2022年

9月

28日

先生が出席を取る理由

湘南ケアカレッジでは、授業が始まる前に、先生が生徒さん一人ひとりの名前を呼び、返事があれば出席簿に〇をつけることで出欠の確認を行っています。もう10年間も出席を取ってきているので、このような形が当たり前だと思ってしまいます。ところが、他の学校で教えたことのある先生はご存じでしょうが、実は当たり前ではないのです。出席簿を前から後ろに回していき、生徒さんが自分の名前を書いたり、出席欄に〇をつけたりする学校もあれば、事務局のスタッフが入口のところで先に出欠を取っておく学校もあるそうです。

 

 

それぞれのやり方があって、どの方法が正しいということはないのですが、先生が生徒さんの名前を呼ぶスタイルをケアカレが取っているのには意味があります。出欠を取るところからコミュニケーションが始まっているのです。

 

  先生が生徒さんの名前を呼ぶ

  生徒さんが「はい」と言って、手を挙げる

  先生は(笑顔で)その生徒さんのことを見る

  生徒さんも先生と目が合う(笑顔になる)

 

これは挨拶と同じで、一方通行ではなく、先生と生徒さんの間にやり取りが生まれます。「はい」と声を出してくれない生徒さんもいるかもしれませんし、こちらを見てくれない生徒さんもいるかもしれません。それでも先生が名前を呼んで、生徒さんがそれに応じるという個人間のやり取りが生まれます。しかも、授業に入る前の、先生と生徒さんの間の最初のコミュニケーションですから、お互いの最初の印象がここで決まります。

 

たとえば、「はい!」と元気よく答えてくれる生徒さんには元気だなあという印象を持ちますし、無言で手を挙げる生徒さんは何か嫌なことがあったのかなと心配になります。目を伏せてこちらを見てくれない生徒さんは自分のこと嫌いなのかなと不安になりますし、逆に互いに目と目がきちんと合うと嬉しいはずです。さらに笑顔があると最高ですね。

 

これは生徒さんにとって逆も然りです。ぼそぼそとした声で出席を取る先生がいると、陰気な先生だなと感じてしまいますし、目を伏せっぱなしで出欠を取る先生は自分たちに興味がないのかなと察してしまいます。明るく笑顔で出欠を取るだけで、最初から場を温めることができますし、生徒さんたちもリラックスして授業に臨めます。これは塾の出欠を取るときにも講師が意識しているイロハのイです。ほんの1秒そこらのやり取りですが、人間同士のコミュニケーションの本質が詰まっている瞬間なのです。

 

 から④が基本ですが、⑤で先生から「よろしくお願いします」とか「(ちゃんと返事をしてくれて)ありがとうございます」と返してもさらに良いと思いますし、「私と同じ苗字ですね」とか「今日は振り替えなんだ」とかYes,Noクエスチョンを入れるのも、人によっては応用編として良いと思います。まあそんなに難しく考える必要もなくて、お互いに気持ち良く笑顔で挨拶するように出席が確認できたら良いということですね。

 

たしかに、出席簿を生徒さんに回してもらったり、事前にスタッフが出欠を取ったり、タイムカードでピッとしてもらったりすれば、効率的で時間の短縮にはなるかもしれません。ひとり一人の名前を呼ぶと、1人6秒×30名で約3分ぐらいは時間が掛かってしまいますからね。ただ、たったそれだけの時間で生徒さんたちと簡単なコミュニケーションが取れるのであれば悪くないのではないでしょうか。むしろせっかく授業の最初の貴重な時間を使うのであれば、良質なコミュニケーションを取らなければならないのです。自分の人間性を伝え、生徒さんの人間性を知り、互いに心が通じ合うような個別のやり取りができれば、たった3分が大きな意味を持つのです。出席の確認は単なる出席の確認ではなく、出席を取ることを通してお互いの心を通じ合わせるためにするのです。

 

 

このように、普段から先生方が何気なくしてくださっている言動には大きな意味があるのです。それ自体はほんの些細なことに過ぎませんが、そうした言葉や行動が積み重なると、クラス全体の雰囲気をつくり出します。湘南ケアカレッジが生徒さんにとってアットホームで楽しい学校であるのも、生徒さんと先生方や学校との距離感が近いのも、生徒さん同士の仲が良いのも、実はそうした小さいことから始まっているのだと私は思っています。効率を追い求めすぎると、物ごとの裏にある大切な意味や本質を見失ってしまうことになりますね。湘南ケアカレッジはこれからも小さなコミュニケーションを積み重なることのできる学校でありたいと願っています。

2022年

9月

17日

「Coda コーダ あいのうた」

フランス映画をリメイクするのは「最強のふたり」と同じパターンで、元ネタとなった「エール」よりも「コーダあのうた」の方が圧倒的に素晴らしい作品になっています。自分以外はろう者の家族に生まれた主人公のルビーは、大好きな歌の才能を見出され、家族のもとを離れて音楽大学に進むか、とどまって家業である漁業を手伝うかの間で葛藤するストーリーは同じです。何がそんなにも違うかと聞かれても困るのですが、キャスティングもぴったりですし、劇中にはさまれるユーモアも笑えて、泣かせるところは泣かせるというメリハリの良さがありますね。何よりもルビーと兄、母と父がそれぞれ個性的に描かれていて、それゆえに家族の絆が伝わってくるようです。音楽大学の試験にて、家族が聴いている(見ている)前でルビーが歌う、「青春の光と影」(ジョニ・ミッチェル)歌詞には深い意味が込められていました。

しなやかに流れる天使の髪

ふんわり浮かぶアイスクリームの城

どこまでも続く羽毛に包まれた谷

私はそんなふうに雲を見ていた

 

でも雲は太陽の輝きをさえぎり

いたるところに雨や雪を降らせる

やりたいことがたくさんあったのに

雲によって閉ざされた

私は両側から雲を眺めてみる

上からも下からも

でもそれは私が抱いた雲の幻想

雲の本当の姿は分からない

 

お月様 6月 そして観覧車

ダンスを踊って舞い上がる気分

おとぎ話が叶う気がする

私はそんな風に愛を思い描いていた

でも愛なんてありふれたお芝居

別れるときは笑顔のままで

想いが残っていても気づかれないように

自分の本心は胸の奥に隠して

私は両側から愛を眺めてみる

与えたり受け取ったり

でもそれは私が抱いた愛の幻影

愛の本当の姿を何も知らない

 

涙と不安 それでも誇りを忘れない

愛していると大声で叫ぼう

夢と計画 喝采する群衆

私は人生をそんな風に見ていた

でも友人たちはおかしな素振り

首を横に振って私は変わったと言う

失ったものもあれば得たものもある

毎日を生きていればそんなこともあるわ

私は両側から人生を眺めてみる

勝つこともあれば負けることもある

でもそれは私が描いた人生の幻影

人生の本当の姿は分からない

 

私は両側から人生を眺めてみる

上からも下からも

でもそれは私が描いた人生の幻影

人生の本当の姿は分からない

 

雲だって愛だって、人生だって、表から見れば良く見えても、裏から見ればまた違ってみえる。上から見ても、下から見てもそれは同じ。良いこともあれば悪いこともあり、勝つこともあれば負けることもある。障害者があるからこそ家族の絆が強まることもあれば、健常者で何ひとつ苦労がないからこそバラバラになってしまう家族もある。音楽大学に行って才能を開花させることが成功で、通訳者として家業を手伝わなければならないことが負けだとも限らない。でもそう考えることすらも私たちが勝手に解釈した幻影にすぎず、誰も雲や愛や人生の本当の姿なんて分からないのです。

 

 

ルビーはわずか17年間生きてきただけですが、普通とは少し違った境遇で育ったおかげで、人生について多くを学んだのです。そうした自分の想いを歌声に乗せて、自分の大切な家族に伝えようとして、伝わった。そして家族だけではなく、審査員の心にも届き、見事に合格を果たします。音楽大学に進む決断をして旅立とうとするルビーを兄も父も母も誇りに思って送り出し、ルビーなしでも生きていくために自分たちも新しい事業に挑戦することになります。失うものがあれば得るものもある。その逆も然り。私たちの人生の本当の姿は分からないからこそ美しいのですね。ストレートなメッセージが歌声に乗って心に届く映画でした。

2022年

9月

08日

家族のように

8月短期クラスが無事に修了しました。10代の学生さんから70代の方まで、夏休みのクラスならではの、年齢層の幅広い生徒さんたちが集まりました。男女の割合も半々ぐらいだと思います。にもかわらず、年齢や性別など関係なしに、とても楽しく和気あいあいとした雰囲気のクラスでした。最終日を待たずして授業後に飲みに行ったりもしていたみたいですね(笑)。私はこうして生徒さんたちが仲良くしてくれるのを見るだけで嬉しくなります。生徒さんの自宅の庭で採れた野菜を持ってきてくださったり、開業の相談を持ち掛けてもらったり、携帯を失くしてしまったけど出てきた騒動など、全ては楽しい思い出です。

開校当初は「世界観が変わる福祉教育を提供する」という理念を掲げていましたが、長い間学校を続けてきて、それよりも大切なのは生徒さんたちの仲が良いことだと思うようになりました。私たちが素晴らしい授業を提供するのは当然のこととして、それだけでは全体の満足感はマックスまで達することはなく、やはり研修における人間関係がこそが最も重要だと知ったのです。

 

その人間関係とは、生徒さん同士の関係性、生徒さんと先生の関係性、そして生徒さんと学校の関係性の3つがあります。大切な順に並べてみると、生徒さん同士の関係性>生徒さんと先生の関係性>生徒さんと学校の関係性になりますが、実はこの3つの関係性が全て満たされないと、研修全体としては不完全なのです。

 

クラスメイト同士の仲は良くても、先生との関係性が悪くて対立してしまったり、もしくは生徒さん同士が集団になって学校にクレームを入れたりすることは、他の学校では良くあることです。生徒さんたちと先生、学校の間のどこかで分断が起きてしまうと、たとえ一方は仲が良くても、その分、他方との対立は深くなってしまうのです。

 

湘南ケアカレッジではそのようなことが今まで一度も起こっていないのは、3つの関係性が上手く行っているからだと思います。小さい学校ゆえに関係性をつくりやすい面はあると思いますが、それぞれの距離が近く、垣根がほとんどない状態だからではないでしょうか。生徒さんも先生方も鏡ですから、私たちが事務的に接してしまうと相手も事務的になってしまうのです。そのような事務的さがケアカレには全くと言ってよいほどないはずです。

 

 

少なくとも私は一度ケアカレにかかわった人は家族のように思っています。私だけではなく、(研修に参加したことのない方々には分からないかもしれませんが)クラスメイト同士も家族のような存在になると思いますし、先生方も生徒さんに対して家族のように接してくれていると思っています。家族だからと言ってなんでもするわけではありませんが(笑)、家族のように大切に想って、親身になりたいと思っています。これは仕事だからではなく、生き方の問題かもしれません。せっかくこうして人と関わる以上は、豊かな関係性をつくりたいですよね。これからも8月短期クラスのような幸せな研修をつくっていきたいと思います。

 

8月短期クラスの方々からド派手なメッセージボードをいただきました。実は144期生のところにライトが設置されていて、スイッチを入れると輝くのです。暗くしてみると分かりやすいと思います。電光はケアカレ初ですね。まさかこの手があるとは(笑)。

2022年

8月

28日

10歳になりました

修了証明書を再発行してくださいという依頼と共に、昔なつかしい卒業生さんから電話をいただくことがあります。先日はSさんと名乗る女性から電話があり、会話の中で「うちの●●(男の子の名前)ももう10歳になりました」とおっしゃっていました。そのとき私はピンと来ず、「そうなんですね」と適当な答えをしてお茶を濁しましたが、その後、修了証明書を再発行するためにSさんのフルネームをお聞きして、過去のデータを調べてみたところ、まさかの10年前の4期生の生徒さんでした!彼女の顔が思い浮かび、そして、ある出来事が鮮明に蘇ってきました。

 

Sさんは5月短期Bクラスの生徒さんでした。当時は月曜日から金曜日まで平日毎日通って、わずか3週間で修了するという最短のクラス。当然のことながら、生徒さんは土曜日と日曜日しかお休みがなく、そのお休みの日にケアカレのビルのちょうど入り口のところでベビーカーを押しているSさんにバッタリお会いしたのでした。「小さなお子さんがいらっしゃったのですね。おいくつですか?」、「1歳になったばかりです」というような会話をした記憶があります。そのときに男の子のお名前が●●であることを教えてもらったのでした。あれからちょうど10年が経って、「うちの●●(男の子の名前)ももう10歳になりました」と電話で話すとは思いも寄りませんでした。

 

ベビーカーに乗っていた、あの小さな赤ん坊が10歳になったのです!●●くんの姿を見たら、その成長ぶりにさらに驚かされたことでしょうし、あの赤ん坊が10歳になったという事実だけで驚き以外の何ものでもありません。そして、湘南ケアカレッジも、私たちが気づかないうちに、赤ん坊から10歳になったのだと自覚したのです。他人の子どもの成長は速いと言いますが、比べてみることで、自分たちもいつの間にか大きく成長していることに気づかされるのです。「100年続く学校に」と宣言してしまいましたので、まだ10歳でしかありませんが、それでも赤ん坊が小さな子どもになったのですから大きな成長ですね。

 

子どもと違って、学校の成長というのは目に見えにくいものですが、それでも大きく変わっているのだと思います。この前、行きつけの美容室に行っていつもの美容師さんと話している中で、「うちもかれこれ20年近くになりますが、それぐらい続けていると、やはり地元の人たちに認知されている部分もあるのか、なんだかんだ言って、お客さんも途切れることが少ないですね」と言っていました。その美容師さんは一度、独立してお店を持ってみたのですが、いろいろあって出戻りしたそうです。そうして初めて、長く続けていることの力に気づかされたと言います。長く続けること自体が難しく、長く続けることによって、気づかないうちに根のようなものが深く広く張り巡らされていくのです。

 

 

あっという間の10年でしたが、湘南ケアカレッジも町田から神奈川に深く広く根を張り巡らせてきたのではないでしょうか。先生方が生徒さん一人ひとりに向き合ってくださって、どの授業でも世界観が変わるような福祉教育を提供してくださったことの積み重ねは、目に見えなくても、大きな力になっているはずです。それはお金をかけて広告を打っても決して届かないほどに、深くて広い根の力なのです。最初は点にすぎなかったかもしれませんが、次第に点がつながって線となり、さらに線と線がつながって面となり、10年経った今や立体となりつつあるのではないかと思います。赤ん坊が20歳になる頃には、私たちにはどのような世界が見えているのか、湘南ケアカレッジはどのような学校に成長しているのか楽しみです。

2022年

8月

19日

「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」の募集を開始します!(令和4年度秋)

令和4年秋、「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」を追加開催します!ガイドヘルパーは障害のある方の外出の支援をする仕事です。在宅や施設が「屋内」だとすれば、ガイドヘルプは「屋外」における介護。利用者さんの行きたい場所を聞きながらプランを立て、外出し、必要な支援を行いつつ、色々な話をしながら、一緒に楽しむお仕事です。行きたい場所や好きなところに行けることは、利用者さんにとって希望や生きがいとなり、外出先での思い出は、日常を生きる活力ややりがいにもつながります。もちろん高齢の方にも同じことが言えますよね。そして何よりも、この仕事は私たちも楽しい!そんな外出支援のお仕事ができるようになってみませんか?

 

→介護・福祉についてさらに深く学びたくなった。

→利用者さんの外出を支援するお仕事に興味がある。

→障害のある方々や子どもたちの支援について学びたい。

→屋外にて車椅子を安全に操作する技術や知識を得たい。  

 という方は、ぜひご受講ください。

ガイドヘルパーの仕事に合わせた、実践的なオリジナルコンテンツ

1、  芹が谷公園での演習

芹が谷公園まで車いすで行き、車いす介助の演習をします。公園内にある段差、砂利道、坂道など、外出時における様々な状況を想定しながら、車いすを押す技術を何度も練習して身につけます。普段は屋内でしか車いすを押していないという方にとっては、また違った介助であり、技術が身につくはず。自然の緑に溢れる広い公園ですので、ぶつかったりする心配もなく、安心して練習ができます。

 

2、計画を立てる

利用者さんが10人いれば、行きたい場所やしたいことは10通りあるはず。利用者さんの行きたい、楽しみたいという気持ちを大切に、安全・安心を確保しつつ、また時間どおりに戻って来られるように、2人1組のペアになって具体的に計画を立てます。目的地にたどり着くまでにどのような障害があるのか、どの道を通って行けば安全なのか?エレベーターの場所は?電車はどの車両から乗るべき?準備をしておくべき物ごとは何か?などなど。普段とは違った視点で話し合うことで、ガイドヘルパーの仕事に必要なことが見えてくるはずです。

 

3、  フリー行動(町田ルート&相模大野ルート)

自分たちでつくったオリジナルの計画に沿って、町田駅周辺を散策するルートと、相模大野駅まで電車に乗って行くルートのいずれも体験していただきます。いち利用者とガイドヘルパーとして、車いすに乗りながら(または押しながら)、限りなく実際のガイドヘルプの仕事に近い内容の研修になります。街中を車いすで進んだり、踏み切りを渡ったり、切符を買って改札を通ったり、エレベーターに乗ったり、電車に乗ったり降りたりと、ほとんどの方々にとっては初めての経験となるのではないでしょうか。計画通りに行くこともあれば、行かないこともあるはずです。それでも利用者とのコミュニケーションを楽しみながら、安心・安全な外出をサポートすることが大切です。

 

4、振り返り

教室に戻って来てから、実地研修で学んだことや気づいたことをグループで共有します。プランニングと実際のガイドヘルプでは違っていたこと。車いすに乗って、障害者として外出してみて感じたこと。街中の人々の対応やバリアフリーについて。成功したことや失敗したこと、困ったことなど。グループワークを通して、体験を学びに変えていきます。

 

タイムテーブル(当日の状況によって変更があることをご了承ください)

講義(実習含む)

  800900 

ガイドヘルパーの制度と業務

  9051105 

全身性障害者の疾病・障害の理解

11:1014:20

*10分休憩含む

移動支援の基礎知識(芹が谷公園にて)

演習

14:2515:25

基礎的な介護技術

  1530~1830 

移動支援の方法

(町田周辺、相模大野まで外出します)

*昼食はガイドヘルパーの演習の流れの中で召し上がっていただきます。

 

*雨天決行になりますので、雨の場合は雨がっぱ等をご用意いただきます。

 

修了証明書

研修終了後には、「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」修了の資格が手に入ります。この資格を持っていないと仕事に従事できなくなってきており(市区町村によって異なります)、実際に役立てていただける場面も多く、もちろん履歴書にも「「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修修了」と書いていただけます。

 

講師紹介

湘南ケアカレッジの講師は、介護福祉士や社会福祉士の資格を持ち、現場経験や知識が豊富なだけではなく、教えることに対しても技術と情熱を持っています。分かりやすく丁寧に教えさせていただき、介護の世界の素晴らしさをひとりでも多くの人々に伝えたい、と願っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小野寺祐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阿波加春美

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橘川知子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥玲子

 

受講料

13,000円(税込、テキスト代込)

 

定員:30名限定

教室の外に出るという内容の関係上、人数を限定させていただくことをご理解ください。

 

受講資格介護職員初任者研修課程修了者(修了予定者を含む)、ホームヘルパー2級課程修了者、介護福祉士並びに東京都居宅介護職員初任者研修課程及び東京都障害者居宅介護従業者基礎研修課程修了者、東京都障害者(児)居宅介護従業者養成研修1級課程、2級課程及び3級課程の修了者、介護保険法上の訪問介護員、実務者研修修了者、介護職員基礎研修課程修了者。

 

研修日程(令和4年度)

第1回

 第2回

令和4年5月15日(日)

満員御礼

令和4年11月27日(日)

 

   

*全身性障害者ガイドヘルパー養成研修は全1日で修了する研修になります。

*上記の日程の中から、お好きな1日を選び、ご受講ください。

お申込みの流れ

①以下の申し込みフォームよりご入力、もしくはお電話(042-710-8656にて直接お申込みください。

※いずれの場合も、ご希望のクラスが定員になりますと受付できませんのでご了承ください。

②受講確認書をお受け取りください。

ご自宅に「受講確認書」と「受講料お振込みのご案内」が届きます。

③受講料をお振込みください。

「受講確認書」が到着後、1週間以内に受講料をお振込みください。お振込みは、銀行ATM やネットバンキングからでも可能です。

※手数料は各自でご負担ください。また、お振込みは案内をよくご確認の上、お願いいたします。

④研修当日

申し込みクラスの日時をご確認の上、教室までお越しください。当日、テキストをお渡しします。

 

*当日、本人様確認を行いますので、身分証明書(健康保険証または運転免許証等)をご持参ください。

 

生徒さんたちの声

実際外に出て、自分で体験できた

普段の仕事では室内の車いす介助なので、実際外に出て、自分で体験できて良かったです。少しの段差でも気を遣い、踏み切りや電車の乗降はとても難しかったです。少しでも困っていると周りの方が助けてくださり、本当にありがたかったです。1月からデイサービスの仕事に移るので今日の研修を生かせればと思います。A.Aさん)

元気をもらえました

とても楽しく面白くしっかりと学ぶことができて充実した研修でした。不安もありましたが、先生たちがいつも励ましてくれ信じてサポートしてくださることが自信につながります。先生たちに久しぶりにお会いできて元気をもらえました。ありがとうございます。また学びに来たいです!(大塚さん)

車イスの操作のむずかしさ

車イスの操作のむずかしさを改めて実感しました。2段階の段差、踏み切り横断で特に感じ、普段施設内移動では味わえない貴重な勉強をさせていただき、今日研修に来て良かったと思いました。久しぶりにケアカレの先生方の優しさに触れて楽しい1日でした。M.Iさん)

新しい発見がありました

すでにガイドヘルプの仕事を行っていましたが、新しい発見がたくさんありました。特に車いすに乗らせていただくことはないので、自分の身体の自由が利かない中で、この気分はどうだろうと改めて思いました。また準備の大切さもとても感じました。心地よい疲れをありがとうございました。Y.Oさん)

基本から知ることができた

車イスに乗ってみて、いろんなことが違って感じた。人込みの怖さ、薬局に入って、棚の商品(上の段)が全く見えないこと、親切な人やそうでない人、車いすを押すのも手だけではなく身体ごと使って段差を乗り切ること、坂路での下り方、基本から知ることができたのでとても良かった。(奥田さん)

とても新鮮でした

貴重な体験ができて、とても有意義な1日でした。いつもと違う視線、視点で見ることができ、とても新鮮でした。想像以上に段差が多くて大変でしたが、想像以上に町を行く人は親切でした。この経験をこれから活かして何かできたらいいなと思っています。M.Aさん)

街の人たちが優しかった

いちばん感じたことは、街の人たちがとても優しかったことです。エレベーターのボタンをずっと押してくれていたり、道に迷っていたら道案内をしてついてきてくれたり、本当に感謝しています。今まで気がつかなかった視点で観ることができる、とても良い機会になりました。(金子さん)

誇りと希望が持てます

本当に実際に車いすに乗って危険や不便さをたくさん感じました。いかに健常者優先の環境になっているか、身に沁みました。商品が目に飛び込んでくるようなダイナミックな視線や大きな溝より分かりづらい穴とかの方が危険なこと、いろいろ思いましたが、結局それでも外出したいと思うのがいちばんの感想だったので、この仕事は誇りと希望が持てます。(座間さん)

研修の風景(動画)をご覧ください。

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2022年

8月

10日

つながりをつくる

授業が終わった後、小野寺先生が「何とかつなげられたかなと思います」と振り返っていたのが印象的でした。介護職員初任者研修は15日間、実務者研修は7日間のスクーリングがありますが、1日の授業が15回もしくは7回あるのではなく、それら1日1日の授業はすべてつながっているのです。自分の与えられた内容の授業を教えるだけであれば、ベテランの先生方にとってそれほど難しくはありませんが、次の授業や先生にバトンタッチをしてつなげていくことを考えると簡単なことではありません。また次もケアカレに来たいと楽しみに思ってもらわなければならないからです。ケアカレの先生方は、ただ単に授業をするだけではなく、つながりを作ろうと思って教えてくださっているのです。

 

授業と授業がつながっていることは大切です。具体的には、A先生とB先生の語る介護に関しての方向性が全く違うと生徒さんたちは混乱します。当然の話ですが、たとえばある先生はオムツは最終手段であり、できるだけ付けない生活を目指しましょうと言い、ある先生はオムツを外すのは現実問題として難しいから無理と言うと、つながりは失われてしまいます。生徒さんにとっては、どちらの言っていることが正しいのか、私たちはどうすれば良いのか分からなくなるのです。もちろん、先生方一人ひとりは考え方も経験も違いますので、全員が同じことを話すということではありません。それぞれに伝え方も意見も異なっていて良いのですが、目指している方向性が同じであるべきです。そうした一貫性があると、生徒さんたちは安心するはずです。

 

湘南ケアカレッジは他の学校と比べて、この一貫性という点において秀でていると思います。それにはいくつか理由があって、ひとつはどの研修も今いる先生方と一緒にイチから創り上げてきたからです。右往左往したり、試行錯誤したりもしましたが、基本的には同じ方向を向いて研修をつくってきました。そして何よりも大きかったのは、ケアカレはもともと36名設定の研修であり、メインの先生と2名のサポートの先生という3名体制を採っていたことで、他の先生の授業の内容をそれぞれが知っていることです。他の先生がどこで何を言っていて、何を教えているのか具体的に知っているからこそ、「〇〇先生が~と言っていたように」、「〇〇先生が~という話をしてくれるから楽しみにしてね」などとつなげることができるのです。

 

もうひとつ、生徒さん同士がつながっていることも大切です。研修が始まった頃には、生徒さんたちは一人で教室に来て、知っている人が誰もいない中、緊張しながら授業を受けることになります。もし授業が一方的に先生が話して、生徒さんが聞くというスタイルであれば、生徒さんたちはいつまで経ってもつながることはありません。ひとりで来てひとりで帰ることの繰り返しです。しかし、授業の中でグループワークをしたり、お互いに話す時間を意図的につくることによって、生徒さんたち同士につながりが生まれます。そうなると生徒さんたちは研修が進むごとに知っている人が増え、仲間の中で授業を受けている安心感が持てるようになります。生徒さん同士をつなげて、安心感のある雰囲気をつくっておくと、次の先生は授業をしやすいのです。それもつなげることの1つの意味です。

 

 

授業の内容だけではなく、生徒さん同士もつなげること。ただ教えるべきことを教えるのに比べて、いかに難しいか分かっていただけるはずです。ケアカレの先生方は、それぞれの方法でつながりをつくってくださっているからこそ、生徒さんたちは安心して最後まで研修を受けることができるのです。これからもつながりのある研修を提供したいですし、いろいろなつながりを作ることのできる学校でありたいと思います。


PS
上の色紙は7月短期クラスの皆さまからいただきました。ありがとうございます。初任者研修を修了して、仕事に就いても、ずっとヒヨコという気持ちを忘れずにいたいというメッセージも込められているそうです。先生方の似顔絵も素敵ですね。5年以上前の卒業生の紹介で来てくださった生徒さんもいて、そういう意味でもつながりのあるクラスでした。

 

2022年

7月

30日

昨日とは違う席に座る

湘南ケアカレッジでは、いつも違う席に座ってもらうようにしています。どういうことかと言うと、席が決まっているわけではなく、毎回違う席に座るように働きかけているということです。ともすると、私たちはいつも同じ席に座ってしまいます。意識しているわけではないのですが、人間の習性として、いつもと同じ行動を取ってしまうのです。研修の初日に一番後ろの席に座った人はずっと後ろに座りますし、前に座った人も同じです。教室に来る順番(時刻)も実は皆さんほぼ同じなので、そのままにしておくと、毎日同じ順番に同じ席に座って授業がスタートするということになりかねません。それの何が問題なのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、毎日同じであるよりも、昨日とは違う1日を生きることの方が大切であると思うのです。

毎日同じ席に座ると、毎日同じ人が周りにいて、同じ環境で過ごすことになります。それが安心につながるのかもしれませんが、せっかく15日間しかない介護職員初任者研修ですから、できるだけ多くのクラスメイトと接する機会を得てもらいたいのが学校としての気持ちです。もっと長いスパンで考えれば、固定された環境や人間関係だからこそ深められるものもあるのは確かですが、15日間という日数を考えると、人との接点を広く取ることを優先するのが良いと思います。今まで出会えなかった人たちと接し、様々な考え方や意見に触れてもらいたいと願います。そうすることで、自分の世界が広がるはずです。

 

 

違う席に座ることは、出会いや環境を自ら変えるという意味で分かりやすいのですが、実は普段の私たちの行動にも同じことが当てはまると思います。意識をしていないと、私たちは同じ時間に起き、同じ時間に出発し、同じ電車に乗って、同じ道を歩いて、同じ人たちに会って、同じように仕事をして、同じように家に帰って、同じテレビを観て、同じ会話をして、同じ時間に寝るという毎日を過ごしてしまいます。それはそれで悪くはないのですが、そんな日常があまりにも続きすぎると、私たちは何も変わることなく、日常は色あせてしまい、気がつくと歳だけは取っていたということになりかねません。

 

私の大好きな「アバウト・タイム 愛おしい時間について~」という映画があります。過去に何度でもタイムトラベルができる主人公ティムが、好きになった女の子にボーイフレンドができる以前にタイムトラベルし、先に出会って、パーティーから連れ出し、ついには結婚して子どもが生まれるという恋愛ストーリーです。ティムの父もタイムトラベルができるのですが、父は息子に「毎日を2度過ごせ」とアドバイスします。最初は普通に過ごし、2度目も同じように過ごしてみる。すると最初は自分のことに精一杯で世界の素晴らしさに気付かなかったのに、2度目には余裕が出てきて人生を楽しめると言うのです。

 

こんなシーンが印象に残っています。ある日の朝、ミーティングに遅れそうになったティムと同僚は、走って現場までたどり着き、何とか間に合ったと思いきや、ミーティングでは上司から同僚がこっぴどく罵られ、落胆してしまいます。そこでティムはタイムトラベルをして、2度目を過ごしてみます。朝は慌てながらも、周りの景色の美しさを同僚と共有し、ミーティングで上司に罵られる同僚にジョークを言ってその場を和まします。同じ日常の場面でも、2度過ごしてみることで、見える景色や自分や周りの人々の気持ちのありようも、まるで違うことに気づくのでした。

 

もちろん、実際に私たちはタイムトラベルをして、毎日を2度過ごすことはできません。そうではなくて、この映画が伝えたかったのは、2度目を過ごすように毎日を過ごそうということです。最初は何ごともなく通り過ぎてしまった日常の美しい光景を見つけ、最初は気づけなかった他人の感情を気にかけ、最初はできなかった行動を勇気をもってやってみる。上手く説明するのは難しいのですが、もしやり直しができたとしたらこうするだろうという気持ちを最初から持って、人生の大切な時を生きるということです。

 

湘南ケアカレッジの生徒さんを見ても、いつもと違った席に座ろうとする方は頭が柔らかいと感じます。その逆も然りです。いろいろな人たちと接して、昨日とは違う1日を過ごそうとするから頭が柔らかくなるのか、もともと頭が柔らかいから、いろいろな人たちと接して、昨日とは違う日々を生きることができるのか、鶏が先か卵が先か分かりません。環境や人間関係だけではなく、思考さえも凝り固まってしまうことのないように、いつもと違う席に座ろうとしなければいけないと思います。私たちはいつもと少し違う席に座ってみることで、2度目を過ごすように毎日を過ごすことができるのではないでしょうか。

 

 

たとえばいつもとは少し違う場所に行ってみたり、違う人に話しかけてみたり、違う行動を取ってみようとすることです。同じ日常を生きているように見えても、本人の中では昨日と違う1日に見えていればそれでOKです。ほんのわずかな変化で良いのです。新しいお店に行ってみたり、新しい服を着てみたり、新しいことにチャレンジしてみたりすることです。いつもと違うことをするのはちょっとしんどいと感じるかもしれませんが、そうした行動の積み重ねが私たちの出会いを広げ、思考の幅を拡げ、世界を大きくしてくれるのです。あまり変わり映えしない日常の中でも、昨日と違う1日を生きようとする意識があるかどうかで、10年後の自分の人生は大きく変わってくるのではないでしょうか。そんな大それたことを、ケアカレの違う席に座ることから学ばせてもらいました。

2022年

7月

21日

本を読む時間

最近、本を読む時間がめっきり少なくなってしまいました。忙しくなったというよりは、ただ単に本を読んでいないのです。ツイッターやYouTube(動画)などのインターネット、そしてテレビや新聞など、情報を得る手段は本以外にもあるにはあります。テレビや新聞、インターネットニュースなどのマスメディアは偏向報道すぎて役に立ちませんが、SNSはあらゆる意見や考え方が知れて、情報収集ツールとしては重宝しています。そういうことではなく、本を読む時間の中にある、考えることが大切なのです。もしかすると、手に入れた知識の量ではなく、考えた時間こそが、私たちを本当の意味で知的に豊かにしてくれるのではないでしょうか。本を読むことにはそうした力がたしかにあると私は思います。

 

ということで、本を読むことを改めて始めようと思い立ち、1日1時間の読書をスケジュールのどこかに組み込むことにしました。どのようなことでも、66日間続けると習慣になり、それをしないとかえって気持ち悪くなるところまで定着すればあとは楽になります。自転車も漕ぎ出す時が最もパワーを要しますが、スピードに乗るとあとは慣性でそのまま走ることができるように、まず66日間は踏ん張って、習慣化するところまで持っていきたいです。その記録として、1冊のノートの1ページに、読んだ本の内容で良かった箇所を書き出してまとめてみることにします。

 

実は今から25年ぐらい前に、職場の上司から勧められてノートをつけ始め、1冊目のノートを使い切り、2冊目に入ったところで終わってしまっていたものが残っていました。思えばこの頃が、最もあらゆるジャンルの知識を吸収し、自分の精神世界が広がっていく苗植えをしていた時期でした。そのノートの続きから、四半世紀ぶりに始めてみたいと思います。

 

インプットが少なくもしくはなくなってしまうと、アウトプットは出づらくなり、質も低下していくことになります。とにかく大量のそして良質のインプットがあればあるほど、琴線に触れたり、刺激を受けたりすることで閃きも多くなり、泉のようにアウトプットがあふれ出るはずです。それから、自分の専門分野以外の世界を知ることも大切です。なぜなら、この世の中は全てがつながっていて、Aを学ぶことが実はBも学ぶことになるなんてザラにありますし、また逆にAで学んだ視点でBを見ることで今まで見えなかった世界が見えてくることもあるのです。文章を書く中でも、ある種の飛躍があった方が読者は面白い。根底ではつながっているのだけど、全く違う世界に話が飛躍して戻ってくると、その文章には奥行きや深さが出るはずです。その奥行きや深さをつくるためにも、書き手は意識して自分の専門とは異なる、あらゆるジャンルの本を読まなければならないのです。

 

 

最後は物書きのような文章になってしまいましたが、私は書くことによってこれまで生きてきたと思っていますし、これからもそうするつもりです。そのためには、書くことの土台になる読むことをおろそかにしてはいけないと思うのです。1日1時間も読書ができるのか正直自信はありませんが、読んだ本について、介護に関する内容に関してはこちらのブログでも共有させていただきますね。

2022年

7月

09日

介護福祉士筆記試験対策講座の募集を開始します!

介護福祉士試験は、介護や福祉について体系的に学ぶ最後のチャンスです。せっかく受験するならば、この機会にしっかりと勉強し、皆さん全員が合格することを心から願っています。来春3月には、介護福祉士になって、お祝いをしましょう!

