2019年

5月

24日

「誰もがチャレンジできる社会を目指して」

ケアカレナイトにおいて、乙武洋匡さんの講演が行われました。100名を超える卒業生さんたちや福祉関係者の皆さまにお集まりいただき、乙武さんが控え室に入った頃にはすでに会場は熱気に包まれていました。割れんばかりの拍手の中、乙武さんは登壇し、このような時間帯にもかかわらず、たくさんの方々が集まってくださったことに感謝の意を述べつつ、今回の講演のテーマであるチャレンジすることについて語り始めました。小学校の先生の思い出から義足プロジェクトについてまで、自分にできることをできる限りやることの大切さを教えてくれました。個人的には、質疑応答で3名の方の質問に応じてくださったのですが、その深い受け答えには、乙武さんが乙武さんであり続けるゆえんが込められていた気がしました。

私の心に残ったことを記しておくと、ひとつは「ユニーク」であること。日本では「あの人はユニークだね」と言うと、ともするとマイナスの意味も含まれていることが多々あります。一方、海外ではユニークは「唯一」という意味であり、最高の褒め言葉になります。私たちはそれぞれがユニークさを必ず持っているはずです。たとえば、乙武さんは自分の考えていることやビジョンなどを言葉にして伝えることを得意としており、それを生かして自分のユニークさを表現していくことができます。決して上手でなければならないという訳ではなく、中身がユニークであることが重要なのです。ユニークさを突き詰めていくと、自分にできることをできる限りやるしかない、と心が決まるはずです。

 

 

それから、「お互いさま」ということ。社会の役に立ちたいと思っても、障害のある自分に何ができるのか不安でしかないという質問に対し、その気持ちは良く分かるけど、自分だけで何かをするのではなく、いろいろな人に助けてもらった方が良いとアドバイスしてくれました。実は健常者であってもできないことやダメな面はたくさんあって、お互いが許したり助け合ったりして生きています。たとえば忘れ物が多い人は誰かに貸してもらったり、時間にルーズで遅刻しがちな人は時間にキッカリしている人に許されて生きている。誰にでも凸凹なところがあって、凹に凸が合わさってひとつの形になるように、自分の凹に凸を合わせてもらったり、自分の凸を誰かの凹に合わせるようにすればよいのです。

もうひとつは、誰かの手を借りることが前提になる社会であるべきということ。「皆さんに今、赤ちゃんがいて、ベビーカーを押して目的地まで行きたいのですが、最寄りの駅にはエレベーターがありません。隣の駅にはエレベーターがあります。皆さんならどうしますか?」と乙武さんから全員に質問が投げかけられました。

 

A、それでも最寄りの駅から乗る

B、エレベーターがある隣の駅までベビーカーを押して行ってから乗る

 

手を挙げてもらったところ、Aに挙げた方は全体の11%ぐらい。対して、Bに挙げたのは残りの89%ぐらいでした。私も隣の駅にエレベーターがあるのが分かっているならば、少し遠回りをしてでも隣の駅まで押していくかなと思いました。その結果を受け、乙武さんは「日本では大体そのような結果になるのですが、海外では比率が逆になります。つまり、Aのそれでも最寄りの駅から乗ると答える人が9割ぐらいいるのです」と切り返されました。一瞬、何を言っているのかと疑問に感じましたが、「そう、エレベーターがなくても、誰かが助けてくれたら乗れるのです」と言われたとき、ハッと気づかされました。

 

インフラが整備されていなくても、人の手を借りることで障害が障害でなくなることがたくさんあるのです。もちろん、ハード面の充実は大切なことですが、日本に本当の意味で足りていないのはソフト、つまり、困っている人がいたら率先して手を差し伸べるという意識なのではないかと思いました。それはお互いさまであり、自分が困ったときには誰かに助けてもらえば良いのです。そうすることで、もっと自分のユニークさを出して生きていくことができ、誰もが安心してチャレンジできる社会になるのではないでしょうか。

 

 

最後に、わざわざ町田まで夜お越しいただいた乙武さんやスタッフの皆さま、ケアカレナイトに参加してくださった卒業生、関係者の皆さま、受付まで手伝っていただいた先生方、本当にありがとうございました。そして、最後まで司会を務めてくれた影山さん、お疲れさまでした。7年目を迎えるケアカレの、ひとつの集大成としてのイベントに相応しい集まりになったと思います。これからもケアカレは自分たちにできることをできる限り行い、自ら先頭に立って、さらなるチャレンジを続けていくことを誓います。

 

乙武さんは講演が終わってからも、サインや記念撮影会を開いてくださり、ひとり一人と直接話をしてくれました。忙しい中、ケアカレナイトに来てくださっただけではなく、ここまで対応してくださったことに心から感謝します。

2019年

5月

20日

世界が広がる

湘南ケアカレッジの100期生でもある4月短期クラスが無事に修了しました。平成に始まり令和に終わるという、時代をまたいだ珍しいクラスでもあります。男女問わず様々な年代の生徒さんたちが集まり、そこに4月から介護の世界に入ってきてくれた新卒の生徒さんが加わり、ケラケラと笑い声の絶えない、活気のある雰囲気でした。実は研修が始まる前に、新卒の生徒さんたちを依頼してくださった訪問介護事業所の方から、「自分の事業所の仲間だけではなく、他の生徒さんたちとも関わりを持って学んでもらいたい。そうすることで彼ら彼女たちの世界が広がると思うから」という旨の希望を聞きました。私は「そうなると良いですね。研修の内容だけではなく、先生や周りのクラスメイトとの関わりも大切な学びになると思います」とお答えしました。

介護職員初任者研修の素晴らしさは、研修の内容だけではなく、共に学ぶクラスメイトとの関係性にもあります。他の講座や研修、たとえばネイル講座であれば、20代から30代の女性がほとんどを占め、あまり多様性のないクラスメイトになるはずです。しかし、介護職員初任者研修は10代から80代までの自分とは違う年代や性別の人たち、さらに言うと、全く違う背景や経歴、考え方、生き方の人たちと一緒に、ゼロから学んでいくことになります。大切なのは、違いを知ることだけではなく、それでも共通する何かがあることを知ることです。同じことに共感できたり、同じような優しい心を持っていたり、同じ方向を目指していたりする、多様性のある仲間を見つけることです。

 

私が昔、ホームヘルパー2級を受けたときも、クラスメイトと仲良くなって、その後しばらく一緒に遊んだりした記憶があります。ひとりは息子さんがバンドをやっていて、近く深夜の番組の主題歌に採用されたと喜んでいた4050代の女性、ひとりは子どもが生まれたばかりで育児をしているという30代の男性、そして花や盆栽の仕入れを自営業として行っている20代の女性など。私は学校の社員ということもあり、あまり深入りすることがためらわれたのと、今のようにLINEのような連絡ツールが普及していなかったこともあり、少しずつ疎遠になってしまいましたが、とても貴重な関わりでした。

 

 

介護について学びに来る人たちは、皆良い人たちばかりで、個人的にも波長が合って好きという感覚は、クラスメイトたちとの交流を通して得たものでもあると思います。もし最初の介護職員初任者研修で残念な体験をしてしまったとすれば、介護の世界に対してネガティブなイメージを抱いてしまっていたかもしれません。そうならなかったのは幸運ですし、それぐらいに介護職員初任者研修で出会う先生やクラスメイトの存在は影響力があるのです。自分とは全く異なる背景や経歴、考え方、生き方の仲間たちと一緒にひと時を過ごしたことで、彼ら彼女たちの世界は間違いなく広がったはずですし、介護の世界のことが好きになってくれたのではないかと勝手に想像しています。

 

100期生の皆さまから、100にちなんだ百人一首と日めくりカレンダーをいただきました。百人一首を並べてみると、「湘南ケアカレッジさん、楽しい時間をありがとう」と書いてあり、日めくりカレンダーには1日ごとに卒業生さんからのメッセージが入っていました。100期生を超えて、色紙、ボード、エプロンに続く、新しいタイプの誕生ですね(笑)。ありがとうございました!

2019年

5月

15日

できない自分を受け入れて、できる人はなぜできるのか考える

仕事探しをサポートする流れで、生徒さんの研修中は知らなかった一面に出会い驚いたり、ここにたどり着くまでの波乱万丈ないきさつに若輩者は息をのんだり、教えていただくことがたくさんあります。そして、つながる先の施設・事業所の担当者さんとも取材や見学を重ねて少しずつお互いを知り、考え方や想いを聞かせてもらえることが私の仕事をする上でのひとつの楽しみになっています。

 

近しい人にいくら注意され、素直に反省できないことも、それぞれの施設や事業所を盛り上げ、率い、最前線で働く人の助言はバイアスのない言葉としてまっすぐに届き、行いを振り返り冷静に顧みるきっかけを与えてもらえます。

 

とある介護施設の施設長さんが教えてくれた知恵は、私の背筋をピンと伸ばし、目の前のモヤを晴らす手がかりになりました。それが、「できない自分を受け入れて、できる人はなぜできるのか考える」という、ものの考え方です。もう知っている人からしたら、なんだそんなことかと思うことかもしれませんが、これができないがばかりに悩んでいる人は少なくないと思うのです。

 

続きは→【介護仕事百景にて】

2019年

5月

10日

介護の仕事以外にも役に立つ

3年前の日曜日クラスの卒業生さんが、フラッと教室に立ち寄ってくださいました。やり投げをしている娘さんを応援しに、大会の会場まで行って来たその帰りだそうです。以前にも中央林間の駅でたまたますれ違ったことがあり、その時、私が声を掛けたことで、「覚えていてくれてありがとうございました」と葉書までいただいていた卒業生さんでした。今はまだ介護の仕事をしているわけではなく、実はリサイクルショップで働いていると申し訳なさそうに彼女は話してくれましたが、「でも今の仕事にも、ケアカレの初任者研修で学んだことはとても役立っています」と語ってくれました。そうです、介護の仕事に就いていなくてもいいんです。介護の仕事をする、しないにかかわらず、介護職員初任者研修は誰もがより良く生きていくために学ぶべき内容になっているのです。

 

ちょうど阿波加先生のコミュニケーションの授業を少し見学してもらった後だったからかもしれませんが、「たとえば、コミュニケーションの授業で勉強した傾聴や共感といった、相手の話を聞き、相手が何を言おうとしているのかを知ることが大切だと学びました。これは特にクレーム対応に役立っています」と教えてくれました。

 

まずは謝って、それから怒っている相手の話をよく聞き、決して話をかぶせたり、相手を否定することなく、言わんとしていることを推し測って、ゆっくりとはっきりした言葉を返すこと。認知症の方への接し方と共通する点が多いように、つまりは人とのコミュニケーションの原点がそこにあるのでしょう。そこがずれてしまうと、相手の感情を逆なでしてしまったり、余計に怒らせてしまって収拾がつかなくなるのです。

 

上はあくまでも一例ですが、人が生きて死んでいくことについて、介護職員初任者研修では学ぶことができます。これはずっと言ってきていることですが、介護職員初任者研修は介護の仕事をする前に必ず学んでおかなければならないのはもちろん、介護の仕事をしない、介護に直接たずさわらない人であっても学んでおくべき内容ばかりです。

 

 

本当のことを言うと、これからの時代は誰もが介護を避けて通ることはできないので、老若男女問わず、日本に生きている全員が介護職員初任者研修を受けるべきだと思います。我田引水かもしれませんが、介護や福祉を義務教育に組み込めないのであれば、なおさらある程度の年齢に達した人は学ぶ仕組みにするべきです。全ての成人が介護職員初任者研修を学んでいる国は、世界に誇る優しい福祉国家になるのではないでしょうか。

2019年

5月

05日

描きたい、が止まらない。

ケアカレナイトのネタにならないかとも思い、かねてより興味のあった障害者アートやアール・ブリュットについても学びたく、映画館シネマチュプキ・タバタで開催された「絵を描くワークショップ」に参加してきました。イベントの大まかな内容としては、障害者アートや絵と表現についてのお話しがあり、その後、とにかく絵を描いてみようということです。まさにケアカレナイトでこのようなことができたら面白いなと想像していた内容に近く、ぜひ先立って学ばせてもらおうと思ったのです。大きな白い紙に絵を描くなんて、おそらく小学生以来の体験でしたが、意外にも戸惑いは少なく、描き始めると没頭してしまう自分がいることに気がつきました。そして、何かに没頭することで得られる心の解放があることを知ったのでした。

ご存じない方のために説明しておくと、アール・ブリュットとはアウトサイダー・アートのことで、正規の伝統的な美術教育を受けていない人が制作したアート作品のこと。「生の芸術」とも呼ばれています。アウトサイダーという響きが良くないため、アール・ブリュットを使うことが増えてきているようですが、個人的にはアウトサイダー・アートという言葉も好きですね。正規の教育を受けていないからこそ自由な表現ができるということです。他の学問やスポーツ、ビジネスなどに比べても、型にはまらないことに価値があるアートだからこそ、アール・ブリュットが今注目されてきつつあるのだと思います。

 

 

前置きはこのあたりにして、絵を描くワークショップでは、大きな1枚の白い紙を渡されて、好きな動物の写真を選んで、紙一面に描きましょうというシンプルな説明のあとスタートしました。利き手とは違う手で描く、余白を残さない、動物の色を決めつけないというルールです。私はホッキョクグマの写真を手に取りました。ホッキョクグマを白くする必要はないのですが、私は逆にホッキョクグマの白さを際立たせたいと思い、持参した白いクレヨンを左手に握りながら描き始めました。

輪郭を描き、つぶらな瞳と可愛らしさが集約されている口と鼻は黒のクレヨンを使いました。背景は緑に塗りつぶし、ここでやめておけば良かったのかもしれませんが、ホッキョクグマを白だけに塗った罪悪感もあり、たぎる血潮が身体の内側からにじみ出てきている様子を表現しようとオレンジを入れました。タイトルは「燃える心」。

各自が描き終えた頃合いを見計らって、講師による品評会が行われました。周りの参加者たちの絵を見渡すと、上手なものばかりで、とても私と同じ時間で描かれたとは思えませんでした。参加者の中には、小さな子どもから視覚障害のある方、ダウン症の子もいて、それぞれがそれぞれの表現で目を引く作品を描いていたことが驚きでした。そこにはほとんど優劣はなく、講師の講評も参加者からの感想もポジティブなものばかりで、相田みつをさんではありませんが、みんな違ってみんないいという世界がありました。

何よりも自分で描き上げた達成感を誰もが抱いて、誇らしげでした。誰にとっても絵を描くことや何かを作るために没頭することが、与えられた枠の中から自分を解放することにつながるのだと、身をもって体験した瞬間でした。その後、映画「描きたい、が止まらない」を観て、生きることとアートの密接な関係について考えつつ、帰途に就きました。

ちなみに、こちらは映画「描きたい、が止まらない」に出演されている古久保さんの作品です。すごく細かい!

2019年

4月

30日

自分には見えていない世界がある

今年は例年以上にお菓子の山ができました。介護福祉士の試験に合格した方、介護職員初任者研修がとても楽しくて感動した方、働きやすい介護の仕事を丁寧に紹介してもらって感謝している方など、多くの卒業生さんたちが教室に足を運んでくれて、先生方やスタッフの皆さまに食べてほしいと御礼のお菓子を持ってきてくれたのです。今年もありがとうの気持ちに包まれて嬉しく思いますし、先生方や影山さんには感謝します。令和の時代になっても、人にありがとうと言ってもらえる仕事をしていきたいと願います。

 

ところで、先月、介護福祉士の合格の報告をしに、初任者研修で同じクラスだった卒業生さん2人が遊びに来てくれました。私を含めて3人でランチをしたとき、「備品はギリギリになってから補充するタイプ?それとも少しでも足りなくなっていたら補充するタイプ?」という話で盛り上がりました。

 

ひとりの卒業生さんは、少しでも使われているのに気づいたら補充するタイプで、もうひとりの卒業生さんは全てなくなってしまうギリギリまで待ってから一気に補充するタイプ。「最近はタイプが違うからと思うようにしている」と前者の卒業生さんはあきらめたような顔で語り、「でも結局、僕ばかりが補充しているのですよね」と笑っていました。備品の補充に関して以外にも、他の職員の働きぶりを見て、もっと仕事しようよと思うことも多いそうです。

 

そんな話をしながら、私は家庭の中における犬の排泄の後始末のことを思い起こしました。うちの犬(トイプードル)は綺麗好きなのか、おしっこマットが少しでも汚れていると別の場所(床や柱)にしてしまうので、おしっこマットが汚れているのを見たらすぐに交換しなければ大変なことになってしまいます。私は家に帰るとまず、2か所あるおしっこマットの点検をするのが習慣になっています。ただ単純にそこが気になるのですが、うちの妻は全くノータッチです。最初は、それぐらいはあなたがやりなさいというメッセージだと思っていましたし、同じように床の掃除機がけも私の役割だと思っていました。

 

ところが昨年末、オーストラリアから1週間ぶりに自宅に戻ってきたとき、私は驚きました。私が家を出たときと全く変わらない状態で、おしっこマットは替えられていないようで、そこには凄惨な光景が広がっていたのです。このとき気がついたのは、これは私に役割として与えられているとかそういうことではなくて、妻には床やおしっこマットの汚れが目に入っていないのだということ。そして、私はたまたまそこに目が行くのだということです。

 

おそらく私の何十倍も家のことを見ている妻でも見えないところがあるということは、妻から見れば、私は恐ろしく何も見えていないと映っているはずです。私は自分が見えている世界だけで、妻の見えていない部分が気になっていたのですが、逆から見れば、私に見えていない世界はたくさんあるのでしょう。見えないのだから、見えていないことにも気づきようがないのですが、見えていない世界があることだけでも知っておくべきだと思いました。

 

 

自分には見えているけど相手には見えていない世界があるということは、相手には見えているけれど自分には見えていない世界があるということでもあります。それは仕事においても、日常生活においても、私たちが生きていくこの世界のどこにでも存在する真理です。私たちはまずそのことを知ることからスタートして、できる限り自分の視野を広げることに力を尽くし、それでも自分には見えていない世界があるということを謙虚に受け止めるべきなのでしょう。そうすれば、偉そうになることもなく、むしろ自分が他者によって生かされていることに感謝することができるかもしれません。

2019年

4月

25日

こうしてあげたい

先月の短期クラスの生徒さんが、授業後に私を教室の外に呼び出して、こう言いました。

 

「ここの授業を聞いて、本当に良かったと思っている。今、施設で働き始めていて、利用者さんにこうしてあげたいと思うことばかりなんだ」

 

授業の中で何か気に障るようなことがあったのかとヒヤヒヤしたのですが(笑)、その眼差しがあまりにも真剣で、彼は心からそう思って頑張っているのだということがヒシヒシと伝わってきました。こうしてあげたいという気持ちは、この仕事を続けていく上での原点だと思います。もちろん、その気持ちが余計なお世話になってしまったり、利用者の自立支援を妨げるようなことがあれば良くありませんが、相手の立場や気持ちを考えた上で、こうすると喜んでもらえるだろう、安心するだろう、快適だろうと考えること以上に大切なことはないと思うのです。

 

その生徒さんは高齢の男性で、第二の人生における仕事として介護を選んだそうです。とはいえ、この業界では何も知らない新人であり、まずは単純で地味な仕事をこなしつつ、孫のような先輩の下で夜勤までしているとのこと。最初は言われたようにやってみてはいましたが、次第にこの方法ややり方で良いのかと疑問が湧き始め、ちょうどそのタイミングで湘南ケアカレッジに来てくれました。先生方の授業を聞いてゆくにつれ、自分が現場で悶々と抱いていた疑問は少しずつ晴れていき、それまでは「こうしてあげた方がもっと良いのではないか」と思うだけであったのが、「こうしてあげたい」と思うようになったそうです。

 

まだ現場ではペーペーであり、先輩のやり方や現場の考え方に口をはさむことは難しいのですが、自分ができることは少しずつ変えていき、ゆくゆくは「そこはこうした方が良い」と教えてあげたいと思っているそうです。「私がいつか施設長になったときには、うちの職員は全員、ケアカレに研修を受けに行かせますよ」と意気込んでいました(笑)。その気持ちはありがたく受け取らせていただき、あとはその時が来るまで、彼が今の気持ちを失うことなく介護の仕事を続けてくれることを願うのみです。

 

「こうしてあげたい」という気持ちが尊いのは、そこに他者があるからです。藤田先生が介護職員初任者研修の授業の最後に、「介護」と「業務」の違いを話してくれるのですが、その間にある違いとは、つまり「相手のことを考えてする仕事」か「自分のための仕事」かです。つい私たちは仕事に慣れてくると、自分のための仕事をし始めますが、特に介護や福祉に携わる人たちに求められるのは、どうすれば相手にとって良いのかというマインドであり視点であり思考過程なのだと思います。そこから始まらないと、自分の「業務」をしてばかりで、本当の「介護」をすることはできないのです。

2019年

4月

20日

乙武洋匡さんの「義足プロジェクト」を支援しよう!

「義足プロジェクト」について初めて知ったのは、乙武洋匡さんの話を聞きにWeekly Ochiai(落合陽一さんの番組)の収録に参加したときでした。乙武さんとは同世代にもかかわらず、生でお目にかかったのは初めて。番組がスタートする前、出演者や制作スタッフさんたちだけではなく、観覧席にいる人たちにも、「よろしくお願いします!」としっかりと挨拶をされている姿が印象的でした。「義足プロジェクト」は、乙武さんが最新のテクノロジーを駆使した義足で歩いてみせることで、義足をあきらめてしまっていた人たちが、再びチャレンジしてみようと思ってもらえたら、という想いからスタートしました。

 

そもそも乙武さんは生まれたときから車椅子で生活をされており、義足を付けなくても不便はほとんどありません。実際に収録でその姿を見たとき、車椅子から出演者用の椅子に乗り移るのも、マーカーを首と腕で挟むようにして渡されたボードに文字を書くもの、一挙手一投足が私にとっては目新しく、感心させられるものであり、しかし乙武さんにとっては日常生活の中の当たり前の動作なのだろうなと思ったりしました。つまり、乙武さん自身にとっては、わざわざ義足で歩く必要はないのです。

 

しかも両手両足が欠損している乙武さんにとって、義足で歩くことは極めて難しいのです。両足の膝(から下)がないことによって、義足を着けて歩くことが極めて難しくなり、両手がないことはバランスを取ることを困難にします。乙武さんにとって、これだけの高さの義足を着けて歩くことは、手足を縛られて竹馬に乗っているようなものです。小さい頃に竹馬が得意ではなかった私にとって、この年になって、手足を縛られた状態で竹馬に乗るなんて考えただけでゾッとします(笑)。

 

そこまでして乙武さんが義足プロジェクトにチャレンジするのはなぜなのでしょうか?

 

もちろんご自身のプレゼンテーションであり、仕事の一環でもあると思います。しかし、本質的なところは、社会の役に立ちたい、人のためになりたいという強い気持ちなのではないでしょうか。数年前、社会の役に立ちたいと願い、政治の世界に踏み出そうとした矢先にご自身の問題で挫折を味わうことになったのは周知のところですが、彼の想いはぶれていないと私は思います。

 

普段は障害があることを感じさせない乙武さんも、これまでたくさん乗り越えてきた障害があり、それは自分の努力だけではなく、両親や周りの人々、そして社会に支えられて生きてきたという実感は誰よりも強いはずです。だからこそ、グリーンバードという街をきれいにするNPOを立ち上げたり、小学校教員として教壇に立ってみたり、誰かのために活動を続けてきたのです。決して富や名声のためではない選択ばかり。今回の義足プロジェクトも、自分が歩けるようになりたいということではなく、自分が先頭に立ってチャレンジすることで社会を少しでも変えていきたいということです。あきらめることなくチャレンジする人が増え、また義足の進化にも期待ができるはずです。

義足プロジェクトの練習風景等の動画はこちら

 

ぜひ乙武さんに会いに来てください。彼を「障害者」というカテゴリーに収めておくのがおかしいように、「あの悪さをした人でしょ」というラベル張りをしてしまうのももったいないです。お子さんを連れてきて、このようなチャレンジをしている大人がいることを知ってもらってください。利用者さんとご一緒に来て、こんな気持ちで障害を乗り越えてきた男がいることを励みにしてください。

 

5月23日(木)の18時30分~、JR町田駅徒歩1分の文化交流センターです。乙武さんがケアカレに来てくれるなんて二度とない最後の機会なので、ぜひお越しください!

 

ケアカレナイトの講演「誰もが挑戦できる社会を目指して」の詳細はこちら

2019年

4月

17日

おめでとうございます!

先月末、介護福祉士の合格祝賀会が行われました。最初は数名で静かにスタートしましたが、仕事帰りに来てくれる卒業生さんが次第に増え始め、19時を超える頃には20名以上になり、例年以上の大盛り上がりになりました。介護福祉士筆記対策講座は今年で3年目になりますが、少しずつ祝賀会に来てくれる人たちも増えているのを実感します。14時の合格発表以降は電話が鳴りやまず、「合格しました!」、「ありがとうございました」という声が次々に届きました。たくさんの笑顔とありがとうの気持ちが溢れる、素晴らしい1日でした。

 

祝賀会で合格した卒業生さんたちと話していて、仕事をしながら勉強をするのは大変だと改めて思いました。もちろん仕事だけではなく、家庭のことやその他もろもろ、私たちの日常はやるべきことで埋め尽くされています。その中に試験勉強を入れるだけでも相当な気合がいりますし、それに加えて年末年始はさまざまなトラブルやアクシデントが起こるのですから、困難でないわけはありません。学生時代に試験勉強するのとは違うのです。だからこそ学生のときにはしっかりと学んでおくべきだと思いますし、大人になってから学ぶのはひと苦労なのは当然で、だからこそ学び甲斐もあるのです。

 

「今まで取った資格の中でいちばん嬉しいです」と言った卒業生さんがいました。限りある時間の中で一生懸命に勉強をしたからこそ、そう感じたのでしょう。何をどう苦労されたのかは想像するしかありませんが、それを乗り越えたからこその喜びです。正直に言うと、介護福祉士の筆記試験は合格率が70%を超えるため、ある程度、勉強すれば合格できます。若い人であれば、表面上だけ勉強してコツを掴めば受かるかもしれません。でも、それで良いとは思いません。せっかく試験を受けるのであれば、しっかりと勉強して、その過程をも味わってから合格してもらいたいのです。湘南ケアカレッジの筆記試験対策講座が5日間もあって、宿題もたくさん出るのはそういう理由です。

 

私が子どもたちを教えていたときも、少し不器用でもどかしいぐらいの生徒さんの方が長い目で見ると成績が伸びました。何となく出来てしまったり、のらりくらりとかわしながら来てしまった生徒さんは、ある時点で伸びが止まります。表面的にしか理解していないため、深く考えることができないからです。そういう生徒さんを見るたびに、器用であったり、世渡りが上手かったりすることは、長い目でみると自分のためにならないのかもしれないとさえ思いました。介護福祉士の試験も同じですね。大切なのは結果ではなく過程というのは、まさに介護福祉士の試験にこそ当てはまるのではないでしょうか。

 

 

しっかりと学んで、合格された皆さま、おめでとうございます!

2019年

4月

11日

「道草」

ケアカレナイトに来てくれた卒業生さんから紹介されて、田端にあるミニシアター「シネマチュブキ」まで観に行ってきました。その日は、宍戸大裕監督のトークショーもあり、満員御礼。登場人物のひとりでもある岡部亮佑さんのお父さんから、「息子のことも淡々と撮ってくれないか?」という問いかけをきっかけとしてスタートした映画だけに、重度の知的障害者の自立(ひとり暮らし)の風景が実に淡々と描かれていました。決して重々しくならず、かといってポップなだけでは終わらず、強く主張をするでもない、観る私たちに問いかけるような映画です。ぜひ一人でも多くの方々に観て、知って、感じてもらいたいと思います。

 

映画の冒頭は、リョースケが介護者と一緒に散歩をするシーンから始まります。あちこちのマンホールを踏みながら歩いてみたり、枯れたタンポポを手に取ってフーっと息を吹きかけてみたり、公園に行ってはブランコを思いっきり漕いでみたり、私たちも小さい頃にそうしたはずの懐かしい風景や時間が広がっています。鳥や木々たちも優しく見守っています。

 

冷凍の焼きおにぎりを2つ食べることを巡ってのリョースケと介護者との間の交渉劇や、ヒロムが石神井公園を散歩する中で「タァー!」と大声を上げてしまうことを鎮めようとする介護者との掛け合いは、脚本があるのかと思わせる絶妙の間合いで繰り広げられるコントのようです。

 

私たちがいつの間にか忘れてしまった、この世界の風景や時間の流れがそこにあるのです。過剰な効率が求められ、プライバシー化され、他者に対しての鋭利なほどの厳しさによって、自分で自分の首を絞めてしまっている私たちの社会とは対極にある世界です。

 

そうはいっても、ほのぼのとした、心安らかな時間ばかりではありません。彼らが他者と交流して、社会の中で生きていくためには、多くのストレスや苦悩は避けて通れません。それは家族や周りの人々、そして介護者も同じです。かつてはリョースケも「冬の日本海(荒れない日はない)」と言われていたほどですし、ヒロムは上手く表現できないことがあると他害自傷を繰り返していたそうです。私たちが映画のワンシーンとして見ることができるのは一部なのです。

 

個人的には、登場人物のひとりであるユウイチロウが気になりました。彼は青梅の入所施設で過ごしていた頃から、他害行為が始まり、薬物投与も重なって入院することになりました。何かに怯えるようになり、自立生活を試みている今も不安定な状態は続き、自分で自分を抑えることができなくなり、ドアを力づくで開け閉めして大きな音を立てたり、部屋の壁を殴って穴を開けたりして大暴れしてしまいます。

 

 

彼の姿を見ていると、自分の心にも通ずるところがあるのです。私は何とか自分で感情を抑えたり、表現することでコントロールしたりすることができますが(できないこともあります)、彼には難しいときがあるのです。表面化してしまうかどうかは、一本の線というか、本当に一枚の薄い皮によって守られているかどうかの違いでしかありません。同じことは、彼らに理解を示さない人たちにも当てはまります。あなたと彼らはそれほどに違いますか。私から見ると、あなたも私も彼らもほとんど同じですよ。

「道草」の公式HPはこちら

シネマチュブキタバタにて4月25日まで公開中です!

2019年

4月

07日

感謝という大きなギフト

湘南ケアカレッジで働き始めて、3度目の春が近づいてきました。介護仕事百景を通して、介護の仕事を始める方も少しずつ増えてくる季節です。仕事探し中の生徒さんと一緒に施設を見学に行くと、卒業生の元気に働いている姿を見かけて、ほっと胸をなでおろします。綺麗なことばかりではなく、今は大変なことの方がむしろ大きく感じているかもしれません。それでも踏ん張って、続けてくれていることをひたすら有難いと思えます。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

 

 

2019年

4月

04日

長くつながる

介護職員初任者研修の3月短期クラス、そして12月日曜日クラスがほぼ同時に終わりました。2つのクラスが重なって修了するこの時期は、いつも寂しい思いがします。専門学校や塾であれば、少なくても半年から長くて数年を共に過ごすことになりますが、初任者研修は15日間、実務者研修に至ってはたった7日間という短さです。この短い期間では、生徒さんと学校、先生の間に密接な関係は作りにくいため、ほとんどの介護の学校において生徒さんは右から左へと入って出て行くものだと割り切っているのが現状です。私はそれがつまらないと感じて、湘南ケアカレッジはできる限りのことをして生徒さんたちと学校、先生とのつながりを作りたいと思ってやってきました。そうこうしているうちに、いよいよ4月短期クラスで100期生を迎えます。

 

私が生徒さんたちと学校、先生のつながりを作りたいと思ったのは、生徒さんたちも先生方も、介護の学校にたずさわってくれる人は誰もが良い人だからです。良い人というのは、大ざっぱすぎるかもしれませんが、つまり人間として魅力的であったり、面白かったり、一緒にいて楽しいと感じる人ということです。たとえ介護の資格を取るために学びに来る学校とはいえ、せっかくそのような良い人々が集まるのですから、そのままあっさりと帰してしまうのはもったいない。少しでもその人のことを知りたいし、私たちが知らないことを教えてもらいたいし、仲良くなりたいのです。そのような人間関係こそが、生徒さんにとっても、先生方にとっても、学校にとっても、最大の喜びになるからです。

 

「これまで鉛筆を持ったことがなかったけど、生まれて初めてこうして勉強してみて、楽しかった。先生って嫌いだったけど、ここの先生は全員好き」と言ってくれた生徒さんがいました。また、「今施設で働き始めていて、僕だったらもっとこうしてあげたいという気持ちがたくさんあるのです」と授業後にこっそりと教えてくれた生徒さんもいました。平日の短期クラスに通う、おそらく50年ほどの年齢の開きがある2人が、先生方の話を一生懸命に聞いてくれて、それぞれに想いを私たちに伝えてくれたことが嬉しく思えました。生徒さんがただ教室に来て授業を聞いて、先生方が一方的に教えるだけの関係からは、生まれにくい会話だと思います。私たちが生徒、先生という関係から、人間同士としての関係になる瞬間です。

 

 

日曜日クラスはとてもクラスメイト同士のつながりも強かったです。研修が終わった最終日の打ち上げにも、たくさんの生徒さんたちが参加して、私も顔を出させていただきました。女性陣は早めからつながり始めている中、男性陣があまり前に出ないタイプのクラスでしたが、嶋田先生が勝手に幹事を任命したりして焚き付けてくれたところあたりから、男性陣も急速に前に出て仲良くなって行った気がします。最終的にはとてもまとまりがあり、素敵な方々ばかりのクラスになりました。締めの言葉として、「長くつながっていってもらえると嬉しいです」と話させていただきましたが、この先も長くつながっていきそうなクラスだなと感じます。ひとつだけ言い忘れたことがありまして、長くつながっていってもらうためには、幹事を持ち回りにした方が良いということです。長くつながっているクラスはそのようにしていますので、ぜひ参考にしてください!

