、肉体が死んでいても人の心に生きていることもあるでしょう。そんなことをつらつらと考えれば考えるほど、私は臓器移植を選ぶかどうか分からなくなるのです。

 

「あさがくるまえに」の紹介動画です。

秦基博さんの曲の中でも、「朝が来る前に」と並んで好きな曲です。

2017年

9月

20日

迷ったら困難な方をとる

人生は判断や決断の連続であり、そんな中、私は迷ったらより困難な方をとることにしています。簡単にできそうなことや楽な方ではなく、自分にできるのかと怯んでしまうぐらいのことやチャレンジングな方を選ぶということです。(私を含め)人間は楽をして生きていきたいと思うのが常であり、困難な方をとるのは本能に反しているとは思うのですが、それでも迷ったときには敢えて難しい方に行くように心がけています。なぜかというと、楽な方を選ぶと尻すぼみしてしまいそうな一方で、困難な方をとった方がより自分自身が鍛えられて力がつき、活躍の場や幸せにできる人たちが増え、将来的にはより楽しく生きていけるようになる気がするからです。

 

先日、介護職員初任者研修を受けて、その後、介護のお仕事に初めて就こうとして悩まれている卒業生さんと話しました。お付き合いのある2つの施設を見学してもらい、面接まで進み、どちらからも内定の通知を受けたのですが、1つに決めかねて相談に来られました。ぜいたくな悩みですが、どちらも素晴らしい施設であり、条件面もほとんど変わりません。とはいえ、2つの施設で働くわけにもいかないため、最終的には本人自身が1つを選ばなければなりません。その決断のヒントとして、直感的に選ぶ(ワクワクする方を選ぶ)ことと迷ったら困難な方をとる(チャレンジングな方をとる)ことをお伝えしました。

 

私は教育関係の仕事にずっとたずさわってきました。2度目の転職の際、最後まで迷って、先に採用が決まっていたある学校の新人研修が始まってから1週間してごめんなさいをして、他の学校に移ったことを思い出しました。先に決まっていたのは、映像授業を全国展開している大学受験の予備校でした。とても革新的なスタイルであり、時代の流れもそちらに来ているのも魅力的で、ある意味、勝ち組に乗るとすればという邪な気持ちもあって入社を快諾しました。ところが、研修を受けたり実際の現場で働いてみたりするうちに、これまで自分がやってきたことの延長線上で仕事ができてしまう感覚がありました。ほとんどのことはマニュアル化されており、決められた仕事を時間内でこなせば、定時に帰ることもできそうでした。

 

それはそれで楽なのですが、できることをルーティーンのように毎日繰り返して、そこに明るい未来はあるのだろうか、と自問する日々でした。そんなとき、少しだけ後に内定をいただいていた中学生対象の塾の現場を見させてもらったところ、これは大変だと感じました。今まで自分にはあると思っていたコミュニケーションスキルでは、子どもたちには全く通用しなかったのです。もう1度、子どもたちの中で揉まれて、ひとつの教室をつくってゆく中で失敗も成功体験も味わいたいと思いました。映像予備校には大変ご迷惑をかけてしまったのですが、頭を下げて、入社して10日で辞めさせてもらいました。

 

 

今から思うと、この決断は私にとって非常に良かったと思います。深夜まで子どもたちや大学生の先生方とボロボロになるまで格闘し、30も中盤になって俺は何をやっているんだろうと愚痴をこぼしたこともありましたが、あのときのおよそ5年間の経験は私の血となり肉となりました。子どもたちに教えてもらったことや教室運営の成功・失敗体験がなければ、今の湘南ケアカレッジはなかったと思います。あのとき困難な方をとったことが、今になって生きています。自分にできそうな楽な方ではなく、自分が試されるチャレンジングな方を選んだ、あのときの自分に感謝したいと思います。

2017年

9月

17日

今日も明日も会いたい人がいる【シャロームの家】

金森郵便局前のバス停を曲がって、あとは香ばしいパンの香りを追いかければ、「シャロームの家」にたどり着きます。散歩に来ていた保育園児さんたちが、焼きたてパンのノボリを指さしてせがんでいます。その隣では、「ここのパンは美味しいんだよね」と保育士さん。カレーパンやウィンナーロールなどの惣菜パンから、フランスパンのフレンチトーストなどの甘いもの、さらには竹輪(ちくわ)パンやラムネパンなどの聞きなれないものまで、実にバリエーション豊か。近所の方々がひっきりなしに買いに来る人気店です。それもそのはず、地元でパン屋を営んでいた職人さんと、障害のあるご利用者さんたちが作るプロの味なのです。

続きは→介護仕事百景【シャロームの家】へ

2017年

9月

14日

これを敬す

私の下の名前は敬之(たかゆき)です。昔、自分の名前の由来を両親に聞いたところ、「漢文にある一節で、之(これ)を敬す、つまり人を敬うという意味だよ」と教えてもらいました。その当時は良く理解できませんでしたが、なるほど、両親は私に、人から敬われるよりも、人を敬うような人間になってもらいたいと願って、名づけたのだと今は分かります。人を敬うとは、相手を尊重すること、尊敬すること、若者風に言うとリスペクトということなのでしょう。そんな名前を授けてもらった以上、人に対する敬意を欠いてはならないといつも心がけていますし、そのためには自分自身が謙虚でなければならないと考えています。

 

謙虚であるということは、決して自信をなくすとか、へりくだるということではありません。自分の考え方が実は間違っているのではないか、自分が見ているもの以外の見方があるのではないか、自分は思い込んでしまっているのではないか、自分は経験していないことが世の中にはたくさんあるではないか、などなど。謙虚になるためには、まずは自分の考え、ものの見方、思い込みや経験を疑って、全てとっぱらってみようとすることから始まります。年齢を重ねると、どうしても自分の固定観念に強く縛られてしまいがちになりますので、それでも謙虚になれるかどうかは、自分という箱からいかに出られるかにかかっています。そして、それこそが知性なのだと思うのです。

 

湘南ケアカレッジは今年で5年目を迎えました。素晴らしき先生方に恵まれ、たくさんの生徒さんたちに来ていただき、卒業生さんたちのつながりの輪が大きく広がりました。外から見れば順調満帆に映るかもしれませんし、実際に私が思っていた以上の学校になりました。とはいえ、この先、もっと良い学校にしていくためには、謙虚にならなければいけません。

 

どうすれば謙虚でいられるのでしょうか。まずは客観的に自分たちを見て、間違ってしまっていることや思い込み、おろそかにしていることがないか疑ってみる必要があると思います。良いところはさらに伸ばして、慣れによっておろそかにしているところは元に戻す。それは基本に立ち返るという意味でもあります。

 

しかし、年齢を重ねるほど、他者から指摘されたり怒られたりすることが少なくなりますので、謙虚でいることは難しくなります。また、立場が上になればなるほど、傲慢になってしまいがちです。私にも先生方にも当てはまることですし、もしかするとこのブログを読んでくださっている卒業生さんもそうかもしれません。

 

 

自ら気づくことが難しく、気づかせてもらうこともなくなってしまうとすれば、次にできることは新しいチャレンジをすることです。失敗するかもしれないことをやってみて、失敗したらその結果を素直に受け止め、何が正しくて、何が正しくなかったのかを改めて見直してみることです。誰かに自分を謙虚にしてくれることを期待するのではなく、自らさらに良くなろうと行動することによってこそ、謙虚でいられるのです。そうしてはじめて、私たちは自分を知り、相手を敬うことができるのだと思います。

2017年

9月

10日

しんではいかん

9月10日から16日は自殺予防週間です。福祉の仕事にたずさわる者として知っておいてもらいたいということで、介護職員初任者研修の中でも望月先生や佐々木先生らがお話ししています。平成28年の自殺者数は2万1897人と、平成15年の3万4427人をピークに最近は減少傾向にありますが、それでも年間で2万人の方々が自ら命を絶っている現状からは目をそらしてはいけません。ちなみに、世界の国々の中で自殺が最も少ないメキシコは実は排泄量が多いらしく、良く食べて良く出すことが心の健康にもつながってくるのではとのこと。またゲートキーパーの話など、この機会に私たちが自殺予防について知っておくべきことはたくさんありますね。

ゲートキーパーとは、自殺の危険を示すサインに気づき、適切な対応(悩んでいる人に気づき、声をかけ、話を聞いて、必要な支援につなげ、見守る)を図ることができる人のことで、言わば「命の門番」とも位置付けられる人のこと。 自殺対策では、悩んでいる人に寄り添い、関わりを通して「孤立・孤独」を防ぎ、支援することが重要です(Wikipediaより)。まさにその通りで、自殺の名所を見守りのボランティアとして歩いて声を掛けただけで、そこでの自殺者が激減したという話もあるように、ちょっとした仕組みや人間がいることで、人の命を救うことができるのです。もちろんその逆も然りで、ほんのわずかなきっかけで人は死を選んでしまうこともあるということです。

 

せっかくいただいた命を自ら断ち切ってしまう、有を無に帰してしまうのには、それぞれにそれぞれの理由があるはずです。年代によっても、男女の違いによっても、失業率によっても、自殺の原因はさまざまです。その正当性は自分以外の誰にも知りえませんし、私たちには生きる権利もあれば死ぬ権利もあるはずです。それでも生きていてこそと思うのは、やはり生きることを選んだ者の論理なのでしょうか。私は自分自身に対して(他人に対してではありません)、なぜ自殺をしてはいけないかという理由を説明するとき、明確な答えがあります。

 

「ひとつ やくそく」(糸井重里)

おやより さきに しんでは いかん
おやより さきに しんでは いかん
 
ほかには なんにも いらないけれど
それだけ ひとつ やくそくだ
 
おやより さきに しんではいかん

 

 

この詩は、なぜ自殺をしてはいけないかという問いに対して、あらゆる著名人が答えていた中で、最もしっくりと来たものでした。たとえどんなことがあったとしても、自ら命を絶って、親に先立つことは自分勝手であり、親不孝だということです。私たち誰もがいずれ死を迎えますが、親より先に死んではいかんのです。そのことは、自分が親になってみてようやく分かりました。

 

もうどこにも逃げ場がなく、詰んでしまったと思っても、もっともっと考えて行動すれば絶対に道は残されているはずです。生きていれば、時間が解決することもある。死んだと思っても助かっていることもある。もし自分で考えても行き詰ってしまうなら、誰かに相談してみるのもいい。話を聞くことぐらいはできるし、自分には見えなかった視点があるかもしれないし、もしかするとあなたには思いつかなかった方法を提案できるかもしれません。そして何よりも大事なのは、自分は絶対に負けないと言い聞かせることです。私の子どもにはそう伝えたいと思います。

2017年

9月

07日

「ばあばは、だいじょうぶ」

最近は絵本を読む機会が多く、この本は卒業生さんから紹介されたものです。これからの高齢社会を生きる上において、認知症に対する知識や理解はとても大切であり、それは大人だけの問題ではなく、子どもたちも知っておくべきことです。かといって難しくとらえる必要はなく、この絵本を読む(読み聞かせる)ことから始めるぐらいで良いのです。認知症ではなく、わすれてしまうびょうき。とても良い表現だと思います。認知症をこれほど優しく適切に説明した言葉はなく、子どもの心は素直にそう受け入れることができるはずです。

 

どんなことがあっても「だいじょうぶだと」と言って頭をなでてくれたばあばが、いつからか忘れてしまう病気になってしまい、犬に何度もエサをあげたり、同じことを繰り返し聞いたりして、主人公のつばさは困惑します。そして、少しずつ大切に食べていたジャムを全部食べられたときは怒り、落ち葉で淹れたお茶を出されたときには慌てて逃げだしました。病気が進行するにつれ、あれだけ大好きだったばあばとの間には溝が生まれ、疎遠になっていくのでした。

 

ある日、ばばはは突然外に出て行って、帰ってこなくなってしまいます。翌日、ようやく家に帰ってきたばあばは、裸足で震えていて、頼りなく見えました。「ごめんね」と言いながら、靴下を履かせてあげると、ばあばは「だいじょうぶだよ」とつばさの頭をなでてくれたのでした。

 

今まで守ってくれていた人が、いつの間にか守るべき人になり、そうして守っているつもりでも、実は守られているのかもしれない。そうした人生の振り子について、作者である楠章子さんはあとがきにこう書きます。

 

冷えたからだをふるわせ、心細そうな顔をして。あの母の顔は、いまでも忘れることができない。ずっと母は、私を守ってくれる人だった。でも、今の母は「守るべき存在」なのだと、私はやっと気づいたのだった。けっこう時間がかかった。

(中略)

守るべき存在がいるのに、私はつばさのように目をそらしている人、どうしていいか分からなくなっている人に、この絵本が届きますように。

(中略)

守っているつもりで、じつは今も守られているのかもしれない。

 

 

私たちは生まれて、勝手に死んでいくのではなく、誰かを守り、誰かに守られて生きています。守られてばかりだと感じることもあるでしょうし、守ってばかりだと思うこともあるかもしれません。もしかすると、自分が守られていたことに気づくのは、自分にとっての守るべき存在に気づいたときなのかもしれません。誰かが誰かを守り、誰かは誰かに守られる。守っているようで、実は守られている。ほんとうは、私たちはずっと、お互いに守り守られながら生きているのです。

2017年

9月

04日

優しくしてくれてありがとう

8月の短期クラスが終わりました。ひと言で言うと、とても楽しいクラスでした。笑うところで笑い、盛り上がるところで盛り上がり、一生懸命に取り組むところで一生懸命に取り組む。真剣に学ぶことはこんなにも楽しいものかと、誰もが感じたはずです。夏休み期間中の研修ということもあり、小中学生も参加してくれ、年齢性別を超えた多様な人たちが集まり、お互いに刺激を与え合って学んでいました。「ケアカレに来てよかった」、「人が温かかった」、「一つひとつの授業で心の中に花火が上がった」、「もっと通っていたかった」などなど、嬉しい言葉の数々をいただき、研修の最後には、クラスメイトの皆さんからの熱いメッセージが貼られたエプロン(ケアカレ初!)が贈られました。私たちの記憶にも記録にも残る素晴らしい78期生の皆さま、ありがとうございました!

 

今回のクラスには小学校6年生と中学校2年生が参加してくれました。ケアカレの最年少記録は中学2年生であり、この記録はまず破られることはないと考えていましたが、まさかあっさりと破られてしまうとは。研修が始まる前は、たとえ学ぶ気持ちはあっても、さすがにそこは小学6年生ですから、内容的に理解するのが難しく、さらに言うと1日6時間の授業に座っていられないのではと心配していました。まずは様子を見ようと見切り発車したのですが、初日から授業を集中して聞き、グループワークにも参加し、ノートをしっかりと取っている姿を見て、素直に驚きました。大人よりもできるのではと(笑)。

 

とはいえ、彼らもまだ小中学生ですので遊びたい盛りです。互いにちょっかいを出したり、お昼休みにはアイスを食べたり、とても子どもらしいのです。そこをフォローしてくださるお兄さんお姉さんたちもいました。夏休みのほとんどを介護職員初任者研修に来ているのですから、それだけで称賛されるべきですし、私が彼らの年齢だったときのことを考えてみると、彼らがここにいることが奇跡的であるとさえ思います。実技演習でもとても飲み込みが早く、周りの大人のクラスメイトさんたちは逆に刺激を受け、自分たちももっと頑張ろうと思えたとおっしゃっていました。このように皆で一緒になって修了できたという達成感が、介護職員初任者研修の醍醐味でもありますね。

 

 

研修終了後の打ち上げにも顔を出させていただき、生の声を聞いていると、「先生方の誰もが優しかった」と誰もが口を揃えておっしゃっていただきました。その「優しさ」とはどういうことなのだろうかと、私なりに勝手に想像しました。たぶんここでいう「優しさ」とは、丁寧さであったり、声掛けであったり、気遣いであったり、熱心さであったり、ユーモアであったり、一生懸命さであったり、そういう全てをひっくるめての「優しさ」なのだと解釈しました。ただの優しさ(易しさ?)ではなく、もっと深く広い意味での優しさ。特に初めて介護の世界に飛び込む人たちにとって、最初に出会う人々や場所が介護に対するイメージを決めてしまうはずです。介護の知識や技術はもちろん大切ですが、介護・福祉にたずさわる人たちは、先生方だけではなく、クラスメイト同士も含めて、こんなにも優しいのか思えることがどれだけ大切でしょうか。介護の世界が優しいと感じてもらえて、私はとても嬉しく思いました。湘南ケアカレッジで感じた楽しさや優しさは、彼らの心にもずっと残ってゆくはずです。

2017年

8月

31日

デイサービスの神様

生徒さんたちは、はるばる遠くから湘南ケアカレッジに来てくださいます。遠くというのは、距離的な遠さではなく、あらゆる偶然や縁が重なって、巡り巡って、ケアカレにたどり着いてくれているという意味です。最初から湘南ケアカレッジに行こう!と決めている人などひとりもいないはずです。あのとき知人から話を聞いていなかったら、友人に勧めてもらえなかったら、資料を請求していなかったら、もしかすると他の学校に行っていたかもしれませんし、そもそも介護職員初任者研修を受けていなかったかもしれません。これはケアカレに限ったことではなく、どの業界でもどのお店でも、お客さんたちは私たちの想像を遥かに超えた偶然を経て、奇跡的にここにいるのです。

 

8月短期クラスの生徒さんが、湘南ケアカレッジに来た経緯について、こっそりと教えてくださいました。彼女は一大決心をして東京に飛び出してきて、自分の身を立ててゆくために、介護の仕事を探し始めました。ところが、最初に面接に行った有料老人ホームではやんわりと断られてしまいます。それにもくじけることなく、ふと帰り道で見つけたデイサービスに飛び込んだそうです。そして、そのデイサービスでも、資格を持っていないと採用できないと門前払いを食らってしまいました。

 

意気消沈して帰途に就こうとしたところ、後ろからひとりのデイサービスの職員らしき人が追いかけて来て、「この学校に行って研修を受けるといいですよ」と湘南ケアカレッジのパンフレットを渡されたそうです。その人いわく、うちのデイサービスでもケアカレの卒業生が何人か働いていて、とても良い学校だったと口を揃えているとのことでした。何か運命的なものを感じ、湘南ケアカレッジの初任者研修に申し込んでくれたそうです。実際に通ってみると、どの先生の授業も素晴らしく、湘南ケアカレッジに来てほんとうに良かったと思ってくれたそうです。

 

こんなに良い学校を紹介してくれたことに感謝し、御礼をひとこと言いたいと思い、その生徒さんはお休みの日にそのデイサービスを再び訪ねました。ところが、歩けど歩けど、そのデイサービスは見つかりません。たしかに帰り道にあったはずのデイサービスが、どこを探しても見当たらないのです。まるで忽然と姿を消してしまったように、デイサービスが跡形もなく消えてしまったのでした。結局、ケアカレを紹介してくれた職員の方に御礼を言うこともできず、あれは夢だったのかと思いながら自宅に戻ったそうです。

 

この後日談を聞いて、デジャブ(既視感)というか、まったく同じ話を聞いたことがあると私は思いました。ある卒業生さんもあるデイサービスに飛び込んだところ、今は募集をしていないと断られ、デイサービスを背にトボトボ帰っているところを呼び止められ、「湘南ケアカレッジという学校に行ってみてはいかがですか?とても良い学校ですよ」と勧められ、電話番号が書かれたメモを渡され、ケアカレに電話をしてくれました。

 

 

世の中には不思議なことがあるものですね。そのデイサービスが同一のものか分かりませんし、ケアカレを紹介してくれた職員さんには御礼を言いたいと思いますが、どこのデイサービスで働く誰なのかさえ分からないのです。もしかすると介護を学びたいと願う人たちをデイサービスに呼び寄せ、そっとケアカレを勧めて背中を押してくれる神さまが存在するのかもしれない、と思ったりもします(笑)。先生方の素晴らしい授業やきめ細かいサポートを、その神さまは見てくれているのだと思います。おかげさまで、これだけたくさんの生徒さんたちが、遠くから導かれるように湘南ケアカレッジに来てくれていることに、私たちは感謝しなければいけませんね。

2017年

8月

28日

出会いはセレンデピュティ

「介護仕事百景」を少しずつ卒業生さんたちに送っています。これまでは一斉に郵送していましたが、さすがに卒業生が2500名を超えてくると、なかなかまとめて送ることができなくなってきました。もしかすると、同じクラスメイトさんであっても、届くのに時差があったりするかもしれませんがご容赦ください。これまでにキーホルダーやコンセプトマガジンなどをお届けしてきましたが、こうした贈りもの(送りもの)をすると、それをきっかけとして卒業生さんたちが教室に遊びにきてくれたり、電話をしてくれたりするのが楽しみで仕方ありません。

 

今回の「介護仕事百景」は、介護の仕事に関する内容でしたので、ちょうど介護の仕事を始めようかと思っていたので話を聞きたい(聞いてもらいたい)、というご連絡が多かったです。これまで全く違う仕事をしてきたけど、湘南ケアカレッジで介護職員初任者研修の資格を取ったことで、この機会に介護の世界にチャレンジしてみたいと思っている。でも、これまでにしてきた仕事に対する愛情やあきらめが複雑に交錯しつつ、新しい世界に踏み入れる困難を思うと期待よりも不安が先に立つ。その気持ちは楽観的な私でもよく分かります。

 

私は20代の前半を仕事探しに費やしてしまいました。厳密に言うと、最初に就いた仕事は1年で辞めてしまい、その後はアルバイトをしながら過ごし、ふとしたきっかけで大手の介護スクールに入れてもらいました。自分のやりたいことと世の中にある仕事が結びつかず、自分に何ができるのか、自分はどのような仕事がしたいのかさえ分からず、いつも悶々としていました。今から思えば、答えなどなかったのですが、その当時はない答えを求めて延々と探し続けていたのでした。誰にも言えませんでしたが、自分が役立たずの烙印を押されているようで、苦しい日々でした。

 

だからこそ、卒業生さんの話を聞いてゆくと、まるで自分のことのように感じてしまい、職場(仕事)選びで失敗してほしくない、うまく行ってほしいと心から願うようになります。そうして親身に思うことはとても大切なことですが、少し冷静になって考えてみると、あまり完璧を求めすぎるとかえって良くないかもしれないとも思います。人と仕事の完璧なマッチングなんて、自分のことを振り返ってみても、ほぼありえないからです。そういう考えは傲慢だと思いますし、完璧を求めれば求めるほど視野が狭くなり、完璧から遠ざかってしまう気がします。

 

 

たぶん出会いはセレンデピュティなのです。卒業生さんたちがケアカレに相談しにきてくれたこともひとつの縁であり、私たちはその信頼やつながりを頼りに、できる限りの情報を提供し、可能性を広げることを心がければ良いのです。そこから先を決めるのは卒業生さんであり、さらにその先を広げてゆくのも卒業生さん。私たちは最終的にはその方の運と縁と生命力を信じるしかありません。

2017年

8月

24日

フィードバックとは鏡

施設内研修(ケアカレが施設に出張して行う研修)のチームワーク研修を行う中で、「フィードバックとは鏡であることを学びました」と小野寺先生がおっしゃっていました。フィードバックをする先生が鏡だとすると、フィードバックを受ける生徒は鏡に映し出された自分を見る(見せられる)ことになります。そこには良いことも、改善すべきことも、ありのままに映し出されているべきであり、フィードバックを受けた生徒さんたちは映し出された自分の姿を見て、どのように受け入れ、行動していくかが問われます。そして、私たち学校や先生方は、生徒さんたちにとっての良き鏡となるべきです。

 

(物質の)鏡とフィードバックをする私たちたちが鏡になることの違いは、悪く言えば、完全に客観的にはなれない、良く言えば、映し出すものを取捨選択することができることです。もっとも物質の鏡であっても、光の当て方や角度によって、映し出すものを変えることはできます。絶対的な客観などというものはないのです。だとすれば、私たち(先生方)がフィードバックするときの鏡としての意味は、生徒さんに対して何を映し出すのかを決められることにあります。

 

「ここは良く出来ているよ」と伝えれば、生徒さんは良くできていることを認識し、自信をもって、さらに深めようと思うはずです。「そこは○○した方がもっと良くなりますね」と伝えれば、生徒さんたちは改善点が分かり、次こそはできるようになろうと頑張ってくれるはずです。醜い自分ばかりが映し出されてしまう鏡を見てばかりでば、自信を失って当然ですし、現実離れして盛られた自分ばかりが映っている鏡を見てばかりでも成長は望めません。あまりに多くの情報が映し出されていても、混乱してしまう。フィードバックをする者は、できるだけありのままを映し出すべきですが、相手や状況に応じてどのような鏡になるべきかを選ぶことがもっと重要です。そこに先生としての技量や才覚が現れます。

 

この話には続きがあって、実は自分がどのような鏡であるかによって、また相手の鏡に映し出されるものも変わってきます。もしあなたが醜いものや悪いものばかりを映し出す鏡であるとすれば、相手も同じように醜く悪いあなたを映し返してくるはずです。これは先生と生徒の関係にも当てはまって、生徒さんの良いところを映し出して引き出せる先生は、生徒さんの鏡にもそのような先生が映っていて、良い反応が返ってきてリスペクトされます。

 

 

世の中は合わせ鏡のようになっているのです。あなたが自分の鏡に映し出しているものしか、あなたには見えません。同じ世の中に生きていても、人それぞれに世の中が違って見えるのは、実は世の中という鏡に映し出された自分の姿が違うのではなく、自分の鏡に映し出しているものが違っているということです。善きもの、美しきものが見たければ、まずは自分の鏡にそのようなものを映し出す選択をすればよいのです。

2017年

8月

20日

「ギフト 僕がきみに残せるもの」

 

ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された元NFL(プロフットボール)選手が、手や足が動くうちに、言葉が話せなくなる前に、これから生まれてくる我が子に対して残したビデオメッセージです。完全なドキュメンタリーであり、だからこそ、どれだけ巧妙に作られた映画でも遥か及ばない、圧倒的な迫力と心を動かす力が溢れています。ALSという恐ろしい病気を扱った映画ではありますが、患者本人だけではなく、家族(介護者)や周囲の人々の想いや葛藤が見事に映し出されていて、言葉にならないぐらい素晴らしい映画でした。正直に言うと、今の世を生きる全ての人々に観てもらいたいですし、介護や福祉の仕事にたずさわる私たちは必見だと思います。

スティーヴ・グリーソンはニューオリンズ・セインツの伝説のヒーロー。彼のプレイは人々の記憶に残り、尊敬と賞賛を集める羨むべき存在でした。その陽の部分があるからこそ、難病ALSと診断されてからの彼や妻ミシェルの絶望や苦闘がより際立ち、さらにそこから再び陽の当たる人生を取り戻そうとするパワーには言葉を失うほどの感動を覚えます。もし自分だったら、彼のように笑えるだろうか、泣けるだろうか、叫べるだろうか、愛せるだろうか、考えれば考えるほど、もっと自分の人生を生きなければと突き動かされるのです。

 

一貫しているテーマは、父親から息子に伝えたいことです。スティーヴは息子のリバースに向け、父である自分の全てを知ってもらいたいという一心で、子どもが生まれる前からビデオ日記を撮り始めました。リバースがそのビデオを観る頃には、スティーヴはもう目以外の身体の全ての筋肉を動かすことができず、子どもを抱きしめることさえできなくなっていることでしょう。「(このビデオメッセージは)ハグだよ」とスティーヴが語ったように、父親からのストレートな愛が込められていて、リバースはハグ以上の何かを感じるはずです。

 

ビデオの中にはスティーヴの父も多く登場していて、信仰に対する考え方の違いを巡ったすれ違いの中、「僕の魂は救われている」とスティーヴが父に心の叫びをぶつけ、父がそれに対して本心で応えるシーンは涙なしに観られませんでした。その他、スティーヴが伝説のバンドPEARL JAMのボーカリストにインタビューしたシーンにおいて、「(小さい頃に離別してしまった)父親の何が知りたいか?」という質問に対し、「どれだけ自分のことを愛していたのかを知りたい」と答えたやり取りは、とても深く印象に残りました。

 

 

僕は何ができるのでしょうか。世界中のALSを始めとする難病で苦しむ人々のために、湘南ケアカレッジに来てくださる生徒さんや卒業生さん、一緒に学校をつくってくれている先生方のために、そして私の子どもや家族、大切な人たちのために何ができるのか。今の僕には答えが見つからず、もしかするとそんなことを問うこと自体が傲慢なのかもしれません。それでも、もしこの映画の中からひとつの答えを受け取るとすれば、いつもそばにいること、そして生きる姿を見せることなのだと思います。ただそうするだけで、私たちは互いに何かができるのではないでしょうか。

 

映画「ギフト 僕がきみに残せるもの」の公式HPはこちら

8月19日(土)より渋谷、有楽町にて公開中です!