 

何をどのようにどれぐらい勉強すれば合格できるのか分からない

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基礎から学び直し、本物の知識を持った介護福祉士になりたい

 

という方はぜひご受講ください。

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2022年

7月

03日

目の前の生徒さんたちに集中する

湘南ケアカレッジは今年で10年目を迎えました。さすがに10年目ともなると、介護職員初任者研修と実務者研修の年間のクラス数が最適な形で固まってきて、新しいことに挑戦することもなかなか難しくなってきます。上手く行ってきたからこそ、変えることが難しいというジレンマでもあります。日々、同じことを繰り返しているような気持ちになることもあるのですが、実は生徒さんたちにとっては毎日が最初の授業であり、初めての経験になります。10年経った今だからこそ思うのは、目の前にいる生徒さんたち一人ひとりに集中することが大切だということです。

 

先生方が、生徒さんたちに人と人として向き合って、大切に教えてくださっていることが、回り回って伝わってきます。回り回ってというのはいろいろな意味がありますが、卒業生さんたちが介護の現場にて、もしくは自分たちの地域の友人知人に対して、ケアカレのことを良く語ってくれて、それを聞いた人たちが新しく生徒さんとしてケアカレに来てくれて、卒業したあとはまた別の人たちに伝えてくれてというループの中にいるのを感じるのです。

先日の実務者研修のリアクションペーパーにも上のように書かれていました。今いる生徒さんたちは、何らかの形で誰かからケアカレの評判を聞いて来てくれている方がほとんどです。この良い口コミのループが逆回転してしまうと悪循環に陥ってしまいますが、今のところ10年間、好い循環になっているからこそ、こうしてケアカレは小さな学校として続けて来られているのだと思います。

 

コロナ騒動の影響もあり、ここ数年はいつも以上に生徒さんが多く、どのクラスも満席の状態が続きました。生徒さんの前借り、または先取りをしてしまったと私は考えているのですが、先に収穫しすぎて焼野原が残っているのが現状です。先月のお手紙にも書きましたが、これからしばらくは(特に初任者研修の)生徒さんが少ない状況が続くはずです。たしかケアカレが開校して3年目に、生徒さんが来なくなった時期がありました。あの時期は生徒さんを集めるために、あらゆる試行錯誤をしてみましたが、結局のところ効果があったものはひとつもなく、悪い時期はじっと我慢して待つことが最善だと学びました。

 

 

良いときも悪いときも、私たちにできることは、目の前の生徒さんたちに集中することだけです。あらゆるマーケティングの手法をケアカレの集客にも応用させてもらってはいますが、10年やってきて分かったのは、世界観が変わったと言ってもらえるような授業を提供し、目の前にいる一人ひとりを大切にすることが、新しく生徒さんを呼ぶ最善の方法です。私たちにとっては当たり前で、日々同じに思えることをコツコツやり続けることで、実は私たちには想像もつかないような大きさの好循環の輪が少しずつ大きく拡がっていっています。先生方のおかげ以外のなにものでもありません。ありがとうございます。

2022年

6月

25日

間違っていたら、謝って、元に戻す

先日、広告会社の新人さんと話をしていたとき、「資料請求者に対して、電話がけをしてみたらどうでしょうか?」と提案されました。彼は良かれと思って他の学校が行っている方法を提案してくれたのですが、「うちはそういうことはしないようにしてるんだよね。だって、ネットで資料請求をしただけなのに、営業の電話がかかってきたら嫌でしょ?自分がやられて嫌なことはしたくないんだよね」と返しました。「そうですね。僕も電話かかってきたら嫌です」と彼は素直に答えて、納得してくれました。

 

実はこの「資料請求者に対して電話をかけて、あわよくば学校説明会や見学に引っ張り込む」という手法は、20年以上前から介護のスクール業界にも広まっています。私が三幸福祉カレッジにいたとき、他校の調査目的で、全ての学校から個人名で資料を請求してみたところ、いくつもの学校から携帯に電話がかかってきました。買い物をしているとき、電車に乗っているとき、コーヒーを飲んでいるとき、ところ構わずかかってきました。とりあえず資料を見てから検討しますと、丁重にお断りするだけでも大変でした。

 

介護の研修を受けようと思う人たちは、基本的には優しく、上手く断ることができずに学校見学のアポを取らされてしまい、行ったところをその場でクロージング(申し込み)という流れはたしかにあります。引っ越し業者の資料請求のようにやりすぎてしまうと問題になりますが(引っ越し屋さんの一括資料請求をすると、請求ボタンを押した瞬間に電話がかかってくるという都市伝説があるほどです)、無理強いしているわけではないので、それはそれで営業の手法のひとつとして否定されるものではありません。たとえば10人の資料請求者のうち、9人に少しの迷惑をかけたとしても、1人が自分たちの学校に入ればそれで良いという発想は企業努力だと言われればその通りかもしれません。

 

私が資料請求者に対しての電話がけをしないのは、相手が嫌がることはしないという倫理的な問題というよりも、実はあまり意味がないと知っているからです。わざわざ電話をかけて申し込ませた生徒さんは、普通に送られた資料を見ても自然に申し込みをしてくれたかもしれません。こちらが電話をかけたから相手は申し込んだ、という因果関係は意外とあってないようなものです。何もしなくても申し込みする人はしますし、申し込まない人は何をしても申し込まない。資料請求なのですから、資料を見て判断してもらえば良い話なのです。

 

また、電話をかけたばかりに、離れてしまう生徒さんもいると思います。「他校からはしつこく営業電話がかかってきて嫌だったので、こちら(ケアカレ)にしました」と言っていた生徒さんもいました。電話をかけたから申し込んだ人もいるかもしれませんが、その裏では、電話をかけたから申し込まなかった生徒さんもいるということです。いわゆる逆効果と言うやつです。効果は目に見えやすい反面、逆効果は目に見えないものです。

 

一度やり始めてしまうと、止められなくなるのが最大のデメリットです。今、生徒さんが来ているのが電話営業のおかげなのかどうか分からなくなってしまうので、やり続けるしかなくなってしまいます。何かを始めるときに、それは本当に効果があるのかどうか、それはどのように測定するのか、むしろ逆効果ではないのか、効果がないと判断して止める基準はあるのかなど、冷静に決めてから始めないと、意味のない仕事を延々と続けなければならない無限地獄に陥ります。

 

自分ひとりの問題であれば、意味がないと気づいたら止めて、元に戻すのは比較的簡単ですが、組織や集団となるとかなり難しくなります。私たち日本人は、足し算は上手だけど引き算が苦手と言われるように、仕事を加えていくことはしても、仕事を減らすことができません。一度動き始めた歯車は延々と同じ方向に回り続けます。ほぼ全員が間違っていると分かっていても、間違っていたことを絶対に認めないマンがいることで、元に戻すことは難しくなるのです。もし間違っていたら、「あのときの判断は間違っていました。ごめんなさい」と謝って、元に戻す(何もしない)だけで良いのです。しかし現実は、プライドや立場が邪魔をしてできないのです。英語ではFoolish Pride(フーリッシュプライド)と言ったります。しょうもないプライドという意味です。

 

私たちの周りには、ほんとうは意味がないのに、一見効果がありそうなことを一度やり始めてしまって止められなくり、延々とやり続けていることがたくさんあるはずです。自分たちのみならず、後輩たちや次の世代にまで押し付けて、やり続けさせようとする強い意志さえ感じることがあります。もはや科学的にも理論上も全く意味がないし、やっている本人たちも意味がないと分かっているにもかかわらず、失敗を認めることができないばかりに、自分たちで止めることができなくなってしまっているのが現状です。

 

 

自分たちの力で元に戻せない以上は、外からの手を借りるしかありません。いつまでそんな意味のないことやってるのですか?と言ってくれる外の人が必要です。もしくは、外の空気を吸うことです。自分とは違う世界に行ってみて、異なる人たちと交流することです。自分たちの間違いを謙虚に受け入れる人たちが増えれば、私たちの世界は大きく変わることができるのではないでしょうか。

2022年

6月

17日

ポスト介護福祉士

「介護福祉士を取ったので、新しい環境を求めて、職場を変えようと思っています」という報告を受けることが多くなってきました。湘南ケアカレッジは今年で10年目を迎えますので、介護職員初任者研修を受けて現場で働き、実務者研修を経て介護福祉士に合格した卒業生さんたちが、続々と介護の世界におけるキャリアの転機を迎えているということです。先日ふらりと教室に来てくれたFさんもそのひとりです。彼は4年前に初任者研修を修了し、その後、特別養護老人ホームで働き、昨年、介護福祉士になりました。介護福祉士になってみたものの、(決して悪い意味ではないのですが)日々の仕事内容は何も変わらないと話してくれました。違うフロアに異動になっても、毎日やっていることは同じですとのこと。多かれ少なかれ、介護の仕事を始めて3、4年目に差し掛かり、彼のように感じる人は多いのではないでしょうか。

 

「3日、3か月、3年」とよく言われるように、どの仕事でも辞めたくなる周期やタイミングは同じです。3日は明らかに自分の想像していた仕事内容や職場と違いすぎて、明らかに続けていくのは無理と自分で分かる場合です。3か月は少し続けてみたものの、日々、違和感を抱きながら働いて、ついに我慢の限界を感じて、仕事や周りの環境に慣れる前に辞めることを決断した場合です。そして、3年は仕事は自分に合っているけれど、今の仕事に慣れてしまい、新鮮さや刺激が失われて、飽きが来てしまった場合です。3日と3か月は、仕事自体を違うものに変えた方が良いと思いますが、3年は環境やスタイルを変えることでひとまず解決することができるはずです。

 

介護福祉士になる頃はちょうど3年の周期に当たることが多く、国家資格を取得したタイミングと伴って、新しい環境を求める人が多いのは当然の話ですね。それは決して悪いことではないと思います。横移動が難しい他の業種と違って、介護の世界は同じ仕事で他の施設や事業所に転職することが容易です。特に介護福祉士を持っていれば、より選択の幅は広がるでしょうし、今よりも良い条件での転職も可能です。新しい環境に身を置いて再出発してみる、新しいチャレンジをしてみるにはグッドタイミングですね。

 

私が彼に話したのは、いろいろな道があるということです。同じ高齢者介護であってもグループホームなどの違うサービスを提供している施設に行くこともできれば、畑違いの障害者支援の分野に行って新しい経験と学びを得ることもできます。5年後にケアマネを目指すのであれば、訪問介護の事業所で働いて在宅サービスについて学んでおくことも大切です。時間的にも経済的にもあまり現実的ではありませんが、社会福祉士や看護師を目指すこともできます。もし自分はこういう介護をしてみたいという想いがあるのであれば、独立して訪問介護やデイサービスなどと立ち上げることも可能です。その前に、どこかの事業所やデイサービスで修行をさせてもらうことも良いでしょう。行き詰ったように思えても、介護の世界は意外と多様な道が広がっているということです。

 

 

「気持ちが楽になりました」と言って、彼は帰っていきました。

2022年

6月

12日

「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」

コロナ騒動が始まって以来、最初からずっとブレることなく一貫して、まともな医師であった森田洋之さん(2020年4月にこの記事を読んだときの衝撃は忘れられません)の著書を読みました。医療と政治、マスコミが手を取り合って煽るパンデミック物語に医師として異を唱えることは、相当に勇気の要ることだと思います。テレビやヤフーニュースしか見ない一般の人たちからは非難を浴びせられ、同業の医師たちからは白い目で見られたりしたこともあったはずです。命を盾にした難攻不落の相手との議論に、森田医師はどれほどの時間を費やしたことでしょう。森田さんの素晴らしいところは、ご自身の意見はしっかりと持ちながらも、決して極端に振れることなく、絶妙なバランスを保っていることです。冷静と情熱の間に生きているのでしょう。

 

森田さんは経済学部を卒業後、医師を志し、北海道の夕張市診療所院長まで務めました。夕張市の財政破綻と共に医療が失われ、果たしてこの地域はどうなるのかと心配したところ、医療費が減っただけではなく、なんと高齢者の死亡率が低くなったのです。自宅にて老衰で亡くなる方が増えたのです。この驚愕の事実を知って、森田さんは日本の医療構造に疑問を持ち始めます。

 

調べていくうちに、一人あたりの病床数が多い県ほど一人当たりの医療費が高く、しかも平均寿命も短いという相関関係があることが分かります。森田さんはそう書いてはいませんが、つまり、俯瞰して見ると、医療はお金をかけて私たちを殺しているのではないかということです。

 

個人的な経験を書かせてもらうと、僕は小さい頃からアレルギー性鼻炎に悩まされていて、近くにある耳鼻科に足しげく通っていました。当時は遊びたい盛りで、面倒くさいという気持ちが強かったのですが、母親に促されて週1~2回ぐらいは通院していたはずです。院長の高崎さんは子どもの僕ともたくさん話をして、成長を喜んでくれたり、自身の趣味であるブラックバス釣りについて教えてくれたりしました。受付番号をもらってから診察まで1時間以上も待たされることがありましたが、高崎さんはひとり一人の患者さんたちときちんとコミュニケーションを取りながら、診てくれていたのだと思います。私の中での尊敬すべき医師像はこの高崎さんなのです。

 

その後、中学生になって大阪に転校したことをきっかけに、違う医師をたずねることになります。高校生になり、大学生になり、また大人になっても、あらゆる皮膚科(私はアトピー性皮膚炎もありました)や耳鼻科に細々と通い続けました。そしてあるとき、私はふと変化に気づいてしまったのです。患者とコミュニケーションを取らないばかりか、患者のことをほとんど診ることもなく、カルテばかり見て入力に忙しく、薬を大量に多種類出しておくだけの医師のなんと多いことか。

 

あの頃からすでに私は医療構造の変化にうすうす気づき、医師に対する信用を失い始めていたのです。その後、仕事でも医師とやり取りする機会が増えましたが、大変失礼なのですが、まともだと思える人はほとんどいませんでした。医師たちは、私とは違う世界に住んでいるのだと思ったほどです。

 

森田さんは今回のコロナ騒動について、医療が国民の行動を制限したりしたことは、今に始まったことではなく、表面化しなかっただけで医療の思想として前からずっとあったとおっしゃいます。目の前の患者を診ることもなく、話を聞くこともなく、気持ちに寄り添わないこと。製薬会社と深くつながっていて、とにかく薬を出すことが利益と目的になっていること。政治力を駆使することで、良くも悪くも行政や政府を動かしてしまえること。縦割り構造になっていて他の専門には意見ができず、しかも業界や病院内のヒエラルキー(上下関係)があからさまなこと。自分たちの保身のためにゼロリスクを求めること。今の医学情報や常識が絶対的に正しいと考えていること、などなど。これらの問題はコロナ騒動において表面化しただけであって、実はずっと私たちの社会を少しずつ蝕んできたのです。

  

私は高崎さんや森田さん、またはケアカレの先生たちなど、素晴らしい医師や看護師もたくさんいることを知っていますから、医療を全否定するわけではありません。昔に戻ってもらいたいとと思っているわけでもありません。ただ私たちはこれからの高齢社会を生きるにあたって、医療の話は鵜呑みにすることなく、話半分にして聞いて、残り半分は自分で調べたり考えたりしてみることが大切だと思います。その薬や検査、手術は本当に必要なのか?と疑ってみる。セカンドオピニオンも良いと思いますし、医師と本音で話してみることも大事です。医療サービスを受ける私たちも賢くならなければならないのです。それが私たちが家畜にならない唯一の道なのではないでしょうか。

 

そして、医療と介護はつながっていますので(動くお金の規模は全然違いますが)、この先同じようなことが介護の世界にも当てはまるはずです。医療の悪い部分は反面教師として、介護はいつまでも利用者に寄り添っていけたらと願います。

2022年

6月

06日

感受性が強い

5月短期クラスが無事に修了しました。今年の4月から介護の業界に入って新しく仕事を始めるという新卒の方々も多く、比較的年齢層が低いクラスでした。若い人たちが多いクラスは(恥ずかしがり屋なのか?)リアクションが静かなことが多く、そのあたりを心配したのですが全く問題なかったです。「感受性の強い生徒さんたちでした」と小野寺先生がおっしゃっていたように、彼ら彼女たちならではのフレッシュな感覚を持って臨んでくれたのだと思います。そう考えると、介護の世界の入り口としての介護職員初任者研修は改めて大切だと感じます。どのような研修を受けるかによって、最初の一歩の方向性も踏み出し方も違ってくるからです。そして数年後には、その違いは大きな差となって現れてくるはずです。

 

生徒さんのひとりが、実技テストが終わったあと、「湘南ケアカレッジは技術ができる・できないではなく、人間性を見てくれるのが良かった」という主旨のコメントを言ってくれました。ひとり一人の生徒さんたちを見ようという私たちの気持ちが伝わっているのだと嬉しく思ったのと同時に、介護の世界にせっかく入ってきてくれた人たちをできる・できないで評価することで潰してしまうのは本当にもったいないと思いました。

 

現場に行くと、どうしてもできる・できない軸で評価されてしまいがちで、経験のない人や不器用な人はできない人として扱われてしまいます。できなくて当たり前なのですが、一旦できない人のレッテルを貼られてしまうと、それを自分で剥がすことは案外難しかったりします。ほんとうはできるのに、できないと思い込んでしまって、介護の仕事を辞めてしまう人のなんと多いことか。

 

教育に携わる先生方もそうですが、介護や医療等の対人援助職は特に、8割はこころが大切な仕事ですから、技術や知識よりもまずは人間性が重要なのです。根底に相手に対する思いやりや想像力、献身的な気持ちがあって、その後に知識や技術はついてくるものです。知識や技術もなければこころもないのは論外ですが、たとえ知識や技術はあっても、肝心のこころを失ってしまえば利用者さんからすれば害にしかなりません。最初は人間性ありきなのです。だからこそ、教育の場も介護の現場も人間性の良さを引き出すように心掛けるべきですね。介護の世界に入ってくる人たちは、必ず素晴らしい人間性を持っていますので、それを信じて見守っていってもらいたいと願います。

 

 

最後にテストが終わってから、自身が映っているクオカードをくださった生徒さんがいました。彼女は女子競輪で賞金女王に輝いたあと引退して、介護の世界に入ってきてくれたそうです。そのようなバックグラウンドを持っているとは露知らず接していましたが、これから保護犬と障害者のグループホームを掛け合わせるような事業を始めたいとのことで、彼女なら必ず成し遂げてくれるはずです。サービス管理責任者を探しているそうですので、手伝ってみたいと思った方はケアカレまでご連絡ください。彼女は最後に「研修を受ける前は、介護の世界って、学生のときに職場見学に行ったときの暗いイメージがあったのですが、研修を受けたあとは、全く違うんだなと見方が変わりました」と言ってくれました。「世界観が変わる福祉教育を」提供することを理念として、湘南ケアカレッジは開校しましたので、10年目にもそう言ってもらえると素直に嬉しいです。ありがとうございます。

2022年

5月

29日

病めるときも

実務者研修の医療的ケアの授業の最後に、看護師の先生が生徒さんたちへのメッセージの中で「皆さん、幸せですか?」と問いかけました。自分が幸せでなければ、対人援助職として相手を幸せにすることはできないことを伝えたかったのだと思います。その後の打ち上げと称する飲み会にて、その裏話を聞かせてもらいました。

 

先生の勤める病院にて、ある看護師さんを採用するかどうか迷っていたとき、看護部長が「幸せですか?」と尋ねたころ、その看護師さんは迷った挙句、「幸せではないかもしれません」と答えたそうです。結局、その看護師さんは採用しなかったそうですが、先生はその問いかけは深いなと思ったという話です。先生や看護部長がその看護師さんに漠然と抱いていた、ピンと来ない感じの正体はそこにあったということですね。

 

その話を聞いて、別の先生が「僕も初任者研修の医学の授業の中で『自分が健康でないと良い介護や支援はできない』と話しています」とおっしゃいました。先生がここで言う健康とは、身体の健康でもあり、心の健康のことでもあると思います。医療や介護に携わる対人援助職は、心身ともに健康であり、幸せでなければならないのです。

 

そのやり取りを受けて、「そういえば、村山さんも毎月のお手紙の中にそのようなことを書いていませんでしたっけ?」とまた別の先生が私に話題を振ってくれました。自分が書いたことは意外と忘れてしまっており(笑)、その場では「書いた記憶があるような、ないような」とお茶を濁しましたが、あとから見直してみると、「ハッピーピープルメイクハッピーホース」のたとえを使って数か月前に書いていました!

 

介護職や看護職などの対人援助職は、利用者さんを健康で幸せにするために、まず何よりも自分自身が健康で幸せでいなければなりません。自分が健康ではないのに相手を支えることなどできませんし、自分が幸せだからこそ、相手を幸せにすることができる。つまり、施設や病院の運営的な視点としては、心が健康で幸せなスタッフを採用することから始まり、今いる介護や看護に携わるスタッフを幸せにすることが、利用者さんや患者さんを幸せにする近道になるということですね。

 

それでも、と私は思うのです。介護職や看護職も人間ですから、幸せなときもあれば不幸せなときもあるはずです。健やかなときもあれば、病めるときもあるでしょう。楽しい時期もあれば苦しい時期もあるはずです。誰の人生にも良いことも悪いことも起こります。幸せではないとき、病めるとき、苦しいとき、対人援助職に就く私たちはどうすれば良いのでしょうか?そんなときでも、ほとんどの人たちは仕事を休むわけにもいかず、働き続けなければならないはずです。

 

私にも仕事で苦しい時期が何度かありました。たとえば、三幸福祉カレッジで働いた5年間のうち半分の2年半は、神奈川県内に20近い教室を立ち上げて回していく仕事を一手に引き受け、手が回らずにミスやアクシデントが多発し、上司からは責められて、部下には辛く当たらざるを得ない苦しい状況が続きました。事務所に戻ると周りは敵ばかりだと感じていました。早朝から終電まで、日曜祝日もなく働き詰めて、家に帰っても3時間ほどしか睡眠が取れず、心身ともに限界を感じていました。ヘルパー2級取得ブームが去り、横浜支社が解散したことをきっかけに私は解放されたのですが、あと少し長くあの状況が続いていたら、さすがに危なかったかもしれません。

 

あの2年半、私はどう考えても健康ではなかったし、幸せでもありませんでした。外から見てもそう思えたはずです。仲の良かった部下にも、「あの頃の村山さんはピリピリしていて怖かったです」とあとから言われたこともあるほどです。当時は仕事を辞めるという選択肢はなかったですし、とにかく目の前の業務に対応することだけで精一杯の毎日でした。あのときの私が「幸せですか?」と聞かれたら、「全然幸せではありません」と答えるしかなかったはずです。自分が幸せでなければ、相手を幸せにはできないよと言われたら、たしかにそうですねと口をつぐんだと思います。

 

不幸せで不健康で苦しかった、あの時期の私にも救いはありました。先生方には可愛がってもらい、困ったことがあれば優しく助けていただきましたし、私の心身の健康をいつも心配してくれる母親のような先生もいました。生徒さんたちと話すのも楽しかったです。大げさかもしれませんが、教室に行って先生方や生徒さんたちと関わる時間だけが唯一の幸せな時間でした。あの頃、私は幸せをもらっていたのです。

 

 

病めるときも、不幸なときも、苦しいときも、私たちにはきっとあるはずです。そんなときは、無理をすることなく、相手から幸せにしてもらって良いのではないでしょうか。介護や看護に携わるスタッフも、利用者さんや患者さんから元気にしてもらうことも多いはずです。それはお互いさまであり、一方通行でなくても良いと思います。そして、いつか自分が幸せで健康になったとき、今度は自分が相手にとっての幸せをもたらす存在になれば良いのです。

2022年

5月

14日

新卒の方々を預かる

今年は新卒の人たちが多く介護職員初任者研修に参加してくれています。新卒の採用に力を入れる施設や事業所が増えたのかもしれませんし、ぜひ湘南ケアカレッジで最初の研修を受けさせたいと思ってくださっているのかもしれません。いずれにしても、まだ10代のこれから社会に飛び出そうとしている若者たちの一歩目の教育ですから、最高の学びの機会にしたいと心から願っています。「ケアカレで介護職員初任者研修を受けたスタッフは楽しそうに長く仕事を続けてくれるよ」と施設や事業所からも言ってもらえると嬉しいですね。

私たちが、介護職員初任者研修が大事だと思うのは、介護の世界への入り口の教育の場であるからです。現場で働いていくにつれて、少しずつ考え方や気持ち、取り組みは変わってしまうこともありますが、最初の教育の方向性を間違うと最終的には大きく誤った場所に行ってしまうことも確かだからです。逆に言うと、最初を間違えなければ、最終地点も大きくは間違わないということです。介護の仕事を少しでも長く続けてもらうためには、知識や技術のみならず、介護に対する考え方が大事なのです。せめて正しい考え方だけでも(特に新卒の方々には)伝わるといいなと思います。

 

私たちが思っているよりも初等教育は重要です。何も知らないうちに、Aという間違った方向を示されてそこに向かってしまうと、たとえBという方向が正しいとあとから分かっても、なかなか引き返せなくなります。誰もが同じ地点を目指す必要はないのですが、せめて同じ方を向いていないと、あとから軌道修正するだけでは足らず、世界は混乱してしまいます。たとえば、今の日本の異常な感染症対策は、テレビなどのマスコミで用いられる専門家や医師たちが初期の段階から完全に間違った方向に導いてしまったことに端を発しています。介護の世界でも、措置の時代から自立支援の考え方が芽生えるまでに数十年の歳月がかかりました。

 

知らないことも怖いことです。私たちは社会に出て仕事を始めてしまうと、同じことの繰り返しをしてしまう(それを安定と考える)傾向があるので、あきれるほどに知識や技術のアップデートをしなくなります。一番勉強したのは高校受験のときなんて言う方も多いのではないでしょうか。介護の世界は、介護福祉士を受けるときに実務者研修と筆記テストのために勉強しなければならないのでまだましですが、ほとんどの仕事においては自ら学ぶ必要もないことが多いはずです。

 

そうなると、初等教育で教えてもらわなかったことは、一生知らないで過ごすことになりかねません。職場の同僚や知り合いなどが教えてくれたらよいのですが、彼らも同様に知らなければ教えようがありません。たとえば、ホームヘルパー2級の時代に資格を取った人たちは、ボディメカニクスという言葉や概念を教えてもらっておらず、おそらくずっと持ち上げる介護をすることになるはずです。教えてもらっていないということは恐ろしいのです。

 

 

私たちの介護職員初任者研修で教えていることが全て正しいとは思いませんし、将来的に新しい知識や技術が更新されていくこともあるでしょう。それでも、介護に対する考え方や向き合い方の方向性としては、正しい方向に導くことができていると自信を持って言えます。それは生徒さんたちが研修を修了したとき、「自分が思っていた介護のイメージとは全然違った」、「介護の仕事をするのが楽しみになった」、「何かあったときまたケアカレに戻ってきます」と言ってくれて、笑顔で卒業してくれることからも分かります。新卒の方々を教えさせてもらうことは責任が重いのですが、ひとりでも多くの生徒さんたちの背中を正しい方向に押してあげたいなと思います。

2022年

5月

05日

思いやりのススメ

最近、良い映画はネットフリックスの中にあって、映画館ではほとんど公開されなくなってしまいました。映画好きの私としては、映画館に行って映画を観たいというのが本音ですが、時代の流れには抗えませんね。映画「思いやりのススメ」もネットフリックスで観ました。原題は「FUNDAMENTALS OF CARING」なので、直訳すると「介護(ケア)の基本」。さすがに硬すぎるタイトルだと思って変更したのでしょうが、それにしても「思いやりのススメ」はないなあと思いました。内容を観た上では、「アロハ(ALOHA)」の方が良いのではないかと思います。ALOHAとは、映画の冒頭に登場するアメリカの介護の学校で教えられる概念。介護者として長く続けていきたいならば大事にすべき「Ask(尋ねる)、Listen(聴く)、Observe(観察する)、Help(助ける)、Ask again(再び尋ねる)」の頭文字を取ったものです。

アメリカではどこの学校でもALOHAと教えられているのか分かりませんが、とても分かりやすくて本質的だと思いました。まずは相手に尋ねるところから始まり、相手のことを聞き、相手を観察し、それから助ける。助けることが前提にあると、どうしても私たちの思い込みや押し付けが先行してしまって、勝手な介護に陥ってしまうということです。介護者の自己本位な介護ではなく、介護される側が何を求めているのかを知るところから全ては始まる。「Ask(尋ねる)」→「Listen(聴く)」→「Observe(観察する)」→「Help(助ける)」のサイクルを回したら、「Ask again(再び尋ねる)」に戻ってまた始めるのです。

 

 

ピンときた先生もいらっしゃると思いますが、ケアカレの提唱する「出来ていること、出来ていないことを見分ける→出来ていることを褒める・認める→出来ていないことを教え、やってみせる→やってもらう→褒める・認める」というサイクルと近い発想ですね。出来ていないことを教えるだけでは、相手のニーズに応えられないということです。

この映画の伝えたかったことは、ALOHAのサイクルはあくまでも心構えであって、最も大切なのは介護される側とする側の人間関係だということはないでしょうか。分かりやすく言ってしまうと、介護する側とされる側が対等(フラット)な関係でなければならないということ。主人公のトレバーは筋ジストロフィーを患っていて、新しい介護士を探す中、面接に現れた元小説家であり新米介護士のベンに対して、こんな質問をします。

これに対して、ベンは一瞬ためらった後、トレバーの目を真っすぐに見ながらこう答えました。

お互いの間にしばらくの沈黙が流れたあと、トレバーは「合格」と言って立ち去りました。トレバーはベンならば対等(フラット)な関係を築けると感じたのでしょう。可哀そうだから介護をしてあげるという上からでもなく、仕事としてだからお客様は神様的に奉仕する下からでもなく、介護される側もする側も対等(フラット)な関係でいたいというのが切なる願いだったのです。

 

トレバーの見込みどおり、端からみるとかなり乱暴なやり取りもあったとしても、ときには友人として、ときには父と子のように、人が人として認め合う対等(フラット)な関係をふたりは築いていきます。これまでは家から一歩も外に出なかったトレバーを旅に連れ出し、その道中で新たな出会いも生まれ、カーチェイスも銃撃戦もドラッグも出てこないのですが、地味ながらも心の交流が楽しめる映画でした。

 

対等(フラット)な関係を築くことは、案外難しいものです。私たちは社会的な動物ですから、どうしても自分と相手の位置づけや年齢、経歴、性別、外見、国籍などを踏まえて、自分の役割を演じてしまいがちです。そこに偏見や無知などが加わると、変に上から目線になったり、変に卑屈になったりと、どうしても相手と対等(フラット)な関係を築くのが難しくなってしまいます。とはいっても相手のことを知らずに関係性を築くのは難しい以上、どうすれば対等(フラット)な関係を築けるかというと、友だちになろうとすることだと私は思います。それは馴れ馴れしくするとか、タメ語で話すとかそういうことではなく、心を開いて仲良くなろうとすることです。そう考えると、意外に簡単なことに思えてきませんか。

 

 

対等(フラット)な関係を築くことは、介護する側とされる側の間の問題だけではなく、これからはどのような人間関係においても必要とされてくるのではないかと私は思います。もちろん、介護の学校でも同じです。先生と生徒さんという、教える側と教えられる側の間にも対等(フラット)な関係を築く必要があります。少し昔までは、先生と生徒という明確な立場の違いが成立していましたが、知識や情報などは溢れている今はそういう時代ではなくなってきました。結局のところ、関係性が対等(フラット)でなければ、伝わるものも正しく伝わりませんし、間違って伝わってしまうものです。何をどう教えるかよりも、まずは相手と対等(フラット)な関係をどのように築いていけるかの方が、私たち教える側にとっても大きな意味と価値を持つのです。いつも生徒さんたちと対等(フラット)な関係を築いてくださっている先生方に感謝します。

2022年

4月

22日

物を大切に

湘南ケアカレッジは今年度で10年目を迎えます。いわゆる10周年というやつです。おそらく先生方もそう感じていると思いますが、あっという間の9年間でした。約10年ってこんなに速く過ぎてしまうのというのが実感です。それだけ先生方と一緒に良い学校をつくろうと頑張ってきた、ということだと思います。この場を借りて、最大の立役者である先生方はもちろん、この9年間でケアカレに来てくれた介護職員初任者研修や実務者研修の卒業生さんには感謝します。ありがとうございました。

 

 

さすがに9年経つと、カーテンが壊れ始めたり、ベッドのキャスターを取り換えなければならなかったり、机の傷が目立ち始めたりしていますが、それでも毎日使っているわりには大きな破損や故障もなくここまでやってこられました。そもそも当校の物品は、中古を用いていることが多く、耐用年数でいうととっくに壊れてしまっても仕方がない面があります。にもかかわらず、ここまでもったのは、先生方や生徒さんたちが物品を大切に扱ってくれているからだと思います。

物は壊れてしまったら取り換えれば良い話ですし、形あるものはいつか朽ち果ててしまうものですが、物を大切に扱ったその結果、物が壊れにくいことはとても大切なことだと私は考えています。なぜかというと、物を大切にする気持ちは人を大切にする姿勢と共通していますし、また物が壊れないことは、人の心を壊さないことにつながるからです。

 

このことに気がついたのは、子どもの教育にたずさわっていたときでした。私が教室長になって2年目に、新入社員としてHさんが入ってきました。彼は理系の大学院を出たばかりの人懐っこい人物でしたが、私が気になっていたのは、彼がよく物を壊すことでした。もともと壊れやすいものであったり、壊れかけていたところをたまたまタイミングが悪かったケースもあったかもしれませんが、彼が触れたことをきっかけに物が壊れてしまうという現象がよくありました。

 

「すいません、これ壊れてしまいました」と彼が申し出てくるたびに、「仕方ないな」と返していたのですが、あまりにも彼ばかりが物を壊すので不思議に思って行動を観察してみると、ひとつ一つの行動が少し乱暴なのです。ドアを閉めるとき、えんぴつを鉛筆立てに差すとき、コピー機に用紙を入れるとき。彼はまったく意識していないと思いますが、私からするとやや乱雑なのです。大ざっぱな私でさえそう思うのですから、丁寧な人から見ればかなり雑に思えたかもしれません。そうした積み重ねがきっかけとなり、ある瞬間に、物が壊れるのでした。もう少し優しく置く、もう少し丁寧に持つ、もう少し待ってから閉める、などができれば良いのにと思いました。

 

物が壊れるだけなら仕方ないと思っていましたが、しばらくして問題はそこではないことに気づきました。彼が入社して半年ほど経った頃から、「H先生にこんなことを言われた」、「H先生にこんなことをされた」など、子どもたちからHさんに対する苦情が出るようになりました。子どもたちは好き嫌いに素直ですから、生理的に受け付けないとかそういう先生に非がない場合は別に考えなければならないのですが、よく話を聞くと、彼の方に非があるのではと思うことが増えてきました。身体を触るなどはもちろんタブーですが、それ以外にも、彼は彼なりの論理や伝え方で生徒に話していても、その言葉や行動が子どもたちの心を傷つけてしまっていることが多かったのです。

 

私はそこで、彼が触れる物がよく壊れる現象と生徒さんたちの心が壊れる現象が結びついたのです。なるほど、乱暴に接すると物も人の心も壊れるのだと。そのことを勇気を持って彼に伝え、彼も理解してくれて、まずは物を大切に扱うことから始め、少しずつですが生徒からのクレームも減ってきました。彼とは数年しか一緒に働けませんでしたが、それは私にとっても彼にとっても大きな気づきだったと思います。

 

 

人のこころというのは見えにくいものです。素直に気持ちや感情を示してくれる子どもと違って、大人は本心を隠すことができますし、ウソをつくことができるのでより見えにくくなります。傷ついていてもそう言ってくれることは少ないですし、お互いに知らぬまま知らせぬまま、時が癒してくれることなど当たり前の日常なのではないでしょうか。人間同士が共に生きている以上、考え方や意見は異なるでしょうし、互いに傷つけたり傷つけられたりすることがあっても良いと私は思います。お互いさまです。それでも必要以上に人の心を傷つけることはありませんよね。自分が何かをして物が壊れてしまったときは要注意です。もしかすると、物だけではなく、知らずのうちに誰かの心を傷つけてしまっているかもしれないというサインです。もう一度、穏やかな気持ちになって、たとえ相手が物であっても、優しく丁寧に接してみましょう。

2022年

4月

12日

新しいことが始まる

3月短期クラスが無事に修了しました。4月から介護の現場で働く新卒の人たちや外国人の方々など、年齢や性別を超えた多様な生徒さんたちが集まり、楽しい雰囲気で研修は行われました。普段の生活では決して出会うことのない人たちと一緒に学ぶ体験は、これから介護の仕事に就くにあたっても必ず役に立つことでしょう。実は介護職員初任者研修のクラスは介護現場の縮図でもありますから、自分とは大きく異なる背景や障害、個性を持つ他者との間に壁をつくることなく、受け入れて共に歩むことができた経験は大切にしてもらいたいですし、そうした差別心や偏見のない人たちこそが介護の現場には必要なのです。研修の最終日には、メッセージ入りの桜の木の模型をいただきました。湘南ケアカレッジにとって10年目の桜でもあります。新しいことが始まる春のシーズンですね。

最終日に打ち上げが行われ、参加者の中から、「明日からさっそく(介護の)仕事ですよ」という声が多く聞こえました。学生さんで4月から新卒として社会に飛び込む方もいれば、これまでに介護の仕事は経験しているけれど4月から新しい職場に移って働くという方もいました。新しい仕事を始めるにしても、新しい職場で心機一転頑張るにしても、何かにチャレンジすることになるはずです。本人は緊張するでしょうし、慣れないうちは大変な思いもあるはずですが、端から見れば、それもまた人生の1ページであり、挑戦している人たちは輝いているなと思えるのです。

 

新しいチャレンジをしようとする生徒さんから刺激を受け、翌日から始まる4月短期クラスの準備をしていると、ふと9年前のことが思い出されてきました。湘南ケアカレッジを立ち上げ、初めての4月短期クラスの準備をしていたとき、本当に明日、生徒さんたちや先生方は来てくれるのかな、と心配で仕方なかった記憶が今でも鮮明に残っています。もしかすると、結局、誰も来なかったなんてことが起こり得るのではないかと不安に駆られながら、テキストやガイドブックを人数分、机の上に置いて準備しました。今は懐かしい思い出ですが、あのときは何もかもが不安や心配ばかりで刺激的でした。

 

 

4月から新しい学生生活や仕事が始まる人は多いはずです。新しい環境や人間関係に飛び込むと苦労もあると思いますが、その分、新しい自分が発見できますし、新しい出会いが生まれます。4月になって桜が咲いても、何も変わらないのはつまらないものです。変わらずに美しいのは自然だけ。何も起こらないよりも、何か起こる方がずっと人生は素晴らしい。私も何か新しいことにチャレンジしてみたいと強く感じました。

2022年

4月

04日

この仕事に向いているのかどうか?

介護職員初任者研修を受講される生徒さんたちのほとんどは、「介護の仕事は自分に向いているのだろうか?」と思いながら授業を受けているはずです。なにせ初めての世界に飛び込んだわけですし、まだ知らないことだらけで、実際に利用者さんたちと関わったこともないのですから、その心配や不安は当然ですね。もしかすると、実務者研修を受けに来てくださっている生徒さんたちも、「自分には介護の仕事が本当に合っているのだろうか?」と疑問に思っているかもしれません。介護の仕事を何年か続けてみたものの、自分に向いているのかどうか分からないという介護職の方々は実は多いはずです。

その仕事に向いている・向いていないは、とても曖昧なものです。自分では向いていないと思っていても他者から見ると向いていると思えたり、ある環境においては向いていなくても環境が変わると向くようになったり、最初は向いていなかったのに時間をかけて続けることで向いてくるようになったりと、絶対的な向いている・向いていないは存在しないのです。

 

それでもあえて指標を挙げるとすれば、介護職員初任者研修を15日間受けて修了することができれば、介護の世界には向いていると私は思います。介護職員初任者研修を最後まで受けることができず、途中で来なくなってしまう生徒さんが年間でひとりかふたりはいますので、たしかに介護の世界が全く合わない人はいます。そういう人は、別の世界で活躍すればいいのです。介護職員初任者研修を無事に楽しく修了できたなら、あなたは介護の世界には合っているので大丈夫です。

 

もうひとつの指標としては、これはどの仕事にも当てはまりますが、ある程度、長く続けることができるということは、その仕事が合っていると考えた方がいいです。そういう意味では、介護の仕事を続けて、実務者研修まで修了できたなら、あなたは介護の仕事を十分にやっていけるはずです。介護福祉士を受験するための介護経験が最低3年以上に設定されているのは良いと思いますし、逆に言うと長く続けていれば、自分がその仕事に合ってくるということでもあります。

 

私は介護の学校を始める前に、塾で子どもたちを教える仕事に5年以上たずさわっていました。実を言うと、私は教育の仕事自体は好きなのですが、子どもたちに教える仕事は合っていないのではとずっと思い悩んできました。教室長をやりながらも、自分はこの世界に向いているのか分からなかったなんて、周りの人たちは誰も思わなかったでしょうね(笑)。今から思えば、5年以上も続けていたのだから合っていたのだと思いますし、環境が変わればもっと活躍の場もあったはずですが、どうにも行き詰まりを感じていたのを覚えています。

 

あの時代に必要だったのは、「あなたはこの仕事が向いているよ」、「あなたはこの仕事に合っていると思う」という他者からの言葉や評価だったのではと思います。それは上司からでも、同僚からでも、後輩からでも良かったのです。私は自分のできないところや不得意な分野にばかり目を向けて、自分は向いていないと考えていましたが、誰かが私のできること、得意なことを見てくれて、そこにスポットを当てて褒め・認めてくれていたら、私の認識も少し変わったのではないかと思うのです。

 

 

他者からの言葉や評価は、想像以上に価値があるのです。その仕事に向いているかどうかなんて、誰にも判断できませんし、考え方次第で変わってしまうものなのですから、だとしたら「あなたは介護の仕事に向いている」と伝えてあげる方が生徒さんたちを幸せにするのではないかと思います。何が言いたいかというと、介護の学校や先生方の仕事の意義のひとつに、「あなたは介護の仕事に向いている」と伝え、自信を持ってもらうことがあるということです。ケアカレの卒業生さんたちには、自分は介護の仕事に向いていると思って働いてもらいたいですし、その自信は利用者さんたちを幸せにしますし、いざという時に自分を助けてくれるはずです。

2022年

3月

27日

合格おめでとうございます!

「介護福祉士に合格しました!」という電話やメールをいただいたり、わざわざ教室まで足を運んでくださる卒業生さんたちもいて、今年も最高の介護福祉士合格発表日になりました。介護福祉士合格は、介護職員初任者研修から実務者研修、そして筆記試験対策講座とつながる流れの集大成であり、卒業生さんたちだけではなく、私たちにとっても1年のうちで晴れやかな1日となります。直接お会いできないのはとても残念ですが、こうして声を聞けるだけでも嬉しく思います。皆さん、おめでとうございます!

 

コロナ騒動が起こる3年前までは、合格発表日に祝賀会を行い、皆で集まって飲んだり食べたりしていたのは、合格した卒業生さんを祝いたいという気持ちはもちろんですが、先生方にもその気持ちを共有してもらいたいと考えていたからです。自分たちが教えてきたことがどのように伝わって、生徒さんたちはどのように学び、合格して、感謝の気持ちを抱いているのかを直接知ってもらいたかったからです。卒業生さんたちは合格して喜んでいました、と言葉だけで伝えるよりも、直接話をすることで、より多くのことが分かるからです。教えることの意義や責任を味わってもらいたいと願いました。

 

私が子どもの教育にたずさわっていた頃、新卒の先生や学生のアルバイトの先生の中には、ただ勉強を教えているだけで、生徒さんたちと同じゴールが見えていない先生が少なくはありませんでした。自分たちも学生の頃は合格を目指して勉強していたことを忘れてしまい、今目の前の生徒さんがどういう気持ちで勉強しているのかピンと来ないで、ただ決められた科目の内容を決められたように教えているだけ。そうすると、先生自身もイマイチやる気が湧かないし、それは生徒さんにも伝わり、温度差を感じ取られてしまいます。先生は冷静でなければならないのですが、生徒さんに冷めていると思われるようではならないのです。

 

そういう新卒やアルバイトの先生たちも、1年に1度の合格発表の日に、自分の担当していた生徒さんたちの喜ぶ姿を見て、感謝の言葉を直接受けることで、何かを感じ取っていきます。今までは点でしかなかった教えるという行為が、1年を通して線としてつながっていくような感覚でしょうか。自分の仕事の意義を体感できる瞬間です。その瞬間を味わうことで、その先生たちは少しずつ変わっていくのです。

 

 

湘南ケアカレッジでは、介護福祉士筆記試験対策講座がスタートしてからの数年間、合格祝賀会ができて良かったと今になっては思います。もしコロナ禍において筆記試験対策講座がスタートしていたら、一度も合格祝賀会を先生方は味わうことなく、この先ずっと教えていかなければならなかったからです。今後の見通しとして、日本において人々がコロナ恐怖症を克服してもとの日常に戻るのは難しいと私は思いますが、いつかそんな時代が訪れて、合格祝賀会を楽しく開催できる日が来ることを心待ちにしましょう。

お心遣いありがとうございます。先生たちと一緒に食べますね!