上の3月短期クラスは立体的なメッセージボード、そして、この12月日曜クラスは、な、なんと透明なメッセージボードでした。どちらも今までにない、斬新なメッセージボードですね。ありがとうございました!

2019年

3月

30日

できない人を責めるよりも、できた人を褒めよう

先日、全身性障害者ガイドヘルパー養成研修が行われました。今年の春は1回のみの開催ということもあり、たくさんの方々が参加してくださいました。卒業生さんたちだけではなく、埼玉や小笠原諸島の母島からなど、初めてケアカレに来てくれた方も多く、実にフレンドリーで有機的なつながりのあるクラスになりました。心配された雨も全く降ることなく、まるで私たちが研修で外に出る時間だけを避けてくれたようでした。週中は90%の雨予報だったのに、皆さまの普段の行いが本当に良かったのでしょうね(笑)。「楽しかったです!」と言いながら帰って行かれる方が多く、私たちも自然と笑顔で見送らせていただきました。

 

今回の全身性障害者ガイドヘルパー養成研修はたった1日の研修であるにもかかわらず、ここまで誰もが楽しく学べて、仲良くなってもらえたのはなぜでしょうか。それは卒業生さんたちがほとんどであり、最初から距離感が近いということが第一に挙げられます。先生と生徒さん、または生徒さん同士が信頼し合っているということです。その雰囲気がスタートから教室に充満していて、ケアカレに来てくれたのが初めての生徒さんも何となく、リラックスして授業を受けて良いのだと感じたはずです。そんな空気はつくろうと思ってつくれるものではなく、またつくろうと思わなければ決してつくれないものです。

 

話は少し変わりますが、私は子どもたちの教育にたずさわっていた経験から、先生次第で教室の雰囲気は変わることを学びました。先生が発する言葉や態度を受けて、生徒さん一人ひとりの感じる空気が、教室全体の雰囲気をつくります。たとえ同じメンバーのクラスでも、先生が違うと全く異なる雰囲気になるのは、生徒さんは先生の合わせ鏡であるということを意味します。そして、それは先生の人柄というよりも、先生が生徒さんにどのようなアクションをするかということに大きく影響されるのです。

 

その1つとして、「できない生徒を責めるよりも、頑張った生徒を褒める」というシンプルな仕組みというかルールがあります。分かりやすく言うと、たとえば宿題を忘れて来た生徒を責めることには意味がなくて、宿題をやってきた生徒を褒めるということに時間を使うということです。しっかり座れていない生徒を注意するのであれば、その分、きちんと座れている生徒を認めることに意識を傾けることです。簡単なようですが、ほとんどの先生はこれができません。どうしてもできないことに目が行ってしまうからです。先生の意識ができないことに行くと、生徒さんの意識もそうなります。そこに信頼が生まれることはありませんし、良い雰囲気が生じることはありません。できていることを褒め、できている人を認めるだけで、生徒さんの意識は変わり、教室の空気は一変し、学校の雰囲気も良くなるのです。

 

 

☆全身性障害者ガイドヘルパー養成研修は、今秋10月と12月に開催予定です。しばらくお待ちください! 

2019年

3月

25日

また会いたい

ケアカレナイトは、卒業生さんたちが再びケアカレに来て学び、つながれる場にしたいと考えて開催しました。ケアカレナイトでばったりクラスメイトに再会することもありますし、また同じ施設で働いている卒業生とばったり会うこともあります(互いにケアカレの卒業生であることを知らずに働いていたそうです)。それぞれが違うクラスであっても、卒業生さん同士がケアカレナイトを通して顔見知りになり、仲良くなってもらえるとこれ以上の喜びはありません。そこにゲストスピーカーやスポンサーとして来ていただく施設や事業所の方々も混じるのですから、楽しくないわけがありません。

「私たちは23期生です。もう98期生まで来たんですね!おつかれさまです」と言ってくださった卒業生さんがいました。彼女たちはもう4年以上前に卒業し、それぞれ介護の現場で働いて介護福祉士になりました。ひとりは新しい職場で頑張っていて、ひとりは社会福祉士を目指して勉強を始めるそうです。あのときは右も左も分からずに一から学んでいた生徒さんが、介護の仕事を続けていてくれて、大きく成長していたことが素直に嬉しいです。

 

たまたま隣に座った卒業生さんが、隣近所に住んでいて、近くの施設で働いているということもありました。それぞれがゆっくり話す時間やきっかけがあったからこそ分かったことであり、縁やつながりというものはそのようにして生まれていくのだと思いました。「また会いたいですね」とおっしゃってくれたように、普段の仕事や日常にはない、新しい出会いや邂逅(かいこう)がケアカレナイトにはあるのです。

 

私たちがつながっていくためには、たった一度きりではなく、やはり何回も顔を合わせることが重要です。会ったその日から仲良くなれるなんてことは稀であり、最初はお互いの名前や存在を知り、別れる程度にしかつながれないはずです。介護職員初任者研修でも15日間をかけて、少しずつ仲良くなっていくのですから、たった1日、しかも一夜でつながりが生まれるのは難しいかもしれません。だからこそ、何度もケアカレナイトに足を運んでもらい、「この前はどうも」、「また会いましたね」ということを繰り返して、少しずつそれぞれのことを知って、仲良くなってもらえれば良いのです。

 

 

それはスポンサーとして参加してくださる施設・事業所の方々も同じです。同じ介護の世界で働く仲間として、それぞれの立場の壁を超えて、フラットな関係を築いていくためには、やはり何度も顔を合わせていくことが必要になるのではないでしょうか。つながる場をつくるとき、私たちはつい一回で素敵な出会いがあることを期待してしまいますが、実際はそうではなく、時間と回数をかけてつながってゆくのですね。つながりは質(互いのことを知る機会やきっかけ)×量(回数)という方程式を頭に入れながら、ケアカレナイトが誰にとってもより良き場となれるようにしていきますので、これからも参加をお待ちしております!

 

*3月末には、5月、6月、7月のケアカレナイトの内容を発表しますので、首を長くしてお待ちくださいね。

2019年

3月

22日

「脳科学者の母が、認知症になる」

介護・福祉に携わる者としてこういう問いには、「そうじゃないよ。記憶を失っても、その人らしさはなくならないよ」と、答えをもってきました。けれどもお恥ずかしい話、その理由を理論的に説明することはできず、どこかポジショントーク的な宙に浮いた答えだったと思います。介護の現場で働く中で、認知症の方の不可解な言動や行動に驚き、迷い苦労することもありましたが、それはほんの一端にすぎず、落ち込んだ時にもらったふとした優しい言葉に慰められたり、ご家族との思い出を幸せそうに語る姿にふれることで「失うことばかりではなく、できることもある」と感覚的に判断していました。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2019年

3月

18日

アンケートには全てが詰まっている

2月短期クラスがアッという間に修了してしまいました。どちらかというと静かに始まって、静かに終わったクラスでしたが、研修の途中から飲みに行ったりと、一人ひとりのクラスメイトのつながりは強かったのではないかと感じました。その証拠として、最終日にはそれぞれのメッセージ入りの名札が付けられたエプロンを贈ってくださいました。目に見えたり、分かりやすく表に出てくる表現だけが全てではなく、人知れず喜んでいたり、楽しんでいたりすることもあるのです。ちなみに、このエプロンや名札等は全て100円ショップで揃えたそうです。キティちゃんの人形つき鉛筆も添えられていて、望月先生がとても嬉しそうにしていました。

 

最終日に書いていただいたアンケートにも、好意的な感想が添えられていました。「介護に対する見方が180度変わりました」と書いてくれた生徒さんもいて(たまに360度変わったと言う人がいて、1周回って同じ見方かよと突っ込むことがあります笑)、私が初日のオリエンテーション冒頭で話したことを覚えてくれていたことに感動しつつ、湘南ケアカレッジの想いが伝わって良かったと安心します。その他、「白紙に戻った気持ちで今後は仕事に活かしたい」、「クラスや先生方の雰囲気もとても良くて楽しく通わせていただいた」など、アンケートを読むと、この生徒さんはこのようなことを思って(考えて)いたのかと気づかされます。

 

アンケートは介護職員初任者研修全体の評価であり、先生一人ひとりにとってのフィードバックです。良い感想は素直に受け取りつつ、自分たちのしていることは間違っていないのだと確認できますし、さらに良くして行こうと思えます。悪いフィードバックがあったとしても、素直に受け入れて認めつつ、次は改善して行こうと気持ちを新たにできます。

 

私が塾の先生をしていたときは、毎回アンケートは楽しみにしつつ、反面、怖い気持ちもありました。良かれと思っていることも、生徒さんにとっては悪いと映ってしまっていることもあるかもしれないからです。他者(特に実際のお客さんやサービスの受け手側)にどう受け止められているかを知るアンケートは、客観的に自分のサービスを見る機会です。良い先生ほど、一生懸命に自分のアンケート(評価)を読んでいたことを覚えています。

 

アンケートには全てが詰まっている。たくさんのアンケートで評価をされてきた私の経験上、そう断言することができます。「授業が真面目すぎて面白くない」、「復習をもう少しやってほしい」など、先生の人となりから教え方まで、子どもはストレートに書くので傷つくこともありますが、ほとんどの場合、的確な意見であることが多いのです。大人は遠慮して言ってくれないことまで教えてくれます(笑)。

 

 

それに比べて、大人のアンケートはオブラートに包まれているため、その行間というか、裏にある思いを読み取る必要があります。「〇〇は良かったけれど、××はこうした方が良いかなと思いました」と書いてあるとすると、××の方が伝えたかったことである場合が多いのです。サラッと書かれているからこそ、そこをサラッと読み流してしまうか、それともなぜこう書いてくれたのだろうと思いを寄せるかで先生としての幅が違ってきます。石がぶつかりながら磨かれていくように、私たちも生徒さんからの声や評価を一身に受けながら、先生としてだけではなく、人としても磨かれていくのです。

2019年

3月

14日

「認知症」って何ですか?

「認知症をめぐる今の問題の多くは、病気そのものが原因ではなく、人災のように感じています」という言葉から、樋口直美先生の講座はスタートしました。卵のたとえを使って、多様なストレスによって周りの殻が割れ、暴言や暴力などBPSDという形で感情が白味のようにあふれ出て、それでもその人らしさという黄味は残っている。周りの人たちには卵を持つかのように優しく接してもらいたいし、たとえ割れてしまったとしても、あふれ出した白味ではなく、その人らしさという黄味の部分を見てもらいたいと樋口先生は語ります。頭では分かっていることですが、当事者から生の声で言ってもらうと、心に響くものがありました。やはり当事者の言葉は強いですね。

 

認知症は病気ではなく、複数の認知障害があるために社会生活に支障をきたすようになった状態のこと。原因疾患としては、アルツハイマー型認知症や樋口先生自身が当事者でもあるレビー小体型認知症、脳血管性認知症などがあります。昔は認知症の症状がかなり進行してから発覚することが多かったのですが、最近はかなり早期から周りが気づくようになったこともあり、本人と周囲の理解や工夫により、今までの生活を続けられる可能性は高いと樋口先生はおっしゃいます。

 

そもそも認知症の有病率(病気にかかっている率)は、年齢と共に上がっていき、90を超えて100歳に近づくにつれて、80%に近い人々が認知症になります。年齢を重ねると肉体が衰えて、動かなくなっていくように、脳の認知機能も衰えて、上手く働かなくなっていくのは当然なのです。自分は認知症にならないと思っている人も多いのですが、長く生きれば自然と誰もが認知症になるのです。

 

そうした当たり前の摂理に立った上で、抗認知症薬の効果や使用について、樋口先生は自身の経験も踏まえて疑問を投げかけるのです。実は抗認知症薬は進行を遅らせる薬ではなく、40人に1人にしか高い効果を示しません。フランスでは2018年にすでに抗認知症薬は保険の対象から外れています。樋口先生自身には抗認知症薬が効果を示しましたが、残りの39人にとってはせん妄等の副作用しかないとも言えるのです。使ってみて効果がなければ薬をやめる、副作用が大きくても薬をやめるのが正しい選択ですね。

 

講演後半のレビー小体病の当事者ならではの話には迫力がありました。幻視の話(はっきりと見えるので、どれが本物でどれが幻視か分からない)や料理の話(段取りが難しかったり時間の感覚がバラバラであったり、嗅覚が失われてしまっていることなど)は笑い話を交えながらも、実際にあった経験を当事者の口で語るからこそ、うなずきと新しい感覚の発見の連続でした。卒業生さんたちも身を乗り出して聞いていました。

 

 

最後に樋口先生は、認知症があっても大丈夫というメッセージを投げかけてくれました。「私は壊れていくのかな?」と利用者さんから聞かれて困っているという卒業生の質問に対して、「『壊れませんよ。安心してください』と言ってあげてください」と断言された樋口先生は、言葉が適切かどうか分かりませんが、とても格好良かったです。当事者が人の前に立って大丈夫だというメッセージを送り続けることで、たくさんの人たちが救われて、これからも救われていくのだと思います。そんなひとつの機会をつくれたことを誇りに思います。

2019年

3月

09日

やりたいと思えることをやる

私の誕生日にふと読みたくなって、「チーズはどこに消えた?」という本を読みました。このままで良いのだろうかと何となく考えていたところに、この本の中にヒントがある気がして、書店で手に取ったのです。2000年に発行されてからずっと売れ続けている本ですが、今まで読んだことがありませんでした。一読してみて、なるほど、私だけではなく、人々の不安はここにあるのだなと思いました。つまり、今の生活や人生には満足しているけれど、自分だけ変化の波に取り残されてしまうのではないだろうかという根源的な不安です。

 

主人公はネズミのスニッフとスカリーの2匹と小人のヘムとホーの2人。幸せのチーズを誰もが手に入れるところから物語はスタートします。チーズを追い求めてようやく手に入れる成功物語ではなく、幸せのチーズはすぐに見つかります。しかし、ある日、突然チーズは目の前から姿を消してしまうのです!

 

その出来事を受けて、ネズミのスニッフとスカリーはすぐに新しいチーズを探しに飛び出しますが、小人のヘムとホーはなぜチーズが消えてしまったのかと悩んだり、チーズは消えておらずどこかにあるのではないかと現状を否定してみたりします。そのうちホーは現実を受け入れ始め、自分たちも新しいチーズを探しに行かなければならないことを悟ります。それでもヘムは拒み続け、ホーはひとりで旅に出ることになります。

 

 

新しいチーズを探す旅の中で、ホーが学んだことは、

この物語をどう解釈するかはそれぞれですが、大事なことは、変化は必ず起きるものであり、それを楽しもうということです。今のものや古いものを捨てて、常に新しいものを探さなければいけないという強迫観念ではなく、変化を受け入れつつ、古い考え方や常識にとらわれずに、新しい関係性や見かたに自ら進んで素早く対応しようということですね。つまり、外に出て行って全く違うことを探すことも必要かもしれませんし、今あるものをもう一度見つめなおし、新たにつくりかえていくことも大切なのだと思います。

 

 

それでは、新しいチーズをどのようにして探すのかというと、やりたいと思えることをやるということなのだと思います。やるべきことを探すことでも、やりたいことを見つけることでもなく、やりたいと心から思えることがあるのなら、それを素早くやり始めることなのではないでしょうか。無理に新しいことを始める必要もなければ、新しい関係や考え方などをつくることもありません。しかし、変化は必ず訪れるものだから、常に今あるものを観察していつつ、前に進む意欲を忘れないということです。そう考えると、44歳になった今年はどんな変化を起こせるのか楽しみになりました。

 

先生方から誕生日プレゼントをいただきました!いつも素晴らしい授業をして、素敵な学校を一緒につくってくださって、ありがとうございます。

2019年

3月

06日

ラの音を奏でる【友愛荘】

「私は信州の生まれだから」

「さすが田多井さん。お肌の艶がいいですね」

「またそんなこと言って。お兄ちゃんはかっこいいね」

「園長さんもほら、こっちへどうぞ」

田多井さんがそっと腰を右にずらし、施設長の藤田さんを丁寧に手招きします。

廊下のソファーは介護職員の瀬尾さん、田多井さん、そして施設長の藤田さんも加わりにぎわいを増しました。少し離れてカメラを構えると、それぞれの声が奏でるドレミファソラシドの「ラ」の音階の音が重なり、明るいハーモニーに聞こえてきます。

 

故日野原重明先生の言葉を記したかるたに、こんな1節があります。

ラ音は心地よし、ラ音で伝わる、幸せの心その解説は、こう続きます。

 

楽しい時に出るハミングは、決まって「ラ」で始まります。挨拶や会話も、努めて「ラ」音で行えば、幸せの心が伝わります

 

続きは→【介護仕事百景】のホームページにて

2019年

3月

03日

大満足度100%!

ボディメカニクス講座がスタートしました。湘南ケアカレッジが6年前に開校して以来、ボディメカニクスをもっと学びたいという声は多くあり、誰もが満足して、介護の現場にも活かしてもらえるように、しっかりと学べる研修をつくりたいとずっと考えていました。遅ればせながらも、ボディメカニクス講座としてようやく開催することができ、まさに念願がひとつ叶った気持ちで一杯です。小野寺先生が介護職員初任者研修の中で培ってきた、ボディメカニクスの授業のノウハウや情熱が全て込められた、素晴らしい講座になったと思います。3級が終わり、アンケートを取らせてもらったところ、ななんと、初めての研修だったにもかかわらず、大満足度が100%(全員がとても良かった)という最高の結果でした!

 

ボディメカニクス講座は3級、2級、1級と分かれていて、段階的に学んでいただく仕組みになっています。分かりやすく言うと、3級は基礎・基本であり、2級は応用・実践です。湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修を受けた卒業生であっても、もう一度、ボディメカニクスの基本のキから教えさせていただき、思い出してもらいます。介護職員初任者研修では1時間半ぐらいでザッと終わりになるボディメカニクスの基本を、6時間かけてみっちりと教えさせてもらいます。何度も練習できますし、ひとつ一つの原則をしっかりと説明し理解してもらいますので、満足度も高まるのではないでしょうか。

 

授業のほとんどは身体を動かして学ぶ実技演習になります。3階の事務所にも歓声が聞こえてくる盛り上がりで、教室に見学に行ってみると、皆さん楽しそうにボディメカニクスを使って練習していました。「あっという間に終わってしまった」という声が多く、本当に6時間があっという間に感じられるぐらい、小野寺劇場を楽しんでもらえたのだと思います。最後は2級の予告編というべきところまで少し踏み込んでいて、次回へと楽しみをつなげるのも小野寺先生さすがですね。3級だけを申し込んだ生徒さんも、2級を受けてみたいとアンケートに書いてくれていました。

 

3級、2級ときて、1級はいつどのような内容をするのかと疑問を持つ方もいると思いますので、現時点で分かっていることを簡単に説明しておくと、1級はボディメカニクスを指導、伝道してもらえるようになるための講座です。来年ぐらいに、2日間ぐらいかけて、少数精鋭で行いたいと予定しています。私たちの力だけでは足りませんので、ボディメカニクスを広めてくださる方々を養成していきたいです。こちらもぜひ楽しみにしておいてください。

 

追伸

 

講座のレポートをしておきながら、実は6月までの講座が全て満席になってしまっています。8月開催のクラスであればまだ空きがありますので、気を長く待てる方は先に席を取っておいてください。どうぞよろしくお願いします。

2019年

2月

28日

「どもる体」

「目の見えない人は世界をどう見ているのか」を書いた伊藤亜綾さんの近著「どもる体」の講演を聞きに、新宿のカルチャーセンターに行ってきました。前著と違い、「どもる体」はやや難解で、読み進めていくのを躊躇していたところだったので、著者に生の声で教えてもらえる機会はまさに渡りに船でした。吃音から身体の時間論までを論じるという難解なテーマであるにもかかわらず、一つひとつの分かりやすい事例や断片を積み重ねていくことで、少しずつ深く、かつ分かりやすく展開していく素晴らしい内容でした。ぜひいつか、ケアカレナイトにも来ていただきたいと願います。

 

実は私も以前から吃音(どもり)に興味を持っていました。かつて別の学校で働いていたとき、電話でどうしても言えないフレーズがありました。「お電話ありがとうございます。○○○の村山です」という、一見なんてことのない二文が、ある日、私の口から上手く出て来なくなったのです。最初は言葉に詰まる程度でしたが、何度かそのような場面が続くと、電話を取る度にまた詰まるのではないかと不安になります。

 

電話が鳴ると、頭の中でフレーズを練習してから出るようにしてみても、それでも詰まってしまいます。そのようなことを繰り返しているうちに、ますます言葉が出にくくなり、次第に詰まるというよりは最初の言葉が出てこない、つまり電話に出ても、ひと言も話せなくなってしまうようになりました。

 

このときの自分の感覚を描写するとすれば、頭と身体が一致しないという表現が適切でしょうか。頭ではグルグルと言葉が回っているにもかかわらず、それが言葉となって出てこない。身体が反応しないので、言葉がどこかでせき止められたかのようになってしまう。死ぬほど苦しいほどではありませんが、もどかしいというべきか、とても情けない気持ちになります。

 

なぜこのようなことが起こるのか、その当時は分かりませんでしたが、あとから振り返って分析してみると、3つの要因が思い浮かびました。ひとつはリズムと構音上の問題です。他の言葉は普通に口から出てくるのに、「お電話ありがとうございます。○○○の村山です」というフレーズに詰まってしまうのは、ただ単純に私にとって言いにくいのです。最初の“お”から始まって、“ありがとう”のあたりが特に口が回らないのです。

 

2つ目は、心理的なプレッシャーです。言いにくいとはいえ、普通の状況では言える以上、リズムや構音上の問題だけではありません。電話がかかってきて、そのとき対峙する他者に向けて初めて発する言葉がスムーズに出るかどうかという不安があると、余計に口が回らなくなるのです。脳の半分ぐらいの機能が、上手く言わなければならないことに稼働されてしまい、メモリが少なくなっている状態で電話に出るので余計にフリーズしてしまう。三島由紀夫の「金閣寺」的に言うと、鍵が開かないという感覚です。

 

3つ目は、深層心理における抵抗です。どこの企業にも電話応対マニュアルがあると思いますが、私はそのような決められたものを反復することが好きではないようです。そして、働いているその学校や仕事に対しての心理的な抵抗もあったのかもしれません。本当はこんなことしたくないのに、こんなやり方は嫌いなのになど、無意識であっても、社会がこうあるべきという姿に引っ張られていることに対する抵抗です。2つ目と3つ目の要因については、吃音が社会的な障害だと言われる理由が良く分かりますね。

 

伊藤亜綾さんの講演は、ここから先、身体の時間論へとジャンプします。私たちの身体の中には、「リスク管理できる体」と「予測できない自然としての体」が共存しています。「リスク管理できる体」は、たとえば出勤時間や締め切りなどの決められた時間から逆算して今を生きるための体です。制度や予測、連続というものに縛られている、逆算の時間です。対して、「予測できない自然としての体」とは、ベクトルが常に今から未来へと向かっていて、自由であり触発であり、不連続であり、体の生理に合わせた、足し算の時間です。現代の人たちはほとんどを逆算の時間の中で生きていて、伊藤亜綾さんはその逆算の時間の中に足し算の時間があることについて研究を進めたいと語ります。認知症の方の「話が飛ぶ」という具体例を挙げての解説は秀逸でした。

 

 

その話を聞いたときに思い出したのは、星野道夫さんの「もうひとつの時間」であり、○○○さんの「○○○の時間」でした。星野道夫さんは、私たちが慌ただしく日常を過ごしている今、同じ時間に、アラスカの海ではクジラがジャンプしていることを知っていることが大切だと語り、○○さんは物事について深く考えるためには切れ間のない時間が私たちに必要だと説きました。私も両者の考え方には深く共感します。そのような足し算の時間は、私たちの人生を彩る上で大切な時間であるにもかかわらず、現代ではますます贅沢な時間になってきているのです。それでも私たちは、自分たちの意志を持って、逆算の時間だけを生きない、逆算の時間の中に足し算の時間を入れ込んでいくことができるはずです。

2019年

2月

25日

アンガーマネジメント講座が終わりました

ケアカレナイトの第1回は、藤田先生によるアンガーマネジメント講座でした。ケアカレナイトの記念すべき最初の講座を決めるにあたって、藤田先生にお願いすることに迷いはありませんでしたが、その内容にはありました。こういうこともああゆうことも教えたいと藤田先生から提案されている中から、どの内容が初回に相応しいのか、迷いに迷ったのです。その結果、藤田先生がかねてより熱望していたアンガーマネジメント講座に決めたのですが、正直に言って、介護の世界においてアンガーマネジメントはまだ知られていないのではと考えていたのです。ところが、いざ募集を開始してみると、「アンガーマネジメントを学びたかった」という声が殺到しました。藤田先生の人気もあったと思いますが、アンガーマネジメントにも大きな需要があり、すぐに追加講座を開くことができました。

 

参加しそびれてしまった方のために、講座の内容をコンパクトにお伝えすると、まずアンガーマネジメントとは、「怒る必要のあることには上手に怒り、怒る必要のないことは怒らないようになる」ことです。そうすることで、怒ったあとで自分が後悔することがなくなり、また他人を傷つけたり、物を壊したりすることなく怒りを表現できるようになります。怒りとは、誰にでも備わっている感情であり、身を守るための生存本能です。そして、アンガーマネジメントのポイントとなるのは、怒りは第2次感情であることを知っておくことです。

 

第2次感情とは、第1次感情があってその次に湧きあがってくる感情と考えてもらうと分かりやすいかもしれません。いきなり最初に怒りという感情が芽生えるのではなく、その前に悔しいとか悲しい、つらい、苦しい、せつないという第1次感情があるのです。怒りという第2次感情ばかりに注目してしまうと、なぜ怒っている人は怒っているのかを見落としてしまうことになります。怒っているから怒っているのではなく、その内側には別の感情があるからこそ怒っているのです。その第1次感情を想像してみることが、アンガーマネジメントの第1歩になります。

 

たとえば、自分が怒りの感情を覚えたとき、怒りという表面的な感情ではなく、自らの1次感情を探ってみることです。なぜ私は怒っているのか、その原因となっている感情は何か?それができるようになると、怒っている他人の第1次感情にも目を向けられるようになります。そうすることで怒っている他者への理解は深まり、共感しやすくなるはずです。「なんで怒っているのですか?」ではなく、「つらいですよね」という声掛けに変わるかもしれません。

 

自分の思考のコントロールをすることも大切です。それぞれの人には、自分なりの「べき」があり、それが狭すぎると、自分の「べき」の中に当てはまらない全ての人やことに怒りの感情を抱いてしまいます。怒る必要のないことを怒らないようにするためには、自分の「べき」の範囲を広げていくべきです。それは他者理解にもつながりますし、自分の「べき」と相手の「べき」は異なることを学ぶことになるのです。

 

 

個人的に今回新しく勉強になったなと思うのは、アンガーマネジメントにおける自分や他者の第一感情を探る(想像する)ことは、私たちが良く言われる「共感的理解」ということにかなり近いということです。相手に共感して理解すると言葉で言うのは簡単ですが、実際にどうすれば共感的理解なのかと疑問に思う方も多いはずです。そのひとつの答えや手法が、相手の第一感情を探る(想像する)ということなのではないでしょうか。なぜあのような言動を取ってしまうのか、その本質を理解するためには、他者がどのような事実の元にどのような一次感情を抱いたのかを考えるべきなのです。そのためには、まず自分の一次感情を見つめなおし、知っておくべきなのだと思います。藤田先生、参加者それぞれが自分と向き合って、内省するような授業をしてくださって、ありがとうございます!

2019年

2月

21日

助けられ合い音楽祭

れる、られる。学生時代に文法の授業で勉強したことを覚えている方も多いのではないでしょうか。そう、受け身の意味をつくる助動詞です。助けるという言葉の後につけると、助けられる、つまり助けてもらうという受け身の意味になります。最近は、助け合いとか支え合いという言葉をよく聞きますが、助けられ合いというキーワードで活動している「られPJ(プロジェクト)」という活動があります。助け合う社会ではなく、助けられ合う社会です。よく考えてみると、助け合うことも簡単ではありませんが、それ以上に、助けられ合うことは難しいのかもしれませんね。

 

助け合うためには、自らが主体となって助けなければなりません。助けを求めている(ように思える)人を見つけて、助けなければ始まりません。それでも、助けるべき相手さえいれば、助けることでひとまずは成立しますので、スタートしやすい反面、助けなければならないと肩に力が入ってしまいがちです。

 

それに対して、助けられ合うためには、まずは自分が助けられる存在であることを知らなければいけません。自分の弱みを見つめるということでもあり、実は自分はいつも誰かに助けてもらって生かしてもらえていると認識することから始めなければならないのです。これは簡単なようで簡単ではありません。相手のできないを発見することはできても、自分のできないを知ることは案外難しいのです。

 

しかし、いったん自分の弱みやできないことを知ることさえできれば、あとは助けてもらうだけです。さあ助けてくださいと依頼し、肩の力を抜いて、相手に身をゆだねるだけです。上手く助けられようなんていう想いは全く必要なく、感謝の気持ちを忘れずに、助けられるだけで良いのです。どうでしょう、助けられ合い、できそうですか?

 

 

助けられ合いプロジェクトの一環として、4月1日(月)に八王子のオリンパスホールにて音楽祭が開催されます。様々なバックグラウンドやジャンル、スタイルを持つ音楽家が集まって、観客と共に楽しみながら演奏する音楽祭です。実は、私の知り合いの田中直樹さんも楽曲を提供し、出演もされるみたいで楽しみです。音楽が好きでご都合の合う方は、ぜひ参加してみてください!

 

☆助けられあい音楽祭の公式HPはこちら

☆注目記事「られあう時代へ。豊かでピースフルなアクションが始まる」はこちら

2019年

2月

17日

許し合う社会を

ピアスなどの服装や校則違反をした生徒を注意したところ、生徒から暴言を吐かれ、カッとなった先生が生徒を殴ったという、町田総合高校のニュースが世間をにぎわせました。長い間、教育業界で育ててもらった私にとっては、どちらか一方を断罪するのではなく、なぜあのような事件が起こったのか、そこまでの経緯が知りたいと思ってしまいます。ピアスのようなどうでも良いことのために、先生や生徒たちの未来が閉ざされてしまったことの背景には、お互いのことを認め合えず、許し合えない学校や社会の空気があったのではないかと想像するのです。

 

私が大手の介護スクールにいた30歳ぐらいまでの頃は、他人に対しても厳しい人間だったと思います。ここで言う厳しいとは、伝えるべきことを伝えるという意味ではなく、相手の事情を考慮することなく、自分の基準を押し付けるということです。上司や部下や受講生(大手の介護スクールではそう呼びます)に対しても厳しい見方をしていました。今思い返すと、顔から火が出るぐらい恥ずかしく、それは昭和という時代の中で学校教育や部活動、受験勉強などによって培われた思想でした。厳しさを求められた周りの人たちは、さぞかし息苦しかったことでしょう。

 

ひとつの考え方の転機となったのは、大手の介護スクールから転職した塾で一人ひとりの生徒さんたちと正面から向き合った5年間でした。私が担当していた個別指導塾は、どちらかというと勉強が嫌いな、やんちゃな生徒が多い塾でした。現場は行儀や素行の悪さが満載で、日々、どこまで厳しく叱るべきかどこまで許すべきかの判断の連続でした。

 

そのような一つひとつの経験や判断を通し、厳しくするよりも、厳しくしなかったケースの方が、結果的に上手く行くことが多いということを生徒さんたちから教えてもらいました。別の言い方をすると、許さなかったときよりも許した方が成果は出やすい、見逃さなかったよりも見逃してあげた方が長い目で見るとプラスに働きやすいということです。

 

たとえば、子どもが遅刻をしたり、宿題を忘れたとき、問い詰めたり、取りに帰らせたり、叱ったりすることにほとんど効果はありませんでした。その場では先生の体面も保たれますし、子どもたちも表面上は従うのですが、子どもたちの心に禍根を残してしまいます。その禍根を取り除くのは容易ではなく、閉ざされてしまった心の扉を開けることはなかなか難しかったりします。私は厳しくしてしまったことで、何度も失敗をしました。失敗した子どもたちのことは今でも覚えています。

 

その逆に、許して良かった、見逃しておいて正解だったと思うことは多々ありました。甘やかしてしまったかなとその場では反省したこともありますが、長い時間を経てみると、あのとき許しておいて良かったと胸をなで下ろすことがほとんどでした。

 

なぜかというと、 私たちが(相手のためにも)厳しくしようと感じたとき、ほとんどの場合においては、自分のこうあるべきという枠の中で考えているからです。良かれと思っていても、あとから振り返ってみると、自分のべきの範囲が小さかったことに気づくのです(このべきの範囲についてはケアカレナイトのアンガーマネジメント講座にて藤田先生がお話ししてくれます)。厳しく叱るのは、誰かを傷つけてしまうことや命や身体に危険が及ぶときだけで良いのです。

 

マイナス視点で見られたことで、生徒さんも先生をマイナスの目で見るようになります。許してもらえなかったことで、自分も相手を許せなくなるのが人間です。これは子どもたちだけではなく、他人と接するときにも当てはまるのではと思いました。人間はミスをしますし、忘れるし、遅れるし、間違うこともある。ひとつの現象や状況だけで、相手の非を責めるのは恐ろしいことです。許さない社会は許されない社会と同じですね。

 

 

先生という職業をしていると、どうしてもその場で厳しくしなくては(その方が相手のためになるなど)と勘違いしてしまうのですが、そうすることで結局のところ上手く行かなくなってしまうことの方が多かったのです。それならば、生徒さんを褒めたり、認めたりした方が、長い目で見ると効果的なのです。生徒さんに何かを教える立場にある私たちは率先して、自分のべきを拡げ、微力ながらも湘南ケアカレッジを通して、認め合える、許し合える社会をつくっていかなければならないのだと思います。

2019年

2月

13日

多様性とは?