2017年

8月

16日

ケアカレらしさ

実務者研修の初日のリアクションペーパーに、「やっぱりケアカレらしくて、嬉しく思いました。先生たちも素敵です」と書いてくださった生徒さんがいました。介護職員初任者研修を湘南ケアカレッジで受け、その後、現場を経て、数年ぶりに実務者研修に戻ってきてくださった卒業生さんの声だけに、私たちも嬉しく思います。介護職員初任者研修と実務者研修では、その内容からレベル、目標まで異なりますが、それでもケアカレらしさは同じであり、ケアカレらしさを失ってはいけないと思います。ケアカレに来て良かったと思ってもらえるような学校にしたいという想いは、私を含めた全ての先生方が抱き続けている願いです。

 

ケアカレらしさという意味においては、実務者研修で初めて湘南ケアカレッジに来てくださった生徒さんよりも、初任者研修をケアカレで受けてくれた卒業生さんこそ感じてもらえるのだと思います。ケアカレで実務者研修を受けようと決めたとき、おそらく介護職員初任者研修の充実していた日々を思い出してくれたはず。またあのときのように真剣に楽しく学びたい、あのときよりも成長した自分をさらに高めたいと。その期待を裏切ってはならないと思うと、実務者研修はハードルが一段と高くて責任重大ですね。

 

ところで、ケアカレらしさとは何でしょうか?改めて問うてみると、実は分かっているようで、自分たちでは意外と分かっていないかもしれません。上記の卒業生さんは何をもってケアカレらしいと感じてもらえたのでしょうか。教室の熱気や盛り上がりでしょうか?それとも先生方の興味深い授業でしょうか?介護に対する熱さでしょうか?はたまたクラスの生徒さんたちの暖かい雰囲気でしょうか?もしかするとその全てでしょうか。いずれにしても、介護職員初任者研修を受けた当時の、懐かしいあの感覚が蘇ってきたのだと思います。

 

ケアカレらしさを定義するのは難しいですが、私たちは今まで大切にしてきたことをそのままに、ケアカレらしくあらねばならないのです。だからこそ、実務者研修に参加してくれた卒業生さんに「やっぱりケアカレらしい」とおっしゃっていただけると学校冥利に尽きますし、お互いに変わりなく頑張っている姿を確認できると安心します。

 

 

そういえば、介護職員初任者研修のときに刺繍をプレゼントしていただいた卒業生さんが、3年ぶりに実務者研修に来てくださり、新作の刺繍を贈ってくださいました!最初にいただいたものは事務所へ、新作は教室へと飾らせていただくことにしました。長い歳月を経ても、こうして卒業生さんと私たちの気持ちが変わらずここにあることに感謝したいと思います。ありがとうございます。

2017年

8月

10日

「はざまのコドモ」

私たち人間の生きる世界は多種多彩です。コンピューターのように0と1で構成されているわけではなく、黒と白に分けられるわけでもありません。目には見えないことの方が圧倒的に多くて、だからこそ私たちは想像力を働かせ、他者と共に生きていかざるをえません。しかし最近は、制度を利用したり、適切な支援をするために、人間を分かりやすい形で細分化する必要が出てきて、それによってこれまでは見えなかったもの(見えなくても良かったものまで)が浮かび上がってくるようになりました。発達障害などはその典型であり、支援や治療を受けやすくなった反面、レッテルを貼られたり、カテゴライズされてしまうというデメリットもあります。このマンガには、そうした制度やカテゴライズのはざまに落ち込んでしまった子どもと親の現実が描かれています。

 

主人公のヨシくんには発達障害や睡眠障害があり、小学校の下駄箱の前で寝てしまったり、授業中に突然お弁当を食べ始めてしまったり、学校(社会)生活になかなかなじめません。将来のことを考えると、療育手帳(東京都では愛の手帳)を取得しておくべきですが、ヨシくんは何度テストを受けても、IQが85前後の結果が出てしまうため、障害なしと判定されてしまいます。ちなみに、IQ70以下が「発達遅滞」、IQ90前後からが「正常」と定義されており、ヨシくんのようなIQ70~85ぐらいまでの人たちが「境界知能」、いわゆる知的ボーダーと呼ばれます。制度である以上、どうしてもどこかで線引きをしなければならず、その線の前後ギリギリのところ(ボーダー)にいる人たちは、下手をすると支援が必要であるにもかかわらず支援が受けられないという事態に陥ってしまうのです。

 

マンガの中では、制度に振り回され、偏見や差別を受けながらも悪戦苦闘する親子の姿がユーモラスに描かれていて、微笑ましく、つい応援したくなってしまいます。療育手帳が取れて、特別支援学級に行けばすべて解決するということではなく、普通学級にいながら通級指導などのサポートを受ける方が良いケースもあるそうです。どちらが良いということではなく、本人が安心、安定して過ごせる学習環境においてあげることが大切なのですね。私が子どもの頃は、同じクラスに障害のある人もいたので、個人的には区分けすることなく(そうするメリットも良く分かりますが)、できるだけ共に生きられる方向で支援することが、社会全体としての豊かさにつながると考えています。

 

 

介護や福祉にたずさわる私たちは、はざまに生きている人たちがいることを知っておかなければいけません。一般の人たちには見えなくても、私たちには見えなければならないのです。制度を利用してもらったり、または一見不思議に思える言動を理解するためにも、支援すべき立場にいる専門職である私たちは、相手のことを知ってこそ適切な支援ができるはずです。

2017年

8月

06日

目に見えないつながり

4月からスタートした介護職員初任者研修の日曜日クラスが修了しました。人数の多いクラスでしたが、全員がひとつにまとまり、とても良い雰囲気で研修全体が流れました。「今までの中でいちばん教えやすかった」と言っていた先生もおり、実際に教えさせてもらうとクラスの雰囲気はより体感できるのですね。教えやすいというのは、皆さんが一生懸命に取り組んでくれて、こちらからの投げかけに対しても反応が良く、お互いに協力しながら良い学びにしているという意味でしょうか。研修修了後の打ち上げにも顔を出させていただきましたが、「この15日間の研修は本当に楽しかった!」という気持ちが、全員から伝わってくるようで嬉しかったです。最後の日には、皆さんからの温かいメッセージが記された色紙をいただきました。ありがとうございます!

 

打ち上げに参加させてもらうと、学校の中だけでは分からなかったことも分かります。それぞれの生徒さんたちが、どのように仕事をしていて、どのようなことに困っているのか。またどのような人生を歩んできて、どのような哲学を持っているのか。どのような趣味があって、どのような家族構成なのか。普段はいたって普通の生徒さんに見えていた方が、意外にもハチャメチャな性格であったりする新しい発見もあります。今回の日曜日クラスは、男性にも女性にも複数のリーダーがいて、周りを盛り上げ、良い方向に引っ張ってくれていましたが、それ以外の生徒さんたちも実は個性が強く、本当に楽しいクラスだったのだなと改めて知ることができました。

 

話の流れの中で、どのようにしてケアカレに来てくれたかを知ることもあります。「実は〇〇さんから話を聞いて、ここに決めたんです(〇〇には懐かしい名前が入る)」とか、「今の職場で一緒に働いている△△さんから勧められました。△△さんのこと覚えています?」とか、「私がケアカレに来た理由は、働こうと思ってあるデイサービスを訪ねたら、資格がないと働けないと断られて、帰ろうと歩いていたところ、途中で後ろから走ってくる女性がいて、『学校に行くならばここに行った方がいいよ』と湘南ケアカレッジの名前を聞いて電話したんです」とか。逆に「来月から介護職員初任者研修を受けに来る□□さんは、私の知り合いです。今通っている学校は楽しいよと紹介しておきました」などと教えてくれます。そのような話を聞くたびに、私の中での卒業生さんたちの関係図は更新され、もう整理するのは不可能なぐらいに複雑に、それぞれの生徒さんたちはつながり、結びついていっているのを実感します。

 

 

湘南ケアカレッジが開校してから4年間、ひとつひとつの授業やクラス、ひとり一人の生徒さんたちを大事にしてここまでやってきました。先生方が素晴らしい研修を提供してきてくれたおかげで、目に見えない良い評判や口コミが、町田や神奈川の地域に広まっているのを感じます。友だちの友だちは皆友だちと言うように、ケアカレの卒業生の友だちは皆卒業生のようなつながりが生まれているのです。どれだけ立派なマーケティングや広告でも、決してコントロールできないのが人の気持ちであり、学校に対する評判や信頼です。そのような目に見えないものを、先生方と協力しながら、卒業生さんたちと交流しながら、これからも時間をかけてつくっていきたいと思います。

2017年

8月

02日

もし自分が介護を受けるなら【マナーハウス】

「あれ?間違えたかな?」

マナーハウス横山台に入り、私は訪問する場所を間違えてしまったのかと戸惑いました。エントランスを入ってすぐに絵画が目に止まり、「マナーハウス美術館」と銘打たれています。そう、ここは美術館という別名をもつ介護施設でした。入口だけではなく、建物全体の廊下などの至るところに絵画は飾られており、ご利用者さんは美術館の中で暮らしているのです。

続きは→介護仕事百景【マナーハウス】にて

2017年

7月

30日

趣味にも生きる

湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修、実務者研修では、コミュニケーションやアセスメントの一環として他己紹介を行っています。初任者研修では3日目、実務者研修は初日に行います。まずはペアを組んでいただき、相手のことを聞き出しつつ、その後、他のクラスメイトに対して相手の人となりや趣味などを紹介する。他己紹介をすることによって、ペアを組んだ相手の方と仲良くなれますし、他のクラスメイトのことも知ることができます。それまでは互いのことを知らずに緊張していた雰囲気が一気に和やかになり、クラスメイトに対する見方が変わってくるはずです。平面的にしか見えていなかったクラスメイトたちが、ひとり一人のことを深く知ることで、立体的に見えてくるから不思議です。これがコミュニケーションの効果ですね。

7月短期クラスの生徒さんたちも、たくさんの趣味をお持ちでした。十人いれば10の趣味があるのだなと毎回不思議に思わせられます。趣味の中には、私が知っているものもあれば、知らないものもあります。そのような趣味があるのだと、感心させられてしまいます。その中でも、クロスロジックの趣味には驚かされました。数字に合わせてマス目を塗りつぶしていくと、最後には何かしらの絵が完成しているそうです。これをやっているときには、没頭して無心になれるとのこと。翌日、実物を見せてもらったのですが、あまりのマス目の多さに、完成させるのにどれほどの時間が掛かったのだろうと圧倒されるほどの出来栄えでした。

佐々木先生の授業の中でも、介護の仕事にたずさわる人は特に、気晴らしや気分転換として趣味を持っているといいですねという話が出ます。ここでいう趣味とは、つまりクロスロジックのように、それをやっていると無心になれて、それ以外のことは忘れられる行為ということです。

 

私の場合、趣味と聞かれたら、映画鑑賞やビリヤードと答えることにしていますが、映画もそれほど頻繁に観に行くわけではありませんし、ビリヤードに関しては上手くプレイできないとストレスを感じてしまうのでもはや趣味とは言えないのかもしれません。もしかすると私にとっては、無心になれる洗濯ものを干したり畳んだり、食器を洗ったりすることが趣味なのでしょうか。それとも本を読むと気分転換になることもありますので、読書が趣味なのでしょうか。実はこうした文章を書くことも趣味なのかもしれません。そう考えると、趣味を持つというのは案外難しいものですね。

 

 

これからは、いくつかの仕事と趣味を同時に並行してゆく時代になると思います。これまでは若い頃は仕事をして家族を養い(または子どもを育てるなど)、60歳になって定年を迎えたり、子育てがひと段落したあとに、自分の趣味に専念したりしていました。ところが、私たちの寿命が延びて多くの人々が100年生きる時代が来ると、そのように人生を縦に割るような形では生きていけなくなります。仕事は身体が動くかぎり、できるだけ長く働き続けなければいけませんし、そうすると趣味に生きるはずだった定年後がなくなります。やりたいことがあるならば、できるだけ早くから、今すぐにでも初めて、同時並行に行っていくべきですね。これまでの縦割りの人生プランを横に倒して生きてゆくということ。難しくて大変かもしれませんが、それはそれで新しくて刺激的で楽しい人生プランになるのではないでしょうか。

2017年

7月

26日

自分のルーツを知ること

先日、ウイリング上大岡で行われた岩佐まりさんの講演会に参加してきました。岩佐さんの話を聞きたい方々がたくさん集まり、会場は超満員でした。普段の講演会であれば会場の半分も集まらないそうです。さすが岩佐さんですね。開演ぎりぎりに駆け込んだ私の座る席はもちろんなく、久しぶりの立ち見。実は岩佐さんが話すのを聞くのは今回が初めてでしたが、期待を遥かに超える素晴らしい内容でした。ユーモアと笑いに溢れ、ときに涙あり、そして熱い想いが一貫して伝わってくる、これほどまでに完成度の高い講演はほとんど知りません。いつか近い将来、湘南ケアカレッジでも話していただきたいと思いますので、お楽しみに。

 

岩佐さんの話を聞いていて、ふと感じたのは、今の私たちを形づくったり、支えたりしているルーツがあるのだということです。ルーツとは、日本語に直すと発祥、起源、原点という意味です。つまり、岩佐さんがお母さまの介護をして、こうして多くの人たちの前で介護について話しているのは、決して今たまたま起こったわけではなく、小さな頃までさかのぼってゆくと、お母さまが大好きで仲が良く、友だちと遊ぶよりもお母さんと一緒にいる方が楽しいという子どもだったことや、女優になりたくて上京してテレビに出演したりCDデビューしたりという起源や原点があったからこそ。

 

講演の最後に「なぜ若いあなたがここまでのエネルギーを持ってお母さまの介護をしているのですか?」という質問が出ました。そこにはお母さまが大好きというルーツがあり、それが今の岩佐さんを形づくり、支えているのだと思います。

 

そう考えると、私もなぜ今こうして介護・福祉の教育にたずさわっているのかと振り返ってみると、私の曾祖母に行き当たります。ひいばあちゃん(こちらの方が自然なのでそう呼ばせていただきます)は、私が物心ついた頃はすでにほぼ寝たきりの生活を送っていました。目はほとんど見えず、耳は遠かったのですが、私がお盆や正月などに帰省すると、「大きくなったなあ~」と私の顔のあらゆるパーツを触りながら喜んでくれました。頭ははっきりしていて、枕元で手を握ってたくさんの会話をしました。食事のときにはリビングまで誘導するのが私の役目で、私は後ろ向きになって手を引きながら、一歩ずつゆっくりと10分ぐらいかけて一緒に歩きました。ひいばあちゃんの手の感触は今でも残っています。し、あの当時、ひいばあちゃんと過ごした時間は忘れ得ぬ思い出です。

 

 

なぜ幼い私が70歳近く年の離れたひいばあちゃんと幸せな関係を築けたのか、はっきりとは分かりません。ひいばあちゃんにとって私は可愛いひ孫だったのでしょうが、私にとってのひいばあちゃんは一体何だったのでしょうか。なんとなくではありますが、私にとってのひばあちゃんは神様のような存在だったのかもしれません。あまりにも歳が離れすぎていて子どもと大人という関係ではなく、生活もかけ離れているため同じ世界に住んでもいない、ただ生き物と生き物として、こころとこころで分かりあう、私にとっては波長の合う存在だったのでしょう。あのときの原体験が私のルーツであり、今の私を形づくり、介護・福祉教育を提供するモチベーションを支えてくれているのだと思うと、人生は不思議なものですし、ひいばあちゃんには感謝せざるをえないのです。皆さまも、自分のルーツを探ってみてはいかがでしょうか。

2017年

7月

22日

「残り時間ゼロ」を生きる(再掲)

日野原重明先生による、「101歳 私の証 あるがまま行く」という朝日新聞の連載はいつも秀逸でした。

 

「私たちの命が有限であることは、誰もが心得ています。旧約聖書にはこうあります。『人生の年月は70年ほどのものです。健やかな人が80年を数えても得るところは労苦と災いに過ぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります』」

 

という言葉で始まる「残り時間ゼロ」を生きるというコラムは、今でも鮮明に記憶に残っています。その中で、聖路加国際病院の緩和ケア病棟(ホスピス)に入院された70代のご婦人が、大好きなオペラやバレエを最後まで観て亡くなる話を紹介しつつも、実際には「残り時間ゼロ」を望みどおりに生きることが極めて困難であることの現実を目の当たりにしてきたと告白します。日野原重明先生の死生観が心に響きます。

 

私の尊敬するアップルの創業者であるスティーブ・ジョブズ氏は、スタンフォード大学の卒業式のスピーチにて、「死は人類最大の発明である」、「「今日が最後の日だと思って生きれば、いつの日かその通りになる」、「もし今日が最後の1日だとして、今日することをするか?」と自問し、そうではないと思う毎日が続けば、生き方を変えなければならない、と学生たちに向けて語りました。このメッセージはその場にいた学生たちだけではなく、多くの人々の心を打ち、伝説のスピーチとして歴史に残りました。 

 

日野原重明先生もスティーブ・ジョブズ氏も、死を想って生きることの大切さを説いています。死を想う(メメントモリ)というと、日本人の中にはばかげていると考えたり、死そのものを遠ざけようとする圧力が働くことがあります。まるで私たちの生きている世界には死がないとばかりに。確かに、子どもたちに対して死を想えという教育はあまり有効ではないと思いますが、大人になると、自分たちが死に向かっている存在であることを強く意識するべきでしょう。なぜなら、私たちは死を前にしては裸同然であり、もっと私たちを縛っている色々なものを捨てて、より良く生きることができるはずだからです。

                 

以前にも書きましたが、この先、日本には多死の時代が訪れます。年間で160万人ぐらいの方々が亡くなってゆきます。それは私たちとは無縁のところで起こっているのではなく、私たちの周りで起こる出来事になります。もしかすると、私でない誰かではなく、私かもしれません。そんな時代の中では、死を想い、より良く生きることが何よりも重要になってきます。まずは個人レベルで死と向き合うところから始めなければなりません。それができて初めて、死に向かう人、そしてその家族へのグリーフケアに至るのだと思います。

 

介護職員初任者研修には、「死と向き合う人のこころとからだのしくみ、終末期介護」という科目があり、死について考えてもらい、向き合ってもらうお手伝いをさせていただきます。ぜひ真剣に死と向き合ってみてください。そうすることで、あなたのこれからの人生が少しは変わるはずです。

 

2017年

7月

19日

「光」

「あん」が余りにも素晴らしく、光を巧みに取り入れた映像が美しかったので、次回作が視覚障害者を主人公とした「光」というタイトルの映画であることを知ったときには期待をせざるをえませんでした。そんな私の大きな期待を裏切らない、観終ったあとはさすが河瀬監督と思わせられる作品でした。視覚障害を負うことになった著名なカメラマン中森と駆け出しの音声ガイド美佐子の交流がストーリーの幹ですが、認知症や生と死を扱ってみたり、映画中にもうひとつの映画が上映されるという入れ子構造にもなっているように、実に濃厚で重厚な内容になっています。また、健常者が視覚障害について想いを馳せ、理解を深めるのにもってこいの教材にもなりそうです。

 

個人的には、美佐子と中森の恋愛は蛇足だと思いましたが、美佐子が音声ガイドという仕事を通して、視覚障害者の世界やその心情にぶつかりつつ、理解し始めるシーンの数々が素敵だと思いました。たとえば、音声ガイドに対してあまりにもダメ出しをされたことで、美佐子がつい「想像力がないんじゃないですか」と中森に対して突っかかってゆく場面があります。その後、美佐子は上司から「想像力がないのはどっちなのかな?」と正されます。

 

想像力という言葉はそこら中にあって、「相手の気持ちを想像して」なんて私たちは気軽に言ってしまっている気がしますが、本当に私は想像できているのだろうか?という疑問がふと湧きました。もしかすると、目で見えている情報だけを頼りに、勝手にそう決めつけていたり、自分にとって良いように解釈しているだけかもしれない。私たちには目をつぶって、本当の意味において、想像する時間が足りないのです。

 

視覚を完全に失ってしまう直前、中森が「顔、触らせてくれないかな」と頼んで、美佐子の顔を撫でるシーンも私は好きです。大切なものが見えなくなってしまうことの辛さ、目で見ず手で触ることで脳裏に宿る映像の美しさ、そして映画の中でも語られている「目の前から消えてしまうものほど、美しいものです」という言葉の意味がそこには込められていました。

 

 

目の見えなかった曾祖母が私の顔を撫でてくれたことを思い出し、あのときの感触が蘇ってきて、懐かしく、胸が締め付けられる想いがしました。もし愛する人の美しい姿が見えなくなったら、私はどのようにして生きてゆけるのでしょうか。想像すればするほど、私にはそこに光を見出すことができる自信がありません。

 

「光」の公式HPはこちら

2017年

7月

16日

一歩前に出る

卒業生の岩佐まりさんが、読売新聞の「ケアノート」に登場していると、佐々木先生が教えてくれました。持ってきてくれた切り抜きを読んでみると、改めて頑張っているなあと感心させられ、私たちも刺激を受け、励まされるように感じます。もちろん私たちだけではなく、彼女の言葉や生き方、そして存在に刺激を受け、励まされる人たちがたくさんいるはずです。おそらく彼女は自らその役を買って出たのだと思いますが、周りの目を気にして隠したり、問題を抱え込むのではなく、外に向かって一歩前に踏み出したその勇気に敬意を表します。自分たちのことだけでも大変なのに、同じような状況で困っている人たちの助けにもなりたいと考える彼女を私たちは応援しています。

 

岩佐さんの活動を通して、私も家族介護で困難を抱えている人たちが世の中にはこんなにもいるという事実を知りました。私が思っているよりも遥かに多くの人々が、家族の介護に面し、困っていることすら分かってもらえない、そんな想いを抱えて生きているのです。それは今に始まったことではなく、私の祖母も曾祖母の介護をずっとしていたように、古今東西ずっと行われていたことですが、表に出てこないから、見えない人には見えなかっただけのこと。最近になってようやく、岩佐さんのような一歩前に出た人たちのおかげで、少しずつですが社会の中で見えるようになってきたのです。

 

7月短期クラスの生徒さんが、教室に貼ってあった岩佐さんの記事を読んで、「私もまったく同じでした」と教えてくれました。彼女のお母さまも、岩佐さんのお母さまがそうであったように、50代で若年性アルツハイマー型認知症を発症したそうです。その当時は、若年性や認知症という言葉や病名すらありませんでしたので、今とは比べものにならないほど途方に暮れたはずです。やかんを繰り返し焦がしたり、外に出て行って迷子になってしまうなどは日常茶飯事だったそうです。その生徒さんは口にはしませんでしたが、ひとりで抱え込まなければならないことが、共に立ち向かえる仲間がいなかったことが最も辛かったのではないでしょうか。

 

 

岩佐さんのブログを読んで励まされている卒業生さんもたくさんいて、そのような形で卒業生さん同士がつながっていることも嬉しく思います。「岩佐さんの記事が載っていました。ちょうどお休みが取れたので、横浜で7月17日に行われる講演会に行ってきます」というメールも頂戴しました。私も予定がずらせそうなので参加してきます。いつかケアカレにも来てもらって、卒業生さんたちに向けて、家族の介護について話してもらいたいと思っています。介護の現場で働いている卒業生さんにとっては、家族の生の声を聞くチャンスですし、また同じく家族介護をしている卒業生さんは、岩佐さんのどうせなら楽しく介護をしたいという姿勢に共感するはずです。

2017年

7月

12日

幸福論【サンホーム鶴間】

「社会福祉(法人)はそもそも企業とは違います」

 

課長の川上さんはきっぱりとそう言います。お金だけを求めたら、つかんだ砂が手から零れ落ちるように流れていってしまうけれど、目の前の人を拒まずに全力で向かい合っていきさえすれば、いつか必ず報酬はついてくる。「サンホーム鶴間は、あんなに大変そうな人も断らずに受け入れている」という地域の人たちからの厚い信頼になる。「困ったときにはサンホーム鶴間に行ってみよう」と、お金では買えない行動という価値が生まれる。そんな時間をかけて染み渡った評価は施設にとっての財産となるのです。

 

3人がかりで対応しなければならないほど介助を必要とする方が、デイサービスを申し込みに来ました。他のデイサービスでは、1人のご利用者さんに3人もの職員がつくのは割に合わないと断り続けられたそうです。職員さんたちに受け入れるかどうか尋ねてみると、「これは私たちでないとできない仕事ですね」と答えたそうです。もう1度言います。「私たちにはできない」ではなく、「私たちでないとできない」と返ってきたのです。

 

続きは→介護仕事百景【サンホーム鶴間】にて

2017年

7月

08日

どう考え、何を伝えるか

6月短期クラスが修了しました。湘南ケアカレッジが始まって以来、最も人数の少ないクラスであったにもかかわらず、ひとり一人がとっても個性的で、人数の少なさを感じさせませんでした。たとえ人数が多くても、私たちはひとり一人の生徒さんたちをしっかりと見ていますが、人数が少なければその分、ひとり一人の個性が際立って見えてくるのは確かなようです。「みっちりと実技の練習ができて良かった」とおっしゃってくださる生徒さんが多かったです。そう、本当にみっちりと練習ができたのです。そう考えると、少人数のクラスで良かったと思うことができますね。同じものごとや状況でも、どう考えるかで、私たちの世界は全く違うものになってしまうのです。

 

私たちは今までのクラスをずっと見てきて、今回のクラスは人数が多い少ないと、数字や見た目で判断することができます。経験や知識があるからこそ、今までに比べて人数が少ないと分かり、少ないことで盛り上がらなかったり、人と人がつながらなかったりしないだろうかと心配をしてしまう。そこには多い方が良いという思い込みがあったり(もちろん学校としてはたくさんの人たちに来てもらいたいと願っていますが)、いつもと違うことで不安を抱いたり、勝手にやりにくさを感じたりするかもしれません。でも今回初めて湘南ケアカレッジに来てくださった6月短期クラスの生徒さんたちには、これが当たり前なんですよね。当たり前というか、これぐらいの人数であることに何ら不思議を感じない、ニュートラルな気持ちです。思い込みも偏見もない状態ということでしょうか。

 

ということは、経験や知識のある人たちが、どのような情報を伝えるかによって、状況は変わってくるということです。たとえば、今回のクラスでいえば、「人数が少ないから、盛り上がらないかもしれないし、人と人のつながりも薄いかもしれません」と伝えると、生徒さんたちはそのように考え、人数の少ないクラスをそのように見るようになるはずです。その逆に、「人数が少ないから、他のクラスよりもみっちりと練習できるし、人とのつながりも密になるかもしれません」と伝えると、生徒さんたちはそのように考えてくれるようになるかもしれません。つまり、知識や経験のある人たちが、これからの人たちに対し、何をどのように伝えるかは、同じものごとや状況に対する見方を180度変えてしまい、自分たちを取り巻く世界さえも変えてしまうということです。

 

 

どのように伝えるかは、私たちがどのように考えるかということでもあります。たとえば、人数が少ないという状況を、みっちりと練習できる良い機会だと見ることができれば、そのように伝えることができます。伝える側は、視点のスイッチを切り替えることができなければいけないのです。自分が見たことや感じたことをそのまま伝えるのではなく、様々な視点から考えてみて、その中から相手にとって最善の見え方を伝えるということです。人数が少ないクラスというテーマだけで大げさに書いてしまいましたが、私たちが物ごとや状況をどう見て、何を他者に伝えるかによって、少しずつですが大きく世界は変わってくることを心に留めておきたいと思います。

2017年

7月

04日

命の仕舞いかた

医師である長尾和宏さんと看護師の髙口光子さんの講演「命の仕舞い方」を聞きに、静岡の富士市まで出かけてきました。この講演については、お付き合いのある特別養護老人ホーム「マナーハウス麻溝台」(髙口さんが手掛けている神奈川の施設)を通じて知りました。生の高口さんを拝見したいという気持ちと、以前に当校のブログでも紹介させていただいた「ばあちゃん、介護施設を間違えたらもっとボケるで」の著者の話を聞きたいという、ひと粒で2度の美味しさを求めて新幹線に飛び乗りました。講演のテーマは、ターミナルケアであり、しかも病院ではなく、在宅や介護施設で死ぬことについて。つい先日、小林麻央さんが在宅で亡くなったこともあり、講演を聞きに多くの方々が足を運ばれていたように、これからの(高齢)社会を生きる私たちにとって切実な問題になっているのだと実感しました。

 