2022年

3月

18日

外国の方と働く

湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修は、1クラスにひとりかふたりは日本語以外を母国語にする方が参加していますので、今までにおよそ200名近い方が無事に修了した計算になりますね。中国やフィリピン、ペルー、ネパール、ベトナムなどで生まれ育ち、日本に住んで介護の仕事をしている、もしくはこれから始めるという人たちです。母国語ではない言葉で行われる研修に飛び込んで、15日間、日本人と一緒に学ぼうとするチャレンジ精神は素晴らしいと思います。私だったら、外国語で書かれたテキストを読みながら通信添削課題をこなしたり、外国語で話される授業を聞き続けることができるかと想像すると、けっこうキツイかもと尻込みしてしまいそうです。

彼ら彼女たちは総じてフレンドリーで、介護職向きの寛容なパーソナリティを持っていると思いますし、私たちと違う文化や背景を知っているという特徴もあります。介護は対人援助職ですから、他者の多様性を受け入る必要性があります。自分たち自身が日本においてはマイノリティになりますから、そういった意味では、他者は自分とは違う人間であることからスタートできる。こうあるべきとか、こうでなければならないという押し付けが少ないのではないでしょうか。それは対利用者さんだけではなく、共に働くスタッフに対しても同じです。逆に私たち日本人も、外国の方たちと一緒に働くことで、多様性を受け入れることを学んでいけるはずです。

 

介護の現場でも介護職員初任者研修でも、外国の方がいることは当たり前の時代ですし、そのことはプラスに働くと私は思っています。たとえ日本語がたどたどしくても、むしろ言葉が苦手であるほど、周りの日本人に教えてもらおうと頼ってくれますし、また日本人も何とかサポートしようとします。一人ひとりが自立して、自分で何でもできてしまう人たちの集まりはスムーズかもしれませんが、そこに助け合いは生まれません。できないことがあったり、苦手な分野があるからこそ、それぞれが補い合う相互扶助の関係性の中で、私たちは他者が多様な存在であることを無意識のうちに学んでいくものです。外国の方がいるクラスの方が、結果的にクラス全体がまとまりやすかったりしますね。

 

とはいっても、外国の方が介護の現場で働く上で、ある程度は日本語が使えるようになるべきですし、最低限は知っておいた方が良い言葉あります。なんだかんだ言っても、外国の方にとって言語が働く上で最も高いハードルになることはたしかです。そして、言葉を修得するには時間が掛かるのです。私は2年間、中国語を勉強しましたが、まともに話したり聞いたりできるようにはなりませんでした(笑)。だからこそ、日本語を話せる(話そうとする)外国の方々を素直に尊敬します。

 

 

そんな外国人のために、「介護の日本語教室」が町田市主催で行われていることを最近知りました。対象は、町田市で介護の仕事をしたい人か町田市内の介護施設で働いている人だそうです。オンラインでも学ぶことができますし、会場(町田市民フォーラム)に集まって一緒に学ぶこともできます。しかも受講料は無料。これは素晴らしい取り組みですね。湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修や実務者研修に参加していて、町田市に住んでいる外国人がいたら、おすすめしたいと思います。

2022年

3月

08日

働く幸せとは

今月7日に誕生日を迎え、47歳になりました。前日の日曜日クラスでは、授業の最後にお祝いをしてもらいました。いつもは自分が祝う側ですが、祝われる側になってみて、恥ずかしくもありがたい思いを毎年味わっています(笑)。先生方からお祝いの品をいただき、今年はずいぶんと小さいなと思っていたら、リボンをほどいてみるとなかなか豪勢でした(中身は内緒)。メッセージカードも入っていました。生徒さんたちが笑顔で通って、卒業生してからも笑顔で帰ってきてくれて、先生方も笑顔で教えてくれる場所になっていることを嬉しく思いつつ、笑顔あふれる生徒さんたちや素晴らしい先生方と一緒に仕事ができて私も幸せです。

湘南ケアカレッジを開校する前に、私もいくつかの仕事を経験して、どのような人たちと共にどのような関係性で働くのかはとても重要だと感じていました。仕事の内容はもちろんですが、それ以上に、仕事の対象者であるお客さんや一緒に仕事をする上司やスタッフが自分に合うのかどうかが大切だと思うのです。

 

たとえば、私は子どもの教育に学生時代のアルバイトを含めて10年近くたずさわってきましたが、子どもたちとずっと一緒にいると疲れてしまうことが時としてありました。子どもたちに合わせることは童心に戻ったようで楽しい面もあるのですが、それがずっと続くと疲れてしまうということです。その傾向は年齢を重ねるごとに強くなりましたし、一緒に働く先生たちも学生さんたちが多いため、同じように疲れてしまう瞬間がありました。

 

また、学生時代に国立競技場の清掃のアルバイトをしましたが、試合が終わった後に黙々と掃除をして終了という流れで、そこにはお客さんとの直接のやりとりはなくスタッフ同士の関りも乏しく、気楽ではありますが、他者とのかかわりが少ない仕事は長くは続けられないなと感じました。引っ越しの仕事や荷物の運搬の仕事は身体を動かせるのは良いのですが、一期一会の狭い世界で働いている気がして、自分の世界が広がっていく感じはしませんでしたね。唯一面白いと感じたのは、自分の好きな本を扱うブックオフの仕事ぐらいでしょうか。スタッフにも本好きな人が多かったです。

 

 

私が介護の学校の運営を生涯の仕事のひとつにしようと決めたのは、生徒さんたちは良い人ばかりで関わっていて楽しく、尊敬できる素晴らしい先生方と一緒に働くことができるからです。その仕事を長く続けようとすれば、仕事の内容と同じかそれ以上に、どのような人たちに囲まれて働くのかは極めて重要なのです。そのようなことを改めて思い出させてもらった今年の誕生日でした。皆さま、ありがとうございます。

2022年

2月

25日

ハッピーピープル・メイク・ハッピーホース

介護職や看護職などの対人援助職は、まず何よりも自分自身が幸せでいなければなりません。逆説的ですが、自分が幸せではないのに相手を幸せにすることなどできませんし、自分が幸せだからこそ、相手を幸せにすることができるのです。にもかかわらず、卒業生さんたちの話を聞いていると、現場で最前線に立つ対人援助職の人たちの幸せがずいぶん後回しにされている気がしてなりません。

 

 

相手を受け入れる姿勢は大切ですが、その前に自分たちが他者から受け入れられている必要があります。自分たちは認めてもらえていないのに、たとえお客様とはいえども、他者に寛容であり続けることはさすがに難しいのではないでしょうか。対人援助職は、聖人でも奴隷でもなく、ひとりの人間なのです。

対人援助職は評価の基準があいまいであるため、認められにくい面があるのはたしかです。営業や経営のように数値目標を設定し、結果が出る仕事とは異なり、何を以て達成や成功と言えるのかの基準があってないようなものです。対象者を幸せにできたかどうかが大切ですが、それを数値化することができないため、評価することが難しいのです。結果として、対人援助職はできたことや良かったことは認めてもらいにくく、できないことや失敗を指摘されて責められるようになりがちです。そんな仕事のあり方が続くと、対人援助職は自分のマイナス面にばかり目が行くようになり、次第に心を病んでいきます。そして、やりがいを感じられなくなっていくのです。

 

 

「ハッピーピープル・メイク・ハッピーホース」という言葉があります。これは日本の競馬界のトップトレーナーである藤澤和雄調教師が大切にしている言葉です。今から30年以上も前、若かりし藤澤和雄氏は、単身イギリスへと渡りました。偉大なイギリス人調教師プリチャード・ゴードン師のもとで、厩務員として修行を積むためでした。当時は調教師になる野望もなく、英語も満足に話せず、帰るべき場所もなかったので、一日中、馬と共に過ごしたそうです。馬だけは彼の下手な英語を笑わなかったと言います。将来が不安で、精神的に満たされぬ毎日が続きました。

「ハッピーピープル・メイク・ハッピーホース」

 

ゴードン師のその言葉に藤澤はハッとさせられました。知らぬうちに、ステッキを使ってズブい(鈍い)馬を怒りつけている自分に気づき、そして恥じたといいます。鍛えて馬を強くしようとするなんて人間のうぬぼれであり、馬を人間のペースにはめてしまうなんて人間の傲慢であると。人間にできることといえば、馬に十分な体力がつき、走る気が満ちるまで、笑顔で待つことぐらいなのです。彼は日本に戻り、「馬なり調教」という当時としては革新的な調教法で馬を育て、数々の名馬を誕生させました。

 

 

私たちは鏡となって、人だけではなく馬にさえ影響を与えるのです。特に対人援助職は、他者に大きな影響を及ぼす仕事です。それは人が人を教える教育においても同じです。他者を幸せにするためには、まず自分の心持ちが幸せである必要があります。そのためには、自分自身を大切にすることです。甘やかすことではなく、自分の気持ちや感情に素直でいること。共有できる仲間がいること。自分の心の健康状態を観察し、良い状態に保つこと。そして何よりも、互いに認め合える雰囲気や環境が必要でしょう。藤澤調教師の言うように、こうあるべきという自分のべき論に相手を当てはめるのではなく、うぬぼれや傲慢を捨てて、笑顔で待つことです。それを積み重ねることで、私たちは互いに幸せになっていくのです。

2022年

2月

20日

世界を見渡してみる

この数十年間で、世界は一気に近くなりました。それまでは外国に行けるのは一部の限られた人たちでしたし、海外に渡るには何日もかかり、飛行機も命懸けだった時代がありました。ところが、移動手段の高度化、高速化のおかげで気軽に外国を訪れられるようになり、またインターネットが普及したことで、直接外国に行かなくとも、世界のことを知ることができるようになったのです。自ら海外の情報を取ろうと思えばいくらでも取れる、視野を広げようと思えばいくらでも広げることができるのです。僕も2019年には念願のオーストラリアとフランスに行くことができ、世界が広がった気がしました。しかしコロナ騒動の影響で、今後は海外へ自由に渡航することができなくなってしまい、最近はYouTubeのライブで外国の街の様子を見ることにハマっています。

たとえば、アメリカのニューヨークや韓国のソウル、ベトナムのホーチミン、タイのバンコク、香港やマレーシアなど、おそらくGoproのような装着型のビデオカメラを付けた人が街中を歩きまわってライブ配信してくれているのですが、まるで自分がその国の日常に入り込んだような感覚になります。これまでは現地に行かなければ観られなかった日常の風景が、たとえヴァーチャルだとしても、リアルな情報として入ってくるということです。それでは、それぞれの国々の日常を体験してみましょう。

 

 

まずはアメリカのニューヨークです。

続いて、アジアに移動して、ベトナムです。技能実習生として、日本の介護の世界にも多くの人たちが来てくれていますね。

次はタイのバンコクです。今から20年以上前に旅行で行ったことがありますが、意外と街の雰囲気は変わっていないので安心しました。

次は韓国です。韓国のエンターテインメント産業のレベルは非常に高いですよね。

次は香港です。少し前から中国の統治を受け入れざるを得なくなってしまいましたが、現地の人たちはどのような想いで暮らしているのでしょうか。

最後はマレーシアです。かつてシンガポールに住む友人を訪ねたとき、マレーシアまで足を伸ばすか迷って、結局行かなかったのが悔やまれます。人生チャンスは一度だけですね。

パソコンやスマホの前にいるだけで、こうして世界各国の街を歩いているような臨場感を味わえるのですから、インターネットは素晴らしいですね。世界の街中を歩いてみて、気づいたことも多かったのではないでしょうか。特にパッと見た目で分かりやすいのは、日本と韓国は全員がマスクをしているのに対し、アジアの国々では誰もマスクをしていません。屋外ではもちろんのこと、屋内でも同じことです。民主党の政治力が強いニューヨーク州でも、マスク義務化は解除され、付けたい人だけが付けている現状ですね。私たちがテレビで観る海外の映像は、マスクをしているシーンしか切り取られていないので錯覚していますが、現実は全く異なるということです。日本では日常となった風景が、外から見ると異常ということです。良い悪いではなく、逆に海外の人からライブカメラで日本や韓国を見ると、マスクをつけたゾンビが歩いているようにしか見えないはずです(笑)。

 

なぜこのようなことになったのか考察してみると、もちろんあらゆる要因(テレビの偏向報道やシルバー民主主義など)が絡み合ってのものではありますが、同調圧力が強い社会の雰囲気なのだと思います。日本も韓国も「こうあるべき」という儒教的な教えが、遺伝子レベルまで浸透している国民性が似ています。最近、韓国ドラマをよく見ているので分かりますが、社会による押し付けの道徳心と自分のこうありたいという気持ちの葛藤に押しつぶされる様が、韓国人と日本人には共通しています。個人的には葛藤がありながらも、社会全体としては同じように振る舞うことをお互いに求める雰囲気が同調圧力社会を生むのです。自分自身が被害者でありながら、加害者でもあるという構造ですね。

 

 

国民全員総マスク化現象は、単なる同調圧力から生じたのではありません。さらに深層心理をたどれば、偏見や差別が強い人たちが社会の中に一定数いて、それらの人たちの圧力に大多数が屈してしまった結果だと思います。なぜマスクをすることが偏見や差別の象徴であるかは、以前にも書いたので省略しますが、偏見や差別とは、「無知を恐怖で炙(あぶ)ったもの」であるからです。感染症やウイルスに対して無知である人々を恐怖であおることで、人々の他者に対する偏見や差別心がマスクをするという形で表に現れたということです。差別はたいてい悪意のない人がするものなのです。少し視野を広げて世界を見渡してみると、自分たちの世界の中だけにいると知りえない自らの社会のおかしさや、偏見や差別心を感じるきっかけになるのではないでしょうか。

2022年

2月

14日

いろいろな人たちがいる

1月短期クラスが無事に修了しました。20代から60代までと年齢層も幅広く、男性も全体の3割ほどいて、様々な属性を持った生徒さんたちが集まって、仲が良く過ごしていた印象の強いクラスでした。どのクラスにも言えることなのですが、介護職員初任者研修のクラスは介護現場の縮図でもあります。他の業種の職場とは少し違うのは、自分とは“かなり”違った背景を持つ人たちと一緒に働かなければならないということです。でも心配しないでください。介護職員初任者研修のクラスの中で楽しめたなら、介護の現場でも同じようにやっていけるでしょう。

介護の現場では、年齢や性別などというカテゴリー分けはほとんど意味がなく、価値観や考え方、生まれ育ってきた環境、病気や障害の有無など、多様な背景を持った人たちを相手(利用者さん)にまたは一緒に仕事をしなければいけません。分かりやすく言うと、現場にはいろいろな人がいるということです。いろいろな人たちと共に、いろいろな人たちを対象にして仕事をするために必要なのは、自分とは違うものを弾かないことです。排除せず、なんとか受け入れて、付き合っていこうとする姿勢が大切ですね。

 

そういう姿勢を他者は見ているはずです。たとえば、ひとつ前のクラスに外国の方がいました。日本語が苦手ということもあり、最初はコミュニケーションもままならず、授業で言っていることも分からず、自宅でする通信添削の課題も難しい。私たちも少し心配しながら見ていましたが、ひとり積極的にコミュニケーションを取って通信添削課題を教えてくれる生徒さんが現れました。そうこうしているうちに、研修が進むにつれて次第にクラスにも溶け込んでいきました。もちろん修了もでき、最後の打ち上げにも参加するほど打ち解けてくれたのです。その打ち上げの席で、最初に積極的にサポートした生徒さんに対して、他のクラスメイトが「〇〇さんを助けている姿を見ていたよ」と尊敬の気持ちを伝えていました。

 

周りの人たちは、あなたがどうするのか見ているのです。受け入れるのか、上手く付き合うのか、それとも弾き出すのか。たとえ自分とは全く違う価値観や考え方、生まれ育ってきた環境、病気や障害の有無であったとしても、どこかに接点をつくって溶け込ませていく姿勢を見せるかどうか。職場においても、学校においても、あなたが他者の姿勢を見ているように、他者もあなたの姿勢を見ています。そして姿勢は連鎖します。あなたが弾けば、周りも弾き出します。あなたが受け入れたら、周りも受け入れようとします。あなたの周りの世界は実はあなた自身の姿勢がつくってゆくのです。特にリーダーと呼ばれる人たちの姿勢は、周りに大きく影響を与えますね。

 

 

多様な他者を受け入れていくことから始めて、いつかは彼ら彼女たちとシェアするところまで行ってみましょう。いろいろな人たちと共に生きるだけではなく、いろいろな人たちとシェアする世界です。モノだけではなく、コトや気持ちもシェアしていきましょう。佐々木先生が介護職員初任者研修の授業の中で話している、「分け合えば、喜びは2倍に、悲しみは半分に」ということです。今の介護の現場にはその精神が必要ですし、それができる人たちが介護の世界に集まっていると私は信じています。全てはあなたの姿勢にかかっているのです。

2022年

2月

06日

「他者と生きる」

コロナ騒動が始まった当初、感情的になることなく至って冷静に、まともな言論を貫いた学者は数少なかったのですが、著者の磯野真穂さんはその一人でした。本のタイトルにもあるように、リスクや病い、そして死を深く見つめつつ、他者と生きることはどういうことなのかを発信した記事は今でも記憶に残っています。命を守ることだけに社会が傾倒していったあの時期に、あの内容を書くにはとても勇気が要ったはずです。その勇気とあまりの正論にハッと気づかされた方は僕を含めて多かったはずで、彼女の学者としての株は一気に上がったと思います。今回この本の中では、コロナ騒動のおかしさを、真正面からではなくかなり回りくどく、しかし人類学者として鋭く斬ってくれています。

 

論点は多岐にわたるのですが、私にとって興味深かったものを2つほど挙げさせてください。ひとつは、「直接体験」と「情報体験」についてです。子どもからお年寄りまで、ひとり1台のスマートフォンを手にした私たちの社会には、ひと昔前と比べても圧倒的な情報が溢れています。かつては直接見たり聞いたりして体験しなければ知り得なかったことを、今は簡単に「情報体験」という形で知ることができるようになりました。

 

そういう時代には、「直接体験」と「情報体験」の区別がつかなくなっていきます。たとえば、極端な例ですが、外国に行ったこともないのに行ったことがあるような体験ができますし、北極で氷が解けていると聞けば、実際には見たことも体験したこともないのに事実だと思い込むようになります。人間の考え方やその人らしさは「直接体験」で形づくられていたものが、気づかないうちに「情報体験」に浸食されてしまっているのです。特に男性はその傾向が強く、対して女性は現実社会や自然に対する肌感覚を残している気がします。

 

量的にも質的にも「情報体験」が「直接体験」を凌駕してしまった時代が不気味なのは、情報を歪めたり操作することで、私たちの体験にも影響を与えることができるからです。「直接体験」は個別のものであり、大量生産ができないため、社会全体に影響を及ぼすことは難しかったのですが、情報は複製可能であり、私たち全員に対して一気に拡散することができるのです。単刀直入に言うと、テレビやヤフーニュースなどのマスメディアに乗せることで、私たちの「情報体験」をコントロールすることがどの時代よりも容易になったということです。ピンと来た方もいるかもしれませんが、そうです、「情報体験」ばかりして、現実社会との接点が少ない男性ほど騙されやすいということです(笑)。

 

もうひとつの論点は、時間をめぐる価値の問題です。人生は長さではなく、どう生きたかである。長く細くではなく、太く短く生きたいというセリフは良く聞きます。磯野さんはそこにもこんな問いを投げかけます。

 

「不慮の事故や病気で若くして亡くなった人の人生と100歳まで生きた人の人生を比べるとき、前者の方が短かったとは必ずしも言えないのではないか。35歳までしか生きられなかった人の生と85歳まで生きた人の生の長さがほとんど同じであること、場合によっては前者の方が長い場合もあるのではないか」

 

何を言っているのか分からないという方もいるでしょうから説明すると、磯野さんがここで指している長さとは、物理的な時間の長さではなく、関係論的人間観における時間の長さです。もっと分かりやすく言うと、人間は他者と関わりを持ったときに初めて存在が現れるのであって、どれだけの時間を他者と直接に関わったかが本当の意味でのその人の生きた時間なのではないかという話です。つまり、ネットフリックスを観て楽しんだ時間はあくまでも情報体験としての物理的時間であって、それは生きた時間ではなく、たとえ誰かといがみ合ったり喧嘩したとしても、その時間は人間として直接生きた時間ということです。

 

 

私たちはこの難しい時代をどのように生きるのか、考えなければならない段階に来ているのだと思います。他者と生きることは直接かかわることであり、そこにはリスクも存在しますが、それ以外に本当に生きる方法はないのではないでしょうか。ありもしないリスクをことさら誇張して私たちをコントロールしようとするなんて論外ですから、そうした情報体験の罠から抜け出すためにも、私たちは他者と直接交わり、喜怒哀楽を直接体験することで本当の生を取り戻す必要があるのです。

2022年

1月

30日

なぜ勉強しなくちゃいけないの?

「お母さんが勉強しすぎて、怖いぐらいです」

 

 

卒業生さんが、介護福祉士の試験勉強をしているお母さま(こちらも卒業生)について話してくれました。食事の時間以外はテキストや問題集とにらめっこ。話しかけるのもためらうほどピリピリしているそうです(笑)。お母さまは筆記試験対策講座にも通ってくれて、ミニテストも非常に良くできていたのですが、やはりそんなに熱心に勉強していたのですね。直前に過去問だけやって受かったみたいな話は良く聞きますが、実際には彼女のように合格したい一心で一生懸命に学んでいる人たちの方が多いのだと思います。だからこそ合格した喜びは大きいし、「先生方のおかげで合格できました!」と毎年嬉しい声が届くのでしょう。

私は定期的にテストを受けることに賛成派です。介護職であれば現場で3年間働いて、その後、介護福祉士になるためにはテストを受けます。テストを受けることが重要なのではなく、そのために勉強することに大きな意味があると思います。また、子どもたちも高校受験、大学受験と3年ごとにテストがあって、そのために勉強する必要があります。最近は、中高一貫校が増えてきたり、面接や論文だけで合格できるAO入試や推薦などで進学する生徒さんも多いのですが、せっかくの学びの時期がもったいないなと正直思っていました。さすがに毎年テストを受けるのは大変かもしれませんが、せめて3年に一度ぐらいは学びの時間をつくれると人生が豊かになるのではないでしょうか。

 

「子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?」という本があります。養老孟司さんや茂木健一郎さん、瀬戸内寂聴さんなど錚々たる8人の識者たちが、子どもたちにも分かるように、なぜ勉強しなければならないかを独自の視点で語っています。その中で、私がもっとも腑に落ちたというか共感したのは、福岡伸一さんという生物学者のお話です。

 

福岡伸一さんは、「勉強すれば『思い込み』から自由になれるから」と教えてくれます。ここでいう自由とは、ありのままの自分でいられることであり、その自由を奪うのが人間の脳のクセがつくりだす「思い込み」だというのです。あらゆる考え方や知識、情報を得ることで、こうしなければならない、こうであらなければダメだという自分の「思い込み」に気づき、私たちは自由になることができるというのです。怖いと思っていたことも知ることで恐怖心がなくなったりします。視野を広げるという意味でもありますが、自分を縛りつけている思考の誤りを正すということです。私たちは学ぶことで心身ともに自由になれるのです。つまり、学ぶ時間は自由になるための時間、そして、学校は自由になるための空間ということですね。今年の介護福祉士試験を受ける生徒さんたちが全員合格して、心を自由に介護の仕事を続けてくれることを願います。

 

 

今日は国家資格である介護福祉士の筆記試験日です。筆記試験対策講座や直前模試対策講座を受けてくださった生徒さん、そして実務者研修の卒業生さんたちが、全力を出し切って合格してくれることを心から応援しています。幸いにも天気にも恵まれ、本当はそれぞれの試験会場に私たちも足を運び、入口のところで皆さんを激励したい気持ちです。初めて受験する人は緊張しているだろうなとか、苦手分野があったあの人は克服できたのだろうかなど、それぞれの顔を思い浮かべながら、心はそちらに向かっていますよ。

2022年

1月

23日

学校の雰囲気

湘南ケアカレッジの魅力をひと言で表すと、「雰囲気の良さ」だと思います。私は他の学校で働いていたことも、見学に行ったこともありますし、また自身でホームヘルパー2級講座を受けたこともあります、大きな違いがあると言えばあるし、それほど違いがないと言えばないのですが、実際に学校ごとに雰囲気は違いますし、クラスごとに違いがあるのが実状です。もちろん、湘南ケアカレッジもクラスごとに雰囲気は若干異なりますが、ほとんどどのクラスも前向きなエネルギーに溢れていて、楽しく学んでいるという感じです。それはクラスメイト同士の仲の良さであり、学校や先生方と生徒さんとの距離感の近さであり、学ぶことに対するベクトルが一致しているからです。

何がその学校の雰囲気を決めるのか、もう少し掘り下げていくと、先生方の人となりと学校の考え方(思想)の2つが大きな理由だと私は思います。まず何と言っても、先生方が明るく楽しくないと、雰囲気は良くなりません。大げさに言うと、堅物の教授みたいな先生がテキスト通りに淡々と授業をしても、生徒さんたちは楽しみようがありません。ここでいう楽しさとはキャッキャ言う楽しさではなく、学ぶことに前向きで活気があるということです。先生方が楽しく情熱を持って教えているから、それを見た生徒さんたちが前向きに活気をもって学ぶことができる。しかも全ての先生がそうなのですから、授業ごとに雰囲気が異なることもなく、研修全体を通じて雰囲気が共通しているのです。

 

先生方の人柄や教えることに対する情熱があったとしても、大きな枠組みをつくる学校の考え方が間違った方向に行ってしまうと、せっかくの雰囲気が壊れてしまうことがあります。あれはダメこれはダメと謎ルールをつくって先生方を変に縛り付けたり、また逆に、可もなく不可もなく適当に授業をしてくれたらよいと先生方を駒のように扱ったりすると、先生方は個性を失っていきます。角が立つのであまり具体的には書きませんが、ほとんどの介護の学校は先生方に対するリスペクトが足りない気がします。学校にとって、全ての先生方はかけがえのない存在であることを忘れてはいけないと思います。

 

 

先生方の人となりと学校の考え方が揃って、良い授業をつくっていこう、生徒さんたちに喜んでもらおうという方向性が一致すると、どのような生徒さんたちが集まっても、ほとんどブレがなく雰囲気の良いクラスになります。介護について学びたいと考え、介護職員初任者研修に参加したり、介護の現場で働いていてもっと深く学びたいと考える人たちは、はっきり言って良い人たちばかりです。こちらの下地さえ整っていれば、あとは彼ら彼女たちが持っている人間性を包み隠すことなくそのまま発揮してくれたら良いのです。そうすれば、雰囲気の良いクラスのできあがりです。

2022年

1月

16日

不可逆的

「不可逆的」という言葉を知ったのは、20代の頃にブックオフでアルバイトをしていたときでした。大学を卒業して就職した会社を1年で辞めて、ふらふらしていた時期です。ブックオフで働きながら、お店にある本を買って帰っては、読みふけっていたものです。ブックオフは中古本のリサイクルショップですから、当然ながらアルバイトの私の役割のひとつに、本の買い取りがあります。本の新しさや内容、売れ行きによって値付けをする作業はとても楽しかったです。

 

ある日、お客さんが持ってきた本の帯に「不可逆的な~」という文字を見つけ、聞き慣れない言葉だけどどういう意味だろうと興味を持ち、家に帰ってから調べてみました。すると辞書には「元に戻ることができないことや性質のもの」と書かれていました。「可逆的」は元に戻ることができるという意味で、その反対が「不可逆的」ということですね。

たしかに世の中には、「可逆的」なものもあれば、「不可逆的」なものも存在します。たとえば、本棚から本を手に取って、パラパラと頁をめくり、再び本棚に戻すことは「可逆的」です。対して、お皿を床に落として割ってしまった場合は、二度と元の状態に戻すことはできませんので「不可逆的」。時間は過去から現在、未来へと流れて行きますので、時を巻き戻すことは不可能ですから、時間は「不可逆的」ともいえますね。誰かと喧嘩してしまって険悪になったとしても、互いが歩み寄って仲直りすることもできますし、修復不可能なまでこじれることもありますので、人と人の関係は「可逆的」であり、「不可逆的」にもなり得ます。

 

このように「可逆的」にも「不可逆的」にもなり得る、曖昧で微妙なことは私たちの周りに結構多く、それらの扱いには慎重に気をつけなければいけません。なぜかというと、「不可逆的」になってしまったら最後、もう二度と元の状態には戻らないからです。「可逆的」だと思っていたのに、ひとつ間違うと「不可逆的」になってしまうことがありますし、気がつくと「不可逆的」になってしまっていたことなど山ほどあるのです。「不可逆的」になってしまうと大変なのは、その後、ずっとその状態が続くことです。元の状態に戻らないというのはそういうことであり、つまり、一生続くということです。

 

何かを始めるとき大切なのは、2つのことを問うてみるべきです。ひとつは、①本当にこれを始める必要(意味)はあるのだろうか?もう1つは、②始めてみたとして、もし意味や効果がなければどのタイミングで止めるか(元に戻すか)?ということです。

 

仕事においても同じことが当てはまります。私の経験上、この2つの問いについてきちんと考えずに、とりあえずやってしまうことが多すぎる気がします。結局、意味のない仕事ばかりが増えて、しかも止める基準がないので気がつくとずっとやり続けることになってしまう。そんな仕事が介護の現場でも多いのではないでしょうか。「不可逆的」となる前に意味のない仕事をやめることができれば、そもそも最初から意味がない作業を始めていなければ、その時間をもっと大切な人と人の対話に当てられたはずなのに。

 

今の日本のマスク・消毒社会は「不可逆的」であり、少なくとも私たちが生きている間はずっと続くと思います。感染症に対する効果などの科学的議論はなされず、何の基準もないまま、私たちは政治とマスコミに言われるがままマスクをつけ消毒を始めましたが、今となっては周りの皆がしているからしているのがほとんどの人たちの現状だと思います。特にマスクに関しては視覚的に分かりやすく、周りの誰かが外さないと外せないというジレンマに陥ってしまうことは最初から分かっていたことでした。その構造に陥ってしまった時点で膠着状態となり、「不可逆的」になります。私たち大人世代だけならまだしも、学校教育の現場を見ると、今の子どもたちもその子どもたちも未来永劫、家から一歩外に出たら、暑い夏もマスクして過ごさなければならないのは可哀そうだと思うのは私だけでしょうか。

 

 

最初は些細なことであっても、いったん「不可逆的」になってしまうと、自分だけではなく、周りも巻き込んで一生やり続けなければならなくなります。もう二度と元には戻れないのです。その大変さを考えると、本当にこれをする必要(意味)はあるのだろうか?してみるとしても、もし意味や効果がなければどのタイミングで止めるか(引き返すか)?は常に意識しなければいけないのではないでしょうか。

2022年

1月

08日

自分たちの分身

先日、卒業生さんが友人を連れて教室まで来てくれました。友人は今月からスタートした介護職員初任者研修の日曜日クラスにすでに申し込みをされていて、事前視察も含めて、卒業生さんが連れてきてくれたのでした。ご友人には4階の教室を見てもらい、その後、事務所で立ち話をしていると、卒業生さんが自分のクラスでつくった色紙を見つけ、「あった、これだ!私のメッセージも左上にある!」と指差しました。よく見ると、平成29年の4月日曜日クラスと記されていたので、今から4年前(ほぼ5年前)のクラスでした。「懐かしいですね」と言いながら、メッセージの名前を見ると、それぞれの顔が浮かんできて、思い出ばなしに花が咲きました。

卒業生さんが湘南ケアカレッジに戻ってきてくれたとき、自分のクラスでつくった色紙やメッセージボードを探して、見つけて嬉しそうにしている光景をよく見てきました。たとえ何年ぶりであっても、湘南ケアカレッジに戻ってくると、ほとんど変わっていない教室の風景を見て、懐かしの先生方と再会し、卒業生さんたちは安心します。流れてしまった歳月の長さを感じつつ、自分のクラスのことが思い出されてきて、懐かしいなあと感傷に浸っていると、ふと色紙(メッセージボード)のことが思い出されるのでしょう。そういえば、あのときつくった色紙(メッセージボード)はどこにあるかな?と見渡してみると、飾られているのです。自分たちが、あのとき、ここにいたことを記す証拠としての色紙(メッセージボード)が!

 

美学者の伊藤亜紗さんが著書の中で、人間の身体性にまつわるこんな面白い話をされていました。伊藤さんの友人がモンゴルに行き、結婚式を挙げたときの話です。式が終わり、父親役を務めてくれたモンゴルの親戚の方が、「君にこの馬を1頭プレゼントする」と言い出したそうです。友人は「急に言われても、持って帰れない」と断ろうとしましたが、「この馬を持って帰れという意味ではなく、自分たちがこの馬をモンゴルでずっと飼っているから、君が来たときにいつ乗ってもいい。君の馬なんだから」と言われたそうです。

 

この話の意味としては、人間はその場にいられなくても、何かを分身として残すことでその場にいられるということです。その馬がモンゴルにいることによって、友人は東京にいてもモンゴルの草原を感じたり、モンゴルで出会った人たちを思い出したりすることができるわけです。残された人たちも、その何かによってその人の存在を感じることができる。分身が存在することによって、物理的な距離を超えて一緒にいると感じられる。そこにいるということは、身体性が必ずしも問われるわけではないのです。

 

 

卒業生さんたちは、先生方や学校に対する感謝の気持ちを表現するために色紙(メッセージボード)を贈ってくれるのだと思っていましたが、それだけではないのかもしれません。色紙(メッセージボード)を残すことで、自分たちがそこにいたことを記し、自分たちは去ったとしても自分たちの気持ちは少なからず湘南ケアカレッジに存在し、また私たちもその色紙(メッセージボード)をふと見ることでそのクラスの生徒さんたちの存在を感じることができる。色紙(メッセージボード)はモンゴルの馬と同じなのですね。だからこそ、教室に戻ってきたときには、自分たちの分身としての色紙(メッセージボード)の存在を探すのだと思います。そして自分たちがそこにいたこと、そして今もいることを確認し、過去と今がつながり、また安心して教室を去って未来へと旅立つことができるのです。

2022年

1月

01日

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。おかげさまで、湘南ケアカレッジは今年で10年目を迎えることになりました。いわゆる10周年というやつです。100年続く学校を本気で目指していますので、まだ折り返し地点にも立っていないのですが、がむしゃらにやってきたら10年も経ってしまったというのが正直な感想です。介護職員初任者研修は3500人ぐらい、実務者研修は2000人以上が卒業し、重複している生徒さんもいますので、およそ4000人の卒業生が誕生したということになります。ただの4000人ではなく、一人ひとりの生徒さんたちに先生方が一生懸命に教えてくださった4000人を誇りに思います。

今年の、いやこれからの湘南ケアカレッジのテーマとしては、少しずつ大きく変わることでしょうか。今まで積み上げてきた大切なものをしっかりと守りながら、小さな改善や変化を積み重ねていって、気づいた頃には大きく変わっていることを目標としたいと思います。そのためには、何を変えずに、何を変えるのかを考えなければいけません。何を守って何を壊すのか、または何を残して何を捨てるのか。全てを守り(残し)つつ何かを取り入れることができれば最高ですが、時間は有限ですし、人間はそんなに器用ではありません。残念ながら取捨選択をせざるをえないのです。

 

たとえば、学校の研修として何を残すべきかを考えるとき、以下の視点が大切になります。

 

・生徒さんは満足しているか?

・先生方も楽しめているか?

・生徒さんが集まっているか?

・継続的に行うことができるか?

・正しいことをしているか?

 

何よりも大切なのは、当然のことながら、一番上の「生徒さんは満足しているか?」です。どれだけ社会的なニーズがあって、研修を行えば生徒さんが毎回集まり、先生方も教えたことで納得していたとしても、生徒さんたちに「来て良かった」と思ってもらえなければ意味がありません。介護・福祉に関する研修は、資格を取らなければならないものがありますので、満足度が低くても生徒さんは集まることがあるので要注意なのです。生徒さんたちの満足度を知るためには、研修の中でアンケートを取ったり、研修後にヒアリングをしてみたり、なんといっても研修中に生徒さんたちが笑顔でいるかどうかを見ることが判断材料になります。

 

「先生方も楽しめているか?」は、生徒さんの満足度と密接な関係性があるため、生徒さんたちが満足して笑顔であれば、先生方もやりがいを感じることができます。その逆もしかりで、先生方が生き生きと教えてくれたら、生徒さんたちも楽しいと思ってくれるはずです。ただ例外的に、先生だけは教え甲斐を感じて教えてくれているけれど、教え方が上手くなかったり、褒め・認めがなかったり、自分が教えたいことだけを教えていたりする場合は、先生だけが楽しんでいる授業というものも存在します。それでも、先生方が自身の能力をフルに発揮して、気持ち良く授業ができているかどうかは、学校にとって極めて大切なことです。

 

生徒さんも先生も満足していても、人が集まらない研修はダメです(笑)。これは「継続性があるか?」とも関係してくるのですが、なかなか人が集まらない、つまりニーズのない研修は続けていくことができません。商売として、またはモチベーション的にということです。だからこそ、やるからには人を集める努力もしなければいけません。それでも人が集まるかどうかは時代の流れによるところも多く、人が集まりにくい(ニーズの少ない)研修は時には開催しない判断も必要になるということです。また、人を集めるためにお金がかかりすぎたり、開催するのに人手や時間が膨大であったりすると、続けていくことが困難になります。コストがかかりすぎる研修は良くないということです。

 

最後の「正しいことをしているか?」に関しては、完全に個人的な考えではありますが、上記の条件を全て満たしていたとしても、正しくないことをしているのであれば意味がありません。むしろ多くの人たちが巻き込まれてしまう分、勇気を持ってやらないという判断が必要になりますね。そんなことないでしょと思われるかもしれませんが、世の中には意外と多いのですよ、ニーズもあって満足度も高いけど正しくないことって。長い目でみると、正しくないことを行うと自分たちの心を壊してしまうので、私はというか、湘南ケアカレッジはやりません。

 

 

このような視点を持って、何を変えずに何を変えるべきかを考え、今年は新しい研修をひとつでも開催してみたいと思います。実際はやってみないと分からないことの方が多いのですが、生徒さんたちに満足してもらえて、先生方も楽しんでくれて、人がたくさん集まってくれて、ずっと続けて行くことができて、正しい方向性を持った研修をつくりたいですね。卒業生の皆さま、先生方、そしてこれから湘南ケアカレッジに来てくださる生徒の皆さま、今年もよろしくお願いします!