年明けからスタートした1月短期クラスが、あっという間に終わってしまいました。もうこのクラスで97期生になりますので、私も含めて先生方も一歩ずつ積み上げて、高い山に登って来たなという実感があります。100期生までのカウントダウンも始まりましたね。今回のクラスは、最初のオリエンテーションでの挨拶から、ポジティヴな反応が返ってくる、元気で前向きな生徒さんたちでした。そして、一人ひとりのクラスメイトがそれぞれ個性的で実に多様性のあるクラスだったと思います。どのクラスでも皆さん個性的で、多様性があると思うのですが、今回は特にその気持ちを強く抱きました(笑)。

 

最近言われる「多様性」とは、一体何であり、どのように定義し、解釈していけばよいのでしょうか。企業における多様性というと、女性や障害のある人などが挙がり、社会における多様性というと、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル、トランスジェンダー)や人種などが挙がりますが、そのような目に見えやすい違いだけが多様性ではないと思うのです。むしろ目に見えない多様性にこそ、私たちは目を向けていかなければならないですし、それこそが本当の多様性を大切にする姿勢のはずです。

 

大前提としては、多様性が生きるためには、そこに集まっている人たちが同じ方向を向いている必要があります。それぞれがバラバラの目的を持っていると、お互いの違いはマイナスにしかならず、話し合いにもなりません。たとえば、湘南ケアカレッジの先生方は、それぞれが凸凹の個性を持っていますが、生徒さんたちに最高の福祉教育を提供したいという想いを共有しているからこそ、その凸凹が見事にかみ合って、良き多様性を生みだします。また今回のクラスメイトさんたちも、介護・福祉について積極的に学びたいという気持ちがあるからこそ、それぞれの違いが全体としては明るい方向に向かうのでしょう。

 

それでは、目に見えない多様性とは何かというと、それぞれの考え方や強みの違いのことです。肌の色が違ったり、性別や年齢が異なることも多様性のひとつではありますが、それ以上に大切なのは、お互いの考え方や強みの違いを認めて、受け入れて、生かしていくことを考えると、本物の多様性が生まれてくるのではないでしょうか。それは社会でも企業でも必要なことですが、特に介護・福祉の現場では重要な視点となります。相手と自分は違う考え方や文化を持っていることを前提として接し、さらにそこから相手の強みを見出し、引き出して支援することが多様性を生み出す鍵となるのです。違いを面白がることでもあり、本当の多様性の中においてこそ、相手だけではなく自分も生きるのだと思います。

 

 

研修の最後に、皆さんからメッセージボードをいただきました。ケアカレカラーのオレンジ色の枠で、とても可愛いですね。この作品ひとつをとってみても、一人ひとりの個性が生き、研修全体が楽しかったと誰もが感じてくれたことが伝わってきます。ありがとうございました。またいつでも遊びに来てください!

2019年

2月

06日

良きリーダーシップは良きフォロワーシップから

ケアカレナイトが始まりました。ケアカレナイトは、卒業生さんから言われた、あるひと言がきっかけとなっています。その方はケアカレで行っている全ての研修に参加して学び、晴れて介護福祉士に合格しましたが、合格祝賀会で「これで終わりになってしまうのは寂しい。この先もケアカレに来て学べる機会があると嬉しいです」とおっしゃってくれました。その言葉を聞いて、全ての研修を受け終えた後も、介護福祉士に合格した後でも、卒業生さんたちがケアカレに戻って来て、学ぶ機会を作りたいと思いました。教室の空いている夜の時間帯に開催し、介護・福祉について学ぶだけではなく、集まってくれた人々がつながっていく場所になれば嬉しいなと、実はもうかれこれ2年ほど前から考えていたのです。

 

せっかく来ていただくからには、素晴らしい集まりにしたいですし、1回きりで終わってしまうのではなく続けていかなければいけません。いろいろな面を考慮すると実現は難しいなと思っていたところ、ケアカレにゆかりのある施設・事業所様がスポンサーとしてサポートしてくださることでようやく実現する運びとなりました。今回の講座がこれだけの受講料で受けられるのも、懇親会で美味しい軽食が食べられるのも、協賛施設・事業所が支えてくれるおかげです。この場を借りて御礼を申し上げます。ありがとうございます。

 

スポンサーとはいえ、もちろん一人の参加者として、卒業生の皆さまと一緒に講座を受けていただき、グループワークや懇親会にも参加してもらいました。ケアカレナイトは職種や立場、性別、年齢などを超えたフラットな場にしたいのです。施設長や経営者、管理者の方々がケアカレの教室に来て、普通に講座を受けてくれて、最初は馴染めるのかなと心配していましたが、彼らの姿を見て驚きました。大げさでもなく、持ち上げるわけでもなく、他の誰よりも彼らが熱心に頷きながら、メモを取り、身を乗り出すようにして聞いていたのです。グループワークでは率先して意見を言い、他の参加者の話に相づちを打ち、なるべく全員が意見を言えるように導いていました。

 

良きリーダーシップは良きフォロワーシップから、という言葉を思い出しました。素晴らしいリーダーは、立場や場所が変われば、良きフォロワーになれるということです。彼らは天下りや同族経営の施設長・管理者ではなく、何十年も現場で様々な経験を積み、理不尽に耐え、無理な要求や批判を乗り越えながらも自分を磨き、他者から評価されて施設長や管理者になった叩き上げの人たちです。その過程の中で、良きフォロワーであることを学んだのでしょう。良き小説家は良き読者であり、良き音楽家は良きリスナーでもあるように、良きフォロワーだからこそ、良きリーダーになれる。リーダーシップとフォロワーシップは正反対のものと考えられがちですが、そうではなく、実はつながっている。自分はこうしたい、こう思うと主張するばかりがリーダーシップではないのです。

 

彼らの立派な姿を見て、私は彼らのように振舞えるだろうかと自問しました。エゴを捨てて、自分よりも年下の講師の話を素直に聞き、学ぶべきことを学ぶ。他者の多様性を受け入れ、その場に溶け込み、誰彼なく分け隔てなく接し、状況によっては盛り上げ役にも徹する。私のような小さな器の人間では、彼らのようには謙虚になれないのではと思ったとき、心の底から尊敬の念が湧いてきました。彼らのようなリーダーを持つ施設・事業所は、本当に素晴らしい介護を提供しているのだと思うのです。正吉苑の折原さん、ウェルフェアリビングの戸部さん、千手の岡本さんと鳥居さん、そしてスタッフの方々、ありがとうございました。

 

 

藤田先生のアンガーマネジメント講座に関しては次の機会に書きますが、本当に素晴らしかったです。参加してくださった卒業生さんたちや先生方、いろいろとお手伝いしてくださってありがとうございました。こんなに素晴らしき人たちがいる介護業界は捨てたものじゃない、これから先がもっと楽しみだなと感じ、ケアカレナイトもそのような場になれたらと願います。

正吉苑様よりお祝いのお花をいただきました。こうしたちょっとした心遣いも素敵です。

2019年

1月

30日

捧げる幸せ

介護福祉士筆記試験の帰り道に、卒業生さんがケアカレの教室に立ち寄ってくれました。「ダメかもしれない。また来年頑張るよ」と、Mさんにしては珍しく、気落ちした様子でした。Mさんは73歳。ケアカレの介護福祉士合格者の最高齢記録を塗り替えようと、2年近く前からずっと勉強を重ねてきたことを知っていますので、私たちも何としても合格してもらいたいと応援していました。そこで悩んだ問題をもう1度一緒に考えてみたり、インターネット上にある解答速報を参考に自己採点してみたところ、合格ラインに乗っていそうだということが分かり、安心して帰途につかれました。

 

実はMさんの前に、ケアカレの介護福祉士合格者の最高齢記録を持つKさんがいました。70になる前に介護福祉士になりたいという願いを叶えるべく、介護福祉士筆記対策講座に参加してくださり、69歳の時に見事合格されました。KさんとMさんに共通しているのは、とにかく勉強の量が半端なかったことです。びっしりと書き込まれたノートが5、6冊に及ぶほど。そして、全5回ある筆記試験対策講座の授業の中で行われるミニテストや総合問題でも、クラスの中でトップの成績を挙げていました。勉強はまずは量だということが分かります。年齢や性別がどうこうではなく、何かにチャレンジしている卒業生さんたちを見ると、私たちも彼ら彼女たちに負けないように頑張らねばと刺激を与えてもらえます。

 

 

挑戦している生徒さんを支えるために、先生方も頑張って教えてくれました。それぞれの得意分野を教えてもらっていますが、新倉先生はより分かりやすくしようとスライドを工夫してくれたり、藤田先生は確認テスト問題を新しく組み替えて臨んでくれました。小野寺先生は過去問を精査して分かりやすい解き方を伝授してくれました。佐々木先生や望月先生は周到な準備のもと教えてくれ、授業が終わると大きな緊張感から解放されていたぐらいです。そして、今年もスコアカードにメッセージを添えてくれました。一人ひとりの生徒さんのことを想うことを体現してくれていると思います。

卒業生さんや先生方の姿を見ていて、何かに向かって自分を捧げることが幸せなのだと感じます。何もない平和な日常も素晴らしいけれど、やはり私たち人間は、何かを目指して挑戦することに生きている実感を得るのではないでしょうか。その過程こそが、充実して生きるということなのです。挑戦することには年齢も性別も関係がなく、自分自身の問題です。結果や現実は後からついてくるものであり、幸せという観点でいえばおまけみたいなもの。頑張らずに合格しても幸せの実感は薄いはずで、それならば頑張って不合格の方が、もう1度挑戦できると考えると、長い目で見ると幸せなのではないでしょうか。もちろん、ケアカレの卒業生さんたちには頑張って合格してもらいたいと心から願います。3月27日の合格祝賀会が楽しみです!

2019年

1月

24日

身体をアップデートする

「身体をアップデートする」というテーマについて、乙武洋匡さんの話を聞きにWeekly Ochiai(落合陽一さんの番組)の収録に参加してきました。この番組は、NewsPicksの会員限定のため視聴できない方々もいると思いますので、私が重要だと思ったポイントだけ共有させていただければと思います。身体をアップデートするというテーマは、分身ロボットカフェに参加してからずっと考えていたことだったので、実にタイムリーでした。人間の身体とは何なのか、そしてどこまで拡張することが可能なのか。分身ロボットカフェの話も登場し、パラリンピックやこれからの超高齢社会に向けて、本当に密度の濃い1時間でした。

 

どこまでが身体なのかと疑問に思ったのは、分身ロボットカフェで島根在住の脊髄損傷で両手足が動かない方に接客してもらってからです。そこに彼の肉体はなかったけれど、話をすることができたり、コーヒーを注文して持ってきてもらうと、まるで彼がそこにいるかのような感覚がありました。ロボットと話している違和感はなく、彼という人間と話しているようでした。そのとき、このロボットは彼の身体の拡張なのか、それともそもそも彼の肉体さえもが乗り物のひとつであって、彼のこころだけが人間の確たるものなのかという哲学的な問いが浮かんだのです。

 

同じような話はWeekly Ochiaiでも提起され、乙武さんは国会議員がロボットなどを使って海外などの遠隔地から国会に出席すること(テレプレゼンス)は参加にあたらないのか?と投げかけます。それでは逆に、脳梗塞などの病気によって身体を動かすことも意志を伝えることもできない状態にある議員が国会に運び込まれた場合、それは参加になるのかと。どちらが議員としての役割を果たすかというと、前者の方が参加にあたるのではという問題提起です。肉体だけでは意味がない、そこに意識やこころが宿っていて初めて人間という存在になる、というひとつの考え方です。

 

もう少し話を進めると、たとえば植物人間状態の人がいて、その人がただ肉体としてそこに存在するだけで、家族や近しき人たちにとっては意味や価値がある場合もあるはずです。意思の疎通はできないとしても、肉体が生きていることで心もそこにあるとこちらが感じるということです。これは肉体至上主義なのかもしれませんが、そこにロボットがあって、遠隔でコミュニケーションができるよりも、コミュニケーションは一切図れないけれどそこに肉体がある方が良い場合もあるのではないでしょうか。

 

また、昨日、私は収録の現場に肉体を運んで参加したからこそ、得られた体験もあるはずです。自宅にいてパソコンやスマホの画面で番組を視聴することもできましたが、それとはまた別の5感を刺激するものがあったと思います(そう信じているだけかもしれません)。ところが、この先5Gの普及によってVR(バーチャルリアリティー)で視覚や聴覚、もしかすると嗅覚や触覚、味覚までも、そこにいるのとほぼ同じ体感ができる時代がくるはずです。そうなったとき、まずます身体の境界線は曖昧になっていくのでしょう。

 

 

そうすることで、私たちはテクノロジー等によって、失われた機能を回復するというよりも、新しい身体機能を拡張していくという方向性を持つようになるはずです。そして、乙武さんのいう「意志を最大化する」ことができるようになり、落合さんのいう「身体の形、機能に縛られない(とらわれない)」考え方が当たり前になるのではないでしょうか。そんな新しい未来が、まるで目の前にあると錯覚してしまいそうになる、刺激的な内容の収録でした。

2019年

1月

18日

優しくなれた

先日、友人を連れて教室に来てくれた卒業生さんが、「優しくなれた気がします」とおっしゃってくれました。湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修を受ける前から、障害者の施設等での仕事をされていたそうですが、利用者さんに対する見方や考え方、接し方が、自分でも実感できるぐらいに変わり、優しくなれたということです。「お母さん、優しくなったねと言われました」と報告してくれた卒業生さんもかつてもいたように、研修のあとは多かれ少なかれ、内面的な変化が訪れるようです。それは世界観が変わる福祉教育を湘南ケアカレッジが提供できていることの表れであり、とても嬉しく思います。

 

ここでいう優しいとは、どういうことなのでしょうか。優しさにはさまざまな形があると思います。どのようなことがあってもニコニコしていること。相手が聞きたくないことを言わないこと。困っている人に手を差し伸べること。他者の気持ちを理解して声掛けをすることなど。人間であれば、本来誰にも備わっている資質であり、尽きることのないものです。私たちは誰もが、優しくありたいと願っているのではないでしょうか。

 

それでもなぜか、気がつくと優しさが失われていき、いつの間にか優しくない自分になっていたりします。それまでは普通だと思っていたことが、あとから考えると優しくなかったなと反省することもあるはずです。

 

優しさとは学ぶことができるものなのでしょう。たとえば、介護職にとっての優しさとは、利用者さんを知ることから始まります。利用者さんの生きてきた背景であったり、抱えている病気や障害であったりを知り、それに対して適切なケア(支援)を提供することが優しさです。ここは勘違いされやすいのですが、何から何までやってあげることが優しさではありません。本当の自立支援をするためには、他者のことを学び(知識)、支援方法について学ぶ(技術)ことが大切なのです。介護の世界には、まだ知識も技術も不足しているため、本当に優しい介護ができていないという現状もあります。

 

 

卒業生さんが優しくなれたと感じたのは、自分にとって知識と技術が身についたことが大きいのではないでしょうか。自分について学び、相手について学び、そして具体的な方法を学ぶ。それを今までの経験と重ねてみることで、自分にとっての本当の優しさが生まれてきたのです。そして、そのようにして生まれた優しさは、(差し出すかどうか)選ぶことができるものでもあり、またこの先も磨き続けていくべきものなのです。決して生まれつき優しい人がいるわけではなく、私たちは学びながら(または磨きながら)、勇気を持って優しさを差し出すことによって、優しくなれるのです。

2019年

1月

11日

映画「こんな夜更けにバナナかよ」

原作よりも面白い映画というものはほとんど存在しないと思っていましたが、この映画は原作の伝えたいテーマに忠実でありながら、よりダイレクトに観客の心をわしづかみにするロックさとポップさを併せ持つ作品でした。私が原作を10年以上前に読んだとき、そのキャッチ―なタイトルと表紙のインパクトに反して、中身は鹿野靖明という難病患者の生涯を描いた、実に硬いノンフィクションだと感じたことを覚えています。その原作を題材として、鹿野の生き方に想いを馳せ、もう一度、人間が生きることについて問い直し、作り直された素晴らしい映画です。もはや介護や福祉の枠を超えて、全ての人たちに観て何かを感じてもらいたいと願います。

この映画のひとつのテーマでもある、自立して生きるとはどういうことなのでしょうか。自立するとは、つまり自分の足で立つこと。赤ん坊としてこの世に生まれてきて、親という他人に育てられ大きくなり、いつか自分一人の力で生きていけるようになること。もちろんそれも立派な自立であり、それは人間だけではなく動物の世界においても、巣立ちや親離れのプロセスというものがあります。その一方で、自分ひとりの力だけではなく、誰かを頼ることで生きていけるようになることも自立のひとつです。頼る先が豊富であればあるほど、ある意味において、一人で生きている人よりも自立しているのです。

 

この映画の主人公である鹿野は、筋ジストロフィーという全身の筋力が低下していくという難病を抱えていて、日常生活動作のほとんどを自力で行うことができません。起きてから寝るまで、いや寝ている間さえも体位交換に人の手を借りなければならず、24時間体制で誰かがそばにいなければ生きていけないのです。そのような状況において、それでも病院のベッドに縛りつけられるのではなく、親の人生を犠牲にするのでもなく、自分の生活をしていくためには、誰かに思いっきり頼るしかありません。つまり、生きていくのに遠慮なんかしていられないのです。

 

 

ただそれだけでは、他者の善意にすがるのは限界がありますし、長続きはしないのかもしれません。しかし、鹿野は違ったのでした。生きていくことに遠慮はしないけれど、それを我がままにしないというか、自分とボランティアの人たちを対等にすることで、いつの間にか自分ごととして引き受けてもらうことに力を注いだのです。どのようにしたかというと、人間同士として、気持ちをぶつけ合ったり、喧嘩したりすることを通して、お互いの理解を深めて行ったのです。映画のワンシーンで、ひとりの女性ボランティアが看護師に向かって言った、「鹿野ボラなめんなよ!」というセリフに全ては集約されていると思います。そこには一心同体という言葉が宿っているのではないでしょうか。

2019年

1月

03日

ボディメカニクス講座の募集を開始します!

「ボディメカニクス講座」では、ボディメカニクスの基本から、どのように実際の現場で使っていくのかという実践まで、ボディメカニクスの素晴らしさを徹底的にお伝えします。

 

このような方はぜひご参加ください。

→持ち上げる、引っ張る等の力ずくの介護をしているので、このままだと腰を痛めてしまいそうでとても心配。

→目の前の利用者さんにどのようにして移動・移乗してもらうか方法が分からなくて、毎日、憂鬱な気分で出勤している。

→現場で頑張っているけれど、なかなかボディメカニクスを使えていないので、もう1度、復習をかねて学びたい。

タイムテーブル(内容)

*当日の状況によって変更があることをご了承ください

9:30~10:30

高齢者のこころの特性、

ボディメカニクスの原則

10:40~11:40

介護者の身体の使い方、

ボディメカニクスの体験

11:50~15:50

*60分休憩含む

ボディメカニクス実践
16:00~16:30 レポート作成、グループ内共有

3級は介護職員初任者研修のボディメカニクスを復習しつつ、より実践的に深めていく内容になっています。

2級 

9:30~10:30       

ボディメカニクスの原則、

身体の使い方の復習

10:40~15:20

*60分休憩含む

ボディメカニクスの応用、立ち上がり、起き上がり、上方移動、移乗(床からの移乗等)
15:30~16:30 筆記テスト、実技テスト

2級はボディメカニクスの基本を徹底しつつ、現場の様々な場面に合わせて応用していく内容になっています。

修了証明書

研修終了後には、湘南ケアカレッジ認定の「ボディメカニクス講座」

 

(3級もしくは2級)の修了証明書(賞状版と携帯版)をお渡しします。ボディメカニクスを学び、身につけた証として、大切に保管しておいてください。

受講料

3級 7,000円(税込)、2級 10,000円(税込)

*3級の修了者のみ2級に参加することが可能です。まずは3級から受講してください。

 

*2級と3級をセットでお申し込みの場合は、15,000円(税込)です。

 

定員

3級 24名  2級 16名(先着順)

 

*ひとり一人にしっかりと実技を身につけてもらうため、何度も練習していただく関係上、人数を限定させていただくことをご理解ください。受講資格は特にありません。

 

研修日程

3級(基礎編)

 

第1回 第2回
2月9日(土)*満員御礼 4月4日(木)*残り席わずか
第3回 第4回
6月8日(土) 8月17日(土) 

2級(応用編)

第1回 第2回
3月30日(土)*満員御礼 4月11日(木)*満員御礼
第3回 第4回
6月22日(土) 8月31日(土) 

*ボディメカニクス講座は3級(基礎編)、2級(応用編)とも、それぞれ全1日で修了する研修になります。

*上記の日程の中から、それぞれお好きな1日を選び、ご受講ください。

 

*夏以降も開講しますので、上記日程以降の講座を希望の方はお問い合わせください!

 

申し込みの流れ

①下の申込フォームに必要事項をご入力の上、送信ください。

※希望のクラスが定員になりますと受付できませんので、ご了承ください。

②受講確認書をお受け取りください。

ご自宅に「受講確認書」と「受講料お振込みのご案内」が届きます。

③受講料をお振込みください。

「受講確認書」が到着後、1週間以内に受講料をお振込みください。お振込みは、銀行ATM やネットバンキングからでも可能です。

※手数料は各自でご負担ください。また、お振込みは案内をよくご確認の上、お願いいたします。

④研修当日

申し込みクラスの日時をご確認の上、教室までお越しください。

 

*当日の持ち物:筆記用具 動きやすい恰好、靴でご参加ください。

2019年

1月

01日

一歩先を見据えた介護・福祉教育を

あけましておめでとうございます。湘南ケアカレッジは、おかげさまで今年7年目を迎えます。本当にあっという間であり、1期生も95期生もつい最近の卒業生さんに思えるほどです。それぐらいに、先生方と全力疾走してここまでやってきました。この6年のあいだ、私たちなりに山あり谷ありでしたが、ケアカレに来て学んでくれた皆さんのおかげで、「世界観が変わる福祉教育」を提供し続けてこられたと思っています。ところが、前回も書いたように、ここ数年間において、介護・福祉教育を取りまく現状は大きく変化しています。それでも100年続く学校をつくるために、今年はどのような取り組みをしていくべきか、年末年始に考えてみたことを綴らせていただきます。

 

結論から述べると、今年からは、一歩先を見据えた介護・福祉教育を展開していきたいと思います。というのも、これから先の超高齢社会において、介護福祉士または介護職員の役割が大幅に拡大していくことは明らかであり(それに伴って給与も上がっていくはず)、今まで以上の知識や技術が求められることになるからです。介護福祉士や介護職員がさらに勉強して知識や技術を身につけることで、できる仕事の幅が広がり、専門家としての立場が高くなるということです。人手不足だから賃金を上げましょうという下手な強要ではなく、それぞれが学ぶことで介護の仕事の専門性が高まれば、自然と報酬も高くなる流れになるべきですよね。

 

介護の世界よりもさらに学ぶことに時間をかけてきた看護の世界でも、実は同じことが起こっています。特定看護師になることによって、これまでは医師が行っていた範囲の仕事をしなければならない、またはできるようになるのです。そうしなければ、患者さんや利用者さんが爆発的に増える現状には対応できなくなってきていますし、そうすることで特定看護師さんの地位や給与もさらに上がります。

 

同じことは介護の世界にも訪れるはずです。看護師が医師の仕事の一部を行うようになれば、次は介護士が看護師の仕事の一部を任せられることになるのは自然な流れです。たとえば、喀痰吸引や胃ろうなどはそのひとつですね。介護の仕事をしている人には厳しい言い方かもしれませんが、今までと同じことをやっていてはいけないということです。生き残り、ステップアップしていくための、学びの時代がやってくるのです。

 

 

私たちの対象は卒業生さんたちです。ケアカレを卒業してくれたということは、介護の基本や考え方は正しい方向を向いているはずです。卒業後に働いている現場で身につけた知識や技術もたくさんあることでしょう。それでも私たちは学び続けなければいけません。そして、ここから先の学びに決まった形はありません。何を学んでどのようにして生かすかは、卒業生さん一人ひとりで異なっていて当然なのです。

 

そうしたバリエーション豊かな学びの要求に応えるために、ケアカレも卒業生の皆さまに様々な学びの機会を用意するつもりです。介護福祉士に受かってしまえば、それで終わりではありません。学びを続ける場として、たくさんの卒業生さんたちがケアカレにお越しくださることをお待ちしております!

2018年

12月

29日

笑顔が見たい

今年最後の11月短期クラスは、ひとりもお休みや振替をすることなく、皆が無事に修了することができました。これはとても珍しいことであり、それだけ今回のクラスの生徒さん同士のつながりや、皆と一緒に学びたい、卒業したいという気持ちが強かったからこそだと思います。これまでの介護職員初任者研修の中でも最も少ない人数でしたが、今年最後をこのような素敵なクラスで終えられたことを嬉しく思います。良かったことがある反面、介護教育の業界には大きな転換点が訪れようとしていることを感じさせるクラスでもありました。

湘南ケアカレッジが開校した当時と比べても、介護の学校が増えたことも大きいのですが、ここ数年において、介護の学校の人材紹介会社化という流れが顕著になってきました。つまり、介護の学校はあくまで入口であり、ただ同然で生徒さんを集めつつ、人材紹介を出口として利益を出すモデルが主流になったということです。ちょっと嫌な言い方をすると、学校の皮をかぶった人材会社ということです。

 

それの何が問題かというと、教育の中身がないということです。「生徒さんは製品として出荷する」と言ってはばからない学校もあるぐらいです。人材会社が悪いわけでは決してなく、学校が教育としての目的を失ってしまい、ビジョンを掲げられなくなってしまうと、そこには教育がなくなってしまうということです。そこで教える先生方のプライドやモチベーションも地に落ちてしまうかもしれません。ひとつのサービスとして、学校が職業紹介を行うのはありだと思いますが、その逆転が起こってしまっているのが問題なのです。介護教育の敗北ということであり、長い目で見ると、自分たちの首を自分たちで絞める行為です。

 

できる限りはその流れに抵抗しようと数年間頑張ってきましたが、そろそろ湘南ケアカレッジにとっても潮目なのだと思います。入口の介護職員初任者研修を無料や安価で行う学校が多く出てきている現状の中、消費者がどうしても安きに流れてしまうのは仕方ないことです。私たちは介護教育に誇りを持って提供してきましたが、学校に来て受けてもらわないと意味がありません。伝える相手がいなければ届かないということです。教育への感謝としての対価をいただけないのは本意ではありませんが、まずは生徒さんに来てもらえないとスタートラインにさえ立てませんよね。

 

 

生徒さんと先生方の笑顔が見たいと思って、私は介護の学校を始めました。その気持ちに変わりはありませんし、そのためにも「世界観が変わる福祉教育を」提供していきたいと思います。ただ世の中は大きく変わり、素晴らしい介護の教育だけで食べていける時代は終わったということです。どのようにすれば教育のクオリティを保ちつつ学校として存続していけるのか、また教育の力を復活させる方法やアイデアはないのか、まだ結論は見えていませんが、試行錯誤していきたいと思います。とにかく来年は苦しくも楽しい1年になりそうです。

2018年

12月

21日

分身カフェに行ってきた

分身ロボットカフェに行ってきました。分身?ロボット?と頭の中に疑問符がたくさん浮かんだ方のために、簡単に説明させていただきます。分身ロボットカフェとは、難病や身体障害などで外出困難な人たちが、遠隔操作でロボットを動かし、店員として接客するカフェのことです。これだけでピンと来た方は相当に想像力が豊かですね。分身ロボットを使って接客する人も接客された人も、人類の中ではほとんどいません。そこに行きたくても行けない人たちが、ロボットやテクノロジーを利用することで、自宅にいながらにして働ける世界が近い未来に訪れるのです。今回、分身カフェに参加させていただき、新しい世界のその先端を垣間見たような気がしました。

1時間のコースは、オリティ研究所の代表である吉澤オリティさんの挨拶から始まります。今回の分身ロボットを介して障害を持つ人が働くという試みは、世界でも例をみない実験的事業であり、それゆえのトラブルもあるということ(ロボットが客席に突っ込んだこともあったそう笑)。そうした失敗を重ねることで、より安全な運営に進化していくこと。実際にロボットによる接客を体験してもらうことで、ロボットの接客は「あり」か「なし」か感じたことを教えてもらいたいこと。自分たちが身体が動かなくなっても働ける社会がくるべきであること、などなど。

 

コンセプトブックには、さらに詳しく書いてありました。

 

・たとえ寝たきりになっても、心が自由ならなんでもできる社会の到来

・接客など、身体的労働を可能にするテレワーク、アバターワークの提案

・周囲と同じ「普通」を目指す福祉ではなく、「未来」を目指すSF

 

 

どのコンセプトも共感できるものばかりです。今は他人事かも知れませんが、私にもあなたにも誰にも身体が動かなくなって、寝たきりになってしまうような状況が突然訪れるかもしれませんし、いつかは確実に訪れるはずです。そのようなとき、身体が不自由だから心も不自由になってしまうのではなく、できれば心だけでも自由にありたいではありませんか。身体が動かなくなったから、人と接する身体的労働をあきらめてしまうのではなく、分身ロボットを使って働くことができると最高です。そして、福祉の枠だけにとどまることなく、今は想像することが難しい未来をどこまで大きく創造することができるのでしょうか。

実際に接客を受けた素直な感想としては、十分に「あり」だと感じました。外から見学していたときは、ロボットが接客しているとしか思えませんでしたが、メニューを取りに自分の横にロボットがやって来て、いざ話をしてみると、その感覚は消え去りました。ロボットの姿形といった見た目などはほとんど気にならなくなり、まるでその人と話しているような気になるのです。単なるコミュニケーションであれば、スカイプやFACETIMEなどのテレビ電話などを利用すれば可能ですが、それとはまた違った感覚を抱いたのです。

 

 

なぜだろうと考えてみると、おそらくそこにロボットという身体性があるからだと思いました。私たちの席を担当してくださった山崎さんの身体は島根県の松江市にあるのですが、その分身としての身体が今ここにあり、動いて注文を取りに来たり、コーヒーを給仕してくれたり、手を振ったりして動いているのです。人の心が宿ったロボットというべきでしょうか。そこがPepparくんと違うところであり、分身ロボットカフェの入口に「私たちはロボットと人間を区別しません」と掲げられている意味だと思います。

 

ロボットという身体性を通して彼と話していると、そこには身体と心の境界線が分からなくなるのです。私たち人間は、たまたま自分の肉体という乗り物に乗って生まれてきただけであり、乗り物である以上、乗り換えることもできるのではないでしょうか。そんなとき、こころも身体も真の意味においてポータブル(移動可能)になるのです。

2018年

12月

16日

べきを拡げるべき

11月短期クラスが終了しました。これで96期生になります。今までのクラスの中で最も人数が少なかったにもかかわらず、下の事務所にも笑い声が響いてきて、30名ぐらいいるのではないかと思わせられる、賑やかで楽しいクラスでした。たくさんの生徒さんがいて、楽しんで学ぼうという活気があふれているのがケアカレらしさではありますが、人数が少なくても一人ひとりが前向きに取り組んでくれたら、少人数だからこその結びつきが生まれるということを教えてもらった気がします。生徒さんたちから御礼の菓子折りをいただき、私たちは最終日にひと足早いクリスマスプレゼントを贈りました。

ちょうどこのクラスが行われている期間中に、卒業生が運営している事業所で社内研修を行いました。今回のテーマは「アンガーマネジメント」。アンガーは怒り、マネジメントは管理という意味です。そのまま自分の怒りという感情をどうのようにして管理するかという研修です。医療や看護の分野だけではなく、対人援助職である介護の分野でも、これからますます必要とされる内容であり、少しずつ有名な研修になってきていますね。

 

基本的な部分だけを受けてみて、最初に驚かされたのは、アンガーマネジメントとは「怒る必要のあることは上手に怒り、怒る必要のないことは怒らないようにすること」だということです。アンガーマネジメント研修を受ける前は、どのようにして怒りという感情を引き起こさないようにするのか、またそれを表に出さないように抑えることができるのかがアンガーマネジメントだと考えていました。ところがそうではなく、怒るべきことは怒って良いのだということです。ただし上手に。あとから後悔するような怒りはよろしくないということですね。

 

 

もうひとつ、思考のコントロールについても学びがありました。自分のべきを拡げる、というアンガーマネジメントの思考があります。どういうことかというと、私たちは常に自分の考えを持っていて(それはそれで良いのですが)、どうしても自分と同じ考えであれば共感するけれど、自分と違う考えについては、ぎりぎり許容できたり、または許容できなかったりするはずです。円グラフを見てもらうとイメージしやすいのですが、怒りという感情が沸き起こるのは、自分とは違って許容できないゾーンに相手がいるときです。簡単に言うと、自分がこうあるべきという幅が小さいと、許容できる幅が狭ければ、怒りは生じやすいのです。

自分ごととして考えてみると、私たち教育にたずさわる人たちは、とかく自分のべきが狭かったりしますが、それを押し広げていく努力や意識が必要だということです。自分のべきは他の人から見れば全くべきではないこともありますし、時代が変わればべきは異なるのです。自分のべきや許容できる範囲を拡げるためには、まずは自分のべきを一度疑ってみて、他人の立場を経験してみたり、また本を読んだりして様々な人々の意見を取り入れて教養を深めることだと思います。そうすることで懐の深い教育者になれるはずですし、そのような教育者がいる学校になりたいと願います。

2018年

12月

11日

「車輪の上」

「五体不満足」から20年の歳月が経ち、山あり谷ありの人生を経て紡ぎ出された、乙武洋匡さんによる青春小説です。脳性まひのため下半身を動かすことができず、車椅子で生活をしている主人公が、ひょんなことからホストを仕事にするようになるというストーリーには、どうしても乙武さん本人を投影しないわけにはいきません。新宿駅の雑踏を車椅子で脱出するシーンから物語は始まり、車椅子に乗っていることで周囲の目を集めてしまうこと、おしゃれなお店の前に段差があって入れないこと、健常者との恋愛、そして障害者自身がレッテルを貼ってしまうことなど、乙武さんだからこそ描ける心象風景にドキッとさせられつつ、最後まで一気に読ませるスピード感のある小説でした。

主人公の河合進平は、就職活動が上手く行かず苛立っていたところに、ティッシュ配りの人からティッシュをもらえなかったことから、「車椅子のホスト。ちっとも無理なんかじゃないって俺が証明してやるよ」と売り言葉に買い言葉で宣言してしまいます。連れて行かれたホストクラブを経営するリョウマに、右足を切断して晩年は義足で生活をした大隈重信に由来するシゲノブという源氏名を与えられ、ホストとしての仕事のスタートが切られました。

 

トイレ掃除などシゲノブができないことを手伝ってくれるタイスケや障害者がホストを務めることに嫌悪感を覚えるノブナガやその手下のヒデヨシ、細かいところまで気がついて教えてくれるヨシツネなど、個性豊かな仲間たちとぶつかり合いながらも魑魅魍魎とした世界を前へと進んでいくのです。最初は全てが上手く行かず挫折をしたり、障害のことを理由に自分を卑下していたシゲノブも、アヤとの出会いやテレビで取り上げられたことをきっかけとして、ホストとしてだけではなく人間としての成長を果たします。

 

―ホストクラブで働いていて、差別や偏見を感じることはありますか?

