2023年

10月

02日

「おはよう21」にて連載スタート!

「おはよう21」にて、小野寺先生の連載が始まりました。内容はボディメカニクスを使った介護技術です。3回に分けての連載となりますが、今回はボディメカニクスの8つの原則について説明しています。イラストや写真付きでとても分かりやすく、シンプルに書かれていますので、ぜひ手に取って読んでみてください。「おはよう21」を定期購読している各施設や事業所等は多いので職場に置いてあるかもしれませんし、また大きな書店であれば介護のコーナーに置いてあるはずです。10月から12月にかけて動画コンテンツも配信されるようで楽しみですね。

 

湘南ケアカレッジで介護職員初任者研修がスタートした10年以上前から、小野寺先生といえばボディメカニクス、ボディメカニクスといえば小野寺先生ということでやってきました。もちろん、他の先生方も授業の中でボディメカニクスを教えてくださって、介護職員初任者研修全体を通して生徒さんたちにはその大切さが伝わっているはずです。それでもやはり小野寺先生といえばボディメカニクスを思い出す卒業生さんが多いはずです。それぐらい長い年月をかけて、情熱を込めて、ボディメカニクスを定着させてきたのです。

 

実務者研修に来てくれる他校の卒業生さんたちが言うのは、介護職員初任者研修でボディメカニクスという言葉は聞いて習ったけど、あまり印象に残っていないということです。カリキュラムの中で示されていますので、ボディメカニクスについて教えてくれてはいるはずですが、生徒さんたちには伝わっていないのです。それはなぜかというと、いくつか理由が考えられます。ひとつは説明だけで終わっていて、体験として身体で学んでいないということ。もうひとつは、1回教えて終わりになってしまっていて、繰り返し教えていないこと。さらには、上手くできたという成功体験がないので心に響いていないこと、などでしょうか。ケアカレではしつこいぐらいにボディメカニクスの大切さを説き、何度も繰り返しボディメカニクスを使えるところまで練習しますので、頭だけではなく身体で覚えているのです。

 

余談ですが、ボディメカニクスの大切さは学んでくれていても、言葉はあいまいに覚えている生徒さんもいます。ボディメカニズムやボディメカニックはなどなど、微妙に間違って覚えている人がいるのでご注意ください。私たちが研修の中で、ボディメカと略してしまうからでしょうね。ボディメカという言葉が独り歩きして、正式名称が分からなくなってしまっているようです(笑)。

 

 

湘南ケアカレッジではボディメカニクス講座(3級と2級)をほぼ毎月開催していますが、先々の日程も埋まってしまうほどの人気講座となっています。介護現場で働いている人たちにとって、利用者さんの移動や移乗が喫緊の課題となっていて、働く人たちにとっては大きな悩みになっているということですね。ボディメカニクスの考え方や技術を身に付けることができれば、このような状況においてはどのように移動・移乗すると変に力を使わず、安全で安楽かと自分で考えられるようになるはずです。来年はいよいよボディメカニクス講座1級をつくって、ボディメカニクスを教えられる人を養成していきたいと思います。そうすることで、ボディメカニクスが介護の現場に根付いて、ひとりでも多くの現場の職員の方々が安心して介護ができる世界をつくっていきたいと願っています。

2023年

9月

21日

月の満ち欠けのように

湘南ケアカレッジを立ち上げるまでの10年間と立ち上げてからの5年間、いわゆるビジネス本というものを読み漁っていました。マーケティングから経営戦略、チーム論、コーチング、自己啓発などなど、あらゆるジャンルのビジネス書を真剣に読みました。ほとんどの本は何の役にも立ちませんでしたが、中には素晴らしい内容のものがあり、私の考え方を大きく変えてくれたものもあります。自分ごととして本を読むと楽しいですし、知ることで世界は変わっていきますし、何と言っても自由になれます。

 

ところが、数年前から(厳密に言うと2020年ぐらいから)、ビジネス書にほとんど興味が湧かなくなりました。湘南ケアカレッジがある程度ビジネスとして完成されてきたという理由もあると思いますが、やはり書いてあることで目新しいことがなくなったというのが最大の理由だと思います。新しい本も結局、昔の本と同じようなことを手を変え品を変えて書かれているだけで、既視感があるのです。細かいところで学ぶべきはまだあるのでしょうが、大枠は分かったということです。

そんなこともあって、最近は小説を読んでいます。学生の頃は小説ばかりを読んでいたので、昔に戻ったということですかね。今読んでいるのは「月の満ち欠け」という佐藤正午さんによって書かれた、人間の生まれ変わりにまつわる不思議な物語です。実は「月の満ち欠け」は映画化されており、そちらを先に観ました。人は生まれ変わるのかとか、前世があるのかと考え始めたらきりがありませんし、そんなことはあり得ないと頭で考えてしまうと楽しめない内容ですが、頭を柔らかくして観ると素敵な作品でした。「月の満ち欠け」とは、月が満ちたり欠けたりするように、人は姿を消したり現れたり、亡くなったり生まれ変わったりするというテーマの比喩ですね。

 

 

そもそも生まれ変わりってあるのでしょうか。日本ではあまり馴染のない前世という考え方も私には興味深かったです。少し昔の私であれば、そんなことはあり得ない、人は土に還るだけと割り切ったはずです。物理的にはそうであったとしても、精神的や思想的にはどうでしょうか。たとえば、私の甥っ子が僧侶になるためにタイに修行に行ったときの話を聞かせてくれた中で、タイの人たちは心の底から生まれ変わりを信じているので、もし何らかの事故や病気で死んでしまっても、生まれ変わるからと考えて、それほど深く受け止めないというのです。生と死の境界線があいまいなのです。そうすることで死の苦しみや痛みを受け流している面もあるのだと思いますが、考え方として私は共感できるところがあります。

 

評論家の小林秀雄が「魂はあるのかないのか?」という学生の質問に対して、「あるに決まっているじゃないか」と即答したのは有名な話です。小林秀雄の母が亡くなった数日後、悲嘆に暮れていた小林は妙な経験をしました。小林の家の前の道に沿って小川が流れていて、夕暮れに門を出ると、行く手に蛍が一匹飛んでいるのが見えました。その年に初めて見る蛍であり、今までに見たこともないような大きな蛍で見事に光っていました。おっかさん(小林は母のことをこう呼んだ)は、今は蛍になっている。小林はそう思ったそうです。蛍の跳ぶ後ろを歩きながら、その考えから逃れることができなかったといいます。

 

前世はあるかもしれない、生まれ変わりもあるかもしれない、魂はあるかもしれない、と考えることができる方が豊かなのではないかと私は思います。私たちには分かっていないことの方が多く、分からないことの方が多いのです。分からないことは想像するしかありません。どんな仕事でも基本的な技術や考え方があり、それを身に付けることは大切ですが、そこから先は想像力が問われるのです。できるだけ豊かな想像力を持って臨みたいですね。

2023年

9月

11日

見え方が変わるはず

夏休み期間中に行われた、介護職員初任者研修の8月短期クラスが無事に修了しました。今年から久しぶりに学生さんたちも戻ってきて、夏の短期クラスらしい賑やかで華やかな雰囲気のクラスでした。10代から60代まで年齢の幅も様々です。学生さんたちにとっては、幅広い年齢層の大人たちと一緒に過ごした貴重な機会や体験になったと思いますし、大人たちにとっても若い学生さんたちと共に学ぶことで、大きな刺激を受けたのではないでしょうか。年齢や性別、国籍を超えて共に時と場所を楽しく共有できることが、介護職員初任者研修の最大の魅力ですね。

介護職員初任者研修が終わると、学生さんたちはすぐに2学期が待っており、社会人である大人たちは9月1日から働き始めるという方が多かったです。1日ぐらい休んでもらいたい気持ちは山々ですが、「このままの勢いで仕事した方が良いと思います」とおっしゃっていた生徒さんもいました。たしかに、休んで気が抜けて職場に行きたくなくなってしまうよりも、熱い気持ちのまま介護の仕事をスタートした方が良いかもしれません。

 

別の翌日から仕事を始める生徒さんは、「介護の仕事を始める前に介護職員初任者研修を受けておいて良かったです。考え方も大きく変わりましたし、感謝しています」と言ってくれました。湘南ケアカレッジの理念である「世界観が変わる福祉教育を提供する」ことができて嬉しく思うのと同時に、現場に入って現実と理想のギャップは必ずあるでしょうから、そんなときはいつでもケアカレに遊びにきてくださいと伝えました。

 

教育とは理想を伝えることでもあります。もちろん、先生方も自身の失敗談や現場の現実も語っていますが、あるべき姿を伝えるの教育です。こうあるべきという理想を伝えない教育には何の意味もありません。だからこそ、理想と現実のギャップが生じてしまうこともあるはずです。そのギャップがあることを意識できることが大切ですし、少しずつ埋めていこうとすることも大事ですね。

 

もうひとつ、介護職員初任者研修を受けたことで、物の見方が変わることに大きな意味があります。つまり、同じ物ごとを見たとしても、考え方が違えば、その見え方は違ってくるのです。たとえば、認知症について知らなければ、ただの理解不能な言動をしているおかしな人と見えてしまうかもしれませんが、認知症のある利用者さんの言葉や行動に意味を見出すことができるかもしれません。同じ人や物ごとを見ても、考え方が違えば、見え方も違ってくるのです。同じ仕事をしていても、考え方が違うだけで、全く違う世界が見えているのです。できることならば、素晴らしき介護の世界を見たいですよね。

2023年

8月

28日

初心に戻る

お盆休み中に、卒業生のYさんがケアカレをたずねてくれました。5年前に介護職員初任者研修を受けてくれた時、岡山県に住んでいましたが、実家の大和から通っていた生徒さんです。なぜそこまでしてくれたかと言うと、お母さんがケアカレの卒業生だからです。その後、岡山に戻って、今はデイサービスで働いているそうです。ケアカレナイトのイメージイラストを描いてもらったり、私の田舎の岡山県津山市と彼女の住んでいる新見市が近かったりすることもあり、縁があるのか、離れていても何度かメールのやり取りをしていました。お盆休みや年末年始など、ちょうと私が岡山に帰省するとき、彼女はこちらに帰ってきて、私がこちらに戻ってくると彼女は岡山に帰ってゆく、そんな行き違いが生じるのですが、今年のお盆休みは台風が直撃するとのことで1日早く戻ってきたこともあり、こちらで一緒に食事をすることができました。

 

絵を描くことも好きなのですが、彼女はモノづくりも好きで、デイサービスではその特技を生かして、利用者さんたちとレクレーションで工作をしているそうです。彼女が考案したのは、飲んだ後のヤクルトの容器を使って、そこにカラフルな糸を巻き付け、手足や目鼻をつけて、人形をつくるレクです。たとえば、カエルだったり、地蔵さんだったり、白クマだったり、季節ものとしてはハロウィンやトナカイ、雪だるま、ひな祭りの人形だったりをつくるのです。本来は捨てるはずだったヤクルトの容器を再利用するところも面白いと思いましたし、材料費もほとんどかからず、しかも認知症の利用者さんも、介護度が高い利用者さんでも、意外と誰もが参加できるのも良いですね。背景なども工夫して作り、完成した後は、利用者さんの目の高さに合わせて飾っておくそうです。

 

利用者さんにお願いをしたり、上手くできたときの声掛けなども大切だと話されていました。その話を聞いたとき、ふと、ケアカレの原点でもある、「褒める・認める」のことを思い出しました。講師会をしばらく開催していないこともあり、私たちの理念や大切にしたいことを直接、先生方に伝えることを休んでしまっている気もします。もちろん、生徒さんたちのアンケートや卒業生さんたちの声からも、湘南ケアカレッジが始まったときの熱い想いを失うことなく、ここまでやって来られていることは分かっています。それでもやはり、こうして形にして伝えたり、改めて見直してみることは大切だと思うのです。

 

 

実は、うちの息子ももう高校1年生になりました。小さい頃は、ちょっとしたことでも褒めたり、認めたりしていましたが、高校生にもなると、むしろできるのにやっていないことばかりが目に付くようになります。お菓子の袋や飲み終わりのペットボトル容器を片付けないでそのまま置きっぱなしにしてあったり、自分で食べた食器を洗わずに流しに放置してあったり、などなど、何度言っても習慣にならず、言われるまでやらないことばかり。大人として見るようになったと言えば聞こえは良いのですが、褒め・認めができなくなったと言われたらそのとおりです。褒め・認めがなければ、人の心を動かすことはできないにもかかわらず、どうしてもできていないことから入ってしまいます。

初心に戻ることの大切さは、変わっていないようで変わってしまっている自分の変化に気づき、大事なことだけは変わらないように気をつけ、取り戻すことにあります。湘南ケアカレッジの教え方のサイクルは、できていること・できていないことを見分ける→できていることを褒める・認める→できていないことを教え、やってみせる→やってもらう→褒める・認める、になります。ひとつのサイクルの中に、褒める・認めるが2回も出てくるのです。このサイクルのどこか1つでも欠けてしまうと、教えたいことは上手く伝わらなくなってしまいます。私たちは教える立場にある者として、時として、自分はこのサイクルを回せているかどうかを自己点検してみるべきですね。

 

 

岡山から帰ってきてくれたYさんと話していて、そんなことを思いました。彼女はこのモノづくりレクを多くの人たちに広めたいと願い、レパートリーを増やしつつ、いつか湘南ケアカレッジの教室でワークショップを開催したいと言ってくれました。5年の歳月が流れても、住んでいる場所が離れていても、変わらずケアカレに遊びに来て、頼ってくれて嬉しい限りです。来年こそぜひワークショップをやりましょう!と意気込みを確認して、彼女は私と入れ替わりで岡山に帰って行きました。

2023年

8月

18日

優しい人たち

春からスタートした日曜日クラスが修了しました。全体の印象としては、とても優しいクラスでした。私が足首を骨折したときに、優しく声をかけてくださる生徒さんが平日のクラスよりも多かったですし、障害者の就労支援で豆腐をつくっていることに興味があると話したら、「売れない豆腐ですけど、食べてみてください」と言って持ってきてくれた生徒さんもいました。また、最終日にはクラスメイト全員のメッセージ入りの色紙もいただきました。ケアカレカラーのオレンジをベースにデザインされたこの色紙は、卒業生さんたちを見守る太陽をイメージしているそうです。ありがとうございます。

優しいクラスであったので、何ごともなく終わったのかと思っていましたが、最後のアンケートを見て、そうではなかったと反省する部分もありました。実はこのクラスには中国人の生徒さんが複数名いらっしゃったのですが、彼女たちが授業中に話すのが気になったと書いてくれた生徒さんがいました。おそらく一度や二度ではなく、そういうシーンが目立ったからこそ、アンケートを通して教えてくれたのだと思います。改善点を包み隠さず伝えてくれるのは優しさです。冷たい人は何も言わないのです。ケアカレにもっと良くなってもらいたいから、わざわざ書いてくれたのです。

 

ケアカレとしてできることは、頻繁すぎるおしゃべりに対しては、今はやめてもらいたいと伝えることです。おそらく外国語で話しているので、授業に関係した大事なことを話しているのかそうではないのか内容が分からず、先生方も注意をしにくかったのではないかと想像します。また、先生たちも順番に入れ替わりますので、今回の授業は私語が多いなと感じるぐらいであっても、生徒さんたちは毎週同じようなおしゃべりを聞かされていれば頻繁に思えるはずです。生徒さん同士で注意をするのは難しいので、こういった状況は学校側が察して、「大丈夫ですか?」、「何か分からないところがありますか?」など、どこかの段階で声をかけるべきなのです。

 

さらに「ほんとうにそうなの?」と踏み込んで考えることも大切です。今回のケースについては、80%ぐらいは学校側として注意してもらいたかったというのが答えだと思いますが、もしかすると中国人の生徒さんたちのおしゃべりが気になったのは、あまり交流ができていなかったからではないかと考えることもできます。中国人の生徒さんたちだけで固まってしまい、他の日本人の生徒さんたちと関わる機会が少なかったのではないでしょうか。たとえば、グループワークや実技演習でも国籍を問わず一緒に混じってできていれば、私語はそれほど気にならなくなりますし、気になったらそっと伝えられるぐらいの間柄になっていたかもしれません。そうならなかったのは、最後まで中国人の生徒さんたちを固めてしまった学校側の仕組みの問題とも捉えることはできるのではないでしょうか。

 

 

問題に対して表面的な解決は誰でも思いつきますが、「ほんとうにそうなの?」と自問して深く掘っていくと、本質的な解決策に行き着くこともあります。世の中の問題のほとんどが解決されることなく、より悪くなっていってしまうのは、実は「ほんとうにそうなの?」と考えることなく、表面的に解決した気になって終わってしまうからでもあります。介護の現場でも毎日たくさん問題は起こるはずです。そんなとき、「ほんとうにそうなの?」と自分や相手に問うてみることで、あっと驚く真実に気づき、本質的な問題解決につながるはずです。

2023年

8月

07日

他者を知ること

7月短期クラスにビルマから来た生徒さんがいました。年齢がバレてしまいそうですが、私の中でのビルマは映画「ビルマの竪琴」で主人公の水島上等兵がオレンジの袈裟を着て、竪琴を奏でるシーンしか思い浮かびません。どんな国だっけ?と調べてみると、現在はミャンマーと呼ばれている国でした。旧ビルマというのが正確なところです。本人に改めて聞いてみると、「お年寄りはビルマと言うけど、若い人たちはミャンマーと言っています」とのこと。興味を持って調べ進めてみると、ミャンマー(旧ビルマ)はタイの左隣に位置し、中国やバングラデシュ、ブータン、マレーシアなどと国境を接しています。古い寺院等の建築物と山々の調和が美しい国でした。

しかし、ミャンマーでは昨年の2月に軍部がクーデターを起こしました。アウンサンスーチー氏を拘束し、市民による抗議デモを武力で弾圧しているそうです。国民軍が武力で対抗して、血みどろの争いが繰り広げられているのが現状とのこと。ウクライナとロシアとの間の戦争のように、日本の報道はどうしても一面的になりがちですから、善悪を決めつけると本質を見誤ると思いますが、いずれにしても国民たちは巻き込まれてしまっているのです。本人の口からは「大変な状況になっている」としか聞いていませんが、若者たちを筆頭に、ミャンマーのそうした状況に愛想を尽かし、国外に移住する国民も増えてきているようです。

 

今回はたまたまビルマの生徒さんがいて、ビルマの国のことを少し知れたように、他者を通じてこそ世界を知ることができるのです。他者を知ろうとすることで、その背景にある世界を知れるという感じでしょうか。それは大げさなことでなくても良いのです。他者が好きなことや大切にしていることを教えてもらうだけで、私たちの世界も広がります。対人援助職である私たちは、他者を理解しようとして傾聴をすることになりますが、それは自分の世界を広げていることにもつながるのです。自分だけでは広がらなかった世界を、他者を知ることで広げてもらうということです。

 

 

そう考えると、人との出会いがいかに大切か分かりますね。私自身も、節目節目で出会った人たちに、良くも悪くも大きな影響を受けて、ここまで生きてきたのだと思います。福祉教育の世界に入ったもの、小学校時代の知り合いが大手の介護スクールで働いていて、当時ひきこもりをやっていた私にアルバイトしてみないと声をかけてくれたことがきっかけでした。最初から介護の世界に興味があったわけではなく、むしろ全く知らなかった世界です。それがたまたま知り合いをつうじて、この世界に触れたことで、今こうして介護の学校に20年近くたずさわることになりました。自分の興味だけを追い求めていたら、決して辿り着かない世界でした。人の出会いとは不思議なものですし、その出会いを生かすのはやはり他者を知ろうとする興味や好奇心だと思うのです。

2023年

7月

28日

時空を超えて

7月からスタートした実務者研修の土曜日クラスには、初日が誕生日の生徒さんがいました。皆でお祝いをして、ハッピーな雰囲気で幸先良くスタートを切れました。さすがの湘南ケアカレッジでも、初日はお互いにどうしても緊張感がありますが、こうした授業とは関係ない出来ごとが起こると、生徒さんたちは一気に和み、学校や先生方との距離感が近くなるはずです。

 

 

開校当初から誕生日祝いは行ってきて、もう200名を超えるであろう生徒さんたちにバースデーソング&ケーキをプレゼントしてきました。「誕生日祝いをしていて、あのとき良い学校だなあと思いました」と卒業生さんから言われることもあり、ずっと続けてきて良かったなと思います。

 

授業が終わったあと、誕生祝いをさせてもらった生徒さんが私の元に来てくれました。御礼を言われるのかと思っていたら、「Kさんってご存じですか?」と聞かれました。Kさんと言われても卒業生さんにたくさんいますので、「下の名前って分かりますか?」と聞き返したところ、「K山〇〇さんです」と返ってきました。私はピンときました。ケアカレの卒業生かと思っていたのですが、実は昔、大手の介護スクールで一緒に働いていた仲間のひとりでした。

 

「もちろん知ってるよ。で、なんでKさんのこと知ってるの?」と尋ねてみると、「今、僕、ケアに入っているのです。『明日学校に行くんです』と言ったら、『どこの学校?』と聞かれたので『湘南ケアカレッジです』と答えたら、Kさんが『そこの学校、知っている人がいるよ』という話になりました」と教えてくれました。

 

Kさんは筋ジストロフィーを患っています。今からちょうど20年前、大手の介護スクールで働いていたとき、私とほぼ同年代ですから、彼も25歳ぐらいでした。彼は残っている筋肉と杖を使って立派に歩くのですが、一度転倒してしまうと自分ひとりで立つのに苦労します。突然、ドスンと大きな音が響いたと思ったら、彼が転んでいたなんてこともよくありました。

 

当時の事務所が入っていたビルは、23時になると1階の玄関の扉が閉まってしまう設定になっており、それ以降に帰社する際は一旦、地下1階までエレベーターで降りて、そこから階段を登って、1階の裏口から退出することになっていました。健常者であれば何てことないのですが、Kさんは階段を登ることができないので、23時を超えてしまうと大変な事態になります。それでも、たまに仕事が忙しすぎて23時を超えても誰も気づかないことがあって、皆で協力して彼をおぶって階段を上がって帰るなんてこともありました。今となっては懐かしい思い出ですが、彼はおそらく100kg近い体重があったので、若かった私たちでも背負うのは大変でした(笑)

 

彼はもちろん力仕事や階段しかない教室・実習先回りなどはできません。そんな彼が、苛酷な環境(当時は月500時間労働)で、果たしてどこまで持つのか、私たちは疑問と不安を感じていました。いや、正直に言うと、彼のことまで考えてあげる余裕など、時間的にも心理的にも、私たちにはなかった気がします。

 

そんな私たちの心配をよそに、彼は自分にできることを見つけ、それを精一杯にやりました。彼にしかできないこともありました。複雑なパソコンの操作や激務の中での丁寧な電話応対。そして、何よりも、彼がスタッフに加わってからというもの、私たちの職場の空気は少しずつ変わっていったのです。一緒に働くスタッフたちが、彼のことはもちろん、お互いに助け合ったり、声を掛け合って気遣ったりするようになったのです。

 

ともすると、私たちはできないことばかりに目が行ってしまいがちですが、他人のために自分には何ができるかを皆が考えるようになったのです。彼の人柄の素晴らしさと、懸命に働き、生きる姿が、私たちを大きく動かしたのです。それは私たちにとって、利用者とスタッフという関係ではなく、一緒に働く仲間として、共に生きるという貴重な体験でもあったのです。

 

その後、私は広島に転勤となり、彼は転職しましたが、年賀状のやりとりは続いていました。しばらくして町田で介護の学校を始めたことも伝えました。今、彼は横浜に住んでいるようです。一度、学校に遊びに来てよと言いながらも、あっという間に10年が経ってしまいました。音信不通ではないものの、結局のところ、彼とは大手の介護スクールの横浜支社で一緒に働いて以来、20年間会うことはありませんでした。

 

そんな彼のケアに湘南ケアカレッジの卒業生さんが入っていると聞き、私は感慨深いものがありました。上手く伝えわらないかもしれませんが、20年の歳月を経て、つながったという達成感を覚えたのです。湘南ケアカレッジの生徒さんが、私の20年来の仲間であるKさんのケアに入る確率はどれぐらいでしょうか。また、そのことが卒業生さんから私に伝わる可能性はどれほどでしょうか。それは奇跡に近い、恐ろしく低い確率だと思います。

 

 

なぜそのようなことが起こったのか、現実的に考えてみると、先生方が一人ひとり丁寧に向き合って教えてくれた生徒さんが、初任者研修と実務者研修を合わせると5000人を超え、神奈川と町田の地域で活躍しているからだと思います。ただ研修を受けた人数が多いということではなく、人間同士として縁のあった生徒さんが5000人を超えたということです。縁や和や関係性を10年かけてコツコツと積み上げてきたからこそ、今回こうして遠いところまでつながったのです。

 

「オーロラの彼方へ」という昔の映画を最近観ました。30年前に生きていた父親と無線がつながるという感動のストーリーです。爆発事故で亡くなってしまった消防士の父と時空を超えて語り合うことで、問題を解決し、未来が変わるというタイムトラベル的な内容。ありえない話かもしれませんが、今は亡き誰かと時空を超えて話してみたいという気持ちは分かります。あのときには伝えられなかったことを今なら伝えられそうですし、あのときは気づかなかったことに今ならば気づけるかもしれません。彼らの無線は太陽フレアの活性化による異常気象が原因で、次元が歪んだことでつながったのですが、私とKさんもそれぐらい奇跡的に、20年の歳月を経て、時空を超えてつながったように感じました。

 

 

この体験を通して、私は湘南ケアカレッジの第1ステージが終わったのだと何となく思いました。巡り巡って、ひとつの到達点に達したと思えたのです。町田にあるひとつの小さな学校として、ひとまずできることはやり切った気がします。一段落ついたあと、何をどうすべきなのか、今は答えやビジョンは全く持ち合わせていませんが、来年からは先生方と一緒にそろそろ次のステージに進まなければいけないと考えています。

2023年

7月

14日

「パリタクシー」

92歳のマダムとタクシー運転手との間にパリで生まれた人生の物語。自宅を売り払い、老人ホームへと向かうマドレーヌからの依頼を受けたのは、1年間で地球を3周するほどタクシーの仕事をせざるを得ない、金なし、時間なし、免停寸前の中年男シャルル。最初はパリの反対側まで行くのを面倒くさく思ったり、途中で思い出の場所に寄ったりするのを渋っていたシャルルですが、マドレーヌの若かりし頃の波乱万丈の人生を聞くうちに、興味を持ち始めます。次第に自分の話もするようになり、ふたりは打ち解けていきます。パリの美しい街並みを背景に、タクシーの中で繰り広げられる会話と回想シーンが見事に織りなされ、私たちはそれぞれに忘れられない思い出があり、それが人生を形づくっていることを知るのです。この映画はたまたまパリを舞台にしているから「パリタクシー」ですが、「介護タクシー」だとしても十分にあり得るストーリーなのではないでしょうか。

 

冒頭にて、シャルルが横入りしてきた車の運転手に対してクラクションを鳴らし、罵声を浴びせるシーンがあります。まさに私が2019年にパリを旅したときと同じ光景で臨場感が高まりました。パリというと、文化的で、物音ひとつしない静かな街という勝手なイメージを抱いていましたが、実際のパリは車のクラクションやパトカーのサイレン等が鳴り響いている騒がしい街でした。今から思えば、パリで暮らす人たちの余裕のなさ(経済的にも時間的にも)を象徴していたのです。

 

 

シャルルも例にもれず余裕のないタクシー運転手でしたが、寄り道をしながらマドレーヌの人生の物語に浸っていくうちに、少しずつ心境に変化が訪れます。途中でマドレーヌが中華料理店でトイレを借りるシーンがあります。タクシーを道端に少し止めただけなのですが、後ろの車たちが通れず詰まってしまい、クラクションを鳴らされます。普段のシャルルなら慌てて急かしたかもしれませんが、ゆっくりとマドレーヌを車に乗せ、落ち着いて発車したのでした。自分のおよそ倍にあたる人生を歩んできたマドレーヌと話したことで、自分の人生を俯瞰的に見る余裕が持てるようになったのです。人生も旅もいろいろあって面白いのだけれど、終わってみると「すべてが一瞬だった」と思えるのでしょう。

最近は、湘南ケアカレッジの卒業生さんたちの中でも介護タクシーを始める方が増えています。どこか遠くへと旅行したいという利用者の願いに応えたいと思って開業しても、自宅から病院への通院が多いのが現状かもしれません。それでも、短い時間でも少しの会話はできるはずです。自分とは生きた時代が違う人たちと話すことは刺激的ですね。今となっては当たり前のことが、当時はそうでなかったり、その逆もまた然り。50年も経てば、時代は大きく変わります。私たちはたまたま今の時代に生きているだけで、今の常識や価値観しか知らないのです。そしてもし私たちが歳を取って、自分たちの半分ぐらいの年齢の人たちに話をする機会があれば、それは彼ら彼女たちにとって興味深く、学びも多いのだと思って話をしてあげましょう。それが彼ら彼女たちの人生を大きく変えることもあるはずです。

2023年

7月

10日

介護福祉士筆記試験対策講座の募集を開始します!

介護福祉士試験は、介護や福祉について体系的に学ぶ最後のチャンスです。せっかく受験するならば、この機会にしっかりと勉強し、皆さん全員が合格することを心から願っています。来春3月には、介護福祉士になって、お祝いをしましょう!

 

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2023年

7月

05日

なぜオンラインにしないのか?

先月、職業紹介責任者の講習をオンラインで受けました。今回は5年前に取得したものの更新となります。オンラインとオフライン(通学)がありましたが、丸1日の講習であったこともあり、朝から通学するよりは、ケアカレで生徒さんたちを朝出迎えてからでも受講できるオンライン講習の方を選びました。6時間のオンライン講習は初めてであり、ひとつの経験としても受けてみようと思ったのです。

受けてみた感想としては、時間の無駄だったという想いしかありません(笑)。普段も大して時間を有効に使って生きているわけではないのですが、興味のない内容に関しての動画をパソコンの画面で見させられることは拷問のようでした。見終わったあと、何とも言いがたい徒労感と、少し大げさかもしれませんが、人生の時間を奪われた怒りに近い感情さえ抱きました。受講料(1万円)以上に、時間を無駄に費やしたことの悔しさが大きかったです。お金だけ払うから、中身のない研修を受けさせて体面だけを保つのはやめてほしいと思いました。

 

私が抱いたこの感情や気持ちは、ほとんど全てのオンライン研修に通ずると思います。オンライン研修に関しては、遠隔地や違う国々の人たちが一堂に会せるという利点を除けば、デメリットばかりです。まず、zoomなどはオンライン会議用であり、研修には向いていません。さらに言うと、私がそうであったように、オンラインの研修に参加する人たちは最初からモチベーションが低い状態です。好きなことや興味あることなら、できるだけ現地に行って生で雰囲気を味わいたいと思うはずです。興味がない、できることなら受けたくないからこそ、オンラインで済まそうとするのです。オンラインで研修を開催すると、そういうモチベーションのない人を集めてしまうことになります。

 

モチベーションがないからこそ、講師(伝える側)の言っていることも右から左へと聞き流しますし(どうやって内職をするかばかり考えています)、素直に聞くことができません(むしろ反発したくなります)。そして、オンラインではどうしても一方的に講師が発信することになるため、講師と生徒の関係性をつくるのは難しくなります。関係は良くなることはなく、時間が経つにつれて、お前の顔なんか見たくない早く終われと思うようになります(笑)。このような状態では、どれだけ良い内容を情熱的に話しても伝わりにくいのです。

 

オンライン研修の致命的なところは、生徒さん同士のつながりが生まれないことです。ケアカレを10年以上続けてきて分かったことは、研修は横のつながりが最も大事であるということ。良い仲間に恵まれるからこそ、研修全体も楽しく思えるし、学びも大きくなるものです。学校というのは本来そういうものだったのです。学校の機能を正しい情報を伝達することだと捉えるのは大間違いです。先生方と生徒さんの関係性、そして生徒さん同士のつながりが8割で。授業の内容はあとからついてくるのです。そうした大切な出会いがない、つながりも生まれないのであれば、学校として研修を行う意味がないと言っても過言ではありません。YouTubeで検索すれば知りたいことは大体知れるはずです。そうではなく、先生方や生徒さん同士の直接的なやり取りの中にこそ、本来の学びはあるのです。

 

ということで、湘南ケアカレッジは今後もオンライン研修をすることはありません。それぐらい対面の授業にはこだわっていきますが、逆に言うと、教室に集まってもらう以上は、ケアカレに来て良かったと言ってもらえないといけません。オンラインでも良かったと思われるような授業や研修ではダメだということです。

 

そのためには、単なる情報伝達だけではなく、一人ひとりの生徒さんたちをひとりの人間として見て、人として関わることが求められます。声掛けをしたり、話を聞いたり、表彰や褒め・認めなど、対面だからこそ実際にできることです。さらには生徒さんたち同士ができるだけ多く関われるような仕組みをつくることも大切ですね。席替えやグループワークなど、私たちが良かれと思ってやってきたことは理にかなっているとも言えるでしょう。生徒さんたちが研修に満足してくれたからこそ、口コミや紹介の輪が広がってきたのです。

 

 

オンラインの講習を受けてみて、学校とはどうあるべきかを改めて学ばせてもらいました。この3年間、介護職員初任者研修も実務者研修もオンラインで行われる学校が出てきて、たしかに学校側にとっては経済的メリット(賃料がかからない、人数制限がない、電気代もかからない、などなど)はあるのですが、安きに流れずにいて良かったなと思います。学校の存在価値をお金に換えずにここまでやって来られたのは、対面の研修の良さを理解して、楽しんで教えてくださっている先生方のおかげです。ありがとうございます。

2023年

6月

23日

周りの人たちは自分の鏡

4月からスタートした実務者研修の土曜日クラスが、無事に修了しました。初任者研修の卒業生さんがそれほど多くはないクラスでしたが、それぞれが仲良くなり、とても良い雰囲気のクラスでした。看護師の先生方が最後にコメントしていたように、「誰一人として雑な人がいない、丁寧なケアをするクラス」でした。そのような生徒さんたちが集まったからこそ、毎回の授業終了時に書いていただいているリアクションペーパー(その日に学んだことを記す用紙)の内容も素晴らしいものでした。

 

「教室の雰囲気も良く、毎週来ることが楽しかったです」

「もっともっと先生方や仲間と学びたかったと思います」

「本当に楽しい2カ月でした。ありがとうございました」

「優しくも、厳しくもある先生たちには感謝をしています」

「湘南ケアカレッジで学べて良かった」

「ここに通うことで根拠が分かり、理由が分かり、自信を持って行動できるようになりました」

「ご利用者との向き合い方、自分のあり方というものが少し分かってきたように思います」

「卒業生の方にこちらをすすめられてきて良かったです」

「利用者の親子さんたちに、ここに入居させて良かった。表情が明るくなったなど、家族から暖かい言葉を言ってもらえることが増えた気がしています」

「受け身だった仕事に対する姿勢が、提案するなど、積極的に取り組めるようになりました」

などなど。

 

私は初回のオリエンテーションの際に、「皆さんにとって実務者研修が大きな分岐点になると思います。研修が終わった後、今まで介護の仕事をやってきて良かった、これからも頑張って続けていきたいと思ってもらえると嬉しいです」と話しています。湘南ケアカレッジの実務者研修に参加してくださったことで、自信がついたり、仕事に前向きに積極的になれたり、その生徒さんにとっての未来が開けると良いなと願っています。そこまで行かなくても、つまらないと思っていた研修が受けてみると楽しくて、仲間との出会いもあり、やっぱり介護の仕事をもっと頑張ってみようと思えるだけで十分です。

 

 

「初任者研修のときのクラスも良かったですし、今回のクラスもとても良い人たちばかりでした」と言ってくれた生徒さんもいました。初任者研修のときから彼女のことを知っている私から見れば、彼女自身が素晴らしい人だからこそ、そう思えるのだろうなと感じました。素晴らしい人たちの周りにはそのような人たちが集まります。また、どのような環境であっても、周りをどう見るかはあなた次第です。周りの人たちは自分自身の鏡でもあるのです。そのように思える人たちが集まったからこそ、特別な雰囲気での7日間の研修が名残惜しく感じたのでしょう。

2023年

6月

16日

好きな香り

介護職員初任者研修の生徒さんが、最終日にアロマ(ルームフレグランス)をプレゼントしてくれました。彼女は香りに興味を持っていて、自分でアロマを調合してつくっているそうです。ケアカレの初任者研修を受けて、「介護に対する意識の変化」、「楽しさ」、「自信」など、感じたことを香りに落とし込んでみましたとのこと。私にとっての香りは、良い香りと悪い匂いぐらいしか区別がありませんが、ひとつ一つの香りに意味やメッセージがあることを教えてもらいました。さすがに教室は広すぎて生き届きませんので、ちょうど良い大きさの事務所のルームフレグランスとして使わせてもらっています。ありがとうございます。

 

彼女が調合してくれたアロマには、ブレンドノートが添えられていました。ブレンドした精油やフラワーエッセンス、その隣には効能とメッセージが記されています。このブルーの瓶の中に、レモン(意識を変える)、オレンジスイート(人生の岐路、楽しさ、心を温める)、ローレル(知識や技術に基づく自信)、ブラックスプルース(次のステージに進むためのエネルギーチャージ)、ユーカリ・ラディアタ(視野を広くする)、ラビンツァラ(人と関わり大きく成長する)、シダー(周りに影響されすぎず、自分の軸を強化する)といった意味が込められていることに驚きます。それぞれの香りを感じながら、彼女からのメッセージに想いを馳せてみると、たしかにそう思えてくるから不思議ですね。

 

私の好きな香りをあえて挙げるとすれば、白檀(サンダルウッド)です。たまにお香として焚いたりしてみると、帰ってきた妻からは「お寺に来たみたい」と言われます。そう、私の父方の祖父はお寺をやっていましたし、小さい頃から田舎に帰るとお線香をあげていましたので、白檀(サンダルウッド)の香りとなじみが深いのでしょう。効能やメッセージを調べてみると、精神面へ穏やかに作用し、不安感や緊張を和らげて心をリラックスさせる効果があるとされています。死を通して生きることをみつめる、というテーマがあるなんて書かれているサイトもありました。そこまで大げさではないと思いますが、たしかにリラックス効果を求めているときにお香を焚いている気がします。

 

 

こうして香りについて思いを馳せていると、そういえば香りは記憶と深くつながっていると感じられます。女性の香水であったり、雨上がりの雨の香りであったり、旅先で早起きしたときの木々の香りといった、良い思い出と結びついているものもあれば、下水の匂いであったり、昔、足に鉄アレイを落としたときに感じた鉄の匂いなど、嫌な思い出とつながっているものもあります。たとえば同じ香りであったとしても、私は競馬が好きなので厩舎の馬糞の匂いがすると安心感を抱きますが、単に臭いと感じる人もいるでしょう。香りは私たちの人生を彩っているのですね。

2023年

6月

09日

マスクの着脱は自由です

5月短期クラスが修了しました。20名足らずと人数こそ少なかったものの、あらゆる年齢層の方々が集まり、とてもオープンマインドな明るいクラスでした。何と言っても、マスクを外す生徒さんたちが多く(特に女性から)、久しぶりに笑顔にあふれる素敵な雰囲気で授業が行われました。屋外、屋内問わず、マスクの着用は個人の判断という政府からの号令が発せられたことや5類に下げられたことの影響もあるのかもしれませんが、少しずつ当たり前の日常が戻ってきている気がします。それ以前からずっと、当校ではマスクの着脱は自由です。外したい人は外しても結構ですし、着けたい人は着けても問題ありません。あくまでも生徒さん個人の判断にお任せしています。それは先生方も同じです。

 

実は、5月のクラスにはマスクを着けられない生徒さんがいました。4月から申し込んでいた他の学校では、教室にさえ入れてもらえず、当校に来ることになりました。正直に言うと、ケアカレではマスクは自由であったにもかかわらず、ほとんど全ての生徒さんたちはマスクを着用されていたので、その生徒さんが浮いてしまうのではないかと心配していました。これまでは感染対策のためだけではなく、周りの目があるからマスクを外せないという問題もあったはずです。自分ひとりだけって怖いですもんね。いくらマスクの着脱は自由とはいえ、マスクを着けられない生徒さんが窮屈な思いをしないか不安があったのです。

 

ところが、5月短期クラスがスタートすると、誰がそのマスクを着けられない生徒さんか分からないぐらい、幾人かの生徒さんたちが素顔で教室に来てくれたのです(笑)。ひとりだけなのか、何人かいるのかでは全く状況が違います。私は胸をなでおろしました。さらに素晴らしいなと思ったのは、その様子を見た何人かの生徒さんたちもマスクを外すようになって、最終的には半分ぐらいの生徒さんたちが素顔で授業に参加してくれたことです。

 

自由や個人の判断に任せるということは、こういうことですね。同調圧力のようなものが働いているとどちらかに偏ってしまうのですが、個人が判断した結果が半々になるぐらいが選択の自由ということです。まあ、この先、暑さが増していきますので、暑いのにセーターを着たり、雨が降っていないのに傘を差したりしないように、マスクを外して生活する人たちがほとんどになるのが普通だとは思いますが、果たして。

 

 

介護の仕事にたずさわっている以上、マスクは自由ではないという意見もあるかもしれません。カンセンショウタイサクやマスクの効果についてここで論じることはしませんが、それではいつまで介護職員はマスクをし続けなければならないのでしょうか。ウイルスは決してなくなりませんし、私たちの体の中にも外にも常に存在します。今回のきっかけを逃してしまうと、介護の仕事にたずさわる人たちは、どこでも、いつでも、一生マスクになりかねません。そのような仕事に就きたいと思う人が増えるとは、私には思えないのです。そして、利用者さんたちは、今のような生活を望んでいるのでしょうか。もし私が将来、利用者として施設に入るようになったとして、マスクに囲まれて生活するのは嫌ですね。私たちは何か大切なものを失ってしまっているのではないでしょうか。せめて健康な人たちが集まって生活している中では普通に過ごしませんか。

2023年

6月

03日

同じ目的やビジョンを共有する

先日遅ればせながら、映画『THE FIRST SLAM DUNK』を観に行ってきました。面白いとは聞いていたのですが、私は微妙に『スラムダンク』世代から外れています(漫画を読まなくなった時期と『スラムダンク』の連載が始まった時期がほぼ同じ)。今回映画を観て、初めて『スラムダンク』の世界を知り、CGを使った映像と音楽の完成度の高さに驚かされつつ、その中身の素晴らしさを知りました。何かにつけて、『スラムダンク』の名場面や名セリフを使ってたとえたがる人の気持ちが、ようやく理解できました(笑)。

『スラムダンク』の中で最も有名なセリフのひとつとして、安西先生の「あきらめたらそこで試合終了ですよ」があります。説明不要のセリフですが、言葉だけを取るとありきたりというか、やはり文脈があってこその深い意味があるのだと思います。文脈といえば、全国大会の山王戦(日本一のチームとの戦い)において、終盤、キャプテンの赤木(ゴリと呼ばれている)が試合中にもかかわらず、涙を流すシーンがあります。

弱小チームだった頃から、赤木がずっと「全国制覇」を掲げるも、周りのチームメイトは誰ひとりついて来てくれませんでした。揶揄されながらも1人孤独に練習をしてきた中で、桜木、流川、宮城、三井といった面々が入ってきます。そして、自分と同じかそれ以上の熱量で勝とうとしている背中を見て、嬉しさがこみ上げてきたという長い長い文脈があるのです。彼らはそれぞれに個性が強く、決して仲良しこよしではないのですが、バスケが上手くなりたい、負けたくないという想いは誰よりも一致して、共有しているのです。

 

湘南ケアカレッジの先生方も同じだなと思いました。湘南ケアカレッジは、「世界観が変わる福祉教育を」という理念でスタートし(今から思えば少し大げさですが)、研修が終わった後、生徒さんたちの介護に対する考え方や見かたが大きく変わるような授業を提供したいと思ってずっとやってきました。そのためには、素晴らしい授業をすることも大切ですが、先生方の目指す介護の方向性が同じであること、生徒さん一人ひとりを向き合うこと、生徒さん同士の横のつながりも大切であることなどを学びました。一人ひとりは凸凹ながらも、同じ目的やビジョンを共有して、生徒さんたちが喜んで満足してくれることが嬉しいとどの先生方も思っているからこそ、ここまでブレることなくやって来られたのだと思います。ありがとうございます。

 

 

先日、介護職員初任者研修を修了したSくん(彼女も実務者研修に通ってくれています)は学校が嫌いで、ケアカレも最初の頃は通いたくなくて開始ギリギリに来たりしていましたが、「途中から楽しくなった。皆もそう言っていました」と最後は言ってくれました。最初は挨拶もまともにしてくれなかったのが、次第に目を見てくれるようになり、笑顔も出るようになったのです。短い期間で変わってゆく生徒さんの姿を見て、先生方がどの授業でも一人ひとりにしっかり声掛けをして、向き合ってくれているのだなと嬉しく感じます。彼はこれから訪問介護の仕事をするそうで、たくさんの壁にぶつかると思いますが、あの笑顔があれば乗り越えてくれるはずです。

2023年

5月

27日

必要な時間

湘南ケアカレッジの卒業生でもあるジェントル山本さんが主催した、ジャズライブに行ってきました。場所は町田のおしゃれなワインバー「アンプティプ」。芹が谷公園に行く途中で何度か外から見て、入ってみたいと思っていたお店ですので、ライブも聴けて一挙両得です。この日はワインかソフトドリンクと別におつまみも用意されており、私は残念ながらお酒が飲めないのでワインを楽しめなかったのですが、おつまみが美味しくてお代わりしてしまいました。もちろん、ジェントル山本さんたちのライブは素晴らしく、山本さんのサックスはまさにジェントルな音を奏で、これぞジャズという演奏でした。素敵な時間を過ごせて幸せでした。

山本さんとはケアカレ在学中も少し音楽の話をして、サックスを吹いていると聞いていましたので、卒業後に教室に来て、お誘いのチラシを渡していただいたとき、ぜひ聴きに行きたいと思いました。こうして卒業生さんの別の面を見られるのは嬉しいです。ケアカレの初任者研修に来てくださる生徒さんたちは、介護の世界では初心者であっても、別の世界では様々な経験や活躍をされています。私たちの知らない世界を知っているということです。卒業生さんを通して、私も違った世界を教えてもらうことができるのです。

 

実は私が昔からやりたかったことのひとつに、サックスの演奏があります。今から20年以上前に、ジョシュア・レッドマンというサックスプレイヤーの演奏を横浜の「モーション・ブルー」で聴いて、カッコ良くて、自分も演奏してみたいと思ったことがきっかけです。一時期はサックスと室内練習用の防音カバーのようなものを買おうと考えたこともありましたが、実現していないのは、まだそれほど本気ではないからかもしれません。ただ、楽器を演奏するならサックスという想いは、青白い炎のように心の奥底で消えてはいません。

 

 

今回、山本さんにとっては3年ぶりのライブであり、今年は精力的に活動していきたいと宣言していました。不要不急とされ、このコロナ騒動の3年間で最も虐げられてきたのは音楽家ではなかったかと私は思います。介護職員初任者研修にも何人かプロの音楽家が来てくれたので分かります。彼らには飲食店やライブハウスなどのような補助金はほとんどなく、仕事のない期間が3年も続いたのです。オンライン配信などで稼げたのは一部のメジャーアーティストだけで、それ以外の業界を支えていた人たちは廃業を余儀なくされることもありました。介護の世界に新しい人たちが入ってきてくれるのは嬉しいのですが、やりたいことをあきらめてまで来てほしくはないというのが私の本音です。彼らにはこの3年間をギャップイヤーとして、これからの音楽人生を羽ばたいてもらいたいです。

 

介護施設への出張ジャズ生演奏もされています。興味のある方はジェントル山本さんに問い合わせてみてください!