2021年

12月

26日

決めつけない

9月、10月からスタートした実務者研修の3つのクラスが立て続けに修了しました。実務者研修はわずか7日間しかなく、15日間の初任者研修と比べると、これから生徒さん同士が仲良くなって盛り上がっていく手前で終わってしまう残念さはあります。それでも与えられた時間なりに、生徒さんたちも先生方も盛り上げてくれて、どのクラスも良い雰囲気で終わることができて安心しました。なんと木曜日クラスは研修の最後に色紙とお菓子を贈ってくれて、驚かされました。なぜ驚いたかというと、実務者研修は初任者研修と比べて色紙やメッセージボードをつくるクラスが少ないのと、特に1か月に一度のペースで通学する木曜日クラスからは今までいただいたことがなかったからです。

研修の最後に色紙やメッセージボードをつくって、学校に贈ってくれるという現象が起こるためには、いくつかの条件が重なることが必要になると思っています。

 

・クラスメイト全体の仲が良い

・先生や学校との距離感が近い

・皆でつくろうと勇気を出して声をかける発起人がいる

・音頭を取って取りまとめるリーダーがいる

・それをサポートする仲間がいる

 

上の5つの条件のどれかが欠けても、色紙やメッセージボードという形にはならないでしょう。それぞれの生徒さんたちは、先生方に感謝の気持ちを形にして伝えたい、自分たちがケアカレで一緒に学んだ大切な時間を形にして残したいと思っても、クラスメイトの気持ちがひとつにならなければ決して実現しないのです。あくまでも自然発生的に起こることですから、実現するクラスもあればそうではないクラスもあり、初任者研修に比べて期間が短い実務者研修において、上の5条件が満たされるのは意外と難しいということです。

 

だからというか、まさか今回、実務者研修の木曜クラスから色紙をいただくとは思っていませんでした。木曜日クラスは月に1度の通学ということで、授業ごとの間隔が開いているため、生徒さん同士の関係性が築きにくいということもあって、正直に言うと全くの想定外でした。いつもは最後の授業あたりで、生徒さんたちが色紙を回していたり、メッセージを書いて回収していたりする姿を目にするのですが、今回ばかりは、いつ皆でつくったのか気づかなかったほどです。自分には木曜クラスのことが見えていなかったし、決めつけてしまうと本当の姿が見えなくなることを改めて教えてもらいました。

 

教育にたずさわる人にとって、最も良くないことは決めつけてしまうことです。この人はこういう人だと決めつけてしまうと、そのようにしか見えなくなり、その人の可能性を狭めてしまうのはもちろんのこと、自分自身の幅も広がりません。なぜこのようなことを書くかというと、私たちはどうしても教える―教えられるという関係性の中で、相手のことをこういう人だ、これはできるけどこれはできないなどと把握することが求められ、その中でいつのまにか自分の色眼鏡で他者を見てしまうことが多いからです。私たちにできることは、たまには自分の色眼鏡を外して、決めつけないことを意識することです。もしかすると実はこういう良い面があるかもしれない、あれはできるかもしれない、などと考えてみることで、相手の可能性を広げるだけではなく、自分の思考の世界の幅を広げていくことにもつながるのではないでしょうか。

 

 

木曜日クラスの皆さま、色紙を贈っていただいてありがとうございます。一人ひとりからのメッセージを大切に読ませてもらいましたよ!

2021年

12月

20日

褒め・認め合う文化

介護職員初任者研修も実務者研修も、研修の最後に実技試験があります。実技試験といっても、決して落とすための試験ではなく、これまで研修の中で学んできたことを発表(披露)してもらうための試験です。もし落とすための試験であれば、かつての介護福祉士の実技試験のように一発試験にして、その場だけの評価をすれば良いわけです。そうではなく、実技試験が技術講習会に移り変わり、最終的には実務者研修になったのは、研修を通して学ぶことでその人に合った形で成長し、介護の技術や知識を高めてもらいたいという意図があると考えています。ということは、私たち教える側は、審判者ではなく、成長をサポートする伴走者のような存在でなければいけません。

そういうテーマや考え方の中で、改善を重ねて、小野寺先生が最終的に提案してくれた、先生からだけではなく、周りの生徒さんたちからもフィードバックをもらう評価の仕組みは、とても湘南ケアカレッジらしいと思います。実技試験はいくつかのベッドに分かれてチームで行われますが、試験を受ける生徒さんとそのパートナーだけではなく、同じチームメイトが見守る中でテストは行われます。恥ずかしいと思う人もいるかもしれませんが、気心しれた仲間ですから、皆応援してくれますのでご安心ください。もちろんテストですから、上手く行くこともそうではないこともあると思います。それでも、良かったところ、できたことに着目して、先生からも評価・コメントさせていただきますし、周りのチームメイトからもコメントをもらうという仕組みです。

 

この仕組みの良いところは、同じチームメイト(クラスメイト)が実技を披露しているのを良かったところ、できていることという視点で見なければいけないことです。間違い探しをするのは誰でもできますが、できていること、素晴らしい点を見つけるのは意外と難しいものです。そうして見えたその人の良い点を言葉で相手に伝えてあげることも大切ですし、そうしてもらった生徒さんは周りの人たちに認めてもらったと感じるでしょう。それは自分が試験を受ける立場になったときも同じです。先生からはもちろんのこと、周りのチームメイト(クラスメイト)からも認めてもらえたことが、これから先現場で介護の仕事をしていくときに励みになると思います。そして、互いに認め合うことの大切さに気づいた人たちが、現場でもそれを実践してもらえると良いなと願っています。

 

 

しかし、このフィードバックの仕組みはあくまでも仕組みです。ただこの仕組みだけを用いれば全てが上手く収まるということでは決してありません。この仕組みがハマるのは、それまでに教えてくださっている先生方が、そうしたポジティブなフィードバックを常にしてくれているからです。それまで散々できていないことを言われ、出来たとしても褒め・認めてもらえなかったのに、突然最後の試験だけポジティブなフィードバックをされても気持ちが悪いです(笑)。何が言いたいかというと、湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修も実務者研修も全体として、互いに褒め・認め合おうというテーマが隅々まで生き届いているからこそ、最後のピースがぴったりはまったということです。互いに褒め・認め合うことは、言葉で言うほど簡単ではなく、湘南ケアカレッジの先生方だからできた文化であり、湘南ケアカレッジにしかできないことなのかもしれないとひそかに自慢に思います。

2021年

12月

12日

打ち上げが戻ってきた

11月短期クラスが無事に修了しました。先生方も口を揃えて「いいクラス」と言うように、皆さん明るくて、一生懸命に学んでくれて、お互いに助け合えるクラスでした。そして何よりも私が驚いたのは、研修が修了した後、打ち上げが行われ、ほとんどの生徒さんたちが参加されたことです。およそ1年9か月ぶりに、打ち上げが戻ってきたのです。このコロナ騒動の中では、クラスメイト同士で仲良くなっても、クラス全員で打ち上げをしましょうとはなかなか言い出せない空気があったのだと思います。今はいわゆる感染者数(PCR検査の陽性者数?)がほぼゼロに近づいてきたこともあって、さらに生徒さん同士が互いに打ち解けて、信頼し合っていることで、打ち上げをしましょうという声が出たのだと思います。もちろん、私も顔を出させていただきました。

 

1年9か月ぶりと書いたのは、湘南ケアカレッジで最後に行われた打ち上げが2020年の3月末であったことを鮮明に覚えているからです。あの時期、東京オリンピックの延期が決まった直後から陽性者数が増え始め、まだcovid-19がどのようなウイルスであり感染症であるか分からないままでしたが、打ち上げは中止になることなく開催されました。町田のある居酒屋さんには私たちしかいませんでした(笑)。あの時は、さすがに大丈夫かなと私も心配になりましたが、皆さん全く問題なく健康でした。

 

その翌週に緊急事態宣言が出され、私は突然いただいた大人の春休み中に、今回のウイルスや感染症について徹底的に勉強することに。あれから2年近い歳月が流れ、臨床を伴わないPCR検査は診断には適切ではないことやcovid-19は接触感染も飛沫感染もほとんどないこと、マスクの着用も人流もロックダウンさえも感染者数とは因果関係がないことなど、多くのことが分かり始めてきましたが、日本はいつまで経っても2年前と同じ知識レベルで同じ行動を取っています。このコロナ物語をいつまで続けるのと私はずっと思ってきたので、生徒さんたちが打ち上げを開催できたのは、当たり前の日常を取り戻すための少し明るい兆しだと感じるのです。私たちは限りある命を使って生きている人間なんだから、そろそろ普通の生活をしましょうよ。

 

今回のクラスには外国の方がひとりいました。彼女は日本語が私たちほどではないため、初日から3日目までは授業について行くことができずに辛かったそうです。3日目のお昼にもう辞めたいと本人が言っていると旦那様から電話をもらいましたが、何とか踏みとどまってくれました。その後、4日目、5日目と親切にサポートしてくれる生徒さんもいたことで少しずつ授業にもクラスにも馴染はじめ、周りのクラスメイトさんたちも温かく見守り、受け入れてくれました。次第に笑顔が出始め、最後はとびっきり元気に修了し、打ち上げにも参加してくれたのです。まさに今回のクラスを象徴するような出来事でした。

 

 

福祉や介護にたずさわろうとする人たちは、こうあってもらいたいと私は思います。自分たちと異なるものを恐れて排除したり、分断されたりするのではなく、他者を知り、受け入れ、時間と空間を共有することで、強い信頼関係がお互いに生まれるのです。介護の学校の素晴らしさが凝縮されたようなクラスの生徒さんたち、そして先生方、心からありがとうございます!クリスマス仕様の華やかなメッセージボードも大切に飾らせていただきますね。

2021年

12月

06日

「リタイア、そしてアラスカ」

「本を出版しました」と卒業生の井上きよしさんから知らせを受け、さっそく買って読んでみました。卒業生さんが著したからということもありますが、それ以上にタイトルや内容に惹かれたからです。実は、私にとっての最大の夢(目標)は、「アラスカにオーロラを見に行く」こと。大好きな冒険家であり写真家である星野道夫さんのオーロラの写真を見て以来、寒いところは苦手なのに、なぜか不思議といつまでもアラスカに行ってこの目でオーロラを見てみたいと想い続けているのです。しかも私も塾で働いていたことがあり、英語が好きだったので、井上さんの経歴は他人とは思えません(笑)。

井上さんが湘南ケアカレッジに来てくれたのは2019年11月のことですから、この冒険記はちょうどその前の旅路について記されたものです。たしか介護職員初任者研修が修了した後の打ち上げにて、井上さんから長年経営された塾を畳んで旅に出た話は聞いた記憶はありますが、ここまでのものとは思いも寄りませんでした。ホームステイしながらカナダの語学スクールに通い、アメリカそしてアラスカへと旅をしながら、井上さんが見たこと、話したこと、感じたことを、私も読みながら追体験しました。日本から外に出たことで見えてきた、死生観や介護の問題などについても書かれています。

 

やはりカナダにおいても、高齢者の介護の問題は当然のことながらあるようです。井上さんがホームステイした先のアランじいさんは少し認知症が進み始めており、娘さんのキャリアナは心配して病院に通わせたり薬を飲ませたりすることや、ナーシングホームに入れることも考えているが、アランじいさんは断固として拒否するという、世界中の家族内で起こっている問題です。井上さんは自分の母親の最後の日々と重ねつつ、ユマニチュードという考え方に出会い、こう記しています。

 

「自分の母親についてあてはめてみると、私は老いていく母親のことより、介護する、と言ったって大したことはできていなかったのだが、やる側の自分のことばかり考えていた。もっと母親の声に耳を傾けてあげるべきだった。老いていく我が身と対峙し、信仰にすがり信仰を見失いかけた母親の気持ちの近くに、私はいなければいけなかった」

 

また、日本が失ったものとして、誰もが自然とジェントルマンシップを示すことができることを挙げています。カナダのビクトリアでバスに乗ると、ほとんどの人がドライバーに「Thank you」と言うそうです。大人はもちろん、生意気盛りの中学生も高校生も、ヤンキーもヒッピーも、タトゥーが腕にびっしり入った革ジャンのモヒカン兄ちゃんも自然に「Thank you」。そして、車いすの人やお年寄りがバスに乗ってくると、パッと立って自然と席を譲る。この自然な感じが大切で、決して特別なことをしているという意識はなく、譲られる方も特別と感じていない。席を譲ろうとして断られたらどうしようとか、この状況は自分が席を譲るべきなのかなと周りを伺うような雰囲気がないということですね。

 

「ビクトリアのバスは、がたがた道を走っている。それに引き替え日本では、手入れの生き届いたピカピカのバスが、きっちり時間通りに、放送による案内を流しながら、無表情で走っている。乗り物の席だけではなく、学校でも、会社でも、いや社会全体が過度な効率優先主義と競争原理に貫かれ、それを疑問に思わない人間が溢れかえっている。「権利」と「義務」という2つの言葉が投げ散らかされ、それを掃除する人すらいない」

 

 

井上さんの言いたいことは良く分かります。カナダも都心部に行くと、日本と同じような効率優先主義と競争原理があるとは思いますが、日本という国はそうしたものを煎じ詰めた国だと思います(いや韓国の方がもっと煮詰まっているかな)。そこで生きている人たちにとっては普通なのですが、実は普通ではなく、どちらかというと異常なのです。日本の人たちも韓国の人たちも本来は優しいし親切なのですが、ここ数十年の間にあらゆることが表面的になり、いつの間にか他者との距離が離れ、私たちは見事に分断されてしまったのです。正直に言うと、こうした社会の中では自分のことばかりで、井上さんのいう耳を傾ける介護、近くにいる介護はなかなか難しいのではと考えてしまいます。少なくとも湘南ケアカレッジの中では、私の手の届く範囲においては、寛容な社会をつくっていきたいと思っていますし、ケアカレの卒業生さんにもそれが伝わると嬉しいです。

2021年

11月

29日

10年ひと昔

10年ひと昔と言われたものですが、湘南ケアカレッジも来年であっという間に10年目を迎えます。先日、「パンフレット(コンセプトブック)を見ましたけど、村山さんの写真、かなり前のものでしょ?老けましたね!」と明るく言われました(笑)。よく考えてみると、たしかにプロフィールで使っているあの写真は10年以上前に知人のカメラマンに撮ってもらったものでした。自分ではそれほど変わっていないつもりでも、10年も経つとその分老いるのだなあと素直に思ったものです。パンフレットに載っている先生方の写真も、僕としてはあまり変わっていない気がしますが、生徒さんたちにとっては10年前の写真に映るのでしょうかね。

10年経つと、外見だけではなく、周りの人たちの状況も大きく変わっていることに驚かされます。つい最近、介護職員初任者研修を受けていた生徒さんが、介護福祉士の筆記試験対策講座に来ていることにも軽い驚きを感じますし、この前、突然訪ねてきてくれた生徒さんは6年前のクリスマスの頃の生徒さんでした。彼のクラスは打ち上げに参加させてもらった記憶があり、その時に話したこともしっかりと覚えているのですが、まさか6年前とは…。さらに驚くべきは、生徒さん同士が結婚して、お子さんが生まれていることです。

 

湘南ケアカレッジも10周年を迎えて、創立した頃から比べると、大きく成長しているはずです。何よりも、この情熱と中身の濃さで10年続けてきた実績と信頼(安っぽい広告文みたいですね笑)がありますし、もはや「新しい学校です」とは言えないと思っています。祐子先生もおっしゃっていましたが、「老舗」と言っても過言ではないのではないでしょうか。ケアカレは100年続く学校を目指しているので、10年はまだ序の口に過ぎませんが、周りから見ると老舗の域に近づいているということです。ここまでやって来られたのは、先生方のおかげであり、これから先も、先生方と一緒に、湘南ケアカレッジのファンを増やしていきたいと思っています。

 

 

話はだいぶ飛びますが、僕は最近になってようやく「Netflix(ネットフリックス)」に加入し、海外のドラマを観ることにハマっています。今まで観た中で最も面白かったのは、「プリズンブレイク」という脱獄のドラマです。兄の無罪を晴らすため、弟が自ら刑務所に入り、明晰な頭脳を駆使し、周りの人たちを巻き込みながら脱獄するというストーリー。ネットフリックスのドラマは、1話ごとの終わり方が秀逸で、次の話を観たくて仕方なくなるような場面で切ってくるのです。続きが気になって観続けていると、あっという間にシーズン5まで観終わってしまいました。一度、見始めると最後まで止められないドラマでした。

「プリズンブレイク」の登場人物の中に、ベリックという刑務所の所長がいます。彼は最前線で囚人たちと対峙しており、まあ嫌な奴なんです。脱獄を妨害するだけではなく、脱獄してからの外の世界でも追ってきて、とにかく邪魔をするしつこいキャラクターです。話の展開の中で、ベリックとはくっついたり、裏切ったりを繰り返し、足手まといながらも次第に仲間になっていきます。

 

そして、ここからはネタバレになってしまいますが、最後にはベリックは仲間を助けるために自らが犠牲になる道を選びます。その状況をうまく説明するのは難しいのですが、誰かがパイプを通さないと向こうに渡れない状況になり、パイプを通すためには誰かが水道管の中に入らなければならなかったのです。まさかあのベリックがと僕は驚いたのですが、彼は自ら進んで手を挙げて、水道管の中に入り、パイプを通し、自身は溺死してしまう道を選んだのです。自らの命を使って、あれだけいがみ合っていた仲間を救ったのです。このとき、あれだけ嫌な奴だったベリックが、僕の中で最高のキャラクターに変わりました。

 

このシーンが最も印象に残っているのは、ベリックが命の使い方を表現してくれたからだと思います。ベリックは実はマザコンで、刑務所の所長を早めに引退して、お母さんとのんびり過ごすのが夢でした。そのためには不正に目をつぶり、小悪を犯してもやむを得ないと考えていたような人物が、自らの命を捨ててまでも仲間を救ったのです。どのような心境の変化があったのか分かりませんが、ベリックの人生を見て、その人の価値は命の使い方にあるのではと思ったのです。

 

 

人間にとっての命とは時間のことでもあり、命の使い方とは、時間の使い方と言い換えることもできます。ベリックはのんびり過ごす予定だった人生の残りの時間を、仲間を救うことと引き換えたということになります。おそらくベリックがあのまま長生きして、たとえいい奴で終わったとしても、彼のキャラクターや人生はそれほど輝かなかったはずです。彼は命の使い方を変えたことで、それまでの姑息な生き方を帳消しにして、大逆転に成功したのです。

命の使い方という表現は、一昨年、ケアカレナイトにゲストスピーカーとして来てくれた松山博さんの言葉でもあります。松山さんは当時71歳、元小学校の教員です。ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症して11年目、胃ろうと気管切開をして呼吸器を装着して4年目。ALSの進行に合わせて、どのような思いで、どのような選択をしてきたかについて語ってくれました。その中で、「どのような看護・介護を受けるか、在宅支援の有りようで当事者の生きる姿が変わります」とおっしゃり、「命を使って何ができるか」と今は考えるに至られたと話されていたことが印象的でした。松山さんがケアカレナイトに来てくれたのも、命を使って何ができるのかという行動の一環だったのだと思います。

 

 

湘南ケアカレッジを先生方と創立したときは、私は30代後半ぐらいでした。あれから10年の歳月が経ち、命の使い方について考えるようになるとは思いもしませんでした(笑)。最近は命を守るとか、命の大切さばかりが強調される世の中ですが、ベリックや松山さんの生き方を見るにつけ、むしろ命の使い方を考えることの方が大切なのではないかと思うのです。それは命を粗末に扱うということではなく、命の使い方、つまり生き方の問題です。自分のために使うのも良いのですが、誰かのために、未来を担う子どもたちのために、何かを成し遂げるために、命を使って何ができるのかと考えながら生きていきたいと思います。

2021年

11月

22日

ネガティヴに引っ張られないためには

どんな仕事をしていても同じかもしれませんが、一定数のネガティヴな人たちはいます。たとえば介護の現場であれば、一緒に働く同僚やスタッフにいるかもしれませんし、介護・支援の対象者である利用者さんにもいるかもしれません。自分と意見や考え方が違うならば互いに学びはあるのですが、ただ単に何をやってもマイナスな反応しか返ってこない人たちがいるはずです。それは教育の現場でも同じで、ネガティヴな人たちがいることで、周りの生徒さんたちはネガティヴな方向に引っ張られたり、学校の雰囲気が悪くなってしまったりもします。彼ら彼女らも決して好きでそうしているわけではなく、これまでの歴史や背景の中でそう振る舞うようになり、そのような考え方になってしまった、ある意味においては被害者という面もあるのです。ネガティヴな人たちを排除するのではなく、共存していくためには、どうすれば良いのでしょうか。

 

大きな問題として、人間はネガティヴな方に引っ張られやすいという性質があります。100の良いことがあっても、1か2の悪いことがあると、どうしても悪いことばかりを考えるようになり、まるで全体としても悪いことになっているように錯覚しがちです。それゆえに、ごく少数のネガティヴな人がいるだけで、ひとり一人にネガティヴな思考が伝染し、全体の雰囲気が悪くなる流れができやすいのです。たとえば、30名のクラスにたった1名のネガティヴな生徒さんがいるだけで、先生の意識がその人に引っ張られることが多々あります。残りの29名はしっかりと授業を受けているのに、わずか1名であってもネガティヴな方に先生の意識の9割以上が奪われてしまうのです。実際に私も子どもたちを教えていたときは、そうなってしまうことがあったので先生の気持ちは良く分かります。

 

ここで重要なことは、ネガティヴな方向に引っ張られないことですが、自分の思考は自分ではなかなか変えられないものです。気にしなければよいと思えば思うほど、気になってしまうのが人間の性です。それではどうすれば良いのかというと、周りの人たちがポジティブな視点をあえて見せてあげることです。ネガティヴな人がいて、そのような言動があることを認めつつも、「このような良い反応もあったし、あの生徒さんは〇〇だと言ってたよ」という形で残りの99%の方に切り替えてあげることです。人間とは不思議なもので、自分の頭で考えているときはひとつの方向に引っ張られていたものが、誰かと話しているうちに違った方向にも引っ張られることになり、バランスを取り戻すことができるのです。

 

 

何が言いたいのかというと、大切なのは周りにいる人のリアクションであるということです。ネガティヴな人がいて、ネガティヴなことがあったとき、誰かがそのことを気に病んでいるときは、まずは話を聞いて、それからポジティブな面もたくさんあることを見せてあげることです。そのためには、いつも自分自身はポジティブな面を見つけるように心掛けていなければいけませんし、準備をしていることで、ネガティヴに引っ張られそうになっている誰かを助けることができるのです。逆もまた真なりで、もし自分がネガティヴな人に引っ張られているなと感じたときは、誰かとそのことについて話してみてください。きっとその誰かはあなたを救い出してくれるはずです。

2021年

11月

15日

国際福祉機器展2021

11月10日~12日の間に東京ビッグサイトにて開催された、国際福祉機器展に行ってきました。最初の頃は新橋駅からゆりかもめに乗ってたどり着いていましたが、ここ最近は町田から新宿→大崎、そしてりんかい線で東京テレポート駅というルートが確立されましたので、わずか1時間弱で行けるようになり、ずいぶん近くなったような感覚があります。さらに一昨年までのお祭りのような賑わいではなく、感染症対策の名の下、ブースとブースの間にスペースがありゆったりとしており、入場人数も1日1万数千人程度と、個人的にはちょうど良いサイズと人数のイベントになったと思います。見たい福祉機器はしっかりと見て、担当者に質問することもできます。今年いくつかの他の福祉機器のイベントにも参加しましたが、真剣に福祉機器について学びたい、知りたいという方にとって、国際福祉機器展は最適でありお勧めします。

行きたくても行けなかったという方のために、私が見てきたものをざっと紹介していきますね。まずは入浴関連の「はねあげくん」です。これは入浴の際、またぐときの支えにボードとして使えるのはもちろんとして、座面をはねあげることができるため、入浴介助がやりやすく、利用者さんはボードを外すことなく座位での入浴が可能になる優れものです。ちょっとした工夫ですが便利ですよね。

こちらはシャワーチェアになります。いくつかのメーカーが協働して制作したそうです。椅子の上の部分(シャワーアーム)からお湯が噴き出す仕組みになっており、通常のシャワーチェアに座って上からシャワーを浴びるよりも、利用者さんの保温効果が高いとのことです。利用者さんの身体の近くから広範囲にお湯をかけることができるので、たとえわずかな時間であっても、身体が芯まで温まるそうです。

他のメーカーにも、同じような入浴機器がありました。さきほどのシャワーチェアよりも、より密封度が高いため保温力も高いのですが、場所を取るので在宅向きではありませんね。

次に、面白いと思ったのは、「らくらくテーブル」という福祉機器です。介護用の昇降テーブルということで、見て分かるように、テーブルの高さを自由自在に調整することができます。しっかりロックすることができるので、安全性も高いです。利用者さんの体格によって最適なテーブルの高さに調整できますね。ちょうどこの前、「塗り絵をしている利用者さんの机の高さが合っていないのか、腰が痛いとおっしゃっているのですよね」と相談された卒業生さんがいましたので、まさにこのテーブルを勧めたいです。おやつを食べるときは低くても良いけれど、塗り絵などの作業をするときは高くしたいというように、同じ利用者さんであっても状況によって高さを変えることができます。

続いて、こちらは口腔ケア関連の光る歯みがきです。利用者さんのお口の中を明るく照らすことができるため、歯みがきがしやすく磨き残しもなく、口腔の状態も把握しやすいですね。

さらにベッド関連としては、こちらの立ち上がりまで可能なベッドが快適でした。ソファに心地よく座っている状態から、そのまま寝ることができますし、その逆も然りです。車いすからベッドに移乗する必要がないため、利用者さんの介護度によっては重用されそうな福祉機器です。

YOCARO」という在宅介護用電動ベッドの特徴は、ベッドの高さを78cmまで上げることができます。通常ですと50~60cmぐらいのベッドがほとんどですが、78cmぐらいまで上がると男性も屈むことなく介助することができます。男性が腰を痛めてしまう原因のひとつは背が高いことすので、これだけベッドの座面を上げることができれば、腰を痛めなくて済むかもしれません。また、言葉で伝えるのが難しいのですが、背上げをする際に、背面がそのまま上がるのではなく、湾曲しながら上がるため、背圧や身体のズレが少なくて済みます。介護職員初任者研修や実務者研修の授業でも体験してもらっている背上げの苦しさを覚えている生徒さんは納得だと思いますが、最初からベッドに心地よい背上げの機能が備わっているのは素晴らしいですね。

まさにこれから帰ろうとしているとき、卒業生のご家族とばったり会えたことは嬉しかったです。ご家族で国際福祉機器展に来るなんて感心しますし、やはり実際に自分たちの目で見てみて、「こういうのあったら便利だよね」、「でも実際に導入するとなると、今の家の導線だと厳しいかも」とか、意見やアイデアを出し合うこともできます。これまではできないと思っていたことが、道具を上手に使うことで、もしかするとできるようになるかもしれないとポジティヴに考えることができれば良いですね。人間は道具を使うことで霊長類最強の座に登り詰めましたので、道具を工夫して使うことは人間らしい行為であるとも言えるのではないでしょうか。また来年も来たいと思います。

2021年

11月

05日

コミュニケーションは質×量

私が以前勤めていた子どもの塾におけるスタッフの指針として、「コミュニケーションの質と量があなたの成果を決める」というものがありました。成果という言葉からも分かるように、子どもの教育をビジネスととらえすぎる余り、懐が深くて豊かなビジョンのない会社でしたが、このコミュニケーションに関する指針だけには納得・共感するところがありました。つまり、コミュニケーションとは質×量であり、特に対人援助を仕事とする私たちは、コミュニケーションの質を高めるだけではなく、量を増やすことも大切で、それによって相手にとっての意味や価値が大きく違ってくるということですね。

もう少し深く説明すると、コミュニケーションの質を高めるというのは、相手に何かを伝えたい、それによってこのように行動してもらいたいという具体的な意図を持って話すということです。介護の現場でも、利用者さんに対して伝えたいこと、またこのように行動してもらいという意図があるはずです。ただの空疎な言葉のキャッチボールはウォーミングアップとしては大事ですが、それだけでは相手にとっても自分にとっても何の意味もありません。仕事として対人援助をしているのであれば、相手に何かを伝えられないコミュニケーションは価値がないのです。そこは日常生活の会話と線引きをして話すべきでしょう。

 

コミュニケーションの量を増やすことも大切です。質を高めることと矛盾するかもしれませんが、他愛ない話をすることは、しないよりも良いことです。それは相手に興味があって、見守っていることを伝える方法のひとつであり、放っておくと私たちは何もしない(話しかけない)という楽な道を進んでしまいます。だからこそ、利用者さんとの接点を増やすためにも、コミュニケーションの量も意識することは大事です。

 

つまり、コミュニケーションは質だけでも量だけでもダメで、どちらもあってこそ成果につながるということです。成果というと生々しいので、相手にとって意味のあることが伝わって、行動が変わることで価値が出るということです。結果的に、私たちもハッピーになれるところまでが成果です。コミュニケーションの質と量が私たちの成果を決めるということは、もちろん仕事だけではなく、実は人生においても当てはまるのではないでしょうか。

 

 

湘南ケアカレッジの先生方と生徒さんの関係を見ると、コミュニケーションの質と量が十分であることが分かります。授業後に書いてもらうアンケートやリアクションペーパーの声を読んでも、先生方がきちんとコミュニケーションを取ってくれているから、生徒さんたちに意味や価値が伝わり、それによって感謝・尊敬してもらっていることが伝わってくるのです。この前、電話で卒業生と話していたとき、「現場で働いていると、先生方の声が聞こえてくることがありますよ。叱咤激励されています(笑)」とおっしゃっていました。卒業しても聞こえるほどの十分なコミュニケーションの質と量に溢れているのを知って嬉しく思います。

2021年

10月

29日

安心と信頼の関係

「(コロナ禍の中でも)普通な感じで受講できて良かったです」、「ツイッター見ています。私も今の社会はおかしいと思っているので共感します」という嬉しい声を掛けてもらうこともあれば、「もう少し感染症対策をしてほしかった」、「一人ひとり検温をするべきだ」というご意見をいただくこともあります。

 

これ以上、何をどう対策するの?机の横にアクリル板を置く?全員にフェイスシールドを着けさせる?非接触の検温なんて不正確だし、人の体温を半強制的に測ること自体が本来は人権やプライバシーの問題になりませんか、などと心の中では思いつつも、目に見えないウイルスが相手だからこそ、それぞれにいろいろな感じ方があるのだと強く実感します。

 

 

あくまでもその人がどう感じるかである以上、科学的な議論は意味がありませんし、何が正しくて何がそうではないという話でもなさそうです。そう考えたとき、これは安心と信頼の問題なのではないかと気づいたのです。

安心と信頼の問題は、「目の見えない人は世界をどう見ているのか」の著者・伊藤亜紗さんが「ポストコロナの生命哲学」の中で語っていたことでもあります。伊藤亜紗さんは、ケアカレナイトにもお呼びしようとして、アメリカに研究に旅立つという理由で実現しなかった方なのですが、障害のある人たちから多くの学びを得ている素晴らしい美学者です。

 

「信頼」と似ていると思われている言葉に「安心」があります。けれども、実は「信頼」と「安心」の意味するところは逆だと言われています。「安心」が、相手がどういう行動を取るか分からないので、その不確定要素を限りなく減らしていくものだとすると、相手がどういう行動を取るか分からないけれど大丈夫だろうという方に賭けるのが「信頼」です。

 

伊藤亜紗さんは大学の先生をしていますので、学生さんとも接する機会があり、ある女子学生さんのスマートフォンに、今いる場所を把握できるようなGPS機能が付けられていることを例に挙げます。親からしてみれば、自分の子どもがどこにいるのか常に把握できるのだから「安心」ですが、それは相手をコントロールすることにつながり、その結果として「信頼」は失われていくということです。「信頼」と引き換えに「安心」を得ることは、子どものスマホだけではなく、今の社会のあらゆるところに見られる現象ですし、「安心」を求めれば求めるほど「信頼」のない社会になっていくという悪循環です。

 

昔は良かったなんて言うつもりはありませんが、僕が学生で配達のアルバイトをしていた頃、Aさんが不在の際はAさん宛ての荷物を両隣の家または部屋のBさんかCさんに預けていました。不在のときはお互いさまでしたし、不在票を片手に再配達をお願いすることもなく、隣のピンポンを鳴らせばよいだけでした。隣近所とは多少の付き合いがあったり、荷物のやり取りの中で互いの存在を知っていた側面もあると思います。それがこの20年ぐらいの間に、いつの間にか、隣の人に荷物を預けるなんてとんでもないという社会になりました。人付き合いの面倒くささはなくなったかもしれませんが、単純にとても不便ですし、何よりも大切な他者への「信頼」を失ってしまったのです。

 

他者を信頼しないことは、すなわち他者からも信頼されないことにつながります。たとえば、相手への思いやりと言いつつ、マスクやソーシャルディスタンスなどによって他者を感染源と見なすことは、他者から見ると自分も感染の脅威と見なされていることと同じです。そのようにして、他者への不信は連鎖していくのです。私たちはまだしも、今の状況で生まれ育った子どもたちが、本当の意味での他者への信頼を築くことができるのか心配です。

 

「安心」を極限まで求めることの行き着く先は、相互監視と同町圧力に支配された息苦しい社会です。今回のコロナ騒動で、「安心」だけを求めて、「信頼」を失ってしまった私たちは、お互いに首を絞め合っているようにも映ります。介護の現場でも「安心」と「信頼」の関係は同じですね。「安心」を追い求めることはオムツの着用や身体拘束につながり、自由や人権をいとも簡単に奪っていきます。今は相手をコントロールして奪っている側かもしれませんが、いつか自分が支配されて奪われる側になることに私たちは気付くべきです。

 

伊藤亜紗さんは、他者を信頼することの喜びについても語っています。パラリンピックで視覚障害者のマラソンや陸上競技を見た方はイメージできると思いますが、視覚障害者の横には伴走者がつきます。伊藤亜紗さんはアイマスクをして、伴走者と初めて共に走った体験をこう表現しています。

 

アイマスクをつけたとき、最初は見えないということが怖くて足がすくみ、実際にはない段差や障害物の幻覚が見えたりするほどでした。けれども、「視覚障害者の方はこの方法で長い距離を走っているのだから、自分も伴走者を信頼してやってみよう」と、自分の中の恐怖を吹っ切ったところ、経験したことのない快感を味わいました。それは、ひと言でいえば、人を信頼することから生まれた快感なのだと思います。私は、今まで家族や同僚を信頼していたつもりでしたが、実は、信頼にはもっとすごい深みがあったのです。そこに行くことができたという感覚は本当に新鮮で、素晴らしいものでした。

 

他者に身を任せて信頼することから、今までに経験したことのない快感が生まれたという考察は、私にとっても実に新鮮です。仕事をする上においても、日常生活を営む中でも、誰かを100%信頼することはとても難しいからこそ、それができた先には心地よい感情が待っているということなのですね。そして、さらにその信頼の輪を広げるためには、身内だけではなく、(完全なる)他者を信頼することが大切だと思います。身内はある程度信頼しているけれど、それ以外の他者に線を引いているようでは、本当の意味での信頼の輪は社会に広まっていかないからです。

 

 

本当のことを言うと、「安心」と「信頼」の線引きをするためには、科学的な知識や実践を踏まえた上での常識的な判断が必要なのですが、それは別の機会に書きます。安心だけを追い求めて、お互いに信頼を失ってしまった社会は生き地獄です。不信ではなく、信頼の輪が広がっていく社会を望みます。社会の中で生きている以上、他者を信頼したことで自分が脅かされることになっても仕方ないと私は思います。割り切るしかないというか、あきらめるしかありません。それが生きるということなのではないでしょうか。

2021年

10月

18日

介護の学校の選び方(受講料編)

介護の学校なんて、どこも一緒だと思われているかもしれませんが、そうではありません。同じように見えるかもしれませんが、学校ごとにそれぞれ違っていて、同じ学校でも教室ごとに違いはあるのが実際のところです。介護職員初任者や実務者研修という大きな枠組みは同じでも、教えている内容や教室(先生やクラスメイトたち)の雰囲気から、学校の生徒さんたちに対する想いや運営のされ方、アフターフォローまで、同じ介護を教える学校であってもここまで違うのかと思うぐらい違うのです。

 

私は全国展開している大手の介護スクールで働いたことがあり、介護の学校を運営している知り合いたちもいて、これまでたくさんの学校や教室を見てきました。その経験を生かし、今は自分で介護の学校を立ち上げて運営していますので、介護・福祉教育の世界については誰よりも知っているつもりです。せっかく学ぶのであれば、自分に合った学校や教室を選んでもらいたいと思い、介護のスクール業界の内幕を少しだけお見せします。我田引水にならないよう、できるだけ公平中立に生の情報をお伝えしたいと思いますので、参考にしていただければ幸いです。

 

まず今回は、受講料と呼ばれる料金について。「同じ資格が取れる研修なのに、なぜこんなにも料金が違うの?」という質問をよくいただきます。たしかにスクーリングの日数も時間数もほぼ同じで、最終的には介護職員初任者研修(または実務者研修)という資格が取得できるにもかかわらず、学校によって数万円の受講料の差があるのは不思議ですよね。初めてこの世界に一歩踏み出すという方にとっても、介護のスクール業界の内情を詳しく知らない人にとっても(ほとんどはそうだと思います)、受講料の差を生む理由は見えにくいはずです。

 

ただ安ければ良いという方は、ここから先を読む必要はありません。1円でも安い学校を探し、自宅から近い教室に申し込みをしてください。そうではなく、安いのは安い理由があって、高いのにも高い理由があることを知った上で、何を大事にするかという自分の優先順位によって学校や教室を選びたいという方のみ読み進めてください。

 

◆高いものが良い、安いものは悪いというわけではない

結論から述べると、安ければ研修のクオリティが低いということではなく、高いからと言ってサポートが手厚かったり、教室等の環境が良いということでもありません。残念ながら、高い受講料を払えば払うほど、それに応じた良い教育や環境が返ってくるということではないのです。それは介護の教育サービスがモノ(製品)ではないことに由来します。モノ(製品)であれば、どれだけ良い材料や部品、素材を使っているかで全体のクオリティも違ってきますので、良いものは値段が高くなるのは当然ですが、教育はそうとはいえないのが本当のところです。

 

教育のような目に見えないサービスをつくるのは主に人であるからこそ、全体のクオリティはそこにいる人たちの知識や技術、情熱や想い、ホスピタリティという目に見えないものに大きく影響されてしまいます。そのような構造の中では、高いものが良い、安いものは悪いとは一概には言い切れないのです。高くても悪いものもあれば、安くても良いものもあるのです。

 

◆あまり高すぎるのも安すぎるのも良くない

ここで覚えておいてもらいたいのは、あまり高すぎるのも安すぎるのも良くないということです。そもそも高すぎる受講料は手が出ないという方もいらっしゃると思いますが、高すぎるのにはわけがあります。利益を追求しすぎていたり、組織が大きすぎて(人件費等が掛かりすぎて)安くできなかったり、高いものは良いものだと思わせる高価格戦略であったりします。それぞれの理由について詳しくは説明しませんが、教育サービスは高ければ良いものとは限らない以上、高すぎる受講料を選ぶ必要はありません。

 

それに対して、安すぎる受講料も避けた方が良いでしょう。最近は受講料が0円とか、学校が指定した施設・事業所に就職が決まったら全額キャッシュバックといううたい文句が増えていますが、これは学校が施設側から紹介手数料を得ることを目的としているため、就職先が制限されてしまう(しばりが生じる)というデメリットがあります。就職先は自分で選んでも良いところに行くことをお勧めします。ちなみに、介護業界の紹介手数料は年収の20~30%とされていますので、学校側は施設・事業所からひとり50~70万円ぐらいのバックマージンをもらっていることになります。受講料を0円にしてでも生徒を集めて、紹介に走りたい学校の意図が分かりますよね。

 

別に人材紹介業が悪いと言っているのではありません。人材紹介が出口となってしまうと、入口や中身の教育がおろそかになってしまうということです。どのような介護・福祉教育を提供するかではなく、どれだけ紹介するかが重要になってしまうのです。悲しいことに、今、全国のほとんどの学校は教育から人材紹介へと重心が変化してしまっています。そうしないと、学校が生き残っていけないからです。それでも、これからの介護・福祉の世界を担う人財を育てる、質の高い教育はどこへ行ってしまうのでしょうか。

 

つまり、受講料は適正なものを選ぶべきということです。15日間の研修を受け、新しい技術や知識を学ぶと考えたとき、さすがに10万円近い金額は高いにしても、0円~3、4万円台はあまりにも安すぎるということです。

 

 

2021年

10月

13日

同行援護従業者養成研修(2021年度)募集開始します!