「うーん、そうですね…。ないと言ったら、嘘になります。だけど、誰しもそういう側面を持っているのかなと。もちろん、一人ひとりと向き合うことがコミュニケーションの基本だと思うんですけど、やっぱり僕らはその人が属しているカテゴリーを見て、この人はこういう人なんじゃないかとレッテルを貼ってしまうことってあると思うんです。そういう意味では、僕だって差別や偏見の加害者になることだってあるのかなと」

 

小説の中では、テレビの取材を通してアヤに伝えていることになっているが、実は小説の中の主人公の言葉を通して、乙武さんが読者に伝えたいメッセージなのではないでしょうか。そして、最後のシゲノブの母の言葉もそうなのだと思います。

 

 

「私ももっと自由に行きたい。この子にももっと自由に生きさせてあげたい。『政治家の妻』とか『政治家の息子』とか、『車椅子に乗っている』とか、『夜の世界で働いている』とか、ねえ、あなた、そういうレッテルに縛られる生き方はもうやめにしましょうよ」

2018年

12月

08日

自然に笑える場所へ【今宿ホーム】

「やっぱり、ここにいたんですね」

 

土居さんが、ほっとしたように口元をゆるめてご利用者さんに近寄ります。

「きっとここにいると思ったんですよ。夜も2~3時間眠ると起きてこられて、廊下をぐるぐると歩いた後、いつもここに戻ってこられますよね」

 

数分前まで、活気づいた食堂にいたはずのご利用者さんがここにいるのには、理由がありました。

 

続きは→【介護仕事百景】

 

2018年

12月

05日

世界観が変わる福祉教育を提供したかったのに

「空飛ぶ車がほしかったのに、手にしたのは140字だ」という世界有数の投資家ピーター・ティールの言葉があります。空を飛ぶ車のような壮大な夢と理想を掲げて、巨額の投資を行ってきたけれど、実現したのはツイッターとかフェイスブックのような文字情報にすぎないSNS(ソーシャルネットワーキングサービス)でしかなかった、という自虐の意味を込めた言葉です。現実はほとんど変わらない、というあきらめに似た気持ちかもしれません。

 

ピーター・ティールとはスケールも何もかも違いますが、私も「世界観が変わる福祉教育を届けたい」という理想を持って湘南ケアカレッジを立ち上げ、先生方と一緒にこれまでやってきました。

最初の頃は、「人生観が変わりました」、「介護に対する見かたが変わりました」という反応が多くあり、自分たちがこうありたいと思っていた理想の研修や学校を実現できている気がしていました。湘南ケアカレッジに来てくれた生徒さんたちは、介護職員初任者研修をひとつのきっかけとして、実際に少しずつ人生が変わっていったのではないかと思います。

 

湘南ケアカレッジも今年で6年目を迎え、振り返ってみると、私たちは本当に世界観が変わる福祉教育を届けることができているのか、と疑問に思うことがあります。ここ最近の初任者研修や実務者研修のクラスを見てみると、授業にまともに参加していなかったり、エプロンをつけることすらままならなかったり、課題をきちんと提出できなかったり、授業中に他の生徒さんたちの迷惑になるほどにおしゃべりをしてしまったり、そんなことばかりに私たちの目と頭がとらわれてしまっている気がします。

 

そんなことではなく、「こういう研修(授業)にしてみたい」、「生徒さんからこんな良い反応や行動があったよ」、「こうするともっと楽しく、分かりやすいかもしれない」、「○○さん変わったよね」など、もっと良い話をしたかったはずなのです。

 

もちろん良かったこともたくさんあります。総合演習はより細かく実技の習得度合いを確認、復習できるようになったり、キャサリンレター(自助具をつくって試してみた生徒さんに対するキャサリンからのお手紙)が贈られたり、卒業生が介護福祉士の証明書を持って遊びに来たり、卒業生同士が職場で出会って仲良くなったり、手を焼いた卒業生が現場で楽しく働いていたりします。特に初任者研修は、これ以上改善することが難しいぐらいに完成されつつあります。在宅ケアサポーター研修がスタートし、これから先、ボディメカニクス研修やケアカレナイトなども開催していくつもりです。

 

 

もう1度、立ち止まって、私たちは何のために湘南ケアカレッジをやっているのかを問い直してみるべきなのでしょう。世界観が変わる福祉教育を届けたいという想いがなくなってしまえば、それは他の学校で行われている介護職員初任者研修や実務者研修等と何ら変わりはなく、私たちが教える意味はありません。偉そうに教えるのは誰にでもできることですが、生徒さんの世界観を変えることは私たちにしかできないと思いたいのです。それができないのであれば、町田にこれだけたくさんの学校がある以上、湘南ケアカレッジの存在価値はないのです。しばらくはこんな自問自答を続けながら、より良い学校を先生方と一緒につくっていきたいと思います。よろしくお願いします。

2018年

12月

02日

「まちだDサミット」に行ってきました!

桜美林大学にて開催された「まちだDサミット」に行ってきました。若年性認知症の当事者である丹野智文さんによる講演があるということで、どのような話が聞けるのかと興味津々で、楽しみに足を運びました。その他、認知症当事者たちによるパネルディスカッションもあり、大きな学びのある、素晴らしい内容でした。今日から町田が変わってゆく、という丹野さんの言葉は誇張ではなく、今日のサミットに参加したことが、認知症とどう関わるのかについて考えなおし、変わってゆくきっかけとなる人たちも多いのではないかと思います。

 

丹野さんは39歳の頃に若年性アルツハイマー病を発症しました。5年ほど前からその兆候はあり、物覚えが悪くなったことを何となく自覚し、仕事も上手く行かないことが多かったそうです。何度も検査を繰り返した結果、若年性アルツハイマー病と診断されてしまいました。その時は、若年性アルツハイマー病=終わりだと考えていました。しかしそれは終わりではなく、始まりだったのかもしれません。丹野さんは病気をオープンにしていくことで、偏見はほとんどなく、周りからのサポートを受けやすくなったと言います。偏見は実は自分の中にあり、まずは自分が変わっていかなければならないと思ったそうです。

 

認知症は薬と環境で改善すると丹野さんは主張します。最も大切なのは、周りの人々の接し方です。認知症の人はどうしても不安な気持ちになってしまうので、何かできないことを指摘されたり怒られたりすると、ちょっとしたことで自信をなくしてしまいます。自信を失ってしまうと、何かをしようという気持ちが薄れ、他者とのつながりにも消極的になってしまいます。そしてふさぎ込みがちになり、うつになっていくという人もいます。認知症の方々が自信を失わないことの大切さを、丹野さんは繰り返し説かれていました。

 

認知症は一見病気だと分かりづらい病気だからこそ、困ることもあるそうです。たとえば、自分への帰り方を忘れてしまったとき、道行く人に尋ねると、新手のセールスかナンパと勘違いされたり、変な人として見られたりすることもあるそうです。できるだけ周りの人たちがうける印象を良くしようと、丹野さんは積極的にあいさつをしたり、明るく振舞ったりするとのこと。また地域の人々とのつながりも大切だと言います。

 

 

最後に、認知症の人にとって優しい町とは?の問いに対しては、認知症の人だけに限った話ではないのですがと前置きをしたのち、それぞれに合ったサポートができるのが優しさではないかと提案されていました。何でもかんでもやってしまい、認知症のひとからできることを取り上げてしまうのは優しさではありません。たとえば、目の悪い人はそれぞれの程度があって、一人ひとり違う度のメガネが合うように、認知症の人にだってそれぞれ支援方法が違ってくるはずです。つまり、認知症の人に対してはこのようにするというやり方があるのではなく、その人ができることとできないことを見極め、できないところをサポートし、できることを生かしていければ良いですね。

 

☆まちだDサミットの公式HPはこちら

2018年

11月

29日

良いところを、見る

8月日曜日クラスが無事に終了しました。下は高校生から上は60代まで、半世紀にわたる年齢の幅があるにもかかわらず、様々な属性や背景を持つ生徒さんが集まって楽しく過ごしたクラスでした。特に男性陣が全体の雰囲気をリードしてくれて、めちゃくちゃに目立つ素敵なメッセージボードをつくってくれたり、最後の打ち上げには20人以上が参加して盛り上がりを見せていました。実は私はあまり今回のクラスには関わることができておらず、少し寂しい気持ちもありましたが、最終日と打ち上げに参加させてもらったおかげで、ぎりぎり間に合ったかなという感じました。

 

最終日に書いていただくアンケートを読んでみると、それぞれの生徒さんたちが、それぞれの先生方について、とても良く書いてくださっているのが伝わってきます。今回のクラスに関わらせていただいた8名の先生について、よく見て、よく覚えて、良く書いてくれているのです。悪いところを見つけるのは簡単ですが、良いところを見つけて言葉にするのは案外難しい。それをクラスメイトの誰もが自然に行っていることが、さすがケアカレの卒業生でもあり、このクラスには本当に素晴らしい人たちが揃っていたのだろうなと思いました。

 

そのうちの一人であるNさんとは、入校する前からのずいぶん長い付き合いになります。というのも、彼はあんまマッサージ師をされている関係で、3年前の卒業生に勧められて一度、学校の見学に来られたことがありました。お仕事の休みと都合が合わず、延び延びになってしまいましたが、ようやくケアカレに来てくださったのです。また、娘さんが先に介護職員初任者研修を受けてくれていたお父様もついに参加してくれて、「実は私の方が先に説明会に来て、娘に紹介したのですよ」と打ち上げでは教えてくださいました。

 

先日のブログでも紹介させていただいたベンリーの山崎さんも面白い縁があって、介護職員初任者研修を受けてくれて、最後はエアコンのリモコンのコードまで真っ直ぐに直してくださいました。彼のような人物が、介護保険制度内ではカバーできない部分を補ってくれるのだと思うと安心します。お店のブログにも当校の介護職員初任者研修のことを書いてくださいました。ありがとうございます!

 

お付き合いのある障害者施設で働いている方もいらっしゃいましたし、高校生の時に空手で日本一になった女性もいました。滑り込みで申し込みをされて、クラスの雰囲気を良い方向に揃えてくださった方もいました。不愛想だったけど、最後は「介護の仕事も面白そうだなと考え方が変わりました」と笑顔で言って帰っていった高校生もいました。

 

生徒さんたちがこれだけ私たちの良いところを見てくれているのだから、私たちはそれ以上に生徒さんたちの良いところを見なければいけません。介護の勉強をしようと思って学校に来るような生徒さんは、良い人ばかりだと私は昔から思っています。面白い人もいれば、真面目そうな人もいます。にぎやかな人もいれば、静かな人もいます。様々なタイプの人たちが集まっていますが、その根本には人に対する優しさがあるのです。あら探しをしたり、嫌なお客さんと我慢しながら接したりする必要もなく、生徒さんたちの良いところを探し当て、触れることができると、この仕事をやっていて良かったと思えますし、介護の学校冥利に尽きるのです。

 

2018年

11月

26日

見えていないくても、同じタイミングで笑える

音声ガイドをディスクライバーが書く際も、まずは音声だけで映像を聞くことから始まります。そこから、「音声だけでは分からなかったこと」と「分かったこと」に分類します。そして、今度は映像を見ながら、「音声だけでは分からなかったこと」を音声ガイドの台本に書き起こしていきます。

 

講座で使用した台本を参考にすると、写真の一番左の列が映画の各シーンの時間です。同じシーンを何度も繰り返し見るために、秒刻みのこの時間が目印になります。真ん中の列が役者さんのセリフ。黄色い色がついている行は、場面が切り変わるためシーンの前後に音声ガイドでの説明が必要になります。そして、一番右の列が音声ガイド。こちらは私が実際に考えたものですが、ここが白紙の状態からディスクライバーは映画を見て書き込んでいきます。

 

続きは→【介護仕事百景】

2018年

11月

23日

「いろとりどりの親子」

予告編を見たときから、ずっと観たいと思っていた映画です。原題「FAR FROM THE TREE」はThe apple doesn't fall far from the tree.(リンゴは木から遠いところへは落ちない)”ということわざに由来します。つまり、親と子どもは似るという意味。実際にはその通りで、私たちは良くも悪くも育てられた親や周りの人たちの影響を大きく受けて成長し、父親と母親からのDNAを受け継いでいる以上、親の特性が色濃く遺伝するのです。そのような中でも、偶然か必然か、想像もできなかった「違い」を持つ子どもが突然、私たちの目の前に登場することがあります。

 

著者アンドリュー・ソロモンは物心ついた頃から、男性にしか興味を持つことができず、両親も息子がゲイであることに苦悩してきました。その経験を背景にして、普通ではないとされている「違い」を抱える他の人々にも興味を持ち、取材して、その家族のありようを描きました。映画の中には、たとえばダウン症や自閉症、低身長という障害や病気、または殺人の罪を犯してしまった息子を抱える家族の模様が映し出されます。それぞれに抱えている「違い」の種類や程度が異なるからこそ、まさにいろとりどりの親子がそこにあるのです。

 

映画の中で、低身長症の男性が語った、「障害がダメなことだなんて誰が決めたんだ。皆、そう思い込んでいる」という印象的なセリフがありました。たしかに、僕も含めて、普通の人は障害はマイナスの要素であると考えているはずです。正直に言うと、自分の子どもが五体満足で生まれてきたときには安心しましたし、重い障害や病気の子どもを抱える本人も家庭も大変だなと素直に思ってしまいます。普通が一番と思ってしまうのは、違うことに対する恐れでもあるはずです。

 

だからこそ、障害は乗り越えなければならないものであり、できることならば取り除かなければならないと思ってしまいます。障害を障がいや障碍に書き換えて表面だけを取り繕うようなことには賛成しませんが、ソフトの面からもハードの面からも、障害のない(感じられない)社会が実現することを心から願っています。しかし、その考え方自体も私の思い込みや偏見であったのかもしれません。

 

障害は祝福すべきだ、と映画は語りかけてきます。「違い」を欠陥として捉えるのではなく、愛すべきものであり、光として祝福されるべきなのです。トルストイは著書「アンナ・カレーニナ」において、「幸せな家庭はどれも似たものだが、不幸せな家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」というセリフを書きましたが、本当はそうではなく、幸せの家族の形もそれぞれに違っていて、それぞれが幸せなのではないでしょうか。

☆「いろとりどりの親子」公式HPはこちら

2018年

11月

20日

点字の読むと書くは背中合わせ

今年最後の同行援護従業者養成研修が行われました。今回は初日の授業の中に、点字を読む、書くことを少しだけ入れてみました。点字というと、視覚障害のある方のほとんどがそれによって読み書きをしているイメージがありますが、実際に使える方は2割ぐらいだそうです。それ以外の方はどうしているかというと、私たちと同じように、パソコンやスマートフォンを使っての読み書きが中心になります。衰退しつつある点字文化ですが、視覚障害のある方の世界を理解するためのひとつであることには変わりありません。

 

点字の仕組みを簡単に説明すると、6つの点から成り立ちます。左上が①、左真ん中が②、左下が③、右上が④、右真ん中が⑤、右下が⑥となり、それぞれに1の点、2の点、3の点、4の点、5の点、6の点と呼ばれます。母音(あいうえお)を表すのが①、②、④の左上の3点の組み合わせです。

それに③、⑤、⑥の子音を組み合わせて、(かきくけこ)や(さしすせそ)をつくっていきます。このあたりは英語のアルファベットと同じ考え方なので、分かりやすいですね。それに比べると、日本語はそれぞれに文字の形があって何と難しいことか。

 

それでは、読むことにチャレンジしてみましょう。

 

*答えは最後に

点字を読むことが分かったところで、次は点字を書くことにチャレンジしてみましょう。点字を読むと書くは背中合わせであり、裏から打つようにして書くことになります。点字を読んでいるその紙をひっくり返してみて、その裏から点字を打つということです。点字を書いて、裏返しにしてみると、点字が読めるとも言えるでしょう。

誰かに教えるときに、その人の前から文字を書いた経験のある人は分かるかもしれません。相手にとって読めるように前から書くのって意外に難しいですよね。それを前からではなく、表を読む人にとって読めるように、裏から書くということです。

 

まずは自分の名前を点字で書いてみることから始めてみてください。どの言語でも同じですが、読むという行為は受動的であり、書くという行為は能動的です。読むだけでは習得のスピードは上がりませんが、書くという能動的な学びを加えることによって、相乗効果で学びが深まっていきます。

 

 

点字の読むと書くのように、世の中のほとんどの事象は表から見て、裏から考えてみることができます。表だけを見ていても、ある一面しか理解したことにはなりませんが、表を見る人たちのことを想像して裏から能動的に考えてみると、世界は立体的になるのです。点字を使う人たちは、そのような高度な思考法を日常的に操っているのですね。

 

★答え

上の列 あおい

下の列 あかい

2018年

11月

16日

何万回のうちの1回であっても

平均寿命(女性の場合87歳)まで生きられると仮定して、1日3食ずつ数えていくと、ひとりの人間が生きている間に828万8055回、食事をする機会があります。

 

忙しい朝にパンを慌てて頬張っても1回、大切な人とレストランでコース料理に舌鼓をうっても1回。日々の生活の中で、この食事が自分に残された生涯の中で何回目の食事になるかなんて、気にも留めないでしょう。けれども、特別養護老人ホームで暮らすご利用者様にとっては、今日その食事が最後の1回になるかもしれません。

 

 

海老名駅からバスに20分揺られ、綾瀬市役所のすぐそばに、特別養護老人ホーム「道志会老人ホーム」はあります。それに並び7年前にオープンした「有料老人ホームヴィラ城山」も建っています。

 

続きは→【介護仕事百景】にて

2018年

11月

11日

ベクトルを自分に

忘れた頃に思い出して見に行くと、刺激を与えてもらったり、気づきがあったりする、「面白法人カヤック」のブログがあります。今回は「他責思考にまつわる今だからいえる6年前のエピソード」というエントリーを、興味深く読みました。思いどおりに物事が運ばなかったり、状況が悪くなってしまったときに、私たちはどうしても誰かや周りの環境のせいにしてしまいがちですが、それだけで終わってしまうと、自分に見える世界は変わらないし、道は拓けないという内容でした。つまり、まずは意識的に自分にベクトルを向けて考えてみることで、新しい解決方法が見つかったり、事態が好転するということです。

 

私はかつて勤めていた塾にはいくつかの儀式がありました。儀式というと大げさに聞こえるかもしれませんが、新人の先生は必ずや通過するやり取りのことです。そのひとつとして、自分にベクトルを向けるための儀式がありました。新しく入ってきた先生は、最初はどちらかというと勉強が苦手なクラスを任せられます。その方が、教える内容が基礎的であり、予習が簡単だからです。しかし、クラス全体の理解度は低いため、教えたことが伝わっている感触がありません。テストをしてみても、さっき教えたはずのところを間違っています。それもクラスのほとんど全員が分かっていないという最悪の状況です。

 

授業が終わったあとのミーティングにて、その新人先生はこう言います。

 

「全然ダメでした。きちんと教えたはずなのに、全く分かっていないですね。●●●って言ったんですけど。あれじゃあ、彼らはやっぱり勉強できないですね」

 

それを聞いたベテランの先生方は、来たよ来たよと内心では思いつつ、極めて冷静な表情でこう返します。

 

「君の教え方が悪いんじゃない?」

 

こう返されて、新人の先生は押し黙ってしまったり、何とか反論をしようとしたりしますが、他のベテランの先生方から「こういう風に教えるといいよ」、「もう少し生徒と距離を縮めた方がいいな」といった建設的なアドバイスをもらっているうちに、先生である自分の教え方が悪いということに気づき始めます。生徒ができないのは、先生のせいなのです。もちろん、そうではないケースもたくさんあるのですが、先生はそう考えなければ進歩が止まってしまいます。この儀式は、最初は生徒さんたちや周りの環境に向かっていたベクトルを、まずは自分に向けてみることが先生として大切であることに気づいてもらうことが目的です。

 

 

これは先生だけではなく、どんな仕事をする人にも大切な考え方かもしれません。他の誰かや周りの環境のせいにしてしまう他責思考の悪いところは、自分は一ミリも成長しないことですね。他に原因を求めることで、自分を見つめなおしたり、行動してみたりすることをしないでいられることです。何から何まで自分の責任と考えてしまうと苦しくなってしまうと思う人もいるかもしれませんが、逆にコントロールできない他者のせいにすると帰って苦しくないですかね。まあ人はどうしても他のせいにしてしまう傾向があるので、意識して自分にベクトルを向けてみると、自分に足りないものを知ることができ、自分が何をするべきか分かり、案外気持ちが楽になるものです。

2018年

11月

06日

音声ガイドを知っていますか?

きっかけは河瀨直美監督の映画「」を見たことでした。視力が徐々に失われていく主人公と、新米ディスクライバー(音声ガイドを書く人)の交流を描いています。映画の中で音声ガイドをつけていく様子が映され、初めて見聞きする職業や映像を言葉で説明するということへの興味が湧きました。そして、たまたま音声ガイドについて教えてもらえる講座(日本初のユニバーサルシアターシネマチュプキ)に出会い、全4日間参加してきました。

 

続きは→【介護仕事百景のブログ】にて

2018年

10月

30日

小さなチーム、大きな仕事

湘南ケアカレッジでは半年に1度、講師会が開かれます。今回は残念ながら看護師の先生方が参加できませんでしたが、たくさんの先生たちが一堂に会してくださり、サプライズなお祝いもあったりして、楽しい会になったと思います。上半期の振り返りから未来へ向けての取り組みについて、いつもは教壇に立っている先生方の前でお話させていただきました。その後、ボーナス支給式、そして懇親会という流れになりました。

 

懇親会では、普段一緒に授業をしている先生同士でも、別の場所でご飯を食べながら話すとまた違った顔を見ることができますし、普段は顔を合わせない先生方も、ざっくばらんに話をすることで親交を深めていただくことができます。何といっても、美味しい食事をしながら、素敵な人たちと過ごすのはかけがえのない時間ですね。今回で11回目の講師会になりますが、最初とほとんど変わらないチームの顔ぶれを見て、嬉しく思いました。

 

 

講師会の中ではあまり触れることができませんでしたが、湘南ケアカレッジの大元となる株式会社ワークシフトの企業理念は「小さなチーム、大きな仕事」です。ケアカレを立ち上げるときにちょうど読んでいた本のタイトルから拝借しました(笑)。読んで字のごとく、小さなチームで大きな仕事をしましょうという意味であり、また小さなチームだからこそ、大きな仕事ができると考えることもできます。つまり、少数精鋭ということです。

 

ここで言う小さなチームとか、大きな仕事とは、具体的には何を示しているのでしょうか。チームの大小は単純に人の数だと考えてください。会社の規模と考えても良いと思います。仕事については、何をもって大きいと考えるかというと、その仕事が持つ意義であったり、他者や社会に与える影響の大きさであったりします。ただ単純に売り上げが大きいということではなく、それをすることで世の中をどれだけ良い方向に動かし、インパクトを与えることができたかということです。

 

 

私は小さい頃から、良い学校に行って良い会社に就職すると幸せになると教えられて、そう信じて育ってきました。ここでいう良い会社というのは、大きな会社と同義でした。そのとおりに生きて、大きな会社にあこがれて就職活動をした時期もありましたし、大きな企業・学校でも働いてみました。しかし、大きな企業が大きな仕事をしているのではなく、規模が大きいだけで、中身はスカスカだったのです。そこには私が思い描いていたような仕事はほとんどなく、もちろん幸せも多くありませんでした。

 

そこで小さな会社で働いてみたり、自分で仕事をつくったりしてやっているうちに、自分には何ができて、何ができないのか、はっきりしてきたのです。そして次第に、チームのそれぞれのメンバーが、自分というものを発揮して働くことは楽しいと思うに至りました。「鶏口牛後」という故事成語にあるように、世間体を気にして大きなチームの一員になろうとしていたことは、今となっては恥ずかしい思い出です。

 

 

だからこそ、ひとつのテーブルを一緒に囲めて食事ができるぐらいの小さなチームで仕事がしたい、そしてせっかく仕事をやるからには、小さな仕事ではなく、大きな仕事がしたいと思っていました。そのような想いの元に集まってくれて、一緒に大きな仕事をしようとしてくれている先生方には感謝の気持ちしかありませんし、私も負けないように、もっと大きく考えて実行していかなければいけないと勇気づけられた1日でした。これからも、よろしくお願いします。

2018年

10月

25日

励まされている

ここのところ、立て続けに実務者研修のクラスが修了しています。介護職員初任者研修に比べると、たった7日間しかありませんので、どうしても授業は急ぎ足になりますし、生徒さんたちと個人的に関われる時間も少なくなってしまいます。そのあたりは実務者研修がスタートしてからずっとジレンマとして抱えていますが、昨年の途中あたりから、ケアカレ(先生方)と生徒さん、またクラスメイトさんたちの間の距離がグッと縮まるクラスが増えてきたように思えます。最後の挨拶で前に立ってみると、生徒さんたちの雰囲気やリアクションから、どれだけそのクラス全体が充実感を持って修了していくのかを感じることができるのです。今回もお互いにとってとても親近感のあるクラスでした。

生徒さんたちからのリアクションは、生徒さんたちの前に立って初めて最も感じることができます。それを言葉で説明するのはなかなか難しいのですが、生徒さんたちの視線や表情に始まり、自分が発した言動に対する反応に至るまで、一人ひとりの生徒さんのありとあらゆる要素が人数分合わさって、そのクラス全体の大きな反応として感じることができます。温かい反応であったり、どこか冷めた反応であったり、鋭い反応であったり、つかみどころのない反応であったりします。先生はその反応に一喜一憂しながら、それに合わせて授業を進めていきます。どこかオーケストラの指揮者に似ているのかもしれません。

生徒さんたちの前に立って話すことで反応を肌で感じるのではなく、実務者研修ではリアクションペーパー、初任者研修ではアンケートを書いてもらうことで、そのクラスがどういう状況にあるのかを掴むことができます。その言葉の端々にある生徒さんの気持ちを読み取ることもあれば、行間に書かれている想いを想像したりもします。ほとんどは生徒さんたちからの学びの声であり、感謝の気持ちであり、私たちはそれらの反応を読むことで、嘆いたり喜んだりします。そして何よりも励まされるのです。ちょっと大げさかもしれませんが、先生をやっていて良かった、学校をつくって良かったという気持ちが湧いてくる瞬間です。

 

 

実務者研修6月土曜クラスの皆さまから、ケアカレカラーのメッセージ集をいただきました。季節も季節だけに最初はパンプキンかと思ったのですが(笑)、エプロンでした。エプロンの後ろの紐をほどいてページを開くと、生徒さんたちの感謝の言葉が綴られていました。ケアカレの初任者研修の卒業生さんが提案して作ってくださったようですね。ありがとうございます。こうした形でのリアクションは、私たちにとって生徒さんたちからの最高の褒めであり、認めであると思います。私たちは実務者研修を通して、現場で頑張っている方々を褒め、認め、励まそうと思ってやっていますが、最終的には私たちがそうしてもらっているのですね。互いに褒め、認め、励まし合うケアカレの文化を、これからもずっと続けていけたらと願います。

2018年

10月

20日

卒業生インタビューvo.3原橋さん

初任者研修に通ってくださっている時から、クラスのムードメーカー的存在だった原橋さん。彼女は湘南ケアカレッジの卒業生でもある義理のお兄さまのすすめで、研修を受けに来てくださいました。まるで血のつながった兄弟のように仲が良く、介護の仕事を探す際も一緒に意見を出し合い、考えていました。仕事の相談を真剣に家族とすることができるなんて、羨ましいですね。

続きは→介護仕事百景

 

2018年

10月

15日

「みえるとかみえないとか」

以前に紹介したことのある「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(伊藤亜紗著)をきっかけに、絵本作家のヨシタケシンスケさんがストーリーを考え、相談しながらつくった絵本です。「りんごかもしれない」などのヨシタケさんの絵本は、ものの見方や考え方を一度ひっくり返してみると、これまでとは全く違う何かが見えてくるという内容になっていて、大人が読んでも深く楽しむことができます。今回の見える人の世界と見えない人の世界の違いも、見える人には見えない世界があり、見えない人にも見える世界があることを分かりやすく教えてくれています。

主人公のぼくは宇宙飛行士。いろいろな星の調査をしており、やってきたのは後ろにも目がある人たちの星。ぼくが前しか見えないことを不思議がり、不便だとか可哀想だと考えて、気を遣ってくれるのでした。その星にも、生まれつき全部の目が見えない人がいて、その人もまた僕とは世界の感じ方が違っていることを発見します。それぞれの違いによって、その人にしか分からない、その人だけの見え方や感じ方を持っていることに気づくのでした。自分にとっては当たり前だと思って見ていたことは当たり前ではなく、常識さえも疑ってみるべきだと考えさせられます。

 

私たちがそれぞれに違って、それゆえに感じ方や見え方が違うことは分かったけど、その先、どのようにすれば違う人同士が分かり合えるのでしょうか。同じところを探しながら、違うところを面白がればいいと提案しています。「目の見えない人は世界をどう見ているのか」でも「みえるとかみえないとか」の両書において、その考え方は全く同じです。そして、肝となるのは、面白がるという部分です。違いを差別し合ったり、変に気を遣ったり、憐れんだりするのではなく、お互いに面白がるという精神が大切なのです。

 

それに、どんなにやることや

かんがえかたが ちがっていても、どんなひとにも、

じぶんと おなじところは かならずあるとおもう。

 

つまり、どんなひととでも、「だよねー!」って

いっしょに いえるハズ、ってことだ。

 

おなじところを さがしながら

ちがうところを おたがいに おもしろがれば

いいんだね。

 

それって すごく

むずかしいような きも するけれど、

じつは かんたんなことなのかも しれないねえ。

 

うーん。

 

でも、まあ、ちょっとずつ れんしゅうだな。

2018年

10月

10日

ケアカレらしいクラス

9月短期クラスが終了しました。ケアカレらしい、様々な年代や性別の人たちが集まり、初日から朗らかな雰囲気で始まり、途中から一気に盛り上がって、気がつくと研修が終わって寂しい、そんなクラスでした。私も生徒さんの一人として、授業を受けたら楽しいだろうなと思わせられました。なぜ今回はこんなにも素敵なクラスになったのかというと、いろいろと理由は思いつきますが、ひとつ挙げるとすれば、最初から湘南ケアカレッジのことを良く知っている生徒さんが多かったことではないでしょうか。

旦那様がひとつ前のクラスで受けていた方、お父さまと弟さんにケアカレの卒業生がいる方、以前の職場にいた仲の良い友人がたまたまケアカレで介護職員初任者研修を修了していた方など、初日から私たちとの距離感が最初から近く、信頼関係が成立していた生徒さんが多くいたということです。

 

普通であれば、介護職員初任者研修がスタートする初日には、どのような学校だろう、どんな先生やクラスメイトがいるのだろう、どんなことをやっていくのだろうかと不安とある種の疑いの気持ちで一杯なはずです。そこから時間をかけて、この学校は大丈夫そうだ、先生もクラスメイトも良い人そうだと距離感が近くなり、授業も楽しくて学びが大きいと信頼関係を築いていきます。

 

その段階を少しショートカットできるのは、卒業生さんたちがケアカレのことを良く伝えてくれているからに他なりません。「あそこの学校は良かったよ」、「先生方が素晴らしかった」、「授業も楽しかったよ」、「ケアカレに行ったほうが良いよ」と勧めてくれたり、実際に楽しく学んでいる姿を家族や友人知人が見て感じていたりするのだと思います。誰かからケアカレのことを聞いて、知っているからこそ、最初から安心して研修を楽しめるのです。

 

そして、そのような生徒さんがいてくれると、周りのクラスメイトにも安心感やリラックス感は伝染して、教室全体に楽しんで良いのだという雰囲気が生まれます。つまり、今回の素敵なクラスをつくってくれたのは、過去の卒業生さんであり、最初からケアカレを信頼してくれていた生徒さんであり、その周りにいるクラスメイトさんでもあるのです。毎月開講されるクラスは別々のようでいて、深いところではつながっているのですね。

 

 

最終日には、メッセージボードをいただきました。今回のクラスは、いつ準備していたのか分からないぐらいほどで、突然のサプライズに驚かされました。オレンジ色のフェルトでつくられたエプロンが可愛いですね。それぞれのカードに生徒さんの気持ちが凝縮されていて嬉しく読ませていただきました。このメッセージボードは、全員が15日間の素敵な時を過ごしてくれたことの結晶のようなものです。ありがとうございます!