長尾和宏医師の講演は実に見事でした。今の時代を生きる私たちにとっての死に方は、大きく分けて3つのコースあるそうです。Aコースはガンによって。私たちの2人に1人はガンという病気になり、3人に1人はガンで死にます。ガンによる死は、健康状態や身体状況があっと言う間に悪くなり、死に至る。「今この会場にいる皆さまの3人に1人はガンで亡くなります。分けてみましょうか(笑)」というブラックジョークはブラックではないのです。Bコースは、心不全など臓器が完全に働かなくなることによる死です。ガンに比べると比較的なだらかに死に至ります。Cコースは認知症。こちらは実になだらかに死に向かっていきます。「さあ皆さん、AコースとBコース、Cコースのどれが良いですか?」という問いはブラックジョークを通り越し、たとえ今まだ若くても人間は誰もが死から逃れられない存在であり、死に方さえも実は選ぶことが難しいのだと教えてくれます。

 

しかし、どこで死ぬか、つまり死に場所は選ぶことができるのです。病院なのか、介護施設なのか、それとも在宅か。私たちにはせめても死に場所を選ぶ権利があり、そのためには、それぞれの場所における死がどのようなものであるかを知っておく必要があります。長尾さんは在宅における死を「枯れる」と表現します。食事の量や摂取する水分の量が少しずつ減ってゆき、まるで花が枯れるように亡くなってゆくことができる。そして、最後の最後まで家族や大切な人たちと一緒に過ごし、話をすることができるのです。この「枯れる」という言葉を聞いたとき、生徒さんたちがくださった花が綺麗に枯れて、最後は美しいドライフラワーになったことを思い出しました。

 

 

髙口さんはイメージどおりの人でした。生で会ってみると印象が変わったりする方もいますが、明るさ、快活さ、芯の強さや温かさを感じさせる女性でした。髙口さんはALS(筋萎縮性側索硬化症)を患って施設に入ってきたKさんという方を取り上げつつ、介護施設での死を語りました。介護施設での死はあまり知られておらず、誤解されているかもしれませんが、病名で死ぬ病院とは違い、その人として亡くなることができると主張されていました。具体的なことは、著書「介護施設で死ぬということ」を買ってきましたので、そちらで紹介させていただきますね。

 

髙口さんが最後におっしゃっていた、「非日常的な1日というのは、日常的な毎日を長い間にわたって積み重ねて来た者たちだけの間に訪れる」という言葉が印象的でした。介護の仕事というのはそういうものですし、またターミナルケアに光が見えるとすれば、それは日常的な暮らしの中における美しい一瞬なのだろうと思うのです。それは経験した者にのみ分かることなのかもしれません。

 

長尾さんは小林麻央さんの死を取り上げ、海老蔵さんの会見には在宅における死の大切さが詰まっているとおっしゃっていました。

2017年

6月

30日

美男美女が集う【かりん・町田】

「うちは、綺麗な人が多いです」

施設長の川亦(かわまた)さんは胸を張って、こう話されました。介護の業界において、様々な取り組みをしている施設は数多くありますが、某有名カフェのように、ついにビジュアル重視の採用に力を入れ、美男美女を集める施設が現れたのかと私は驚きました。そんな浅はかな勘違いに、最後まで疑いを抱かせないほど、かりん・町田で働く職員さんは印象の良い方ばかりでした。

 

続きは→介護仕事百景【かりん・町田】にて

2017年

6月

26日

今日から第二の患者さん

がん患者の家族は看病の不安やストレスで悩まされ、その心の負担は患者と同じかそれ以上と言われます。つまり、患者同様にケアされるべき第二の患者なのです。がんのような重篤な病気であればあるほど、患者本人への心配や注目が大きくなってしまいがちですが、その傍らにいるパートナーや親、子どもたちにも同じように大きな心的負担が掛かるという視点は大切なのだと思います。これはがんだけに限ったことではなく、長期にわたって療養が必要な他の病気でも同じことが当てはまるはずです。そうすると、介護が必要になった要介護者の周りの家族も第二の要介護者と考えることもできるのではないでしょうか。

 

著者の青鹿ユウさんは、入籍の前日に婚約者である夫から大腸がんを告げられ、看病をすることになります。最初は「私がいるから大丈夫」と、自分に頼ってもらおうと気丈に振る舞っていましたが、次第に大きな不安や何とも言えない心苦しさが襲い掛かります。たとえば、入院中でもマンガを描きたい夫と身体を気遣ってあげるべきとアドバイスしてくれる友人の間に板挟みになり、どうすれば良いのか悩んだり、術後のパニックで暴力的になってしまうほど夫がナーバスになったり、経済的に厳しくなったりと、ガンという病気が引き起こす状況にいつの間にか自分も巻き込まれて、もがいているのでした。

 

こういう苦しいときほど、少しでも状況を良くしようと考えたり、工夫したりすることで、新しい何かが生まれたりします。ユウさんもがんという病気や保険などの制度に対する様々な知識を得ただけではなく、患者との接し方やコミュニケーションのあり方など、多くを学び、よりふたりの絆は深くなりました。良い状況はそれを楽しめば良いし、悪い状況は何かを生み出すチャンスだと楽しめば良いのです。

もうひとつ大切なことは、状況は変わるということです。義理の母を介護しているNちゃんと話した中で、「状況は変わる」という言葉にユウさんがハッとさせられたシーンがあります。今でなければできないことなんてない。状況はいつか変わるのだから、そのときめいっぱい自分のことをがんばるのでも遅くないと教えられたのでした。

これは病気や介護だけではなく、どのような苦境にある人々にとっても知っておくべき考え方かもしれません。今目の前にある悩みや苦しさから何とか逃れようともがけばもがくほど、私たちは苦しくなってしまいます。大切なことは、苦しいときにこそ、目の前のことに集中することだと思います。私は「時間が解決する」と自分に言い聞かせることにしていますが、それは先のことを考えすぎるのではなく、何もしないということでもなく、今自分ができることをひとつずつ積み重ねて、あとは状況が変わるのを待つということです。たとえ最後に死が待っていたとしても、行うことは同じなのではないかと私は思います。

 

 

2017年

6月

22日

ケアカレ中毒⁉

「ケアカレ中毒になりそうです」とおっしゃった卒業生さんがいました。中毒なんていうと聞こえは悪いですが、つまり湘南ケアカレッジに行きたくて仕方なくなる心の病です(笑)。かつてはケアカレロスなんていう言葉もあったように、湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修で過ごした15日間の濃厚な時間が忘れられず、研修が終わって寂しい思いをしたり、また通いたくなる気持ちになるそうです。クラスメイトや先生方と共有した時間が、それだけ素晴らしかったのでしょうね。

 

先日は、実務者研修で仲良くなった4人組が事務所に訪れてくれました。実務者研修が現場で役に立っている話から、困っていることやちょっとした悩みまで話してくださいました。お昼休みの時間でしたので、小野寺先生が話しを聞いてくださって、「また新たな気持ちで明日から仕事に向かえそうです!」とおっしゃって、皆さん帰って行かれました。私としては、たった7日間の実務者研修で生徒さんたち同士が仲良くなり、一緒にケアカレに再訪できるようなつながりになったことが何よりも良かったと思いました。

 

 

今月はたくさんのお土産もいただきました。静岡では大切な人に贈るとされている「ゆかり」や富山の「ちんみ」、僕も好きな「シュガーバター」、水分補給には欠かせないお茶、鎌倉のパウンドケーキなど。手ぶらで来てもらえればと思うのですが、お土産を買っていこうとケアカレのことを考えてくださっていることが嬉しいですね。また、お土産を持ってきてくださった卒業生さんには、他の卒業生さんからいただいたお土産をお返ししたりして、なるべく感謝の気持ちが循環するようにしています。

最近卒業された生徒さんからは、お手紙つきでお菓子をいただきました。彼女は4年近く前に一度、介護職員初任者研修を受講してくださいましたが、途中で大きな病気になってしまい、ずっと休学していました。彼女のお母さまから電話が掛かってきたときのことは今でも忘れません。つい昨日まであれだけ元気にしていたのに、もう少しで修了のところまで来ていたのに、そんなことが起こるのかと唖然としました。

 

あれから長い歳月が経ち、彼女自身から電話をもらい、もう1度通いたいと言ってくれたときは、心から良かったと思えました。彼女は最初から授業を受け直し、無事に修了したのです。4年もの期間が開いても、再び湘南ケアカレッジに来たいと思い、仕事をしながらも最後まで通い切ったことに彼女の意志の強さと人間としての成長を見た気がしました。そして、先生方の提供する研修の持つ、毒ではなく、ある種の熱のようなものを感じざるをえませんでした。

 

 

湘南ケアカレッジに来てくれて、ありがとうございます。

2017年

6月

17日

分かろうとすること、分からないこと

晴天の下、第3回「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」が行われました。梅雨入りをしたとのことで、当日、雨が降らないかどうか心配していましたが、汗がにじむぐらいの良い天気となり、ひと安心しました。参加してくださって皆さまの日ごろの行いが良いのでしょう。この研修はほとんどが屋外で行われますので、どうしても天候に左右されてしまうことは否めません。午前中は芹が谷公園に行き、車いすの操作等をみっちり練習し、午後からはペアになって、それぞれの目的地(行きたい場所)へと旅立ちます。特に午後からの、ほぼ自由行動に関しては、実際の(車いすに乗った)利用者とガイドヘルパーとして街に出て、様々な体験をしてもらいます。そうすることで、普段の私たちの視点では見えないものが見えてくる、感じられないものが感じられるのです。

 

全身性障害者ガイドヘルパー養成研修の内容を作り始めた当初は、外に出るときは、腕に湘南ケアカレッジの名前が入ったリストバンドをつけてもらおうと考えていました。たまに「研修中」というゼッケンを付けている団体を見ますよね。そうすることで、私たちは当事者ではなく、研修をしている一般の人ですというアピールになり、車いすの人たちが団体でいてもおかしく思われません。

 

ただ、湘南ケアカレッジの全身性障害者ガイドヘルパー養成研修は、2人1組で個別に行動してもらう以上、目立ちませんし、むしろゼッケンやリストバンドをつけてしまうことで、周りの人たちも当事者として見てくれなくなります。つまりそれは当事者としての体験ができないことにつながるのです。そこであえて私たちは、何もつけることなく、普通の格好で街に出ることにしたのです。

 

その企画は当たりで、生徒さんたちはそれぞれの体験をしてきてくださいます。周りの人たちの優しさに触れた方、危険や不自由、障害を感じた方、できるだけ当事者に近い状況を設定することで、普段は感じることもなかったことに気づき、新しい視点や感覚を獲得することができるのです。小野寺先生が「5感を使って学ぶことが大切です」とおっしゃっていたように、テキストや練習で学んだことはすぐに忘れてしまいがちですが、自分で行動して学んだことは永遠に残ってゆくのです。

 

 

それでも、と思います。私は毎回、午前中の練習に付き添っていて、生徒さんたちと一緒に芹が谷公園に向かいます。その途中で(芹が谷公園の中の道で)いつもすれ違う、車いすの少年とその父親らしき方がいます。最初は、実際にこうして車いすを押している当事者の方がいることで、研修のリアリティが増すと考えていました。ところが、今回で通算11回目になるのですが、毎回すれ違うのです。彼らは毎日(もしかすると毎週日曜日だけかもしれませんが)、午前中はずっとそうして公園の中を散歩しているのです。たまたますれ違っているのではなく、彼らはずっと公園の中を回っていて、それは毎日の日課なのです。そのことに気づいたとき、私たちはどれだけ工夫をしたところで、完全に当事者の気持ちになることは不可能だと思ったのです。少年やその父親がどのような想いで毎日、芹が谷公園の中を車いすで回っているのか、私たちには分からないのです。当事者しか当事者にはなれないという大前提を踏まえつつ、それでも私たちは、少しでも彼ら彼女らに近づいてゆこうとすべきなのではないでしょうか。

2017年

6月

13日

何を伝えるか

2月からスタートした実務者研修の2つのクラスが終わりました。最後の授業は医療的ケアとなり、介護の先生方から受け継いだバトンを看護の先生たちが大切にゴールまで運びます。同じ時期にスタートしたにもかかわらず、2月土曜日クラスと火曜日クラスは好対照なクラスでした。土曜日クラスは、おそらく介護職員初任者研修を含めてもこれまでの中で最も賑やかに盛り上がり、火曜日クラスは、どちらかというと黙々としかし一生懸命に取り組んでくれていました。たった1日しか関わらない看護の先生方も、あまりの大きな差に驚き、最後はそれぞれのクラスによって雰囲気が異なることを楽しんでくれていました。どちらも愛すべき人たちによる愛すべきクラスでした。

授業が終わってから、先生方と打ち上げをした中で、土曜日クラスにはリーダーがたくさんいたという話になり、そこから一緒に働くスタッフに何をどのようにして伝えるべきかという問題に発展して語りました。そう、看護師の先生方もまた現場でリーダーや上司として活躍し、また壁にぶつかっているのです。

 

自分がリーダーまたは上司として、誰かに何かを伝えなければならないことがあるとき、どのようにして伝えると効果的か、相手に響きやすいのかは確かに永遠のテーマです。相手のできていることとできていないことを見極めて、できていることは褒め認めつつ、できていないことを「こうすればもっと良くなる」とフィードフォワードする。やってみせて、やらせてみる。そして褒め認める。つまり感情的に注意したり、自分の言いたいことだけを言わないということです。

 

これができている人は少ないと思いますが(私もできていないことがあります)、それができている看護の先生方の悩みはその先にあります。感情的ではなく、上のサイクルを意識して伝えているにもかかわらず、伝わりにくい人やことがある。回りくどくて伝わらないのか、タイミングが悪いのか、相手の能力の問題なのか。伝え方の基本も、万人に対して有効とは限らないのです。

 

 

そんな話をしていて、ふと思ったのは、どう伝えるかも大切ですが、それと同じぐらい、何を伝えるのかも重要だということです。伝えたいことは両手ほど(10個ぐらい)あるけれど、そのうちのどうでも良いことはどれで、今は目をつぶれることはどれで、これだけは分かってもらわないと致命的になるのはどれかと腑分けします。10個全部を伝えても1つも心に残らないので、そのうちの最も大切な1つだけに絞り込んで伝えるのです。この選択こそが、リーダーや上司にとって、難しく大切な仕事ではないかと私は思うのです。

2017年

6月

10日

スーツを着ない理由

湘南ケアカレッジを始めた当初から、他の学校でやっていることをやらないと心に決めていました。たとえば、「大きくしない(教室をチェーン展開しない)」、「資格を売らない(教育を提供する)」、「いただきすぎない(利益を最大化しない)」など。差別化ということではなく、これまで学校や教室の運営に関わってきた経験上、そうすることが長い目で見ると正しいと信じているからです。上の3つは、学校として大きく掲げた決めごとですが、実は私の中にだけある、小さな決めごともいくつかあります。そのうちの1つとして、「スーツを着ない」というものがあります。

 

なぜスーツを着ないかというと、生徒さんたちとの間に壁をつくってしまうからです。私がかつて大手の介護スクールに勤めていたとき、男性職員は全員スーツでした。それが当たり前だったので疑う余地もなかったのですが、基本的には事務所でデスクワークをし、たまに教室に足を運んで受講生と対応するときもスーツを着ていました。

 

今から思うと、TPOをわきまえていない姿だったと思います。教室では先生も生徒さんも介護者としての身だしなみを整え、動きやすい格好でいる中に、堅苦しいスーツを着て入っていくのです。私は部外者ですよ、と自ら主張しているのと同然です。わざわざ壁をつくっている、いかにも会社側の人間に対して、生徒さんたちが親近感を抱いてくれるわけはありませんし、本音を言ってくれるとも思えません。それは実習先の施設を訪れるときも同じです。自分がこういう格好をしたいということではなく、相手の姿に合わせるということです。

 

スーツを着ないもうひとつの理由としては、提供できるものに自信があるからです。どのような場面においても、私はあえてスーツを着ないことにしています。冠婚葬祭は別の話ですが、どれだけ重要な商談であっても、偉い人に会うときも、東京都(都庁)に申請に行くときでもそれは同じです。自分たちの仕事に自信があれば、もうスーツを着る時代ではないのかもしれません。見た目ではなく、自分言っていること、行っていることを見て判断してもらえれば良い。むしろしっかり中身を見てもらうためには、スーツという壁は取り払うべきです。

 

 

もちろん、スーツを着ないということは、だらしない格好で良いということではありません。清潔感があって、相手を不快にさせない服装が求められます。きっちりした場面ではジャケットを羽織ってもいいでしょうし、ラフなシーンではポロシャツでも良いかもしれません。そう考えていくと、スーツを着ると決まっている方が、断然楽です。スーツを着ないということは、相手に合わせた姿をしつつ、自分が提供できる仕事の質を高めながら、自分がどう見られているのかということに常に気を配ることが求められるという3重の意味において、実は難易度が高いのです。

2017年

6月

06日

温かく迎え入れる

5月短期クラスが修了しました。ほとんどの方がお休みなく通い、ほぼ全員が最終日に筆記試験を受けることができました。途中参加した生徒さんたちも混じって、最終日は卒業お祝いムードに包まれました。とても雰囲気の良いクラスだったので、他のクラスから振り替えてきた生徒さんたちも自然と溶け込んでいました。ムードメーカーがいて、リーダーがいて、優しくサポートする人がいて、それぞれが役割を担いつつ、一生懸命に楽しく学ばれているのが手に取るように伝わってきました。まさに湘南ケアカレッジらしい介護職員初任者研修になったと思います。生徒さんたちと先生方に感謝です。

 

今回のクラスのアンケートにも、「教室に来たときに笑顔で挨拶してくれて嬉しかったです」と書いてくださっていた生徒さんがいました。湘南ケアカレッジでは、挨拶はコミュニケーションの基本ということで、開校当初から毎朝、教室に来てくださった生徒さんひとり一人に対して、「おはようございます!」と挨拶してきました。朝、挨拶をするのは、いくつかの理由があるのですがそれはさておき、見る人が見れば意味がないようにも思えることも、見る人が見れば嬉しかったと感じてもらうこともあるようです。

 

「何度か途中でくじけそうになったこともあり、階段を登るのが辛いと思ったこともあったけど、ああして教室にて笑顔で迎えてくれたから最後まで通うことができました」と卒業後に打ち明けてくださった生徒さんもいました。その生徒さんが途中でくじけそうになっていたとは露知らず。本人いわく、「この年齢になって、ほぼ毎日、あれだけのことを勉強するのは大変でした」とのこと。もし朝のあいさつや笑顔が少しでも背中を押すことができていたとすれば、それは私たちにとって予想以上の効果があったことになります。笑顔で温かく迎え入れることで、人の心を動かすこともできるのですね。

 

 

笑顔の大切さは、佐々木先生や望月先生が介護職員初任者研修の授業の中でもお伝えしている通りです。元気に笑顔であいさつをすることは、私たちはあなたを大切な人として受け入れますよというメッセージです。これだけでコミュニケーションの8割はクリアしたことになります。しかし、これができていない人や職場のいかに多いことか。ほとんどの介護の学校では、授業の最初に形式的に起立礼をするぐらいで、まともにあいさつすら行われていません。介護の現場でもそういうところもたくさんありますよね。私たちの笑顔とあいさつが、ひとり一人の心を動かし、その場の雰囲気をつくるのです。たくさんのことを教えてくださる先生方に比べると微力ですが、これからも元気に笑顔であいさつをすることで、生徒さんたちを支えていきたいと思います。

 

熱いメッセージが書かれたメッセージボードをいただきました。全員がここまで自分の想いを書いてくださったクラスは初めてです。

2017年

6月

01日

リアクションペーパー

実務者研修では、各授業の終わりにリアクションペーパーを書いてもらいます。アンケートや感想ではなく、授業ごとに学んだことや気づいたことを書いていただくリアクションペーパー。リアクションは反応という意味であり、先生が伝えたこと、または授業で体験したことに対し、自分は何を感じたのか、学んだことをどのように現場に使おうと考えたのかなど、具体的に記していただきます。実務者研修に来てくださっている生徒さんたちであれば、毎回の授業の中で(多かれ少なかれ)学びや気づきがあるはずですし、それを具体的に文章化してもらうことで、学びを明確にして定着させるという意図もあります。

このリアクションペーパーを読むと、それぞれの生徒さんたちの理解度から研修に臨む姿勢、現在の心境までが手に取るように伝わってきます。1日の研修で学んだことや気づいたことが具体的に書けるようであれば、その生徒さんは具体的な学びや気づきを得たということを意味し、その逆もまた然りということです。

 

これは学習だけではなく、仕事にも当てはまります。まずは気づけるかどうかという壁があり、その次に気づきを言語化(記述・記録)できるかという壁があります。気づき→言語化のサイクルを継続して回しつつ、その先には、他人に上手くそれを伝えることができるかという3つ目の壁もありますが、まずはひとつ目の壁から乗り越えていく必要があります。リアクションペーパーはその練習や意識づけになるはずです。

 

ひとつ目の壁とふたつ目の壁は密接につながっています。誰しもが研修を受けたり、仕事をしていれば、何らかの気づきはあるはずで、それを言語化(記述・記録)することではじめて、その気づきは本物の気づきになるのです。悲しいことに、言語化できない気づきは、いつの間にか霧を掴むように消えていってしまいます。それは結局のところ気づきがなかったのと同じ。そうならないためにも、私たちは日々の気づきを、何らかの形で言語化していかなければなりません。介護職員であれば介護記録なのかもしれませんし、主婦であれば日記なのかもしれません。私はこのブログを書くことで、気づきを言語化しています(笑)。

 

 

そして、逆説的ですが、言語化の習慣をつけることで、気づけるようになるのです。言語化するという意識があると、見ようとするからです。毎日の何気ない日常にも新しい発見があり、つまらないと思っていた仕事の中にも新しい気づきが生まれる。たとえば作家があれほどに人の表情や風景を見事に描写できるのは、彼ら彼女らは見ているからなんですね。意識を研ぎ澄ませ、見て、感じて、気づいているのです。作家のように美しく言語化する必要はありませんが、気づきを言語化できる人とそうでない人との仕事や人生の間には、長い目で見ると、天と地ほどの違いが生まれるはずです。

2017年

5月

28日

ケアカフェ

4月より湘南ケアカレッジの下の階(3階)に、「ケアカフェ」がオープンしました!これまでは教室から歩いて15分ぐらいの事務所で仕事をしていましたが、ほしかった3階にスペースができたことで、事務所機能も移転の運びとなりました。基本的には、車イスや医療的ケアの物品等を置く場所、または職業紹介事業の事務局として使いつつ、できるだけオープンなスペースとしても活用したいと思います。先生方や生徒さんたちが休憩時間に集まって、ご飯を食べたり、コーヒーを飲んだりする、皆さんにリラックスして使ってもらえる空間になれば良いなと思います。

 

そういう意味も込めて、できるだけ入り口の扉は全開にしていると(真夏や真冬はさすがに厳しいかもしれませんが)、隣の司法書士事務所の女性が「なつかしい感じがします」と言ってくださいました。湘南ケアカレッジがこのビルに入った当時、この場所はレンタルスペースの事務所として使われており、そこで働いていた佐々木さんという女性(実はケアカレの2期生でもあります)も同じように扉をフルオープンにしていたそうです(佐々木さんの場合は寂しいからという理由だったそうです)。

 

 

このスペースを借りるにあたって、大幅なリニューアル工事をしました。実は年明けからオープンする予定だったのですが、壁紙や床の生地の張り替えから始まり、入り口のドア枠の塗り替えなど、湘南ケアカレッジとして相応しい空間にするために、なんと3ヶ月も掛かってしまいました。少しやりすぎたと反省している部分も実はあるのですが(笑)、わずかなインテリアの違いで雰囲気は変わってしまいますからね。

 

入ってすぐのところには、6~8人掛けのテーブルを置きました。IKEAのオーク材を使ったテーブルで丈夫なのですが、かなり重い。インフルエンザで倒れていた私に変わって、小野寺先生が一生懸命にネジを回したりして作ってくれました。これだけ広ければ、仕事をしたり、ミーティングをしたり、コーヒーを飲んだり、食事をしたり、いろいろなことができそうですね。誰がどこに座ってもよく。指定席はありません。スターバックスやエクセシオールカフェにある長テーブルのようなイメージですね。オレンジ色の椅子は町田に新しくできたニトリで購入しました。少し派手かなと心配していましたが、いざテーブルに並べてみると調和が取れていて、杞憂に終わりました(笑)。さらに電球は蛍光色と白昼色の2本を組み合わせることで、教室と同じく暖かい雰囲気にしています。

さて、ここからが最もケアカフェの重要なインテリアになります。先生方から講師会でいただいた色紙を入れた額を中心として、その周りにこれまで生徒さんたちから贈ってもらった色紙を飾りました。佐々木先生のアイデアを参考にして、色紙ひとつ1つを影山さんがラッピングしてくれました。今まで教室のボックスに眠っていた色紙たちが、ようやく日の目を見る日がやってきたのです!それぞれの色紙がクラスの個性を主張していて壮観ですね。1期生から始まった文化が綿々と伝わってきているのが分かり、見るだけでとても幸せな気持ちになれます。

 

入り口には、これも先生方からプレゼントしてもらったケアカレのロゴが入った看板が掛けてあります。裏には「ただいま不在にしておりますので、用がある方は4階へどうぞ」と書いてあり、外出するときは裏返して使います。ロゴが綺麗な仕上がりになっており、もらったときに不思議に思ったのですが、そういえばかなり昔に望月先生から「実務者研修の資料で使うのでできるだけ大きいサイズのロゴデータをもらえますか?」と依頼されたのを思い出しました。なぜ実務者の資料に大きなロゴデータが必要なのだろう?と思っていたのですが、このためだったのですね!(笑)ドライフラワーもテーブルの上に置かせてもらっています。あとはコーヒーメーカーがあれば完成ですね。

 

 

こうして見ると、生徒さんたちと先生方の感謝の気持ちによって、湘南ケアカレッジがあることが分かります。そのことに対する感謝を忘れずに、これからもますますお互いに感謝し合える学校をつくっていきましょう。

2017年

5月

24日

良きところを出してもらう

人間の心には善いところもあれば、悪いところもあります。善い人と悪い人が明確にいるわけではなく、ひとりの人間の中に、善き部分と悪しき部分が存在するということです。もちろん私にも、善いところもあれば、悪いところもあります。私というひとりの人間の中に、善い村山もいれば、悪い村山もいるということです。できるだけ善き部分を表に出そうと自ら努力することも大切ですが、周りの環境によって、人間は善きところを引き出されたり、逆に悪きところを露呈してしまったりするのです。湘南ケアカレッジでは、その人の善いところを最大限に出してもらいたいと考えています。

 

良い人がいるところには良い人たちが集まると言われますが、私はそうではないと思っています。実際はその場にいる人たちの良い部分が出ている環境と悪い部分が出ている環境があるということです。人はそんなに簡単に良い人と悪い人に分けられるわけではなく、善いところが引き出される場所とそうではない場所があるだけ。善い人が多い場所とは、その人の善いところを引き出すことができる環境であるということ。これはたとえば認知症の人に対する接し方などにも同じことが当てはまります。

 

人の善きところが表に出るようになると、「善いところを素直に出していいんだ」、「善き部分を出すべきなのだ」という雰囲気が何となく広まり、周りの人々にも伝染していくのです。自分の善いところを発揮できるとすれば、それは自分にとって良い環境であり、その逆もまた然り。またこう考えることもできます。人間はもともと善き人であり、善きところを表に出して生きていきたいと願っているにもかかわらず、その場所や周りの環境によって、悪いところが出てしまうということです。

 

それでは、どのようにして、人の善きところを出してもらうのか。難しいようで、意外と簡単。簡単なようで難しいことです。ひとつは、笑顔で挨拶をすること。もうひとつは、相手を褒めること、認めること。そして、それを伝えること。さらに細かく考えていくと、たとえば悪口を言わないこと、ネガティブなことはポジティブに変換して口に出す頭の良さを持つこと、話を聞いて共感できること、(心を)観察すること、相手を敬うこと、などなど。こうして挙げてみると、良きコミュニケーションであり人との接し方ということですね。

 

 

私は、特に介護や福祉を学びに来るような人たちは、善きところをたくさん持っていると思っています。コミュニケーションや接し方さえ正しければ、介護の学校は人間の善き部分で溢れるのです。なぜ大手の介護スクールにいた頃、あれだけクレームの嵐と日々闘わなければならなかったのかと思い返すと、それは人の善き部分ではなく悪き部分を引き出してしまうシステムになっていたからだと思います。それは子どもの教育にたずさわってみても痛感しました。彼ら彼女らの善きこころを引き出し、育むことができるかどうかは周りの大人次第です。湘南ケアカレッジは、人の善きところが自然と溢れ、それによってお互いのこころが癒されるような学校でありたいと願います。

2017年

5月

20日

できないができるに

先々週の土曜日、第8回講師会が行われました。年に2回しか開催されない講師会だけに、湘南ケアカレッジが開校してから丸4年が経ったことになります。私にとって講師会は、何よりも大事なイベントであり、なんとしても先生方に喜び、楽しんでもらいたいと、1か月前ぐらいから準備を始めます。5年目を迎える今回の講師会も、バラエティに富んだ内容に加え、盛りだくさんのお土産をお渡しすることができました。ちょっと奮発しすぎた気もしますが(笑)、今こうして湘南ケアカレッジが先生方と共にあることを祝いたいという気持ちで一杯です。そして、今回は先生方からもケアカレへのプレゼントをいただきました!