目を閉じてみてください。音はそのまま聞こえてきますが、視覚からの情報は失われてしまいます。そう、見える人が目をつぶると、見えなくなる不安や怖れを感じます。見えている状態が普通であって、そこから光や情報が失われていく。単なる引き算であり、マイナスという感覚です。しかし、目の見えない人は、何も見えない暗闇の世界を生きているのでしょうか?

 

もう1歩踏み込んで、目の見えない人は、目の見える人には見えない世界を感じているのではないか、と考えてみてはいかがでしょうか。

 

「同行援護従業者養成研修(一般課程)」は、視覚障害のある方の外出支援(ガイドヘルプ)について学ぶための研修です。

 

→目の見えない人の世界に興味がある

→同行援護の仕事をするにあたって必要な、正しい知識や技術を身につけたい

→高齢者介護とは全く違う、視覚障害者の支援について、深く学びたい

 

という方は、ぜひご受講ください。

 

ガイドヘルパーの仕事に即した、実践的なオリジナルコンテンツ

①基本技能と専門的知識

同行援護の基本技能に関しては、基本姿勢を徹底します。利用者さんの半歩前に平行にきっちりと立つ、脇を締める。美しい姿勢が保たれることで、安全と安心が確保されるのです。できるガイドヘルパーかどうかは、姿勢を見れば分かります。何よりも先に、基本姿勢をしっかりと身につけることが大切です。

 

その他、アイマスクをしながらの食事介助や、階段昇降やまたぎ、トイレの介助についてなど、あらゆる場面における基本的な動作をみっちり練習します。2日目は町田駅を利用させていただき、エスカレーターの上り下りや電車の乗降など、実際のガイドヘルプを想定した実践的な体験をしてもらいます。

②当事者との交流・相互理解

視覚障害のある方が実技演習に参加してくれます。実際の交流を通して、同行援護の正しい技術や実際のガイドヘルプ活動を体験することができます。

 

当事者の方と実際に触れ合ってみること、直接に話をすることによってこそ、相互の理解は深まるはずです。

 

当事者の方が、グループワークにも参加して、視覚に障害のある方の気持ちや考え、経験談などを語ってくださいます。私たちの想像を超える話が飛び出すかもしれませんね。

③屋外での実習

ガイドヘルプ本来の目的は、余暇をいかに楽しく過ごしてもらうこと。そこで、屋外に外出することにしました!

 

教室から町田駅、町田駅から電車に乗って橋本駅まで、歩き回ったり、食事をしたり、100円ショップに寄って買い物をしたりします。視覚障害のある方とガイドヘルパーが過ごすように、私たちも外出の研修を楽しみながら、あらゆる局面における実践的な学びを得ることができます。

タイムテーブル

第1日目

 9301130  

2

同行援護の制度と従業者の業務

 11401400

*途中休憩20分挟む 

2

同行援護の基礎知識

14001800 

4

基本技能

第2日目

 9301130  

2

情報支援と情報提供

 11401400

*途中休憩20分挟む 

2

代筆・代読の基礎知識

14001800 

4

応用技能

*昼食はガイドヘルパーの演習の流れの中で召し上がっていただきます。

*雨天決行になりますので、雨天の場合は雨がっぱ等をご用意ください。

修了証明書

研修終了後には、「同行援護従業者養成研修」修了の資格が手に入ります。この資格を持っていなければ、同行援護の仕事に従事することはできません。もちろん、履歴書にも「同行援護従業者養成研修修了」と書いていただけます。

講師紹介

千種珠美

尾形亜希子


湘南ケアカレッジの講師は、同行援護(視覚障害者のガイドヘルプ)の経験が豊富であり、教えることに対しての技術と情熱を持っています。分かりやすく丁寧に教えさせていただき、同行援護の仕事の素晴らしさをひとりでも多くの人々に伝えたい、と願っております。

受講料

19,000円(税込、テキスト代込)

定員

24名限定

*授業内容の関係上、1クラスを少人数に限定させていただくことをご理解ください。

受講資格

介護職員初任者研修課程修了者(修了予定者を含む)、ホームヘルパー2級課程修了者、介護福祉士並びに東京都居宅介護職員初任者研修課程及び東京都障害者居宅介護従業者基礎研修課程修了者、東京都障害者(児)居宅介護従業者養成研修1級課程、2級課程及び3級課程(旧東京都障害者(児)ホームヘルパー養成研修の各課程を含む)の修了者(修了予定者を含む。)、介護保険法上の訪問介護員、実務者研修修了者、介護職員基礎研修課程修了者。

研修日程

11月21日(日)、28日(日)全2日間

9:30~18:40 *昼休憩40分含む

*同行援護従業者養成研修(一般課程)は全2日間で修了する研修になります。

 

*定員の関係上、振り替えはできませんのでご了承ください。

研修会場

湘南ケアカレッジ町田教室 

生徒さんの声

感動しました

 

とても勉強になりました。介護の仕事をしているため、どうしても体全体で介助してしまいたい気持ちになってしまいます。色々な研修を受けてきましたが、初めてのことが多く、受講して良かったと思います。特に階段の乗降など、とても難しいと思いました。食事の介助は、仕事では全介助が多いので、今回の体験で説明がとても必要だということも分かりました。あまり見たことがない福祉用具が多く、便利であることに感動しました。(伊東さん)

私の人生にとってプラス

 

アイマスクをしていたことで、キャンディの味が分からなかったりと、見えない経験は貴重でした。お弁当の説明や市役所のスロープ階段体験、トイレの入り方等、勉強になりました。自らがアイマスクを使用し、利用者役になることで、基本姿勢の意味が理解できました。熱心に教えてくださる先生方の気持ちが伝わり、もっと勉強したいと思いました。レストランでの水の出し方、切符の買い方等も学び、何より畑山さんにお会いできたことは、私の人生にとってプラスになりました。(笹田さん)

目が見えないと他の感覚が鋭くなる

 

1日目の研修では見えない世界を初体験し、目が見えないと他の感覚が鋭くなると感じました。そして、過剰な介助は不要だということも知りました。食事の説明においては、物の説明はきっちりと、位置関係ははっきり伝えることさえ出来れば、かなり自立で行ってもらえることを知りました。「介助」と「お世話」の違いを自覚し、しっかり「介助」出来るガイドになりたいと思いました。Sさん)

こどもの国は草の香りや風がとても爽やか

 

分からないことを一つひとつ学ばせていただくことの喜びを感じつつ、エレベーターやエスカレーターの介助、切符の買い方など、全てが初めてで大変勉強になりました。こどもの国は草の香りや風がとても爽やかでした。最初はしっくりしなかったグループワークも、2日間研修でご一緒しているうちに親近感を覚えました。とても楽しかったです。(柏木さん)

せっかく覚えたことを忘れない

 

基本姿勢を覚えるのが大変でしたが、研修初日の後、右腕をふらないことを意識したり、右側に人がいることを想像しつつ行動しました。トイレに入る時にも、誰かを同行援護しているつもりで言葉を頭の中で繰り返したり、せっかく覚えたことを忘れないように努力しました。階段や屋外、舗装外道路などでは案内すること、される事の大変さを知りました。大変貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。(Sさん)

繰り返し練習できたので良かった

 

基本姿勢や階段の昇降、またぎ動作など、繰り返し練習できたので良かったです。音と香りのコラボレーションは楽しかったです。実践的な練習(エレベーターやエスカレーター)電車の乗降などできてよかったです。休日で混んでいて大変でしたが、この研修に参加できてよかったです。ありがとうございました。(Aさん)

世の中が変わる

 

目からの情報がないだけで、こんなに世の中が変わるのですね。同行援護も十人十色。基本をしっかり忘れないようにと思いました。何でも勝手にするのではなく、きちんと同行援護の本質を理解しなければいけませんね。2日目はかなり遠くまで行った気がします。安全のためにも、利用者さんの必要とする情報をきっちりと伝えられる介助者になりたいです。(澁谷さん)

お申し込みの流れ

①以下のお申し込みフォームに入力してお申し込みください。もしくはお電話(042-710-8656にて直接お申込みください。

いずれの場合も、ご希望のクラスが定員になりますと受付できませんのでご了承ください。

 

②受講確認書をお受け取りください。

ご自宅に「受講確認書(受講料お振込みのご案内)」が届きます。

 

  受講料をお振込みください。

「受講確認書」が到着後、1週間以内に受講料をお振込みください。お振込みは、銀行ATM やネットバンキングからでも可能です。※手数料は各自でご負担ください。また、お振込みは案内をよくご確認の上、お願いいたします。

 

④研修当日 申し込みクラスの日時をご確認の上、教室までお越しください。当日、テキストをお渡しします。

 

お申し込みフォーム

2021年

10月

07日

ケアカレに来て良かった

「ここに来て本当に良かったです」と言ってくださる生徒さんがいます。「他の学校と比べたわけではないのですが」と言いつつも、湘南ケアカレッジが開校してからずっとそのように率直に褒めていただき、嬉しく思っています。最近、その言葉にはどのような意味があるのだろうと考えるようになりました。「〇〇について楽しく学ぶことができました」、「先生方が良かったです」、「介護に対する見かたが変わりました」などに比べて抽象的ではありますが、もしかするとそれらを全て含めた最高の褒め言葉なのかもしれません。今の私の結論としては、「介護職員初任者研修を受けない選択肢もあったし、他の学校を選ぶこともできたけど、湘南ケアカレッジに来て良かった。楽しく学ぶことができ、先生方も素晴らしく、介護に対する見かたが変わった」という意味ではないかと思うのです。

たしかに、生徒さんの背景を知ると、介護職員初任者研修を受けないこともできたはずです。実務者研修は現場で働いている人が介護福祉士やサービス提供責任者になるためのステップとして受けるという明確な道筋がありますが、介護職員初任者研修に限っては、介護の世界に入ろうと思わなければ受ける必要がないからです。介護とは全く違う別の仕事を探すこともできたし、今の仕事を辞めずに続けることもできたはずです。それでも勇気を振り絞って、新しい介護の世界に足を踏み入れる決断をしたからこそ、湘南ケアカレッジに来ることができたのです。

 

また、介護の仕事はしていても、資格を取ろうと思わなかったり、学ぼうという意欲がなければ、介護職員初任者研修を受ける必要はありません。研修を受けることなく、無資格のまま、今の介護の仕事を続けることもできたはずです。それでも、学ばなければならない、専門知識や技術を身に付けてもっと良い介護がしたいと思ったからこそ、重い腰を上げてショウナンケアカレッジに来てくれたのです。

 

さらに最後の難関として、他の学校ではなく、湘南ケアカレッジを選んでくれたことです。もっと自宅に近い学校があったかもしれませんし、受講料が安い学校もあったかもしれません。それでも、パンフレットを読んだり、ホームページを見たり、知り合いに評判を聞いたり、実際に説明会や見学などで学校を訪れてみて、自分の意志で湘南ケアカレッジを選んでくれたのです。

 

「ここに来て良かったです」というシンプルな言葉の背景には、それぞれの生徒さんごとに異なる深い意味があるのです。その気持ちをありがたく受け取りつつ、私も心の中で「湘南ケアカレッジに来て良かったですね」と答えます。生徒さんはひとつの学校でしか介護職員初任者研修を受けられませんが、私は大手の介護スクールでたくさんの教室を運営してきましたし、他の全国規模の介護の学校に知り合いもいますので、どのような研修が行われているのか手に取るように分かります。だからこそ、他の学校と比べたとしても、湘南ケアカレッジの研修や先生方は素晴らしいと自信を持って言うことができます。とはいっても、大切なのは他の学校との比較の上での相対評価ではなく、生徒さんたちが「ケアカレに来て良かった」とそれぞれに思ってもらえる絶対的な評価なのです。

 

 

9月短期クラスが無事に修了し、最後には手作りの素敵な色紙をいただきました。ケアカレのロゴの左と右の人のオレンジ色が微妙に違うことも見てくれていて、リアルで立体的なロゴに仕上がっていて驚きました。お菓子やお花までいただき、感謝の言葉しかありません。こうして「ケアカレに来て良かった」という気持ちを伝えてくれて、それに対して私たちは直接お返しすることはできませんが、これから来る生徒さんたちに同じような思いになってもらえるように頑張ることで返していきたいです。ありがとうございます。

2021年

9月

26日

現場で頑張る人たちを励ましたい

今から5年前に実務者研修がスタートしました。誰にとっても初めての研修でしたから、介護技術講習会とは全く別物であるとは思いつつも、じゃあどういう形になるのか、どういう方向に進むべきか、どうあるべきかと問われると、私は答えを持ち合わせていませんでした。五里霧中というか、視界がはっきりとしない中、先生方と手探りでつくり上げてきたと思います。試行錯誤しながらも、今年になってようやく、実務者研修がひとつの形になってきた気がします。

 

介護職員初任者研修はホームヘルパー2級からの流れで、その対象者も、研修が目指すべき方向も明確なイメージを抱いてケアカレは立ち上がりました。「世界観が変わる福祉教育を」提供することがテーマで、生徒さんたちの介護に対するイメージが卒業する頃には180度変わっている(360度ではありません笑)ことをゴールとして考えていました。もちろんそれに加えて、教え方のサイクル(まずは褒める・認めることの大切さ)や生徒さんと先生方、学校との距離感など、たくさんの工夫をしてきた結果、今のケアカレの文化があります。それらは全て先生方のおかげです。

 

実務者研修のテーマをひと言で言うと、「現場で働く人たちを励ましたい」ということです。正しい知識や最新の技術を伝えることはもちろんですが、それはあくまでも表面的な教育目的であって、湘南ケアカレッジの実務者研修の真のテーマは、参加した生徒さんたちがまた明日から介護の仕事を頑張ろう、明日現場に行くのが楽しみだと思ってもらうことです。そのためには、まず生徒さんたちの出来ていることや得意なこと、良いことを伝えて、褒め・認めてあげることではないでしょうか。介護の現場のスタッフは、責められたり怒られたりすることはあっても、褒め・認めてもらうことはほとんどないのです。今までもこれからも。だから私たち学校がその役割を担うべきだと思います。教えることを通して、現場で頑張る人たちを励ましたいのです。

 

その一環として、総合演習において、実技の発表という形にして生徒さん同士も互いに認め合える形式は素晴らしいと思いますし、同じことは医療的ケアで行っているフィードフォワードにも当てはまります。また、キャサリンからの手紙に感動してくださった生徒さんもいます。食事の授業が楽しかったので試験対策を申し込んでくれた生徒さんもいました。さらに細やかなサポート(特に外国の方に対して)も本人だけではなく、周りの生徒さんたちも見てくれていると思います。

 

 

実務者研修も理想的な形に近づきつつあるなと感じつつ、ふとコンセプトブックを読み返してみると、「働く人たちの心のケアになれるのかもしれない」と私は書いていました。もしかすると最初からアイデアはあったのかもしれません。時間をかけて、先生方がそのアイデアを形にしてくれたのが今の実務者研修ということですね。ありがとうございます。

2021年

9月

18日

誰かのおかげで生きている

7月から始まった実務者研修の火曜日クラスが修了しました。初任者研修の卒業生さんが多かったこともあってか、とても雰囲気が良く、生徒さん同士の関係性も良く、まとまりのあるクラスでした。最終日の医療の授業のおわりに、村井先生が「今年教えたクラスの中で一番楽しかったです。それは皆さんの人柄があってこそだと思います」とおっしゃっていたように、私たちにとっても教え甲斐のある、教えていて幸せなクラスでした。わずか7日間でお別れするのが残念に思いますが、今年介護福祉士を受験する生徒さんは合格して、来年以降に介護福祉士試験に挑戦する生徒さんは筆記試験対策講座などで、ぜひまた遊びに来てくださいね!

学校で授業をしていると、研修をより良いものにしてくれているのは生徒さんたちであるということが分かります。誰かに何かを教えたことのある方は共感してくれるはずですが、同じことを同じように教えていたとしても、教えられる側の姿勢いかんで全てが変わってきてしまうのですよね。教え上手と言うものがあるとすれば、教わり上手もあるのです。先生が生徒を育てつつ、生徒さんによって先生も育つということです。お互いの相互作用によって、教える/教えられるは成立しているのですね。

 

それは学校に限ったことではないかもしれません。介護の世界でも、介護をする側とされる側の共同作業で良い介護が成立するのでしょう。「ありがとう」と言ってくれたり、こうしてほしいと言ってくれたり、もしかすると悪態をついたりする利用者さんでさえ、介護者を育ててくれているのかもしれません。逆に言うと、私たち介護者は常に見られていて、利用者さんは介護者の鏡になっていることだってあります。藤田先生が「利用者さんが思うように動いてくれないときは、自分に何か原因がないか振り返ってみてほしい」とおっしゃっていたのは、そういうことだと思います。私たちは、誰かのおかげで生きていて、他者から学び、そして影響を与え合っているのです。

 

 

今回のクラスには聴覚障害のある生徒さんもいらっしゃって、手話翻訳者の方々にもお手伝いいただき、無事に修了することができ安心しました。私たちにとって初めての経験でしたが、ご本人の学びたい気持ちが素晴らしいと思いましたし、私たちにとっても大きな学びになりました。何よりも、特別なことをせず、いつも通り普通にケアカレの授業ができたことが良かったと思います。最後は、鳩サブレまでいただきました。そして、生徒さんたちからは、写真付きの色紙までいただきました。ありがとうございます。湘南ケアカレッジにとっても、大切な思い出のひとコマとして教室に飾らせていただきますね。

2021年

9月

12日

大きな変化の時代を生きている

私たちは今、最も大きな変化の時代に生きています。明治維新や太平洋戦争を経験した世代であれば、その前後は激動の時代に感じたはずですが、今生きている私たちのほとんどは、そうした大きな変化を知りません。今日の日常が明日も続くのが当たり前だと思って生きてきたはずです。そもそも歴史を振り返ってみると、私たち人類は小さな変化から大きな変化までを繰り返し経験してきました。世の中がずっと同じであるわけありませんし、良くも悪くも、今回のコロナ騒動をきっかけとして、私たちの日常生活や社会の構造は大きく変わっていくはずです。「コロナが収束したら…」といまだに言う人がいますが、そんなことを言っている間に社会は大きく変わってしまい、もう二度と元には戻らないと知っておくべきなのです。

今起こっている変化は目に見えにくいのですが、知らなかったでは取り残されてしまいますし、どこまでの変化を受け入れ、どこからはNOと言うかは私たち次第です。大きな変化には抗えないとしても、最終的な私たちの未来は私たち自身の行動にかかっているのです。大切なことなのでもう一度言いますね。大きな流れには抗えなくても、私たちがどこまでを許容し、どこからは受け入れないかによって、未来の社会の姿は変わってきます。そういう意味では、日本の未来は私たちの今の行動がつくるのです。

 

もう少し具体的な話をすると、今、いわゆる新しい生活様式が定着しつつあります。できる限り人と会うことなく、リモートで用を足すことが日常になります。家族以外の他者と一緒に食事をしたり、面と向かって話す機会は限りなく少なくなります。人と人は肉体的なソーシャルディスタンスを保ち、なるべく近づかない、もちろん他人と触れ合うなんてことは滅多にありません。今まで会ったことのない人たちと出会う機会は激減し、今まで会っていた人たちとも疎遠になったり、考え方の違いから分断されてしまうかもしれません。

 

イベントや行事は中止または休止状態になり、帰省した子どもや孫と会うことも困難になるでしょう。孫の顔を見られるのはLINE電話だけです。介護の世界でも非接触化や機械化(オートメーション化)が進むはずです。施設に入ると家族となかなか会えなくなるため、在宅介護のニーズが高まりを見せるはずです。

 

移動には物理的、経済的、心理的な制限が加わります。それによって国外旅行する人は激減するでしょうし、県をまたぐような国内の旅行もはばかられるはずです。つまり、できるだけ家にいて大人しくしているということです。移動の自由だけではなく、身体的にも自由を制限されます。家族以外の人と話すときはマスクを着けて、家から一歩外に出るとマスク着用がマナーとされます。ワクチンは年間で複数回、毎年打たなければいけません。まるでiPhoneのように、毎年のように変異したウイルスに対しての新作ワクチンが登場するでしょう(笑)。人が生きる上で最も大切な移動の自由と身体の自由が制限され、私たちは少しずつ人権を手放していかざるを得ません。かつては介護施設の利用者さんたちが失っていたものを、私たちは若いうちから追体験するのです。

 

経済的には産業構造も変わります。いわゆるサービス業と呼ばれる仕事がほとんどなくなるでしょう。飲食業をはじめとして、夜の街の仕事、観光業など。教育サービスも、大学などを筆頭にして大きく形が変わるはずです。また、イベント業やエンターテイメント産業も縮小・撤退せざるをえません。アーティストたちは主にインターネットやテレビの中に主に棲息し、リアルとしての存在理由を失ってしまいます。最近まで流行っていた体験型のサービスもVR(バーチャルリアリティー)に置き換わります。

 

それに対して、医療・製薬関連の会社は検査やワクチンを商品として隆盛を極めます。今よりもさらに大きな業界になり、力を持ちます。そしてそれを支える医師や看護師はエッセンシャルワーカーとして最前線に立つ仕事として称賛されます。すでにそういう風潮がつくられていますよね。医療職ほどではないにしても、介護職もエッセンシャルワーカーとして、給与のベースアップが計られることを期待して良いと思います(これは決して悪いことではありません)。ただしそれは他の産業で働いていた人たちの仕事がごっそりと奪われた犠牲の上に成り立つ、医療・公衆衛生ファシズムのおこぼれにすぎません。ほんとうは、介護の仕事の専門性が認められ、私たちもスキルアップしたことで利用者さんや家族を幸せにした対価としての報酬が増えると良いのですが。

 

政治は国や都道府県の力が強く、市民の力は総体的に弱くなります。公衆衛生を盾にすると、市民を超法規的に支配したり、身体的に(ロックダウンしたり)、経済的に(給付金漬けにしたり)、精神的に(恐怖をあおったりして)コントロールすることが可能になります。生かすも殺すも権力次第ということになります。権力といっても抽象的ですが、世の中を思い通りにコントロールしたいと願う人たちは一定数いるものです。営業時間を短縮したり、お酒を禁じたりと、営業の自由さえも理不尽に奪うことができます。

 

大手メディア(テレビや新聞)やその傘下のソーシャルメディア(Yahoo!ニュースなど)はその流れに乗って偏向報道を繰り返し、それに反する思想や考え方やデータをデマや陰謀論とくさすことで情報統制し、言論の自由を奪い取ります。SNS上の検閲も厳しくなるでしょう。常識的なほとんどの人々にとって、明らかにおかしいことがまかり通って、何が正しいのか分からない状況が生じるはずです。最終的には、私たちの自由を守る憲法さえも変えられるかもしれません。まさによく例に挙げられるジョージ・オーウェルの「1984」の世界ですね。

 

思いつく変化をつらつらと綴ってみましたが、これ以外にも、私たちの世界は大きく変わっていくことでしょう。私には何ひとつとして良い意味の変化が見当たりません。あえて述べるとすれば、世界中の人々の移動が制限されることで、環境に対する負荷が下がることぐらいでしょうか。変化の方向性自体を変えることはできませんが、大切なのはどこからは譲れないラインとしてNOと言うかです。抵抗することなく受け入れてしまうと、行き着くところまで行ってしまいます。

 

たとえば私たち日本はマスク生活を自ら受け入れてしまったので、一生マスクを着けて生きて行くことになりました。私たちだけではなく、子どもたちも、これからずっと。そういう未来を自分たちで選んだということです。それを望まなかった国はすでにマスクは外しています。小さなことから大きなことまで、どういう変化を受け入れ、また逆に拒否・抵抗して押し戻したかで、子どもたちにとっての社会の未来の形が変わってくるのです。それが変化の時代であり、その過渡期に生きる私たちは重要な役割を担っているのです。

 

ワクチンパスポートはどうでしょうか?リモートワークは?お酒の提供禁止は?他人事だと思っているといつの間にか自分の身に降りかかってくるからお気をつけください。大きな変化の時代であっても、最後に自分の人生や生き方を決めるのは自分自身です。自由をどこまで手放すかは、あなた自身にかかっているのです。

2021年

9月

05日

それぞれの命

8月短期クラスが無事に修了しました。学生さんも多く参加してくれて、幅広い年齢層と性別の夏休みらしいクラスになりました。生徒さんの背景にこれだけの多様性があっても、いやあるからこそ、誰もがフラットに接し、クラス自体もひとつになれたのだと思います。介護職員初任者研修は介護の現場の縮図でもあるので、クラスメイトとの人間関係を楽しむことができたなら、実際に働き始めたときも上手くいくのではないでしょうか。もちろん、仕事となると組織の力学や上下関係が労働者を追い込んでしまうことは多々ありますが、本質的には、介護の仕事をしようと思う方々は良い人ばかりです。一人ひとりと話してみると、なおさらそう思います。

 

音楽が好きでそれで食べていきたいと考えつつ、介護の仕事もしている生徒さんがいました。以前、働いていた介護の現場で、気の合ったおばあちゃんがいたそうです。施設スタッフの誰よりもたくさん話しをしたのですが、おばあちゃんは亡くなってしまい、彼に手紙を残してくれたそうです。その手紙には、音楽をあきらめないで続けるようにと記されていたのです。その手紙を読んで、彼はあきらめかけていた夢をあきらめないことにしました。私たちは介護をする側の存在だけではなく、ひとりの人間として背中を押してもらうこともあるのです。

 

ケアカレで働きたいと言ってくれた生徒さんもいました。ケアカレに通ってみて、学校の雰囲気を知ってからそう言ってもらえるのは嬉しい限りです。こんな素敵な先生方と一緒に働いてみたいと思ってくれたのだと思います。しかし、とても優秀な方だったので残念でしたが、ケアカレは小さな学校ということもあり、お願いできる仕事が今はないのです。教室を拡大したりすれば、先生も事務スタッフも必要になってくるのですが、今のところ(開校以来ずっとそうですが)小さいままでいたいと考えています。大きくなってしまうとケアカレらしさはなくなって、ケアカレで働きたいと言ってもらえなくなるかもしれませんし、小さいままだとお願いできる仕事がないというジレンマですね(笑)。

 

大学生を相手に演劇を教えているという生徒さんもいました。彼は演劇をずっとやってきて、今は教える立場にいるのですが、このコロナ騒動の影響を多分に受けているのが演劇です。アートやエンターテイメントは不要不急のものとみなされ、少しでも危険が冒される可能性があるのであれば自粛を強いられてきました。橘川先生の授業が終わったあと、彼がぐるんとびーのラーメンの話を投げかけていて、僕も考えを述べました。そして、彼の意見も聞いてみると、まさに同意できるものでした。

 

自分の身に置き換えてみたら、何が大切かは分かるはずです。普通に考えたら分かることなのに、今の状況は明らかにおかしくないですかね。皆、命を守りたいのではなく、自分たちの何かを守りたいだけなのでは。ラーメンを食べるも食べないも、最終的に本人が決めれば良い話なのです。私たちは本人の意志を最大限に尊重し、できることはサポートし、何かあったら対応するだけで良いのです。それをラーメンを食べることを禁止し、食べられないように部屋に監禁し、口には猿ぐつわを付けさせるみたいなことをする権利は誰にもないはずです。そろそろ私たちは、命を守るだけではなく(本当に守れているのか大いに疑問ですが)、限りある命をどう使うのか、ということをよく考えなければならないのではないでしょうか。特に大人たちは。

お土産までいただいてしまいました。卒業後は気を遣わず、手ぶらで立ち寄ってくださいね!

2021年

8月

26日

何のために教えるのか?

私たちは何のために介護の学校をやっているのでしょうか?何のために介護を教えているのでしょうか?

 

 

湘南ケアカレッジは「世界観が変わる福祉教育を」というテーマの下、2013年にスタートしました。研修が終わった後、生徒さんたちに「世界観が変わった」と言ってもらえるような教育を提供したい、つまり、それぐらい教育の内容や質を大切にする学校でありたい。その想いは今も変わりませんし、明確なテーマがあったからこそ、大きくブレることなく先生方と素晴らしい学校をつくり続けてこられたと思っています。そして10年目を迎えようとしている今、改めて根本的な問いかけを自分に向けてみる必要があります。

 

実際に研修を重ねて、学校を運営してきた経験や肌感覚から言えるのは、私たちは介護や福祉に関する知識や技術を教えることを通し、生徒さんたちを褒め・認めることが最大の仕事であるということです。そうすることで、介護の現場に一歩を踏み出す生徒さんたちの背中を押したり、現場で奮闘している生徒さんたちを励ますことができます。それ以上に大切なことがあるでしょうか。教育とは、知識や技術を伝えることだけではなく、誰かを褒め、認め、励まし、背中を押すことなのですね。

 

先月末、日曜日クラスと平日短期クラスがほぼ同時に終わり、男性の卒業生さん3名から感謝のメールをいただきました。個人的なメールなのでご紹介できなくて残念ですが、アンケートやメッセージボードだけでは伝えきれなかった思いを伝えてくれたのだと思います。

 

このような生の声を聞くと、それぞれの生徒さんたちがどのような気持ちで研修を受け、どんな感情を抱いて卒業したのか、表面的な感想ではなく心の本音が感じられます。私たちはどうしても先生目線、学校側からの見かたでしか普段は見えないものですが、たまにはこうして生徒さんの目線を感じてみるべきです。

 

彼らの心の声を聞くと、先生方が研修を通して、生徒さんたちを人間同士として褒め、認め、励ましてくれているのが分かりますし、生徒さんたちはそういう雰囲気や空気感に最も心を動かされていることが分かります。すごい知識や技術を教えてもらったことに感謝する生徒さんは一人もいませんが、笑顔で楽しく学べたことで、介護に対する見え方が大きく変わっただけではなく、大げさに言うと世界観が変わることにつながっています。

 

 

私たちは普段生きている中で他者から褒められたり、認められたりすることが意外に少ない、もしくはほとんどありません。そういうきっかけがないとも言えます。しかしそれとは逆に、私たちは教育を通して(何かを教えることを口実に)、他者を褒め、認めることができる珍しい仕事なのです。学校は先生の自己表現の場ではなく、生徒さんを褒め、認め、励まし、背中を押すことこそが教育や教育にたずさわる者の役割なのだと、10年目にして確信を持つことができました。これも素晴らしい授業を提供してくれている先生方と生徒さんのおかげですね。ありがとうございます。

2021年

8月

16日

目に見えないものに価値を置く

「この前のブログを読んで、頑張らなくてはと励まされました」と実務者研修に通ってくれているOさんが言ってくれました。彼は初任者研修を修了してすぐに働き始めた職場で、先輩からの厳しい指導にあって悩んでいて、前回の授業もお休みだったので心配していたところでした。ブログを読み返してみたところ、彼にとっての助けになりそうなことが直接書いてあるようには見えなかったのですが、何かしら私の言葉が届いたのであれば嬉しいことです。自分には意図しない形で励ましたり、救いになれたり、また逆に傷つけたりすることもあるかもしれませんが、私たちは目に見えない形で生徒さんに影響を与えています。教育という仕事には大きな責任が伴うのです。

7月短期クラスには、今から5年前の卒業生であるAくんのお母様が来てくれました。私もそうですが、先生方ともよく話をしていましたので、よく覚えている先生も多いのではないでしょうか。お母さんが介護の仕事をするために学校を探していたところ、「絶対にケアカレに行った方がいいよ」と言われたそうです。一見強面でシャイな彼が、お母さんにそんな風に勧めている姿がなかなか想像できません(笑)。彼は今、介護ではない自動車関係の仕事をしているそうですが、5年経った今でも覚えてくれていることが嬉しいですね。目に見えない形でつながっていたということです。

 

 

実務者研修に通っていたIくんに、キャサリンからカードを贈らせてもらいました。キャサリンはカナダから来日し、ケアカレの生徒さんたちに自助具の作り方(工夫をすることの大切さ)を教えてくれています。授業で学んだことを生かし、現場で実際に作って使ってみたという声をくれた生徒さんに対して、キャサリンからお礼のメッセージカードを渡すことにしています。池野くんは早めに卒業してしまったので郵送になりましたが、ポストにケアカレのオレンジ封筒が届いて、その中に入っているキャサリンからのメッセージを読むときのIくんの顔が見てみたいと思うのは私だけでしょうか。彼にとって、一生思い出に残るイベントであり、キャサリンのことはずっと忘れられないはずです(笑)。

最近、初任者研修を修了したTさんから岩手の「ごま摺りダックワーズ」、実務者研修を修了したSさんから埼玉のお煎餅をいただきました。どちらも出身地の銘菓らしく、先生方も初めて食べる味だったのではないでしょうか。こうした心遣いはありがたく、ケアカレが開校して以来、私たちは食後のおやつに困ったことがほとんどありません。お菓子という目に見える形を取っていますが、その本質は先生方に感謝の気持ちを伝えたいのだと思います。私がブログを読んでも分からなかったように、先生方にとっても生徒さんたちに何が具体的に影響を及ぼしたのか分からないことがほとんどのはずですが、それでも目に見えない何かを私たちは日々、やり取りし合っているのです。

私の大好きな星野道夫さんという写真家であり冒険家がいます。彼はアラスカに渡り住み、ホッキョクグマやムース、ザトウクジラなど極北の地に生きる動物から風景まで、自然界の写真を撮り続けました(中学校の教科書にも載っています)。そして、その地で生き続けてきた先住民たちの暮らしや人生観、歴史も語り継ごうとしました。そのひとつとして、先住民たちの祖先が立てたトーテムポールという柱の話があります。トーテムポールは木の彫刻であるため、時間が経つと倒れたり、朽ちてしまうので、最近はその多くはその土地を守り続けた元の場所から持ち去られ、博物館などの中に収容されてしまっています。文化を残すというと聞こえは良いのですが、「いつの日にか、トーテムポールは朽ち果て、自然の中に還っていく。そして、そこは聖なる場所となる。なぜそのことがわからないのだ。大切なことはカタチあるモノではない」と先住民は考え、星野道夫さんはこう綴りました。

 

目に見えるものに価値を置く社会と、見えないものに価値を置くことができる社会の違いをぼくは想った。

そしてたまらなく後者の思想に魅かれるのだった。

 

(「最後の楽園3」PHP研究所より)

2021年

8月

05日

「笑顔で生きる」

丹野さんのことを知ったのは、町田の桜美林大学で行われた認知症のイベントにて、彼の講演を聴いたことがきっかけでした。爽やかというのが第一印象であり、実に理路整然と話す内容に驚かされ、他の当事者とのグループワークを仕切っている姿を見て、「認知症の人らしくない」と素直に思いました。それは偏見ということではなく、丹野さんは認知症の中でも若年性認知症の初期であり、認知症の症状にも幅があるということです。全ての認知症の人が、私の母方の祖母のように、孫のことさえ忘れてしまうわけではありません。そんなことよりも、丹野さんを見ていても、祖母を見ていても、たとえ認知症になっても、その人らしさはいつまでも残ると私は思います。

今から25年以上前、私は父方の祖母のお見舞いに老人ホームを訪れました。学生だった私は、介護のことや認知症のことなど全く知らない、白紙の状態でした。父方の祖母が暮らす老人ホームにいる他のお年寄りを見て、私は衝撃を受けたのです。なぜか分からないのですが怒鳴り散らしている方もいれば、身体を小刻みに揺らしながら落ち着かない方、ピクリとも動くことなく座ったままの方、いつもニコニコ笑顔で手を振ってくれる方など、あまりにも一人ひとりの姿が違っていたのです。同じような高齢で、同じ場所にいるにもかかわらず、まるで違う人間性が見えました。あのとき私は、自分が高齢になってこうして過ごさなければならなくなったとき、できれば笑顔で穏やかに生きたいなと素直に思ったのです。

 

本書には、丹野さんが認知症になる前のことも多く描かれていて、明るくて真面目、几帳面なところがあり、仕事熱心で人間が好きな性格は変わらないことが分かります。私が町田の講演会で見た丹野さんの姿そのものでした。つまり、丹野さんは認知症になる前もなってからも、何も変わっていないということになります。少なくとも私にはそう見えました。

 

変わった点としては、記憶の引き出しが失われてしまったことぐらいでしょうか。もちろんそれは本人にとって大きな負担や不安になりますから、当事者の内面における変化は大きいのだと思います。丹野さんのように、今までと同じように仕事をしたり、さらに積極的に講演活動をしたりと社会参加をする中で普通を演じるためには、私たちには想像できないような努力があるのも確かですね。

 

 

私の祖母も最後まで穏やかに笑顔で生きていました。自分の娘以外の人間の呼びかけにはあまり反応しなくなってしまいましたが、それでも「ありがとさん」と口ぐせのように言い、静かに亡くなっていきました。おばあちゃんらしいなと、いつも思っていたものです。認知症らしいからしくなかったかは分かりませんが、祖母らしかったのはたしかです。私たちはいつまでも私たちらしくしか生きられないのであって、最期まで周りの人たちと助け合いながら笑顔で生きていたいと願います。

2021年

7月

27日

オリンピックのようなクラス

4月日曜クラスが無事に修了しました。フィリピン、スペイン、ペルー、中国、アメリカなど、外国の方が多く参加してくれて、まるでオリンピックのような国際色豊かなクラスでした。数えてみると、3分の1が外国の方という珍しい構成でした。年齢や性別だけではなく、国境を越えて介護について共に学びました。多少の言葉の壁があったとしても、人が人を想い、相手にとって何が幸せかを考えながらケアをすることに国籍は関係がないのですね。これから先、おそらく介護の現場にも外国の方は増えてくるはずで、今回のクラスメイトの皆さんは、とても貴重な体験をしたのではないでしょうか。研修の最後には、それぞれの国旗が散りばめられた、可愛らしいメッセージボードを贈ってもらいました。ありがとうございます。

振り返ってみると、生徒さんたちから色紙やメッセージボードを学校に贈っていただく文化は、介護職員初任者研修の第1期生から生まれました。私たち湘南ケアカレッジにとっても初めての研修に参加してくれた生徒さんたちが、勇気を持って感謝の気持ちを形にしてくれたことが、こうして今回の126期生まで続いているのです。今や講師席にも事務所にも所狭しと飾ってあるので、ある種の圧力になってしまっているのかもしれませんが(笑)、決してやらせではありません。何かの仕掛けをほどこしたわけではなく、声掛けをしたわけでもなく、生徒さんたちが自分たちの意思でメッセージを書いて、ボードの形にまとめてプレゼントしてくれたのです。

 

そもそも、こういうものは作ってもらうようにお願いするものではなく、生徒さんたちの間にそういう気持ちが生まれるかどうかが大切なのだと思います。「他の学校でこうしたものを見たことがない」と小野寺先生はおっしゃいますし、私も大手の介護スクールで働いていたとき、神奈川エリアの20教室を5年間見てきましたが、たしかに一度もそうしたものを見たことはありませんでした。それぐらい、色紙やメッセージボードを生徒さんたちがつくって、学校や先生方に贈る行為のハードルは高いのです。なぜかというと、そうしなくてもつつがなく修了することができるわけですし、誰から責められることもありません。そんな中でこうしてメッセージボードをつくってくださるのは、感謝の気持ちを形にして伝えたいという純粋な主体性以外の何ものでもないのです。

 

 

お金を払った分は取り返そうというギブ&テイクの関係ではなく、生徒さんたちと学校や先生方がギブ&ギブの関係にあるからこそ、色紙やメッセージボードを贈るという現象が起こるのだと私は思います。より安く、より多くを求める今の経済システムの中、お互いが与え合う関係になるのは極めて難しいことですが、サービスを提供する側とされる側が奪い合う関係を超えて、まさにオリンピックのようなスポーツマンシップが生まれているのです。

2021年

7月

22日

驚くべき成長

今年、介護福祉士に合格したTくんが、ふらりと遊びに来てくれました。彼はいつも決まってふらりとやってきます。初任者研修を申し込んだときも、仕事探しの相談に来たときも、そして今回も。同行援護と知的障害者ガイドヘルパー養成研修のパンフレットをもらいに、ふらりとやって来ました。しかも、なぜかたまたま事務所に誰かがいるのですから不思議。ふらりとやってきて、現状をマシンガントークで話して、帰っていきます。今回は、新しい職場を求めて板橋区に引っ越すことになった話、さらにこれからは個浴を施設等に導入する活動をしたいという理想と情熱を語ってくれました。