2023年

5月

19日

不自由な生活

先月、左足を骨折してしまいました。湘南ケアカレッジが入っているビルを出たところで、足をひねってしまったのです。転ぶ形になれば良かったのですが、全体重が左足の甲にかかった状態で耐えてしまったことで、腱に引っ張られて骨が割れてしまいました。パキっ!と音がしたので、すぐにやってしまった…と分かったほどです。過去に同じ場所で何度かつまずいて、足をひねったこともあったのですが、今回は最悪のひねり方でした。それにしても、若い頃であればここまでの怪我にならなかったので、私も年を取ったということですね。骨折は生まれて初めての経験なので驚いています。

翌日、整形外科に行ってレントゲンを撮ってもらったところ、やはり骨が折れていました。手術をしてボルトで骨をくっつけるか、それとも安静にして骨がくっつくのを待つ保存療法にするのか選択を迫られましたので、後者を選びました。さすがに入院して手術をするほどではないと思ったからです。そこで石膏のようなものと包帯で足を固めてもらい、松葉づえの使い方を指導されて、不自由な生活が始まりました。

 

たしか6、7年前にも同じく足をひねって、リスフラン靱帯を損傷したことがあり、その時以来の普通に歩けない生活です。ゆっくりとしか歩けない生活をしてみると、自分が邪魔になっていることに気づきます。自分が歩くのが遅すぎて、追い越してくれたらまだ良いのですが、後ろから来る人々が私の後ろで詰まっているのが分かります。申し訳ない気持ちを抱えながらも、自分のペースでしか歩けないことに情けなさを覚えます。階段を登るときは手すりのありがたさを感じ、降りるときは患側の脚から1段ずつしか降りられず、降りる方が登るよりも難しいことを身をもって知るのです。

 

また、ズボンや靴下を脱ぐときには、脱健着患(健康な方から脱いで、怪我をしている方から着る)が理にかなっていることが分かります。順番を逆にしてしまうと、上手く行かなかったり、痛かったりします。普段は何も考えることなく行っている動作のひとつ一つにも、意味を持たせることができるのです。それは自分が病気や怪我をしてみないと分からないことですね。

 

そして、何をするにも時間がかかるので、イライラします。たとえば、教室から町田駅に行くまでに普段の倍ほどの時間を要してしまいます。今までであれば駆け乗れた電車やバスも見送らざるをえませんし、駅の下り階段は後ろから押されないか冷や冷やしながら降りることになります。高齢の方や障害のある方が怒りっぽくなるのは当然のことだと思います。日常生活の中で神経がピリピリする場面が多いのです。

 

 

そうはいっても、さすがにここまでくるとあきらめの境地というか、慌てずにゆっくりと過ごそうと思うようになりました。周りの景色を見ながら、一歩一歩、前進していくだけです。この状態が一時的なものと分かっているからこそかもしれませんが、たまには不自由な生活も必要だと思うのです。ゆっくりとしか歩けない高齢者や障害のある方の気持ちも分かりますし、何よりも人の優しさが身に染みるからです。そして、その不自由な生活はいつか確実に自分にもやってくる未来でもあるからです。

2023年

5月

11日

当たり前のことを当たり前に

先月、修了した介護職員初任者研修の2つのクラスで打ち上げが行われ、どちらにも参加させていただきました。クラスメイトたちと喜びを共有したい、親交を深めたいという雰囲気がクラス全体にあるからこそ、「打ち上げをしよう!」となるのでしょうし、ようやく私たちの意識がコロナ騒動から少しずつ解放されつつあるのかもしれません。いずれにしても、当たり前の日常に戻っていくのは素晴らしいことですし、こうして教室の外で卒業生さんたちから生の声を聞く機会が戻ってきたことは嬉しい限りです。

 

 

打ち上げの席にて、「毎日、授業が始まる前と終わったあとに挨拶してくれて、それだけで良い学校なのだと思った」と話してくれた卒業生さんがいました。良いところを見つけて、褒めてくれて嬉しかったのですが、私としてはもうかれこれ10年間、こうして挨拶をしてきましたので、当たり前というか日常になっていて、そういう風に見てくれている生徒さんもいるのだと新鮮な気持ちになりました。彼女は他の学校にも見学に行ったことがあり、その上で湘南ケアカレッジに来てくださったのですが、「ケアカレを選んで良かったと思います」とおっしゃってくれました。

誰かにとっての当たり前は、誰かにとっては当たり前ではないという話で思い出したのは、先日、北海道に訪れた行きつけのラーメン屋のことです。ここの味噌ラーメンはいつ食べても美味しく、聞くところによると、毎日、必ず店長さんが汁の味付けを確認してから出しているそうです。私の友人はもう子どもの頃からこのラーメン屋に通っており、昔は瘦せていたというその店長は、今見るとものすごくお腹が出ていました。推定100kg。ラーメンを毎日食べるのは体に良くないのだと思いつつ(笑)、30年間、1日も休むことなく自分で味見をしてラーメンを出し続けてきたからこそ、いつでも美味しい人気のラーメン屋になったのであり、私もこうして通ってしまうのだと感心しました。

なぜ毎日授業が始まる前と終わったあとに生徒さんたちの顔を見て挨拶をするのか、と改めて考えてみると、まずは自分がそうしたいからであり、それぐらいしか私にできることがないからです。いざ授業が始まってしまうと、先生方にお任せする以上、私が直接生徒さんたちに関わることはできません。私が接することができるのは、授業の前後のわずかな時間ということです。その中でできるのは、挨拶をしながらも生徒さんたちの人柄や状態を知ることでしょうか。今日は元気がなさそうだなとか、授業が楽しかったのか良い顔して帰って行ったなとか、現場の空気感を少しでも味わいたいのです。

 

 

もちろん、先生方や生徒さんと話すのが楽しいのが第一です。三幸福祉カレッジにいた頃は、1~2教室を担当していたときは生徒さんや先生方と話ができて楽しかったのですが、複数の教室や支社全体を管理するようになってからは、生徒さんたちは教室を通り過ぎていくだけの存在であり、先生方が増えるに従って話す機会も少なくなりました。介護の世界で活躍してきた先生方はもちろん、介護の世界に入ろうと思っている生徒さんたちも心優しく、素敵な人たちばかりです。ひとり一人と直接関わりたいから、私は湘南ケアカレッジを立ち上げて、教室を拡大することなく、毎朝夕立ち続けてきたのだと思います。これからもたくさんの生徒さんたちと出会えることを楽しみにしています。

2023年

5月

04日

「The Son/息子」

映画「The Son/息子」を観に銀座まで行ってきました。いつも映画はだいたい新宿か新百合ヶ丘で観るのですが、ちょうど良い時間帯でやっていなくて、銀座まで足を伸ばしました。最近は映画の回転が早く、客足が遅ければすぐ次の映画に切り替わってしまうので、観たい映画はチェックしてなるべく早めに観に行かなければなりません。

前置きが長くなりましたが、映画「The Son/息子」はヒュー・ジャックマン主演×フロリアン・ゼレール監督の作品ということで期待していました。ヒュー・ジャックマンは「レミゼラブル」や「グレイテストショーマン」などで好きな俳優ですし、フロリアン・ゼレール監督は認知症を扱った前作「ファーザー」が素晴らしい出来でした。今回は心に病を抱える(急性うつ病)息子と父親を描いたとても重たい話でした。

妻と離婚し、息子は母親の下で生活している中、自身は再婚して妻との間に子どもが生まれたばかりという主人公ピーターをヒュー・ジャックマンが演じます。タイトルからはもちろん息子ニコラスも主人公のひとりであることに間違いはありませんが、ピーターの父も登場することからも、父から子へ、そしてさらにその子へと受け継がれていく、男系特有のマッチョな価値観と繊細な息子の間で揺れ動くピーターこそが物語の中心です。

 

個人的には、ピーターの父の「どんなことがあっても乗り越えるんだ!」という強さはいつの時代にも必要だと思いつつ、尊敬する父親と愛する母親の間で何者にもなれずに押しつぶされそうになる息子のナイーブさも理解できます。強さと弱さ、または鈍感さと繊細さと両極に分けてしまえれば話は簡単なのですが、誰しもに同居していて、人間はいつどちらに振れるか分からない生き物です。それは最後の最後に描かれたハッピーエンドのパターンを観ても分かります。境界線はあいまいであり、私たちはどちらの世界に足を踏み入れても不思議はないのです。

 

考えさせられる作品であることはたしかですが、ひとつだけ苦言を呈するとすれば、精神科医のアドバイスを聞かず息子の言うことを信じたことによって最悪の結果になってしまったケースが描かれていますが、それとは逆のケースもたくさんあると思うのです。究極的にはどの選択が正しいかは誰にも分からないものです。特に人間の精神については医学的に解明されていないことが大半ですから、医療サイドの言うことを聞かなかったからこのようなことになったのだというミスリードが生じないことを願います。

 

私は恥ずかしながら、親になってみて自分の命の尊さが分かりました。最終的に自分の命をどうするかは自分の責任で決めれば良いのですが、親が生きている間はせめて頑張って生きてもらいたいと願うのです。これは親から子、さらにその子どもたちへと受け継がれていく大切な約束なのです。

 

 

「ひとつ やくそく」・糸井重里
 おやより さきに しんでは いかん
 おやより さきに しんでは いかん
 
 ほかには なんにも いらないけれど
 それだけ ひとつ やくそくだ
 
 おやより さきに しんではいかん

2023年

4月

27日

祝辞

皆さん、入職おめでとうございます!ようこそ、素晴らしき介護の世界へ。

 

 

皆さんがこうして介護の世界に入ってこられたのは、それぞれに何らかの理由があると思います。正直に言うと、私は介護の世界に入ったのはたまたまでしたし、何の理由もありませんでした。仕事がなくてふらふらしていたら、友人からベッドを運ぶアルバイトしないと誘われて、手伝っていたら、そこの学校の偉い人から「村山くん、うちで働かない?」と声をかけられて、他にすることもなかったので入りました。入ってみたら、介護の学校だったのです。

入ってから、今は介護職員初任者研修と呼ばれていますが、当時ホームヘルパー2級講座と呼ばれていた研修を受けました。とても楽しかったです。小中高校では教えてくれなかったことをたくさん学んで、介護の世界が面白いと思うようになりました。興味がわきました。それからずっと介護の教育にたずさわっています。

 

思い出してみると、私は小さい頃、ひいばあちゃん子でした。私の田舎は岡山なのですが、年末年始や夏休みに帰省すると、真っ先にひいばあちゃんの部屋に行って「帰ったよ!」と挨拶をしました。とても喜んでくれました。ひいばあちゃんは目が見えなかったので、「ター坊、大きくなったなあ」と言いながら、私の顔をこうして触るのです。くすぐったくて仕方なくて、じっと我慢しましたが、何か嬉しかったですね。そしてしわしわの手を握りながら話しました。戦時中の話とか。女学生のとき、竹やりで爆弾を落とす訓練をした時の話なんかは、もう100回以上聞いたのでよく覚えています。

 

ひいばあちゃんは、私が物心ついたころからもうほぼ寝たきりで、1日の大半をラジオを聞いて過ごしていました。食事のときだけは、起きて、リビングまで一緒に歩いて連れてきて皆で食事をしました。私はひいばあちゃんを連れてくる係でした。たまに躓いたりするので、両手を引いて、私は後ろ向きに歩きました。ゆっくりゆっくり歩くのです。

 

ひいばあちゃんはお小遣いをくれたり、昔話を聞かせてくれたりして、私は外で遊びたい盛りでしたが、ひいばあちゃんといる時間も大好きでした。優しすぎるぐらいに優しいひいばあちゃんでしたが、ある日、一緒に寝ることになって、私はいたずらをしたくなりました。

 

寝ているひいばあちゃんの足の指の間にティッシュを入れていくのです。ひとつ、ふたつ、みっつと入れていくうちに、ひいばあちゃんは気づかずに寝ていて、私はおかしくて仕方ありませんでした。ところが、突然、「こらっ!いいかげんにしなさい!」ひいばあちゃんが怒ったのです。私はまさかひいばあちゃんが怒るとは思わなくて、驚いて、そのまま寝たふりをしましたが、心臓がバクバクしてなかなか寝られませんでした。子どものイタズラなので、ひいばあちゃんも本気で怒ったのではないと思いますが、心が痛かったですね。あとにも先にもひいばあちゃんから怒られて唯一の思い出です。ひいばあちゃんは97歳まで生きました。今でもひいばあちゃんのぷよぷよのほっぺが思い出されます。

 

 

何が言いたかったかとうと、私は何の理由もなくたまたま介護の世界に入ったと思っていたのですが、実はひいおばあちゃんとの楽しい思い出があったのです。私がひいばあちゃんにしていたことは、今思えば、介護といえば介護の一部でした。皆さんも同じだと思います。今思い当たる人もいれば、思い当たらない人もいるかもしれませんが、絶対に何らかの理由があってここにいるはずです。もし思い当たる人はその理由を大切にしてください。思い当たらない人は仕事をとおして、その理由を見つけてください。その理由は皆さんが困ったときや道に迷ったときに必ず救ってくれるはずです。頑張ってください!

 

★株式会社リープス様の入社式で話した祝辞を文字起こししました。この春から介護の仕事を始める方々に送ります。

2023年

4月

19日

パンの家 セルンtheフォレスト

先日、卒業生さんが多く働いている株式会社リープスの入社式に呼んでいただき、そこで食べたクロワッサンと生ドーナツの味が忘れられず、「パンの家 セルンtheフォレスト」に行ってきました。JR相模原駅からバスに乗って20分。田名バスターミナルのバス停で降りると、歩いて30秒ほどで小さなお店が見えてきます。店内に入ると、美味しそうなパンやお菓子が並べられており、お目当てのクロワッサンと生ドーナツ以外にも目を奪われてしまいました。ひとまずはクロワッサンと生ドーナツ(この日はプレーンが売り切れだったのでチョコ)を買って、天気も良いので、屋外のパラソル席で食べることにしました。

実は私はクロワッサンが大好きで、どこのパン屋に行ってもまずはクロワッサンを食べることにしています。クロワッサンを食べるとそのお店の実力が分かるというか、クロワッサンが美味しいパン屋は他のパンも美味しいものです。入社式で「パンの家 セルンtheフォレスト」のパンを食べたとき、正直に言って、これ以上美味しいクロワッサンを食べたことはないと感じました。4年前にフランスに行ったとき、ハイアットリージェンシーの朝食で出てきたクロワッサンが今まで食べた中でいちばん美味しかったのですが、それと同じぐらい美味しいのです。あのときはフランスで食べているという魔法にもかかっていたこともあるので、それを差し引くと、「パンの家 セルンtheフォレスト」のクロワッサンが一番かもしれません。とにかく層が多くて、パターが豊富で味わい深く、中身が詰まっていて食べ応えがあるのです。

お昼頃に行ったのですが、すでに残り2個しか残っていませんでした。

生ドーナツはもちもちして美味しいです。なぜ生ドーナツなのか分かりませんが、おそらく油を使っていないということなのでしょうか。手で持っても油がつくことなく、食べても油っぽさが全くありません。この日はチョコを食べましたが、個人的にはプレーンの方が生ドーナツらしさを最も味わえると思います。

これまで数々の賞を受賞してきた内藤シェフにも話を聞かせてもらいました。人間と話すよりもパンと話す時間の方が長いと言われているパン職人です。彼からおすすめされた品のひとつに、フランスパンのテロワールピュールがあります。フランスパン専用の小麦粉を使って、加水率90%にして長時間発酵することで、従来の食パンとは異なる食感と旨さを引き出しているそうです。せっかく説明してもらったのですが、加水率が高いとなぜ良いのか残念ながら私には理解できませんでした(笑)。ただ、食べてみると、小麦がしっかりと詰まっている味がしました。本格的というか、これがパンの味なのだと感じます。

このお店のもうひとつの特徴として、就労継続支援のB型でもあるということです。さすがにパンはこだわりの工程があるので手伝うのは難しいそうですが、障害のある方々がクッキーやケーキをつくっています。お店の2階はグループホームになっていて、まさに職住接近ということですね。あまりそういう形で売り出すのではなく、おしゃれな店舗で美味しいパンやケーキをつくってそれを買ってもらうことで、障害のある方々の工賃も上げられることを目指しているそうです。そうした取り組みは今のところ成功していると思います。原材料が高騰している中、大変だと思いますが、このまま味を落とすことなく提供を続けていくと、多くのリピーターが生まれるはずです。私の隣の席で食べていた家族も「美味しい!」と声を上げていました。

パン好きな人はもちろん、お近くに住んでいる方はぜひ店舗に足を運んで、パンを買って食べてみてください。私のおすすめはクロワッサンと生ドーナツ(プレーン)、そして少し値が張るのですがクロワッサン食パンです。

ついついこんなに買って帰ってしまいました(笑)

 

★「パンの家 セルンtheフォレスト」の公式HPはこちら

2023年

4月

14日

「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」の募集を開始します!(2023年度)

令和4年秋、「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」を追加開催します!ガイドヘルパーは障害のある方の外出の支援をする仕事です。在宅や施設が「屋内」だとすれば、ガイドヘルプは「屋外」における介護。利用者さんの行きたい場所を聞きながらプランを立て、外出し、必要な支援を行いつつ、色々な話をしながら、一緒に楽しむお仕事です。行きたい場所や好きなところに行けることは、利用者さんにとって希望や生きがいとなり、外出先での思い出は、日常を生きる活力ややりがいにもつながります。もちろん高齢の方にも同じことが言えますよね。そして何よりも、この仕事は私たちも楽しい!そんな外出支援のお仕事ができるようになってみませんか?

 

→介護・福祉についてさらに深く学びたくなった。

→利用者さんの外出を支援するお仕事に興味がある。

→障害のある方々や子どもたちの支援について学びたい。

→屋外にて車椅子を安全に操作する技術や知識を得たい。  

 という方は、ぜひご受講ください。

ガイドヘルパーの仕事に合わせた、実践的なオリジナルコンテンツ

1、  芹が谷公園での演習

芹が谷公園まで車いすで行き、車いす介助の演習をします。公園内にある段差、砂利道、坂道など、外出時における様々な状況を想定しながら、車いすを押す技術を何度も練習して身につけます。普段は屋内でしか車いすを押していないという方にとっては、また違った介助であり、技術が身につくはず。自然の緑に溢れる広い公園ですので、ぶつかったりする心配もなく、安心して練習ができます。

 

2、計画を立てる

利用者さんが10人いれば、行きたい場所やしたいことは10通りあるはず。利用者さんの行きたい、楽しみたいという気持ちを大切に、安全・安心を確保しつつ、また時間どおりに戻って来られるように、2人1組のペアになって具体的に計画を立てます。目的地にたどり着くまでにどのような障害があるのか、どの道を通って行けば安全なのか?エレベーターの場所は?電車はどの車両から乗るべき?準備をしておくべき物ごとは何か?などなど。普段とは違った視点で話し合うことで、ガイドヘルパーの仕事に必要なことが見えてくるはずです。

 

3、  フリー行動(町田ルート&相模大野ルート)

自分たちでつくったオリジナルの計画に沿って、町田駅周辺を散策するルートと、相模大野駅まで電車に乗って行くルートのいずれも体験していただきます。いち利用者とガイドヘルパーとして、車いすに乗りながら(または押しながら)、限りなく実際のガイドヘルプの仕事に近い内容の研修になります。街中を車いすで進んだり、踏み切りを渡ったり、切符を買って改札を通ったり、エレベーターに乗ったり、電車に乗ったり降りたりと、ほとんどの方々にとっては初めての経験となるのではないでしょうか。計画通りに行くこともあれば、行かないこともあるはずです。それでも利用者とのコミュニケーションを楽しみながら、安心・安全な外出をサポートすることが大切です。

 

4、振り返り

教室に戻って来てから、実地研修で学んだことや気づいたことをグループで共有します。プランニングと実際のガイドヘルプでは違っていたこと。車いすに乗って、障害者として外出してみて感じたこと。街中の人々の対応やバリアフリーについて。成功したことや失敗したこと、困ったことなど。グループワークを通して、体験を学びに変えていきます。

 

タイムテーブル(当日の状況によって変更があることをご了承ください)

講義(実習含む)

  800900 

ガイドヘルパーの制度と業務

  9051105 

全身性障害者の疾病・障害の理解

11:1014:20

*10分休憩含む

移動支援の基礎知識(芹が谷公園にて)

演習

14:2515:25

基礎的な介護技術

  1530~1830 

移動支援の方法

(町田周辺、相模大野まで外出します)

*昼食はガイドヘルパーの演習の流れの中で召し上がっていただきます。

 

*雨天決行になりますので、雨の場合は雨がっぱ等をご用意いただきます。

 

修了証明書

研修終了後には、「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」修了の資格が手に入ります。この資格を持っていないと仕事に従事できなくなってきており(市区町村によって異なります)、実際に役立てていただける場面も多く、もちろん履歴書にも「「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修修了」と書いていただけます。

 

講師紹介

湘南ケアカレッジの講師は、介護福祉士や社会福祉士の資格を持ち、現場経験や知識が豊富なだけではなく、教えることに対しても技術と情熱を持っています。分かりやすく丁寧に教えさせていただき、介護の世界の素晴らしさをひとりでも多くの人々に伝えたい、と願っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小野寺祐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阿波加春美

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橘川知子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥玲子

 

受講料

13,000円(税込、テキスト代込)

 

定員:30名限定

教室の外に出るという内容の関係上、人数を限定させていただくことをご理解ください。

 

受講資格介護職員初任者研修課程修了者(修了予定者を含む)、ホームヘルパー2級課程修了者、介護福祉士並びに東京都居宅介護職員初任者研修課程及び東京都障害者居宅介護従業者基礎研修課程修了者、東京都障害者(児)居宅介護従業者養成研修1級課程、2級課程及び3級課程の修了者、介護保険法上の訪問介護員、実務者研修修了者、介護職員基礎研修課程修了者。

 

研修日程(令和5年度)

第1回

 第2回

5月28日(日)

12月3日(日)

   

*全身性障害者ガイドヘルパー養成研修は全1日で修了する研修になります。

*上記の日程の中から、お好きな1日を選び、ご受講ください。

お申込みの流れ

①以下の申し込みフォームよりご入力、もしくはお電話(042-710-8656にて直接お申込みください。

※いずれの場合も、ご希望のクラスが定員になりますと受付できませんのでご了承ください。

②受講確認書をお受け取りください。

ご自宅に「受講確認書」と「受講料お振込みのご案内」が届きます。

③受講料をお振込みください。

「受講確認書」が到着後、1週間以内に受講料をお振込みください。お振込みは、銀行ATM やネットバンキングからでも可能です。

※手数料は各自でご負担ください。また、お振込みは案内をよくご確認の上、お願いいたします。

④研修当日

申し込みクラスの日時をご確認の上、教室までお越しください。当日、テキストをお渡しします。

 

*当日、本人様確認を行いますので、身分証明書(健康保険証または運転免許証等)をご持参ください。

 

生徒さんたちの声

実際外に出て、自分で体験できた

普段の仕事では室内の車いす介助なので、実際外に出て、自分で体験できて良かったです。少しの段差でも気を遣い、踏み切りや電車の乗降はとても難しかったです。少しでも困っていると周りの方が助けてくださり、本当にありがたかったです。1月からデイサービスの仕事に移るので今日の研修を生かせればと思います。A.Aさん)

元気をもらえました

とても楽しく面白くしっかりと学ぶことができて充実した研修でした。不安もありましたが、先生たちがいつも励ましてくれ信じてサポートしてくださることが自信につながります。先生たちに久しぶりにお会いできて元気をもらえました。ありがとうございます。また学びに来たいです!(大塚さん)

車イスの操作のむずかしさ

車イスの操作のむずかしさを改めて実感しました。2段階の段差、踏み切り横断で特に感じ、普段施設内移動では味わえない貴重な勉強をさせていただき、今日研修に来て良かったと思いました。久しぶりにケアカレの先生方の優しさに触れて楽しい1日でした。M.Iさん)

新しい発見がありました

すでにガイドヘルプの仕事を行っていましたが、新しい発見がたくさんありました。特に車いすに乗らせていただくことはないので、自分の身体の自由が利かない中で、この気分はどうだろうと改めて思いました。また準備の大切さもとても感じました。心地よい疲れをありがとうございました。Y.Oさん)

基本から知ることができた

車イスに乗ってみて、いろんなことが違って感じた。人込みの怖さ、薬局に入って、棚の商品(上の段)が全く見えないこと、親切な人やそうでない人、車いすを押すのも手だけではなく身体ごと使って段差を乗り切ること、坂路での下り方、基本から知ることができたのでとても良かった。(奥田さん)

とても新鮮でした

貴重な体験ができて、とても有意義な1日でした。いつもと違う視線、視点で見ることができ、とても新鮮でした。想像以上に段差が多くて大変でしたが、想像以上に町を行く人は親切でした。この経験をこれから活かして何かできたらいいなと思っています。M.Aさん)

街の人たちが優しかった

いちばん感じたことは、街の人たちがとても優しかったことです。エレベーターのボタンをずっと押してくれていたり、道に迷っていたら道案内をしてついてきてくれたり、本当に感謝しています。今まで気がつかなかった視点で観ることができる、とても良い機会になりました。(金子さん)

誇りと希望が持てます

本当に実際に車いすに乗って危険や不便さをたくさん感じました。いかに健常者優先の環境になっているか、身に沁みました。商品が目に飛び込んでくるようなダイナミックな視線や大きな溝より分かりづらい穴とかの方が危険なこと、いろいろ思いましたが、結局それでも外出したいと思うのがいちばんの感想だったので、この仕事は誇りと希望が持てます。(座間さん)

研修の風景(動画)をご覧ください。

お申込みはこちら

2023年

4月

09日

先生になりたい

昨年度の初任者研修は10数名から20名ぐらいのクラスが多かったです。ケアカレはもともと36名設定の教室で開校し、満席で授業をしていましたので、あの頃の熱気と比べると寂しい感じもありますが、人数が少ないことにも良い点もあると最近は思うようになりました。人数が限定されていることで、それぞれの生徒さん同士のつながりが強くなるということです。実技を一緒にすることも互いに増えますし、グループワークで話す機会もそれぞれに多くなります。人数が少なすぎても、多くの人たちとかかわるチャンスが少なくなるという意味で良くありませんが、ある程度の人数(10名以上)であれば、お互いがより密接に関係性を築けることにつながるのではないでしょうか。

 

嬉しいことがひとつありました。授業が終わって、その日、花粉症らしき症状で鼻が詰まって仕方なく、いきつけの耳鼻科に直行し、混んでいたので外で待っていたところ、ちょうど帰りがけの生徒さんにばったり会いました。第一声、「ケアカレに来てほんとうに良かったです」、そして「私、いつかケアカレの先生になりたいと思いました」と言ってくれて、嬉しく思いました。彼女はこれから訪問介護の仕事に入るので、いろいろな経験を積んで、介護福祉士を取って、ケアカレに戻ってきて先生になってもらいたいと伝えました。

 

私の記憶にある限りですと、こうして先生になりたいと言ってくれたのは彼女で3人目です。そのうちの一人は、今、「介護仕事百景」をとおして卒業生さんたちと介護の現場の橋渡しをしてくれている影山さんです。今、影山さんに「先生にはならないの?」と聞くと、先生方の凄さと大変さを見て知っているからか、首を横に振られてしまいますが、当時はそういう気持ちを抱いてくれたのです。介護をするための研修を受けにきて、先生になりたいと思う感性は素晴らしいですし、視野が広いと思います。

 

 

そして、何よりも嬉しいのは、生徒さんが「先生になりたい!」と思ってもらえるということは、先生方がそれだけ輝いていたということです。授業を聞いたり、直接話してみて、憧れというか、尊敬を抱けるような存在であったということです。そうでなければ、自分も同じようになりたいとは思わないはずです。湘南ケアカレッジが開校して10年目となり、先生方も10年教えてくださり、その10年目に「先生になりたい!」と言ってもらえたことは嬉しい限りです。それは10年経っても先生方が輝きを失うことなく、なおも輝き続けていることの他者評価であり、最高の褒め言葉なのですから。

2023年

3月

31日

優しさは選択できる

昨年の12月からスタートした日曜日クラスの生徒さんたちが修了しました。最初は物静かなクラスだと思っていましたが、およそ4カ月間じっくりと時間をかけて仲良くなって、最後はほぼ全員が打ち上げに参加するまでになりました。私も打ち上げに顔を出させてもらい、皆さまと話してみて、優しい人たちの集まりだったのだなと感じました。来月から新しい年度が始まりますので、それぞれが新しい道に進みながらも、ときにはケアカレで学んだことや楽しかったことを思い出してくれたら幸いです。

 

介護職員初任者研修は、最終日に筆記のテストがあります。そして、テストを受け終わった後、希望の方は採点結果(テストの合否)をお知らせすることができます。ほとんどの生徒さんは結果を聞いて帰りたいと希望されるので、研修終了後に少し待っていただき、お一人ひとりを教室の後ろにお呼びして合否をお伝えすることになります。合格だと分かると本人も喜んでくれるので、結果が他の生徒さんたちにもなんとなく伝わります。

 

そのとき、クラスによって少しずつ反応が違って面白いです。「良かったねー!」「おめでとう!」と声を掛け合うクラスや拍手をして出迎えるクラス、あまり騒いではいけないと思うのか比較的静かに待っているクラスなど様々です。自分のことを心配しながらも、他者の合格も一緒になって喜べることは素晴らしいと思います。クラス全員で一緒に合格しようという関係性になっているということでもあります。

 

ところが、ときとして問題が生じることがあります。それは万が一、合格ラインに達しなかった生徒さんがいた場合にどうするかということです。学校としては、その場で不合格を言い渡すのは心苦しいのですが、本人が希望されたことですから仕方ありません。もう一度勉強して、すぐに再テストを受けに来てくだされば、次は間違いなく合格するのですが。もし誰かが不合格だった場合、本人はチーンとなってしまいますし、周りもシーンとなってしまうのが普通です。

 

実は、今回もひとり、外国人の方がわずかに点数が及ばず、再テストになってしまいました。そのとき、今回のクラスはそれでも拍手をして迎えてあげたのです。とても珍しい光景でした。「頑張ったね」と声をかけている生徒さんもいました。それで良いと思うのです。外国の言語で授業を受け、一緒に学び、テストに臨んで1回で合格ラインに近づくだけでも本来はすごいことです。合否はたまたま線を引いたものであって、本人の頑張りは十分に称賛に値します。彼は打ち上げにも参加して、楽しんでいて安心しました。

 

 

優しさとはそういうことだと私は思います。難しく言うと、世間で決められている成否(良い悪い)というラインに縛られることなく、多様性を認めつつ、相手の立場に立って考えて行動できることです。真面目で潔癖で、こうあるべきという想いの強い人がときとして他者に対して優しくないのは、他者への寛容さを失ってしまうからです。

 

たとえば、ハンセン(らい)病の人たちを家族から引き離して、消毒し、隔離したのは真面目で潔癖な人たちでした。今となっては、らい菌の人から人への感染性は皆無に等しいことが分かっています(栄養状態の悪さが主たる原因となって発症する病気です)。話がずいぶん逸れてしまいましたが(笑)、つまり、ほんとうに優しくあるためには、周りの空気に飲まれることなく、こうだと決めつけすぎず、思考が柔軟であり、また勇気がなければいけません。優しさは自ら選択することができるのです。そんな優しさを失わずに、卒業生の皆さまにはこれからも頑張ってもらいたいと心から願います。

2023年

3月

24日

「すべてうまくいきますように」

安楽死をテーマにしたフランス映画ということで、劇場に観に行ってきました。いかにもフランス映画という淡々としたテンポで進み、途中で睡魔に襲われたりもしましたが(笑)、後半から物語が展開して核心に迫っていくところはさすがでした。こういった題材を扱う映画は、どうしても主義主張というか、どちらが正しくてどちらが正しくないという見方が映し出されてしまいますが、この映画はかなりフラットに描写されています。ただそこで起こったことをそのまま描いているだけで、最終的にどう考えるかは鑑賞者に任せるというスタンスです。それでもあえて言うならば、(ネタバレになりそうですが)安楽死はすべてうまくいったのですが、果たしてそれで良かったのでしょうか?という問題提起だと捉えることができますね。

実はこの映画の原題は、「Everything Went Fine」、そのまま訳すと「すべてはうまくいった」なのですが、日本のタイトルは「すべてうまくいきますように」となっています。似ているようで全く違う意味になってしまうのに、なぜこのような意訳をしてしまったのか考えてみると、おそらくは「すべてはうまくいった」ですと結末が分かってしまう(事実上の安楽死は成功する)からではないでしょうか。タイトルからすでにネタバレになってしまうのを避けたかったのだと思うのですが、この映画の主旨は「うまくいくか」「うまくいかないか」にはないと私は思うのです。個人的には、下手な小細工をせず、「すべてはうまくいった」で良かったのです。

 

それはさておき、安楽死について考えさせられる映画であったことはたしかです。小説家のエマニュエルの父が脳卒中で倒れ、左半身の自由が利かなくなったことで安楽死を望むようになります。フランスでは安楽死は違法なので、隣国のスイスに渡ってから実行に及ぶことになります。父は左半身は動かず、車いすで生活を強いられているのですが、寝たきりという状態ではなく、話すことも自分で食べることもできます。孫の演奏会を聴きに行ったりすることもできます。ですから、安楽死というよりは、尊厳死に近いのではないでしょうか。父の言葉に何度も出てくる「このような姿では生きていたくない」ということです。

 

 

この尊厳死の対極にあるのが、延命だと私は考えます。本来の人間という生物の寿命を超えて、医療や科学の発達によって、命を長らえさせることが延命です。本人の意思があるかないかによって延命の是非は違ってくると思いますが、いずれにしても尊厳死と延命は正反対のベクトルを向いているのです。

私はどちらかというと尊厳死については賛成、本人の意思のない延命については反対の考えでしたが、この映画を観てみるとそんなに単純なことではないことも分かります。日本では選択の自由がないという意味で、尊厳死も認められるべきだとは思いますが、認められたら認められたでより問題は難しくなるでしょうし、実際に尊厳死を選ぶ人は少ないのではないでしょうか。それはこの映画に何度も登場するように、「人生は美しい」からです。

尊厳死でも延命でもない、その中間あたりにあるはずの自然死が理想であると私は思います。中間地点よりも前でも後でも、それは人間のエゴなのです。前は自分のエゴであり、後ろは医療者や介護者、家族のエゴです。自ら命を絶つのではなく、最後まで生きようとして、その中で人生の美しさを味わい、自然な形で死んでいく。それを少しだけサポートするのが、家族であり、介護であり医療なのではないでしょうか。

2023年

3月

15日

生徒さんたちの声から

12月からスタートした実務者研修が終わりを迎え、介護職員初任者研修も2月短期クラスが無事に修了しました。2月短期クラスの生徒さんたちからは色紙までいただきました。ありがとうございます!