2018年

10月

05日

ひとり一人がマーケッター

あっと驚くような入り口から、湘南ケアカレッジに来てくれる生徒さんがいます。友人知人や親子、一緒に働いている同僚や近所に住んでいる知り合いに評判を聞いて、といったつながりはもう当然のようになっていますが、そうではない形でケアカレのことを知り、介護職員初任者研修または実務者研修を受けに来てくれる生徒さんもいるのです。先月スタートした8月日曜日クラスのYさんは、まさかのルートを通って来てくれた生徒さんのひとりです。他己紹介を聞いた影山さんが興奮気味に教えてくれて、それを聞いた私もそんなこともあるのだと驚いたほどでした。

かつて教室のピータイルが剥がれてしまい、張り替えを業者さんに依頼したことがありました。最初に私が当たったひとつの業者さんは料金が高すぎて、値引き交渉にも応じてくれず、仕方なく影山さんに別の業者さんを探してもらうことにしました。そこで他の業者さんを探し当ててくれ、確認してみたところ、比較的安い料金でタイルの張り替えをしてくれるとのこと。早速、教室の空いている日にお願いすることになりました。

 

当日、感じの良い男性2人が来て、半日ぐらいかけて丁寧に作業してくれました。(かなり複雑な張り替え作業だったので)予定していた時間よりも大幅に延長してしまったようですが、嫌な顔ひとつせず、「遅くなってしまい申し訳ありません」と言いながらも、最後まで手を抜くことなく完成させて帰って行かれた姿は、今でもはっきりと覚えています。また何かあったらぜひお願いしたいなと思わせる、仕事ぶりと気持ちの良い対応でした。

 

実はそのうちの一人が、介護職員初任者研修の日曜日クラスに参加してくれたのです!普通に申し込みをされたので全く気付かず、スクーリングが始まってからも、どこかで見た顔だなと思っていたぐらいで、(どこかで会った気がするのは日常茶飯事なので)あまり気に留めていませんでした。ところが、他己紹介で彼の番になったとき、「昔、この教室の床の張り替えをしたことがあるそうです。久しぶりに教室に来てみて、まだ剥がれていなかったので安心したそうです」と紹介され、彼の全容が解明されたのでした。あのスタッフが、お客様に高齢の方々も増えてきているので学んでおきたいと考え、床を張り替えたケアカレのことを思い出してくれたのです。

 

この話を聞いて、「ひとり一人がマーケッター」という言葉を思い出してしまいました。お客様を集めるために広告や広報を担当している人だけがマーケッター(マーケティングをする人)ではなく、その事業にたずさわっている人全員がマーケッターだという意味です。つまり、私たちひとり一人の言動が、教室の中にいるときだけではなく、日常生活のあらゆる場面においても、湘南ケアカレッジを広告・宣伝しているのです。今回の件でいうと、もし私たちが単なる業者としてぶっきらぼうな対応をしていたり、ぞんざいに扱っていたとしたら、彼はそんな学校に行こうとは思わなかったはずです。何か雰囲気が良さそうだな、もしくはこんな学校に行ってみたいと思ってくれたからこそ、彼は来てくれたのだと思うのです。

 

そういえば、卒業生の長谷川さんが娘さんと歩いていて、小田急デパートのエレベーターのところで佐々木先生とばったり会った話を思い出します。佐々木先生はひと言ふた言、挨拶をしてくださったのですが、別れたあと、長谷川さんの娘さんが「あんな素敵な人が教えているんだ。介護の先生の印象が変わった」と言ってくれたそうです。

 

 

別に先生方にプレッシャーをかけているつもりはありませんし、誰にでも優しく品行方正にしましょうと言っているのでもありません(笑)。そうではなくて、湘南ケアカレッジにたくさんの生徒さんたちがこうして集まってくれるのは、先生方の普段の言動や生き方が美しく、そういうことが回り回ってやってくるからではないかと思います。私も湘南ケアカレッジのマーケッターの一人として、関わる人たちに良い影響を与えられる存在でありたいと願います。

Yさんが冷暖房のスイッチが宙に浮いていたのを見て、壁に固定してくれました!(感謝の言葉しかありません!)

2018年

9月

30日

パラバトミントン

町田市立総合体育館で行われた、パラバトミントンの国際試合を観に行ってきました。町田駅構内に貼ってあったポスターや小田急線車内の広告を見て、国際大会がこんなに近い場所で観られるなんて素晴らしいと思い、足を運びました。初めてのパラバトミントン観戦は驚きの連続でした。バトミントンというスポーツ自体は同じなのですが、様々な障害のある選手たちがそれぞれのクラスに分かれて争う様は、まったく違う競技を見ているようでした。車椅子を操って戦う選手、義足を着けている選手、片手でプレイする選手などなど、ハンデを克服しながら勝利を目指す姿は、スポーツの原点だと思いました。

パラバトミントンとは、障害のある人たちによるバトミントン競技です。大きく分けて、車椅子と立位があり、全部で6つのスポーツクラスに分かれています。

車椅子には2つのクラスがあり、WH1とWH2に分かれます。WHとはWheelchair(車椅子)の略でしょうか。WH1はバランスが不良から中程度の車椅子利用者のクラスです。L1以上の脊髄損傷による完全対麻痺やポリオ、二分脊椎、ギランバレー症候群などの病気による障害のある選手です。WH2はバランスが良好の車椅子利用者のクラス。L2以下の脊髄損傷による完全対麻痺、片大腿切断などの障害のある選手になります。

立位には下肢障害が2クラス(SL3とSL4)、上肢障害が1クラス(SU5)、低身長が1クラス(SS6)の計4クラスがあります。最初に観た試合が立位混合のSU+でしたが、このクラスには立位上肢や聴覚障害、その他の内部障害や視覚障害、精神障害などが入りますので、パッと見た目には健常者と見えてしまう選手もいました。違う障害のある選手たちが、それぞれの強みと弱みを生かしつつ競っていて、競技として見応えが十分にありました。

実はクラスごとにルールも違っていて、SL4やSU5、SS6のシングルスはコートの全面を使用するのに対し、WH1、2とSL3のシングルスは片面のみ、WH1、2のダブルスは半分のみを使用して行われます。試合を見ていても、ダブルスや下肢障害の軽い選手ですと全面を使って左右のダイナミックな動きがあるのに対し、車椅子のシングルや下肢障害の重い選手は片面のみを使うため、前後の激しい動きが求められる攻防戦が繰り広げられます。ルールも選手の特性も異なるからこそ、全く違った競技になるのですね。

 

 

素人目線で見ても、鈴木亜弥子選手らのランキング上位の有名な日本人選手は強いと思いましたし、車椅子のダブルスの試合で観た韓国人ペアの力強いアタックはとても車椅子から繰り出されたものとは思えませんでした。2020年のパラリンピックに向けてという意味では、WH1クラスで出場していた里見紗李奈選手は目立って有望に映りました。私が見た試合でも、世界ランキング4位のドイツ選手に勝っていました。2年後には世界ランキング5位の福家育美選手と共に、パラバトミントンを盛り上げてくれるはずです。

2018年

9月

25日

「大家さんと僕」

お笑いコンビ・カラテカの矢部太郎さんによる、ひとつ屋根の下に住む大家さん(88歳の上品なお婆さま)との日常を描いた漫画です。評判どおりのホッコリとしたテーストで、矢部さんの温かい人間性が伝わってきますし、これからの超高齢社会において、高齢者と若者がこのような関わりやつながりを持てたら幸せだなと思わせられます。想像もできないほど生きてきた時代が違い、だからこそお互いのことを知ろうとして、ときにはボタンの掛け違いはあっても、肩の力を抜いて素直に理解し合える。自分が生きてきた道を懐かしく振り返り、自分がこれから辿るであろう道を見つめる。同世代や同質の人間関係の中で閉じこもりがちな最近の社会において、大家さんと僕のような、一緒にいるだけで教え合える関係が増えていくと良いなと思います。

短編が連なる形で掲載されていて、読み始めると一気に最後まで読めてしまいます。お父さまが絵本作家ということもあってか、矢部さんの絵心も相当なもので、無駄な線がなく、かつ余白を残した文体ならぬ絵体です。この漫画が売れたのは、テレビの影響も大きいのですが、矢部さんが大家さんと本当に関わったからこそのエピソードが描かれているからではないでしょうか。長い時間を共に過ごしたからこそ見えてくる、些細な気持ちや言動が漫画中に溢れていて、全く作り話感がないのです。ネタにもならないネタ、それこそが生きていく日常なのかもしれません。その中でも稀にドキッと思わせられるエッジの利いたひとコマもあります。

 

矢部さんは高齢者が転ぶと大たい骨を骨折しやすいとか、どれぐらいの確率で寝たきりになってしまいやすいかなど、介護について詳しいことを知っているわけではないはずです。それでいて高齢者が生きることの核心を突いてきつつ、思い切って生きられることの素晴らしさに展開し、自分自身に重ねながらも若者を励ましています。

 

 

矢部さんのような形で表現できなかったとしても、介護にたずさわる人たちも何らかの形で生きることの素晴らしさを教えられているのだと思います。人が生まれ、成長し、衰えて、老いて、死ぬ。このサイクルは不変であり、誰しもが避けては通れません。誰にとっても、いつか来た道、いつか行く道なのです。自分の子どもが生まれると、自分がいつまでも若くない存在であることを教えられ、お年寄りと関わると、自分がいつかは衰えて死ぬ存在であることを知らされます。介護の仕事をしている人たちが、他の仕事に就いている人たちよりも、日常を楽しんで奔放に(大家さんは「スレる」という表現を使っていました)生きているのはそういう理由なのでしょうね。

2018年

9月

20日

基本姿勢の大切さ

同行援護従業者養成研修の初日が行われました。湘南ケアカレッジで同行援護従業者養成研修を始めて第3回目になります。第1回、2回と行ってみて、良かったところはそのまま残しつつ、分かりにくかったことは改善して、少しずつ完成形に近づいていくのが第3回目です。こんなことを言うと、最初の頃に来てくれた卒業生さんたちに怒られてしまうかもしれませんが、決してこれまでが悪かったということではありません。たとえば、ミュージシャンのファーストアルバムが最も良かったりすることもあるのは、少しぐらい不器用で未完成なところがあっても、熱い想いが込められているからでしょうか。研修の第3回は、先生方の熱い想いも残しながら、内容が切り上がってゆくタイミングです。

今回は生徒さんの人数が奇数だったこともあり、実技演習に入ったところから、私も練習相手役として参加させてもらいました。私としては、第3者的に外から授業を見るのではなく、生徒さんと全く同じ目線で授業を受けるチャンスでもあります。同行援護従業者養成研修を受けるのは初めてなので、もちろん生徒さんたちと同じような初心(うぶ)な気持ちで学ばせてもらいました。

 

まずは基本姿勢から。同行援護従業者(視覚障害者のガイドヘルパー)として、最も大切な技術は基本姿勢です。ガイドヘルパーは利用者さんの半歩前に立ち、利用者さんはガイドヘルパーの肘あたりを軽く握るようにして歩きます。このとき大切なことは、ガイドヘルパーと利用者さんの体は同じ方向を向きつつ、平行であることです。そのために、ガイドヘルパーは脇をしっかりと締めなければいけません(千種先生は脇の下に100万円を挟んでいるつもりで!と教えます)。平行でなくなってしまうことで、ガイドヘルパーと利用者の進む方向が一致せず、コントロールを失ってしまうからです。

 

ガイドヘルパー役が左手で利用者役の左手を下から取り、相手の左手お親指と人差し指の間に自分の右手のくるぶしを通しながら下げ、半歩前に踏み出した右足を軸にくるっと回転します。自分の右肩越しに、相手の右足元が少し見えるぐらいが理想的です。自分ではきちんと利用者さんの半歩前に平行に立てているつもりでも、先生に外からチェックしてもらうと肩が傾いていたり、利用者さんとの距離が近すぎたりします。そこを修正してもらうと、美しい基本姿勢ができあがります。

 

 

ガイドヘルパーが美しい姿勢であるかどうかは、見たらすぐ分かるそうです。基本姿勢をきちんと教えてもらっていない、または身に付いていないガイドヘルパーは脇が開いているため、ガイドヘルパーと利用者さんの方向が一致しておらず、フラフラ歩いてしまいます。そうなると危険ですし、利用者さんは不安になりますね。美しいということは、安全ということなのです。その他、階段昇降やまたぎ、椅子の座り方なども練習し、実際にガイドヘルパー役と利用者さん役をやってみて、身体で学べただけではなく、この研修の専門性の高さと先生方の授業の素晴らしさを改めて知ることができました。目を輝かせて学び、笑顔で帰っていった生徒さんたちの気持ちがよく分かりました。

2018年

9月

14日

小さな頃から介護に親しむ

7月短期クラスが修了しました。夏休みということもあり、クラスの3分の1が中高生というクラスでした。いつものクラスの平均年齢よりも10歳は確実に若かったと思います。周りのクラスメイトさんたちは、あまりの年齢のギャップに戸惑う部分もあったかもしれませんが、最後は男性も女性も中高生たちも打ち解けて、ひとつになって終わってくれました。小中高生が介護職員初任者研修を受けてくれる度に思うのは、若いのに凄いなということ。自分が学生だった頃には意識もしていなかった介護・福祉の世界に目を向けて、興味を持って学んでいることが素直に素晴らしいと思うのです。私も小さな頃から福祉のこころを学ぶことができていたら良かったのにと、彼ら彼女たちがうらやましくもあります。

ちょうど7月短期クラスの研修中に、リクルートさんが話を聞きにきてくれました。地域に根差した学校の実情と介護業界の現在や未来について、私の知っている限りのことをお話ししました。その中で、どうしても介護業界における人材不足の問題に話が及ばないわけにはいきません。湘南ケアカレッジも例にもれず、介護職員初任者研修の生徒さんは次第に減ってきていることを話しました。

 

介護の世界で働く人が減ってきてしまっている大きな理由は、世の中の景気の良さです。景気が良いと別の仕事がたくさんある(生まれる)ため、介護の仕事をしようと考える人は少なくなります。新しい人が入ってこないばかりではなく、介護の仕事をしている人が別の業種に転職してしまうこともあります。逆に景気が悪いと他の仕事が少なくなるため、介護の仕事に就こうという人たちが増えるということです。世の中の景気のアップダウンと、介護の世界の人材ニーズは全く正反対の波を描きます。どこの学校も同じことを感じているはずですが、景気の波にはどうしてもあらがうことができないのです。

 

もちろん、いつ景気が悪くなって介護の人材不足が多少なりとも解消されるか分かりませんし、またこのまま景気が良くてますます介護サービスを提供する人が少なくなってしまうかもしれません。世の中の景気だけはコントロールできませんので、私たちは景気が良い時は介護の業界は苦しいとあきらめるしかないのです。

 

でも、景気に左右されていてばかりではなく、何か主体的に業界全体として取り組めることはないのかと聞かれたので、話しながら考えつつ、7月短期クラスのことも頭に浮かび、「小さいころから介護に親しむきっかけをつくることが大切ですかね」と答えました。近くの老人ホームを訪れて交流している幼稚園や小学校もあったり、中学生になると職場体験で介護施設に行く生徒さんもいるはずです。こうしたきっかけはまだまだ少なく、介護が必要な人たちがいる場所があり、そこで働く人たちもいることをもっと知ってもらうべきです。小中高生たちは心が柔らかく、福祉のこころを素直に学ぶことができるはずですし、見せ方伝え方次第で介護の仕事を魅力的だと思ってもらうこともできるのではないでしょうか。

 

 

いざ社会人になって、どのような仕事をしようと考えたとき、頭の片隅にでも介護の仕事が浮かんでくれると嬉しいです。選択肢のひとつとしてあるかどうかは大きいです。超高齢社会を迎えた日本において、介護の世界の人材不足は介護業界だけの問題ではないのです。人の子として生まれてきた以上は、遅かれ早かれ、介護を避けて通るわけにはいかず、誰しもが向き合わなければなりません。そのとき自分ひとりでは介護はできないのです。手を借りる人がいなければ、私たちは生きていけないのです。だからこそ、小さい頃から介護(の現場や仕事)に親しむ(もしくは学ぶ)きっかけづくりは、日本全体の喫緊の課題だと思うのです。

ひとりの女性の声掛けから、メッセージボードの作成が最終日に行われました。皆さんの気持ちが伝わってきて嬉しいです。勇気を持って声を掛けてくれた彼女のこれからの人生も、大きく変わってゆくはずです。

2018年

9月

08日

「健康で文化的な最低限度の生活」

テレビドラマ化されたことをきっかけに、3巻まで読んですっかり忘れていた続き(4巻~6巻)を大人買いして読んでみました。1巻を読んだときにも強く感じたように、今回も著者が現場のことをかなり詳しく調べていることが伝わってきました。特に5巻と6巻は、生活保護に関わる仕事、いや、もう少し範囲を広げて、人と関わる福祉の仕事とは何なのかが見事に描かれていて、この漫画を読んで福祉職に興味を持ってくれる人もいるのではないかと期待するほど。介護や福祉の現場で働いている人たちにとってはもちろん、全く知らない人々にもメッセージが届く漫画です。

主人公の義経えみるは、生活保護課に配属された新人公務員。今回のケースは、夫のDVから逃げるため、高知から息子の住む東京に出てきた75歳の林さんの支援です。狭い部屋で息子さんと2人で住むのは難しく、生活保護を受けながら息子の近くで1人暮らしをしたいと林さんは願います。しかし、「世帯単位の原則」の壁が立ちはだかり、生活保護はなかなか認定されず、しかも住む場所さえ見つけるのが困難です。えみるは林さんのために孤軍奮闘し、最後に林さんからの感謝の手紙を受け取りました。そして、彼女は最初のブレイクスルーを果たすのでした。

ケースワーカーの仕事に、「対象者に巻き込まれるな」という原則があります。えみるはいつも巻き込まれがちになり、問題を大きくしてしまいます。しかし、ひとりの上司が言った「巻き込まれず、キレイに仕事している人がいい仕事をしてるかと言うと、実は対象者が抱える問題が見えていないだけなんてよくあることで、実際は巻き込まれないと見えないことってあるんですよね」という言葉は本質に迫っています。

介護や福祉の仕事の本質は人と関わることであり、ある程度、巻き込まれないと見えてこない問題が存在するのです。もしくは対象者と真剣に関わろうとすると、巻き込まれてしまうことは避けられません。上手くすり抜けることはできても、結局それでは問題の核心に触れることはできず、仕事の本質である人と関わることができません。コントロールを失わない程度に巻き込まれる、もしくは巻き込まれるけど最後の手綱は渡さない。とても難しいけれど、とても大切なことです。

 

実は、ケースワーカーや介護・福祉の仕事だけではなく、どの仕事においても同じなのではないでしょうか。仕事をする以上は人と関わることは避けられず、人と真剣に向き合うとすれば巻き込まれることは必至です。巻き込まれているということは、その人ときちんと向き合ったという証でもあり、決して恥ずべきことではありません。仕事に慣れて、巻き込まれないように逃げる術を覚え、人と適切に関わることができなくなる方が私は残念だと思うのです。

 

2018年

9月

04日

教える立場にある全ての人たちに

先日、同行援護従業者養成研修の先生方と教え方の研修を行いました。湘南ケアカレッジは「世界観が変わる福祉教育を」という理念を掲げていますが、そのための基礎となる教え方や考え方です。この教え方は私が子どもの教育にたずさわっていたときに、子どもたちから教えてもらったものです。介護の現場で後輩や新人を教えたりする役割を担っている卒業生さんにとっても参考になると思いますので、ぜひ読んでみてください。*長くなるので、重要な箇所だけ太字にしました。

私が教えていた子どもたちは、どちらかというと勉強が好きではない生徒さんたちでした。できる生徒さんを教えるのは(専門知識があれば)それほど難しくないのですが、できない生徒さんを教えるのは難しい。また、大人は思っていることがあっても言わなかったりしますが、子どもは素直に反応するので、分かりやすいぐらい教え方の効果が表に現れます。正しい教え方をすれば素直な生徒さんが、間違った教え方をしてしまうと、もうそこから先はどれだけ正しいことを言っても聞き入れてくれなかったりします

 

 

特に塾と呼ばれる教育は、お金をいただいて来てもらっているため、子どもたちの成績が上がらなければ退塾となり、生徒さんがいなくなってしまうシビアな世界です。小学校や中学校、高校、大学、専門学校等であればよほどのことがないと辞めたりしませんし、学校の先生はよほど評価が悪くない限り替えられたりしませんが、塾の先生は生徒からの評価が低かったり、成績が上げられなかったりすると、すぐに下されてしまいます。だから、自らが生き残っていくために、どこの教育機関よりも、教える方法(教え方)や接し方については日々考えざるをえないのです。

この教え方については、子どもたちだけではなく、もちろん大人にも有効です。基本的な教え方は普遍なのですが、ほとんどの先生はできていないのが現状ですし、分かっていてもできないのが実状です。介護の世界において、自立支援が大切と分かっていてもなかなかできないのに似ているかもしれません。なぜできないかというと、人間の習性として、できていないことや人、また悪いところについ目が行ってしまうからです

 

できていないところを指摘するのは、脊髄反射であり、感情的であって、教えるという行為ではありません。教えるためには、教える側は常に冷静にならなければいけないのです。まず、出来ていることと出来ていないことを見分けるのは、専門性や専門知識がないとできません。そして、この2つのうちで、できていないことを見つけるのは簡単ですが、できていることを見分けることが難しいのです。

 

まずは何でも良いのでできていることを褒める・認めることで、生徒さんは安心し、心を開いてくれます。人は自分を認めて(褒めて)くれた人を認める(褒める)のです。もし褒める部分がひとつも見つからなかったとしても、最後までできたことを認めたり、取り組んでくれたことを褒めます。

 

その次のステップとしては、できていなかったことを、「ここをこうしたらもっと良くなる」、「こうした方がいいよ」という前向きなベクトルで褒め、認めます。「○○なので~」と具体的な理由やメリットを加えられるとなお良いです。「こうしたらダメ」などといったちくちく言葉を使うのはよろしくありません。「絶対ダメ」といった言葉を使うのは、ケガや死につながる場合のみです。そして、実際に先生がやってみせます。デモンストレーションをしたり、見本を見せるということです。

 

次に、生徒さんにやってもらうことも大切です。なぜかというと、できていないことを伝えるのが教えることではなく、できるようになってもらうことがゴールですので、やってもらってできるようになってもらわなければならないからです。しかし、意外とやってもらうことを忘れてしまう先生が多いのも事実です。できないところを指摘して、それで満足してしまうのです。

 

「じゃあやってみようか」と生徒さんにやってもらい、できたら褒める、認める。ここがとても重要です。ここまでサイクルを回して、初めて本当にできるようになります。逆に言うと、ここまで行かずにどこか途中で止まってしまうと、相手には伝わっていないということになります。

 

よくある間違えパターンとしては、最初の褒める・認めるをすっ飛ばして、いきなりできていないところを教えるに突入してしまう感情的パターン、もうひとつは、せっかくやってもらっても、最後の褒め・認めがないパターン。どちらにしても、褒め・認めが教える側にとっては絶対に必要なのだということですね。そして、生徒さんができなければできないほど、モチベーションが低ければ低いほど、意識してこの教え方をしなければいけません

 

この教え方がいきなりできるようにはなるとは思いません。最初はこの教え方のサイクルを回すことをかなり意識して教え、そのうち意識しなくてもできるようになっているのが理想的です。これは教える者にとっての技術であり、教えるのが上手な先生とそうでない先生を隔てる壁でもあります。簡単なようで難しい。だからこそ、私たちは正しい教え方をしているのかと常に自問していかなければならないのです。

2018年

8月

29日

あなたがいなくて寂しい

実務者研修の6月火曜日クラスが修了しました。実務者研修はたった7日間しかありませんので、火曜日クラスのように毎週通っていただくと、ほんとうにあっと言う間に終わってしまいます。その中でも、少しでも生徒さんたちのことを知りたい、ひとつでも多くのことを伝えられたと思いますが、15日間ある初任者研修のようにはいかないのが現状です。それでも、実務者研修の最終日の授業がスタートする前に、「介護の先生たち、もういないんだ。今日で終わりかと思うと寂しいね」と言ってくれている生徒さんがいました。私たちも、その生徒さんが今日で終わりだと思うと寂しいです。

生徒さんたちに、先生にまた会いたい、(クラスメイトたちも含めて)もう会えなくなってしまうのは寂しいと思ってもらえるなんて、嬉しい限りです。おそらくその生徒さんは、湘南ケアカレッジの研修を楽しんでくれたのだと思いますし、クラスメイトたちとも仲良くなれたのでしょうし、また先生方からもしっかりと学んでくれたはずです。学校という場を通して、人間らしい交流が生まれたからこそ、先生方にまた会いたい、研修が終わってしまうことが寂しいと感じてもらえるのではないでしょうか。

 

そのような関係性が築けたということは、実は先生方も生徒さんがいなくなってしまうのは寂しいと思っているのです。私たちの関係は双方向なのです。たしかに先生方はたくさんの生徒さんと関わり、教えさせてもらいますが、それでもこの生徒さんとこれでお別れになるのは寂しいなと思う瞬間があります。それは先生と生徒という関係を超えた、人間同士の愛着のようなものではないでしょうか。先生がそう感じているとき、生徒さんも同じように感じてくれているはずです。

 

実務者研修の医療的ケアの授業が終わり、「能動的な生徒さんが多いクラスだった」と看護師の藤田先生は評していました。できるできないはまた別の問題として、自ら素直に学ぼうという姿勢が強かったクラスだということです。それはケアカレの初任者研修の卒業生を中心として、前向きなメンバーがクラスを良い方向に引っ張ってくれたということも大きかったです。最後には、クラスメイト全員からの感謝の言葉が書かれたメッセージボードをいただき、改めてこのクラスの雰囲気の良さとまとまりを知りました。

 

 

「一流の介護福祉士になります!」、「大人になっても夢中になれることがあるって幸せですよね」等と書かれたメッセージもあり、初任者研修とはまた違った生徒さんたちの意気込みを感じることができ、個性的なクラスが終わってしまうことは確かに寂しいのですが、それぞれが介護福祉士に合格して、これからの介護の明るい未来を担っていってくれることを願って、学校から送り出し、見守りたいと思います。

面白い形の色紙ですが、実は裏はこうなっています。

2018年

8月

26日

未来が評価してくれる

実務者研修の総合演習が終わったとき、「皆さんの今の頑張りは、将来に評価されるのです」と小野寺先生が言っていました。特に介護の世界では、その場で「ありがとう」と感謝されることはあっても、その仕事の本質的な評価は、だいぶ後になってから下されることになるはずです。今こうしたからこうなったというように、早急な結果が出ることはほとんどありません。スパンが長いのです。もしかすると、利用者さんがお亡くなりになったあとに、あのときああしておいて良かったなあと分かることも多いのではないでしょうか。つまり、一般的(客観的)な評価とは、私たちが思うよりもずっと後に訪れるのです。

 

それは他の分野のどの仕事でも実は同じです。今どれだけ頑張っていても、そのことが回り巡って自分に返ってくるのは、だいぶ先の忘れた頃になります。だから、自分がしていることが今認められなくて当然と思うぐらいで丁度いいですし、逆に今すぐに結果や評価が出てしまうような仕事には未来がないと考えてもいいはずです。むしろ今やっていることと、一般的な評価が現れてくるまでのタイムラグがあればあるほど、より大きな成果が伴うと考えるべきだと思います。テコの原理を使って、今やっていることを、未来に向けて投資していく。シーソーのようなイメージですね。

 

もう少し具体的に言うと、今は何よりも経験や知識、学びを得ることに投資をすることです。誤解されるかもしれませんが、仕事は安いところに多く降ってきますので、できるだけ報酬(評価)を得ずに、たくさんの仕事をする機会を得る方を選ぶということです。自分の能力や頑張りが今の報酬と見合っていない(もしくは搾取されている)と思うならば、それは未来が評価してくれる大きなチャンスです。

 

決してブラック企業を礼賛しているわけではありません(経験や知識、学びを得る仕事が少ないのがブラック企業です)。逆に言うと、今の報酬が仕事に見合っている、もしくは十分にもらっていると思うならば、未来が尻すぼみになるピンチだと受け止めてください。

 

「若いときの苦労は買ってでもしろ」というのは、そういう意味だと思うのです。今は受け取りすぎてはいけず、与えることで未来に向けて投資する。10代に頑張ったことが20代をつくり、20代で取り組んだことが30代をつくり、30代で情熱を傾けたことが40代をつくり、40代で…と綿々と続いていく。

 

 

それじゃあ、最終的にはいつ受け取ることができるのですかという問いには、いつまでも受け取らない状態が理想なのかもしれませんとお答えします。多くを受け取り始めたときから未来への投資が少なくなり、衰退が始まってしまうからです。常に与え続けることで、未来へつながる山を少しずつ高くしていくイメージです。私はそう思うようにしてやってきましたし、これから先どのようにしていこうか悩んでいるところです。小野寺先生の言葉を聞いて、ふと自らの生き方の原点を見つめ直させてもらいました。

2018年

8月

21日

時間がない

NHKハートネットTVで放映された「岩佐まりシングル介護 認知症の母と」を観ました。湘南ケアカレッジの卒業生でもある岩佐さんは、たまに学校にも顔を出してくれて、介護の未来やこれからやりたいことなどを話し合います。そのときは一人でやって来るため、3年前に出会ったいつもの明るい岩佐さんしか私の目には映りません。実際に岩佐さんとお母さまの在宅介護現場を垣間見るのは、こうした機会しかないのです。

 

番組を観た感想としては、「時間がないのだ」ということ。若年性アルツハイマー型の認知症を患う母と共に過ごす岩佐さんは、今こうしていられることが明日も続くとは思えない、もしかすると明日はないかもしれない、という時間軸で生きているのです。若年性アルツハイマー病は進行が速いということもありますが、彼女の目には母親と生きることで命の儚さのようなものが見えているのだと思います。私が漫然と過ごしたこの3年間に、彼女はどれだけの喜びや悲しみ、衰え、虚しさ、楽しさ等の喜怒哀楽や栄枯盛衰を味わってきたのでしょうか。彼女はそれを母親が与えてくれた社会勉強だと言っていました。

 

番組の最後に、「(母親が)私と一緒にいることが苦しくなったら、私の役割は終わりだと思っています。そのときはプロの手に委ねます。そうならないように(できるだけ長く一緒にいられるように)、私自身ももっと介護の知識や技術を学んでいきます」と岩佐さんは語っていました。司会の方々はこの言葉に驚きを隠せなかったようですが、それもそのはず。私の知る限りにおいて、このような切り口で語った家族介護者はいませんでした。介護者の愛情も大切ですが、もしかするとそれ以上に、在宅介護を続けていくためには介護の知識や技術が必要だということです。

 

「湘南ケアカレッジで学んだことが、どれだけ役に立ったか分かりません」と岩佐さんは言ってくれたことがあります。ケアカレに来る前から、すでに自らたくさんのことを学んでいた岩佐さんに、そう言ってもらえたのは光栄です。介護職員初任者研修で学ぶことが、在宅(家族)介護者にとっても大いに役に立ったことは、私たちにとって大きな自信にもなります。そしてこれから先は、岩佐さんと共に、介護職員初任者研修に来ることができない在宅介護者のための研修や学びの場を通したコミュニティをつくっていきたいと思います。時間はないのです。

 

☆再放送は8月23日(木)13時5分~13時35分です!