 

彼は湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修を卒業したのち、とある施設に就職しました。見学に行ったいくつかの施設の中から、自分で選んだ施設です。介護職員初任者研修に通っていた当時のTくんを覚えている先生方は分かると思いますが、ぼんやりして、素朴ながらも変わったところのある青年でしたので、正直に言うと、意識の高い施設にいきなり入って大丈夫なのか、と心配したものです。

 

当時、その施設はまだオープンしたばかりでした。「介護を変える、自分たちで作り上げる新しい施設。普通の介護職が普通の介護をしたらあたりまえの生活」、『食事、排泄、入浴』の3つのあたりまえの生活を大切にする」という理念を掲げ、個浴などを実践しようとしていました。もちろん、介護スタッフには一人ひとりの利用者さんたちに対応し、浴槽に入浴してもらう介護技術が求められます。スタッフにも求めるものが多いため、その施設に合う・合わないは分かれます。介護技術や理念を体得したいと思う人にとっては良い施設ですが、もう少しのんびりと働きたいと思う人にとっては別の施設の方が合っているはずです。

 

Tくんへの僕の心配は杞憂に終わり、3年間勤めてリーダーとなり、介護福祉士に今年合格しました。これを機に、彼は新天地を求めることにしたそうです。東京都内であればどこでも良かったと彼は言いますが、その地域に根ざしつつ、個浴を広めていきたいと思ったそうです。いきなり広めると言っても難しいので、まずは入職して働きつつ、その施設に個浴を浸透させ、そこから人脈を作って、周りの施設等に個浴を広めていくつもりとのこと。その施設で個浴を実践してみて、利用者さんたちの喜ぶ姿を見て、それが普通の介護であり当たり前の生活であると、心から感じたからだそうです。また、自分も伝える活動をしてみたいと思ったそうです。

 

 

その話を聞いて、面白いと素直に感じましたし、心意気が素晴らしいと思いました。できっこないと言う人もいるかもしれませんが、彼はまだ若いので、時間をかけて取り組めば実現できるのではないかと僕は思います。それにしても、あの頼りなかったTくんが、介護福祉士を取り、個浴を広める活動をしたいと思うなんて驚きです。いつの日か、ケアカレナイトに彼をお呼びして、個浴の素晴らしさとそれにまつわる介護技術を教えてもらう日が来ると良いですね。今は夢物語かもしれませんが、10年後、生徒さんたちが私たちを飛び越えて、介護の世界を変えていってくれている未来が来ることを願っています。

2021年

7月

18日

介護職の性別や年齢についてー長く働き続けられるって本当?(後編)

上のグラフは介護職の年齢層を男女別で表したものです。男性は30代(29.2%)、40代(27.3%)が多く、次いで50代(14.1%)、20代(13.3%)となっています。働き盛りの年齢の男性の活躍が多いことが分かります。女性の場合、50代(25.9%)、40代(24.1%)、60代(25.5%)と、40代以上の方で4分の3を占める割合になっています。男性と女性のグラフで比べると、男性よりも女性の方が高齢になっても働き続けている方の割合が高いことが分かります。

 

続きは→【介護仕事百景】へ

 

 

2021年

7月

12日

教育の責任

せっかくなので、最近思うことのひとつを書いておくと、教育には大きな責任が伴うということです。何かについて情報を発信する側、知識や技術、考え方を伝える立場の影響力は、私たちが思っている以上に大きいのです。たとえば、先生から生徒、大人から子どもへと伝えられる教育は、広く深く浸透し、世界の見方や見え方、そして社会そのものさえも変えてしまう可能性があります。私たちは自分の意思で情報を得て、自分の頭で考えているつもりでも、実は誰かによって与えられた情報を基に、誰かの考えを自分の考えだと錯覚してしまっていることが多いのです。ほとんどの人たちは、良くも悪くも、そのまま影響を受けてしまうのです。

 

介護の世界でも、高齢者の人権などほとんど考えられることもなく、身体拘束など当たり前の時代がありました。今、当時の写真を見ると愕然としますが、わずか数十年前はそれが普通であり常識だったのです。それが当然だと教えられていたということです。もしかすると、今私たちが常識だと思っていることが、数十年後には非常識になっている可能性は十分にあるのではないでしょうか。だからこそ、教える立場にある人たちは、本当にこれは正しいのだろうかと慎重にならなければならないのです。こうあるべきとか、こうでなければならないという狭い考えは捨て、もしかすると間違っているかもしれないと自らを疑ってみる謙虚さは持ち合わせていたいですね。

中央法規出版「認知症の人の歴史を学びませんか」より

特に、大人から子どもたちへの教育は未来に大きな影響を与えます。教育というと大げさかもしれませんが、大人の言動や見識、思想の一つひとつが子どもたちの未来を形づくります。たとえば、今ほとんどの学校で子どもたちにも着けさせているマスクは、いつまで続くのでしょうか。大人が事実を基に科学的に考えて教えてあげない限り、子どもたちも未来永劫にマスクをつけて生活することになります。高齢者や基礎疾患のある人を守るという名目の下、周りの目を気にして、大人がマスクを外さないのは個人の自由であり勝手ですが、子どもたちにも死ぬまでマスクを着けて生きる社会を伝えますか。

 

 

子どもたちには、大人になってからは自分たちの力で未来を切り拓いて行ってもらいたいと思います。しかし現実問題として、子どもたちは今、知識もなく、無力であるということです。だからこそ私たち大人や教育にたずさわる人たちには大きな責任があり、社会や子どもたちは私たちの鏡であるということをしっかりと認識しておく必要があります。まずは大人たちが謙虚に学び、自分たちの頭で考えなければなりません。そして行動すること。話はそれからです。

2021年

7月

06日

一人ひとりを考える

先日、大阪の介護の学校で働いている友人と会って話しました。もうかれこれ3年も会っていなかったようです。それでも、本当の友人は何年ぶりに会っても変わらないものですね。安心感というか、共感があるのです。彼は今や関西だけではなく、関東の教室もマネージメントしていますが、とにかく学校や先生、生徒さん同士に対するクレームが絶えないそうです。大したことではないのに文句を言ってきたり、いざこざが起こってしまうそう。学校が仲裁に入り、その対応に追われてしまうことも少なくないそうです。たしかに、教室が多くなるとその分トラブルも増えるのですが、それ以上に、私が話を聞いた限りでは、生徒さんと学校や先生、また生徒さん同士の関係性に問題の根っこはあると思いました。生徒さん一人ひとりを、人として考えていないことから生まれる、関係性の希薄化による問題です。

 

一人ひとりを考えると言葉で言うのは簡単ですが、意外と簡単ではありません。プライベートでは人間同士の付き合いができている人でも、仕事となると人を一人ひとりの個人として見ることができなくなります。それは私たちのせいではなく、今の経済のシステムがそうさせてしまっているところが原因のひとつです。仕事とはビジネスの中にあり、ビジネスはどうしても効率化を目指します。効率的に利益を上げることを考えると、人を左から右へ、佐藤さんや木村さんではなく、匿名の集団のお客様たちとして扱う方が効率的だからです。

 

一人ひとりを考えていてもキリがないというか、まとめて作ってまとめて売る方が、どう考えても効率的に稼げるのです。ビジネスは効率的に稼ぐことを目指すとすると、その中の仕事もその一部であり、私たちは望む望まないにかかわらず相手を一人ひとりの個人として考えることは非効率な状況に置かれてしまいます。これは介護の現場だけではなく、医療の現場でも、近くのコンビニやスーパーでも、飲食店でも衣料品店でも起きていることです。効率的に稼ぐことをゴールとするならば、一人ひとりを見ようとすることは障害にしかなりません。十把ひとからげに扱う方が効率的に稼げるのです。

 

そうすると当然、失ってしまうものもあります。一人ひとりとの関係性です。学校でいうと、生徒さんと学校や先生、また生徒さん同士の関係性が失われてしまいます。相手のことを見ていないので、どうしても対応が無機質になったり、ルールやマニュアルどおりになります。お客様は自分が個人として見られていないことを感じるので、スタッフを人として見ることもありません。お互いが人間の外見をして動くロボットのような関係になる。そうすると、相手に完璧を求めるあまり些細なことが気になり、相手の弱みが目に付くようになり、上手く行かないのは目の前にいるロボットのせいだと思ってしまうようになるのです。全て無意識のうちに。ほとんどの問題は関係性から起こるのです。

 

どうすれば良いかというと、やはり一人ひとりを考えることです。一人ひとりを考えると言っても、人生を背負うとかサポートするとかそんな大げさなことではありません。ちょっとした声掛けをしてみることから始めましょう。名前を呼んでみてもよいかもしれません。声をかけるためには、相手の動きや心理を観察したり、興味を持ったりしなければいけません。声をかけてみると、相手からは面白い反応が返ってくるかもしれません。それに返しているうちに、お互いのことが少しずつ知れて、いつのまにかお互いをひとりの人間として見られていることに気づくはずです。その積み重ねが大切です。

 

互いに人間として考えることができると、関係性が自然と良くなり、どちらも楽しいはずです。サービスを受ける側も提供する側も、お互いを理解しようとするはずです。もちろんクレームは一切なくなり、むしろ感謝してくれるはずです。そこには笑顔が生まれます。そして実は、その方が効率的に稼ぐことができるのです。だって、同じものを買うならば自分の好きな人から買いたいと思うはずですよね。大量にお金を使って無駄な広告を打って、無駄な人材をたくさん雇って、大きなザルで儲けようとするよりも、人間同士の関係性で商売する方がよっぽどローコストです。

 

 

コツは「効率的に」と「稼ぐ」を切り離して、別々に考えることです。効率的に仕事をしようとすることも、稼ぐことも決して悪いことではありません。この2つをまとめてやろうとするからおかしな方向に行ってしまい、誰もが不幸になってしまう。そうではなく、一人ひとりを考える方が実は「効率的」であり、その結果としてたまたま「稼げる」と考えることです。どのようなビジネスや仕事をするにしても、私たちや私たちの社会が幸せになるために、大切な考え方だと思います。

2021年

6月

29日

「コロナは概念」

コロナ騒動をきっかけとして描き始め、これまでは自費出版の手売りだった片岡ジョージさんの4コマ漫画が、ついに書店で発売されました。タイトルからして秀逸ですね。感染症としての新型コロナウイルスは存在しない!と声高に主張するのではなく、「コロナは概念」とすることによって、本質を突きつつも、敵対関係をつくることなく、分かる人にはクスっと笑える、痛烈な風刺であり批判になっています。タイトルにピンときた方は手に取って読んでもらいたいですし、カチンと来た方も頭を柔らかく解きほぐすためにもとりあえず読んでみてください(笑)。

この4コマ漫画のすごいところは、著者である片岡ジョージさんはかなりの時間をかけてウイルスや感染症、PCR検査などについて学んだ膨大な知識があり、その上澄みだけを笑いとしてすくい上げているところです。それはパート2に収められている4コマ漫画の解説を読めば伝わってきます。分かりやすくなければ伝わらない、笑いの方が怒りよりも圧倒的にパワーがあることを体現してくれています。世の中がおかしなことになっていても、それを笑いに昇華する著者の精神は尊敬に値します。

 

また、著者は専門家でも医師でも政治家でもない単なる一般人ですが、だからこそ今起こっている状況をフラットな視点で観られるのでしょう。誰に対してポジショントークをする必要もなく、物ごとを冷静かつ柔軟に考えることができるのではないでしょうか。知識や情報が偏っている専門家や医師、有権者である高齢者の顔しか見ていない政治家が真実から遠ざかっていくのに対し、インターネットなどで幅広く情報や考え方を得て、日常生活の肌感覚を大切に考える一般人の方が、真実に手が届いてしまっている現状は皮肉ですね。

 

どれだけ言葉を費やすよりも、実際に片岡ジョージさんの4コマ漫画を読んでもらった方が説得力はありますので、個人的なセレクションを勝手ながら引用させてもらいます。

最後にひと言だけ付け加えておくと、これをもし不謹慎だと思うのだとすれば、それは不勉強です。これからの私たちの未来にとって大切なことですので、いろいろな人たちの意見や考え方、そして事実や科学的知識を知って、もっと学んでみてください。特に、介護や医療の現場にいる人たちには、切にお願いしたいです。

講演動画も必見です。漫画の内容と事実のみを読み上げる内容になっています。

2021年

6月

22日

資格や経験を積み重ねていく仕事を探して(コロナ禍における介護業界への転職③)

音楽家として活動していた高橋さんは、コロナの影響で仕事が減ってしまったことから転職することしました。コンビニのレジ打ちやタクシー運転手などの選択肢を迷っているなか、保育士の友人に相談したところ、「資格や経験を積み重ねていくことも考えてみては?」との言葉といくつかの資格について教わり、その中のひとつだった介護職員初任者研修を受けることにしたそう。

 

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2021年

6月

15日

関わりこそ喜び

先日、卒業生のMさんから突然、電話がかかってきました。久しぶりのMさんからの電話は第一声、「今まで黙っていたことがありまして…」と始まりました。

 

「実は私の息子がそちらでお世話になりました」

 

 

おそらく私が驚くと思ったはずです。「Kくんですよね」と答えると、「知っていたのですか!」と逆に驚かれました。私もその事実を知ったときは驚きましたよ。ダイレクトメールの発送作業をしているときに、二人が同じ住所であることが発覚しました。Mさんも若かったので、お子さんではないかもしれないし、親戚の子どもと同居しているのかなと疑問は残ったのですが、とにかく血はつながっていることは明らかでした。そんな経緯を説明すると、Mさんは「すいません、息子から口止めされていて言えなかったんです笑」と教えてくれました。コンセプトマガジンにも出てもらったようにお母さんともコミュニケーションが取れていましたし、息子のKくんとは何度もランチに行って、向こうが勝手に私のことを「たっちゃん」と呼ぶほどの仲です(笑)。

 

Mさん「息子は今、Sという施設で働いていまして」

私 「はい、知っています。とても頑張っていて、施設長さんからの評価も高いです」

Mさん「そうなんですね。良かったです。実は、ようやく正社員になれました」

私「知ってます。Sは正社員になるのが難しいですが、なれると給与が格段に高くなりますので良かったですね」

Mさん「はい、ありがとうございます。それから、実は結婚して、このあいだ2人目の子どもが生まれまして」

私「おめでとうございます。1人目は知っていましたけど、第2子が誕生したのですね」

Mさん「子どものことも知っていたのですね(笑)」

私「奥様と付き合い始めた頃から話は聞いていますよ。それにしても、Kくんがケアカレに来てくれてから、介護の仕事を始めて、結婚して子どもができるまで速かったですね」

Mさん「あっという間でしたね」

私「Kくんがケアカレに来てくれたときはヤンチャで、エプロンを付けてもらうのに苦労しましたが、その時から心は優しい奴だなと思っていましたよ」

Mさん「彼は優しいかもしれませんね。でもケアカレにお願いした頃は、悪い友だちと付き合ったりしていて大変でした。育て方を間違えたかと本気で悩んでいましたから。おかげさまで今は別人のようですし、親子関係も良好です」

私「良かったです。先生方もKくんのこと好きなので、喜ぶと思いますよ」

 

そんな会話をして、電話を切りました。Mさんは息子のKくんが正社員になったことを報告するきっかけとして、全てを告白してくれたのだと思います。たしかにケアカレに来てくれてからKくんは大きく変わりましたが、本人が自分の力と意志で変わったのが実際のところで、たまたまそのタイミングにケアカレがあったということにすぎません。私たちとしては、その過程に並走できたことで、たくさんの喜びや学びを得ることができました。学校は表面的には知識や技術を教える場ですが、もっと深いところには、人間としての関わりがあり、それこそがお互いの喜びにつながるのです。

 

 

この前、藤田先生と話していたときも、「関わりがあったからこそ、僕もここまでやってこれました」とおっしゃっていましたし、橘川先生も「生徒さんとのかかわりが大切だと改めて気づかされました」と言ってくれました。僕も心からそう思います。これまでずっと教育にたずさわってきましたが、人と人とのかかわりこそが喜びであると本当の意味で分かったのは、ケアカレを9年間続けてきたからです。何をどう教えたかはあくまでも一時的なものであって、私たちの間にずっと残るのは関わりなのです。だからこそ、何百人、何千人、何万人の生徒さんが研修を受けたとしても、右から左へと流れるように入って出てしまっては、そこには何の価値もありません。学校運営としては、生徒さんたちの人数は多い方が良いのですが、最終的に私たちの記憶に残って、人生にとって意味を持つのは、人間同士の関わりだけなのかもしれません。これからも人と人との関わりを大切にする学校でありたいと思います。

2021年

6月

09日

介護職の性別や年齢についてー男性介護士ってどれくらいいるの?(前編)

「何歳くらいの人が働いていますか?」

「男性の介護士って、少ないですか?」

「長く続けられる仕事だと聞きました。本当ですか?」

 

初任者研修を受講している生徒さんからよく耳にする、介護職員の年齢についての質問です。私が仕事探しに同行して施設を見学する際にも、多くの生徒さんが採用担当者さんにその事業所で働いている職員さんの年齢層や男女比を質問しています。

 

自分と同じ年齢層の人も活躍しているのかな?という不安があるのでしょう。そこで、実際の介護職の年齢層や男女比などを、データも交えながら説明していきます。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

 

 

2021年

6月

05日

「ファーザー」

認知症になった頑固な父親と優しい娘の絆を描いた、心温まるヒューマン映画かと思いきや、全く違いました。しかも映画の序盤は介護者である娘(アン)の目線から見ていると、いつの間にか認知症の父(アンソニー)の視点に切り替わり、主観と客観の入れ替わりが起こるところが斬新です。そう、この映画は認知症の当事者を追体験する、恐怖のホラー映画なのです。VRで認知症の方の見え方を体験するのとはまた違い、自分の人生が乗っ取られていくような焦燥感や恐ろしさをストーリーとして体験できるのです。認知症の方の気持ちを理解したいと思う介護者の方は、ぜひ劇場でご覧ください。もちろん映画作品としての完成度も高く、音楽や映像、特にアンソニー・ホプキンスの迫真の演技は素晴らしいです。

 

この映画の中で面白いのは、時間軸がずれていくことです。過去と未来が逆に現れたり、未来から過去へと時間が流れたり、ときには何度も同じ出来事が起こったりする映画は、たとえば「メメント」や「TENET」、「メッセージ」など、これまでもいくつもありました。過去から現在、そして未来へと時間軸が狂うことで、私たちは不思議な感覚に陥りますし、そんなことが続くと、今自分がどこにいるのか分からなくなります。曜日感覚がなくなるという次元の話ではなく、自分の足場が失われ、どこに立っているのか分からなくなるような気持ち。自分が果たして誰なのか分からなくなるのです。それほどに私たちは、過去から現在、未来へ続く一本の上を歩いていることで安心できるのでしょう。

 

もうひとつ、事実と虚実が混ざって現れることで、どれが本当で、何が嘘なのか、誰が本当のことを言っているのか、見分けがつかなくなるという恐怖に襲われます。これは時間軸がずれるよりも恐ろしいかもしれません。あの人が言っていることと、この人が言っていることが正反対であったり、同じ人が時として違ったことを言ったりします。昨日はこう言ったけど、今日は全く違うことを言っている人が入れ替わり現れると、誰を信頼して良いのか分からなくなる。最も信頼すべき娘さえも、言っていることに一貫性がなく、時として理不尽な行動をしたりする。自分にとっての経験は絶対的である以上、事実と虚実が分からなくなることで私たちは混乱し、最後には自ら狂っていくのです。

 

 

アンソニーがこだわっているものが2つありました。ひとつは腕時計、もうひとつは自分の家です。そのせいで腕時計を盗まれたり、娘に自宅を乗っ取られるという妄想に取りつかれてしまいます。客観的に見るとおかしな行動も、腕時計は時間を表し、自宅は自分の居場所だと考えるとアンソニーのこだわりの意味が見えてきます。過去から現在、未来へとつながる一本の線から足を踏み外しそうになっているアンソニーにとって、今、何月何日の何時かを自分の目で確認することのできる腕時計は安心材料になります。また、何としてでも自分の居場所だけは守ろうとするのは、あらゆるものを奪われていると感じている人間の本能なのでしょう。結局、最後は老人ホームに入り、腕時計もしていないアンソニーの姿が映し出されたところで映画は終わります。私たちは、人生の最後には、時間も居場所も失ってしまうのでしょうか。

2021年

5月

30日

前職で培った接客経験を活かして(コロナ禍における介護業界への転職②)

飲食店で勤務していた橋本さんは、コロナをきっかけにこの先長く続けていく仕事について考え、ちょうど介護タクシーをしている友人の誘いもあったことから、介護職員初任者研修を受講しました。

 

「研修を受けたことで、障害のある方や高齢者の方との関わりを学んで、自分の価値観が変わりました。介護の仕事のお給料以外の良い部分を知ることもできて、これからの自分の生き方へも良い影響があったと思います」と、試しに受けてみた研修を通じて介護の仕事に対して、前向きになっていったそう。

 

 

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2021年

5月

23日

男は80歳から

たまたま実務者研修の授業の日に誕生日を迎えた生徒さんがいたので、お祝いをさせてもらいました。「33歳になりました。なんで誕生日なのに研修があるのだと思っていましたが、来て良かったです」と言ってもらえて嬉しかったですし、それに対して望月先生が「男は33からです!」と返していたのも面白かったです。授業が終わってから、男は33から発言について聞いてみると、「施設のおじいちゃんが、『男は80から』だと言っていたので」とのこと。その応用編だったのですね。それにしても、80になっても、これからが人生楽しいのだと思って生きる前向きさが素敵ですね。

 

そんな話をしていると、私が若かりし頃、先輩から「男は40から」だと真面目な顔をして言われた記憶が蘇ってきました。その先輩とはビリヤード仲間で、彼は東京藝術大学を首席で卒業し、ドイツに留学した経験もあり、ホルン奏者として様々な交響楽団に所属して演奏することを仕事としていました。当時私は20代でフラフラしていましたし、先輩は30代でNHK交響楽団に入ることが叶わずにモヤモヤしていた時期でした。

 

ビリヤード場からの帰り道で、何かの話の流れの中で、「村山くん、男は40からだから今は踏ん張りどころだよ」と言われたのです。「そうなんですね」と返しつつも、まだ30代にすらなっていない私にとって、まさか自分が40代になるなんて想像もしていませんでしたし、そんな私にとって「男は40から」という言葉は信じがたいものでした。心の底では、先輩は30になっても芽が出ていないから、男は40からなんて言っているんじゃないのという冷めた気持ちも少なからずあったはずです。

 

今から思えば、先輩の言葉は正しかったです。20代の頃は苦難と苦悩の連続でしたが、40代になってあらゆる意味で解放されました。人と人のつながりも広がりましたし、やりたいこともできるようになり、身も心も自由になりました。昔ほど全力で走れなくなったり、白髪が増えてきたりしますが、相対的には40代になってからの方が幸せです。先輩とはしばらく会っていませんが、おそらく今、立派な演奏者として活躍しているのではないでしょうか。20代の頃は20代こそが幸せのピークだと勝手に思い込んでいたのですが、実際にはそうではなかったのです。20代の自分には40代の自分のことなど、何ひとつ分からないのですね。

 

 

同じことは80代の自分に向けても言えるのかもしれません。さすがに80になってこれからということはないだろうと、先ほどの話は半ば冗談として書きましたが、もしかすると本当に80からなのかもしれません。年を取ると衰えてしまって、人生は悪い方向に向かってしまうと考えるのは、私たちがまだ若いからなのかもしれません。幸せ度を尋ねてみると、年齢が上がるほど幸せと答える人が増えるという調査もあるぐらいですから。それは性別を問わないはずです。今を生きることも大切ですが、人生はこれからもっと楽しくなると未来に希望を抱くことができると、誰もがもっと幸せになれますね。

2021年

5月

17日

介護職のシフトと休日ー土日は休めるの?

「介護の仕事をすると、土日は休めないって本当ですか?」

「シフト制の場合は、1週間どのような勤務スケジュールになりますか?」

 

まったく畑違いの業種から介護の仕事へ転職する卒業生さんから、このような休日についての質問を受けることがよくあります。「公休」、「年間休日」、「希望休」など採用情報でよく見る言葉は、他の業種では見かけないものもあるのでその疑問も当然です。

 

そこで、1か月単位で見るとどのような勤務スケジュールで働いているのかなど、具体的な例も交えながら説明していきます。働き方のタイムスケジュールを自分の生活スタイルにも置き換えて読んでもらえると、介護の仕事の働き方がイメージしやすいのではないでしょうか。

 

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2021年

5月

12日

長く続く付き合いを

「細くでも良いので、長くつながってくれると嬉しいです」

 

クラスの打ち上げなどで何かコメントを求められたとき、生徒さんたちに向かって私はそう伝えていました。太くても短く終わってしまう付き合いよりも、細くても長く続いてくれるそれの方が学校としては嬉しいと素直に思ったからです。その想いは今でも変わりませんが、つながりの質というのは、介護職員初任者研修と実務者研修では少し違うことが分かってきました。小野寺先生も指摘されていたとおり、初任者研修は太く短くなりがちで、実務者研修は細く長くなる可能性を秘めているということです。


私たちからすると、介護職員初任者研修は研修期間が15日間あることも手伝って、クラスメイトは仲良くなりますし、終わり頃には研修が終わってほしくないと言う生徒さんも出てくるほどです。しかし終わらない研修はありません。卒業してしまうと、それぞれは新しい道に進むことになります。介護の現場に飛び込む人もいれば、家族の介護に戻る人もいる。身に付けた介護の知識を生かせるような周辺産業に携わる人も出てくれば、全く関係ない仕事に就く人もいるはずです。悪く言うとバラバラになってしまうのです。そうすると、介護・福祉に対する興味にも濃淡が出てきて、気持ちが離れてしまう人もいて、次第に疎遠になってしまう。そうではなく単純に互いの近況報告を楽しみに会うようなクラスもありますが、多くの卒業生さんたちのつながりは先細りしてしまうのが実状でしょう。それはそれで仕方ないことですし、いつかまた再会する日が来るかもしれませんし、楽しかった学びの思い出がそれぞれの中で生き続けてくれたら良いと思います。

 

それに対し、実務者研修はわずか7日間と短いため、仲良くなる前に終わってしまう印象があり、私たちにとってもその点は不完全燃焼である感は否めません。実務者研修の生徒さん同士が、初任者研修の生徒さんたちのように、もっと仲良くなれたらと試行錯誤していますが、15日間と7日間という接触頻度の違いはどうしようもないのです。それでも7日間できることをしようと思ってやってきました。

 

ところが、実務者研修は盛り上がる前に終わってしまい、つながりは個別の細いものになりがちだけど、意外と長く続くのではと最近思うようになりました。それは何人かの実務者研修の卒業生さんたちから、「実務者研修で知り合った人といまだにLINEしたりしています」、「相談したり、情報を共有したり、お互いの職場の愚痴を言い合ったりしています(笑)」などと聞くことが多く、私の実感よりもつながりは続いている現実があることが分かってきたからです。実務者研修の卒業生は、そのほとんどが介護の現場で働いているため、置かれている状況や立場、興味の対象が同じだからです。分かりやすく言うと、話が合うということです。そうなのです、私が思っていたよりも、実務者研修の卒業生たちもつながっていたのです。

 

 

介護職員初任者研修と実務者研修のどちらが良いということではなく、つながり方の種類が異なるということです。もちろん、どちらの研修も太く長く続いてくれたら最高ですよ。そのためには、介護職員初任者研修が修了したあと、介護の現場で長く働いてくれる人が増えたら良いですし、実務者研修では研修内でひとりでも多くの生徒さんたちが個人的につがってくれる雰囲気をつくったり、工夫をすることが大切ですね。

2021年

5月

06日

多死の時代

「日本では1年間に何人が死ぬと思いますか?」

 

 

いきなり縁起でもない質問ですいません。この問いに正確に答えることができる人は少ないと思います。実は私も8年前までは答えられませんでした。8年前というのは湘南ケアカレッジを開校したとき。当時の説明会では「多死の時代」について話していたことがあります。少子高齢化社会というのは、つまり多死の時代のことであり、介護にたずさわる私たちは特に、誰もが死というものを身近に感じる時代になるという話です。

 

決して悲観的な意味ではなく、そのような時代において、私たちは死について考え、自分の親の死だけではなく自らの死とも向き合って、寄り添っていかなければならないという主旨でした。介護職員初任者研修では、死についても学びますよ。そんな話をするために調べていたときに恥ずかしながら初めて、多死の時代における国内の1年間の死者数を知ったのです。

 

知らなかったときは、大体数万人か多くて数十万人ぐらいかと見積もっていましたが、私の想像をはるかに超えて、日本では1年間に100万人以上の人が亡くなっていたのです(2013年時点)。あれから6年が経って、2019年時点では正確には138万人の方々が亡くなっています。恐る恐る1日当たりの死者数を計算してみたところ、138万÷365日で1日におよそ3780名の人々が死んでいるのです。この計算したときに私は素直に驚きました。日本ではそんなに多くの方々が、今日という1日の間に亡くなっているのだと。私の日常感覚とは全く違う現実におののいたのです。

 

公表されている死因を見てみると、悪性新生物(がん)が27.3%、心疾患(狭心症や心筋梗塞など)が15%、老衰が8.8%、脳血管疾患が7.7%、そして肺炎が6.9%、誤嚥性肺炎が2.9%と続きます。もっと現実的に見て、1日あたりのおよその死因別死者数を計算してみると以下のようになります。

 

1日当たりの死因別死者数

悪性新生物(がん) 1032人

心疾患        567人

老衰         332人

脳血管疾患      291人

肺炎         260人

誤嚥性肺炎      109人

 

たった1日でこれだけの人たちが実際には亡くなっているのです。私にはいまだに現実のものとは思えませんが、これが現実なのです。今この瞬間にも生まれてくる生命があるように、失われる命もあるということです。それが自然なのですね。どうしても私たちには身の回りのことしか見えないので、私たち一人ひとりにとっては死は非日常的なものになります。特に近代化された日本では、死という存在自体が忌み嫌われて、日常からは遠ざけられてしまっています。そんな私たちが突然、上のような数字を突き付けられると、現実のものとは思えないと思ってしまうのです。

 

 

介護職員初任者研修ではターミナルケアについて学びます。死について話し合ってみる、思いをはせてみることはとても重要です。死について考えることを先延ばしにせず、エンディングノートのような形で伝え合うことも大切です。しかし、もしかするとそれだけでは十分ではなく、死についてもっと俯瞰的に見る必要があるのかもしれませんね。それがなければ、死は日常的なものであり、誰にとっても身近なものであるという実感が湧かないのです。学ぶとは深く学ぶことだけではなく、引いて見る、遠くから物事を見てみる学びもあるのです。多死の時代を大きく考えてみるべき今、そう強く思います。

2021年

4月

30日

コミュニケーションについて

良い映画を観るとまた次も観たくなるように、良い本を読むとまた次も読みたくなり、そのような良い連鎖が続くことがあります。今年に入ってから、たまたま手に取って読んだ3冊がまさにそうでした。ご覧のとおり、まったく異なるジャンルやテーマの3冊ですが、どれも新たな気づきが多く、なるほどと頷きながら、食い入るように読みました。これら3冊を読み終わってみてふと気づいたのは、どれも他者とのコミュニケーションが中心にあったことです。自分とは違う他者をどう理解し、分かり合えるかというテーマでした。私は無意識のうちにコミュニケーションに興味を持っていたのか、それともコミュニケーションが求められる時代の流れなのか分かりませんが、改めて他者とのコミュニケーションを問うきっかけになりました。

それぞれの本の中身は別の機会に紹介しますが(興味のある先生はケアカレ図書館に置いておくので読んでみてください)、3冊に共通している主張があります。というか、馬と話す本も、今流行りのオープンダイアローグ本も、利他という新しいジャンルの本も、全て同じことを言っているのです。他者を「コントロールしようとしない」、「変えようとしない」、「誘導しようとしない」、「余白をつくる」、「待つ」、「自分を知る」などです。他者を変えようと(コントロールしようと、誘導しようと)しないからこそ、相手が(勝手に)変わるということであり、そのためには他者との間に余白やスペースをつくって、待つ必要があるということです。

裏を返せば、他者を変えようと(コントロールしようと、誘導しようと)すると、相手は変わらないし、コントロールが難しくなり、抵抗されてしまうということです。私が実体験としてこのことを学んだのは、30歳を超えて森塾という個別指導塾で子どもたちを相手に教えた頃です。集団授業の塾に比べ、個別指導の塾にはあまり勉強が好きではない、いわゆるやんちゃな(可愛いものですが)子どもたちが集まる傾向があります。勉強に対してはモチベーションが低く、大人に対しても従順ではないということです。集団授業の塾で教鞭をとっていた先生が個別指導では上手くいかないのは、ここに理由があります。上手くいかないというか、これまでのコミュニケーションが間違っていたことを知らされるのです。

 

それは私も同じでした。湘南ゼミナールという集団授業の塾でも、三幸福祉カレッジで働いていたときも、僕はこうあるべきという像を押し付けすぎていたのです。こうあるべきという、小さな輪の中に他者を押し込めようとして、コントロールしたり、誘導したり、相手を変えようとしたりしていたと思います。相手が大人や従順な子どもであれば、表面的には自分の意志が通った気になりますが、実は何も変わっていなかったのです。森塾で教えることがなければ、もしかすると私は永遠に気づかないまま一生を終えていたかもしれません。それほどに、森塾で今までのコミュニケーションのスタイルが通用しなかったことは私にとって貴重な経験でした。まずは褒める・認めることから入る、相手を尊重する(選択してもらう)、無理に教えようとしない(教えすぎない)、誘導しようとしている自分に意識的になる、などは森塾の子どもたちから教えてもらいました。

 

卑近な例になりますが、うちの子どもが中学生になった頃から、村山家の朝は「早く起きなさい!」というキッチンからの怒号でスタートします。子どもは目が覚めているのに、妻の声を聞こえないふりをします。いつまでも起きてこないので、「もう7時40分よ!」「〇〇くんをまた待たせるつもり!?」「朝ごはんちゃんと食べてよ!」「今日の持ち物の準備はできているの?!」と妻の怒りは最高潮に達します。私は目覚まし時計ではなく、このやりとりで目覚めます(笑)。朝からギャーギャー言われるから余計に起きたくないという息子の心理は良く分かります。コントロールに対する反抗ですし、両者の間には余白がない状態です。

 

ある日、妻が泊まりの研修で不在にしていました。朝ちゃんと起こしてと私は言われていたのですが、せっかくなので実験をしてみました。前日の夜、「明日はお母さんが朝いないから誰も起こしてくれないけど、何時に起きれば間に合うの?」と子どもに聞くと、「友だちが7時40分ぐらいに迎えに来るから、朝ごはんを食べる時間を考えると、7時20分に起きていると良いかな」と答えてくれました。「そっか。じゃあ、目覚まし時計をかけて自分で起きてね」とだけ返し、私たちは寝ました。もし子どもが寝過ごしたり、起きられなかったりしても、私は起こすつもりはありませんでした。いや、起こさないと決めて寝ました。万が一、学校に遅刻してしまっても大したことではありませんし、失敗から学ぶこともあるはずですし、そもそも普通に起きるだろうと考えていました。

 

 

子どもは早めに目覚ましをかけていたらしく、7時前から目覚ましは鳴り始めました。いつもは愚図っていつまでも布団から出ようとしない息子が、7時20分になると、誰に何も言われることなく自分でスッと起きたのです。朝ごはんを食べ、その日の持ち物を準備して(前日にやっておけよとは思いますが笑)、迎えにくる友だちを待つ余裕があったほど。たまたまこの日だけ上手く起きられたのかもしれませんし、緊張感がなくなってくると寝坊する日も出てくるかもしれませんが、とにかくこの日の朝は平和だったのです。毎朝、大声を張り上げて起こす方も大変ですし、嫌な気持ちで起こされる方も苦痛ですし、それを周りで聞いている方も心苦しい。コントロールを手放し、相手にゆだねることで、誰も声を荒げることなく、子どもは自分の意志で起きて学校に行ったのです。ただ、僕はこのやり方を妻に押し付ける気はありませんし、何かを変える気もありません。ご想像のとおり、翌日からはいつもの騒がしい朝が戻ってきました。まあそれはそれで良いのかもしれません。

2021年

4月

22日

介護福祉士合格おめでとう!

遅ればせながら報告させていただきますと、今年も湘南ケアカレッジの卒業生さんたちが介護福祉に合格されました!おめでとうございます。昨年に引き続き、合格祝賀会を催すことができずに申し訳なく思っていますが、その代わり、たくさんの卒業生さんたちから合格のメッセージをいただくことができました。私たちのおかげと書いてくれたり、先生方に教えてもらったところが問題に出ました!と報告してくれて嬉しいのですが、最終的に合格できたのはご自身の頑張りがあったからです。私たちは最後のひと押しができたかもれませんが、そこまで皆さんがしっかりと勉強してくれていたからこそだと思うのです。

 

今年度は全体の合格率が71%と昨年とほぼ同じでした(おかげさまで、湘南ケアカレッジは何とか90%を越えられそうです!)。実務者研修がスタートした2016年から、介護福祉士試験の受験者数がガクンと減り、それに合わせる形で合格率を70%前後に保とうとしていることが数字の推移で見て取れます。合格点があるわけではなく、受験者の上位70%を合格とするためのラインを引いて、そこの点数がたまたま合格点となるということですね。合格率ありきというか、ある程度の合格者数を確保するために、最低でも全国で6万人ぐらいの介護福祉士を誕生させたいという意図が見て取れます。総受験者数が大幅に減らない限り、来年以降もしばらくは70%前後の合格率は続きそうです。

 

合格率70%は簡単すぎるという声もあります。ちなみに、社会福祉士は27%前後、ケアマネジャーは19%、司法書士は3~4%です。たしかに他の国家資格と比べて合格しやすいことは確かですが、決して誰もが受かる試験でもありません。実感的に言うと、「きちんと勉強すれば合格できるけど、そうでなければ合格できない」というレベルだと思います。もちろん個人差はあるので、しっかり勉強したつもりでも合格できなかった、もしくはノー勉強だったけど合格したという人もいるにはいるでしょう。それでもほとんどの人たちは、試験に向けて多かれ少なかれ時間を割いて勉強したから受かったのだと思います。

 

 

湘南ケアカレッジの筆記試験対策講座の生徒さんの合格率が全国平均よりも20%も高いのは、皆さんそれぞれがきちんと勉強してくれたからです。ひとりで勉強できる自信がないからと言って参加してくださる生徒さんも多いのですが、それでも最終的に合格されるのは勉強しているからです。自腹で受講料を払い、5日間勉強する環境を自ら作ったことが成功の一因ですし、その機会を逃すことなく取り組んでくれたからこその合格ですね。何が言いたいかというと、みんな頑張ってくれてありがとうということです。会ってお祝いできなくて残念ですが、皆さんの気持ちは先生方にもちゃんと伝わっていますよ。

2021年

4月

15日

命という名の時間の奪い合い

昨年、公開されて世界中で大ヒットとなった映画「TENET(テネット)」は、時間は過去から現在、そして未来に向かってのみ流れるのではなく、未来から現在へと逆行できるという設定が斬新でした。臨場感のあるサウンドが全身に響き渡り、最初から最後までハラハラドキドキ、全身の血管が脈打つような作品でした。

 

 

ストーリーとしては、地球が滅亡するという未来において、行き場を失ってしまった未来軍と現在軍の時間を巡る戦いが生じます。未来軍は時間を逆行しながら、現在軍は時間を順行しながら、時間を奪い合うのです。映画の中では、未来軍は時間を逆行しなければならない分、かなりの不利を強いられることになりますが、それでも未来を変えるためには過去を変えねばならず、現在軍を押し返さなければならないのです。私がふと思うのは、この映画の中で行われていた未来軍と現在軍の争いは、今のコロナ騒動における高齢者と若者との関係性にそっくりだということです。

 

この話をする前に、「時間は命である」ということを明確にしておきたいと思います。この概念は、聖路加病院の日野原重明先生に教えてもらいました。日野原先生は90歳を過ぎた頃から10代の子どもたちに対していのちの授業を行い、「心臓は生きるために必要だけど、そこに命があるわけじゃない。これから一番、大切なことを言います。命とは、人間が持っている時間のことです」、「これからはだれかのために時間を使ってください」と語りかけたそうです。命とは人間が持っている時間であるという感覚は、若い人たちには分かりにくいと思いますが、人生が残り少ないと知れば知るほど、命とは時間である、時間とは命であると理解できるのでしょう。つまり、自分に与えられた時間(命)をどう使うかが大切なのだと、日野原先生は伝えたかったのです。

 

今、コロナ禍で起こっていることは、命という名の時間の奪い合いです。高齢者は自分たちの命を守るため、働き盛りの世代の生活や経済を縮小し、ステイホームすることを求め、さらに若い学生や子どもたちの通う学校を休校し、部活や遊びを止めさせることを強いています。もちろん、そうではない高齢者もいると思いますが、現実を見渡す限りにおいて、高齢者軍の総意としてはそういうことです。かけがえのない1年という時間(命)を若者軍から奪い、さらにこの先も同じことが続くでしょう。高齢者軍は本来であればだれかのために使うべき時間(命)を自分たちのために使い、無意識のうちに若者たちの命(時間)を奪ってしまっているのです。時間は命であるという感覚に乏しい若者軍は自分たちの命が奪われていることに無自覚であり、対する高齢者軍は命懸け、かつ人数が多いため、政治的にも圧倒的に有利です。若者軍に今のところ勝ち目はありません。

 

あえて命を奪うという過激な表現を用いましたが、高齢者軍が若者軍と真っ向勝負で、世代間対立をしてしまうと、時間(命)を奪い合うしかありません。この問題の解決策はなかなか考えつきませんが、まずは若者軍が自分たちの命(時間)が奪われていることを自覚すべきです。自覚しなければ、知らぬうちにあなたの時間(命)は誰かによって浪費され、乏しいものになっていくことでしょう。本来はもっと広く素晴らしい世界が見えたはずなのに、夢や希望さえも抱くことが難しくなってしまうのではないでしょうか。待っていても誰も与えてくれません。反抗して、自分から行動しなければ、この先ずっと、制限された人生を歩むことになりますが、それでよいのでしょうか?