 

介護職員初任者研修は最終日にアンケートを書いてもらい、実務者研修は授業ごとにリアクションペーパーという形でフィードバックしてもらっています。どちらにも研修を通して学んだことや感じたことが素直に書かれていて、読んでいて嬉しくなりますし、ときとして感動してしまいます。私でさえそうなのだから、直接教えてくれている先生方はより強く感じるものがあるだろうなと思います。生徒さんたちの声から改めて学んだり、気づかされたり、励まされたりすることも多いのです。

 

初任者研修の生徒さんたちは、介護について全く知らない白紙の状態で来てくれている方がほとんどですから、良くも悪くも、学校次第で彼ら彼女たちの介護観は変わります。そういう意味でも、湘南ケアカレッジは介護職員初任者研修を最も大切な研修として位置付けていますし、介護の現場に出る全ての人たちに当校の初任者研修を受けてもらいたいと思っています(現実的には難しいことは承知ですが)。初任者研修の卒業生さんが介護に対してどのようなことを感じてくれたのか、イメージがどう変わったのか、私たちはその声を聞くことで安心します。たとえば、こんな声をいただきました。

 

「介護を通していろいろなことを学ばせてもらいました。特に両親が高齢のため、これからの生活における関わり方、接し方を学び考えさせていただいたことに感謝します。また、久しぶりに学校という環境に身を置くことで、一緒に過ごす仲間との絆を思い出させてくれました。ありがとうございます」

 

「何年かぶりの学生生活を経験し、通学していた学校よりもケアカレの方が楽しく、集中でき、有意義な内容と素敵な出会いがあった気がします。私が想像していたよりも遥かに奥深く、「究極の接客業」であり、大切な仕事のひとつであり、面白く興味深い「介護」を知ることができました。とても感謝しています」

 

実務者研修の生徒さんたちは、介護の現場で働きながら学びに来てくれている方がほとんどですから、研修を通して学んだことを今の現場でどう生かすかが大切です。さらに言うと、今まで自分がやってきた介護が正しかったのかどうかを確認し、できていた部分は伸ばし、足りていなかった部分は改善することも目的のひとつです。そして何よりも、今の現場では誰にも褒め、認めてもらえていないけれど、十分に良くできているし、頑張っていることを褒め・認めてもらえて、自信を取り戻す場でもあると思います。学校だからこそ、私たちは素直に良いものは良いとお伝えすることができるのです。

 

実務者研修の生徒さんからは、こんな声をいただきました。

 

「全体を通していちばん感じたのは、今までより何倍も介護の仕事にやりがいを感じられるようになったことです。特養では自分の思うようにどうしてもならないことがたくさんあります。その中でも、ここはこうしてあげれば良かったかな、こんな対応をしているけど本来はもっと利用者の意志を尊重してあげるべきだよなと感じていましたが、今回の授業を通して、自分はこれで良かったんだなと再確認することがたくさんあって、以前よりも自信を持てるようになりました」

 

「初任者研修が1年前とは思えないほど時間の速さを感じています。訪問介護の仕事にも慣れが出てしまった時期でもあったので、今回の実務者研修は良いタイミングで受講できたと思います。昨年11月にケアカレ卒業の方が入社し、今一緒に仕事をしています。「介護は難しいですね」と話しています。実務者研修を通して、「介護は楽しい」と少しでも感じることができました。職場の方々とも「楽しい職場」にしようと話し合えるよう、自分が変わっていきます!」

 

 

上の2人はどちらもケアカレの初任者研修の卒業生さんです。ひとりは初任者研修を卒業してから5年以上経ってから実務者研修を受けに来てくれました。もうひとりは1年ぶりです。初任者研修から実務者研修の間が開いてしまっても、そうでなくても、初任者研修で方向性が間違っていないからこそ、実務者研修で自分たちの仕事が正しかったことを再確認することができるのでしょう。介護の世界に一歩を踏み入れた生徒さんたちにも、介護の現場で働く生徒さんたちにも、私たちは同じことをブレずに伝えていければと思います。そんな役割を学校として、また先生として担えることに幸せを感じながら。

2023年

3月

02日

「認知症介護の話をしよう」

卒業生の岩佐まりさんによる2冊目の本が出版されました。介護職員初任者研修を修了したその日に、「こんな本を出したので読んでみてください」と言われ、手渡されたのが前著「若年性アルツハイマーの母と生きる」でした。あれから8年の歳月が流れ、彼女が経験したことや考えたこと、学んだこと、取り組んできたことの全てが凝縮されているのが、この「認知症介護の話をしよう」です。在宅介護のノウハウが詰まっていて、今、在宅介護に悩んでいる人はもちろん、これから在宅介護を始めようとしている人たちにも絶対に読んでもらいたい内容です。知っているだけで救われること間違いありません。

 

本の構成としては、認知症になった家族と生きる10人の介護者たちのケースが紹介され、その後に岩佐さんが的確な解説を添えています。家族や介護者の形は十人十色であり、それぞれの悩みや問題があることが分かりますし、岩佐さんのアドバイスもさすがですね。共倒れにならないように、抱え込まず他人に相談しSOSを出すこと。ケアマネジャーと相性が合わない場合は変更してもらうこと。延命についてどう考えるか。自分の人生を生きること。情報収集をすること。介護者は幸せになるべき、などなど。自身の経験からだけではなく、介護職員初任者研修や社会福祉士になるために学んだことが融合して、実に味わい深く、崇高なメッセージになっています。

 

介護職員初任者研修のクラスメイトであった村木さんの話も紹介されていて、私も本人から何となくは聞いていましたが、そうだったのかと改めて知った次第です。その中に、岩佐さんと彼女の出会いのきっかけとして、介護職員初任者研修の授業内のことが描写されてありました。

 

今でもよく覚えているのですが、彼女とはじめて会った介護職員初任者研修の初日に、講師の先生が一人ひとりに「介護のイメージとは?」と聞いたんです。

私は、「愛です」と答えたわけですが、私の次に差されたのが彼女でした。その彼女の答えが実にユニークで、彼女はなんと「汚い」と言ったんですね。

今なら彼女がそう答えた理由は分かりますが、当時の私はびっくりして、彼女に興味を持ちました。それが友人になったきっかけです。(P51

 

8年も前のことですが、私もあのクラスのことは今でも新鮮に思い出せるから不思議です。人数が比較的少ないクラスだったのも理由のひとつかもしれませんが、研修が終わった後に飲み会にも参加させてもらって、それぞれの個性的な人生の歩みを教えてもらった楽しい思い出があります。そういえば、あのクラスからいただいたアルバムは壁に飾ることができなくて困ったなあ(笑)。

 

 

個人的には、お母さんを背負って生きたことで、彼女は人間として大きく成長したのだと感じました。ケアカレに来た当時はまだ若いところもあったと思いますが、この8年間で私たちの想像のつかないぐらい大きくなったのだと、この本を読んで驚かされました。人間って、こんなにも成長するのですね。全くと言ってよいほど成長していない自分が嫌になるほどです。彼女の場合はたまたまお母さんの介護であっただけで、背負うものは何でも良いのだと思います。仕事でも、子育てでも、趣味でも、自分がこれだと心に決めて、一生懸命に取り組むことで人間は成長するのですね。「認知症介護の話をしよう」はケアカレ図書館にありますので、ぜひ読んでみてください!

2023年

2月

23日

小野寺先生出版記念! 「介護技術のキホン講座」を開催します!

小野寺先生が執筆・監修の「介護技術のキホン これだけは押さえたいポイント100」(おはよう21増刊号)が、中央法規出版より3月20日(月)に発売されます!介護と教育の現場において、小野寺先生が20年以上かけて培ってきた技術と知識を盛り込んだ内容になっています。

 

 

出版記念として、湘南ケアカレッジにて、「介護技術のキホン講座」を開催します。小野寺先生の著書をテキストとして、排せつ(オムツ)や衣服の着脱、食事、入浴、移動・移乗等を中心として、基本的な介護技術を学び直す、実践的な講座です。実際に体を使って身につけていただきたいと思います。この講座を通して、より楽に、より効率よく介護ができるようになることが狙いです。それによって、私たちの心と時間に余裕が生まれることを願います。

対象者

→現場の最前線で働いていて、仕事が忙しすぎて困っている中堅スタッフ

→自己流になっているので、もう一度、介護技術を基本から学び直したいベテラン職員

→これから介護の仕事をする前に、基本スキルを固めておきたい新人職員

*受講資格は特にありません。どのような経験をお持ちの方に受けていただいても、学びがある内容になっております。

 

■日程:2023年4月8日(土)もしくは4月15日(土)のいずれか1

■時間帯:9:30~16:30(お昼休憩1時間含む)

■場所:湘南ケアカレッジ 町田教室

■定員:24名

■受講料:8,000円(税込み・本の代金含む)

*本は当日お配りしますので、事前に購入しないようお願いします!


以下のフォームよりお申込みください。

2023年

2月

14日

あれから2年

およそ2年前に介護職員初任者研修を修了した卒業生さんが、お土産をたくさん携えて教室に顔を出してくれました。彼女は今、埼玉県にある施設で働いており、今年ちょうど成人式を迎えるとこのことで、こちらの実家に戻ってきたそうです。彼女がケアカレに来てくれたのは高校3年生のときでした。卒業後は介護の現場に出ることを選択したものの、高齢者介護が良いのか、それとも障害者支援かと悩んでいたので、相談に乗らせてもらったことを覚えています。最終的には、彼女は自分で選択をして高齢者介護の道に進んだのですが、こうして2年間続けてこられたということは、その選択は間違っていなかったということでしょう。先輩たちに優しく見守られて、頑張っているようです。

 

それでも、「何か悩みはある?」と聞くと、「自分が夜勤のとき、ナースコールが頻回に鳴ったり、認知症の方々が寝られずに動き回ったりして大変です」と返ってきました。先日はついに利用者さんのひとりが転倒してしまって、幸い大事には至らなかったようですが、何もできなかった自分を責める気持ちも出てきているようでした。先輩たちにもそのことを相談してみているようですが、「仕方ないよ」とは言ってくれるものの、具体的な改善には至っていないそうです。夜勤は月に4回とそれほど多くはないようですが、今の彼女にとっては、25名の利用者さんを自分ひとりで見守る夜勤が怖い、というのが正直なところだそうです。

 

詳しい状況までは分からないのですが、ナースコールが頻回であることと、認知症の方々が徘徊してしまうことの2つは切り分けて考えた方が良いと思いました。自分の夜勤のときだけナースコールが良く鳴るのは、ヒアリングしていくと、彼女は新人であるがゆえに、利用者さんからすると小さいことでも頼みやすい職員のようです。先輩たちが夜勤に入ったときは、ちょっとした仕草で頼みづらいなと思わせたり、後回しにされてしまったりして、ナースコールを鳴らすのを控えるのに対し、彼女が夜勤に入ったときはちょっとしたことでも呼んでしまうのではないでしょうか。だからこそ、先輩が夜勤のときはナースコールはほとんど鳴らないのに、彼女のときは忙しすぎるぐらい鳴るということです。

 

それ自体は悪いことではないと私は思うのです。私が子どもの教育にたずさわっていたとき、親切で楽しい先生ほど生徒から人気がありますので忙しくなりますが、対応が悪かったり愛想がない先生ほど周りに子どもたちは少なく、仕事も楽になります。対人援助職において忙しいということは、コミュニケーションの量が多いということです。もちろん、ナースコールが鳴る前に先回りして準備しておいたり、ある程度の優先順位をつけて対応したりという工夫は必要ですが、基本的に利用者さんから頼られなくなったら、その仕事は終わりです。頼られているうちが華なのですから。

 

認知症の方が動き回るのは、あらゆる可能性が考えられるので、もっと客観的に考えてみるべきだと伝えました。自分のときだけ徘徊が多いと思っていること自体が思い込みであるかもしれませんし、自分が夜勤に入るときに動き回って大変な事態になるかもしれないと不安に思えば思うほど、その不安が利用者さんたちに伝わってしまい、利用者さんたちが不穏になり、歩き回ってしまうのかもしれません。また、自分が夜勤に入る前のケアが適切でなければ、お腹が空いていたり、トイレに行きたかったりして夜に寝ないということもあり得ます。目の前の現象に反応するだけでは、何の根本的解決にもならないので、まずは冷静に俯瞰的に問題を見てみることが大事ですよね。

 

 

あれから2年が経って、自分の進路に不安を抱えていた彼女から介護の現場の深い話が聞けるようになるとは不思議なものです。念願のひとり暮らしも始めたそうで、彼女の人生は大きく変わったように思えました。最近、自分の人生がほとんど変わらなくて悶々としていましたが、卒業生さんの成長と変化を感じられて、とても嬉しく思いました。来年は介護福祉士に合格して遊びにきてくれることを楽しみにしています。

2023年

2月

03日

自己と他者の境界線は消えてゆく

1月短期クラスが修了しました。2023年が明けたと思ったら、もう1つのクラスが終わりを迎えてしまいました。とても仲の良いクラスで、もうこれでお別れになってしまうのは惜しい気持ちで一杯ですが、それぞれの道に進んで頑張ってもらいたいと願います。15日間というわずかな期間とはいえ、年齢も性別も超えて、他者とこれだけの密度と濃度でつながることができるとは、本人たちも思ってはいなかったのではないでしょうか。それこそが介護職員初任者研修の魅力のひとつであり、湘南ケアカレッジの良さでもあります。先生方の素晴らしさを始めとした学校全体の雰囲気がそうさせているのだと思います。

 

1月短期クラスには、足が不自由な生徒さんがいました。卒業生さんの知り合いでしたので、事前に「受講できますか?」と聞かれましたが、ふたつ返事で「大丈夫ですよ」とお答えしました。かつては左腕を切断してしまった生徒さんや聴覚障害のある生徒さん、ストマをつけながら参加してくれた生徒さんなど、たくさんの障害のある生徒さんたちがいました。それぞれにできることを頑張って取り組んでくれて、周りの生徒さんたちのサポートもありながら、無事に卒業しました。ただひとつ障害があって、当校は教室が4階にあるのにビル自体にエレベーターがないのですが、彼は朝イチで来て、ゆっくり階段を登ってきてくれました。介護の学校として、バリアフリーについて教えながら、バリアフリーになっておらず大変申し訳なく思います。

 

1月短期クラスのつながりが深かったのは、彼がいたからとも思えます。彼の人間性も素晴らしかったですし、周りのクラスメイトさんたちも素晴らしかった。自分には簡単にできても、他者にとってはできないことがある。自分にとっては当たり前のことでも、相手にとっては当たり前ではないこともある。私たちは障害のある人と共に過ごすことで、できることとできないことがあり、当たり前が当たり前ではないことを知るのです。そして、次第にそのことが当たり前になり、今度は自分にはできなくて、他者はできることがあることに気づき始めます。目に見えて分かりやすいかどうかの差であって、自分にもできないことは実はたくさんあって、周りの人たちが補ったり支えたりしてくれているということです。そうやって凸と凹を組み合わせながら私たちは他者と生きているのであり、それを体感することで自己と他者の境界線は消えてゆくのです。

 

 

難しく書いてしまいましたが、私たちは助けているようで助けられている、支えているようで支えられているということです。できることとできないことがあり、それを他者と組み合わせながら生きているのです。自分は何でもできると思ったら大間違いであり、たとえ今はできることの方が多かったとしても、老いていくにつれてできないことの方が多くなったりします。そうなったとき初めて他者と生きることを知る人もいるかもしれませんが、1月短期クラスの生徒さんたちはすでに他者と生きることを学んだのではないでしょうか。凸凹を組み合わせているうちに、自分と他者が融合してひとつになっていく感覚を、彼がいてくれたおかげで学ぶことができたのです。

2023年

1月

22日

アラスカへと続く道

卒業生であり、「リタイア、そしてアラスカ」の著者でもある井上さんが、教室に遊びにきてくれました。日本に戻ってきて、介護について学び、残された人生はトラベルヘルパーのような仕事をしてみたいそうです。きっかけは、利用者さんたちを送迎する仕事をしてみて、自分は高齢の方々とお話をするのが好きだと思ったこと、あまり口には出さなくても高齢の人は自分にとっての思い出の場所に行ってみたいという気持ちがあり、それを叶えたいからとのこと。高齢の方々は昔話をするだけでも嬉しそうですが、実際に懐かしい場所を訪れることができれば最高ですよね。

 

たしかに2019年まではトラベルヘルパー的な業種は盛り上がりを見せていました。介護保険外のサービスとして、ドライバーと介護者が同伴することで、行きたい場所に行くことができる。それは自宅から病院への送り迎えといった日常のニーズ(必要性)ではなく、遠くまで旅をしたいという非日常のニーズです。国際福祉機器展などでも、そうしたニーズに応えるサービスが発表されたりしていました。私もとても面白いサービスであり、この先、広がりを見せるのではと期待したものです。

 

ところが、コロナ騒動が始まって以来、不要不急のトラベル的なものは影も形もなくなってしまいました。残されたのは自宅から病院への送迎という日常業務のみ。今でこそ全国旅行支援などで観光業は盛り上がっていますが、利用しているのは健康な高齢者のみ。トラベルヘルパーが対象にしていたような、日常生活の中で介護や医療が必要な高齢者はいまだに自宅もしくは施設に閉じ込められているのが現状です。もし旅行なんかして、何かあったらどうするの?家族はそう言って反対するはずです。

 

もうここまでくると感染症うんぬんの話ではなく、ゼロリスク信仰や死生観の問題ですね。日本は死ななければ良い、ただ生きているだけで良いという社会なのです。以前からそうであったし、コロナ騒動をきっかけに、その傾向は加速したのだと思います。そうした社会に生きるということは、いつか私たちが高齢者になったときにも、私たちもただ生きていることを推奨されるはずです。こうしたいという願いはすべて、危ないからという理由で却下されて、叶えられることはないでしょう。そんな社会に生きたいですか?

 

 

私の夢のひとつに、オーロラを見たいというものがあります。アラスカではなくても、オーロラが見られたらどこでも良いのです。20代の頃からオーロラが見たいと思ってもう20年以上が経ってしまいました。卒業生の井上さんも、「あのときアラスカに行っておいて良かった」とおっしゃっていましたが、思ったときが吉日なのです。未来はありそうでないものです。今こうしたいと思うことは今やらなければいけない。井上さんからいただいたアラスカへと続く一本道を見ると、思い煩うことなく、心のままに進めという声が聞こえてくる気がして仕方ありません。井上さんの新しいチャレンジも応援しています!

2023年

1月

13日

最も大切なものは自由

日本のマスコミではあまり大きく報じられませんでしたが、昨年11月末から12月頭にかけて、ゼロコロナ政策に対してのデモが中国全土で起こりました。毎日のようにPCR検査をさせられ、ひとりでも陽性者が出るとその区域は即座にロックダウンとなり、下手をするとその時その場にいた人たちと数週間も共同生活を強いられることもざらにあったそうです。自分のマンションの部屋にいれたとしても、外に出られないように外から鍵をかけられたり、入口を封鎖されたりして閉じ込められる。いつ解放されるか分からない中、気を病んだり、絶望してマンションから飛び降りたりする人も多くいました。もうすでにこの3年間にわたり、私たちにはとても想像できないレベルで、国家による市民の軟禁や行動制限が公然と行われてきたのです。

 

他人事のように思う人もいるかもしれませんが、公衆衛生の名の下に国家が民衆の行動を制限しようとする流れは、どこの国々においても、大小の差こそあれ、形を変えて、コロナ騒動以降ずっとありました。中国は分かりやすい形であり、日本はマイルドなので気づきにくいだけですが、私たちの生活は3年前と比べて大きく変わってしまっているはずです。人込みを避けて遠出をするのを控えたり、友人知人と会わなくなったり、飲み会はもちろん外食もほとんどしなくなった人は意外と多いはずです。ワールドカップは大丈夫なのに、日本国内のスポーツ観戦は屋外にもかかわらずマスクを着用・声出し禁止という行動制限がまかりとおっています。介護の現場においても、なぜか家族は面会ができなくなってしまったり、利用者の外出の機会もほぼ失われてしまいました。まずは社会的弱者から、自由は奪われていくものです。

 

そうした大きな行動制限から、鈍感に過ごしていると気づかないような小さな制限まで、私たちの自由は少しずつ失われつつあるのです。今だけ、少しの辛抱だと思っている人もいるかもしれませんが、もう4年目を迎えようとしていますよ。小さなところから抵抗しないと、この流れは今後加速していく可能性が高いです。人類の歴史は、自由を獲得するための闘いと言っても過言ではないのですが、ようやく手に入れて、ここ数十年の間、謳歌してきた自由を私たちは手放そうとしているのです。大げさだと思われるかもしれませんが、数年後の日本を見てから思い出してもらえれば、私の伝えたかったことが分かるはずです。

 

 

これからの世界で最も大切なものは自由になると思います。お金はたくさん持っていても、自由がないという人も増えるでしょうし、自由がなければ人間らしい生き方はできないことに多くの人が気づき始めるのではないでしょうか。自由を手に入れるのは難しく、手放すのは一瞬であり、気づいたときには時すでに遅し。失って初めて、当たり前にあった自由の大切さに気づくはずです。そして、お金でも名誉でも地位でもなく、人間が人間として生きるためには自由が必要であり、自由を切望するようになります。信教の自由、学問の自由、思想の自由、言論の自由、集会の自由、結社の自由、職業選択の自由、居住・移転の自由など、お金を払っても自由を得られない時代が来るかもしれません。そんな時代に備えて、私たちは自分にとって最低限の自由を得られる準備をしておかなければならないのです。

2023年

1月

06日

私の大好きな映画たち

私は学生の頃から映画が好きで、劇場で公開されている映画はほとんど観ていたような時期がありました。社会人になって仕事を始めて忙しくなってからは、音楽はあまり聴かなくなって2000年ぐらいで時が止まっているのですが…、映画だけはあくまでも趣味としてコンスタントに見続けてきました。

 

ところが最近は、新作映画に面白いものが少なくなり(ネットフリックスにお金や人材が流れている影響もあると思います)、映画館に足を運ぶことがほとんどなくなってしまいました。そこで昔の映画を見返したりしているのですが、改めて観るとその当時は気が付かなかった良いセリフや名場面などがあり、やっぱり映画って素晴らしいなあと感じています。

 

 

せっかくなので、アラフィフになり、人生の折り返し地点を迎えた私の大好きな映画を10作品に絞って紹介してみたいと思います(解説欄はYahoo映画より引用)。もし面白そうだなと思った映画があれば、ぜひご覧になってみてください!

 

LIFE/ライフ

人生とは何かを教えてくれた映画です。映画の中に登場する雑誌「TIME」の標語は私のパソコンの壁紙になっています。

 

 

解説:凡庸で空想癖のある主人公が未知なる土地への旅を経て変化していくさまを、ベン・スティラー監督・主演で描くヒューマンドラマ。夢を諦め、写真雑誌の写真管理部で働く地味な中年男性が、ひょんなことからニューヨークをたち世界中を巡る旅を繰り広げる様子をファンタジックに映し出す。物語の鍵を握るカメラマン役で『ミルク』などのショーン・ペン、主人公の母親役で『愛と追憶の日々』などのシャーリー・マクレーンが共演。壮大なビジュアルや、主人公のたどる奇跡のような旅と人生に目頭が熱くなる。

 

■レイニーデイ・イン・ニューヨーク

映画の中ではずっと雨が降っています。この映画を観るまでは雨が嫌いでしたが、今は雨の日も素晴らしいと思えます。

 

 

解説:マンハッタンが舞台のロマンチックコメディー。甘いひとときを過ごそうとする若いカップルに、次から次へと思わぬ事態が巻き起こる。監督と脚本を務めるのは『女と男の観覧車』などのウディ・アレン。『君の名前で僕を呼んで』などのティモシー・シャラメ、『マレフィセント』シリーズなどのエル・ファニング、『ゲッタウェイ スーパースネーク』などのセレーナ・ゴメスのほか、ジュード・ロウ、ディエゴ・ルナらが出演する。

 

■メッセージ

未来を知っていたとしても、あなたはその選択をするのかと問われます。原作は映画よりも面白いです。

 

 

解説:テッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」を基にしたSFドラマ。球体型宇宙船で地球に飛来した知的生命体との対話に挑む、女性言語学者の姿を見つめる。メガホンを取るのは、『ボーダーライン』などのドゥニ・ヴィルヌーヴ。『ザ・マスター』などのエイミー・アダムス、『アベンジャーズ』シリーズなどのジェレミー・レナー、『ラストキング・オブ・スコットランド』などのフォレスト・ウィテカーらが結集する。

 

■アバウト・タイム ~愛おしい時間について~

かけがえのない今という時間の大切さ、今を楽しむことを教えてくれます。映画の中の全てのシーンが美しく、愛おしいです。

 

 

解説:タイムトラベルの能力を持つ家系に生まれた青年が意中の女性との関係を進展させようと奮闘する中で、愛や幸せの本当の意味に気付くヒューマンコメディー。『ラブ・アクチュアリー』などで知られるラブコメに定評のあるリチャード・カーティス監督が、恋人や友人、家族と育む何げない日常の大切さを描く。『ハリー・ポッター』シリーズなどのドーナル・グリーソンを主演に、『きみに読む物語』などのレイチェル・マクアダムス、『ラブ・アクチュアリー』にも出演したビル・ナイらが共演。

 

■インターステラー

未来から時空を超えて子どもたちを救おうとする主人公に共感します。とにかく世界観が壮大すぎて圧倒されます。

 

 

解説:『ダークナイト』シリーズや『インセプション』などのクリストファー・ノーラン監督が放つSFドラマ。食糧不足や環境の変化によって人類滅亡が迫る中、それを回避するミッションに挑む男の姿を見つめていく。主演を務める『ダラス・バイヤーズクラブ』などのマシュー・マコノヒーを筆頭に、『レ・ミゼラブル』などのアン・ハサウェイ、『ゼロ・ダーク・サーティ』などのジェシカ・チャステインら演技派スターが結集する。深遠なテーマをはらんだ物語に加え、最先端VFXで壮大かつリアルに創造された宇宙空間の描写にも圧倒される。

 

■きっと、うまくいく

面白いインド映画の中でも最も面白かったです。現代社会を生きる若者の苦悩は、どこの国でも同じなのですね。

 

 

解説:インドで製作された、真の友情や幸せな生き方や競争社会への風刺を描いたヒューマン・ストーリー。入学したインドのエリート大学で友人たちと青春を謳歌(おうか)していた主人公が突然姿を消した謎と理由を、10年という年月を交錯させながら解き明かしていく。主演は、ボリウッド映画の大スターであるアーミル・カーン。『ラ・ワン』のカリーナー・カプールがヒロインを務める。抱腹絶倒のユーモアとストレートな感動を味わうことができる。

 

■ラ・ラ・ランド

娯楽作品でありながらも、音楽良し、ストーリー良し、映像良しの3拍子揃った珍しい映画です。最後の結末も心にしみます。

 

 

解説:『セッション』などのデイミアン・チャゼルが監督と脚本を務めたラブストーリー。女優の卵とジャズピアニストの恋のてん末を、華麗な音楽とダンスで表現する。『ブルーバレンタイン』などのライアン・ゴズリングと『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』などのエマ・ストーンをはじめ、『セッション』でチャゼル監督とタッグを組んで鬼教師を怪演したJK・シモンズが出演。クラシカルかつロマンチックな物語にうっとりする。

 

■シェフ 三ツ星フードトラック始めました

とにかくワクワクさせてくれる映画。自分も何かやってみようと思えてくるから不思議です。

 

 

解説:『アイアンマン』シリーズなどの監督で俳優のジョン・ファヴローがメガホンを取り、究極のサンドイッチを売る旅をする元一流レストランのシェフを演じるドラマ。店を辞め、偶然キューバサンドイッチと出会ったシェフが、フードトラックでサンドイッチを売りながら人生を取り戻していくプロセスを映す。共演には、ダスティン・ホフマン、ロバート・ダウニー・Jr、スカーレット・ヨハンソンといった豪華キャストが集結。人生と料理をテーマにした温かいストーリーに、爽快な感動を味わえる。

 

■ジョー・ブラックをよろしく

死というテーマを美しく、切なく、ユーモアを散りばめながら表現しています。この頃のブラッド・ピットは最高にかっこいいです。

 

 

解説:ブラッド・ピットが地上に降り立ち人間の女性との恋に落ちる死神に扮したロマンティックなファンタジー。事故死した青年の姿を借りて、一人の死神がマンハッタンに現れた。ジョー・ブラックと名乗るその人物は大富豪パリッシュの元を訪れる。彼の死期が近いためであった。だがパリッシュが天命を全うするまでにはまだ少しの時間が残されている。死神ことジョー・ブラックはそれまでの短い間を休暇とし、パリッシュの案内で人間界の見学を始めた。しかしパリッシュの娘スーザンはジョーの姿に驚く。彼の姿は先日出会った魅力的な男性その人であったのだ。そしてジョーもスーザンの好意を気にかけるようになっていく……

 

■あん

樹木希林の演技と美しい映像が、物語の残酷さと対照的です。この映画を観て、初めてハンセン病に興味を持ちました。

 

 

『殯(もがり)の森』などの河瀬直美が樹木希林を主演に迎え、元ハンセン病患者の老女が尊厳を失わず生きようとする姿を丁寧に紡ぐ人間ドラマ。樹木が演じるおいしい粒あんを作る謎多き女性と、どら焼き店の店主や店を訪れる女子中学生の人間模様が描かれる。原作は、詩人や作家、ミュージシャンとして活動するドリアン助川。映像作品で常に観客を魅了する樹木の円熟した演技に期待が高まる。

2023年

1月

01日

自分が引き受けることで

あけましておめでとうございます。昨年中もたくさんの生徒さんたちに来ていただき、先生方も素晴らしい授業をしてくれて、10周年にしてもブレることなく、「世界観が変わる福祉教育」を提供できたと思います。先生方と卒業生さんたちに感謝します。今年も大きなチャレンジはできないかもしれませんが、少しずつ変化しながら、生徒さんたちや先生方といった身近にいる人たちを大切にする学校であり続けたいですね。個人的には、昨年は少しさぼりモードというか楽をしてしまったので、今年は目標を決めて頑張ってみたいと思います。残り少ない人生ですから、今やれることは今やっておきたいものです。

 

年末年始は3年ぶりに実家の岡山に帰省しました。久しぶりに妹の子どもたち三姉妹に会っておかなければと思ったからです(両親とは祖母の三回忌で10月ぐらいに会っています)。長いこと会っていないと、子どもはあっという間に成長しますし、そもそも彼女たちが何歳なのか分からなくなっていました。直接聞いてみると、上から9歳、7歳、4歳とのこと。長女と次女はあまり大きくなった印象はないのですが、三女と前に会ったときは赤ん坊だったような気がして、その成長に驚かされました。かくれんぼうをしたり、ケーキ屋さんのお客さんをやらされたり、カルタ取りの札読みをやらされたり、たくさん遊びました。

 

3人も小さい子たちがいると、入れ代わり立ち代わりまとわりついて、自分たちの好きなように相手をしてもらおうとするから大変です。2倍、3倍と大変になるのではなく、2乗、3乗と大変になる感じです。まさに一瞬の隙もなく、自分のことなど何もさせてもらえません。世のお母さんたちの自分の時間がほしいという気持ちが分かります。初日や2日目ぐらいまではそれでも良かったのですが、大晦日に楽しみにしていた格闘技の番組をライブでなかなか観させてもらえず、そのときばかりは、ああ帰ってくるんじゃなかったと本気で思いました(笑)。町田でひとりゆっくりと過ごしたかったと…。

 

最終日に、僕だけ先に帰るため、父親が最寄りの駅まで車で送ってくれました。その際、「短い間だったけど、敬之が戻ってきてくれて助かったよ。敬之がいると、子どもたちはそっちに引きつけられるから、周りは楽をすることができました。ありがとう」と言ってもらいました。父の言葉を聞き、なるほど、私がまとわりつかれて大変だと思っていた時間は、実は父や母、そして妹にとっては束の間の休息だったのだと知りました。その逆も然りで、私が楽をしているときは、誰かが大変なことを引き受けてくれているのだとも思いました。もちろん、子どもたちと遊ぶことは楽しいですし、幸せな時間ではありますが、大人には自分の時間も必要ですからね。

 

 

どのような仕事であれ、些細なことであれ、自分が大変な思いをして引き受けることで、周りの人たちを楽にしていると考えてみても良いのではないでしょうか。傍(はた)を楽(らく)にすることが働くだとも言えます。自分だけが大変だと悲観するよりも、よっぽど建設的ですし、健康的です。大変な状況にいると、私たちはついなぜか自分だけがと視野が狭くなりがちですが、あなたが引き受けていることで周りを楽にしているのです。ずっと引き受け続けるのが難しければ、持ち回りで次は自分が楽をすればよいのです。そのとき、あなたのおかげで私が楽をできてありがとう、とひと言かけ合えると私たちの社会や仕事は幸せに回っていくのではないでしょうか。

2022年

12月

24日

まずは間違いを認めることから

卒業生さんがチョコを持って教室に来てくれました。およそ7年前に介護職員初任者研修を受講し、2年前に実務者研修まで修了した彼女は、今年いよいよ介護福祉士の試験に挑戦するとのことで、勉強のやり方を教えてもらいたいと来てくださったのです。実は彼女の息子さんたち2人もケアカレで介護を学んでくれました。今は別の仕事をしたり、学校に通ったりしているようですが、私も彼らのことは知っていて、いわば家族ぐるみのお付き合いということです。介護福祉士筆記試験の勉強法といっても、テキストと問題集を使ってまんべんなく勉強し、間違った問題は何度も繰り返し、それが終わったら過去問を解いてみる。ごくごく一般的な試験に対する勉強法をお伝えしました。

ちょうどお昼どきに来てくださったので、ランチにお誘いしました。「辛いものは好きです」とおっしゃるので、ケアカレの近くにある、社食ともなっているネパール料理屋に安心してお連れしました。ネパールの家庭料理であるダルバートを食べながら、息子さんたちの話や今の介護のお仕事など、いろいろな話題について話ました。その中でも中国についての話は私にとって面白かったので、ここで共有させてもらいたいと思います。

 

彼女は栄養士の仕事をしていて、中国に進出している日系企業における栄養指導をオンラインで行っています。健康診断の時期になると、さまざまな検査にもとづいてレポートを書いたり、運動指導などを含めた栄養指導をするそうです。忙しい時期とそうではない時期の差が激しく、忙しい時期は大変ですが、今の介護の仕事をやりながら上手く両立できているとのこと。なぜ中国かというと、彼女は以前、中国で暮らしていたことがあり、中国語を話すことができますし、向こうの日系企業とのコネクションがあるからです。中国市場に向けてサプリメントを販売する事業をしていたこともあり(現在は海外からの販売は禁止されているそうです)、中国に明るい、つまり中国や中国人について良く知っています。

 

日本と中国で仕事をする上で大きく違うのは、日本は最初からきちんとした形で始めようとするのに対し、中国はまずはやってみて、ダメなところがあれば修正していくというスタイルだそうです。彼女が栄養指導の仕事を引き受けるにあたって、いろいろと考えた上で「このような形でどうでしょうか?」と提案したところ、「いいんじゃない。まずはやってみましょう」と返ってきて拍子抜けしたそうです。やってみないと分からないことも多いので、彼女はそれを聞いて肩の荷が下りたとおっしゃっていました。

 

私はふと、中国の人って、絶対に自分の誤りを認めないんじゃなかったっけ?と疑問に思いました。中国の人は非を認めたら自分の責任になるから絶対に謝らないと、どこかで聞いたことがあるからです。自分の間違いや誤りを認められないとすれば、まずはやってみて、ダメなところがあれば改善していくというスタイルは難しいはずです。彼女に聞いてみると、中国の人は人前で非難されたり、間違いを指摘されたりすることは嫌がるけれど、個人的に話すと分かってくれるし、むしろ間違いや誤りを知っているのになぜ教えてくれないのかと言うそうです。あなたの思っていることを正直に伝えてもらいたい、という気持ちが強いそうです。日本人のように、相手の間違いや誤りを指摘すると相手が嫌な気持ちになったり、相手がそれを認めずに反発したりしてくる摩擦を恐れて、何も言わずにそのままにしてしまうことは良くないと考えているそうです。日本人が一度始めたことを、それが間違っていたとしても、元に戻したり修正したりすることが難しいのは、間違いや誤りを認められない国民性が問題なのかもしれません。私たちこそが、謝ったら死ぬ病にかかっているのですね。

 

 

私たちの社会の風通しが良くなり、健全にスムーズに運営されていくには、まずは自分の誤りや間違いを認めるところから始めなければならないのです。そのためには、何が正しくてそうではないのかを認識し、余計なプライドはひとまず横に置いておいて、「すいません」、「ごめんなさい」と言える習慣をつけることです。「ありがとう」と言えることも大切ですが、素直に謝ることができる、つまり、間違っても良いんだよという教育が大事なのではないでしょうか。正解を出せないと頭が悪いと思われるという気持ちにさせる教育のせいで、子どもたちが大人になったとき、謝ったら死ぬ病にかかっているのではないかとさえ思うのです。最初から完璧なんてありえないですし、人間の認識は半分ぐらい間違っています。やってみて間違っていたことがあればまずはそれを認めて、皆で意見を出し合って、少しずつ修正して正しい方向に向かっていけばよいのです。それは介護の現場だけではなく、どの仕事や日常生活においても同じですね。

2022年

12月

14日

素晴らしい映画を観たような

11月短期クラスが無事に修了しました。今年最後の介護職員初任者研修になります。女性よりも男性の方が少し多いぐらいのクラスでしたが、男性陣も女性陣も仲が良く、賑やかで楽しいクラスでした。授業にもかなり意欲的に参加してくださって、少数ながらも熱気にあふれた雰囲気でした。特に総合演習(実技テスト)が終わったあと、「これから働く施設の人たちにも紹介します!」、「こういう想いを持った人が施設に増えると良い介護ができそうですね!」「実務者研修も受けたいです!」など、全員が前向きな気持ちをストレートに言葉にして教室を後にしていました。このほくほくの高揚感や満足感をどう表現すれば良いのだろうと考えてみると、良い映画を観たあとのあの感じ。「トップガン マーヴェリック」を観たあとの、「トップガン」も見直してみたいし、次回作が出たらぜひ観たいと思うあの感じです(笑)。

 

なぜ介護の研修でここまでの満足感や高揚感を生み出せるのでしょうか。理由はひとつではなく、数えきれないほど多くあります。生徒さん同士の仲の良さや、学校や先生と生徒さんたちの距離感、初回から先生方が一貫して同じメッセージを伝え続けてくれて、笑いあり涙あり、優しさあり厳しさありのアップダウンを経て、心をひとつにして実技のテストに向かい、たくさんの練習をしてペアとの信頼関係を築き、テストに臨んで上手くできて、先生や周りの生徒さんたちから褒められ、認められる。これが自信にならないわけがありません。いつもの日常では決して味わえないような素晴らしい体験です。時が経つにつれて薄れていくとは思いますが、おそらく一生忘れることのできない研修になると思います。

 

また、小野寺先生が「ケアカレの生徒さんたちは、他のクラスから振り替えで来た人を暖かく迎え入れる空気があって良いですね」とおっしゃっていました。たしかにそう言われてみると、振り替えをした生徒さんから、「私は振り替えでしたが、皆が暖かく迎え入れてくれて安心しました」という声を聞くことは多いですね。他のクラスにひとり振り替えることの不安の裏返しだと思いますが、ケアカレの生徒さんたちは変に仲間内で固まるのではなく、授業の中でのグループワークや実技演習を通していつのまにかコミュニケーションを取るうちに仲良くなり、全体としてオープンでフラットな関係性が築けていますのでご安心ください。

 

 

こうして考えてみると、湘南ケアカレッジの研修を受けたあとの満足感や高揚感を良い映画を観たあとの感じと表現しましたが、もしかするとそれ以上かもしれませんね。どれだけ良い映画とは言っても、あくまでも観覧者でしかなく、自己投影はしても結局、自分はその作品に参加しているわけではありません。そこが自分たちがいち登場人物として参加することのできる、ケアカレの研修と大きく違うところです。自分たちが身を投じて得た経験や関係性は、必ずや今後のあなたの人生に生きてくるはずです。1本の映画が生きる支えになるように、介護職員初任者研修や実務者研修がそうなることもあるのではないでしょうか。

2022年

12月

01日

介護タクシーの始め方(開業する前に知っておくべきこと)

介護職員初任者研修を受講中の生徒さん、または卒業生さんから、「介護タクシーを始めたい」と相談を受けることが多くあります。ここ10年ほどで増えてきた新しい業種ですし、知り合いで介護タクシーをしている人も少なく、なかなか情報が得にくいようです。そこで、介護タクシーを運転している湘南ケアカレッジ卒業生の堀之北さんにお願いして、これから介護タクシーを始めようと考えている卒業生の吉田さんを交え、介護タクシーのいろはを教えてもらいました。

 

続きは→【介護仕事百景】へ

2022年

11月

28日

仕事って何?