☆岩佐まりさんのブログはこちら

2018年

8月

14日

「ダイアログ・イン・サイレンス」

新宿のLUMINEゼロで開催中の「ダイアログ・イン・サイレンス」に参加してきました。2年前の冬にダイアログ・イン・ダークに行って以来のダイアログ体験でした。ダークは光のない暗闇の世界、そして今回のサイレンスは、音のない世界における対話ということです。福祉の世界における障害者体験ということではなく、ひとつのエンターテイメントとして、様々なバックグラウンドを持つ人たちが参加されていました。音が聞こえない、つまり言葉によるコミュニケーションが取れない世界で、私たちのコミュニケーションをどのように変化するのでしょうか。

 

入り口でルールが伝えられます。ここから先は、言葉(話すこと)や手話によるコミュニケーションは禁止、また壁を触ったり音を立てるのも禁止です。アテンドしてくれるのは、聴覚障害のある、ゆうかさんという女性でした。一緒に参加するメンバーを見渡してみると、親子連れが1組(お子さんは小学5年生ぐらい)、男女のペアが1組、遠方からひとりで来ていた女性が1人、そして外国人男性が3名(ドイツ人と韓国人)と通訳を務めていた日本人女性が1人という、まさに多種多様なグループでした。

 

最初のアトラクションは、手の形で遊んでみようという内容でした。まぶしいぐらいの光が上から照らされ、自分の手の形の影をテーブルに映します。△、□、○、♡などから始まって、キツネや鳥など、手の表情だけで様々な意味を持った形をつくることができるのです。

 

ダイアログ・イン・サイレンス全体を通し、(手話ではなく)手の動きや形を使って表現することが多く、つまり言葉に頼らない、非言語コミュニケーションを取るとき、手というツールは大きな意味を持つということです。手にも表情があり、時として言葉以上に、手の動きは何かを伝えるために有効だということですね。

 

次のアトラクションは顔の表情をつくること。額縁からそれぞれ顔を出し、嬉しい顔、悲しい顔、怒った顔、酸っぱい顔、美味しい顔など、アテンドのゆうかさんはさすが言葉を使わないコミュニケーションの達人だけあって、表情豊かに伝えてくれます。それに比べて、私の無表情なこと(笑)。いかに普段は顔の表情を意識しないでコミュニケーションを取っているかを痛感します。

 

最後のアトラクションは、相手側には見えていない写真の内容を、身振り手振りを使って説明し、その通りの状況を模型を使って再現してもらうというゲームです。ゾウとかカメとか飛行機とかの物体についてはボディラングエッジで伝えられても、それらの位置や向きを伝えるのが困難でした。

 

そもそも、アテンドさんが身振り手振りで説明してくれるのですが、そのゲームのルールを理解するのが最初は難しく、戸惑ったのですが、最終的には外国人と力を合わせて、上手く相手に伝えることができたと思います。実はこのことが、コミュニケーションの本質を理解するために、私にとっては貴重な体験になりました。

 

 

たった2時間の体験で多くを語るべきではないと思いますが、ダイアログ・イン・ダークに比べると、今回のダイアログ・イン・サイレンスの方が不安を感じませんでした。やはり目が見えない世界というのは恐怖であり、視覚情報を奪われることに不安を感じざるをえません。

 

対して、音が聴こえない世界、ここでは話し言葉によるコミュニケーションができない世界では、それに代替するツール(表情や手の動き形、アイコンタクト、筆談など)があるため、コミュニケーションの方法が変わるということです。

 

話し言葉はコミュニケーション手段としては便利なものですが、それはあくまでも表層です。それよりも大事なのは、実は表情や手の動き形、身体全体を使ったボディラングエッジなどの非言語的コミュニケーションなのです。

 

ここまでは教科書的な感想でしかありませんが、今回、言語の異なる(言葉の通じない)外国人と一緒に回ったことで、言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーションよりも大事なのは、自分たちが何をしようとしているのかに対する共通理解なのではないかと思いました。外国の人と目を見合わせるだけでコミュニケーションができたのは、そのゲームの目的に対する共通理解があったからである気がしたのです。

 

 

私たちがお互いを理解できるは、ある程度の共通理解があるからこそ。おそらく相手はこう考えているはず、こうしてもらいたいはず、こういう気持ちを抱いているはず、などといった想像が働くのは、人間として同じような文化や環境の中で育ってきたからではないでしょうか。そう、私たちはもっと上手くコミュニケーションを取れるのです。そんな明るい希望を持つことができました。

 

★ダイアログインサイレンスの公式HPはこちら

 

2018年

8月

09日

電話に出続けて感じること

湘南ケアカレッジが開校する前から数えると約5年間、問い合わせや申し込みの電話を受けてきました。「はい、湘南ケアカレッジの村山です」と言った回数は、星の数ほどに及ぶはずです。生徒さんたちにとっては、電話をかけて最初に話す相手が湘南ケアカレッジの印象にもなりますので、できるだけ丁寧に親切な対応をしたいと心がけてきました。生徒さん(または外部の人であっても)がどこから湘南ケアカレッジに触れても、同じ手触りでありたいと思っています。パンフレットやホームページ、電話、申し込んでから送られてくる案内等、そして研修が始まってからの授業やコミュニケーション、もちろん研修が終わってからも、どこを切り取っても人間的な学校でありたいです。

 

そんなこんなで電話に出続けていると、大きな変化に気づかされることがあります。最近よく感じるのは、「友人や知人から湘南ケアカレッジのことを聞いて(紹介されて)電話している」と言ってくれる人の多さです。あえてこちらから聞いているわけではなく、向こうから自然と言ってくれるのです。「ありがとうございます」と丁寧に返しながらも、嬉しさがこみ上げてきます。湘南ケアカレッジのことを「あそこは良いよ」と勧めてくれた卒業生さんに対して、そして、そう言ってもらえるような素晴らしい授業をしてくださっている先生に対して、「ありがとうございます」と感謝の気持ちが湧いてくるのです。そのような機会が少しずつ増えて、最近は多いなと感じるようになりました。

 

5年間の歳月をかけて、先生方が積み上げてきてくださった、目に見えない評判が目に見えるようになってきているということです。介護職員初任者研修では約2400人、実務者研修では約800人の卒業生さんたちがいて、それぞれが自分たちの周りの人たちに、良くも(もしかすると悪くも)ケアカレについて語ってくれ、影響を与えています。4月の講師会にて、広告が明らかに効かなくなってきているという話をしましたが、その分、卒業生さんたちがその人となりを通して、ケアカレを広めてくれているのです。先生方と卒業生さんたちのおかげで、介護の学校にとっては厳しい時代ですが、ケアカレは生徒さんたちにも恵まれ、100年続く学校の6年目を迎えることができています。

 

 

私たちにできることは、これからも生徒さんたちひとり一人と向き合うことだと思います。向き合い方は先生方によっても違うと思いますが、個性的な生徒さんたちと関わることや教えさせてもらうことを楽しむことです。それは教育の原点であり、終着点でもあります。それからもうひとつ、傲慢にならないことです。生徒さんたちは自動的に私たちの目の前に現れているわけではなく、これまでの先生方の素晴らしい授業の積み重ねと卒業生のおかげでいるのです。そう考えると、ひとり一人の生徒さんたちは当たりまえではなく、一つひとつの言葉や対応、授業を大切にしていかなければならないと思います。電話を受け続けることで、学校の成長を感じつつ、身の引き締まる思いにもさせてもらっています。

2018年

8月

03日

どのようにして向き合うか

4月からスタートした日曜日クラスが最終日を迎えました。日曜日クラスにしては人数が控えめで、その分、いつもの賑やかさはありませんでしたが、ひとり一人が真面目で素敵な生徒さんばかりでした。反応が大きい方が私たちは分かりやすいのですが、静かだからと言って伝わっていないわけではないのです。ひとり一人の生徒さんによって反応が異なるように、一つひとつのクラスによっても授業における反応は違って当然です。ケアカレや授業や先生方に対してどう思っているのか、後から静かにこちらに伝わってくる。そんなクラスでした。

 

最終日の授業が終わり、打ち上げにも参加させてもらいました。たくさんのクラスメイトが集まって、お互いの労をねぎらっていました。研修が終わっても、まだ他の仲間たちと話したい、名残惜しいと思っている生徒さんたちがこれだけいることが嬉しく、それはケアカレの介護職員初任者研修が良かったと思ってもらえた、ひとつの指標でもあります。4月日曜クラスの皆さんが楽しく飲んでいる姿を見て、ほっと一安心しました。この飲み会を中心になって企画してくださった生徒さんたちには、感謝の言葉しかありません。

 

そのうちのお一人の生徒さんとは、映画「ギフト」について、メールでやりとりさせてもらったことが印象深いです。ケアカレ図書館のポップに気づいて手に取り、借りてすぐに観て、感想を知らせてくれたのです。お互いが何を感じたのか、どう考えたのかを知れたことで、その生徒さんは私にとって一生忘れない人になります。そういうやり取りをこれからも増やしていきたいし、そのような生徒さんとこれからも出会えることを願います。

 

最終日に書いていただくアンケートを読んで、生徒さんの想いに気づかされることもあります。あまり気持ちを表に出さない生徒さんが、「介護に対する見かたや考え方が変わりました」、「ケアカレに来るのが楽しみでした」、「人見知りを捨てました」等と書いてくれたのを読むのは、学校をやっていて良かったと心から思える瞬間です。研修が進むにつれ、次第に表情が柔らかくなり笑顔が増えていった生徒さんの顔が思い浮かびます。最初は不安ばかりだったのに、最後は周りのクラスメイトに励まされながら頑張った、外国人の生徒さんもいました。ひとり一人の生徒さんたちが、それぞれに何かを感じ、変わってくれたのだと思います。

 

 

「先生方の生徒に対する接し方が、そのまま介護における利用者さんへの接し方として理解できました」と書いてくれた生徒さんもいました。そこまで感じてくださって嬉しく思います。授業の内容だけではなく、私たちの生徒さんに向き合う姿勢や接し方等を全て含めて、生徒さんたちは湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修を理解してくださるのですね。私たちは何を教えるかだけではなく、どのようにひとり一人の生徒さんたちと人として向き合うのかも問われているのです。

 

「世界観が変わる福祉教育を」届けることをテーマとして、湘南ケアカレッジに来てくださる生徒さんたちの人生が変わるような研修を、これからも提供し続けていきたいと思います。

 

ひとつ一つのカードにケアカレのロゴが描かれていました。腱鞘炎になったのではないかと心配するぐらい、大変だったと思います。余分もいただいたので、生徒さんの誕生日祝いのためのカードとして使わせてもらいますね。ありがとうございました!

2018年

7月

29日

卒業生インタビューvol.2宮口さん

以前はIT関連の仕事をしていた宮口さんが、介護職員初任者研修の受講を決意したのは、湘南ケアカレッジの卒業生でもある友人がすすめてくれたことがきっかけでした。

 

「宮口さんには、介護職が似合うよ!研修を受けるならケアカレだね!」

 

 

洋服ではなく仕事の話なのに、「似合う」という言葉を使って介護の仕事をすすめられたのは、彼の人間性ゆえだと思います。物腰の柔らかな話し方、ゆったりとした雰囲気を持っている彼であれば、素晴らしい介護ができるはずだと友人は思ったのではないでしょうか。

 

続きは→介護仕事百景のHPへ

2018年

7月

25日

介護の仕事を続けていく支えに

6月短期クラスが無事に修了しました。「団結力のあるクラスだった」と先生方も口を揃えていたように、それぞれが自分自身のことよりも、むしろ他のクラスメイトに対して気を配り、声をかけ、協力し合うクラスでした。その中心となったのが、フィリピン人のBさんでした。日本人に比べると日本語が苦手な彼を、周りのクラスメイトさんたちがサポートし、一緒に勉強したり、教える中で、自分たちも学んでいました。授業以外の部分でも一緒に過ごし、心が通じ合っていた印象を受けました。できないことがあっても、できる人が助ける。そうすることで、できる人にとっても大きな学びがあることを体験してくれたのではないかと思います。

 

こんなことを書くと先生方には怒られてしまうかもしれませんが、介護職員初任者研修で学んだ技術や知識のほとんどは、時間が経つにつれて忘れられてしまいます。実際の仕事等で普段から使っていなければなおさら。私が子どもたちに教えていた頃の経験を踏まえても、彼ら彼女らは教えたことを驚くぐらいきれいさっぱりと忘れてくれるのです(笑)。それでも、最も大切なことだけへ、生徒さんたちの心にいつまでも残ります。

 

介護職員初任者研修であれば、人を想うことであったり、自立支援の意義であったり、ボディメカニクスを利用した身体の使い方であったり、おむつは最終手段であることであったり。記憶は漠然としているかもしれませんが、心で学んだ大切な何かは決して忘れないのです。

 

そのひとつとして、クラスメイトたちと楽しく学んだことがあるはずです。介護の世界に一歩踏み出そうと門を叩き、初めて会う先生方やクラスメイトと15日間の時間を過ごします。たった15日間かもしれませんが、その凝縮された時間と空間の中で得た体験こそが、その後の人生を大きく変えていくのです。私もそうでした。今から約20年前に当時のホームヘルパー2級講座を受けたことで、介護・福祉教育の素晴らしさに目覚め、今は学校をするまでになりました。あの講座が楽しくなければ、この仕事を面白いとは思えなかったかもしれませんし、続けられなかったはずです。

 

 

湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修では、クラスメイトたちと楽しく学ぶ体験をしていただきたいと思います。私たちが狙ってできるものではありませんが、だからこそ価値があるのです。そのような体験が、介護の仕事を続けていく支えになることは間違いないのです。

2018年

7月

19日

同行援護従業者養成研修の9月クラス、11月クラスを募集中です。

目を閉じてみてください。音はそのまま聞こえてきますが、視覚からの情報は失われてしまいます。そう、見える人が目をつぶると、見えなくなる不安や怖れを感じます。見えている状態が普通であって、そこから光や情報が失われていく。単なる引き算であり、マイナスという感覚です。しかし、目の見えない人は、何も見えない暗闇の世界を生きているのでしょうか?

 

もう1歩踏み込んで、目の見えない人は、目の見える人には見えない世界を感じているのではないか、と考えてみてはいかがでしょうか。

 

「同行援護従業者養成研修(一般課程)」は、視覚障害のある方の外出支援(ガイドヘルプ)について学ぶための研修です。

 

→目の見えない人の世界に興味がある

→同行援護の仕事をするにあたって必要な、正しい知識や技術を身につけたい

→高齢者介護とは全く違う、視覚障害者の支援について、深く学びたい

 

という方は、ぜひご受講ください。

 

ガイドヘルパーの仕事に即した、実践的なオリジナルコンテンツ

①基本技能と専門的知識

同行援護の基本技能に関しては、基本姿勢を徹底します。利用者さんの半歩前に平行にきっちりと立つ、脇を締める。美しい姿勢が保たれることで、安全と安心が確保されるのです。できるガイドヘルパーかどうかは、姿勢を見れば分かります。何よりも先に、基本姿勢をしっかりと身につけることが大切です。

 

その他、アイマスクをしながらの食事介助や、町田市民ホールまで行って階段昇降やまたぎ、トイレの介助についてなど、あらゆる場面における基本的な動作をみっちり練習します。2日目は、長津田駅を利用させていただき、エスカレーターの上り下りや電車の乗降など、実際のガイドヘルプを想定した実践的な体験をしてもらいます。

②当事者との交流・相互理解

視覚障害のある方が実技演習に参加してくれます。実際の交流を通して、同行援護の正しい技術や実際のガイドヘルプ活動を体験することができます。

 

当事者の方と実際に触れ合ってみること、直接に話をすることによってこそ、相互の理解は深まるはずです。

 

当事者の方が、グループワークにも参加して、視覚に障害のある方の気持ちや考え、経験談などを語ってくださいます。私たちの想像を超える話が飛び出すかもしれませんね。

③こどもの国

ガイドヘルプ本来の目的は、余暇をいかに楽しく過ごしてもらうか。そこで、こどもの国へ行くことにしました!

 

こどもの国に入園して、歩き回ったり、食事をしたり、ソフトクリームを食べたり、記念撮影をしたりします。視覚障害のある方とガイドヘルパーが過ごすように、私たちも外出の研修を楽しみながら、あらゆる局面における実践的な学びを得ることができます。こどもの国のソフトクリームは美味しいですよ(個人の感想です)。

タイムテーブル

第1日目

 9301130  

2

同行援護の制度と従業者の業務

 11401400

*途中休憩20分挟む 

2

同行援護の基礎知識

14001800 

4

基本技能

第2日目

 9301130  

2

情報支援と情報提供

 11401400

*途中休憩20分挟む 

2

代筆・代読の基礎知識

14001800 

4

応用技能

*昼食はガイドヘルパーの演習の流れの中で召し上がっていただきます。

 

*雨天決行になりますので、雨天の場合は雨がっぱ等をご用意ください。

修了証明書

研修終了後には、「同行援護従業者養成研修」修了の資格が手に入ります。この資格を持っていなければ、同行援護の仕事に従事することはできません。もちろん、履歴書にも「同行援護従業者養成研修修了」と書いていただけます。

講師紹介

千種珠美

尾形亜希子


湘南ケアカレッジの講師は、同行援護(視覚障害者のガイドヘルプ)の経験が豊富であり、教えることに対しての技術と情熱を持っています。分かりやすく丁寧に教えさせていただき、同行援護の仕事の素晴らしさをひとりでも多くの人々に伝えたい、と願っております。

受講料

23,000円(税込、テキスト代込)

定員

24名限定

*授業内容の関係上、1クラスを少人数に限定させていただくことをご理解ください。

受講資格

介護職員初任者研修課程修了者(修了予定者を含む)、ホームヘルパー2級課程修了者、介護福祉士並びに東京都居宅介護職員初任者研修課程及び東京都障害者居宅介護従業者基礎研修課程修了者、東京都障害者(児)居宅介護従業者養成研修1級課程、2級課程及び3級課程(旧東京都障害者(児)ホームヘルパー養成研修の各課程を含む)の修了者(修了予定者を含む。)、介護保険法上の訪問介護員、実務者研修修了者、介護職員基礎研修課程修了者。

研修日程

第1回

第2回

4月22日(日)、29日(日)*終了

5月20日(日)、27日(日)*終了

第3回

第4回

9月16日(日)、

23日(日)

11月18日(日)、

25日(日)

*同行援護従業者養成研修(一般課程)は全2日間で修了する研修になります。

 

*定員の関係上、振り替えはできませんのでご了承ください。

研修会場(集合場所)

THE会議室町田」 町田市森野1-30-8 ノアビル7F (町田駅から徒歩10分)

 

*お申し込みの方には、町田駅からの詳しい行き方の地図を郵送させていただきます。

生徒さんの声

感動しました

 

とても勉強になりました。介護の仕事をしているため、どうしても体全体で介助してしまいたい気持ちになってしまいます。色々な研修を受けてきましたが、初めてのことが多く、受講して良かったと思います。特に階段の乗降など、とても難しいと思いました。食事の介助は、仕事では全介助が多いので、今回の体験で説明がとても必要だということも分かりました。あまり見たことがない福祉用具が多く、便利であることに感動しました。(伊東さん)

私の人生にとってプラス

 

アイマスクをしていたことで、キャンディの味が分からなかったりと、見えない経験は貴重でした。お弁当の説明や市役所のスロープ階段体験、トイレの入り方等、勉強になりました。自らがアイマスクを使用し、利用者役になることで、基本姿勢の意味が理解できました。熱心に教えてくださる先生方の気持ちが伝わり、もっと勉強したいと思いました。レストランでの水の出し方、切符の買い方等も学び、何より畑山さんにお会いできたことは、私の人生にとってプラスになりました。(笹田さん)

目が見えないと他の感覚が鋭くなる

 

1日目の研修では見えない世界を初体験し、目が見えないと他の感覚が鋭くなると感じました。そして、過剰な介助は不要だということも知りました。食事の説明においては、物の説明はきっちりと、位置関係ははっきり伝えることさえ出来れば、かなり自立で行ってもらえることを知りました。「介助」と「お世話」の違いを自覚し、しっかり「介助」出来るガイドになりたいと思いました。Sさん)

こどもの国は草の香りや風がとても爽やか

 

分からないことを一つひとつ学ばせていただくことの喜びを感じつつ、エレベーターやエスカレーターの介助、切符の買い方など、全てが初めてで大変勉強になりました。こどもの国は草の香りや風がとても爽やかでした。最初はしっくりしなかったグループワークも、2日間研修でご一緒しているうちに親近感を覚えました。とても楽しかったです。(柏木さん)

せっかく覚えたことを忘れない

 

基本姿勢を覚えるのが大変でしたが、研修初日の後、右腕をふらないことを意識したり、右側に人がいることを想像しつつ行動しました。トイレに入る時にも、誰かを同行援護しているつもりで言葉を頭の中で繰り返したり、せっかく覚えたことを忘れないように努力しました。階段や屋外、舗装外道路などでは案内すること、される事の大変さを知りました。大変貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。(Sさん)

繰り返し練習できたので良かった

 

基本姿勢や階段の昇降、またぎ動作など、繰り返し練習できたので良かったです。音と香りのコラボレーションは楽しかったです。実践的な練習(エレベーターやエスカレーター)電車の乗降などできてよかったです。休日で混んでいて大変でしたが、この研修に参加できてよかったです。ありがとうございました。(Aさん)

世の中が変わる

 

目からの情報がないだけで、こんなに世の中が変わるのですね。同行援護も十人十色。基本をしっかり忘れないようにと思いました。何でも勝手にするのではなく、きちんと同行援護の本質を理解しなければいけませんね。2日目はかなり遠くまで行った気がします。安全のためにも、利用者さんの必要とする情報をきっちりと伝えられる介助者になりたいです。(澁谷さん)

お申し込みの流れ

①以下のお申し込みフォームに入力してお申し込みください。もしくはお電話(042-710-8656にて直接お申込みください。

いずれの場合も、ご希望のクラスが定員になりますと受付できませんのでご了承ください。

 

②受講確認書をお受け取りください。

ご自宅に「受講確認書(受講料お振込みのご案内)」が届きます。

 

  受講料をお振込みください。

「受講確認書」が到着後、1週間以内に受講料をお振込みください。お振込みは、銀行ATM やネットバンキングからでも可能です。※手数料は各自でご負担ください。また、お振込みは案内をよくご確認の上、お願いいたします。

 

④研修当日 申し込みクラスの日時をご確認の上、会場(THE会議室町田)までお越しください。当日、テキストをお渡しします。

 

お申し込みフォーム

2018年

7月

12日

死に際したとき

「この4月から介護の現場で働き始め、利用者さんと話す中で少しずつコミュニケーションが取れるようになりました。そんな中で、利用者さんが亡くなったりしたとき、どのように感情を出して良いものなのでしょうか?泣いていいものなのか、それとも表に出さない方がいいものなのか」と、看護師の先生に質問をしてくれた生徒さんがいたそうです。とても良い質問だと思い、授業の中で「皆さんはどう考えますか?」と先生はクラスメイトにも問いました。それぞれが自分ごととして考えてくれて、「割り切る」「受け入れる」と言った生徒さんもいれば、「その人の死から次に向ける」と答えた生徒さんもいました。そこで先生は、看護学生で実習に行っていたときに受け持った、胃がん末期であった80代女性の話をしてくれました。

3週間の実習のうち、2週目が終わったあとの休日に彼女は亡くなりました。それを週明けの月曜日に知った当時看護学生であった先生は言葉になりませんでした。そして亡くなるまでの記録を振り返っていたとき、「お兄ちゃん今日いないの?」と土曜日の看護記録に記されていた彼女の言葉を目にしたのです。その記録を見たとき、先生は涙してしまったそうです。

「悲しいという感情は出して良いと思うし、むしろ感情を殺して、抑圧して感じとれない人になるよりは、感情のある、人間味のある人になってほしい。それがその人への弔いや感謝の気持ちだと思う。悔いがあるから、こうしてあげようとか、こうしたいと思うのではないかと思う。だからこの仕事を続けているのだと思う」と生徒さんに対して語ってくれました。

 

 

その翌日、先生からメールをもらいました。昨日、利用者(患者)さんの死について話したばかりなのに、今日このようなことがありました、と。7月短期クラスの生徒さんたちにも、ぜひお伝えくださいとのことですので、長くなりますが引用させていただきます。

 

ICU3ヶ月ほどいた方が今日亡くなりました。YouTubeから洋楽を聞くのが唯一の楽しみで、僕のために僕のイチバン好きな曲を履歴の最初に置いてくれるのです。「いつでも聴きに来ていいよ」、「歌詞が良いよね」って言って。死期は確かに近かったのですが、今朝も挨拶できるものだと思っていました。

死亡確認が終わり、身を整えて(死後の処置)から霊安室へ移動しました。最初に家族が10名ほどいて、一人ずつ先に手を合わせました。次に医師3名が手を合わせたあとに、看護師が続きます。僕は手を合わせたあとに奥さまにお辞儀して、「ご愁傷さまです」と言った瞬間、涙が溢れてしまいました。

 

「お疲れ様でした本当によく耐えたと思います僕は色々と学ばせて頂きました」と奥さまへお伝えしました。感情の沸き起こりと涙で思うように言えず、一呼吸ずつ言っていました。奥さまは「ありがとうございました。本当に良くしてもらって」と涙されていました。後に続く他の看護師も同様に手を合わせては涙していました。

昨日の質問にもう一度答えるとすれば、感情は素直に表出するべきであろうと改めて感じました。人と関わるからこそ、起こりうる現象だと思います。

2018年

7月

08日

そばにいたい

織姫と彦星が1年に1度だけ出会う七夕の日に向けて、湘南ケアカレッジにも笹が飾られました。「季節感を大切にする仕事ですから、ぜひ皆さんも短冊に願いごとを書いてください!」という影山さんの呼びかけに皆さんが応えてくれて、願いごとが書かれた短冊が所狭しと連なっている様子は、ケアカレの賑わいや生徒さんと先生方の距離感を象徴しているようで素敵です。さっそくですが、私も今年の願いごとを飾ってみました。悩んだ挙句、「周りに良い影響を与えられる人になりたい」と書きました。大人になって、こうしてはっきりと自分の願望や希望について考える機会って少ないですよね。

願いごととは、今はそうではないけれど、将来的にはそうありたい自分ということです。「世界平和」とか「世界中の人々が健康でありますように」という壮大なものではなく、今年は自分ごととして考えてみました。自分が生きていることによって、周りに良い影響を与えられているのか自信がないのです。せっかく生きるならば、その人がいるおかげで周りの人たちが心地よく感じられたり、前に進む支えになれたりする存在でありたいですよね。私の周りには、先生方を筆頭にして、そのような存在の人がたくさんいます。

 

僕は少し思い違いをしていたことがあって、何かとんでもなく新しいことや大きなことをしなければ(取り組まなければ)ならないと考えていました。常に前に進まなければならないというプレッシャーも少なからずありました。湘南ケアカレッジを大きくしないように自制をしてきたつもりですが、その分、新しい変化を起こさなければならないと考えていましたし、自分が何かをしなければならないという思いもありました。しかし、僕自身も年齢を重ね、衰えやできなくなることが少しずつ見えてきました。以前よりも良くなることよりも、悪くなることが目につくようになったのです。

 

そこでひとつの結論に達したのが、現状を維持することが実は最も難しく、そのためには今まで以上に努力しなければならないし、時代についていかなければならないし、その過程で変化していかなければならないということです。これまでのやり方にこだわったり、自分だけの力で何かを成し遂げようとしたり、肩ひじ張って自分の殻に閉じこもってみても、下降線をたどってしまうだけなのです。

 

 

抽象的なことばかり書いて申し訳ないのですが、つまりこれまで以上に、大切なことをコツコツと継続しつつ、心を広く持って、誰かの力になれることを喜べたらと願います。そして、生徒さんや先生方が幸せを掴んでくれるとき、そばにいられたら私も幸せです。

2018年

7月

04日

生徒さんの成功のお手伝い

昨年の11月短期クラスのKさんは、湘南ケアカレッジの紹介で入った施設でこの4月から働きながら、陸上競技を続けています。介護の仕事をしながら、仕事以外の時間を使って練習をし、ときには遠征に行き、大会に出場するという生活をしています。夢を追いかけ続けるだけではなく、現実的に生活をしていくために新しい仕事をスタートしました。彼の人生の中では、大変だけど輝かしい時代なのではないでしょうか。その彼が大会記録を出しましたと、施設の人事担当者からお便りが届きました。「私たち施設としても、最大限のバックアップをしていきたいと考えています」と心強いひと言も添えられていました。

 

彼が初めてケアカレに来てくれたのは、介護職員初任者研修の説明会でした。説明が終わったあと、残ってくれた彼とゆっくり話しました。長野から東京に出てきて、内定をもらっている病院で看護助手として働きながら、陸上競技を続けるつもりですと熱く語ってくれました。野球やバスケットボールなどの球技においては、社会人になってからも働きながら続けているという話は聞いたことがありますが、陸上の短距離走を社会人として続けるなんて初耳だったので、よく覚えています。そのときは、仕事と競技の両立は大変だけど頑張ってもらいたいと単純に思っていました。

 

雲行きがあやしくなったのは、彼がケアカレを卒業したあとのこと。働くことを予定していた病院が間近になって採用を控えることになり、突然内定が取り消され、彼は就職先を失ってしまったのです。彼にとってはまさかの宙ぶらりん状態でした。たまたま彼がクラスメイトと一緒にケアカレに遊びに来てくれたとき、そのような話をしてくれて、何とか力になりたいと思いました。私自身、仕事のあてのない時代を長く過ごしましたので、未来が見えないことに対する、若い彼の不安な気持ちが良く分かったからです。

 

応援(金銭的なバックアップ等)してくれなくてもいいので、周りの人たちが理解してくれる環境で働きたい、というのが彼の唯一の願いでした。介護の現場は勤務体制が複雑であり、ゆえにひとりの職員のためだけに特別にシフトを組むわけにいかない、と考える施設が多いのも事実です。どこまで互いが相談して妥協できるかが重要なポイントでした。

 

「介護仕事百景」を運営している影山さんがいくつかの施設に働きかけてくれた結果、マナーハウス横山台(座間さんや青竜さんたちが働いている特別養護老人ホーム)が、陸上競技を続けながら仕事をすることに対して理解を示してくれました。施設にとっても初めての採用形態だったはずですが、快く受け入れてくださったのです。

 

今春から彼は新卒のひとりとして真面目に働き、しっかりと練習したからこそ、大会記録を出すことができたのだと思います。その知らせを聞いただけで、彼が願っていたとおりになったのだと知りました。彼の希望を叶えることができたのです。私たちは世界観が変わるような授業を提供することだけではなく、さらにその先にある、生徒さんたちの成功のお手伝いができるようになったということでもあります。最高の福祉教育を提供し、その生徒さんに合った働き方や仕事を提供して、全てが上手く運べば、卒業生さんたちの人生をより良く変えることができるのですね。もちろん彼だけではなく、人生が変わったという卒業生さんが少しずつ現れてきて、私たちにできることはまだまだたくさんあるのだと教えてもらいました。

 

 

2018年

6月

30日

生きるって?