 

もうひとつは、高齢者軍が少し冷静になることです。NHKなどのテレビやヤフーニュースばかり見ていないで、あらゆる角度からの情報や見識を集めたり、街に出て、世界をよく見てみることです。本当に新型コロナウイルスはあなたたちの命を奪うような致命的なウイルスでしょうか?本当に新型コロナウイルスは誰かと食事をしただけで感染するような感染力の強いウイルスでしょうか?本当にPCR検査や抗原抗体検査は感染者を正確に診断しているのでしょうか?本当に新型コロナウイルスが体内で増殖したことによって亡くなった方はいるのでしょうか?一度、異なったベクトルの視点から見てみてください。そうすることで、あなた方の進むべき方向は若者たちの時間(命)を奪う方向ではなく、若者たちと共に歩む方向だと分かるのではないでしょうか。このまま対立を進めても、高齢者は外にもなかなか出られず、子どもや孫たちにもほとんど会えず、死ぬまでマスクをして、最後は孤独に亡くなることを選択しますか?共に進んだとしても、あなたたちの命(時間)は失われることはありません。むしろお互いの時間も命もより豊かになるはずです。

2021年

4月

07日

変えられるもの、変えられないもの

3月短期クラスが終了しました。「修了したくない」とある生徒さんがおっしゃっていたように、とても楽しく学び、教え合い、助け合える、仲の良いクラスでした。最後のアンケートで印象的だったひと言に、「クラス全員が全員のことを知っていて良かった」というものがあり、まさにそういうことだと感じました。最終的な介護職員初任者研修の満足度を決めるもしくは高めるのは、生徒さん同士の横のつながりなのです。それがなければ、どれだけ私たちが素晴らしい授業を提供しようが、先生と生徒さんの信頼関係が築かれようが、大満足にはならないのです。

生徒さん同士のつながりを意図的につくるのは難しいことですが、仕組みとしてできることはたくさんあると思います。たとえば、湘南ケアカレッジでは、教室で座る席を固定していません。むしろいつもと違った席に座ることを勧めています。小学校や中学校のように、朝来て座る席が決められているわけではないということです。初日は誰もが新しい席に座りますので、2日目から「前回とは違った席に座ってみてください」と声掛けをしています。初日の望月先生も授業の中で、違った席に座ることの意味を伝えてくれているようです。

 

それはできるだけ多くのクラスメイトと接点を持って、仲良くなると、研修に対しても満足度が高くなることが分かっているからです。もしかしたら運命の出会いがあるかもしれないのに、同じ席に座り続けることで、せっかくの機会を逃してしまうのももったいないですよね。実際に卒業生さんたちからは、「声掛けしてもらったおかげで、いろいろな人たちと話すことができて良かった」と後から言ってもらうことが多いです。その時は分からなくても、広がった人間関係を見て、あえて違う席に座った意味を理解するということです。

 

そもそも声掛けをしているのは、不思議なことに、人間は前回と全く同じ席に座る習性があるようです。たとえ週1のクラスでも、1週間前に座った席を忘れることなく、席が決められているわけではないのに、同じ席に座ろうとします。前回と同じであることに安心するのかもしれませんし、誰かのお気に入りの席を取ってしまうことに遠慮するのかもしれません。ただそうして誰もが前回と同じ席に座るとどうなるでしょうか?毎回、同じ人たちが周りにいることになります。席を固定してしまうと、人間関係を含む環境が固定されてしまうのです。

 

逆に前回と違った席に毎回座ることで、毎回違う人が周りに座っていることになり、これまでとは違ったクラスメイトとの接点が一気に増えます。たとえば、毎回同じ席に座ると隣の人と同じグループになる後ろの列の2人を合わせて(極端に言うと)3人としか接点が持てません。ところがもし毎回違う席に座ることで、隣の人に後ろの列の2人を合わせた3人×15日間で45人(実際には約24名定員なので全員)のことを知ることができます。

 

毎回違う席に座るというほんのわずかなことですが、私たち一人ひとりの日常のちょっとした習性や習慣を変えることによって、全体としては大きな変化や出会いが生まれることが分かりますね。

 

「変えられるものを変える勇気を、

変えられないものを受け入れる冷静さを、

そして両者を識別する知恵を与えたまえ」

 

という神学者ニーバーの有名な言葉があります。様々な解釈があると思いますが、何から何まで変えることが良いということではなく、変えるべきものは変えるべきであり、変える必要のないものは変えてはならず、その両者を識別して行動するためには、勇気と冷静さと知恵の全てが必要であると私は考えています。

 

変えるべきものはそのままに、変えなくてよいことは変えてしまうことが多く見られる世の中ですから、ニーバーの言葉は心に響きますね。何よりも大切なのは、何を変えるべきで、何を変えないべきかを見極める知恵なのだと思います。それなくしては、どれだけ勇気と冷静さがあっても私たちは間違ってしますのです。

 

 

変えるべきことと変える必要のないもの見分け方は簡単です。まずは変えること(もしくは変えないこと)によって起こりうる未来を想像してみることが大事です。それから具体的に、変えることによって生じるメリットとデメリットを比べてみること。変えないことにもメリット・デメリットがあるはずです。比較してみて、メリットがデメリットを上回るのであれば、行動してみる価値はあります。変える価値があると思ったなら、勇気を持って行動すべきです。変えない方が得策だと考えたなら、冷静さを持って受け入れるべきです。皆さんもぜひ試してみてください。

 

追伸

 

先日、先生方と日曜日クラスの生徒さんたちに誕生日をお祝いしてもらいました。湘南ケアカレッジが開校して、丸8年が経ちましたが、今年もこうして祝ってもらうことができて幸せです。開校したときはまだ30代だった私が、いつの間にかアラフィフになってしまいました(笑)。「100年続く学校」を目指している湘南ケアカレッジにとっては、まだまだ旅の途上ですね。守るべきものは守り、かといって守りに入りすぎず、新しいことに挑戦もしていきたいと思います。経営とはそのバランスであり、思想でもあります。世界観が変わる福祉教育を提供することを通して、湘南ケアカレッジにかかわってくれた人たちの未来がより明るく照らされることを願っています。

2021年

3月

31日

天職の3つの条件

ふらりと教室に立ち寄ってくれた卒業生さんが、「介護の仕事は天職だと思います」とさらりとおっしゃいました。その言葉を聞けて素直に嬉しかったですし、と同時に、天職とは何だろう?どうすれば自分にとっての天職だと思えるのだろうかという問いが、むくむくと湧きあがりました。私もなかなか天職を見つけるために紆余曲折し、天職について考えていた期間は長いので、自分なりの答えを書いてみたいと思います。

 

 

その仕事が自分にとって天職であるための条件は3つあります。

ひとつは、お客さんとの波長が合うかどうかです。介護の仕事であれば、利用者さんとの波長が合うかどうか。波長というと抽象的ですが、他に相応しい言葉が見つからないので波長とさせてください。その仕事や業界には必ずお客さんがいて、お客さんのためにサービスを提供するわけなので、お客さんと良い関係が築けないと苦しいわけです。しかもお客さんに対する共感や尊敬、愛着のようなものが感じられないと、良い関係は長続きしませんね。もちろん一方通行ではなく、お客さんからの共感や尊敬、愛着、感謝などが得られないと、やってられない日が来るでしょう。

 

主にお客さんとの波長が大切ですが、一緒に仕事をする仲間(スタッフ)との波長が合うかどうかも大切です。共感や尊敬、愛着のようなものがお互いに感じられるかどうか。上下関係や年齢、性別など関係なく、一緒に働く人たちと波長が合わなければ苦しいですよね。実はお客さんとの波長が合うというベクトルが一致していれば、自然と一緒に働く人たちとの波長も合うものです(もちろんそうではない仲間も一定数いるでしょうが…)。お客さんとは波長が合わないけど、一緒に仕事をする仲間とだけ合うという場合、おそらくそれはその仕事が天職なわけではなく、職場に友だちがいるというだけの話でしょう。あくまでもお客さんとの関係が主で、一緒に仕事をする仲間との関係が従です。

 

私の場合は、大学を卒業してから塾業界に入りました。学生の頃から子どもの教育にはたずさわっていたので、自然な流れというか、就職氷河期の真っただ中で、それしか仕事が見つからなかったのです。最初の仕事は1年で辞めることになり、その後、知り合いの紹介で大手の介護スクールで働かせてもらうことになり、もしかすると自分に合っているかもと感じました。5年間、介護のスクールで働き、その後もう一度、子どもの教育に戻りました。最終的に、私は教えること自体は好きですが、子どもたちよりも大人(特に介護の世界の人たち、もしくは介護の世界に入ろうする人たち)の方が波長は合うと感じました。正直に言うと、子どもたちと接していると一時的には楽しいし、愛着もあるのですが、尊敬はあまり感じられませんでした。不思議と、一緒に働く仲間たちにも同じような感覚を抱いていました。それに対して、介護の学校でたずさわるお客さん(生徒さん)と一緒に働く仲間(先生方)は、とても良い人ばかりで、共感や愛着のようなものだけではなく、尊敬の気持ちも抱くことができたのですよね。これはあくまでも私にとっての波長であり、個人の感覚ですが、同じ教育の業界でも仕事によって波長の合う合わないは全く異なるということですね。

 

2つめは、その仕事をする中で常に学びがあるかどうかです。以前に「私が独自に発見した、一番ラクな天職の見つけ方」というブログを紹介しつつ、仕事の中に気づきがあるかどうかは、自分がその仕事を通して成長していけるかどうかに大きな影響を与えるため、とても重要だと述べました。お客さんや一緒に働く仲間と波長が合うだけでも十分ですが、もっと長い目で見て、その仕事を生涯やり続けるとすれば、普段働いている中で少しずつでも学びや気づきがあることで、自分自身が成長する感触がつかめるはずです。ただ単に学びや気づきがあると楽しいですし、過去の自分と比べて、より望ましい人間になっている実感は仕事を通して得られる喜びのひとつです。逆に、学びや気づきがなくなってしまうとその仕事はつまらなくなってしまいます。つまらない仕事は長く続けられませんから天職にはなりませんね。

 

最後の3つめは、その仕事が他の人たちよりも上手くできるかどうかです。2つ目の仕事の中に学びや気づきがあるかとも関係してきますが、成長して上達することで、他の人たちには及ばないレベルで仕事が上手にできたり、それによって誰かに喜ばれ、褒められ、認められ、感謝されたりします。私は学生時代に始めたビリヤードが好きでしたし、自分なりに気づきや学びもあったのですが、最終的には誰よりも上手くなることはできませんでした。アスリートの世界のように頂点に立たなくても良いのですが、やはりお金をもらう(稼ぐ)以上は、少なくとも他の人たちよりも上手にできる必要があるのだと気づかされたのでした。

 

 

あなたにとって3つの条件すべてが当てはまれば、その仕事は間違いなく天職でしょうし、まずは1つだけでも当てはまれば、天職かもしれないと思って良いはずです。そもそも簡単に天職など見つかるはずもありません。私もアルバイトを含めていくつかの職を転々としながら、ようやく自分にとっての天職に近いものを掴めた気がしています。今、天職が見つかっているラッキーな人はその仕事の中で己をどんどん磨いていってもらいたいですし、まだ見つかっていない人は探し続けて下さい。3つの条件を意識しながら探し続けていると、いつか見つかるはずですよ。

2021年

3月

24日

「人生、ここにあり!」

最近、Amazonプライムで映画を観るのにハマっています。良い映画を観ると、また次も観たくなって、その映画も面白いとまた次もと連鎖していく。「人生、ここにあり!」もその流れの中で見つけて観た映画であり、最高に素晴らしかったです。1980年代のイタリア、精神障害者の就労施設を舞台にして起こった運動を、実話に基づいてユーモラスに、人間味あふれるタッチで描いています。薬漬けにされ、施設に隔離され、決められた仕事をやらされていた精神障害のある人たちが、左遷されて来たある人物の登場をきっかけに、自分たちの手で社会に飛び出すことになります。ネタバレになるのでこれ以上は述べませんが、ちょっとした偶然が重なって、社会は少しずつ変わっていくのだなと感じました。精神障害や就労支援に興味があって学びたいと思っている方は、ぜひご覧になってみてください。

原題は「Si può fare(やればできる)」。学習塾の安っぽい宣伝文句のようですが(笑)、この言葉がこれほど当てはまる映画もないでしょう。あの時代に精神障害者が精神病院から社会に出ていくなんて、まさに無謀と思われていたでしょうし、狂気の沙汰だと非難した人たちも多かったはずです。それでもやればできると信じる者がいたからこそ、その過程には数々の悲しみや苦悩もあったはずですが、実際には何とかなったということです。

 

 

実際にイタリアには今、精神病院がありません。かつてはマニュコミオと呼ばれた巨大な精神病院が数多く存在していましたが、人間を「隔離」するシステムは人権や尊厳の問題と深く関わりがあることは明らかであり、イタリアはいち早く「共生」へと舵を切ったのです。もちろん、社会保障費といったお金の問題もあったのかもしれませんが、それは鶏と卵の問題であって、どう考えても人間を1か所に「隔離」しておくことは人権と尊厳の侵害であり、誰にもそうする権利はない以上、私たちに残された選択肢は「共生」しかないはずです。1998年にイタリアからは精神病院がなくなりました。

「共生」と言っても決して野放しにするということではなく、精神科医のフランコ・バザーリアが唱えたのは、「右手で病院を解体し、左手で地域ケアをつくる」と言われる改革でした。もちろん医療的なケアだけでは不十分であり、社会に出るということは、統合失調症を抱える人たちが自分たちで稼ぎ、自分の部屋で暮らし、周囲の人たちと人間関係を構築するということです。そのためには自分たちの仕事を持って、経済的に自立することが鍵となり、この映画はそのあたりを実に上手く描いています。彼ら彼女たちの「強み」や「得意とすること」を生かして仕事をするのです。もちろん、彼ら彼女たちが地域で生活することで起こる現実からも目を背けていないことも称賛に値する作品です。

最後に、ご存じのとおり、日本は世界一、精神病院の病床数が多い国です。世界の精神病床約185万床のうち約35万床が日本にあり、世界の精神病床の5分の1が日本にあるということです。これを日本が豊かであるからと見るか、人権意識に欠けていると見るかはそれぞれですが、私は何かが決定的にずれてしまっていると考えています。新型コロナウイルスの患者は、日本全体の病床数のわずか2%しか受け入れておらず、医療崩壊だと騒いでいる一方で、精神疾患の人たちを隔離するための病床数はごまんとあるのです。日本の病院は民間がほとんどですから仕方ないと考えるべきかもしれませんが、つまりはお金にならないことはやらず、自分たちの保身や責任逃れのためなら何でもするということですね。そういう実情を知らない人たちは、ぜひこの映画を観て、教養を深め、視野を広げてもらいたいと願っています。

2021年

3月

17日

一人ひとりがリーダー

2月短期クラスが無事に修了しました。初日から和やかな雰囲気でスタートし、講義もしっかりと聴いてくれて、実技演習も真剣に取り組んでくれた素晴らしいクラスでした。最終日の筆記テストにて、外国人の生徒さんが合格したとき、皆がお祝いムードに包まれたことからも、誰もが心ひとつにつながっていたことが伝わってきました。このようなクラスに参加したことは生徒さんたちにとって一生の思い出になるはずですし、先生方も介護を教えていて良かったと思えるのではないでしょうか。その証拠に、最後のアンケートの大満足度も100%でした。最終日には丁寧なメッセージ入りのボードを贈っていただきました!食事の授業が印象的だったのか、テーマは食だそうです。大切に飾らせていただきますね。ありがとうございます。

 

 

なぜ全員が大満足するようなクラスになったかというと、何人から生徒さんたちの良い影響は見逃せません。一人ひとりの生徒さんたちは、他の生徒さんとつながりを持ちたい、良い雰囲気のクラスにしたいと願っていても、全体として上手く行くこともあれば、上手く行かないこともあるでしょう。その違いは実はわずかで、周りの人たちに良い影響を与えて、自然と巻き込んでいけるような人がいて、その人に素直について行く人がいるかどうかが大切です。いわゆる良きリーダーと良きサポーターというやつ。あの人がいたおかげで、周りの誰もが良い関係を保てたということはたしかにあるはずです。

 

それでも、と最近は思うようになりました。誰かのおかげで上手く行くことはあるとしても、裏を返せば、それはその誰かがいなければ上手く行かなかったかもしれず、逆に誰かのせいで上手く行かなくなってしまうことも起こりうるはずです。自分ではない誰かに期待して、影響されるだけでは、望ましい未来も他人次第、運任せということになります。それは政治のような大きな未来でも、身の回りに起こる自分の未来でも同じです。誰かから許可が出るを待っていても何も起こりませんし、誰かが間違ってしまうと全員が間違ってしまうのです。

 

 

2月短期クラスは、クラスメイトの一人ひとりが自分たちの意思を持って、良い研修にしようと行動してくれたのだと思います。一つひとつの言動が積み重なって、クラス全体の雰囲気をつくりあげたのです。少数の誰かのおかげではなく、全員のおかげ。全員が良きリーダーであり、全員が良きサポーターであったということです。理想的な話に聞こえるかもしれませんが、本当に良いチームや人の集まりをつくろうとするならば、誰にとっても明るい未来を築こうとするならば、一人ひとりが責任を持って行動していかなければならないのです。そんなことを教えてくれた素敵なクラスでした。

2021年

3月

10日

コントロール願望を手放す

皆さんは、自分の中にあるコントロール願望に気づくことがあるでしょうか。コントロール願望とは、誰かを上手に動かしたい、操りたいという願望、つまり自分の思い通りに相手に行動してもらいたいという気持ちのこと。人間である以上、多かれ少なかれ、コントロール願望はあるのですが、自分でもコントロールが効かなくなるほどに無意識のうちに行ってしまっていると問題です。あなたのためと言いながら、自分の都合の良いように相手を誘導してしまう癖がついた人たちが増えると、お互いの選択の自由が少ない窮屈な社会が生まれてしまうからです。

 

私がこのコントロール願望に気づいたのは、子どもの教育にたずさわっていた頃です。その当時は、コントロールという言葉で考えていたわけではありませんが、子どもを上手いこと言いくるめる先生が仕事のできる先生という風潮に、何となく違和感を覚えていました。生徒の利を説きつつ、こうしてもらいたいという気持ちを伝えるのは先生の重要な役割のひとつではありますが、どうも単一の目的が最初にあって、そこに向けて生徒を巧妙に誘導しているだけにしか見えない現象があちらこちらに見られたのです。

 

なぜ違和感を覚えたかというと、先生は生徒を上手に導いたつもりでも、実は生徒さんは仕方なしに従っていることが多かったからです。生徒さんからすると、下手に逆らっても仕方ないし面倒くさいから、誘導させてあげているという気持ちなのに先生の方は気づいていないということです。私はこのような光景を見ると胸が痛みました。先生と生徒という力関係の中では、表面だけを見ると上手く行っているのですが、自分の意思に反して誘導された生徒さんの心にはしこりが残るのです。

 

「利他性」についての研究をしている伊藤亜紗さん(ケアカレナイトにも招こうと考えていた素晴らしい方です)が、視覚障害者の例を挙げて、私たちが誰かのためと思ってやっていることは意外にも利他的ではないと述べていました。中途で視覚障害になった方が、「毎日がはとバスツアーになった。ガイドヘルパーさんに一から全てを案内されるのは便利ではあるけれど、外の世界を自分で感じたり、考えたりもしたい」と話されたそうです。自分はガイドヘルパーという役割を演じ、相手を視覚障害者という役割に固定してしまうと、相手はとても窮屈に感じるということもあるということ。私を含めたほとんどの人たちは、利他の名目の下、実は利己的な行動をしてしまっているのではないでしょうか。自分は利他的だと信じているのに、相手は利己的だと感じているのが皮肉ですね。

 

 

それは介護の現場でも、親子の関係においても、同じように起こっています。特に、相手と力関係に差がある場合に顕著に見られる現象です。相手のためと言いつつも、自分のそうあってもらいたいという状態に相手をコントロールしていませんか?コントロール願望を克服し、本当の意味で、相手に自立支援や選択の自由を提供するためには、まずは自分の内にあるコントロール願望に気づくことです。コントロール願望を意識することができたら一歩前進。その先は自分のこうしてもらいたいという願望を疑い、手放すことです。前述の伊藤亜紗さんは、「スペースをつくる」と表現されていました。相手との間に、時間的、空間的、精神的なスペースをつくることです。そして最も大切なのは「待つこと」。相手をコントロールしたり、一方的に自分のべき論を押し付けないようにするためには、どうしても待つ時間が必要になってきます。スペースをつくり、待つことを意識できると、今まで自分が相手に対して抱いていたコントロール願望が幻想であったことに気づくはずです。

2021年

3月

05日

あなたとあなたの希望をつなげる【コネクトケア町田】

「『足がうまく動かないから、遠出はできないよ』と初めは諦めをにじませていたご利用者さんが、私たちが訪問介護に行くようになり、少しずつ気持ちが前向きになっていき、『ちょっと外でも散歩してみようかな』と誘ってくれた時、たまらなく嬉しかったです」

 

「デイサービスやグループホームもやりがいがありましたが、訪問介護がダントツに好きです」

 

「コネクトケア町田」管理者の柴さんは、そう自信を持って、訪問介護の魅力を語ります。自宅で暮らすご利用者さんのお宅を訪問し、掃除や食事作り、買い物、入浴などの介助を行う訪問介護。それは日常の困りごとを支援することで、ご利用者さんとご利用者さんの希望をつなげる仕事でもあるのです。

 

続きは→【介護仕事百景】へ

 

 

2021年

2月

28日

感情が動くから行動する

先日、実務者研修の医療的ケアの課題の返却に立ち会うことができました。そのクラスは満点はいませんでしたが、最高点の97点を取った4名の生徒さんたちが名前を呼ばれて、表彰されていました。そのうちの一人から、翌々日ぐらいに電話があり、「来年の介護福祉士の筆記試験対策講座に申し込みたい」と言ってもらえました。7月ぐらいから募集を開始する旨を伝えつつ、お席は確保しておくことになりました。私はこの一連の流れを実際に見て、褒め・認めの効果の大きさを改めて感じたのです。彼女の場合は、頑張って取り組んだ医療的ケアの課題が良くできて、((他の生徒さんたちの前で)褒め、認められたことで自信がついて、介護福祉士の筆記試験も頑張って挑戦しようとモチベーションが上がったのだと思います。そう、褒め、認められたことで、感情が動いたのです。

 

感情が動いたといえば、誕生日のお祝いも同じです。1期生の渡辺さんがたまたまスクーリングの最中に誕生日であったことから、湘南ケアカレッジでは誕生日ケーキを贈りながらハッピーバースデーソングを皆で歌い、喜びを分かち合うイベントが誕生しました。多くの人々の前で誕生日を祝ってもらうなんて生まれて初めてであり、嬉しい反面恥ずかしいという気持ちも分かりますが、祝ってもらった本人はもちろん、祝った周りの生徒さんたちにとっても、いつまでも語り継がれるイベントであることは、卒業生さんたちと話していると分かります。「まさか全員に祝ってもらえるとは思わなかった」、「あのとき、素晴らしい学校だと思いましたね」と言ってもらえるからです。

 

効果はそれだけではありません。他のステップアップ研修の申込受付をしていると実感として分かるのですが、誕生日祝いをしてもらった生徒さんの申込率は極めて高いのです。誕生日を祝ってもらったから、そのお礼にステップアップ研修を申し込もうと思ったわけではなく、自分の誕生日を祝ってもらったケアカレという学校や先生方のことが好きになり、もっとケアカレで学びたいと考えてステップアップ研修を申し込んでくれるのだと思います。ステップアップ研修を受けると役に立つ資格がもらえて…といった具合に理詰めで受講を決めているわけではなく、湘南ケアカレッジでもっと学びたいという感情が行動につながっているということです。

 

 

私たちは感情が動くから行動する。逆に言うと、感情を動かすことができなければ、行動してもらうことはできないということです。ここに教育であり、マーケティングや学校経営のヒントがあります。私たちが普段当たり前のようになってしまっている褒め・認め、表彰やイベントが、どれだけ生徒さんたちにとっては一回性であり、生徒さんたちの感情を動かしているのか、さらに感情が動くことがどのような行動に結びつくのかを知っておくべきですね。相手の感情を動かすためには、相手の立場に立ってみて、全体的な視点で見てみることです。そうすると、実はこちらの言動をまずは変えていくことが大事であることに気づくのです。

2021年

2月

23日

人生に、医療をそっとのせてもらう【まちだ丘の上病院・一二三学園】

「患者さんの人生に、医療をそっとのせてもらえるようになりたい」

 

ケアクルー(介護士)の上原さんは笑顔でそう話します。長い人生のなかでは、病気にかかったり、ケガをしたり、病院で過ごすことも時にあるでしょう。もしものその時、入院したからといって、これまでの生き方をすべて変えるよう強いるのではなく、その不安や苦しみでつぶれそうな心を支え、ともに歩む医療をつくりたいと、彼女たちは日々奮闘しています。

 

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2021年

2月

17日

先生方とのおもひで

先日、湘南ケアカレッジのホームページやブログを見て、ケアカレの卒業生ではありませんが、講師として働きたいと直接メールしてくださった方がいました。「生徒さんたちと本気で向き合い、資格を売り物にしないという信念が胸に刺さりました」とおっしゃってもらいました。介護の学校の先生は、これからの介護・福祉の世界を少しずつ大きく変えてゆく大切な役割を担っています。歴史を振り返ってみても、何をどう教えて、何が伝わっていくかによって、提供される介護の質や内容が大きく変わってしまうからです。私たちは教育を通して、介護の世界を良い方向にも間違った方向にも導くことができる、責任のある仕事をさせてもらっています。今は募集をしていないため、残念ながら今回は見送ってもらうことになりましたが、湘南ケアカレッジの先生になりたいと希望してくださって素直に嬉しく思います。

 

介護の先生って良い仕事だなと考えていると、私も介護の先生方に育てられたことをふと思い出しました。今から20年前の話になりますが、大手の介護スクールで働き始めたとき、最初にコーディネーターとして担当させてもらった横浜校と上大岡校の先生方には、息子のように可愛がってもらいましたし、困ったときには助けてもらいました。それまでは子どもの教育にたずさわっていた私にとって、自分の親もしくはさらに年上の女性の先生方と一緒に仕事をするのは初めての経験でした。彼女たちの授業を聞いて、授業後には一緒に食事に行ったりして、介護の世界のことや全然関係のないことまで教えてもらいました。急に教室を拡大し始める前の1年間は、私にとって学び深き至福の時間でした。

 

その時に抱いていたのが、尊敬という感情だったのだと思います。私の知らない世界を知っている先生方を素直にリスペクトすることができました。そして何よりも、彼女たちは優しかった。仕事のできない私のミスを大目に見てくれて、フォローしてくれたり、手を差し伸べてくれたり、無理を聞いてもらったのは一度や二度ではありません。私を立ててくれて、妥協してくださったことも幾度もあったはずです。先生方との交流を通じて、私は介護の世界を知り、社会で生きることを学び、人間としても少しずつ成長させてもらったのです。介護や医療の先生方に対する尊敬の気持ちは、今でも変わりなく持ち続けています。

 

 

私が仕事を選ぶときに、何となく基準にしてきたことがあります。それは尊敬できる人たちと一緒に仕事をすることです。どれだけ稼げる仕事であっても、尊敬できない人や一緒にいるのが苦痛な人たちと仕事することはありません。その基準は今や確信に変わっています。そういう意味においては、介護の学校は、生徒さんたちも心優しい人ばかりで、彼ら彼女たちにも囲まれて仕事をしていると考えると、ほんとうに良い仕事に巡り会えたなと思います。ポジショントークでは決してなく、心からそう思うのです。もちろん、ひとつやり方や考え方を間違うと、幸せな時間は崩れてしまうことも知っていますので、湘南ケアカレッジを立ち上げたときの初心に戻って、「大きくしない」、「いただきすぎない」、「資格を売らない」を大切に守っていきたいと願います。

2021年

2月

11日

潔癖主義に陥らぬよう

年初のブログにて、今年の心構えとして掲げた「潔癖主義に陥らない」について、卒業生さんから「どういうことですか?」と尋ねられました。言葉だけが先行してしまったというか、意味が分かりにくいと思いますので、分かりやすく説明したいと思います。この潔癖主義という言葉は、年末に観たBS1スペシャル「コロナ新時代への提言2」において、歴史学者の藤原辰史さんが語っていたものでした。まさに今の時代を言い当てていて妙だと思いましたし、介護・福祉の世界で生きる私たちは特に意識しなければならないのではと感じました。

潔癖主義とは、読んで字のごとく、潔癖を目指す(求める)思想や生き方なのですが、行き過ぎてしまうと「排除」を生むと藤原氏は語りました。ドイツのナチスの思想がまさに潔癖主義であり、自分たちの民族や人種ではない他者を汚れとして徹底的に排除した歴史がありました。最初はちょっとした綺麗好きだったものがエスカレートしていくと、自分や自分たち以外の他者を排除し、果てには撲滅しようとするのですから人間は恐ろしいものです。ユダヤ人を殺人ガスによって大量虐殺したのは、汚らわしいものを「消毒」して消そうという思想を体現していると藤原氏は述べました。潔癖主義と排除、消毒はセットであり、根本のところでつながっているのですね。

 

手をやたらと洗ったり、その上でアルコール消毒をしたり、また全員がマスクを着けて生活をしたり、ビニールシートを垂らしたりという世の中を見るにつけ、日本人の潔癖主義はどこまで行き着くのだろうと心配になります。手洗い自体は-19世紀、お産に立ち会う前の医師が手を洗うと産婦の死亡率が著しく低下したことから有効性が発見されたように、科学的根拠のあるものですが、手術をするわけでもない一般の人たちが手を洗いすぎるのは皮膚にも良くありませんし、必要な細菌まで失ってしまうことで逆効果さえなります。アルコール消毒はその最たるものであり、マスクやビニールシートはもはや未来から見ると笑い話になると思うレベルです。

 

手を洗うで思い出しましたが、私の叔母は晩年、今思うと認知症もしくは強迫性障害の症状を呈していましたが、特徴的だったのは1日に何十回も手を洗うようになったことです。手の皮膚がただれてしまうぐらい、ずっと手を洗っていました。洗っても洗っても、汚れているような気がしたのでしょう。実際には見えないはずですが、彼女には何かの汚れやウイルス、最近が見えていたのかもしれません。もともと精神疾患的傾向があったから手を洗うことに執着するようになったのでしょうか、それとも手を徹底的に洗うことで潔癖主義の傾向を強めて行ってしまったのか、おそらくそのどちらもだと思います。最後は親戚や身内ともあまり交わることなく亡くなってしまいました。幼心に私は、綺麗好き過ぎると精神を病んでしまうと思ったものです。

 

 

自分たち自身の免疫力や機能が落ち、強迫性障害につながってしまうのは仕方ないとしても、それが他者の排除や隔離、撲殺にもつながってしまうと考えると恐ろしいことではないでしょうか。家の中ではマスクを着けずに生活しているのに、外に出る時はマスクを着けるのは、自分(と家族は含む)とそれ以外の人たちとを隔絶しているという意味です。親しい人(知り合い含む)と素性を知らない他者との線引きも明確になってきました。私たちが恐れているのは、目に見えないウイルスというよりも、知らない他者ということです。無症状者からも感染するという根拠なき憶測も、その傾向を強めてしまっていますね。たとえば精神疾患のある人たちや知的障害のある人たちなど、昔は恐ろしいと思われて排除・隔離されてきた人たちを、福祉は先頭に立って受け入れてきた時代の流れから逆行し始めていませんか。一般の人たちはまだしも、せめて介護・福祉の世界で仕事をする私たちは潔癖主義に陥らないようにしたいですね。

2021年

2月

05日

自分の親を預けたい施設【シャロームつきみ野】

「シャロームつきみ野は、自分の親を安心して預けられる施設です」

 

介護スタッフ主任の平野さんは、自らの働く施設について、自信をもってそう語ります。驚くことに、勤務する介護スタッフの家族が入居しているケースは彼女だけにとどまらず、義両親や祖母が入居しているケースなど多数あるのです。

 

 

自身が働く施設に身内を預けたいと思えることがとても珍しく、それだけでその施設の魅力を語る十分な言葉になることが、介護の施設や事業所で勤めた経験のある方ならば痛感されるでしょう。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2021年

1月

30日

いつもどおりであること

卒業生さんからいただいた年賀状に、「ブログ拝見しています。感染症対策をしっかりした上で続々と卒業生を送り出しているのを読んで、つい固くなる心がほぐされる気がします。『いつも通り』であることに安心するのでしょうか?思い出に残る学校であり続けてくださいね」と書かれていました。この文面を読んで、ハッと気づかされました。卒業生さんたちがブログやホームページを見ると、そのように感じるのだと。いつもどおりであること。普段どおりに学校が行われていること。ただこれだけで、卒業生さんたちにとっては、安心してもらえるのだと。こんなに嬉しいことはありませんよね。

 

それは自分の母校を想う気持ちに似ているのかもしれません。僕は小学校が東京都の練馬、中学校が兵庫県の仁川、高校は東京都の中野区と、父の転勤に合わせて点々としましたので、今となってはずいぶん遠い場所の話となってしまいました。もし生まれ育った地元の学校にずっと通っていたとすれば、中には入らずとも、外から校舎やグランドを見て、子どもたちが走り回っている姿にいつもと変わらない安心感を抱いたりするのだと思います。自分の担任の先生方はもういなくなってしたとしても、自分の母校がそこにあって、自分がそうであったように学び、遊び、泣いている子どもたちがいることにホッとするのです。

 

そのような感覚で、ケアカレのホームページも卒業生さんたちに見られているのだと思います。学校に直接遊びに来て、雰囲気を味わってもらっても良いのですが、さすがに日常の生活や仕事に忙しいでしょうし、近くに住んでいる方ばかりではありませんから簡単ではありませんよね。でも今は、湘南ケアカレッジのホームページを開いて、リアルタイムに更新されているブログを読んでもらうだけで、ケアカレがいつもと変わらず熱い授業を展開していることが伝わるはずです。特にコロナ禍の寒々とした状況の中、これまでとは違った閉塞感に包まれながら生活をしている人も多いでしょうから、ケアカレがいつも通りそこにあるだけで救いになることもできるはずです。

 

介護の学校という未知の場所を少しでもガラス張りにして、教室の雰囲気やどのような先生、クラスメイトさんたちがいるのかを知ってもらいたくて、実際の授業風景の写真を使いながら文章をつづってきました。思わぬことに、たくさんの卒業生さんたちが懐かしんで見てくれて、変わらず学校が行われていることで安心してもらえているのは嬉しい限りです。そんな副次的効果があるとは思いもよりませんでした。いつもどおり世界は回っていること、私たちの熱い気持ちは変わらないこと、卒業生さんたちにも大切なことを伝えるために、今年もブログは頻繁に更新していきたいと思います。

2021年

1月

24日

社会とつながる喜びの輪の中で【大賀藕絲館(おおがぐうしかん)】

「いらっしゃいませ」

 

自動ドアが開くと、目の覚めるようなはつらつとした声とおっとりとした優しい挨拶が私を出迎えてくれました。ここは、蓮の実ケーキや紅花のブーケ、ちりめん細工、手すき紙などの手作り製品を制作、販売している大賀藕絲館(おおがぐうしかん)です。

 

 

できることを仕事にして、みんなでひとつの物を作り、それを売る。障害のある方にとって、働くことを通し、誰かを喜ばせ、認められ、達成感を抱くなどといったさまざまな体験を積むことのできる場所です。

 

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2021年

1月

17日

感謝状からのつながりを

11月短期クラスの卒業生の皆さまより、感謝状が届けられました。良く見ていただくと分かるのですが、それぞれの生徒さんからのメッセージだけではなく、望月先生が大好きなキティちゃんやフレームには「ありがとう」のマスキングテープで飾られていて、とにかく様々な工夫がいっぱいです。私たち湘南ケアカレッジに愛情を持ってつくってくださったことが伝わってきます。私はちょうど事務所におらず、直接受け取ってお礼を言えませんでしたので、この場を借りて感謝の意を伝えさせてください。ありがとうございます!