卒業生さんが事務所に顔を見せに来てくれました。デイサービスで介護の仕事を始めてまだ数か月ですが、1月のカレンダーづくりを任されたということで、原案のようなものを見せてもらいました。そこには七福神の宝船のイラストがあり、回文が添えられていました。

 

「長き夜の 遠の眠りの 皆目醒め 波乗り船の 音の良きかな」

(なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな)

 

 

回文とは上から読んでも下から読んでも同じ読みになる文章のことです。宝船が描かれた絵の横に、この「長き夜の~」の文章が記されたものを枕の下に置いて寝ると、良い初夢が見られるとされてきたそうです。声に出して読んでみると、心地よいリズムがあって、始まりと終わりという概念が消えて、永遠にループしそうな不思議な感覚です。そして、新しい仕事に取り組んでいる卒業生を見て、嬉しく思いました。

 

仕事って何でしょうか?学生時代を終えて、就職活動をしているとき、または実際に仕事をし始めたとき、私の頭の中でこの問いがずっと巡っていました。これまでは言われたことを言われたとおりにこなしたり、新しい何かを学ぶことで生きてこられたのに、いわゆる社会というものに放り出された途端に、お金を稼ぐために仕事をしなければならなくなります。自分という人間は何も変わっていないのに、急に食べていくためにという名目のもと、仕事をしてお金を得なければならなくなるのが不思議に思えました。その当時は、仕事って何というよりも、なぜ仕事をしなければならないのかと問うていた気がします。もちろん、答えなんて見つかりませんでした。

 

それでも、十年、二十年と仕事を続けていると、それは永遠のループのように感じられてきます。朝起きて、仕事をして、寝て、朝起きて、仕事をして、寝る。たとえ新しいことに挑戦していても、基本的なループは変わりません。しかも仕事をする時間として、人によって異なりますが、1日24時間のうちの8時間から12時間ぐらいが費やされることになります。1日の3分1から半分の時間を仕事しているということは、つまり人生のそれぐらいの時間を仕事していると考えても良いでしょう。それは貴重な時間です。

 

だからこそ、好きなことを仕事にして生きていくというキャッチフレーズが流行ったこともありましたし、誰もが嫌なことに人生の大半の時間を使いたくないはずです。好きで楽しい仕事が良いのは当たり前です。ただ、どうしても仕事に好きや楽しさだけを求めてしまうと、行き詰ってしまうことが多いはずです。私は昔、ビリヤードが好きでビリヤード場でバイトをしたことがありますが、あれほど苦痛な仕事はありませんでした。目の前にビリヤード台があるのに、プレイすることはできず、接客やお会計、台の掃除がメインの仕事でした。ビリヤードが好きなことと、ビリヤード場で働くことは全く違ったのです。どれだけ好きな仕事に就けたとしても、楽しい時間は一瞬であり、地味な仕事を積み重ねる時間の方が多いはずです。好きや楽しいは一瞬の感情でしかないのです。

 

 

仕事とは、自分にとって意義や意味のあることをすることだと私は思います。これをすることで誰かが喜んでくれる、幸せにすることができる、社会を良くすることができると思えることが一番大事なのではないでしょうか。綺麗ごとではなく、自分の仕事に意義や意味を感じられなければ、延々とループする仕事をずっと続けることは少なくとも私にはできません。先日、全身性障害者ガイドヘルパー養成研修が終わり、1日中外を歩き回って疲れたであろう生徒さんたちが皆笑顔で帰って行ったとき、良い仕事を10年続けられて、私は幸せだなあという感慨が湧いてきたものです。

2022年

11月

17日

内も外もない

先日、祖母の3回忌を行うために、田舎の岡山県に帰省しました。一泊二日で戻らざるを得なかったのですが、夜は両親と中華料理を食べながら、久しぶりにゆっくりと話すことができました。思い返してみると、毎年、お盆休みとお正月には家族で帰っていたのですが、コロナ騒動が始まって以来、向こうの世間体などに気を遣ってしまい、一度も帰省していなかったことに気づきました。私たちも含め、孫の顔を見せに実家に帰るという習慣や文化が失われてしまった家族が日本中に多くあるのではないでしょうか。それだけを取っても、今回の騒動は罪が深いと思いますし、まだ手遅れではないので元に戻していきたいと思いました。

 

両親と語り合う中で、介護施設の話になりました。両親は幸いにも今のところ自立して暮らしていますが、私の母の叔母の夫(ややこしくてすいません)が病気に倒れ、介護が必要になり、相談を受けた私の両親が施設を探して歩いているのです。私の母の叔母の夫は今、介護老人保健施設にいて、そろそろ出て行ってもらいたいと言われているのですが、本人は全く自力で身体を動かすことができません。自立して生活をしたいという想いは強く、リハビリも頑張りたいと思っているのですが、現状として自宅復帰は難しい。特別養護老人ホームを見つけるか、それとも有料老人ホームに入るかという選択肢しかありません。月々にかかる費用もピンキリ。リハビリができる施設はなく、入りたくても入られない入居待ちの施設を希望していることもあり、しばらくは今の老健にいさせてもらうしかないようです。

 

一番の問題は、いったん施設に入ってしまうと、おそらくもう二度と自宅には戻ってこられないでしょうし、面会もほとんどできないため、会うことさえ叶わなくなってしまうことです。老々介護となるのを分かっていて自宅に戻るか、もしくは今生の別れとなるのか。過疎化しつつある地方に住んでいる高齢者は、究極の二択を迫られているのです。かつてのように、介護施設が外の世界へと開かれていれば、たとえ施設に入ってしまっても、家族ともいつでも会うことができました。好きなときに好きなだけ話をすることができました。ところが、下手をするといまだに家族(外部者)の面会禁止を続けている施設もあり、良くて週に1回とか、1回の面会は15分までとかいう謎ルールを設けている施設がほとんどです。

 

家族が面会に来なくなり、外部の人たちとの交流がなくなったことで、利用者の状態が分かりやすいぐらいに落ちてしまっていることにスタッフは気づいているはずです。家族との会話や外の世界からの刺激が、どれだけ利用者の支えとなり、生きる動機となっていたか、改めて気づかされたのではないでしょうか。スタッフが話し相手になって差し上げることも解決策のひとつですが、やはり家族や近しい人たちとの交流に優るものはありません。

 

なぜ私たちは、このようなことになってしまったのでしょうか。職員たちは毎日、外から施設内に通勤し、また外の世界に戻ってを繰り返しているのに、家族は外から入ってはならない理由はありますか。職員は何かから守られていて、家族は穢れているということでしょうか。職員がいないと介護ができないので仕方ないとか、できるだけ外部者を入れないことで感染確率を下げるとか言うかもしれませんが、本当にそうでしょうか?ウイルスは外から持ち込まれているのでしょうか?周りに陽性者が誰もおらず、利用者から(だけが)発症した孤発例など世界中に山ほどありますよ。

 

もう誰が持ちこんだとか、誰からうつされたとか、そういう幼稚な発想はやめませんか?そもそも私たちの身体の中には3兆個を超えるウイルスがすでに存在しています。他の動物だって同じ。もうすでに自分の身体の中にあらゆるウイルスは存在していて、それが周りの環境が変わることで(寒くなったり、湿度が低くなったり、栄養状態が悪くなったりなど)、免疫バランスが崩れ、平衡状態を保っていたウイルスの中で特定のものだけが増殖し、それに身体の免疫系が反応して発熱したりするだけです。

 

人から人にウイルスが直接、たとえば飛沫や接触などによって乗り移って発症するなんてことはほとんどなく(ここまでは世界の常識になっています)、普段の生活の中で空気中から取り込んで、もともと自分の中にあるものが表に出てきているのです。家族間や仲間は同じ環境で生活しているため、あたかも近しい人たちの間で症状が伝染しているように見えるだけで、実は外的要因によってそれぞれが自ら発症しているだけの話です。今夏は寝ているときにクーラーの入れすぎで身体が冷えて、同じ寝室に寝ている家族全員が発症したケースも多く見られましたね。

 

 

目に見えないだけで、空気中や私たちの周りのあらゆるところにウイルスは存在しています。つまり、ウイルスにとっては、人間の体の中も外もないのです。宿主という生命体の中の方が生存しやすく、増殖もしやすいという性質はありますが、内と外の境界線はないということです。人間が勝手に内と外の境界線を引いているだけにすぎません。いわゆるカンセンショウタイサクのような、外のモノを内に入れないという考え方自体が人間の愚かさを示しているのではないでしょうか。家族との面会を制限することでウイルスを外から持ち込ませないなんて、まさに愚の骨頂です。厳しいことを書きましたが、今私たちが当たり前のように行っているカンセンショウタイサクがいかに人権侵害であり、差別的であり、どれだけの人々のQOLを奪ってしまっているのか、100年後の介護の教科書では語られていることを心から願います。

2022年

11月

10日

それが人生の目的だから

「何かを学ぶことはもうないと思っていましたが、学ぶ楽しさを知りました」、「この歳になって新しいことを学ぶために学校に通うのは勇気がいりましたが、人生が変わった気がします」など、10月短期クラスの生徒さんたちからは、「学ぶことを通して何かを得た」という声が多く聞かれました。まさにその通りで、私たち大人は、学ぶことで世界が広がります。大げさかもしれませんが、学ぶことは冒険に出ることなのです。

 

僕の大好きな「LIFE!」という映画があります。主人公のウォルター・ミティは、伝統的フォトグラフ雑誌「LIFE」のネガフィルムの管理者という地味な仕事をしており、実に平凡な人生を送ってきた男です。ウォルターには空想癖があり、いつの間にか現実から抜け出して空想の世界へと入ってしまいます。そこでは彼は勇敢な冒険家であり、危険を冒してでも周りの人たちを救うヒーロー。ところが現実は厳しく、好きな女性には想いを伝えることができず、雑誌は廃刊となり、伝説のカメラマン(ショーン)が最終号の表紙にと送ってきたネガが見つからず、仕事を失ってしまう窮地に陥ります。絶体絶命の危機に瀕し、ウォルターは自分の殻を打ち破って冒険に出ます。オフィスを飛び出して、カメラマンのショーンを探し求めてグリーンランドを目指したのです。

ウォルターの冒険はグリーンランドからアイスランド、そしてアフガニスタンに及びました。ついにショーンと遭遇し、ネガが実は自分に贈られた財布の中に入っていることを知らされ、彼はロサンゼルスに戻ります。ようやく探し出したネガをギリギリに入稿し、何とか表紙を間に合わせることができました。最終号の発売日、売店に並ぶ「LIFE」の表紙を見たとき、ウォルターは目を疑います。これまで偉大な人物だけが飾っていた表紙には、「これを作った人たちに捧げる」という言葉が添えられ、ネガフィルムの管理者にすぎない自分が片隅に映っていたからです。危険を冒してでも未知の世界に飛び出すカメラマン、ショーンのような冒険家もいれば、日の当たらない場所で地味で仕事をして、平凡な日々を過ごすウォルターのような人もいて初めて「LIFE」のような雑誌がつくれたのです。

紹介が長くなりましたが、僕はこの雑誌「LIFE」のスローガンが大好きで、デスクトップの画面にもしているほどです。

 

TO SEE THE WORLD, THINGS DANGEROUS TO COME TO,

“世界を見渡して、危険でも立ち向かおう”
TO SEE BEHIND WALLS, TO DRAW CLOSER,

“壁の向こう側の世界を見よう、もっと近づこう”
TO FIND EACH OTHER AND TO FEEL.

“お互いを知ろう、存在を感じよう”
THAT IS THE PURPOSE OF LIFE.
“それが人生の目的だから”

 

この映画が伝えたいことは、人生の目的って何だっけ?ということです。それはお金持ちになることでも、偉くなることでも、長生きすることでも、幸せになることでもありません。自分の生きている狭い世界から飛び出すこと、たとえ危険であっても恐れず挑戦してみること、自分の知らない向こう側の世界を知ること、友だちになって仲良くなること、他者を理解し、自分を理解してもらうことこそが、人生の目的だとしているのです。僕も全く同感です。

 

僕も若い頃は成功して自分の思いどおりの人生を歩むことが目的だと思っていましたが、そうではないと気づく年齢になりました。成功しても、お金持ちになっても、偉くなっても、長生きしても、ひとときの幸せを感じても、案外つまらないものです。人生が面白いと感じるのは、やはり自分の知らない世界があることを知ったとき、リスクを背負ってでもチャレンジしているとき、自分で決めつけていた限界を突破できたとき、誰かと仲良くなれたとき、誰かと心が通じ合えたときなのです。一見、過程のように思えるそれらこそが、人生の目的なのです。

 

 

必ずしも海外に旅に出る必要はありません。もちろん、世界を知るためには外の世界へと旅立たなければならないこともあるでしょう。ただそういった物理的な世界の広がりだけではなく、今の仕事や生活の延長線上でも、新しい世界を見ることはできますし、チャレンジをしてみることも、誰かと仲良くなったり、理解し合うこともできるはずです。地味な仕事をして、平凡な毎日を送らなければならない時期もあるでしょうが、人生の目的さえ間違わなければ、僕たち誰もが素晴らしい人生を送ることができるのではないでしょうか。

2022年

11月

01日

石の上にも

卒業生さんが介護福祉士の合格証書を持って、合格を知らせに教室まで来てくれました。3月に合格が分かってから、来ようと思っていただけど、なかなかタイミングが合わず今の時期になってしまったとのこと。点数を聞くと、100点越えでの合格でした!直前試験対策講座を受けて、問題を解くコツが分かったおかげとおっしゃっていましたが、100点以上を取れたということは、ご自身の努力があったからに違いありません。合格証書を両手に記念撮影をさせてもらい、誇らしげな顔を見て、私たちも嬉しく思いました。特に彼女の場合は、介護職員初任者研修を5年前に受け、その後、今の施設で働き始め、苦労をされたのを知っているだけになおさらです。

合格祝いを兼ねて、ケアカレの社食ともなっている近くのネパール料理専門店「ソルティ」に行きました。ご自身でつくられた梅シロップをいただいたことがあるように、彼女はかなりの食マニアであり、味には敏感なので、ネパール料理が口に合うかどうか心配でしたが、ペロリと食べてくださって安心しました。好き嫌いが分かれる豆のスープ(ダル)も、さすが問題なく召し上がっていました。ランチをしながら、仕事の話を聞くと、今の施設で働き始めて5年になって、周りのスタッフさんたちにも理解してもらえるようになり、強く当たってきたスタッフは辞めて行き、少しずつ働きやすくなっているとのこと。実は彼女は片方の耳が聞こえづらく、コミュニケーションを行う上での障害があるのです。

 

働き始めた当初は、周りは普通に伝えたつもりが彼女にとっては聞こえておらず、話を聞いていないと思われたり、細かい話が聞き取れなくてミスをしてしまったりしたことが幾度もあったそうです。今流行りのインカムも聞こえる片方の耳に入れていると、利用者さんの声も周りの音も聞こえなくなってしまうため、外さざるを得ないそうです。インカムは両方の耳が聞こえるという前提でつくられているのですね。それらのことを責められたり、周りの人たちに迷惑を掛けてしまったりして、彼女自身も何度も辞めようと思ったことがあり、実際に私たちも相談を受けたこともありました。それでも彼女は自分の意志で、続けるという選択をして今まで続けたのです。「石の上にも3年だと思って頑張りました」と彼女は言います。ありきたりの格言ですが、彼女の口から出ると大きな石のような重みがありますね。

 

 

辞める・辞めないの判断は、人それぞれの状況や年齢によっても異なると思います。「私は年齢も年齢だから頑張れた」と彼女は言っていましたが、若い人なら自分に合った環境を求めて転職する判断も必要なときもあります。無理をしすぎて身体を壊してしまうのは本末転倒ですし、心が病む前に辞めるのは原則です。苦しかったり、辛かったら逃げても良いのです。ただ一方で、時間が解決してくれる問題もあります。踏ん張ったからこそ得られる経験や知識・技術もあると思います。先日のブログに書いた「1万時間の法則」も、ひとところでやり続けるからこそ得られるキャリアでもあります。他の業界と違って、介護の世界は潰しがきく(横の移動がしやすい)のは良いことでもある反面、彼女のように石の上にも5年いられなかったら、自分だけではなく周りも良い方向に変わったという貴重な経験を得られなかったかもしれません。辞める・辞めない問題の絶対的根拠や結論は最後まで出ませんが、何が言いたいかというと、私たちは頑張って自分の状況を変えた彼女を尊敬しているということです。

2022年

10月

19日

なぜ友人紹介割引をしないのか?

介護職員初任者研修または実務者研修にお申込みいただく方から、「友人から聞いて申し込むのですが、友だち紹介の割引制度みたいなものってありますか?」と聞かれることがあります。そんなときは、「申し訳ありません。当校は友だち割引は行っていないのですよね。皆さん同じ受講料で受けていただく形になります。でもご友人にはよろしくお伝えください」と返します。その方もあったらラッキーぐらいで聞いてくださっているので、「そうなのですね。分かりました」で済むのですが、いつももどかしい気持ちになってしまいます。ケアカレのことを勧めてくださった卒業生さんと、それによってケアカレに来てくださった縁ある生徒さんに感謝の気持ちは十分にあるのですが、受講料の割引という形で示すことはあえてしていないのです。

湘南ケアカレッジが友だち割引をしない理由は大きく2つあります。ひとつは、割引という金銭的な損得がなくても、普通にあの学校は良かったからと勧めてもらえるような学校であり続けたいからです。私たちは良いものを買ったり、素晴らしい体験をすると、そのことを誰かに伝えたくなります。おそらくケアカレの卒業生さんは、家族の食卓で先生方の面白さを語り、職場では同僚たちには湘南ケアカレッジという学校の良さを説き、地域のママさんたちや友人知人には学ぶことの楽しさを伝えてくれていると思います。その言葉を聞いて、楽しそうに語る表情を見て、湘南ケアカレッジに興味を持って、自分も行ってみたいなと思ってくれたら最高です。

 

もうひとつの理由は、せっかく卒業生さんが純粋にケアカレのことを勧めてくれたとしても、友だち割引という制度があることで、いつのまにか金銭のやり取りに話がすり替わってしまうことが嫌だからです。かつて私が大手の介護スクールに勤めていた頃、友人が当時のホームヘルパー2級講座を受けてくれました。講座修了後に、その友人と他の知り合いを数名誘って、ご飯を食べに行ったとき、その話になりました。その友人は貴重な経験ができたし、学びも大きかったという感想を持っていて、他の知人にもぜひ受けてもらいたいと語り出したのですが、途中から友だち割引制度の話になり、「このカードを申し込みの際に出すと5000円割引になる」とか「名前を出すと俺にも何かもらえるかもしれない」といつのまにかお金の話にすり替わってしまいました。研修の中身や学校の特徴、先生方の人間性などではなく、どれだけ割引があってお得かという話題に終始してしまったのです。知人たちがその後、ホームヘルパー2級講座を受けたという話は聞きません。

 

 

長々と述べてしまいましたが、言いたかったことは、良いものは割引制度があるなしに関わらず誰かに勧めたくなるということです。もちろん、私たちは感謝の気持ちを抱いていますので、誰からの紹介で来てくれたと分かっていたら、「〇〇さんのお友だちなのですね」と会話のきっかけになりますし、思い出話をしたりすることもできるかもしれません。生徒さんたちは、自分の友人を知ってくれているというだけで、学校に対して安心するのではないでしょうか。そして何よりも、勧めてくださった卒業生さんに恥をかかせないように、全力で授業をさせてもらいますし、一人ひとりの生徒さんたちと向き合っていきます。そうすることで、「あなたの言葉を信じてケアカレに行って本当に良かった」と言ってもらえることが、紹介してくれた卒業生さんにとっても勧められて来てくれた生徒さんにとっても最高の御礼になると思うのです。

2022年

10月

08日

キャリアの三角形の話

先日、卒業生さんがうまい棒を持って、顔を出してくれました。彼とはもう長い付き合いで、湘南ケアカレッジを卒業してから働き始めた介護施設で5年目になります。昨年、無事に介護福祉士試験にも合格し、晴れて介護福祉士になりました。そのタイミングで介護職の人たちは新たなチャレンジの意味も含めて転職をしたいと思うようになるのですが、彼もその例にもれません。同じ施設で5年間も働いていると、途中に別のフロアに異動になったりもしましたが、基本的には毎日同じことの繰り返しに思えてきます。もちろん、日々、利用者さんの状態や周りのスタッフの関係性、そして自分自身も少しずつ変わっているのですが、大きな目で見ると、変り映えしないルーティンワークが延々と続いているように感じられるのは仕方ありません。介護福祉士を取ったことを機に、心機一転、キャリアアップの意味も込めて、新しい職場や仕事に挑戦したいと思うのは自然なことです。

彼が前回相談に来てくれたときは、今は特別養護老人ホームで働いているのだから、次はデイサービスで働いてみるのも良いし、グループホームで働くことで認知症の勉強にもなるかもしれない。訪問介護も意外といけそうだし、もしかすると高齢ではなく障害の分野の方が合っている可能性もある。最近は介護タクシーを始める人も増えているから、独立を視野に入れても面白いかもしれない。などなど、今とは違った環境で働くことで、新たな経験を得られることについて話しました。

 

さすがにまた同じ話をするのも何なので、今回はもう少し踏み込んで、キャリアの広げ方について話してみました。これは決して私が考え出したものではなく、藤原和博さんという教育者が語っていることですが、とても分かりやすくて的を射ているので紹介させてください。「3つのキャリアを掛け算して、100万人に1人のレアな人材になろう」と藤原和博さんは提案し、その中でキャリアの三角形の話が登場します。

 

社会に出たとき、私たちはあまり深く考えることなく、当時たまたま自分が就けた仕事をスタートするはずです。その仕事が何であれ、まずは1万時間を費やしてその仕事を身に付けます。1万時間というのは、何かを修得するときにかかる最低限の時間の単位です。1日8時間、週40時間働くとして、1か月で160時間、1年で1920時間、真剣に取り組めば、約5年ちょいで、その仕事をあらかたマスターすることができるということです。おそらくその時点で、あなたはその分野では100人に1人の人材になっているはずです。

 

 

そうこうしていると、転職や異動などで新しい仕事をするにあたって、私たちは次の一歩を踏み出します。同じ業界や会社の中の少し違った仕事をする人が多いと思いますが、全く違う職種や業界に飛び込む人もいるはずです。いずれにしても、次の仕事に踏み出すことがキャリアの三角形の底辺になります。次の仕事でも同じく1万時間を費やして経験や知識・技術を得るとすでに100人に1人×100人に1人、つまり、本人は意外と気がついていないのですが、10000人にひとりの人材になっています。

そして、三角形の頂点を決める、最後のステップが最も大切です。藤原和博さんは最後のステップは思い切って全く違うところに踏み出してみてもらいたいと主張します。キャリアの三角形で大事なのは、実は三角形の面積なのです。最初のステップは社会や人生について何も知らない若い頃に決めた点にすぎず、2歩目も関連した業種や領域に移っただけでそれほど大きく踏み出せなかった人がほとんどでしょう。底辺がそれほど長くない状態で、最後のステップも小さくしか踏み出さないと、最終的なキャリアの三角形の面積は非常に小さなものになってしまいます。これが最後のステップだと思ったら、思い切ってジャンプするぐらいの挑戦の方が結果的にあなたの仕事の幅は大きく広がるはずです。

 

卒業生の彼は、頭が柔軟で我慢強いので、ひとつのことを長く続けることができるタイプであり、介護の業界に入る前は運送業の裏方(倉庫の管理や出し入れ等)を長くしていたそうです。そこでの経験やスキルがどのようなものなのか想像がつきませんが、2つ目のステップとして全く違う介護の世界に飛び込んできたということは、彼のキャリアの三角形の底辺は長いということです。そこで最後のステップをどうするのか。とても悩ましい選択ですね。グループホームやデイサービスのような介護職として違う仕事をしてみることで、三角形の面積の広がりは少ないけれど、尖った形にすることもできます。また介護タクシーや配食サービスのような形で独立してみることでこれまでとは違った経験や知識・技術を求められて成長することもできるかもしれません。

 

 

まあ、最後は自分の人生ですから自分のやりたいことをやってみるべきです。その中でも、私たちは仕事を通しても社会と関わっていかざるを得ませんので、社会の中での自分の仕事のキャリアがどのような形をしていて、どのように広がっていくのかを意識して知っておくことは大切です。その結果として、私たちの人生の幅が広がったり、豊かになることにつながるのではないでしょうか。

2022年

9月

28日

先生が出席を取る理由

湘南ケアカレッジでは、授業が始まる前に、先生が生徒さん一人ひとりの名前を呼び、返事があれば出席簿に〇をつけることで出欠の確認を行っています。もう10年間も出席を取ってきているので、このような形が当たり前だと思ってしまいます。ところが、他の学校で教えたことのある先生はご存じでしょうが、実は当たり前ではないのです。出席簿を前から後ろに回していき、生徒さんが自分の名前を書いたり、出席欄に〇をつけたりする学校もあれば、事務局のスタッフが入口のところで先に出欠を取っておく学校もあるそうです。

 

 

それぞれのやり方があって、どの方法が正しいということはないのですが、先生が生徒さんの名前を呼ぶスタイルをケアカレが取っているのには意味があります。出欠を取るところからコミュニケーションが始まっているのです。

 

  先生が生徒さんの名前を呼ぶ

  生徒さんが「はい」と言って、手を挙げる

  先生は(笑顔で)その生徒さんのことを見る

  生徒さんも先生と目が合う(笑顔になる)

 

これは挨拶と同じで、一方通行ではなく、先生と生徒さんの間にやり取りが生まれます。「はい」と声を出してくれない生徒さんもいるかもしれませんし、こちらを見てくれない生徒さんもいるかもしれません。それでも先生が名前を呼んで、生徒さんがそれに応じるという個人間のやり取りが生まれます。しかも、授業に入る前の、先生と生徒さんの間の最初のコミュニケーションですから、お互いの最初の印象がここで決まります。

 

たとえば、「はい!」と元気よく答えてくれる生徒さんには元気だなあという印象を持ちますし、無言で手を挙げる生徒さんは何か嫌なことがあったのかなと心配になります。目を伏せてこちらを見てくれない生徒さんは自分のこと嫌いなのかなと不安になりますし、逆に互いに目と目がきちんと合うと嬉しいはずです。さらに笑顔があると最高ですね。

 

これは生徒さんにとって逆も然りです。ぼそぼそとした声で出席を取る先生がいると、陰気な先生だなと感じてしまいますし、目を伏せっぱなしで出欠を取る先生は自分たちに興味がないのかなと察してしまいます。明るく笑顔で出欠を取るだけで、最初から場を温めることができますし、生徒さんたちもリラックスして授業に臨めます。これは塾の出欠を取るときにも講師が意識しているイロハのイです。ほんの1秒そこらのやり取りですが、人間同士のコミュニケーションの本質が詰まっている瞬間なのです。

 

 から④が基本ですが、⑤で先生から「よろしくお願いします」とか「(ちゃんと返事をしてくれて)ありがとうございます」と返してもさらに良いと思いますし、「私と同じ苗字ですね」とか「今日は振り替えなんだ」とかYes,Noクエスチョンを入れるのも、人によっては応用編として良いと思います。まあそんなに難しく考える必要もなくて、お互いに気持ち良く笑顔で挨拶するように出席が確認できたら良いということですね。

 

たしかに、出席簿を生徒さんに回してもらったり、事前にスタッフが出欠を取ったり、タイムカードでピッとしてもらったりすれば、効率的で時間の短縮にはなるかもしれません。ひとり一人の名前を呼ぶと、1人6秒×30名で約3分ぐらいは時間が掛かってしまいますからね。ただ、たったそれだけの時間で生徒さんたちと簡単なコミュニケーションが取れるのであれば悪くないのではないでしょうか。むしろせっかく授業の最初の貴重な時間を使うのであれば、良質なコミュニケーションを取らなければならないのです。自分の人間性を伝え、生徒さんの人間性を知り、互いに心が通じ合うような個別のやり取りができれば、たった3分が大きな意味を持つのです。出席の確認は単なる出席の確認ではなく、出席を取ることを通してお互いの心を通じ合わせるためにするのです。

 

 

このように、普段から先生方が何気なくしてくださっている言動には大きな意味があるのです。それ自体はほんの些細なことに過ぎませんが、そうした言葉や行動が積み重なると、クラス全体の雰囲気をつくり出します。湘南ケアカレッジが生徒さんにとってアットホームで楽しい学校であるのも、生徒さんと先生方や学校との距離感が近いのも、生徒さん同士の仲が良いのも、実はそうした小さいことから始まっているのだと私は思っています。効率を追い求めすぎると、物ごとの裏にある大切な意味や本質を見失ってしまうことになりますね。湘南ケアカレッジはこれからも小さなコミュニケーションを積み重なることのできる学校でありたいと願っています。

2022年

9月

17日

「Coda コーダ あいのうた」

フランス映画をリメイクするのは「最強のふたり」と同じパターンで、元ネタとなった「エール」よりも「コーダあのうた」の方が圧倒的に素晴らしい作品になっています。自分以外はろう者の家族に生まれた主人公のルビーは、大好きな歌の才能を見出され、家族のもとを離れて音楽大学に進むか、とどまって家業である漁業を手伝うかの間で葛藤するストーリーは同じです。何がそんなにも違うかと聞かれても困るのですが、キャスティングもぴったりですし、劇中にはさまれるユーモアも笑えて、泣かせるところは泣かせるというメリハリの良さがありますね。何よりもルビーと兄、母と父がそれぞれ個性的に描かれていて、それゆえに家族の絆が伝わってくるようです。音楽大学の試験にて、家族が聴いている(見ている)前でルビーが歌う、「青春の光と影」(ジョニ・ミッチェル)歌詞には深い意味が込められていました。

しなやかに流れる天使の髪

ふんわり浮かぶアイスクリームの城

どこまでも続く羽毛に包まれた谷

私はそんなふうに雲を見ていた

 

でも雲は太陽の輝きをさえぎり

いたるところに雨や雪を降らせる

やりたいことがたくさんあったのに

雲によって閉ざされた

私は両側から雲を眺めてみる

上からも下からも

でもそれは私が抱いた雲の幻想

雲の本当の姿は分からない

 

お月様 6月 そして観覧車

ダンスを踊って舞い上がる気分

おとぎ話が叶う気がする

私はそんな風に愛を思い描いていた

でも愛なんてありふれたお芝居

別れるときは笑顔のままで

想いが残っていても気づかれないように

自分の本心は胸の奥に隠して

私は両側から愛を眺めてみる

与えたり受け取ったり

でもそれは私が抱いた愛の幻影

愛の本当の姿を何も知らない

 

涙と不安 それでも誇りを忘れない

愛していると大声で叫ぼう

夢と計画 喝采する群衆

私は人生をそんな風に見ていた

でも友人たちはおかしな素振り

首を横に振って私は変わったと言う

失ったものもあれば得たものもある

毎日を生きていればそんなこともあるわ

私は両側から人生を眺めてみる

勝つこともあれば負けることもある

でもそれは私が描いた人生の幻影

人生の本当の姿は分からない

 

私は両側から人生を眺めてみる

上からも下からも

でもそれは私が描いた人生の幻影

人生の本当の姿は分からない

 

雲だって愛だって、人生だって、表から見れば良く見えても、裏から見ればまた違ってみえる。上から見ても、下から見てもそれは同じ。良いこともあれば悪いこともあり、勝つこともあれば負けることもある。障害者があるからこそ家族の絆が強まることもあれば、健常者で何ひとつ苦労がないからこそバラバラになってしまう家族もある。音楽大学に行って才能を開花させることが成功で、通訳者として家業を手伝わなければならないことが負けだとも限らない。でもそう考えることすらも私たちが勝手に解釈した幻影にすぎず、誰も雲や愛や人生の本当の姿なんて分からないのです。

 

 

ルビーはわずか17年間生きてきただけですが、普通とは少し違った境遇で育ったおかげで、人生について多くを学んだのです。そうした自分の想いを歌声に乗せて、自分の大切な家族に伝えようとして、伝わった。そして家族だけではなく、審査員の心にも届き、見事に合格を果たします。音楽大学に進む決断をして旅立とうとするルビーを兄も父も母も誇りに思って送り出し、ルビーなしでも生きていくために自分たちも新しい事業に挑戦することになります。失うものがあれば得るものもある。その逆も然り。私たちの人生の本当の姿は分からないからこそ美しいのですね。ストレートなメッセージが歌声に乗って心に届く映画でした。

2022年

9月

08日

家族のように

8月短期クラスが無事に修了しました。10代の学生さんから70代の方まで、夏休みのクラスならではの、年齢層の幅広い生徒さんたちが集まりました。男女の割合も半々ぐらいだと思います。にもかわらず、年齢や性別など関係なしに、とても楽しく和気あいあいとした雰囲気のクラスでした。最終日を待たずして授業後に飲みに行ったりもしていたみたいですね(笑)。私はこうして生徒さんたちが仲良くしてくれるのを見るだけで嬉しくなります。生徒さんの自宅の庭で採れた野菜を持ってきてくださったり、開業の相談を持ち掛けてもらったり、携帯を失くしてしまったけど出てきた騒動など、全ては楽しい思い出です。

開校当初は「世界観が変わる福祉教育を提供する」という理念を掲げていましたが、長い間学校を続けてきて、それよりも大切なのは生徒さんたちの仲が良いことだと思うようになりました。私たちが素晴らしい授業を提供するのは当然のこととして、それだけでは全体の満足感はマックスまで達することはなく、やはり研修における人間関係がこそが最も重要だと知ったのです。

 

その人間関係とは、生徒さん同士の関係性、生徒さんと先生の関係性、そして生徒さんと学校の関係性の3つがあります。大切な順に並べてみると、生徒さん同士の関係性>生徒さんと先生の関係性>生徒さんと学校の関係性になりますが、実はこの3つの関係性が全て満たされないと、研修全体としては不完全なのです。

 

クラスメイト同士の仲は良くても、先生との関係性が悪くて対立してしまったり、もしくは生徒さん同士が集団になって学校にクレームを入れたりすることは、他の学校では良くあることです。生徒さんたちと先生、学校の間のどこかで分断が起きてしまうと、たとえ一方は仲が良くても、その分、他方との対立は深くなってしまうのです。

 

湘南ケアカレッジではそのようなことが今まで一度も起こっていないのは、3つの関係性が上手く行っているからだと思います。小さい学校ゆえに関係性をつくりやすい面はあると思いますが、それぞれの距離が近く、垣根がほとんどない状態だからではないでしょうか。生徒さんも先生方も鏡ですから、私たちが事務的に接してしまうと相手も事務的になってしまうのです。そのような事務的さがケアカレには全くと言ってよいほどないはずです。

 

 

少なくとも私は一度ケアカレにかかわった人は家族のように思っています。私だけではなく、(研修に参加したことのない方々には分からないかもしれませんが)クラスメイト同士も家族のような存在になると思いますし、先生方も生徒さんに対して家族のように接してくれていると思っています。家族だからと言ってなんでもするわけではありませんが(笑)、家族のように大切に想って、親身になりたいと思っています。これは仕事だからではなく、生き方の問題かもしれません。せっかくこうして人と関わる以上は、豊かな関係性をつくりたいですよね。これからも8月短期クラスのような幸せな研修をつくっていきたいと思います。

 

8月短期クラスの方々からド派手なメッセージボードをいただきました。実は144期生のところにライトが設置されていて、スイッチを入れると輝くのです。暗くしてみると分かりやすいと思います。電光はケアカレ初ですね。まさかこの手があるとは(笑)。

2022年

8月

28日

10歳になりました

修了証明書を再発行してくださいという依頼と共に、昔なつかしい卒業生さんから電話をいただくことがあります。先日はSさんと名乗る女性から電話があり、会話の中で「うちの●●(男の子の名前)ももう10歳になりました」とおっしゃっていました。そのとき私はピンと来ず、「そうなんですね」と適当な答えをしてお茶を濁しましたが、その後、修了証明書を再発行するためにSさんのフルネームをお聞きして、過去のデータを調べてみたところ、まさかの10年前の4期生の生徒さんでした!彼女の顔が思い浮かび、そして、ある出来事が鮮明に蘇ってきました。

 

Sさんは5月短期Bクラスの生徒さんでした。当時は月曜日から金曜日まで平日毎日通って、わずか3週間で修了するという最短のクラス。当然のことながら、生徒さんは土曜日と日曜日しかお休みがなく、そのお休みの日にケアカレのビルのちょうど入り口のところでベビーカーを押しているSさんにバッタリお会いしたのでした。「小さなお子さんがいらっしゃったのですね。おいくつですか?」、「1歳になったばかりです」というような会話をした記憶があります。そのときに男の子のお名前が●●であることを教えてもらったのでした。あれからちょうど10年が経って、「うちの●●(男の子の名前)ももう10歳になりました」と電話で話すとは思いも寄りませんでした。

 

ベビーカーに乗っていた、あの小さな赤ん坊が10歳になったのです!●●くんの姿を見たら、その成長ぶりにさらに驚かされたことでしょうし、あの赤ん坊が10歳になったという事実だけで驚き以外の何ものでもありません。そして、湘南ケアカレッジも、私たちが気づかないうちに、赤ん坊から10歳になったのだと自覚したのです。他人の子どもの成長は速いと言いますが、比べてみることで、自分たちもいつの間にか大きく成長していることに気づかされるのです。「100年続く学校に」と宣言してしまいましたので、まだ10歳でしかありませんが、それでも赤ん坊が小さな子どもになったのですから大きな成長ですね。

 

子どもと違って、学校の成長というのは目に見えにくいものですが、それでも大きく変わっているのだと思います。この前、行きつけの美容室に行っていつもの美容師さんと話している中で、「うちもかれこれ20年近くになりますが、それぐらい続けていると、やはり地元の人たちに認知されている部分もあるのか、なんだかんだ言って、お客さんも途切れることが少ないですね」と言っていました。その美容師さんは一度、独立してお店を持ってみたのですが、いろいろあって出戻りしたそうです。そうして初めて、長く続けていることの力に気づかされたと言います。長く続けること自体が難しく、長く続けることによって、気づかないうちに根のようなものが深く広く張り巡らされていくのです。

 

 

あっという間の10年でしたが、湘南ケアカレッジも町田から神奈川に深く広く根を張り巡らせてきたのではないでしょうか。先生方が生徒さん一人ひとりに向き合ってくださって、どの授業でも世界観が変わるような福祉教育を提供してくださったことの積み重ねは、目に見えなくても、大きな力になっているはずです。それはお金をかけて広告を打っても決して届かないほどに、深くて広い根の力なのです。最初は点にすぎなかったかもしれませんが、次第に点がつながって線となり、さらに線と線がつながって面となり、10年経った今や立体となりつつあるのではないかと思います。赤ん坊が20歳になる頃には、私たちにはどのような世界が見えているのか、湘南ケアカレッジはどのような学校に成長しているのか楽しみです。

2022年

8月

10日

つながりをつくる

授業が終わった後、小野寺先生が「何とかつなげられたかなと思います」と振り返っていたのが印象的でした。介護職員初任者研修は15日間、実務者研修は7日間のスクーリングがありますが、1日の授業が15回もしくは7回あるのではなく、それら1日1日の授業はすべてつながっているのです。自分の与えられた内容の授業を教えるだけであれば、ベテランの先生方にとってそれほど難しくはありませんが、次の授業や先生にバトンタッチをしてつなげていくことを考えると簡単なことではありません。また次もケアカレに来たいと楽しみに思ってもらわなければならないからです。ケアカレの先生方は、ただ単に授業をするだけではなく、つながりを作ろうと思って教えてくださっているのです。

 

授業と授業がつながっていることは大切です。具体的には、A先生とB先生の語る介護に関しての方向性が全く違うと生徒さんたちは混乱します。当然の話ですが、たとえばある先生はオムツは最終手段であり、できるだけ付けない生活を目指しましょうと言い、ある先生はオムツを外すのは現実問題として難しいから無理と言うと、つながりは失われてしまいます。生徒さんにとっては、どちらの言っていることが正しいのか、私たちはどうすれば良いのか分からなくなるのです。もちろん、先生方一人ひとりは考え方も経験も違いますので、全員が同じことを話すということではありません。それぞれに伝え方も意見も異なっていて良いのですが、目指している方向性が同じであるべきです。そうした一貫性があると、生徒さんたちは安心するはずです。

 

湘南ケアカレッジは他の学校と比べて、この一貫性という点において秀でていると思います。それにはいくつか理由があって、ひとつはどの研修も今いる先生方と一緒にイチから創り上げてきたからです。右往左往したり、試行錯誤したりもしましたが、基本的には同じ方向を向いて研修をつくってきました。そして何よりも大きかったのは、ケアカレはもともと36名設定の研修であり、メインの先生と2名のサポートの先生という3名体制を採っていたことで、他の先生の授業の内容をそれぞれが知っていることです。他の先生がどこで何を言っていて、何を教えているのか具体的に知っているからこそ、「〇〇先生が~と言っていたように」、「〇〇先生が~という話をしてくれるから楽しみにしてね」などとつなげることができるのです。

 

もうひとつ、生徒さん同士がつながっていることも大切です。研修が始まった頃には、生徒さんたちは一人で教室に来て、知っている人が誰もいない中、緊張しながら授業を受けることになります。もし授業が一方的に先生が話して、生徒さんが聞くというスタイルであれば、生徒さんたちはいつまで経ってもつながることはありません。ひとりで来てひとりで帰ることの繰り返しです。しかし、授業の中でグループワークをしたり、お互いに話す時間を意図的につくることによって、生徒さんたち同士につながりが生まれます。そうなると生徒さんたちは研修が進むごとに知っている人が増え、仲間の中で授業を受けている安心感が持てるようになります。生徒さん同士をつなげて、安心感のある雰囲気をつくっておくと、次の先生は授業をしやすいのです。それもつなげることの1つの意味です。

 

 

授業の内容だけではなく、生徒さん同士もつなげること。ただ教えるべきことを教えるのに比べて、いかに難しいか分かっていただけるはずです。ケアカレの先生方は、それぞれの方法でつながりをつくってくださっているからこそ、生徒さんたちは安心して最後まで研修を受けることができるのです。これからもつながりのある研修を提供したいですし、いろいろなつながりを作ることのできる学校でありたいと思います。


PS
上の色紙は7月短期クラスの皆さまからいただきました。ありがとうございます。初任者研修を修了して、仕事に就いても、ずっとヒヨコという気持ちを忘れずにいたいというメッセージも込められているそうです。先生方の似顔絵も素敵ですね。5年以上前の卒業生の紹介で来てくださった生徒さんもいて、そういう意味でもつながりのあるクラスでした。

 

2022年

7月

30日

昨日とは違う席に座る

湘南ケアカレッジでは、いつも違う席に座ってもらうようにしています。どういうことかと言うと、席が決まっているわけではなく、毎回違う席に座るように働きかけているということです。ともすると、私たちはいつも同じ席に座ってしまいます。意識しているわけではないのですが、人間の習性として、いつもと同じ行動を取ってしまうのです。研修の初日に一番後ろの席に座った人はずっと後ろに座りますし、前に座った人も同じです。教室に来る順番(時刻)も実は皆さんほぼ同じなので、そのままにしておくと、毎日同じ順番に同じ席に座って授業がスタートするということになりかねません。それの何が問題なのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、毎日同じであるよりも、昨日とは違う1日を生きることの方が大切であると思うのです。

毎日同じ席に座ると、毎日同じ人が周りにいて、同じ環境で過ごすことになります。それが安心につながるのかもしれませんが、せっかく15日間しかない介護職員初任者研修ですから、できるだけ多くのクラスメイトと接する機会を得てもらいたいのが学校としての気持ちです。もっと長いスパンで考えれば、固定された環境や人間関係だからこそ深められるものもあるのは確かですが、15日間という日数を考えると、人との接点を広く取ることを優先するのが良いと思います。今まで出会えなかった人たちと接し、様々な考え方や意見に触れてもらいたいと願います。そうすることで、自分の世界が広がるはずです。

 

 

違う席に座ることは、出会いや環境を自ら変えるという意味で分かりやすいのですが、実は普段の私たちの行動にも同じことが当てはまると思います。意識をしていないと、私たちは同じ時間に起き、同じ時間に出発し、同じ電車に乗って、同じ道を歩いて、同じ人たちに会って、同じように仕事をして、同じように家に帰って、同じテレビを観て、同じ会話をして、同じ時間に寝るという毎日を過ごしてしまいます。それはそれで悪くはないのですが、そんな日常があまりにも続きすぎると、私たちは何も変わることなく、日常は色あせてしまい、気がつくと歳だけは取っていたということになりかねません。

 

私の大好きな「アバウト・タイム 愛おしい時間について~」という映画があります。過去に何度でもタイムトラベルができる主人公ティムが、好きになった女の子にボーイフレンドができる以前にタイムトラベルし、先に出会って、パーティーから連れ出し、ついには結婚して子どもが生まれるという恋愛ストーリーです。ティムの父もタイムトラベルができるのですが、父は息子に「毎日を2度過ごせ」とアドバイスします。最初は普通に過ごし、2度目も同じように過ごしてみる。すると最初は自分のことに精一杯で世界の素晴らしさに気付かなかったのに、2度目には余裕が出てきて人生を楽しめると言うのです。

 

こんなシーンが印象に残っています。ある日の朝、ミーティングに遅れそうになったティムと同僚は、走って現場までたどり着き、何とか間に合ったと思いきや、ミーティングでは上司から同僚がこっぴどく罵られ、落胆してしまいます。そこでティムはタイムトラベルをして、2度目を過ごしてみます。朝は慌てながらも、周りの景色の美しさを同僚と共有し、ミーティングで上司に罵られる同僚にジョークを言ってその場を和まします。同じ日常の場面でも、2度過ごしてみることで、見える景色や自分や周りの人々の気持ちのありようも、まるで違うことに気づくのでした。

 

もちろん、実際に私たちはタイムトラベルをして、毎日を2度過ごすことはできません。そうではなくて、この映画が伝えたかったのは、2度目を過ごすように毎日を過ごそうということです。最初は何ごともなく通り過ぎてしまった日常の美しい光景を見つけ、最初は気づけなかった他人の感情を気にかけ、最初はできなかった行動を勇気をもってやってみる。上手く説明するのは難しいのですが、もしやり直しができたとしたらこうするだろうという気持ちを最初から持って、人生の大切な時を生きるということです。

 

湘南ケアカレッジの生徒さんを見ても、いつもと違った席に座ろうとする方は頭が柔らかいと感じます。その逆も然りです。いろいろな人たちと接して、昨日とは違う1日を過ごそうとするから頭が柔らかくなるのか、もともと頭が柔らかいから、いろいろな人たちと接して、昨日とは違う日々を生きることができるのか、鶏が先か卵が先か分かりません。環境や人間関係だけではなく、思考さえも凝り固まってしまうことのないように、いつもと違う席に座ろうとしなければいけないと思います。私たちはいつもと少し違う席に座ってみることで、2度目を過ごすように毎日を過ごすことができるのではないでしょうか。

 

 

たとえばいつもとは少し違う場所に行ってみたり、違う人に話しかけてみたり、違う行動を取ってみようとすることです。同じ日常を生きているように見えても、本人の中では昨日と違う1日に見えていればそれでOKです。ほんのわずかな変化で良いのです。新しいお店に行ってみたり、新しい服を着てみたり、新しいことにチャレンジしてみたりすることです。いつもと違うことをするのはちょっとしんどいと感じるかもしれませんが、そうした行動の積み重ねが私たちの出会いを広げ、思考の幅を拡げ、世界を大きくしてくれるのです。あまり変わり映えしない日常の中でも、昨日と違う1日を生きようとする意識があるかどうかで、10年後の自分の人生は大きく変わってくるのではないでしょうか。そんな大それたことを、ケアカレの違う席に座ることから学ばせてもらいました。

