2019年

11月

18日

映画「マチネの終わり」

湘南ケアカレッジを開校してから、いや、社会人になって仕事を始めてから、ほとんど小説を読まなくなってしまいました。忙しくて時間がないと言えば言い訳になってしまいますが、すき間時間までを仕事やスマホに取られ、ずいぶん長い間、小説の世界に没頭することができなくなっていました。そんな私が、ほんとうに久しぶりに、カフェが閉店時間になるまで、時間も忘れるほどに読みふけってしまった小説が「マチネの終わり」。遂に映画化されましたので、公開初日に観に行ってきました。原作を下回ることのない、むしろ音楽や映像の力が原作を補完するような、また小説を読んでみたいと思わせる作品でした。そして小説を読むと、また映画が観たくなるかもしれません。

 

主人公の蒔野は世界を股にかけて活躍するギタリスト、洋子はパリ在住のジャーナリスト。ふたりは物語が進む6年の間に、わずか3回しか会うことはないのですが、深いところで互いに惹かれていきます。蒔田はアーティストとしての苦悩があり、洋子はフランスのパリにおけるテロに遭遇し、困難な道を歩んでいる者同士からこそ求め合う。ところが、そんなに簡単にものごとは落ち着かないもので、ふたりはすれ違い(第三者にとよってすれ違わされ)、心の底に大切な感情をしまったまま年月は流れ、それぞれが家庭を持つに至ります。しかし物語のラストでは、すれ違いの理由が明らかになり、ふたりは再会するところで幕を閉じるのです。

 

 

個人的に、この原作が秀逸だと思ったのは、ふたりが深いところで惹かれ合う理由がきちんと描かれていることです。出会い系アプリでパートナーを探すのが普通になってきている時代において、なぜその人でなければならないのかが明確なのです。それは蒔野と洋子が特別な生き方をしているからかもしれませんが、もしかすると、誰にとっても、あなたでなければならない人はどこかに存在するのかもしれません。または時間をかけて、その人でなければならない存在になっていくのかもしれません。いずれにしても、その人と決めるためには自分自身の存在がはっきりしていることが大切なのだと思います。

 

 

原作者の平野啓一郎さんは、「愛とは、誰かのおかげで自分を愛せるようになること」だと語りました。誰かを愛することだけが愛ではなく、誰かと共に時間を過ごすことで、自分を愛せるようになることも愛だと定義したのです。なるほど、その人といるときの自分が好きである状態。私たちは誰かを愛することで、これまでの自分も愛することができるようになるのです。「マチネの終わり」の映画のテーマでもある、常に未来が過去を変えていくことにもつながります。愛するというのは恋愛だけに限ったことではなく、家族であったり、仕事仲間であったり、介護の仕事でいうと利用者さんであったりしても良いはずです。他者がいてくれるおかげで、自分の過去は意味あるものに変わり、自分を愛せるようになるのだと思うのです。

2019年

11月

13日

人と人とのつながりを

10月短期クラスが修了しました。人数が少なかったのですが、寂しさなど微塵も感じさせない、とても前向きで明るく、楽しいクラスでした。女性が引っ張り、男性陣がそれに乗ってくる形で、最後はひとり一人が大切に包み込まれていくような雰囲気でした。これぐらいの少人数で、クラスメイトさんそれぞれが互いを知り、認め合い、ひとつにまとまると心地よい一体感が生まれますね。ハロウィーン前日には、お昼休みにパーティーを開き、プチ仮装をしたりお菓子を持ち寄ったりして盛り上がっていました。もちろん、学ぶときは自ら学ぼうとする姿勢もある、まさにケアカレらしい素晴らしいクラスだったと思います。

 

最終日には有志で打ち上げが行われ、私たちも誘っていただきました。実はその日、ちょうどケアカレナイトが開催され、当日、会場の関係でバタバタしてしまったこともあり、飲み会に参加するのが遅れてしまいました。ケアカレナイトから抜け出し、鳥良商店(ケアカレの卒業生がよく打ち上げをするお店)に駆けつけたところ、すでに皆の姿はありません。もう帰ってしまったのかと申し訳なく思い、電話してみたところ、近くのROUNDONEでボーリングをしているとのこと。そこから再び移動して、ようやく合流できました。

 

あまりゆっくり話すことはできませんでしたが、教室では見せない卒業生さんたちの人となりが知れて良かったです。その中で、クラスメイトのひとりから、「今度、卓球しましょうよ!私、学生時代に卓球部だったのですよ」と言われ、嬉しく思いました。生徒さんたちの背景や歴史を知ることで、より立体的にその人間性が浮かび上がって映りますし、何と言っても、私ともフラットな関係でいてくれたことが嬉しかったのです。

 

というのも、湘南ケアカレッジが立ち上がった頃は、今よりも生徒さんたちともっとフラットな関係と近い距離にいた気がするのです。あれから7年が経ち、私の中では生徒さんたちに対する愛情は変わらないつもりでいるのですが、ここ最近はどうにも距離が少し遠く感じられている気がしていました。それは私が教室に足を運ぶ機会が少なくなったのか、生徒さんたちと話をする時間や回数が少なくなったのか、それとも年を取ったことで近寄りがたくなってきてしまったのか分かりませんが、とにかくそう感じていました。

 

 

学校はたしかに仕事でありビジネスであるのですが、それだけでは何も楽しくはないし、喜びもありません。生徒さんたちを右から左へ流すだけでは、少なくとも私は、そこに時間を費やす価値や意味を見出せないのです。どういう状況や立場であれ、縁あった人たちと人間的なつながりを築くことにこそ、私たちの人生の意味はあるのではないでしょうか。湘南ケアカレッジがどれだけ長く続こうとも、どれだけ大きくなろうとも、いつまでも卒業生さんたちと共にある学校でいたいと思います。

 

最終日に渡された写真の裏には、クラスメイトの皆さんからのメッセージがありました。こちらこそ、ありがとうございます!先生方が見えるところに貼ってありますよ。

2019年

11月

08日

命を使って何ができるのか?

11月のケアカレナイトは映画「ギフト」の上映会&松山さんの講演会でした。ケアカレオリジナルのポップコーンを片手に、皆で映画を観てその内容について語り合う新しい上映会のはずでしたが、機材トラブル(会場のプロジェクターから音が出ない)によって、全員に教室まで一旦移動していただくという事態に陥ってしまいました。往復30分も歩いていただくことになり、大変申し訳なく思うのと同時に、「ケアカレナイトで何度かお会いしたことのある人と話しができて良かったです」とおっしゃってくれる方もいて救われました。どのような局面においても、ポジティブな視点や態度を持つことで、他者を勇気づけることができることを教えてもらいました。

そんなこんなで、何とか湘南ケアカレッジの教室にて上映会を行い(「ギフト」の感想は以前にこちらに書きましたので省略します)、再び町田市民センターに向かってもらいました。そこで待ってくれていたのは、ゲストスピーカーの松山博先生でした。松山さんは現在71歳、元小学校の教員です。ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症して11年目、胃ろうと気管切開をして呼吸器を装着して4年目になります。ALSの進行に合わせて、どのような思いで、どのような選択をしてきたかについて語ってくれました。

 

松山さんが2009年に小学校を退職したのち、ALSは発症しました。片腕が動かなくなり、両腕が動かなくなっていきます。身体にただ腕が付いている状態という表現をされていて、両腕が動かなくなるとはそういう感覚なのかと生々しく想像ができました。そして、両足も動かなくなり、自分では何もできなくなっていき、松山さんだけではなく奥様からも笑顔が消えていったそうです。次は自発呼吸ができなくなり、酸素が欠かせない生活となり、笑顔をつくることさえできなくなったそうです。天井ばかりを見て生活をして、誤嚥性肺炎を繰り返す時期がやってきます。

 

松山さんは葛藤を経て、人工呼吸器を装着することを選びました。生きることを選択したものの、自分の中に閉じ込められたような絶望感も覚えていたといいます。しかし、この頃を境として、外出や社会参加ができるようになり、重度訪問介護の申請から交渉、認定と、長時間(1日24時間)継続してヘルパーさんの介護を受けることが可能になったことで、良い方向に大きな変化が起こっていったのです。外出先や近くの公園にて、家族と笑顔で映る写真がそのことを物語っていました。「どのような看護・介護を受けるか在宅支援の有り様で、当事者の生きる姿が変わります」と松山さんは語ります。どのような難病患者にとっても、生きる価値や意味を、意欲を見出せる看護・介護をしてほしいということです。

 

 

個人的には、松山さんの講演を聞いて、「命を使って何ができるか」と今は考えるに至られたことに驚きました。誰かから与えてもらうでもなく、自分の時間やお金を使って何ができるのかを考えるのでもなく、自分の命を使って何ができるのかと考える。そう言われてみて、松山さんがこうして私たちの目の前に現れ、娘さんに代読してもらう形でその気持ちや考えを伝えてくれることの意味。そして、私は実際に松山さんと会って、ひと言ふた言、会話を交わしたことで、その笑顔から、その意味が分かった気がしました。1時間押しの状況の中でも、「先にドリアを食べてきてしまいました。でも懇親会でお寿司を食べるスペースは残してあります(笑)」と笑顔で語り、講演が終わって「とても良かったです」と声を掛けると笑顔で「ありがとう」と言ってくれたような気がしました。松山さんはその存在、つまり命を使うことで、周りの人たちを笑顔にして、励ましてくれているのです。もちろん、松山さんだけではなく、私たちは誰でも、命を使って誰かの役に立つことができるはずです。

2019年

11月

04日

どのように実現するのか?

卒業生さんが突然、教室を訪ねてくれました。「話を聞いてもらいたくて…」と切り出した彼女は、これまでの介護の仕事のこと、今の仕事について、そしてこれからどうしていくべきか悩んでいると語ってくれました。ケアカレで初任者研修に来てくれたとき、彼女は特別養護老人ホームで務め始めていました。人間関係に難しさはあったものの、その施設で1年ほど頑張って働いたのち、今はカフェで働く傍ら、訪問介護を週に2日ほどしているそうです。それぐらいのバランスの方が今の自分には合っている。そう話す彼女は、たしかに以前に比べると肩の力が抜けてリラックスしているように映りました。ところが、これから先の未来の話をし始めるとやや不安がちに。

 

彼女は青森県の出身で、向こうにはお父さまが経営されていた会社と土地がそのままあるそうです。ご両親はすでに東京に出て来て、定住されていて、お姉さまもこちらでご家庭を持っていらっしゃるとのこと。向こうには誰もいないけれど、場所だけは残っているということです。彼女としては、青森に戻り、その場所を生かして、介護にたずさわる仕事をしてみたい。自分の理念を持って、貫けるような施設や事業所をやってみたいという願いがあります。しかし、理想はあっても、いざ青森に帰って、介護の事業を立ち上げるとなると、ずいぶん高いハードルがあるように感じ、立ち尽くしてしまうのです。

 

彼女は現実と理想のあいだで思い悩んでいることを、ただ聞いてもらいたかったのだと思います。何か具体的なアドバイスができるわけではありませんし、私もただただ彼女の想いに共感することしかできません。ひとしきり話してくれて、彼女は帰っていきました。

 

彼女のような人たちが、これからの介護の世界を盛り上げていってほしいと思います。このような介護をしたいという強い想いを持った人たちが、自分の理想や理念を掲げ、仲間を集めて、自分たちの力で介護サービスを提供する。他の業界と比べると、それほど大きな資金がなくても立ち上げられますから、自分でやりたいと思う人たちはどんどんやるべきです。もちろん大きな施設にも役割はありますが、これからは小さな施設・事業所が数多くできて、身の回りの人たちを支えていくことが重要になります。

 

 

そのような人たちにアドバイスをさせてもらうとすれば、今のうちに目の前の仕事を全力でやってみてもらいたいということです。片手間でやっている仕事が自分のものになることはありませんし、本当にその仕事を自分がやりたいかどうかを知るには一生懸命にやってみなければ分からないのです。宝石は磨いてみないと、それが宝石であるかどうかは分からないのと同じです。全力でやる、一生懸命にやるとは、具体的には1日びっしり15時間ぐらい、3年間はやるということです。その仕事が好きで、楽しさや喜びが見いだせなければ続かないはずです。もしそれができたなら、どんな場所であっても、たとえお金がほとんどなくても、あなたの理想を実現し、誰かの役に立つ仕事ができるはずです。

2019年

10月

30日

なにものでもない

「アール・ブリュット立川2019」に行ってきました。僕がアール・ブリュットに興味があることを知っていた望月先生が「立川でこんなのやっていましたよ」と教えてくださって、最終日に何とか間に合いました。とはいえ、最終日は最も大きな展示室が17時で終わってしまっていて、残念なことに特設会場とエスカレーター脇の限られた展示しか観ることができませんでした。それでも、今回の展覧会のクオリティの高さと熱気が伝わってきましたので、ぜひ来年はしっかりと全ての作品を鑑賞したいと思います。

JR立川駅を出て、目の前にある伊勢丹の入り口すぐのところに、谷良則さんによる「なにものでもないもの」という作品が飾ってありました。大きな納豆を積み上げたように見えてしまいます。谷さんの他の作品はそれぞれに全く形状が異なり、統一感がないのがテーマのようです。どのような形の作品にしようとか、ひとつの作品を作り上げたということもなく、始まりも終わりもない制作活動だそう。「これは何?」と尋ねてみると、「なにものでもないもの」と返ってきたところから、このタイトルは付けられました。

久下智香さんによる、白い布にカラフルな糸が刺繍された作品はこれまでに観たことのないものです。誰よりも右手を動かして作るからこそ、ここまでの迫力と存在感が出せるのでしょう。

若山由美子さんの風景画ひとつ一つはシンプルでも、数えきれないほどの多作が集まり、彼女のひとつの心象風景を表現しています。

相葉章義さんのTシャツとトートバックは立体感のある派手さで、使う者を選びますね。

岩崎岳さんのTシャツは、個人的にはバスキアの作品のようで好きです。

鬼頭和則さんの作品は岡本太郎さんのような迫力があります。呼吸をするように絵を描くという柴田将人さんが描く蛇は、これだけ集まっても可愛らしい。

出山千恵子さんのクッションは、一見するとイケアにもありそうですが、同じものがひとつとしてない模様が商業製品に対するアンチテーゼとして個性を放っています。

小畑智洋さんのポストカードは完成度が高く、そのまま売ってもらいたくなりました。

彼ら彼女らは決して有名なアーティストではありません。多くの人々にその作品が知られることになれば良いし、そうなればお金を払ってでも作品を欲しがる人たちも出てくるはずです。個人的にはアール・ブリュットもそのような流れが出てきてもらいたいと思っていますが、現実的にはそうではありません。彼ら彼女らは何者でもないのです。それで良いのだと思います。

 

私の好きなニューヨークの写真家ソール・ライターは、「私は無視されることに自分の人生を費やした。それで、いつもとても幸福だった。無視されることは偉大な特権である」と語りました。また、「雨粒に包まれた窓の方が、私にとっては有名人の写真より面白い」とも言いまいた。彼の言いたいことは私にも良く分かりますし、アール・ブリュットとはそういうことなのかもしれません。そして、私たちの人生も同じだと思うのです。

2019年

10月

26日

寝かさない

夏休みの間に行われた介護職員初任者研修のクラスは、高校生がたくさん参加してくれており、10代から70代まで年齢の幅が広く、親と子を通りこして、親とひい孫が一緒に学ぶと言っても大げさではない雰囲気でした。様々な年代の人たちがフラットな関係性の中で共に学ぶのは、介護職員初任者研修の醍醐味の一つですが、とはいえ高校生が半分を占めるクラスをまとめるのは一筋縄ではいきません。たとえば、座って受ける講義の授業では、彼ら彼女らを1日集中して話を聞いてもらわなければならないから大変です。初日の望月先生は「寝かさない」工夫をしてくれたり、先生方も気合を入れて教えてくれたおかげで、ほとんどの高校生さんたちは頑張って聞いてくれていたのが印象的でした。

 

集団形式の授業で教えるとき、生徒さんを寝かさないことは重要です。特に子どもは正直なので、寝ているかどうかは授業の良し悪しを評価する指標になります。最初から寝ている生徒さんは参考外なのですが、最初は聞こうとしているにもかかわらず、途中から眠気を誘われて、ついには寝てしまうということは、その生徒さんにとっては授業がつまらないということです。どれだけ意味のあることを話していたとしても、生徒さんたちには届いていないということです。寝ている生徒さんが複数いるということは、先生にとっては、生徒さんが授業に集中できる工夫が足りないというサインでもあるのです。

 

それでは、講義形式の授業において、どのように工夫するかというと、オーソドックスなところでは以下のとおりです。

 

・話の中に問いかけを増やす

「○○って知っていますか?」、「○○だと思う人、手を挙げてください」など

・質問を投げかけて、誰かに答えてもらう

ABとどちらが正しいと思いますか、○○さん?」、「○○さん、△△についてどう思いますか?」など

・グループワークを取り入れる

「それでは、○○について、それぞれの意見を交わしてみましょう」、「意見がたくさん出たら、それをまとめて皆の前で発表して共有してもらいます」など

・実際にやってもらう

「今お話しした○○について、実際にお隣同士でやってみましょう」、「それでは、皆でやってみますよ」など

・テストを取り入れる

「ここまで話したことが分かっているか、確認のため、簡単なテストをしてみましょう」など

 

それ以外にも、深呼吸をしてもらったり、休憩を入れたり、簡単な体操をして体を動かしたりなど、体を動かすなども工夫のひとつです。授業の中にサプライズを入れたりしてドキッとさせるのもありですが、上記の工夫に比べると、効果は一時的です。

 

 

寝かせない授業のポイントは、やはり受け身にさせず、主体的に取り組んでもらうということに尽きるのです。教える人は、つい自分の伝えたいことを一方的に話して満足してしまいがちですが、相手に本気で伝えたいと思うならば、まずは相手の姿勢をこちらに向けることが重要なのです。そのために様々な工夫をするのが良い授業であり、授業中に寝てしまう生徒さんはその行為自体は褒められたものではありませんが、実は「主体的に学べるような工夫をしてくれていますか?」と私たちに問うているのかもしれません。

2019年

10月

19日

文化とは信頼である

9月からスクーリングが始まった実務者研修の火曜日クラスが修了しました。このクラスはケアカレ卒業生の比率が高く(3分の1ぐらい)、その卒業生さんたちが中心となり、クラスを引っ張る形で授業も進められ、とてもアットホームで積極的に学ぶ良い雰囲気でした。先生方も授業がやりやすかったのではないかと思います。実務者研修でいつも思うのは、卒業生さんのありがたさです。私たちのことをすでに分かってくれていて、最初から同じ目線と近い距離感で授業に臨んでくれるため、その安心感が周りのケアカレ以外の学校から来てくれた生徒さんたちにも伝わっていくのです。

 

打ち上げに顔を出させてもらったとき、「ケアカレはくせになるのだよね。麻薬性がある」と卒業生さんが言うと、「先生方それぞれに熱い想いがあって、それが良かった。私が初任者研修を受けた他の学校では、大学の授業みたいに淡々と先生が話して終わってしまったから」と返していました。それを受けて他の生徒さんは、「毎回楽しみに来ていたので、終わってしまうのが寂しい」とまでおっしゃってくれました。学校にまつわること全てに満足していただいたのだと嬉しく思うと共に、実務者研修から初めてケアカレに来た生徒さんたちの間に入って、良い関係性を築いてくれた卒業生さんたちに感謝です。

 

そういえば、影山さんが施設回りをしていて、3つの施設で続けて「最近、湘南ケアカレッジさんの名前を聞くことが多くなってきたよ。昔は知らない人が多かったけれど、ここ最近は誰からともなく湘南ケアカレッジの話が出てきて、あそこの学校は良いよねという話になっていますよ」と言われたそうです。いち施設だけであれば、お世辞かなと思いますが、3つの施設で連続して向こうからそのような話をしてくださったのですから、実際にそうなのだと思います。

 

湘南ケアカレッジは7年目を迎えるので、今さらかと一瞬思いましたが、ふと実務者研修の卒業生が現場に戻ってそのように言ってくれているのだと気づきました。実務者研修を初めて4年目にして、現場にケアカレが浸透してきたということですね。初任者研修の卒業生さんに感化された実務者研修の卒業生さんたちが、現場に戻って、湘南ケアカレッジのことを口に出して語ってくれているのだと思うと嬉しい限りです。

 

 

打ち上げで卒業生さんたちと話していると、そこはかとない安心感がありました。この心地よさは何なのだろうと考えてみると、それは信頼なのではないかと思いました。お互いに信頼し合っているからこそ、安心感や心地よさが生まれ、それが周りにも伝わっていき、そして文化が生まれる。最後の授業の日、卒業生さんのひとりが中心になって色紙を作ってプレゼントしてくれました。皆で色紙をつくるという文化が初任者研修から実務者研修にも伝わり、最後には全員がケアカレの卒業生として旅立っていったのです。介護福祉士を受ける方はぜひ合格して、またお会いできることを楽しみにしております!

2019年

10月

15日

笑顔が見たい

10月のケアカレナイト「明日からレクリエーションが楽しくなる!」が終わりました。ケアカレナイトとしては、小野寺先生は初登場ということになりました。もともとは卒業生さんが遊びに来たときに、「ケアカレナイトでレクをやってくださいよ。今、レクの担当になると憂鬱で仕方ないのです。うちの利用者さんたちは介護度にバラつきがあって、皆が参加できるレクってないのですよね…」と提案してくれたのがきっかけです。小野寺先生は現在、デイサービスでも働いていますし、またレクの勉強もされていることもあり、満を持しての講座となりました。案の定、「もっと長く受けていたかった(時間が足りないぐらいに感じた)」、「明日から試してみようと思う」など、参加者の方々は皆、レクリエーションに対して前向きになり、笑顔になって帰っていかれました。

 

「レクリエーションはゲームではない」と皆さんのレクに対するイメージを覆すところから、講座はスタートしました。レクというと、どうしても勝ち負けを競えるようなゲームを行うことだと思い込んでしまう方が多いかもしれません。レク=ゲームだと考えると、レクリエーションの幅は狭くなってしまい、利用者さんの介護度によってできること・できないことが大きく分かれるため、公平なくなったり、つまらなくなってしまい、介護者は頭を悩ませることになります。そうではなくて、もっと広い意味でレクリエーションを捉えてみても良いのでは、と小野寺先生は提案するのです。たとえば、全介助の利用者さんであっても、レクの場に来て、見て、一緒にいるだけで楽しんでいるのであれば、それで良いのです。

今回の講座では、5人ずつ5つのグループになってもらい、5つのレクリエーションを体験してもらいました。1人が1回ずつ、リーダー(自分がレクを提供する側)の役割を担ってもらうためです。ということは、4回は自分が利用者としてレクに参加する体験もできるということです。そのとき自分は何を感じて、リーダーまたは利用者役である相手に対してどう考えたのかをフィードバックしてもらいます。そうすると、今までは見えていなかったレクを運営するポイントが見えてくるのです。

 

その他、レクリエーションのネタとしても、利用者さんの昔のことを聞き出すカルタやポチ袋にお金を入れて渡して、そのお金で何を買いますかと話をふくらませるレクなど、ただ楽しいだけではなく、その方の人間性や歴史が見えてくるような奥深さがあると思いました。

 

 

最後の小野寺先生の話は忘れられません。小野寺先生がかつて働いていた施設で利用者さんが亡くなったとき、その方の遺影として、レクリエーションで小野寺先生と一緒に笑っている写真を使ってもらったそうです。小野寺先生はそれがとても嬉しかったし、普段はほとんど見せない表情をレクリエーションでは見せることがあることを知りました。レクリエーションは、その方の人生の最後の時間で笑顔をつくる機会でもあるということです。その話を聞いて、今回のケアカレナイトに参加してくださった方々は、利用者さんの笑顔が見たいと心から思ってくれたのではないでしょうか。

2019年

10月

10日

今だけでなく、未来を考えて【座間苑】

昭和から平成、そして令和と3つの元号を生きてきた、社会福祉法人慈恵会の特別養護老人ホーム座間苑。この地で獣医をしていた創設者の澤田恭一氏が、「お世話になった地元に、恩返しをしたい」という想いで、まだ高齢者施設の少なかった時代に、座間市で初めて特別養護老人ホームを開所したのが38年前のことでした。施設向かいの田んぼには、稲が土にしっかりと根を張り、夏の日差しを目いっぱい浴びて、その葉を揺らしています。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2019年

10月

06日

毎日がブランニューデイ

先月、卒業生さんが熱中症で亡くなったとの訃報を受けました。たまたま9月5日から始まる実務者研修を申し込んでくれていたところで、彼の所属している法人から連絡をいただいて知りました。私の知る限りにおいて、湘南ケアカレッジが2013年に開校してから数名の卒業生さんの訃報を受けており、しかも彼ら彼女らは決して高齢ということではありません。癌であったり、脳出血であったりと様々ですが、人の命は有限であり、死はいつ誰の身に訪れても不思議ではないという思いを強くします。

 

彼がケアカレに来てくれたのは、今から4年前の春でした。勤めている会社でイベントの運営などをしながらも、障害者のグループホームを立ち上げるとのことで、介護職員初任者研修を受けに来てくれました。どこからどう見てもガテン系でしたが、話してみるととても優しくて、シャイなところはありますが、誰からも頼られる誠実な人柄だったと思います。

 

実は、ケアカレの事務所を移転するときの引っ越しを手伝ってもらったこともあり、たまにこちらから仕事のお願いの電話をしたり、彼から「村山さん、村山さん」と電話を掛けてもらうこともありました。途中、脳こうそくで入院して大変なこともありましたが、ようやく実務者研修まで受けに来るところまで回復しただけに、このような結果になってしまったことを残念です。ご冥福をお祈りいたします。

 

私の好きな故忌野清志郎さんというシンガーがいます。彼も比較的若くして亡くなったのですが、癌からステージに復帰した頃、たまたまライブに行ったことがありました。それまでは忌野清志郎さんの名前や曲は知っていたのですが、ファンではありませんでした。チケットが手に入ったということで友人に誘われ、小さなライブハウスで忌野清志郎さんの圧倒的なパフォーマンスを体験したことで、まさに言葉どおり魅せられてしまったのです。

 

そのライブにて歌われた曲の中で、最も忌野清志郎さんが心を込めて歌い、最も私の心に響いたのが「毎日がブランニューデイ」という曲でした。あのライブの数か月後に、癌が再発して亡くなったことを考えると、忌野清志郎さんがどのような気持ちでこの歌を歌っていたのか、少しだけ想像がつくような気がします。

 

 

介護職員初任者研修や実務者研修の卒業生さんたちとは、一期一会だという感覚を持っていますが、今回のようなことがあると、よりその想いを強くします。縁あって湘南ケアカレッジに来てくれた生徒さんと、せめて学校にいるときぐらいは毎日、新しい気持ちで、人間同士として、良い時間を少しでも長く過ごしたいですね。最近、生徒さんと個人的につながることが少なくなってきているなと反省の意を込めて、そう思います。

2019年

9月

30日

66日間

介護福祉士筆記試験対策講座の最初に、勉強の仕方についてお話しします。大人になってまで、勉強の仕方を説かれるのかとげんなりされるかもしれませんが、ひとりでも多くの生徒さんに合格していただくために必要なことです。私は学生時代から数えると10年近く、子どもに勉強を教えてきました。その中で、勉強ができる・できないを隔てているのは、実は頭の良し悪しよりも、勉強の仕方が分かっているかどうかということに気づかされました。だからこそ、勉強する前に、まずは勉強の仕方を伝える方が、子どもたちを成功に導くためには効率的だったのです。

 

今回は、勉強の仕方の中で少しお話しする習慣化について書きます。私がこれまで生きてきた中で、唯一の成功法則だと思うのは、習慣化することです。勉強でもスポーツでも仕事でも恋愛でも、何かを成し遂げたいと願うならば、そのためにするべきことを継続して行うべきという意味です。思いつきや3日坊主ではなく、数か月から1年、2年…10年、雨の日も体調が悪い日も落ち込んでいる日も、ひたすら毎日同じようなことを繰り返す。そこにはやる気や努力や苦労なんて言葉はなくて、ただひたすらにやり続けるだけ。ふと気がつくと、いつの間にか上手になって願いが叶っていた。習慣化することは、そんな魔法のような成功法則だと思うのです。

 

習慣化することのメリットは大きく2つあります。

 

ひとつは、自分の意志の力や周りの環境などに左右されにくいことです。誰が何と言おうと、毎日、決まった時間をそのことに当てるわけですから、するかしないかという選択はないのです。朝起きて顔を洗ったり、3食食べたり、お風呂に入ったり、歯磨きをしたりするのと同じ。むしろ、しないと気持ちが悪いので、さぼりたいと思ってもしない方の気持ち悪さや罪悪感の方が優るのです。習慣化すると、やる気をエイッと奮い立たせる必要がなく、ごく自然に取り組めるのです。

 

もうひとつは、毎日行うことで、気がつくとかなりの大きさになっていることです。しかも毎日行うことで、単なる足し算ではなく、雪ダルマのように膨れ上がってゆくイメージ。

たとえば、1日1時間を何かに当てるとすれば、1ヶ月で30時間。これぐらいであれば大したことないのですが、1年で360時間、5年で1800時間と積み上がっていきます。この辺りまでくると、始めた当初から比べてみると雲泥の差があり、大きく成長を遂げているはずです。

 

習慣化する重要さは分かっていただけたとして、実は習慣化する前に考えておかなければならないのは、何を習慣化するか?です。ここを間違って、あまり意味のないことを習慣化してしまうと、効果もそれなりにしか出ません。日々、何を習慣化するか?がその人の人生をつくるのですから、ゆっくりと時間を取って考えてみてください。時間の目安としては、短すぎても長すぎても良くないので、1日30分から1時間ぐらいでできることがベストでしょう。「毎日○○について1時間勉強する」とか「毎日○○まで30分間走る」など。

 

 

ちなみに、何かを始めて、それが習慣化するには66日間かかると言われています。一度何かを始めたら、何が何でも66日間は続けてみてください。自転車を漕いで走るときのように、最初のうちはグッと力を入れなければなかなか前に進まず、スピードにも乗れないとしても、次第にあまり無理をしなくても進むようになり、気がつくと自然とペダルが回っていたような感じを味わえたらいいですね。

2019年

9月

26日

幸せを、ここからつくる【都筑の里】

理念は、その組織の考え方や在り方を示しています。理念を見れば、その組織が大切にしているものが見えるのです。

 

たとえば、料理サイトで有名なクックパッド株式会社は、「毎日の料理をたのしみにすること」、伊右衛門緑茶や南アルプスの天然水などを生産するサントリーホールディングス株式会社は、「人と自然と響き合う」を理念にしています。このように、理念にはその組織が社会にどのように貢献したいのかが現れます。

 

 

ここに「幸せの創造」を理念としている社会福祉法人があります。創造とは新しくつくること。幸せを、ここから新しくつくりだしていくのです。

 

続きは→【介護仕事百景】へ

2019年

9月

23日

変わること、変わらないこと

ここ数年、足しげく通っているネパール料理店があります。ネパールの家庭料理であるダルバートにはまってしまい、ふと気がつくとランチタイムは足が向いてしまいます。ネパール人の卒業生に聞いてみたところ、「あのお店のネパール料理は美味しいです」と言っていたので、本物のネパール料理の味であることに間違いありません。ところが、つい最近行ったときに、いつもと味が違うことに気がつきました。今までにはなかった野菜が入っていたり、ジャガイモがやや硬かったり、豆のスープがぬるかったり、食後のチャイも味が薄くなった気がしました。何かが変わった、と私はそのとき感じました。この感覚は、このネパール料理店だけではなく、他のお気に入りの飲食店でも幾度となく抱いたことがあります。

 

私の勝手な想像の中では、少し見た目や味に変化を加えようとして、野菜を刻んだものを入れたのだと思います。良かれと思ってやったことです。しかし、せっかくのシンプルなカレールーの食感が損なわれてしまうばかりか、味も込み入って余計な感じがします。私がずっと食べてきたダルバートに慣れてしまっているから変化が受け入れられない面もあるのかもしれませんが、本来の味を良く知っているからこそ、それが改善ではなく改悪になっていることが分かるのだと思います。

 

ジャガイモがやや硬かったり、豆のスープがぬるかったりするのは、オペレーション面でどこか手を抜いているからではないでしょうか。効率化という建前で、楽をしようとしてしまったことでクオリティが落ちてしまうことがあります。余計な仕事を増やす必要は全くありませんが、これまでやってきて実はとても重要な仕事については、手を抜いてはいけないのです。つまり、大切な仕事には時間を惜しんではいけないということです。それはどのような仕事であっても、たとえば介護の仕事においても当てはまることだと思います。このようなことが起こらないためにも、私たちは常に、今やっているこの仕事がどのような意味を持つのか?と自問しなければいけませんね。

 

 

私たち人間は、変わりたくない生き物であると同時に、変わりたがる生き物でもあります。変化を受け入れることは苦手なくせに、自分自身は変わらなければならないと思っている節があるということです。今のままでは生き残っていけないと本能的に変わろうとすることもあれば、楽な方向に流れようとして変わってしまうことも多々あります。結論を言うと、私たちは少しずつ成長することで変わっていかなければいけませんが、絶対に変えてはいけないこともあるのです。何を変えるべきで、何を変えてはいけないのか、その見極めは難しい。だからこそ、変えること、変わらないこと、どちらも大事であると意識しながら、生きていきたいと思います。

2019年

9月

18日

ありがとう【芙蓉園】

スポンジブラシを歯茎でぐっと抑えて離さないご利用者さんのいたずらに、介護職員の山縣(やまがた)さんの顔には思わず笑みがこぼれます。チャーミングな彼女は口の中がさっぱりすると、しわが深く刻まれた掌をすり合わせ、「ありがとうね」と深く感謝を述べ、それを見て山縣さんはまた目尻を下げて笑います。

 

 

若さに宿るものではない、その人の在り方から現れる可愛らしさに触れる癒しや、その深すぎる感謝の言葉から与えられる力は計り知れません。

 

詳しくは→【介護仕事百景】へ

2019年

9月

15日

自分にできることは?