 

今回の講師会において、ケアカレの歴史と文化を振り返ろうと、1期生から73期生までの集合写真をプレイバックするという企画を考えました。実際は時間の関係で割愛してしまいましたが、私自身は準備段階で全てのクラスを思い出しながら、歳月の流れる速さを実感しつつ、よくここまでやってこられたという想いを強く抱きました。さらに湘南ケアカレッジが誕生する前にまで思いは及び、ひとつ一つの出来事を鮮明に思い出せば出すほど、湘南ケアカレッジが今このような形で存在することが奇跡のように思えます。

 

決して大げさに言っているわけではなく、あのひとつの出来事がなければ、あのタイミングでひと言が掛けられていなかったら、あそこでああしていなかったら、湘南ケアカレッジはなかったのではないかと思うのです。湘南ケアカレッジがなかったということは、今の先生方と出会うこともなかったかもしれませんし、ケアカレに来て卒業してくださった2000名の生徒さんたちとも会うことがなかったということです。人と人との出会いは運命や縁などと言われますが、それ以上の奇跡なのかもしれません。

 

こうした奇跡が起こったきっかけを振り返ってみると、できないことができることにつながったからだと改めて思いました。私は同級生よりも社会に出るのが2年遅れ、さらに氷河期に就職活動にも失敗したこともあり、自分にとっては不本意な仕事ばかりしてきました。今となっては天職だと思っていますが、最初は介護の業界で仕事をするとは思いもよりませんでした。仕事を辞めて引きこもりの生活を2年間にわたってしたこともありますし、かと思えば、1ヶ月500時間労働を2年間続けたこともあります。当時は出口が見えずに苦しみましたし、運が悪かったと嘆いたこともありましたが、すべては自分の弱さや至らなさによるものであり、何の言い訳もありません。

  

ところが不思議なことに、そうした出来事のすべてが、湘南ケアカレッジが今ここにあることに欠くことのできなかった経験であり知識になっています。私が何でもできる人であれば、湘南ケアカレッジは生まれていなかったと断言することができます。私が何もできなかったからこそ、傷つけられたり、もがいたり、工夫したり、助けてもらったりしたことで、いつしか自分にもできることや居場所を見つけられた。これからもできないことを大切にしつつ、先生方や生徒さんたちと一緒にできることを見つけ、つくり出して生きたいと思います。

2017年

5月

16日

感謝しかない

「感謝しかありません」。介護職員初任者研修の実技テストが終わったあと、小野寺先生は生徒さんたちに対してこう言います。その日の朝からほぼ丸1日、これまでに習った実技の復習を兼ねて、みっちりと練習をしたのちの実技テスト合格だけに、先生方にとっても感慨深いものがあるのだと思います。これは表面的な褒め言葉では決してなく、先生方が全力を出し切って授業をしていると、なぜか不思議と、生徒さんたちが最後まで一生懸命に取り組んでくれたことに心から感謝せざるをえない瞬間が訪れるのです。それはまさに「感謝しかない」という気持ちです。

 

4月短期クラスの生徒さんたちも素晴らしい方ばかりで、私たちの授業を最後まで盛り上げてくださいました。講義をしっかりと聞いてくれ、実技演習も真剣に取り組んでくれました。何よりも、笑うところで笑い、泣くところで泣き、楽しみながら真剣に研修を受けてくださいました。楽しく真剣に学ぶ雰囲気というのは、なかなか表現するのが難しいものですが、いつの間にか周りのクラスメイトにも伝染し、らせんを描くようにクラス全体を高みに連れていってくれます。この雰囲気の手触りは、その場にいた4月短期クラスの皆さまならお分かりになるはずです。このような素晴らしきクラスで授業をさせてもらうことに、私たちには感謝しかありません。

 

それでは、どのようにして楽しく真剣に学ぶクラスの雰囲気がつくられるのでしょうか。誰かひとりの言動によるものではなく、むしろひとり一人の言動によってつくられると私は思います。先生がひとりで頑張ってみても、生徒さんがひとりで気張ってみても、クラス全体の雰囲気を良くすることも悪くすることもできません。ひとり一人の取り組みが全体を決めるのです。ひとりでは何もできないが、ひとり一人が全てをつくる。別の言い方をすると、自分以外の誰かのおかげでありながら、実は自分も周りの人々に影響を与えている。矛盾しているようでいて、これが本当のところなのだと思います。

 

 

だからこそ、湘南ケアカレッジではお互いに感謝の気持ちが生まれるのでしょう。生徒さんたちは先生方に、先生方は生徒さんたちに。また生徒さん同士で感謝し合うこともあれば、先生同士でありがとうと言い合うこともあります。私もたまに生徒さんたちから感謝の言葉をいただくことがありますが、それは先生方のおかげだと感じます。覚えておきたいのは、私たちひとり一人の行動や言葉、心持ちが、自分が思っているよりも全体に影響を与えているということ。自分ひとりでは何もできないけれど、自分にできる最大限の取り組みをしなければ全体は何も変わらないこと。そうして何か上手くいくことがあれば、周りの人々にも感謝することです。

2017年

5月

13日

うつヌケ

「うつぬけ」とはつまり、うつの症状から抜け出した人たちのことです。著者自身もうつに悩まされたひとり。10年近く彷徨ったうつのトンネルをようやく抜けることができ、その体験をもって、うつに苦しんでいる人々を救う側になりたいとマンガを描くことを決意したそうです。湘南ケアカレッジに来てくださる生徒さんたちの中にも、うつの悩みを抱えていた、もしくは今苦しんでいるという方は少なからずいて、これまでも話を聞かせていただくことが多々ありました。そういう意味において、私にとっても身近な問題ですし、誰がいつそうなるか分からない病気である以上(あとに書きますが、私もかつてなりかけたことがあります)、明日は我が身に起こることであると知っておくべきなのです。

 

このマンガにはうつ病に関する説明はありません。それはうつ病というものが、原因の特定が難しく、症状の現れ方もそれぞれに異なってくる精神的な障害であるからだけではありません。むしろどのようにして長いトンネルを抜けることができたのか、そこに焦点を当てているからです。うつを抜けた18人(もちろん今もうつと付き合っている人も)の体験談を読んでいると、その原因も様々であり、その症状もひとつとして同じものはなく、うつがいかに個別性の高い問題であるかが分かります。そして、ほとんどの場合、偶然のできごとや出会いによって快方に向かうのです。

 

実は私もうつになりかけた(初期症状が現れた)体験があります。今から15年ほど前のある朝のことでした。いつもは家から最寄りの駅まで走って行くところを、その日はなぜか身体が言うことを聞かないばかりか、脳が仕事に行くのを拒否しているような感覚を味わいました。うつについて、ある程度の知識があった私は、「ああ、この自分の意思と脳と身体がバラバラになる感じはうつだ」と直感しました。

 

どうしても休めないことは分かっていたので、自分を鼓舞しながら無理をして行きましたが、あのとき私は、うつのトンネルの入り口に一歩足を踏み入れていました。私はうつについて知っていたからこそ気づけたし、脳を休めようと冷静に対応できましたが、あのまま突き進んでしまっていたらもしかすると大変なことになっていたかもしれません。

 

私の場合は、原因ははっきりとしていて、過度の睡眠不足と仕事におけるストレスでした。あの頃の私は激務のため、4時間ほどの睡眠しか取れない日々を送っていました。そんな状況が365日続くと、たとえ若くて健康であっても、脳が疲労してきます。そこに加えて、処理しきれないほどの業務を抱えつつ、上司との折り合いも悪く、全てを一人で抱えて仕事をしていました。

 

 

そんな仕事は休めばいいと言われるかもしれませんが、超高速で回っているラットレースの中から抜け出すのは極めて難しく、それはたとえば時速200kmで運転しているブレーキの利かない新幹線から飛び降りろと言っているようなものです。転勤によって職場が変わることで私は救われましたし、最終的には仕事を辞めることで全ては良き思い出になりました。あれ以来、私は働き方についてよく考えるようになり、新しい働き方をしようと今も模索しています。だからこそ、湘南ケアカレッジの法人名は「ワークシフト」(働き方を変える)なんです。

2017年

5月

09日

学校から居場所へ

今年は湘南ケアカレッジの創立5年目にあたります。5年という歳月を長いと感じるか、短いと感じるかは人それぞれ。私にとってはまだ5年目の新しい学校のつもりでいますが、生徒さんたちにとってはもう5年目の実績がある学校と映るようです。そして最近は、湘南ケアカレッジが介護・福祉教育の学校という枠を少しずつ超え始めてきているのではないかと思うことがあります。生徒さんたちが左から右へと入っては出てゆく点ではなく、クラスメイト同士がつながって、介護の現場で卒業生さんたち同士がつながり、そして私たちとつながっていて、それぞれの心の中心にある場所、もっと言うと「居場所」のような存在になりつつあるのではないでしょうか。

 

先日はある生徒さんがプライベートな相談をしに来てくださいました。彼は介護職員初任者研修から実務者研修と受け、その後も何度か教室に足を運んでくれ、彼の仕事のことから身の周りのこと、クラスメイト同士のつながりまで教えてくれたので知っています。近くのラーメン屋に行って、1時間近く話しを聴きました。相談と言うべきか、事後報告というべきか分かりませんが、この半年、彼なりに悩まれて決断したとのこと。私にはどうすることもできない問題ですし、ただ話を聞くだけのことしかできませんが、それで良いのかなと思います。フランスに旅立つ前に、ケアカレに顔を見せにきてくれたのかもしれません。

 

翌日は3年前の卒業生さんから電話が掛かってきました。この度、新しい訪問介護の事業所を立ち上げることになったそうです。ケアカレを卒業してから現場で働き、介護福祉士を取って、いよいよ独立してやってみることにしたとのこと。実は、彼女の友人が今年1月のクラスに紹介で来てくださっていたので、噂は聞いていましたが、本人から直接連絡をいただき、「おめでとうございます。頑張ってくださいね!」とエールを送ることができました。その電話で、「あのとき教わったことが、ずっと心の芯としてあります。ほんとうにケアカレさんに行って良かったと、今でも思っています」とおっしゃってくださいました。教室に足を運んでくださる生徒さんはごく一部であり、彼女のように姿は見せないけど、ケアカレのことをずっと覚えてくれていて、心の居場所になっているという方々はたくさんいるのだと思います。

 

 

湘南ケアカレッジが生徒さんにとっての居場所になっていることは、ありがたいことです。佐々木先生が介護職員初任者研修の中で、「ありがたいとは、有り難いこと。めったにないこと、感謝すべきことなんですよ」とお伝えしているように、卒業生さんたちにとって介護の学校が居場所になることは、有り難いことです。そういう居場所のように思ってもらえる雰囲気をつくってきてくださった、先生方に感謝します。先生方が生徒さんひとり一人のことを想って、先生と生徒という関係だけではなく、人として、ときには友人として、接してくださったからこそ、湘南ケアカレッジがただの学校ではなく「居場所」になったのですね。

 

2017年

5月

06日

いろいろな場所で

いつもどおり小田急線町田駅の改札口付近を歩いていると、小田急電鉄のライトブルーの上着を着ているひとりの男性と目が合いました。私が彼の存在に気づくのと、彼が私に気づいたのは、全くと言ってよいほど同じ瞬間で、お互いに歩み寄りました。昨年7月短期クラスの卒業生Iさんでした。そのときから定年後のことを視野に入れて勉強されていましたし、先日、他のクラスメイトさんから小田急電鉄にお客さまサービス担当として再雇用されたことを聞いていましたが、まさかこの場所とタイミングでお会いできるとは思いもよりませんでした。介護職員初任者研修で学んだ卒業生さんたちが、介護の現場だけではなく、他のあらゆる仕事や場面においても、介護・福祉の知識を生かして活躍されているのを見ると嬉しく感じます。

 

先ほどのIさんは、お客さまサービス担当として、小田急電鉄を利用するあらゆる人々のことをサポートしているそうです。困っているお客さまがいれば手を差し出すのが仕事ですが、その対象者の多くはご高齢の方であったり、障害のある方であったりするそうです。先日は高齢の女性がホームで転倒し、ご自身の力では起き上がれなくなるという事件が起こりました。そのお客さまはかなり大柄で、持ち上げて立たせるのは困難という状況でした。

 

Iさんはすぐさま現場に駆け付け、ホームにいた駅員さんに「車いすを持ってきてください!」と指示を出しました。そして、「できるだけ私に体を近づけて、体重を乗せてください」と丁寧に声掛けをしながら、介護職員初任者研修で学んだボディメカニクスを使って、運び込まれた車いすにお客さまを移乗することに成功したそうです。車いすに乗ったまま、無事に安全な場所に移動してもらうことができたのです。「ケアカレで厳しく指導してもらったことで、こうした方が良いという感覚が身体に染みついて、自然と行動できました」とIさんはおっしゃっていました。後日、お客さまのご家族が駅長室に御礼に来られ、大変感謝されたそうです。

 

Iさんのように、介護職員初任者研修を修了された後、施設や事業所という介護の現場とは少し違った場所で活躍されている卒業生さんもたくさんいます。高齢社会となった今の日本では、どのような仕事をするにしても、介護や福祉が全く関係ないという場面や業種を探すのが難しくなっています。逆に言うと、私たちが生きてゆく上で、ケアカレで学んだ介護・福祉の知恵は必ず生かせるはず。

 

たとえば、家族の介護のために勉強しに来たという方はたくさんいますし、美容師やお店の店員として高齢の方に接する機会が増えてきたのでという方もいます。畑仕事にボディメカニクスが役立ったなんていう声もありました(笑)。

 

 

こうしたあらゆる場面において生かすことができるのは、ボディメカニクスという実践的な技術だけではなく、実は知識に支えられた福祉のこころだと私は思うのです。福祉のこころがあることで視野が広がり、視野が広がると気づきが生まれ、気づきが生まれると行動につながるということですね。

 

湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修を受けたことのある卒業生さんたちにしか分からないことですが、受講前と研修を受ける前と後では全く違う世界が見えて、全く違う自分になっているということです。それこそが私たちが理念としている「世界観が変わる福祉教育を提供する」が望む姿なのです。

2017年

5月

02日

「世界でいちばん美しい村」

この映画を観に行くまでには、様々な経緯がありました。クラフト工房LaManoが主催した展覧会を訪れたとき、壁に貼られていたネパールの村の写真に魅了され、映画の存在を知りました。その後、昨年末の介護職員初任者研修のクラスにネパール人の生徒さんが来てくれました。とても真面目な女性で、一生懸命に授業に取り組み、今は特別養護老人ホームで仕事に就いています。さらにケアカレのすぐ近所に、ネパール料理店「ソルティモード」ができました。ダルバートというネパールの代表的な家庭料理は、毎日通いたくなるほど美味しいです。そして極めつけは、ソルティモードでランチをしているとき、監督の石川梵さんにお会いしました。ネパールとこの映画には、何かしらの縁を感じざるをえません。

 

正直に言うと、映画を観る前は、「世界でいちばん美しい村」というタイトルには半信半疑でした。ネパールにあるラプラック村が本当に世界でいちばん美しいのだろうか、その美しさの基準もしくは根拠は何だろうと疑う反面で、もし世界でいちばん美しい村があるとすれば見てみたいという気持ちでした。それはたとえばブータンやノルウェイ、デンマークなどが世界で最も幸福度の高い国と言われても、今いちピンとこないのと同じ感覚です。たしかに現状の日本が世界でいちばん幸福な国であったり、美しい国であるとは到底思えないのですが、幸せや美しさには姿形がない以上、測ることも、他の国と比べることもできないのでは、とあまのじゃくな私はそう思ってしまうのです。

 

2015年4月に起こったネパール大地震をきっかけとして、この映画の監督である写真家・石川梵さんは現地に赴きました。そしてネパールの首都であるカトマンズから77キロメートル北西にあるヒマラヤ奥地の震源地、ラプラック村にたどり着いたのです。そこで出会った14歳の少年アシュバトルやその妹、そして家族や村の人々と交流を深めていきます。そこには確かに日本もネパールも変わらない、人びとの生活があると安心しました。それは家族の絆であったり、子どもたちの笑顔であったり、人を愛する想いであったりします。

 

日本とは大きく異なる部分もたくさんあります。神に対する強い信仰や祝祭以外にも、学校まで山を往復で数時間登り下りしなければならなかったり、絶壁にあるハチの巣から蜂蜜を採取するような死と隣り合わせの仕事、子どもの労働、質素な食事などなど。山脈の美しい風景とは裏腹に、貧しい生活がごく普通の光景としてそこにあるのです。それは文明化された私たち日本人には想像も及ばない、肉体的な苦痛を伴う生活です。それでも最後には、ネパールのラプラック村は美しいと思いました。それは人間が生きる美しさであり、もしかするとそこに人間の根源的な幸せもあるのではないでしょうか。私たち日本人は、肉体的な苦痛をできる限り手放すことに成功した代わりに、本質的な喜びを失ってしまったのかもしれません。

2017年

4月

28日

サクラ咲く

先月末に介護福祉士の合格発表があり、続々と合格した卒業生さんたちから報告が届きました。筆記試験対策講座の合格祝賀会に来られなかった方も、電話やメールなどで連絡してくれたり、また直接教室に来て合格の喜びを伝えてくれたりしました。湘南ケアカレッジが開校して4年が経ち、初年度に介護職員初任者研修を受けてくれた生徒さんたちが現場で3年間の経験を積み、介護福祉士になる日が遂にやってきたのです。開校当初は、卒業生さんから介護福祉士が生まれるなんて、だいぶ先の話のように思えていましたが、あっと言う間でしたね。

 

介護福祉士になるというのは、ひとつの節目です。まだ何も知らない白紙の状態から介護職員初任者研修を受講し、現場に出て、無我夢中で3年間(もしくはそれ以上)仕事をする。そして、実務者研修で知識や技術をブラッシュアップし、介護福祉士の筆記試験に向けて机に向かって勉強をする。その結果として、介護福祉士の試験に合格し、晴れて介護福祉士になる。

 

卒業生さんたちにとって、とても密度の濃い3年間だったと思いますし、かけがえのない経験や大きな学びがあったはずです。ひと通りの仕事は覚えたでしょうし、介護の世界のことも何となく分かってきた時期かもしれません。介護福祉士の資格を持っていれば、どこの施設・事業所でも厚遇してくれるはずです。階段を登ってきて、ひとつ目の踊り場に立ったということです。

 

この先、どのような道を進むべきなのか、ひとまず立ち止まって考えるタイミングなのではないでしょうか。別の施設や事業所に転職して、新しい場所で違った経験をさせてもらう。このまま同じ場所で仕事を続け、さらに深く利用者さんたちと関わってゆく。または別の仕事をして、介護で得た経験や知識が生かせないか考えてみる、などなど。

 

どう歩むべきかは、その人の年齢や考え方、人生設計や家族など周りの人たちの状況の違いによって異なりますので、正解はありません。私の場合、若いころは、その仕事が自分にとってチャレンジングでないと感じた場合は、違う仕事や場所を求めて転職をしたりしました。そうした節目ごとに立ち止まって、考えて行動してきた中で、自分は介護・福祉教育が本当に好きなのだと分かり、これを自分の一生の仕事にしたいと思うようになりました。

 

湘南ケアカレッジも5年目を迎え、卒業生さんたちから介護福祉士が生まれ、ひとつの節目を迎えた感はあります。さてこの先、介護職員初任者研修→実務者研修→介護福祉士というサイクルを維持し、さらに深めつつも、新たなサイクルをつくっていくべきなのか、もしつくるとしたら次はどのようなサイクルなのか、迷いながらも、先生方と共にさらなる挑戦をしていきたいと思います。

 

 

その際、私たちは「教育」と「介護・福祉」が専門であり、ひとり一人を想い、人間的にかかわってゆくことを大切にしている、顔の見える学校であるという軸からはブレないようにしなければいけませんね。そしていつまでも、卒業生さんたちの活躍に恥じないような学校であり続けたいと願います。

 

 

2017年

4月

24日

「いのちの初夜」

21歳でらい病(ハンセン病)の宣告を受けた著者が、東村山の隔離施設「全生園」に入所したその日の夜に起こった出来事を書いた私小説です。文豪の川端康成も認める文学的才能を持ちながらも、病気になったことで戸籍を抜かれ、北條民雄は一度は存在しない人間となりました。それでもこの作品の素晴らしさは人々の心を動かし、らい病(ハンセン病)を題材に扱ったということではなく、人間を描き切った文学として金字塔となったのです。

主人公の尾田が「全生園」へ向かうシーンから物語は始まります。病気を患ってから、そして「全生園」へと歩く道すがら、尾田は常に自殺を考えます。首を吊るのに適切な木がないのか、つい木を見て枝を見てしまう。しかし、死を日夜考えるようになればなるほど、死にきれない自分にも気づくことになります。思い立って、江の島に投身自殺をしに行ったときの描写がその心と肉体が分離した状況を表現しています。

 

「今」俺は死ぬのだろうかと思い出した。「今」どうして俺は死なねばらなんのだろう、「今」がどうして俺の死ぬ時なんだろう、すると「今」死ななくても良いような気がして来るのだった。

 

 

裸にされて身体検査を受け、所持金も全て奪われ、いよいよ入所した初夜、尾田は想像を絶する光景を見ることになります。そして、唯一の救いとなる佐柄木という男に出会います。

 

木立を透かして寮舎や病棟の電燈が見えた。もう10時近い時刻であろう。尾田はさっきから松林の中に佇立してそれらの灯を眺めていた。悲しいのか不安なのか恐ろしいのか、彼自身でも識別できぬ異常な心の状態だった。佐柄木に連れられて初めてはいった重病室の光景がぐるぐると頭の中を回転して、鼻の潰れた男や口の歪んだ女や骸骨のように目玉のない男などが眼先にちらついてならなかった。自分もやがてはああ成り果てて行くであろう、膿汁の悪臭にすっかり鈍くなった頭でそういうことを考えた。半ば信じられない、信じることの恐ろしい思いであった。―――膿がしみ込んで黄色くなった包帯やガーゼが散らばった中で黙々と重病人の世話をしている佐柄木の姿が浮かんでくると、尾田は首を振って歩き出した。5年間もこの病院で暮らしてきたと尾田に語った彼は、いったい何を考えて生き続けているのだろう。

 

年齢も近かった尾田と佐柄木は次第に仲良くなり、尾田はひとつの疑問にたどり着くのです。この凄まじい世界の中で、佐柄木は生きると言うが、自分はどう生きる態度を定めたら良いのだろうと。尾田の疑問に対して、佐柄木は「らい病に成りきることが必要です」と答えます。らい病に屈服して、らい病者の目を持たねばならない。そこから新しい勝負が始まると言うのです。また自らもらい病者である佐柄木は、らい病者は人間ではないと言い切ります。

 

「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。僕の言うこと、解ってくれますか、尾田さん。あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけがびくびくと生きているのです。なんという根強さでしゅ。誰でもらいになった刹那に、その人の人間は亡びるのです。死ぬのです。社会的人間として亡びるだけではありません。そんな浅はかな亡び方では決してないのです。廃兵ではなく、廃人なんです。けれど、尾田さん、僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つとき、全然らい病者の生活を獲得するとき、再び人間として生き返るのです。復活そう復活です」

 

 

「苦悩、それは死ぬまでつきまとって来るでしょう。でも誰かが言ったではありませんか、苦しむためには才能が要るって。苦しみ得ないものもあるのです」

2017年

4月

20日

互いに初心に戻る

春になって新しい年度が始まったからなのか、最近は卒業生さんたちがよく教室に遊びに来てくれます。それに加え、実務者研修で数年ぶりに戻ってきた卒業生さんたちもたくさんいて、久しぶりに会えた懐かしさと嬉しさで一杯です。現場で頑張っていることを知らせたい、心が折れそうになっているのであの頃の初心に戻りたい、介護福祉士に合格した報告をしたいなどなど、教室に顔を出してくださる卒業生さんたちの理由はそれぞれ。卒業生さんたちの心のどこかに湘南ケアカレッジで過ごした日々があるのでしょう。ふとした瞬間に存在を思い出してもらえる学校であること、そしてケアカレで知り合った仲間と今でもつながってくれていることは、私たちにとって言葉にできない喜びです。

 

先日は昨年の1月短期クラスのふたりが訪ねてきてくれました。2人とも底抜けに明るく、介護の現場に光りを照らしていることがすぐに伝わってきます。どちらも有料老人ホームで働いているので、仕事上で共通する部分もあれば、そうでない部分もあり、「私はこういうことで困っている」、「この前、こんな失敗をしてしまった」など話は尽きません。実は彼女たちの施設にはそれぞれケアカレの先輩がいて、(どちらも立派な先輩なのだろうと想像しつつ)その2人が一緒に仕事をしているのが不思議な気持ちになります。多くの卒業生さんが現場で働いているだけではなく、同じ現場で働き、先輩後輩としての関係も築いているのですね。

 

昨年の7月短期クラスのひとりが、実務者研修を経て、介護福祉士の試験に合格したこと受け、クラスメイトがお祝いのメッセージを贈りたいと教室に来てくれました。小野寺先生と私からのおめでとうメッセージを撮影し、飲み会でサプライズとして上映してくれるそうです。その卒業生さんからは、「卒業してからもう8ヶ月も経ちますが、こんな形でまたご連絡させて頂くことができ、また8ヶ月前と変わらない感じでお返事いただけるこの学校にホントに通ってよかったと思います!」と言ってくださいました。小野寺先生はさすがに手慣れているのに対し、私はつたないコメントになってしまいましたが、サプライズとして喜んでもらえるといいなあ。

 

 

数年ぶりに実務者研修でお会いする卒業生さんもいます。2年、3年も経っても、いつでもあの時に戻れるというか、お互いに変わりない距離感で接することができるのは不思議です。それでも、深く話してみると、この数年の間にいろいろとあったり、それぞれに大きく成長していたりします。病気をして入院していた方、紆余曲折あったけど現場で介護の仕事を続けている方、いよいよ今年は介護福祉士を目指そうと意気込んでいる方など。彼ら彼女らがそうであったように、ケアカレにもいろいろありましたし、また大きく成長できているのかと自らを振り返ってみたりします。

 

卒業生さんたちがケアカレに戻ってくることで初心を思い出したり、あるべき介護の仕事の姿を再確認したりするように、私たちも卒業生さんたちと再会することを通し、生徒さん1人ひとりを大切にし、人間的な関係を築き、世界観が変わるような福祉教育を届ける学校であるという当初の想いを新たにしつつ、これまで行ってきたことが間違っていなかったと安心するのです。

卒業生さんが持って来てくださった栃木のお土産です。先生方と美味しくいただきました!ありがとうございます。

2017年

4月

16日

雨が降っても

4月だというのに雨ばかり降って、桜の花が散ってしまうではないかと余計な心配までしたくなる、梅雨のような天気が続きました。雨が降るとふと思い出すのは、ある先輩経営者であり上司でもあった方の「雨が降ったのもすべて自分の責任だと思いなさい」という言葉です。雨が降ったことまで自分の責任だと思えというのは、ずいぶん理不尽だなあと最初は思ったものですが、最近は少しずつ真意が理解できるようになってきました。雨が降ったことを嘆くのではなく、まずは自分ごととして捉え、それならばどうするのかと考えるべきだという意味に解釈しています。同じ現象を見ても、受け取り方の違いで、ただの内輪の愚痴になってしまうか、それとも誰かのための行動になるのか分かれるということですね。

 

雨といえば、佐々木先生が湘南ケアカレッジに来る日は雨や雪が降ることで有名です。なぜか不思議と佐々木先生が初日を受け持つ、実務者研修や介護福祉士筆記試験対策講座は雨が降ります。佐々木先生の素晴らしいところは、それをご自身でもネタにしつつ、介護福祉士筆記試験対策講座の生徒さんに対しては、「私が初日を受け持って、雨が降ったときのクラスで受験された生徒さんたちは皆さん合格していますからご安心ください」と言えるところです。雨だから嫌ですねと言ってしまうと、生徒さんまでどんよりしてしまいますが、同じ雨を合格の雨に変えてしまうことができるのですね。

 

湘南ケアカレッジは今年で5年目を迎えますが、順調に来たように見えて、実は決して平坦であったわけではありません。1年目と2年目は順調すぎるぐらい順調にスタートすることができ、正直に言うと、このままずっとこの順調さが続くのだと考えていました。ところが、3年目を迎えたあたりから、景気の波の大きな変化や競合校の動き等によって、これまでのように生徒さんが集まらなくなってしまいました。これは日本全国の学校で同じことが起きていたのですが、湘南ケアカレッジにもその影響が及んだということです。ケアカレはそういう外的環境要因によって左右されないと勝手に考えていたのですが、社会全体の動きや流れには完全に抗うことはできなかったのです。