2022年

7月

21日

本を読む時間

最近、本を読む時間がめっきり少なくなってしまいました。忙しくなったというよりは、ただ単に本を読んでいないのです。ツイッターやYouTube(動画)などのインターネット、そしてテレビや新聞など、情報を得る手段は本以外にもあるにはあります。テレビや新聞、インターネットニュースなどのマスメディアは偏向報道すぎて役に立ちませんが、SNSはあらゆる意見や考え方が知れて、情報収集ツールとしては重宝しています。そういうことではなく、本を読む時間の中にある、考えることが大切なのです。もしかすると、手に入れた知識の量ではなく、考えた時間こそが、私たちを本当の意味で知的に豊かにしてくれるのではないでしょうか。本を読むことにはそうした力がたしかにあると私は思います。

 

ということで、本を読むことを改めて始めようと思い立ち、1日1時間の読書をスケジュールのどこかに組み込むことにしました。どのようなことでも、66日間続けると習慣になり、それをしないとかえって気持ち悪くなるところまで定着すればあとは楽になります。自転車も漕ぎ出す時が最もパワーを要しますが、スピードに乗るとあとは慣性でそのまま走ることができるように、まず66日間は踏ん張って、習慣化するところまで持っていきたいです。その記録として、1冊のノートの1ページに、読んだ本の内容で良かった箇所を書き出してまとめてみることにします。

 

実は今から25年ぐらい前に、職場の上司から勧められてノートをつけ始め、1冊目のノートを使い切り、2冊目に入ったところで終わってしまっていたものが残っていました。思えばこの頃が、最もあらゆるジャンルの知識を吸収し、自分の精神世界が広がっていく苗植えをしていた時期でした。そのノートの続きから、四半世紀ぶりに始めてみたいと思います。

 

インプットが少なくもしくはなくなってしまうと、アウトプットは出づらくなり、質も低下していくことになります。とにかく大量のそして良質のインプットがあればあるほど、琴線に触れたり、刺激を受けたりすることで閃きも多くなり、泉のようにアウトプットがあふれ出るはずです。それから、自分の専門分野以外の世界を知ることも大切です。なぜなら、この世の中は全てがつながっていて、Aを学ぶことが実はBも学ぶことになるなんてザラにありますし、また逆にAで学んだ視点でBを見ることで今まで見えなかった世界が見えてくることもあるのです。文章を書く中でも、ある種の飛躍があった方が読者は面白い。根底ではつながっているのだけど、全く違う世界に話が飛躍して戻ってくると、その文章には奥行きや深さが出るはずです。その奥行きや深さをつくるためにも、書き手は意識して自分の専門とは異なる、あらゆるジャンルの本を読まなければならないのです。

 

 

最後は物書きのような文章になってしまいましたが、私は書くことによってこれまで生きてきたと思っていますし、これからもそうするつもりです。そのためには、書くことの土台になる読むことをおろそかにしてはいけないと思うのです。1日1時間も読書ができるのか正直自信はありませんが、読んだ本について、介護に関する内容に関してはこちらのブログでも共有させていただきますね。

2022年

7月

03日

目の前の生徒さんたちに集中する

湘南ケアカレッジは今年で10年目を迎えました。さすがに10年目ともなると、介護職員初任者研修と実務者研修の年間のクラス数が最適な形で固まってきて、新しいことに挑戦することもなかなか難しくなってきます。上手く行ってきたからこそ、変えることが難しいというジレンマでもあります。日々、同じことを繰り返しているような気持ちになることもあるのですが、実は生徒さんたちにとっては毎日が最初の授業であり、初めての経験になります。10年経った今だからこそ思うのは、目の前にいる生徒さんたち一人ひとりに集中することが大切だということです。

 

先生方が、生徒さんたちに人と人として向き合って、大切に教えてくださっていることが、回り回って伝わってきます。回り回ってというのはいろいろな意味がありますが、卒業生さんたちが介護の現場にて、もしくは自分たちの地域の友人知人に対して、ケアカレのことを良く語ってくれて、それを聞いた人たちが新しく生徒さんとしてケアカレに来てくれて、卒業したあとはまた別の人たちに伝えてくれてというループの中にいるのを感じるのです。

先日の実務者研修のリアクションペーパーにも上のように書かれていました。今いる生徒さんたちは、何らかの形で誰かからケアカレの評判を聞いて来てくれている方がほとんどです。この良い口コミのループが逆回転してしまうと悪循環に陥ってしまいますが、今のところ10年間、好い循環になっているからこそ、こうしてケアカレは小さな学校として続けて来られているのだと思います。

 

コロナ騒動の影響もあり、ここ数年はいつも以上に生徒さんが多く、どのクラスも満席の状態が続きました。生徒さんの前借り、または先取りをしてしまったと私は考えているのですが、先に収穫しすぎて焼野原が残っているのが現状です。先月のお手紙にも書きましたが、これからしばらくは(特に初任者研修の)生徒さんが少ない状況が続くはずです。たしかケアカレが開校して3年目に、生徒さんが来なくなった時期がありました。あの時期は生徒さんを集めるために、あらゆる試行錯誤をしてみましたが、結局のところ効果があったものはひとつもなく、悪い時期はじっと我慢して待つことが最善だと学びました。

 

 

良いときも悪いときも、私たちにできることは、目の前の生徒さんたちに集中することだけです。あらゆるマーケティングの手法をケアカレの集客にも応用させてもらってはいますが、10年やってきて分かったのは、世界観が変わったと言ってもらえるような授業を提供し、目の前にいる一人ひとりを大切にすることが、新しく生徒さんを呼ぶ最善の方法です。私たちにとっては当たり前で、日々同じに思えることをコツコツやり続けることで、実は私たちには想像もつかないような大きさの好循環の輪が少しずつ大きく拡がっていっています。先生方のおかげ以外のなにものでもありません。ありがとうございます。

2022年

6月

25日

間違っていたら、謝って、元に戻す

先日、広告会社の新人さんと話をしていたとき、「資料請求者に対して、電話がけをしてみたらどうでしょうか?」と提案されました。彼は良かれと思って他の学校が行っている方法を提案してくれたのですが、「うちはそういうことはしないようにしてるんだよね。だって、ネットで資料請求をしただけなのに、営業の電話がかかってきたら嫌でしょ?自分がやられて嫌なことはしたくないんだよね」と返しました。「そうですね。僕も電話かかってきたら嫌です」と彼は素直に答えて、納得してくれました。

 

実はこの「資料請求者に対して電話をかけて、あわよくば学校説明会や見学に引っ張り込む」という手法は、20年以上前から介護のスクール業界にも広まっています。私が三幸福祉カレッジにいたとき、他校の調査目的で、全ての学校から個人名で資料を請求してみたところ、いくつもの学校から携帯に電話がかかってきました。買い物をしているとき、電車に乗っているとき、コーヒーを飲んでいるとき、ところ構わずかかってきました。とりあえず資料を見てから検討しますと、丁重にお断りするだけでも大変でした。

 

介護の研修を受けようと思う人たちは、基本的には優しく、上手く断ることができずに学校見学のアポを取らされてしまい、行ったところをその場でクロージング(申し込み)という流れはたしかにあります。引っ越し業者の資料請求のようにやりすぎてしまうと問題になりますが(引っ越し屋さんの一括資料請求をすると、請求ボタンを押した瞬間に電話がかかってくるという都市伝説があるほどです)、無理強いしているわけではないので、それはそれで営業の手法のひとつとして否定されるものではありません。たとえば10人の資料請求者のうち、9人に少しの迷惑をかけたとしても、1人が自分たちの学校に入ればそれで良いという発想は企業努力だと言われればその通りかもしれません。

 

私が資料請求者に対しての電話がけをしないのは、相手が嫌がることはしないという倫理的な問題というよりも、実はあまり意味がないと知っているからです。わざわざ電話をかけて申し込ませた生徒さんは、普通に送られた資料を見ても自然に申し込みをしてくれたかもしれません。こちらが電話をかけたから相手は申し込んだ、という因果関係は意外とあってないようなものです。何もしなくても申し込みする人はしますし、申し込まない人は何をしても申し込まない。資料請求なのですから、資料を見て判断してもらえば良い話なのです。

 

また、電話をかけたばかりに、離れてしまう生徒さんもいると思います。「他校からはしつこく営業電話がかかってきて嫌だったので、こちら(ケアカレ)にしました」と言っていた生徒さんもいました。電話をかけたから申し込んだ人もいるかもしれませんが、その裏では、電話をかけたから申し込まなかった生徒さんもいるということです。いわゆる逆効果と言うやつです。効果は目に見えやすい反面、逆効果は目に見えないものです。

 

一度やり始めてしまうと、止められなくなるのが最大のデメリットです。今、生徒さんが来ているのが電話営業のおかげなのかどうか分からなくなってしまうので、やり続けるしかなくなってしまいます。何かを始めるときに、それは本当に効果があるのかどうか、それはどのように測定するのか、むしろ逆効果ではないのか、効果がないと判断して止める基準はあるのかなど、冷静に決めてから始めないと、意味のない仕事を延々と続けなければならない無限地獄に陥ります。

 

自分ひとりの問題であれば、意味がないと気づいたら止めて、元に戻すのは比較的簡単ですが、組織や集団となるとかなり難しくなります。私たち日本人は、足し算は上手だけど引き算が苦手と言われるように、仕事を加えていくことはしても、仕事を減らすことができません。一度動き始めた歯車は延々と同じ方向に回り続けます。ほぼ全員が間違っていると分かっていても、間違っていたことを絶対に認めないマンがいることで、元に戻すことは難しくなるのです。もし間違っていたら、「あのときの判断は間違っていました。ごめんなさい」と謝って、元に戻す(何もしない)だけで良いのです。しかし現実は、プライドや立場が邪魔をしてできないのです。英語ではFoolish Pride(フーリッシュプライド)と言ったります。しょうもないプライドという意味です。

 

私たちの周りには、ほんとうは意味がないのに、一見効果がありそうなことを一度やり始めてしまって止められなくり、延々とやり続けていることがたくさんあるはずです。自分たちのみならず、後輩たちや次の世代にまで押し付けて、やり続けさせようとする強い意志さえ感じることがあります。もはや科学的にも理論上も全く意味がないし、やっている本人たちも意味がないと分かっているにもかかわらず、失敗を認めることができないばかりに、自分たちで止めることができなくなってしまっているのが現状です。

 

 

自分たちの力で元に戻せない以上は、外からの手を借りるしかありません。いつまでそんな意味のないことやってるのですか?と言ってくれる外の人が必要です。もしくは、外の空気を吸うことです。自分とは違う世界に行ってみて、異なる人たちと交流することです。自分たちの間違いを謙虚に受け入れる人たちが増えれば、私たちの世界は大きく変わることができるのではないでしょうか。

2022年

6月

17日

ポスト介護福祉士

「介護福祉士を取ったので、新しい環境を求めて、職場を変えようと思っています」という報告を受けることが多くなってきました。湘南ケアカレッジは今年で10年目を迎えますので、介護職員初任者研修を受けて現場で働き、実務者研修を経て介護福祉士に合格した卒業生さんたちが、続々と介護の世界におけるキャリアの転機を迎えているということです。先日ふらりと教室に来てくれたFさんもそのひとりです。彼は4年前に初任者研修を修了し、その後、特別養護老人ホームで働き、昨年、介護福祉士になりました。介護福祉士になってみたものの、(決して悪い意味ではないのですが)日々の仕事内容は何も変わらないと話してくれました。違うフロアに異動になっても、毎日やっていることは同じですとのこと。多かれ少なかれ、介護の仕事を始めて3、4年目に差し掛かり、彼のように感じる人は多いのではないでしょうか。

 

「3日、3か月、3年」とよく言われるように、どの仕事でも辞めたくなる周期やタイミングは同じです。3日は明らかに自分の想像していた仕事内容や職場と違いすぎて、明らかに続けていくのは無理と自分で分かる場合です。3か月は少し続けてみたものの、日々、違和感を抱きながら働いて、ついに我慢の限界を感じて、仕事や周りの環境に慣れる前に辞めることを決断した場合です。そして、3年は仕事は自分に合っているけれど、今の仕事に慣れてしまい、新鮮さや刺激が失われて、飽きが来てしまった場合です。3日と3か月は、仕事自体を違うものに変えた方が良いと思いますが、3年は環境やスタイルを変えることでひとまず解決することができるはずです。

 

介護福祉士になる頃はちょうど3年の周期に当たることが多く、国家資格を取得したタイミングと伴って、新しい環境を求める人が多いのは当然の話ですね。それは決して悪いことではないと思います。横移動が難しい他の業種と違って、介護の世界は同じ仕事で他の施設や事業所に転職することが容易です。特に介護福祉士を持っていれば、より選択の幅は広がるでしょうし、今よりも良い条件での転職も可能です。新しい環境に身を置いて再出発してみる、新しいチャレンジをしてみるにはグッドタイミングですね。

 

私が彼に話したのは、いろいろな道があるということです。同じ高齢者介護であってもグループホームなどの違うサービスを提供している施設に行くこともできれば、畑違いの障害者支援の分野に行って新しい経験と学びを得ることもできます。5年後にケアマネを目指すのであれば、訪問介護の事業所で働いて在宅サービスについて学んでおくことも大切です。時間的にも経済的にもあまり現実的ではありませんが、社会福祉士や看護師を目指すこともできます。もし自分はこういう介護をしてみたいという想いがあるのであれば、独立して訪問介護やデイサービスなどと立ち上げることも可能です。その前に、どこかの事業所やデイサービスで修行をさせてもらうことも良いでしょう。行き詰ったように思えても、介護の世界は意外と多様な道が広がっているということです。

 

 

「気持ちが楽になりました」と言って、彼は帰っていきました。

2022年

6月

12日

「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」

コロナ騒動が始まって以来、最初からずっとブレることなく一貫して、まともな医師であった森田洋之さん(2020年4月にこの記事を読んだときの衝撃は忘れられません)の著書を読みました。医療と政治、マスコミが手を取り合って煽るパンデミック物語に医師として異を唱えることは、相当に勇気の要ることだと思います。テレビやヤフーニュースしか見ない一般の人たちからは非難を浴びせられ、同業の医師たちからは白い目で見られたりしたこともあったはずです。命を盾にした難攻不落の相手との議論に、森田医師はどれほどの時間を費やしたことでしょう。森田さんの素晴らしいところは、ご自身の意見はしっかりと持ちながらも、決して極端に振れることなく、絶妙なバランスを保っていることです。冷静と情熱の間に生きているのでしょう。

 

森田さんは経済学部を卒業後、医師を志し、北海道の夕張市診療所院長まで務めました。夕張市の財政破綻と共に医療が失われ、果たしてこの地域はどうなるのかと心配したところ、医療費が減っただけではなく、なんと高齢者の死亡率が低くなったのです。自宅にて老衰で亡くなる方が増えたのです。この驚愕の事実を知って、森田さんは日本の医療構造に疑問を持ち始めます。

 

調べていくうちに、一人あたりの病床数が多い県ほど一人当たりの医療費が高く、しかも平均寿命も短いという相関関係があることが分かります。森田さんはそう書いてはいませんが、つまり、俯瞰して見ると、医療はお金をかけて私たちを殺しているのではないかということです。

 

個人的な経験を書かせてもらうと、僕は小さい頃からアレルギー性鼻炎に悩まされていて、近くにある耳鼻科に足しげく通っていました。当時は遊びたい盛りで、面倒くさいという気持ちが強かったのですが、母親に促されて週1~2回ぐらいは通院していたはずです。院長の高崎さんは子どもの僕ともたくさん話をして、成長を喜んでくれたり、自身の趣味であるブラックバス釣りについて教えてくれたりしました。受付番号をもらってから診察まで1時間以上も待たされることがありましたが、高崎さんはひとり一人の患者さんたちときちんとコミュニケーションを取りながら、診てくれていたのだと思います。私の中での尊敬すべき医師像はこの高崎さんなのです。

 

その後、中学生になって大阪に転校したことをきっかけに、違う医師をたずねることになります。高校生になり、大学生になり、また大人になっても、あらゆる皮膚科(私はアトピー性皮膚炎もありました)や耳鼻科に細々と通い続けました。そしてあるとき、私はふと変化に気づいてしまったのです。患者とコミュニケーションを取らないばかりか、患者のことをほとんど診ることもなく、カルテばかり見て入力に忙しく、薬を大量に多種類出しておくだけの医師のなんと多いことか。

 

あの頃からすでに私は医療構造の変化にうすうす気づき、医師に対する信用を失い始めていたのです。その後、仕事でも医師とやり取りする機会が増えましたが、大変失礼なのですが、まともだと思える人はほとんどいませんでした。医師たちは、私とは違う世界に住んでいるのだと思ったほどです。

 

森田さんは今回のコロナ騒動について、医療が国民の行動を制限したりしたことは、今に始まったことではなく、表面化しなかっただけで医療の思想として前からずっとあったとおっしゃいます。目の前の患者を診ることもなく、話を聞くこともなく、気持ちに寄り添わないこと。製薬会社と深くつながっていて、とにかく薬を出すことが利益と目的になっていること。政治力を駆使することで、良くも悪くも行政や政府を動かしてしまえること。縦割り構造になっていて他の専門には意見ができず、しかも業界や病院内のヒエラルキー(上下関係)があからさまなこと。自分たちの保身のためにゼロリスクを求めること。今の医学情報や常識が絶対的に正しいと考えていること、などなど。これらの問題はコロナ騒動において表面化しただけであって、実はずっと私たちの社会を少しずつ蝕んできたのです。

  

私は高崎さんや森田さん、またはケアカレの先生たちなど、素晴らしい医師や看護師もたくさんいることを知っていますから、医療を全否定するわけではありません。昔に戻ってもらいたいとと思っているわけでもありません。ただ私たちはこれからの高齢社会を生きるにあたって、医療の話は鵜呑みにすることなく、話半分にして聞いて、残り半分は自分で調べたり考えたりしてみることが大切だと思います。その薬や検査、手術は本当に必要なのか?と疑ってみる。セカンドオピニオンも良いと思いますし、医師と本音で話してみることも大事です。医療サービスを受ける私たちも賢くならなければならないのです。それが私たちが家畜にならない唯一の道なのではないでしょうか。

 

そして、医療と介護はつながっていますので(動くお金の規模は全然違いますが)、この先同じようなことが介護の世界にも当てはまるはずです。医療の悪い部分は反面教師として、介護はいつまでも利用者に寄り添っていけたらと願います。

2022年

6月

06日

感受性が強い

5月短期クラスが無事に修了しました。今年の4月から介護の業界に入って新しく仕事を始めるという新卒の方々も多く、比較的年齢層が低いクラスでした。若い人たちが多いクラスは(恥ずかしがり屋なのか?)リアクションが静かなことが多く、そのあたりを心配したのですが全く問題なかったです。「感受性の強い生徒さんたちでした」と小野寺先生がおっしゃっていたように、彼ら彼女たちならではのフレッシュな感覚を持って臨んでくれたのだと思います。そう考えると、介護の世界の入り口としての介護職員初任者研修は改めて大切だと感じます。どのような研修を受けるかによって、最初の一歩の方向性も踏み出し方も違ってくるからです。そして数年後には、その違いは大きな差となって現れてくるはずです。

 

生徒さんのひとりが、実技テストが終わったあと、「湘南ケアカレッジは技術ができる・できないではなく、人間性を見てくれるのが良かった」という主旨のコメントを言ってくれました。ひとり一人の生徒さんたちを見ようという私たちの気持ちが伝わっているのだと嬉しく思ったのと同時に、介護の世界にせっかく入ってきてくれた人たちをできる・できないで評価することで潰してしまうのは本当にもったいないと思いました。

 

現場に行くと、どうしてもできる・できない軸で評価されてしまいがちで、経験のない人や不器用な人はできない人として扱われてしまいます。できなくて当たり前なのですが、一旦できない人のレッテルを貼られてしまうと、それを自分で剥がすことは案外難しかったりします。ほんとうはできるのに、できないと思い込んでしまって、介護の仕事を辞めてしまう人のなんと多いことか。

 

教育に携わる先生方もそうですが、介護や医療等の対人援助職は特に、8割はこころが大切な仕事ですから、技術や知識よりもまずは人間性が重要なのです。根底に相手に対する思いやりや想像力、献身的な気持ちがあって、その後に知識や技術はついてくるものです。知識や技術もなければこころもないのは論外ですが、たとえ知識や技術はあっても、肝心のこころを失ってしまえば利用者さんからすれば害にしかなりません。最初は人間性ありきなのです。だからこそ、教育の場も介護の現場も人間性の良さを引き出すように心掛けるべきですね。介護の世界に入ってくる人たちは、必ず素晴らしい人間性を持っていますので、それを信じて見守っていってもらいたいと願います。

 

 

最後にテストが終わってから、自身が映っているクオカードをくださった生徒さんがいました。彼女は女子競輪で賞金女王に輝いたあと引退して、介護の世界に入ってきてくれたそうです。そのようなバックグラウンドを持っているとは露知らず接していましたが、これから保護犬と障害者のグループホームを掛け合わせるような事業を始めたいとのことで、彼女なら必ず成し遂げてくれるはずです。サービス管理責任者を探しているそうですので、手伝ってみたいと思った方はケアカレまでご連絡ください。彼女は最後に「研修を受ける前は、介護の世界って、学生のときに職場見学に行ったときの暗いイメージがあったのですが、研修を受けたあとは、全く違うんだなと見方が変わりました」と言ってくれました。「世界観が変わる福祉教育を」提供することを理念として、湘南ケアカレッジは開校しましたので、10年目にもそう言ってもらえると素直に嬉しいです。ありがとうございます。

2022年

5月

29日

病めるときも

実務者研修の医療的ケアの授業の最後に、看護師の先生が生徒さんたちへのメッセージの中で「皆さん、幸せですか?」と問いかけました。自分が幸せでなければ、対人援助職として相手を幸せにすることはできないことを伝えたかったのだと思います。その後の打ち上げと称する飲み会にて、その裏話を聞かせてもらいました。

 

先生の勤める病院にて、ある看護師さんを採用するかどうか迷っていたとき、看護部長が「幸せですか?」と尋ねたころ、その看護師さんは迷った挙句、「幸せではないかもしれません」と答えたそうです。結局、その看護師さんは採用しなかったそうですが、先生はその問いかけは深いなと思ったという話です。先生や看護部長がその看護師さんに漠然と抱いていた、ピンと来ない感じの正体はそこにあったということですね。

 

その話を聞いて、別の先生が「僕も初任者研修の医学の授業の中で『自分が健康でないと良い介護や支援はできない』と話しています」とおっしゃいました。先生がここで言う健康とは、身体の健康でもあり、心の健康のことでもあると思います。医療や介護に携わる対人援助職は、心身ともに健康であり、幸せでなければならないのです。

 

そのやり取りを受けて、「そういえば、村山さんも毎月のお手紙の中にそのようなことを書いていませんでしたっけ?」とまた別の先生が私に話題を振ってくれました。自分が書いたことは意外と忘れてしまっており(笑)、その場では「書いた記憶があるような、ないような」とお茶を濁しましたが、あとから見直してみると、「ハッピーピープルメイクハッピーホース」のたとえを使って数か月前に書いていました!

 

介護職や看護職などの対人援助職は、利用者さんを健康で幸せにするために、まず何よりも自分自身が健康で幸せでいなければなりません。自分が健康ではないのに相手を支えることなどできませんし、自分が幸せだからこそ、相手を幸せにすることができる。つまり、施設や病院の運営的な視点としては、心が健康で幸せなスタッフを採用することから始まり、今いる介護や看護に携わるスタッフを幸せにすることが、利用者さんや患者さんを幸せにする近道になるということですね。

 

それでも、と私は思うのです。介護職や看護職も人間ですから、幸せなときもあれば不幸せなときもあるはずです。健やかなときもあれば、病めるときもあるでしょう。楽しい時期もあれば苦しい時期もあるはずです。誰の人生にも良いことも悪いことも起こります。幸せではないとき、病めるとき、苦しいとき、対人援助職に就く私たちはどうすれば良いのでしょうか?そんなときでも、ほとんどの人たちは仕事を休むわけにもいかず、働き続けなければならないはずです。

 

私にも仕事で苦しい時期が何度かありました。たとえば、三幸福祉カレッジで働いた5年間のうち半分の2年半は、神奈川県内に20近い教室を立ち上げて回していく仕事を一手に引き受け、手が回らずにミスやアクシデントが多発し、上司からは責められて、部下には辛く当たらざるを得ない苦しい状況が続きました。事務所に戻ると周りは敵ばかりだと感じていました。早朝から終電まで、日曜祝日もなく働き詰めて、家に帰っても3時間ほどしか睡眠が取れず、心身ともに限界を感じていました。ヘルパー2級取得ブームが去り、横浜支社が解散したことをきっかけに私は解放されたのですが、あと少し長くあの状況が続いていたら、さすがに危なかったかもしれません。

 

あの2年半、私はどう考えても健康ではなかったし、幸せでもありませんでした。外から見てもそう思えたはずです。仲の良かった部下にも、「あの頃の村山さんはピリピリしていて怖かったです」とあとから言われたこともあるほどです。当時は仕事を辞めるという選択肢はなかったですし、とにかく目の前の業務に対応することだけで精一杯の毎日でした。あのときの私が「幸せですか?」と聞かれたら、「全然幸せではありません」と答えるしかなかったはずです。自分が幸せでなければ、相手を幸せにはできないよと言われたら、たしかにそうですねと口をつぐんだと思います。

 

不幸せで不健康で苦しかった、あの時期の私にも救いはありました。先生方には可愛がってもらい、困ったことがあれば優しく助けていただきましたし、私の心身の健康をいつも心配してくれる母親のような先生もいました。生徒さんたちと話すのも楽しかったです。大げさかもしれませんが、教室に行って先生方や生徒さんたちと関わる時間だけが唯一の幸せな時間でした。あの頃、私は幸せをもらっていたのです。

 

 

病めるときも、不幸なときも、苦しいときも、私たちにはきっとあるはずです。そんなときは、無理をすることなく、相手から幸せにしてもらって良いのではないでしょうか。介護や看護に携わるスタッフも、利用者さんや患者さんから元気にしてもらうことも多いはずです。それはお互いさまであり、一方通行でなくても良いと思います。そして、いつか自分が幸せで健康になったとき、今度は自分が相手にとっての幸せをもたらす存在になれば良いのです。

2022年

5月

14日

新卒の方々を預かる

今年は新卒の人たちが多く介護職員初任者研修に参加してくれています。新卒の採用に力を入れる施設や事業所が増えたのかもしれませんし、ぜひ湘南ケアカレッジで最初の研修を受けさせたいと思ってくださっているのかもしれません。いずれにしても、まだ10代のこれから社会に飛び出そうとしている若者たちの一歩目の教育ですから、最高の学びの機会にしたいと心から願っています。「ケアカレで介護職員初任者研修を受けたスタッフは楽しそうに長く仕事を続けてくれるよ」と施設や事業所からも言ってもらえると嬉しいですね。

私たちが、介護職員初任者研修が大事だと思うのは、介護の世界への入り口の教育の場であるからです。現場で働いていくにつれて、少しずつ考え方や気持ち、取り組みは変わってしまうこともありますが、最初の教育の方向性を間違うと最終的には大きく誤った場所に行ってしまうことも確かだからです。逆に言うと、最初を間違えなければ、最終地点も大きくは間違わないということです。介護の仕事を少しでも長く続けてもらうためには、知識や技術のみならず、介護に対する考え方が大事なのです。せめて正しい考え方だけでも(特に新卒の方々には)伝わるといいなと思います。

 

私たちが思っているよりも初等教育は重要です。何も知らないうちに、Aという間違った方向を示されてそこに向かってしまうと、たとえBという方向が正しいとあとから分かっても、なかなか引き返せなくなります。誰もが同じ地点を目指す必要はないのですが、せめて同じ方を向いていないと、あとから軌道修正するだけでは足らず、世界は混乱してしまいます。たとえば、今の日本の異常な感染症対策は、テレビなどのマスコミで用いられる専門家や医師たちが初期の段階から完全に間違った方向に導いてしまったことに端を発しています。介護の世界でも、措置の時代から自立支援の考え方が芽生えるまでに数十年の歳月がかかりました。

 

知らないことも怖いことです。私たちは社会に出て仕事を始めてしまうと、同じことの繰り返しをしてしまう(それを安定と考える)傾向があるので、あきれるほどに知識や技術のアップデートをしなくなります。一番勉強したのは高校受験のときなんて言う方も多いのではないでしょうか。介護の世界は、介護福祉士を受けるときに実務者研修と筆記テストのために勉強しなければならないのでまだましですが、ほとんどの仕事においては自ら学ぶ必要もないことが多いはずです。

 

そうなると、初等教育で教えてもらわなかったことは、一生知らないで過ごすことになりかねません。職場の同僚や知り合いなどが教えてくれたらよいのですが、彼らも同様に知らなければ教えようがありません。たとえば、ホームヘルパー2級の時代に資格を取った人たちは、ボディメカニクスという言葉や概念を教えてもらっておらず、おそらくずっと持ち上げる介護をすることになるはずです。教えてもらっていないということは恐ろしいのです。

 

 

私たちの介護職員初任者研修で教えていることが全て正しいとは思いませんし、将来的に新しい知識や技術が更新されていくこともあるでしょう。それでも、介護に対する考え方や向き合い方の方向性としては、正しい方向に導くことができていると自信を持って言えます。それは生徒さんたちが研修を修了したとき、「自分が思っていた介護のイメージとは全然違った」、「介護の仕事をするのが楽しみになった」、「何かあったときまたケアカレに戻ってきます」と言ってくれて、笑顔で卒業してくれることからも分かります。新卒の方々を教えさせてもらうことは責任が重いのですが、ひとりでも多くの生徒さんたちの背中を正しい方向に押してあげたいなと思います。

2022年

5月

05日

思いやりのススメ

最近、良い映画はネットフリックスの中にあって、映画館ではほとんど公開されなくなってしまいました。映画好きの私としては、映画館に行って映画を観たいというのが本音ですが、時代の流れには抗えませんね。映画「思いやりのススメ」もネットフリックスで観ました。原題は「FUNDAMENTALS OF CARING」なので、直訳すると「介護(ケア)の基本」。さすがに硬すぎるタイトルだと思って変更したのでしょうが、それにしても「思いやりのススメ」はないなあと思いました。内容を観た上では、「アロハ(ALOHA)」の方が良いのではないかと思います。ALOHAとは、映画の冒頭に登場するアメリカの介護の学校で教えられる概念。介護者として長く続けていきたいならば大事にすべき「Ask(尋ねる)、Listen(聴く)、Observe(観察する)、Help(助ける)、Ask again(再び尋ねる)」の頭文字を取ったものです。

アメリカではどこの学校でもALOHAと教えられているのか分かりませんが、とても分かりやすくて本質的だと思いました。まずは相手に尋ねるところから始まり、相手のことを聞き、相手を観察し、それから助ける。助けることが前提にあると、どうしても私たちの思い込みや押し付けが先行してしまって、勝手な介護に陥ってしまうということです。介護者の自己本位な介護ではなく、介護される側が何を求めているのかを知るところから全ては始まる。「Ask(尋ねる)」→「Listen(聴く)」→「Observe(観察する)」→「Help(助ける)」のサイクルを回したら、「Ask again(再び尋ねる)」に戻ってまた始めるのです。

 

 

ピンときた先生もいらっしゃると思いますが、ケアカレの提唱する「出来ていること、出来ていないことを見分ける→出来ていることを褒める・認める→出来ていないことを教え、やってみせる→やってもらう→褒める・認める」というサイクルと近い発想ですね。出来ていないことを教えるだけでは、相手のニーズに応えられないということです。

この映画の伝えたかったことは、ALOHAのサイクルはあくまでも心構えであって、最も大切なのは介護される側とする側の人間関係だということはないでしょうか。分かりやすく言ってしまうと、介護する側とされる側が対等(フラット)な関係でなければならないということ。主人公のトレバーは筋ジストロフィーを患っていて、新しい介護士を探す中、面接に現れた元小説家であり新米介護士のベンに対して、こんな質問をします。

これに対して、ベンは一瞬ためらった後、トレバーの目を真っすぐに見ながらこう答えました。

お互いの間にしばらくの沈黙が流れたあと、トレバーは「合格」と言って立ち去りました。トレバーはベンならば対等(フラット)な関係を築けると感じたのでしょう。可哀そうだから介護をしてあげるという上からでもなく、仕事としてだからお客様は神様的に奉仕する下からでもなく、介護される側もする側も対等(フラット)な関係でいたいというのが切なる願いだったのです。

 

トレバーの見込みどおり、端からみるとかなり乱暴なやり取りもあったとしても、ときには友人として、ときには父と子のように、人が人として認め合う対等(フラット)な関係をふたりは築いていきます。これまでは家から一歩も外に出なかったトレバーを旅に連れ出し、その道中で新たな出会いも生まれ、カーチェイスも銃撃戦もドラッグも出てこないのですが、地味ながらも心の交流が楽しめる映画でした。

 

対等(フラット)な関係を築くことは、案外難しいものです。私たちは社会的な動物ですから、どうしても自分と相手の位置づけや年齢、経歴、性別、外見、国籍などを踏まえて、自分の役割を演じてしまいがちです。そこに偏見や無知などが加わると、変に上から目線になったり、変に卑屈になったりと、どうしても相手と対等(フラット)な関係を築くのが難しくなってしまいます。とはいっても相手のことを知らずに関係性を築くのは難しい以上、どうすれば対等(フラット)な関係を築けるかというと、友だちになろうとすることだと私は思います。それは馴れ馴れしくするとか、タメ語で話すとかそういうことではなく、心を開いて仲良くなろうとすることです。そう考えると、意外に簡単なことに思えてきませんか。

 

 

対等(フラット)な関係を築くことは、介護する側とされる側の間の問題だけではなく、これからはどのような人間関係においても必要とされてくるのではないかと私は思います。もちろん、介護の学校でも同じです。先生と生徒さんという、教える側と教えられる側の間にも対等(フラット)な関係を築く必要があります。少し昔までは、先生と生徒という明確な立場の違いが成立していましたが、知識や情報などは溢れている今はそういう時代ではなくなってきました。結局のところ、関係性が対等(フラット)でなければ、伝わるものも正しく伝わりませんし、間違って伝わってしまうものです。何をどう教えるかよりも、まずは相手と対等(フラット)な関係をどのように築いていけるかの方が、私たち教える側にとっても大きな意味と価値を持つのです。いつも生徒さんたちと対等(フラット)な関係を築いてくださっている先生方に感謝します。

2022年

4月

22日

物を大切に

湘南ケアカレッジは今年度で10年目を迎えます。いわゆる10周年というやつです。おそらく先生方もそう感じていると思いますが、あっという間の9年間でした。約10年ってこんなに速く過ぎてしまうのというのが実感です。それだけ先生方と一緒に良い学校をつくろうと頑張ってきた、ということだと思います。この場を借りて、最大の立役者である先生方はもちろん、この9年間でケアカレに来てくれた介護職員初任者研修や実務者研修の卒業生さんには感謝します。ありがとうございました。

 

 

さすがに9年経つと、カーテンが壊れ始めたり、ベッドのキャスターを取り換えなければならなかったり、机の傷が目立ち始めたりしていますが、それでも毎日使っているわりには大きな破損や故障もなくここまでやってこられました。そもそも当校の物品は、中古を用いていることが多く、耐用年数でいうととっくに壊れてしまっても仕方がない面があります。にもかかわらず、ここまでもったのは、先生方や生徒さんたちが物品を大切に扱ってくれているからだと思います。

物は壊れてしまったら取り換えれば良い話ですし、形あるものはいつか朽ち果ててしまうものですが、物を大切に扱ったその結果、物が壊れにくいことはとても大切なことだと私は考えています。なぜかというと、物を大切にする気持ちは人を大切にする姿勢と共通していますし、また物が壊れないことは、人の心を壊さないことにつながるからです。

 

このことに気がついたのは、子どもの教育にたずさわっていたときでした。私が教室長になって2年目に、新入社員としてHさんが入ってきました。彼は理系の大学院を出たばかりの人懐っこい人物でしたが、私が気になっていたのは、彼がよく物を壊すことでした。もともと壊れやすいものであったり、壊れかけていたところをたまたまタイミングが悪かったケースもあったかもしれませんが、彼が触れたことをきっかけに物が壊れてしまうという現象がよくありました。

 

「すいません、これ壊れてしまいました」と彼が申し出てくるたびに、「仕方ないな」と返していたのですが、あまりにも彼ばかりが物を壊すので不思議に思って行動を観察してみると、ひとつ一つの行動が少し乱暴なのです。ドアを閉めるとき、えんぴつを鉛筆立てに差すとき、コピー機に用紙を入れるとき。彼はまったく意識していないと思いますが、私からするとやや乱雑なのです。大ざっぱな私でさえそう思うのですから、丁寧な人から見ればかなり雑に思えたかもしれません。そうした積み重ねがきっかけとなり、ある瞬間に、物が壊れるのでした。もう少し優しく置く、もう少し丁寧に持つ、もう少し待ってから閉める、などができれば良いのにと思いました。

 

物が壊れるだけなら仕方ないと思っていましたが、しばらくして問題はそこではないことに気づきました。彼が入社して半年ほど経った頃から、「H先生にこんなことを言われた」、「H先生にこんなことをされた」など、子どもたちからHさんに対する苦情が出るようになりました。子どもたちは好き嫌いに素直ですから、生理的に受け付けないとかそういう先生に非がない場合は別に考えなければならないのですが、よく話を聞くと、彼の方に非があるのではと思うことが増えてきました。身体を触るなどはもちろんタブーですが、それ以外にも、彼は彼なりの論理や伝え方で生徒に話していても、その言葉や行動が子どもたちの心を傷つけてしまっていることが多かったのです。

 

私はそこで、彼が触れる物がよく壊れる現象と生徒さんたちの心が壊れる現象が結びついたのです。なるほど、乱暴に接すると物も人の心も壊れるのだと。そのことを勇気を持って彼に伝え、彼も理解してくれて、まずは物を大切に扱うことから始め、少しずつですが生徒からのクレームも減ってきました。彼とは数年しか一緒に働けませんでしたが、それは私にとっても彼にとっても大きな気づきだったと思います。

 

 

人のこころというのは見えにくいものです。素直に気持ちや感情を示してくれる子どもと違って、大人は本心を隠すことができますし、ウソをつくことができるのでより見えにくくなります。傷ついていてもそう言ってくれることは少ないですし、お互いに知らぬまま知らせぬまま、時が癒してくれることなど当たり前の日常なのではないでしょうか。人間同士が共に生きている以上、考え方や意見は異なるでしょうし、互いに傷つけたり傷つけられたりすることがあっても良いと私は思います。お互いさまです。それでも必要以上に人の心を傷つけることはありませんよね。自分が何かをして物が壊れてしまったときは要注意です。もしかすると、物だけではなく、知らずのうちに誰かの心を傷つけてしまっているかもしれないというサインです。もう一度、穏やかな気持ちになって、たとえ相手が物であっても、優しく丁寧に接してみましょう。

2022年

4月

12日

新しいことが始まる

3月短期クラスが無事に修了しました。4月から介護の現場で働く新卒の人たちや外国人の方々など、年齢や性別を超えた多様な生徒さんたちが集まり、楽しい雰囲気で研修は行われました。普段の生活では決して出会うことのない人たちと一緒に学ぶ体験は、これから介護の仕事に就くにあたっても必ず役に立つことでしょう。実は介護職員初任者研修のクラスは介護現場の縮図でもありますから、自分とは大きく異なる背景や障害、個性を持つ他者との間に壁をつくることなく、受け入れて共に歩むことができた経験は大切にしてもらいたいですし、そうした差別心や偏見のない人たちこそが介護の現場には必要なのです。研修の最終日には、メッセージ入りの桜の木の模型をいただきました。湘南ケアカレッジにとって10年目の桜でもあります。新しいことが始まる春のシーズンですね。

最終日に打ち上げが行われ、参加者の中から、「明日からさっそく(介護の)仕事ですよ」という声が多く聞こえました。学生さんで4月から新卒として社会に飛び込む方もいれば、これまでに介護の仕事は経験しているけれど4月から新しい職場に移って働くという方もいました。新しい仕事を始めるにしても、新しい職場で心機一転頑張るにしても、何かにチャレンジすることになるはずです。本人は緊張するでしょうし、慣れないうちは大変な思いもあるはずですが、端から見れば、それもまた人生の1ページであり、挑戦している人たちは輝いているなと思えるのです。

 

新しいチャレンジをしようとする生徒さんから刺激を受け、翌日から始まる4月短期クラスの準備をしていると、ふと9年前のことが思い出されてきました。湘南ケアカレッジを立ち上げ、初めての4月短期クラスの準備をしていたとき、本当に明日、生徒さんたちや先生方は来てくれるのかな、と心配で仕方なかった記憶が今でも鮮明に残っています。もしかすると、結局、誰も来なかったなんてことが起こり得るのではないかと不安に駆られながら、テキストやガイドブックを人数分、机の上に置いて準備しました。今は懐かしい思い出ですが、あのときは何もかもが不安や心配ばかりで刺激的でした。

 

 

4月から新しい学生生活や仕事が始まる人は多いはずです。新しい環境や人間関係に飛び込むと苦労もあると思いますが、その分、新しい自分が発見できますし、新しい出会いが生まれます。4月になって桜が咲いても、何も変わらないのはつまらないものです。変わらずに美しいのは自然だけ。何も起こらないよりも、何か起こる方がずっと人生は素晴らしい。私も何か新しいことにチャレンジしてみたいと強く感じました。

2022年

4月

04日

この仕事に向いているのかどうか?