今回の台風による影響や被害は甚大ですね。私はたまたまその週末、北海道に出張に行っておりましたので、台風の影響で飛行機が飛ばず、こちらに戻ってくることができなくなりました。北海道は晴天で台風のたの字もなく、まさか自分がそのような目に遭うとは思いも寄らず、遠くから先生と生徒さんたちの安全を祈るしかありませんでした。幸いにもケアカレの授業は無事に終わり、来てくださった生徒さんたちも笑顔で帰っていかれたと報告を受けて、私も胸をなで下ろした次第です。

 

ケアカレは何ごともなく授業を再開できましたが、神奈川県でも横須賀などの地域、そして千葉県においては停電や水が出ないなどの状況が長く続きました。ここ数日はかなり暑かったこともあり、高齢者が熱中症で亡くなったりするなど、つらい思いをされている方々がたくさんいるはずです。

 

望月先生が今回、ボランティアとして現地を訪れたときの話を、生徒さんたちにしてくれました。望月先生が介護福祉士として参加したように、芸能人や競輪選手、様々な人たちがボランティアに来ていたそうです。芸能人の方はもちろん、その存在で周りの人々を活気づけることができますし、競輪選手は足こぎ式の給油機で作業を手伝ったりと、それぞれの得意分野を生かして支援をしていたとのこと。

 

そんな中、「介護職員初任者研修を持っているのですが、何かお手伝いできませんか?」と声掛けをしながら、地元の学生さんたちがボランティアをしていた姿を見て、望月先生はいいなと思ったそうです。自分にできることを通して、困っている人を助けることができる。ただ闇雲にボランティアに行っても、かえって迷惑になることも良くある話ですが、何かできることがあれば、誰もが地域や社会に貢献することができるのです。介護職員初任者研修が自分に提供できる何かになっていることを誇りに思います。

 

 

こんな話をすると、自分には何ができるのだろうと思い悩んだり、自分は何もしてあげられないと無力感にさいなまれる人もいるかもしれません。かくいう私もその一人です。私にできることで、このような状況で直接人の役に立てることは何があるのか?と考えても答えは出て来ないのです。そんなことを言っても仕方がないので、そんな人はまずは相手の状況を知り、相手が何を求めているのかを知るところから始めれば良いのではないでしょうか。こちらが何ができるかよりも前に、相手が何を必要としているのかを知り、それに合わせて自分を差し出すことができれば良いのです。

2019年

9月

10日

ケアカレで働きたい

夏休みの間に行われる、介護職員初任者研修の短期集中クラスが終わりました。今回のクラスは高校生がたくさん参加してくれており、その中で「湘南ケアカレッジで働きたい」と言ってくれた生徒さんがいました。これから高校を卒業して社会に出るにあたってどのようなところで働きたいのかという視点も持ちつつ、介護職員初任者研修を受講してくれたからだと思いますし、おそらく気軽な気持ちで発したのだと思いますが、それでも嬉しい言葉であることには変わりありません。これまでも何人かの生徒さんが「ケアカレで働きたい」と言ってくれたことがあり、それは私たちにとって最高の褒め言葉だと思うのです。

なぜ最高の褒め言葉かというと、働きたいとは、ケアカレが心地良いということを意味するからです。もし先生方が苦しく辛そうに働いているように映ったり、クラスメイトが嫌な人たちばかりであると感じたなら、彼女はここで働きたいとは思わなかったはずです。自分のことをしっかりと見てくれる素晴らしい先生方がいて、周りには今までには出会わなかった世代を超えて心が通い合うクラスメイトがいる。先生方が輝いていて、クラスメイトさんたちが楽しいからこそ、ずっとこの場に一緒にいたいと言ってくれたのではないでしょうか。

 

かくいう私も、介護の学校を自分の仕事にしようと思ったのはそういう理由です。学生時代のアルバイトを含め、社会人になってからもいくつかの職種を経験してきましたが、介護の学校ほど周りに素敵な人たちがいる環境はなかったからです。誤解を恐れずに言うと、仕事や職種によって、周りにいる人たちは全く違ってきます。介護という世界にずっとたずさわり、その素晴らしさを伝えたいと願っている先生方は人間性が優れていて尊敬できますし、また介護の世界に興味を持って学びに来てくれる生徒さんたちも良い人たちばかりです。もちろん人間ですから、完璧ではないのですが、本質的には気持ちが優しくて、一緒にいて心地よい人たちばかりなのです。

 

 

一生の仕事を決めるにあたって、どのような人たちと働きたいかは重要な視点だと思います。どれだけ稼げる仕事であっても、逆に楽な仕事であっても、やりがいのある仕事であっても、自分の時間が持てる仕事であっても、周りにいる人たちが自分にとって心地よくなければ長くは続けられないからです。周りにいる人たちとは、一緒に働く人たちとお客さんの両方を指します。どちらかが心地良ければ良いのではなく、どちらも心地良くなければならないのです。これから新しく社会に出て仕事をする人たちはもちろん、自分にはどの仕事が合っているのか悩んでいる人たちも、自分はどのような人たちと働きたいのかという視点で考え、ぜひ一緒にいて心地よく、尊敬できる人たちに囲まれて働ける仕事を選んでみてください。

大好きなキティちゃんの色紙をいただき、望月先生が感激していました。よーく見ると、キティちゃんがケアカレポロシャツを着ています。細部の描写が素晴らしいですね。

2019年

9月

05日

「明日から介護レクリエーションが楽しくなる!」

「レクリエーションのネタの引き出しが少ない」

「お手本がなくて、どう進行したらいいのか分からない」

「ご利用者さんのできる動きに違いがありすぎる」等々

 

本来楽しいはずのレクリエーションが、悩みの種になっている人は少なくないはずです。

 

10月のケアカレナイトでは、1対1でできるレクリエーションから、1対複数で行うグループレクリエーションまで、さまざまな種類のレクリエーションに参加し、また進行役を務めることでレクリエーションの進め方を体感し、実践的に学ぶオリジナルコンテンツであなたのレクの悩みを解決します。

 

「これだったら、明日から私にもできる!」

 

 

自信を持って職場でのレクリエーションに臨むことができれば、あなたにとっても、利用者さんにとっても、昨日よりも楽しいレクリエーションの時間が過ごせるでしょう。

 

★ケアカレナイトの詳細やお申し込みはこちら

2019年

8月

31日

理念とは

先日、影山さんがある施設へと取材に伺った際、その施設の「理念」について熱く語ってもらったそうです。それをきっかけに「理念」というものに興味を持ち、調べていると、面白法人カヤックの「いい経営理念の定義と、他社の経営理念」という記事を見つけたとのことで共有してくれました。いい経営理念の定義とは、①成長性を示唆していること、②理念から戦略&戦術のヒントがあること、③社会に貢献するものであること、という3つが挙げられています。個人的には、それらに加えて、その会社や団体に関わる誰もが覚えられるほど、分かりやすくてシンプルであることが大切だと思います。

会社の理念は、まだ始まる前(創業前)に決められることが多いため、実際に運営・営業をしていく中で、ほとんど実態に即さなくなった理念も多いはずですし、また形骸化してしまった理念も星の数ほどあるはずです。ですから、前述の施設のように、今も理念を大切にして運営がなされていること自体がまず素晴らしいですね。

 

ちなみに、その施設の理念は「幸せの創造」だそうです。創造するというクリエイティブさには成長性が示唆されていますし、介護を通して利用者や職員を幸せにすることが何よりも優先という経営戦略のヒントにもなり、もちろん社会貢献性もある。さらにシンプルで分かりやすいという、いい理念のお手本です。あとはその理念に沿って経営・運営をしつつ、かかわる全ての人たちに浸透していくことが大切です。

 

湘南ケアカレッジの理念は、ご存じのとおり、「世界観が変わる福祉教育を」です。これは2013年に湘南ケアカレッジが開校するかなり前から決まっていました。むしろ最初に理念があって、そこから学校ができて、先生方と生徒さんたちが集まってくださったという感じです。なぜこの理念かというと、研修を受けてくれた生徒さんたちの世界の見え方が変わるほどの素晴らしい教育を提供したい、そのような学校をつくりたいと思っていたからです。

 

私が以前に働いていた大手の介護スクールは、教室が増えて、規模が大きくなればなるほど、研修の中身や学校の運営には力を入れなくなりました。最初の頃は立ち上げメンバーであった先生方の情熱だけで成立する良い教室はありましたが、大きくなるとその熱意は薄まり、ただのお金儲けのための学校になってしまいました。そもそも医療事務からスタートした学校なので、創業者はもちろん経営上層部、幹部は、介護・福祉教育にはほとんど興味がないのですから当然です。そのあたりを見てきて、そうならないようにという意味も込めて、「世界観が変わる福祉教育を」という理念を掲げたのです。

 

いい「理念」の基準に当てはめてみると、①成長性を示唆していることは×ですね。理念のスケールは大きいのですが、そこには会社(学校)としての成長性は含まれていません。成長するイコール大きくなることだとは思いませんが、このあたりが課題なのかもしれません。

 

②理念から戦略&戦術のヒントがあることは○です。ケアカレは良質な研修を提供し、ひとり一人に人間として関わることを通じて、その生徒さんが感動し、ステップアップ研修に来てくれたり、「ケアカレの先生は皆素晴らしいよ。ケアカレに行った方がいいよ」と言ってくれることが最高の広告になっています。熱さと温かさが戦略であり戦術なのです。

 

③社会に貢献するものはもちろん○です。私たちはただ介護の研修を行っているのではなく、介護や医療について教えることを通して、その生徒さんたちの世界観を変え、人生を変え、その周りにいる人たちに良い影響を与え、そして地域や社会も変えていくのです。

 

 

最後に、理念には判断(行動)基準になるという重要な意義があります。私たちがやっていること、やろうとしていることは、理念から外れていないのかと常に自問するのです。それは「世界観が変わる福祉教育を」提供することにつながっているのか?という観点で考えることで、正しい判断や行動ができるはずです。素晴らしい先生方がいてくれることに対する感謝が生まれるのも、「世界観が変わる福祉教育を」提供することを中心としているからです。そう考えると、まだ何もないときに決めたひとつの理念が、あらゆるものや人に影響を与えて、湘南ケアカレッジを作り上げていくのですから不思議ですね。これからも湘南ケアカレッジは理念を大切に守りながら、「世界観が変わる福祉教育を」を提供し続けていきます。

2019年

8月

26日

「孤独は消せる」、「サイボーグ時代」

昨年、分身ロボットカフェに行って、ロボットに接客をしてもらうという不思議な体験をして以来、吉藤オリィさんの目指している未来が少しだけ理解できた気がしました。吉藤さんは幼少時に3年半ほど不登校・引きこもりとなり、「できなくなる」ことへの絶望の経験を生かし、テクノロジーを用いて「できる」を増やすことで、人々の孤独を解消しようと研究・実践しています。障害や難病のある方々の孤独を解消するのはもちろん、少子高齢化や人材不足の問題を解決するのも、最終的にはテクノロジーだと個人的には考えていますので、吉藤オリィさんのやっていることの発想こそが、これからの日本社会を救うのではないかとさえ思えるのです。

 

できることが少なくなり、だれからも必要とされていない、居場所がないと感じ、自分の存在意義が見つけられなくなってしまう状態。私は実体験したそれを「孤独」状態とよんでおり、これが続くと生きる気力すら失われていく。これは障害者や引きこもりだけの問題ではない。(中略)そうした不安や無気力の原因も、突き詰めて考えていくと社会から「おまえは必要ない」といわれること、大切な家族にとっての「お荷物」になり果ててしまうことへの恐怖がある。しかし、新たにできることを見つけ、それによって喜んでくれる人がいて、「自分だからこそできることがある」と自覚できるようになると、人は自分の存在意義を見出せるようになり、前向きに未来を想うことができるようになる。だから私は不可能を可能に変えるためのテクノロジー、ツールをつくり続けているのだ。(「サイボーグ時代」より)

 

実は私も社会に出て、就職した会社を1年で辞めてから、およそ2年に及ぶ半引きこもりの時期を過ごしたことがあります。最初の1年は週に3日ほどアルバイトをしていましたが、次の1年は仕事という仕事はせずに、親の庇護の元で生活を続けていました。やりたいことがあったので、毎日が暇で仕方がなかったわけではありませんが、社会からの隔絶という感覚は常に抱いていました。

 

社会から必要とされておらず、家族にとってはお荷物であり、どこにも居場所がないという気持ちです。本当はそんなことないのですが、当事者にはそう思えるものです。何とか自分の存在意義を見つけたいと必死で抗ってみても、今の時代とは違って、社会に自分の存在意義と居場所を見つけるのは案外難しかったのです。健康な身体を有していた私でさえそうなのですから、難病や障害を抱えて思うように動けない人たちにとっての孤独状態とは、想像を絶するものがあります。

 

 

ロボットというテクノロジーを使って孤独を少しでも解消できるのは良いことであり、さらに素晴らしいのは、自分の身体を拡張させたロボットを使うことで社会との接点ができるということです。そして社会参加だけではなく、誰かから「ありがとう」と言ってもらえて、稼げること。実はこの後ろの2つが極めて重要です。おそらく私が引きこもりだったときに苦しかったのは、「ありがとう」と言ってもらえる機会が少なく、経済的にも認められることがなかったからだと思います。同世代の友人たちから取り残されて、自分は税金すら払えていないというあの頃の強烈な劣等感は今でも覚えています。

 

そういう意味において、分身ロボットカフェのように、誰かに「ありがとう」と言ってもらえて、しかもお金を稼ぐことができる社会参加の仕組みこそがとても大切なのです。そうすることによって、もし自分の身体が全く動かせなくなってしまったときにも、本当の意味での社会参加が可能で、孤独状態を克服できるのではないかと思います。実は遅かれ早かれ、孤独状態は誰の身にも訪れるものなのですから。

2019年

8月

22日

知的障害者ガイドヘルパー養成研修(2019年度秋)の募集を開始します!

「こんなに良い仕事に出会ったことがない」

 

知的障害者のガイドヘルパーの仕事をしている方から、良く聞く言葉です。それは一緒に映画を観に行ったり、カラオケで盛り上がったり、ゲームセンターで楽しんだりする支援があるからだけではありません。彼ら彼女たちと同じ時を過ごし、共に笑うと、それまで縮こまっていた気持ちが解けて、心が自由になれるからだそう。

 

彼ら彼女たちの周りにはたくさんの障害があり、生きづらさを抱えているはずですが、実際に支援に入った私たちの方が癒されてしまうから不思議。ガイドヘルプの仕事を通し、私たちがいかに世間の評価や周りの目を気にしすぎて、喜怒哀楽などの感情を必要以上に抑えてしまい、自分で自分の人生をつまらなくしているかに気づくはずです。

 

心のままに生きていい。

 

言葉では語りませんが、彼ら彼女たちはそう教えてくれるのです。

 

・障害のある方々へのガイドヘルプを実際に体験してみたい

・自閉症やダウン症など、疾病やその症状について詳しく知りたい

・障害のある方々とのかかわり方で悩んでいる、困っている

 

という方は、ぜひご受講ください。

受講資格:介護職員初任者研修課程修了者(修了予定者を含む)、ホームヘルパー2級課程修了者、介護福祉士並びに東京都居宅介護職員初任者研修課程及び東京都障害者居宅介護従業者基礎研修課程修了者、東京都障害者(児)居宅介護従業者養成研修1級課程、2級課程及び3級課程の修了者、介護保険法上の訪問介護員、実務者研修修了者、介護職員基礎研修課程修了者。

 

研修日程

第1回 第2回
 9月28日(土)
*実習は9291027のうち1日間
 12月1日(日)
*実習は1221229のうち1日間

*知的障害者ガイドヘルパー養成研修は、実習を含めて全2日間で修了する研修になります。

*上記の講義日程の中から、お好きな1日を選び、ご受講ください。もう1日は実習になります。

*実習の日時は相談の上、ご都合の良い日に決定させていただきます。

 

研修の流れ

(講義
1日目

9301410

*昼休憩40分含む
4 知的障害者の疾病・障害の理解
14201520 1 ガイドヘルパーの制度と業務
15301730 2 移動支援の基礎知識

(実習)
2日目

9301630

途中休憩、お昼休憩含む
6

移動の支援に関わる技術
(利用者さんとガイドヘルパーさんに同行し、
実際の外出支援を体験していただきます)

講師

森公男(白峰福祉会 理事長) 

藤田省一(山田病院 教育専従師長、湘南ケアカレッジ)

 

研修会場

THE会議室町田」 町田市森野1-30-8 ノアビル7F (町田駅から徒歩7~8分)

*お申し込みの方には、町田駅からの詳しい行き方の地図を郵送させていただきます。

 

修了証明書

研修終了後には、「知的障害者ガイドヘルパー養成研修」修了の資格が手に入ります。この資格を持っていないと知的障害者のガイドへルパーとして仕事に従事できないということではありませんが、もちろん公的な資格ですので、履歴書には「知的障害者ガイドヘルパー養成研修修了」と書いていただくことができます。

お申込みの流れ

①下の申し込みフォームにご記入の上、送信してください。

もしくは、お電話(042-710-8656)にて直接お申込みください。

※いずれの場合も、希望のクラスが定員になりますと受付できませんのでご了承ください。

②受講確認書をお受け取りください。

ご自宅に「受講確認書」と「受講料お振込みのご案内」が届きます。

③受講料をお振込みください。

「受講確認書」が到着後、1週間以内に受講料をお振込みください。お振込みは、銀行ATM やネットバンキングからでも可能です。

※手数料は各自でご負担ください。また、お振込みは案内をよくご確認の上、お願いいたします。

④研修当日

申し込みクラスの日時をご確認の上、研修会場までお越しください。*当日、本人様確認を行いますので、身分証明書(健康保険証または運転免許証等)をご持参ください。

2019年

8月

19日

体験すること、褒め・認め合えること

8月のケアカレナイト「アール・ブリュットの世界を体験しよう」が行われました。今回はいままでのケアカレナイトとは少し趣向が変わり、アート(芸術)をテーマとしての講演となりました。だからだと思いますが、若い人たちもたくさん参加してくれて、いつもとはまた違った幅広い年齢層でした。ゲストスピーカーの朝比奈先生は、アール・ブリュットについて分かりやすく教えていただき、アーティストの作品や制作秘話までを語ってくださいました。講演の後半は、実際にインクと画材を使って、スタンピングによる作品を制作し、それぞれの作品を鑑賞して評価してもらえるという楽しい雰囲気になりました。ケアカレナイトは毎月が神回だと感じるのですが、今回もまさに神回であり、参加者の皆さまは大満足して帰って行かれたと思います。

アール・ブリュットは、日本では障害者のアートと限定されてしまいがちですが、海外では既存のアートの枠組みや既成概念を突き抜けるようなアートとして、評価は定まりつつあります。私はアートに詳しいわけではありませんので、現代アートとアール・ブリュットの区別もなく作品を鑑賞していますし、そこに明確な境界線を感じることはありません。たとえば、ZOZOTOWNの前澤社長が123億円で購入したパスキアの素晴らしい作品は、私にとってはアール・ブリュットなのではないかと思えるのです。日本のアーティストでいうと、草間彌生さんなんかもそうですよね。誰の作品なのかが重要なのは分かっているつもりですが、誰が作っているかよりもその作品に込められたパワーのようなものに心を動かされてしまうのです。

 

 

今回の講演で個人的に面白いと思ったのは、朝比奈先生が制作にたずさわっているクラフト工房LaManohttp://www.la-mano.jp/)での制作秘話です。コーヒーミルを挽くことが大好きな利用者さんの特性や身体的な感覚を生かして、ぐるぐると円を大きく描く作品が生まれたり、大好きなスタッフさんがなぜか下半身だけ沈んだイラストを描くのは理由があったり、動物をどの角度から見ても正面や真横から描く空間感覚を持つ尾崎さんに後ろ向きの猫の写真を見せたら正面からの絵を描いてくれて驚いたエピソードなど、その作家のことを知るとより作品が立体的に見えてくるようになりました。

何と言っても、今回の講演の肝は、参加者が自分でも表現することができたことです。実際に自分の手を動かして、白紙の状態から何かを創造してみると、その難しさだけではなく、つくることの喜びを感じることができたはずです。無心になって、ひたすらにキャンバスに集中する時間など、私たちの普段の生活からとっくの昔に失われてしまっているからです。

 

 

そして出来上がった作品を他の方のそれと見比べてみるとびっくり。同じような画材を使っているにもかかわらず、全く違うものが現れています。お互いに鑑賞して、褒め合ったり、講師から評価してもらうことで認めてもらったり。恥ずかしいながらも、自分のつくった作品をたくさんの人に観てもらい、褒め、認めてもらえると嬉しいですよね。自分で体験することができる、褒め・認め合える。このような講演や研修を成功に導く、2つの大切な要素だなと改めて学ばせてもらいました。朝比奈先生、参加者の皆さま、スポンサーの皆さま、遅い時間まで楽しんでくださって、ありがとうございました!

2019年

8月

14日

かしこまらずに、ゆるやかに【富士見園】

「おはよう」

 

白髪の混じるご利用者さんが、エレベータから出てきた牧内さんに向けて、声の出どころを伝えようと手を振り、呼び止めます。ポロシャツ姿の牧内さんは足を止め、

 

「おはよう、元気そうだね」

 

と手を振り返します。特別養護老人ホーム富士見園の日常の一コマです。

 

丘の上に見えるのは、左が特別養護老人ホーム富士見園、右が介護老人保健施設ナーシングピア横浜。特別養護老人ホームの建物の中には、ケアハウスグリーンヴィラ富士見も併設されています。このように3つの異なる介護サービスを同じ敷地内に構えているのは、横浜市でも他に類がないそうです。建設計画を練る中で、「ご利用者さんの生活の場所を重点に考えると、この形がベストだった」と理事長は話していたそう。

 

続きは→【介護仕事百景】へ

 

 

2019年

8月

11日

対人理解に尽きる

実務者研修の最終日には医療的ケアの授業があり、授業終了後には毎回、振り返りミーティングと称して先生方との打ち上げをします。もう38期生を迎えたというのに、今日の授業で良かったこと改善すべき点などを(お酒を飲みながら)話し合います。今回は、実務者研修というのは、生徒さんたちにとっての学びなおし(捉えなおし)の機会になるべきだという話題になりました。もう一度、介護や福祉について学びなおすためには、生徒さんにはそれぞれがどうなりたいのかを意識して真剣に取り組んでもらいたいですし、私たちは生徒さんたち一人ひとりと向き合って、その捉え方が大きく変わるように教えさせてもらわなければいけません。介護の先生方と医療の先生方が力を合わせて、同じテーマに向かって、より良い実務者研修をつくっていきたいと思います。

 

話は対人理解にも及びました。看護師の先生たちが、医療的ケアの授業を通して感じたことは、コミュニケーション能力こそが介護や医療といった対人援助職においては重要であり、つまりそれは対人理解なのだということです。コミュニケーションとは決して上手く楽しくお話しをすることではありません。相手が何を伝えたいのかを理解し、行動することであり、こちらの伝えたいことを伝え、行動してもらうことです。そして、相手が伝えたいことを理解するためには、相手のことを知ることが必要不可欠になってきます。

 

言葉で言うのは簡単ですが、ほんとうに私たちは相手のことを理解できているのでしょうか?ほんとうにあなたは相手や対象のことを理解できているか、と問われて、即座にYESと答えられる人は少ないはずです。どれだけ近しい人であっても、長く付き合っている人であっても、ほんとうに相手や対象のことを理解できていますかね。ということは、それほど身近にはいない人、たまにしか会わない人などはもちろん、あまり詳しく知らないことや会ったこともない人、実際に見たこともないことについて、私たちはどれだけ理解しているのでしょうか。そう考えると、対人理解という言葉が独り歩きしているケースが多いのかもしれません。

 

世の中の争いや諍い(いさかい)、憎しみ、怒り、嫌悪などは、ほとんどの場合、相手を良く知らないこと(無理解、誤解)から生まれている気がします。相手のことをほとんど知らないにもかかわらず、勝手に想像して悪く思ってしまうこともあれば、知らないからこそ恐れや妄想が広がって悪く思えてしまうこともあるはずです。私たちの周りで、誰かのことを悪く言っている(思っている)人たちのほとんどは、意外と相手のことを良く知らないでそうしてしまっています。良く見て、良く知ってさえいれば、たとえ自分とは考えやスタイルが違っていたとしても、許容できることが多いはずなのです。

 

我田引水かもしれませんが、湘南ケアカレッジの特徴のひとつとして、先生方がそれぞれの授業を見て、知っているという点があります。湘南ケアカレッジは、40名定員のクラス設定にしているため(最近は24名のクラスが多いのですが)、実技演習の授業は先生が3名態勢になります。ある授業ではメインをしつつ、ある授業ではサポートで入るという形になるため、互いの授業を実際に見て知っていることになります。

 

 

そうなると、それぞれの先生方の授業につながりが生まれるだけではなく、お互いにフィードバックすることができたり、何と言っても、互いに変な誤解をされずに済みます。だからこそ、私が大手の介護スクールにいたころに生徒さんから良く受けた、「先生たちの言っていることが違うから困っている」というクレームは湘南ケアカレッジでは一切ありません。また、それぞれが相手の授業を見て、自分の授業を見られているという形になるため、お互いの良いところも良くないところも知っているのです。だからこそ、余計な想像を膨らませて相手を悪く思うのではなく、自分の強みを生かして相手の弱みをフォローすることができるのです。相手のことを良く見て、良く知ることこそが、対人理解の第一歩なのではないでしょうか。

2019年

8月

07日

きっかけをつくる

4月からスタートした日曜日クラスが修了しました。ケアカレが始まって以来、もしかすると一番人数の少ないクラスだったかもしれません。大人数に慣れている先生方にとって、人数が少なすぎてもかえって教えにくかったり、生徒さんたちにとってもやや寂しい面もあるかなと心配していましたが、全くの杞憂に終わりました。生徒さんたちの声やアンケートを聞くと、クラスメイトの関係も良好で、先生方の情熱とユーモアがしっかりと伝わっていました。介護の現場で働いている生徒さんが多く、それぞれに熱い想いを持っていて、ケアカレに来たことでさらに情熱の火を大きく灯して卒業されていきました。

クラスメイト同士の心がぐっと近づいたきっかけのひとつとして、誕生日のお祝いがあったと思っています。湘南ケアカレッジは、研修のある日と誕生日がたまたま重なった生徒さんには、皆でハッピーバースデイの歌を歌い、誕生日ケーキを渡してお祝いをしています。めったにないことなので、本人も周りのクラスメイトさんたちも喜び、それを見ている私たちも嬉しく思います。今回は人数が少ないながらも、奇跡的にひとりの誕生日祝いができたことで、生徒さんたちは学校に対して心をより開き、それぞれの距離が縮まった気がしました。

 

この誕生日祝いは、私がかつて個別指導の塾で教えていたとき、その生徒さんの誕生日にカードを渡してお祝いしたところ、「ほんとうに嬉しい。いい塾だね!」と心から喜んでもらえたことをきっかけとしています。正直、そこまで喜んでもらえるとは思っていなかっただけに、(自分で祝っておきながら)驚いたのです。ケアカレではクラスメイト全員から祝ってもらえるだけに、その喜びはさらに大きいはずです。そして、本人だけではなく、周りのクラスメイトさんに対しても、良いことがあれば皆で喜びましょうとケアカレは思っているというメッセージを伝えることもできるのです。

 

それ以外にも、食事の授業でキャサリンという登場人物が現れたりします。生徒さんが良く言うのは、「あの授業で教室の雰囲気が一気にほぐれました」ということ。キャサリンは介護において工夫することの大切さを伝えると同時に、ケアカレは楽しく授業を受けて学んでもらいたいと思っているというメッセージも伝えているのです。

 

 

このようなイベントは人の心を大きく動かすきっかけとなります。生徒さんたちに対する私たちの声掛けの一つひとつが、少しずつ人の心を変えていくとすれば、このような大きなイベントは人々の心に強烈な印象を与え、記憶にも残っていきます。どちらかが大切ということではなく、小さいことから大きなことまで、できる限りのきっかけづくりをして、最後にはケアカレに来て良かったと思って卒業してくれる生徒さんが一人でも増えると幸いです。そうすることで、湘南ケアカレッジの未来も広がり、介護の世界を明るく照らすことができるはずです。

2019年

8月

04日

つながりを結ぶ場所

外門から100メートルほど続く庭には、ラベンダーが毎年咲き乱れ、その安らぎの香りが初夏を知らせてくれます。10年以上も前に蒔いた種が、絶えることなく季節を廻ります。そして今日もまた、やってくる客人をその香りでもてなします。

 

 

フォーシーズンズヴィラこもれびは、横浜市青葉区にある特別養護老人ホーム。横浜線中山駅から、施設の送迎バスが運行しているため電車通勤も安心です。最寄りのバス停で降りると、豊かな木々の間を、右からも左からも、鳥のにぎやかなさえずりが響いてきます。広い土地にゆったりと構えた建物は、まるで別荘地にあるホテルのよう。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2019年

8月

01日

「Girl」

トランスジェンダーをテーマにした超真面目な映画ということで、観に行ってきました。介護とは関係ないじゃないかと思われるかもしれませんが、多様性やLGBTの問題は大きく捉えると福祉的な問題でもあります。また、卒業生さんたちの中にもトランスジェンダーの方はたくさんいて、介護の現場で働いていますので、どう考えても他人事ではないのです。そして、この映画を見て初めて、トランスジェンダーの心のあり方や身体性について知らされた気がしました。ただ受け入れるだけでは十分ではなく、もっと相手を知らなければ本当の理解には至らないのだと感じました。

 

主人公のララは16歳。何も知らない人が見れば、他を圧するような美貌を誇る少女なのですが、実はララは男性として生まれてきました。これだと余計に分かりにくいかもしれませんが、つまり身体は男性であり、心は女性なのです。小さい頃からのバレエダンサーになる夢をあきらめられず、血のにじむような練習に耐え、その一方では自身のこころとからだのギャップに悩み続けます。

 

こころは女性であるのに、毎日鏡に映る自分の肉体は男性のそれなのです。劇中にはバレエのつま先立ちのダンスシーンが多く使われており、外から見える美しさや華やかさの裏にある苦悶のシーンとして描かれているのは、ララがトランスジェンダーとして葛藤しながら生きている思春期の比喩なのでしょう。そこから衝撃のラストシーンに至るまでの急展開もまた、思春期の激しさを見事に表現していました。

 

映画の中で、ララが女性用のトイレを使うことに対して、先生がクラスメイトに目をつぶらせて挙手を求めるシーンがありました。「ララが女性用トイレを使うことが本当は嫌だと思っている人はいますか?」と、ララがいる中で、クラスメイトに対して問うたのです。誰も手を挙げる者はいませんでしたし、ずいぶんとデリカシーのない質問だなと思いましたが、先生は立場上、そこまで配慮しなければならないということなのでしょうか。ララを受け入れられるという人もいれば、受け入れられないという人もいて、どちらが正しい正しくないということではなく、それぞれの価値観に委ねられている問題なのです。

 

 

それでも私は受け入れる社会を望みます。感覚的に受け入れる・られないの判断をするのではなく、最初は自らの意思で受け入れようとすることが大切です。そのためには他者のことを知ることです。他者の苦悩のほんの一部でも知ろうとすることで、受け入れようという意思が生まれるはずです。受け入れることで、より他者のことを知ることができ、自分の受け入れの幅もさらに広がります。ひとり一人が受け入れの幅が広がった社会は、もし自分が受け入れてもらいたい立場になったときにも、生きやすいと思いませんか。

2019年

7月

27日

イキイキしているね

「『ケアカレに通い始めてから、イキイキしているね』と言われました!」と6月短期クラスの生徒さんが教えてくれました。彼女が働いている施設には、ケアカレの卒業生さんたちが多くいて、彼女が今、介護職員初任者研修で学んでいることを知っています。だからこそかもしれませんが、彼女が現場に戻ってどのように仕事をしているかを見ていて、実際に彼女は以前と比べてもイキイキと働いているのだと思います。本人は意識していないのかもしれませんが、周りにはそう映っているということです。なぜかというと、介護職員初任者研修にて学んでいることと今の彼女の仕事がつながり、その意味と意義が分かったからかもしれません。

 

たとえ同じ仕事であっても、その意味と意義を(何となくであっても)分かっている場合とそうでない場合には、本人のモチベーションはもちろん、その成果も全く違ったものになります。有名なレンガ職人の話があって、ひとりは「生活を立てるためにレンガを積んでいるだけだ」と言い、ひとりは「できるだけ上手くレンガを積もうとしている」と言い、もうひとりは「大聖堂をつくっているのだ」と答えました。同じ仕事をしているのであれば、後者の方が自分自身が楽しいのはもちろん、周りの人たちにとってもイキイキとして映り、その仕事を通して誰かを幸せにできるのではないでしょうか。