 

このとき、「雨が降ったのもすべて自分の責任だと思いなさい」という冒頭の言葉は私の支えになりました。世の中の景気の動向や他校の動きは自分たちでコントロールできないものであり、それに文句を言ったりしてみても何も変わらない。それならば、今の状況でどのようにしたらもっと良くなるかを考え、行動していくべきだと思わせてもらったのです。新しい事業をつくろうとしたり、外に出て行って人に会ったり、その中で湘南ケアカレッジのことを知ってもらい、つながりをつくって学校に来てもらう。ほとんどは上手く行きませんでしたが、地域に深く根を張ることは大切だと知りました。

 

 

また、他校が「◇月◇日までの○○キャンペーン!△△万円が今なら□万円!」とやっている中で、ケアカレは一度も見かけだけの安売りはしませんでした(実際にこの手のキャンペーンをやっていた大手の学校は景品表示法違反で処罰されました)。どれだけ苦しくても、不誠実なことやかっこ悪いことはやらないという開校当初からの理念を貫けたのは、今から思い返しても良かったと心から思います。これから先、10年後も、そして100年後も、「雨が降ったのもすべて自分の責任だと思いなさい」という言葉を胸に、前向きに誠実に学校づくりとしていきたいと思います。

2017年

4月

12日

開校記念日そして2000名

4月12日は湘南ケアカレッジの開校記念日になります。今年で5年目を迎えることになりました。教室の場所を探したり、ベッドや車いすや机等を揃えたり、先生方と会って面接をしたりしたのがもう5年も前のこととは、到底信じられません。子どもの成長が速く感じるのと同じように、自分の子どものような学校の成長もあっと言う間ですね。「世界観が変わる福祉教育を提供する」という理念のもと、先生方と最高の介護の学校をつくろうと過ごしてきた日々でした。そして遂に、湘南ケアカレッジに来て、介護について学び、卒業してくださった生徒さんたちが2000名を超えました!ケアカレにかかわってくださった全ての人々に感謝します。

 

1000名のときにも書いたかもしれませんが、湘南ケアカレッジにとって、卒業生さんたちが何名になろうと、生徒さんはひとり一人です。同じ2000名でも、ひとり一人を積み重ねた2000名と、十把一絡げに生徒さんを扱った2000名とでは大きな違いがあると思うのです。湘南ケアカレッジは、人間的な関係をひとり一人の生徒さんたちと築いてきたという自負があります。私たちも生徒さんたちの顔や名前から人となりを分かっていて、生徒さんたちも私たちのことを人として覚えていてくれているということです。

 

ケアカレの卒業生さんにとっても、もしかすると先生方にとっても、せっかくの縁を大切に、人間的な関係を築こうとすることは当たりまえに思えるかもしれませんが、そういう関係を築こうとする、または築ける学校はほとんどありませんので、実はその点においても湘南ケアカレッジは革新的であるのです。

 

生徒さんたちと人間的な関係を築くことが、学校にとってどれだけ大切かを私が知ったのは、子どもの教育に携わらせていただいたことがきっかけでした。たとえば塾であれば、そこに子どもたちは長期間にわたって通うことになります。短くて1年から、長ければ受験が終わるまでの3年。週に1、2回、多い時期ですとほぼ毎日通って勉強します。そうした中では、子どもたちと人間的なつながりを深めることは当たりまえのように重要になります。お互いを知り、子どもたちから信頼してもらい、私たちも子どもたちの良さを引き出す。そのためには、良質なコミュニケーションや声掛け、気づかいを積み重ねることが大切になってくるのです。

 

子どもたちと日々接する中で学んだ教室運営を、ほとんどそのまま介護の学校に生かしているのが湘南ケアカレッジです。数年間塾に通ってくれる子どもたちと同じだけの熱量で、(介護職員初任者研修でいうと)15日間しか通わない生徒さんたちひとり一人と向き合う。むしろ私たちに与えられた時間は15日間しかないからこそ、左から右へと生徒さんを流すように扱うのではなく、もっと丁寧に人間的な関係を築こうとしなければならないのです。この4年間で2000名の生徒さんたちと、湘南ケアカレッジを通して、人間的な関係を築けたことを私たちは誇りに思います。

2017年

4月

09日

良い口コミは時間をかけて

湘南ケアカレッジが開校してから、およそひと月に1度のペースで、介護職員初任者研修の説明会を開催してきました。予約をしないで来ていただくので、毎回、どのような方が何名来るのか分からず、ドキドキしながらお話しさせていただきます。とはいえ、説明会と名のつくものはかれこれ500回以上行ってきていますので、さすがに新鮮さを感じることが少なくなってきた私でも、最近の説明会における変化に気づかずにはいられません。大手の介護スクールでは決してなかったようなことが、湘南ケアカレッジの説明会では起こるのです。

それは説明会の参加者が湘南ケアカレッジについて語ってくれることです。もう少し具体的に言うと、説明会の参加者の友人がケアカレについて語ってくれたことをそのまま語ってくれるのです。たとえば先日の説明会における最後の質疑応答の時間の中で、

 

「実は私の幼なじみが、こちらで介護職員初任者研修を受けて、今現場で働いています。『迷っているんだったら、こちらに行ってきなよ』と私の背中を押してくれたんです。その幼なじみも、仕事で迷ったときには、ケアカレのホームページを見たりして、あのときの気持ちを取り戻していると言っていました」

 

と教えてくださったのです。それを聞いた他の参加者も、ケアカレの説明会に来て良かったと思ってもらえるはずですし、申し込みをしたいと思ってくれたはずです(実際に全員が申し込んでくださいました)。これぞまさにリアルな口コミなのではないでしょうか。

 

別にそういう話を誘導したわけではなく、サクラを用意したわけではありません。自然な会話の中で、友人や知り合いがケアカレは良かったと勧めてくれていることが、すでに説明会の時点でも伝わってくるようになっているのです。大手の介護スクールで何百回も説明会をしてきましたが、そんな声を聞いたことは一度もありませんでした。たったの一度も。

 

 

介護職員初任者研修や実務者研修に来ている生徒さんたちに深く聞いていくと、誰々から聞いたとか、勧められたという情報はもっと出てくると思いますが、そうではなくて、私が言いたいのは、口コミがにじみ出るように表に現れてきているということです。これまでに先生方が授業を通して教えてくれたこと、授業外でも親身になって関わってくださったこと、そうしたあらゆる全てが生徒さんたちの心に響き、彼ら彼女たちの周りの人々にも少しずつ届いています。悪い評判は一瞬で広まりますが、こうした良い評価や口コミは時間を掛けて浸透していくものです。この良い循環を止めないように、これからも気を抜かず、謙虚に学校をつくっていきたいと思います。

2017年

4月

06日

円のように

「先生方がそれぞれに個性的で良かったです」と生徒さんたちからよく言われます。十人十色という言葉があるように、人はひとり一人が個性を持っており、それぞれが個性的であるのは当たり前ですが、なぜこうも「ケアカレの先生は個性的で良かった」と言われることが多いのか不思議に思っていました。最近になって少しずつ分かってきたのは、ひとり一人がその持ち味を失うことなく輝いていながらも、お互いに足りない部分を補い合って、全体としては円のようにまとまっているからではないか、ということです。

ひとり一人の人間は本来個性的であるにもかかわらず、どの人たちも同じような人間に見える組織というのは確かにあります。同じようなタイプの人間を採用していたり、また同じ職場で働くことで、同調圧力というか、角を削られてしまうというか、同じような考え方やスタイルが身についてしまうことでそうなります。ケアカレはそうではないのだと思います。だから、先生方が素の自分のままの良さを出してくださっているのでしょう。

さらに、先生方が互いの強みだけではなくウィークポイントも知っているからこそ、サポートをすることができるのでしょう。それは相手の良さを分かっていて、尊敬もしているから、その反面にある至らなさをカバーしようと自然に思えるのではないでしょうか。もう少し深いところでいうと、相手の強い部分が自分の弱い部分を補い、相手の弱い部分が自分の強い部分を輝かせてくれるのです。そういう関係を、相手に合わせてつくることができると右のようになります。

 

そして、先生方が個性的で良かったと最終的に思ってもらえるのは、実は全体としては円のような形になっているからではないかと思います。ただ単に個性的なだけですと、それはバラバラになって、ゴツゴツしていて、生徒さんたちにとってはまとまりのない、先生方が好き勝手にやっているという印象を与えてしまうかもしれません。ケアカレはそうではなく、全体として調和が取れているのです。

互いに合致する個性の先生方が偶然に集まって円になったのか、それとも実は円を描くために、それぞれの先生方が自身の形を意識的に、または無意識のうちに変えてくれているのか、どちらか分かりませんし、もしかするとそのどちらもなのかも知れません。そして、いつの日にか、ケアカレのロゴマークのようなハートの形になって、生徒さんたちを迎えることができると良いなと心から思います。

2017年

4月

03日

居心地の良さを求めて

日曜日クラスと平日短期クラスが、3月末で修了になりました。どちらも楽しんで演習をして、真剣にテストに臨んでくれる、メリハリのあるクラスでした。介護職員初任者研修が終わる頃には、皆仲良くなったらしく、最終日には打ち上げが行われていました。残念ながら私はインフルエンザに罹ってしまい、最後に皆さまと顔を会わすことができませんでしたが、卒業生さんたちには、いつまでも長くつながっていてもらいたいと心から思います。短期クラスからは春の旅立ちを祝って、桜の木を形づくったメッセージツリーを贈っていただきました(立体は初めてかもしれません)。ありがとうございます!

湘南ケアカレッジは、5年目の春を迎えるにあたって、先生方と個別に面談を行っています。面談といっても、一緒にランチを食べるという企画であり、先生方おひとり一人と場所を変えてゆっくり話ができる機会となりました。これまで一度も個人面談というものを行ってこなかったのは理由があります。それは個人面談をわざわざしなくても良いぐらい、毎日のように先生方と会って、良い話も悪い話もできる環境にするべきだと考えているからです。そのためには、私も毎日教室にいなければなりませんが、顔を合わせて、いつでもお互いに腹を割って話し合える環境をつくることが、個別面談を年に数回行うよりも、もっと大切なことだと思うのです。

 

いろいろなお店でランチを一緒に食べながら、先生方と他愛ない話をしている中で、湘南ケアカレッジがここまでやって来られたことの感謝を伝えました。先生方が毎回の授業で全力を出し切ってきてくださったことがここまでつながってきて、今のケアカレがあると私は思っています。それは授業のクオリティということだけではなく、生徒さんたちに対する思いやりやホスピタリティという目に見えない部分も含め、手を抜くことなく提供してきたからこそ。私と先生方の想いが一致しているので、誰がどの先生と接しても同じような湘南ケアカレッジらしさが伝わってくるのです。

 

「居心地が良いのだと思いますよ」

 

ある先生が、生徒さんたちの湘南ケアカレッジに対する感覚をそう表現してくれました。なるほど、ずっと生徒さんたちと一緒にいてくれる先生方から見ると、生徒さんたちの気持ちを代弁するとそうなるのですね。居心地の良さとは、その場にいることが楽しかったり、落ち着いたり、緊張することなく、自分の素を出すことができるということ。なぜ居心地が良いのかと考えてゆくと、これはあくまでも想像でしかありませんが、すべてにおいて内容や対応が良くて、一致しているからではないしょうか。

 

この全てにおいて内容や対応が良くて、一致していることはとても重要で、簡単そうに見えて、かなり難しいのです。たとえば、初めて湘南ケアカレッジに電話をしたときの内容や対応から、パンフレットが送られてきたときの内容や対応、そして見学に訪れたときの内容や対応、授業が始まってからの内容や対応、先生方やスタッフと話したときの内容や対応など、あらゆる場面において一致しているというと大げさかもしれませんが、ずれが少ないということなのだと思います。パンフレットは良かったけど、電話したときの対応が良くなかったということでもなく、授業は良かったけど先生方の感じが良くなかったということでもない。どこに接しても、ケアカレらしさに触れることができるからこそ、生徒さんたちは安心して研修を受けられるのです。それをひと言でいうと、居心地の良い学校ということになるのでしょうか。

 

 

5年目も、そしてこの先もずっと、生徒さんたちだけではなく、私たちにとっても居心地の良い学校でいられると良いですね。

2017年

3月

31日

合格祝賀会

3月28日に介護福祉士の合格祝賀会が行われました。介護福祉士筆記試験対策講座を受けた生徒さんたちに限定させていただきましたが、たくさんの合格者が報告に来てくださいました。お子さまを連れてきてくださった方、実務者研修で仲良くなったクラスメイトと一緒に訪れてくれた方、それぞれが最高の笑顔をケアカレに運んできてくださったのです。ありがとうございます。また、夜勤が入っている等の理由で合格祝賀会には参加できないけれど、ひと言、感謝の気持ちを伝えたいと電話を掛けてくれた人も多くいました。

昨年度は、湘南ケアカレッジで行う初めての介護福祉士筆記試験対策講座でした。一昨年、とある施設様に出向いて教える出張講座をしましたが、ケアカレの生徒さんに対して、ケアカレ独自のプログラムで教えさせていただく講座としては初でした。そういうこともあって、何としてでも全員に合格してもらいたいと願い、ひとり一人の生徒さんたちを丁寧に密に教えさせていただいたつもりです。最終的には、生徒さん本人が頑張ったからこそ合格するのですが、少なからずお力になれたのではないかと思います。

 

もちろん合格祝賀会もケアカレ初のイベントとなり、筆記試験対策講座を教えてくれた先生方が全員参加して(または顔を出して)くれました。僕は子どもの教育に携わっていたことがあり、1年に1度の合格発表日には朝から先生方に教室に来てもらい、生徒からの電話が鳴るのを皆で待つというイベントをやっていました。実はこのイベントでは、先生にとって、自分が1年間かもしくはもっと長期にわたって教えてきた究極の成果が問われます。普段何気なく教えていることの積み重ねが、この日の生徒の笑い顔や泣き顔として現れてくるのです。このイベントに参加した先生は、ゴールを目の当たりにすることで、自分が教育を通して生徒に関わっているプロセスの意味を理解してくれました。

 

だからこそ、僕が介護の学校で試験対策講座を行うときには、(お金をいただいたらそれで終わりの他の学校ではしないと思いますが)合格祝賀会を開催しようと考えていました。教えっぱなしではなく、良い結果であれ、たとえ悪い結果であれ、最後まで生徒さんたちと先生方が共有できる方を選びました。正直に言うと、どのような雰囲気の祝賀会になるのか分からないので不安でしたが、生徒さんたちの成し遂げた感のある、この上なく爽快な笑顔を見て、また参加してくださった先生方のホスピタリティを知って、やって良かったと思いました。顔を出してくれた卒業生の皆さま、そして体調の悪い私の代わりに会を盛り上げてくれた先生方、準備に走り回ってくれた坂本さん、本当にありがとうございました。

 

 

最後に、合格おめでとうございます!

2017年

3月

26日

「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」の募集を開始します!(平成29年度)

今年度も、「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」を開催します!ガイドヘルパーは障害のある方の外出の支援をする仕事です。在宅や施設が「屋内」だとすれば、ガイドヘルプは「屋外」における介護。利用者さんの行きたい場所を聞きながらプランを立て、外出し、必要な支援を行いつつ、色々な話をしながら、一緒に楽しむお仕事です。行きたい場所や好きなところに行けることは、利用者さんにとって希望や生きがいとなり、外出先での思い出は、日常を生きる活力ややりがいにもつながります。もちろん高齢の方にも同じことが言えますよね。そして何よりも、この仕事は私たちも楽しい!そんな外出支援のお仕事ができるようになってみませんか?

 

→介護・福祉についてさらに深く学びたくなった。

→利用者さんの外出を支援するお仕事に興味がある。

→障害のある方々や子どもたちの支援について学びたい。

→屋外にて車椅子を安全に操作する技術や知識を得たい。  

 という方は、ぜひご受講ください。

ガイドヘルパーの仕事に合わせた、実践的なオリジナルコンテンツ

1、  芹が谷公園での演習

芹が谷公園まで車いすで行き、車いす介助の演習をします。公園内にある段差、砂利道、坂道など、外出時における様々な状況を想定しながら、車いすを押す技術を何度も練習して身につけます。普段は屋内でしか車いすを押していないという方にとっては、また違った介助であり、技術が身につくはず。自然の緑に溢れる広い公園ですので、ぶつかったりする心配もなく、安心して練習ができます。

 

2、計画を立てる

利用者さんが10人いれば、行きたい場所やしたいことは10通りあるはず。利用者さんの行きたい、楽しみたいという気持ちを大切に、安全・安心を確保しつつ、また時間どおりに戻って来られるように、2人1組のペアになって具体的に計画を立てます。目的地にたどり着くまでにどのような障害があるのか、どの道を通って行けば安全なのか?エレベーターの場所は?電車はどの車両から乗るべき?準備をしておくべき物ごとは何か?などなど。普段とは違った視点で話し合うことで、ガイドヘルパーの仕事に必要なことが見えてくるはずです。

 

3、  フリー行動(町田ルート&相模大野ルート)

自分たちでつくったオリジナルの計画に沿って、町田駅周辺を散策するルートと、相模大野駅まで電車に乗って行くルートのいずれも体験していただきます。いち利用者とガイドヘルパーとして、車いすに乗りながら(または押しながら)、限りなく実際のガイドヘルプの仕事に近い内容の研修になります。街中を車いすで進んだり、踏み切りを渡ったり、切符を買って改札を通ったり、エレベーターに乗ったり、電車に乗ったり降りたりと、ほとんどの方々にとっては初めての経験となるのではないでしょうか。計画通りに行くこともあれば、行かないこともあるはずです。それでも利用者とのコミュニケーションを楽しみながら、安心・安全な外出をサポートすることが大切です。

 

4、振り返り

教室に戻って来てから、実地研修で学んだことや気づいたことをグループで共有します。プランニングと実際のガイドヘルプでは違っていたこと。車いすに乗って、障害者として外出してみて感じたこと。街中の人々の対応やバリアフリーについて。成功したことや失敗したこと、困ったことなど。グループワークを通して、体験を学びに変えていきます。

 

タイムテーブル(当日の状況によって変更があることをご了承ください)

講義(実習含む)

  800900 

ガイドヘルパーの制度と業務

  9051105 

全身性障害者の疾病・障害の理解

11:1014:20

*10分休憩含む

移動支援の基礎知識(芹が谷公園にて)

演習

14:2515:25

基礎的な介護技術

  1530~1830 

移動支援の方法

(町田周辺、相模大野まで外出します)

*昼食はガイドヘルパーの演習の流れの中で召し上がっていただきます。

 

*雨天決行になりますので、雨の場合は雨がっぱ等をご用意いただきます。

 

修了証明書

研修終了後には、「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」修了の資格が手に入ります。この資格を持っていないと仕事に従事できなくなってきており(市区町村によって異なります)、実際に役立てていただける場面も多く、もちろん履歴書にも「「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修修了」と書いていただけます。

 

講師紹介

湘南ケアカレッジの講師は、介護福祉士や社会福祉士の資格を持ち、現場経験や知識が豊富なだけではなく、教えることに対しても技術と情熱を持っています。分かりやすく丁寧に教えさせていただき、介護の世界の素晴らしさをひとりでも多くの人々に伝えたい、と願っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小野寺祐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阿波加春美

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橘川知子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥玲子

 

受講料

15,000円(税込、テキスト代込)

 

定員:30名限定

教室の外に出るという内容の関係上、人数を限定させていただくことをご理解ください。

 

受講資格介護職員初任者研修課程修了者(修了予定者を含む)、ホームヘルパー2級課程修了者、介護福祉士並びに東京都居宅介護職員初任者研修課程及び東京都障害者居宅介護従業者基礎研修課程修了者、東京都障害者(児)居宅介護従業者養成研修1級課程、2級課程及び3級課程の修了者、介護保険法上の訪問介護員、実務者研修修了者、介護職員基礎研修課程修了者。

 

研修日程(平成29年度)

第1回

第2回

4月2日(日)

5月7日(日)

第3回

第4回

6月11日(日)

10月8日(日)

第5回

 

12月3日(日)

*全身性障害者ガイドヘルパー養成研修は全1日で修了する研修になります。

*上記の日程の中から、お好きな1日を選び、ご受講ください。

お申込みの流れ

①以下の申し込みフォームよりご入力、もしくはお電話(042-710-8656にて直接お申込みください。

※いずれの場合も、ご希望のクラスが定員になりますと受付できませんのでご了承ください。

②受講確認書をお受け取りください。

ご自宅に「受講確認書」と「受講料お振込みのご案内」が届きます。

③受講料をお振込みください。

「受講確認書」が到着後、1週間以内に受講料をお振込みください。お振込みは、銀行ATM やネットバンキングからでも可能です。

※手数料は各自でご負担ください。また、お振込みは案内をよくご確認の上、お願いいたします。

④研修当日

申し込みクラスの日時をご確認の上、教室までお越しください。当日、テキストをお渡しします。

 

*当日、本人様確認を行いますので、身分証明書(健康保険証または運転免許証等)をご持参ください。

 

生徒さんたちの声

実際外に出て、自分で体験できた

普段の仕事では室内の車いす介助なので、実際外に出て、自分で体験できて良かったです。少しの段差でも気を遣い、踏み切りや電車の乗降はとても難しかったです。少しでも困っていると周りの方が助けてくださり、本当にありがたかったです。1月からデイサービスの仕事に移るので今日の研修を生かせればと思います。A.Aさん)

元気をもらえました

とても楽しく面白くしっかりと学ぶことができて充実した研修でした。不安もありましたが、先生たちがいつも励ましてくれ信じてサポートしてくださることが自信につながります。先生たちに久しぶりにお会いできて元気をもらえました。ありがとうございます。また学びに来たいです!(大塚さん)

車イスの操作のむずかしさ

車イスの操作のむずかしさを改めて実感しました。2段階の段差、踏み切り横断で特に感じ、普段施設内移動では味わえない貴重な勉強をさせていただき、今日研修に来て良かったと思いました。久しぶりにケアカレの先生方の優しさに触れて楽しい1日でした。M.Iさん)

新しい発見がありました

すでにガイドヘルプの仕事を行っていましたが、新しい発見がたくさんありました。特に車いすに乗らせていただくことはないので、自分の身体の自由が利かない中で、この気分はどうだろうと改めて思いました。また準備の大切さもとても感じました。心地よい疲れをありがとうございました。Y.Oさん)

基本から知ることができた

車イスに乗ってみて、いろんなことが違って感じた。人込みの怖さ、薬局に入って、棚の商品(上の段)が全く見えないこと、親切な人やそうでない人、車いすを押すのも手だけではなく身体ごと使って段差を乗り切ること、坂路での下り方、基本から知ることができたのでとても良かった。(奥田さん)

とても新鮮でした

貴重な体験ができて、とても有意義な1日でした。いつもと違う視線、視点で見ることができ、とても新鮮でした。想像以上に段差が多くて大変でしたが、想像以上に町を行く人は親切でした。この経験をこれから活かして何かできたらいいなと思っています。M.Aさん)

街の人たちが優しかった

いちばん感じたことは、街の人たちがとても優しかったことです。エレベーターのボタンをずっと押してくれていたり、道に迷っていたら道案内をしてついてきてくれたり、本当に感謝しています。今まで気がつかなかった視点で観ることができる、とても良い機会になりました。(金子さん)

誇りと希望が持てます

本当に実際に車いすに乗って危険や不便さをたくさん感じました。いかに健常者優先の環境になっているか、身に沁みました。商品が目に飛び込んでくるようなダイナミックな視線や大きな溝より分かりづらい穴とかの方が危険なこと、いろいろ思いましたが、結局それでも外出したいと思うのがいちばんの感想だったので、この仕事は誇りと希望が持てます。(座間さん)

研修の風景(動画)をご覧ください。

お申込みはこちら

今年度の研修は全て満員になりました。

2017年

3月

22日

何かをやめること

最近、忙しいと感じることが増えてきました。実務者研修という新しい研修が始まり、またそれに伴い生徒さんの人数も多くなってきたということもたしかにありますが、そういう嬉しい忙しさではなく、業務量が増えてきてしまった忙しさです。湘南ケアカレッジを開校してから、できるだけやるべきこと(業務)を減らし、やらないことを守ってきたつもりでしたが、いよいよ4年目にして今一度、仕事を見直してみる時期が来ているのだと思います。

なぜ業務を極限まで少なくするべきかというと、決して自分が楽をするためではなく、余裕のある時間をできるだけ確保することで、人とコミュニケーションを取る時間を増やすためです。それによって私たちの仕事の成果が最大化するだけでなく、仕事の効率さえもアップするというのが私の考えです。

 

なぜコミュニケーションが仕事の成果を最大化させ、効率を上げるのかについては、ここでは説明しません。今回はどのようにして業務を減らすのか、また、放っておけば自然と増えてゆく業務を減らすためにどのように戦うべきかについて書きたいと思います。放っておくと業務量は自然と増えていくというのは、仕事の法則のひとつです。エントロピー増大の法則(自然界のあらゆるものは放っておくと無秩序になってゆく)という法則と同じぐらい、真実であり真理を示しています。パソコン上のデータがいつの間にか増えて、動きが遅くなってくるように、最初は軽くてシンプルだった仕事も、次第に重くて複雑になってゆきます。これはどの企業や介護施設、お店、学校などの職場で常に起こっていることです。

 

そして、そのほとんどは、善意にもとづいた提案による、大した効果を生み出さない、小さな業務の積み重ねによるものです。たとえば、ある職場である人が、「今日、朝出社したら、何台かのパソコンの電源が落ちていませんでした。電気代がもったいないです。節約という意味でも、これからは最後に帰るスタッフが、全てのパソコンの電源が消えているかどうかをチェックして帰ることにしましょう。その際のチェックリストがあった方がいいですね。○○さん、作ってもらえますか」と提案したとします。こういった善意の提案を断るのは案外難しいものです。1ヶ月ぐらいは、電源を切り忘れる人もいなくなり、最後に帰るスタッフもチェックをしますので、うまく回っているような気になります。しかし、しばらく経つと、またパソコンの電源を落とし忘れるスタッフがいて、なおかつチェックをし忘れて帰るスタッフが出てきます。

 

そんな事態が発覚すると、今度はまた、「最後の人がチェックして帰ることに決めたのに、それを忘れて帰る人がいます。○○さん、昨日はあなたが最後でしたよね?」、「いえ、△△さんが外回りから帰ってくると思って、チェックせずに帰りました…」、「はっきりと予定が分からないのだったら、△△さんに確認してから帰るべきでしたね。もう2度とこういうことがないように、明日から誰がチェックし忘れて(もしくはチェックして)帰ったかを朝いちに来た人がチェックすることにしましょう。××さん、1ヶ月ごとのチェック表をつくっておいてください」

 

こうして職場にはひとつずつ仕事が増えてゆき、気がつくと、やるべき仕事が山のようにあるという事態に陥ってしまうのです。このような無駄な仕事を増やすことで、やるべきことを忘れたりミスしたりして責められることも増え、スタッフ同士はお互いに疑心暗鬼になり、そのことでさらにやるべき仕事が増えるという無限ループが生まれます。

 

私は部署移動や転職などで、新しい職場や企業等に入ることが何度かありましたが、ほとんど効果を生まないにもかかわらず、ルーティーン業務となっている仕事をやんわりと指摘すると、必ず返ってくる答えは「これがうちのやり方で、これまでずっとやってきていますから」でした。これまでの経験から、「やらないこと」や「やめること」を提案すると、必ず真面目な人たちから反発に遭い、うまくいった試しはありません。実際にやらない、やめることは難しいのです。逆に、やることを増やす提案は快く受け入れられるから不思議です。これは日本における長時間労働と生産性の低さの問題と密接に関係しています。

 

 

自分で自分の首を絞めるだけならまだ良いのですが、それによってスタッフ同士のコミュニケーションが減ったり、仲が悪くなったり、お客さんとゆっくりと話をしたりする時間が少なくなることが大きな問題なのです。そして、そういう忙しいだけの職場や仕事は、総じてあまり利益を生み出していない、つまり、社会に貢献していないことがほとんどです。私たちは変に真面目すぎるのかもしれません。常識や規則に縛られて、さらに自分たちを縛るルールをつくりだしてしまう。それによって得られるものはなく、失うものが多いにもかかわらず、それでもやめられない。誰もやめようと言えない。私たちに必要なのは、何かをやることではなく、勇気をもってやめることなのかもしれませんね。