介護職員初任者研修を受講される生徒さんたちのほとんどは、「介護の仕事は自分に向いているのだろうか?」と思いながら授業を受けているはずです。なにせ初めての世界に飛び込んだわけですし、まだ知らないことだらけで、実際に利用者さんたちと関わったこともないのですから、その心配や不安は当然ですね。もしかすると、実務者研修を受けに来てくださっている生徒さんたちも、「自分には介護の仕事が本当に合っているのだろうか?」と疑問に思っているかもしれません。介護の仕事を何年か続けてみたものの、自分に向いているのかどうか分からないという介護職の方々は実は多いはずです。

その仕事に向いている・向いていないは、とても曖昧なものです。自分では向いていないと思っていても他者から見ると向いていると思えたり、ある環境においては向いていなくても環境が変わると向くようになったり、最初は向いていなかったのに時間をかけて続けることで向いてくるようになったりと、絶対的な向いている・向いていないは存在しないのです。

 

それでもあえて指標を挙げるとすれば、介護職員初任者研修を15日間受けて修了することができれば、介護の世界には向いていると私は思います。介護職員初任者研修を最後まで受けることができず、途中で来なくなってしまう生徒さんが年間でひとりかふたりはいますので、たしかに介護の世界が全く合わない人はいます。そういう人は、別の世界で活躍すればいいのです。介護職員初任者研修を無事に楽しく修了できたなら、あなたは介護の世界には合っているので大丈夫です。

 

もうひとつの指標としては、これはどの仕事にも当てはまりますが、ある程度、長く続けることができるということは、その仕事が合っていると考えた方がいいです。そういう意味では、介護の仕事を続けて、実務者研修まで修了できたなら、あなたは介護の仕事を十分にやっていけるはずです。介護福祉士を受験するための介護経験が最低3年以上に設定されているのは良いと思いますし、逆に言うと長く続けていれば、自分がその仕事に合ってくるということでもあります。

 

私は介護の学校を始める前に、塾で子どもたちを教える仕事に5年以上たずさわっていました。実を言うと、私は教育の仕事自体は好きなのですが、子どもたちに教える仕事は合っていないのではとずっと思い悩んできました。教室長をやりながらも、自分はこの世界に向いているのか分からなかったなんて、周りの人たちは誰も思わなかったでしょうね(笑)。今から思えば、5年以上も続けていたのだから合っていたのだと思いますし、環境が変わればもっと活躍の場もあったはずですが、どうにも行き詰まりを感じていたのを覚えています。

 

あの時代に必要だったのは、「あなたはこの仕事が向いているよ」、「あなたはこの仕事に合っていると思う」という他者からの言葉や評価だったのではと思います。それは上司からでも、同僚からでも、後輩からでも良かったのです。私は自分のできないところや不得意な分野にばかり目を向けて、自分は向いていないと考えていましたが、誰かが私のできること、得意なことを見てくれて、そこにスポットを当てて褒め・認めてくれていたら、私の認識も少し変わったのではないかと思うのです。

 

 

他者からの言葉や評価は、想像以上に価値があるのです。その仕事に向いているかどうかなんて、誰にも判断できませんし、考え方次第で変わってしまうものなのですから、だとしたら「あなたは介護の仕事に向いている」と伝えてあげる方が生徒さんたちを幸せにするのではないかと思います。何が言いたいかというと、介護の学校や先生方の仕事の意義のひとつに、「あなたは介護の仕事に向いている」と伝え、自信を持ってもらうことがあるということです。ケアカレの卒業生さんたちには、自分は介護の仕事に向いていると思って働いてもらいたいですし、その自信は利用者さんたちを幸せにしますし、いざという時に自分を助けてくれるはずです。

2022年

3月

27日

合格おめでとうございます!

「介護福祉士に合格しました!」という電話やメールをいただいたり、わざわざ教室まで足を運んでくださる卒業生さんたちもいて、今年も最高の介護福祉士合格発表日になりました。介護福祉士合格は、介護職員初任者研修から実務者研修、そして筆記試験対策講座とつながる流れの集大成であり、卒業生さんたちだけではなく、私たちにとっても1年のうちで晴れやかな1日となります。直接お会いできないのはとても残念ですが、こうして声を聞けるだけでも嬉しく思います。皆さん、おめでとうございます!

 

コロナ騒動が起こる3年前までは、合格発表日に祝賀会を行い、皆で集まって飲んだり食べたりしていたのは、合格した卒業生さんを祝いたいという気持ちはもちろんですが、先生方にもその気持ちを共有してもらいたいと考えていたからです。自分たちが教えてきたことがどのように伝わって、生徒さんたちはどのように学び、合格して、感謝の気持ちを抱いているのかを直接知ってもらいたかったからです。卒業生さんたちは合格して喜んでいました、と言葉だけで伝えるよりも、直接話をすることで、より多くのことが分かるからです。教えることの意義や責任を味わってもらいたいと願いました。

 

私が子どもの教育にたずさわっていた頃、新卒の先生や学生のアルバイトの先生の中には、ただ勉強を教えているだけで、生徒さんたちと同じゴールが見えていない先生が少なくはありませんでした。自分たちも学生の頃は合格を目指して勉強していたことを忘れてしまい、今目の前の生徒さんがどういう気持ちで勉強しているのかピンと来ないで、ただ決められた科目の内容を決められたように教えているだけ。そうすると、先生自身もイマイチやる気が湧かないし、それは生徒さんにも伝わり、温度差を感じ取られてしまいます。先生は冷静でなければならないのですが、生徒さんに冷めていると思われるようではならないのです。

 

そういう新卒やアルバイトの先生たちも、1年に1度の合格発表の日に、自分の担当していた生徒さんたちの喜ぶ姿を見て、感謝の言葉を直接受けることで、何かを感じ取っていきます。今までは点でしかなかった教えるという行為が、1年を通して線としてつながっていくような感覚でしょうか。自分の仕事の意義を体感できる瞬間です。その瞬間を味わうことで、その先生たちは少しずつ変わっていくのです。

 

 

湘南ケアカレッジでは、介護福祉士筆記試験対策講座がスタートしてからの数年間、合格祝賀会ができて良かったと今になっては思います。もしコロナ禍において筆記試験対策講座がスタートしていたら、一度も合格祝賀会を先生方は味わうことなく、この先ずっと教えていかなければならなかったからです。今後の見通しとして、日本において人々がコロナ恐怖症を克服してもとの日常に戻るのは難しいと私は思いますが、いつかそんな時代が訪れて、合格祝賀会を楽しく開催できる日が来ることを心待ちにしましょう。

お心遣いありがとうございます。先生たちと一緒に食べますね!

2022年

3月

18日

外国の方と働く

湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修は、1クラスにひとりかふたりは日本語以外を母国語にする方が参加していますので、今までにおよそ200名近い方が無事に修了した計算になりますね。中国やフィリピン、ペルー、ネパール、ベトナムなどで生まれ育ち、日本に住んで介護の仕事をしている、もしくはこれから始めるという人たちです。母国語ではない言葉で行われる研修に飛び込んで、15日間、日本人と一緒に学ぼうとするチャレンジ精神は素晴らしいと思います。私だったら、外国語で書かれたテキストを読みながら通信添削課題をこなしたり、外国語で話される授業を聞き続けることができるかと想像すると、けっこうキツイかもと尻込みしてしまいそうです。

彼ら彼女たちは総じてフレンドリーで、介護職向きの寛容なパーソナリティを持っていると思いますし、私たちと違う文化や背景を知っているという特徴もあります。介護は対人援助職ですから、他者の多様性を受け入る必要性があります。自分たち自身が日本においてはマイノリティになりますから、そういった意味では、他者は自分とは違う人間であることからスタートできる。こうあるべきとか、こうでなければならないという押し付けが少ないのではないでしょうか。それは対利用者さんだけではなく、共に働くスタッフに対しても同じです。逆に私たち日本人も、外国の方たちと一緒に働くことで、多様性を受け入れることを学んでいけるはずです。

 

介護の現場でも介護職員初任者研修でも、外国の方がいることは当たり前の時代ですし、そのことはプラスに働くと私は思っています。たとえ日本語がたどたどしくても、むしろ言葉が苦手であるほど、周りの日本人に教えてもらおうと頼ってくれますし、また日本人も何とかサポートしようとします。一人ひとりが自立して、自分で何でもできてしまう人たちの集まりはスムーズかもしれませんが、そこに助け合いは生まれません。できないことがあったり、苦手な分野があるからこそ、それぞれが補い合う相互扶助の関係性の中で、私たちは他者が多様な存在であることを無意識のうちに学んでいくものです。外国の方がいるクラスの方が、結果的にクラス全体がまとまりやすかったりしますね。

 

とはいっても、外国の方が介護の現場で働く上で、ある程度は日本語が使えるようになるべきですし、最低限は知っておいた方が良い言葉あります。なんだかんだ言っても、外国の方にとって言語が働く上で最も高いハードルになることはたしかです。そして、言葉を修得するには時間が掛かるのです。私は2年間、中国語を勉強しましたが、まともに話したり聞いたりできるようにはなりませんでした(笑)。だからこそ、日本語を話せる(話そうとする)外国の方々を素直に尊敬します。

 

 

そんな外国人のために、「介護の日本語教室」が町田市主催で行われていることを最近知りました。対象は、町田市で介護の仕事をしたい人か町田市内の介護施設で働いている人だそうです。オンラインでも学ぶことができますし、会場(町田市民フォーラム)に集まって一緒に学ぶこともできます。しかも受講料は無料。これは素晴らしい取り組みですね。湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修や実務者研修に参加していて、町田市に住んでいる外国人がいたら、おすすめしたいと思います。

2022年

3月

08日

働く幸せとは

今月7日に誕生日を迎え、47歳になりました。前日の日曜日クラスでは、授業の最後にお祝いをしてもらいました。いつもは自分が祝う側ですが、祝われる側になってみて、恥ずかしくもありがたい思いを毎年味わっています(笑)。先生方からお祝いの品をいただき、今年はずいぶんと小さいなと思っていたら、リボンをほどいてみるとなかなか豪勢でした(中身は内緒)。メッセージカードも入っていました。生徒さんたちが笑顔で通って、卒業生してからも笑顔で帰ってきてくれて、先生方も笑顔で教えてくれる場所になっていることを嬉しく思いつつ、笑顔あふれる生徒さんたちや素晴らしい先生方と一緒に仕事ができて私も幸せです。

湘南ケアカレッジを開校する前に、私もいくつかの仕事を経験して、どのような人たちと共にどのような関係性で働くのかはとても重要だと感じていました。仕事の内容はもちろんですが、それ以上に、仕事の対象者であるお客さんや一緒に仕事をする上司やスタッフが自分に合うのかどうかが大切だと思うのです。

 

たとえば、私は子どもの教育に学生時代のアルバイトを含めて10年近くたずさわってきましたが、子どもたちとずっと一緒にいると疲れてしまうことが時としてありました。子どもたちに合わせることは童心に戻ったようで楽しい面もあるのですが、それがずっと続くと疲れてしまうということです。その傾向は年齢を重ねるごとに強くなりましたし、一緒に働く先生たちも学生さんたちが多いため、同じように疲れてしまう瞬間がありました。

 

また、学生時代に国立競技場の清掃のアルバイトをしましたが、試合が終わった後に黙々と掃除をして終了という流れで、そこにはお客さんとの直接のやりとりはなくスタッフ同士の関りも乏しく、気楽ではありますが、他者とのかかわりが少ない仕事は長くは続けられないなと感じました。引っ越しの仕事や荷物の運搬の仕事は身体を動かせるのは良いのですが、一期一会の狭い世界で働いている気がして、自分の世界が広がっていく感じはしませんでしたね。唯一面白いと感じたのは、自分の好きな本を扱うブックオフの仕事ぐらいでしょうか。スタッフにも本好きな人が多かったです。

 

 

私が介護の学校の運営を生涯の仕事のひとつにしようと決めたのは、生徒さんたちは良い人ばかりで関わっていて楽しく、尊敬できる素晴らしい先生方と一緒に働くことができるからです。その仕事を長く続けようとすれば、仕事の内容と同じかそれ以上に、どのような人たちに囲まれて働くのかは極めて重要なのです。そのようなことを改めて思い出させてもらった今年の誕生日でした。皆さま、ありがとうございます。

2022年

2月

25日

ハッピーピープル・メイク・ハッピーホース

介護職や看護職などの対人援助職は、まず何よりも自分自身が幸せでいなければなりません。逆説的ですが、自分が幸せではないのに相手を幸せにすることなどできませんし、自分が幸せだからこそ、相手を幸せにすることができるのです。にもかかわらず、卒業生さんたちの話を聞いていると、現場で最前線に立つ対人援助職の人たちの幸せがずいぶん後回しにされている気がしてなりません。

 

 

相手を受け入れる姿勢は大切ですが、その前に自分たちが他者から受け入れられている必要があります。自分たちは認めてもらえていないのに、たとえお客様とはいえども、他者に寛容であり続けることはさすがに難しいのではないでしょうか。対人援助職は、聖人でも奴隷でもなく、ひとりの人間なのです。

対人援助職は評価の基準があいまいであるため、認められにくい面があるのはたしかです。営業や経営のように数値目標を設定し、結果が出る仕事とは異なり、何を以て達成や成功と言えるのかの基準があってないようなものです。対象者を幸せにできたかどうかが大切ですが、それを数値化することができないため、評価することが難しいのです。結果として、対人援助職はできたことや良かったことは認めてもらいにくく、できないことや失敗を指摘されて責められるようになりがちです。そんな仕事のあり方が続くと、対人援助職は自分のマイナス面にばかり目が行くようになり、次第に心を病んでいきます。そして、やりがいを感じられなくなっていくのです。

 

 

「ハッピーピープル・メイク・ハッピーホース」という言葉があります。これは日本の競馬界のトップトレーナーである藤澤和雄調教師が大切にしている言葉です。今から30年以上も前、若かりし藤澤和雄氏は、単身イギリスへと渡りました。偉大なイギリス人調教師プリチャード・ゴードン師のもとで、厩務員として修行を積むためでした。当時は調教師になる野望もなく、英語も満足に話せず、帰るべき場所もなかったので、一日中、馬と共に過ごしたそうです。馬だけは彼の下手な英語を笑わなかったと言います。将来が不安で、精神的に満たされぬ毎日が続きました。

「ハッピーピープル・メイク・ハッピーホース」

 

ゴードン師のその言葉に藤澤はハッとさせられました。知らぬうちに、ステッキを使ってズブい(鈍い)馬を怒りつけている自分に気づき、そして恥じたといいます。鍛えて馬を強くしようとするなんて人間のうぬぼれであり、馬を人間のペースにはめてしまうなんて人間の傲慢であると。人間にできることといえば、馬に十分な体力がつき、走る気が満ちるまで、笑顔で待つことぐらいなのです。彼は日本に戻り、「馬なり調教」という当時としては革新的な調教法で馬を育て、数々の名馬を誕生させました。

 

 

私たちは鏡となって、人だけではなく馬にさえ影響を与えるのです。特に対人援助職は、他者に大きな影響を及ぼす仕事です。それは人が人を教える教育においても同じです。他者を幸せにするためには、まず自分の心持ちが幸せである必要があります。そのためには、自分自身を大切にすることです。甘やかすことではなく、自分の気持ちや感情に素直でいること。共有できる仲間がいること。自分の心の健康状態を観察し、良い状態に保つこと。そして何よりも、互いに認め合える雰囲気や環境が必要でしょう。藤澤調教師の言うように、こうあるべきという自分のべき論に相手を当てはめるのではなく、うぬぼれや傲慢を捨てて、笑顔で待つことです。それを積み重ねることで、私たちは互いに幸せになっていくのです。

2022年

2月

20日

世界を見渡してみる

この数十年間で、世界は一気に近くなりました。それまでは外国に行けるのは一部の限られた人たちでしたし、海外に渡るには何日もかかり、飛行機も命懸けだった時代がありました。ところが、移動手段の高度化、高速化のおかげで気軽に外国を訪れられるようになり、またインターネットが普及したことで、直接外国に行かなくとも、世界のことを知ることができるようになったのです。自ら海外の情報を取ろうと思えばいくらでも取れる、視野を広げようと思えばいくらでも広げることができるのです。僕も2019年には念願のオーストラリアとフランスに行くことができ、世界が広がった気がしました。しかしコロナ騒動の影響で、今後は海外へ自由に渡航することができなくなってしまい、最近はYouTubeのライブで外国の街の様子を見ることにハマっています。

たとえば、アメリカのニューヨークや韓国のソウル、ベトナムのホーチミン、タイのバンコク、香港やマレーシアなど、おそらくGoproのような装着型のビデオカメラを付けた人が街中を歩きまわってライブ配信してくれているのですが、まるで自分がその国の日常に入り込んだような感覚になります。これまでは現地に行かなければ観られなかった日常の風景が、たとえヴァーチャルだとしても、リアルな情報として入ってくるということです。それでは、それぞれの国々の日常を体験してみましょう。

 

 

まずはアメリカのニューヨークです。

続いて、アジアに移動して、ベトナムです。技能実習生として、日本の介護の世界にも多くの人たちが来てくれていますね。

次はタイのバンコクです。今から20年以上前に旅行で行ったことがありますが、意外と街の雰囲気は変わっていないので安心しました。

次は韓国です。韓国のエンターテインメント産業のレベルは非常に高いですよね。

次は香港です。少し前から中国の統治を受け入れざるを得なくなってしまいましたが、現地の人たちはどのような想いで暮らしているのでしょうか。

最後はマレーシアです。かつてシンガポールに住む友人を訪ねたとき、マレーシアまで足を伸ばすか迷って、結局行かなかったのが悔やまれます。人生チャンスは一度だけですね。

パソコンやスマホの前にいるだけで、こうして世界各国の街を歩いているような臨場感を味わえるのですから、インターネットは素晴らしいですね。世界の街中を歩いてみて、気づいたことも多かったのではないでしょうか。特にパッと見た目で分かりやすいのは、日本と韓国は全員がマスクをしているのに対し、アジアの国々では誰もマスクをしていません。屋外ではもちろんのこと、屋内でも同じことです。民主党の政治力が強いニューヨーク州でも、マスク義務化は解除され、付けたい人だけが付けている現状ですね。私たちがテレビで観る海外の映像は、マスクをしているシーンしか切り取られていないので錯覚していますが、現実は全く異なるということです。日本では日常となった風景が、外から見ると異常ということです。良い悪いではなく、逆に海外の人からライブカメラで日本や韓国を見ると、マスクをつけたゾンビが歩いているようにしか見えないはずです(笑)。

 

なぜこのようなことになったのか考察してみると、もちろんあらゆる要因(テレビの偏向報道やシルバー民主主義など)が絡み合ってのものではありますが、同調圧力が強い社会の雰囲気なのだと思います。日本も韓国も「こうあるべき」という儒教的な教えが、遺伝子レベルまで浸透している国民性が似ています。最近、韓国ドラマをよく見ているので分かりますが、社会による押し付けの道徳心と自分のこうありたいという気持ちの葛藤に押しつぶされる様が、韓国人と日本人には共通しています。個人的には葛藤がありながらも、社会全体としては同じように振る舞うことをお互いに求める雰囲気が同調圧力社会を生むのです。自分自身が被害者でありながら、加害者でもあるという構造ですね。

 

 

国民全員総マスク化現象は、単なる同調圧力から生じたのではありません。さらに深層心理をたどれば、偏見や差別が強い人たちが社会の中に一定数いて、それらの人たちの圧力に大多数が屈してしまった結果だと思います。なぜマスクをすることが偏見や差別の象徴であるかは、以前にも書いたので省略しますが、偏見や差別とは、「無知を恐怖で炙(あぶ)ったもの」であるからです。感染症やウイルスに対して無知である人々を恐怖であおることで、人々の他者に対する偏見や差別心がマスクをするという形で表に現れたということです。差別はたいてい悪意のない人がするものなのです。少し視野を広げて世界を見渡してみると、自分たちの世界の中だけにいると知りえない自らの社会のおかしさや、偏見や差別心を感じるきっかけになるのではないでしょうか。

2022年

2月

14日

いろいろな人たちがいる

1月短期クラスが無事に修了しました。20代から60代までと年齢層も幅広く、男性も全体の3割ほどいて、様々な属性を持った生徒さんたちが集まって、仲が良く過ごしていた印象の強いクラスでした。どのクラスにも言えることなのですが、介護職員初任者研修のクラスは介護現場の縮図でもあります。他の業種の職場とは少し違うのは、自分とは“かなり”違った背景を持つ人たちと一緒に働かなければならないということです。でも心配しないでください。介護職員初任者研修のクラスの中で楽しめたなら、介護の現場でも同じようにやっていけるでしょう。

介護の現場では、年齢や性別などというカテゴリー分けはほとんど意味がなく、価値観や考え方、生まれ育ってきた環境、病気や障害の有無など、多様な背景を持った人たちを相手(利用者さん)にまたは一緒に仕事をしなければいけません。分かりやすく言うと、現場にはいろいろな人がいるということです。いろいろな人たちと共に、いろいろな人たちを対象にして仕事をするために必要なのは、自分とは違うものを弾かないことです。排除せず、なんとか受け入れて、付き合っていこうとする姿勢が大切ですね。

 

そういう姿勢を他者は見ているはずです。たとえば、ひとつ前のクラスに外国の方がいました。日本語が苦手ということもあり、最初はコミュニケーションもままならず、授業で言っていることも分からず、自宅でする通信添削の課題も難しい。私たちも少し心配しながら見ていましたが、ひとり積極的にコミュニケーションを取って通信添削課題を教えてくれる生徒さんが現れました。そうこうしているうちに、研修が進むにつれて次第にクラスにも溶け込んでいきました。もちろん修了もでき、最後の打ち上げにも参加するほど打ち解けてくれたのです。その打ち上げの席で、最初に積極的にサポートした生徒さんに対して、他のクラスメイトが「〇〇さんを助けている姿を見ていたよ」と尊敬の気持ちを伝えていました。

 

周りの人たちは、あなたがどうするのか見ているのです。受け入れるのか、上手く付き合うのか、それとも弾き出すのか。たとえ自分とは全く違う価値観や考え方、生まれ育ってきた環境、病気や障害の有無であったとしても、どこかに接点をつくって溶け込ませていく姿勢を見せるかどうか。職場においても、学校においても、あなたが他者の姿勢を見ているように、他者もあなたの姿勢を見ています。そして姿勢は連鎖します。あなたが弾けば、周りも弾き出します。あなたが受け入れたら、周りも受け入れようとします。あなたの周りの世界は実はあなた自身の姿勢がつくってゆくのです。特にリーダーと呼ばれる人たちの姿勢は、周りに大きく影響を与えますね。

 

 

多様な他者を受け入れていくことから始めて、いつかは彼ら彼女たちとシェアするところまで行ってみましょう。いろいろな人たちと共に生きるだけではなく、いろいろな人たちとシェアする世界です。モノだけではなく、コトや気持ちもシェアしていきましょう。佐々木先生が介護職員初任者研修の授業の中で話している、「分け合えば、喜びは2倍に、悲しみは半分に」ということです。今の介護の現場にはその精神が必要ですし、それができる人たちが介護の世界に集まっていると私は信じています。全てはあなたの姿勢にかかっているのです。

2022年

2月

06日

「他者と生きる」

コロナ騒動が始まった当初、感情的になることなく至って冷静に、まともな言論を貫いた学者は数少なかったのですが、著者の磯野真穂さんはその一人でした。本のタイトルにもあるように、リスクや病い、そして死を深く見つめつつ、他者と生きることはどういうことなのかを発信した記事は今でも記憶に残っています。命を守ることだけに社会が傾倒していったあの時期に、あの内容を書くにはとても勇気が要ったはずです。その勇気とあまりの正論にハッと気づかされた方は僕を含めて多かったはずで、彼女の学者としての株は一気に上がったと思います。今回この本の中では、コロナ騒動のおかしさを、真正面からではなくかなり回りくどく、しかし人類学者として鋭く斬ってくれています。

 

論点は多岐にわたるのですが、私にとって興味深かったものを2つほど挙げさせてください。ひとつは、「直接体験」と「情報体験」についてです。子どもからお年寄りまで、ひとり1台のスマートフォンを手にした私たちの社会には、ひと昔前と比べても圧倒的な情報が溢れています。かつては直接見たり聞いたりして体験しなければ知り得なかったことを、今は簡単に「情報体験」という形で知ることができるようになりました。

 

そういう時代には、「直接体験」と「情報体験」の区別がつかなくなっていきます。たとえば、極端な例ですが、外国に行ったこともないのに行ったことがあるような体験ができますし、北極で氷が解けていると聞けば、実際には見たことも体験したこともないのに事実だと思い込むようになります。人間の考え方やその人らしさは「直接体験」で形づくられていたものが、気づかないうちに「情報体験」に浸食されてしまっているのです。特に男性はその傾向が強く、対して女性は現実社会や自然に対する肌感覚を残している気がします。

 

量的にも質的にも「情報体験」が「直接体験」を凌駕してしまった時代が不気味なのは、情報を歪めたり操作することで、私たちの体験にも影響を与えることができるからです。「直接体験」は個別のものであり、大量生産ができないため、社会全体に影響を及ぼすことは難しかったのですが、情報は複製可能であり、私たち全員に対して一気に拡散することができるのです。単刀直入に言うと、テレビやヤフーニュースなどのマスメディアに乗せることで、私たちの「情報体験」をコントロールすることがどの時代よりも容易になったということです。ピンと来た方もいるかもしれませんが、そうです、「情報体験」ばかりして、現実社会との接点が少ない男性ほど騙されやすいということです(笑)。

 

もうひとつの論点は、時間をめぐる価値の問題です。人生は長さではなく、どう生きたかである。長く細くではなく、太く短く生きたいというセリフは良く聞きます。磯野さんはそこにもこんな問いを投げかけます。

 

「不慮の事故や病気で若くして亡くなった人の人生と100歳まで生きた人の人生を比べるとき、前者の方が短かったとは必ずしも言えないのではないか。35歳までしか生きられなかった人の生と85歳まで生きた人の生の長さがほとんど同じであること、場合によっては前者の方が長い場合もあるのではないか」

 

何を言っているのか分からないという方もいるでしょうから説明すると、磯野さんがここで指している長さとは、物理的な時間の長さではなく、関係論的人間観における時間の長さです。もっと分かりやすく言うと、人間は他者と関わりを持ったときに初めて存在が現れるのであって、どれだけの時間を他者と直接に関わったかが本当の意味でのその人の生きた時間なのではないかという話です。つまり、ネットフリックスを観て楽しんだ時間はあくまでも情報体験としての物理的時間であって、それは生きた時間ではなく、たとえ誰かといがみ合ったり喧嘩したとしても、その時間は人間として直接生きた時間ということです。

 

 

私たちはこの難しい時代をどのように生きるのか、考えなければならない段階に来ているのだと思います。他者と生きることは直接かかわることであり、そこにはリスクも存在しますが、それ以外に本当に生きる方法はないのではないでしょうか。ありもしないリスクをことさら誇張して私たちをコントロールしようとするなんて論外ですから、そうした情報体験の罠から抜け出すためにも、私たちは他者と直接交わり、喜怒哀楽を直接体験することで本当の生を取り戻す必要があるのです。

2022年

1月

30日

なぜ勉強しなくちゃいけないの?

「お母さんが勉強しすぎて、怖いぐらいです」

 

 

卒業生さんが、介護福祉士の試験勉強をしているお母さま(こちらも卒業生)について話してくれました。食事の時間以外はテキストや問題集とにらめっこ。話しかけるのもためらうほどピリピリしているそうです(笑)。お母さまは筆記試験対策講座にも通ってくれて、ミニテストも非常に良くできていたのですが、やはりそんなに熱心に勉強していたのですね。直前に過去問だけやって受かったみたいな話は良く聞きますが、実際には彼女のように合格したい一心で一生懸命に学んでいる人たちの方が多いのだと思います。だからこそ合格した喜びは大きいし、「先生方のおかげで合格できました!」と毎年嬉しい声が届くのでしょう。

私は定期的にテストを受けることに賛成派です。介護職であれば現場で3年間働いて、その後、介護福祉士になるためにはテストを受けます。テストを受けることが重要なのではなく、そのために勉強することに大きな意味があると思います。また、子どもたちも高校受験、大学受験と3年ごとにテストがあって、そのために勉強する必要があります。最近は、中高一貫校が増えてきたり、面接や論文だけで合格できるAO入試や推薦などで進学する生徒さんも多いのですが、せっかくの学びの時期がもったいないなと正直思っていました。さすがに毎年テストを受けるのは大変かもしれませんが、せめて3年に一度ぐらいは学びの時間をつくれると人生が豊かになるのではないでしょうか。

 

「子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?」という本があります。養老孟司さんや茂木健一郎さん、瀬戸内寂聴さんなど錚々たる8人の識者たちが、子どもたちにも分かるように、なぜ勉強しなければならないかを独自の視点で語っています。その中で、私がもっとも腑に落ちたというか共感したのは、福岡伸一さんという生物学者のお話です。

 

福岡伸一さんは、「勉強すれば『思い込み』から自由になれるから」と教えてくれます。ここでいう自由とは、ありのままの自分でいられることであり、その自由を奪うのが人間の脳のクセがつくりだす「思い込み」だというのです。あらゆる考え方や知識、情報を得ることで、こうしなければならない、こうであらなければダメだという自分の「思い込み」に気づき、私たちは自由になることができるというのです。怖いと思っていたことも知ることで恐怖心がなくなったりします。視野を広げるという意味でもありますが、自分を縛りつけている思考の誤りを正すということです。私たちは学ぶことで心身ともに自由になれるのです。つまり、学ぶ時間は自由になるための時間、そして、学校は自由になるための空間ということですね。今年の介護福祉士試験を受ける生徒さんたちが全員合格して、心を自由に介護の仕事を続けてくれることを願います。

 

 

今日は国家資格である介護福祉士の筆記試験日です。筆記試験対策講座や直前模試対策講座を受けてくださった生徒さん、そして実務者研修の卒業生さんたちが、全力を出し切って合格してくれることを心から応援しています。幸いにも天気にも恵まれ、本当はそれぞれの試験会場に私たちも足を運び、入口のところで皆さんを激励したい気持ちです。初めて受験する人は緊張しているだろうなとか、苦手分野があったあの人は克服できたのだろうかなど、それぞれの顔を思い浮かべながら、心はそちらに向かっていますよ。

2022年

1月

23日

学校の雰囲気

湘南ケアカレッジの魅力をひと言で表すと、「雰囲気の良さ」だと思います。私は他の学校で働いていたことも、見学に行ったこともありますし、また自身でホームヘルパー2級講座を受けたこともあります、大きな違いがあると言えばあるし、それほど違いがないと言えばないのですが、実際に学校ごとに雰囲気は違いますし、クラスごとに違いがあるのが実状です。もちろん、湘南ケアカレッジもクラスごとに雰囲気は若干異なりますが、ほとんどどのクラスも前向きなエネルギーに溢れていて、楽しく学んでいるという感じです。それはクラスメイト同士の仲の良さであり、学校や先生方と生徒さんとの距離感の近さであり、学ぶことに対するベクトルが一致しているからです。

何がその学校の雰囲気を決めるのか、もう少し掘り下げていくと、先生方の人となりと学校の考え方(思想)の2つが大きな理由だと私は思います。まず何と言っても、先生方が明るく楽しくないと、雰囲気は良くなりません。大げさに言うと、堅物の教授みたいな先生がテキスト通りに淡々と授業をしても、生徒さんたちは楽しみようがありません。ここでいう楽しさとはキャッキャ言う楽しさではなく、学ぶことに前向きで活気があるということです。先生方が楽しく情熱を持って教えているから、それを見た生徒さんたちが前向きに活気をもって学ぶことができる。しかも全ての先生がそうなのですから、授業ごとに雰囲気が異なることもなく、研修全体を通じて雰囲気が共通しているのです。

 

先生方の人柄や教えることに対する情熱があったとしても、大きな枠組みをつくる学校の考え方が間違った方向に行ってしまうと、せっかくの雰囲気が壊れてしまうことがあります。あれはダメこれはダメと謎ルールをつくって先生方を変に縛り付けたり、また逆に、可もなく不可もなく適当に授業をしてくれたらよいと先生方を駒のように扱ったりすると、先生方は個性を失っていきます。角が立つのであまり具体的には書きませんが、ほとんどの介護の学校は先生方に対するリスペクトが足りない気がします。学校にとって、全ての先生方はかけがえのない存在であることを忘れてはいけないと思います。

 

 

先生方の人となりと学校の考え方が揃って、良い授業をつくっていこう、生徒さんたちに喜んでもらおうという方向性が一致すると、どのような生徒さんたちが集まっても、ほとんどブレがなく雰囲気の良いクラスになります。介護について学びたいと考え、介護職員初任者研修に参加したり、介護の現場で働いていてもっと深く学びたいと考える人たちは、はっきり言って良い人たちばかりです。こちらの下地さえ整っていれば、あとは彼ら彼女たちが持っている人間性を包み隠すことなくそのまま発揮してくれたら良いのです。そうすれば、雰囲気の良いクラスのできあがりです。

2022年

1月

16日

不可逆的

「不可逆的」という言葉を知ったのは、20代の頃にブックオフでアルバイトをしていたときでした。大学を卒業して就職した会社を1年で辞めて、ふらふらしていた時期です。ブックオフで働きながら、お店にある本を買って帰っては、読みふけっていたものです。ブックオフは中古本のリサイクルショップですから、当然ながらアルバイトの私の役割のひとつに、本の買い取りがあります。本の新しさや内容、売れ行きによって値付けをする作業はとても楽しかったです。

 

ある日、お客さんが持ってきた本の帯に「不可逆的な~」という文字を見つけ、聞き慣れない言葉だけどどういう意味だろうと興味を持ち、家に帰ってから調べてみました。すると辞書には「元に戻ることができないことや性質のもの」と書かれていました。「可逆的」は元に戻ることができるという意味で、その反対が「不可逆的」ということですね。

たしかに世の中には、「可逆的」なものもあれば、「不可逆的」なものも存在します。たとえば、本棚から本を手に取って、パラパラと頁をめくり、再び本棚に戻すことは「可逆的」です。対して、お皿を床に落として割ってしまった場合は、二度と元の状態に戻すことはできませんので「不可逆的」。時間は過去から現在、未来へと流れて行きますので、時を巻き戻すことは不可能ですから、時間は「不可逆的」ともいえますね。誰かと喧嘩してしまって険悪になったとしても、互いが歩み寄って仲直りすることもできますし、修復不可能なまでこじれることもありますので、人と人の関係は「可逆的」であり、「不可逆的」にもなり得ます。

 

このように「可逆的」にも「不可逆的」にもなり得る、曖昧で微妙なことは私たちの周りに結構多く、それらの扱いには慎重に気をつけなければいけません。なぜかというと、「不可逆的」になってしまったら最後、もう二度と元の状態には戻らないからです。「可逆的」だと思っていたのに、ひとつ間違うと「不可逆的」になってしまうことがありますし、気がつくと「不可逆的」になってしまっていたことなど山ほどあるのです。「不可逆的」になってしまうと大変なのは、その後、ずっとその状態が続くことです。元の状態に戻らないというのはそういうことであり、つまり、一生続くということです。

 

何かを始めるとき大切なのは、2つのことを問うてみるべきです。ひとつは、①本当にこれを始める必要(意味)はあるのだろうか?もう1つは、②始めてみたとして、もし意味や効果がなければどのタイミングで止めるか(元に戻すか)?ということです。

 

仕事においても同じことが当てはまります。私の経験上、この2つの問いについてきちんと考えずに、とりあえずやってしまうことが多すぎる気がします。結局、意味のない仕事ばかりが増えて、しかも止める基準がないので気がつくとずっとやり続けることになってしまう。そんな仕事が介護の現場でも多いのではないでしょうか。「不可逆的」となる前に意味のない仕事をやめることができれば、そもそも最初から意味がない作業を始めていなければ、その時間をもっと大切な人と人の対話に当てられたはずなのに。

 

今の日本のマスク・消毒社会は「不可逆的」であり、少なくとも私たちが生きている間はずっと続くと思います。感染症に対する効果などの科学的議論はなされず、何の基準もないまま、私たちは政治とマスコミに言われるがままマスクをつけ消毒を始めましたが、今となっては周りの皆がしているからしているのがほとんどの人たちの現状だと思います。特にマスクに関しては視覚的に分かりやすく、周りの誰かが外さないと外せないというジレンマに陥ってしまうことは最初から分かっていたことでした。その構造に陥ってしまった時点で膠着状態となり、「不可逆的」になります。私たち大人世代だけならまだしも、学校教育の現場を見ると、今の子どもたちもその子どもたちも未来永劫、家から一歩外に出たら、暑い夏もマスクして過ごさなければならないのは可哀そうだと思うのは私だけでしょうか。

 

 

最初は些細なことであっても、いったん「不可逆的」になってしまうと、自分だけではなく、周りも巻き込んで一生やり続けなければならなくなります。もう二度と元には戻れないのです。その大変さを考えると、本当にこれをする必要(意味)はあるのだろうか?してみるとしても、もし意味や効果がなければどのタイミングで止めるか(引き返すか)?は常に意識しなければいけないのではないでしょうか。

2022年

1月

08日

自分たちの分身

先日、卒業生さんが友人を連れて教室まで来てくれました。友人は今月からスタートした介護職員初任者研修の日曜日クラスにすでに申し込みをされていて、事前視察も含めて、卒業生さんが連れてきてくれたのでした。ご友人には4階の教室を見てもらい、その後、事務所で立ち話をしていると、卒業生さんが自分のクラスでつくった色紙を見つけ、「あった、これだ!私のメッセージも左上にある!」と指差しました。よく見ると、平成29年の4月日曜日クラスと記されていたので、今から4年前(ほぼ5年前)のクラスでした。「懐かしいですね」と言いながら、メッセージの名前を見ると、それぞれの顔が浮かんできて、思い出ばなしに花が咲きました。

卒業生さんが湘南ケアカレッジに戻ってきてくれたとき、自分のクラスでつくった色紙やメッセージボードを探して、見つけて嬉しそうにしている光景をよく見てきました。たとえ何年ぶりであっても、湘南ケアカレッジに戻ってくると、ほとんど変わっていない教室の風景を見て、懐かしの先生方と再会し、卒業生さんたちは安心します。流れてしまった歳月の長さを感じつつ、自分のクラスのことが思い出されてきて、懐かしいなあと感傷に浸っていると、ふと色紙(メッセージボード)のことが思い出されるのでしょう。そういえば、あのときつくった色紙(メッセージボード)はどこにあるかな?と見渡してみると、飾られているのです。自分たちが、あのとき、ここにいたことを記す証拠としての色紙(メッセージボード)が!

 

美学者の伊藤亜紗さんが著書の中で、人間の身体性にまつわるこんな面白い話をされていました。伊藤さんの友人がモンゴルに行き、結婚式を挙げたときの話です。式が終わり、父親役を務めてくれたモンゴルの親戚の方が、「君にこの馬を1頭プレゼントする」と言い出したそうです。友人は「急に言われても、持って帰れない」と断ろうとしましたが、「この馬を持って帰れという意味ではなく、自分たちがこの馬をモンゴルでずっと飼っているから、君が来たときにいつ乗ってもいい。君の馬なんだから」と言われたそうです。

 

この話の意味としては、人間はその場にいられなくても、何かを分身として残すことでその場にいられるということです。その馬がモンゴルにいることによって、友人は東京にいてもモンゴルの草原を感じたり、モンゴルで出会った人たちを思い出したりすることができるわけです。残された人たちも、その何かによってその人の存在を感じることができる。分身が存在することによって、物理的な距離を超えて一緒にいると感じられる。そこにいるということは、身体性が必ずしも問われるわけではないのです。

 

 

卒業生さんたちは、先生方や学校に対する感謝の気持ちを表現するために色紙(メッセージボード)を贈ってくれるのだと思っていましたが、それだけではないのかもしれません。色紙(メッセージボード)を残すことで、自分たちがそこにいたことを記し、自分たちは去ったとしても自分たちの気持ちは少なからず湘南ケアカレッジに存在し、また私たちもその色紙(メッセージボード)をふと見ることでそのクラスの生徒さんたちの存在を感じることができる。色紙(メッセージボード)はモンゴルの馬と同じなのですね。だからこそ、教室に戻ってきたときには、自分たちの分身としての色紙(メッセージボード)の存在を探すのだと思います。そして自分たちがそこにいたこと、そして今もいることを確認し、過去と今がつながり、また安心して教室を去って未来へと旅立つことができるのです。

2022年

1月

01日

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。おかげさまで、湘南ケアカレッジは今年で10年目を迎えることになりました。いわゆる10周年というやつです。100年続く学校を本気で目指していますので、まだ折り返し地点にも立っていないのですが、がむしゃらにやってきたら10年も経ってしまったというのが正直な感想です。介護職員初任者研修は3500人ぐらい、実務者研修は2000人以上が卒業し、重複している生徒さんもいますので、およそ4000人の卒業生が誕生したということになります。ただの4000人ではなく、一人ひとりの生徒さんたちに先生方が一生懸命に教えてくださった4000人を誇りに思います。

今年の、いやこれからの湘南ケアカレッジのテーマとしては、少しずつ大きく変わることでしょうか。今まで積み上げてきた大切なものをしっかりと守りながら、小さな改善や変化を積み重ねていって、気づいた頃には大きく変わっていることを目標としたいと思います。そのためには、何を変えずに、何を変えるのかを考えなければいけません。何を守って何を壊すのか、または何を残して何を捨てるのか。全てを守り(残し)つつ何かを取り入れることができれば最高ですが、時間は有限ですし、人間はそんなに器用ではありません。残念ながら取捨選択をせざるをえないのです。

 

たとえば、学校の研修として何を残すべきかを考えるとき、以下の視点が大切になります。

 

・生徒さんは満足しているか?

・先生方も楽しめているか?

・生徒さんが集まっているか?

・継続的に行うことができるか?

・正しいことをしているか?

 

何よりも大切なのは、当然のことながら、一番上の「生徒さんは満足しているか?」です。どれだけ社会的なニーズがあって、研修を行えば生徒さんが毎回集まり、先生方も教えたことで納得していたとしても、生徒さんたちに「来て良かった」と思ってもらえなければ意味がありません。介護・福祉に関する研修は、資格を取らなければならないものがありますので、満足度が低くても生徒さんは集まることがあるので要注意なのです。生徒さんたちの満足度を知るためには、研修の中でアンケートを取ったり、研修後にヒアリングをしてみたり、なんといっても研修中に生徒さんたちが笑顔でいるかどうかを見ることが判断材料になります。

 

「先生方も楽しめているか?」は、生徒さんの満足度と密接な関係性があるため、生徒さんたちが満足して笑顔であれば、先生方もやりがいを感じることができます。その逆もしかりで、先生方が生き生きと教えてくれたら、生徒さんたちも楽しいと思ってくれるはずです。ただ例外的に、先生だけは教え甲斐を感じて教えてくれているけれど、教え方が上手くなかったり、褒め・認めがなかったり、自分が教えたいことだけを教えていたりする場合は、先生だけが楽しんでいる授業というものも存在します。それでも、先生方が自身の能力をフルに発揮して、気持ち良く授業ができているかどうかは、学校にとって極めて大切なことです。

 

生徒さんも先生も満足していても、人が集まらない研修はダメです(笑)。これは「継続性があるか?」とも関係してくるのですが、なかなか人が集まらない、つまりニーズのない研修は続けていくことができません。商売として、またはモチベーション的にということです。だからこそ、やるからには人を集める努力もしなければいけません。それでも人が集まるかどうかは時代の流れによるところも多く、人が集まりにくい(ニーズの少ない)研修は時には開催しない判断も必要になるということです。また、人を集めるためにお金がかかりすぎたり、開催するのに人手や時間が膨大であったりすると、続けていくことが困難になります。コストがかかりすぎる研修は良くないということです。

 

最後の「正しいことをしているか?」に関しては、完全に個人的な考えではありますが、上記の条件を全て満たしていたとしても、正しくないことをしているのであれば意味がありません。むしろ多くの人たちが巻き込まれてしまう分、勇気を持ってやらないという判断が必要になりますね。そんなことないでしょと思われるかもしれませんが、世の中には意外と多いのですよ、ニーズもあって満足度も高いけど正しくないことって。長い目でみると、正しくないことを行うと自分たちの心を壊してしまうので、私はというか、湘南ケアカレッジはやりません。

 

 

このような視点を持って、何を変えずに何を変えるべきかを考え、今年は新しい研修をひとつでも開催してみたいと思います。実際はやってみないと分からないことの方が多いのですが、生徒さんたちに満足してもらえて、先生方も楽しんでくれて、人がたくさん集まってくれて、ずっと続けて行くことができて、正しい方向性を持った研修をつくりたいですね。卒業生の皆さま、先生方、そしてこれから湘南ケアカレッジに来てくださる生徒の皆さま、今年もよろしくお願いします!