 

このレンガ職人の話はたとえ話ですが、現実には一人目の人、二人目の人、三人目の人がいるわけではありません。同じ人であっても、一人目にも二人目にも三人目にもなりえるのです。そして、一人目から2人目、二人目から3人目と変わっていくためには、教育や教養が必要なのです。モチベーションの問題ではなく、意味や意義を学ぶことによってこそ、一人目の人は2人目に、二人目の人は3人目になりうるということです。教育や教養はいろいろな意味で大切なのですが、何よりも自分自身のモチベーションと周りの人たちの幸せのために役に立つのです。

 

 

湘南ケアカレッジも、先生方や私の生活のために資格を売っているのではなく、素晴らしい介護の研修を提供するだけではなく、それを通して生徒さんたちの世界観が変わり、より良い人生を生きてもらい、周りの人たちを幸せにしてもらいたいと願っています。ケアカレに来てから人生が変わったと言ってもらえたら最高ですし、そのようなイキイキとして映る人たちをひとりでも多く増やしていきたいと思います(現在3000人!)。そのためには、私たちも学び続け、常にこの仕事の意味と意義を確認しなければいけませんね。

2019年

7月

21日

「このあとどうしちゃおう」

先日、妻の母が長年の闘病生活の末に亡くなりました。看取りに入り、実際に終末期を迎えてみると、身内の中でも最後の医療的処置(ex.点滴を続けるかどうか、呼吸器を付けるかどうか等)に対する意見は分かれ、そこに施設のスタッフや担当医らの気持ちも加わり、竹を割ったようにスパッと判断することは難しいものです。たとえ本人は尊厳死を望んでいたとしても、かなり細かく状況を設定してその意思を残しておかないと、最後の最後まで家族は思い悩むことになります。私たちは何らかの形で介護に携わり、妻の姉もお寺に嫁いでいるように、死は決して他人事ではありませんでしたが、やはり自分たちのことを決めるときには悩みに悩むものですね。

 

延命処置を望むかどうか、自然死を希望するかどうか、自分が死んだあとにどうしてほしいか、財産はどうするかなど、残された家族のことを考えて、具体的な希望を残しておくエンディングノートのようなものが、ここ十年間で高齢者を中心に広まってきました。前述したように、エンディングノートが具体的であればあるほど、家族は思い煩わされることなく救われます。これから先、多死の時代を迎えるにあたって、エンディングノートを記したり、死んだ後のことについて家族と話しておくことは、さらに重要になってくると思います。

 

 

しかし、それだけでは十分ではない気が最近してきました。エンディングノートなどを用いて、自分が死んだあとに家族に迷惑をかけない取り組みは進んできましたが、逆に死生観のようなものは語られることが少なくなっている気がします。今は死後の世界を想像することすらバカらしいと考えている人も多いのではないでしょうか。人間は死んだらただの物体になる、遺体を焼けば灰になって何も残らないという科学的な正しさばかりに捉われてしまいがちです。死んでも人の心の中で生き続けることができると信じている私でさえ、死後の世界について想像することはほとんどなくなってしまいました。

ヨシタケシンスケさんの絵本「このあとどうしちゃおう」は、亡くなったおじいちゃんが残したノートに記されていた死後の世界を、孫の男の子が読んで想像するという内容です。「このあとのよてい」では、しんだらまずゆうれいセンターに行き、きがすんだらてんごくへ、てんごくにあきたら、うまれかわりセンターに行き、またべつのものにうまれかわってこのようにもどってくると書かれています。さらに、「てんごくにいくときのかっこう」、「こんなかみさまにいてほしい」、「てんごくってこういうところ」、「こんなおはかをつくってほしい」、「みんなをみまもっていくほうほう」など、じぶんがしんだらどうなりたいか、どうしてほしいかが書きためてあるのです。

ときとして、私たちは死後の世界についてもっと考えて良いのではないかと思います。誰もサンタクロースなど信じなくなった世の中ですが、せめて来世のことぐらいは想像して、勝手に信じてみても良いのではないでしょうか。そのことが現世を生きる救いになる人もいるかもしれませんし、介護者として持っておくべき死生観にもなるでしょうし、またこの絵本の主人公のように、今生きているうちにやりたいことにつながっていくかもしれませんね。

2019年

7月

16日

8/8(木)「アール・ブリュットの世界を体験しよう」

お待たせしました!8月のケアカレナイトは、「アール・ブリュットの世界を体験しよう」です。アール・ブリュットとは、「生(き)の芸術」という意味のフランス語で“芸術を体系的に学んでいない人による、自身の内側から湧きあがる衝動のままに表現した作品群”を表します。英語ではアウトサイダー・アートとも称され、日本においては障害のある方によるアートをアール・ブリュットとして紹介する展覧会が開催されるなど、注目を集めています。

 

アール・ブリュットの本来の考え方など基本的なことから、作品が持つ個性的な魅力までたっぷりとお伝えします。世界で活躍している作家さんが数多く所属するアートの現場(クラフト工房La Mano)にて、日々作品や作家さんにふれているからこそ感じる朝比奈先生の思いを知れば、あなたのアートに対する見方も変わるかもしれません。

 

★詳しくはこちら

2019年

7月

11日

グローバルなクラス

5月からスタートした実務者研修の火曜日クラスが修了しました。やはり毎週通うクラスですと、あっという間に終わってしまいますね。実務者研修はたった7日間なので、どうしても初任者研修(15日間)ほどの一体感が生まれる前に終わってしまう印象があります。しかし今回のクラスは、卒業生さんたちが引っ張ってくれたこともあり、最後は打ち上げを開催するほどの盛り上がりを見せていました。最終日の医療的ケアの授業でも、お互いを褒め・認め合うフィードフォワードが皆できていて、とても良い雰囲気でした。それだけではなく、「演習のポイントはしっかりとできていて、クラス全体として、授業を集中して聞いているのが伝わってきた」と藤田先生もおっしゃっていました。このような素晴らしいクラスと出会うと、学校をやっていて良かったと素直に思えます。

 

最終日のリアクションペーパーに、「グローバルなクラスでした」と書いてくれた生徒さんがいました。今回のクラスには3名の中国人の生徒さんたちがいて、それぞれが別の施設からたまたま集まったのです。介護職員初任者研修も実務者研修も、ひとクラスに1名ぐらいは外国人の方がいるのは当たり前の風景ですが、3名も別々に集まったのは珍しいですね。そのコメントを読んでふと思ったのは、そういえば外国人が多いクラスは不思議とまとまりが生まれるということです。一昨年に最も盛り上がった実務者研修のクラスにも、フィリピンの方が2名いました。

 

なぜだろうと考えてみると、彼ら彼女らがフレンドリーであることも確かですが、それ以上に彼ら彼女らをきっかけとして、お互いの違いを認め合って、助け合う雰囲気が自然と生まれるからではないでしょうか。周りを見て、困っていたらサポートしてあげようという気持ちがクラス全体に広がり、コミュニケーションが生まれ、日本人同士の間にも浸透していくからです。外国人である彼ら彼女らは、潤滑油としての役割を果たしているのです。おそらくこれは介護の現場でも同じですし、これからさらに外国人を受け入れていかなければならない日本の社会の未来にも当てはまることでしょう。本来の人間の社会は、そのようにして成熟していくのではないかと思うのです。

 

 

最終日の休み時間、当然のことながら仲良くなった中国人の3名が、中国語で話をしながら階段を上がってきました。私は2年ほど前から中国語を勉強していますが、彼ら彼女らの日常会話はスピードが速すぎて、何を話しているのか全く分かりませんでした。母国語を流ちょうに話している姿を見て(聞いて)、私は単純にすごいなと尊敬の念を抱きました。一方の視点で見ると、彼ら彼女らは、日本人ほどには日本語を上手に話せない中国人ですが、一方では母国語である中国語はもちろんのこと、第二外国語である日本語もきっちりと話せるバイリンガルなのです。これからの介護の現場も日本の社会も、外国人を受け入れるという発想ではなく、互いの違いを認め合って、助け合う気持ちの先にある、相手をさらに良く知って、尊敬し合うという領域までたどり着けるといいですね。

2019年

7月

07日

「脳科学者の母が認知症になる」(動画あり)

7月のケアカレナイトは、恩蔵絢子さんによる「脳科学者の母が認知症になる―記憶を失うと、その人は“その人”ではなくなるのか?」。先日、第1回目の講演が行われました。著書が発売された当初、家族介護者向けの講演を聞きに行き、その内容の素晴らしさとご本人の人間性に魅了され、ぜひケアカレナイトにも来ていただきたいとお誘いしました。それから数か月が経ち、ようやく実現したことになります。今回はよりパワーアップされていて、(今風に)控えめに言って最高の講演でした。脳科学的な見地からの解説が実に分かりやすく、理路整然と認知症について語ってくれるだけではなく、そこに娘と母という人間的な視点が加わり、私たちの胸を打つのです。

 

脳をテーマに17年間研究を重ねてきた脳科学者の恩蔵さんにとって、実の母親が脳の病気を患ってしまうとは何という皮肉でしょうか。しかも治療法が確立しておらず、進行性の病です。自分が治してあげることもできず、認知症になることを防ぐこともできなかったと恩蔵さんはおっしゃいます。自分の母親が違う人格(人間)になってしまうのではないか、徘徊などの問題行動を起こすのではないかなど、不安や悲しみに一杯で、小さな物忘れから始まった初期の頃が最も辛かったそうです。ようやく医師の元を訪れ、アルツハイマー型認知症と診断されてからは、未来に向けてどうするべきなのかと考えられるようになり、気が楽になったそうです。

 

ここまでは母が認知症になった娘の一般的な反応かもしれませんが、そこから先はさすが脳科学者です。脳の働きや構造を根拠にして、なぜ認知症の人はそのような言動をするのかを観察し記録し始めたそうです。人間の脳が記憶を定着させるまでに辿るプロセスから、なぜ認知症の人は大昔の記憶は覚えているのに最近のことが覚えられないのかなど、私たちにも分かるように共有してくれます。認知症の人はその場、その時のことは理解しているのだけれど、単に記憶が(定着し)ないこと。認知症になると、その人が大事にしていたものが浮かび上がってくること。嬉しいとか楽しいという感情の記憶は、たとえ海馬が委縮してしまっていても、新しく定着させることができるのではないかという希望、などなど。脳科学的に見て、認知症になっても決して終わりではないと人間的に語ってくれました。

 

茂木健一郎先生のお弟子さんということもあり、人間の感情に関する考察はさすがのひと言でした。ひとつの出来事に対して、私たちは多くの感情を持って良いという主張はその通りだと思います。認知症の人だけではなく私たち健常者も、何かに対して一貫した感情ではなく、たくさんの揺れ動く感情を持って良いのです。その感情の豊かさこそが、私たちの知性です。どれだけ苛酷な状況にあっても、ポジティブな感情を選択して抱き生きることはできますし、生きるとはそういうことの積み重ねなのです。認知症について、科学的に、そして人間的に、正しく教えてくださった恩蔵先生に感謝します。

 

講演の一部を無料公開しますので、ご覧になってみてください!

 

記憶を失うと、その人は“その人”ではなくなるのか?という問いに対しては、次回、7月17日(水)の講演にぜひ参加して、答えを聞いてみてください。介護に携わる全ての人たちに聞いてもらいたい、知ってもらいたい内容です。まだ少しお席がありますので、ぜひお越しください!

2019年

6月

30日

ポールウォーキングのすすめ

「明日、シバヒロ(町田にある芝生の広場)でやるので、来てください!」と卒業生に誘われて、ポールウォーキングの体験会に参加してきました。ポールウォーキングというと、高齢者がたしなむものというイメージが正直ありましたが、実際に体験してみて、私の認識が誤っていたことに気づかされました。これは若い人たちにとっても良いエクササイズになるし、もちろん高齢の方にとっては最高のリハビリであり、介護予防であり、エンターテインメントであり、生きがいや喜びになるのではないかと感じました。晴天の下で歩くこと以上の幸せが、人間にとってあるのでしょうか。

 

当日は快晴であり、待ち合わせ場所に行くと、すでに20名近くの人たちがすでに集まっていました。もしかすると私が最年少ではないかという集いは久しぶり。ケアカレの卒業生でもあるポールウォーキングのコーチから、ポールと呼ばれる長い棒を渡されました。身長に合わせて長さを変えることができます。杖の高さよりも高い、前へならえをしたとき(肘が90度)の手の高さまで伸ばします。グリップの外にある輪っかのようなものに、親指以外の4指を入れ、軽く握るような感じで良いそうです。

そうこうしていると、実際のウオーキング体験が始まりました。最初はポールウォーキングのフォームから教えてくれます。効果的に歩くためのポイントは以下の3つ。

 

1、遠くを見る

2、普段歩くよりも半歩広く

3、ポールは振り出した足(かかと)の横につく

 

 

高齢になると、どうしても歩幅が狭くなり、身体は小さくまとまって、足元ばかりを見て歩きがちですが、ポールウォーキングはその真逆です。遠くを見て歩くと、視野が広がって、今までには見えていなかった美しい景色が目に入ります。しかも車や他の歩行者の動きも早めに察知できるので安全です。遠くを見ることで、背筋が伸び、姿勢がぐっと良くなります。半歩広く歩くためには、身体全体を大きく使い、かかとから着地してつま先へと重心を移動させる正しい歩き方をしなければいけません。

ポールウォーキングをやってみて感じたのは、ポールを持つことで、上半身も使って歩けるということです。正しい姿勢で歩くことを意識すると、普段は当たり前でしかなかった歩くという行為が、心地よいものに変わってくるから不思議です。歩くことが億劫になり、少なくなった高齢の方にとっては、ポールウォーキングはより大きな価値を持つのではないかと思います。

 

 

しかもポールウォーキングはただ歩くだけではありません。途中に柔軟体操や軽い筋力アップのトレーニングも入ってきます。メリハリをつける効果もありますし、身体を休ませたり、鍛えたり、柔らかくしたりするサイクルが上手に回っています。トータルで1時間半ぐらいの体験でしたが、まだ若い(と自称している)私でも、全身に心地よい疲労感があったほどですから、高齢の方にとってはかなりの良い運動になるはずです。介護予防の分野でも、リハビリの分野でも、かなりの効果を発揮するのではないでしょうか。

私が参加したのは初めての方向けの体験会でしたが、隣では経験者の方たちもバリエーションに富んだ練習や体操をしていて、楽しそうでした。経験者のひとりに聞いてみたところ、「ポールウォーキングを始めたことで、いろいろな方とどこかに出かけて、話しながら歩くことが楽しくなりました。こういうところに参加する人たちは気持ちが前向きですから、そういう人たちの人生を聞くのは面白いです」、「他の方と一緒に歩いて話しをすることで、私も刺激を受けますし、悩みを聞いてもらうと自分なんて大したことないなと思えたりします」、「もう普通に歩くことはできませんよ。ポールを持って歩くと楽しく歩けますから」などの声が聞けました。

 

 

今回はたまたまシバヒロで開催しましたが、いつもは鶴川・三輪緑山地区で活動しているそうです。鶴見川遊歩道や、三輪緑山などの、自然豊かで静かな場所を歩くとリラックスできますね。ちなみに、歩く歩数やきっちりと歩く時間によって、うつ病や認知症、心臓病、動脈硬化、骨粗しょう症、高血圧、糖尿病などの病気の予防や改善が期待できるという研究結果が出ています。運動することは心と身体の健康に直接つながるのです。しかも外の空気を吸って歩くというごく自然な行動を通して、その人の人生が良い方向へ変わって開けていくのですから、高齢者以外の方にも体験して、ポールウォーキングのあらゆる効果や副効果を感じてもらいたいと思いました。

2019年

6月

25日

“仕事ができる”とはなんだろう?

ケアカレナイトの終了間際、ひとりの生徒さんが教室に駆けつけてくれました。「間に合わなくてすみません」申し訳なさそうに背中を丸める彼女。約束を無下になどしない彼女がケアカレナイトを欠席したのには、よほどの理由があるはずだと感じました。

 

「仕事ができるってなんでしょうか?」

 

そう問いは始まりました。彼女は有料老人ホームで働いて2年目の介護職。本人曰く仕事の覚えはゆっくりで、最初は先輩職員の何倍もの時間をかけなければ、ひと通りの仕事ができなかったのだと言います。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2019年

6月

20日

「いざという時に迷わない救命講座」レビュー

今月のケアカレナイトは、村井先生による「いざという時に迷わない救命講座」でした。先日、第一回目の講演が行われ、とても初回とは思えない完成度の高さで、村井先生がどれだけの時間を掛けて準備をしてきたのか伺い知れるほどでした。実務者研修の医療的ケアの最後に行っている救命救急の授業とはまた違った、より深く、詳しく、実践的な内容に、来てくれた参加者の皆さまは大満足して帰って行かれました。介護施設において義務付けられているは救命救急の研修とは違って、「言葉が分かりやすかった」、「消防士による救命救急の研修はAED等がセッティングされている状態でしたが、今回はAEDの組み立て(配線等)から自分で出来たので良かった」という声が多かったです。

 

私も後ろで聴講させていただき、その深い内容に学び入りつつ、分かりやすい伝え方に感心していました。今回の参加者は、自らお金を払って救命救急講座を受けにきているため、モチベーションや学ぶ意識は非常に高い方々ばかりでしたが、たとえあまり救命救急に興味がない一般の人々が聞いても分かりやすく学べるのではと思ったほどです。分かりやすさの理由は単純で、救命救急について伝えるべき内容が整理されていたからです。村井先生の中で一度かみ砕かれて整理され、さらに相手に上手く伝えるためにもう一度整理されるという過程を経て生まれた講座だからです。

 

 

もちろん、分かりやすく整理されているだけではありません。ケアカレナイトでやるからには、普通の救命救急の研修とは違ったものにしなければいけません。今回は人工呼吸を行うにおいて、バックマスクを使った換気を練習してもらいました。実際に救命救急の現場に居合わせたとき、相手が家族でもなければ、マウストゥマウスの人工呼吸は難しいはずです。相手が何らかの感染症を持っているかもしれず、また心理的にもハードルが高いのではないでしょうか。そこで介護施設に眠っているはずのバックマスクを使って質の高い人工呼吸を行うことができれば、誰かの命を救うことができるかもしれません。それは胸骨圧迫(心臓マッサージ)や気道確保についても同じです。いざというときに迷わず、質の高い救命救急ができるようになるためには継続した練習しかないのです。

正直に言うと、救命救急については、医療従事者ではないたとえば介護職や一般の方々は、今回の内容だけをしっかり学ぶだけで完璧だと思います。つまり、救命救急講座としてはこれ以上ないものだということです。およそ2時間の内容でしたが、配布された資料を含め、参加された方々はもう一度復習をして身につけてもらえれば、誰かに教えることさえできるかもしれませんね。今回と次回(25日)だけで終わるのはもったいない気もしますので、どこかの現場で研修が必要な際は出向きますのでぜひ声を掛けてください。素晴らしい講座を作り上げてくださった村井先生、ありがとうございました。また最後まで一生懸命に取り組んでくれた参加者の皆さま、ありがとうございました!

 

 

来月のケアカレナイトは、脳科学者の恩蔵絢子さんによる認知症をテーマにした講座です。「記憶を失うと、その人はその人でなくなるのか?」という哲学的な問いを解説していただきたいと思います。まだ少し席がありますので、興味のある方はぜひお越しください!

2019年

6月

15日

ゼロ印象

知的障害者ガイドヘルパー養成研修の初日が終わりました。藤田先生の相変わらずの聞き応えのある授業と、森先生の現場感あふれる授業の両面から、生徒さんたちは知的障害やガイドヘルプについて多くを学ぶことができたはずです。藤田先生の授業の中で、「私たちは女優・男優にならなければいけない」という話が出ました。つまり、介護者・支援者たる者は自らを演じられなければならないということです。相手と接するとき、ありのままの自分を受け入れてもらうのではなく、まずは自分が相手に合わせていく。そのためには、相手にとって受け入れてもらいやすい人を演じることから始めることです。第一印象を良くすることは大切ですし、役者さんたちが役作りをするように、その前のゼロ印象をつくっておくことも大事ということですね。

 

ゼロ印象をつくるために、そして第一印象を良くして、相手にとって受け入れてもらいやすい自分を演じるためには、何よりも挨拶が基本になると藤田先生は語ります。明るく元気よく、相手の目を見て、笑顔で、誰にも平等に挨拶をすることはコミュニケーションの基本のキなのです。当たり前のようですが、意外と難しいことですよね。きちんと挨拶ができない(おろそかにする)ということは、相手に対して興味や関心がないということであり、コミュニケーションを取りたくないという意思の表明でもあります。藤田先生は病棟に行くと、必ず全ての患者さんに挨拶をして回るそうです。逆に言うと、ただそれだけで多くの言葉を交わさなくても、相手は自分に対して好意を持ってくれていると感じてもらえるということです。

 

ガイドヘルパーの仕事でもそれは同じです。たとえば利用者さんと初めて会うとき、きちんと挨拶ができるかどうかは大切です。小さな声で元気なく、目も合わせることなく、無表情で「こんにちは」と挨拶して、隣に立たれても、そんな人にこれから外出に付き合ってもらいたくないと私たちでも思うはずです。しかもガイドヘルプは楽しみのために利用するサービスですから、一緒にいると楽しい人に支援してもらいたいのが利用者さんの本音です。安全を確保できる知識や技術はもちろん大切ですが、この人とだったら楽しそうと思ってもらえる第一印象と、それを支えるゼロ印象がいかに重要かということです。

 

 

湘南ケアカレッジが開校して以来、私が毎日朝と授業終了時に生徒さんに挨拶をするのは、多くの意味があります。私は授業の中で生徒さんたちとコミュニケーションを取ることができないので、せめて挨拶だけでもできれば生徒さんとの距離感は違ってくるはずです。それ以外にも、学校に来てこれから学ぶというスイッチを入れるためでもありますし、挨拶を交わすときの相手の反応を見て、その人となりや今の心理状態を把握するためでもあります。きちんとした形で挨拶が返ってこない場合、その人とはもっとコミュニケーションが必要だと思いますし、また何か困っていることや悩みがあるのかもしれないと心配します。たったの1秒の挨拶だけで、私たちは自分という存在のあり方を他者に表現することができ、また他者のことを理解する大きなきっかけにもなるということです。

2019年

6月

09日

今ここが、一番楽しい

ケアサポート株式会社が運営するサービス付き高齢者住宅イルミーナやまと、併設のデイサービス(ケアサポートやまとデイサービスセンター)、ショートステイは、小田急線中央林間駅を最寄り駅とし、2016年にオープンした初々しい施設です。

 

 

サービス付き高齢者住宅とは、簡単に表すと将来介護が必要となったときに備えて訪問介護ステーションがあるマンションです。現在は介護を必要とせず、ご自身で買い物に出かけたりする元気な方も暮らしていますが、介護が必要になれば、訪問介護を受けることができます。日中はご自身の部屋でテレビを見たり趣味に勤しむ方もいれば、階下にあるデイサービスを利用する方もいます。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2019年

6月

03日

「長いお別れ」

映画を観に行くと、予告編でまた別の映画のことを知り、また観に行ったその映画の予告編で…、と数珠つなぎになるのが映画ファンの喜びです。「長いお別れ」もそのようにして知った映画であり、つながって観て良かったと思える映画でした。原作は読んでいませんが、脚本のクオリティも高く、映像も美しく、役者さんたちの演技も素晴らしく、認知症をテーマにした作品としては、個人的には最高傑作なのではないかとさえ思います。所どころに介護の大変な現場や家族の苦しみも描かれてはいますが、全体的には認知症を柔らかく捉えていて、家族の気持ちに寄り添った映画でした。そう、これは認知症の映画ではなく、長いお別れの映画なのです。

 

ストーリーは、70歳の父の誕生日に帰省した2人娘たちが父の不審な言動に気づき、母から認知症であることを告げられるところから始まります。人生を前に進めていかなければと日々もがきながら生きている姉妹とは対照的に、父はゆっくりと記憶を失っていくのです。それどころか、父はできていたことができなくなり、今ではなく昔を生きるようになってゆきます。それでも、家族としてひとつになろうとする力が働き、父の記憶をたどることで、自分たちの思い出も鮮やかに蘇っていくのです。父が遊園地に3本の傘を持って、妻と娘たちを迎えにくるシーンは美しいです。

 

個人的に素敵だなと思ったのは、認知症が未知のものであったり、おどろおどろしいものとして描かれていないことです。山崎勉さんが演じる主人公の演技は迫真ですが、家族は認知症を自然な形で受け入れていきます。ひと昔前の映画やドラマであれば、認知症を描くときにもっと衝撃的な形を採ったはずですが、認知症が一般の人たちにも広まった今、マスメディアにおいても、よくある病気の症状として捉えなおされるべきなのです。つまり、認知症の父をリアルに描くのではなく、父が認知症になったことを通し、家族の人生や関係性が変化していくことを描くべきなのではないでしょうか。

 

 

笑いあり涙ありというフレーズは陳腐かもしれませんが、とても自然な形で笑いあり涙ありの映画でした。演出も自然で、演技も実に自然です。このように認知症に寄り添う家族の形があるはずですし、あってほしいと願うのです。最後に、演出としては孫の存在が生きていると思いました。人工呼吸器を着けるかどうか迷っているとき、「生きられるならば、生きていてほしい」という孫からのメッセージに家族は励まされ、また祖父とのやり取りにおいて、真っ直ぐ生きていこうという生のバトンを渡されます。認知症は長い時間をかけた引き継ぎであり、壮大な幕引きなのですね。

2019年

5月

30日

慣れてきた時こそチャレンジしよう

第12回目の講師会が行われました。当日、体調が優れずに参加できない先生が多く、全講師会にならなかったことは残念ですが、集まってくださった先生方は最後まで楽しんでくださったと思います。年に2回のペースで開催してきましたので、湘南ケアカレッジが開校して丸6年が経ってしまったことになります。介護職員初任者研修だけでも2600名以上、実務者研修を合わせると3000名をゆうに超える卒業生さんが、ケアカレに来てくれたことになります。開校当初は、「卒業生さんが1000名を超えたらすごいね」なんて夢を語るように話をしていましたが、いつの間にかここまで来てしまいました。

 

しかも単なる数字だけの3000名ではありません。顔が見えない、誰が誰だか分からない卒業生であれば、3000名だろうが1万名だろうが、そこに意味はありません。湘南ケアカレッジは、一人ひとりの生徒さんたちと向き合って、お互いが顔を知り、つながっている3000名だからこそ、大きな意味があると思います。私だけではなく、先生方もそういう意識を持って生徒さんたちと関わってくれたおかげで、100期生のお祝いもすることができたのだと思います。ありがとうございます。

 

とはいえ、6年間も続けていると、私たちには慣れが出てきてしまいます。介護職員初任者研修は丸6年、実務者研修も3年、少しずつ内容は変わってきてはいますが、同じカリキュラムの研修を同じチームで繰り返しました。生徒さんたちにとっては、その研修やクラスが初めてであり、一回性のものですから、私たちも全力でその一回性を楽しんではいますが、それでも全体としては同じことを続ければ慣れが生まれてしまうのは仕方ありません。

 

慣れることの何が問題なのでしょうか。もちろん、習うよりも慣れろと言うように、慣れることであまり意識しなくても上手にできるようになることは確かです。しかし、慣れたことでそれまでは喜びや楽しみであったことが、当たり前に感じるようになってしまい、それだけではなく、慣れて余裕が生まれたことで、周りの環境や人々の悪いところやできていないところに目が行くようになってしまいます。モチベーションが低下してしまったり、文句ばかり言ってしまうようになったりもします。つまり、慣れすぎて飽きてしまうことが問題なのでしょう。

 

多かれ少なかれ、誰にとっても慣れや飽きは訪れます。そして、私にとっても、慣れによる飽きは大きな課題のひとつでした。これまで約5年というスパンで会社を変えてきましたが、その都度、「チャレンジングではなくなってしまったから」というのが転職の理由でした。さすがに自分で学校を始めた以上、転職するわけにはいきませんので(笑)、自分にとっての慣れや飽きにどのようにして抗うのかは永遠の課題であり、考えた末にひとつの結論にたどり着きました。それは自分の転職理由に答えがありました。

 

 

慣れや飽きを克服するには、自分からチャレンジすることです。目新しいことをやってみることもそうですが、自分には少し難しいかもと思えることや出来そうもないことに挑戦することです。簡単すぎてすぐに出来てしまうことは、慣れて飽きてしまいますからね。そうやって、小さな挑戦から大きな挑戦まで、チャレンジし続けることによって、私たちは慣れや飽きの呪縛から逃れることができるのです。周りの環境や人たちの悪口ばかり言っていたり、文句ばかりで日々を過ごしているなと思ったら、チャレンジが足りないのかもしれません。慣れてきたな、飽きてきたなと思ったら、チャレンジしましょう!

2019年

5月

24日

「誰もがチャレンジできる社会を目指して」

ケアカレナイトにおいて、乙武洋匡さんの講演が行われました。100名を超える卒業生さんたちや福祉関係者の皆さまにお集まりいただき、乙武さんが控え室に入った頃にはすでに会場は熱気に包まれていました。割れんばかりの拍手の中、乙武さんは登壇し、このような時間帯にもかかわらず、たくさんの方々が集まってくださったことに感謝の意を述べつつ、今回の講演のテーマであるチャレンジすることについて語り始めました。小学校の先生の思い出から義足プロジェクトについてまで、自分にできることをできる限りやることの大切さを教えてくれました。個人的には、質疑応答で3名の方の質問に応じてくださったのですが、その深い受け答えには、乙武さんが乙武さんであり続けるゆえんが込められていた気がしました。

私の心に残ったことを記しておくと、ひとつは「ユニーク」であること。日本では「あの人はユニークだね」と言うと、ともするとマイナスの意味も含まれていることが多々あります。一方、海外ではユニークは「唯一」という意味であり、最高の褒め言葉になります。私たちはそれぞれがユニークさを必ず持っているはずです。たとえば、乙武さんは自分の考えていることやビジョンなどを言葉にして伝えることを得意としており、それを生かして自分のユニークさを表現していくことができます。決して上手でなければならないという訳ではなく、中身がユニークであることが重要なのです。ユニークさを突き詰めていくと、自分にできることをできる限りやるしかない、と心が決まるはずです。

 

 

それから、「お互いさま」ということ。社会の役に立ちたいと思っても、障害のある自分に何ができるのか不安でしかないという質問に対し、その気持ちは良く分かるけど、自分だけで何かをするのではなく、いろいろな人に助けてもらった方が良いとアドバイスしてくれました。実は健常者であってもできないことやダメな面はたくさんあって、お互いが許したり助け合ったりして生きています。たとえば忘れ物が多い人は誰かに貸してもらったり、時間にルーズで遅刻しがちな人は時間にキッカリしている人に許されて生きている。誰にでも凸凹なところがあって、凹に凸が合わさってひとつの形になるように、自分の凹に凸を合わせてもらったり、自分の凸を誰かの凹に合わせるようにすればよいのです。

もうひとつは、誰かの手を借りることが前提になる社会であるべきということ。「皆さんに今、赤ちゃんがいて、ベビーカーを押して目的地まで行きたいのですが、最寄りの駅にはエレベーターがありません。隣の駅にはエレベーターがあります。皆さんならどうしますか?」と乙武さんから全員に質問が投げかけられました。

 

A、それでも最寄りの駅から乗る

B、エレベーターがある隣の駅までベビーカーを押して行ってから乗る

 

手を挙げてもらったところ、Aに挙げた方は全体の11%ぐらい。対して、Bに挙げたのは残りの89%ぐらいでした。私も隣の駅にエレベーターがあるのが分かっているならば、少し遠回りをしてでも隣の駅まで押していくかなと思いました。その結果を受け、乙武さんは「日本では大体そのような結果になるのですが、海外では比率が逆になります。つまり、Aのそれでも最寄りの駅から乗ると答える人が9割ぐらいいるのです」と切り返されました。一瞬、何を言っているのかと疑問に感じましたが、「そう、エレベーターがなくても、誰かが助けてくれたら乗れるのです」と言われたとき、ハッと気づかされました。

 

インフラが整備されていなくても、人の手を借りることで障害が障害でなくなることがたくさんあるのです。もちろん、ハード面の充実は大切なことですが、日本に本当の意味で足りていないのはソフト、つまり、困っている人がいたら率先して手を差し伸べるという意識なのではないかと思いました。それはお互いさまであり、自分が困ったときには誰かに助けてもらえば良いのです。そうすることで、もっと自分のユニークさを出して生きていくことができ、誰もが安心してチャレンジできる社会になるのではないでしょうか。

 

 

最後に、わざわざ町田まで夜お越しいただいた乙武さんやスタッフの皆さま、ケアカレナイトに参加してくださった卒業生、関係者の皆さま、受付まで手伝っていただいた先生方、本当にありがとうございました。そして、最後まで司会を務めてくれた影山さん、お疲れさまでした。7年目を迎えるケアカレの、ひとつの集大成としてのイベントに相応しい集まりになったと思います。これからもケアカレは自分たちにできることをできる限り行い、自ら先頭に立って、さらなるチャレンジを続けていくことを誓います。

 

乙武さんは講演が終わってからも、サインや記念撮影会を開いてくださり、ひとり一人と直接話をしてくれました。忙しい中、ケアカレナイトに来てくださっただけではなく、ここまで対応してくださったことに心から感謝します。

2019年

5月

20日

世界が広がる

湘南ケアカレッジの100期生でもある4月短期クラスが無事に修了しました。平成に始まり令和に終わるという、時代をまたいだ珍しいクラスでもあります。男女問わず様々な年代の生徒さんたちが集まり、そこに4月から介護の世界に入ってきてくれた新卒の生徒さんが加わり、ケラケラと笑い声の絶えない、活気のある雰囲気でした。実は研修が始まる前に、新卒の生徒さんたちを依頼してくださった訪問介護事業所の方から、「自分の事業所の仲間だけではなく、他の生徒さんたちとも関わりを持って学んでもらいたい。そうすることで彼ら彼女たちの世界が広がると思うから」という旨の希望を聞きました。私は「そうなると良いですね。研修の内容だけではなく、先生や周りのクラスメイトとの関わりも大切な学びになると思います」とお答えしました。

介護職員初任者研修の素晴らしさは、研修の内容だけではなく、共に学ぶクラスメイトとの関係性にもあります。他の講座や研修、たとえばネイル講座であれば、20代から30代の女性がほとんどを占め、あまり多様性のないクラスメイトになるはずです。しかし、介護職員初任者研修は10代から80代までの自分とは違う年代や性別の人たち、さらに言うと、全く違う背景や経歴、考え方、生き方の人たちと一緒に、ゼロから学んでいくことになります。大切なのは、違いを知ることだけではなく、それでも共通する何かがあることを知ることです。同じことに共感できたり、同じような優しい心を持っていたり、同じ方向を目指していたりする、多様性のある仲間を見つけることです。

 

私が昔、ホームヘルパー2級を受けたときも、クラスメイトと仲良くなって、その後しばらく一緒に遊んだりした記憶があります。ひとりは息子さんがバンドをやっていて、近く深夜の番組の主題歌に採用されたと喜んでいた4050代の女性、ひとりは子どもが生まれたばかりで育児をしているという30代の男性、そして花や盆栽の仕入れを自営業として行っている20代の女性など。私は学校の社員ということもあり、あまり深入りすることがためらわれたのと、今のようにLINEのような連絡ツールが普及していなかったこともあり、少しずつ疎遠になってしまいましたが、とても貴重な関わりでした。

 

 

介護について学びに来る人たちは、皆良い人たちばかりで、個人的にも波長が合って好きという感覚は、クラスメイトたちとの交流を通して得たものでもあると思います。もし最初の介護職員初任者研修で残念な体験をしてしまったとすれば、介護の世界に対してネガティブなイメージを抱いてしまっていたかもしれません。そうならなかったのは幸運ですし、それぐらいに介護職員初任者研修で出会う先生やクラスメイトの存在は影響力があるのです。自分とは全く異なる背景や経歴、考え方、生き方の仲間たちと一緒にひと時を過ごしたことで、彼ら彼女たちの世界は間違いなく広がったはずですし、介護の世界のことが好きになってくれたのではないかと勝手に想像しています。

 

100期生の皆さまから、100にちなんだ百人一首と日めくりカレンダーをいただきました。百人一首を並べてみると、「湘南ケアカレッジさん、楽しい時間をありがとう」と書いてあり、日めくりカレンダーには1日ごとに卒業生さんからのメッセージが入っていました。100期生を超えて、色紙、ボード、エプロンに続く、新しいタイプの誕生ですね(笑)。ありがとうございました!