 

実はこのメッセージボード(感謝状)は、介護職員初任者研修が終わってから作られたものです。ほとんどのクラスは研修中に、誰かが提案して皆で作成し、最終日にプレゼントしていただくのですが、今回のクラスは珍しく研修後にKさんが中心となって動き始めました。研修中であれば一人ひとりのメッセージを集めるのも簡単ですが、研修が終わってから作ることの何が大変かというと、それぞれに連絡をしてそれぞれに郵送してもらって集めなければならないことです。今、こうした状況なので、クラスメイト全員が一堂に会することも難しくなっていますので、なおさらメッセージ集めは困難を極めたと思います。最初にKさんから提案をされたときは、研修が終わってからではどこまで集め切れるかなと正直思いました。

 

それでもKさんはあきらめることなく、クラスメイト一人ひとりにメッセージカードと返信用の封筒を付けて郵送し、返ってくるのを待ちました。それに応えて、クラスメイトさんたちも返送して集まったメッセージをボードとして作り上げてくれたのです。こうして完璧なメッセージボードが出来上がったのを見ると、その制作過程で苦労があったからこそ、研修が終わったあとにもクラスメイトさん同士のやり取りが生まれ、つながりも深まったのではないかと思います。現にKさんたちと湘南ケアカレッジのつながりは深まりましたので、それぞれの生徒さん同士も同じでしょう。だからこそ、数名の生徒さんが集まってメッセージボードを教室まで持ってきてくださったのです。

 

湘南ケアカレッジにとって最も嬉しいことのひとつは、卒業しても生徒さん同士がつながっていてくれることです。先日、ある施設の新年会でお会いした実務者研修の卒業生さんは、「今でもクラスメイトの何名かとLINEで意見交換とかをしていますよ。いろいろな現場で働いていて、それぞれが経験値も高いのでアドバイスしてもらって、本当に助かっています」と言っていました。そういう話を聞くと、学校があって良かった、研修を行って良かったと素直に思えます。研修はわずかな期間で終わってしまいますが、その後も何かでつながっていてくれると、それは一生ものの財産になるからです。11月短期クラスの卒業生さんたちも、それぞれに歩む道は違ったとしても、同じ方向を向いているのは間違いないのですから、末永くつながっていってもらいたいと願います。

 

 

2021年

1月

14日

変わるきっかけ

15日間ありがとうございました。おかげさまで、本人も学校に来てくれるようになりました。髪の毛も黒くなり、ピアスも外して来てくれて、驚きました」

 

 

昨年の平日短期クラスに通ってくれていた、中学校2年生の生徒さんの担任の先生から、上のような電話をいただきました。その話を聞いたとき、心から良かったなと嬉しく思いました。彼女にとって、湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修を受けることがひとつのきっかけとなり、彼女の人生が少しでも良い方に変わることを願っていたからです。

 

彼女のお母さまからお電話をいただいたのは、夏休み明けぐらいの時期でした。「お姉ちゃんがそちらでお世話になったのですが、今回は妹をお願いしたいと思いまして。今、中学2年生なのですが、学校に行っていないので、何もしないよりはせっかくだから通わせてみたいと思って。本人も通いたいと言っているので」とさらりと状況を教えてくださいました。

 

最年少記録が小学校6年生を誇るケアカレとしては、中学2年生の女子しかも本人に通う気があるのであればノープロブレムです。数々のやんちゃな10代を更生させてきたケアカレですから、学校に行けていないぐらいは全く心配ありませんしウェルカムです。私も今考えると、学生時代はよくあんなに制限ばかりで理不尽な場所に休みもせずに通っていたなと思います。それしか世界が見えなかったから仕方なかったのと、まあそういうものかとあまり深く考えていなかっただけでしょうか。感受性が強くて、自分の意志がある子どもにとって、学校という空間は息苦しいに違いありません。たしかに社会のレールから外れてしまったような気が本人はするかもしれませんが、全然そんなことはなく、むしろ人間としての自然な感情の発露なのではないかとさえ大人になった私には思えます。

 

さて、彼女は研修の最初の頃こそ、ひとりで大人しくポツンとしている姿が見えましたが、研修が進むにつれ、周りの大人たちから声をかけられたりするうちに次第に打ち解けていったようです。学校では注意される赤く染めた髪も数々のピアスも、一歩外に出て介護の学校に来てみると、「可愛いいね、似合ってるよ」と褒められ、認められます。周りのクラスメイトさんたちは決してお世辞を言って持ち上げているわけではなく、彼女ぐらいの年齢の女の子がおしゃれをしている姿を見て、素直にそう思って言っているのです。

 

通信添削課題も中学生の彼女にとっては簡単ではなかったはずですが、一度も不合格になることなくクリアしたように、一生懸命に取り組んでくれました。実技演習がスタートしてからも、周りのクラスメイトさんたちと楽しく積極的に学んでいました。最後の方は、彼女が中学生であることなど、誰も気にしなくなっていたはずです。20代から60代までの年齢層のクラスの中に見事に溶け込んでいました。実技もとても上手でしたし、最後の筆記試験も高得点で合格しました。10代の半ばで、あらゆる年代の人たちと一緒に学んだ経験は、彼女にとって大きな自信となり、糧となるはずです。担任の先生から聞いた話では、さっそく高齢者の介護施設でボランティアを始めてみるそうです。

 

今の悩んでいる、迷っている若い人たちに知ってもらいたいのは、目の前にある世界が全てではないということです。自分にとっての現実の世界はひとつしかない、自分が今いる状況からどうしても抜け出せない、そう考えてしまうと苦しいのです。これは若者だけではなく大人にも言えることで、自分に見えている、知っている世界なんて、実にちっぽけなものなのです。すぐ隣には全く違う世界があるし、見かたや考え方を変えるだけで、同じ世界もまた違った世界に変わります。

 

そうはいっても、若い頃は知識がなかったり、情報経路や量が少なかったりするため、一歩外に出ると全く違う世界が広がっていることに気づくことができず、だから一歩踏み出すこともできないという悪循環に陥りがちです。大切なことは、周りの大人が違う世界があることを教え、一歩踏み出すために背中を押してあげることです。そのためには、大人が世界の豊かさを知っていなければなりません。

 

 

彼女が湘南ケアカレッジに来てくれて本当に良かったと思います。外にはいろいろな世界があり、さまざまな人たちが社会で生きていて、自分を褒め、認めてくれる人たちもいると知れたことが、彼女のこれからの人生を大きく変えるひとつのきっかけや自信になれば幸いです。

2021年

1月

08日

「もはや老人はいらない!」

個人的にはとても面白く読んだのですが、介護の現場にいる人たちやこれから介護の世界に入って来ようとしている人たち、ましてや一般の人々には決して読んでもらいたくないと思う本です。それは半ば冗談ですが、それほどに現代の介護の世界の現実と闇が描かれているのです。前半部分は高齢者介護の実態を、後半部分は介護業界における経営や制度について、リアルな声で語ってくれています。私は立場上、後半部分を特に興味深く読みましたが、本全体としても1冊の告発本としての力作に仕上がっています。でも繰り返しになりますが、あまり手に取ってもらいたくはない本です(笑)。

 

副題にもあるように、今の時代の流れとして、長生きが喜ばれない介護社会への問題提起がされています。安楽死が手放しで美化され、介護支援から予防介護に重心が移り、いつまでも元気で働くことができ、役に立つ高齢者でなければ生きている価値がないと言わんばかりの世の中になってきつつあるということです。安楽死については、石飛幸三先生の提唱される尊厳死に代表されるように、自分の力で食べられなくなってしまったらそれで終わりにした方が良いという考え方には、僕も基本的には大賛成ですが、著者はそれでも生きたいと思ってもいいし、そう言いづらい風潮になっていると主張します。

 

本人が選択することができれば良いのでしょうが、そうもいかないケースも多いですし、私も昨年祖母を亡くしたときに家族だけではなく介護者の想いも大きく影響を与えることを学びました。また今は安楽死を望んでいても、死ぬ間際になれば生きることを望むかもしれず、絶対的な選択も正解もないから難しいのだと思います。時代の風潮として、私たちはただ生きていることを望まれなくなっているし、これからはその傾向はさらに加速することを著者は危惧しているのです。

 

本論は、介護施設で働く人の問題や介護保険制度の危うさです。月並みかもしれませんが、耳が痛いという表現がぴったりくるような内容ばかりです。介護と医療の世界における人材の違いについて、そもそもモチベーションが違うというのはその通りですし、介護職員の給与は決して安くないという論も頷くしかありません。特に介護人材の質については、ホーム長としての経験を踏まえて、補助金を出して急造した(いわゆる職業訓練のこと)介護職員のモチベーションの低さが離職率の高さに大きな影響を与えていると指摘しています。私もほとんど全ての補助金は無駄であり、かえって人間や社会の生きる力を奪ってしまうと考えていますので、諸手を挙げて賛成します。さらに医療保険制度と同じような考え方で運用されるのであれば、介護保険制度自体が要らないのではという、極論に見える提案にも、一理も二理もあると思います。間に入りすぎて、余計なことばかりするから、市場の原理が働かなくなってしまっているのではないでしょうか。

 

介護業界の問題点ばかりを炙り出しているように見える本書にも、わずかに希望というべきか温かさが垣間見える箇所があります。それは「介護職員がやる気を取り戻すには」というテーマにおける以下のような叙述です。

 

介護職員がやる気を取り戻すためには、彼らの領域の中で仕事に専念させることが重要であり、その仕事とは「生活自体を支える仕事」、まさに日常生活全般に対する支援業務だと思います。日常生活の支援なので、そこには成果も糞もありません。あるのは「笑い」や「涙」、「怒り声」などの喜怒哀楽です。この喜怒哀楽に対し介護報酬を与えるべきなのですが、なかなか実務的には難しいのかもしれません。

 

 

やはり介護の本質は日常生活の支援であり、そのやり取りの中で、リハビリになることがあるかもしれないし、予防になることもできるかもしれないし、もしかするとできないかもしれない。藤田先生が「介護者の接し方や声掛けひとつが治療にもなる」とおっしゃるのはそういうことでもあるのですが、なかなか成果が見えにくいですよね。成果が査定しにくいものを制度としてしまうと行き詰って当然ですし、もし医療と同様に成果を求めるのであれば、医療と介護を別々にするのではなくまとめてしまった方が良い。介護の世界で生きる私たちが避けては通れない、よくよく考えていかなければならない本質的な問題ですね。

2021年

1月

01日

明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。年が明けて、1231日が11日になっても、世界は何も変わっていないのですが、私たちの気持ちや意識は少なからずリセットすることができます。一年の計は元旦にありというように、今年こそはこう過ごしたいと願う日常を元旦から過ごして習慣にするということですね。個人的には、今年は良く読んで良く書く年にしたいと考えています。だからこうして元旦からキーボードを叩いています。もちろん、昨年のうちに今年の目標も決めましたよ。ここに書けることと書けないことがありますが、具体的なものから気持ちの問題まで少し書いてみたいと思います。

まず今年はもう一度原点に戻ろうと思っています。世界情勢を見て、今年は介護の世界に入ってくる人たちが増えると予測し、1人でも多くの生徒さんたちに湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修や実務者研修を受けてもらいたいと計画している一方で、私たちの原点であり理念である「世界観が変わる福祉教育を」提供することを忘れてはいけません。簡単に言うと、湘南ケアカレッジに来てくれた生徒さんたちに、(介護や福祉の)世界を見る目が180度変わったと言ってもらえるような研修を目指すということです。そのためには、心を動かせるような内容の濃い授業を展開しなければいけませんし、学校と生徒さんたち、生徒さんと先生方、そして生徒さん同士で人間的なつながりが生まれることも大切です。365日間、授業のある日は、世界観が変わる福祉教育を提供できているのかを心のどこかに意識しながら生きたいと思います。

 

そういった研修や授業を提供できるのは、先生方のおかげです。湘南ケアカレッジは今年で9年目を迎えることになります。ケアカレが開校して以来、今いる先生方が全力で授業をしてサポートをしてくださったからこそ、ここまでやってくることができました。100年続く学校を目指すと言いながらも、開講当初は9年目の今日は想像すらできませんでした。生徒さんたちが学校に来てくれることももちろん大切ですが、先生方がいてくれるからこそ、湘南ケアカレッジはあるのです。

 

 

この話は先生方にもしたことがないかもしれませんが、湘南ケアカレッジを運営している株式会社の理念は「小さなチーム、大きな仕事」です。中華料理の円卓を囲めるぐらいの少人数のチームで話し合い、褒め・認めあい、時には喧嘩しながらも、同じ方向を目指して、私たちがやらなければ誰がやるという価値のある仕事をしたいという想いです。大きなチームで仕事をすると、その総量は多くなったとしても、一つひとつの仕事の中身は少ないことは身に染みて分かっていますので、その逆を行きたいということです。小さくても大きな仕事はできる時代ですし、自分たちでは気づいていないかもしれませんが、小さいからこそ大きな仕事ができるとも言えます。もちろん、いきなり大きな仕事にはなりませんので、一人ひとりに向き合いながら、コツコツと積み重ねていくことが何より大事ですね。

 

最後にもうひとつ、これは時代的なものですが、世間が潔癖主義に流れている今、大切なことは心を分断されないようにすることでしょうか。潔癖主義の行き着く先は、自分と他者、自分の家族と世間、自分の仲良しと知らない人、自分の国と他国などという分断であり、それを推し進めた最終地点は他者の排除です。恐怖によって私たちが肉体的には分断されたとしても、たとえソーシャルディスタンスを取ってのマスクやビニールシート越しであったとしても、(ケアカレナイトにお呼びしようと考えていた伊藤亜紗さんが利他として提唱するように)相手の心に届くように話し、聞き上手になるべきです。そして、そのためには相手をコントロールしようとするのをやめ、待つことです。

 

 

今年もよろしくお願いします。

2020年

12月

29日

やっぱり褒めが大事

「介護はこころが8割」だとすると、教育においては「褒め・認めが8割」です。学生の頃から塾などで子どもの教育にたずさわってきて、10年ぐらい掛かってようやくたどり着いたひとつの結論です。残りの2割は、教える内容や話し方、授業の進行のスムーズさや板書の取り方など、その他もろもろです。教育学部等ではその他もろもろの部分をみっちりと教えてもらえるのですが、実際に教えてみると上手く行かない。先生は完璧に授業をしているつもりでも、生徒さんの反応は鈍く、表情は曇りがちで、アンケートにおける評価も高くない。教育現場あるあるです。

 

「なぜ授業が上手くいかないのでしょうか?」、「悪くない授業をしているつもりですが、なぜか生徒からの評価が良くなくて…」、「授業の内容とはあまり関係ない、どうでもよい部分にクレームを言われたりするので困っています」などと相談されて、実際にその先生の授業を少し見せてもらうと、大体の場合において、なるほどとなります。ほとんどのケースにおいて、ただ単に褒め・認めが足りない(もしくは全くない)ことが原因でした。その他もろもろの部分を気にするあまり、褒め・認めが足りない(もしくは全くない)ことに先生自身が気づいていなかったのです。

 

「褒め・認めが足りないですね」と(当時は単刀直入でした…)伝えると、その先生は思いがけないところからボールが飛んできたようなキョトン顔をして、しばらく考えて、「なるほど」と理解してくれました。自分の授業が上手く行かない原因が、まさかそんなところにあろうとは、教えることに真剣すぎる先生ほど意外にも盲点になってしまうようです。「褒め・認めをもっと入れていくと、授業の雰囲気は良くなって、生徒さんたちからの評価はさらに高くなりますし、多少失敗しても許してもらえますし、変なクレームもなくなりますよ」とアドバイスすると、それ以降、先生は生き生きと授業してくれますし、生徒さんたちにも笑顔が出てきて、授業の雰囲気も明るくなります。その様子を見て、やっぱり褒め・認めは大事なのだと思うのです。

 

湘南ケアカレッジの先生方の最大の強みは、褒め・認めだと思います。介護の先生方も医療の先生方も、それぞれの先生方によって褒め方、認め方こそ違えども(それもまた素晴らしい)、「褒められて嬉しかった」、「褒めてもらえて自信が持てた」など、アンケートにもたくさんの感謝の言葉が並んでいることからも、生徒さんたちが十分に褒め・認めてもらえているのが分かります。積極的に褒め・認めをしてくださっている先生は、やはり生徒さんたちからの評価も好意的です。生徒さんたちは、私たちが思っている以上に不安な気持ちを抱えて通ってくれているのだと思います。

 

私たちの目的は、自分の教えたいことを教えるではなく、介護・福祉教育を通じて、生徒さんたちを褒め・認めながら導くことであり、相手のニーズもそこにあります。そうして最終的に、「世界観が変わった」と言ってもらえたり、生徒さんの人生が少しでも変わるきっかけとなれば、これ以上の喜びはありませんね。

 

 

もし授業に行き詰ってしまったら、褒め・認めが足りないのではないだろうかと振り返ってみてください。適切なポイントで、具体的な伝え方で、生徒さんを褒め・認めることができているか。また、たくさんの褒め・認めポイントが想定されていて、それらから逆算する形で授業が構成されているかどうか。教え方のサイクルは回せているかどうか。もしかするとそれは教育の現場だけではなく、普段の生活や仕事、人生の中で上手く行かないことがあったときにも、同じように考えてみてもよいかもしれません。やはり褒め・認めが大事という結論にたどり着くはずです。

 

望月先生が今年も筆記試験対策講座の解答用紙にメッセージを書いて、生徒さんたちに贈ってくれました。今年はさらにパワーアップして巻物のようですね(笑)。また、影山さんも講座の前に宿題のチェックをしながら、スタンプを捺して回って、宿題をやってきてくれたことを褒め・認めてくれています。そんな単純なことでも、生徒さんたちは嬉しそうに笑顔になってくれます。ひとりでも多くの卒業生さんが介護福祉士になれますように!

2020年

12月

22日

福祉のこころ

平塚市のみずほ小学校にて、福祉のこころや障害について、小野寺先生がお話しさせていただきました。総合学習の時間の中で、高齢者や障害のある方などを幅広く知り、福祉って何だろうと考えるきっかけをつくりたいと、小学校の先生である私の友人から依頼をいただきました。対象は小学校3年生120名とのことで、なんと体育館での授業というか講演になりました。わずか45分間でしたが、正直に言うと、小学生の頃からこのような授業を聞くことができて、彼ら彼女たちは幸せだなと思いました。今日の小野寺先生の話が、記憶のどこかに残って、たとえ僅かだとしても、子どもたちの未来に何らかの影響を与えることを願っています。

 

小野寺先生ははじめに、ちょうど小学校3年生のときにストーブを蹴飛ばして、やかんに入っていた熱湯がかかってしまい、やけどをした話をしてくれました。その当時は、やけどの跡を見られるのが嫌で仕方なかったそうです。夏でも長袖のTシャツを着たりして隠していたそうです。それは人と違っていることを周りのクラスメイトたちに言われることが嫌だったということですね。僕も小さい頃、アトピー性皮膚炎がひどかったので、その気持ちは良く分かります。小野寺先生が子どもたち全員の間を、腕にあるやけどの跡を見せて回ると、「おおっー」という声が上がりました。そして、「今こうして皆さんの前でこのやけどの話ができているのだから、やけどを負ったことは決して不幸ではないんだよ」と伝えます。障害があることは不便ではあるけれど、不幸ではないということです。

 

2人1組のペアになってもらい、ひとりが目をつぶり、もうひとりが相手の手を上から持ち上げたり、下から支えるようにして上げたり、優しく触ったり、肩をポンと叩いてみたりを交互に体験してもらいました。腕を上から掴まれて持ち上げられるよりも、下からそっと支えられるようにして上げられる方が優しい感じがした。そんな感想が続々と出てきます。相手の手を上に移動させるという、実質的には同じ物理行為であっても、相手が感じる気持ちは全く違うのです。こちらの意図に忖度しているわけではなく、子どもたちは自分の感覚や感情に正直なのでしょう。その感覚や感情をからだの記憶として覚えていて、それが福祉であるといつか結びついてくれるといいですね。

 

 

福祉というのは、幸せのこと。国語辞典にもそう書いてあるし、誰かが幸せになったらそれが福祉であり、誰かを幸せにして自分も嬉しかったらそれが福祉。そう考えると、福祉って難しいことではないのかもしれません。

2020年

12月

15日

フラットな関係

実務者研修の生徒さんから、無事に実技テストに合格できたお礼と共に、ケアカレで研修を受けられて良かったと感謝のメールをいただきました。先生方にも感謝しつつ、クラスメイトの中で友だちもできたと報告してくださいました。「世界観が変わる福祉教育を」という理念を掲げて開校した湘南ケアカレッジも8年目に入り、私たちが最高の福祉教育を提供するだけでは完全ではなく、クラスの雰囲気というか一体感が何よりも大事ということをつくづくと感じています。先生方と生徒さんたちの関係はもちろんのこと、生徒さん同士の関係性が重要です。もっと言うと、たった一人でも仲良くなれた人がいたら、その学校や研修は最高の思い出になるということです。

今年最後の介護職員初任者研修11月短期クラスも、生徒さん同士の関係性が良かったです。それは朝の授業が始まる前の生徒さん同士のやりとりや授業中の取り組みの雰囲気、そして授業が終わって仲良く帰っていくときの表情などから伝わってきます。生徒さん同士の仲が良くなり、クラス全体の雰囲気が良くなると、生徒さんと学校や先生方との距離もあっという間に近くなります。互いに話しかけやすかったり、聞きやすかったりするようになるのでしょう。こうなればしめたもので、生徒さんたちも先生方もリラックスして授業に臨むことができるようになります。

 

湘南ケアカレッジのほとんどの研修やクラスにおいて、一気にまたは少しずつ、研修全体の一体感が高まっていくのは、フラットな関係が保たれているからだと私は思います。特に生徒さん同士がフラットな関係の中で一緒に研修を過ごすことによって、日常生活の中ではありえないつながりができるのです。それはいかに私たちが普段の生活において、それぞれの立場や役割、上下関係の中で生きていることの裏返しでもあります。家では親子や夫婦という関係性や役割があり、仕事に行くと上司部下、または先輩後輩という上下関係の中に放り込まれます。気の置けない旧来の友人であったとしても、それぞれの社会的立場が変化するにつれ、微妙な関係性のズレが生じたりするのではないでしょうか。

 

 

介護職員初任者研修も実務者研修も、私たちが背負って生きている関係性や経歴、立場などの全てを下して、生徒さんたちは出会います。そこには年齢も性別もほとんど関係なく、ただ一人の人間同士として出会うのです。だからこそ、クラスメイトに中学2年生がいても、80代の方がいても、いつの間にか何の違和感もなく溶け合っていくのです。これって意外と普通のことではないと思うのは私だけでしょうか。そういう出会いこそが、人生においてとても大切な出来事なのではないでしょうか。それがたとえ一瞬や一時期のものだったとしても、湘南ケアカレッジが誰もがフラットな関係でいられる場所として存在できることを私は誇りに思います。

2020年

12月

05日

介護福祉士「模擬試験・直前対策講座」

 

来年の介護福祉士筆記試験に向けて、令和3年1月12日(火)に「模試試験・直前対策講座」を行います!本試験に近い形で模擬試験を行い、その後、解答・解説を聞くことで、全ての範囲を網羅しながら、実戦形式で学ぶことができます。本番の試験に臨むにあたっての、総復習であり総まとめとしてご受講いただければ幸いです。

以下の方はご受講をお勧めします。

 

最後の仕上げとして、総復習してから本番に臨みたい

⇒ひとりで勉強しているので不安が残る

⇒本番の試験のような形(模試)で力試しをしてみたい

 

⇒当日の緊張感や時間配分に慣れておきたい

 

 

★講座の流れ

 

 

 

 

 

★使用テキスト(模試問題集)

*1月12日(火)当日の朝、配布します。*力試しにならなくなるため、事前に目を通すことがないようにお願いします。

 

★場所、時間帯

湘南ケアカレッジ於 9:30~17:00

 

★受講料

,000円(模擬試験問題集、税込み)

 

★定員 28名

*席に限りがあるため、定員になり次第、締め切らせていただきます。

 

★お申し込み

以下の申し込みフォームに記入の上、送信してください。またはお電話(042-710-8656にて直接お申込みください。

*募集終了しました。

2020年

12月

03日

出会えただけでありがたい

「もしも入居者様が『そよかぜ』ではなく、どこか他の施設を選んでいたら、きっと一生出会うことがなかったでしょう。だから、こうして出会えただけでありがたいと思っています」。介護職員の苫米地(とまべち)さんはそう言います。入居者様の言葉や想いを引き出すように、答えやすい質問を優しく問いかける彼女と、時おり笑顔を浮かべながら思い出ばなしを始める入居者様の姿には、「ありがたい」という言葉に込められた、入居者様を大事に想う気持ちがあふれていました。

 

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2020年

11月

26日

もっと話したい

8月からスタートした日曜日クラスが無事に修了しました。始まった当初は、(現在は3人掛けの机に2人で座ってもらっているため)席が足りなくなってしまうのではとヒヤヒヤしていましたが、何とか最後まで問題なく終えることができました。ケアカレ史上、一番ではないかと思うぐらい通信添削課題の点数が全体的に高く、ほとんど100点満点の生徒さんばかりというレベルの高いクラスでした。お休みされる方も少なく、とても順調に15回の研修が終わりましたが、私は祖母のお葬式で岡山に帰ったり、北海道に出張したりということが重なったこともあり、あっという間に終わってしまったという感じです。もっとゆっくりと話がしたかったなと思う生徒さんばかりでした。

 

そう思えるのは、生徒さんと私たちの距離が縮まってきた証拠なのだと思います。介護職員初任者研修が始まったときはお互いに手探りですが、朝あいさつをしたり、ちょっとした話をしているうちに、少しずつ相手の人となりが分かってきます。それだけでは単なる生徒さんと学校という関係で終わってしまいますが、そこからもう少し先に、相手の今置かれている状況やこれまでの背景、そして考え方や気持ちを聞けるまでになると、そこには人と人の関係が生まれ始めます。もっと相手のことを知りたいと思うようになるのです。

 

それは学校だけではなく、どんな職場でも集まりでもインターネット上でも同じで、自分とは違う他人と接することこそが私たちの本質的な喜びなのだと思います。それがなければ、この世の全てはつまらないものです。湘南ケアカレッジが開校して今年で8年が経とうとしている中、最も大切なものは、生徒さんや先生方との人間的な関係だとはっきり気づきました。どれだけたくさんの生徒さんが来てくれても、誰とも人間的な関係を築くことができていなければ、何の意味もないというか、何も残らないのです。

 

 

「世界観が変わる福祉教育を」を理念に湘南ケアカレッジを開校したように、来てくれた生徒さんたちの世界観が変わるような内容の研修を提供したいと思っていましたが、もしかするとそれ以上に私が大手の介護スクールで働いていて物足りなかったのは、人と人との関係がなかったからだと今は分かります。どれだけ利益を出しても、たくさん教室を出しても、働いている人たちは忙しくなるばかりで、生徒さんや先生方との人間的なやりとりは失われてしまっていたのです。せっかく自分たちの手でやっているのですから、何かが残る学校にしたいと思います。そのためにも、研修が終わったあとに後悔しないように、もっとたくさんの生徒さんとゆっくり話をしようと思います。もちろん卒業してからでも良いので、いつでも遊びに来てくださいね。ランチでもしながらお話ししましょう!

2020年

11月

19日

安心して暮らせる社会を【町田福祉園】

支援スタッフの阿部さんが隣に腰かけ、ご利用者様の目を見て名前を呼ぶと、口元をほころばせながら彼女を見つめて、差し出された彼女の手にその大きな手を添えます。すると今度は、その方は自らの頭を彼女の手に差し出すように首をかがめ、彼女のその手が額に触れるや、目を細め、単なる喜びや嬉しさを超えた気持ちをその顔に表していました。ここは町田市図師町にある「町田福祉園」。障害のある方が暮らす施設サービス(施設入所支援)や、自宅やグループホームなどから日中の活動のために通う通所サービス(生活介護)などを運営しています。正門から木々に囲まれた橋を進むと、正面に2階建ての建物が見えてきます。

 

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2020年

11月

12日

エッセンシャルワーカー

9月短期クラスが無事に修了しました。先生方からは教えやすいという声が上がっていたように、学ぶことに熱心で、積極的なクラスでした。生徒さんが意欲的であると、やはり私たちも教え甲斐もありますし、相乗効果でクラス全体が盛り上がっていきます。そのような雰囲気の中で学ぶと、介護の世界の素晴らしさが伝わりやすくなるのではないでしょうか。介護職員初任者研修を受ける前は、介護の仕事をできるか自信がない、自分に合っているかどうか分からないと不安に感じていた方も、研修が修了する頃には、自分にもできるかもしれない、やってみたいと思えるはずです。それは先生方だけの力だけではなく、生徒さん同士がつくりだした気持ちの集合体です。自分たちの環境や仕事を良くするも悪くするも、結局は自分たち次第ということですね。

生徒さんのひとりに、NHKの契約の仕事をしている生徒さんがいました。NHKの料金支払いの契約をしていない家に赴き、契約をお願いする仕事だそうです。「文句やきつい言葉を言われない日はない」と彼は言います。そもそもNHKを見ていないので料金を支払いたくない(支払わない)と思っている家庭を訪問して、何とか月額2000円以上の料金を徴収する契約を結ばせようとするのですから、露骨に嫌な顔をされたり、抵抗されるのはもちろん、罵詈雑言を浴びるのは日常茶飯事の仕事です。

 

個人的には、NHKのドラマや教育番組はクオリティが高いと思いますが、最近のニュース番組などにおける明らかな偏向報道を目にすると、とても公共放送とは思えませんし、料金を払ってまで見たいとは思えなくなりました。スクランブル放送にして、観たい人は料金を払って観るようにするか、観たい番組だけを課金して観るようにすれば良いと思います。そうすれば、契約させられる人も契約を促す仕事もなくなり、わざわざお互いに嫌な思いをすることもなくなるでしょう。そう、彼はそのような仕事に嫌気が差し、人に感謝される仕事をしたいと思って、介護の世界に来てくれたのです。

 

デヴィッド・グレーバー氏によって提唱された、ブルシットジョブ(bull shit job)という概念があります。直訳すると汚いので(笑)分かりやすく訳すと、「クソどうでも良い仕事」ということになります。完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用形態のことを言います。その仕事をしている本人でさえ、誰の役に立っているのか分からず、やりがいを全く感じられない仕事が近代では増殖しているという指摘です。問題なのは、こうしたブルシットジョブに就いている人たち自身が、無意味でくだらないと思いながらも働き続けざるを得ないということです。

 

ブルシットジョブの反対にあるのが、エッセンシャルワーカーです(イギリスではキーワーカーと呼ばれるそうです)。看護師や介護士、バスの運転手やスーパーやコンビニの店員、ごみ収集員など、誰かがその仕事をしなければ社会が機能しなくなってしまう、いなくなっては困る人たち。正直に言うと、コロナ騒動でエッセンシャルワーカーが表舞台に登場し、感謝され、褒めたたえられた時は何か気持ち悪い気がしました。拍手を送ってくれた彼ら彼女らの気持ちはありがたいのですが、なぜ今になって急に?と考えたとき、今まではエッセンシャルワーカーの仕事になど見向きもせず、感謝の気持ちなどなかったことの裏返しなのではと気付いてしまったからです。穿った見かたをしすぎでしょうか…。

 

いずれにしても、エッセンシャルワーカーの問題は、ブルシットジョブに比べて意外にも賃金が低いということです。なくなっては困る仕事にもかかわらず、なぜか賃金は低く抑えられているというアンバランスです。おそらくこれから少しずつ、この問題は解決していくでしょう。今回のコロナ騒動の影響を受け、世界中からブルシットジョブが急速になくなっていき、エッセンシャルな仕事をする人が増えるはず。

 

 

その流れの中で、今まではブルシットジョブに流れていたお金の流れが変わり、エッセンシャルワーカーはやりがいと感謝の言葉だけではなく、それに見合う対価や報酬も要求するようになるからです。コロナ騒動はブルシットジョブだけではなく、不要不急の名目のもと文化的な仕事も奪い去ってしまいましたが、もしひとつ良かった点があるとすれば、私たちがエッセンシャルな仕事へと回帰しなければなくなったことでしょうか。長い目で見て、それが人々の幸せにつながることを願います。

2020年

11月

05日

一体感を高めていこう

介護職員初任者研修10月短期クラスが終わりました。初日を担当した望月先生が、「こんなに反応の良いクラスは久しぶり」と嬉しそうに語っていたように、最初から学ぼうという雰囲気にあふれている素晴らしいクラスでした。座学が終わって、実技に入っても同様に、決して手を抜くことなく、一つひとつの演習に積極的に取り組んでくれていました。先生方にとってもハッピーな研修だったのではないかと想像します。14日目の実技のテストが終わって、先生方から出た言葉は、「一体感があったよね」でした。クラス全体が、より良い実技になるように頑張ろうという同じ気持ちでひとつになったということです。改めて、ケアカレの原点であり、学校としてあるべき姿を思い出させてくれたクラスでした。

 

湘南ケアカレッジの原点は、やはり一体感にあると思います。生徒さんたちは介護を学ぶことを通して、先生方は教えることを通して、周りの人たちと心をひとつにして楽しむということです。一体感のあるクラスでは、生徒さんたちはお互いに高め合うこともできます。ときにはクラスメイトの頑張りを見て、自分も頑張ろうと思えたり、また自分が上手くできていることがあれば、クラスメイトに教えることで相手も自分もさらに上達します。一体感は良い方向にさえ向けば、自分だけでは決して得られなかった力を得られたり、また相手をより高く引き上げることができるのです。

 

せっかく学ぶのであれば、最高の体験を手にしてもらいたいと願います。ひとりで研修に来て、ひとりで帰って、ひとりで修了するのではなく、いつの間にか皆と仲良くなって、最後は全員で一緒に修了することが大切です。そういう人間らしい研修は一生の思い出になります。たった15日間でも、ただ資格を得るために通って記憶の片隅にも残っていない研修ではなく、楽しかった思い出と共に一生記憶に残る研修の違いは、周りのクラスメイトや先生たちとどれだけ心が通い合ったかにあると思います。気持ちがひとつになる一体感を味わうことができたなら、その研修は成功したといえるのではないでしょうか。

 

 

11月短期クラスの成功から学んだことは、実務者研修も同じように一体感を高めていかなければならないということです。介護職員初任者研修と違ってわずか7日間の研修ではありますが、その短い期間でもできる限りにおいて一体感をつくり上げることが何よりも大切だということです。私の感覚ですが、実務者研修はまだ周りのクラスメイトとのつながりをつくれずに修了してしまう人が少なからずいると思います。授業内容の細かい改善ももちろん必要ですが、鍵となるのは一体感を持って学んでもらうことです。それが欠けていると、どれだけ学びが深くても、楽しくはありませんし、人生の記憶に残してもらえないのです。来年度に向けて、どのようにすればさらに一体感を高めていけるかを先生方と考えていきたいと思います。

2020年

10月

30日

最初が肝心

「最初が肝心」という聞き慣れた言葉があります。あまりにも漠然としすぎて、見渡す限り何も見えない平原で、何をして遊んでもいいよと言われた子どものように戸惑ってしまいます。最初が大切という意味は理解できても、具体的に何をどうすれば良いのか分からないのです。「最初が肝心」を私なりに解釈すると、全体を10割だとすると、最初の2割によって残りの8割も決まってしまうので、最初の2割をどうするかによって全体の10割も大きく変わってしまうということ。それでもまだ分かりにくいので言い換えると、何をするにしても、最初に集中して頑張ってやっておくと全体の結果も良くなり、また最初の部分を見るだけで全体の姿もほぼ見えてくるということです。これは仕事をする上だけではなく、人生を語るときにも当てはまる大切な話だと思います。

 

まず、人間の集中力は無限ではありませんので、最初の部分に集中させると良いです。たとえば、1日のうちでやるべきことがあるとして、そのうちでも重要なことを1日の早い段階(朝とか午前中)にエネルギーを使ってやり切るということです。1日をまんべんなく区切って、エネルギーを均等に分配するのではなく、最初の部分に集中させるということ。それによって勢いがつき、残りの時間も有意義に過ごすことができ、全体としては大きくプラスに働くのです。マイペースという言葉がありますが、得てして均等にエネルギーを使うことを意味しますので、マイペースで生きることは全体としては良く生きることにつながるか疑問です。

 

もう少し長期的な視点で考えてみても、たとえば1年後に10の地点にたどり着こうと思ったら、ほとんどの人は1ヶ月で1ずつ進んでいこうと計画を立てるはずです。そうではなく、最初の3か月で2ずつ進んで、その後は1や0.5ぐらいの感覚でメリハリをつけるべきです。マイペースで計画すると途中で上手く行かなかったり、プランを変更せざるをなくなったりして、10の地点にたどり着けなかったりします。一方、最初に集中して2ずつ進もうとすると、途中の失敗や変更にも対応できる余裕が生まれ、上手く行くと全体として10を超える地点までたどり着けることもあるのです。

 

これが分かってくると、今日は朝から何をしようかと考えるはずです。その日にやるべきことの中で最も重要なことは何かを決めて、それを朝一から集中して取り組むのです。朝はエンジンが掛からないからゆっくり始めようとか、会社に来てから朝ごはんを食べているようではいけません(笑)。あとからゆっくりすれば良いのです。1日中ずっと高い集中力で頑張り続けるのは若い頃でなければ難しいため、ほとんどの人はペース配分の問題として最初に集中すべきだということです。あとから頑張ろうと思って最初にだらだらとしてしまう人は、全体を振り返ってみると、最初から飛ばしていた人には追いつかないのです。これは1日の仕事だけではなく、人生の幸福の問題でもありますね。

 

もうひとつ、最初の部分を見ると全体も見えてくるということもあります。正直に言ってしまうと、最初の時点でダメなものは最後までダメ、全体としても良いものは最初から良いということです。これはパチンコから学んだことです(笑)若かりし頃、パチンコにはまっていた時期があり、その時にある法則を発見したのです。「出る台は最初から出るし、出ない台は最初から出ない」という法則です。もちろん例外もあって、最初だけ出て後から全く出なくなる台もあるし、最初は出ないけれど後から出始める台もありますが、あくまでも例外です。私が何を悟ったかというと、最初の部分を見れば、全体の姿もおおよそ見えてくる。つまり、最後まで待つ必要はなく、最初の部分だけを良く見て判断すればよいのです。これは人間にも、仕事にも職場にも、あらゆる全てのものに当てはまる法則です。

 

 

まとめると、私たちは自分ごととして何かに取り組むときには、最初から一気に集中して頑張ってみると、全体の結果としては良いものが出てくるということ。そして、他のものを判断するときには、最初の部分をしっかりと見極めることが大切だということです。この2つの法則は実はつながっていることに気づいた人は、同じエネルギーでもメリハリをつけて使うことによって、全体としてより良い人生を送ることができると分かるはずです。人生はそんなに簡単ではありませんが、この法則を知って実行できるかどうかで結果が大きく変わることは確かなのです。私がパチンコから学んだ法則を、ぜひ参考にしてみてください。最初が肝心なのです。

2020年

10月

25日

最初から最後まで優しかった

私事ながら、祖母が97歳で亡くなりました。昨年末あたりから、誤嚥性肺炎をきっかけとして調子を崩し、入退院を繰り返してきましたが、10月11日に息を引き取りました。死に目に会うことは叶いませんでしたが、今の状況下でそれは仕方ないことだと納得しつつ、生きていても、たとえ亡くなってしまっても、祖母はいつも私の心の中にいますので、あまり生死の間に大きな隔たりは感じないというのが正直なところです。十年近く前から認知症を患っていたことも関係しているかもしれません。祖母は少しずつできることが少なくなり、少しずつ記憶を失っていったのです。私たちは、長いお別れをしてきたのだと思います。とはいえ、火葬へと送り出す前に最後のお別れをしたとき、いつも病床の祖母にそうしていたように、頬に手を当ててみると冷たくなっていて、その時ばかりはさすがに涙が出てしまいました。今までありがとう、という感謝の涙でした。

 

祖母は私をたー坊と呼んで可愛がってくれました。物心がついて、岡山の田舎に帰省する頃には、そこにはいつもひいばあちゃんとおじいちゃん、そしておばあちゃんがいました。ひいばあちゃんは1日中寝ていることが多く、小さかった私の世話を焼いてくれるのは主におばあちゃんでした。年末年始やお盆休みといった短い期間しか帰らないからかもしれませんが、田舎にいる間はずっと大切にされた記憶しかありません。東京に戻るときはいつも、ひいばあちゃんも、おばあちゃんも泣いて別れを惜しんでくれました。幼ごころに、また次の休みになったら来るから泣くほどじゃないでしょ、と思っていましたが、曾祖母と祖母にとっては、もしかしたらこれが最後の別れになるかもといつも思っていたのだと今は分かります。

 

私が祖母との関係の中で最も覚えているのは、大学に入ってからのことです。ひとり暮らしを始めた私は、両親からは十分な仕送りをしてもらっていたのにもかかわらず、なぜか月末になるといくばくかのお金が足りなくなりました。ガス代や電気代などが思っているよりも高かったり、思わぬ出費をしてしまったり、まあ私がしっかりしていないからなのですが、単発の力仕事を入れたりしつつも、お金をどうしようと思い悩む日々でした。そんな折、タイミング良く届く、祖母からの荷物の一番下には必ず1万円札が1枚入っていました。