先日、卒業生の訃報がFAXで届きました。ガンを患って入退院をしていたとは聞いていましたが、あまりの突然の知らせに驚きました。卒業後に彼女は介護の仕事にも就いて、病気と闘いながらも働き続けていたそうです。退院後すぐに、入浴の介助を1日中やっているという話を聞き、さすがだなあと思いました。とても大胆で細やかで親切な印象的な方でした。

 

彼女のことを思い出すと、机に指を挟まれて、「痛いっ!!」と叫ばれたシーンが浮かんできます。講義から演習に切り替わるとき、クラスメイト全員で机を片づけてベッド等を出してきます。その際、机をコンパクトにするために、レバーを握りながら水平だった机面を垂直にするのですが、タイミングが合わずに机とレバーの間に指を挟まれたみたいでした。それ以来、机を片づけるとき、私も含めて先生方は「指に気をつけてください!」と喚起するようになりました。

 

 

卒業生の訃報を知るのは、これで3人目となります。これだけたくさんの卒業生がいれば仕方ないことですが、やはり知っている人が亡くなるのは、家族とは言わないまでも親戚を失ってしまったときのような悲しさと寂しさがあります。そして、その度にいつも思うのは、こうして生きている以上は一生懸命に生きなければならない、生きたいということです。でも、一生懸命に生きるとはどういうことなのだろうか?どのようにすれば、一生懸命に生きることができるのか?生きるって、どういうことなのだろうか?そんな根源的な問いにも突き当たってしまうのです。

「生きるって、こういうことだと思う」

 

元フットボール選手がALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、身体が動かなくなってゆく過程において、親や家族との関わりの物語を描いた映画「ギフト」のDVDに、このようなポップを付けました。この映画を観たとき、ストレートにそう思ったのでした。ALSは自分の精神はクリアなまま、肉体は急速に動かなくなっていき、眼球しか動かせなくなり、最後は呼吸が停止してしまうという病気です。これまで出来ていたことができなくなり、言葉もうまく出せなくなり、他人の助けなしでは生きていけなくなる。まるで私たちには無縁の病気のように思えるかもしれませんが、実は私たちも遅かれ早かれ同じような過程を通ることになるのです。

 

ALSを患った人は、目に見える形で急速に運動機能を失っていくのに対し、私たちは実に緩慢に、時間をかけて、ゆっくりと肉体が衰えていきます。もう少し分かりやすく書くと、急激に死に向かっていくか、緩慢に死んでゆくかの違いです。そして見かたを変えると、その肉体の死への向かい方があまりにも劇的だからこそ、一生懸命に生きざるをえない。私たちはゆるやかに死んでゆくからこそ、のどかに生きることができるのです。

 

 

死と生はいつも隣り合わせ。大きく笑うこと。悲しいときには泣くこと。悔しいときは叫ぶこと。体を動かして遊ぶこと。思いっきり楽しむこと。苦しいことから逃げないこと。たとえ絶望しても白旗を揚げないこと。好きな人たちと一緒に過ごすこと。身体も気持ちも触れ合うこと。包み隠すことなく本音でぶつかること。ありがとうと感謝すること、などなど。劇的に生きている人々の姿勢から、私たちは一生懸命に生きるための何かを学ぶことができるのではないでしょうか。

2018年

6月

25日

支えられている

「ケアカレに来ると、自分がリセットされたようで、明日からもう一度頑張れる気がします」と卒業生さんたちは言ってくれます。介護職員初任者研修が終わって、ステップアップ研修である実務者研修や全身性障害者ガイドヘルパー養成研修、同行援護従業者養成研修に参加すると、そのように感じるそうです。介護職員初任者研修で学んでいたときの初心を思い出したり、また新しい知識や技術を得て、世界が広がったりするからこそですね。卒業生さんたちは新しい刺激を受けて帰っていき、私たちも卒業生さんたちのそうした言葉や笑顔に支えられて、また明日から頑張れるのです。

 

「先生たちが良かったから、研修が楽しかったです」、「教えてもらったことが現場でとても役に立っています。ありがとうございます」と言ってもらえるからこそ、先生方はもっと教えたいと思います。「ブログを読んでいます」と言ってもらえるからこそ、私もブログを書き続けられます。「楽しく働けています。良い職場を紹介してくれてありがとうございます」とおっしゃってもらえるからこそ、影山さんも見学に同行した甲斐があったと思えるのです。私たちにできることは限られていますが、生徒さんや卒業生さんたちの何気ない感謝のひと言が私たちの仕事を支えてくれています。

 

生徒さんに助けられることもあります。先日修了した同行援護従業者養成研修では、2日目に全員でこどもの国へと行きました。その道中で、先生の指示の伝達役を買って出てくれた生徒さんが現れました。20名もの生徒さんを引き連れて外出するのは想像以上に大変で、団体の行動をまとめるのはなかなか難しいものです。私たちの力不足なのですが、先生の指示が行き届かない場面があり、見かねた生徒さんのひとりが大きな声で、「これから10分間休憩です!」、「今から切符を買って改札に入ります!」など、全体へ向けて指示の再確認をしてくれました。「先生がたくさんいる」と驚いていた人もいましたが(笑)、私たちはどれだけ助けられたことか。

 

 

それで良いと思っているわけではなく、ケアカレと卒業生さんたちとの関係性上、それもまた良いなと思ってしまうのです。私たち学校が教える立場であり、資格を発行する機関でしかなく、生徒さんや卒業生さんたちは教えてもらう立場であり、資格を買う消費者であるという関係はつまらないと思います。湘南ケアカレッジに来たからにはもう、世界観が変わる福祉教育を一緒につくり上げていく同志であり、介護の世界を少しでも良くしていく仲間でもあります。それは慣れ合いや甘えではなく、お互いが支え合うことで、自分たちが初心に戻れたり、成長していたりという関係です。正しいことは正しいと言える、誠実な関係性をこれからもケアカレと卒業生さんたちとの間に築いていければいいですね。

2018年

6月

20日

それぞれを生かして

昨年に修了した実務者研修クラスの集まりに参加してきました。介護福祉士試験を受けた方は全員合格したという嬉しい知らせからスタートし、ケアカレで学んだことや思い出から、今の現場における深い話まで、さすが実務者研修に来て介護福祉士まで取った卒業生さんたちだと思わせられました。これから介護の現場に一歩踏み出す介護職員初任者研修の卒業生さんたちの初々しさとはまた違って、現場を知りつつ、理想と現実のはざまで苦しみつつも、それぞれに今、自分ができることを考えている。そんな一本芯の入った話を聞いているうちに、それぞれが自分の良さや人となりを生かして働いていて、それぞれが磨かれているのだなあと素直に尊敬の念を抱きました。

主に障害者の訪問介護やガイドヘルプをしているAさんは、事業所にひとりしか男性がいないため、男性にしかできない仕事がたくさん回ってきて重宝されていると語ってくれました。ガイドヘルパーとして支援するときには、彼の得意なゲームを生かして、コミュニケーションをとることができるそうです。ゲームを一緒にやったり、ときには「教えて」と頼まれることも。利用者さんも深い話ができて嬉しいはずですね。

 

また、人と関わることが大好きで、懐メロに詳しいOさんは、高齢の方々とのカラオケで力を発揮するそうです。そのように属人的な個性を生かしている彼ら彼女らの話を聞くと、私にはできないことばかりで、介護や福祉は取り換えが利かない仕事なのだなあとつくづく思うのです。その人でなければできない仕事がたくさんあるのです。

 

もちろん、ケアカレの思い出もたくさん聞かせてもらいました。小野寺先生のボディメカニクスの授業はとても役になっているという話や食事の授業で登場するキャサリン先生の話。特に介護職員初任者研修から実務者研修までケアカレで修了した卒業生さんは、実務者研修でもキャサリンが登場したことを喜び、自助具を簡単に作ることができることがとても印象に残っていると語っていました。

 

ただ単に自助具をつくることを教えてもらうよりも、ああやって記憶に残る形で教えてもらえると、それはいつかどこかで何かのきっかけとして学びからの実践に至るのではないかと。望月先生や佐々木先生が聞いたら喜ぶだろうなと思いながら聞いていました。

 

 

介護士と看護師の間にある溝の話も興味深かったです。多職種連携なんていうのはかけ声ばかりで、ほとんどの現場ではやはり看護師は介護士を下に見ていると。自分たちにはできることがあるから当然の意識(無意識)だと思いつつ、それでは介護士はどうしていくかというと、自分たちの専門性を高めつつ、自ら働きかけていく必要があるのだと。利用者さんと看護師の橋渡しをするのは介護士の役割でもあり、そのためには介護士ももっと学ばなければならないし、そうしてひとり一人が意識を高く持ち、認めてもらうことを積み重ねていくことが大切だと考えている。

 

そんな話を聞いて、もう彼ら彼女たちはケアカレの卒業生ではなく(それはごく一部であって)、立派な介護士としてひとり立ちしているのだと思いを改めました。「同じ介護福祉士になって会いましょう」と先生方は実務者研修の終わりに言いますが、そういうことなのですね。

2018年

6月

16日

89回目の初授業

5月短期クラスが修了しました。最初は静かなクラスかと思いきや、いつの間にか賑やかなクラスに様変わりし、特に実技演習中はその盛り上がりが、下の階の事務所まで届くほどでした。親子かそれ以上の年齢の幅がある生徒さんたちが、まるで同級生のように話をして、学び合っているのが伝わってくるクラスでした。その中心にいた生徒さんが、皆で色紙を作ろうと提案してくれたそうです。「私たちはそう思っていても言い出せなかったけど、彼女が率先して進めてくれた。彼女はすごい」と褒めていたり、「最近の若い子はスマホばっかりいじっていると思っていたけど、彼女たちみたいな若者もいるのだと知って安心した」と周りの生徒さんたちも認めていました。こうした世代を超えた交流が生まれるのも、介護職員初任者研修の魅力のひとつですね。

いただいた色紙には、89期生と大きく書かれていました。生徒さんたちが全員帰ったあと、小野寺先生たちと「ほんとうにあっと言う間に89期生まできましたね。来年の4月短期クラスでちょうど100期生になるみたいです」と話しました。あの本当に生徒さんたちや先生方が来るのか心配してスタートした1期生のドキドキから、もう89クラスの生徒さんたちをこうして笑顔で送り出してきたのですね。

 

先生方と生徒さんたちのおかげで、ひとつのクラスもクローズする(開講しない)ことなく、ここまで続けて来られたのは誇りですし、この連続記録をいつまでも伸ばしていきたいと思います。100年続く学校をと偉そうなことを言っている以上、100クラスはあくまでも通過点に過ぎません(笑)。

 

89期生ということは、私たちは89回も同じ研修や授業を行っているという意味でもあります。それでも、毎回違うと先生方は言います。外から見ているよりも、実際に授業をしている先生方はよりその違いを感じるのでしょう。同じような内容を繰り返しているにもかかわらず、毎回、毎日、違った反応が返ってきて、初めての出来事が起こるのです。だからこそ、毎回緊張するし、初めてのような気持ちで教えることができるのでしょう。

 

先日観た、「50回目のファーストキス」という映画を思い出しました。交通事故によって脳の短期記憶を司る部分を損傷してしまった女性が、同じような毎日を、しかし初めての1日として過ごすという、笑いありハートフルな映画でした。彼女のようには生きられなかったとしても、現状に満足することなく、違いや変化に敏感に気がつくことさえできれば、初めてのような新鮮な気持ちを持ち続けることは私たちにもできるはずです。

 

 

生徒さんたちが楽しんで笑顔で授業を受け、先生方が楽しそうに授業をしてくれている。そのことだけで私は嬉しく思います。それはどのクラスでも、どの授業でも、湘南ケアカレッジがスタートしたときから変わらず、毎日抱き続けている気持ちです。その喜びは、89回目の介護職員初任者研修であっても変わりません。これからも笑顔や楽しんでいる姿を見るために、毎日教室に足を運び、先生方や生徒さんたちと話し、湘南ケアカレッジをより良い学校にしていきたいと思います。

2018年

6月

11日

本には3種類ある

最初に勤めた会社の上司に、「本には3種類ある」と教えてもらいました。ひとつは、自分が好きで選んで読む本。趣味の本であったり、小説のようなものであったりすると思います。2つめは、自分のためになる本。今の自分にとって必要な知識や情報を得るための本ということです。3つめは、他人から勧めてもらって読む本。面白かった、良かった、ためになったから読んでみたらと、誰かが勧めてくれた本です。つまり、どれか1種類の本ばかりを偏って読むのではなく、3種類の本をバランス良く読むと良いよという教えでした。

その教えは今でも覚えていて、役に立っています。ひとつめの種類の本は、自分の世界を深くしてくれます。自分の興味のある分野を、下へ下へと深く掘っていくイメージです。心に余裕のあるときに、ゆっくりと時間をかけて、自分の世界を深めていくことができます。小説などの物語を読んでも、目に見える実利はありませんが、それでも自分ではない誰かの人生をまるで自分のことのように想像して生きてみるという行為自体が楽しいものですし、人間として大切な他者の人生に対する想像力を培うことができます。

 

 

 

また逆説的ですが、小説を読むことは、フィクションとノンフィクションの区別をつけることです。小説の中の物語をフィクションとして読むことができるからこそ、自分の人生をノンフィクションとして生きることができるのです。

 

 

 

2つめの種類の本は、学術書であり専門書であり、またノウハウ本であったり自己啓発本であったりします。社会に出て仕事をするようになってから、私はこのタイプの本を読むようになりました。知っていなければ生きていけない、より良く生きるために知っておくべき知恵や情報として、砂漠の砂が水をそうするかのように吸収するための本です。たとえば医学の知識に乏しい医者がヤブ医者と呼ばれるように、自分の生業に関する専門知識を得るためには本を読むことが大切です。また、未来に起こるであろうことを知るためにも必要ですね。

 

 

3つめの他人から勧めてもらった本は、一見、自分には興味がなかったり、とっつきにくかったりするものですから、敢えてすぐに読んでみることを心がけています。誰かが自分に対してすすめてくれた本は、よほど面白かったか、または自分が読むべき理由が何かあるのかもしません。そうして自分の範疇にはなかった本を読むことで、自分の世界が広がりを持つことがあります。その上司が勧めてくれた本は、当時の私には難しかったのですが、そこに食らいついて読んだことで、自分がいかに常識にとらわれた小さな箱の中で生きてきたかを知った気がします。

 

最近は、小野寺先生から「自分で動ける部下の育て方」、影山さんから「今日も1日きみを見てた」を勧めてもらって読みました。どちらも面白かったです!

2018年

6月

07日

真夏の部活!?

全身性障害者ガイドヘルパー養成研修の第3回が行われました。今春はこれでラストとなり、次回は10月8日(祝)になります。全身性障害者ガイドヘルパー養成研修が春と秋にしか開催されないのは理由があります。研修のほとんどの時間を外に出ていくことで過ごすからです。外出支援を学ぶ研修ですから、当たり前と言えば当たり前の話ですね。夏は暑すぎて、冬は寒すぎて、さすがに外で研修をするのは苛酷すぎます。天候の良い春秋に予定を組んでいるつもりですが、今回は日中の気温が28度という夏日であり、あまりにも暑かったです。リタイアする人が出ないか心配でしたが、生徒さんたちは汗だくで頑張ってくださいました。むしろ研修修了後は、部活動が終わったあとのような爽快な顔をして、「楽しかった~!」と言いながら、皆さん帰って行かれました!

 

今回は18名の参加と少人数で開催されました。いつもよりも急がずにゆったりと行けるかなと思いきや、今回から授業の中に盛り込んだ踏切を渡る練習に時間を掛けたこともあり、午前中から押せ押せムードが漂い始めました(笑)。朝8時に集合していることもあり、お昼ご飯があまり遅くなってしまうとお腹が空いてしまいますので、午後にペアになって外に出ていく時間をあまり延ばすわけにはいきません。午後のプランを立てて、慌ただしく出発すると、なんと小田急線の町田駅ではなく、間違って横浜線の町田駅に向かってしまったペアが!。毎年行っている研修にもかかわらず、毎回想定外のことが起こるのだから面白いですね。

 

それにしても、授業や研修というものは生き物だと思います。一度として同じものはなく、その時の生徒さんたちや先生の状況によって、うねりながら大きく変化していきます。同じタイムスケジュールで同じ場所に行って、同じ内容を教えさせていただいているつもりでも、そこで起こる出来事は全く異なるのです。だからこそ、上手く行くこともあれば、上手く行かないこともある。慣れたときに大きな失敗をしてしまうのもこれが原因ですね。そのときの状況に合わせて、私たちは対応していかなければならないのです。

 

 

そして生徒さんたちにとっては、一度きりの研修です。これは介護職員初任者研修にも実務者研修にも他の研修にも言えることですが、一回性のものなのです。介護職員初任者研修をリピートする人はいないでしょうし、同行援護従業者養成研修を2回受ける人も稀でしょう。そこで学んだことや体験したことが全てであり、もう1度はありえないのです。そう考えると、私たちの責任は重いですね。でも一回性のものだからこそ、あれだけ暑い中を車いすを押して歩き回ったにもかかわらず、そこで起こった体験や得た知識をストレートに味わえるのではないでしょうか。一回性の研修をやり切った感が伝わってくるような、生徒さんたちの表情が輝いて見えました。

 

2018年

6月

02日

板挟みになる現場の卒業生たち

先日、湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修をきっかけとして介護の現場で仕事を始め、その後、実務者研修を経て、介護福祉士に合格したYさんとAさん(2014年4月短期クラス)が、報告を兼ねて教室に遊びに来てくれました。お祝いにランチをご馳走しますよとメールで伝えていたら、「銀行に走ってくださいね」と返信が来ました(笑)。ケアカレで学び、現場で育った卒業生さんが(先生方と同じ資格である)介護福祉士というスタートラインに立ったことは、私たちにとって誇らしいことです。そして、彼らと食事をしながら介護の現場について話していると、彼らの内面がケアカレに来てくれた3年前に比べて、大きく変わっているのが分かります。

彼らの心の中にあるのは、人を想うという感覚です。それぞれに断片は違ったとしても、根っこにある人間らしい介護をしたいという気持ちは同じです。認知症の利用者さんに同じことを繰り返されて、気が変になりそうでも、その方が悪いわけではないということをきちんと理解している。虐待の衝動に駆られるほど追い詰められる気持ちも分かるけど、それは絶対にあってはならないことだと考えている。こちらの都合で無理に食べさせたり、入浴させたりするのではなく、本人の望まないのであれば、1食ぐらい抜いても、1日ぐらいお風呂に入らなくても問題ないと思っている。「○○しましょう」ではなく、「○○しませんか?」と声掛けをする。当たり前のようなことですが当たり前ではないことを、現場できちんと考えて実行してくれているのが分かりました。

 

一方で、そのような言葉の端々から、彼らが利用者さんやその家族、そして現場の上司やリーダーとの間に板挟みになって苦い思いをしていることも伝わってきました。「そもそも利用者さんは、自分で望んで入ってきたわけではなく、望んでサービスを受けているわけでもないんだよね」という点で彼らは一致していました。「家族のため(代わり)に介護職がサービスを提供しているようなものだけど、その家族から『お母さんの具合(調子)が悪くなった』等のクレームを受けることもあって辛い。自分たちだって一生懸命にやっているし、ADLが良くなることの方が少ないのは自然だからね」と語ってくれました。さらに現場は慢性的に人手不足で、無理難題を押し付けられるのは常に職員さんたちです。

 

かつての卒業生から「初任者研修で習ったことなんて、現場で使えたためしないよ」と強い語気で言われたときは、申し訳なく悲しい気持ちで一杯でした。彼は介護職員初任者研修を受け終えてから、障害者の支援の仕事に入り、あれから3年間が経ちました。その間、彼がどのような経験や仕事をしてきたのか想像するしかありませんが、あまりにも教育の理想とはかけ離れていたのでしょう。初任者研修を受け終えた頃のキラキラと輝かせていた目は、現場の理不尽さにどんよりと曇ってしまったように映りました。それでも言葉をかけて話し、奥まで掘っていくと、彼は彼なりに少しでも良い支援をしたいと現場でもがいているのだと分かりました。

 

良い介護をしようとすればするほど、現場で板挟みになってしまうその苦しさがどう表に現れてくるかの違いこそあれ、根っこの部分は同じだと思います。やるべきことせず、相手のことを本当に考えることがなければ、板挟みになることもありません。上手くすり抜けて生きていくことも可能でしょう。それでも、ケアカレの卒業生さんたちには、先生方の想いや介護の本質がしっかりと伝わっているからこそ、苦しまなければならないのかもしれません。そこをどう乗り越えるかはそれぞれにかかっていますし、私たちには何ができるのだろうと考えさせられた1週間でした。

 

 

2018年

5月

30日

100%信頼されるガイドヘルパーに

同行援護従業者養成研修の2日目は、初日に身につけた基礎知識や基本技能を外出して生かすことがテーマです。ただ漫然と外を歩き回っても退屈ですし、ガイドヘルプ本来の目的は余暇をいかに楽しく過ごしてもらうかということですので、こどもの国へ行くことにしました!こどもの国に入園して、歩き回ったり、吊り橋を渡ったり、アイスクリームを食べたり、記念撮影をしたりします。視覚障害のある方とガイドヘルパーが過ごすように、私たちも外出の研修を楽しみながら、あらゆる局面における実践的な学びを得るということです。しかも2日目は、全盲の畑山さんにも参加してもらい、実際の支援をひとり一人が体験させてもらい、当事者ならではの話を聞かせてもらいました。

会場から町田駅までペアを組んで、整列して歩いて向かい、切符を買って横浜線に乗り込み長津田駅に到着します。長津田駅の構内を利用させていただき、エスカレーターやエレベーターの乗り降り、切符の買い方を練習します。特にエスカレーターの乗降はとても難しいため、正しい支援の方法を身につけていただくため、ガイド役と利用者役をペアで交互になり、降りたり昇ったりを繰り返します。さすがに畑山さんを支援する番が回ってきたときは、どの生徒さんも緊張した面持ちで練習していました。

 

こどもの国線にはたくさんの親子が乗っています。そういった中でも、利用者さんには安全のために席に座っていただくことになりますが、混雑の中でどうやってスムーズに席まで誘導するのかも千種先生は教えてくれていました。人が両端にいて真ん中が空いている場合の座ってもらい方など、一つひとつの技術やノウハウがあるのだなあと感心しました。こどもの国駅に着いて、停止している電車を利用して、電車への乗り降りの練習もしました。初日に練習したまたぎの基本技能が生きてくる場面。声掛けを間違ったり、呼吸が合わないと危険ですね。

 

こどもの国の中に入ると、子ども連れの家族でにぎわっていました。できる限りアイマスクをしたままこどもの国内を歩き、吊り橋を渡ったり、ミルクプラントに行ってアイスクリームを食べたり(これが絶品!)、牧場に行って見学をしたりします。

 

その中で、ガイドヘルパーとして大切なことのひとつに、状況を説明することがあります。そのとき催し物があって楽しい音楽が流れていたり、子どもたちがバスケットボールをしていてボールが地面を打つ音が響いたり、周りからは小さい子どもたちが駆け回っている声が聞こえてきます。「子どもの声がして怖かった」と感想を書いてくれた生徒さんもいましたし、畑山さんも「子どもがいつぶつかってくるか分からない怖さは、たしかに私たちにもありますね」とおっしゃっていました。

 

こどもの国を堪能したあとは、再びこどもの国駅で電車の乗り降りの練習をして、町田の会場への帰途につきます。会場に戻ってきてからは、今日の振り返りをグループワーク形式で行いました。アイマスクをして利用者役になってみて気づいたこと、またガイドヘルパー役をやってみて学んだことを、それぞれに書き出してもらって発表しました。今回のクラスはとても優秀で、短い時間の中でしたが、多くの素晴らしい意見が出てきていました。

 

最後に、先生方からの言葉と、畑山さんから生徒さんに対するメッセージを伝えてもらいました。畑山さんは、「私たちを支援するために、これだけ多くの人々が一生懸命に学んでくれていることに驚きました」と始め、「この研修に参加した全員にガイドヘルパーさんになってください!」と最後にお願いをされていたように、同行援護従業者が足りない現状があります。

 

最も印象に残ったのは、「私は支援を受けるとき、ガイドヘルパーさんを100%信頼しています」という言葉です。今回の研修において、同行援護をするにあたって、利用者さんとガイドヘルパーとの間の信頼関係がどれだけ大切か分かったのではないでしょうか。利用者さんがあなたを100%信頼していると言ってくれているのですから、私たちはその信頼に応えられるようにならなければいけないということですね。

 

当事者である畑山さんの言葉には説得力があり、大きな意味が込められていました。視覚障害のある方が「障害者の心理」の科目を教える研修はあっても、(実技)演習に参加して一緒に練習をする研修はおそらく日本全国でもケアカレの同行援護従業者養成研修だけでしょう。実際に触れあってみること、直接に話をすることによってこそ、相互の理解は深まるという仮説があったからできたのです。

 

 

最後のアンケートにも「畑山さんとお会いでき、目の不自由な方の気持ちを直接お聞きできて、とても参考になりました」、「畑山さんにいろいろなことを教わりました」、「とても素晴らしい方で、お話ができて本当に良かったです」と書いてくれた生徒さんもいました。共に生きる社会は、知識や技術を得ることだけで作られるのではなく、当事者との関わりにおいて本当の意味で実現していくのです。

2018年

5月

25日

「5パーセントの奇跡」

同行援護従業者養成研修の千種先生から良かったと聞いて、映画「5パーセントの奇跡~嘘から始まる素敵な人生~」を観に行ってきました。気がつくと上映されているのは、田端にある全20席ほどのミニミニシアターのみ。それでも観てみたいと思ったのは、予告編が面白かったことに加え、視覚障害者という題材はドイツ映画ではどのように描かれるのか興味があったからです。映画の内容は期待以上で、視覚障害をテーマとした「光」や「もうろうを生きる」とはまた違ったポップなタッチで、最初から最後まで飽きさせることがありませんでした。観終ったあと、明るい気持ちになれる映画です。

主人公のサリーは、先天性の病気によって95%の視覚を失ってしまいます。残された5%の視覚を頼りに普通学校を優秀な成績で卒業したのち、5つ☆ホテルで働きたいという昔からの夢をあきらめることなく、目が見えないことを隠して採用面接を受けることにします。それを嘘というべきか、挑戦というべきか分かりません。障害があるからあきらめるのではなく、どうしたらできるかというスピリットを前面に押し出して生きる姿に、何らかの障害に立ち向かおうとしている人たちは勇気をもらえるはずです。

 

この映画で特徴的だったシーンは、実際に視覚が5%しかない当事者から見た世界が映像で表現されているところです。全く光が見えない全盲の世界ではなく、ほとんど見えない弱視の世界もまた違った恐怖感を伴いました。少し見えると、もっと見ようという感覚に陥って、見えないことがストレスになりそうです。

 

ちなみに、同行援護従業者養成研修の中でも、様々なメガネを付けてもらって白濁や視野狭窄の体験をしてもらいます。当事者は一瞬ではなく、ずっとそうなのですから、体験で終らないためにも、私たちには想像力が求められているのです。

 

 

「幸せになるための道なんてない。道それ自体が幸せなのだ」というブッダの言葉が映画の中で紹介されていて、とても印象に残りました。つい私たちはゴールだけを見て、いつまでも辿り着かない幸せを手に入れようとあくせくしてしまいますが、その道を歩むこと自体が幸せなのですね。チャレンジしたからこそ道を楽しめるのでしょうし、かといって結果だけを求めても幸せではない。高い目標や夢に向かって挑戦することと、その過程を楽しむことのバランス感覚が大切なのです。ラストシーンにて、「僕はひとりでは生きられないんです」と言えた主人公は、ついに幸せを手にしたのだと思いました。

 

☆「5パーセントの奇跡」公式HPこちら

 

*今月末まで田端のシネマ・チュプキ・タバタにて公開しています!