2019年

5月

15日

できない自分を受け入れて、できる人はなぜできるのか考える

仕事探しをサポートする流れで、生徒さんの研修中は知らなかった一面に出会い驚いたり、ここにたどり着くまでの波乱万丈ないきさつに若輩者は息をのんだり、教えていただくことがたくさんあります。そして、つながる先の施設・事業所の担当者さんとも取材や見学を重ねて少しずつお互いを知り、考え方や想いを聞かせてもらえることが私の仕事をする上でのひとつの楽しみになっています。

 

近しい人にいくら注意され、素直に反省できないことも、それぞれの施設や事業所を盛り上げ、率い、最前線で働く人の助言はバイアスのない言葉としてまっすぐに届き、行いを振り返り冷静に顧みるきっかけを与えてもらえます。

 

とある介護施設の施設長さんが教えてくれた知恵は、私の背筋をピンと伸ばし、目の前のモヤを晴らす手がかりになりました。それが、「できない自分を受け入れて、できる人はなぜできるのか考える」という、ものの考え方です。もう知っている人からしたら、なんだそんなことかと思うことかもしれませんが、これができないがばかりに悩んでいる人は少なくないと思うのです。

 

続きは→【介護仕事百景にて】

2019年

5月

10日

介護の仕事以外にも役に立つ

3年前の日曜日クラスの卒業生さんが、フラッと教室に立ち寄ってくださいました。やり投げをしている娘さんを応援しに、大会の会場まで行って来たその帰りだそうです。以前にも中央林間の駅でたまたますれ違ったことがあり、その時、私が声を掛けたことで、「覚えていてくれてありがとうございました」と葉書までいただいていた卒業生さんでした。今はまだ介護の仕事をしているわけではなく、実はリサイクルショップで働いていると申し訳なさそうに彼女は話してくれましたが、「でも今の仕事にも、ケアカレの初任者研修で学んだことはとても役立っています」と語ってくれました。そうです、介護の仕事に就いていなくてもいいんです。介護の仕事をする、しないにかかわらず、介護職員初任者研修は誰もがより良く生きていくために学ぶべき内容になっているのです。

 

ちょうど阿波加先生のコミュニケーションの授業を少し見学してもらった後だったからかもしれませんが、「たとえば、コミュニケーションの授業で勉強した傾聴や共感といった、相手の話を聞き、相手が何を言おうとしているのかを知ることが大切だと学びました。これは特にクレーム対応に役立っています」と教えてくれました。

 

まずは謝って、それから怒っている相手の話をよく聞き、決して話をかぶせたり、相手を否定することなく、言わんとしていることを推し測って、ゆっくりとはっきりした言葉を返すこと。認知症の方への接し方と共通する点が多いように、つまりは人とのコミュニケーションの原点がそこにあるのでしょう。そこがずれてしまうと、相手の感情を逆なでしてしまったり、余計に怒らせてしまって収拾がつかなくなるのです。

 

上はあくまでも一例ですが、人が生きて死んでいくことについて、介護職員初任者研修では学ぶことができます。これはずっと言ってきていることですが、介護職員初任者研修は介護の仕事をする前に必ず学んでおかなければならないのはもちろん、介護の仕事をしない、介護に直接たずさわらない人であっても学んでおくべき内容ばかりです。

 

 

本当のことを言うと、これからの時代は誰もが介護を避けて通ることはできないので、老若男女問わず、日本に生きている全員が介護職員初任者研修を受けるべきだと思います。我田引水かもしれませんが、介護や福祉を義務教育に組み込めないのであれば、なおさらある程度の年齢に達した人は学ぶ仕組みにするべきです。全ての成人が介護職員初任者研修を学んでいる国は、世界に誇る優しい福祉国家になるのではないでしょうか。

2019年

5月

05日

描きたい、が止まらない。

ケアカレナイトのネタにならないかとも思い、かねてより興味のあった障害者アートやアール・ブリュットについても学びたく、映画館シネマチュプキ・タバタで開催された「絵を描くワークショップ」に参加してきました。イベントの大まかな内容としては、障害者アートや絵と表現についてのお話しがあり、その後、とにかく絵を描いてみようということです。まさにケアカレナイトでこのようなことができたら面白いなと想像していた内容に近く、ぜひ先立って学ばせてもらおうと思ったのです。大きな白い紙に絵を描くなんて、おそらく小学生以来の体験でしたが、意外にも戸惑いは少なく、描き始めると没頭してしまう自分がいることに気がつきました。そして、何かに没頭することで得られる心の解放があることを知ったのでした。

ご存じない方のために説明しておくと、アール・ブリュットとはアウトサイダー・アートのことで、正規の伝統的な美術教育を受けていない人が制作したアート作品のこと。「生の芸術」とも呼ばれています。アウトサイダーという響きが良くないため、アール・ブリュットを使うことが増えてきているようですが、個人的にはアウトサイダー・アートという言葉も好きですね。正規の教育を受けていないからこそ自由な表現ができるということです。他の学問やスポーツ、ビジネスなどに比べても、型にはまらないことに価値があるアートだからこそ、アール・ブリュットが今注目されてきつつあるのだと思います。

 

 

前置きはこのあたりにして、絵を描くワークショップでは、大きな1枚の白い紙を渡されて、好きな動物の写真を選んで、紙一面に描きましょうというシンプルな説明のあとスタートしました。利き手とは違う手で描く、余白を残さない、動物の色を決めつけないというルールです。私はホッキョクグマの写真を手に取りました。ホッキョクグマを白くする必要はないのですが、私は逆にホッキョクグマの白さを際立たせたいと思い、持参した白いクレヨンを左手に握りながら描き始めました。

輪郭を描き、つぶらな瞳と可愛らしさが集約されている口と鼻は黒のクレヨンを使いました。背景は緑に塗りつぶし、ここでやめておけば良かったのかもしれませんが、ホッキョクグマを白だけに塗った罪悪感もあり、たぎる血潮が身体の内側からにじみ出てきている様子を表現しようとオレンジを入れました。タイトルは「燃える心」。

各自が描き終えた頃合いを見計らって、講師による品評会が行われました。周りの参加者たちの絵を見渡すと、上手なものばかりで、とても私と同じ時間で描かれたとは思えませんでした。参加者の中には、小さな子どもから視覚障害のある方、ダウン症の子もいて、それぞれがそれぞれの表現で目を引く作品を描いていたことが驚きでした。そこにはほとんど優劣はなく、講師の講評も参加者からの感想もポジティブなものばかりで、相田みつをさんではありませんが、みんな違ってみんないいという世界がありました。

何よりも自分で描き上げた達成感を誰もが抱いて、誇らしげでした。誰にとっても絵を描くことや何かを作るために没頭することが、与えられた枠の中から自分を解放することにつながるのだと、身をもって体験した瞬間でした。その後、映画「描きたい、が止まらない」を観て、生きることとアートの密接な関係について考えつつ、帰途に就きました。

ちなみに、こちらは映画「描きたい、が止まらない」に出演されている古久保さんの作品です。すごく細かい!

2019年

4月

30日

自分には見えていない世界がある

今年は例年以上にお菓子の山ができました。介護福祉士の試験に合格した方、介護職員初任者研修がとても楽しくて感動した方、働きやすい介護の仕事を丁寧に紹介してもらって感謝している方など、多くの卒業生さんたちが教室に足を運んでくれて、先生方やスタッフの皆さまに食べてほしいと御礼のお菓子を持ってきてくれたのです。今年もありがとうの気持ちに包まれて嬉しく思いますし、先生方や影山さんには感謝します。令和の時代になっても、人にありがとうと言ってもらえる仕事をしていきたいと願います。

 

ところで、先月、介護福祉士の合格の報告をしに、初任者研修で同じクラスだった卒業生さん2人が遊びに来てくれました。私を含めて3人でランチをしたとき、「備品はギリギリになってから補充するタイプ?それとも少しでも足りなくなっていたら補充するタイプ?」という話で盛り上がりました。

 

ひとりの卒業生さんは、少しでも使われているのに気づいたら補充するタイプで、もうひとりの卒業生さんは全てなくなってしまうギリギリまで待ってから一気に補充するタイプ。「最近はタイプが違うからと思うようにしている」と前者の卒業生さんはあきらめたような顔で語り、「でも結局、僕ばかりが補充しているのですよね」と笑っていました。備品の補充に関して以外にも、他の職員の働きぶりを見て、もっと仕事しようよと思うことも多いそうです。

 

そんな話をしながら、私は家庭の中における犬の排泄の後始末のことを思い起こしました。うちの犬(トイプードル)は綺麗好きなのか、おしっこマットが少しでも汚れていると別の場所(床や柱)にしてしまうので、おしっこマットが汚れているのを見たらすぐに交換しなければ大変なことになってしまいます。私は家に帰るとまず、2か所あるおしっこマットの点検をするのが習慣になっています。ただ単純にそこが気になるのですが、うちの妻は全くノータッチです。最初は、それぐらいはあなたがやりなさいというメッセージだと思っていましたし、同じように床の掃除機がけも私の役割だと思っていました。

 

ところが昨年末、オーストラリアから1週間ぶりに自宅に戻ってきたとき、私は驚きました。私が家を出たときと全く変わらない状態で、おしっこマットは替えられていないようで、そこには凄惨な光景が広がっていたのです。このとき気がついたのは、これは私に役割として与えられているとかそういうことではなくて、妻には床やおしっこマットの汚れが目に入っていないのだということ。そして、私はたまたまそこに目が行くのだということです。

 

おそらく私の何十倍も家のことを見ている妻でも見えないところがあるということは、妻から見れば、私は恐ろしく何も見えていないと映っているはずです。私は自分が見えている世界だけで、妻の見えていない部分が気になっていたのですが、逆から見れば、私に見えていない世界はたくさんあるのでしょう。見えないのだから、見えていないことにも気づきようがないのですが、見えていない世界があることだけでも知っておくべきだと思いました。

 

 

自分には見えているけど相手には見えていない世界があるということは、相手には見えているけれど自分には見えていない世界があるということでもあります。それは仕事においても、日常生活においても、私たちが生きていくこの世界のどこにでも存在する真理です。私たちはまずそのことを知ることからスタートして、できる限り自分の視野を広げることに力を尽くし、それでも自分には見えていない世界があるということを謙虚に受け止めるべきなのでしょう。そうすれば、偉そうになることもなく、むしろ自分が他者によって生かされていることに感謝することができるかもしれません。

2019年

4月

25日

こうしてあげたい

先月の短期クラスの生徒さんが、授業後に私を教室の外に呼び出して、こう言いました。

 

「ここの授業を聞いて、本当に良かったと思っている。今、施設で働き始めていて、利用者さんにこうしてあげたいと思うことばかりなんだ」

 

授業の中で何か気に障るようなことがあったのかとヒヤヒヤしたのですが(笑)、その眼差しがあまりにも真剣で、彼は心からそう思って頑張っているのだということがヒシヒシと伝わってきました。こうしてあげたいという気持ちは、この仕事を続けていく上での原点だと思います。もちろん、その気持ちが余計なお世話になってしまったり、利用者の自立支援を妨げるようなことがあれば良くありませんが、相手の立場や気持ちを考えた上で、こうすると喜んでもらえるだろう、安心するだろう、快適だろうと考えること以上に大切なことはないと思うのです。

 

その生徒さんは高齢の男性で、第二の人生における仕事として介護を選んだそうです。とはいえ、この業界では何も知らない新人であり、まずは単純で地味な仕事をこなしつつ、孫のような先輩の下で夜勤までしているとのこと。最初は言われたようにやってみてはいましたが、次第にこの方法ややり方で良いのかと疑問が湧き始め、ちょうどそのタイミングで湘南ケアカレッジに来てくれました。先生方の授業を聞いてゆくにつれ、自分が現場で悶々と抱いていた疑問は少しずつ晴れていき、それまでは「こうしてあげた方がもっと良いのではないか」と思うだけであったのが、「こうしてあげたい」と思うようになったそうです。

 

まだ現場ではペーペーであり、先輩のやり方や現場の考え方に口をはさむことは難しいのですが、自分ができることは少しずつ変えていき、ゆくゆくは「そこはこうした方が良い」と教えてあげたいと思っているそうです。「私がいつか施設長になったときには、うちの職員は全員、ケアカレに研修を受けに行かせますよ」と意気込んでいました(笑)。その気持ちはありがたく受け取らせていただき、あとはその時が来るまで、彼が今の気持ちを失うことなく介護の仕事を続けてくれることを願うのみです。

 

「こうしてあげたい」という気持ちが尊いのは、そこに他者があるからです。藤田先生が介護職員初任者研修の授業の最後に、「介護」と「業務」の違いを話してくれるのですが、その間にある違いとは、つまり「相手のことを考えてする仕事」か「自分のための仕事」かです。つい私たちは仕事に慣れてくると、自分のための仕事をし始めますが、特に介護や福祉に携わる人たちに求められるのは、どうすれば相手にとって良いのかというマインドであり視点であり思考過程なのだと思います。そこから始まらないと、自分の「業務」をしてばかりで、本当の「介護」をすることはできないのです。

2019年

4月

20日

乙武洋匡さんの「義足プロジェクト」を支援しよう!

「義足プロジェクト」について初めて知ったのは、乙武洋匡さんの話を聞きにWeekly Ochiai(落合陽一さんの番組)の収録に参加したときでした。乙武さんとは同世代にもかかわらず、生でお目にかかったのは初めて。番組がスタートする前、出演者や制作スタッフさんたちだけではなく、観覧席にいる人たちにも、「よろしくお願いします!」としっかりと挨拶をされている姿が印象的でした。「義足プロジェクト」は、乙武さんが最新のテクノロジーを駆使した義足で歩いてみせることで、義足をあきらめてしまっていた人たちが、再びチャレンジしてみようと思ってもらえたら、という想いからスタートしました。

 

そもそも乙武さんは生まれたときから車椅子で生活をされており、義足を付けなくても不便はほとんどありません。実際に収録でその姿を見たとき、車椅子から出演者用の椅子に乗り移るのも、マーカーを首と腕で挟むようにして渡されたボードに文字を書くもの、一挙手一投足が私にとっては目新しく、感心させられるものであり、しかし乙武さんにとっては日常生活の中の当たり前の動作なのだろうなと思ったりしました。つまり、乙武さん自身にとっては、わざわざ義足で歩く必要はないのです。

 

しかも両手両足が欠損している乙武さんにとって、義足で歩くことは極めて難しいのです。両足の膝(から下)がないことによって、義足を着けて歩くことが極めて難しくなり、両手がないことはバランスを取ることを困難にします。乙武さんにとって、これだけの高さの義足を着けて歩くことは、手足を縛られて竹馬に乗っているようなものです。小さい頃に竹馬が得意ではなかった私にとって、この年になって、手足を縛られた状態で竹馬に乗るなんて考えただけでゾッとします(笑)。

 

そこまでして乙武さんが義足プロジェクトにチャレンジするのはなぜなのでしょうか?

 

もちろんご自身のプレゼンテーションであり、仕事の一環でもあると思います。しかし、本質的なところは、社会の役に立ちたい、人のためになりたいという強い気持ちなのではないでしょうか。数年前、社会の役に立ちたいと願い、政治の世界に踏み出そうとした矢先にご自身の問題で挫折を味わうことになったのは周知のところですが、彼の想いはぶれていないと私は思います。

 

普段は障害があることを感じさせない乙武さんも、これまでたくさん乗り越えてきた障害があり、それは自分の努力だけではなく、両親や周りの人々、そして社会に支えられて生きてきたという実感は誰よりも強いはずです。だからこそ、グリーンバードという街をきれいにするNPOを立ち上げたり、小学校教員として教壇に立ってみたり、誰かのために活動を続けてきたのです。決して富や名声のためではない選択ばかり。今回の義足プロジェクトも、自分が歩けるようになりたいということではなく、自分が先頭に立ってチャレンジすることで社会を少しでも変えていきたいということです。あきらめることなくチャレンジする人が増え、また義足の進化にも期待ができるはずです。

義足プロジェクトの練習風景等の動画はこちら

 

ぜひ乙武さんに会いに来てください。彼を「障害者」というカテゴリーに収めておくのがおかしいように、「あの悪さをした人でしょ」というラベル張りをしてしまうのももったいないです。お子さんを連れてきて、このようなチャレンジをしている大人がいることを知ってもらってください。利用者さんとご一緒に来て、こんな気持ちで障害を乗り越えてきた男がいることを励みにしてください。

 

5月23日(木)の18時30分~、JR町田駅徒歩1分の文化交流センターです。乙武さんがケアカレに来てくれるなんて二度とない最後の機会なので、ぜひお越しください!

 

ケアカレナイトの講演「誰もが挑戦できる社会を目指して」の詳細はこちら

2019年

4月

17日

おめでとうございます!

先月末、介護福祉士の合格祝賀会が行われました。最初は数名で静かにスタートしましたが、仕事帰りに来てくれる卒業生さんが次第に増え始め、19時を超える頃には20名以上になり、例年以上の大盛り上がりになりました。介護福祉士筆記対策講座は今年で3年目になりますが、少しずつ祝賀会に来てくれる人たちも増えているのを実感します。14時の合格発表以降は電話が鳴りやまず、「合格しました!」、「ありがとうございました」という声が次々に届きました。たくさんの笑顔とありがとうの気持ちが溢れる、素晴らしい1日でした。

 

祝賀会で合格した卒業生さんたちと話していて、仕事をしながら勉強をするのは大変だと改めて思いました。もちろん仕事だけではなく、家庭のことやその他もろもろ、私たちの日常はやるべきことで埋め尽くされています。その中に試験勉強を入れるだけでも相当な気合がいりますし、それに加えて年末年始はさまざまなトラブルやアクシデントが起こるのですから、困難でないわけはありません。学生時代に試験勉強するのとは違うのです。だからこそ学生のときにはしっかりと学んでおくべきだと思いますし、大人になってから学ぶのはひと苦労なのは当然で、だからこそ学び甲斐もあるのです。

 

「今まで取った資格の中でいちばん嬉しいです」と言った卒業生さんがいました。限りある時間の中で一生懸命に勉強をしたからこそ、そう感じたのでしょう。何をどう苦労されたのかは想像するしかありませんが、それを乗り越えたからこその喜びです。正直に言うと、介護福祉士の筆記試験は合格率が70%を超えるため、ある程度、勉強すれば合格できます。若い人であれば、表面上だけ勉強してコツを掴めば受かるかもしれません。でも、それで良いとは思いません。せっかく試験を受けるのであれば、しっかりと勉強して、その過程をも味わってから合格してもらいたいのです。湘南ケアカレッジの筆記試験対策講座が5日間もあって、宿題もたくさん出るのはそういう理由です。

 

私が子どもたちを教えていたときも、少し不器用でもどかしいぐらいの生徒さんの方が長い目で見ると成績が伸びました。何となく出来てしまったり、のらりくらりとかわしながら来てしまった生徒さんは、ある時点で伸びが止まります。表面的にしか理解していないため、深く考えることができないからです。そういう生徒さんを見るたびに、器用であったり、世渡りが上手かったりすることは、長い目でみると自分のためにならないのかもしれないとさえ思いました。介護福祉士の試験も同じですね。大切なのは結果ではなく過程というのは、まさに介護福祉士の試験にこそ当てはまるのではないでしょうか。

 

 

しっかりと学んで、合格された皆さま、おめでとうございます!

2019年

4月

11日

「道草」

ケアカレナイトに来てくれた卒業生さんから紹介されて、田端にあるミニシアター「シネマチュブキ」まで観に行ってきました。その日は、宍戸大裕監督のトークショーもあり、満員御礼。登場人物のひとりでもある岡部亮佑さんのお父さんから、「息子のことも淡々と撮ってくれないか?」という問いかけをきっかけとしてスタートした映画だけに、重度の知的障害者の自立(ひとり暮らし)の風景が実に淡々と描かれていました。決して重々しくならず、かといってポップなだけでは終わらず、強く主張をするでもない、観る私たちに問いかけるような映画です。ぜひ一人でも多くの方々に観て、知って、感じてもらいたいと思います。

 

映画の冒頭は、リョースケが介護者と一緒に散歩をするシーンから始まります。あちこちのマンホールを踏みながら歩いてみたり、枯れたタンポポを手に取ってフーっと息を吹きかけてみたり、公園に行ってはブランコを思いっきり漕いでみたり、私たちも小さい頃にそうしたはずの懐かしい風景や時間が広がっています。鳥や木々たちも優しく見守っています。

 

冷凍の焼きおにぎりを2つ食べることを巡ってのリョースケと介護者との間の交渉劇や、ヒロムが石神井公園を散歩する中で「タァー!」と大声を上げてしまうことを鎮めようとする介護者との掛け合いは、脚本があるのかと思わせる絶妙の間合いで繰り広げられるコントのようです。

 

私たちがいつの間にか忘れてしまった、この世界の風景や時間の流れがそこにあるのです。過剰な効率が求められ、プライバシー化され、他者に対しての鋭利なほどの厳しさによって、自分で自分の首を絞めてしまっている私たちの社会とは対極にある世界です。

 

そうはいっても、ほのぼのとした、心安らかな時間ばかりではありません。彼らが他者と交流して、社会の中で生きていくためには、多くのストレスや苦悩は避けて通れません。それは家族や周りの人々、そして介護者も同じです。かつてはリョースケも「冬の日本海(荒れない日はない)」と言われていたほどですし、ヒロムは上手く表現できないことがあると他害自傷を繰り返していたそうです。私たちが映画のワンシーンとして見ることができるのは一部なのです。

 

個人的には、登場人物のひとりであるユウイチロウが気になりました。彼は青梅の入所施設で過ごしていた頃から、他害行為が始まり、薬物投与も重なって入院することになりました。何かに怯えるようになり、自立生活を試みている今も不安定な状態は続き、自分で自分を抑えることができなくなり、ドアを力づくで開け閉めして大きな音を立てたり、部屋の壁を殴って穴を開けたりして大暴れしてしまいます。

 

 

彼の姿を見ていると、自分の心にも通ずるところがあるのです。私は何とか自分で感情を抑えたり、表現することでコントロールしたりすることができますが(できないこともあります)、彼には難しいときがあるのです。表面化してしまうかどうかは、一本の線というか、本当に一枚の薄い皮によって守られているかどうかの違いでしかありません。同じことは、彼らに理解を示さない人たちにも当てはまります。あなたと彼らはそれほどに違いますか。私から見ると、あなたも私も彼らもほとんど同じですよ。

「道草」の公式HPはこちら

シネマチュブキタバタにて4月25日まで公開中です!

2019年

4月

07日

感謝という大きなギフト

湘南ケアカレッジで働き始めて、3度目の春が近づいてきました。介護仕事百景を通して、介護の仕事を始める方も少しずつ増えてくる季節です。仕事探し中の生徒さんと一緒に施設を見学に行くと、卒業生の元気に働いている姿を見かけて、ほっと胸をなでおろします。綺麗なことばかりではなく、今は大変なことの方がむしろ大きく感じているかもしれません。それでも踏ん張って、続けてくれていることをひたすら有難いと思えます。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

 

 

2019年

4月

04日

長くつながる

介護職員初任者研修の3月短期クラス、そして12月日曜日クラスがほぼ同時に終わりました。2つのクラスが重なって修了するこの時期は、いつも寂しい思いがします。専門学校や塾であれば、少なくても半年から長くて数年を共に過ごすことになりますが、初任者研修は15日間、実務者研修に至ってはたった7日間という短さです。この短い期間では、生徒さんと学校、先生の間に密接な関係は作りにくいため、ほとんどの介護の学校において生徒さんは右から左へと入って出て行くものだと割り切っているのが現状です。私はそれがつまらないと感じて、湘南ケアカレッジはできる限りのことをして生徒さんたちと学校、先生とのつながりを作りたいと思ってやってきました。そうこうしているうちに、いよいよ4月短期クラスで100期生を迎えます。

 

私が生徒さんたちと学校、先生のつながりを作りたいと思ったのは、生徒さんたちも先生方も、介護の学校にたずさわってくれる人は誰もが良い人だからです。良い人というのは、大ざっぱすぎるかもしれませんが、つまり人間として魅力的であったり、面白かったり、一緒にいて楽しいと感じる人ということです。たとえ介護の資格を取るために学びに来る学校とはいえ、せっかくそのような良い人々が集まるのですから、そのままあっさりと帰してしまうのはもったいない。少しでもその人のことを知りたいし、私たちが知らないことを教えてもらいたいし、仲良くなりたいのです。そのような人間関係こそが、生徒さんにとっても、先生方にとっても、学校にとっても、最大の喜びになるからです。

 

「これまで鉛筆を持ったことがなかったけど、生まれて初めてこうして勉強してみて、楽しかった。先生って嫌いだったけど、ここの先生は全員好き」と言ってくれた生徒さんがいました。また、「今施設で働き始めていて、僕だったらもっとこうしてあげたいという気持ちがたくさんあるのです」と授業後にこっそりと教えてくれた生徒さんもいました。平日の短期クラスに通う、おそらく50年ほどの年齢の開きがある2人が、先生方の話を一生懸命に聞いてくれて、それぞれに想いを私たちに伝えてくれたことが嬉しく思えました。生徒さんがただ教室に来て授業を聞いて、先生方が一方的に教えるだけの関係からは、生まれにくい会話だと思います。私たちが生徒、先生という関係から、人間同士としての関係になる瞬間です。

 

 

日曜日クラスはとてもクラスメイト同士のつながりも強かったです。研修が終わった最終日の打ち上げにも、たくさんの生徒さんたちが参加して、私も顔を出させていただきました。女性陣は早めからつながり始めている中、男性陣があまり前に出ないタイプのクラスでしたが、嶋田先生が勝手に幹事を任命したりして焚き付けてくれたところあたりから、男性陣も急速に前に出て仲良くなって行った気がします。最終的にはとてもまとまりがあり、素敵な方々ばかりのクラスになりました。締めの言葉として、「長くつながっていってもらえると嬉しいです」と話させていただきましたが、この先も長くつながっていきそうなクラスだなと感じます。ひとつだけ言い忘れたことがありまして、長くつながっていってもらうためには、幹事を持ち回りにした方が良いということです。長くつながっているクラスはそのようにしていますので、ぜひ参考にしてください!

上の3月短期クラスは立体的なメッセージボード、そして、この12月日曜クラスは、な、なんと透明なメッセージボードでした。どちらも今までにない、斬新なメッセージボードですね。ありがとうございました!

2019年

3月

30日

できない人を責めるよりも、できた人を褒めよう

先日、全身性障害者ガイドヘルパー養成研修が行われました。今年の春は1回のみの開催ということもあり、たくさんの方々が参加してくださいました。卒業生さんたちだけではなく、埼玉や小笠原諸島の母島からなど、初めてケアカレに来てくれた方も多く、実にフレンドリーで有機的なつながりのあるクラスになりました。心配された雨も全く降ることなく、まるで私たちが研修で外に出る時間だけを避けてくれたようでした。週中は90%の雨予報だったのに、皆さまの普段の行いが本当に良かったのでしょうね(笑)。「楽しかったです!」と言いながら帰って行かれる方が多く、私たちも自然と笑顔で見送らせていただきました。

 

今回の全身性障害者ガイドヘルパー養成研修はたった1日の研修であるにもかかわらず、ここまで誰もが楽しく学べて、仲良くなってもらえたのはなぜでしょうか。それは卒業生さんたちがほとんどであり、最初から距離感が近いということが第一に挙げられます。先生と生徒さん、または生徒さん同士が信頼し合っているということです。その雰囲気がスタートから教室に充満していて、ケアカレに来てくれたのが初めての生徒さんも何となく、リラックスして授業を受けて良いのだと感じたはずです。そんな空気はつくろうと思ってつくれるものではなく、またつくろうと思わなければ決してつくれないものです。

 

話は少し変わりますが、私は子どもたちの教育にたずさわっていた経験から、先生次第で教室の雰囲気は変わることを学びました。先生が発する言葉や態度を受けて、生徒さん一人ひとりの感じる空気が、教室全体の雰囲気をつくります。たとえ同じメンバーのクラスでも、先生が違うと全く異なる雰囲気になるのは、生徒さんは先生の合わせ鏡であるということを意味します。そして、それは先生の人柄というよりも、先生が生徒さんにどのようなアクションをするかということに大きく影響されるのです。

 

その1つとして、「できない生徒を責めるよりも、頑張った生徒を褒める」というシンプルな仕組みというかルールがあります。分かりやすく言うと、たとえば宿題を忘れて来た生徒を責めることには意味がなくて、宿題をやってきた生徒を褒めるということに時間を使うということです。しっかり座れていない生徒を注意するのであれば、その分、きちんと座れている生徒を認めることに意識を傾けることです。簡単なようですが、ほとんどの先生はこれができません。どうしてもできないことに目が行ってしまうからです。先生の意識ができないことに行くと、生徒さんの意識もそうなります。そこに信頼が生まれることはありませんし、良い雰囲気が生じることはありません。できていることを褒め、できている人を認めるだけで、生徒さんの意識は変わり、教室の空気は一変し、学校の雰囲気も良くなるのです。

 

 

☆全身性障害者ガイドヘルパー養成研修は、今秋10月と12月に開催予定です。しばらくお待ちください! 