2021年

12月

26日

決めつけない

9月、10月からスタートした実務者研修の3つのクラスが立て続けに修了しました。実務者研修はわずか7日間しかなく、15日間の初任者研修と比べると、これから生徒さん同士が仲良くなって盛り上がっていく手前で終わってしまう残念さはあります。それでも与えられた時間なりに、生徒さんたちも先生方も盛り上げてくれて、どのクラスも良い雰囲気で終わることができて安心しました。なんと木曜日クラスは研修の最後に色紙とお菓子を贈ってくれて、驚かされました。なぜ驚いたかというと、実務者研修は初任者研修と比べて色紙やメッセージボードをつくるクラスが少ないのと、特に1か月に一度のペースで通学する木曜日クラスからは今までいただいたことがなかったからです。

研修の最後に色紙やメッセージボードをつくって、学校に贈ってくれるという現象が起こるためには、いくつかの条件が重なることが必要になると思っています。

 

・クラスメイト全体の仲が良い

・先生や学校との距離感が近い

・皆でつくろうと勇気を出して声をかける発起人がいる

・音頭を取って取りまとめるリーダーがいる

・それをサポートする仲間がいる

 

上の5つの条件のどれかが欠けても、色紙やメッセージボードという形にはならないでしょう。それぞれの生徒さんたちは、先生方に感謝の気持ちを形にして伝えたい、自分たちがケアカレで一緒に学んだ大切な時間を形にして残したいと思っても、クラスメイトの気持ちがひとつにならなければ決して実現しないのです。あくまでも自然発生的に起こることですから、実現するクラスもあればそうではないクラスもあり、初任者研修に比べて期間が短い実務者研修において、上の5条件が満たされるのは意外と難しいということです。

 

だからというか、まさか今回、実務者研修の木曜クラスから色紙をいただくとは思っていませんでした。木曜日クラスは月に1度の通学ということで、授業ごとの間隔が開いているため、生徒さん同士の関係性が築きにくいということもあって、正直に言うと全くの想定外でした。いつもは最後の授業あたりで、生徒さんたちが色紙を回していたり、メッセージを書いて回収していたりする姿を目にするのですが、今回ばかりは、いつ皆でつくったのか気づかなかったほどです。自分には木曜クラスのことが見えていなかったし、決めつけてしまうと本当の姿が見えなくなることを改めて教えてもらいました。

 

教育にたずさわる人にとって、最も良くないことは決めつけてしまうことです。この人はこういう人だと決めつけてしまうと、そのようにしか見えなくなり、その人の可能性を狭めてしまうのはもちろんのこと、自分自身の幅も広がりません。なぜこのようなことを書くかというと、私たちはどうしても教える―教えられるという関係性の中で、相手のことをこういう人だ、これはできるけどこれはできないなどと把握することが求められ、その中でいつのまにか自分の色眼鏡で他者を見てしまうことが多いからです。私たちにできることは、たまには自分の色眼鏡を外して、決めつけないことを意識することです。もしかすると実はこういう良い面があるかもしれない、あれはできるかもしれない、などと考えてみることで、相手の可能性を広げるだけではなく、自分の思考の世界の幅を広げていくことにもつながるのではないでしょうか。

 

 

木曜日クラスの皆さま、色紙を贈っていただいてありがとうございます。一人ひとりからのメッセージを大切に読ませてもらいましたよ!

2021年

12月

20日

褒め・認め合う文化

介護職員初任者研修も実務者研修も、研修の最後に実技試験があります。実技試験といっても、決して落とすための試験ではなく、これまで研修の中で学んできたことを発表(披露)してもらうための試験です。もし落とすための試験であれば、かつての介護福祉士の実技試験のように一発試験にして、その場だけの評価をすれば良いわけです。そうではなく、実技試験が技術講習会に移り変わり、最終的には実務者研修になったのは、研修を通して学ぶことでその人に合った形で成長し、介護の技術や知識を高めてもらいたいという意図があると考えています。ということは、私たち教える側は、審判者ではなく、成長をサポートする伴走者のような存在でなければいけません。

そういうテーマや考え方の中で、改善を重ねて、小野寺先生が最終的に提案してくれた、先生からだけではなく、周りの生徒さんたちからもフィードバックをもらう評価の仕組みは、とても湘南ケアカレッジらしいと思います。実技試験はいくつかのベッドに分かれてチームで行われますが、試験を受ける生徒さんとそのパートナーだけではなく、同じチームメイトが見守る中でテストは行われます。恥ずかしいと思う人もいるかもしれませんが、気心しれた仲間ですから、皆応援してくれますのでご安心ください。もちろんテストですから、上手く行くこともそうではないこともあると思います。それでも、良かったところ、できたことに着目して、先生からも評価・コメントさせていただきますし、周りのチームメイトからもコメントをもらうという仕組みです。

 

この仕組みの良いところは、同じチームメイト(クラスメイト)が実技を披露しているのを良かったところ、できていることという視点で見なければいけないことです。間違い探しをするのは誰でもできますが、できていること、素晴らしい点を見つけるのは意外と難しいものです。そうして見えたその人の良い点を言葉で相手に伝えてあげることも大切ですし、そうしてもらった生徒さんは周りの人たちに認めてもらったと感じるでしょう。それは自分が試験を受ける立場になったときも同じです。先生からはもちろんのこと、周りのチームメイト(クラスメイト)からも認めてもらえたことが、これから先現場で介護の仕事をしていくときに励みになると思います。そして、互いに認め合うことの大切さに気づいた人たちが、現場でもそれを実践してもらえると良いなと願っています。

 

 

しかし、このフィードバックの仕組みはあくまでも仕組みです。ただこの仕組みだけを用いれば全てが上手く収まるということでは決してありません。この仕組みがハマるのは、それまでに教えてくださっている先生方が、そうしたポジティブなフィードバックを常にしてくれているからです。それまで散々できていないことを言われ、出来たとしても褒め・認めてもらえなかったのに、突然最後の試験だけポジティブなフィードバックをされても気持ちが悪いです(笑)。何が言いたいかというと、湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修も実務者研修も全体として、互いに褒め・認め合おうというテーマが隅々まで生き届いているからこそ、最後のピースがぴったりはまったということです。互いに褒め・認め合うことは、言葉で言うほど簡単ではなく、湘南ケアカレッジの先生方だからできた文化であり、湘南ケアカレッジにしかできないことなのかもしれないとひそかに自慢に思います。

2021年

12月

12日

打ち上げが戻ってきた

11月短期クラスが無事に修了しました。先生方も口を揃えて「いいクラス」と言うように、皆さん明るくて、一生懸命に学んでくれて、お互いに助け合えるクラスでした。そして何よりも私が驚いたのは、研修が修了した後、打ち上げが行われ、ほとんどの生徒さんたちが参加されたことです。およそ1年9か月ぶりに、打ち上げが戻ってきたのです。このコロナ騒動の中では、クラスメイト同士で仲良くなっても、クラス全員で打ち上げをしましょうとはなかなか言い出せない空気があったのだと思います。今はいわゆる感染者数(PCR検査の陽性者数?)がほぼゼロに近づいてきたこともあって、さらに生徒さん同士が互いに打ち解けて、信頼し合っていることで、打ち上げをしましょうという声が出たのだと思います。もちろん、私も顔を出させていただきました。

 

1年9か月ぶりと書いたのは、湘南ケアカレッジで最後に行われた打ち上げが2020年の3月末であったことを鮮明に覚えているからです。あの時期、東京オリンピックの延期が決まった直後から陽性者数が増え始め、まだcovid-19がどのようなウイルスであり感染症であるか分からないままでしたが、打ち上げは中止になることなく開催されました。町田のある居酒屋さんには私たちしかいませんでした(笑)。あの時は、さすがに大丈夫かなと私も心配になりましたが、皆さん全く問題なく健康でした。

 

その翌週に緊急事態宣言が出され、私は突然いただいた大人の春休み中に、今回のウイルスや感染症について徹底的に勉強することに。あれから2年近い歳月が流れ、臨床を伴わないPCR検査は診断には適切ではないことやcovid-19は接触感染も飛沫感染もほとんどないこと、マスクの着用も人流もロックダウンさえも感染者数とは因果関係がないことなど、多くのことが分かり始めてきましたが、日本はいつまで経っても2年前と同じ知識レベルで同じ行動を取っています。このコロナ物語をいつまで続けるのと私はずっと思ってきたので、生徒さんたちが打ち上げを開催できたのは、当たり前の日常を取り戻すための少し明るい兆しだと感じるのです。私たちは限りある命を使って生きている人間なんだから、そろそろ普通の生活をしましょうよ。

 

今回のクラスには外国の方がひとりいました。彼女は日本語が私たちほどではないため、初日から3日目までは授業について行くことができずに辛かったそうです。3日目のお昼にもう辞めたいと本人が言っていると旦那様から電話をもらいましたが、何とか踏みとどまってくれました。その後、4日目、5日目と親切にサポートしてくれる生徒さんもいたことで少しずつ授業にもクラスにも馴染はじめ、周りのクラスメイトさんたちも温かく見守り、受け入れてくれました。次第に笑顔が出始め、最後はとびっきり元気に修了し、打ち上げにも参加してくれたのです。まさに今回のクラスを象徴するような出来事でした。

 

 

福祉や介護にたずさわろうとする人たちは、こうあってもらいたいと私は思います。自分たちと異なるものを恐れて排除したり、分断されたりするのではなく、他者を知り、受け入れ、時間と空間を共有することで、強い信頼関係がお互いに生まれるのです。介護の学校の素晴らしさが凝縮されたようなクラスの生徒さんたち、そして先生方、心からありがとうございます!クリスマス仕様の華やかなメッセージボードも大切に飾らせていただきますね。

2021年

12月

06日

「リタイア、そしてアラスカ」

「本を出版しました」と卒業生の井上きよしさんから知らせを受け、さっそく買って読んでみました。卒業生さんが著したからということもありますが、それ以上にタイトルや内容に惹かれたからです。実は、私にとっての最大の夢(目標)は、「アラスカにオーロラを見に行く」こと。大好きな冒険家であり写真家である星野道夫さんのオーロラの写真を見て以来、寒いところは苦手なのに、なぜか不思議といつまでもアラスカに行ってこの目でオーロラを見てみたいと想い続けているのです。しかも私も塾で働いていたことがあり、英語が好きだったので、井上さんの経歴は他人とは思えません(笑)。

井上さんが湘南ケアカレッジに来てくれたのは2019年11月のことですから、この冒険記はちょうどその前の旅路について記されたものです。たしか介護職員初任者研修が修了した後の打ち上げにて、井上さんから長年経営された塾を畳んで旅に出た話は聞いた記憶はありますが、ここまでのものとは思いも寄りませんでした。ホームステイしながらカナダの語学スクールに通い、アメリカそしてアラスカへと旅をしながら、井上さんが見たこと、話したこと、感じたことを、私も読みながら追体験しました。日本から外に出たことで見えてきた、死生観や介護の問題などについても書かれています。

 

やはりカナダにおいても、高齢者の介護の問題は当然のことながらあるようです。井上さんがホームステイした先のアランじいさんは少し認知症が進み始めており、娘さんのキャリアナは心配して病院に通わせたり薬を飲ませたりすることや、ナーシングホームに入れることも考えているが、アランじいさんは断固として拒否するという、世界中の家族内で起こっている問題です。井上さんは自分の母親の最後の日々と重ねつつ、ユマニチュードという考え方に出会い、こう記しています。

 

「自分の母親についてあてはめてみると、私は老いていく母親のことより、介護する、と言ったって大したことはできていなかったのだが、やる側の自分のことばかり考えていた。もっと母親の声に耳を傾けてあげるべきだった。老いていく我が身と対峙し、信仰にすがり信仰を見失いかけた母親の気持ちの近くに、私はいなければいけなかった」

 

また、日本が失ったものとして、誰もが自然とジェントルマンシップを示すことができることを挙げています。カナダのビクトリアでバスに乗ると、ほとんどの人がドライバーに「Thank you」と言うそうです。大人はもちろん、生意気盛りの中学生も高校生も、ヤンキーもヒッピーも、タトゥーが腕にびっしり入った革ジャンのモヒカン兄ちゃんも自然に「Thank you」。そして、車いすの人やお年寄りがバスに乗ってくると、パッと立って自然と席を譲る。この自然な感じが大切で、決して特別なことをしているという意識はなく、譲られる方も特別と感じていない。席を譲ろうとして断られたらどうしようとか、この状況は自分が席を譲るべきなのかなと周りを伺うような雰囲気がないということですね。

 

「ビクトリアのバスは、がたがた道を走っている。それに引き替え日本では、手入れの生き届いたピカピカのバスが、きっちり時間通りに、放送による案内を流しながら、無表情で走っている。乗り物の席だけではなく、学校でも、会社でも、いや社会全体が過度な効率優先主義と競争原理に貫かれ、それを疑問に思わない人間が溢れかえっている。「権利」と「義務」という2つの言葉が投げ散らかされ、それを掃除する人すらいない」

 

 

井上さんの言いたいことは良く分かります。カナダも都心部に行くと、日本と同じような効率優先主義と競争原理があるとは思いますが、日本という国はそうしたものを煎じ詰めた国だと思います(いや韓国の方がもっと煮詰まっているかな)。そこで生きている人たちにとっては普通なのですが、実は普通ではなく、どちらかというと異常なのです。日本の人たちも韓国の人たちも本来は優しいし親切なのですが、ここ数十年の間にあらゆることが表面的になり、いつの間にか他者との距離が離れ、私たちは見事に分断されてしまったのです。正直に言うと、こうした社会の中では自分のことばかりで、井上さんのいう耳を傾ける介護、近くにいる介護はなかなか難しいのではと考えてしまいます。少なくとも湘南ケアカレッジの中では、私の手の届く範囲においては、寛容な社会をつくっていきたいと思っていますし、ケアカレの卒業生さんにもそれが伝わると嬉しいです。

2021年

11月

29日

10年ひと昔

10年ひと昔と言われたものですが、湘南ケアカレッジも来年であっという間に10年目を迎えます。先日、「パンフレット(コンセプトブック)を見ましたけど、村山さんの写真、かなり前のものでしょ?老けましたね!」と明るく言われました(笑)。よく考えてみると、たしかにプロフィールで使っているあの写真は10年以上前に知人のカメラマンに撮ってもらったものでした。自分ではそれほど変わっていないつもりでも、10年も経つとその分老いるのだなあと素直に思ったものです。パンフレットに載っている先生方の写真も、僕としてはあまり変わっていない気がしますが、生徒さんたちにとっては10年前の写真に映るのでしょうかね。

10年経つと、外見だけではなく、周りの人たちの状況も大きく変わっていることに驚かされます。つい最近、介護職員初任者研修を受けていた生徒さんが、介護福祉士の筆記試験対策講座に来ていることにも軽い驚きを感じますし、この前、突然訪ねてきてくれた生徒さんは6年前のクリスマスの頃の生徒さんでした。彼のクラスは打ち上げに参加させてもらった記憶があり、その時に話したこともしっかりと覚えているのですが、まさか6年前とは…。さらに驚くべきは、生徒さん同士が結婚して、お子さんが生まれていることです。

 

湘南ケアカレッジも10周年を迎えて、創立した頃から比べると、大きく成長しているはずです。何よりも、この情熱と中身の濃さで10年続けてきた実績と信頼(安っぽい広告文みたいですね笑)がありますし、もはや「新しい学校です」とは言えないと思っています。祐子先生もおっしゃっていましたが、「老舗」と言っても過言ではないのではないでしょうか。ケアカレは100年続く学校を目指しているので、10年はまだ序の口に過ぎませんが、周りから見ると老舗の域に近づいているということです。ここまでやって来られたのは、先生方のおかげであり、これから先も、先生方と一緒に、湘南ケアカレッジのファンを増やしていきたいと思っています。

 

 

話はだいぶ飛びますが、僕は最近になってようやく「Netflix(ネットフリックス)」に加入し、海外のドラマを観ることにハマっています。今まで観た中で最も面白かったのは、「プリズンブレイク」という脱獄のドラマです。兄の無罪を晴らすため、弟が自ら刑務所に入り、明晰な頭脳を駆使し、周りの人たちを巻き込みながら脱獄するというストーリー。ネットフリックスのドラマは、1話ごとの終わり方が秀逸で、次の話を観たくて仕方なくなるような場面で切ってくるのです。続きが気になって観続けていると、あっという間にシーズン5まで観終わってしまいました。一度、見始めると最後まで止められないドラマでした。

「プリズンブレイク」の登場人物の中に、ベリックという刑務所の所長がいます。彼は最前線で囚人たちと対峙しており、まあ嫌な奴なんです。脱獄を妨害するだけではなく、脱獄してからの外の世界でも追ってきて、とにかく邪魔をするしつこいキャラクターです。話の展開の中で、ベリックとはくっついたり、裏切ったりを繰り返し、足手まといながらも次第に仲間になっていきます。

 

そして、ここからはネタバレになってしまいますが、最後にはベリックは仲間を助けるために自らが犠牲になる道を選びます。その状況をうまく説明するのは難しいのですが、誰かがパイプを通さないと向こうに渡れない状況になり、パイプを通すためには誰かが水道管の中に入らなければならなかったのです。まさかあのベリックがと僕は驚いたのですが、彼は自ら進んで手を挙げて、水道管の中に入り、パイプを通し、自身は溺死してしまう道を選んだのです。自らの命を使って、あれだけいがみ合っていた仲間を救ったのです。このとき、あれだけ嫌な奴だったベリックが、僕の中で最高のキャラクターに変わりました。

 

このシーンが最も印象に残っているのは、ベリックが命の使い方を表現してくれたからだと思います。ベリックは実はマザコンで、刑務所の所長を早めに引退して、お母さんとのんびり過ごすのが夢でした。そのためには不正に目をつぶり、小悪を犯してもやむを得ないと考えていたような人物が、自らの命を捨ててまでも仲間を救ったのです。どのような心境の変化があったのか分かりませんが、ベリックの人生を見て、その人の価値は命の使い方にあるのではと思ったのです。

 

 

人間にとっての命とは時間のことでもあり、命の使い方とは、時間の使い方と言い換えることもできます。ベリックはのんびり過ごす予定だった人生の残りの時間を、仲間を救うことと引き換えたということになります。おそらくベリックがあのまま長生きして、たとえいい奴で終わったとしても、彼のキャラクターや人生はそれほど輝かなかったはずです。彼は命の使い方を変えたことで、それまでの姑息な生き方を帳消しにして、大逆転に成功したのです。

命の使い方という表現は、一昨年、ケアカレナイトにゲストスピーカーとして来てくれた松山博さんの言葉でもあります。松山さんは当時71歳、元小学校の教員です。ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症して11年目、胃ろうと気管切開をして呼吸器を装着して4年目。ALSの進行に合わせて、どのような思いで、どのような選択をしてきたかについて語ってくれました。その中で、「どのような看護・介護を受けるか、在宅支援の有りようで当事者の生きる姿が変わります」とおっしゃり、「命を使って何ができるか」と今は考えるに至られたと話されていたことが印象的でした。松山さんがケアカレナイトに来てくれたのも、命を使って何ができるのかという行動の一環だったのだと思います。

 

 

湘南ケアカレッジを先生方と創立したときは、私は30代後半ぐらいでした。あれから10年の歳月が経ち、命の使い方について考えるようになるとは思いもしませんでした(笑)。最近は命を守るとか、命の大切さばかりが強調される世の中ですが、ベリックや松山さんの生き方を見るにつけ、むしろ命の使い方を考えることの方が大切なのではないかと思うのです。それは命を粗末に扱うということではなく、命の使い方、つまり生き方の問題です。自分のために使うのも良いのですが、誰かのために、未来を担う子どもたちのために、何かを成し遂げるために、命を使って何ができるのかと考えながら生きていきたいと思います。

2021年

11月

22日

ネガティヴに引っ張られないためには

どんな仕事をしていても同じかもしれませんが、一定数のネガティヴな人たちはいます。たとえば介護の現場であれば、一緒に働く同僚やスタッフにいるかもしれませんし、介護・支援の対象者である利用者さんにもいるかもしれません。自分と意見や考え方が違うならば互いに学びはあるのですが、ただ単に何をやってもマイナスな反応しか返ってこない人たちがいるはずです。それは教育の現場でも同じで、ネガティヴな人たちがいることで、周りの生徒さんたちはネガティヴな方向に引っ張られたり、学校の雰囲気が悪くなってしまったりもします。彼ら彼女らも決して好きでそうしているわけではなく、これまでの歴史や背景の中でそう振る舞うようになり、そのような考え方になってしまった、ある意味においては被害者という面もあるのです。ネガティヴな人たちを排除するのではなく、共存していくためには、どうすれば良いのでしょうか。

 

大きな問題として、人間はネガティヴな方に引っ張られやすいという性質があります。100の良いことがあっても、1か2の悪いことがあると、どうしても悪いことばかりを考えるようになり、まるで全体としても悪いことになっているように錯覚しがちです。それゆえに、ごく少数のネガティヴな人がいるだけで、ひとり一人にネガティヴな思考が伝染し、全体の雰囲気が悪くなる流れができやすいのです。たとえば、30名のクラスにたった1名のネガティヴな生徒さんがいるだけで、先生の意識がその人に引っ張られることが多々あります。残りの29名はしっかりと授業を受けているのに、わずか1名であってもネガティヴな方に先生の意識の9割以上が奪われてしまうのです。実際に私も子どもたちを教えていたときは、そうなってしまうことがあったので先生の気持ちは良く分かります。

 

ここで重要なことは、ネガティヴな方向に引っ張られないことですが、自分の思考は自分ではなかなか変えられないものです。気にしなければよいと思えば思うほど、気になってしまうのが人間の性です。それではどうすれば良いのかというと、周りの人たちがポジティブな視点をあえて見せてあげることです。ネガティヴな人がいて、そのような言動があることを認めつつも、「このような良い反応もあったし、あの生徒さんは〇〇だと言ってたよ」という形で残りの99%の方に切り替えてあげることです。人間とは不思議なもので、自分の頭で考えているときはひとつの方向に引っ張られていたものが、誰かと話しているうちに違った方向にも引っ張られることになり、バランスを取り戻すことができるのです。

 

 

何が言いたいのかというと、大切なのは周りにいる人のリアクションであるということです。ネガティヴな人がいて、ネガティヴなことがあったとき、誰かがそのことを気に病んでいるときは、まずは話を聞いて、それからポジティブな面もたくさんあることを見せてあげることです。そのためには、いつも自分自身はポジティブな面を見つけるように心掛けていなければいけませんし、準備をしていることで、ネガティヴに引っ張られそうになっている誰かを助けることができるのです。逆もまた真なりで、もし自分がネガティヴな人に引っ張られているなと感じたときは、誰かとそのことについて話してみてください。きっとその誰かはあなたを救い出してくれるはずです。

2021年

11月

15日

国際福祉機器展2021

11月10日~12日の間に東京ビッグサイトにて開催された、国際福祉機器展に行ってきました。最初の頃は新橋駅からゆりかもめに乗ってたどり着いていましたが、ここ最近は町田から新宿→大崎、そしてりんかい線で東京テレポート駅というルートが確立されましたので、わずか1時間弱で行けるようになり、ずいぶん近くなったような感覚があります。さらに一昨年までのお祭りのような賑わいではなく、感染症対策の名の下、ブースとブースの間にスペースがありゆったりとしており、入場人数も1日1万数千人程度と、個人的にはちょうど良いサイズと人数のイベントになったと思います。見たい福祉機器はしっかりと見て、担当者に質問することもできます。今年いくつかの他の福祉機器のイベントにも参加しましたが、真剣に福祉機器について学びたい、知りたいという方にとって、国際福祉機器展は最適でありお勧めします。

行きたくても行けなかったという方のために、私が見てきたものをざっと紹介していきますね。まずは入浴関連の「はねあげくん」です。これは入浴の際、またぐときの支えにボードとして使えるのはもちろんとして、座面をはねあげることができるため、入浴介助がやりやすく、利用者さんはボードを外すことなく座位での入浴が可能になる優れものです。ちょっとした工夫ですが便利ですよね。

こちらはシャワーチェアになります。いくつかのメーカーが協働して制作したそうです。椅子の上の部分(シャワーアーム)からお湯が噴き出す仕組みになっており、通常のシャワーチェアに座って上からシャワーを浴びるよりも、利用者さんの保温効果が高いとのことです。利用者さんの身体の近くから広範囲にお湯をかけることができるので、たとえわずかな時間であっても、身体が芯まで温まるそうです。

他のメーカーにも、同じような入浴機器がありました。さきほどのシャワーチェアよりも、より密封度が高いため保温力も高いのですが、場所を取るので在宅向きではありませんね。

次に、面白いと思ったのは、「らくらくテーブル」という福祉機器です。介護用の昇降テーブルということで、見て分かるように、テーブルの高さを自由自在に調整することができます。しっかりロックすることができるので、安全性も高いです。利用者さんの体格によって最適なテーブルの高さに調整できますね。ちょうどこの前、「塗り絵をしている利用者さんの机の高さが合っていないのか、腰が痛いとおっしゃっているのですよね」と相談された卒業生さんがいましたので、まさにこのテーブルを勧めたいです。おやつを食べるときは低くても良いけれど、塗り絵などの作業をするときは高くしたいというように、同じ利用者さんであっても状況によって高さを変えることができます。

続いて、こちらは口腔ケア関連の光る歯みがきです。利用者さんのお口の中を明るく照らすことができるため、歯みがきがしやすく磨き残しもなく、口腔の状態も把握しやすいですね。

さらにベッド関連としては、こちらの立ち上がりまで可能なベッドが快適でした。ソファに心地よく座っている状態から、そのまま寝ることができますし、その逆も然りです。車いすからベッドに移乗する必要がないため、利用者さんの介護度によっては重用されそうな福祉機器です。

YOCARO」という在宅介護用電動ベッドの特徴は、ベッドの高さを78cmまで上げることができます。通常ですと50~60cmぐらいのベッドがほとんどですが、78cmぐらいまで上がると男性も屈むことなく介助することができます。男性が腰を痛めてしまう原因のひとつは背が高いことすので、これだけベッドの座面を上げることができれば、腰を痛めなくて済むかもしれません。また、言葉で伝えるのが難しいのですが、背上げをする際に、背面がそのまま上がるのではなく、湾曲しながら上がるため、背圧や身体のズレが少なくて済みます。介護職員初任者研修や実務者研修の授業でも体験してもらっている背上げの苦しさを覚えている生徒さんは納得だと思いますが、最初からベッドに心地よい背上げの機能が備わっているのは素晴らしいですね。

まさにこれから帰ろうとしているとき、卒業生のご家族とばったり会えたことは嬉しかったです。ご家族で国際福祉機器展に来るなんて感心しますし、やはり実際に自分たちの目で見てみて、「こういうのあったら便利だよね」、「でも実際に導入するとなると、今の家の導線だと厳しいかも」とか、意見やアイデアを出し合うこともできます。これまではできないと思っていたことが、道具を上手に使うことで、もしかするとできるようになるかもしれないとポジティヴに考えることができれば良いですね。人間は道具を使うことで霊長類最強の座に登り詰めましたので、道具を工夫して使うことは人間らしい行為であるとも言えるのではないでしょうか。また来年も来たいと思います。

2021年

11月

05日

コミュニケーションは質×量

私が以前勤めていた子どもの塾におけるスタッフの指針として、「コミュニケーションの質と量があなたの成果を決める」というものがありました。成果という言葉からも分かるように、子どもの教育をビジネスととらえすぎる余り、懐が深くて豊かなビジョンのない会社でしたが、このコミュニケーションに関する指針だけには納得・共感するところがありました。つまり、コミュニケーションとは質×量であり、特に対人援助を仕事とする私たちは、コミュニケーションの質を高めるだけではなく、量を増やすことも大切で、それによって相手にとっての意味や価値が大きく違ってくるということですね。

もう少し深く説明すると、コミュニケーションの質を高めるというのは、相手に何かを伝えたい、それによってこのように行動してもらいたいという具体的な意図を持って話すということです。介護の現場でも、利用者さんに対して伝えたいこと、またこのように行動してもらいという意図があるはずです。ただの空疎な言葉のキャッチボールはウォーミングアップとしては大事ですが、それだけでは相手にとっても自分にとっても何の意味もありません。仕事として対人援助をしているのであれば、相手に何かを伝えられないコミュニケーションは価値がないのです。そこは日常生活の会話と線引きをして話すべきでしょう。

 

コミュニケーションの量を増やすことも大切です。質を高めることと矛盾するかもしれませんが、他愛ない話をすることは、しないよりも良いことです。それは相手に興味があって、見守っていることを伝える方法のひとつであり、放っておくと私たちは何もしない(話しかけない)という楽な道を進んでしまいます。だからこそ、利用者さんとの接点を増やすためにも、コミュニケーションの量も意識することは大事です。

 

つまり、コミュニケーションは質だけでも量だけでもダメで、どちらもあってこそ成果につながるということです。成果というと生々しいので、相手にとって意味のあることが伝わって、行動が変わることで価値が出るということです。結果的に、私たちもハッピーになれるところまでが成果です。コミュニケーションの質と量が私たちの成果を決めるということは、もちろん仕事だけではなく、実は人生においても当てはまるのではないでしょうか。

 

 

湘南ケアカレッジの先生方と生徒さんの関係を見ると、コミュニケーションの質と量が十分であることが分かります。授業後に書いてもらうアンケートやリアクションペーパーの声を読んでも、先生方がきちんとコミュニケーションを取ってくれているから、生徒さんたちに意味や価値が伝わり、それによって感謝・尊敬してもらっていることが伝わってくるのです。この前、電話で卒業生と話していたとき、「現場で働いていると、先生方の声が聞こえてくることがありますよ。叱咤激励されています(笑)」とおっしゃっていました。卒業しても聞こえるほどの十分なコミュニケーションの質と量に溢れているのを知って嬉しく思います。

2021年

10月

29日

安心と信頼の関係

「(コロナ禍の中でも)普通な感じで受講できて良かったです」、「ツイッター見ています。私も今の社会はおかしいと思っているので共感します」という嬉しい声を掛けてもらうこともあれば、「もう少し感染症対策をしてほしかった」、「一人ひとり検温をするべきだ」というご意見をいただくこともあります。

 

これ以上、何をどう対策するの?机の横にアクリル板を置く?全員にフェイスシールドを着けさせる?非接触の検温なんて不正確だし、人の体温を半強制的に測ること自体が本来は人権やプライバシーの問題になりませんか、などと心の中では思いつつも、目に見えないウイルスが相手だからこそ、それぞれにいろいろな感じ方があるのだと強く実感します。

 

 

あくまでもその人がどう感じるかである以上、科学的な議論は意味がありませんし、何が正しくて何がそうではないという話でもなさそうです。そう考えたとき、これは安心と信頼の問題なのではないかと気づいたのです。

安心と信頼の問題は、「目の見えない人は世界をどう見ているのか」の著者・伊藤亜紗さんが「ポストコロナの生命哲学」の中で語っていたことでもあります。伊藤亜紗さんは、ケアカレナイトにもお呼びしようとして、アメリカに研究に旅立つという理由で実現しなかった方なのですが、障害のある人たちから多くの学びを得ている素晴らしい美学者です。

 

「信頼」と似ていると思われている言葉に「安心」があります。けれども、実は「信頼」と「安心」の意味するところは逆だと言われています。「安心」が、相手がどういう行動を取るか分からないので、その不確定要素を限りなく減らしていくものだとすると、相手がどういう行動を取るか分からないけれど大丈夫だろうという方に賭けるのが「信頼」です。

 

伊藤亜紗さんは大学の先生をしていますので、学生さんとも接する機会があり、ある女子学生さんのスマートフォンに、今いる場所を把握できるようなGPS機能が付けられていることを例に挙げます。親からしてみれば、自分の子どもがどこにいるのか常に把握できるのだから「安心」ですが、それは相手をコントロールすることにつながり、その結果として「信頼」は失われていくということです。「信頼」と引き換えに「安心」を得ることは、子どものスマホだけではなく、今の社会のあらゆるところに見られる現象ですし、「安心」を求めれば求めるほど「信頼」のない社会になっていくという悪循環です。

 

昔は良かったなんて言うつもりはありませんが、僕が学生で配達のアルバイトをしていた頃、Aさんが不在の際はAさん宛ての荷物を両隣の家または部屋のBさんかCさんに預けていました。不在のときはお互いさまでしたし、不在票を片手に再配達をお願いすることもなく、隣のピンポンを鳴らせばよいだけでした。隣近所とは多少の付き合いがあったり、荷物のやり取りの中で互いの存在を知っていた側面もあると思います。それがこの20年ぐらいの間に、いつの間にか、隣の人に荷物を預けるなんてとんでもないという社会になりました。人付き合いの面倒くささはなくなったかもしれませんが、単純にとても不便ですし、何よりも大切な他者への「信頼」を失ってしまったのです。

 

他者を信頼しないことは、すなわち他者からも信頼されないことにつながります。たとえば、相手への思いやりと言いつつ、マスクやソーシャルディスタンスなどによって他者を感染源と見なすことは、他者から見ると自分も感染の脅威と見なされていることと同じです。そのようにして、他者への不信は連鎖していくのです。私たちはまだしも、今の状況で生まれ育った子どもたちが、本当の意味での他者への信頼を築くことができるのか心配です。

 

「安心」を極限まで求めることの行き着く先は、相互監視と同町圧力に支配された息苦しい社会です。今回のコロナ騒動で、「安心」だけを求めて、「信頼」を失ってしまった私たちは、お互いに首を絞め合っているようにも映ります。介護の現場でも「安心」と「信頼」の関係は同じですね。「安心」を追い求めることはオムツの着用や身体拘束につながり、自由や人権をいとも簡単に奪っていきます。今は相手をコントロールして奪っている側かもしれませんが、いつか自分が支配されて奪われる側になることに私たちは気付くべきです。

 

伊藤亜紗さんは、他者を信頼することの喜びについても語っています。パラリンピックで視覚障害者のマラソンや陸上競技を見た方はイメージできると思いますが、視覚障害者の横には伴走者がつきます。伊藤亜紗さんはアイマスクをして、伴走者と初めて共に走った体験をこう表現しています。

 

アイマスクをつけたとき、最初は見えないということが怖くて足がすくみ、実際にはない段差や障害物の幻覚が見えたりするほどでした。けれども、「視覚障害者の方はこの方法で長い距離を走っているのだから、自分も伴走者を信頼してやってみよう」と、自分の中の恐怖を吹っ切ったところ、経験したことのない快感を味わいました。それは、ひと言でいえば、人を信頼することから生まれた快感なのだと思います。私は、今まで家族や同僚を信頼していたつもりでしたが、実は、信頼にはもっとすごい深みがあったのです。そこに行くことができたという感覚は本当に新鮮で、素晴らしいものでした。

 

他者に身を任せて信頼することから、今までに経験したことのない快感が生まれたという考察は、私にとっても実に新鮮です。仕事をする上においても、日常生活を営む中でも、誰かを100%信頼することはとても難しいからこそ、それができた先には心地よい感情が待っているということなのですね。そして、さらにその信頼の輪を広げるためには、身内だけではなく、(完全なる)他者を信頼することが大切だと思います。身内はある程度信頼しているけれど、それ以外の他者に線を引いているようでは、本当の意味での信頼の輪は社会に広まっていかないからです。

 

 

本当のことを言うと、「安心」と「信頼」の線引きをするためには、科学的な知識や実践を踏まえた上での常識的な判断が必要なのですが、それは別の機会に書きます。安心だけを追い求めて、お互いに信頼を失ってしまった社会は生き地獄です。不信ではなく、信頼の輪が広がっていく社会を望みます。社会の中で生きている以上、他者を信頼したことで自分が脅かされることになっても仕方ないと私は思います。割り切るしかないというか、あきらめるしかありません。それが生きるということなのではないでしょうか。

2021年

10月

18日

介護の学校の選び方(受講料編)

介護の学校なんて、どこも一緒だと思われているかもしれませんが、そうではありません。同じように見えるかもしれませんが、学校ごとにそれぞれ違っていて、同じ学校でも教室ごとに違いはあるのが実際のところです。介護職員初任者や実務者研修という大きな枠組みは同じでも、教えている内容や教室(先生やクラスメイトたち)の雰囲気から、学校の生徒さんたちに対する想いや運営のされ方、アフターフォローまで、同じ介護を教える学校であってもここまで違うのかと思うぐらい違うのです。

 

私は全国展開している大手の介護スクールで働いたことがあり、介護の学校を運営している知り合いたちもいて、これまでたくさんの学校や教室を見てきました。その経験を生かし、今は自分で介護の学校を立ち上げて運営していますので、介護・福祉教育の世界については誰よりも知っているつもりです。せっかく学ぶのであれば、自分に合った学校や教室を選んでもらいたいと思い、介護のスクール業界の内幕を少しだけお見せします。我田引水にならないよう、できるだけ公平中立に生の情報をお伝えしたいと思いますので、参考にしていただければ幸いです。

 

まず今回は、受講料と呼ばれる料金について。「同じ資格が取れる研修なのに、なぜこんなにも料金が違うの?」という質問をよくいただきます。たしかにスクーリングの日数も時間数もほぼ同じで、最終的には介護職員初任者研修(または実務者研修)という資格が取得できるにもかかわらず、学校によって数万円の受講料の差があるのは不思議ですよね。初めてこの世界に一歩踏み出すという方にとっても、介護のスクール業界の内情を詳しく知らない人にとっても(ほとんどはそうだと思います)、受講料の差を生む理由は見えにくいはずです。

 

ただ安ければ良いという方は、ここから先を読む必要はありません。1円でも安い学校を探し、自宅から近い教室に申し込みをしてください。そうではなく、安いのは安い理由があって、高いのにも高い理由があることを知った上で、何を大事にするかという自分の優先順位によって学校や教室を選びたいという方のみ読み進めてください。

 

◆高いものが良い、安いものは悪いというわけではない

結論から述べると、安ければ研修のクオリティが低いということではなく、高いからと言ってサポートが手厚かったり、教室等の環境が良いということでもありません。残念ながら、高い受講料を払えば払うほど、それに応じた良い教育や環境が返ってくるということではないのです。それは介護の教育サービスがモノ(製品)ではないことに由来します。モノ(製品)であれば、どれだけ良い材料や部品、素材を使っているかで全体のクオリティも違ってきますので、良いものは値段が高くなるのは当然ですが、教育はそうとはいえないのが本当のところです。

 

教育のような目に見えないサービスをつくるのは主に人であるからこそ、全体のクオリティはそこにいる人たちの知識や技術、情熱や想い、ホスピタリティという目に見えないものに大きく影響されてしまいます。そのような構造の中では、高いものが良い、安いものは悪いとは一概には言い切れないのです。高くても悪いものもあれば、安くても良いものもあるのです。

 

◆あまり高すぎるのも安すぎるのも良くない

ここで覚えておいてもらいたいのは、あまり高すぎるのも安すぎるのも良くないということです。そもそも高すぎる受講料は手が出ないという方もいらっしゃると思いますが、高すぎるのにはわけがあります。利益を追求しすぎていたり、組織が大きすぎて(人件費等が掛かりすぎて)安くできなかったり、高いものは良いものだと思わせる高価格戦略であったりします。それぞれの理由について詳しくは説明しませんが、教育サービスは高ければ良いものとは限らない以上、高すぎる受講料を選ぶ必要はありません。

 

それに対して、安すぎる受講料も避けた方が良いでしょう。最近は受講料が0円とか、学校が指定した施設・事業所に就職が決まったら全額キャッシュバックといううたい文句が増えていますが、これは学校が施設側から紹介手数料を得ることを目的としているため、就職先が制限されてしまう(しばりが生じる)というデメリットがあります。就職先は自分で選んでも良いところに行くことをお勧めします。ちなみに、介護業界の紹介手数料は年収の20~30%とされていますので、学校側は施設・事業所からひとり50~70万円ぐらいのバックマージンをもらっていることになります。受講料を0円にしてでも生徒を集めて、紹介に走りたい学校の意図が分かりますよね。

 

別に人材紹介業が悪いと言っているのではありません。人材紹介が出口となってしまうと、入口や中身の教育がおろそかになってしまうということです。どのような介護・福祉教育を提供するかではなく、どれだけ紹介するかが重要になってしまうのです。悲しいことに、今、全国のほとんどの学校は教育から人材紹介へと重心が変化してしまっています。そうしないと、学校が生き残っていけないからです。それでも、これからの介護・福祉の世界を担う人財を育てる、質の高い教育はどこへ行ってしまうのでしょうか。

 

つまり、受講料は適正なものを選ぶべきということです。15日間の研修を受け、新しい技術や知識を学ぶと考えたとき、さすがに10万円近い金額は高いにしても、0円~3、4万円台はあまりにも安すぎるということです。

 

 

2021年

10月

07日

ケアカレに来て良かった

「ここに来て本当に良かったです」と言ってくださる生徒さんがいます。「他の学校と比べたわけではないのですが」と言いつつも、湘南ケアカレッジが開校してからずっとそのように率直に褒めていただき、嬉しく思っています。最近、その言葉にはどのような意味があるのだろうと考えるようになりました。「〇〇について楽しく学ぶことができました」、「先生方が良かったです」、「介護に対する見かたが変わりました」などに比べて抽象的ではありますが、もしかするとそれらを全て含めた最高の褒め言葉なのかもしれません。今の私の結論としては、「介護職員初任者研修を受けない選択肢もあったし、他の学校を選ぶこともできたけど、湘南ケアカレッジに来て良かった。楽しく学ぶことができ、先生方も素晴らしく、介護に対する見かたが変わった」という意味ではないかと思うのです。

たしかに、生徒さんの背景を知ると、介護職員初任者研修を受けないこともできたはずです。実務者研修は現場で働いている人が介護福祉士やサービス提供責任者になるためのステップとして受けるという明確な道筋がありますが、介護職員初任者研修に限っては、介護の世界に入ろうと思わなければ受ける必要がないからです。介護とは全く違う別の仕事を探すこともできたし、今の仕事を辞めずに続けることもできたはずです。それでも勇気を振り絞って、新しい介護の世界に足を踏み入れる決断をしたからこそ、湘南ケアカレッジに来ることができたのです。

 

また、介護の仕事はしていても、資格を取ろうと思わなかったり、学ぼうという意欲がなければ、介護職員初任者研修を受ける必要はありません。研修を受けることなく、無資格のまま、今の介護の仕事を続けることもできたはずです。それでも、学ばなければならない、専門知識や技術を身に付けてもっと良い介護がしたいと思ったからこそ、重い腰を上げてショウナンケアカレッジに来てくれたのです。

 

さらに最後の難関として、他の学校ではなく、湘南ケアカレッジを選んでくれたことです。もっと自宅に近い学校があったかもしれませんし、受講料が安い学校もあったかもしれません。それでも、パンフレットを読んだり、ホームページを見たり、知り合いに評判を聞いたり、実際に説明会や見学などで学校を訪れてみて、自分の意志で湘南ケアカレッジを選んでくれたのです。

 

「ここに来て良かったです」というシンプルな言葉の背景には、それぞれの生徒さんごとに異なる深い意味があるのです。その気持ちをありがたく受け取りつつ、私も心の中で「湘南ケアカレッジに来て良かったですね」と答えます。生徒さんはひとつの学校でしか介護職員初任者研修を受けられませんが、私は大手の介護スクールでたくさんの教室を運営してきましたし、他の全国規模の介護の学校に知り合いもいますので、どのような研修が行われているのか手に取るように分かります。だからこそ、他の学校と比べたとしても、湘南ケアカレッジの研修や先生方は素晴らしいと自信を持って言うことができます。とはいっても、大切なのは他の学校との比較の上での相対評価ではなく、生徒さんたちが「ケアカレに来て良かった」とそれぞれに思ってもらえる絶対的な評価なのです。

 

 

9月短期クラスが無事に修了し、最後には手作りの素敵な色紙をいただきました。ケアカレのロゴの左と右の人のオレンジ色が微妙に違うことも見てくれていて、リアルで立体的なロゴに仕上がっていて驚きました。お菓子やお花までいただき、感謝の言葉しかありません。こうして「ケアカレに来て良かった」という気持ちを伝えてくれて、それに対して私たちは直接お返しすることはできませんが、これから来る生徒さんたちに同じような思いになってもらえるように頑張ることで返していきたいです。ありがとうございます。

2021年

9月

26日

現場で頑張る人たちを励ましたい

今から5年前に実務者研修がスタートしました。誰にとっても初めての研修でしたから、介護技術講習会とは全く別物であるとは思いつつも、じゃあどういう形になるのか、どういう方向に進むべきか、どうあるべきかと問われると、私は答えを持ち合わせていませんでした。五里霧中というか、視界がはっきりとしない中、先生方と手探りでつくり上げてきたと思います。試行錯誤しながらも、今年になってようやく、実務者研修がひとつの形になってきた気がします。

 

介護職員初任者研修はホームヘルパー2級からの流れで、その対象者も、研修が目指すべき方向も明確なイメージを抱いてケアカレは立ち上がりました。「世界観が変わる福祉教育を」提供することがテーマで、生徒さんたちの介護に対するイメージが卒業する頃には180度変わっている(360度ではありません笑)ことをゴールとして考えていました。もちろんそれに加えて、教え方のサイクル(まずは褒める・認めることの大切さ)や生徒さんと先生方、学校との距離感など、たくさんの工夫をしてきた結果、今のケアカレの文化があります。それらは全て先生方のおかげです。

 

実務者研修のテーマをひと言で言うと、「現場で働く人たちを励ましたい」ということです。正しい知識や最新の技術を伝えることはもちろんですが、それはあくまでも表面的な教育目的であって、湘南ケアカレッジの実務者研修の真のテーマは、参加した生徒さんたちがまた明日から介護の仕事を頑張ろう、明日現場に行くのが楽しみだと思ってもらうことです。そのためには、まず生徒さんたちの出来ていることや得意なこと、良いことを伝えて、褒め・認めてあげることではないでしょうか。介護の現場のスタッフは、責められたり怒られたりすることはあっても、褒め・認めてもらうことはほとんどないのです。今までもこれからも。だから私たち学校がその役割を担うべきだと思います。教えることを通して、現場で頑張る人たちを励ましたいのです。

 

その一環として、総合演習において、実技の発表という形にして生徒さん同士も互いに認め合える形式は素晴らしいと思いますし、同じことは医療的ケアで行っているフィードフォワードにも当てはまります。また、キャサリンからの手紙に感動してくださった生徒さんもいます。食事の授業が楽しかったので試験対策を申し込んでくれた生徒さんもいました。さらに細やかなサポート(特に外国の方に対して)も本人だけではなく、周りの生徒さんたちも見てくれていると思います。

 

 

実務者研修も理想的な形に近づきつつあるなと感じつつ、ふとコンセプトブックを読み返してみると、「働く人たちの心のケアになれるのかもしれない」と私は書いていました。もしかすると最初からアイデアはあったのかもしれません。時間をかけて、先生方がそのアイデアを形にしてくれたのが今の実務者研修ということですね。ありがとうございます。

2021年

9月

18日

誰かのおかげで生きている

7月から始まった実務者研修の火曜日クラスが修了しました。初任者研修の卒業生さんが多かったこともあってか、とても雰囲気が良く、生徒さん同士の関係性も良く、まとまりのあるクラスでした。最終日の医療の授業のおわりに、村井先生が「今年教えたクラスの中で一番楽しかったです。それは皆さんの人柄があってこそだと思います」とおっしゃっていたように、私たちにとっても教え甲斐のある、教えていて幸せなクラスでした。わずか7日間でお別れするのが残念に思いますが、今年介護福祉士を受験する生徒さんは合格して、来年以降に介護福祉士試験に挑戦する生徒さんは筆記試験対策講座などで、ぜひまた遊びに来てくださいね!