2018年

5月

21日

なぜ介護の学校なのか?(前編)

「なぜ介護にまつわる仕事はたくさんあるのに、介護の学校を始めたのですか?」とスタッフの影山さんから聞かれました。振り返ってみると、僕が介護の学校に入ったのは、知り合いから誘われて、大手の介護スクールでアルバイトを始めたことがきっかけでした。最初は、大学で行う介護の講座を開催するたびに、ベッドや車いすなどの福祉用具をトラックに乗せて、搬入搬出する手伝いをしていました。そうこうしているうちに、介護スクールの人たちとも少し仲良くなり、ある日、「村山くん、うちで働かない?」と誘われました。当時、2年間ぐらい引きこもりのニート生活をしていたので、一度考えさせてもらうふりをして(笑)、二つ返事で「お願いします」と言ったのがこの世界への第一歩でした。

 

25歳でスタッフとして介護スクールに入るまでは、介護や福祉という業界があることすら知りませんでした。それでも、介護の世界が直感的に面白そうだと思ったのは、ひいばあちゃん(曾祖母)やおばあちゃん(祖母)のおかげです。小さい頃からひいばあちゃんとおばあちゃんには可愛がってもらっていたので、お年寄りに対して良いイメージしか持っていませんでした。たまたま介護の学校に入りましたが、もし施設などの介護の現場に最初に入っていたら、今ごろは介護福祉士を取って、自分で施設や事業所をつくっていたかもしれません。

 

実際に介護の学校で仕事をしてみると、先生たちは尊敬できる人たちばかりで、生徒さんたちも周りのスタッフの方々も優しくて、こういう人たちに囲まれて仕事ができるのは良いなと感じました。介護スクールの前後にも塾で働いたり、ブックオフやお歳暮の配達、引っ越し、駐車場の管理人などのアルバイトをやったこともあったのですが、素敵な人たちが集まって、学ぶことによって変わっていく介護の教育が、私にとっては最も面白いと感じられました。30歳になるまでのちょうど5年間、1ヶ月で500時間働くという、めちゃくちゃなハードワークをしながらも、充実した仕事人生を送りました。

 

ところが、やっていくうちに、もっとこうした方がいいのにとか、自分だったらこうするのにと思うようになり、また学校の規模が大きくなればなるほどに、人と資格を右から左へと流してお金を得るだけのビジネスに嫌気が差すようになりました。このようなことをしてお金を稼ぐだけの中身のない仕事に、自分の人生の時間を使って、この先も生きていくことがバカバカしく思えてきたのです。やるべきことは全てやり切りましたし、ちょうどその折に不正に巻き込まれたこともあり、一旦その介護スクールを離れました。

 

その後、好きな競馬の仕事に1年間ほどチャレンジしたのですがあまりうまく行かず、家族を養わなければいけないこともあり、子どもの教育をやってみようと塾に入りました。5年間、校長をしつつ自ら教えたりもして、それなりに楽しみつつ低空飛行をしていました。子どもの教育はゴールが受験の合格でしかないことと、生徒さんは自分でお金を払ってくるのではなく行かされて来ていることもあり、モチベーションが低く、介護・福祉教育ほど魅力を感じなかったのです。

 

自分が本気でできる仕事でかつ生活ができる仕事はないのかなあと悩み、半ばあきらめていたところ、当時の塾の代表かつ創業者から、新しい事業を提案してくれと言われて、介護の学校を提案しました。そのときまでは、まさか自分が再び介護の学校を手がけるとは思っていませんでした。いざ企画をつくっていると、だんだん当時の楽しさが蘇ってきて、やはり私は介護の学校が好きだったのだと思い、本気になっていったのです。

 

 

そのときに作った理念が、湘南ケアカレッジの原点となる「世界観が変わる福祉教育を」です。

2018年

5月

16日

資格と根拠のある介護を

4月からスタートした短期クラスが修了しました。春一番というか、6年目を迎える湘南ケアカレッジにとっても気持ちを改めて臨みたくなるような新鮮なクラスでした。どの生徒さんも一生懸命に取り組んでくれて、しかも雰囲気も明るく賑やか(反応が良い!)。私たちにとっても非常に教えがいがありました。このようなクラスから今年度をスタートできることを嬉しく思いますし、クラスメイトの皆さまもこのクラスで良かったと思っているはずです。最終日には若手2人からドライフラワーの贈呈式がありました。「ここで学んだことを生かして、現場でも頑張りたいと思います!」という気持ちが良いほど前向きな言葉を嬉しく思い、このような想いを持って介護の仕事を始める若者たちが輝く現場であってもらいたいと心から願います。

もちろん、研修終了後の打ち上げにも参加させていただきました。教室では見えなかったそれぞれの生徒さんたちの素顔があったり、人となりが知れたりして、とても素晴らしい時間です。学校と生徒、先生と生徒という関係から離れて聞くエピソードや身の上話は、ひとり一人にそれぞれの人生があるのだということを改めて教えてくれます。当たり前のことですが、こうして膝を突き合わせて話してみると分かることです。仕事における最大の喜びや報酬は心の交流だと私は思っていますので、このような場に参加できることに感謝ですね。

 

友人の知り合いから紹介されて、ケアカレに来たと言ってくれた生徒さんがいました。友人の知り合いがケアカレを受講したことがあり、その話を聞いていた友人がパンフレットを取り寄せてくれて、ここが良いと勧めてくれたそうです。数年前からこの2段階の紹介で来てくれる生徒さんも少しずつ増えてきており、人の口には戸が立てられないと言いますが、卒業生さんたちの口づての影響力の大きさを感じます。良いことは悪いことよりも広まりにくいのが現実ですが、それでもケアカレの良さは伝わっていくと思います。友人の知り合いから勧められてきた卒業生さんは、打ち上げのあと、「とても良い学校だったよ。紹介してくれてありがとう」と伝えに、友人に会いに行くとおっしゃっていました。

 

もうひとつ素敵なエピソードがありました。その男性の生徒さんは、ケアカレに来る前から無資格で介護の仕事をしていましたがが、新人職員に対して教えることで悩んでいたそうです。いろいろなやり方は分かっていても、「なぜこうするのか」という根拠が伝えられず、たとえ伝えられたとしても「でも資格を持っていないですよね」という目で見られることが、とてもつらかったと語られました。湘南ケアカレッジの介護職員初任者研修で根拠のある介護を学び、そして資格を取得した彼は泣いていました。「泣き上戸ではない」と自分で照れていましたが、大の男が男泣きするぐらいですから、それだけ現場で苦しい思いをしてきたのだと思います。

 

 

その話を聞いて、たとえ資格がなくても、根拠のある介護をしていれば良いと思っていた自分の甘さを知らされました。なるほど、いくら仕事ができて根拠が伝えられても、資格がなければ現場では下に見られてしまうのですね。ケアカレは資格を売るのではなく、世界観が変わるような介護・福祉教育を提供したいという想いでやってきましたが、資格にも大きな意味があるということです。つまり、根拠のある介護ができることと資格を持っていることのどちらもが揃っていることが大事なのです。そのような研修を提供してきたこと、そして提供し続けていることを誇りに思います。

2018年

5月

10日

基本は大事

先月、第1回の同行援護従業者養成研修が終わりました。湘南ケアカレッジ6年目にして、初めての研修ということになります。ずっと開催したいと思っていて、ずっと開催してくださいとお願いされていた研修でもありますので、ようやく形になったというのが正直な気持ちです。やることは簡単なのですが、湘南ケアカレッジがやるとすれば、最高のものでなければなりません。受けて良かったと思ってもらえるような研修でなければ、ケアカレがやる意味がないのです。そういう想いで介護職員初任者研修も実務者研修も全身性障害者ガイドヘルパー養成研修も行ってきました。2日間の同行援護従業者養成研修が終わり、生徒さんたちが笑顔で帰ってゆく姿を見て、やって良かったと安心しました。

まずは両日ともに好天に恵まれたことが大きかったです。春なのに夏のような日差しと熱さで、生徒さんたちは大変だったかもしれませんが、気持ちの良い汗をかけたのではないでしょうか。初日は同行援護の制度について、また基礎知識から基本技能を学んでいただきました。

 

授業の途中で行われた「音と香りのハーモニー」では、生徒さんたちにアイマスクをしていただきながら、あらゆる環境の音や様々な香りを感じていただく体験をしました。耳を澄ませば、いつもは聞こえなかったものが聞こえ、香りに意識を傾ければ、気づかなかった香りを味わうことができるのです。

 

「音の方向は何となく分かりましたが、味や香りは見えなくなると分かりづらかった」、「目の見えない世界を知ることができた。また視界をさえぎることで、耳や感覚が研ぎ澄まされるような気がした」という声がありましたね。

 

 

同行援護の基本技能に関しては、基本姿勢をこれでもかというほどに徹底しました。利用者さんの半歩前に平行にきっちりと立つ、脇を締めることで美しい姿勢が保たれ、安全と安心が確保されるのです。できるガイドヘルパーかどうかは姿勢を見れば分かる、と千種先生は言うように、何よりも先に基本姿勢をしっかりと身につけることが大切です。

 

 

私は今から15年ほど前に大手の介護スクールで視覚障害者ガイドヘルパー(同行援護従業者養成研修の前身)をやっていましたが、基本姿勢をここまでしっかりと教えていませんでした。今から思えば、そのときの先生たちも授業も、基本技能を教えられるレベルにはなかったのだと思います。

その他、アイマスクをしながら食事介助、町田市民ホールまで行って階段昇降やまたぎ、トイレの介助についてなど、あらゆる場面における基本的な動作をみっちり練習しました。歩き出す前に一旦と止まるというのも基本技能のひとつであり、慣れてくるとどうしても抜けてしまいがちなことでもあります。

                             

2日目にこどもの国へ外出する前に、このあたりの基本技能はマスターしておきたいものです。「研修初日のあと、右腕を振らないことを意識したり、右側に人がいることを想像しつつ行動したり、トイレに入るとき誰かを同行援護しているつもりで言葉を頭の中で繰り返したりしました」と言ってくれた生徒さんもいました。

 

 

基本は大事。これはスポーツでも勉強でも仕事でも、何にでも当てはまることですが、今回の同行援護従業者養成研修でもそれを改めて思い知らされました。千種先生自身も、実はガイドヘルパーになりたての頃、かなり厳しく基本技能を教えられたことがあり、それがのちのち大きく役に立ったし、だからこそ10年以上もガイドヘルパーの仕事の依頼が絶えず、今も楽しく続けていられるそうです。湘南ケアカレッジの同行援護従業者養成研修を修了してくれた方々も、同じように長く楽しくガイドの仕事を続けてもらえるように願います。

2018年

5月

05日

好きを仕事にすること、仕事を好きになること。

同行援護従業者養成研修のお申込書に、卒業生さんからの手紙が添えられて届きました。介護の仕事を始め、現場での様子など近況報告が綴られていて、最後に「この仕事が好きだと分かりました。そのことを教えてくれた先生方に感謝します」と書かれていました。この一文を読み、とても嬉しく思いました。最終的に介護の仕事を好きになれるかどうかは本人次第だと思いますが、そのきっかけをケアカレがつくれたことを誇りに思いますし、先生方がしたいこともそういうことなのだと思うのです。介護の仕事を好きになってくれて、嬉しくないわけがありません。

 

最近は、好きなことを仕事にすることが大事だとされていますし、私もそう思ってやってきました。今でもそう思っています。元から好きなことがあって、それを通して他人に貢献することで報酬を得て、生きていく。好きを仕事にするとは、そういうことです。でも、好きを仕事にすることは案外難しく、そもそも市場がなかったり、ほんとうに一握りの人たちしか稼げないほど競争が激しかったりします。私もかつてビリヤードのプロになりたいと思っていたことがあったので、その気持ちも難しさもよく分かります。

 

好きを仕事にできれば良いのですが、そうでなくても、仕事を好きになっていくことができれば、それもまた良いのではないでしょうか。世の中には5万種類ぐらいの仕事があるらしく、その中で自分がたまたま選んだその仕事を好きになってゆく。最初は自分にできるのか、自分に合っているのか手探りの状態であっても、気が付くといつの間にか好きになっていた。もしくは、やらざるを得ない状況だったので続けていると、段々とできるようになって、楽しくなり、何となく好きになっていた。仕事が好きだと感じているほとんどの人たちは、実はそういうプロセスを経ているのではないかと思うのです。

 

 

嫌いな仕事に無理をして取り組む必要はありませんが、何となくでも始めてみないと好きかどうかは分かりませんし、最初はそうではなくても、少しずつ好きになってゆく方が奥は深いと思うのです。好きを仕事にするのは、自分の中にすでにあったものを世に問うているのに対し、仕事を好きになっていくのは、身を投じて自分とその仕事をすり合わせ、自分にはなかったものを見つけること、自分を一旦壊してつくり直すこと。それはそれで案外難しいことです。そのような葛藤や試練を経て、自らが磨かれていく先に、「この仕事が好き」という境地が訪れるのだと思います。介護の仕事が好きだと言ってくれる生徒さんが、ひとりでも多く増えてゆくことを願います。

2018年

4月

30日

介護福祉士合格祝賀会

介護福祉士の合格祝賀会が行われました。湘南ケアカレッジの教室の大きさの都合上、今年も介護福祉士筆記試験対策講座を受講した生徒さんを対象として、ささやかながらお祝いさせていただきました。当日は誰がいつ来てくれるのか分からない中、教室を開けて待っていましたが、スタートしてから続々と合格者が集まってくれ、最後はなかなかの盛況ぶりでした。計算していたよりも食べ物が少なく、焼き鳥を買いに走ってもらったぐらいでした(笑)。先生方がホスト役を務めてくれ、仕事をしながら学んでくれたを労いつつ、合格した喜びを共に分かち合えて良かったです。

「1月に入ってからようやくスイッチが入って、とりつかれたように勉強しました」という生徒さんもいれば、最初からコツコツと取り組んで、「自己採点で115点でした!」と誇らしげに語ってくれた生徒さんもいました。どちらもケアカレの筆記試験対策講座がひとつのきっかけとなって働いてくれたのではないでしょうか。

 

 

3年前の介護職員初任者研修のクラスメイトが3名も集ったことにも縁を感じましたし、皆さん口々に「もっと学びたい」、「ボディメカニクスの研修があったら学びたい!」などとおっしゃっていたのが印象的でした。やればできるというと安っぽいですが、学ぶことの楽しさにも気づいていただけたのだと思います。

合格した生徒さんたちの中でも最高に嬉しかったのは、昨年惜しくも涙を吞んだMさんが、見事に介護福祉士になったことです。Mさんは中国から日本に来て、介護の仕事を始め、昨年ようやく介護福祉士の試験に臨みました。ケアカレの実務者研修を経て、介護福祉士筆記試験対策講座にも参加してくださり、誰よりも熱心に勉強していましたし、途中で行われる確認テストやミニテストの出来も素晴らしかったのです。

 

にもかかわらず、昨年は力を出し切れず、残念な結果に終わってしまいました。電話をいただいたとき、本人も落ち込んでいて、もう介護福祉士を目指すのはやめようとさえ思ったそうです。私にとっても不本意で、あれだけ出来ていたのに合格できなかったなんて、緊張する場面において外国語で受験することの難しさを知りました。それでも、今年度の筆記試験対策講座にお誘いしてみたところ、「もう1度チャレンジしてみます」と言ってくれました。

 

 

合格祝賀会の会場に現れ、「誘ってくれたから受験しようと思えたし、感謝します」と言ってくれた彼女は涙ぐんでいましたし、昨年の挫折があったからこそ、今年の合格の喜びはより大きかったのだと思います。あくまでも結果論ですが、簡単に合格しない方が良いこともあるものだと感じました。彼女は先生方や周りの人たち、そして家族のおかげで合格できたと感謝してくれましたが、何よりも彼女の努力は私たちの想像を超えるものだったはずです。外国語で介護福祉士の試験に合格するなんて、簡単なことではありません。彼女の力と運で手に入れた介護福祉士の資格を、彼女ならば良い形で生かしてくれるはずと確信しています。

介護福祉士筆記試験対策講座のミニテストに対して、有紀先生が応援メッセージを添えてくれていました。こうした想いが、最後は生徒さんたちの背中を押すのだと思います。

2018年

4月

25日

「伴走者」

スタッフの影山さんが見つけて紹介してくれた、浅生鴨(あそうかも)さんの小説です。夏・マラソン編も冬・スキー編も、視覚障害者によるスポーツ競技を扱った内容であり、ちょうど同行援護従業者養成研修の開講に向けて、ガイドヘルパーの先生方と授業をつくり上げているところでしたので、まさにジャストタイミングでした。綿密な取材を通し、特に障害者スポーツの激しさや競技者の心理について、きちんと描かれています。さらに小説としての盛り上がりも十分、登場人物たちの個性も豊かで、最後まで飽きさせることなく読ませてもらいました。個人的には、本(活字)を読むということは、人物や情景などを想像することであり、そこから先の登場人物に見えている情景や人物を想像するという入れ子の構造になっているところが面白いと思いました。

夏・マラソン編における、ブラインドランナーの苦しさの描写は見事です。

 

健常者のマラソンは苦しさとの戦いだ。つらい局面を乗り越え、最後まで耐え抜く者が結果を手にする。だが、ブラインドランナーにはそれに恐怖との戦いが加わる。公道を走るマラソンには坂の上り下りもあれば、カーブもある。路面の状況にしても常に安定しているわけではない。細かな凹凸や轍(わだち)、わずかな段差など、健常者には問題にならないこともブラインドランナーには大きな障害となるのだ。長距離を走り抜き、疲労の極限に達している足には小さな石一つが決定的な衝撃を与えることもある。伴走者は行く手を注意深く観察し、細かく路面の状況を選手に伝えるが、それでも避けきれる障害ばかりではなかった。

 

少しネタバレになりますが、同行援護従業者養成研修においても、授業の一環として伴走リレーを行います。2人一組になって、競技者役の生徒さんはアイマスクをして鈴のついたバトンを持って伴走者と一緒に走り、前で待つ次の走者にバトンを渡します。このとき鈴がついているにもかかわらず、バトンを渡す(受け取る)という行為だけでもかなり難しいのです。そして、いくら伴走者が隣にいるとはいえ、前が見えない状況で走ることの恐怖は実際に体験してみないと分からないかもしれませんね。見えていれば気にならない、ちょっとした地面の凹凸や窪み柔らかさ、ひとつの石ころの存在が障害に感じるのです。

 

冬・スキー編では、周りの状況を想像すればするほど恐怖が増していくことについて綴られています。

 

ゴーグルをつけてゲレンデのいちばん緩やかな斜面に立った涼介は、背中にじっとりと冷たい汗が流れるのを感じた。怖いのだ。そんなはずはないと頭ではわかっているのに、なぜかすぐ前に急斜面があるような気がして、僅かでも板が滑ると緊張した。

 

見えないとはこういうことなのか。周りの状況を想像すればするほど恐怖が増していく。

 

アルペンスキーでは、いかに抵抗を減らし、重力を効率的に利用できるかが勝負のポイントになる。だがそれほどの技術があっても、最終的にコンマ数秒の差を生み出せるのは恐怖を克服する勇気だ。勇気を持たない者は勝つことができない。

(中略)

恐る恐る足を踏み出す。視界をふさがれた状態で滑り始めると、自分がどれほどのスピードを出しているのか全く分からなかった。間違いなく斜面にいることはわかるのだが、斜面の角度が分からない。それどころか自分の重心がどこにあるのかも次第に分からなくなっていく。

 

この2つの物語に登場する伴走者(健常者)は、障害者の競技スポーツを通して視覚障害者を理解しようとして、その交流を通して勝つことやそれをサポートすることの意義を問うていきます。つまり支援について学んだのです。冬・スキー編において、伴走者の立川涼介が競技者の晴にこう言われます。

 

「ねえ、立川さん。私ってずっと誰かに支えてもらわなきゃダメなのかな。誰かを支えちゃダメなのかな」

 

涼介は背中を激しく叩かれたような気がした。晴は自分にできることをやろうとしたのだ。それなのに、晴が俺に何かをしようとするたびに、俺はそれを拒否していた。晴の気持ちなど考えず、ただ拒否していた。涼介の胸の奥に鈍い痛みが走る。晴に頼らないことで、俺は晴を傷つけていたのだ。

 

「霧の中で滑った時のことを覚えています?」柔らかな声だった。

「ああ」

あの日、霧の中で俺は晴を信じた。前が見えない恐怖を隠さず、強がることもなく、ただ晴だけを頼りに滑ったのだ。そう。間違いなく、あの時の晴は俺を支えていた。

 

「大会に出てくれないか」静かに聞く。「俺と一緒に大会へ出てくれないか」もう一度聞いた。本当は大会などどうでもよかった。二人で同じ目的へ向かうあの感覚。勝者が受ける称賛よりも、あの感覚の方が今の俺にはよほど必要なんだ。

 

 

伴走しているつもりが、気が付くと伴走されていた。自分が支えていると思っていたのに、実は自分が支えられていたということは、私たちにもよく起こることではないでしょうか。それが行きすぎてしまうと共依存になってしまいますが、お互いに足りないところを補い合う、時には支えて時には支えてもらう、そして二人で同じ時間や場所を共有して、同じ目的を目指して、喜びや悲しみを分かち合う。そこには伴走者と非伴走者という関係ではなく、パートナーとして、ベターハーフとしての素晴らしい関係が生まれるのです。

2018年

4月

20日

「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」の募集を開始します!(平成30年度)

今年度も、「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」を開催します!ガイドヘルパーは障害のある方の外出の支援をする仕事です。在宅や施設が「屋内」だとすれば、ガイドヘルプは「屋外」における介護。利用者さんの行きたい場所を聞きながらプランを立て、外出し、必要な支援を行いつつ、色々な話をしながら、一緒に楽しむお仕事です。行きたい場所や好きなところに行けることは、利用者さんにとって希望や生きがいとなり、外出先での思い出は、日常を生きる活力ややりがいにもつながります。もちろん高齢の方にも同じことが言えますよね。そして何よりも、この仕事は私たちも楽しい!そんな外出支援のお仕事ができるようになってみませんか?

 

→介護・福祉についてさらに深く学びたくなった。

→利用者さんの外出を支援するお仕事に興味がある。

→障害のある方々や子どもたちの支援について学びたい。

→屋外にて車椅子を安全に操作する技術や知識を得たい。  

 という方は、ぜひご受講ください。

ガイドヘルパーの仕事に合わせた、実践的なオリジナルコンテンツ

1、  芹が谷公園での演習

芹が谷公園まで車いすで行き、車いす介助の演習をします。公園内にある段差、砂利道、坂道など、外出時における様々な状況を想定しながら、車いすを押す技術を何度も練習して身につけます。普段は屋内でしか車いすを押していないという方にとっては、また違った介助であり、技術が身につくはず。自然の緑に溢れる広い公園ですので、ぶつかったりする心配もなく、安心して練習ができます。

 

2、計画を立てる

利用者さんが10人いれば、行きたい場所やしたいことは10通りあるはず。利用者さんの行きたい、楽しみたいという気持ちを大切に、安全・安心を確保しつつ、また時間どおりに戻って来られるように、2人1組のペアになって具体的に計画を立てます。目的地にたどり着くまでにどのような障害があるのか、どの道を通って行けば安全なのか?エレベーターの場所は?電車はどの車両から乗るべき?準備をしておくべき物ごとは何か?などなど。普段とは違った視点で話し合うことで、ガイドヘルパーの仕事に必要なことが見えてくるはずです。

 

3、  フリー行動(町田ルート&相模大野ルート)

自分たちでつくったオリジナルの計画に沿って、町田駅周辺を散策するルートと、相模大野駅まで電車に乗って行くルートのいずれも体験していただきます。いち利用者とガイドヘルパーとして、車いすに乗りながら(または押しながら)、限りなく実際のガイドヘルプの仕事に近い内容の研修になります。街中を車いすで進んだり、踏み切りを渡ったり、切符を買って改札を通ったり、エレベーターに乗ったり、電車に乗ったり降りたりと、ほとんどの方々にとっては初めての経験となるのではないでしょうか。計画通りに行くこともあれば、行かないこともあるはずです。それでも利用者とのコミュニケーションを楽しみながら、安心・安全な外出をサポートすることが大切です。

 

4、振り返り

教室に戻って来てから、実地研修で学んだことや気づいたことをグループで共有します。プランニングと実際のガイドヘルプでは違っていたこと。車いすに乗って、障害者として外出してみて感じたこと。街中の人々の対応やバリアフリーについて。成功したことや失敗したこと、困ったことなど。グループワークを通して、体験を学びに変えていきます。

 

タイムテーブル(当日の状況によって変更があることをご了承ください)

講義(実習含む)

  800900 

ガイドヘルパーの制度と業務

  9051105 

全身性障害者の疾病・障害の理解

11:1014:20

*10分休憩含む

移動支援の基礎知識(芹が谷公園にて)

演習

14:2515:25

基礎的な介護技術

  1530~1830 

移動支援の方法

(町田周辺、相模大野まで外出します)

*昼食はガイドヘルパーの演習の流れの中で召し上がっていただきます。

 

*雨天決行になりますので、雨の場合は雨がっぱ等をご用意いただきます。

 

修了証明書

研修終了後には、「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修」修了の資格が手に入ります。この資格を持っていないと仕事に従事できなくなってきており(市区町村によって異なります)、実際に役立てていただける場面も多く、もちろん履歴書にも「「全身性障害者ガイドヘルパー養成研修修了」と書いていただけます。

 

講師紹介

湘南ケアカレッジの講師は、介護福祉士や社会福祉士の資格を持ち、現場経験や知識が豊富なだけではなく、教えることに対しても技術と情熱を持っています。分かりやすく丁寧に教えさせていただき、介護の世界の素晴らしさをひとりでも多くの人々に伝えたい、と願っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小野寺祐

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

阿波加春美

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橘川知子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥玲子

 

受講料

15,000円(税込、テキスト代込)

 

定員:30名限定

教室の外に出るという内容の関係上、人数を限定させていただくことをご理解ください。

 

受講資格介護職員初任者研修課程修了者(修了予定者を含む)、ホームヘルパー2級課程修了者、介護福祉士並びに東京都居宅介護職員初任者研修課程及び東京都障害者居宅介護従業者基礎研修課程修了者、東京都障害者(児)居宅介護従業者養成研修1級課程、2級課程及び3級課程の修了者、介護保険法上の訪問介護員、実務者研修修了者、介護職員基礎研修課程修了者。

 

研修日程(平成30年度)

最終回

 

平成31年3月10日(日)

 

   

*全身性障害者ガイドヘルパー養成研修は全1日で修了する研修になります。

*上記の日程の中から、お好きな1日を選び、ご受講ください。

お申込みの流れ

①以下の申し込みフォームよりご入力、もしくはお電話(042-710-8656にて直接お申込みください。

※いずれの場合も、ご希望のクラスが定員になりますと受付できませんのでご了承ください。

②受講確認書をお受け取りください。

ご自宅に「受講確認書」と「受講料お振込みのご案内」が届きます。

③受講料をお振込みください。

「受講確認書」が到着後、1週間以内に受講料をお振込みください。お振込みは、銀行ATM やネットバンキングからでも可能です。

※手数料は各自でご負担ください。また、お振込みは案内をよくご確認の上、お願いいたします。

④研修当日

申し込みクラスの日時をご確認の上、教室までお越しください。当日、テキストをお渡しします。

 

*当日、本人様確認を行いますので、身分証明書(健康保険証または運転免許証等)をご持参ください。

 

生徒さんたちの声

実際外に出て、自分で体験できた

普段の仕事では室内の車いす介助なので、実際外に出て、自分で体験できて良かったです。少しの段差でも気を遣い、踏み切りや電車の乗降はとても難しかったです。少しでも困っていると周りの方が助けてくださり、本当にありがたかったです。1月からデイサービスの仕事に移るので今日の研修を生かせればと思います。A.Aさん)

元気をもらえました

とても楽しく面白くしっかりと学ぶことができて充実した研修でした。不安もありましたが、先生たちがいつも励ましてくれ信じてサポートしてくださることが自信につながります。先生たちに久しぶりにお会いできて元気をもらえました。ありがとうございます。また学びに来たいです!(大塚さん)

車イスの操作のむずかしさ

車イスの操作のむずかしさを改めて実感しました。2段階の段差、踏み切り横断で特に感じ、普段施設内移動では味わえない貴重な勉強をさせていただき、今日研修に来て良かったと思いました。久しぶりにケアカレの先生方の優しさに触れて楽しい1日でした。M.Iさん)

新しい発見がありました

すでにガイドヘルプの仕事を行っていましたが、新しい発見がたくさんありました。特に車いすに乗らせていただくことはないので、自分の身体の自由が利かない中で、この気分はどうだろうと改めて思いました。また準備の大切さもとても感じました。心地よい疲れをありがとうございました。Y.Oさん)

基本から知ることができた

車イスに乗ってみて、いろんなことが違って感じた。人込みの怖さ、薬局に入って、棚の商品(上の段)が全く見えないこと、親切な人やそうでない人、車いすを押すのも手だけではなく身体ごと使って段差を乗り切ること、坂路での下り方、基本から知ることができたのでとても良かった。(奥田さん)

とても新鮮でした

貴重な体験ができて、とても有意義な1日でした。いつもと違う視線、視点で見ることができ、とても新鮮でした。想像以上に段差が多くて大変でしたが、想像以上に町を行く人は親切でした。この経験をこれから活かして何かできたらいいなと思っています。M.Aさん)

街の人たちが優しかった

いちばん感じたことは、街の人たちがとても優しかったことです。エレベーターのボタンをずっと押してくれていたり、道に迷っていたら道案内をしてついてきてくれたり、本当に感謝しています。今まで気がつかなかった視点で観ることができる、とても良い機会になりました。(金子さん)

誇りと希望が持てます

本当に実際に車いすに乗って危険や不便さをたくさん感じました。いかに健常者優先の環境になっているか、身に沁みました。商品が目に飛び込んでくるようなダイナミックな視線や大きな溝より分かりづらい穴とかの方が危険なこと、いろいろ思いましたが、結局それでも外出したいと思うのがいちばんの感想だったので、この仕事は誇りと希望が持てます。(座間さん)

研修の風景(動画)をご覧ください。

お申込みはこちら

2018年

4月

16日

過去も未来もない

先日、妹の子どもたち2人を連れて、町田リス園に行きました。暖かくなってきたこともあり、リスよりも人間の方が多いのではないかと思うぐらい、たくさんの家族が訪れていました。朝からエサをもらいすぎて、リスたちはお腹一杯。お昼過ぎに行った私たちが好物のひまわりの種を差し出しても、リスたちは食べてくれないどころか、こちらにも寄ってきてくれなくなっていました(笑)。1日中、子どもたちと遊んで帰る際、町田駅にてお見送りをしました。子どもたちは「ばいばーい!」と手を振りながら、何度も叫びます。私もそれに応えるように、「バイバーイ!」と手を振り返しました。彼女たちは涙ぐんでいました。顔は真剣で、別れを心から惜しんでいるのが伝わってきました。

 

この別れを惜しんでもらえる感覚を、久しぶりに味わいました。懐かしく思うと共に、彼女たちにとっては今が全てなのだという想いを強くしました。これまでに何度も会って、遊んでいるから、今回はその延長線上にあるという、慣れのような気持ちもなく、全力で今日私と遊ぶことを楽しんでくれました。

 

さらにこれから先もまた会えるであろう、遊べるに違いないという予測もなく、もしかするとこれが最後になってしまうかもしれないと感じてくれているようでした。今を生きるということは、楽しさだけではなく、寂しさや悲しさも同時にきちんと噛みしめることなのだと教えてもらいました。

 

別れを惜しまれる感覚は、私の祖母や曾祖母から教えてもらったものでした。かつて私が小さかった頃、お盆や正月には実家の岡山に帰省していました。1週間ほど滞在し、こちらに帰る日を伝えると、数日前から祖母や曾祖母は寂しさを表現してくれました。そして、いざ帰ろうというその日は、私の手を握って、涙を流して「また来てな」と何度も何度も言ってくれました。

 

当時の私には、また次のお盆や正月には来るのに、なぜこんなにも悲しく、寂しがるのか全く分かりませんでした。今では分かります。孫と別れる辛い気持ち。もしかすると、もう顔を見ることができないかもしれない。未来があるかどうか分からないからこそ、祖母や曾祖母はあんなにも今を一緒に生きることができたのですね。

 

 

妹の子どもたちとの1日を通して、祖母や曾祖母たちの気持ちを思い出し、果たして私は今を生きることができているのだろうかと疑問を持ちました。たぶん、今を生きられていないのだと思います。どうでもよい過去にとらわれ過ぎてしまい、起こりもしない未来を憂いてしまうことで、肝心の今がいつも見過ごされてしまっているのではないでしょうか。

 

私たちが生きることができるのは、本当は今しかないのに、過去と未来を行ったり来たりしているばかりで、今を失ってしまっているのですね。彼女たちのように今を生きるのには私は大人になりすぎたのかもしれませんし、祖母や曾祖母のように今を生きるのには私はまだ若すぎるのかもしれません。それでもやはり今を生きたいなと憧れる気持ちは、最近ますます強くなってきました。

2018年

4月

12日

「リメンバー・ミー」

今絶賛上映中のアニメ映画「リメンバーミー」を観てきました。ピクサーが制作した映画、たとえば「ファインディングニモ」や「モンスターズインク」、「トイストーリー」は大好きなアニメーション映画であり、「リメンバーミー」にも期待していました。今回の作品は人間が主人公ということで、これまでの作品とは少しだけ世界観が異なりましたが、アニメーションはより迫力や質感を高めていて、人の動きも実にリアルで実写版との境目がなくなりつつあります。もちろん、ストーリーも内容も面白く、人の記憶や死について考えさせられ、最後は心温まる結末になっています。12歳のミゲルが曾祖母のココに歌を歌って、記憶が蘇るシーンが美しいですね。

 

作品の中で描かれる死者の国においては、自分の生きていたときのことを覚えている人がいなくなってしまうと死んでしまいます。つまり、1度現世において肉体的に死に、死者の国においてもう1度死ぬということです。それは裏を返せば、肉体は死んだとしても、自分のことを覚えてくれている人がいれば、生き続けることができるということです。人びとの記憶の中に生き、(日本の風習でいえばお盆の時期などに)現世に戻ってくることもできるのです。誰の記憶の中にもいなくなってしまうことが最後の死であり、それぐらい私たちがその人のことを覚えているということは大切なのです。

 

私にも曾祖母の記憶はたくさんあります。物心ついたときには、ほぼ寝たきりの生活を送っていた曾祖母ですが、私が帰省するといつも喜んでくれました。真っ先に部屋に行くと、手を握り、(目が悪かったので)顔のかたちを手で触って確かめながら、「大きくなったなあ」と褒めてくれました。手を引いてダイニングに連れて行くときのゆったりとした歩みや寝ているときに足の指にティッシュペーパーをはさむいたずらをして怒られたこと、こっそりとお小遣いをもらって本を買いに行ったこと、100歳近くになってもふっくらとしたほっぺたなど、今でも大切な思い出として私の中にあります。ということは、私が死ぬまで、今も曾祖母は向こうの世界で生きているということですね。

 

 

私はいつまで生き続けることができるでしょうか。そんな疑問をふと抱きました。私は周りの人々の記憶に残るような生き方をしているのかということです。できれば良い記憶として残ってもらいたいと思いますが、そう簡単なことではありませんね。曾祖母の生き方を振り返ってみると、記憶に残しておいてもらえるためには、まずは他者としっかり向き合うことだと思います。自分と向き合うのと同じように他者とも向き合う。そして、喜怒哀楽の感情を共にすることです。喜びも怒りも哀しみも楽しみも、どのような感情であってもいいのです。その時の感情をきっかけとして、私たちは人や場所、情景などを記憶するのです。懐かしい思い出と共に、そんなことを考えさせてくれた映画でした。

2018年

4月

08日

考え方が180度変わった

3月短期クラスが無事に終了し、湘南ケアカレッジの5年目が終わりました。4月からはいよいよ6年目を迎えることになります。ケアカレの5周年を記念する最後のクラスは、なかなかの個性的なクラスでした。年齢層も20代から80代と幅広く…、ここでエッと思われた方もいらっしゃるはずですが、そうです何とケアカレの生徒さんの最年長記録が更新されたのです!つい最近までは79歳の生徒さんが記録保持者でしたが、今回のクラスであっさりと塗り替えられてしまいました。生徒さんの年齢に60歳の幅がある研修や学校って、他にあるのでしょうか。それこそが介護職員初任者研修の魅力のひとつであり、湘南ケアカレッジの面白さですね。

 

80代の生徒さんは、現在ガイドヘルパーとして、学校への送り迎えを毎日しているそうです。ケアカレの4階までの階段を息も切らさずに登って来る姿を見て、健康の秘訣をこっそりと聞いたところ、「私は毎日3万歩歩いていますよ。いきなりは大変なので、少しずつ歩数を伸ばしていくことが大切です」と教えてくれました。私も今年に入ってFitbitを付けて1日の歩数を測っていたことがありましたが、2万歩まではなんとか歩けても、3万歩は相当に難しいと思いました。最初、彼女は事業所の方にケアカレに連れてこられ、「なぜ介護をされてもおかしくない私が、介護をする勉強をして、テストまで受けなければならないのか意味が分からなかった(笑)」とおっしゃっていましたが、まさにその通りですね。