2019年

3月

25日

また会いたい

ケアカレナイトは、卒業生さんたちが再びケアカレに来て学び、つながれる場にしたいと考えて開催しました。ケアカレナイトでばったりクラスメイトに再会することもありますし、また同じ施設で働いている卒業生とばったり会うこともあります(互いにケアカレの卒業生であることを知らずに働いていたそうです)。それぞれが違うクラスであっても、卒業生さん同士がケアカレナイトを通して顔見知りになり、仲良くなってもらえるとこれ以上の喜びはありません。そこにゲストスピーカーやスポンサーとして来ていただく施設や事業所の方々も混じるのですから、楽しくないわけがありません。

「私たちは23期生です。もう98期生まで来たんですね!おつかれさまです」と言ってくださった卒業生さんがいました。彼女たちはもう4年以上前に卒業し、それぞれ介護の現場で働いて介護福祉士になりました。ひとりは新しい職場で頑張っていて、ひとりは社会福祉士を目指して勉強を始めるそうです。あのときは右も左も分からずに一から学んでいた生徒さんが、介護の仕事を続けていてくれて、大きく成長していたことが素直に嬉しいです。

 

たまたま隣に座った卒業生さんが、隣近所に住んでいて、近くの施設で働いているということもありました。それぞれがゆっくり話す時間やきっかけがあったからこそ分かったことであり、縁やつながりというものはそのようにして生まれていくのだと思いました。「また会いたいですね」とおっしゃってくれたように、普段の仕事や日常にはない、新しい出会いや邂逅(かいこう)がケアカレナイトにはあるのです。

 

私たちがつながっていくためには、たった一度きりではなく、やはり何回も顔を合わせることが重要です。会ったその日から仲良くなれるなんてことは稀であり、最初はお互いの名前や存在を知り、別れる程度にしかつながれないはずです。介護職員初任者研修でも15日間をかけて、少しずつ仲良くなっていくのですから、たった1日、しかも一夜でつながりが生まれるのは難しいかもしれません。だからこそ、何度もケアカレナイトに足を運んでもらい、「この前はどうも」、「また会いましたね」ということを繰り返して、少しずつそれぞれのことを知って、仲良くなってもらえれば良いのです。

 

 

それはスポンサーとして参加してくださる施設・事業所の方々も同じです。同じ介護の世界で働く仲間として、それぞれの立場の壁を超えて、フラットな関係を築いていくためには、やはり何度も顔を合わせていくことが必要になるのではないでしょうか。つながる場をつくるとき、私たちはつい一回で素敵な出会いがあることを期待してしまいますが、実際はそうではなく、時間と回数をかけてつながってゆくのですね。つながりは質(互いのことを知る機会やきっかけ)×量(回数)という方程式を頭に入れながら、ケアカレナイトが誰にとってもより良き場となれるようにしていきますので、これからも参加をお待ちしております!

 

*3月末には、5月、6月、7月のケアカレナイトの内容を発表しますので、首を長くしてお待ちくださいね。

2019年

3月

22日

「脳科学者の母が、認知症になる」

介護・福祉に携わる者としてこういう問いには、「そうじゃないよ。記憶を失っても、その人らしさはなくならないよ」と、答えをもってきました。けれどもお恥ずかしい話、その理由を理論的に説明することはできず、どこかポジショントーク的な宙に浮いた答えだったと思います。介護の現場で働く中で、認知症の方の不可解な言動や行動に驚き、迷い苦労することもありましたが、それはほんの一端にすぎず、落ち込んだ時にもらったふとした優しい言葉に慰められたり、ご家族との思い出を幸せそうに語る姿にふれることで「失うことばかりではなく、できることもある」と感覚的に判断していました。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2019年

3月

18日

アンケートには全てが詰まっている

2月短期クラスがアッという間に修了してしまいました。どちらかというと静かに始まって、静かに終わったクラスでしたが、研修の途中から飲みに行ったりと、一人ひとりのクラスメイトのつながりは強かったのではないかと感じました。その証拠として、最終日にはそれぞれのメッセージ入りの名札が付けられたエプロンを贈ってくださいました。目に見えたり、分かりやすく表に出てくる表現だけが全てではなく、人知れず喜んでいたり、楽しんでいたりすることもあるのです。ちなみに、このエプロンや名札等は全て100円ショップで揃えたそうです。キティちゃんの人形つき鉛筆も添えられていて、望月先生がとても嬉しそうにしていました。

 

最終日に書いていただいたアンケートにも、好意的な感想が添えられていました。「介護に対する見方が180度変わりました」と書いてくれた生徒さんもいて(たまに360度変わったと言う人がいて、1周回って同じ見方かよと突っ込むことがあります笑)、私が初日のオリエンテーション冒頭で話したことを覚えてくれていたことに感動しつつ、湘南ケアカレッジの想いが伝わって良かったと安心します。その他、「白紙に戻った気持ちで今後は仕事に活かしたい」、「クラスや先生方の雰囲気もとても良くて楽しく通わせていただいた」など、アンケートを読むと、この生徒さんはこのようなことを思って(考えて)いたのかと気づかされます。

 

アンケートは介護職員初任者研修全体の評価であり、先生一人ひとりにとってのフィードバックです。良い感想は素直に受け取りつつ、自分たちのしていることは間違っていないのだと確認できますし、さらに良くして行こうと思えます。悪いフィードバックがあったとしても、素直に受け入れて認めつつ、次は改善して行こうと気持ちを新たにできます。

 

私が塾の先生をしていたときは、毎回アンケートは楽しみにしつつ、反面、怖い気持ちもありました。良かれと思っていることも、生徒さんにとっては悪いと映ってしまっていることもあるかもしれないからです。他者(特に実際のお客さんやサービスの受け手側)にどう受け止められているかを知るアンケートは、客観的に自分のサービスを見る機会です。良い先生ほど、一生懸命に自分のアンケート(評価)を読んでいたことを覚えています。

 

アンケートには全てが詰まっている。たくさんのアンケートで評価をされてきた私の経験上、そう断言することができます。「授業が真面目すぎて面白くない」、「復習をもう少しやってほしい」など、先生の人となりから教え方まで、子どもはストレートに書くので傷つくこともありますが、ほとんどの場合、的確な意見であることが多いのです。大人は遠慮して言ってくれないことまで教えてくれます(笑)。

 

 

それに比べて、大人のアンケートはオブラートに包まれているため、その行間というか、裏にある思いを読み取る必要があります。「〇〇は良かったけれど、××はこうした方が良いかなと思いました」と書いてあるとすると、××の方が伝えたかったことである場合が多いのです。サラッと書かれているからこそ、そこをサラッと読み流してしまうか、それともなぜこう書いてくれたのだろうと思いを寄せるかで先生としての幅が違ってきます。石がぶつかりながら磨かれていくように、私たちも生徒さんからの声や評価を一身に受けながら、先生としてだけではなく、人としても磨かれていくのです。

2019年

3月

14日

「認知症」って何ですか?

「認知症をめぐる今の問題の多くは、病気そのものが原因ではなく、人災のように感じています」という言葉から、樋口直美先生の講座はスタートしました。卵のたとえを使って、多様なストレスによって周りの殻が割れ、暴言や暴力などBPSDという形で感情が白味のようにあふれ出て、それでもその人らしさという黄味は残っている。周りの人たちには卵を持つかのように優しく接してもらいたいし、たとえ割れてしまったとしても、あふれ出した白味ではなく、その人らしさという黄味の部分を見てもらいたいと樋口先生は語ります。頭では分かっていることですが、当事者から生の声で言ってもらうと、心に響くものがありました。やはり当事者の言葉は強いですね。

 

認知症は病気ではなく、複数の認知障害があるために社会生活に支障をきたすようになった状態のこと。原因疾患としては、アルツハイマー型認知症や樋口先生自身が当事者でもあるレビー小体型認知症、脳血管性認知症などがあります。昔は認知症の症状がかなり進行してから発覚することが多かったのですが、最近はかなり早期から周りが気づくようになったこともあり、本人と周囲の理解や工夫により、今までの生活を続けられる可能性は高いと樋口先生はおっしゃいます。

 

そもそも認知症の有病率(病気にかかっている率)は、年齢と共に上がっていき、90を超えて100歳に近づくにつれて、80%に近い人々が認知症になります。年齢を重ねると肉体が衰えて、動かなくなっていくように、脳の認知機能も衰えて、上手く働かなくなっていくのは当然なのです。自分は認知症にならないと思っている人も多いのですが、長く生きれば自然と誰もが認知症になるのです。

 

そうした当たり前の摂理に立った上で、抗認知症薬の効果や使用について、樋口先生は自身の経験も踏まえて疑問を投げかけるのです。実は抗認知症薬は進行を遅らせる薬ではなく、40人に1人にしか高い効果を示しません。フランスでは2018年にすでに抗認知症薬は保険の対象から外れています。樋口先生自身には抗認知症薬が効果を示しましたが、残りの39人にとってはせん妄等の副作用しかないとも言えるのです。使ってみて効果がなければ薬をやめる、副作用が大きくても薬をやめるのが正しい選択ですね。

 

講演後半のレビー小体病の当事者ならではの話には迫力がありました。幻視の話(はっきりと見えるので、どれが本物でどれが幻視か分からない)や料理の話(段取りが難しかったり時間の感覚がバラバラであったり、嗅覚が失われてしまっていることなど)は笑い話を交えながらも、実際にあった経験を当事者の口で語るからこそ、うなずきと新しい感覚の発見の連続でした。卒業生さんたちも身を乗り出して聞いていました。

 

 

最後に樋口先生は、認知症があっても大丈夫というメッセージを投げかけてくれました。「私は壊れていくのかな?」と利用者さんから聞かれて困っているという卒業生の質問に対して、「『壊れませんよ。安心してください』と言ってあげてください」と断言された樋口先生は、言葉が適切かどうか分かりませんが、とても格好良かったです。当事者が人の前に立って大丈夫だというメッセージを送り続けることで、たくさんの人たちが救われて、これからも救われていくのだと思います。そんなひとつの機会をつくれたことを誇りに思います。

2019年

3月

09日

やりたいと思えることをやる

私の誕生日にふと読みたくなって、「チーズはどこに消えた?」という本を読みました。このままで良いのだろうかと何となく考えていたところに、この本の中にヒントがある気がして、書店で手に取ったのです。2000年に発行されてからずっと売れ続けている本ですが、今まで読んだことがありませんでした。一読してみて、なるほど、私だけではなく、人々の不安はここにあるのだなと思いました。つまり、今の生活や人生には満足しているけれど、自分だけ変化の波に取り残されてしまうのではないだろうかという根源的な不安です。

 

主人公はネズミのスニッフとスカリーの2匹と小人のヘムとホーの2人。幸せのチーズを誰もが手に入れるところから物語はスタートします。チーズを追い求めてようやく手に入れる成功物語ではなく、幸せのチーズはすぐに見つかります。しかし、ある日、突然チーズは目の前から姿を消してしまうのです!

 

その出来事を受けて、ネズミのスニッフとスカリーはすぐに新しいチーズを探しに飛び出しますが、小人のヘムとホーはなぜチーズが消えてしまったのかと悩んだり、チーズは消えておらずどこかにあるのではないかと現状を否定してみたりします。そのうちホーは現実を受け入れ始め、自分たちも新しいチーズを探しに行かなければならないことを悟ります。それでもヘムは拒み続け、ホーはひとりで旅に出ることになります。

 

 

新しいチーズを探す旅の中で、ホーが学んだことは、

この物語をどう解釈するかはそれぞれですが、大事なことは、変化は必ず起きるものであり、それを楽しもうということです。今のものや古いものを捨てて、常に新しいものを探さなければいけないという強迫観念ではなく、変化を受け入れつつ、古い考え方や常識にとらわれずに、新しい関係性や見かたに自ら進んで素早く対応しようということですね。つまり、外に出て行って全く違うことを探すことも必要かもしれませんし、今あるものをもう一度見つめなおし、新たにつくりかえていくことも大切なのだと思います。

 

 

それでは、新しいチーズをどのようにして探すのかというと、やりたいと思えることをやるということなのだと思います。やるべきことを探すことでも、やりたいことを見つけることでもなく、やりたいと心から思えることがあるのなら、それを素早くやり始めることなのではないでしょうか。無理に新しいことを始める必要もなければ、新しい関係や考え方などをつくることもありません。しかし、変化は必ず訪れるものだから、常に今あるものを観察していつつ、前に進む意欲を忘れないということです。そう考えると、44歳になった今年はどんな変化を起こせるのか楽しみになりました。

 

先生方から誕生日プレゼントをいただきました!いつも素晴らしい授業をして、素敵な学校を一緒につくってくださって、ありがとうございます。

2019年

3月

06日

ラの音を奏でる【友愛荘】

「私は信州の生まれだから」

「さすが田多井さん。お肌の艶がいいですね」

「またそんなこと言って。お兄ちゃんはかっこいいね」

「園長さんもほら、こっちへどうぞ」

田多井さんがそっと腰を右にずらし、施設長の藤田さんを丁寧に手招きします。

廊下のソファーは介護職員の瀬尾さん、田多井さん、そして施設長の藤田さんも加わりにぎわいを増しました。少し離れてカメラを構えると、それぞれの声が奏でるドレミファソラシドの「ラ」の音階の音が重なり、明るいハーモニーに聞こえてきます。

 

故日野原重明先生の言葉を記したかるたに、こんな1節があります。

ラ音は心地よし、ラ音で伝わる、幸せの心その解説は、こう続きます。

 

楽しい時に出るハミングは、決まって「ラ」で始まります。挨拶や会話も、努めて「ラ」音で行えば、幸せの心が伝わります

 

続きは→【介護仕事百景】のホームページにて

2019年

3月

03日

大満足度100%!

ボディメカニクス講座がスタートしました。湘南ケアカレッジが6年前に開校して以来、ボディメカニクスをもっと学びたいという声は多くあり、誰もが満足して、介護の現場にも活かしてもらえるように、しっかりと学べる研修をつくりたいとずっと考えていました。遅ればせながらも、ボディメカニクス講座としてようやく開催することができ、まさに念願がひとつ叶った気持ちで一杯です。小野寺先生が介護職員初任者研修の中で培ってきた、ボディメカニクスの授業のノウハウや情熱が全て込められた、素晴らしい講座になったと思います。3級が終わり、アンケートを取らせてもらったところ、ななんと、初めての研修だったにもかかわらず、大満足度が100%(全員がとても良かった)という最高の結果でした!

 

ボディメカニクス講座は3級、2級、1級と分かれていて、段階的に学んでいただく仕組みになっています。分かりやすく言うと、3級は基礎・基本であり、2級は応用・実践です。湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修を受けた卒業生であっても、もう一度、ボディメカニクスの基本のキから教えさせていただき、思い出してもらいます。介護職員初任者研修では1時間半ぐらいでザッと終わりになるボディメカニクスの基本を、6時間かけてみっちりと教えさせてもらいます。何度も練習できますし、ひとつ一つの原則をしっかりと説明し理解してもらいますので、満足度も高まるのではないでしょうか。

 

授業のほとんどは身体を動かして学ぶ実技演習になります。3階の事務所にも歓声が聞こえてくる盛り上がりで、教室に見学に行ってみると、皆さん楽しそうにボディメカニクスを使って練習していました。「あっという間に終わってしまった」という声が多く、本当に6時間があっという間に感じられるぐらい、小野寺劇場を楽しんでもらえたのだと思います。最後は2級の予告編というべきところまで少し踏み込んでいて、次回へと楽しみをつなげるのも小野寺先生さすがですね。3級だけを申し込んだ生徒さんも、2級を受けてみたいとアンケートに書いてくれていました。

 

3級、2級ときて、1級はいつどのような内容をするのかと疑問を持つ方もいると思いますので、現時点で分かっていることを簡単に説明しておくと、1級はボディメカニクスを指導、伝道してもらえるようになるための講座です。来年ぐらいに、2日間ぐらいかけて、少数精鋭で行いたいと予定しています。私たちの力だけでは足りませんので、ボディメカニクスを広めてくださる方々を養成していきたいです。こちらもぜひ楽しみにしておいてください。

 

追伸

 

講座のレポートをしておきながら、実は6月までの講座が全て満席になってしまっています。8月開催のクラスであればまだ空きがありますので、気を長く待てる方は先に席を取っておいてください。どうぞよろしくお願いします。

2019年

2月

28日

「どもる体」

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」を書いた伊藤亜綾さんの近著「どもる体」の講演を聞きに、新宿のカルチャーセンターに行ってきました。前著と違い、「どもる体」はやや難解で、読み進めていくのを躊躇していたところだったので、著者に生の声で教えてもらえる機会はまさに渡りに船でした。吃音から身体の時間論までを論じるという難解なテーマであるにもかかわらず、一つひとつの分かりやすい事例や断片を積み重ねていくことで、少しずつ深く、かつ分かりやすく展開していく素晴らしい内容でした。ぜひいつか、ケアカレナイトにも来ていただきたいと願います。

 

実は私も以前から吃音(どもり)に興味を持っていました。かつて別の学校で働いていたとき、電話でどうしても言えないフレーズがありました。「お電話ありがとうございます。○○○の村山です」という、一見なんてことのない二文が、ある日、私の口から上手く出て来なくなったのです。最初は言葉に詰まる程度でしたが、何度かそのような場面が続くと、電話を取る度にまた詰まるのではないかと不安になります。

 

電話が鳴ると、頭の中でフレーズを練習してから出るようにしてみても、それでも詰まってしまいます。そのようなことを繰り返しているうちに、ますます言葉が出にくくなり、次第に詰まるというよりは最初の言葉が出てこない、つまり電話に出ても、ひと言も話せなくなってしまうようになりました。

 

このときの自分の感覚を描写するとすれば、頭と身体が一致しないという表現が適切でしょうか。頭ではグルグルと言葉が回っているにもかかわらず、それが言葉となって出てこない。身体が反応しないので、言葉がどこかでせき止められたかのようになってしまう。死ぬほど苦しいほどではありませんが、もどかしいというべきか、とても情けない気持ちになります。

 

なぜこのようなことが起こるのか、その当時は分かりませんでしたが、あとから振り返って分析してみると、3つの要因が思い浮かびました。ひとつはリズムと構音上の問題です。他の言葉は普通に口から出てくるのに、「お電話ありがとうございます。○○○の村山です」というフレーズに詰まってしまうのは、ただ単純に私にとって言いにくいのです。最初の“お”から始まって、“ありがとう”のあたりが特に口が回らないのです。

 

2つ目は、心理的なプレッシャーです。言いにくいとはいえ、普通の状況では言える以上、リズムや構音上の問題だけではありません。電話がかかってきて、そのとき対峙する他者に向けて初めて発する言葉がスムーズに出るかどうかという不安があると、余計に口が回らなくなるのです。脳の半分ぐらいの機能が、上手く言わなければならないことに稼働されてしまい、メモリが少なくなっている状態で電話に出るので余計にフリーズしてしまう。三島由紀夫の「金閣寺」的に言うと、鍵が開かないという感覚です。

 

3つ目は、深層心理における抵抗です。どこの企業にも電話応対マニュアルがあると思いますが、私はそのような決められたものを反復することが好きではないようです。そして、働いているその学校や仕事に対しての心理的な抵抗もあったのかもしれません。本当はこんなことしたくないのに、こんなやり方は嫌いなのになど、無意識であっても、社会がこうあるべきという姿に引っ張られていることに対する抵抗です。2つ目と3つ目の要因については、吃音が社会的な障害だと言われる理由が良く分かりますね。

 

伊藤亜綾さんの講演は、ここから先、身体の時間論へとジャンプします。私たちの身体の中には、「リスク管理できる体」と「予測できない自然としての体」が共存しています。「リスク管理できる体」は、たとえば出勤時間や締め切りなどの決められた時間から逆算して今を生きるための体です。制度や予測、連続というものに縛られている、逆算の時間です。対して、「予測できない自然としての体」とは、ベクトルが常に今から未来へと向かっていて、自由であり触発であり、不連続であり、体の生理に合わせた、足し算の時間です。現代の人たちはほとんどを逆算の時間の中で生きていて、伊藤亜綾さんはその逆算の時間の中に足し算の時間があることについて研究を進めたいと語ります。認知症の方の「話が飛ぶ」という具体例を挙げての解説は秀逸でした。

 

 

その話を聞いたときに思い出したのは、星野道夫さんの「もうひとつの時間」であり、○○○さんの「○○○の時間」でした。星野道夫さんは、私たちが慌ただしく日常を過ごしている今、同じ時間に、アラスカの海ではクジラがジャンプしていることを知っていることが大切だと語り、○○さんは物事について深く考えるためには切れ間のない時間が私たちに必要だと説きました。私も両者の考え方には深く共感します。そのような足し算の時間は、私たちの人生を彩る上で大切な時間であるにもかかわらず、現代ではますます贅沢な時間になってきているのです。それでも私たちは、自分たちの意志を持って、逆算の時間だけを生きない、逆算の時間の中に足し算の時間を入れ込んでいくことができるはずです。

2019年

2月

25日

アンガーマネジメント講座が終わりました

ケアカレナイトの第1回は、藤田先生によるアンガーマネジメント講座でした。ケアカレナイトの記念すべき最初の講座を決めるにあたって、藤田先生にお願いすることに迷いはありませんでしたが、その内容にはありました。こういうこともああゆうことも教えたいと藤田先生から提案されている中から、どの内容が初回に相応しいのか、迷いに迷ったのです。その結果、藤田先生がかねてより熱望していたアンガーマネジメント講座に決めたのですが、正直に言って、介護の世界においてアンガーマネジメントはまだ知られていないのではと考えていたのです。ところが、いざ募集を開始してみると、「アンガーマネジメントを学びたかった」という声が殺到しました。藤田先生の人気もあったと思いますが、アンガーマネジメントにも大きな需要があり、すぐに追加講座を開くことができました。

 

参加しそびれてしまった方のために、講座の内容をコンパクトにお伝えすると、まずアンガーマネジメントとは、「怒る必要のあることには上手に怒り、怒る必要のないことは怒らないようになる」ことです。そうすることで、怒ったあとで自分が後悔することがなくなり、また他人を傷つけたり、物を壊したりすることなく怒りを表現できるようになります。怒りとは、誰にでも備わっている感情であり、身を守るための生存本能です。そして、アンガーマネジメントのポイントとなるのは、怒りは第2次感情であることを知っておくことです。

 

第2次感情とは、第1次感情があってその次に湧きあがってくる感情と考えてもらうと分かりやすいかもしれません。いきなり最初に怒りという感情が芽生えるのではなく、その前に悔しいとか悲しい、つらい、苦しい、せつないという第1次感情があるのです。怒りという第2次感情ばかりに注目してしまうと、なぜ怒っている人は怒っているのかを見落としてしまうことになります。怒っているから怒っているのではなく、その内側には別の感情があるからこそ怒っているのです。その第1次感情を想像してみることが、アンガーマネジメントの第1歩になります。

 

たとえば、自分が怒りの感情を覚えたとき、怒りという表面的な感情ではなく、自らの1次感情を探ってみることです。なぜ私は怒っているのか、その原因となっている感情は何か?それができるようになると、怒っている他人の第1次感情にも目を向けられるようになります。そうすることで怒っている他者への理解は深まり、共感しやすくなるはずです。「なんで怒っているのですか?」ではなく、「つらいですよね」という声掛けに変わるかもしれません。

 

自分の思考のコントロールをすることも大切です。それぞれの人には、自分なりの「べき」があり、それが狭すぎると、自分の「べき」の中に当てはまらない全ての人やことに怒りの感情を抱いてしまいます。怒る必要のないことを怒らないようにするためには、自分の「べき」の範囲を広げていくべきです。それは他者理解にもつながりますし、自分の「べき」と相手の「べき」は異なることを学ぶことになるのです。

 

 

個人的に今回新しく勉強になったなと思うのは、アンガーマネジメントにおける自分や他者の第一感情を探る(想像する)ことは、私たちが良く言われる「共感的理解」ということにかなり近いということです。相手に共感して理解すると言葉で言うのは簡単ですが、実際にどうすれば共感的理解なのかと疑問に思う方も多いはずです。そのひとつの答えや手法が、相手の第一感情を探る(想像する)ということなのではないでしょうか。なぜあのような言動を取ってしまうのか、その本質を理解するためには、他者がどのような事実の元にどのような一次感情を抱いたのかを考えるべきなのです。そのためには、まず自分の一次感情を見つめなおし、知っておくべきなのだと思います。藤田先生、参加者それぞれが自分と向き合って、内省するような授業をしてくださって、ありがとうございます!

2019年

2月

21日

助けられ合い音楽祭

れる、られる。学生時代に文法の授業で勉強したことを覚えている方も多いのではないでしょうか。そう、受け身の意味をつくる助動詞です。助けるという言葉の後につけると、助けられる、つまり助けてもらうという受け身の意味になります。最近は、助け合いとか支え合いという言葉をよく聞きますが、助けられ合いというキーワードで活動している「られPJ(プロジェクト)」という活動があります。助け合う社会ではなく、助けられ合う社会です。よく考えてみると、助け合うことも簡単ではありませんが、それ以上に、助けられ合うことは難しいのかもしれませんね。

 

助け合うためには、自らが主体となって助けなければなりません。助けを求めている(ように思える)人を見つけて、助けなければ始まりません。それでも、助けるべき相手さえいれば、助けることでひとまずは成立しますので、スタートしやすい反面、助けなければならないと肩に力が入ってしまいがちです。

 

それに対して、助けられ合うためには、まずは自分が助けられる存在であることを知らなければいけません。自分の弱みを見つめるということでもあり、実は自分はいつも誰かに助けてもらって生かしてもらえていると認識することから始めなければならないのです。これは簡単なようで簡単ではありません。相手のできないを発見することはできても、自分のできないを知ることは案外難しいのです。

 

しかし、いったん自分の弱みやできないことを知ることさえできれば、あとは助けてもらうだけです。さあ助けてくださいと依頼し、肩の力を抜いて、相手に身をゆだねるだけです。上手く助けられようなんていう想いは全く必要なく、感謝の気持ちを忘れずに、助けられるだけで良いのです。どうでしょう、助けられ合い、できそうですか?

 

 

助けられ合いプロジェクトの一環として、4月1日(月)に八王子のオリンパスホールにて音楽祭が開催されます。様々なバックグラウンドやジャンル、スタイルを持つ音楽家が集まって、観客と共に楽しみながら演奏する音楽祭です。実は、私の知り合いの田中直樹さんも楽曲を提供し、出演もされるみたいで楽しみです。音楽が好きでご都合の合う方は、ぜひ参加してみてください!

 

☆助けられあい音楽祭の公式HPはこちら

☆注目記事「られあう時代へ。豊かでピースフルなアクションが始まる」はこちら

2019年

2月

17日

許し合う社会を

ピアスなどの服装や校則違反をした生徒を注意したところ、生徒から暴言を吐かれ、カッとなった先生が生徒を殴ったという、町田総合高校のニュースが世間をにぎわせました。長い間、教育業界で育ててもらった私にとっては、どちらか一方を断罪するのではなく、なぜあのような事件が起こったのか、そこまでの経緯が知りたいと思ってしまいます。ピアスのようなどうでも良いことのために、先生や生徒たちの未来が閉ざされてしまったことの背景には、お互いのことを認め合えず、許し合えない学校や社会の空気があったのではないかと想像するのです。

 

私が大手の介護スクールにいた30歳ぐらいまでの頃は、他人に対しても厳しい人間だったと思います。ここで言う厳しいとは、伝えるべきことを伝えるという意味ではなく、相手の事情を考慮することなく、自分の基準を押し付けるということです。上司や部下や受講生(大手の介護スクールではそう呼びます)に対しても厳しい見方をしていました。今思い返すと、顔から火が出るぐらい恥ずかしく、それは昭和という時代の中で学校教育や部活動、受験勉強などによって培われた思想でした。厳しさを求められた周りの人たちは、さぞかし息苦しかったことでしょう。

 

ひとつの考え方の転機となったのは、大手の介護スクールから転職した塾で一人ひとりの生徒さんたちと正面から向き合った5年間でした。私が担当していた個別指導塾は、どちらかというと勉強が嫌いな、やんちゃな生徒が多い塾でした。現場は行儀や素行の悪さが満載で、日々、どこまで厳しく叱るべきかどこまで許すべきかの判断の連続でした。

 

そのような一つひとつの経験や判断を通し、厳しくするよりも、厳しくしなかったケースの方が、結果的に上手く行くことが多いということを生徒さんたちから教えてもらいました。別の言い方をすると、許さなかったときよりも許した方が成果は出やすい、見逃さなかったよりも見逃してあげた方が長い目で見るとプラスに働きやすいということです。

 

たとえば、子どもが遅刻をしたり、宿題を忘れたとき、問い詰めたり、取りに帰らせたり、叱ったりすることにほとんど効果はありませんでした。その場では先生の体面も保たれますし、子どもたちも表面上は従うのですが、子どもたちの心に禍根を残してしまいます。その禍根を取り除くのは容易ではなく、閉ざされてしまった心の扉を開けることはなかなか難しかったりします。私は厳しくしてしまったことで、何度も失敗をしました。失敗した子どもたちのことは今でも覚えています。

 

その逆に、許して良かった、見逃しておいて正解だったと思うことは多々ありました。甘やかしてしまったかなとその場では反省したこともありますが、長い時間を経てみると、あのとき許しておいて良かったと胸をなで下ろすことがほとんどでした。

 

なぜかというと、 私たちが(相手のためにも)厳しくしようと感じたとき、ほとんどの場合においては、自分のこうあるべきという枠の中で考えているからです。良かれと思っていても、あとから振り返ってみると、自分のべきの範囲が小さかったことに気づくのです(このべきの範囲についてはケアカレナイトのアンガーマネジメント講座にて藤田先生がお話ししてくれます)。厳しく叱るのは、誰かを傷つけてしまうことや命や身体に危険が及ぶときだけで良いのです。

 

マイナス視点で見られたことで、生徒さんも先生をマイナスの目で見るようになります。許してもらえなかったことで、自分も相手を許せなくなるのが人間です。これは子どもたちだけではなく、他人と接するときにも当てはまるのではと思いました。人間はミスをしますし、忘れるし、遅れるし、間違うこともある。ひとつの現象や状況だけで、相手の非を責めるのは恐ろしいことです。許さない社会は許されない社会と同じですね。

 

 

先生という職業をしていると、どうしてもその場で厳しくしなくては(その方が相手のためになるなど)と勘違いしてしまうのですが、そうすることで結局のところ上手く行かなくなってしまうことの方が多かったのです。それならば、生徒さんを褒めたり、認めたりした方が、長い目で見ると効果的なのです。生徒さんに何かを教える立場にある私たちは率先して、自分のべきを拡げ、微力ながらも湘南ケアカレッジを通して、認め合える、許し合える社会をつくっていかなければならないのだと思います。

2019年

2月

13日

多様性とは?

年明けからスタートした1月短期クラスが、あっという間に終わってしまいました。もうこのクラスで97期生になりますので、私も含めて先生方も一歩ずつ積み上げて、高い山に登って来たなという実感があります。100期生までのカウントダウンも始まりましたね。今回のクラスは、最初のオリエンテーションでの挨拶から、ポジティヴな反応が返ってくる、元気で前向きな生徒さんたちでした。そして、一人ひとりのクラスメイトがそれぞれ個性的で実に多様性のあるクラスだったと思います。どのクラスでも皆さん個性的で、多様性があると思うのですが、今回は特にその気持ちを強く抱きました(笑)。

 

最近言われる「多様性」とは、一体何であり、どのように定義し、解釈していけばよいのでしょうか。企業における多様性というと、女性や障害のある人などが挙がり、社会における多様性というと、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル、トランスジェンダー)や人種などが挙がりますが、そのような目に見えやすい違いだけが多様性ではないと思うのです。むしろ目に見えない多様性にこそ、私たちは目を向けていかなければならないですし、それこそが本当の多様性を大切にする姿勢のはずです。

 

大前提としては、多様性が生きるためには、そこに集まっている人たちが同じ方向を向いている必要があります。それぞれがバラバラの目的を持っていると、お互いの違いはマイナスにしかならず、話し合いにもなりません。たとえば、湘南ケアカレッジの先生方は、それぞれが凸凹の個性を持っていますが、生徒さんたちに最高の福祉教育を提供したいという想いを共有しているからこそ、その凸凹が見事にかみ合って、良き多様性を生みだします。また今回のクラスメイトさんたちも、介護・福祉について積極的に学びたいという気持ちがあるからこそ、それぞれの違いが全体としては明るい方向に向かうのでしょう。

 

それでは、目に見えない多様性とは何かというと、それぞれの考え方や強みの違いのことです。肌の色が違ったり、性別や年齢が異なることも多様性のひとつではありますが、それ以上に大切なのは、お互いの考え方や強みの違いを認めて、受け入れて、生かしていくことを考えると、本物の多様性が生まれてくるのではないでしょうか。それは社会でも企業でも必要なことですが、特に介護・福祉の現場では重要な視点となります。相手と自分は違う考え方や文化を持っていることを前提として接し、さらにそこから相手の強みを見出し、引き出して支援することが多様性を生み出す鍵となるのです。違いを面白がることでもあり、本当の多様性の中においてこそ、相手だけではなく自分も生きるのだと思います。

 

 

研修の最後に、皆さんからメッセージボードをいただきました。ケアカレカラーのオレンジ色の枠で、とても可愛いですね。この作品ひとつをとってみても、一人ひとりの個性が生き、研修全体が楽しかったと誰もが感じてくれたことが伝わってきます。ありがとうございました。またいつでも遊びに来てください!