2017年

3月

18日

友人知人にそうするように

最近、施設や事業所回りをしていると、「湘南ケアカレッジさんはなぜ生徒さんがそんなに集まってくるのですかね?」と聞かれることがあります。「ひと言では説明できませんが、実際に研修を受けてくださった生徒さんたちが、周りにいる友人知人に『あそこは良かったよ』と言ってくださっているではないでしょうか。そういうつながりや口添えで来てくださる方が多いのです」と答えます。実際に生徒さんたちと話をしていると、そういう方が多いのですから嘘ではありませんが、本当の理由はもう少し深いところにあります。それは、私たちが自分の友人知人にそうするように生徒さんたちと接していて、自分の家族や友人知人にも勧められるような研修を行っているからです。

自分の友人知人にそうするように生徒さんたちと接するとは、生徒さんたちをお客さまとしてではなく、もう少し近しい人として考えて行動するということです。誤解を招くかもしれませんが、これはなれなれしくするということではありません。人間らしく接するということとなれなれしいことの境界線は曖昧です。こちら側と向こう側の違いは、そこに愛情があるかないかの違いだと私は思います。愛情という言葉が重ければ、好意や興味と言い換えてもよいでしょう。その人に対する好意や興味がなければ、言葉も態度も表面的なものにしかすぎませんし、逆にうっとうしいと思われるかもしれません。

 

たとえば、教室における出迎えや見送りや挨拶に始まり、授業の中での声掛けや細かい気遣いまで、生徒さんひとり一人のことを見て、その人のためにできることは何かを考える。そこにはお客さんと従業員、講師と学生という関係ではなく、人と人としての関係が生まれるはずです。せっかく湘南ケアカレッジという学校に来てくれたのですから、これもひとつの縁として、もっと人間らしく生徒さんたちと関わっていきたいと、私だけではなく先生方も思ってくれていると思いますし、開校当初からそのように接してくださっています。

 

そのように接してもらった生徒さんたちは、同じように、先生や学校に対して友人知人と似たような感情を抱いてくれるはずです。先生や学校と生徒というよりも、人と人としてのもう少し深い関係にあるということです。そうした生徒さんたちは、湘南ケアカレッジのことを自分の友人知人のことを勧めるように勧めてくれるはずです。

 

 

その上で、最も大切なことは、自分の友人知人に勧めたいと心から思える内容の研修であるということです。つまり、自分の大切な人に勧める以上、自分たちが提供している研修や商品が、自分の大切な人たちに自信を持って勧められるものか、という問いはとても重要です。湘南ケアカレッジは、生徒さんたちに友人知人のように思ってもらい、自分の大切な人たちに勧めてもらえる研修をこれからも提供し続けていきたいと願っています。

誕生日当日に介護の先生方からお祝いをしていただきました。オレンジずくめのお花をいただき、今年は生徒さんたちのリアクションペーパーにもひと言が!演出がにくいですね(笑)。ケアカレがここまで良い学校になったのも先生方のおかげです。ありがとうございます。

2017年

3月

13日

学校をやっていて良かったと思える瞬間

この仕事をやっていて良かったと思える瞬間があります。生徒さんたちから、学校に対する感謝の気持ちを伝えてもらえる時がそのひとつです。先日、10月からスタートした実務者研修が修了し、最後の医療的ケアの授業が終わったのち、生徒さんたちからメッセージ入りのボードを贈っていただきました。授業の中に登場する抹茶ゼリーをモチーフにした緑一色のそれです。クラスメイトの代表から、「心のこもった授業をしてくださった先生方と、この学校をつくってくれた村山さんに感謝の意を表して」と手渡されました。

 

普段は裏方として先生方や生徒さんたちをサポートしているつもりですが、こうして学校をつくってくれたなんて言ってもらえると、恥ずかしくも嬉しい気がします。どれだけ大きな会社や学校の創業者であっても、この会社(学校)をつくってくれてありがとうなんて、なかなか言ってもらえないと思います。

 

もちろん、それは先生方が生徒さんたちのことを想って、全力で授業をしてくださっているからこそだと知っていますし、私は感謝しなければなりません。そして、学校をつくったという目に見えない部分にまで思いをめぐらせてくださる、ケアカレの生徒さんたちには敬意を抱かざるをえません。

 

医療的ケアの授業が終わって、ミーティングという名のもと、恒例の打ち上げを行いました。皆さんに記入していただいたリアクションペーパーを読みながら、今日の授業を振り返ります。今日の授業における良かった点や、次回へとつなげていくべき改善点についても話し合いますが、ほとんどは生徒さんたちとの関わりの話になります。あの生徒さんはこういうところが良かったとか、○○さんがいるとグループが締まるねとか、声掛けが素晴らしかったなど、たった1日ですが8時間を濃厚に関わったからこそ分かる生徒さんたちの人となりを語ります。このようにして、先生方と生徒さんたちがつながってゆく瞬間も大好きです。

 

 

宴もたけなわ、店内にバースデイソングが流れてきました。誰か誕生日のお客さんが来ているのかと思っていたら、なんと私の誕生日でした。少し早いのですが、看護師の先生方が先回りしてサプライズを用意してくれていたのでした。先生方が集まってくれて、素晴らしい授業を展開してくださっているだけでもありがたいのに、こうして誕生日まで祝ってもらえるなんて、私は幸せですね。今日はこの仕事をやっていて本当に良かったと思えた1日でした。

2017年

3月

09日

ふたりの転校生

10月からスタートした実務者研修が終わりを迎えようとしています。介護のパートは、実技の修了試験に合格することをもって終了となります。残すところ、医療的ケアの授業のみ。初回から雰囲気が良かったこともありますが、それが尻すぼみになるどころか次第にチームワークとして高まっていったクラスでした。卒業生さんが中心となって輪をつくり、積極的に学ぼうという姿勢が自然と広まり、まさに一体となって学んだ6日間でした。正直な感想としては、わずか6日間でここまで素晴らしい雰囲気のクラスになるものなのかという驚きです。雰囲気というと曖昧な表現ですが、居心地が良い、楽しく学べる、自分らしくいられるといったことでしょうか。

介護の研修を受け終えた感想をリアクションペーパーに書いてもらいました。今回のクラスからは、前回の実技の復習を取り入れたり、褒める・認めるをテーマとして臨んでいただけに、どのような反応が返ってくるのかとても楽しみにしていたのです。リアクションペーパーを読ませてもらって、最も印象に残ったのは、ほとんどの生徒さんたちが先生方に対する賛辞を述べていたことでした。「あたたかく応援してくださる」、「私たちの側に立った指導をされている」、「雰囲気が良い」、「丁寧」、「熱い」「ほめてもらった」、「個性的」、「大好き」、「顔を見て話しかけてくれるやさしさ」などなど、ありがたい言葉ばかり。また、介護職員初任者研修と実務者研修はつながっていることも再認識しました。

それを読んだ介護の先生方は、「このクラスは雰囲気が良かったね」、「○○さんが引っ張ってくれたから」、「最初の頃と比べて、○○さん大きく変わったよね。それが嬉しい」、「○○さんはとても優しい声掛けだった」など、生徒さんたちのことを認めて、褒めていました。

 

そのシーンを見て、理想的な関係性であり、学校のあり方だと思いました。生徒さんたちは先生方のおかげで良き学びを得られたと感じ、先生方は生徒さんたちが主体的に学んでくれたから教えやすかった(教え甲斐があった)と思える。お互いがいつのまにか尊敬し、尊重し合い、愛着を抱ける関係性こそが、私たちの求めているものであり、これからも追求してゆくべきことなのでしょう。

実は今回のクラスには転校生が2名いました。他校で実務者研修を受けたのですが、授業の内容や対応に納得がいかず、もっとしっかりと勉強できる環境を探して、湘南ケアカレッジに来てくれました。他校で残すところあと1日のところまで受けていたので、私としては我慢してそのまま修了した方が良いのではと提案しました。うちの実務者研修がいくら安いとはいえ、受講料を再び払ってまで来ていただくのは、さすがに私たちにとってもプレッシャーになります。万が一、ケアカレもダメだったと言われたら、申し訳なさすぎて私は生きていけないでしょう(笑)。それでも彼女たちはケアカレに来ることを選択してくださり、私たちも特別扱いすることなく、初めて受ける生徒さんたちと同じように接しました。

 

 

最後に彼女たちがリアクションペーパーに書いてくれた言葉に、私は安心し、そして湘南ケアカレッジが提供している研修が誇れるものであることを改めて確信しました。

2017年

3月

05日

何かをキッカケとして

2月短期クラスが無事に終了しました。無事にというのは、何ごともなくという意味ではなく、誰もが安心して笑顔で修了されたということです。学校としてはあっさりと研修が終わってしまうのは実は寂しいもので、何かひとつでも生徒さんの心に残る出来事が起これば良いなといつも思っています。幸いなことに、今回のクラスにはちょうど研修中に誕生日の生徒さんがいました。しかも2人。お一人はちょうど27日が誕生日であり、もうひとりは4年に1度しかない2月29日が誕生日であったため、せっかくだからということで一緒にお祝いをさせていただきました。上の写真はその翌日、生徒さんがお返しにと学校に贈ってくださったお花です。ケアカレカラーのオレンジが入っていて素敵ですね。

 

お花を持ってきてくれた彼女は、湘南ケアカレッジ卒業生の妹さんでした。そのことに気がついたのは、研修が始まりたての頃、「姉がお世話になりました」と彼女が言ってくれたからです。ケアカレでは良くあることで、始まってからならまだしも、全ての研修が終わってから「実は私、○○の●●なんです」と告白されることがあります(笑)。●●は兄弟姉妹であったり、親子であったり、友人知人であったりします。「そうだったんですか!」と驚かされるのはやはり兄弟姉妹や親子であり、また懐かしく、嬉しくも思います。彼女のお姉さんとは、終末期(ターミナルケア)について廊下で語り合ったことがあり、もう3年も前のことですが、今でも記憶が鮮やかに蘇ってきます。

 

ところで、彼女のように誰かの紹介でケアカレに来てくださった生徒さんは別にして、ほとんどの生徒さんたちは、湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修がどのようなものなのか分からない中で受講が開始されます。最初は「介護」と「研修」に対するイメージが合わさって、どうせつまらないのだろうと高をくくって、それでも資格を取らざるをえないから半ば嫌々参加していたと、あとからよく聞きます。

 

そうした生徒さんが、湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修は何か違うかもしれない、と気づくポイントはそれぞれです。食事の授業で外国人の先生が登場したところで気づいたという生徒さんもいますし、堅苦しいと思っていた医学の授業をフレンドリーに教えてくれる先生がいたことがきっかけになったという生徒さんもいます。添削課題の満点を表彰してもらえたことで火がついたという方も。先日、教室に遊びにきてくださった実務者研修の卒業生さんは、「誕生日のお祝いには、ここまでやるのか!とビックリしました」とおっしゃっていました。

 

 

もちろんそこまでの積み重ねがあって、ある出来事がキッカケとなり、湘南ケアカレッジがただの介護について教える学校ではないと気づいてもらえるのです。知識だけであれば分厚いテキストを読めば習得できるでしょうし、介護の技術であればDVD教材でも学ぶことができます。資格が必要であれば、他の学校でも同じものが手に入ります。それでもせっかく湘南ケアカレッジに来てくださったからには、それ以上のことを学んで得てもらいたいと思います。たった数日間の研修かもしれませんが、のちのちの皆さまの介護の仕事だけではなく、大げさに言えば人生をも変えてしまうだけの何かを提供したいと私たちはいつも願っています。

生徒さんから歯ブラシをプレゼントされたのは初めてです。

2017年

3月

01日

恩は返せないけれど

人生も半ばを過ぎるほどの齢になると、自分のためではない誰かのために何かをすることが多くなってきます。誰かが必要としている情報を提供したり、誰かに必要な誰かを紹介したり、誰かに贈りものをしたり、ごちそうしたりなど、自分の経験や知識、労力、時間、お金を総動員して、誰かのために貢献する。お子さんがいらっしゃる方であれば、それがどういうものか分かるかもしれません。時として、ふと我に返った瞬間に、これだけあらゆるものを費やしているにもかかわらず見返りが全くないと感じ、もしかしたら自分は良いように利用されているだけかもしれないなどと空虚な気持ちになることがあります。そんなときには、自分の過去を振り返ってみることにしています。

私はこれまでたくさんの方々に助けられてきました。これはポジショントークではなく、ありがちな感謝の気持ちを表明しているわけでもありません。私の人生の半分ぐらいは、両親や祖父、祖母たちによって成立させてもらってきましたし、残り半分の半分ぐらいは血のつながっていない誰かに助けられてきました。ここでいう「助けられる」とは、経済的にサポートしてもらう、雨風をしのぐための住まいを提供してもらう、教育を受ける機会を提供してもらう、ご飯をご馳走してもらうなどといった生々しい意味です。もちろんその都度、感謝の気持ちはありましたが、瞬間的であり、表面的であったかもしれません。

 

年齢を重ねるにつれ、振り子の鉄球が向こうからこちらに戻ってくるように、いつの間にか反転し、誰かのために何かをするようになります。たとえば、祖母や両親に手取り足取り大切に世話をしてもらって育てられてきた私たちが、気がつくと、同じことを自分の子にしていたり、親の手を握って介護をしている。そうなったときに初めて、これまでの恩を深く感じるようになるのですから不思議なものです。そして、助けてもらったあの人に恩を返したいと思う気持ちは日に日に募っていくのですが、その人とは疎遠になっていたり、もうこの世にいなかったりして、返せそうにはありません。それどころか、今度は誰かのために何かをすることに忙しく、気がつくと過去のことなど忘れてしまいそうに。恩は受けた人に直接返したいのですが、どうやら難しいみたいですね。

 

 

その代わりに、自分が誰かのために何かができる人になることだと思います。誰かに教えてもらう人間ではなく、教えられる人間に。おごってもう人間ではなく、ごちそうする人間に。誰かを利用する人間ではなく、利用してもらえるような人間になる。感謝の気持ちを忘れずに。私の目標は、自分の肉体をつかって誰かのために無料で働けるようになることです。そういう人間になれたとしても、これまで私を助けてくださった方々はその姿を見ることもないでしょうし、恩は返せないと分かっているのですが、そうならないと私の気が済まないのです。私たちは誰かに育てられてここまで生きてきたことを忘れてはなりませんが、その次は、他の誰かのために生きていくことが恩返しになるのだと信じています。

2017年

2月

25日

現場の人たちを励ましたい

先日、自宅への帰り道で卒業生さんにばったりと会いました。普通に歩いているときも笑顔が溢れているような方で、遠目から見てもすぐに彼女だと分かりました。「おひさしぶりです」と声を掛けると、今の施設のことや先輩(ケアカレの卒業生)のことなど、堰(せき)を切ったようにたくさん教えてくれました。介護の仕事を楽しんでいることが伝わってきて安心しましたし、何よりも嬉しかったのは、「『実務者研修は母校に行きたいです』と上司にはっきりと伝えました」と言ってくれたことです。

 

最近は、実務者研修を自分の施設内で行うところが増えてきています。職員さんにとっては無料で受けることができますし、わざわざ別の場所に通う必要がないので気楽でもあります。施設にとっても、社内教育の一環として行うことができ、人材の囲い込みにもなります。私も勉強会や研修を行うことには賛成ですが、実務者研修までを施設内で行ってしまうことには少し疑問を抱きます。介護福祉士を目指すべき人たちのための研修を、社内で済ませてしまっても良いのでしょうか。

 

というのも、私自身、かつて勤めていた企業で社内教育や研修を担当していたからです。たとえば、コミュニケーションやマーケティングから、授業の展開の仕方、コーチング、文章の書き方まで、ない知識を絞り出しながら教えさせてもらいました。私以外にも社内のベテラン社員さんたちに声を掛け、講師を務めてもらったこともありましたし、社外の知り合いに研修を依頼したこともありました。そんな中で感じたのは、視野の狭さとある種の押しつけや誘導が生じてしまうということでした。

 

視野の狭さとは、もちろん私のそれではあるのですが、やはり同じ場所(生活圏)で働いている人たちの知識や技術、考え方、発想の範囲には限界があります。多様性がないと言うこともできます。それぞれは個性的かもしれませんが、全体的に見ると、同じような人たちが集まっているということです。その社内の人が、社内の人に提供できる研修には限界があるのです。

 

もうひとつ、こちらの方が怖いのですが、ある種の押しつけや誘導は避けられません。会社としてこういう方向に持っていきたいというゴールがあって、そこから逆算して内容を組み立てるので、どうしても社内のやり方や価値観を押し付けてしまうことになります。自分たちにとって都合の良いことは教え、不利になることは教えない。たとえ公平になろうとしても、どうしても無意識のうちに、研修を通して洗脳してしまうことになるのです。

 

 

このジレンマを解消するためには、外部の機関や第3者に任せてみることです。そして、自分たちのスタッフを信じて、成長を願うことです。私たちは、今の施設や事業所のやり方を決して否定したりはしません。何かを大きく変えることが難しいことも分かっています。ただ、もっと深く広く学びたいという生徒さんたちの気持ちには応えていきたいですし、何よりも、介護の現場で懸命に働いている人たちを励ましたい。実はそのことが、私たちが実務者研修を通して行いたいことであり、湘南ケアカレッジにしかできないことなのです。

2017年

2月

21日

「未来のまちを自分で作る!」

町田市がおくる地域力・市民力講座の第4弾ということで、「未来のまちを自分で作る!」に行ってきました。正直に言うと、行政が提供するこのような無料の講座に足を運ぶことはほとんどないのですが、今回は話者の山崎亮さんにひと目会いたいと駆けつけました(場所を間違えて本当の意味でも駆けつけました笑)。テーマはコミュニティデザイン。分かりやすく日本語に直すと町(街)づくり。山崎さんの著書は何冊か読んでおり、出演されたテレビ番組も見ました。コミュニティデザインという言葉が流行った時期があり、また私自身もコミュニティデザインに興味があった時期がありました。ただ何もしないままに歳月は流れ、いつしかコミュニティデザインに興味を失っていました。そして今回の講座のことを知り、改めてお話を直接聞いてみようと参加したのでした。

山崎さんは毎回、このような講演をするたびに、前もって準備をしてくるのではなく、その場にいる人たちの表情や反応を見て話すことを決めるそうです。実際にたずさわってきたたくさんの事例や学んできた多くの知識・知恵があるからこそのスタイルだと思います。今回は町田に近い、立川におけるコミュニティデザインの話から始まりました。

 

立川はマンガの聖地(らしい)ということで、旧市役所跡地にマンガを5万冊所蔵した「まんがぱーく」をつくりました。そこではマンガを読むだけではなく、マンガをテーマとして、コミュニティづくりを仕掛けたそうです。たとえば、「艦これ」にまつわるグッズをつくるコミュニティが発生したり、「キャプテン翼」を読んでサッカーをする子どもたちがいたりと、人と人がつながる場所としてデザインをしたということです。その他、広島の「おかんアート美術館」や「狼煙(のろし)」を上げるプロジェクトの話など、実際のコミュニティデザインの事例を生き生きと語ってくださいました。

 

今回紹介されたのは「テーマ型」の町づくりであり、もうひとつ「地縁型」のそれもあるとのことでした。「テーマ型」とは、同じ趣味や興味を共有する人たちが集まって何かをするコミュニティであるのに対し、「地縁型」とは、自治会や町内会など、地域に住む人たちが集まって一緒に何かをするコミュニティです。どちらも必要なコミュニティであり、山崎さんいわく、どちらもが上手く結びつかなければならないとのこと。教育や企業、商売、自治体、町内会など、昔はひとつの村の中で行われてたモノゴトが、今はすべて個別にバラバラになってしまっている。それぞれのコミュニティを同じ方向に揃えてつなげてゆくのがコミュニティデザインです。

 

 

最後に、グループワークが行われました。今日の講演の感想をシェアすることが題目でした。湘南ケアカレッジの研修ではたくさんグループワークを取り入れているにもかかわらず、初対面の方々といきなり話すのはこんなに緊張するものなのかと改めて感じつつ、でも話しているとお互いのことを知れてきて、安心もするし楽しくなることも分かりました。グループワークの中で、町田にはこれと言った特色がないという話になり、それに対して、相模大野に住んでいるある女性が、「町田は福祉が充実しているという印象があります」とコメントされました。町田は福祉という言葉に驚き、一般の人にとっての町田のイメージのひとつは「福祉」なのだと知りました。それならば、福祉をテーマとしたコミュニティデザインもあながち見当外れではなく、行政や自治体、町内会の人たちを巻き込みつつ、湘南ケアカレッジとして何かできることはないのだろうかと想いを馳せたのでした。こういうことは考えているだけでは意味がないので、ぜひとも実行してみたいと思います。

2017年

2月

18日

ハローワークからの電話

ハローワークから資料請求の電話が掛かってきました。これまでになかったことで、不思議に思っていると、「村山くん、覚えてる?○○です」と切り出してくださいました。○○さんは私がかつて働いていた大手の介護スクールの講師であり、実習のコーディネーター等もされていた先生でした。15年ぶりに突然、電話が掛かってきて、いきなりその名前を言われただけで、すぐに○○先生だと思い出したのは、私がそれだけお世話になったからです。そのスクールで働き始め、最初に実習先に連れて行ってくれて、「優秀で信頼できる人だから」と言って、当時、全く優秀でもなく信頼感もない私に引き継ぎをしてくれました。○○先生のおかげで実習先とも良好な関係を築くことができ、そして私も○○先生を裏切らないように懸命にコーディネーターの仕事を務めました。

湘南ケアカレッジで一緒に学校をつくっている先生方はもちろんのこと、私はこうした素晴らしい人たちとの出会いがあったからこそ、今こうして仕事をすることができています。あのとき、○○先生に見込んでもらえなかったら、きちんと引き継ぎをしてもらえなかったら、実習先に良い形で紹介してもらえなかったら、もしかすると介護・福祉教育に面白さを感じる前に辞めてしまっていたかもしれません。もちろん、ナニクソと頑張って続けていたかもしれませんが、それは神のみぞ知るところです。いずれにしても、○○先生の無償の優しさ(なんて書くと嘘くさいですが本当です)を受けて、私は介護・福祉教育の仕事の第一歩を踏み出すことができたのです。

 

それでも最初は大変な思いをしました。仕事を覚えるだけで精一杯で、変に周りに気を遣ったりして、帯状疱疹ができて顔面痙攣が残るかもと心配したほどでした。これまで私は3回転職をしたことがありますが、振り返ってみると、何かしらの原因不明の病気になっているのですよね。ほとんどは精神的な疲れによるものだったのでしょう。仕事を変えるということは、自らを取り巻く環境が変わるということであり、そこに適応するためには多大なエネルギーが必要で、特に精神的に大きな負荷が掛かるのです。同じ業種に転職するだけでも(同じような仕事をするとしても)その場に適応しなければならず、まして違う業種に転職するとすれば、一から知識や技術を身に付けていかなければならないのですから余計に大変です。

 

 

それでもそれでも、と言いたいのです。仕事を変える、職場を変えることは、自分自身を変えなければならない、変えられるチャンスでもあります。特に最初の3ヶ月は苦しくもあるのですが、逃げずに仕事に取り組むことで、半強制的に自分をつくり変えてゆこうとすることで、成長することができます。そう考えると、短いスパンで転職を繰り返すことはたしかに褒められたことではありませんが、40年も同じ企業で勤め上げることも同じぐらい褒められたものではありませんね。嫌だから辞めて新しい職場を求めるのではなく、苦しみを伴うと分かっていても、それでも自分をつくり変えたいと思って転職してもらいたいと思います。もうすぐ春を迎え、4月から新しい仕事を始める、新しい職場に移るという卒業生さんや生徒さんたちの活躍を心から応援します。

2017年

2月

14日

スワンベーカリー町田

卒業生さんがこちらで働いている方のガイドヘルプ(移動支援)をしている関係で知ったお店です。「パンがとても美味しいですよ」と聞いて、1年ぐらい前から行きたいと思っていました。旧市役所前のバス通り(ケアカレの前の通りです)を町田駅とは反対の方向に真っすぐ10分ほど歩くと、町田高校の手前に「スワンベーカリー町田」が見えてきます。看板には「久遠(くおん)チョコレート×スワンベーカリー町田」となっており、バレンタインデーだけの企画かと思いお店の方に尋ねてみると、昨年6月に改装して今はパンだけではなくチョコレートづくりにも力を入れているとのことでした。

お店の外観もそうですが、店内に入ってみて、このお店が障害のある人もない人も、ともに働き、ともに生きていく社会という理念を実現するためにつくられた、と分かる人は少ないのではないでしょうか。私が想像していたのは、ほんとうに失礼だと思うのですが、飾り気のない外観で白色電球の光が降り注ぐ店内に無造作にパンが置かれている様子でした。見た目にはこだわりませんが、パンの味は美味しいので買ってください。障害のある人が一生懸命につくっています。という買い手を選ぶタイプのお店だと勝手にイメージを膨らませていたので、「スワンベーカリー町田」の雰囲気から商品パッケージ、コンセプトまで、すべてにおいて意外でした。

パン好きの私としてはパンも美味しく食べたのですが、今日はバレンタインデーであり、せっかくなので久遠チョコレートのミッションを紹介させていただきますね。

 

1 素材のピュア

2 作り方のピュア

3 作り手のピュア

 

 

1の素材のピュアとは、チョコレート本来の味を楽しんでもらうために、ピュア(純)チョコレートにこだわっています。2の作り方のピュアとは、チョコレートづくりに手間を惜しまず、妥協することなく、オンリーワンの商品を作り続けるということ。そして3の作り手のピュアとはシェフ・ショコラティエ野口和男さんの技術と知識と経験を生かし、全国の障害者をショコラティエとして育ててゆくということです。

このようにして良いもの、美味しいものを売り、良いから美味しいからという理由で買う健全なビジネスモデルが福祉の世界にも必要だと思います。補助金や助成金というものが入っていない、ピュアな市場原理の世界です。もちろんそれだけではなく、私は前々からも書いているように、モノが溢れる時代の中、これからはますます、誰から買うのか、どこから買うのか、私たちが主体的に選択していくようになると思いますし、そうなるべきだと思います。たとえ少しぐらい高かったとしても、大量生産された無表情の製品より、人の手によってつくられた生命の宿ったものがほしいのです。これは製品だけではなく、食べるものも同じことです。意味がないモノコトと意味があるものごとに分かれていく時代の流れを感じますし、そういう選択をできることが本当の意味での豊かさということなのだと思います。

2017年

2月

11日

働きながら学ぶ

1月短期クラスが無事に終了しました。年明け早々ということもあり、少人数でしたがアットホームで、とても一生懸命に取り組んでくださる少数精鋭のクラスでした。研修が終わった日には、近くの「鳥良商店」(おすすめです!)で打ち上げもあり、私も帰り道に顔を出させていただきました。おひとり一人とゆっくり話してみると、それぞれが様々な思いを持って介護職員初任者研修に集まってくださり、湘南ケアカレッジをひとつの転換点として、これから先の様々な進路へと進んでゆくことが分かります。今の介護の仕事を続ける人、これから介護の仕事を探す人、実務者研修に進む人、家族の介護をする人、介護の事業を立ち上げる人、旅立つ未来の形はそれぞれであっても、私たち学校が出発点となることを誇りに思います。皆さまのご活躍を願っています。

 

介護職員初任者研修は介護・福祉の仕事をする上での、最初の研修であり資格になります。車の運転でいうところの運転免許に近いのですが、実は不思議なことに、施設で介護をするにあたっては、介護職員初任者研修を受けていなくても仕事ができるのです。普通に考えて、人の命や安全安心を担う介護の仕事をいきなり無資格で行うのは難しいはずですが、人手不足などもあって現実はそうなっていないのが実状です。それでも、現場で頑張っていればなんとか仕事はこなせるようになってきますので、そのまま数年仕事を続けてしまう人もいますし、どうして良いのか分からなくなって辞めてしまう人も出てきます。

 

湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修には、すでに現場で仕事をしているけど、やはり基本的なことを学びたいと思う方々もたくさん来てくれています。仕事をしながら休みを取って、わざわざ15日間の研修に参加してくれるのですから、感謝の言葉しか思い浮かびません。自分が働きながらこれだけ長い研修を受けられるかというと、はなはだ疑問です(笑)。でも、そうして頑張って学んでくださる生徒さんたちには、必ず大きな学びがあります。現場で働きながら学んでいるからこそ、目の前の利用者さんと新たな知識や見方が強く結びつくのです。つまり、学ぶのに決して遅すぎるということはないのです。

 

今回のクラスでも、現場で働きながら初任者研修を受けにきてくださった生徒さんがいました。現場に帰って、利用者さんに対し、授業で教えられた通りに足を一歩引いてから立ち上がってもらう声掛けをしたら、「ほんと立ちやすい。今日はいいことを教えてもらったわ」とおっしゃってくださったとのこと。知識をすぐに現場で応用することができ、それ以来、ボディメカニクスや研修で学んだことを意識しながら仕事をするようになったそうです。こうして実際に働いている方が現場で役に立ったと言ってくださると、授業で習ったことがそのまま現場につながると知った周りのクラスメイトたちの目の色も変わりますね。