学校で授業をしていると、研修をより良いものにしてくれているのは生徒さんたちであるということが分かります。誰かに何かを教えたことのある方は共感してくれるはずですが、同じことを同じように教えていたとしても、教えられる側の姿勢いかんで全てが変わってきてしまうのですよね。教え上手と言うものがあるとすれば、教わり上手もあるのです。先生が生徒を育てつつ、生徒さんによって先生も育つということです。お互いの相互作用によって、教える/教えられるは成立しているのですね。

 

それは学校に限ったことではないかもしれません。介護の世界でも、介護をする側とされる側の共同作業で良い介護が成立するのでしょう。「ありがとう」と言ってくれたり、こうしてほしいと言ってくれたり、もしかすると悪態をついたりする利用者さんでさえ、介護者を育ててくれているのかもしれません。逆に言うと、私たち介護者は常に見られていて、利用者さんは介護者の鏡になっていることだってあります。藤田先生が「利用者さんが思うように動いてくれないときは、自分に何か原因がないか振り返ってみてほしい」とおっしゃっていたのは、そういうことだと思います。私たちは、誰かのおかげで生きていて、他者から学び、そして影響を与え合っているのです。

 

 

今回のクラスには聴覚障害のある生徒さんもいらっしゃって、手話翻訳者の方々にもお手伝いいただき、無事に修了することができ安心しました。私たちにとって初めての経験でしたが、ご本人の学びたい気持ちが素晴らしいと思いましたし、私たちにとっても大きな学びになりました。何よりも、特別なことをせず、いつも通り普通にケアカレの授業ができたことが良かったと思います。最後は、鳩サブレまでいただきました。そして、生徒さんたちからは、写真付きの色紙までいただきました。ありがとうございます。湘南ケアカレッジにとっても、大切な思い出のひとコマとして教室に飾らせていただきますね。

2021年

9月

12日

大きな変化の時代を生きている

私たちは今、最も大きな変化の時代に生きています。明治維新や太平洋戦争を経験した世代であれば、その前後は激動の時代に感じたはずですが、今生きている私たちのほとんどは、そうした大きな変化を知りません。今日の日常が明日も続くのが当たり前だと思って生きてきたはずです。そもそも歴史を振り返ってみると、私たち人類は小さな変化から大きな変化までを繰り返し経験してきました。世の中がずっと同じであるわけありませんし、良くも悪くも、今回のコロナ騒動をきっかけとして、私たちの日常生活や社会の構造は大きく変わっていくはずです。「コロナが収束したら…」といまだに言う人がいますが、そんなことを言っている間に社会は大きく変わってしまい、もう二度と元には戻らないと知っておくべきなのです。

今起こっている変化は目に見えにくいのですが、知らなかったでは取り残されてしまいますし、どこまでの変化を受け入れ、どこからはNOと言うかは私たち次第です。大きな変化には抗えないとしても、最終的な私たちの未来は私たち自身の行動にかかっているのです。大切なことなのでもう一度言いますね。大きな流れには抗えなくても、私たちがどこまでを許容し、どこからは受け入れないかによって、未来の社会の姿は変わってきます。そういう意味では、日本の未来は私たちの今の行動がつくるのです。

 

もう少し具体的な話をすると、今、いわゆる新しい生活様式が定着しつつあります。できる限り人と会うことなく、リモートで用を足すことが日常になります。家族以外の他者と一緒に食事をしたり、面と向かって話す機会は限りなく少なくなります。人と人は肉体的なソーシャルディスタンスを保ち、なるべく近づかない、もちろん他人と触れ合うなんてことは滅多にありません。今まで会ったことのない人たちと出会う機会は激減し、今まで会っていた人たちとも疎遠になったり、考え方の違いから分断されてしまうかもしれません。

 

イベントや行事は中止または休止状態になり、帰省した子どもや孫と会うことも困難になるでしょう。孫の顔を見られるのはLINE電話だけです。介護の世界でも非接触化や機械化(オートメーション化)が進むはずです。施設に入ると家族となかなか会えなくなるため、在宅介護のニーズが高まりを見せるはずです。

 

移動には物理的、経済的、心理的な制限が加わります。それによって国外旅行する人は激減するでしょうし、県をまたぐような国内の旅行もはばかられるはずです。つまり、できるだけ家にいて大人しくしているということです。移動の自由だけではなく、身体的にも自由を制限されます。家族以外の人と話すときはマスクを着けて、家から一歩外に出るとマスク着用がマナーとされます。ワクチンは年間で複数回、毎年打たなければいけません。まるでiPhoneのように、毎年のように変異したウイルスに対しての新作ワクチンが登場するでしょう(笑)。人が生きる上で最も大切な移動の自由と身体の自由が制限され、私たちは少しずつ人権を手放していかざるを得ません。かつては介護施設の利用者さんたちが失っていたものを、私たちは若いうちから追体験するのです。

 

経済的には産業構造も変わります。いわゆるサービス業と呼ばれる仕事がほとんどなくなるでしょう。飲食業をはじめとして、夜の街の仕事、観光業など。教育サービスも、大学などを筆頭にして大きく形が変わるはずです。また、イベント業やエンターテイメント産業も縮小・撤退せざるをえません。アーティストたちは主にインターネットやテレビの中に主に棲息し、リアルとしての存在理由を失ってしまいます。最近まで流行っていた体験型のサービスもVR(バーチャルリアリティー)に置き換わります。

 

それに対して、医療・製薬関連の会社は検査やワクチンを商品として隆盛を極めます。今よりもさらに大きな業界になり、力を持ちます。そしてそれを支える医師や看護師はエッセンシャルワーカーとして最前線に立つ仕事として称賛されます。すでにそういう風潮がつくられていますよね。医療職ほどではないにしても、介護職もエッセンシャルワーカーとして、給与のベースアップが計られることを期待して良いと思います(これは決して悪いことではありません)。ただしそれは他の産業で働いていた人たちの仕事がごっそりと奪われた犠牲の上に成り立つ、医療・公衆衛生ファシズムのおこぼれにすぎません。ほんとうは、介護の仕事の専門性が認められ、私たちもスキルアップしたことで利用者さんや家族を幸せにした対価としての報酬が増えると良いのですが。

 

政治は国や都道府県の力が強く、市民の力は総体的に弱くなります。公衆衛生を盾にすると、市民を超法規的に支配したり、身体的に(ロックダウンしたり)、経済的に(給付金漬けにしたり)、精神的に(恐怖をあおったりして)コントロールすることが可能になります。生かすも殺すも権力次第ということになります。権力といっても抽象的ですが、世の中を思い通りにコントロールしたいと願う人たちは一定数いるものです。営業時間を短縮したり、お酒を禁じたりと、営業の自由さえも理不尽に奪うことができます。

 

大手メディア(テレビや新聞)やその傘下のソーシャルメディア(Yahoo!ニュースなど)はその流れに乗って偏向報道を繰り返し、それに反する思想や考え方やデータをデマや陰謀論とくさすことで情報統制し、言論の自由を奪い取ります。SNS上の検閲も厳しくなるでしょう。常識的なほとんどの人々にとって、明らかにおかしいことがまかり通って、何が正しいのか分からない状況が生じるはずです。最終的には、私たちの自由を守る憲法さえも変えられるかもしれません。まさによく例に挙げられるジョージ・オーウェルの「1984」の世界ですね。

 

思いつく変化をつらつらと綴ってみましたが、これ以外にも、私たちの世界は大きく変わっていくことでしょう。私には何ひとつとして良い意味の変化が見当たりません。あえて述べるとすれば、世界中の人々の移動が制限されることで、環境に対する負荷が下がることぐらいでしょうか。変化の方向性自体を変えることはできませんが、大切なのはどこからは譲れないラインとしてNOと言うかです。抵抗することなく受け入れてしまうと、行き着くところまで行ってしまいます。

 

たとえば私たち日本はマスク生活を自ら受け入れてしまったので、一生マスクを着けて生きて行くことになりました。私たちだけではなく、子どもたちも、これからずっと。そういう未来を自分たちで選んだということです。それを望まなかった国はすでにマスクは外しています。小さなことから大きなことまで、どういう変化を受け入れ、また逆に拒否・抵抗して押し戻したかで、子どもたちにとっての社会の未来の形が変わってくるのです。それが変化の時代であり、その過渡期に生きる私たちは重要な役割を担っているのです。

 

ワクチンパスポートはどうでしょうか?リモートワークは?お酒の提供禁止は?他人事だと思っているといつの間にか自分の身に降りかかってくるからお気をつけください。大きな変化の時代であっても、最後に自分の人生や生き方を決めるのは自分自身です。自由をどこまで手放すかは、あなた自身にかかっているのです。

2021年

9月

05日

それぞれの命

8月短期クラスが無事に修了しました。学生さんも多く参加してくれて、幅広い年齢層と性別の夏休みらしいクラスになりました。生徒さんの背景にこれだけの多様性があっても、いやあるからこそ、誰もがフラットに接し、クラス自体もひとつになれたのだと思います。介護職員初任者研修は介護の現場の縮図でもあるので、クラスメイトとの人間関係を楽しむことができたなら、実際に働き始めたときも上手くいくのではないでしょうか。もちろん、仕事となると組織の力学や上下関係が労働者を追い込んでしまうことは多々ありますが、本質的には、介護の仕事をしようと思う方々は良い人ばかりです。一人ひとりと話してみると、なおさらそう思います。

 

音楽が好きでそれで食べていきたいと考えつつ、介護の仕事もしている生徒さんがいました。以前、働いていた介護の現場で、気の合ったおばあちゃんがいたそうです。施設スタッフの誰よりもたくさん話しをしたのですが、おばあちゃんは亡くなってしまい、彼に手紙を残してくれたそうです。その手紙には、音楽をあきらめないで続けるようにと記されていたのです。その手紙を読んで、彼はあきらめかけていた夢をあきらめないことにしました。私たちは介護をする側の存在だけではなく、ひとりの人間として背中を押してもらうこともあるのです。

 

ケアカレで働きたいと言ってくれた生徒さんもいました。ケアカレに通ってみて、学校の雰囲気を知ってからそう言ってもらえるのは嬉しい限りです。こんな素敵な先生方と一緒に働いてみたいと思ってくれたのだと思います。しかし、とても優秀な方だったので残念でしたが、ケアカレは小さな学校ということもあり、お願いできる仕事が今はないのです。教室を拡大したりすれば、先生も事務スタッフも必要になってくるのですが、今のところ(開校以来ずっとそうですが)小さいままでいたいと考えています。大きくなってしまうとケアカレらしさはなくなって、ケアカレで働きたいと言ってもらえなくなるかもしれませんし、小さいままだとお願いできる仕事がないというジレンマですね(笑)。

 

大学生を相手に演劇を教えているという生徒さんもいました。彼は演劇をずっとやってきて、今は教える立場にいるのですが、このコロナ騒動の影響を多分に受けているのが演劇です。アートやエンターテイメントは不要不急のものとみなされ、少しでも危険が冒される可能性があるのであれば自粛を強いられてきました。橘川先生の授業が終わったあと、彼がぐるんとびーのラーメンの話を投げかけていて、僕も考えを述べました。そして、彼の意見も聞いてみると、まさに同意できるものでした。

 

自分の身に置き換えてみたら、何が大切かは分かるはずです。普通に考えたら分かることなのに、今の状況は明らかにおかしくないですかね。皆、命を守りたいのではなく、自分たちの何かを守りたいだけなのでは。ラーメンを食べるも食べないも、最終的に本人が決めれば良い話なのです。私たちは本人の意志を最大限に尊重し、できることはサポートし、何かあったら対応するだけで良いのです。それをラーメンを食べることを禁止し、食べられないように部屋に監禁し、口には猿ぐつわを付けさせるみたいなことをする権利は誰にもないはずです。そろそろ私たちは、命を守るだけではなく(本当に守れているのか大いに疑問ですが)、限りある命をどう使うのか、ということをよく考えなければならないのではないでしょうか。特に大人たちは。

お土産までいただいてしまいました。卒業後は気を遣わず、手ぶらで立ち寄ってくださいね!

2021年

8月

26日

何のために教えるのか?

私たちは何のために介護の学校をやっているのでしょうか?何のために介護を教えているのでしょうか?

 

 

湘南ケアカレッジは「世界観が変わる福祉教育を」というテーマの下、2013年にスタートしました。研修が終わった後、生徒さんたちに「世界観が変わった」と言ってもらえるような教育を提供したい、つまり、それぐらい教育の内容や質を大切にする学校でありたい。その想いは今も変わりませんし、明確なテーマがあったからこそ、大きくブレることなく先生方と素晴らしい学校をつくり続けてこられたと思っています。そして10年目を迎えようとしている今、改めて根本的な問いかけを自分に向けてみる必要があります。

 

実際に研修を重ねて、学校を運営してきた経験や肌感覚から言えるのは、私たちは介護や福祉に関する知識や技術を教えることを通し、生徒さんたちを褒め・認めることが最大の仕事であるということです。そうすることで、介護の現場に一歩を踏み出す生徒さんたちの背中を押したり、現場で奮闘している生徒さんたちを励ますことができます。それ以上に大切なことがあるでしょうか。教育とは、知識や技術を伝えることだけではなく、誰かを褒め、認め、励まし、背中を押すことなのですね。

 

先月末、日曜日クラスと平日短期クラスがほぼ同時に終わり、男性の卒業生さん3名から感謝のメールをいただきました。個人的なメールなのでご紹介できなくて残念ですが、アンケートやメッセージボードだけでは伝えきれなかった思いを伝えてくれたのだと思います。

 

このような生の声を聞くと、それぞれの生徒さんたちがどのような気持ちで研修を受け、どんな感情を抱いて卒業したのか、表面的な感想ではなく心の本音が感じられます。私たちはどうしても先生目線、学校側からの見かたでしか普段は見えないものですが、たまにはこうして生徒さんの目線を感じてみるべきです。

 

彼らの心の声を聞くと、先生方が研修を通して、生徒さんたちを人間同士として褒め、認め、励ましてくれているのが分かりますし、生徒さんたちはそういう雰囲気や空気感に最も心を動かされていることが分かります。すごい知識や技術を教えてもらったことに感謝する生徒さんは一人もいませんが、笑顔で楽しく学べたことで、介護に対する見え方が大きく変わっただけではなく、大げさに言うと世界観が変わることにつながっています。

 

 

私たちは普段生きている中で他者から褒められたり、認められたりすることが意外に少ない、もしくはほとんどありません。そういうきっかけがないとも言えます。しかしそれとは逆に、私たちは教育を通して(何かを教えることを口実に)、他者を褒め、認めることができる珍しい仕事なのです。学校は先生の自己表現の場ではなく、生徒さんを褒め、認め、励まし、背中を押すことこそが教育や教育にたずさわる者の役割なのだと、10年目にして確信を持つことができました。これも素晴らしい授業を提供してくれている先生方と生徒さんのおかげですね。ありがとうございます。

2021年

8月

16日

目に見えないものに価値を置く

「この前のブログを読んで、頑張らなくてはと励まされました」と実務者研修に通ってくれているOさんが言ってくれました。彼は初任者研修を修了してすぐに働き始めた職場で、先輩からの厳しい指導にあって悩んでいて、前回の授業もお休みだったので心配していたところでした。ブログを読み返してみたところ、彼にとっての助けになりそうなことが直接書いてあるようには見えなかったのですが、何かしら私の言葉が届いたのであれば嬉しいことです。自分には意図しない形で励ましたり、救いになれたり、また逆に傷つけたりすることもあるかもしれませんが、私たちは目に見えない形で生徒さんに影響を与えています。教育という仕事には大きな責任が伴うのです。

7月短期クラスには、今から5年前の卒業生であるAくんのお母様が来てくれました。私もそうですが、先生方ともよく話をしていましたので、よく覚えている先生も多いのではないでしょうか。お母さんが介護の仕事をするために学校を探していたところ、「絶対にケアカレに行った方がいいよ」と言われたそうです。一見強面でシャイな彼が、お母さんにそんな風に勧めている姿がなかなか想像できません(笑)。彼は今、介護ではない自動車関係の仕事をしているそうですが、5年経った今でも覚えてくれていることが嬉しいですね。目に見えない形でつながっていたということです。

 

 

実務者研修に通っていたIくんに、キャサリンからカードを贈らせてもらいました。キャサリンはカナダから来日し、ケアカレの生徒さんたちに自助具の作り方(工夫をすることの大切さ)を教えてくれています。授業で学んだことを生かし、現場で実際に作って使ってみたという声をくれた生徒さんに対して、キャサリンからお礼のメッセージカードを渡すことにしています。池野くんは早めに卒業してしまったので郵送になりましたが、ポストにケアカレのオレンジ封筒が届いて、その中に入っているキャサリンからのメッセージを読むときのIくんの顔が見てみたいと思うのは私だけでしょうか。彼にとって、一生思い出に残るイベントであり、キャサリンのことはずっと忘れられないはずです(笑)。

最近、初任者研修を修了したTさんから岩手の「ごま摺りダックワーズ」、実務者研修を修了したSさんから埼玉のお煎餅をいただきました。どちらも出身地の銘菓らしく、先生方も初めて食べる味だったのではないでしょうか。こうした心遣いはありがたく、ケアカレが開校して以来、私たちは食後のおやつに困ったことがほとんどありません。お菓子という目に見える形を取っていますが、その本質は先生方に感謝の気持ちを伝えたいのだと思います。私がブログを読んでも分からなかったように、先生方にとっても生徒さんたちに何が具体的に影響を及ぼしたのか分からないことがほとんどのはずですが、それでも目に見えない何かを私たちは日々、やり取りし合っているのです。

私の大好きな星野道夫さんという写真家であり冒険家がいます。彼はアラスカに渡り住み、ホッキョクグマやムース、ザトウクジラなど極北の地に生きる動物から風景まで、自然界の写真を撮り続けました(中学校の教科書にも載っています)。そして、その地で生き続けてきた先住民たちの暮らしや人生観、歴史も語り継ごうとしました。そのひとつとして、先住民たちの祖先が立てたトーテムポールという柱の話があります。トーテムポールは木の彫刻であるため、時間が経つと倒れたり、朽ちてしまうので、最近はその多くはその土地を守り続けた元の場所から持ち去られ、博物館などの中に収容されてしまっています。文化を残すというと聞こえは良いのですが、「いつの日にか、トーテムポールは朽ち果て、自然の中に還っていく。そして、そこは聖なる場所となる。なぜそのことがわからないのだ。大切なことはカタチあるモノではない」と先住民は考え、星野道夫さんはこう綴りました。

 

目に見えるものに価値を置く社会と、見えないものに価値を置くことができる社会の違いをぼくは想った。

そしてたまらなく後者の思想に魅かれるのだった。

 

(「最後の楽園3」PHP研究所より)

2021年

8月

05日

「笑顔で生きる」

丹野さんのことを知ったのは、町田の桜美林大学で行われた認知症のイベントにて、彼の講演を聴いたことがきっかけでした。爽やかというのが第一印象であり、実に理路整然と話す内容に驚かされ、他の当事者とのグループワークを仕切っている姿を見て、「認知症の人らしくない」と素直に思いました。それは偏見ということではなく、丹野さんは認知症の中でも若年性認知症の初期であり、認知症の症状にも幅があるということです。全ての認知症の人が、私の母方の祖母のように、孫のことさえ忘れてしまうわけではありません。そんなことよりも、丹野さんを見ていても、祖母を見ていても、たとえ認知症になっても、その人らしさはいつまでも残ると私は思います。

今から25年以上前、私は父方の祖母のお見舞いに老人ホームを訪れました。学生だった私は、介護のことや認知症のことなど全く知らない、白紙の状態でした。父方の祖母が暮らす老人ホームにいる他のお年寄りを見て、私は衝撃を受けたのです。なぜか分からないのですが怒鳴り散らしている方もいれば、身体を小刻みに揺らしながら落ち着かない方、ピクリとも動くことなく座ったままの方、いつもニコニコ笑顔で手を振ってくれる方など、あまりにも一人ひとりの姿が違っていたのです。同じような高齢で、同じ場所にいるにもかかわらず、まるで違う人間性が見えました。あのとき私は、自分が高齢になってこうして過ごさなければならなくなったとき、できれば笑顔で穏やかに生きたいなと素直に思ったのです。

 

本書には、丹野さんが認知症になる前のことも多く描かれていて、明るくて真面目、几帳面なところがあり、仕事熱心で人間が好きな性格は変わらないことが分かります。私が町田の講演会で見た丹野さんの姿そのものでした。つまり、丹野さんは認知症になる前もなってからも、何も変わっていないということになります。少なくとも私にはそう見えました。

 

変わった点としては、記憶の引き出しが失われてしまったことぐらいでしょうか。もちろんそれは本人にとって大きな負担や不安になりますから、当事者の内面における変化は大きいのだと思います。丹野さんのように、今までと同じように仕事をしたり、さらに積極的に講演活動をしたりと社会参加をする中で普通を演じるためには、私たちには想像できないような努力があるのも確かですね。

 

 

私の祖母も最後まで穏やかに笑顔で生きていました。自分の娘以外の人間の呼びかけにはあまり反応しなくなってしまいましたが、それでも「ありがとさん」と口ぐせのように言い、静かに亡くなっていきました。おばあちゃんらしいなと、いつも思っていたものです。認知症らしいからしくなかったかは分かりませんが、祖母らしかったのはたしかです。私たちはいつまでも私たちらしくしか生きられないのであって、最期まで周りの人たちと助け合いながら笑顔で生きていたいと願います。

2021年

7月

27日

オリンピックのようなクラス

4月日曜クラスが無事に修了しました。フィリピン、スペイン、ペルー、中国、アメリカなど、外国の方が多く参加してくれて、まるでオリンピックのような国際色豊かなクラスでした。数えてみると、3分の1が外国の方という珍しい構成でした。年齢や性別だけではなく、国境を越えて介護について共に学びました。多少の言葉の壁があったとしても、人が人を想い、相手にとって何が幸せかを考えながらケアをすることに国籍は関係がないのですね。これから先、おそらく介護の現場にも外国の方は増えてくるはずで、今回のクラスメイトの皆さんは、とても貴重な体験をしたのではないでしょうか。研修の最後には、それぞれの国旗が散りばめられた、可愛らしいメッセージボードを贈ってもらいました。ありがとうございます。

振り返ってみると、生徒さんたちから色紙やメッセージボードを学校に贈っていただく文化は、介護職員初任者研修の第1期生から生まれました。私たち湘南ケアカレッジにとっても初めての研修に参加してくれた生徒さんたちが、勇気を持って感謝の気持ちを形にしてくれたことが、こうして今回の126期生まで続いているのです。今や講師席にも事務所にも所狭しと飾ってあるので、ある種の圧力になってしまっているのかもしれませんが(笑)、決してやらせではありません。何かの仕掛けをほどこしたわけではなく、声掛けをしたわけでもなく、生徒さんたちが自分たちの意思でメッセージを書いて、ボードの形にまとめてプレゼントしてくれたのです。

 

そもそも、こういうものは作ってもらうようにお願いするものではなく、生徒さんたちの間にそういう気持ちが生まれるかどうかが大切なのだと思います。「他の学校でこうしたものを見たことがない」と小野寺先生はおっしゃいますし、私も大手の介護スクールで働いていたとき、神奈川エリアの20教室を5年間見てきましたが、たしかに一度もそうしたものを見たことはありませんでした。それぐらい、色紙やメッセージボードを生徒さんたちがつくって、学校や先生方に贈る行為のハードルは高いのです。なぜかというと、そうしなくてもつつがなく修了することができるわけですし、誰から責められることもありません。そんな中でこうしてメッセージボードをつくってくださるのは、感謝の気持ちを形にして伝えたいという純粋な主体性以外の何ものでもないのです。

 

 

お金を払った分は取り返そうというギブ&テイクの関係ではなく、生徒さんたちと学校や先生方がギブ&ギブの関係にあるからこそ、色紙やメッセージボードを贈るという現象が起こるのだと私は思います。より安く、より多くを求める今の経済システムの中、お互いが与え合う関係になるのは極めて難しいことですが、サービスを提供する側とされる側が奪い合う関係を超えて、まさにオリンピックのようなスポーツマンシップが生まれているのです。

2021年

7月

22日

驚くべき成長

今年、介護福祉士に合格したTくんが、ふらりと遊びに来てくれました。彼はいつも決まってふらりとやってきます。初任者研修を申し込んだときも、仕事探しの相談に来たときも、そして今回も。同行援護と知的障害者ガイドヘルパー養成研修のパンフレットをもらいに、ふらりとやって来ました。しかも、なぜかたまたま事務所に誰かがいるのですから不思議。ふらりとやってきて、現状をマシンガントークで話して、帰っていきます。今回は、新しい職場を求めて板橋区に引っ越すことになった話、さらにこれからは個浴を施設等に導入する活動をしたいという理想と情熱を語ってくれました。

 

彼は湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修を卒業したのち、とある施設に就職しました。見学に行ったいくつかの施設の中から、自分で選んだ施設です。介護職員初任者研修に通っていた当時のTくんを覚えている先生方は分かると思いますが、ぼんやりして、素朴ながらも変わったところのある青年でしたので、正直に言うと、意識の高い施設にいきなり入って大丈夫なのか、と心配したものです。

 

当時、その施設はまだオープンしたばかりでした。「介護を変える、自分たちで作り上げる新しい施設。普通の介護職が普通の介護をしたらあたりまえの生活」、『食事、排泄、入浴』の3つのあたりまえの生活を大切にする」という理念を掲げ、個浴などを実践しようとしていました。もちろん、介護スタッフには一人ひとりの利用者さんたちに対応し、浴槽に入浴してもらう介護技術が求められます。スタッフにも求めるものが多いため、その施設に合う・合わないは分かれます。介護技術や理念を体得したいと思う人にとっては良い施設ですが、もう少しのんびりと働きたいと思う人にとっては別の施設の方が合っているはずです。

 

Tくんへの僕の心配は杞憂に終わり、3年間勤めてリーダーとなり、介護福祉士に今年合格しました。これを機に、彼は新天地を求めることにしたそうです。東京都内であればどこでも良かったと彼は言いますが、その地域に根ざしつつ、個浴を広めていきたいと思ったそうです。いきなり広めると言っても難しいので、まずは入職して働きつつ、その施設に個浴を浸透させ、そこから人脈を作って、周りの施設等に個浴を広めていくつもりとのこと。その施設で個浴を実践してみて、利用者さんたちの喜ぶ姿を見て、それが普通の介護であり当たり前の生活であると、心から感じたからだそうです。また、自分も伝える活動をしてみたいと思ったそうです。

 

 

その話を聞いて、面白いと素直に感じましたし、心意気が素晴らしいと思いました。できっこないと言う人もいるかもしれませんが、彼はまだ若いので、時間をかけて取り組めば実現できるのではないかと僕は思います。それにしても、あの頼りなかったTくんが、介護福祉士を取り、個浴を広める活動をしたいと思うなんて驚きです。いつの日か、ケアカレナイトに彼をお呼びして、個浴の素晴らしさとそれにまつわる介護技術を教えてもらう日が来ると良いですね。今は夢物語かもしれませんが、10年後、生徒さんたちが私たちを飛び越えて、介護の世界を変えていってくれている未来が来ることを願っています。

2021年

7月

18日

介護職の性別や年齢についてー長く働き続けられるって本当?(後編)

上のグラフは介護職の年齢層を男女別で表したものです。男性は30代(29.2%)、40代(27.3%)が多く、次いで50代(14.1%)、20代(13.3%)となっています。働き盛りの年齢の男性の活躍が多いことが分かります。女性の場合、50代(25.9%)、40代(24.1%)、60代(25.5%)と、40代以上の方で4分の3を占める割合になっています。男性と女性のグラフで比べると、男性よりも女性の方が高齢になっても働き続けている方の割合が高いことが分かります。

 

続きは→【介護仕事百景】へ

 

 

2021年

7月

12日

教育の責任

せっかくなので、最近思うことのひとつを書いておくと、教育には大きな責任が伴うということです。何かについて情報を発信する側、知識や技術、考え方を伝える立場の影響力は、私たちが思っている以上に大きいのです。たとえば、先生から生徒、大人から子どもへと伝えられる教育は、広く深く浸透し、世界の見方や見え方、そして社会そのものさえも変えてしまう可能性があります。私たちは自分の意思で情報を得て、自分の頭で考えているつもりでも、実は誰かによって与えられた情報を基に、誰かの考えを自分の考えだと錯覚してしまっていることが多いのです。ほとんどの人たちは、良くも悪くも、そのまま影響を受けてしまうのです。

 

介護の世界でも、高齢者の人権などほとんど考えられることもなく、身体拘束など当たり前の時代がありました。今、当時の写真を見ると愕然としますが、わずか数十年前はそれが普通であり常識だったのです。それが当然だと教えられていたということです。もしかすると、今私たちが常識だと思っていることが、数十年後には非常識になっている可能性は十分にあるのではないでしょうか。だからこそ、教える立場にある人たちは、本当にこれは正しいのだろうかと慎重にならなければならないのです。こうあるべきとか、こうでなければならないという狭い考えは捨て、もしかすると間違っているかもしれないと自らを疑ってみる謙虚さは持ち合わせていたいですね。

中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」より

特に、大人から子どもたちへの教育は未来に大きな影響を与えます。教育というと大げさかもしれませんが、大人の言動や見識、思想の一つひとつが子どもたちの未来を形づくります。たとえば、今ほとんどの学校で子どもたちにも着けさせているマスクは、いつまで続くのでしょうか。大人が事実を基に科学的に考えて教えてあげない限り、子どもたちも未来永劫にマスクをつけて生活することになります。高齢者や基礎疾患のある人を守るという名目の下、周りの目を気にして、大人がマスクを外さないのは個人の自由であり勝手ですが、子どもたちにも死ぬまでマスクを着けて生きる社会を伝えますか。

 

 

子どもたちには、大人になってからは自分たちの力で未来を切り拓いて行ってもらいたいと思います。しかし現実問題として、子どもたちは今、知識もなく、無力であるということです。だからこそ私たち大人や教育にたずさわる人たちには大きな責任があり、社会や子どもたちは私たちの鏡であるということをしっかりと認識しておく必要があります。まずは大人たちが謙虚に学び、自分たちの頭で考えなければなりません。そして行動すること。話はそれからです。

2021年

7月

06日

一人ひとりを考える

先日、大阪の介護の学校で働いている友人と会って話しました。もうかれこれ3年も会っていなかったようです。それでも、本当の友人は何年ぶりに会っても変わらないものですね。安心感というか、共感があるのです。彼は今や関西だけではなく、関東の教室もマネージメントしていますが、とにかく学校や先生、生徒さん同士に対するクレームが絶えないそうです。大したことではないのに文句を言ってきたり、いざこざが起こってしまうそう。学校が仲裁に入り、その対応に追われてしまうことも少なくないそうです。たしかに、教室が多くなるとその分トラブルも増えるのですが、それ以上に、私が話を聞いた限りでは、生徒さんと学校や先生、また生徒さん同士の関係性に問題の根っこはあると思いました。生徒さん一人ひとりを、人として考えていないことから生まれる、関係性の希薄化による問題です。

 

一人ひとりを考えると言葉で言うのは簡単ですが、意外と簡単ではありません。プライベートでは人間同士の付き合いができている人でも、仕事となると人を一人ひとりの個人として見ることができなくなります。それは私たちのせいではなく、今の経済のシステムがそうさせてしまっているところが原因のひとつです。仕事とはビジネスの中にあり、ビジネスはどうしても効率化を目指します。効率的に利益を上げることを考えると、人を左から右へ、佐藤さんや木村さんではなく、匿名の集団のお客様たちとして扱う方が効率的だからです。

 

一人ひとりを考えていてもキリがないというか、まとめて作ってまとめて売る方が、どう考えても効率的に稼げるのです。ビジネスは効率的に稼ぐことを目指すとすると、その中の仕事もその一部であり、私たちは望む望まないにかかわらず相手を一人ひとりの個人として考えることは非効率な状況に置かれてしまいます。これは介護の現場だけではなく、医療の現場でも、近くのコンビニやスーパーでも、飲食店でも衣料品店でも起きていることです。効率的に稼ぐことをゴールとするならば、一人ひとりを見ようとすることは障害にしかなりません。十把ひとからげに扱う方が効率的に稼げるのです。

 

そうすると当然、失ってしまうものもあります。一人ひとりとの関係性です。学校でいうと、生徒さんと学校や先生、また生徒さん同士の関係性が失われてしまいます。相手のことを見ていないので、どうしても対応が無機質になったり、ルールやマニュアルどおりになります。お客様は自分が個人として見られていないことを感じるので、スタッフを人として見ることもありません。お互いが人間の外見をして動くロボットのような関係になる。そうすると、相手に完璧を求めるあまり些細なことが気になり、相手の弱みが目に付くようになり、上手く行かないのは目の前にいるロボットのせいだと思ってしまうようになるのです。全て無意識のうちに。ほとんどの問題は関係性から起こるのです。

 

どうすれば良いかというと、やはり一人ひとりを考えることです。一人ひとりを考えると言っても、人生を背負うとかサポートするとかそんな大げさなことではありません。ちょっとした声掛けをしてみることから始めましょう。名前を呼んでみてもよいかもしれません。声をかけるためには、相手の動きや心理を観察したり、興味を持ったりしなければいけません。声をかけてみると、相手からは面白い反応が返ってくるかもしれません。それに返しているうちに、お互いのことが少しずつ知れて、いつのまにかお互いをひとりの人間として見られていることに気づくはずです。その積み重ねが大切です。

 

互いに人間として考えることができると、関係性が自然と良くなり、どちらも楽しいはずです。サービスを受ける側も提供する側も、お互いを理解しようとするはずです。もちろんクレームは一切なくなり、むしろ感謝してくれるはずです。そこには笑顔が生まれます。そして実は、その方が効率的に稼ぐことができるのです。だって、同じものを買うならば自分の好きな人から買いたいと思うはずですよね。大量にお金を使って無駄な広告を打って、無駄な人材をたくさん雇って、大きなザルで儲けようとするよりも、人間同士の関係性で商売する方がよっぽどローコストです。

 

 

コツは「効率的に」と「稼ぐ」を切り離して、別々に考えることです。効率的に仕事をしようとすることも、稼ぐことも決して悪いことではありません。この2つをまとめてやろうとするからおかしな方向に行ってしまい、誰もが不幸になってしまう。そうではなく、一人ひとりを考える方が実は「効率的」であり、その結果としてたまたま「稼げる」と考えることです。どのようなビジネスや仕事をするにしても、私たちや私たちの社会が幸せになるために、大切な考え方だと思います。

2021年

6月

29日

「コロナは概念」

コロナ騒動をきっかけとして描き始め、これまでは自費出版の手売りだった片岡ジョージさんの4コマ漫画が、ついに書店で発売されました。タイトルからして秀逸ですね。感染症としての新型コロナウイルスは存在しない!と声高に主張するのではなく、「コロナは概念」とすることによって、本質を突きつつも、敵対関係をつくることなく、分かる人にはクスっと笑える、痛烈な風刺であり批判になっています。タイトルにピンときた方は手に取って読んでもらいたいですし、カチンと来た方も頭を柔らかく解きほぐすためにもとりあえず読んでみてください(笑)。

この4コマ漫画のすごいところは、著者である片岡ジョージさんはかなりの時間をかけてウイルスや感染症、PCR検査などについて学んだ膨大な知識があり、その上澄みだけを笑いとしてすくい上げているところです。それはパート2に収められている4コマ漫画の解説を読めば伝わってきます。分かりやすくなければ伝わらない、笑いの方が怒りよりも圧倒的にパワーがあることを体現してくれています。世の中がおかしなことになっていても、それを笑いに昇華する著者の精神は尊敬に値します。

 

また、著者は専門家でも医師でも政治家でもない単なる一般人ですが、だからこそ今起こっている状況をフラットな視点で観られるのでしょう。誰に対してポジショントークをする必要もなく、物ごとを冷静かつ柔軟に考えることができるのではないでしょうか。知識や情報が偏っている専門家や医師、有権者である高齢者の顔しか見ていない政治家が真実から遠ざかっていくのに対し、インターネットなどで幅広く情報や考え方を得て、日常生活の肌感覚を大切に考える一般人の方が、真実に手が届いてしまっている現状は皮肉ですね。

 

どれだけ言葉を費やすよりも、実際に片岡ジョージさんの4コマ漫画を読んでもらった方が説得力はありますので、個人的なセレクションを勝手ながら引用させてもらいます。

最後にひと言だけ付け加えておくと、これをもし不謹慎だと思うのだとすれば、それは不勉強です。これからの私たちの未来にとって大切なことですので、いろいろな人たちの意見や考え方、そして事実や科学的知識を知って、もっと学んでみてください。特に、介護や医療の現場にいる人たちには、切にお願いしたいです。

講演動画も必見です。漫画の内容と事実のみを読み上げる内容になっています。

2021年

6月

22日

資格や経験を積み重ねていく仕事を探して(コロナ禍における介護業界への転職③)

音楽家として活動していた高橋さんは、コロナの影響で仕事が減ってしまったことから転職することしました。コンビニのレジ打ちやタクシー運転手などの選択肢を迷っているなか、保育士の友人に相談したところ、「資格や経験を積み重ねていくことも考えてみては?」との言葉といくつかの資格について教わり、その中のひとつだった介護職員初任者研修を受けることにしたそう。

 

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