2019年

2月

06日

良きリーダーシップは良きフォロワーシップから

ケアカレナイトが始まりました。ケアカレナイトは、卒業生さんから言われた、あるひと言がきっかけとなっています。その方はケアカレで行っている全ての研修に参加して学び、晴れて介護福祉士に合格しましたが、合格祝賀会で「これで終わりになってしまうのは寂しい。この先もケアカレに来て学べる機会があると嬉しいです」とおっしゃってくれました。その言葉を聞いて、全ての研修を受け終えた後も、介護福祉士に合格した後でも、卒業生さんたちがケアカレに戻って来て、学ぶ機会を作りたいと思いました。教室の空いている夜の時間帯に開催し、介護・福祉について学ぶだけではなく、集まってくれた人々がつながっていく場所になれば嬉しいなと、実はもうかれこれ2年ほど前から考えていたのです。

 

せっかく来ていただくからには、素晴らしい集まりにしたいですし、1回きりで終わってしまうのではなく続けていかなければいけません。いろいろな面を考慮すると実現は難しいなと思っていたところ、ケアカレにゆかりのある施設・事業所様がスポンサーとしてサポートしてくださることでようやく実現する運びとなりました。今回の講座がこれだけの受講料で受けられるのも、懇親会で美味しい軽食が食べられるのも、協賛施設・事業所が支えてくれるおかげです。この場を借りて御礼を申し上げます。ありがとうございます。

 

スポンサーとはいえ、もちろん一人の参加者として、卒業生の皆さまと一緒に講座を受けていただき、グループワークや懇親会にも参加してもらいました。ケアカレナイトは職種や立場、性別、年齢などを超えたフラットな場にしたいのです。施設長や経営者、管理者の方々がケアカレの教室に来て、普通に講座を受けてくれて、最初は馴染めるのかなと心配していましたが、彼らの姿を見て驚きました。大げさでもなく、持ち上げるわけでもなく、他の誰よりも彼らが熱心に頷きながら、メモを取り、身を乗り出すようにして聞いていたのです。グループワークでは率先して意見を言い、他の参加者の話に相づちを打ち、なるべく全員が意見を言えるように導いていました。

 

良きリーダーシップは良きフォロワーシップから、という言葉を思い出しました。素晴らしいリーダーは、立場や場所が変われば、良きフォロワーになれるということです。彼らは天下りや同族経営の施設長・管理者ではなく、何十年も現場で様々な経験を積み、理不尽に耐え、無理な要求や批判を乗り越えながらも自分を磨き、他者から評価されて施設長や管理者になった叩き上げの人たちです。その過程の中で、良きフォロワーであることを学んだのでしょう。良き小説家は良き読者であり、良き音楽家は良きリスナーでもあるように、良きフォロワーだからこそ、良きリーダーになれる。リーダーシップとフォロワーシップは正反対のものと考えられがちですが、そうではなく、実はつながっている。自分はこうしたい、こう思うと主張するばかりがリーダーシップではないのです。

 

彼らの立派な姿を見て、私は彼らのように振舞えるだろうかと自問しました。エゴを捨てて、自分よりも年下の講師の話を素直に聞き、学ぶべきことを学ぶ。他者の多様性を受け入れ、その場に溶け込み、誰彼なく分け隔てなく接し、状況によっては盛り上げ役にも徹する。私のような小さな器の人間では、彼らのようには謙虚になれないのではと思ったとき、心の底から尊敬の念が湧いてきました。彼らのようなリーダーを持つ施設・事業所は、本当に素晴らしい介護を提供しているのだと思うのです。正吉苑の折原さん、ウェルフェアリビングの戸部さん、千手の岡本さんと鳥居さん、そしてスタッフの方々、ありがとうございました。

 

 

藤田先生のアンガーマネジメント講座に関しては次の機会に書きますが、本当に素晴らしかったです。参加してくださった卒業生さんたちや先生方、いろいろとお手伝いしてくださってありがとうございました。こんなに素晴らしき人たちがいる介護業界は捨てたものじゃない、これから先がもっと楽しみだなと感じ、ケアカレナイトもそのような場になれたらと願います。

正吉苑様よりお祝いのお花をいただきました。こうしたちょっとした心遣いも素敵です。

2019年

1月

30日

捧げる幸せ

介護福祉士筆記試験の帰り道に、卒業生さんがケアカレの教室に立ち寄ってくれました。「ダメかもしれない。また来年頑張るよ」と、Mさんにしては珍しく、気落ちした様子でした。Mさんは73歳。ケアカレの介護福祉士合格者の最高齢記録を塗り替えようと、2年近く前からずっと勉強を重ねてきたことを知っていますので、私たちも何としても合格してもらいたいと応援していました。そこで悩んだ問題をもう1度一緒に考えてみたり、インターネット上にある解答速報を参考に自己採点してみたところ、合格ラインに乗っていそうだということが分かり、安心して帰途につかれました。

 

実はMさんの前に、ケアカレの介護福祉士合格者の最高齢記録を持つKさんがいました。70になる前に介護福祉士になりたいという願いを叶えるべく、介護福祉士筆記対策講座に参加してくださり、69歳の時に見事合格されました。KさんとMさんに共通しているのは、とにかく勉強の量が半端なかったことです。びっしりと書き込まれたノートが5、6冊に及ぶほど。そして、全5回ある筆記試験対策講座の授業の中で行われるミニテストや総合問題でも、クラスの中でトップの成績を挙げていました。勉強はまずは量だということが分かります。年齢や性別がどうこうではなく、何かにチャレンジしている卒業生さんたちを見ると、私たちも彼ら彼女たちに負けないように頑張らねばと刺激を与えてもらえます。

 

 

挑戦している生徒さんを支えるために、先生方も頑張って教えてくれました。それぞれの得意分野を教えてもらっていますが、新倉先生はより分かりやすくしようとスライドを工夫してくれたり、藤田先生は確認テスト問題を新しく組み替えて臨んでくれました。小野寺先生は過去問を精査して分かりやすい解き方を伝授してくれました。佐々木先生や望月先生は周到な準備のもと教えてくれ、授業が終わると大きな緊張感から解放されていたぐらいです。そして、今年もスコアカードにメッセージを添えてくれました。一人ひとりの生徒さんのことを想うことを体現してくれていると思います。

卒業生さんや先生方の姿を見ていて、何かに向かって自分を捧げることが幸せなのだと感じます。何もない平和な日常も素晴らしいけれど、やはり私たち人間は、何かを目指して挑戦することに生きている実感を得るのではないでしょうか。その過程こそが、充実して生きるということなのです。挑戦することには年齢も性別も関係がなく、自分自身の問題です。結果や現実は後からついてくるものであり、幸せという観点でいえばおまけみたいなもの。頑張らずに合格しても幸せの実感は薄いはずで、それならば頑張って不合格の方が、もう1度挑戦できると考えると、長い目で見ると幸せなのではないでしょうか。もちろん、ケアカレの卒業生さんたちには頑張って合格してもらいたいと心から願います。3月27日の合格祝賀会が楽しみです!

2019年

1月

24日

身体をアップデートする

「身体をアップデートする」というテーマについて、乙武洋匡さんの話を聞きにWeekly Ochiai(落合陽一さんの番組)の収録に参加してきました。この番組は、NewsPicksの会員限定のため視聴できない方々もいると思いますので、私が重要だと思ったポイントだけ共有させていただければと思います。身体をアップデートするというテーマは、分身ロボットカフェに参加してからずっと考えていたことだったので、実にタイムリーでした。人間の身体とは何なのか、そしてどこまで拡張することが可能なのか。分身ロボットカフェの話も登場し、パラリンピックやこれからの超高齢社会に向けて、本当に密度の濃い1時間でした。

 

どこまでが身体なのかと疑問に思ったのは、分身ロボットカフェで島根在住の脊髄損傷で両手足が動かない方に接客してもらってからです。そこに彼の肉体はなかったけれど、話をすることができたり、コーヒーを注文して持ってきてもらうと、まるで彼がそこにいるかのような感覚がありました。ロボットと話している違和感はなく、彼という人間と話しているようでした。そのとき、このロボットは彼の身体の拡張なのか、それともそもそも彼の肉体さえもが乗り物のひとつであって、彼のこころだけが人間の確たるものなのかという哲学的な問いが浮かんだのです。

 

同じような話はWeekly Ochiaiでも提起され、乙武さんは国会議員がロボットなどを使って海外などの遠隔地から国会に出席すること(テレプレゼンス)は参加にあたらないのか?と投げかけます。それでは逆に、脳梗塞などの病気によって身体を動かすことも意志を伝えることもできない状態にある議員が国会に運び込まれた場合、それは参加になるのかと。どちらが議員としての役割を果たすかというと、前者の方が参加にあたるのではという問題提起です。肉体だけでは意味がない、そこに意識やこころが宿っていて初めて人間という存在になる、というひとつの考え方です。

 

もう少し話を進めると、たとえば植物人間状態の人がいて、その人がただ肉体としてそこに存在するだけで、家族や近しき人たちにとっては意味や価値がある場合もあるはずです。意思の疎通はできないとしても、肉体が生きていることで心もそこにあるとこちらが感じるということです。これは肉体至上主義なのかもしれませんが、そこにロボットがあって、遠隔でコミュニケーションができるよりも、コミュニケーションは一切図れないけれどそこに肉体がある方が良い場合もあるのではないでしょうか。

 

また、昨日、私は収録の現場に肉体を運んで参加したからこそ、得られた体験もあるはずです。自宅にいてパソコンやスマホの画面で番組を視聴することもできましたが、それとはまた別の5感を刺激するものがあったと思います(そう信じているだけかもしれません)。ところが、この先5Gの普及によってVR(バーチャルリアリティー)で視覚や聴覚、もしかすると嗅覚や触覚、味覚までも、そこにいるのとほぼ同じ体感ができる時代がくるはずです。そうなったとき、まずます身体の境界線は曖昧になっていくのでしょう。

 

 

そうすることで、私たちはテクノロジー等によって、失われた機能を回復するというよりも、新しい身体機能を拡張していくという方向性を持つようになるはずです。そして、乙武さんのいう「意志を最大化する」ことができるようになり、落合さんのいう「身体の形、機能に縛られない(とらわれない)」考え方が当たり前になるのではないでしょうか。そんな新しい未来が、まるで目の前にあると錯覚してしまいそうになる、刺激的な内容の収録でした。

2019年

1月

18日

優しくなれた

先日、友人を連れて教室に来てくれた卒業生さんが、「優しくなれた気がします」とおっしゃってくれました。湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修を受ける前から、障害者の施設等での仕事をされていたそうですが、利用者さんに対する見方や考え方、接し方が、自分でも実感できるぐらいに変わり、優しくなれたということです。「お母さん、優しくなったねと言われました」と報告してくれた卒業生さんもかつてもいたように、研修のあとは多かれ少なかれ、内面的な変化が訪れるようです。それは世界観が変わる福祉教育を湘南ケアカレッジが提供できていることの表れであり、とても嬉しく思います。

 

ここでいう優しいとは、どういうことなのでしょうか。優しさにはさまざまな形があると思います。どのようなことがあってもニコニコしていること。相手が聞きたくないことを言わないこと。困っている人に手を差し伸べること。他者の気持ちを理解して声掛けをすることなど。人間であれば、本来誰にも備わっている資質であり、尽きることのないものです。私たちは誰もが、優しくありたいと願っているのではないでしょうか。

 

それでもなぜか、気がつくと優しさが失われていき、いつの間にか優しくない自分になっていたりします。それまでは普通だと思っていたことが、あとから考えると優しくなかったなと反省することもあるはずです。

 

優しさとは学ぶことができるものなのでしょう。たとえば、介護職にとっての優しさとは、利用者さんを知ることから始まります。利用者さんの生きてきた背景であったり、抱えている病気や障害であったりを知り、それに対して適切なケア(支援)を提供することが優しさです。ここは勘違いされやすいのですが、何から何までやってあげることが優しさではありません。本当の自立支援をするためには、他者のことを学び(知識)、支援方法について学ぶ(技術)ことが大切なのです。介護の世界には、まだ知識も技術も不足しているため、本当に優しい介護ができていないという現状もあります。

 

 

卒業生さんが優しくなれたと感じたのは、自分にとって知識と技術が身についたことが大きいのではないでしょうか。自分について学び、相手について学び、そして具体的な方法を学ぶ。それを今までの経験と重ねてみることで、自分にとっての本当の優しさが生まれてきたのです。そして、そのようにして生まれた優しさは、(差し出すかどうか)選ぶことができるものでもあり、またこの先も磨き続けていくべきものなのです。決して生まれつき優しい人がいるわけではなく、私たちは学びながら(または磨きながら)、勇気を持って優しさを差し出すことによって、優しくなれるのです。

2019年

1月

11日

映画「こんな夜更けにバナナかよ」

原作よりも面白い映画というものはほとんど存在しないと思っていましたが、この映画は原作の伝えたいテーマに忠実でありながら、よりダイレクトに観客の心をわしづかみにするロックさとポップさを併せ持つ作品でした。私が原作を10年以上前に読んだとき、そのキャッチ―なタイトルと表紙のインパクトに反して、中身は鹿野靖明という難病患者の生涯を描いた、実に硬いノンフィクションだと感じたことを覚えています。その原作を題材として、鹿野の生き方に想いを馳せ、もう一度、人間が生きることについて問い直し、作り直された素晴らしい映画です。もはや介護や福祉の枠を超えて、全ての人たちに観て何かを感じてもらいたいと願います。

この映画のひとつのテーマでもある、自立して生きるとはどういうことなのでしょうか。自立するとは、つまり自分の足で立つこと。赤ん坊としてこの世に生まれてきて、親という他人に育てられ大きくなり、いつか自分一人の力で生きていけるようになること。もちろんそれも立派な自立であり、それは人間だけではなく動物の世界においても、巣立ちや親離れのプロセスというものがあります。その一方で、自分ひとりの力だけではなく、誰かを頼ることで生きていけるようになることも自立のひとつです。頼る先が豊富であればあるほど、ある意味において、一人で生きている人よりも自立しているのです。

 

この映画の主人公である鹿野は、筋ジストロフィーという全身の筋力が低下していくという難病を抱えていて、日常生活動作のほとんどを自力で行うことができません。起きてから寝るまで、いや寝ている間さえも体位交換に人の手を借りなければならず、24時間体制で誰かがそばにいなければ生きていけないのです。そのような状況において、それでも病院のベッドに縛りつけられるのではなく、親の人生を犠牲にするのでもなく、自分の生活をしていくためには、誰かに思いっきり頼るしかありません。つまり、生きていくのに遠慮なんかしていられないのです。

 

 

ただそれだけでは、他者の善意にすがるのは限界がありますし、長続きはしないのかもしれません。しかし、鹿野は違ったのでした。生きていくことに遠慮はしないけれど、それを我がままにしないというか、自分とボランティアの人たちを対等にすることで、いつの間にか自分ごととして引き受けてもらうことに力を注いだのです。どのようにしたかというと、人間同士として、気持ちをぶつけ合ったり、喧嘩したりすることを通して、お互いの理解を深めて行ったのです。映画のワンシーンで、ひとりの女性ボランティアが看護師に向かって言った、「鹿野ボラなめんなよ!」というセリフに全ては集約されていると思います。そこには一心同体という言葉が宿っているのではないでしょうか。

2019年

1月

03日

ボディメカニクス講座の募集を開始します!

「ボディメカニクス講座」では、ボディメカニクスの基本から、どのように実際の現場で使っていくのかという実践まで、ボディメカニクスの素晴らしさを徹底的にお伝えします。

 

このような方はぜひご参加ください。

→持ち上げる、引っ張る等の力ずくの介護をしているので、このままだと腰を痛めてしまいそうでとても心配。

→目の前の利用者さんにどのようにして移動・移乗してもらうか方法が分からなくて、毎日、憂鬱な気分で出勤している。

→現場で頑張っているけれど、なかなかボディメカニクスを使えていないので、もう1度、復習をかねて学びたい。

タイムテーブル(内容)

*当日の状況によって変更があることをご了承ください

9:30~10:30

高齢者のこころの特性、

ボディメカニクスの原則

10:40~11:40

介護者の身体の使い方、

ボディメカニクスの体験

11:50~15:50

*60分休憩含む

ボディメカニクス実践
16:00~16:30 レポート作成、グループ内共有

3級は介護職員初任者研修のボディメカニクスを復習しつつ、より実践的に深めていく内容になっています。

2級 

9:30~10:30       

ボディメカニクスの原則、

身体の使い方の復習

10:40~15:20

*60分休憩含む

ボディメカニクスの応用、立ち上がり、起き上がり、上方移動、移乗(床からの移乗等)
15:30~16:30 筆記テスト、実技テスト

2級はボディメカニクスの基本を徹底しつつ、現場の様々な場面に合わせて応用していく内容になっています。

修了証明書

研修終了後には、湘南ケアカレッジ認定の「ボディメカニクス講座」

 

(3級もしくは2級)の修了証明書(賞状版と携帯版)をお渡しします。ボディメカニクスを学び、身につけた証として、大切に保管しておいてください。

受講料

3級 7,000円(税込)、2級 10,000円(税込)

*3級の修了者のみ2級に参加することが可能です。まずは3級から受講してください。

 

*2級と3級をセットでお申し込みの場合は、15,000円(税込)です。

 

定員

3級 24名  2級 16名(先着順)

 

*ひとり一人にしっかりと実技を身につけてもらうため、何度も練習していただく関係上、人数を限定させていただくことをご理解ください。受講資格は特にありません。

 

研修日程

3級(基礎編)

 

第1回 第2回
2月9日(土)*満員御礼 4月4日(木)*残り席わずか
第3回 第4回
6月8日(土) 8月17日(土) 

2級(応用編)

第1回 第2回
3月30日(土)*満員御礼 4月11日(木)*満員御礼
第3回 第4回
6月22日(土) 8月31日(土) 

*ボディメカニクス講座は3級(基礎編)、2級(応用編)とも、それぞれ全1日で修了する研修になります。

*上記の日程の中から、それぞれお好きな1日を選び、ご受講ください。

 

*夏以降も開講しますので、上記日程以降の講座を希望の方はお問い合わせください!

 

申し込みの流れ

①下の申込フォームに必要事項をご入力の上、送信ください。

※希望のクラスが定員になりますと受付できませんので、ご了承ください。

②受講確認書をお受け取りください。

ご自宅に「受講確認書」と「受講料お振込みのご案内」が届きます。

③受講料をお振込みください。

「受講確認書」が到着後、1週間以内に受講料をお振込みください。お振込みは、銀行ATM やネットバンキングからでも可能です。

※手数料は各自でご負担ください。また、お振込みは案内をよくご確認の上、お願いいたします。

④研修当日

申し込みクラスの日時をご確認の上、教室までお越しください。

 

*当日の持ち物:筆記用具 動きやすい恰好、靴でご参加ください。

2019年

1月

01日

一歩先を見据えた介護・福祉教育を

あけましておめでとうございます。湘南ケアカレッジは、おかげさまで今年7年目を迎えます。本当にあっという間であり、1期生も95期生もつい最近の卒業生さんに思えるほどです。それぐらいに、先生方と全力疾走してここまでやってきました。この6年のあいだ、私たちなりに山あり谷ありでしたが、ケアカレに来て学んでくれた皆さんのおかげで、「世界観が変わる福祉教育」を提供し続けてこられたと思っています。ところが、前回も書いたように、ここ数年間において、介護・福祉教育を取りまく現状は大きく変化しています。それでも100年続く学校をつくるために、今年はどのような取り組みをしていくべきか、年末年始に考えてみたことを綴らせていただきます。

 

結論から述べると、今年からは、一歩先を見据えた介護・福祉教育を展開していきたいと思います。というのも、これから先の超高齢社会において、介護福祉士または介護職員の役割が大幅に拡大していくことは明らかであり(それに伴って給与も上がっていくはず)、今まで以上の知識や技術が求められることになるからです。介護福祉士や介護職員がさらに勉強して知識や技術を身につけることで、できる仕事の幅が広がり、専門家としての立場が高くなるということです。人手不足だから賃金を上げましょうという下手な強要ではなく、それぞれが学ぶことで介護の仕事の専門性が高まれば、自然と報酬も高くなる流れになるべきですよね。

 

介護の世界よりもさらに学ぶことに時間をかけてきた看護の世界でも、実は同じことが起こっています。特定看護師になることによって、これまでは医師が行っていた範囲の仕事をしなければならない、またはできるようになるのです。そうしなければ、患者さんや利用者さんが爆発的に増える現状には対応できなくなってきていますし、そうすることで特定看護師さんの地位や給与もさらに上がります。

 

同じことは介護の世界にも訪れるはずです。看護師が医師の仕事の一部を行うようになれば、次は介護士が看護師の仕事の一部を任せられることになるのは自然な流れです。たとえば、喀痰吸引や胃ろうなどはそのひとつですね。介護の仕事をしている人には厳しい言い方かもしれませんが、今までと同じことをやっていてはいけないということです。生き残り、ステップアップしていくための、学びの時代がやってくるのです。

 

 

私たちの対象は卒業生さんたちです。ケアカレを卒業してくれたということは、介護の基本や考え方は正しい方向を向いているはずです。卒業後に働いている現場で身につけた知識や技術もたくさんあることでしょう。それでも私たちは学び続けなければいけません。そして、ここから先の学びに決まった形はありません。何を学んでどのようにして生かすかは、卒業生さん一人ひとりで異なっていて当然なのです。

 

そうしたバリエーション豊かな学びの要求に応えるために、ケアカレも卒業生の皆さまに様々な学びの機会を用意するつもりです。介護福祉士に受かってしまえば、それで終わりではありません。学びを続ける場として、たくさんの卒業生さんたちがケアカレにお越しくださることをお待ちしております!

2018年

12月

29日

笑顔が見たい

今年最後の11月短期クラスは、ひとりもお休みや振替をすることなく、皆が無事に修了することができました。これはとても珍しいことであり、それだけ今回のクラスの生徒さん同士のつながりや、皆と一緒に学びたい、卒業したいという気持ちが強かったからこそだと思います。これまでの介護職員初任者研修の中でも最も少ない人数でしたが、今年最後をこのような素敵なクラスで終えられたことを嬉しく思います。良かったことがある反面、介護教育の業界には大きな転換点が訪れようとしていることを感じさせるクラスでもありました。

湘南ケアカレッジが開校した当時と比べても、介護の学校が増えたことも大きいのですが、ここ数年において、介護の学校の人材紹介会社化という流れが顕著になってきました。つまり、介護の学校はあくまで入口であり、ただ同然で生徒さんを集めつつ、人材紹介を出口として利益を出すモデルが主流になったということです。ちょっと嫌な言い方をすると、学校の皮をかぶった人材会社ということです。

 

それの何が問題かというと、教育の中身がないということです。「生徒さんは製品として出荷する」と言ってはばからない学校もあるぐらいです。人材会社が悪いわけでは決してなく、学校が教育としての目的を失ってしまい、ビジョンを掲げられなくなってしまうと、そこには教育がなくなってしまうということです。そこで教える先生方のプライドやモチベーションも地に落ちてしまうかもしれません。ひとつのサービスとして、学校が職業紹介を行うのはありだと思いますが、その逆転が起こってしまっているのが問題なのです。介護教育の敗北ということであり、長い目で見ると、自分たちの首を自分たちで絞める行為です。

 

できる限りはその流れに抵抗しようと数年間頑張ってきましたが、そろそろ湘南ケアカレッジにとっても潮目なのだと思います。入口の介護職員初任者研修を無料や安価で行う学校が多く出てきている現状の中、消費者がどうしても安きに流れてしまうのは仕方ないことです。私たちは介護教育に誇りを持って提供してきましたが、学校に来て受けてもらわないと意味がありません。伝える相手がいなければ届かないということです。教育への感謝としての対価をいただけないのは本意ではありませんが、まずは生徒さんに来てもらえないとスタートラインにさえ立てませんよね。

 

 

生徒さんと先生方の笑顔が見たいと思って、私は介護の学校を始めました。その気持ちに変わりはありませんし、そのためにも「世界観が変わる福祉教育を」提供していきたいと思います。ただ世の中は大きく変わり、素晴らしい介護の教育だけで食べていける時代は終わったということです。どのようにすれば教育のクオリティを保ちつつ学校として存続していけるのか、また教育の力を復活させる方法やアイデアはないのか、まだ結論は見えていませんが、試行錯誤していきたいと思います。とにかく来年は苦しくも楽しい1年になりそうです。

2018年

12月

21日

分身ロボットカフェに行ってきた

分身ロボットカフェに行ってきました。分身?ロボット?と頭の中に疑問符がたくさん浮かんだ方のために、簡単に説明させていただきます。分身ロボットカフェとは、難病や身体障害などで外出困難な人たちが、遠隔操作でロボットを動かし、店員として接客するカフェのことです。これだけでピンと来た方は相当に想像力が豊かですね。分身ロボットを使って接客する人も接客された人も、人類の中ではほとんどいません。そこに行きたくても行けない人たちが、ロボットやテクノロジーを利用することで、自宅にいながらにして働ける世界が近い未来に訪れるのです。今回、分身カフェに参加させていただき、新しい世界のその先端を垣間見たような気がしました。

1時間のコースは、オリティ研究所の代表である吉澤オリティさんの挨拶から始まります。今回の分身ロボットを介して障害を持つ人が働くという試みは、世界でも例をみない実験的事業であり、それゆえのトラブルもあるということ(ロボットが客席に突っ込んだこともあったそう笑)。そうした失敗を重ねることで、より安全な運営に進化していくこと。実際にロボットによる接客を体験してもらうことで、ロボットの接客は「あり」か「なし」か感じたことを教えてもらいたいこと。自分たちが身体が動かなくなっても働ける社会がくるべきであること、などなど。

 

コンセプトブックには、さらに詳しく書いてありました。

 

・たとえ寝たきりになっても、心が自由ならなんでもできる社会の到来

・接客など、身体的労働を可能にするテレワーク、アバターワークの提案

・周囲と同じ「普通」を目指す福祉ではなく、「未来」を目指すSF

 

 

どのコンセプトも共感できるものばかりです。今は他人事かも知れませんが、私にもあなたにも誰にも身体が動かなくなって、寝たきりになってしまうような状況が突然訪れるかもしれませんし、いつかは確実に訪れるはずです。そのようなとき、身体が不自由だから心も不自由になってしまうのではなく、できれば心だけでも自由にありたいではありませんか。身体が動かなくなったから、人と接する身体的労働をあきらめてしまうのではなく、分身ロボットを使って働くことができると最高です。そして、福祉の枠だけにとどまることなく、今は想像することが難しい未来をどこまで大きく創造することができるのでしょうか。

実際に接客を受けた素直な感想としては、十分に「あり」だと感じました。外から見学していたときは、ロボットが接客しているとしか思えませんでしたが、メニューを取りに自分の横にロボットがやって来て、いざ話をしてみると、その感覚は消え去りました。ロボットの姿形といった見た目などはほとんど気にならなくなり、まるでその人と話しているような気になるのです。単なるコミュニケーションであれば、スカイプやFACETIMEなどのテレビ電話などを利用すれば可能ですが、それとはまた違った感覚を抱いたのです。

 

 

なぜだろうと考えてみると、おそらくそこにロボットという身体性があるからだと思いました。私たちの席を担当してくださった山崎さんの身体は島根県の松江市にあるのですが、その分身としての身体が今ここにあり、動いて注文を取りに来たり、コーヒーを給仕してくれたり、手を振ったりして動いているのです。人の心が宿ったロボットというべきでしょうか。そこがPepparくんと違うところであり、分身ロボットカフェの入口に「私たちはロボットと人間を区別しません」と掲げられている意味だと思います。

 

ロボットという身体性を通して彼と話していると、そこには身体と心の境界線が分からなくなるのです。私たち人間は、たまたま自分の肉体という乗り物に乗って生まれてきただけであり、乗り物である以上、乗り換えることもできるのではないでしょうか。そんなとき、こころも身体も真の意味においてポータブル(移動可能)になるのです。

2018年

12月

16日

べきを拡げるべき

11月短期クラスが終了しました。これで96期生になります。今までのクラスの中で最も人数が少なかったにもかかわらず、下の事務所にも笑い声が響いてきて、30名ぐらいいるのではないかと思わせられる、賑やかで楽しいクラスでした。たくさんの生徒さんがいて、楽しんで学ぼうという活気があふれているのがケアカレらしさではありますが、人数が少なくても一人ひとりが前向きに取り組んでくれたら、少人数だからこその結びつきが生まれるということを教えてもらった気がします。生徒さんたちから御礼の菓子折りをいただき、私たちは最終日にひと足早いクリスマスプレゼントを贈りました。

ちょうどこのクラスが行われている期間中に、卒業生が運営している事業所で社内研修を行いました。今回のテーマは「アンガーマネジメント」。アンガーは怒り、マネジメントは管理という意味です。そのまま自分の怒りという感情をどうのようにして管理するかという研修です。医療や看護の分野だけではなく、対人援助職である介護の分野でも、これからますます必要とされる内容であり、少しずつ有名な研修になってきていますね。

 

基本的な部分だけを受けてみて、最初に驚かされたのは、アンガーマネジメントとは「怒る必要のあることは上手に怒り、怒る必要のないことは怒らないようにすること」だということです。アンガーマネジメント研修を受ける前は、どのようにして怒りという感情を引き起こさないようにするのか、またそれを表に出さないように抑えることができるのかがアンガーマネジメントだと考えていました。ところがそうではなく、怒るべきことは怒って良いのだということです。ただし上手に。あとから後悔するような怒りはよろしくないということですね。

 

 

もうひとつ、思考のコントロールについても学びがありました。自分のべきを拡げる、というアンガーマネジメントの思考があります。どういうことかというと、私たちは常に自分の考えを持っていて(それはそれで良いのですが)、どうしても自分と同じ考えであれば共感するけれど、自分と違う考えについては、ぎりぎり許容できたり、または許容できなかったりするはずです。円グラフを見てもらうとイメージしやすいのですが、怒りという感情が沸き起こるのは、自分とは違って許容できないゾーンに相手がいるときです。簡単に言うと、自分がこうあるべきという幅が小さいと、許容できる幅が狭ければ、怒りは生じやすいのです。

自分ごととして考えてみると、私たち教育にたずさわる人たちは、とかく自分のべきが狭かったりしますが、それを押し広げていく努力や意識が必要だということです。自分のべきは他の人から見れば全くべきではないこともありますし、時代が変わればべきは異なるのです。自分のべきや許容できる範囲を拡げるためには、まずは自分のべきを一度疑ってみて、他人の立場を経験してみたり、また本を読んだりして様々な人々の意見を取り入れて教養を深めることだと思います。そうすることで懐の深い教育者になれるはずですし、そのような教育者がいる学校になりたいと願います。

2018年

12月

11日

「車輪の上」

「五体不満足」から20年の歳月が経ち、山あり谷ありの人生を経て紡ぎ出された、乙武洋匡さんによる青春小説です。脳性まひのため下半身を動かすことができず、車椅子で生活をしている主人公が、ひょんなことからホストを仕事にするようになるというストーリーには、どうしても乙武さん本人を投影しないわけにはいきません。新宿駅の雑踏を車椅子で脱出するシーンから物語は始まり、車椅子に乗っていることで周囲の目を集めてしまうこと、おしゃれなお店の前に段差があって入れないこと、健常者との恋愛、そして障害者自身がレッテルを貼ってしまうことなど、乙武さんだからこそ描ける心象風景にドキッとさせられつつ、最後まで一気に読ませるスピード感のある小説でした。

主人公の河合進平は、就職活動が上手く行かず苛立っていたところに、ティッシュ配りの人からティッシュをもらえなかったことから、「車椅子のホスト。ちっとも無理なんかじゃないって俺が証明してやるよ」と売り言葉に買い言葉で宣言してしまいます。連れて行かれたホストクラブを経営するリョウマに、右足を切断して晩年は義足で生活をした大隈重信に由来するシゲノブという源氏名を与えられ、ホストとしての仕事のスタートが切られました。

 

トイレ掃除などシゲノブができないことを手伝ってくれるタイスケや障害者がホストを務めることに嫌悪感を覚えるノブナガやその手下のヒデヨシ、細かいところまで気がついて教えてくれるヨシツネなど、個性豊かな仲間たちとぶつかり合いながらも魑魅魍魎とした世界を前へと進んでいくのです。最初は全てが上手く行かず挫折をしたり、障害のことを理由に自分を卑下していたシゲノブも、アヤとの出会いやテレビで取り上げられたことをきっかけとして、ホストとしてだけではなく人間としての成長を果たします。

 

―ホストクラブで働いていて、差別や偏見を感じることはありますか?