 

 

余談ですが、今回のクラスに卒業生さんと同じ職場で働いている方が来てくださり、さらにもう一人も同じ職場から別のクラスに紹介で来てくれています。そして不思議なことに、この3名全員が初任者研修に通ってくださっている期間中にたまたま誕生日が訪れ、お祝いをさせてもらったのです。ものすごい確率だと思いませんか。幸運な彼女たちが働く職場が、介護に対する熱い想いに溢れてくれることを願います。

2017年

2月

08日

「この世界の片隅に」

近代日本アニメ映画の金字塔、と称されるのも納得の作品でした。実は原作のマンガを先に読んでいたのですが、映画の方が断然良かったです。何が良かったとか、どこのシーンが感動したということではなく、全てにおいて素晴らしかったです。言葉にするのは難しい、これが筆舌に尽くしがたいということなのでしょうか。コマ割りからセリフ1つひとつ、声の表現力や絵の描写力、そして音楽に至るまで、映画としての完成度が非常に高いのだと思います。反戦映画であるにもかかわらず、話の中では誰一人として「戦争反対!」と声高に叫ぶことがなく、だからこそ余計に私たちの心に静かに響いてくるのです。

この映画の中で描かれているのは、戦時中の普通の人びとの生活です。どんな時代であってもそれほど変わることのない私たちの日常を普通に描くことで、その対比としての戦争の非日常性が際立ちます。アメリカの戦闘機に対して日本軍が砲撃を加える危険な状況において、主人公すずがその場面を絵に描きたいと立ち尽くしてしまうシーンは美しく、そして残酷です。私たちにとっての当たり前の日常は、実は当たり前ではなく、時代の波に翻弄されてしまうものなのかもしれません。いつしか激流に飲み込まれてゆくすず。彼女のしなやかさと生命力の強さに、私たちは普通であることのありがたさを教えてもらうのです。

 

実は今から10年ほど前、私はこの映画の舞台となった広島に住んでいたことがあり、呉にも何度か訪れました。大手の介護スクールにいた頃に、中国四国地方を管轄する広島支社に転勤し、およそ1年半働いたのです。広島の先生方はとても心温かい先生ばかりで、当時のまだ角の取れていなかった私を包み込んでくださいました。新しい人を受け入れて、むしろ広島に溶け込ませようとする気持ちがひしひしと伝わってきたものです。そんな先生方に私も心を開き、あっと言う間に仲良くなりました。私がその学校を辞めることになったとき、全員が集まってくれて盛大な送別会をしてくれたことは今でも忘れません。私が湘南ケアカレッジを立ち上げ、1年目に取材を受けたテレビ番組を観て、真っ先に電話してきてくださったのも広島の先生でした。

 

広島で働いていたとき、自宅から事務所まで毎日、原爆ドームの前を通って自転車で通勤していました。原爆ドームは広島の市街地のまさに真ん中にあり、私たちの日常生活のひとつの風景になっています。それは日常の風景でしかないという意味ではなく、日常の中に溶け込んでいるということです。あるときは何も考えることなく、あるときは戦争を思い出し、あるときは平和を願いながら原爆ドームの前を通りすぎます。このあたりの感覚は、東京や神奈川に住んでいる人たちとは全く違うところです。どこか心の片隅に、当たり前の日常の儚さや愛おしさを知っているからこそ、広島の先生方はあんなにも温かく私を受け入れてくださったのかもしれませんね。この映画を見て、何を想うかは、人それぞれに違ってくるはずです。私は家に帰って、子どもを抱きしめたくなりました。

2017年

2月

05日

「好き」と「愛している」の違い

「好きと愛してるの違いはどこにあるのですか?」という直球の質問を卒業生から受けました。そんなこと考えたこともなかったので、即答することができませんでしたが、せっかくなので私なりに考えてみることにしました。「好き」と「愛している」、英語でいうところの「Like」と「Love」はどう違うのでしょうか。どこまでが「好き」で、どこからが「愛している」なのでしょうか。普通に考えてゆくと、「好き」が高じて「愛している」になる、つまり「好き」という感情の度合いというか熱量が高まることで「愛している」という感情に変わる。「好き」の上位に「愛している」があるということです。しかし、よくよく考えてみると、これは少し違うのではないかと思うようになりました。

「好き」と「愛している」の違いは、時間が決めるのだと私は思います。「好き」という感情が長い時間にわたって持続したものを、「愛している」と表現するのではないでしょうか。具体的にどれぐらいの時間かと問われると難しいのですが、たとえば1万時間の法則(人が何かにおいて秀でるためには1万時間の練習や経験が必要とされる)を考えると、それぐらいの時間は「好き」から「愛している」に変わるためには必要なはずです。逆に言うと、それぐらいの時間を経ていないものは、まだ「好き」というに相応しいものであって、「愛している」には届いていないということです。だから、「愛している」なんて言葉は、軽々しく使えるものではなく、1万時間を経て初めて使える重いものなのですね(笑)。

 

この問題を自分にとってのモノゴトで考えてみると分かりやすいです。「好き」とか「愛している」とは別に男女の間だけに成り立つ感情ではなく、私たちが何かを対象として、たとえばモノやコトに対しても抱く感情のひとつです。

 

たとえば、テニスというスポーツが好きで始めたとします。ある時点では、「好き」という感情が高まって、一生懸命に練習して、試合に出たりするかもしれません。そんなとき、もしかすると自分はテニスを「愛している」のではないかと錯覚することもあるかもしれません。ところが、試合に負けたり、伸び悩んだりすると、「好き」の感情が低下し、落ち着いてしまうこともあるでしょう。「好き」はアップダウンを繰り返します。そんな中でも、1万時間、つまり毎日日2~3時間ぐらいそのことに費やし、およそ10年間「好き」でいられて初めてテニス愛となるのです。

 

 

自分の「好き」と「愛している」を振り返ってみても、これは当てはまります。10年間ぐらい「好き」でいられなかったものは、結局は「好き」でしかなかったのだと思いますし、それ以上の今もずっと「好き」でいられるものは「愛している」と言えるのだと思います。つまり、今の時点で「好き」と「愛している」の違いを今考えることにあまり意味はなくて、それは時間が決めることであって、ふと気がつくと「好き」が「愛している」に変わっているというたぐいのものなのです。これはもちろん仕事にも当てはまることですね。1日7~8時間ぐらい働き、およそ5~6年ぐらいで1万時間に達する計算になります。これぐらいその仕事を続けてみて、はじめて「好き」だった介護の仕事を「愛する」ことができるようになるのだと思います。

2017年

1月

30日

ただありがとうと

授業が終わって生徒さんたちが全員帰宅し、ひと息ついていると、卒業生さんが訪ねに来てくれました。それ自体は珍しいことではありませんが、驚いたのは彼女が来てくれたことでした。私の感覚では、卒業後に教室に遊びにくるようなタイプではないからです。決して悪い意味ではなく、ケアカレに対する好き嫌いの問題でもなく、自らそのような形で交流を図ろうとする積極的な性格ではないと思っていたということです。彼女が再び教室に来てくれたことが不思議でしたし、何よりもその表情がかつてとは大きく変わって明るくなり、あまり見ることのできなかった笑顔を見ると、同じ人物とは思えないというのが正直な感想でした。

彼女がケアカレに来てくれたのは2年前の夏でした。その当時は、こちらからの声掛けに対しても、ひと言返ってくるだけ、表情は硬く、ほとんど笑顔を見せてくれることはありませんでした。自分の周りに壁をつくっている。そんな雰囲気を全身から漂わせていました。彼女は保育士を目指しており、もしかすると介護職員初任者研修には嫌々通っているのかなと想像したりもしました。

 

最初の数回の授業は参加してくれたのですが、あるときからプツっと来なくなり、休みが続きました。連絡も来なくなってしまい、半年以上が経ち、私も彼女のことを忘れかけていた頃、「また通いたいのですが…」と電話がありました。もちろんということで、そこから来ては休んでを繰り返しながらではありますが、なんとか最後まで修了してくれたのです。とにかく最後まで通えて良かった。彼女に対する私の率直な感想でした。

 

せっかく教室に来てくれたのですし、もしかすると何か大変なことが起こって、ケアカレにしかできないような相談をしに来てくれたのかもしれないと思い、下のカフェでゆっくりと話すことにしました。

 

ちょうどケアカレを修了する頃に、彼ができたそうです。お付き合いをして、その彼が青森に帰って仕事をすることになった。彼は先に向こうに戻って先生をしており、彼女は今年の春に学校を卒業してから青森に行くつもりだそうです。残念ながら保育士の資格を取ることは叶わなかったけれど、向こうで養護施設の職員として働けることになりそうだとのこと。「それは良かったね」と私が言うと、「はい」と笑顔で返してくれました。

 

ねぶた祭りやりんごジュースのこと、うちにも青森県出身の先生がいることなど、他愛もない話をして、「それじゃあ、そろそろ」と私が切り出すと、彼女もそれに応じて帰る準備を始めました。この時点でもまだ、私はなぜ彼女がわざわざケアカレまで来てくれたのか分かりませんでした。

 

最後の別れ際、「それじゃあ、向こうでも頑張ってね」と私がさよならを言うと、彼女ははっきりとこう言ったのでした。

 

「ここで介護職員初任者研修を取れたから、青森で働くことができそうです。ありがとうございました」

 

その言葉を聞いたとき、私はようやく理解しました。彼女は御礼を言いにきてくれたのだと。一旦はあきらめかけた介護職員初任者研修を最後まで通うことができ、資格が取れたことで、彼について行って青森の養護施設で働くことができる。自分の可能性が広がった。ケアカレで学んだことで、自分の視野が広がった、自分の人生が変わりそうだと感謝を伝えにきてくれたのでした。

 

「○○さんが頑張って最後まで通ってくれたからだよ」

 

 

私は彼女にそう言って別れました。で思いもよらないところで、私たちはさまざまな形でたくさんの人々に影響を与えている。それはすべて私たちの力によるものではないかもしれませんが、私たちが思っている以上に、私たちがきっかけとなることもあるということです。青森で頑張る彼女を応援したい、そして介護の学校をやっていて良かった、と心から思えたひと時でした。

2017年

1月

25日

あなたは向いていないと言われたとき

自分にその仕事や職業が向いているかどうかなんて、分からないことの方が多いはずです。向いていないと思っていても、続けているうちに合ってきたり、最初は向いていると感じたのに次第に苦しさが増してきたり。同じ人が同じ仕事に対するときでも、自分や身の回りの状況によって変わってくるものです。むしろ自分には今の仕事が向いていると思って働いている人の方が稀で、ほとんどの人たちは今の仕事は向いていない、もしくは向いている面もあるけど向いていない面の方が多いと思っているのではないでしょうか。

そんな私たちに、時として試練が訪れます。いわゆるクレームというやつです。直接、仕事に対して不満をぶつけられることもあれば、間接的にできていないことを咎められる場合もあります。お客さまからのクレームは、ほとんどのケースにおいて、私たちに大きな気づきを与えてくれるありがたいものですが、ときとして私たちの心を鋭く突き刺してくるような攻撃的なものもあります。それは個人的な中傷であったり、根拠のない批判であったり。お客さまは神様ではありませんので、つい感情的に文句を言ってしまったりするのでしょうが、それを受けた私たちは深く傷つくことになるのです。

 

私も今までたくさんのクレームを受けてきました。かつて大手のスクールにいたときは、今からそっちに行って金属バットで殴るぞと言われたこともありますし、自衛隊の宿舎まで呼び出されて土下座をさせられたこともありました。そういった凶暴なクレームも確かに辛いのですが、それ以上に深く傷ついたのは、自分の資質についてのクレームでした。

 

子どもの教育に携わっていたとき、ある匿名のお母さまから電話をいただき、「あなたは先生に向いていない」と言われたことがありました。その当時、私は本当に自分が先生という仕事に向いているのかどうか分からなくなっていた、ちょうどその時期でした。自分よりも上手く教えることのできる先生たちがたくさん周りにいて、彼ら彼女らのパフォーマンスを見ると、自分には先生という仕事は向いていないのではと考えていたのです。

 

もちろん、外から見れば、普通に教えられているように映っていたと思いますので、そのお母さまはおそらく感情的に私を批難したくて軽率に言ってみた言葉だったと今になれば分かります。しかしそのときは、自分には向いていないと悩んでいた私には反論の余地もなく、深く心に刺さったのです。

 

 

そういう試練を乗り越えられる、またはやり過ごすことができてこそ、本当にその仕事に向いていると言えるのかもしれません。深く傷つけられてもその仕事を続けていると、少しずつ自信がついて、傷も癒えてゆきます。完全に傷が癒えることはないでしょうし、また傷つけられたりもするのですが、それでも前に進んでいくことができるようになります。そもそも仕事をしていて、傷つけられないことなどないのです。できれば傷つけられないようになりたいものですが、たとえ傷つけられたとしても、それを自らの成長の糧として、その仕事に向かっていくことができればそれで良いのです。そしていつか、時間の試練に耐えることで、自分がこの仕事をやらなければ誰がやると思えるぐらいの自信を持てる日が来るのだと思います。

2017年

1月

21日

ケアカレ美術館に新作が登場

ケアカレ美術館に新しい作品が展示されました。南町田のモンベル内で行われた「LaLa LaMano展」にて初めて観て、その繊細さと大胆さが入り混じった作風に圧倒された、稲田萌子さんの作品になります。2010年に栃木県立美術館で開催された「イノセンス いのちに向き合うアート」やニューヨークのアウトサイダー アート フェアに出品されるなど、大活躍をされているアーティストです。昨年末にクラフト工房LaManoに直接伺って、何枚か作品を見せてもらった上で、最もケアカレの教室に合いそうなものを選びました。これでケアカレ美術館の5作品目にあたります。これからも1年に1作品ずつぐらい加えていきたいと思います。

一昨年、クラフト工房LaManoを訪れた際、もっといろいろな形で経済が循環していくべきだと感じました。たとえ障害があっても、人に買ってもらえる商品や作品をつくることはできるし、私たちがそういった商品や作品を目にして、買うことができる場も必要です。そのあたりをクラフト工房LaManoさんは見事にサポートしているのが伝わってきます。

 

逆に言えば、私たちもその商品や作品を障害のある人たちがつくったからではなく、純粋にほしいからという理由で買うべきです。大量生産、大量消費の社会にはうんざりですし、かといって寄付やお情けも好みではありません。それだけの価値があるものに、それに見合う対価をお支払いすることが、誰にとっても理想的なあり方です。そういう関係でなければ、長続きしないからでもあります。

 

 

教室に飾られた稲田さんの作品を眺めると、心が洗われるような気持ちになります。白いキャンバスと絵の具があれば、誰でも描けそうな絵ではありますが、たぶんそうではないでしょう。私は自分がキャンバスに向き合ったときのことを想像してみます。まずどの色をどこに落とすことから始めるべきか、大いに悩むはずです。その次の色や大きさは?その次は?そんな風に描いてみても、稲田さんの作品にあるような躍動感は失われてしまうはずです。それでは、彼女はどのような心境で描いているのでしょうか。私には想像することが難しいのです。そんなとき私は自分という人間のつまらなさを感じ、しかしそれと共に、どこか心が開放されたような気持ちにもなるのです。

絵と一緒に稲田さんからのメッセージが届きました。こういう人間的なやりとりができるのも嬉しいですね。

2017年

1月

18日

モチベーションと自信の密接な関係

介護福祉士筆記試験対策講座の最終日が終わりました。試験当日まで残すところあと10日とちょっとという状況の中、小野寺先生が生徒さんたちのモチベーションを高め、自信をつけてもらうことをテーマに授業をしてくれました。できる限り多くの(本番形式に近い)問題を解いてもらい、自分の番が回ってきたら、皆の前で答えてもらう。正解すれば1問ごとに全員で拍手という形で、クラスメイト全員がお互いを盛り上げてゆく。この日だけで50問以上の実戦形式の問題に触れ、正解できたことで、全員が自信をつけて教室をあとにしてくださいました。あとは試験当日まで本人たちが頑張ってくれるはずです。

モチベーションと自信は密接な関係にあります。ここでいうモチベーションとは、分かりやすく言うと、やる気ということ。そして、自信とはできる(できた)という感覚です。やる気とできるという感覚の2つは実に密に結びついていて、自信があるとモチベーションが上がり、より自ら学ぼうとすることでできるようになり結果が出て、自信がつきます。自信がつくことでモチベーションが上がるという面と、モチベーションが上がることで結果が出て自信がつくという面がある。それはどちらが先ということではなく、お互いに影響を与え合うものあり、つながっているのです。

 

モチベーションと自信がつながっていることは、私がかつて子どもたちに勉強を教えていたときに身を以て経験したことがあります。勉強ができない子どもたちは、おおよそにして自信を失っているため、勉強をするモチベーションが湧かず、勉強に対して懸命に取り組むことができないため、結果が出ず、より自信を失ってしまうという悪い循環を辿ってしまいます。その逆もまた然りで、勉強ができる子どもとできない子どもの差はますます開いていくのです。それは勉強だけのことではなく。スポーツでもゲームでも、仕事でも同じことが当てはまります。

 

 

そこで私たち教える立場にいる人にできることは、モチベーションを上げることではなく、できる(できた)という自信を抱いてもらうことになります。途中の経過はどうであれ、最終的にはできるようになり、私たちはそれを褒める・認めるというプロセスこそが教えるということなのだと思います。学びはそこから本人によって始まってゆくのです。モチベーションが上がって、学ぼうと頑張ることで結果が出て、自信がさらに高まってゆくという好ましいサイクルが自然と回っていきます。そう考えると、私たちにできることはわずかなことなのですね。介護福祉士筆記試験対策講座を受けてくださった全員が、合格されることを心から祈ります。

2017年

1月

14日

他者から見た自分と向き合う

介護職員初任者研修の最終日には、生徒さんたち全員にアンケートをお渡しします。研修全体を振り返りながら、介護職員初任者研修を受けてみた感想から先生方へのメッセージまで、15日間を通して感じたことを率直に書いていただきます。それに対し、実務者研修では、日数が7日間と短いことやその都度の授業に関するフィードバックをいただきたいという理由で、授業ごとにリアクションペーパーを書いて提出してもらうことにしています。アンケートもリアクションペーパーもどちらもそれぞれに良さがあり、初任者研修と実務者研修との違いにもなっていて、生徒さんたちにとっても私たちにとっても、意味のあるものになっていると思います。

生徒さんたちから先生に対するフィードバックをするアンケートやリアクションペーパーは、世間一般的に、今でこそ当たり前ですが、少し昔は考えられないことでした。先生は生徒さんたちよりも上の存在であり、先生が生徒を評価することはあってもその逆はあり得ない。教えられる側が教える側の良し悪しなんて分かるはずはないというのが一般的な考え方でした。私が教育の世界に入ったときもまだ、その名残はありました。

 

しかし、そのスタンスでは先生が自分を客観的に見ることができなくなり、最終的にはおごってしまい、自分を磨く気持ちを失ってしまいます。常に自分自身を高めて行ける、自分に厳しい先生ばかりではないからです。そういった長年の反省もあり、生徒さんたちからみた先生(の授業や人間性)への評価、そして、先生同士からみたお互いの評価という360℃評価が少しずつ教育の現場に浸透していったのです。

 

正直に言うと、私はあまり乗り気ではなかったタイプでした。その深層心理としては、自分が客観的に評価されることが怖い、そして他の先生方と比べられるのが嫌だという気持ちがあったと思います。でも実際にアンケート結果が出てみると、グサッと来るようなこともありましたが、それ以上に生徒さんたちからの温かいメッセージを多く感じられて、胸が熱くなることの方が多かったのです。最初の頃は、他の先生たちと比べ合いをしたりしましたが、次第にそういう気持ちは薄れ、結局は自分自身と向き合うしかないと思うようになりました。ちなみに、私の長所は誠実公平さであり、短所はユーモアの少なさでした。

 

 

それからしばらく時間が経ち、自分が教室の長を任せられるようになってから気がついたことは、良い先生ほどアンケートを毎回良く見ているということでした。アンケートの結果が良いから見たくなるのだろうと最初は考えていたのですが、実はそうではありませんでした。自分自身への評価が気になり、心配や不安があるからこそ、どうしても見てしまうのです。それは真剣に取り組んでいることの証であり、良かった点はさらに良く、改善点は改善をするという形で、良い先生はさらに良くなっていくのです。こうした先生たちの態度を見て、アンケートに乗り気ではなかった過去の私を省みて、人前に立つ先生は良くも悪くも他者の評価をポジティブに受けながら、自分と向き合っていくしかないのだと教えてもらったのでした。

2017年

1月

10日

お金は人を喜ばせるために

季節外れの話題ですが、毎年恒例となっていたクリスマスのプレゼント企画を今年も行いました。せっかくクリスマスの日に湘南ケアカレッジに来ていただいたので、気持ちばかりではありますが、クリスマスプレゼントを贈らせていただきました!中身にはケアカレセレクションのお菓子と、メモ帳か色鉛筆のセットが入っています。湘南ケアカレッジをつくって良かったと思うのは、このように生徒さんたちに喜んでもらうことができることです。

私が昔働かせてもらっていた大手のスクールでそのような提案をしようものなら、「いくらかかると思ってるんだ?」とお金のことを言われて、チーンと終了でした。たしかに、ひとり1人へのプレゼントはわずかでも、全員に渡すとなると、トータルとしてはある程度の金額になります。それでも、学校と生徒という関係ではなく、たとえばクリスマスの日に自宅に遊びに来てくれた友人にプレゼントすると考えれば、思い切ってできるのだから不思議なものです。

 

 

湘南ケアカレッジとしては、先生方や生徒さんたちに喜んでもらうために、お金を使いたいと思います。きれいごとに聞こえるかもしれません。それだったら私にお金をくださいという方も出てくるかもしれません(笑)。それは決して金額の多寡ではなく、お金を贈るとかそういうことでもなく、人に喜んでもらうためにお金が必要ならば喜んで使うべき。心のどこかにお金を使う目的は人を喜ばせることという想いがあれば、お金を稼ぐ理由もはっきりとしてくるのではないでしょうか。

実は、生徒さんたちからクリスマスプレゼントをいただくこともありました。一昨年と同じく、今年の実務者研修を修了した卒業生さんから、ブラジルのクリスマスケーキであるパネトーネをいただきました。私は一昨年にいただいたときに初めてパネトーネを食べたのですが、それ以来、クリスマスに食べられるのを楽しみにしています。また、39会(39期生の集まり)のメンバーからは、クロワッサンや紅茶のセット、クリスマスのリースをいただきました。さらに11月短期クラスの生徒さんは美しいポインセチアを持ってきてくださって、教室に飾らせていただきました。皆さん、本当にありがとうございました!

2017年

1月

07日

老人ホームで生まれた<とつとつダンス>

介護に関する本だけではなく、どんなジャンルの本にも当たりハズレはあり、当たりを手にするためにはたくさん本を読むしかありません。そして、①読みたい本、②読むべき本、そして③人から勧められて読む本の3種類をまんべんなく読むことが大切だと思います。この本は新聞の書評欄で見つけたもので、①でもあり、②でもあり、③でもあったということです。読んでみると、サブタイトルにもあるように、ダンスの話であるようで、介護の話でもあり、どちらでもないような、これまでに読んだことのない、分かりにくい話でした。それでも最後には、何かを手に入れたような気がする、私にとっての当たりの本でした。

<とつとつダンス>と名付けられたダンスを始めたのは、ダンサーであり振付師である砂連尾(じゃれお)さん。踊りや舞台を通して、自分にしか見えない世界を見てみたいとダンスの道に進んだ彼は、ひょんなことから京都にある特別養護老人ホームでワークショップを始めることになりました。参加するのは高齢者や子どもたち。高齢者の中には、認知症がかなり進行している方もいれば、耳が不自由な方もいます。どうやって踊るのか、私たちは不思議に思うはずです。踊るって何だろう、という問いの前で私たちは立ち尽くし、そこから新しいコミュニケーションが始まるのです。

 

「ミユキさんは僕がすることのすべてを受け入れてくれた。彼女は認知症なので、具体的なワークをこなすという感じではなかったが、僕がすることを嫌がることもなく、ただ受け入れて、そこにいてくれた。

 

認知症で、何も理解していないからだと言う人もいる。どうなんだろう。わからない。でも、ミユキさんと触れ合っていると、彼女は僕を無視しているというのではなく、存在をどこか認めているようだけど、何をしてもそれが彼女の負担にも刺激にもならないというような、他の人からは得たことがない不思議な感覚があった。

 

ふと気づいたことがある。僕が彼女に何か働きかけようとしていたはずなのに、僕はミユキさんとのワークを通して、彼女に何かを引き出されることを楽しみにしているのかもしれない。次第にそう確信するようになっていく」

 

「コミュニケーションが成立するように見えたとき、実は大量のディスコミュニケーションが消えている。僕たちは、そこに目を向けることから始めようとしていた。ディスコミュニケーションがゆえに、いや、ディスコミュニケーションでないと意味の中で落ち着いてしまうものが、ディスコミュニケーションによって引き出される。そのときに生まれるとまどいそのものを溜めていくことを大切にした。自分と誰かの関係は、「理解し合う」関係だけではない。ではどういうふうに関係をつくるのか。その実験的な作業を、僕たちはおそらくしていたのだと思う」

 

 

「認知症の人は、「通じない」人だと思われているけれど、僕は「違う時間軸にいる」人だと考えるようになった。僕たちが「いま」を感じている以外にも、時間軸があるかもしれないと、彼女たちを見ていていっそうと感じるようになった。夜空では星が同時に光っているようでいてそれぞれ別の時間軸にある光が瞬いているけれど、僕たちもまた、みんな「いまこの時間」を生きているようでばらばらの時間軸を生きているのかもしれない。ミユキさんと踊った経験は、僕をいろいろな意味で解き放ち、開いていった」

2017年

1月

04日

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。毎年この時期には岡山の田舎に帰省し、心身をリフレッシュさせながら、今年のことに思いを馳せます。今年の4月で湘南ケアカレッジも5年目を迎えることになります。先生方にも生徒さんたちにも恵まれ、ここまでやってくることができました。運や人の縁というものは、偶然のようで必然であり、必然のようで偶然なのかもしれません。そんな感謝の気持ちを忘れることなく、新しい年にチャレンジしていきたいと思います。ここでいうチャレンジとは、大きくするということではなく、これまで誰もやったことがないことに取り組むということです。同じようなものをコピーしていくのではなく、新しい何かを生み出すのです。

湘南ケアカレッジは設立当初より、「いただきすぎない」、「大きくしない」、「資格を売らない」というやらないこと3つを掲げてきました。つまり人間らしい学校であろうということであり、ここまでやらないことをやらずに来られたと誇りに思っています。その中のひとつである「大きくしない」は、むやみに教室を増やして拡大しない、極端なことを言えば町田教室だけでいいということです。それは小さくまとまるということではありません。大きくするのではなく、深くしていく方向を選ぶということです。教育を提供する学校とは、そうあるべきだと考えています。

 

私たちは時として、大きいことが良い、大きくならなければならない、という病に憑りつかれてしまうことがあります。成長するとは、大きくなることだと考えてしまうのです。かくいう私も、就職活動をしたときは大企業ばかりを当たっていましたし、大手のスクールに入ったときには全国規模で教室を展開していることに安心感を覚え、誇りに思っていていたこともありました。しかし、社会人としての経験を積むにつれ、大きくなることで何かを失ってしまうのではないか(特に教育の分野は)、大きいことは実は恥ずかしいことなのではないかと感じるようになったのです。

 

これは経営的にも同じことがいえます。企業を成長させるとは大きくすることだと考えている人々は多く、特にMBA的な発想にはそれが顕著です。金太郎飴のような商品を大量に生産してでも、売り上げを大きくしていくことが会社の成長だと考えてしまうのです。たしかにそれは成長のひとつではあり、成長ではないとは言いませんが、同じようなものをコピーしていく水平方向の展開は簡単なのです。それに対して、ゼロから1を作り出すような垂直方向の成長こそが、真の成長なのではないでしょうか。

 

 

大きくなることが成長だという幻想から、私たちは逃れなければなりません。成長とは、これまではできなかったことができるようになったり、時間が掛かっていたことが速くできるようになったり、2人でやっていたことがひとりでできるようになったり、自分の仕事により多くの意味や価値を付け加えることができるようになったり、もっとたくさんの人々の心を動かせるようになったり、ということです。私たちがそうして深く成長していくためには、もっと考えなければいけませんし、行動しなければいけません。ときには失敗しなければいけませんし、挑戦しなければならないのです。100年続く学校を目指して、湘南ケアカレッジは、先生方や生徒さんたちと共に、さらに深く成長していきたいと思います。

2016年

12月

30日

水を得た魚のように

介護福祉士筆記試験対策講座も残すところあと1回と、佳境に差し掛かってきました。前年の出張講座の反省を活かし、今年からは「社会の理解」をできるだけ後半に持ってくることにしました。そして、丸1日かけて、1科目だけを学んでいただきます。というのも、この「社会の理解」は介護福祉士筆記試験において合格へのカギとなる、重要な科目だからです。この科目ができないことによって、毎年どれだけの受験生が涙を飲んでいるか。制度や法律のことなど、普段の仕事の中では学べない、まさにこの試験のために勉強しなければ身に付かない難しい内容です。暗記科目でもあるので、できるだけ試験日に近い、生徒さんたちのモチベーションが高いタイミングで勉強するのがベストですね。

「社会の理解」の担当は、昨年に引き続き、社会福祉士の新倉先生です。実は新倉先生は、社会福祉士だけではなく、介護福祉士、精神保健福祉士、そしてケアマネジャーの資格も持っているという資格試験の鬼です。資格を取得する過程で学んできた膨大な知識と、ご自身で努力をして合格してきたノウハウの蓄積を兼ね備えた、介護福祉士筆記試験対策講座を教えるために生まれてきたと言っても過言ではない先生です。というのは半分冗談で、そういった下地や自信があるからか、新倉先生は水を得た魚のように生き生きと授業をしてくれます。

 

そんな新倉先生の姿を見て、また楽しそうに授業に聞き入る生徒さんたちの姿を見て、私も嬉しくなってしまいました。やはり私は、先生方が生き生きとして授業をする姿が見たいのです。その気持ちは、私が介護・福祉教育の世界に入ったときから変わりません。それまでは、自分が先生として教えていた時期もありましたが、この世界において私は教鞭を取ることができませんので、授業は先生方にお任せすることになります。そうして初めて、私は自分で教えるよりも、自分よりも教える才能がある先生方をサポートすることが合っている、先生方が生き生きと教えている姿を見ることが喜びなのだと知ったのです。

 

 

だからこそ、授業が終わってからも生徒さんたちに囲まれている先生方を見たり、授業についての良い感想を聞くと、自分のこと以上に嬉しく思います。先日の日曜日クラスが終わったあと、ある生徒さんが「授業楽しかったです!」と松橋先生に言っていた姿を見て、心から嬉しく思いました。先生方が生き生きと教えられるように、環境を整えるのが私の仕事であり、最も輝ける舞台を作り出すのもまた私の仕事です。そのためには、いろいろなチャレンジをしていかなければいけませんし、先生方にもチャレンジをしてもらわなければなりません。来年度はさらに水を得た魚のように泳げるよう、共にチャレンジしていきたいと思います。

2016年

12月

26日

感謝し、さらに深く

11月短期クラスが修了しました。年末にもかかわらず、たくさんの生徒さんたちが来てくださって、とても和やかな雰囲気のクラスでした。研修の途中からすでに飲み会が開催されていたように、年代も性別も様々でしたが、積極的に縁を育もうとされていたのが印象的でした。最後には、皆さん「これで終わってしまうのは寂しい」と名残惜しそうに、教室を出て打ち上げへと向かわれました。また、皆さん一生懸命に学んでくれて、とりわけ実技テストにおけるパフォーマンスは先生方も驚くほどの出来でした。最高の形で今年最後のクラスを締めくくれたことに感謝します。色とりどりのメッセージボードも頂戴し、私たちにとっての宝物がまたひとつ増えました。ありがとうございます!