「うーん、そうですね…。ないと言ったら、嘘になります。だけど、誰しもそういう側面を持っているのかなと。もちろん、一人ひとりと向き合うことがコミュニケーションの基本だと思うんですけど、やっぱり僕らはその人が属しているカテゴリーを見て、この人はこういう人なんじゃないかとレッテルを貼ってしまうことってあると思うんです。そういう意味では、僕だって差別や偏見の加害者になることだってあるのかなと」

 

小説の中では、テレビの取材を通してアヤに伝えていることになっているが、実は小説の中の主人公の言葉を通して、乙武さんが読者に伝えたいメッセージなのではないでしょうか。そして、最後のシゲノブの母の言葉もそうなのだと思います。

 

 

「私ももっと自由に行きたい。この子にももっと自由に生きさせてあげたい。『政治家の妻』とか『政治家の息子』とか、『車椅子に乗っている』とか、『夜の世界で働いている』とか、ねえ、あなた、そういうレッテルに縛られる生き方はもうやめにしましょうよ」

2018年

12月

08日

自然に笑える場所へ【今宿ホーム】

「やっぱり、ここにいたんですね」

 

土居さんが、ほっとしたように口元をゆるめてご利用者さんに近寄ります。

「きっとここにいると思ったんですよ。夜も2~3時間眠ると起きてこられて、廊下をぐるぐると歩いた後、いつもここに戻ってこられますよね」

 

数分前まで、活気づいた食堂にいたはずのご利用者さんがここにいるのには、理由がありました。

 

続きは→【介護仕事百景】

 

2018年

12月

05日

世界観が変わる福祉教育を提供したかったのに

「空飛ぶ車がほしかったのに、手にしたのは140字だ」という世界有数の投資家ピーター・ティールの言葉があります。空を飛ぶ車のような壮大な夢と理想を掲げて、巨額の投資を行ってきたけれど、実現したのはツイッターとかフェイスブックのような文字情報にすぎないSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)でしかなかった、という自虐の意味を込めた言葉です。現実はほとんど変わらない、というあきらめに似た気持ちかもしれません。

 

ピーター・ティールとはスケールも何もかも違いますが、私も「世界観が変わる福祉教育を届けたい」という理想を持って湘南ケアカレッジを立ち上げ、先生方と一緒にこれまでやってきました。

最初の頃は、「人生観が変わりました」、「介護に対する見かたが変わりました」という反応が多くあり、自分たちがこうありたいと思っていた理想の研修や学校を実現できている気がしていました。湘南ケアカレッジに来てくれた生徒さんたちは、介護職員初任者研修をひとつのきっかけとして、実際に少しずつ人生が変わっていったのではないかと思います。

 

湘南ケアカレッジも今年で6年目を迎え、振り返ってみると、私たちは本当に世界観が変わる福祉教育を届けることができているのか、と疑問に思うことがあります。ここ最近の初任者研修や実務者研修のクラスを見てみると、授業にまともに参加していなかったり、エプロンをつけることすらままならなかったり、課題をきちんと提出できなかったり、授業中に他の生徒さんたちの迷惑になるほどにおしゃべりをしてしまったり、そんなことばかりに私たちの目と頭がとらわれてしまっている気がします。

 

そんなことではなく、「こういう研修(授業)にしてみたい」、「生徒さんからこんな良い反応や行動があったよ」、「こうするともっと楽しく、分かりやすいかもしれない」、「○○さん変わったよね」など、もっと良い話をしたかったはずなのです。

 

もちろん良かったこともたくさんあります。総合演習はより細かく実技の習得度合いを確認、復習できるようになったり、キャサリンレター(自助具をつくって試してみた生徒さんに対するキャサリンからのお手紙)が贈られたり、卒業生が介護福祉士の証明書を持って遊びに来たり、卒業生同士が職場で出会って仲良くなったり、手を焼いた卒業生が現場で楽しく働いていたりします。特に初任者研修は、これ以上改善することが難しいぐらいに完成されつつあります。在宅ケアサポーター研修がスタートし、これから先、ボディメカニクス研修やケアカレナイトなども開催していくつもりです。

 

 

もう1度、立ち止まって、私たちは何のために湘南ケアカレッジをやっているのかを問い直してみるべきなのでしょう。世界観が変わる福祉教育を届けたいという想いがなくなってしまえば、それは他の学校で行われている介護職員初任者研修や実務者研修等と何ら変わりはなく、私たちが教える意味はありません。偉そうに教えるのは誰にでもできることですが、生徒さんの世界観を変えることは私たちにしかできないと思いたいのです。それができないのであれば、町田にこれだけたくさんの学校がある以上、湘南ケアカレッジの存在価値はないのです。しばらくはこんな自問自答を続けながら、より良い学校を先生方と一緒につくっていきたいと思います。よろしくお願いします。

2018年

12月

02日

「まちだDサミット」に行ってきました!

桜美林大学にて開催された「まちだDサミット」に行ってきました。若年性認知症の当事者である丹野智文さんによる講演があるということで、どのような話が聞けるのかと興味津々で、楽しみに足を運びました。その他、認知症当事者たちによるパネルディスカッションもあり、大きな学びのある、素晴らしい内容でした。今日から町田が変わってゆく、という丹野さんの言葉は誇張ではなく、今日のサミットに参加したことが、認知症とどう関わるのかについて考えなおし、変わってゆくきっかけとなる人たちも多いのではないかと思います。

 

丹野さんは39歳の頃に若年性アルツハイマー病を発症しました。5年ほど前からその兆候はあり、物覚えが悪くなったことを何となく自覚し、仕事も上手く行かないことが多かったそうです。何度も検査を繰り返した結果、若年性アルツハイマー病と診断されてしまいました。その時は、若年性アルツハイマー病=終わりだと考えていました。しかしそれは終わりではなく、始まりだったのかもしれません。丹野さんは病気をオープンにしていくことで、偏見はほとんどなく、周りからのサポートを受けやすくなったと言います。偏見は実は自分の中にあり、まずは自分が変わっていかなければならないと思ったそうです。

 

認知症は薬と環境で改善すると丹野さんは主張します。最も大切なのは、周りの人々の接し方です。認知症の人はどうしても不安な気持ちになってしまうので、何かできないことを指摘されたり怒られたりすると、ちょっとしたことで自信をなくしてしまいます。自信を失ってしまうと、何かをしようという気持ちが薄れ、他者とのつながりにも消極的になってしまいます。そしてふさぎ込みがちになり、うつになっていくという人もいます。認知症の方々が自信を失わないことの大切さを、丹野さんは繰り返し説かれていました。

 

認知症は一見病気だと分かりづらい病気だからこそ、困ることもあるそうです。たとえば、自分への帰り方を忘れてしまったとき、道行く人に尋ねると、新手のセールスかナンパと勘違いされたり、変な人として見られたりすることもあるそうです。できるだけ周りの人たちがうける印象を良くしようと、丹野さんは積極的にあいさつをしたり、明るく振舞ったりするとのこと。また地域の人々とのつながりも大切だと言います。

 

 

最後に、認知症の人にとって優しい町とは?の問いに対しては、認知症の人だけに限った話ではないのですがと前置きをしたのち、それぞれに合ったサポートができるのが優しさではないかと提案されていました。何でもかんでもやってしまい、認知症のひとからできることを取り上げてしまうのは優しさではありません。たとえば、目の悪い人はそれぞれの程度があって、一人ひとり違う度のメガネが合うように、認知症の人にだってそれぞれ支援方法が違ってくるはずです。つまり、認知症の人に対してはこのようにするというやり方があるのではなく、その人ができることとできないことを見極め、できないところをサポートし、できることを生かしていければ良いですね。

 

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2018年

11月

29日

良いところを、見る

8月日曜日クラスが無事に終了しました。下は高校生から上は60代まで、半世紀にわたる年齢の幅があるにもかかわらず、様々な属性や背景を持つ生徒さんが集まって楽しく過ごしたクラスでした。特に男性陣が全体の雰囲気をリードしてくれて、めちゃくちゃに目立つ素敵なメッセージボードをつくってくれたり、最後の打ち上げには20人以上が参加して盛り上がりを見せていました。実は私はあまり今回のクラスには関わることができておらず、少し寂しい気持ちもありましたが、最終日と打ち上げに参加させてもらったおかげで、ぎりぎり間に合ったかなという感じました。

 

最終日に書いていただくアンケートを読んでみると、それぞれの生徒さんたちが、それぞれの先生方について、とても良く書いてくださっているのが伝わってきます。今回のクラスに関わらせていただいた8名の先生について、よく見て、よく覚えて、良く書いてくれているのです。悪いところを見つけるのは簡単ですが、良いところを見つけて言葉にするのは案外難しい。それをクラスメイトの誰もが自然に行っていることが、さすがケアカレの卒業生でもあり、このクラスには本当に素晴らしい人たちが揃っていたのだろうなと思いました。

 

そのうちの一人であるNさんとは、入校する前からのずいぶん長い付き合いになります。というのも、彼はあんまマッサージ師をされている関係で、3年前の卒業生に勧められて一度、学校の見学に来られたことがありました。お仕事の休みと都合が合わず、延び延びになってしまいましたが、ようやくケアカレに来てくださったのです。また、娘さんが先に介護職員初任者研修を受けてくれていたお父様もついに参加してくれて、「実は私の方が先に説明会に来て、娘に紹介したのですよ」と打ち上げでは教えてくださいました。

 

先日のブログでも紹介させていただいたベンリーの山崎さんも面白い縁があって、介護職員初任者研修を受けてくれて、最後はエアコンのリモコンのコードまで真っ直ぐに直してくださいました。彼のような人物が、介護保険制度内ではカバーできない部分を補ってくれるのだと思うと安心します。お店のブログにも当校の介護職員初任者研修のことを書いてくださいました。ありがとうございます!

 

お付き合いのある障害者施設で働いている方もいらっしゃいましたし、高校生の時に空手で日本一になった女性もいました。滑り込みで申し込みをされて、クラスの雰囲気を良い方向に揃えてくださった方もいました。不愛想だったけど、最後は「介護の仕事も面白そうだなと考え方が変わりました」と笑顔で言って帰っていった高校生もいました。

 

生徒さんたちがこれだけ私たちの良いところを見てくれているのだから、私たちはそれ以上に生徒さんたちの良いところを見なければいけません。介護の勉強をしようと思って学校に来るような生徒さんは、良い人ばかりだと私は昔から思っています。面白い人もいれば、真面目そうな人もいます。にぎやかな人もいれば、静かな人もいます。様々なタイプの人たちが集まっていますが、その根本には人に対する優しさがあるのです。あら探しをしたり、嫌なお客さんと我慢しながら接したりする必要もなく、生徒さんたちの良いところを探し当て、触れることができると、この仕事をやっていて良かったと思えますし、介護の学校冥利に尽きるのです。

 

2018年

11月

26日

見えていないくても、同じタイミングで笑える

音声ガイドをディスクライバーが書く際も、まずは音声だけで映像を聞くことから始まります。そこから、「音声だけでは分からなかったこと」と「分かったこと」に分類します。そして、今度は映像を見ながら、「音声だけでは分からなかったこと」を音声ガイドの台本に書き起こしていきます。

 

講座で使用した台本を参考にすると、写真の一番左の列が映画の各シーンの時間です。同じシーンを何度も繰り返し見るために、秒刻みのこの時間が目印になります。真ん中の列が役者さんのセリフ。黄色い色がついている行は、場面が切り変わるためシーンの前後に音声ガイドでの説明が必要になります。そして、一番右の列が音声ガイド。こちらは私が実際に考えたものですが、ここが白紙の状態からディスクライバーは映画を見て書き込んでいきます。

 

続きは→【介護仕事百景】

2018年

11月

23日

「いろとりどりの親子」

予告編を見たときから、ずっと観たいと思っていた映画です。原題「FAR FROM THE TREE」はThe apple doesn't fall far from the tree.(リンゴは木から遠いところへは落ちない)”ということわざに由来します。つまり、親と子どもは似るという意味。実際にはその通りで、私たちは良くも悪くも育てられた親や周りの人たちの影響を大きく受けて成長し、父親と母親からのDNAを受け継いでいる以上、親の特性が色濃く遺伝するのです。そのような中でも、偶然か必然か、想像もできなかった「違い」を持つ子どもが突然、私たちの目の前に登場することがあります。

 

著者アンドリュー・ソロモンは物心ついた頃から、男性にしか興味を持つことができず、両親も息子がゲイであることに苦悩してきました。その経験を背景にして、普通ではないとされている「違い」を抱える他の人々にも興味を持ち、取材して、その家族のありようを描きました。映画の中には、たとえばダウン症や自閉症、低身長という障害や病気、または殺人の罪を犯してしまった息子を抱える家族の模様が映し出されます。それぞれに抱えている「違い」の種類や程度が異なるからこそ、まさにいろとりどりの親子がそこにあるのです。

 

映画の中で、低身長症の男性が語った、「障害がダメなことだなんて誰が決めたんだ。皆、そう思い込んでいる」という印象的なセリフがありました。たしかに、僕も含めて、普通の人は障害はマイナスの要素であると考えているはずです。正直に言うと、自分の子どもが五体満足で生まれてきたときには安心しましたし、重い障害や病気の子どもを抱える本人も家庭も大変だなと素直に思ってしまいます。普通が一番と思ってしまうのは、違うことに対する恐れでもあるはずです。

 

だからこそ、障害は乗り越えなければならないものであり、できることならば取り除かなければならないと思ってしまいます。障害を障がいや障碍に書き換えて表面だけを取り繕うようなことには賛成しませんが、ソフトの面からもハードの面からも、障害のない(感じられない)社会が実現することを心から願っています。しかし、その考え方自体も私の思い込みや偏見であったのかもしれません。

 

障害は祝福すべきだ、と映画は語りかけてきます。「違い」を欠陥として捉えるのではなく、愛すべきものであり、光として祝福されるべきなのです。トルストイは著書「アンナ・カレーニナ」において、「幸せな家庭はどれも似たものだが、不幸せな家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」というセリフを書きましたが、本当はそうではなく、幸せの家族の形もそれぞれに違っていて、それぞれが幸せなのではないでしょうか。

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2018年

11月

20日

点字の読むと書くは背中合わせ

今年最後の同行援護従業者養成研修が行われました。今回は初日の授業の中に、点字を読む、書くことを少しだけ入れてみました。点字というと、視覚障害のある方のほとんどがそれによって読み書きをしているイメージがありますが、実際に使える方は2割ぐらいだそうです。それ以外の方はどうしているかというと、私たちと同じように、パソコンやスマートフォンを使っての読み書きが中心になります。衰退しつつある点字文化ですが、視覚障害のある方の世界を理解するためのひとつであることには変わりありません。

 

点字の仕組みを簡単に説明すると、6つの点から成り立ちます。左上が①、左真ん中が②、左下が③、右上が④、右真ん中が⑤、右下が⑥となり、それぞれに1の点、2の点、3の点、4の点、5の点、6の点と呼ばれます。母音(あいうえお)を表すのが①、②、④の左上の3点の組み合わせです。

それに③、⑤、⑥の子音を組み合わせて、(かきくけこ)や(さしすせそ)をつくっていきます。このあたりは英語のアルファベットと同じ考え方なので、分かりやすいですね。それに比べると、日本語はそれぞれに文字の形があって何と難しいことか。

 

それでは、読むことにチャレンジしてみましょう。

 

*答えは最後に

点字を読むことが分かったところで、次は点字を書くことにチャレンジしてみましょう。点字を読むと書くは背中合わせであり、裏から打つようにして書くことになります。点字を読んでいるその紙をひっくり返してみて、その裏から点字を打つということです。点字を書いて、裏返しにしてみると、点字が読めるとも言えるでしょう。

誰かに教えるときに、その人の前から文字を書いた経験のある人は分かるかもしれません。相手にとって読めるように前から書くのって意外に難しいですよね。それを前からではなく、表を読む人にとって読めるように、裏から書くということです。

 

まずは自分の名前を点字で書いてみることから始めてみてください。どの言語でも同じですが、読むという行為は受動的であり、書くという行為は能動的です。読むだけでは習得のスピードは上がりませんが、書くという能動的な学びを加えることによって、相乗効果で学びが深まっていきます。

 

 

点字の読むと書くのように、世の中のほとんどの事象は表から見て、裏から考えてみることができます。表だけを見ていても、ある一面しか理解したことにはなりませんが、表を見る人たちのことを想像して裏から能動的に考えてみると、世界は立体的になるのです。点字を使う人たちは、そのような高度な思考法を日常的に操っているのですね。

 

★答え

上の列 あおい

下の列 あかい

2018年

11月

16日

何万回のうちの1回であっても

平均寿命(女性の場合87歳)まで生きられると仮定して、1日3食ずつ数えていくと、ひとりの人間が生きている間に828万8055回、食事をする機会があります。

 

忙しい朝にパンを慌てて頬張っても1回、大切な人とレストランでコース料理に舌鼓をうっても1回。日々の生活の中で、この食事が自分に残された生涯の中で何回目の食事になるかなんて、気にも留めないでしょう。けれども、特別養護老人ホームで暮らすご利用者様にとっては、今日その食事が最後の1回になるかもしれません。

 

 

海老名駅からバスに20分揺られ、綾瀬市役所のすぐそばに、特別養護老人ホーム「道志会老人ホーム」はあります。それに並び7年前にオープンした「有料老人ホームヴィラ城山」も建っています。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2018年

11月

11日

ベクトルを自分に

忘れた頃に思い出して見に行くと、刺激を与えてもらったり、気づきがあったりする、「面白法人カヤック」のブログがあります。今回は「他責思考にまつわる今だからいえる6年前のエピソード」というエントリーを、興味深く読みました。思いどおりに物事が運ばなかったり、状況が悪くなってしまったときに、私たちはどうしても誰かや周りの環境のせいにしてしまいがちですが、それだけで終わってしまうと、自分に見える世界は変わらないし、道は拓けないという内容でした。つまり、まずは意識的に自分にベクトルを向けて考えてみることで、新しい解決方法が見つかったり、事態が好転するということです。

 

私はかつて勤めていた塾にはいくつかの儀式がありました。儀式というと大げさに聞こえるかもしれませんが、新人の先生は必ずや通過するやり取りのことです。そのひとつとして、自分にベクトルを向けるための儀式がありました。新しく入ってきた先生は、最初はどちらかというと勉強が苦手なクラスを任せられます。その方が、教える内容が基礎的であり、予習が簡単だからです。しかし、クラス全体の理解度は低いため、教えたことが伝わっている感触がありません。テストをしてみても、さっき教えたはずのところを間違っています。それもクラスのほとんど全員が分かっていないという最悪の状況です。

 

授業が終わったあとのミーティングにて、その新人先生はこう言います。

 

「全然ダメでした。きちんと教えたはずなのに、全く分かっていないですね。●●●って言ったんですけど。あれじゃあ、彼らはやっぱり勉強できないですね」

 

それを聞いたベテランの先生方は、来たよ来たよと内心では思いつつ、極めて冷静な表情でこう返します。

 

「君の教え方が悪いんじゃない?」

 

こう返されて、新人の先生は押し黙ってしまったり、何とか反論をしようとしたりしますが、他のベテランの先生方から「こういう風に教えるといいよ」、「もう少し生徒と距離を縮めた方がいいな」といった建設的なアドバイスをもらっているうちに、先生である自分の教え方が悪いということに気づき始めます。生徒ができないのは、先生のせいなのです。もちろん、そうではないケースもたくさんあるのですが、先生はそう考えなければ進歩が止まってしまいます。この儀式は、最初は生徒さんたちや周りの環境に向かっていたベクトルを、まずは自分に向けてみることが先生として大切であることに気づいてもらうことが目的です。

 

 

これは先生だけではなく、どんな仕事をする人にも大切な考え方かもしれません。他の誰かや周りの環境のせいにしてしまう他責思考の悪いところは、自分は一ミリも成長しないことですね。他に原因を求めることで、自分を見つめなおしたり、行動してみたりすることをしないでいられることです。何から何まで自分の責任と考えてしまうと苦しくなってしまうと思う人もいるかもしれませんが、逆にコントロールできない他者のせいにすると帰って苦しくないですかね。まあ人はどうしても他のせいにしてしまう傾向があるので、意識して自分にベクトルを向けてみると、自分に足りないものを知ることができ、自分が何をするべきか分かり、案外気持ちが楽になるものです。

2018年

11月

06日

音声ガイドを知っていますか?

きっかけは河瀨直美監督の映画「」を見たことでした。視力が徐々に失われていく主人公と、新米ディスクライバー(音声ガイドを書く人)の交流を描いています。映画の中で音声ガイドをつけていく様子が映され、初めて見聞きする職業や映像を言葉で説明するということへの興味が湧きました。そして、たまたま音声ガイドについて教えてもらえる講座(日本初のユニバーサルシアターシネマチュプキ)に出会い、全4日間参加してきました。

 

続きは→【介護仕事百景のブログ】にて

2018年

10月

30日

小さなチーム、大きな仕事

湘南ケアカレッジでは半年に1度、講師会が開かれます。今回は残念ながら看護師の先生方が参加できませんでしたが、たくさんの先生たちが一堂に会してくださり、サプライズなお祝いもあったりして、楽しい会になったと思います。上半期の振り返りから未来へ向けての取り組みについて、いつもは教壇に立っている先生方の前でお話させていただきました。その後、ボーナス支給式、そして懇親会という流れになりました。

 

懇親会では、普段一緒に授業をしている先生同士でも、別の場所でご飯を食べながら話すとまた違った顔を見ることができますし、普段は顔を合わせない先生方も、ざっくばらんに話をすることで親交を深めていただくことができます。何といっても、美味しい食事をしながら、素敵な人たちと過ごすのはかけがえのない時間ですね。今回で11回目の講師会になりますが、最初とほとんど変わらないチームの顔ぶれを見て、嬉しく思いました。

 

 

講師会の中ではあまり触れることができませんでしたが、湘南ケアカレッジの大元となる株式会社ワークシフトの企業理念は「小さなチーム、大きな仕事」です。ケアカレを立ち上げるときにちょうど読んでいた本のタイトルから拝借しました(笑)。読んで字のごとく、小さなチームで大きな仕事をしましょうという意味であり、また小さなチームだからこそ、大きな仕事ができると考えることもできます。つまり、少数精鋭ということです。

 

ここで言う小さなチームとか、大きな仕事とは、具体的には何を示しているのでしょうか。チームの大小は単純に人の数だと考えてください。会社の規模と考えても良いと思います。仕事については、何をもって大きいと考えるかというと、その仕事が持つ意義であったり、他者や社会に与える影響の大きさであったりします。ただ単純に売り上げが大きいということではなく、それをすることで世の中をどれだけ良い方向に動かし、インパクトを与えることができたかということです。

 

 

私は小さい頃から、良い学校に行って良い会社に就職すると幸せになると教えられて、そう信じて育ってきました。ここでいう良い会社というのは、大きな会社と同義でした。そのとおりに生きて、大きな会社にあこがれて就職活動をした時期もありましたし、大きな企業・学校でも働いてみました。しかし、大きな企業が大きな仕事をしているのではなく、規模が大きいだけで、中身はスカスカだったのです。そこには私が思い描いていたような仕事はほとんどなく、もちろん幸せも多くありませんでした。

 

そこで小さな会社で働いてみたり、自分で仕事をつくったりしてやっているうちに、自分には何ができて、何ができないのか、はっきりしてきたのです。そして次第に、チームのそれぞれのメンバーが、自分というものを発揮して働くことは楽しいと思うに至りました。「鶏口牛後」という故事成語にあるように、世間体を気にして大きなチームの一員になろうとしていたことは、今となっては恥ずかしい思い出です。

 

 

だからこそ、ひとつのテーブルを一緒に囲めて食事ができるぐらいの小さなチームで仕事がしたい、そしてせっかく仕事をやるからには、小さな仕事ではなく、大きな仕事がしたいと思っていました。そのような想いの元に集まってくれて、一緒に大きな仕事をしようとしてくれている先生方には感謝の気持ちしかありませんし、私も負けないように、もっと大きく考えて実行していかなければいけないと勇気づけられた1日でした。これからも、よろしくお願いします。

2018年

10月

25日

励まされている

ここのところ、立て続けに実務者研修のクラスが修了しています。介護職員初任者研修に比べると、たった7日間しかありませんので、どうしても授業は急ぎ足になりますし、生徒さんたちと個人的に関われる時間も少なくなってしまいます。そのあたりは実務者研修がスタートしてからずっとジレンマとして抱えていますが、昨年の途中あたりから、ケアカレ(先生方)と生徒さん、またクラスメイトさんたちの間の距離がグッと縮まるクラスが増えてきたように思えます。最後の挨拶で前に立ってみると、生徒さんたちの雰囲気やリアクションから、どれだけそのクラス全体が充実感を持って修了していくのかを感じることができるのです。今回もお互いにとってとても親近感のあるクラスでした。

生徒さんたちからのリアクションは、生徒さんたちの前に立って初めて最も感じることができます。それを言葉で説明するのはなかなか難しいのですが、生徒さんたちの視線や表情に始まり、自分が発した言動に対する反応に至るまで、一人ひとりの生徒さんのありとあらゆる要素が人数分合わさって、そのクラス全体の大きな反応として感じることができます。温かい反応であったり、どこか冷めた反応であったり、鋭い反応であったり、つかみどころのない反応であったりします。先生はその反応に一喜一憂しながら、それに合わせて授業を進めていきます。どこかオーケストラの指揮者に似ているのかもしれません。

生徒さんたちの前に立って話すことで反応を肌で感じるのではなく、実務者研修ではリアクションペーパー、初任者研修ではアンケートを書いてもらうことで、そのクラスがどういう状況にあるのかを掴むことができます。その言葉の端々にある生徒さんの気持ちを読み取ることもあれば、行間に書かれている想いを想像したりもします。ほとんどは生徒さんたちからの学びの声であり、感謝の気持ちであり、私たちはそれらの反応を読むことで、嘆いたり喜んだりします。そして何よりも励まされるのです。ちょっと大げさかもしれませんが、先生をやっていて良かった、学校をつくって良かったという気持ちが湧いてくる瞬間です。

 

 

実務者研修6月土曜クラスの皆さまから、ケアカレカラーのメッセージ集をいただきました。季節も季節だけに最初はパンプキンかと思ったのですが(笑)、エプロンでした。エプロンの後ろの紐をほどいてページを開くと、生徒さんたちの感謝の言葉が綴られていました。ケアカレの初任者研修の卒業生さんが提案して作ってくださったようですね。ありがとうございます。こうした形でのリアクションは、私たちにとって生徒さんたちからの最高の褒めであり、認めであると思います。私たちは実務者研修を通して、現場で頑張っている方々を褒め、認め、励まそうと思ってやっていますが、最終的には私たちがそうしてもらっているのですね。互いに褒め、認め、励まし合うケアカレの文化を、これからもずっと続けていけたらと願います。

2018年

10月

20日

卒業生インタビューvo.3原橋さん

初任者研修に通ってくださっている時から、クラスのムードメーカー的存在だった原橋さん。彼女は湘南ケアカレッジの卒業生でもある義理のお兄さまのすすめで、研修を受けに来てくださいました。まるで血のつながった兄弟のように仲が良く、介護の仕事を探す際も一緒に意見を出し合い、考えていました。仕事の相談を真剣に家族とすることができるなんて、羨ましいですね。

続きは→介護仕事百景

 

2018年

10月

15日

「みえるとかみえないとか」

以前に紹介したことのある「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(伊藤亜紗著)をきっかけに、絵本作家のヨシタケシンスケさんがストーリーを考え、相談しながらつくった絵本です。「りんごかもしれない」などのヨシタケさんの絵本は、ものの見方や考え方を一度ひっくり返してみると、これまでとは全く違う何かが見えてくるという内容になっていて、大人が読んでも深く楽しむことができます。今回の見える人の世界と見えない人の世界の違いも、見える人には見えない世界があり、見えない人にも見える世界があることを分かりやすく教えてくれています。

主人公のぼくは宇宙飛行士。いろいろな星の調査をしており、やってきたのは後ろにも目がある人たちの星。ぼくが前しか見えないことを不思議がり、不便だとか可哀想だと考えて、気を遣ってくれるのでした。その星にも、生まれつき全部の目が見えない人がいて、その人もまた僕とは世界の感じ方が違っていることを発見します。それぞれの違いによって、その人にしか分からない、その人だけの見え方や感じ方を持っていることに気づくのでした。自分にとっては当たり前だと思って見ていたことは当たり前ではなく、常識さえも疑ってみるべきだと考えさせられます。

 

私たちがそれぞれに違って、それゆえに感じ方や見え方が違うことは分かったけど、その先、どのようにすれば違う人同士が分かり合えるのでしょうか。同じところを探しながら、違うところを面白がればいいと提案しています。「目の見えない人は世界をどう見ているのか」でも「みえるとかみえないとか」の両書において、その考え方は全く同じです。そして、肝となるのは、面白がるという部分です。違いを差別し合ったり、変に気を遣ったり、憐れんだりするのではなく、お互いに面白がるという精神が大切なのです。

 

それに、どんなにやることや

かんがえかたが ちがっていても、どんなひとにも、

じぶんと おなじところは かならずあるとおもう。

 

つまり、どんなひととでも、「だよねー!」って

いっしょに いえるハズ、ってことだ。

 

おなじところを さがしながら

ちがうところを おたがいに おもしろがれば

いいんだね。

 

それって すごく

むずかしいような きも するけれど、

じつは かんたんなことなのかも しれないねえ。

 

うーん。

 

でも、まあ、ちょっとずつ れんしゅうだな。

2018年

10月

10日

ケアカレらしいクラス

9月短期クラスが終了しました。ケアカレらしい、様々な年代や性別の人たちが集まり、初日から朗らかな雰囲気で始まり、途中から一気に盛り上がって、気がつくと研修が終わって寂しい、そんなクラスでした。私も生徒さんの一人として、授業を受けたら楽しいだろうなと思わせられました。なぜ今回はこんなにも素敵なクラスになったのかというと、いろいろと理由は思いつきますが、ひとつ挙げるとすれば、最初から湘南ケアカレッジのことを良く知っている生徒さんが多かったことではないでしょうか。

旦那様がひとつ前のクラスで受けていた方、お父さまと弟さんにケアカレの卒業生がいる方、以前の職場にいた仲の良い友人がたまたまケアカレで介護職員初任者研修を修了していた方など、初日から私たちとの距離感が最初から近く、信頼関係が成立していた生徒さんが多くいたということです。

 

普通であれば、介護職員初任者研修がスタートする初日には、どのような学校だろう、どんな先生やクラスメイトがいるのだろう、どんなことをやっていくのだろうかと不安とある種の疑いの気持ちで一杯なはずです。そこから時間をかけて、この学校は大丈夫そうだ、先生もクラスメイトも良い人そうだと距離感が近くなり、授業も楽しくて学びが大きいと信頼関係を築いていきます。

 

その段階を少しショートカットできるのは、卒業生さんたちがケアカレのことを良く伝えてくれているからに他なりません。「あそこの学校は良かったよ」、「先生方が素晴らしかった」、「授業も楽しかったよ」、「ケアカレに行ったほうが良いよ」と勧めてくれたり、実際に楽しく学んでいる姿を家族や友人知人が見て感じていたりするのだと思います。誰かからケアカレのことを聞いて、知っているからこそ、最初から安心して研修を楽しめるのです。

 

そして、そのような生徒さんがいてくれると、周りのクラスメイトにも安心感やリラックス感は伝染して、教室全体に楽しんで良いのだという雰囲気が生まれます。つまり、今回の素敵なクラスをつくってくれたのは、過去の卒業生さんであり、最初からケアカレを信頼してくれていた生徒さんであり、その周りにいるクラスメイトさんでもあるのです。毎月開講されるクラスは別々のようでいて、深いところではつながっているのですね。

 

 

最終日には、メッセージボードをいただきました。今回のクラスは、いつ準備していたのか分からないぐらいほどで、突然のサプライズに驚かされました。オレンジ色のフェルトでつくられたエプロンが可愛いですね。それぞれのカードに生徒さんの気持ちが凝縮されていて嬉しく読ませていただきました。このメッセージボードは、全員が15日間の素敵な時を過ごしてくれたことの結晶のようなものです。ありがとうございます!

2018年

10月

05日

ひとり一人がマーケッター

あっと驚くような入り口から、湘南ケアカレッジに来てくれる生徒さんがいます。友人知人や親子、一緒に働いている同僚や近所に住んでいる知り合いに評判を聞いて、といったつながりはもう当然のようになっていますが、そうではない形でケアカレのことを知り、介護職員初任者研修または実務者研修を受けに来てくれる生徒さんもいるのです。先月スタートした8月日曜日クラスのYさんは、まさかのルートを通って来てくれた生徒さんのひとりです。他己紹介を聞いた影山さんが興奮気味に教えてくれて、それを聞いた私もそんなこともあるのだと驚いたほどでした。

かつて教室のピータイルが剥がれてしまい、張り替えを業者さんに依頼したことがありました。最初に私が当たったひとつの業者さんは料金が高すぎて、値引き交渉にも応じてくれず、仕方なく影山さんに別の業者さんを探してもらうことにしました。そこで他の業者さんを探し当ててくれ、確認してみたところ、比較的安い料金でタイルの張り替えをしてくれるとのこと。早速、教室の空いている日にお願いすることになりました。

 

当日、感じの良い男性2人が来て、半日ぐらいかけて丁寧に作業してくれました。(かなり複雑な張り替え作業だったので)予定していた時間よりも大幅に延長してしまったようですが、嫌な顔ひとつせず、「遅くなってしまい申し訳ありません」と言いながらも、最後まで手を抜くことなく完成させて帰って行かれた姿は、今でもはっきりと覚えています。また何かあったらぜひお願いしたいなと思わせる、仕事ぶりと気持ちの良い対応でした。

 

実はそのうちの一人が、介護職員初任者研修の日曜日クラスに参加してくれたのです!普通に申し込みをされたので全く気付かず、スクーリングが始まってからも、どこかで見た顔だなと思っていたぐらいで、(どこかで会った気がするのは日常茶飯事なので)あまり気に留めていませんでした。ところが、他己紹介で彼の番になったとき、「昔、この教室の床の張り替えをしたことがあるそうです。久しぶりに教室に来てみて、まだ剥がれていなかったので安心したそうです」と紹介され、彼の全容が解明されたのでした。あのスタッフが、お客様に高齢の方々も増えてきているので学んでおきたいと考え、床を張り替えたケアカレのことを思い出してくれたのです。

 

この話を聞いて、「ひとり一人がマーケッター」という言葉を思い出してしまいました。お客様を集めるために広告や広報を担当している人だけがマーケッター(マーケティングをする人)ではなく、その事業にたずさわっている人全員がマーケッターだという意味です。つまり、私たちひとり一人の言動が、教室の中にいるときだけではなく、日常生活のあらゆる場面においても、湘南ケアカレッジを広告・宣伝しているのです。今回の件でいうと、もし私たちが単なる業者としてぶっきらぼうな対応をしていたり、ぞんざいに扱っていたとしたら、彼はそんな学校に行こうとは思わなかったはずです。何か雰囲気が良さそうだな、もしくはこんな学校に行ってみたいと思ってくれたからこそ、彼は来てくれたのだと思うのです。

 

そういえば、卒業生の長谷川さんが娘さんと歩いていて、小田急デパートのエレベーターのところで佐々木先生とばったり会った話を思い出します。佐々木先生はひと言ふた言、挨拶をしてくださったのですが、別れたあと、長谷川さんの娘さんが「あんな素敵な人が教えているんだ。介護の先生の印象が変わった」と言ってくれたそうです。

 

 

別に先生方にプレッシャーをかけているつもりはありませんし、誰にでも優しく品行方正にしましょうと言っているのでもありません(笑)。そうではなくて、湘南ケアカレッジにたくさんの生徒さんたちがこうして集まってくれるのは、先生方の普段の言動や生き方が美しく、そういうことが回り回ってやってくるからではないかと思います。私も湘南ケアカレッジのマーケッターの一人として、関わる人たちに良い影響を与えられる存在でありたいと願います。

Yさんが冷暖房のスイッチが宙に浮いていたのを見て、壁に固定してくれました!(感謝の言葉しかありません!)

2018年

9月

30日

パラバトミントン

町田市立総合体育館で行われた、パラバトミントンの国際試合を観に行ってきました。町田駅構内に貼ってあったポスターや小田急線車内の広告を見て、国際大会がこんなに近い場所で観られるなんて素晴らしいと思い、足を運びました。初めてのパラバトミントン観戦は驚きの連続でした。バトミントンというスポーツ自体は同じなのですが、様々な障害のある選手たちがそれぞれのクラスに分かれて争う様は、まったく違う競技を見ているようでした。車椅子を操って戦う選手、義足を着けている選手、片手でプレイする選手などなど、ハンデを克服しながら勝利を目指す姿は、スポーツの原点だと思いました。

パラバトミントンとは、障害のある人たちによるバトミントン競技です。大きく分けて、車椅子と立位があり、全部で6つのスポーツクラスに分かれています。

車椅子には2つのクラスがあり、WH1とWH2に分かれます。WHとはWheelchair(車椅子)の略でしょうか。WH1はバランスが不良から中程度の車椅子利用者のクラスです。L1以上の脊髄損傷による完全対麻痺やポリオ、二分脊椎、ギランバレー症候群などの病気による障害のある選手です。WH2はバランスが良好の車椅子利用者のクラス。L2以下の脊髄損傷による完全対麻痺、片大腿切断などの障害のある選手になります。

立位には下肢障害が2クラス(SL3とSL4)、上肢障害が1クラス(SU5)、低身長が1クラス(SS6)の計4クラスがあります。最初に観た試合が立位混合のSU+でしたが、このクラスには立位上肢や聴覚障害、その他の内部障害や視覚障害、精神障害などが入りますので、パッと見た目には健常者と見えてしまう選手もいました。違う障害のある選手たちが、それぞれの強みと弱みを生かしつつ競っていて、競技として見応えが十分にありました。

実はクラスごとにルールも違っていて、SL4やSU5、SS6のシングルスはコートの全面を使用するのに対し、WH1、2とSL3のシングルスは片面のみ、WH1、2のダブルスは半分のみを使用して行われます。試合を見ていても、ダブルスや下肢障害の軽い選手ですと全面を使って左右のダイナミックな動きがあるのに対し、車椅子のシングルや下肢障害の重い選手は片面のみを使うため、前後の激しい動きが求められる攻防戦が繰り広げられます。ルールも選手の特性も異なるからこそ、全く違った競技になるのですね。

 

 

素人目線で見ても、鈴木亜弥子選手らのランキング上位の有名な日本人選手は強いと思いましたし、車椅子のダブルスの試合で観た韓国人ペアの力強いアタックはとても車椅子から繰り出されたものとは思えませんでした。2020年のパラリンピックに向けてという意味では、WH1クラスで出場していた里見紗李奈選手は目立って有望に映りました。私が見た試合でも、世界ランキング4位のドイツ選手に勝っていました。2年後には世界ランキング5位の福家育美選手と共に、パラバトミントンを盛り上げてくれるはずです。

2018年

9月

25日

「大家さんと僕」

お笑いコンビ・カラテカの矢部太郎さんによる、ひとつ屋根の下に住む大家さん(88歳の上品なお婆さま)との日常を描いた漫画です。評判どおりのホッコリとしたテーストで、矢部さんの温かい人間性が伝わってきますし、これからの超高齢社会において、高齢者と若者がこのような関わりやつながりを持てたら幸せだなと思わせられます。想像もできないほど生きてきた時代が違い、だからこそお互いのことを知ろうとして、ときにはボタンの掛け違いはあっても、肩の力を抜いて素直に理解し合える。自分が生きてきた道を懐かしく振り返り、自分がこれから辿るであろう道を見つめる。同世代や同質の人間関係の中で閉じこもりがちな最近の社会において、大家さんと僕のような、一緒にいるだけで教え合える関係が増えていくと良いなと思います。

短編が連なる形で掲載されていて、読み始めると一気に最後まで読めてしまいます。お父さまが絵本作家ということもあってか、矢部さんの絵心も相当なもので、無駄な線がなく、かつ余白を残した文体ならぬ絵体です。この漫画が売れたのは、テレビの影響も大きいのですが、矢部さんが大家さんと本当に関わったからこそのエピソードが描かれているからではないでしょうか。長い時間を共に過ごしたからこそ見えてくる、些細な気持ちや言動が漫画中に溢れていて、全く作り話感がないのです。ネタにもならないネタ、それこそが生きていく日常なのかもしれません。その中でも稀にドキッと思わせられるエッジの利いたひとコマもあります。

 

矢部さんは高齢者が転ぶと大たい骨を骨折しやすいとか、どれぐらいの確率で寝たきりになってしまいやすいかなど、介護について詳しいことを知っているわけではないはずです。それでいて高齢者が生きることの核心を突いてきつつ、思い切って生きられることの素晴らしさに展開し、自分自身に重ねながらも若者を励ましています。

 

 

矢部さんのような形で表現できなかったとしても、介護にたずさわる人たちも何らかの形で生きることの素晴らしさを教えられているのだと思います。人が生まれ、成長し、衰えて、老いて、死ぬ。このサイクルは不変であり、誰しもが避けては通れません。誰にとっても、いつか来た道、いつか行く道なのです。自分の子どもが生まれると、自分がいつまでも若くない存在であることを教えられ、お年寄りと関わると、自分がいつかは衰えて死ぬ存在であることを知らされます。介護の仕事をしている人たちが、他の仕事に就いている人たちよりも、日常を楽しんで奔放に(大家さんは「スレる」という表現を使っていました)生きているのはそういう理由なのでしょうね。

2018年

9月

20日

基本姿勢の大切さ

同行援護従業者養成研修の初日が行われました。湘南ケアカレッジで同行援護従業者養成研修を始めて第3回目になります。第1回、2回と行ってみて、良かったところはそのまま残しつつ、分かりにくかったことは改善して、少しずつ完成形に近づいていくのが第3回目です。こんなことを言うと、最初の頃に来てくれた卒業生さんたちに怒られてしまうかもしれませんが、決してこれまでが悪かったということではありません。たとえば、ミュージシャンのファーストアルバムが最も良かったりすることもあるのは、少しぐらい不器用で未完成なところがあっても、熱い想いが込められているからでしょうか。研修の第3回は、先生方の熱い想いも残しながら、内容が切り上がってゆくタイミングです。

今回は生徒さんの人数が奇数だったこともあり、実技演習に入ったところから、私も練習相手役として参加させてもらいました。私としては、第3者的に外から授業を見るのではなく、生徒さんと全く同じ目線で授業を受けるチャンスでもあります。同行援護従業者養成研修を受けるのは初めてなので、もちろん生徒さんたちと同じような初心(うぶ)な気持ちで学ばせてもらいました。

 

まずは基本姿勢から。同行援護従業者(視覚障害者のガイドヘルパー)として、最も大切な技術は基本姿勢です。ガイドヘルパーは利用者さんの半歩前に立ち、利用者さんはガイドヘルパーの肘あたりを軽く握るようにして歩きます。このとき大切なことは、ガイドヘルパーと利用者さんの体は同じ方向を向きつつ、平行であることです。そのために、ガイドヘルパーは脇をしっかりと締めなければいけません(千種先生は脇の下に100万円を挟んでいるつもりで!と教えます)。平行でなくなってしまうことで、ガイドヘルパーと利用者の進む方向が一致せず、コントロールを失ってしまうからです。

 

ガイドヘルパー役が左手で利用者役の左手を下から取り、相手の左手お親指と人差し指の間に自分の右手のくるぶしを通しながら下げ、半歩前に踏み出した右足を軸にくるっと回転します。自分の右肩越しに、相手の右足元が少し見えるぐらいが理想的です。自分ではきちんと利用者さんの半歩前に平行に立てているつもりでも、先生に外からチェックしてもらうと肩が傾いていたり、利用者さんとの距離が近すぎたりします。そこを修正してもらうと、美しい基本姿勢ができあがります。

 

 

ガイドヘルパーが美しい姿勢であるかどうかは、見たらすぐ分かるそうです。基本姿勢をきちんと教えてもらっていない、または身に付いていないガイドヘルパーは脇が開いているため、ガイドヘルパーと利用者さんの方向が一致しておらず、フラフラ歩いてしまいます。そうなると危険ですし、利用者さんは不安になりますね。美しいということは、安全ということなのです。その他、階段昇降やまたぎ、椅子の座り方なども練習し、実際にガイドヘルパー役と利用者さん役をやってみて、身体で学べただけではなく、この研修の専門性の高さと先生方の授業の素晴らしさを改めて知ることができました。目を輝かせて学び、笑顔で帰っていった生徒さんたちの気持ちがよく分かりました。

2018年

9月

14日

小さな頃から介護に親しむ

7月短期クラスが修了しました。夏休みということもあり、クラスの3分の1が中高生というクラスでした。いつものクラスの平均年齢よりも10歳は確実に若かったと思います。周りのクラスメイトさんたちは、あまりの年齢のギャップに戸惑う部分もあったかもしれませんが、最後は男性も女性も中高生たちも打ち解けて、ひとつになって終わってくれました。小中高生が介護職員初任者研修を受けてくれる度に思うのは、若いのに凄いなということ。自分が学生だった頃には意識もしていなかった介護・福祉の世界に目を向けて、興味を持って学んでいることが素直に素晴らしいと思うのです。私も小さな頃から福祉のこころを学ぶことができていたら良かったのにと、彼ら彼女たちがうらやましくもあります。

ちょうど7月短期クラスの研修中に、リクルートさんが話を聞きにきてくれました。地域に根差した学校の実情と介護業界の現在や未来について、私の知っている限りのことをお話ししました。その中で、どうしても介護業界における人材不足の問題に話が及ばないわけにはいきません。湘南ケアカレッジも例にもれず、介護職員初任者研修の生徒さんは次第に減ってきていることを話しました。

 

介護の世界で働く人が減ってきてしまっている大きな理由は、世の中の景気の良さです。景気が良いと別の仕事がたくさんある(生まれる)ため、介護の仕事をしようと考える人は少なくなります。新しい人が入ってこないばかりではなく、介護の仕事をしている人が別の業種に転職してしまうこともあります。逆に景気が悪いと他の仕事が少なくなるため、介護の仕事に就こうという人たちが増えるということです。世の中の景気のアップダウンと、介護の世界の人材ニーズは全く正反対の波を描きます。どこの学校も同じことを感じているはずですが、景気の波にはどうしてもあらがうことができないのです。

 

もちろん、いつ景気が悪くなって介護の人材不足が多少なりとも解消されるか分かりませんし、またこのまま景気が良くてますます介護サービスを提供する人が少なくなってしまうかもしれません。世の中の景気だけはコントロールできませんので、私たちは景気が良い時は介護の業界は苦しいとあきらめるしかないのです。

 

でも、景気に左右されていてばかりではなく、何か主体的に業界全体として取り組めることはないのかと聞かれたので、話しながら考えつつ、7月短期クラスのことも頭に浮かび、「小さいころから介護に親しむきっかけをつくることが大切ですかね」と答えました。近くの老人ホームを訪れて交流している幼稚園や小学校もあったり、中学生になると職場体験で介護施設に行く生徒さんもいるはずです。こうしたきっかけはまだまだ少なく、介護が必要な人たちがいる場所があり、そこで働く人たちもいることをもっと知ってもらうべきです。小中高生たちは心が柔らかく、福祉のこころを素直に学ぶことができるはずですし、見せ方伝え方次第で介護の仕事を魅力的だと思ってもらうこともできるのではないでしょうか。

 

 

いざ社会人になって、どのような仕事をしようと考えたとき、頭の片隅にでも介護の仕事が浮かんでくれると嬉しいです。選択肢のひとつとしてあるかどうかは大きいです。超高齢社会を迎えた日本において、介護の世界の人材不足は介護業界だけの問題ではないのです。人の子として生まれてきた以上は、遅かれ早かれ、介護を避けて通るわけにはいかず、誰しもが向き合わなければなりません。そのとき自分ひとりでは介護はできないのです。手を借りる人がいなければ、私たちは生きていけないのです。だからこそ、小さい頃から介護(の現場や仕事)に親しむ(もしくは学ぶ)きっかけづくりは、日本全体の喫緊の課題だと思うのです。

ひとりの女性の声掛けから、メッセージボードの作成が最終日に行われました。皆さんの気持ちが伝わってきて嬉しいです。勇気を持って声を掛けてくれた彼女のこれからの人生も、大きく変わってゆくはずです。

2018年

9月

08日

「健康で文化的な最低限度の生活」

テレビドラマ化されたことをきっかけに、3巻まで読んですっかり忘れていた続き(4巻~6巻)を大人買いして読んでみました。1巻を読んだときにも強く感じたように、今回も著者が現場のことをかなり詳しく調べていることが伝わってきました。特に5巻と6巻は、生活保護に関わる仕事、いや、もう少し範囲を広げて、人と関わる福祉の仕事とは何なのかが見事に描かれていて、この漫画を読んで福祉職に興味を持ってくれる人もいるのではないかと期待するほど。介護や福祉の現場で働いている人たちにとってはもちろん、全く知らない人々にもメッセージが届く漫画です。

主人公の義経えみるは、生活保護課に配属された新人公務員。今回のケースは、夫のDVから逃げるため、高知から息子の住む東京に出てきた75歳の林さんの支援です。狭い部屋で息子さんと2人で住むのは難しく、生活保護を受けながら息子の近くで1人暮らしをしたいと林さんは願います。しかし、「世帯単位の原則」の壁が立ちはだかり、生活保護はなかなか認定されず、しかも住む場所さえ見つけるのが困難です。えみるは林さんのために孤軍奮闘し、最後に林さんからの感謝の手紙を受け取りました。そして、彼女は最初のブレイクスルーを果たすのでした。

ケースワーカーの仕事に、「対象者に巻き込まれるな」という原則があります。えみるはいつも巻き込まれがちになり、問題を大きくしてしまいます。しかし、ひとりの上司が言った「巻き込まれず、キレイに仕事している人がいい仕事をしてるかと言うと、実は対象者が抱える問題が見えていないだけなんてよくあることで、実際は巻き込まれないと見えないことってあるんですよね」という言葉は本質に迫っています。

介護や福祉の仕事の本質は人と関わることであり、ある程度、巻き込まれないと見えてこない問題が存在するのです。もしくは対象者と真剣に関わろうとすると、巻き込まれてしまうことは避けられません。上手くすり抜けることはできても、結局それでは問題の核心に触れることはできず、仕事の本質である人と関わることができません。コントロールを失わない程度に巻き込まれる、もしくは巻き込まれるけど最後の手綱は渡さない。とても難しいけれど、とても大切なことです。

 

実は、ケースワーカーや介護・福祉の仕事だけではなく、どの仕事においても同じなのではないでしょうか。仕事をする以上は人と関わることは避けられず、人と真剣に向き合うとすれば巻き込まれることは必至です。巻き込まれているということは、その人ときちんと向き合ったという証でもあり、決して恥ずべきことではありません。仕事に慣れて、巻き込まれないように逃げる術を覚え、人と適切に関わることができなくなる方が私は残念だと思うのです。

 

2018年

9月

04日

教える立場にある全ての人たちに

先日、同行援護従業者養成研修の先生方と教え方の研修を行いました。湘南ケアカレッジは「世界観が変わる福祉教育を」という理念を掲げていますが、そのための基礎となる教え方や考え方です。この教え方は私が子どもの教育にたずさわっていたときに、子どもたちから教えてもらったものです。介護の現場で後輩や新人を教えたりする役割を担っている卒業生さんにとっても参考になると思いますので、ぜひ読んでみてください。*長くなるので、重要な箇所だけ太字にしました。

私が教えていた子どもたちは、どちらかというと勉強が好きではない生徒さんたちでした。できる生徒さんを教えるのは(専門知識があれば)それほど難しくないのですが、できない生徒さんを教えるのは難しい。また、大人は思っていることがあっても言わなかったりしますが、子どもは素直に反応するので、分かりやすいぐらい教え方の効果が表に現れます。正しい教え方をすれば素直な生徒さんが、間違った教え方をしてしまうと、もうそこから先はどれだけ正しいことを言っても聞き入れてくれなかったりします

 

 

特に塾と呼ばれる教育は、お金をいただいて来てもらっているため、子どもたちの成績が上がらなければ退塾となり、生徒さんがいなくなってしまうシビアな世界です。小学校や中学校、高校、大学、専門学校等であればよほどのことがないと辞めたりしませんし、学校の先生はよほど評価が悪くない限り替えられたりしませんが、塾の先生は生徒からの評価が低かったり、成績が上げられなかったりすると、すぐに下されてしまいます。だから、自らが生き残っていくために、どこの教育機関よりも、教える方法(教え方)や接し方については日々考えざるをえないのです。

この教え方については、子どもたちだけではなく、もちろん大人にも有効です。基本的な教え方は普遍なのですが、ほとんどの先生はできていないのが現状ですし、分かっていてもできないのが実状です。介護の世界において、自立支援が大切と分かっていてもなかなかできないのに似ているかもしれません。なぜできないかというと、人間の習性として、できていないことや人、また悪いところについ目が行ってしまうからです

 

できていないところを指摘するのは、脊髄反射であり、感情的であって、教えるという行為ではありません。教えるためには、教える側は常に冷静にならなければいけないのです。まず、出来ていることと出来ていないことを見分けるのは、専門性や専門知識がないとできません。そして、この2つのうちで、できていないことを見つけるのは簡単ですが、できていることを見分けることが難しいのです。

 

まずは何でも良いのでできていることを褒める・認めることで、生徒さんは安心し、心を開いてくれます。人は自分を認めて(褒めて)くれた人を認める(褒める)のです。もし褒める部分がひとつも見つからなかったとしても、最後までできたことを認めたり、取り組んでくれたことを褒めます。

 

その次のステップとしては、できていなかったことを、「ここをこうしたらもっと良くなる」、「こうした方がいいよ」という前向きなベクトルで褒め、認めます。「○○なので~」と具体的な理由やメリットを加えられるとなお良いです。「こうしたらダメ」などといったちくちく言葉を使うのはよろしくありません。「絶対ダメ」といった言葉を使うのは、ケガや死につながる場合のみです。そして、実際に先生がやってみせます。デモンストレーションをしたり、見本を見せるということです。

 

次に、生徒さんにやってもらうことも大切です。なぜかというと、できていないことを伝えるのが教えることではなく、できるようになってもらうことがゴールですので、やってもらってできるようになってもらわなければならないからです。しかし、意外とやってもらうことを忘れてしまう先生が多いのも事実です。できないところを指摘して、それで満足してしまうのです。

 

「じゃあやってみようか」と生徒さんにやってもらい、できたら褒める、認める。ここがとても重要です。ここまでサイクルを回して、初めて本当にできるようになります。逆に言うと、ここまで行かずにどこか途中で止まってしまうと、相手には伝わっていないということになります。

 

よくある間違えパターンとしては、最初の褒める・認めるをすっ飛ばして、いきなりできていないところを教えるに突入してしまう感情的パターン、もうひとつは、せっかくやってもらっても、最後の褒め・認めがないパターン。どちらにしても、褒め・認めが教える側にとっては絶対に必要なのだということですね。そして、生徒さんができなければできないほど、モチベーションが低ければ低いほど、意識してこの教え方をしなければいけません

 

この教え方がいきなりできるようにはなるとは思いません。最初はこの教え方のサイクルを回すことをかなり意識して教え、そのうち意識しなくてもできるようになっているのが理想的です。これは教える者にとっての技術であり、教えるのが上手な先生とそうでない先生を隔てる壁でもあります。簡単なようで難しい。だからこそ、私たちは正しい教え方をしているのかと常に自問していかなければならないのです。

2018年

8月

29日

あなたがいなくて寂しい

実務者研修の6月火曜日クラスが修了しました。実務者研修はたった7日間しかありませんので、火曜日クラスのように毎週通っていただくと、ほんとうにあっと言う間に終わってしまいます。その中でも、少しでも生徒さんたちのことを知りたい、ひとつでも多くのことを伝えられたと思いますが、15日間ある初任者研修のようにはいかないのが現状です。それでも、実務者研修の最終日の授業がスタートする前に、「介護の先生たち、もういないんだ。今日で終わりかと思うと寂しいね」と言ってくれている生徒さんがいました。私たちも、その生徒さんが今日で終わりだと思うと寂しいです。

生徒さんたちに、先生にまた会いたい、(クラスメイトたちも含めて)もう会えなくなってしまうのは寂しいと思ってもらえるなんて、嬉しい限りです。おそらくその生徒さんは、湘南ケアカレッジの研修を楽しんでくれたのだと思いますし、クラスメイトたちとも仲良くなれたのでしょうし、また先生方からもしっかりと学んでくれたはずです。学校という場を通して、人間らしい交流が生まれたからこそ、先生方にまた会いたい、研修が終わってしまうことが寂しいと感じてもらえるのではないでしょうか。

 

そのような関係性が築けたということは、実は先生方も生徒さんがいなくなってしまうのは寂しいと思っているのです。私たちの関係は双方向なのです。たしかに先生方はたくさんの生徒さんと関わり、教えさせてもらいますが、それでもこの生徒さんとこれでお別れになるのは寂しいなと思う瞬間があります。それは先生と生徒という関係を超えた、人間同士の愛着のようなものではないでしょうか。先生がそう感じているとき、生徒さんも同じように感じてくれているはずです。

 

実務者研修の医療的ケアの授業が終わり、「能動的な生徒さんが多いクラスだった」と看護師の藤田先生は評していました。できるできないはまた別の問題として、自ら素直に学ぼうという姿勢が強かったクラスだということです。それはケアカレの初任者研修の卒業生を中心として、前向きなメンバーがクラスを良い方向に引っ張ってくれたということも大きかったです。最後には、クラスメイト全員からの感謝の言葉が書かれたメッセージボードをいただき、改めてこのクラスの雰囲気の良さとまとまりを知りました。

 

 

「一流の介護福祉士になります!」、「大人になっても夢中になれることがあるって幸せですよね」等と書かれたメッセージもあり、初任者研修とはまた違った生徒さんたちの意気込みを感じることができ、個性的なクラスが終わってしまうことは確かに寂しいのですが、それぞれが介護福祉士に合格して、これからの介護の明るい未来を担っていってくれることを願って、学校から送り出し、見守りたいと思います。

面白い形の色紙ですが、実は裏はこうなっています。

2018年

8月

26日

未来が評価してくれる

実務者研修の総合演習が終わったとき、「皆さんの今の頑張りは、将来に評価されるのです」と小野寺先生が言っていました。特に介護の世界では、その場で「ありがとう」と感謝されることはあっても、その仕事の本質的な評価は、だいぶ後になってから下されることになるはずです。今こうしたからこうなったというように、早急な結果が出ることはほとんどありません。スパンが長いのです。もしかすると、利用者さんがお亡くなりになったあとに、あのときああしておいて良かったなあと分かることも多いのではないでしょうか。つまり、一般的(客観的)な評価とは、私たちが思うよりもずっと後に訪れるのです。

 

それは他の分野のどの仕事でも実は同じです。今どれだけ頑張っていても、そのことが回り巡って自分に返ってくるのは、だいぶ先の忘れた頃になります。だから、自分がしていることが今認められなくて当然と思うぐらいで丁度いいですし、逆に今すぐに結果や評価が出てしまうような仕事には未来がないと考えてもいいはずです。むしろ今やっていることと、一般的な評価が現れてくるまでのタイムラグがあればあるほど、より大きな成果が伴うと考えるべきだと思います。テコの原理を使って、今やっていることを、未来に向けて投資していく。シーソーのようなイメージですね。

 

もう少し具体的に言うと、今は何よりも経験や知識、学びを得ることに投資をすることです。誤解されるかもしれませんが、仕事は安いところに多く降ってきますので、できるだけ報酬(評価)を得ずに、たくさんの仕事をする機会を得る方を選ぶということです。自分の能力や頑張りが今の報酬と見合っていない(もしくは搾取されている)と思うならば、それは未来が評価してくれる大きなチャンスです。

 

決してブラック企業を礼賛しているわけではありません(経験や知識、学びを得る仕事が少ないのがブラック企業です)。逆に言うと、今の報酬が仕事に見合っている、もしくは十分にもらっていると思うならば、未来が尻すぼみになるピンチだと受け止めてください。

 

「若いときの苦労は買ってでもしろ」というのは、そういう意味だと思うのです。今は受け取りすぎてはいけず、与えることで未来に向けて投資する。10代に頑張ったことが20代をつくり、20代で取り組んだことが30代をつくり、30代で情熱を傾けたことが40代をつくり、40代で…と綿々と続いていく。

 

 

それじゃあ、最終的にはいつ受け取ることができるのですかという問いには、いつまでも受け取らない状態が理想なのかもしれませんとお答えします。多くを受け取り始めたときから未来への投資が少なくなり、衰退が始まってしまうからです。常に与え続けることで、未来へつながる山を少しずつ高くしていくイメージです。私はそう思うようにしてやってきましたし、これから先どのようにしていこうか悩んでいるところです。小野寺先生の言葉を聞いて、ふと自らの生き方の原点を見つめ直させてもらいました。

2018年

8月

21日

時間がない

NHKハートネットTVで放映された「岩佐まりシングル介護 認知症の母と」を観ました。湘南ケアカレッジの卒業生でもある岩佐さんは、たまに学校にも顔を出してくれて、介護の未来やこれからやりたいことなどを話し合います。そのときは一人でやって来るため、3年前に出会ったいつもの明るい岩佐さんしか私の目には映りません。実際に岩佐さんとお母さまの在宅介護現場を垣間見るのは、こうした機会しかないのです。

 

番組を観た感想としては、「時間がないのだ」ということ。若年性アルツハイマー型の認知症を患う母と共に過ごす岩佐さんは、今こうしていられることが明日も続くとは思えない、もしかすると明日はないかもしれない、という時間軸で生きているのです。若年性アルツハイマー病は進行が速いということもありますが、彼女の目には母親と生きることで命の儚さのようなものが見えているのだと思います。私が漫然と過ごしたこの3年間に、彼女はどれだけの喜びや悲しみ、衰え、虚しさ、楽しさ等の喜怒哀楽や栄枯盛衰を味わってきたのでしょうか。彼女はそれを母親が与えてくれた社会勉強だと言っていました。

 

番組の最後に、「(母親が)私と一緒にいることが苦しくなったら、私の役割は終わりだと思っています。そのときはプロの手に委ねます。そうならないように(できるだけ長く一緒にいられるように)、私自身ももっと介護の知識や技術を学んでいきます」と岩佐さんは語っていました。司会の方々はこの言葉に驚きを隠せなかったようですが、それもそのはず。私の知る限りにおいて、このような切り口で語った家族介護者はいませんでした。介護者の愛情も大切ですが、もしかするとそれ以上に、在宅介護を続けていくためには介護の知識や技術が必要だということです。

 

「湘南ケアカレッジで学んだことが、どれだけ役に立ったか分かりません」と岩佐さんは言ってくれたことがあります。ケアカレに来る前から、すでに自らたくさんのことを学んでいた岩佐さんに、そう言ってもらえたのは光栄です。介護職員初任者研修で学ぶことが、在宅(家族)介護者にとっても大いに役に立ったことは、私たちにとって大きな自信にもなります。そしてこれから先は、岩佐さんと共に、介護職員初任者研修に来ることができない在宅介護者のための研修や学びの場を通したコミュニティをつくっていきたいと思います。時間はないのです。

 

☆再放送は8月23日(木)13時5分~13時35分です!

☆岩佐まりさんのブログはこちら

2018年

8月

14日

「ダイアログ・イン・サイレンス」

新宿のLUMINEゼロで開催中の「ダイアログ・イン・サイレンス」に参加してきました。2年前の冬にダイアログ・イン・ダークに行って以来のダイアログ体験でした。ダークは光のない暗闇の世界、そして今回のサイレンスは、音のない世界における対話ということです。福祉の世界における障害者体験ということではなく、ひとつのエンターテイメントとして、様々なバックグラウンドを持つ人たちが参加されていました。音が聞こえない、つまり言葉によるコミュニケーションが取れない世界で、私たちのコミュニケーションをどのように変化するのでしょうか。

 

入り口でルールが伝えられます。ここから先は、言葉(話すこと)や手話によるコミュニケーションは禁止、また壁を触ったり音を立てるのも禁止です。アテンドしてくれるのは、聴覚障害のある、ゆうかさんという女性でした。一緒に参加するメンバーを見渡してみると、親子連れが1組(お子さんは小学5年生ぐらい)、男女のペアが1組、遠方からひとりで来ていた女性が1人、そして外国人男性が3名(ドイツ人と韓国人)と通訳を務めていた日本人女性が1人という、まさに多種多様なグループでした。

 

最初のアトラクションは、手の形で遊んでみようという内容でした。まぶしいぐらいの光が上から照らされ、自分の手の形の影をテーブルに映します。△、□、○、♡などから始まって、キツネや鳥など、手の表情だけで様々な意味を持った形をつくることができるのです。

 

ダイアログ・イン・サイレンス全体を通し、(手話ではなく)手の動きや形を使って表現することが多く、つまり言葉に頼らない、非言語コミュニケーションを取るとき、手というツールは大きな意味を持つということです。手にも表情があり、時として言葉以上に、手の動きは何かを伝えるために有効だということですね。

 

次のアトラクションは顔の表情をつくること。額縁からそれぞれ顔を出し、嬉しい顔、悲しい顔、怒った顔、酸っぱい顔、美味しい顔など、アテンドのゆうかさんはさすが言葉を使わないコミュニケーションの達人だけあって、表情豊かに伝えてくれます。それに比べて、私の無表情なこと(笑)。いかに普段は顔の表情を意識しないでコミュニケーションを取っているかを痛感します。

 

最後のアトラクションは、相手側には見えていない写真の内容を、身振り手振りを使って説明し、その通りの状況を模型を使って再現してもらうというゲームです。ゾウとかカメとか飛行機とかの物体についてはボディラングエッジで伝えられても、それらの位置や向きを伝えるのが困難でした。

 

そもそも、アテンドさんが身振り手振りで説明してくれるのですが、そのゲームのルールを理解するのが最初は難しく、戸惑ったのですが、最終的には外国人と力を合わせて、上手く相手に伝えることができたと思います。実はこのことが、コミュニケーションの本質を理解するために、私にとっては貴重な体験になりました。

 

 

たった2時間の体験で多くを語るべきではないと思いますが、ダイアログ・イン・ダークに比べると、今回のダイアログ・イン・サイレンスの方が不安を感じませんでした。やはり目が見えない世界というのは恐怖であり、視覚情報を奪われることに不安を感じざるをえません。

 

対して、音が聴こえない世界、ここでは話し言葉によるコミュニケーションができない世界では、それに代替するツール(表情や手の動き形、アイコンタクト、筆談など)があるため、コミュニケーションの方法が変わるということです。

 

話し言葉はコミュニケーション手段としては便利なものですが、それはあくまでも表層です。それよりも大事なのは、実は表情や手の動き形、身体全体を使ったボディラングエッジなどの非言語的コミュニケーションなのです。

 

ここまでは教科書的な感想でしかありませんが、今回、言語の異なる(言葉の通じない)外国人と一緒に回ったことで、言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーションよりも大事なのは、自分たちが何をしようとしているのかに対する共通理解なのではないかと思いました。外国の人と目を見合わせるだけでコミュニケーションができたのは、そのゲームの目的に対する共通理解があったからである気がしたのです。

 

 

私たちがお互いを理解できるは、ある程度の共通理解があるからこそ。おそらく相手はこう考えているはず、こうしてもらいたいはず、こういう気持ちを抱いているはず、などといった想像が働くのは、人間として同じような文化や環境の中で育ってきたからではないでしょうか。そう、私たちはもっと上手くコミュニケーションを取れるのです。そんな明るい希望を持つことができました。

 

★ダイアログインサイレンスの公式HPはこちら