湘南ケアカレッジは今年で4年目、来年には5年目を迎えることになります。新しい学校と言えばそうなのですが、この4年間で70以上の介護職員初任者研修を行い、のべ2000人近い生徒さんたちに教えさせてもらいました。卒業生さんたちはご存じだと思いますが、濃密な研修をこれだけ数多く行っていると、授業の内容だけではなく、生徒さんへの接し方やサービス、その他諸々におけるレベルアップは著しく、少しずつ改善を重ねつつさらなる高みを目指しています。手前みそですが、全体を通してこれだけ質の高い介護職員初任者研修を行っている学校は他にはありません。

 

と同時に、慣れも出てきてしまうのも人間です。私自身、今年は実務者研修が始まって忙しくなったこともありますが、それ以上に慣れてきてしまったことによる失敗やコミュニケーション不足など、たくさんの反省すべきことがあります。適当な仕事をしているつもりはありませんが、もっと丁寧にスピーディーにできたという後悔も多々あります。そして、慣れてしまうことの怖さは、感謝の気持ちを失いがちになってしまうということです。ありがたいと思っていたことが、当たり前になってゆく。周りの人たちの親切や心づかいを感じられなくなってゆく。自分を高めている実感が惰性や不平不満に変わってゆく。同じことを行い、見て、体験したとしても、感じ方が違ってくるのです。

 

これは私だけの話ではなく、誰でも、どの職場でも家庭でも同じでしょう。慣れに対する最も簡単な解決方法は、環境を変えるということです。引っ越したり、仕事を変えたり、違う人たちと付き合ったりする。ただ、そんなことはできない、それが叶わない(難しい)という人の方が多いと思いますので、今いる場所でどうするべきかと考えると、感謝すること、そして深めるということ以外に答えはありません。

 

 

今の仕事に感謝し、もっと深く取り組む。今目の前にいる人たちに感謝して、もっと深く向き合う。そうして感謝の心を忘れず、さらに深くかかわってゆくことで、実は自分の思考の幅が広がっていったり、違った視点を発見したり、新しい人たちと出会えたり、自分自身の世界が狭くなっていたことに気づかされます。慣れてしまったと感じたときには、そうやって自分の背中を押してみてください。私たちはそうしてやってきましたし、これからもやっていきます。おかげさまで、11月の短期クラスは大満足度100%で終了することができました!ありがとうございました。

2016年

12月

21日

楽しく学ぶ

以前に姉もそちらで初任者研修を受講して楽しく学べたと聞いていたので2月の短期コースに入りたいです」というメールをいただきました。名前から辿ってみると、お姉さまは昨年の4月日曜クラスの卒業生のSさんでした。そのクラスの楽しそうな雰囲気が蘇ってきて、納得がいきました。実はSさんと同じクラスのHさんから紹介で来てくださった生徒さん(Mさん)が今の12月日曜クラスに通っています。楽しさは連鎖するというか、楽しかった思い出は、このようにしてつながってゆくのだと感じました。

 

楽しく学ぶこと以上に楽しいことはありません。そもそも昔の人たちにとっては、学ぶことは最大の娯楽であったわけで、知識が増えることで自分の世界が広がったり、新しい体験を通して自らが成長したりと、学ぶこと自体が本来は楽しいことなのです。それがいつの間にか、学ぶことは苦しいこと、我慢することだと私たちは思うようになりました。学校における一斉授業や詰め込み教育、受験システムの失敗がここにあります。子どもの頃は勉強が嫌で嫌で仕方がなかったという方も多いはず。そんな方でも、湘南ケアカレッジに来て介護職員初任者研修を受けたあとは、「勉強がこんなに楽しいものだとは思わなかった」とおっしゃってくださいます。そう、ほんとうは学ぶことは楽しいことであり、楽しく学ぶことは最高の娯楽なのです。

 

ここで言う「楽しく学ぶ」とは、学ぶことを楽しむという意味です。簡単であるとか、楽な気持ちで受講するということではありません。同じことを学ぶのであれば、楽しく学ぶか、苦しんで学ぶか、どちらを選ぶべきでしょうか?もちろん、前者ですよね。同じゴールに達するのであれば、その過程を楽しめる方がいいに決まっているのです。

 

たとえば、山に登るとして、辛くて苦しみながら一心不乱に登るのではなく、山に登る途中でも、綺麗な景色を見たり、鳥の鳴き声を聞いたり、仲間と話したり、お互いに励まし合ったり。同じ山に登るとしても、過程を楽しむことができれば、それは登山ではなくピクニックになるかもしれません。学びにも同じことが当てはまり、同じことを学ぶのだとすれば、本人たちが楽しいと思って学ぶ方が楽しいですし、何よりも身に付くのです。

 

 

私たち学校や先生は、楽しんで学んでもらえることを目標としなければいけません。伝えるべきことや到達すべきゴールは同じでも、学んでいることを楽しんでもらいたい。そのときに大切なのは、私たちと生徒さんたちの信頼関係であり、生徒さん同士や先生同士の仲の良さであり、褒め・認めであったりします。「太陽と北風」という有名なイソップ童話がありますが、同じ目的を達成するとしても、暖かい光を当てることでそうするのと、寒くて嫌な思いをさせてそうするのとでは、明らかに太陽の方が上手なのです。せっかく教育にたずさわらせてもらっている以上、私たちは太陽を目指したいと思います。

2016年

12月

17日

認知症の人がスッと落ち着く言葉かけ

ここ最近、認知症関連の本が数多く出版されているように、それだけ人々の関心が高いテーマであり、また認知症に対しての考え方やアプローチも多種多様で答えがないということですね。つまり、今現在、一般に流布している認知症に関する知識や対応法は玉石混交、これから先、大きく変わって進化していく可能性が十分にあるということ。すべてを鵜呑みにするのではなく、そういった考え方や言葉がけもあるのだと、自分の思考の幅を広げるためにも、いろいろな本をぜひ読んでみてもらいたいと思います。この本は望月先生が読んでみて「なかなか良かったですよ」とのことで、さっそく私も読んでみました。

 

認知症の人は引き算の世界に住んでいる、という著者の発想は面白いと思いました。たとえば記憶の壺があるとして、私たちは日々、その壺にあらゆる知識や経験などをプラスして生きているのですが、認知症の人は記憶の壺が割れていて、そこから記憶が漏れ出ていってしまう。これまでは記憶にあったことが少しずつ減っていき、これまではできていたことが少しずつできなくなってゆく中で生きていかなければいけません。認知症の人が私たちとは違う世界に住んでいると知った上で、私たちはサポートしていくことが大切なのです。だからこそ、説得ではなく納得であり、引き算を使った言葉がけが提案されています。

 

引き算の言葉がけとは、引き算の世界に住む認知症の人たちに合わせた言葉がけのことです。ふたつの世界をつなぐ架け橋であり、私たちの世界との橋渡しをするウソでもあります。たとえば、元国家公務員の利用者さんがいらっしゃって、非常にプライドが高く、食道に行こうと言っても、まったく言うことを聞いてくれない場合、「さあ、今日は県知事の諮問会議がありますから会場へ参りましょう!」と言うことです。認知症の人は自分が国家公務員として引き算の世界に生きていますので、そこに私たちが合わせることで、本人から納得を引き出し、穏やかに生活をしてもらうようにするのです。

 

引き算の世界に合わせて、引き算の言葉がけをするためには、実は介護職員はその認知症の人に関する知識や興味がなければならないということでもあります。こちらの世界に引き戻したり、こちらの世界の論理で話をするのは簡単ですが、相手が生きている世界を想像し、理解し、それに合わせて適切な言葉がけをすることがどれだけ難しいことか。これは私たちが私たちの世界で普通に生きていく上でも必要なコミュニケーション技術のひとつですが、その究極の形が認知症の人とのやり取りということですね。

 

 

これらの引き算の言葉がけは、時として、その場しのぎに終わってしまいがちなので、そこからさらに先に進みたい人は、認知症の人がなぜそのような言動をするのかという根本原因を考えてみることが重要です。たとえば、何か強烈に不安に思っていることはないのか、お腹が減っていたり喉が渇いていたりしないのか(栄養や水分が足りているか)、よく寝れているのか(睡眠は十分か)、日々の生活につまらなさを感じていないか(刺激はあるか)など。結局のところ、その場しのぎの言葉がけでごまかすよりも、根本原因を取り除くことで解決することがあることも知っておいてもらいたいと思います。

2016年

12月

14日

正しい勉強の仕方

介護福祉士の筆記試験まで、残すところあと50日を切ってきました。介護福祉士筆記試験対策講座は全5回中3回までが終わり、ここから「合格」というゴールに向けて、生徒さんたちと一緒に追い込みの時期を過ごすことになります。第2回の授業を担当してくれた望月先生も、第3回で医療的ケアを含む3科目を教えてくれた藤田先生も、この日のために最善の準備をしてくださり、全員が合格してもらうために、全力で教えてくれました。その気迫と密度の濃さは生徒さんたちにも伝わったはずです。

 

湘南ケアカレッジの介護福祉士筆記試験対策講座では、勉強の仕方もお伝えしています。試験に向けて勉強するなんて、もう何十年ぶりという方もたくさんいらっしゃいますので、何を、どのように、いつまで勉強するべきかをお伝えするところから始めています。もちろん、勉強の仕方は人それぞれに違って良いと思います。ひたすら問題集やアプリを解く人もいるかもしれませんし、テキストを元にノートにまとめて暗記する人もいるかもしれません。赤シートを使ったり、単語帳のようなものを使う人もいます。細かいところは、それぞれのやりやすいように勉強してもらって構いません。ただし、勉強の仕方にはひとつだけ基本というか、外してはいけないポイントがあります。それは繰り返すこと(反復)です。

 

私はかつて子どもの教育に10年ほどたずさわってきた中で、数百人の生徒さんたちに、勉強を教える前に勉強の仕方を教えてきました。その方が効率的だからです。勉強の仕方を教える中で気がついたことは、勉強のできない(成績の上がらない)子どもは、勉強の仕方が間違っていることが多いということです。もちろん、悲しいことに、正しい勉強の仕方をしていても成績が上がらない子どももいます。しかし、勉強のできる子どもたちは、ほぼ確実に正しい勉強の仕方を行っているという事実があります。このときの経験から、勉強を教えるよりも、まず勉強の仕方から教えた方が良いことを学んだのでした。

 

別に魔法のような勉強の仕方があるわけではありません。勉強の仕方のポイントは、繰り返しになりますが、繰り返すこと(反復)です。私たちの記憶に知識を定着させ、それを自分のものとして引き出して使えるようになるには、何度も繰り返し、同じ(ような)事項を読んだり書いたり、問題を解いたりすることです。人間はコンピューターではありませんから、1度読んだり、聞いたり、見ただけでは、完全に覚えられないのです。時間はかかりますし、面倒なようですが、それでも繰り返し(反復)をすることは、長い目でみると最も効率的な勉強の仕方です。

 

 

もう少し具体的に言うと、今回の介護福祉士筆記試験対策では、予習をし、授業を受け、さらに復習をしてという流れで勉強をしてもらいます。これがしっかりこなせれば、少なくとも3回は繰り返し(反復)ができていることになります。これ以外にも、たとえばできるだけ多くの感覚(視覚、聴覚、触覚など)を使って覚える、自分で調べてみる、他人に教えるなど、細かい勉強の仕方もお伝えしますし、また授業の中で、各先生方がそれぞれに勉強のコツを織り交ぜて話してくれています。ぜひ正しい勉強の仕方で勉強して合格しましょう。そして、ここで学ぶ勉強の仕方は、介護福祉士になるためだけではなく、これから先の人生においても必ず役に立つはずです。

2016年

12月

10日

定着させて継続する

今年ラストの全身性障害者ガイドヘルパー養成研修が終わりました。幸いにも好天に恵まれ、12月にもかかわらず暖かさを感じるような日でした。昨年度から始まったこの研修も今回で9回目を迎え、たくさんの生徒さんたちに参加していただき、また私たちも少しずつ改善を重ね、いよいよ定着してきた感があります。最近では、卒業生からの評判を聞いて受講してくださる方も少なからずいらっしゃいます。1日で修了するというスピード感や受講料の安さだけではなく、実際にガイドヘルパーと利用者役として街中に出ていくという研修の内容が評価されているのだと思います。障害者総合支援法を分かりやすく教えてくれた奥先生、ひとり1人の生徒さんたちに寄り添うようにサポートしてくれた阿波加先生、橘川先生、そしてこれだけの大人数の生徒さんたちを引っ張ってゆくパワーを発揮してくれた小野寺先生に感謝します。もちろん、楽しく一生懸命に取り組み、無事に帰ってきてくださった生徒さんたちにもありがとうと言わせてください。

新しい研修がこうして定着するのは簡単なことではありません。介護職員初任者研修や実務者研修の介護過程でもお話ししているPDCAサイクルを回していくのですが、介護の研修に関しては、P(プラン)の部分の比重が極めて大きいのです。膨大な書類を作成して申請の届出を行いつつ、先生方と具体的な研修の方向性や内容を決めていきます(場合によっては、先生選びから難航することも)。

 

それから、生徒さんたちに参加してもらわなければいけません。最終的には生徒さんたちに集まってもらってこそ研修は成立します。なぜこの研修を受けた方が良いのか、この研修を受けることで何ができるようになって、どういう学びがあるのかなど、きちんと魅力を伝えていく必要があります。

 

そして、実際に受講してもらって、受けて良かったと満足してもらわなければいけません。そうしないと、次第に生徒さんが来てくれなくなり、気がつくと尻すぼみの研修になってしまいます。私たちが目の前の生徒さんに全力を尽くすのは、もちろん目の前の生徒さんたちに幸せになってもらいたいからですが、それは未来の生徒さんたちの幸せへとつながっているのです。

 

 

ただ研修の形にして、何回か開催するだけであれば簡単なのですが、それを定着させて継続させていくのは案外難しいことなのです。とはいえ、定着したらしたで、それからもPDCAサイクルは回していかなければいけませんし、細かい改善点はたくさんあります(今回も私がくじ引きのボールを抜き忘れてしまい、皆さんにご迷惑をおかけしてしまいました…すいません)。定着したからと言って決して気を抜くことなく、また来年度もこのまま続けて、ケアカレの名物講座にしていきたいと願います。来年度は春(4月)からのスタートを予定しておりますのでお楽しみに!

2016年

12月

07日

そういう存在でありたい

8月日曜日クラスが修了しました。研修の途中の頃から、すでに最後の打ち上げの予定が決まっているような、仲の良いクラスでした。ある特定のグループだけが仲良しなわけではなく、年齢や性別を問わず、それぞれのクラスメイトが互いを知って、認めて、親近感を抱いているような居心地の良さ。何名かの生徒さんは、いろいろあって、こうした研修を最後まで頑張れるか心配という状況でスタートしましたが、「そんな心配も全くなく、最後まで楽しく過ごすことができました!」と感謝していただきました。雰囲気が自分に合ったクラスで学ぶことができて、ほんとうに良かったと思います。

 

このクラスを象徴するような出来事がありました。あと3回の授業を残して、ある事情で故郷の熊本に帰らなければならなくなった生徒さんがいました。仕事を辞めた関係で、それまで住んでいた寮を出なくてはならず、どうしても介護職員初任者研修を今回のクラスで最後まで通うことができなくなってしまったのでした。クラスメイトたちは彼女との別れを惜しみ、彼女も最後までこのクラスで通いたかったと後ろ髪を引かれながら、最後の授業の日がやってきました。

 

授業が終わって、全員がメッセージを記した色紙が彼女に贈られました。最年長の生徒さんがクラスメイトを代表して彼女に送った、「ここにいる皆が、あなたのこと、これからも見守っているから」という言葉は忘れられません。全員で記念撮影をしているとき、彼女は人目も憚らず涙していました。彼女の人柄もあったと思いますが、こうして勇気を与え合える仲間は素晴らしいですね。温かい思い出は、彼女だけではなく、クラスメイト全員の心に一生残るはずです。今回は生徒さんたちに、人が人を想うことの大切さを教えてもらった気がします。

 

 

湘南ケアカレッジも、介護や福祉について学びに来た生徒さんたちに、勇気や自信を与え、「来て良かった」と思ってもらえる、そういう存在であり続けたいと思います。生徒さんのできないこと探しをしたり、責めたりするのではなく、良いところを見て、褒めて認めるようなマインドを持ち続けたい。それはケアカレの想いであり、先生方の想いでもあり、それは必ず生徒さんたちにも伝わるはずです。そして、今度は生徒さんたちが、介護の現場において、私たちの想いを体現してくれることを願います。

 

PS

最後には、クリスマス仕様のメッセージボードをいただきました。とても手が込んでいて、おひとり1人の気持ちが伝わってきて嬉しかったです。ちなみに、真ん中に貼ってある写真はお別れした彼女とも一緒に撮ったものです。

2016年

12月

03日

まずは意識から

先日、実務者研修の医療的ケアの授業が行われました。授業全体を通して見て、これほどまでに看護師の先生が1日中、親身になって関わってくれる研修は他にはないだろうと思いました。湘南ケアカレッジの医療的ケアが明らかに違うのは、生徒さんたちと先生方の距離感の近さです。人形の台数が多い(生徒さん3人に1台)ことや、手順だけではなく利用者さんの気持ちに寄り添う本質的なケアを伝えたいというテーマなど、従来の医療的ケアの授業の問題点をすべてひっくり返したこともそうですが、何よりも先生が最終チェックするために存在するのではなく、途中の過程に入っていきながら、やってみせ、やってもらい、褒め認めて、手技のレベルを目標の地点まで高めていくというスタイルを採用したことにより、生徒さんたちと先生方の距離感が縮まり、同じ目線の高さで教えることに成功したのだと思います。

他の学校の医療的ケアの授業において、時間が足りないと嘆いている声を聞きますが、上記の点を全てクリアできていないことが原因です。生徒さん1人に対しての人形の数が少なく(ほとんどの生徒さんは手が空いてしまう)、手順を覚えることばかりを重要視して練習させ(根拠が分からないと身につかない)、看護師の先生は最終チェックをすることに時間を取られてしまう(生徒さんひとり1人に関わる時間が少ない)ことで、あらゆることが非効率になってしまっているということです。そうすると生徒さんも先生も心の余裕がなくなり、殺伐とした雰囲気になり、面白味のない授業になってしまう。医療的ケアの授業はこの悪循環から抜け出す必要があるのです。

 

問題の大きさは分かっていても、なぜ変えられない(変われない)かというと、そこには看護師さんたちの目線の高さがあるのではないかと思います。良く言えば目線の高さですが、つまり介護職を無意識のうちに下に見ているというか、同じ地平線に立って教えようという気持ちがないということです。だからこそ、介護職には勝手に練習をさせて、看護師は最終チェックをするだけ、質問も受け付けることもほとんどなく、細かいところに難癖をつけるだけになってしまう。もちろん医療的ケアに関して、介護職とは力量の差があるでしょうし、そこにはプライドもあるはずです(あってしかるべきです)。それでも、それはそれで一旦置いておいて、看護と介護の間にある垣根を取っ払って、これから医療介護の現場を支えてくれる人たちを育てようと思ってもらいたいのです。

 

 

そういった点において、湘南ケアカレッジの看護師の3人の先生方は最初から意識が違いました。私が言うまでもなく、医療と介護の壁を超えて、同じ目線で教えるのが当たり前と思ってくれていました。こうした先生方の柔軟な意識があったからこそ、これだけスタイルの違う授業をつくり上げることができたのだと思います。言うは易し、行うは難し。実行することがこれだけ難しいのは、まずは自分たちの意識を変えることが難しいからなのだと思います。1日中、立ちっぱなしで、付きっきりで生徒さんたちひとり1人を見て、声を掛け、質問を受け、褒めて認めて、アドバイスをしてくださる先生方に心から感謝します。

2016年

11月

29日

愛のある授業

夏から始まった実務者研修のクラスが、続々と終わりを迎えています。実務者研修は2週間に1回のペースで行われるため、ほんとうにゆっくりと時間を掛けて修了していきます。私たちにとっては、毎日違う研修やクラスが目まぐるしく変わっていくのですが、生徒さんたちにとっては、仕事をしながら宿題や課題をこなし、たまに学校に足を運ぶ感覚だと思います。そういう意味においては、介護職員初任者研修に比べると、人間関係のつくり難しさを感じますが、そのあたりにもまだ改善の余地が残されているということですね。そう思っていたところ、最終日にあるクラスの生徒さんたちから、先生方へ色紙をいただきました。皆さまからの温かいメッセージを、先生方は嬉しそうに読んでいました。

 

私も読ませていただき、「愛のある授業でした」という言葉が印象に残りました。その方以外にも、「厳しい中にも愛情を感じた」、「心温まりました」「熱い気持ちが伝わってきました」など、同じようなニュアンスで書かれている生徒さんたちもいて、私たちの気持ちが伝わっていたのだなと嬉しく思いました。実務者研修では、実際の現場や仕事ですぐに使っていただけるような実践的な技術や知識、考え方をお伝えしていますが、そういう研修内容の底には、佐々木先生、望月先生、小野寺先生、阿波加先生、藤田先生、村井先生、野田先生からの生徒さんに対する愛が流れています。その愛情を生徒さんたちが現場に持ち帰り、今度は利用者さんたちに届けてもらいたいのです。

 

実務者研修の最後にお話しさせていただきますが、私たちはレベルの高い実務者研修を目指して、介護の先生も、看護の先生も、全力で授業をしています。ケアカレの実務者研修を受けた生徒さんたちは、大きく頷いてくださるはずです。介護のパートは全員を実技試験合格レベルまで底上げしなければならず、看護のパートは喀痰吸引研修修了の一歩手前までの手技が出来るようになってもらわなければいけません。そういった明確なゴールが見えるからこそ、どうしても厳しくなってしまうこともあるかもしれませんが、そこに愛を感じてくださっているのであれば幸いです。

 

 

いや、厳しいという言葉は少しニュアンスが違うかもしれません。どのような言葉が適切か考えてみたところ、真剣の方が相応しいのではないでしょうか。私たちは真剣に教えさせてもらっていますし、生徒さんたちにも真剣に取り組んでもらいたいと願います。そうすることで、ケアカレの持ち味である楽しさが生まれてきます。真剣さと楽しさは決して相反することではなく、同時に生まれることもできるのです。学ぶということは、真剣だからこそ、より楽しいのです。それを突き詰めてゆくと、愛のある授業が完成するのだと思います。

実務者研修の他のクラスの卒業生さんから、先生方に手づくりのミサンガをいただきました。早速、キーホルダーと一緒に付けています。ありがとうございました!

2016年

11月

26日

筆記試験対策講座がスタートしました

来年1月の筆記試験に向けて、介護福祉士筆記試験対策講座がスタートしました。今年から実務者研修を始めたこともあり、湘南ケアカレッジにとっては初めての筆記試験対策講座になります。実は昨年、ある施設からの依頼を受けて出張しましたので、講座としては2年目になります。昨年はわずか14時間という制限がありましたが、ケアカレで行う今年は1日6時間×5日間の計30時間と充実した内容になっています。そして何よりも、今年はケアカレの実務者研修を受けてくださった生徒さんがほとんどですので、先生方と生徒さんたちがお互いに知っており、信頼し合えている関係でスタートできるという点が大きいと思います。

昨年と同様に、佐々木先生がトップバッターとして教えさせていただきました。初めての場所で、先生方も生徒さんたちも緊張していた昨年に比べ、今年は終始リラックスした雰囲気の中、いつもの佐々木先生らしい授業をしてくださいました。昨年の施設の担当の方はとても良くサポートしてくださったのですが、やはり場所も人も違うと私たちも手探り状態にならざるを得ません。そうした昨年の状況があったからこそ、今年は授業がやりやすいと初日から感じることができるのです。

 

それは生徒さんたちにも伝わっているはずです。おそらく生徒さんたちも安心して授業を受けることができたのではないでしょうか。昨年、出張講座をさせていただいた施設からも数名、今年はケアカレに来ていただいているのですが、その生徒さんたちも周りの和んだ雰囲気ゆえにリラックスできたのではないかと思います。

 

最も驚きだったのは、単元ごとの確認テストの出来の良さです。正直に言うと、筆記試験対策講座は点数という形で、生徒さんたちの現在の力から勉強の過程までが見えてしまいますので、初日の確認テストの出来があまりにも悪かったらどうしようと心配していました。ところが、そんな私の心配をよそに、数名の生徒さんたちは完璧に予習をして臨んでくれていることが分かりましたし、ほとんどの生徒さんたちは及第点を取ってくださり、ここから本番に向けてさらに上向いてゆくことができればという期待を抱かせてくれました。

 

先生方(や学校)と生徒さんたちとの関係性が重要だと改めて感じました。一緒に合格を目指して勉強していくにあたって、生徒さんたちと先生が互いに信頼していることで、同じ言葉や情報でも伝わりやすさが違ってきます。また、生徒さんたちと先生の心理的な距離が近いことで、生徒さんたちは気軽に質問がしやすくなりますし、先生は具体的にアドバイスをしやすくなります。

 

 

さらに、生徒さんたちはケアカレがテストで満点を取ると表彰したりと、頑張りを認めてくれると知っているからこそ、宿題をしっかりとやっていこうというモチベーションにつながるのだと思います。何はともあれ、幸先の良いスタートを切れて安心しました。今年も良い結果が出そうです。本番まであと70日を切ってきましたので、ここからさらにエンジンをかけて、合格を目指して一緒に頑張っていきましょう!